2024年08月08日
大化改新の地、難波宮とか・・・
(期間限定のお知らせ)
2024.8.18(日) まで 京都市京セラ美術館で開催されている「有道佐一回顧展」の案内記事はこちらです
で、とーとつですが8月4日の日曜日、大阪歴史博物館で8月26日まで開催されている、
難波宮発掘開始70周年記念
「大化改新の地、難波宮~古代日本のターニングポイント~」特別展
を観覧して(からの宴会
も)大いに楽しんできました
記紀などに記載はあるものの、その存在はまぼろしといわれていた古代難波宮について、
戦前から研究されてた故・山根徳太郎博士を中心に、旧陸軍とその後の米軍による規制が
ようやく解かれた1954年から発掘調査を開始し今年で70年、それを記念した特別展であります
ちなみに藤原鎌足らが飛鳥・板葺宮で蘇我入鹿らを滅ぼした乙巳の変(645年)の後に、
難波長柄豊崎宮に都を移して元号も変え、一連の政治改革をしたのが大化の改新(646年以降~)、
つーのが発掘後の通説だそうで「大化の改新645」と覚えさせられた世代とは違います
詳しくは歴史博物館のホームページなどで検索いただくとして、わたくしが高校生の頃に
発掘現場に連れていってもらった知人らと観覧(と宴会
)してきたのでメモしておきます
まずはNHK大阪放送局=JOBK=ジャパン・大阪・馬場町・交差点まで・・・

で、その向かいにある・・・

大阪歴史博物館へ

特別展の看板とガラスに映る自画像
事前に特別展の観覧券付きスライドトーク参加券をインターネット購入してたので、1階での
案内どおり6階の特別展示室に行ったのですが、受付でQRコードが読み取れず時間が経過、
(本来は4階のスライドトーク受付で読み取って紙の観覧券をもらう仕組みだったようで、
1階案内も6階受付も仕組みを理解してなかったと、あとで丁寧に謝っておられました)
スライドトーク開始時刻も迫り終了後の予定もあったので、ともかく仮に入場・・・
この70年間に発掘された稀少な遺物が数多く展示されてましたが、わたくしにその価値が
分かるはずもなく、以下は琴線に触れたパネル展示などを中心にさくさくっと・・・

各地の宮殿跡で発掘された瓦も展示されてましたが、スライドトークの学芸員解説によると、
飛鳥・板葺宮→前期難波宮(長柄豊崎宮)→飛鳥・藤原宮→平城京→恭仁京→後期難波宮→
紫香楽宮→平城京→長岡京→平安京と、古代には何度も遷都してたそうで、その理由には
政変や水の確保など、諸説があるそうです
ま、ガリラヤ湖(琵琶湖)から流れ出る唯一の川ヨルダン川(淀川)の南西にエルサレム(平安京)を
用意して遷都させたのはユダヤ人(秦氏一族)だったとゆー説もこちらの記事や、その前には
こちらの記事でも紹介してましゅが・・・

こちらは発掘調査時の難波宮・水利施設跡のパネル展示・・・
今はすべてが埋め戻されてるので貴重ですね
海岸沿いだった上町台地の谷を利用して河内湖に至る運河(難波堀江)が作られ、谷頭からの
湧水を利用した施設だそうで、一帯は難波宮の造営以前から、全国各地からの海運倉庫群が並ぶ
一大流通拠点、さらに大陸や朝鮮半島との交易も活発になったのでここに遷都したとも・・・

こちらは藤原京大極殿正門の復元模型パネル展示・・・
この藤原京の祖となった難波宮から、初めて天安門のような大きな広場を持つ本格的な中国式の
宮殿になったそうで、天皇も元号も都も宮殿も制度も一気に変える大きなターニングポイント
ちなみに改新の詔のポイントは・・・

そう、当時の東アジア情勢は極めて不安定で、そんな最新情報も気になって政治中枢の危機感が
一気に高まったのかも知れませんね・・・
ただまあ、わたくしは当時の貴族の食膳とか・・・

下級役人の食膳とかが・・・

気になったのでありますね・・・
貴族は白米に清酒(きよざけ)やチーズやフルーツまで付いた13品、下級役人は玄米ご飯に
糟湯酒(酒粕をお湯で溶いたもの)で基本は一汁一菜だったそうですが、どちらもなかなか
と、駆け足で特別展を巡り開始直前に4階のスライドトーク会場へ駆け込み・・・
(ここの受付でQRコードを提示して紙の特別展観覧券をもらいました)

こちらも興味深く拝聴しましたが・・・




興味のある方はネット検索で・・・
ま、上記リンク記事の本には、蘇我一族はローマ帝国を追われたキリスト教ネストリウス派
ユダヤ人の末裔で日本史上最大のテロリスト集団だったので、新興勢力の藤原氏らが滅ぼして
天皇中心の正しい政治に戻したのだ、とありましたが・・・
で、スライドトーク終了後には、休日なのにわざわざ来ていただいた、同僚で飲み仲間だった
歴史関係者と5年ぶりに再会、とーぜん彼は特別展は観てるので、さっそく・・・
「さてさて、どこで飲みましょうか?じゅるじゅる
」となったのですが、我々が駆け足だった
ことを知ると、では図書室で調べ物をしてるのでゆっくり観覧してきて下さいとのことで、
お言葉に甘え、あらためて特別展へ(今度は紙の観覧券で
)
30分ほどで各自が琴線に触れた部分だけを観て図書室で3人が合流、お待ちかねの宴会は
付近には休日に昼飲みできる店が少ないことを熟知している2人が相談して、一路天王寺へ・・・
そう、アベノの地下街には休日でも・・・

昼飲みできる店があるのでありますね
(歴史博物館の周辺は基本ビジネス街)
と、現代の難波京らしく、まずは冷たいビールで乾杯!!!


一品から蕎麦に寿司に天ぷらのセットと、今度は近世・近代の難波京らしく・・・
ビールお替わりのあとは・・・

麦焼酎の水割りを次々と・・・
ま、こんな習慣は少し昔の畿内にはなかったはずでしゅが・・・
同僚だった飲み仲間は今もあちこちで実地調査や講義をされてて、お元気そうで何よりでしたが、
わたくしが着任した日から毎晩、2人で安い居酒屋や立ち飲みを巡ってたのでありますね
所用で再度大阪に来られてる知人も歴史好きでもとは報道関係者、一回り年上だけどお元気で、
お二人とも興味深い話題ばかりで、じつに楽しい時間を過ごしました
ま、わたくしは高師小僧による縄文の日本刀とかヨタ話ばかりでしたが・・・
と、昼からけっこう飲んで、お二人とは天王寺駅前で別れ南海高野線を跨ぐ阪堺上町線に乗車、


帰宅しようとしたのですが、例によって飲むと歩けなくなり、炎天下で休憩を何度も繰り返し、
またまた多大の時間を要しました・・・
やはり今後は帰りに歩かなくてもいい一泊宴会がいいのかなあ・・・
2024.8.18(日) まで 京都市京セラ美術館で開催されている「有道佐一回顧展」の案内記事はこちらです
で、とーとつですが8月4日の日曜日、大阪歴史博物館で8月26日まで開催されている、
難波宮発掘開始70周年記念
「大化改新の地、難波宮~古代日本のターニングポイント~」特別展
を観覧して(からの宴会


記紀などに記載はあるものの、その存在はまぼろしといわれていた古代難波宮について、
戦前から研究されてた故・山根徳太郎博士を中心に、旧陸軍とその後の米軍による規制が
ようやく解かれた1954年から発掘調査を開始し今年で70年、それを記念した特別展であります
ちなみに藤原鎌足らが飛鳥・板葺宮で蘇我入鹿らを滅ぼした乙巳の変(645年)の後に、
難波長柄豊崎宮に都を移して元号も変え、一連の政治改革をしたのが大化の改新(646年以降~)、
つーのが発掘後の通説だそうで「大化の改新645」と覚えさせられた世代とは違います

詳しくは歴史博物館のホームページなどで検索いただくとして、わたくしが高校生の頃に
発掘現場に連れていってもらった知人らと観覧(と宴会

まずはNHK大阪放送局=JOBK=ジャパン・大阪・馬場町・交差点まで・・・

で、その向かいにある・・・

大阪歴史博物館へ

特別展の看板とガラスに映る自画像
事前に特別展の観覧券付きスライドトーク参加券をインターネット購入してたので、1階での
案内どおり6階の特別展示室に行ったのですが、受付でQRコードが読み取れず時間が経過、
(本来は4階のスライドトーク受付で読み取って紙の観覧券をもらう仕組みだったようで、
1階案内も6階受付も仕組みを理解してなかったと、あとで丁寧に謝っておられました)
スライドトーク開始時刻も迫り終了後の予定もあったので、ともかく仮に入場・・・
この70年間に発掘された稀少な遺物が数多く展示されてましたが、わたくしにその価値が
分かるはずもなく、以下は琴線に触れたパネル展示などを中心にさくさくっと・・・

各地の宮殿跡で発掘された瓦も展示されてましたが、スライドトークの学芸員解説によると、
飛鳥・板葺宮→前期難波宮(長柄豊崎宮)→飛鳥・藤原宮→平城京→恭仁京→後期難波宮→
紫香楽宮→平城京→長岡京→平安京と、古代には何度も遷都してたそうで、その理由には
政変や水の確保など、諸説があるそうです
ま、ガリラヤ湖(琵琶湖)から流れ出る唯一の川ヨルダン川(淀川)の南西にエルサレム(平安京)を
用意して遷都させたのはユダヤ人(秦氏一族)だったとゆー説もこちらの記事や、その前には
こちらの記事でも紹介してましゅが・・・


こちらは発掘調査時の難波宮・水利施設跡のパネル展示・・・
今はすべてが埋め戻されてるので貴重ですね
海岸沿いだった上町台地の谷を利用して河内湖に至る運河(難波堀江)が作られ、谷頭からの
湧水を利用した施設だそうで、一帯は難波宮の造営以前から、全国各地からの海運倉庫群が並ぶ
一大流通拠点、さらに大陸や朝鮮半島との交易も活発になったのでここに遷都したとも・・・

こちらは藤原京大極殿正門の復元模型パネル展示・・・
この藤原京の祖となった難波宮から、初めて天安門のような大きな広場を持つ本格的な中国式の
宮殿になったそうで、天皇も元号も都も宮殿も制度も一気に変える大きなターニングポイント
ちなみに改新の詔のポイントは・・・

そう、当時の東アジア情勢は極めて不安定で、そんな最新情報も気になって政治中枢の危機感が
一気に高まったのかも知れませんね・・・
ただまあ、わたくしは当時の貴族の食膳とか・・・


下級役人の食膳とかが・・・


気になったのでありますね・・・

貴族は白米に清酒(きよざけ)やチーズやフルーツまで付いた13品、下級役人は玄米ご飯に
糟湯酒(酒粕をお湯で溶いたもの)で基本は一汁一菜だったそうですが、どちらもなかなか

と、駆け足で特別展を巡り開始直前に4階のスライドトーク会場へ駆け込み・・・
(ここの受付でQRコードを提示して紙の特別展観覧券をもらいました)

こちらも興味深く拝聴しましたが・・・




興味のある方はネット検索で・・・
ま、上記リンク記事の本には、蘇我一族はローマ帝国を追われたキリスト教ネストリウス派
ユダヤ人の末裔で日本史上最大のテロリスト集団だったので、新興勢力の藤原氏らが滅ぼして
天皇中心の正しい政治に戻したのだ、とありましたが・・・
で、スライドトーク終了後には、休日なのにわざわざ来ていただいた、同僚で飲み仲間だった
歴史関係者と5年ぶりに再会、とーぜん彼は特別展は観てるので、さっそく・・・
「さてさて、どこで飲みましょうか?じゅるじゅる

ことを知ると、では図書室で調べ物をしてるのでゆっくり観覧してきて下さいとのことで、
お言葉に甘え、あらためて特別展へ(今度は紙の観覧券で

30分ほどで各自が琴線に触れた部分だけを観て図書室で3人が合流、お待ちかねの宴会は
付近には休日に昼飲みできる店が少ないことを熟知している2人が相談して、一路天王寺へ・・・
そう、アベノの地下街には休日でも・・・

昼飲みできる店があるのでありますね

と、現代の難波京らしく、まずは冷たいビールで乾杯!!!


一品から蕎麦に寿司に天ぷらのセットと、今度は近世・近代の難波京らしく・・・
ビールお替わりのあとは・・・

麦焼酎の水割りを次々と・・・
ま、こんな習慣は少し昔の畿内にはなかったはずでしゅが・・・
同僚だった飲み仲間は今もあちこちで実地調査や講義をされてて、お元気そうで何よりでしたが、
わたくしが着任した日から毎晩、2人で安い居酒屋や立ち飲みを巡ってたのでありますね
所用で再度大阪に来られてる知人も歴史好きでもとは報道関係者、一回り年上だけどお元気で、
お二人とも興味深い話題ばかりで、じつに楽しい時間を過ごしました
ま、わたくしは高師小僧による縄文の日本刀とかヨタ話ばかりでしたが・・・

と、昼からけっこう飲んで、お二人とは天王寺駅前で別れ南海高野線を跨ぐ阪堺上町線に乗車、


帰宅しようとしたのですが、例によって飲むと歩けなくなり、炎天下で休憩を何度も繰り返し、
またまた多大の時間を要しました・・・
やはり今後は帰りに歩かなくてもいい一泊宴会がいいのかなあ・・・

この記事へのコメント
2. Posted by いとう 2024年08月10日 10:04
思い出しながら、たのしく拝読しました、、お陰で、記録がのこり、おおだすかりです。ダンケ!今から出かけますので、またね!
3. Posted by 98k 2024年08月10日 10:10
>いとうさん
コメントありがとうございます。
駆け足でしたが、ほんと楽しかったですね
大阪におられるあいだに、また史跡巡りとかご一緒しましょう
(一般公開サイトなのでお名前を変更しました)
コメントありがとうございます。
駆け足でしたが、ほんと楽しかったですね
大阪におられるあいだに、また史跡巡りとかご一緒しましょう
(一般公開サイトなのでお名前を変更しました)