2025年06月19日
奈良・橿原神宮~飛鳥編
前回記事からの続きであります
当麻寺の次に古い知人と二人で向かったのは橿原神宮でした
この右手にある駐車場にスバルレックスを停めて歩きはじめました


令和22年(西暦2040年)が紀元2700年なんですね・・・

ひいひい

ふうふう

ぜいぜい

今年は紀元2685年(西暦2025年)、知人は紀元2600年(西暦1940年)生まれなので今年で85歳、
わたくしより元気で
しっかりしておられますが、さすがにクルマの所有や運転は自重されてて、
バスやタクシーが激減した郊外ニュータウンでの老夫婦の仮住まいが本当に不便だそうです

こちらが拝殿で背景の山が畝傍山・・・

参拝しました

神武天皇の皇居とされる畝傍橿原宮の推定地に明治天皇によって1890年(明治23年)に創建された
(以上ウィキより)橿原神宮なんですが・・・
神武天皇の畝傍橿原宮での即位が今から2685年前であれば、西暦では紀元前7世紀の初頭になり、
これは従来の年代区分では縄文時代の晩期、放射性炭素年代測定結果による年代区分でも
(2400年問題はあっても)弥生時代の前期にあたります
(今は縄文時代と弥生時代の定義も年代もころころ変化してるようでしゅが・・・)
確かに紀元前9世紀の福岡市板付遺跡(環壕集落)では既に水田や階層差が存在していたことが
確認されてますが、奈良盆地など近畿では紀元前6世紀中頃になって弥生稲作が始まっていたことが
確認されており、それ以前の奈良に水田や階層差(王権)が存在していたのか・・・
(九州北部を出発点とする弥生稲作は鳥取平野では紀元前7世紀に始まっていた可能性はある)
さらにヤマト王権が奈良を支配したのは早くても弥生晩期~3世紀の卑弥呼の?邪馬台国?以降と
されているけど、その1000年も前に奈良にヤマト王権の皇居があった???
しかも奈良の宮殿では最古とされる纏向や鍵・唐古ではなく橿原に???
やはり畝傍橿原宮の存在やその年代については神話の解釈の世界とみるべきでしょうが、
畝傍山の付近に多数の陵墓が存在するのも事実なので、ここも何らかの王権との繋がりの
あった地域であったことは間違いないでしょう
そう、800年前のチンギス・ハーンの陵墓と同じで何らかの関係はあるはず・・・
ちなみに神武天皇が即位したとされる紀元前660年といえばですね・・・
紀元前722年のアッシリア捕囚から紀元前586年のバビロン捕囚で失われたユダヤ10支族の一支族が、
王やアークとともに「東の果ての海沿いの国へ逃れた」(イザヤ書)時期とぴったり重なりますし
神武天皇像や武人埴輪や秦の始皇帝像の「みずら」もユダヤの「もみあげ」とぴったりと・・・
閑話休題
ま、わたくしは宝物館で開催中の・・・

鉄分補給できそうな特別展も観たかったのですが、次の予定もあったので・・・




歌碑やさざれ石を観ただけで神宮をあとにして・・・
明日香村の埋蔵文化財展示室へ・・・

以下、展示物をさくさくっと・・・




















そして飛鳥を翔けた女性たち・・・

と外に出ると、お昼のキッチンカー営業が全て終了してました
仕方なくキッチンカーの先まで駐車場を抜けて・・・



飛鳥水落遺跡の背景に見えるのが甘樫丘・・・
丘陵や古墳や遺跡と民家が水田の間に点在する典型的な飛鳥の風景ですね
と、展示室の次は岡寺へ行きました
この急坂の下にある駐車場にスバルレックスを停めて登りはじめたのですが・・・

坂の途中で脚が痛くなり、紀元2600年生まれ85歳の知人に先導してもらいました

ひいひい

ぜいぜい 待ってくれい

何とか山門は潜ったものの本堂までは上がれず、左の日陰で待つことに・・・
ここでもアジサイが見事で・・・



ちょうど「華手水舎」になってたので涼しげでした・・・



ま、わたくしの脚は萎えたままでしたが・・・うぐぐぐ
30分ほどで日本最古・最大の塑像とされる本尊の観音座像などを拝んできた知人と合流、
彼はすたすたと、わたくしはよたよたと急坂を駐車場まで戻り、次の石舞台古墳へ・・・


殆ど歩けなくなってたわたくしは、ここから駐車場に引き返してクルマで待機

知人は「昔よりずいぶんきれいに整備されてて見違えた」と驚いてました
で、竹内街道へ帰る道すがら、かなり遅めの昼食をご馳走になり・・・

各所でわたくしへのお土産も買っていただいてたようで有難く頂戴しました
で、こちらは奈良県の産品を扱う「あすか夢の楽市」で買ってくれた西瓜なんですが・・・

インボイス対象??? ふるさと仕入品??? 熊本県???
で、和歌山県産??? 小玉西瓜「ひとりじめ」??? JA紀州???
ええ、奈良産で有名な「大和西瓜」がなかったそうです どっとはらい
当麻寺の次に古い知人と二人で向かったのは橿原神宮でした
この右手にある駐車場にスバルレックスを停めて歩きはじめました


令和22年(西暦2040年)が紀元2700年なんですね・・・

ひいひい

ふうふう

ぜいぜい

今年は紀元2685年(西暦2025年)、知人は紀元2600年(西暦1940年)生まれなので今年で85歳、
わたくしより元気で

バスやタクシーが激減した郊外ニュータウンでの老夫婦の仮住まいが本当に不便だそうです

こちらが拝殿で背景の山が畝傍山・・・

参拝しました

神武天皇の皇居とされる畝傍橿原宮の推定地に明治天皇によって1890年(明治23年)に創建された
(以上ウィキより)橿原神宮なんですが・・・
神武天皇の畝傍橿原宮での即位が今から2685年前であれば、西暦では紀元前7世紀の初頭になり、
これは従来の年代区分では縄文時代の晩期、放射性炭素年代測定結果による年代区分でも
(2400年問題はあっても)弥生時代の前期にあたります
(今は縄文時代と弥生時代の定義も年代もころころ変化してるようでしゅが・・・)
確かに紀元前9世紀の福岡市板付遺跡(環壕集落)では既に水田や階層差が存在していたことが
確認されてますが、奈良盆地など近畿では紀元前6世紀中頃になって弥生稲作が始まっていたことが
確認されており、それ以前の奈良に水田や階層差(王権)が存在していたのか・・・
(九州北部を出発点とする弥生稲作は鳥取平野では紀元前7世紀に始まっていた可能性はある)
さらにヤマト王権が奈良を支配したのは早くても弥生晩期~3世紀の卑弥呼の?邪馬台国?以降と
されているけど、その1000年も前に奈良にヤマト王権の皇居があった???
しかも奈良の宮殿では最古とされる纏向や鍵・唐古ではなく橿原に???
やはり畝傍橿原宮の存在やその年代については神話の解釈の世界とみるべきでしょうが、
畝傍山の付近に多数の陵墓が存在するのも事実なので、ここも何らかの王権との繋がりの
あった地域であったことは間違いないでしょう
そう、800年前のチンギス・ハーンの陵墓と同じで何らかの関係はあるはず・・・
ちなみに神武天皇が即位したとされる紀元前660年といえばですね・・・

紀元前722年のアッシリア捕囚から紀元前586年のバビロン捕囚で失われたユダヤ10支族の一支族が、
王やアークとともに「東の果ての海沿いの国へ逃れた」(イザヤ書)時期とぴったり重なりますし
神武天皇像や武人埴輪や秦の始皇帝像の「みずら」もユダヤの「もみあげ」とぴったりと・・・
閑話休題

ま、わたくしは宝物館で開催中の・・・

鉄分補給できそうな特別展も観たかったのですが、次の予定もあったので・・・




歌碑やさざれ石を観ただけで神宮をあとにして・・・
明日香村の埋蔵文化財展示室へ・・・

以下、展示物をさくさくっと・・・




















そして飛鳥を翔けた女性たち・・・


と外に出ると、お昼のキッチンカー営業が全て終了してました

仕方なくキッチンカーの先まで駐車場を抜けて・・・



飛鳥水落遺跡の背景に見えるのが甘樫丘・・・
丘陵や古墳や遺跡と民家が水田の間に点在する典型的な飛鳥の風景ですね
と、展示室の次は岡寺へ行きました
この急坂の下にある駐車場にスバルレックスを停めて登りはじめたのですが・・・

坂の途中で脚が痛くなり、紀元2600年生まれ85歳の知人に先導してもらいました


ひいひい

ぜいぜい 待ってくれい

何とか山門は潜ったものの本堂までは上がれず、左の日陰で待つことに・・・
ここでもアジサイが見事で・・・



ちょうど「華手水舎」になってたので涼しげでした・・・



ま、わたくしの脚は萎えたままでしたが・・・うぐぐぐ
30分ほどで日本最古・最大の塑像とされる本尊の観音座像などを拝んできた知人と合流、
彼はすたすたと、わたくしはよたよたと急坂を駐車場まで戻り、次の石舞台古墳へ・・・


殆ど歩けなくなってたわたくしは、ここから駐車場に引き返してクルマで待機

知人は「昔よりずいぶんきれいに整備されてて見違えた」と驚いてました
で、竹内街道へ帰る道すがら、かなり遅めの昼食をご馳走になり・・・

各所でわたくしへのお土産も買っていただいてたようで有難く頂戴しました
で、こちらは奈良県の産品を扱う「あすか夢の楽市」で買ってくれた西瓜なんですが・・・

インボイス対象??? ふるさと仕入品??? 熊本県???
で、和歌山県産??? 小玉西瓜「ひとりじめ」??? JA紀州???
ええ、奈良産で有名な「大和西瓜」がなかったそうです どっとはらい
この記事へのコメント
2. Posted by まさよし 2025年06月21日 13:18
奈良明日香の散策お疲れ様でした。
御蔭様で、約半世紀振りの旅でしたが、時間空間の大きな変化もなく、ゆったりとした気分を味合うことができました。
奈良は、京都の雅と違い土、大陸の香りがするようです。
貴君の御蔭で、記録写真が送電され感謝します。
暑さ厳しい折、御自愛ください。取り急ぎ、御機嫌お伺いまで。
御蔭様で、約半世紀振りの旅でしたが、時間空間の大きな変化もなく、ゆったりとした気分を味合うことができました。
奈良は、京都の雅と違い土、大陸の香りがするようです。
貴君の御蔭で、記録写真が送電され感謝します。
暑さ厳しい折、御自愛ください。取り急ぎ、御機嫌お伺いまで。
3. Posted by 98k 2025年06月21日 13:41
>まさよしさん
コメントありがとうございます
半世紀ぶりでも同じ風景や風情が残っているのは奈良も京都も同じですが、
奈良はいかにも「仏教伝来などの時代の都の痕跡」という感じで「京都の雅と違い土と大陸の香りがする」
というのは確かにいい得て妙ですね
画像はこの記事からも自由にダウンロードできますので必要であればご利用ください
(公開ブログサイトなので、いただいたコメントのお名前などを変更しています)
コメントありがとうございます
半世紀ぶりでも同じ風景や風情が残っているのは奈良も京都も同じですが、
奈良はいかにも「仏教伝来などの時代の都の痕跡」という感じで「京都の雅と違い土と大陸の香りがする」
というのは確かにいい得て妙ですね
画像はこの記事からも自由にダウンロードできますので必要であればご利用ください
(公開ブログサイトなので、いただいたコメントのお名前などを変更しています)