日本とユダヤの古代史&世界史戦場カメラマンのカメラって???

2024年07月03日

フロンティア「文明同時崩壊のミステリー」視聴メモ

前回記事ユダヤ人の出エジプト時期とぴったり重なってたので・・・

NHK番組フロンティア「文明同時崩壊のミステリー」を視聴した際のメモを追記しておきます

1 紀元前1200年頃、ヒッタイト文明、エジプト文明、ミケーネ文明が僅か50年の間に同時崩壊した

・各地で干ばつによる飢餓・疫病と活断層による長期地震(地震の嵐)が重なったことが確認されている
(都市人口が増え周辺の森林伐採が加速したことも干ばつの要因?)

・海の民(飢餓による各地からの難民・移住者集団)の侵略で都市が破壊されたことも確認されている

・当時、すでに東地中海全域が交易ネットワークで密接に繋がっていた(後期青銅器時代)
(沈没船の積荷からは少なくとも7か国の交易品が確認されている)

→一部の都市が崩壊しただけでも交易は途絶し物資(青銅や食料など)の流通が滞った
(遅配給料(パン)を要求する世界初?のストライキもパピルスに記されている)

・厄介ごとは重なって起きる→パーフェクト・ストーム→文明の同時崩壊へ


2 崩壊を生き延びたエジプト文明の例→農業の転換

・ナイル川の干ばつは300年も続いたことが確認されている
→牛を食用ではなく耕作に使うようになった(骨の高齢化が確認されている)
→小麦や大麦など乾燥に強い穀物の耕作面積を拡大した(鎌の増加が確認されている)


3 人類の歴史上、殆どの社会は崩壊している(循環型の縄文社会やプナン社会は例外?)
→崩壊前に何を準備し、崩壊後にどう回復するか
→歴史は周期的だが、その繰り返しを止めることができるか・・・

云々・・・

と、この時期にエジプトを出た「海の民」が関東にあった高天原まで来てスサノオに???

そりゃあ紅海やオマーン湾からアラビア海、インド、東南アジア、上海あたりまで陸伝いになら
小型の船でも来れるだろうし、大陸から離れ黒潮を利用して銚子あたりに上陸することも、
ノアの箱舟を作った造船技術やフェニキア人の航海術があれば充分に可能だったかも知れず、
縄文海進の頃の関東地方にユダヤ人ら
「海の民」が来ていた可能性は否定できません

何せ銚子は「ユーラシア大陸で最初に陽が昇る神聖な場所」ですから、
ユダヤ人に限らず
聖地を求めて海から大陸から、様々な民族が来ていたのかも知れないし、それらの伝承が
インドや海洋民族の伝承も経由して、日本神話になった可能性もあるわけで・・・




m98k at 22:11│Comments(4) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック カメラ・映像・音楽 | わからないもの

この記事へのコメント

2. Posted by 98k   2024年07月04日 19:24
ヤマト民族のルウッは大陸説、海洋説がいっばんた
3. Posted by 98k   2024年07月04日 20:44
???
(上のコメントは98kが投稿したコメントではありません)
4. Posted by 98k   2024年07月12日 15:21
残念ながらみていやませんのが、興味津々です!
5. Posted by 98k   2024年07月12日 17:38
なかなか面白い番組でしたよ
(上のコメントは98kが投稿したコメントではありません)

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