2025年09月20日
三島由紀夫論
2週間のご無沙汰で、とーとつですが・・・

三島由紀夫論であります
今年は三島由紀夫の生誕100年にあたるそうですが、それとは関係なく・・・
以前紹介したこちらの小説を薦めてくれた知人が、この著者の小説も薦めてくれたのですが、
わたくし純文学の世界は苦手、小説なら芥川賞作家のより直木賞作家のほうが・・・
つーことで、昔から不思議な読後感が残っている三島作品について、その再来とも言われる
この著者の作品論・作家論を選んでみた次第
裏表紙カバーにあった惹句

そう、実証性に裏づけられた透徹した分析と考察、実作者ならではの理解によって解明する、
「決定的三島論」であります
表表紙カバー裏にあった著者紹介

1999年に当時史上最年少で芥川賞を受賞されてたんですね
奥付

目次



ちなみに、
「仮面の告白」論は新潮2015年2月号、
「金閣寺」論は群像2005年12月号、
「英霊の声」論は文學界2000年11月号、
「豊饒の海」論は新潮2020年12月号~2021年11月号に、
それぞれ初出とあり23年間を要して書き上げた、本文だけでも600頁を超える大作で、
その後半300頁以上が「豊饒の海」論になってました
わたくし上記作品の中では「金閣寺」の文庫本と「豊饒の海」の単行本(全巻箱入初版本!!!)が
実家にあるので読んでるはずですが、読んだのは半世紀以上前で記憶は殆ど消え去ってます
(「金閣寺」の映画化作品「炎上」(1958)は最近テレビで視聴したけど記憶が・・・
)
ただし「午後の曳航」など他の作品も含め、なぜか物語のワンシーンだけが画像として
脳裏に焼き付いているようなのでありますね
実際の風景や人物、風景写真や人物写真、風景画や人物画を眺めてて、ふと小説の中の
ワンシーンが蘇ってくることもあり、これが三島作品の文章表現のなせる技なのかと・・・
例えば水に浮かぶ寺院とか宮殿とか、高台から望む港とか残照とか、はたまた人物でいえば、
庭に遊ぶお姫様とか窓辺に佇む美貌の未亡人とか焚火に映える少女とか彷徨う老紳士とかで、
小説のワンシーンが、映像作品を観たわけでもないのに浮かぶことがあります
(「金閣寺」も映画作品とは異なる寺や炎上シーンが何となく脳裏に残ってます)
画像と文章では記憶・認識する脳の領域も異なるはずなんですが不思議な話です
いっぽう本書は最低でも上記4作品の内容をしっかりと記憶している前提で書かれており、
著者の文章構成も文体も三島作品の影響なのか相当に高度なので、その論考をある程度でも
理解するには、まず作品を再読した上で本書を丹念に読み解いていく必要があります
とーぜん、今のわたくしにそんな気力はないので、全てを読み解くのはあきらめて・・・
本論では「豊饒の海」論だけを飛ばし読みしましたが、それでもその全60項目を理解し、
メモしていくなんて、とても不可能であり・・・くどくどくど・・・
閑話休題
以下は目次にある「序論」と「豊饒の海」論(全60項目)のうち2項目だけと「結論」と
「あとがき」からだけの、じつにてきとーな読後メモです
「結論」にもありましたが本著の真骨頂は本文各論にある詳細に分析された作品内容と
その背景にある思想追及なので、少しでも興味を持たれた方は本書をご熟読くださいね
(いちおー著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
序論(9頁分)より
・4作品の各論で他の作品全般を論じ対談等での発言にも言及し伝記的事実も参照しており、
全体としては作家論となっているので「三島由紀夫論」とした
・三島の創作活動はおおよそ4期に区分できる
①「花ざかりの森」を発表した16歳から20歳の敗戦まで(1941~45)
⇒日本浪漫派界隈で天才少年としてデビュー、思春期、現人神、戦時中の死の緊張感、
②「仮面の告白」で再デビューした24歳から「鏡子の家」の34歳まで(1949~59)
⇒生きよう、戦後社会に適応しようと努めていた時期で結婚し生還を期さない特攻を否定、
③「宴のあと」からはじまる35歳から40歳まで(1960~65)
⇒文壇内外のトラブルで居場所を喪失し新たな主題にも取り組んだが深刻なスランプを自覚、
④「豊饒の海」執筆開始の41歳から「英霊の声」、自決に至る45歳まで(1966~70)
⇒「英霊の声」の反響に後押しされて急激に①の10代へ回帰、楯の会結成から死へ・・・
・この4つの作品論で描くのは①から④にかけての三島の生と死、思想の軌跡
・三島文学の愛読者は天皇主義者としての彼の行動には目を瞑り、その行動に賛同する三島の
賛美者は文学には目を向けず、メディアの寵児イメージは軽薄な姿と受け止められる
⇒しかし三島の思想がそれら個々に分裂し、排他的に完結していたわけではない
⇒言語によって生と死の全体を思想化しようとし、その思想と一致するよう行動したのが三島
・本書は著作を精読して作者の意図を考えるという反動的な方法だが(中略)三島由紀夫論
・本書の構成
①対の作品としての「仮面の告白」と「金閣寺」の論考
「仮面の告白」⇒「禁色」、「金閣寺」⇒「鏡子の家」という二系統で三島の戦後思想の基礎とし、
②第二期、第三期にあたる彼の30代を検討した後、
③第四期への転機のきっかけとなった「英霊の声」を論じる
④第一期から第三期までの仕事の集大成という観がある「豊饒の海」について、論考では
生と死を巡る三島の思想の限界と可能性を検討した
・「英霊の声」で第一期の少年時代(戦中)に回帰し政治思想運動を開始するが、この活動が
第四期の文武両道の「武」を担うとするなら「文」を担うのが「豊饒の海」
⇒「鏡子の家」の挫折後、三島は存在論への関心を深め、小説構成の野心としては「転生」を
物語の中心に据えつつ「唯識」を全編にわたる主題に定めた
・本書の構想から実現まで20年余を要し、この間に三島の生涯について多くの事実が知られる
こととなったが、それらが参照可能なので本書では生涯を仔細に辿ることはしない
・・・
で、膨大な資料から詳細に分析された各論(600頁分)を殆ど省略して
「豊饒の海」論・目次項目の4「日本文学小史と豊饒の海との構造的類似点」5頁分からのメモ
・ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」やユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」が
世界的ベストセラーになり数万年単位の歴史認識が教養化した今日、遺伝子研究による個人
の同一性、グローバル化、国際交流、資本主義とセットとなった音楽、映画、ファッションなどの
文化の世界的な流行などで、ナショナル・ヒストリーは相対化・脱中心化され、ナショナリズムの
足許は(反動的な高揚とは裏腹に)危うくなっている
⇒同じ人間という視点は双方向から私たちを人類というカテゴリーに還元しようとする
⇒こうした考え方に三島は当時から徹底して否定的だった
・三島は「人類共有の暗い巨大な岩層」を認め、その先に「底辺の国際主義」があると説明
⇒なるほど今日「底辺の国際主義」に積極的な価値を与えるとしても「日本文学」や「韓国文学」
といったカテゴリー自体が、ただちに無効になるわけではない
・「大衆社会は全てを呑み尽くす怪物で一国の民族の問題ではなく全世界的普遍的現象」とも批判
⇒「文化」と「文化意志以前」という積層型の構造を前提に下層を実体化し歴史的な持続に
委ねてしまっている
⇒上層は相対的に移ろいゆく文化であり、下層は「人類共有の暗い巨大な岩層」
⇒文化は各時代を特徴付ける文化意志でブロック化されるが、それは一貫した日本・日本人の
イメージからは乖離した多様性で提示され、その文化意志の特徴はしばしば輸入思想
・この時点では後の日本回帰は全く準備されてなかったはずで「文化的国家日本のアプローチ」
の限界に突き当たっていた(福田恆存や大島渚との対談より)
⇒殊に「豊饒の海」のために唯識の勉強に取りかかってからは、西洋思想と仏教思想を
取り除いて日本に何が残るのか、という焦燥が看て取れる
・言語活動は文化意志や日常的なおしゃべりの更に下層に設定されていて、それが解体されると
何も「ありはしない」非存在の最底辺の領域
⇒時間的に持続しているのは、その非存在と考えざるを得ない
⇒この構造は終戦を挟んで戦中・戦後を生きてきた三島という個人の生の持続に直結するもの
・・・
「豊饒の海」論・目次項目の40「10.21国際反戦デー以降の急進化」8頁分からのメモ
・三島は明治維新を担ったのが「不正規軍」であったことに共感している
⇒しかし明治政府が士族の反乱を恐れ鎮台を設置して「不正規軍」を徹底的に弾圧した結果、
排他的な正規軍思想になり中国の八路軍に対処する術がなく苦戦した、というのが彼の認識
・戦後、徴兵制がなくなり正規軍思想だけが残ったので国民と自衛隊(軍)との関係は絶たれ、
安保闘争での「非正規軍」としての全学連に手を焼くこととなった、
⇒そこで「非正規軍」に対処し国民と自衛隊を接合する祖国防衛隊の必要性を訴えた
⇒しかしそれは後の「戦士共同体」の夢想(略)とは著しくトーンが異なる
⇒この真の急進化は1968年後半以降で、それはまさしく「奔馬」の連載終盤から、
「暁の寺」の連載序盤にかけての時期だった
・祖国防衛隊から楯の会にかけて三島に共感し支援した自衛隊関係者もいた(略)
⇒1961年の閣僚暗殺計画(三無事件)とも接点があった一派が存在し、安保闘争が長期化すれば
治安出動に乗じたクーデター計画も燻っており、利用されたのが三島とする関係者も(略)
・祖国防衛隊は資金も隊員集めも叶わず、中核要員だけ、学生中心の楯の会へと変貌してゆく
⇒もともと三島が大規模な組織のマネージメントをできたとは思えないが・・・
・1968年「10.21国際反戦デー」新宿騒乱の渦中で情報収集訓練を行い刺激を受けている
⇒翌年に向けた行動が計画されたが、圧倒的に力を増した機動隊によって新左翼は一網打尽、
三島は深い失意を味わう
⇒65年不況から時代の雰囲気は70年万博景気により決定的に好転、三島が敵と見定めた
「共産主義が間接侵略で日本を乗っ取る」可能性はなくなり、自民党による統治は盤石となり、
彼は死の機会を逸してしまった
⇒これが三島の「実に実に実に不快だった」という言葉の真意とされてきた
・森田必勝は「奔馬」の飯沼勲さながらの要人暗殺質問を関係者にしており、楯の会は
自衛隊での実射訓練やボウガン訓練も画策していた
⇒自衛隊にも三島のシンパや批判者がいて「奔馬」の飯沼勲にも心境が反映されている
・70年11月25日の蹶起には「豊饒の海」完結や事件後に届く遺書など周到な計画が練られていたが、
69年10月21日の国際反戦デーに関しては事前準備の形跡がまるで見えない
⇒何より「豊饒の海」は「暁の寺」の途中で未完のまま残されることになっており、三島は
治安出動からクーデターへ持っていく計画をあきらめなかったが、楯の会の会員の殆どが
クーデターの実感を得られなかったとの証言もある
(三島裁判での古賀正義の証言⇒国際反戦デー後の会議では憲法改正意見には消極的だった)
・そもそも自衛隊治安出動の捨て石となってクーデター、憲法改正実現というのは、三島が
したかったことだろうか、それは彼の理想的な死たり得たのか・・・
・「檄」より
⇒国体を守るのは軍隊であり政体を守るのは警察である
⇒政体を警察力で守り切れない段階で軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の
本義を回復するであろう
⇒建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しない
・69年10月21日に治安出動の必要がなかったことは事実であり、自衛隊にとって決定的に
改憲の希望が断たれたこの日以降、自衛隊は自ら蹶起すべきだったと叱咤する
⇒「話が違う」と咎めているようにも聞こえる
・三島が新左翼を過大評価していたとの見方もあるが、彼が強調したのは「間接侵略」の
脅威であり、彼らの背後に巨大な共産主義国が控えるからこそ「身を挺して」向かうべき
敵に値するはずだった
・三島はなぜ「暁の寺」脱稿時に「実に実に実に不快だった」のか
⇒自衛隊内部にあったクーデター計画を実現可能とは考えていなかったのではないか
⇒凡そ実現可能性がないからこそ「身を挺する」に値したのだろう
⇒彼自身が覚悟を決めているのに肝心の自衛隊に裏切られ、憤ったのではあるまいか
・飯沼勲が急進化するのは、彼が軍人ではなく「一般の民草」で軍人のコピーだから
⇒この本物に憧れ過剰反応しようとする人間という主題は、三島のセクシュアリティを通じた
「男らしさ」への憧れ、徴兵されずに生き残った人間としての大義への憧れと一貫している
⇒清顕と勲、「たおやめぶり」と「ますらおぶり」
⇒自衛隊に楯の会を認めてもらえないという経験は、三島にとって二度目の徴兵検査落第で
あったかもしれない
・三島は単にクーデター計画が頓挫したから「実に実に実に不快だった」のではあるまい
⇒こうした状況下で奔走し、結局、半ば見放されたような格好で行動に移れず、その事実を
「小説執筆のための主体的選択」と自らに言い聞かせ続けていた状況に終わりが来たことを
そう表現したのではなかったか・・・
・・・
たまたま項目4は、わたくしが興味のある文化のグローバル化とナショナリズムについての
三島の見方が分析されてましたし(彼がダイアモンドやハラリ、アセモグルを知っていたら、
あるいは最新の文明研究の成果を知っていたら、どんな作品を書いたかと夢想しました)、
たまたま項目40は、事実からの論考が多くて分かりやすく、わたくしと同時代的な感覚も
あったので、てきとーにメモした次第です
他の項目でも三島の思想の背景にある思想、例えば仏教の唯識や転生などについての彼の誤解や
理解不足、あるいは当時の翻訳の精度など資料限界による間違った経典解釈などへの指摘、
アジアでの加害者としての意識欠落への指摘などもあり、読み込めばさらに深い内容なので
しょうが、わたくしの読解能力の限界と図書館の貸出期限もあり・・・
とーとつに・・・
結論(7頁分)より
・三島由紀夫の実存の根底には幾重にも折り重なった疎外感があった
⇒自分がいるはずの場所で自分が不在である現実を想像したであろう
⇒二層化された世界像は、その後の三島の一生を貫き「覗き」への拘りは屈折した現れ
・20世紀前半のヨーロッパの思想的潮流の影響(略)
・戦後の「生きたい」は孤立した生ではなく他者と生きることが前提で詩小説戯曲を書いた
⇒行動と創作は、自分が不在の場所(現実)への出現の欲望
⇒しかし30代後半から現実への幻滅を深め、理想の日本を追い求めてゆく
⇒世界の階層的構造を分析する一方で精神的には10代の戦争体験へ回帰していった
⇒政治化したが文学の多様性は最後まで失わなかった
・戦争から排除され生き残った者の苦悩と死の美化と小説執筆(略)
⇒戦後社会の「生命尊重」は資本主義への隷属であることを高度経済成長で痛感した
⇒共産主義を否定する彼にとって荷担せざるを得ないシステムであり対する批評は死のみ
⇒それを文化として実体化する存在が一度は決別したはずの天皇だった
⇒天皇に生の原理として期待したのは彼のセクシュアリティから(以下略)
・彼の社会への適応努力は民主主義への政治的適応でもなければ、資本主義への経済的適応
でもなく、創作活動か、マスメディアを介した大衆文化への適応
⇒両者は対極的だが、どちらも彼が求める他者からの承認を可能とする場所
・学生運動の激化を通じ戦後社会への適応ではなく批判による共同性に可能性を見いだそうとした
⇒しかし拠るところは共産主義ではなく、死と癒着した天皇主義だった
・三島は強さと弱さという単純に序列化された価値観に固執した
⇒現実への幻滅が強まるほど弱さから強さへ、少数の被圧迫者から少数の圧迫者へ
・創作を通じた言語による現実の価値化は「文武両道」で並行的に継続された
⇒「金閣寺」から「鏡子の家」でニヒリズムを極め、社会批判への不信から存在論的な不信へ
⇒「空」を言語で実体化した大乗仏教であり、唯識思想を「豊饒の海」の構造に適用した
⇒唯識思想に同意しなかったのは、それが言語による世界認識を徹底的に否定するため
⇒三島にとって言葉はどれほど虚無に浸食されようと、その極限で実在を保ち続けている何か
⇒それが最後まで小説家を断念しなかった理由
・三島が興味を寄せたのは唯識の教義より「空」を目指す自己否定の言語化というあり方で
その意味で「豊饒の海」のあり方は相似形を成している
⇒しかし放火前の金閣寺がそうであったように、最後の崩壊の瞬間には言語の構築物として
その存在が疑うべくもなく価値化され、輝きを放つべきであった
・死は虚無に呑み込まれそうになりながら運動し続ける彼に生の絶頂を約束するもの
⇒最後に叫んだ「天皇陛下万歳」は政治的主張であり彼が20歳の時に大義による死とともに
叫びそこなった言葉
⇒一人の人間の存在の全体性が託された言葉で、表向きの大義のみならず彼が生涯、抑圧
されつつ生きてきたエロティシズムをも同時に顕現させようとするものだった
⇒一生を象徴するためには不十分で不適当とさえ思われる言葉
⇒しかしそれしか口にされようがない言葉であり、その歴史的事実もまた、三島が死によって
体現したことの一つだった
・結論は作家論的に要約されたが本書の意義は作品論としての各ページの細部にこそある
と信じたい
あとがき(12頁分)より
・10代の頃に読んだ「金閣寺」ほど衝撃を受けた本はない
⇒三島作品に夢中になって以後、読書で知る三島像と人から聞く三島像の違いに気づいた
⇒日記や読書録で三島を「カッコいい」と思うようになった
⇒三島作品と三島が影響を受けた作品を読み続け、小説とは相互に有機的に結び合った、
広大な「文学の森(ボルヘス)」の一部ということを実感とともに理解した
・三島への最も強い共感は、彼が戦後社会に抱いていたニヒリズムの感覚であり、それを
表現する思想的で美的な文体だった
⇒境遇も時代も違うのに、痛切に「わかる」と読者が感じるのが文学
⇒自己と世界、両方の実在の不確かさに苦しみ、世界崩壊を信じ社会から孤立する人物たち
⇒いよいよ自分に近しい存在と感じられていった
・「日蝕」で文壇デビューして以来、三島由紀夫の再来とか三島と比較されることがよくある
⇒三島好きで強いシンパシーを感じていることは公言している
・本書は三島と私との長い長い対話の産物
⇒作者の意図の追求という、ほとんど反動的な態度は「到達不可能なもの」への運動という
意味で三島的ともいえるが、到達可能な他者ネットワーク「文学の森」が存在する
・私自身は三島に圧倒的な影響を受けつつ、その思想を批判的に克服する上で、やはり
アイデンティティの捉え方を梃子にした
⇒個人と対応する一なる存在(日本/天皇)への帰属を本質主義的に求めるのか、対人関係毎に
分化した主体(分人)と他者との相互依存関係を重視するのかが、その最大の相違点
・分人主義の構想に於ける三島の死に方への問い(略)
(本書を自己の思想の展開の場にはしたくなかった)
・最後の行動に至る軌跡(略)
・三島の楯の会会員への遺書
「あれほど左翼学生の行動責任のなさを弾劾してきた小生としては、とるべき道は一つでした」
⇒(あえて無体なことを言うなら)
⇒私は、もし本書を三島が読んだなら、自殺を踏み止まったかもしれないという一念で
これを書いたのである
⇒私はやはり三島という人に会って話をしてみたかった
・・・
結論の末尾にもありましたが、確かに本書の意義は作品論としての各ページの細部にあり、
目次を見ても明らかなように、まさに全作品を精読熟読し、その背景をじつに念入りに
探っていくという作家論で、序論や結論だけ読み飛ばしても理解できないのですが、
不思議な感動の記憶が残っている「豊饒の海」について、少しは納得できたかもです
三島作品や彼の作品に影響を受けた作品に興味のある方には必読の書ですね

三島由紀夫論であります
今年は三島由紀夫の生誕100年にあたるそうですが、それとは関係なく・・・
以前紹介したこちらの小説を薦めてくれた知人が、この著者の小説も薦めてくれたのですが、
わたくし純文学の世界は苦手、小説なら芥川賞作家のより直木賞作家のほうが・・・

つーことで、昔から不思議な読後感が残っている三島作品について、その再来とも言われる
この著者の作品論・作家論を選んでみた次第
裏表紙カバーにあった惹句

そう、実証性に裏づけられた透徹した分析と考察、実作者ならではの理解によって解明する、
「決定的三島論」であります
表表紙カバー裏にあった著者紹介

1999年に当時史上最年少で芥川賞を受賞されてたんですね
奥付

目次



ちなみに、
「仮面の告白」論は新潮2015年2月号、
「金閣寺」論は群像2005年12月号、
「英霊の声」論は文學界2000年11月号、
「豊饒の海」論は新潮2020年12月号~2021年11月号に、
それぞれ初出とあり23年間を要して書き上げた、本文だけでも600頁を超える大作で、
その後半300頁以上が「豊饒の海」論になってました
わたくし上記作品の中では「金閣寺」の文庫本と「豊饒の海」の単行本(全巻箱入初版本!!!)が
実家にあるので読んでるはずですが、読んだのは半世紀以上前で記憶は殆ど消え去ってます
(「金閣寺」の映画化作品「炎上」(1958)は最近テレビで視聴したけど記憶が・・・
)ただし「午後の曳航」など他の作品も含め、なぜか物語のワンシーンだけが画像として
脳裏に焼き付いているようなのでありますね
実際の風景や人物、風景写真や人物写真、風景画や人物画を眺めてて、ふと小説の中の
ワンシーンが蘇ってくることもあり、これが三島作品の文章表現のなせる技なのかと・・・
例えば水に浮かぶ寺院とか宮殿とか、高台から望む港とか残照とか、はたまた人物でいえば、
庭に遊ぶお姫様とか窓辺に佇む美貌の未亡人とか焚火に映える少女とか彷徨う老紳士とかで、
小説のワンシーンが、映像作品を観たわけでもないのに浮かぶことがあります
(「金閣寺」も映画作品とは異なる寺や炎上シーンが何となく脳裏に残ってます)
画像と文章では記憶・認識する脳の領域も異なるはずなんですが不思議な話です
いっぽう本書は最低でも上記4作品の内容をしっかりと記憶している前提で書かれており、
著者の文章構成も文体も三島作品の影響なのか相当に高度なので、その論考をある程度でも
理解するには、まず作品を再読した上で本書を丹念に読み解いていく必要があります
とーぜん、今のわたくしにそんな気力はないので、全てを読み解くのはあきらめて・・・
本論では「豊饒の海」論だけを飛ばし読みしましたが、それでもその全60項目を理解し、
メモしていくなんて、とても不可能であり・・・くどくどくど・・・
閑話休題
以下は目次にある「序論」と「豊饒の海」論(全60項目)のうち2項目だけと「結論」と
「あとがき」からだけの、じつにてきとーな読後メモです

「結論」にもありましたが本著の真骨頂は本文各論にある詳細に分析された作品内容と
その背景にある思想追及なので、少しでも興味を持たれた方は本書をご熟読くださいね
(いちおー著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
序論(9頁分)より
・4作品の各論で他の作品全般を論じ対談等での発言にも言及し伝記的事実も参照しており、
全体としては作家論となっているので「三島由紀夫論」とした
・三島の創作活動はおおよそ4期に区分できる
①「花ざかりの森」を発表した16歳から20歳の敗戦まで(1941~45)
⇒日本浪漫派界隈で天才少年としてデビュー、思春期、現人神、戦時中の死の緊張感、
②「仮面の告白」で再デビューした24歳から「鏡子の家」の34歳まで(1949~59)
⇒生きよう、戦後社会に適応しようと努めていた時期で結婚し生還を期さない特攻を否定、
③「宴のあと」からはじまる35歳から40歳まで(1960~65)
⇒文壇内外のトラブルで居場所を喪失し新たな主題にも取り組んだが深刻なスランプを自覚、
④「豊饒の海」執筆開始の41歳から「英霊の声」、自決に至る45歳まで(1966~70)
⇒「英霊の声」の反響に後押しされて急激に①の10代へ回帰、楯の会結成から死へ・・・
・この4つの作品論で描くのは①から④にかけての三島の生と死、思想の軌跡
・三島文学の愛読者は天皇主義者としての彼の行動には目を瞑り、その行動に賛同する三島の
賛美者は文学には目を向けず、メディアの寵児イメージは軽薄な姿と受け止められる
⇒しかし三島の思想がそれら個々に分裂し、排他的に完結していたわけではない
⇒言語によって生と死の全体を思想化しようとし、その思想と一致するよう行動したのが三島
・本書は著作を精読して作者の意図を考えるという反動的な方法だが(中略)三島由紀夫論
・本書の構成
①対の作品としての「仮面の告白」と「金閣寺」の論考
「仮面の告白」⇒「禁色」、「金閣寺」⇒「鏡子の家」という二系統で三島の戦後思想の基礎とし、
②第二期、第三期にあたる彼の30代を検討した後、
③第四期への転機のきっかけとなった「英霊の声」を論じる
④第一期から第三期までの仕事の集大成という観がある「豊饒の海」について、論考では
生と死を巡る三島の思想の限界と可能性を検討した
・「英霊の声」で第一期の少年時代(戦中)に回帰し政治思想運動を開始するが、この活動が
第四期の文武両道の「武」を担うとするなら「文」を担うのが「豊饒の海」
⇒「鏡子の家」の挫折後、三島は存在論への関心を深め、小説構成の野心としては「転生」を
物語の中心に据えつつ「唯識」を全編にわたる主題に定めた
・本書の構想から実現まで20年余を要し、この間に三島の生涯について多くの事実が知られる
こととなったが、それらが参照可能なので本書では生涯を仔細に辿ることはしない
・・・
で、膨大な資料から詳細に分析された各論(600頁分)を殆ど省略して

「豊饒の海」論・目次項目の4「日本文学小史と豊饒の海との構造的類似点」5頁分からのメモ
・ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」やユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」が
世界的ベストセラーになり数万年単位の歴史認識が教養化した今日、遺伝子研究による個人
の同一性、グローバル化、国際交流、資本主義とセットとなった音楽、映画、ファッションなどの
文化の世界的な流行などで、ナショナル・ヒストリーは相対化・脱中心化され、ナショナリズムの
足許は(反動的な高揚とは裏腹に)危うくなっている
⇒同じ人間という視点は双方向から私たちを人類というカテゴリーに還元しようとする
⇒こうした考え方に三島は当時から徹底して否定的だった
・三島は「人類共有の暗い巨大な岩層」を認め、その先に「底辺の国際主義」があると説明
⇒なるほど今日「底辺の国際主義」に積極的な価値を与えるとしても「日本文学」や「韓国文学」
といったカテゴリー自体が、ただちに無効になるわけではない
・「大衆社会は全てを呑み尽くす怪物で一国の民族の問題ではなく全世界的普遍的現象」とも批判
⇒「文化」と「文化意志以前」という積層型の構造を前提に下層を実体化し歴史的な持続に
委ねてしまっている
⇒上層は相対的に移ろいゆく文化であり、下層は「人類共有の暗い巨大な岩層」
⇒文化は各時代を特徴付ける文化意志でブロック化されるが、それは一貫した日本・日本人の
イメージからは乖離した多様性で提示され、その文化意志の特徴はしばしば輸入思想
・この時点では後の日本回帰は全く準備されてなかったはずで「文化的国家日本のアプローチ」
の限界に突き当たっていた(福田恆存や大島渚との対談より)
⇒殊に「豊饒の海」のために唯識の勉強に取りかかってからは、西洋思想と仏教思想を
取り除いて日本に何が残るのか、という焦燥が看て取れる
・言語活動は文化意志や日常的なおしゃべりの更に下層に設定されていて、それが解体されると
何も「ありはしない」非存在の最底辺の領域
⇒時間的に持続しているのは、その非存在と考えざるを得ない
⇒この構造は終戦を挟んで戦中・戦後を生きてきた三島という個人の生の持続に直結するもの
・・・
「豊饒の海」論・目次項目の40「10.21国際反戦デー以降の急進化」8頁分からのメモ
・三島は明治維新を担ったのが「不正規軍」であったことに共感している
⇒しかし明治政府が士族の反乱を恐れ鎮台を設置して「不正規軍」を徹底的に弾圧した結果、
排他的な正規軍思想になり中国の八路軍に対処する術がなく苦戦した、というのが彼の認識
・戦後、徴兵制がなくなり正規軍思想だけが残ったので国民と自衛隊(軍)との関係は絶たれ、
安保闘争での「非正規軍」としての全学連に手を焼くこととなった、
⇒そこで「非正規軍」に対処し国民と自衛隊を接合する祖国防衛隊の必要性を訴えた
⇒しかしそれは後の「戦士共同体」の夢想(略)とは著しくトーンが異なる
⇒この真の急進化は1968年後半以降で、それはまさしく「奔馬」の連載終盤から、
「暁の寺」の連載序盤にかけての時期だった
・祖国防衛隊から楯の会にかけて三島に共感し支援した自衛隊関係者もいた(略)
⇒1961年の閣僚暗殺計画(三無事件)とも接点があった一派が存在し、安保闘争が長期化すれば
治安出動に乗じたクーデター計画も燻っており、利用されたのが三島とする関係者も(略)
・祖国防衛隊は資金も隊員集めも叶わず、中核要員だけ、学生中心の楯の会へと変貌してゆく
⇒もともと三島が大規模な組織のマネージメントをできたとは思えないが・・・
・1968年「10.21国際反戦デー」新宿騒乱の渦中で情報収集訓練を行い刺激を受けている
⇒翌年に向けた行動が計画されたが、圧倒的に力を増した機動隊によって新左翼は一網打尽、
三島は深い失意を味わう
⇒65年不況から時代の雰囲気は70年万博景気により決定的に好転、三島が敵と見定めた
「共産主義が間接侵略で日本を乗っ取る」可能性はなくなり、自民党による統治は盤石となり、
彼は死の機会を逸してしまった
⇒これが三島の「実に実に実に不快だった」という言葉の真意とされてきた
・森田必勝は「奔馬」の飯沼勲さながらの要人暗殺質問を関係者にしており、楯の会は
自衛隊での実射訓練やボウガン訓練も画策していた
⇒自衛隊にも三島のシンパや批判者がいて「奔馬」の飯沼勲にも心境が反映されている
・70年11月25日の蹶起には「豊饒の海」完結や事件後に届く遺書など周到な計画が練られていたが、
69年10月21日の国際反戦デーに関しては事前準備の形跡がまるで見えない
⇒何より「豊饒の海」は「暁の寺」の途中で未完のまま残されることになっており、三島は
治安出動からクーデターへ持っていく計画をあきらめなかったが、楯の会の会員の殆どが
クーデターの実感を得られなかったとの証言もある
(三島裁判での古賀正義の証言⇒国際反戦デー後の会議では憲法改正意見には消極的だった)
・そもそも自衛隊治安出動の捨て石となってクーデター、憲法改正実現というのは、三島が
したかったことだろうか、それは彼の理想的な死たり得たのか・・・
・「檄」より
⇒国体を守るのは軍隊であり政体を守るのは警察である
⇒政体を警察力で守り切れない段階で軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の
本義を回復するであろう
⇒建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しない
・69年10月21日に治安出動の必要がなかったことは事実であり、自衛隊にとって決定的に
改憲の希望が断たれたこの日以降、自衛隊は自ら蹶起すべきだったと叱咤する
⇒「話が違う」と咎めているようにも聞こえる
・三島が新左翼を過大評価していたとの見方もあるが、彼が強調したのは「間接侵略」の
脅威であり、彼らの背後に巨大な共産主義国が控えるからこそ「身を挺して」向かうべき
敵に値するはずだった
・三島はなぜ「暁の寺」脱稿時に「実に実に実に不快だった」のか
⇒自衛隊内部にあったクーデター計画を実現可能とは考えていなかったのではないか
⇒凡そ実現可能性がないからこそ「身を挺する」に値したのだろう
⇒彼自身が覚悟を決めているのに肝心の自衛隊に裏切られ、憤ったのではあるまいか
・飯沼勲が急進化するのは、彼が軍人ではなく「一般の民草」で軍人のコピーだから
⇒この本物に憧れ過剰反応しようとする人間という主題は、三島のセクシュアリティを通じた
「男らしさ」への憧れ、徴兵されずに生き残った人間としての大義への憧れと一貫している
⇒清顕と勲、「たおやめぶり」と「ますらおぶり」
⇒自衛隊に楯の会を認めてもらえないという経験は、三島にとって二度目の徴兵検査落第で
あったかもしれない
・三島は単にクーデター計画が頓挫したから「実に実に実に不快だった」のではあるまい
⇒こうした状況下で奔走し、結局、半ば見放されたような格好で行動に移れず、その事実を
「小説執筆のための主体的選択」と自らに言い聞かせ続けていた状況に終わりが来たことを
そう表現したのではなかったか・・・
・・・
たまたま項目4は、わたくしが興味のある文化のグローバル化とナショナリズムについての
三島の見方が分析されてましたし(彼がダイアモンドやハラリ、アセモグルを知っていたら、
あるいは最新の文明研究の成果を知っていたら、どんな作品を書いたかと夢想しました)、
たまたま項目40は、事実からの論考が多くて分かりやすく、わたくしと同時代的な感覚も
あったので、てきとーにメモした次第です
他の項目でも三島の思想の背景にある思想、例えば仏教の唯識や転生などについての彼の誤解や
理解不足、あるいは当時の翻訳の精度など資料限界による間違った経典解釈などへの指摘、
アジアでの加害者としての意識欠落への指摘などもあり、読み込めばさらに深い内容なので
しょうが、わたくしの読解能力の限界と図書館の貸出期限もあり・・・
とーとつに・・・

結論(7頁分)より
・三島由紀夫の実存の根底には幾重にも折り重なった疎外感があった
⇒自分がいるはずの場所で自分が不在である現実を想像したであろう
⇒二層化された世界像は、その後の三島の一生を貫き「覗き」への拘りは屈折した現れ
・20世紀前半のヨーロッパの思想的潮流の影響(略)
・戦後の「生きたい」は孤立した生ではなく他者と生きることが前提で詩小説戯曲を書いた
⇒行動と創作は、自分が不在の場所(現実)への出現の欲望
⇒しかし30代後半から現実への幻滅を深め、理想の日本を追い求めてゆく
⇒世界の階層的構造を分析する一方で精神的には10代の戦争体験へ回帰していった
⇒政治化したが文学の多様性は最後まで失わなかった
・戦争から排除され生き残った者の苦悩と死の美化と小説執筆(略)
⇒戦後社会の「生命尊重」は資本主義への隷属であることを高度経済成長で痛感した
⇒共産主義を否定する彼にとって荷担せざるを得ないシステムであり対する批評は死のみ
⇒それを文化として実体化する存在が一度は決別したはずの天皇だった
⇒天皇に生の原理として期待したのは彼のセクシュアリティから(以下略)
・彼の社会への適応努力は民主主義への政治的適応でもなければ、資本主義への経済的適応
でもなく、創作活動か、マスメディアを介した大衆文化への適応
⇒両者は対極的だが、どちらも彼が求める他者からの承認を可能とする場所
・学生運動の激化を通じ戦後社会への適応ではなく批判による共同性に可能性を見いだそうとした
⇒しかし拠るところは共産主義ではなく、死と癒着した天皇主義だった
・三島は強さと弱さという単純に序列化された価値観に固執した
⇒現実への幻滅が強まるほど弱さから強さへ、少数の被圧迫者から少数の圧迫者へ
・創作を通じた言語による現実の価値化は「文武両道」で並行的に継続された
⇒「金閣寺」から「鏡子の家」でニヒリズムを極め、社会批判への不信から存在論的な不信へ
⇒「空」を言語で実体化した大乗仏教であり、唯識思想を「豊饒の海」の構造に適用した
⇒唯識思想に同意しなかったのは、それが言語による世界認識を徹底的に否定するため
⇒三島にとって言葉はどれほど虚無に浸食されようと、その極限で実在を保ち続けている何か
⇒それが最後まで小説家を断念しなかった理由
・三島が興味を寄せたのは唯識の教義より「空」を目指す自己否定の言語化というあり方で
その意味で「豊饒の海」のあり方は相似形を成している
⇒しかし放火前の金閣寺がそうであったように、最後の崩壊の瞬間には言語の構築物として
その存在が疑うべくもなく価値化され、輝きを放つべきであった
・死は虚無に呑み込まれそうになりながら運動し続ける彼に生の絶頂を約束するもの
⇒最後に叫んだ「天皇陛下万歳」は政治的主張であり彼が20歳の時に大義による死とともに
叫びそこなった言葉
⇒一人の人間の存在の全体性が託された言葉で、表向きの大義のみならず彼が生涯、抑圧
されつつ生きてきたエロティシズムをも同時に顕現させようとするものだった
⇒一生を象徴するためには不十分で不適当とさえ思われる言葉
⇒しかしそれしか口にされようがない言葉であり、その歴史的事実もまた、三島が死によって
体現したことの一つだった
・結論は作家論的に要約されたが本書の意義は作品論としての各ページの細部にこそある
と信じたい
あとがき(12頁分)より
・10代の頃に読んだ「金閣寺」ほど衝撃を受けた本はない
⇒三島作品に夢中になって以後、読書で知る三島像と人から聞く三島像の違いに気づいた
⇒日記や読書録で三島を「カッコいい」と思うようになった
⇒三島作品と三島が影響を受けた作品を読み続け、小説とは相互に有機的に結び合った、
広大な「文学の森(ボルヘス)」の一部ということを実感とともに理解した
・三島への最も強い共感は、彼が戦後社会に抱いていたニヒリズムの感覚であり、それを
表現する思想的で美的な文体だった
⇒境遇も時代も違うのに、痛切に「わかる」と読者が感じるのが文学
⇒自己と世界、両方の実在の不確かさに苦しみ、世界崩壊を信じ社会から孤立する人物たち
⇒いよいよ自分に近しい存在と感じられていった
・「日蝕」で文壇デビューして以来、三島由紀夫の再来とか三島と比較されることがよくある
⇒三島好きで強いシンパシーを感じていることは公言している
・本書は三島と私との長い長い対話の産物
⇒作者の意図の追求という、ほとんど反動的な態度は「到達不可能なもの」への運動という
意味で三島的ともいえるが、到達可能な他者ネットワーク「文学の森」が存在する
・私自身は三島に圧倒的な影響を受けつつ、その思想を批判的に克服する上で、やはり
アイデンティティの捉え方を梃子にした
⇒個人と対応する一なる存在(日本/天皇)への帰属を本質主義的に求めるのか、対人関係毎に
分化した主体(分人)と他者との相互依存関係を重視するのかが、その最大の相違点
・分人主義の構想に於ける三島の死に方への問い(略)
(本書を自己の思想の展開の場にはしたくなかった)
・最後の行動に至る軌跡(略)
・三島の楯の会会員への遺書
「あれほど左翼学生の行動責任のなさを弾劾してきた小生としては、とるべき道は一つでした」
⇒(あえて無体なことを言うなら)
⇒私は、もし本書を三島が読んだなら、自殺を踏み止まったかもしれないという一念で
これを書いたのである
⇒私はやはり三島という人に会って話をしてみたかった
・・・
結論の末尾にもありましたが、確かに本書の意義は作品論としての各ページの細部にあり、
目次を見ても明らかなように、まさに全作品を精読熟読し、その背景をじつに念入りに
探っていくという作家論で、序論や結論だけ読み飛ばしても理解できないのですが、
不思議な感動の記憶が残っている「豊饒の海」について、少しは納得できたかもです
三島作品や彼の作品に影響を受けた作品に興味のある方には必読の書ですね
