2025年12月12日
堺浜から玉出環濠跡へ
昨日はひさしぶりに近所に住む「ダッシュP18乗りの俳人」さんとポタリング・・・

カモメさんが休む大和川の阪堺大橋北詰(右岸)で待ち合わせをして・・・

いつもの堺浜へ


西から晴れてきているせいなのか、神戸方面の海面は靄ってました

やがて大阪の陸地も晴天ぽかぽか陽気になり・・・
暑いぐらいになったので堺浜は1周だけにとどめ
、玉出の環濠跡へ・・・

(西成区役所のホームページにあった略図より)
そう、こちらの記事で紹介した小説「甘夏とオリオン」で知り、軽くママチャリで廻った
ことはあったのですが、今回は上記略図の右図にある8つの橋の袂すべてに昔はあって、
今もいくつかは残っているという、お地蔵さんから環濠跡を辿ってみようとなった次第
ちなみに彼が以前に歩いたという・・・

喜連の環濠跡にはこんな案内板もあって、橋の袂にあったお地蔵さんも残ってたそうですが、
玉出の環濠跡には案内板もなく、はてさてどうなるか・・・
と、

こちらが上の略図左図では26号線を西に渡った環濠の南東側になり西に向かって撮ってます
環濠を埋め立て拡幅した道路なのでしょう、現在は「姫松通」という地区内の幹線道路、
奥のびみょーな曲がり具合が左図の環濠と一致してますね
で、さらに西へ向かうと道路(環濠跡)の南側に・・・

友人がお地蔵さんを発見!!!
で、お地蔵さんに手を合わせてた方が、たまたま二人の会話を聞かれてたようで、
「何かお探しですか?」と声をかけて下さり、訊けば何と郷土史を研究をされてる方だそうで、
詳しいお話を伺うことができました
・このお地蔵さんは環濠の南側に2本架かっていた橋のうち西側の橋の袂にあったもの
(略図右図は東が上なので翌日表現を修正しました)
・環濠内の民家は殆どが空襲で焼け、戦後の区画整理もあって昔の集落の痕跡は残っていない
・現在もう一か所だけ環濠西側の橋の袂にあったお地蔵さんが残ってるが道沿いでもなく
奥まってるので見つけるのは難しいかも
・環濠の一部は戦後もしばらくドブ川として残ってたが区画整理などで埋められた
・環濠の外側は区画整理されなかったので道も狭く、一部は環濠内と繋がらないまま・・・
などなど貴重なお話をいただきました ありがとうございました
と、環濠集落内の西端の道を北上すると、


略図左図にあるとおり、クランク状に曲がってました
区画整理されたとはいえ昔の幹線道路の形状が一部はそのまま残ってるんですね
西端はすぐ十三間堀川(今は阪神高速堺線)なので、これが環濠の西側だと思ってたのですが、
先ほどの郷土史家によると環濠は堀川とは別にあったけど埋め立てられ、区画整理後の道路にも
なっていないので、西側の痕跡を探すのは困難とのことでした
ま、

友人は左側(西側)に続く道から環濠の痕跡を見つけようとしてますが・・・
幹線道路の右側(東側)が玉出中学校で、その北端道路の北側(一部は道路)が環濠跡になります
さらに北上し一部環濠跡を利用した道路の北東角あたりから南へ向かいます

この道は「いかにも環濠跡」という感じが残ってますね
もとの環濠は幅が1.8mほどだったとか・・・
この東側の環濠跡は後からできた26号線をナナメに横切り、さらに南へ続いています

横断歩道の右側、ちょうど軽バンが出てきた道になります

右が26号線、左が環濠跡で、ここからさらに南へ・・・
玉出本通り商店街を越え・・・

この先の東西の通りが「姫松通」で、ようやく環濠跡を一周しました
で、環濠内の中央にある玉出西公園まで戻って・・・
「さてさて、昼食はベトナム料理のホイアンか、手打ちうどんの楽か・・・じゅる
」
「ベトナム料理は前回3人で行ったので今回は手打ちうどんがええな・・・じゅるじゅる
」
つーことで、


わたくしはちく天ぶっかけ(冷)のセット

彼は半玉天ぶっかけ(温)のセット

そう、二人とも牡蠣の炊き込みご飯セットにしましたとさ めでたしめでたし

カモメさんが休む大和川の阪堺大橋北詰(右岸)で待ち合わせをして・・・

いつもの堺浜へ


西から晴れてきているせいなのか、神戸方面の海面は靄ってました

やがて大阪の陸地も晴天ぽかぽか陽気になり・・・
暑いぐらいになったので堺浜は1周だけにとどめ
、玉出の環濠跡へ・・・
(西成区役所のホームページにあった略図より)
そう、こちらの記事で紹介した小説「甘夏とオリオン」で知り、軽くママチャリで廻った
ことはあったのですが、今回は上記略図の右図にある8つの橋の袂すべてに昔はあって、
今もいくつかは残っているという、お地蔵さんから環濠跡を辿ってみようとなった次第
ちなみに彼が以前に歩いたという・・・

喜連の環濠跡にはこんな案内板もあって、橋の袂にあったお地蔵さんも残ってたそうですが、
玉出の環濠跡には案内板もなく、はてさてどうなるか・・・
と、

こちらが上の略図左図では26号線を西に渡った環濠の南東側になり西に向かって撮ってます
環濠を埋め立て拡幅した道路なのでしょう、現在は「姫松通」という地区内の幹線道路、
奥のびみょーな曲がり具合が左図の環濠と一致してますね
で、さらに西へ向かうと道路(環濠跡)の南側に・・・

友人がお地蔵さんを発見!!!
で、お地蔵さんに手を合わせてた方が、たまたま二人の会話を聞かれてたようで、
「何かお探しですか?」と声をかけて下さり、訊けば何と郷土史を研究をされてる方だそうで、
詳しいお話を伺うことができました
・このお地蔵さんは環濠の南側に2本架かっていた橋のうち西側の橋の袂にあったもの
(略図右図は東が上なので翌日表現を修正しました)
・環濠内の民家は殆どが空襲で焼け、戦後の区画整理もあって昔の集落の痕跡は残っていない
・現在もう一か所だけ環濠西側の橋の袂にあったお地蔵さんが残ってるが道沿いでもなく
奥まってるので見つけるのは難しいかも
・環濠の一部は戦後もしばらくドブ川として残ってたが区画整理などで埋められた
・環濠の外側は区画整理されなかったので道も狭く、一部は環濠内と繋がらないまま・・・
などなど貴重なお話をいただきました ありがとうございました
と、環濠集落内の西端の道を北上すると、


略図左図にあるとおり、クランク状に曲がってました
区画整理されたとはいえ昔の幹線道路の形状が一部はそのまま残ってるんですね
西端はすぐ十三間堀川(今は阪神高速堺線)なので、これが環濠の西側だと思ってたのですが、
先ほどの郷土史家によると環濠は堀川とは別にあったけど埋め立てられ、区画整理後の道路にも
なっていないので、西側の痕跡を探すのは困難とのことでした
ま、

友人は左側(西側)に続く道から環濠の痕跡を見つけようとしてますが・・・

幹線道路の右側(東側)が玉出中学校で、その北端道路の北側(一部は道路)が環濠跡になります
さらに北上し一部環濠跡を利用した道路の北東角あたりから南へ向かいます

この道は「いかにも環濠跡」という感じが残ってますね
もとの環濠は幅が1.8mほどだったとか・・・
この東側の環濠跡は後からできた26号線をナナメに横切り、さらに南へ続いています

横断歩道の右側、ちょうど軽バンが出てきた道になります

右が26号線、左が環濠跡で、ここからさらに南へ・・・
玉出本通り商店街を越え・・・

この先の東西の通りが「姫松通」で、ようやく環濠跡を一周しました
で、環濠内の中央にある玉出西公園まで戻って・・・
「さてさて、昼食はベトナム料理のホイアンか、手打ちうどんの楽か・・・じゅる
」「ベトナム料理は前回3人で行ったので今回は手打ちうどんがええな・・・じゅるじゅる
」つーことで、


わたくしはちく天ぶっかけ(冷)のセット

彼は半玉天ぶっかけ(温)のセット

そう、二人とも牡蠣の炊き込みご飯セットにしましたとさ めでたしめでたし

