大地の五億年(前篇)第二無鄰菴から東福寺へ

2024年05月15日

大地の五億年(後編)

前回記事からの続き、wingさんからお借りしている・・・

「大地の五億年」(藤井一至著)の読書メモ後編、第3章と第4章の備忘メモであります

表紙と奥付と目次のみ再掲

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引き続き、読み飛ばしや間違いも多いので正しくは本書のご熟読を・・・
(当記事では全てボルネオ島(マレー語表記)と書いてますが、著者が調査研究されてたのは
主にインドネシア側なので、著書ではカリマンタン島(
インドネシア語表記)になってます)


第3章より

・農業は自然破壊?
→農業生態系(畑や水田)と自然生態系(森や草原)とは大きく異なる
→森林には養分が失われにくい仕組みがある(土が酸性になる現象はある)
→畑では植物が吸収した分だけ養分(カルシウムやカリウムなど)が持ち去られる
→大部分は排泄物になるが、それを戻さない限り失い続ける→土の酸性化が進む

・湿潤地では土の酸性化が起きやすく乾燥地では起きにくい
→乾燥地を選ぶことで酸性化を回避したのが古代文明の灌漑農業
→湿潤地で酸性化とうまく付き合う例が焼畑農業や水田農業

・農耕の起源
→水と土の栄養分とは両立しない
→湿潤地には森林、乾燥地には砂漠や草原が広がっていた

・メソポタミアの農業文明(小規模には1万年前から)
→ムギの原種と中性の肥沃な土があり灌漑ができる大河のそばだったので発達した
→灌漑の失敗で地下塩分が上昇し4000年前から衰退した
→復元力の弱い森林の伐採による土壌侵食も→大洪水→灌漑水路の埋没

・エジプトの農業文明
→ナイル川には毎年溶存有機物の供給があった→その水を氾濫期に取り込む
→4000年前の乾燥期には内乱もあったが7000年も続いた
→アスワンハイダム建設で氾濫が絶たれダムの電力で作った窒素肥料で補っている

・乾燥地での灌漑農業は酸性化しにくいかわりに塩類集積のトゲを持つ

・東南アジアの湿潤地では焼畑農業が発達した
→タイ北部の焼畑農業(陸稲ともち米)の1年(略)
→草木灰が土の酸性を中和し、周りの森は畑より涼しく分解が抑えられ有機物が蓄積する
→この有機物が土壌の酸性化を止められるのは数年だけ
→なので別の場所に移動して跡地は5~10年で回復させていく
→このサイクルは森林の有機質肥料を利用して酸性土壌を中和する仕組み
→人口に対して広い森林さえあれば、焼畑は持続的な伝統農業

・黒ぼく土と焼畑
→縄文時代は山の幸・海の幸に恵まれ狩猟採集が中心だったが小規模な焼畑農業はあった
→クリ、ヒエ、アワ、キビなどを火入れを行なって栽培していた痕跡が
黒ぼく土に残る

・モンスーンアジアの泥と水田
→焼畑農業は少ない人口しか扶養できないシステム
→多くの穀物は半乾燥地で栽培されていたが水田稲作だけは例外
→タイ語でもインドネシア語でも日本語でも食事とコメは同じ意味(ご飯など)

・タイ北部の水稲1haあたり収穫量は陸稲の5倍、しかも毎年収穫できる
→タイ北部でも日本でも季節限定の青い土が田んぼの高い生産性を支えている
(略)

・水田稲作は1万年前に長江の中下流域ではじまりモンスーンアジア全域に広がる
→世界の低地面積の30%近くはメコン川、長江、ガンジス川などの肥沃な沖積平野
→急峻な地形は上流からすれば栄養分の損失だが、下流からすれば栄養分の供給
→イネの作付面積は世界耕作面積の10%足らずだが世界人口70億の半分近くの主食
→ボルネオ島の人口密度がジャワ島の1/100なのは土の肥沃度の違いによる
→さらにジャワ島や日本列島では火山噴火で定期的にミネラルが供給される

・土の日本史
→2500年前に水田稲作が伝来
→生産余剰→富の格差→指導者の出現→初期国家という流れは他の文明と同じ
→5~6世紀には奈良や京都の集水域を生産基盤としてヤマト王権が成立(?)
→平安時代には地方にも稲作が広がり、新田開発を担う武士が台頭して中世に
→水田の生産力が国力を決めるようになり、寒冷地域は歴史から姿を消す
(雑穀生産が主体だった奥州藤原氏の衰退が象徴的)
→沖積土での稲作生産力は、黒ぼく土での雑穀生産の数倍
(黒ぼく土での稲作は土壌改良されるまでは不安定だった)
→室町時代以降に新田開発がはじまり飽和した結果、領地拡大を求め戦国時代に
→肥沃な濃尾平野を押さえていた織田信長の台頭は必然的な流れ
(尾張・美濃・伊勢の面積は(武田信玄の)甲斐・信濃より狭いが石高では上回っていた)
→コメと富の流通主導権争いで豊臣秀吉から徳川家康へ
→江戸時代には新田開発や糞尿・里山の利用で生産性を高めて人口増加していく・・・

・ドジョウを育む水田土壌
→ドジョウやフナと水田による稲作漁撈は長江中下流域からアジア各地に広まった
→弥生時代に水田稲作が急速に広まった一因ともされている
→炭水化物(コメ)とタンパク質(魚)が摂取でき攪拌や排泄物で収穫量を高めて一石三鳥
→ただし窒素を充分に吸収したコメはタンパク質が多く甘くなかった(まずかった)
→その代わりコメと魚を食べれば必須アミノ酸は一通り摂取できた
→窒素肥料が限られた時代の稲作漁撈がアジアの高い人口扶養を可能にした
→甘く(低タンパク低栄養価で)あまり窒素を必要としない革命児がコシヒカリ
→消えゆくドジョウは田んぼとお米と私たちの関係の変化を物語っている

・里山と糞尿のリサイクル
→現代の農業では肥料原料の多くが輸入によるもの
→江戸時代以前の肥料は里山資源と糞尿
→江戸時代に里山資源(天然林)が枯渇し
糞尿リサイクルが活発になった(戦後に減少)
→合成アンモニア窒素肥料より尿素のほうが土が酸性化しにくく土に優しい

・世紀の大発見ハーバー・ボッシュ法
→肥料も火薬もグアノに頼る必要がなくなった
→爆発的な人口増加にも火薬・毒ガスによる戦争長期化にも一役買った
→日本では1930年代から急増し戦前の世界最高量に→土壌の酸性化や水質汚染が進行した
→合成にはエネルギー(お金)を要するので購入のために都市への商品作物を増やす
→農地からの栄養分持ち出しが増え、さらに肥料を購入する→これが資本主義の原理
(タイ北部の焼畑農村でも商品作物の連作などで同じ状況になってきている)

・窒素肥料の光(人口増加)と影(土の酸性化や水質汚染などの環境問題)
→ただし農業の1万年を振り返れば伝統農業なら持続的とも言い切れない
→試行錯誤の繰り返し
→目の前の環境問題が減っても別の場所(農業の現場)へ移動しただけ・・・


第4章より

・あるサラリーマンの1日(略)
→私たちの日常の選択が世界のマーケットと生産現場(土)の方向を動かしている
→肥料飼料を含む海外生産食料が口に入るまで全てにエネルギーが使われている

・覚醒する炭素
→エネルギーの利用とともに炭素が動く
→従属栄養性の生き物は有機物分解でエネルギーを得て二酸化炭素を放出する
→燃料によるエネルギー生産も
二酸化炭素を放出する
(有機物の多くは植物の光合成でつくられるので動物のエネルギー量を制限していた)
(植物が吸収する二酸化炭素と生き物が排出する二酸化炭素は1年単位ではほぼ釣り合う)

・現代人は必要量の2倍の食べ物を消費して30倍以上のエネルギーを使っている
→石炭(泥炭の化石)も石油(海藻の化石)も、かつての植物が固定した炭素だが、
その当時の植物はおらず再吸収してもらえない
→大気中の二酸化炭素が増えるのは必然

・温暖化と土の連鎖反応
→気候変動が土を変え、土が気候を変える
→現在、深さ1mの土には大気中の2倍、植物体の3倍の炭素が蓄積している
→土は陸地で最大の炭素貯蔵庫
→全て放出されると大気中の二酸化炭素濃度が現在の3倍になる
→僅かな温暖化でも土の微生物が活発化し急速に温暖化が進む(負のフィードバック)

・電力になった熱帯雨林(ボルネオ島の石炭)
→露天掘りで人件費も安いので日本でも消費量が増えている
→削られた大地は裸地に
→フタバガキを伐採した熱帯雨林は二次林や畑、草原になったが、
→石炭採掘跡地には何も生えない
→もともと酸性だった土が石炭硫黄の酸化で硫酸になり強酸性になるから
→日本の電力とボルネオの土壌劣化が結びつくのが資本主義の怖さ

・土壌劣化のツケ払い
→ボルネオ島で森林が自然に回復する場合、最初に生えるのは成長の早いマラカンガ
→トウダイグサ科でアリと共生するアリ植物
→ただし種子を運ぶ鳥の居場所のない裸地には進出しにくい
→フタバガキの天然樹種はさらに外生菌根菌との共生が必要で植林しても裸地に戻る
→多くの生物は酸性土壌と折り合いをつけてきたので強酸性では生存すらかなわない
→裸地では
植林を急ぐ前にタフなシダ植物による表土の回復を待つ必要がある

・ボルネオ石炭の向かう先は中国、インド、日本
→やめろといっても代替産業を提案できない限りはイタチゴッコ
石炭採掘跡地に表土を戻すルールはあるがあまり守られていない
→北海道の農地造成では保存しておいた表土を戻して肥沃度を維持している
石炭採掘跡地でも表土を戻しシダ植物の回復を待って植林するべきだが、
→そこまでやればコスト(電気料金)が高くなる(これが本来のエネルギー価格)
→今は酸性土壌と周りの強酸性の湖で泳いで遊ぶ
子どもたちにツケを残している

・石炭採掘跡地を元に戻すコスト
(電気料金)まで支払う覚悟はあるか?
→この答えがはっきりしない間は、経済競争原理に従い不毛な大地が広がり続ける
→再生エネルギー技術の革新も急斜面の森林を伐採したメガソーラーを見る限りは同じ
→エネルギーとの付き合い方は気候だけでなく土の未来も左右する

・酸性雨の影響を親子二代で科学的に証明したスウェーデンのタム親子
(略)
→石炭の質や大気汚染の地域差にも大地5億年の歴史が関わっている

・石炭に代わるエネルギー資源として期待されているのが木材
→化石燃料の代わりに木材を燃焼して二酸化炭素を森林で吸収すればカーボンニュートラル?
→バイオマス発電の燃料木材は外国産が大半で森林伐採には土壌劣化のリスクもある

・森の日本史
→国土の7割を覆う森林の半分は人工林で、人工林の半分はスギ
→500年前の安土桃山時代に築城用の木材が大量に必要になり植林がはじまった
→吉野や熊野での林業のはじまり(度重なる遷都で畿内には森林が残ってなかった)
→江戸時代中期には吉野もはげ山に、戦時中には燃料にされ日本中がはげ山に
→戦後復興で木材需要が増加、成長の早いスギ・ヒノキの拡大造林(1950~70年代)
→1964年の輸入自由化などで2000年の木材自給率は2割まで落ち込んだ
→急峻で伐採コストの高い人工林は放置され荒廃して土壌侵食、土砂崩れが問題に
→熱帯雨林の減少と手つかずのスギ人工林(と私の花粉症)はコインの裏表

・風向きは少しずつ変わりはじめている
→2018年に自給率は4割まで回復、間伐材利用や木材バイオマス発電も増加
→コロナ禍での供給不足によるウッドショックや
中国の購買力・需要増加による価格上昇で、
日本への外国産木材は供給されにくくなっている
→森林利用は歓迎すべきだが高齢化・急斜面などの悪条件で供給力は向上していない

・仮に効率的な林業が可能になり儲かると分かれば、すぐはげ山に戻るだろう
→水田耕作に有機質肥料が有効と分かって利用され尽くし草山やはげ山になったように、
→日本人の勤勉さは歴史が証明しているから

・資源は無尽蔵ではなく、作物と異なり木が育つのは遅い
→植生保護のない急斜面では土壌も流出しやすく森林再生も難しい

・ただし日本のスギ人工林では管理次第で資源利用と土づくりを両立できる
→熊野古道の近くで研究していた(古道に薄汚い研究者がいても優しく見守ってほしい)
→低木や下草(シダ植物など)が繁茂している
スギ人工林では皆伐しても土壌劣化は小さく、
枝葉を戻せば過剰な酸性化は抑えられ、余った材木をうまく配置すれば土壌浸食も軽減でき、
毎年利子にあたる材木を収穫して苗を植えれば継続できることが判明した
→伐採・植林で森の新陳代謝を促進して土地の生産能力(土の養分供給能力)を最大限にする
林業を実現できる可能性もある

・窒素まみれの日本
朝食
→日本の牛乳、バター、チーズは安全性も高く国際競争力からいえば優等生
→ただし環境保全と土壌の視点でいえば劣等生
→酸性土壌に向かない飼料は輸入に頼り、牛糞堆肥を入れる畑が足りず窒素まみれに
→逆に飼料の輸出国では(牛糞は輸入しないので)化学肥料が増える
→解決には飼料の輸入を減らすしかない
→牛密度の制限と休耕田での飼料米や稲わらなどの国産飼料→ただし高コストになる

おやつ
・ポテトチップスの植物油脂は油ヤシ(オイルパーム)から採れるパーム油(パームオイル)
(他にも食品、化粧品、洗剤など、あらゆる生活必需品に使われている)
→輸入元はインドネシアとマレーシアだが西アフリカ原産で植民地時代に持ち込まれたもの
→熱帯雨林の伐採により栽培されるため土を大きく変化させた
→私が10年間観測してきたボルネオ島の熱帯雨林は保護区を除き全て油ヤシ農園になった

・仕方がないので油ヤシ農園を1年間観測することにした
→1haあたり年間600kgの窒素肥料がまかれていた(日本の普通の畑の6倍)→儲かるから
→余った窒素肥料が硝酸に変化するので土はどんどん酸性になる
→酸性化と腐植の分解流出が進めば土地は放棄され、さらなる
熱帯雨林の伐採へ
→高濃度窒素は河川では水質汚染(富栄養化)を引き起こす
→これらは環境問題の日本などからの転嫁

・ポテトチップスにはカナダではキャノーラ油、フランスではヒマワリ油が使われている
→せめて製品の裏面記載をにらみ、食用油を節約・再利用するぐらいはできるはず

・本書では熱帯雨林の減少を紹介する一方で森林保護の説明は避けてきた
→簡単ではないから
森林保護は現地の共感を得られない先進国の論理でオランウータンも農作物を荒らす害獣
→油ヤシ農園より持続的でお金になるプランがなければ保全できない
→アクイラリア(沈香)アロマオイルの例など(略)
→天然林を守りながら儲けになれば自主的に木を植えはじめる
(インサーツアーズのN嶋さんたちがサラワク州サバル森林保護区で取り組んでおられる
アグロフォレストリー(混農林業)や、蜜林堂の上林さんが取り組んでおられるハリナシバチ
蜂蜜の採取・輸入販売も、まさにこれらのポイントを踏まえた取り組みですね)

・カナダ・キャノーラ(アブラナ)畑の例
→1年間栽培をやめて水を節約する(たまたま戦争で放置してたら翌年の収穫量が増加した)
→土中の水を雑草に吸われないよう表土を耕して翌年の豊作を待つ
→この水管理は世界中の乾燥地で実施された
→ただし耕起により微生物が有機物を分解、作物被覆がないため浸食も深刻化した
→作物(マメ科)で表土を守る不耕起栽培へ(除草剤を使う方法もある)

・これまで畑の土は工場と同じく二酸化炭素の発生源だった
不耕起栽培では腐植として炭素を貯め込むことができる
→毎年0.4%ずつ腐植を増やせば上昇を止められるとCOP21で提案され国際的な取り組みに
→日本でも期待されているが土の性質や規模の違いを踏まえて最善策を探す必要がある

・日本の甘いお茶と窒素肥料と浄化のための水田(飼料用)
の例(略)

・ボルネオ島の農業
→もともとは先住民による小規模な陸稲などの焼畑農業だった
→ジャワ島からの移民が伝統的な水田稲作をはじめたが酸性土壌を克服できなかった
→移民農民は大規模な伐採・火入れで本来の焼畑農業ではなく連続耕作をした
→熱帯雨林は荒れ果て草原となり商品作物の農地となった
→コショウ→バナナ→酸性に強いパイナップル→ドラゴンフルーツ・・・
→劣化土壌でも育つ植物に次々と移行している(油ヤシ農園は前述のとおり)

・貧困が農家に短期的な現金収入を求めさせる
→その背景には豊かさを求める途上国の生産者と安さ便利さを求める先進国の消費者がいる
→環境問題は環境ではなく人間の問題

・中国では中性だった土壌が1980年代からの20年間で全体平均値が0.5pHほど酸性化した
→都市が発達し商品作物の生産が増加→儲かるので窒素肥料が買える→まけば収穫が増える
→この成功体験が窒素肥料への依存度を高めた→まきすぎが土壌の酸性化を招いた
→中和には大量の石灰肥料が必要だが物理的にも経済的にも大きな負担
→土壌に緩衝力がある日本では酸性化リスクの少ない尿素肥料を使うことで緩和したが、
→中国の黄土や熱帯土壌ではどうか・・・

・都市の発達やマーケットの存在が土を翻弄してきたが、それらによって農民たちは、
→養分損失を補う石灰肥料やリン肥料を買う現金収入を得る
→回復するまで腐植の蓄積を待ちながら地下茎やアロマオイルで
現金収入を得る
といった選択肢の幅が広がっているのも事実
→変化を続ける社会環境に適応した新たな農業の仕組みの構築がはじまっている

ご飯
・日本人がコメを好きなだけ食べられるようになったのは高度経済成長期以降
(それまでは五穀を主食として食べていた)
→1960年代には現代人がまずく感じる高タンパクのコメを毎日5杯食べていた
→現在では甘く低タンパクのコメを2杯程度→減反政策に大転換し輸入も

・京都府宮津市の現代型棚田の例(略)

・水田はメタン発生源として温暖化の一因とされている
→プラスチック被覆肥料は海洋マイクロプラスチックの原因ともなっている
→メタン発生を抑制するには落水期間を長くし肥料をこまめにまく必要がある
→環境保全型農業や付加価値のために現場では重労働が伴う実態・・・

・生産効率の悪い山間地の水田の多くは耕作放棄地に(現在40万ヘクタール)
→灌漑によるカルシウム補給が絶たれ酸性になるなど再使用する際の修復コストは大きい
→集約・大規模化して競争力をつけ輸出で復活という考えもあるが、
→現状では国内のコメ消費を復活させる方が稲作と水田土壌を守る近道

・2000年にわたる稲作の持続性は乾燥地の畑作にはないもの
→水田土壌の存続は国民の1%に過ぎない農家だけでなく私たちの胃袋にもかかっている

・コメ消費の復活には味噌汁と納豆も必要→大豆
→富山平野には大豆畑が広がっている→水田よりみすぼらしい
→主食がコメから納豆になったわけではなく国が補助金で転換を推進しているから
→だが畑には水田稲作にはない連作障害がある

・大豆のルーツを活かすべき
→大豆は人類が100年前に発明した窒素肥料生産を恐竜が絶滅した6600万年前からやっている
→栄養状態のよい水田跡地では共生している根粒菌がすねやすい
→化学肥料のない時代には大豆栽培が肥沃度回復の切り札だった
(火山灰土壌が多い東日本に豆のつく地名が多い→自生または栽培していた)
→本気で国産化を目指すなら黒ぼく土での生産を国も消費者も応援すべき

娯楽
・天空の城ラピュタのシータのセリフ(本来は研究者が言うべきセリフだけど)
→なぜ人は「土から離れては生きられないのよ」なのか?
→技術進歩で土を使わず清潔で農薬の心配もない植物工場もできてるのに?
植物工場との違いはエコノミー(経済学)とエコロジー(生態学)から説明できる

・農業とは最小限の資源投資で最大限の収穫を持続的に得るヒトの営み
→太陽光や土壌微生物による養分リサイクルにはお金はかからない
(植物工場では光やエネルギーや肥料循環にお金がかかるので品目が限定されている)
→経済界でも自然界でも無駄を省く工夫は同じ
→エネルギーと窒素肥料をダブつかせた結果が温暖化や土壌劣化
無駄を省くならタダの太陽と微生物を最大限に活かす「土壌」を再評価すべき

・日本は耕作放棄して効率よく生産する地域から安く輸入すればいいのでは?
→輸出元の食糧などの生産地は乾燥地(の灌漑農業)が多い
→食糧輸入とは土に含まれていた水と栄養分の輸入→生産地の乾燥化・土壌劣化
→湿潤地農業でも養分リサイクルの停止と過剰な窒素肥料で土壌侵食や酸性化がすすむ
(まさにグローバル経済の影の部分ですね、これが新自由主義の結果?)

・歴史からも、国の基盤には農業があり農業の基盤には土がある
→やはり人は
「土から離れては生きられない」のだ!!!(研究者の結論)

・人口増加やハーバー・ボッシュ法など急速な変化には生物進化スピードでは追いつかない
→人間が引き起こした変化には、やはり人間の知恵や技術しかない
→糞尿のように価値が忘れ去られようとしている
知恵や技術もある
→無駄を減らし古くて新しいヒントを発掘する必要がある
→それは国家や企業、農家まかせではなく、審査員でもある私たち消費者が食卓を見つめ直し、
スーパーに並ぶ商品の裏側をにらむことからはじまる・・・


・・・


前編の冒頭にも書きましたが、土のハナシといっても内容が多岐にわたる濃い本でしたが、
読み物としても著者の個性が出てて面白く、最後まで興味深く読めました

ちなみに、わたくしが熱帯雨林の樹木と外生菌根菌との共生について知ったのは2003年12月、
ボルネオ島サバ州キナル森林保護区で、当時JICAから派遣されてた指導員の方からでした
「まだ研究中で試行錯誤が続きますが、州政府からは早く収益も出すよう要請されてるし」
ともおっしゃってましたが、今はどんな方針になってるんでしょうね・・・
機会があれば(ボルネオ島では最初に)16人で植樹した100本のカポールやニアトウの幼樹が
無事に育ってくれてるのか、一度は再訪してみたいものですが、さてさて・・・







m98k at 15:33│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 書斎 | 沙漠緑化・熱帯雨林再生

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