2026年01月14日
宮崎駿の「罪」と「祈り」メモ前半
とーとつですが・・・

宮崎駿の「罪」と「祈り」~アニミズムで読み解くジブリ作品史~
・・・読書メモの前半であります
(長いメモなので前半と後半に分けました)
奥付

2025年6月30日の発行ですから「君たちはどう生きるか」公開後の著作になり、
おそらく現時点でも全ての宮崎駿作品を前提とした最新の論評でしょう
著者紹介がなかったので、ご存知ない方はこちら(ウィキ)をご覧くださいね
著者は筒井康隆作品に関する論文で博士号を取得されてるんですね
目次

まえがきより
・本書では宮崎駿の科学、戦争、資本主義などが複雑に結びついた主題系を「父の系列」とする
⇒彼のアニミズムはこの系列における罪との関係の中に存在している浄化であり希望
・宮崎作品で母はアニミズム的、民俗的、神秘的、精神的な救いと結びつけられる傾向がある
⇒そこには解放感、自由さ、救済感、祝福感がある⇒これを「母の系列」とする
⇒多くの観客に愛されているのは「母の系列」の性質を強くしている作品群
(トトロ、魔女の宅急便、千と千尋、ポニョ、君たちはどう生きるか・・・)
・本書では「宮崎駿のアニミズム」を「父の系列」と、その罪悪感や絶望感からの救済や
解放を志向するベクトルとしての「母の系列=アニミズム」の相克として描く
⇒その本格化は漫画版「ナウシカ」完結後だが、「ラピュタ」ぐらいからアニミズム=自然が善く、
人工=科学が悪いという二項対立を排し、どちらにもどちらの面もあるという二面性を複雑に
織り込むように変化してきている
⇒その対立と葛藤のドラマを本書では詳述していく
・「宮崎駿のアニミズム」の発展史として作品群を貫く思想を見ようとし、アニミズムを
「父の罪」との交互作用において読み解く作家論
⇒「君たちはどう生きるか」という最新長編を踏まえた一貫した視座での作家理解
・子供向きアニメーションにどのような寓意や象徴、想いが込められているのか
⇒きちんと知ると驚くことになる
⇒本書でその驚きと感動を伝えることができれば・・・
・・・・・
ええ、確かに作品に込められた寓意や象徴、想いを知ることの驚きと感動がありました
以前も書きましたが宮崎作品には何階層もの楽しみ方があるのが特徴ですね
以下もてきとーメモですが脳内整理のため勝手に作品番号を付けました
さらに宮崎駿本人の言葉には「」を付けたつもりです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば記事を非公開設定にします)
第1章 科学と自然
①未来少年コナン1978~コナンに託した生命力~
・作り手の心理で物語が作られ緻密なハリウッド作品と比較すれば作り方もアニミズム的
・文明崩壊後に自然が回復した場所だからこそ生まれた野生児がコナン
⇒コナン自体に野生・自然が宿っており、それは日本的な自然の回復力アニミズムの価値観
・戦後の逆境から立ち直る力、資本主義と科学の物質文明を再点検する外部の存在
⇒それが初期作品では少女ではなく少年に託されている
・インダストリアの否定⇒教条主義、全体主義、独裁現実のソビエトとの決別
・ラナもシータもクラリスも過去を背負わされた暗く陰りのあるヒロイン
⇒そこに活き活きと動くルパンやコナンたちが現れ、彼女たちを変え、浄化する物語が
初期作品では繰り返される
⇒よく言われるロリコンではなく少年も少女も宮崎の自己投影ではないか
⇒この両性具有性も繰り返される
②ルパン三世カリオストロの城1979
~学生運動的な活力を体現するキャラクターとしてのルパン~
・70年安保を境に「シラケ世代」になったルパンの性格を宮崎と高畑は払拭したかった
・カリオストロ家にもルパンにも峰不二子にも宮崎自身にも光と影の二面性がある
・シーズン2第145話「死の翼アルバトロス」のエロティシズムとラディカリズム
(以後は抑制され純粋な想いと信頼が強調されるが動画や主題の官能性の中に潜在する?)
・シーズン2第155話(最終話)「さらば愛しきルパンよ」の科学と贖罪という主題
(軍需によるリッチな生活への贖罪⇒共産主義へ⇒その弾圧や虐殺を知った衝撃と幻滅と後悔)
③風の谷のナウシカ1984~冷戦・全面戦争の寓話~
・様々な現代社会に対する寓話
⇒自然と暮らす風の谷が科学強国トルメキアに支配され巨神兵の復活に従事させられる
⇒アメリカの「アトムズ・フォー・ピース」を受けた日本の原子力政策の寓話とも
⇒「ナウシカの戦争モデルはロシア人だけで2千万人が死んだ独ソ戦」
・ナウシカは科学と自然の両方の要素を持っており最初は暗い影が少なくコナンに近い存在
⇒原作では大量破壊兵器の罪を背負いそれを食い止めようとする暗く儚げなラステルから
巨神兵の秘石を託され、その運命が変わる⇒ここから作品は動き出す
⇒クシャナは科学を戦争に利用しようとしている⇒どちらも両性具有的な存在
⇒ラステルの兄アスベルはコナンやルパンのような生命力=アニミズムの象徴ではない
⇒アニミズムはナウシカと蟲によって描かれ、その凶暴な側面も剝き出しになる
・ナウシカは罪を背負い贖罪しようとする少女とも男勝りに権力や科学を使う女性とも違う
⇒純粋に共感し助けようとする⇒蟲への愛
⇒「ナウシカはアニミズムに支配されている」
⇒ホルス・コナン・ルパンの少年的アニミズムから母性アニミズムに変化した?
⇒「ナウシカを作るきっかけは水俣湾が水銀で汚染され数年後に魚と牡蠣が戻ってきたこと」
・水俣病、核兵器、独ソ戦、冷戦・・・この困難な世界の寓話として機能する作品であり、
それらの悲劇を克服する方向の精神性を求めた祈りの作品でもある
⇒日本的なアニミズムに可能性を見いだすのは本人が言う通り民族主義的かも
⇒資本主義や科学を投げ捨て、自然と共存していたかつての日本の心を取り戻せば、
公害も戦争も解決するのか?
⇒この葛藤を含みながら宮崎作品は思想的に変遷していく・・・
④天空の城ラピュタ1986~科学と自然の二項対立の否定~
・落下が本作のモチーフであり、科学の二面性こそが本作の主題
⇒パズーの生命力はコナンやルパンほどではなく、無邪気さや楽天性を捨て、
科学の深刻な問題を理解し、シータとともに命を懸けて贖罪するように変化する
⇒活力アニミズムに近いのはドーラたちだが彼らも自然と科学の混ざった造形
・ドーラのモデルは宮崎の実母でありアニミズム的活力と結びつく
⇒慈悲深く受け入れ育てる想像の「母」とは異なる宮崎の母との個人的な結びつき
・パズーの村もラピュタも科学と自然が入り混じった状態で存在し続けるラスト
⇒科学・戦争・資本主義を象徴する父と、自然・土着・霊性を象徴する母の遺伝子と文化を
受け継いだ当然の帰結
⇒混ざり合いの肯定は自分自身を受容することに近い
・ラピュタに近づくと嵐の中にパズーの父の幻が現れる
⇒後期作品で中心的に描かれる、あの世・異界・死者という主題系の萌芽がここにある
第2章 受容と育成
⑤となりのトトロ1988~抱きとめてくれる自然=カミによる「救済」~
・代表作だが、かなりの異色作
⇒父の系列(科学・資本主義・戦争・罪)が徹底的に排除され、母の系列(自然・霊性・土着・受容)が
全開になっている
⇒宮崎の振れ幅のひとつの極で父の系列の問題からの精神的アジュールと言っていい作品
・トトロはオバケと宮崎は言ってるが、これはアニミズム的な自然信仰の「カミ」
⇒無理に頑張っていたサツキに必要なのはゆっくり休むこと
⇒雨の夜にメイを背負った孤独な場面にトトロが現れ、傘に雨が落ちることすら喜びに
⇒母がわりに頑張ってるサツキは宮崎であり少女に自己投影する傾向がここでも続いている
⇒「このままでは鬱屈し不良少女になってしまうから感情を爆発させてあげた」
・「トトロが存在すること」だけでサツキとメイは救われている
⇒日常で抱きとめてくれる自然=カミが存在することが救済なのだと、認識が移行した
⇒しかしトトロ(自然=カミ)も荒ぶれば王蟲にも台風にもなる
(トトロの廻すコマや電線を駆けるネコバスなど科学とのハイブリッドもある)
・日本と日本人を罪の意識から嫌っていた宮崎が日本に向き合った作品で、
⇒少年の自分に「こういう日本だったら好きになるのでは」と提示するつもりで作った作品
・「国家や民族を超えた単位で日本を眺める切り口が欲しかった」⇒縄文時代の研究へ
⇒「そうじゃないと僕の遭遇してきた日本は惨めでみすぼらしいものでしたから」
⇒「サツキとメイの父のモデルは藤森栄一」(縄文農耕論を立証しようとしていた)
⇒「それと母親が何度も聞かせてくれた山梨の山村の日常」
⇒「それらで日本の歴史が嫌だった自分の何かがわかった」
⇒縄文的なアニミズムの感覚⇒その象徴がトトロ
⇒戦争への国家神道と自然信仰アニミズムの分離が可能になったのかも
・縄文と照葉樹林(面白かったけど当サイトのおなじみ分野なので略)
・諏訪と宮崎駿と藤森栄一と中尾佐助「栽培植物と農耕の起源」の関係(同じく略)
⇒諏訪明神(タケミナカタ神)、蒲池明弘「火山と断層から見えた神社のはじまり」、
小海町出身の新海誠「すずめの戸締り」、中央構造線と糸静構造線が交わる諏訪上社前宮・・・
⇒科学と自然の二項対立の破壊、前衛知識人の指導より民衆の生活そのものにある価値観へ
⑥柳川掘割物語1987~民衆たちによる新しい文明への希望~
・年代は逆になるが前述の民衆への評価と大きく関係する
⇒本作を作った3つの理由(高畑の文章より)
1昔から日本人が続けていた自然を破壊しないような循環型の付き合い
⇒「昔に戻ろう」ではなく柔軟性のある新技術と工夫で都市河川を復活させる
2行政と市民の連帯
⇒市民と一緒に水路を再生した柳川市職員・広松伝に高畑が出会って感動した
⇒新しい住民運動は行政への不信がベースだが柳川では行政と市民が共闘して計画を覆し、
新しい計画を立案して実行できてしまった⇒連帯とその事実に高畑は希望を感じた
3活き活きとした子どもたち
⇒その人懐こさにも驚いた
⇒子どもたちが個室化し社会や自然や現実から(自分たちが提供している)アニメーションに
逃げ込む傾向に歯止めをかけるような仕事をしたかった
・本作は宮崎のその後の思索や作品にも大きく影響していると推測する
⇒川の神だったことを忘れクライマックスで蘇るハク、ごみ拾いなど地域活動への参加、
その重要性や現代に活かす方法という方向にシフトしていくきっかけになったのでは?
⑦魔女の宅急便1989~工業と都市生活の受容~
・トトロ以降、日常や労働や自分を受容するという主題系が宮崎に浮上する
⇒その受容には資本主義や科学までも含まれ、その対立と葛藤、二面性に引き裂かれながら
進むドラマが「もののけ姫」までの宮崎
・トトロと同じ日常生活であり父の系列は薄く、キキが女性たちに助けられる物語
⇒この女性たちがトトロや自然が果たしてきた母として機能する
・時代の変化とその受容も本作の隠れた主題
⇒トトロ的な村を離れて田舎から都市へ⇒空間的・時間的な移動
⇒本作のアニミズム活力はキキの魔法や元気だが都会で萎えていくことが主題のひとつ
・トンボは科学の側に近いが人力で飛ぼうとしている(宮崎の科学の受容ライン?)
⇒二人の関係は田舎と都会、過去と未来、魔法と科学の複雑な関係の寓話
・画家のウルスラが本作が才能についての寓話であることを開示する
⇒宮崎は田舎から出てきた専門学校生などを想定しキキを造形しており、
(ある程度は絵が描ける(魔法が使える)という才能だけで都会に出てきた若者たちへの)
先輩絵描きとしてのメッセージをウルスラに託している
・飛行船は墜落するがテレビで多くの人がキキを見守り応援し評価する
⇒テレビというテクノロジーが多くの人たちを繋いでいる
⇒テクノロジーも含め多くの人たちが見守っている、というのが本作での救済ではないか
・最後にトンボは完成した人力飛行機で、魔法で飛ぶキキと二人で空を飛んでいる
⇒魔法(自然・アニミズム・古いもの)と科学(都会・人工・新しいもの)の和解
⇒ラピュタ・ネコバス系列の主題系がここでも続いている
⑧紅の豚1992~抱きとめてくれる「救済」としての「あの世」~
・赤い豚=共産主義者かつ資本家というアイロニカルなタイトル
⇒この時期の宮崎駿の思想の反映
⇒疲れた中年が次世代を育成し救済を見いだそうとする(作品の内容も作り方も)
・トトロで幼少期、魔女で思春期と新人の頃、本作では自身の年代に近い中年男性を描き、
それを受容しようとする試みがなされたのだと考えてよい
⇒結論として前二作のような「受容の物語」は本作では展開できなかった
⇒疑似ユートピアでバカ騒ぎするポルコの暗い影と重さが強い印象を与える結果
⇒罪の主題系が色濃く復活しているが直接に向き合うことはなく贖罪と救済の物語も不発
・疑似ユートピアで一時的な救済と解放を得る、そのことを受容しようと試みたが、
それは不可能だと直視せざるを得なかったのが本作ではないか
⇒これは当時の「戦争や国際政治に背を向け疑似ユートピアに閉じこもって良いのか」という
石黒昇「メガゾーン23」や押井守「機動警察パトレイバー2」などで繰り返された問いへの
宮崎なりの取り組みなのだろう
・本作、ハウル、風立ちぬは男性が主人公で一般評価が分かれる作品
⇒父側の主題で描けば重苦しい罪や絶望の重力が作動する
⇒逆に母側の主題では爽快に飛翔し受容や解放感が表現される
⇒その両方の緊張関係こそが宮崎作品
・本作で最も印象的なのがポルコが「あの世」を見るシーン
⇒真っ青な「清浄・救済」の中に無数の死者たちが向かい、ポルコは行くことができない
⇒彼を優しく抱きとめてくれるのは「あの世」なのだが、地上の責任のため戻ってくる
⇒「千と千尋」以降「あの世・異界」を中心の主題にしていくが、その折り返し点が本作
・民族主義・民衆への失望
⇒トトロ以降、日本のアニミズムや民衆に期待し信頼しようとし、そこに救済を求めていた
⇒ところが1991年にユーゴスラビアで紛争が起こり民族主義を民衆が支持した
⇒冷戦終結⇒社会主義の否定⇒民族同士の虐殺・民族浄化へ
⇒これは異質なものが理解し合い戦争を止める「ナウシカ」のビジョンとは正反対だった
⇒つくづく人間は複雑で愚かと思い知り、その答えとして本作を描いた
⇒宮崎はこれ以降、自他の愚かさを受容していく(努力をする)ようになる
(その受容はかならずしも肯定ではないという不思議な捻じれを本作以降は孕む)
・日本だけでなく人類全体の愚かさの連鎖が続くこと自体への受容の試みの本格的な展開は
漫画版「ナウシカ」で行われることになる・・・
⑨平成狸合戦ぽんぽこ1994~現代への敗北と受容~
・高畑作品だが「次世代・変化の受容」というこの時期の宮崎の主題系にとって重要な作品
⇒古いものや自然を守ろうとして敗北し、現代的な生活や開発や資本主義を受け入れて
生きざるを得ないこと、それを苦々しく受容しようとする物語
・狸の化学(ばけがく)は高畑アニメーション⇒消費されるエンターテインメントに過ぎない
⇒ジブリに対する高畑のアイロニーでありニヒリズムで高畑の受容の物語
・この後に高畑は「となりの山田くん」や「かぐや姫」などの方向へ、宮崎は逆にアイロニーや
シニシズムを拒否し、積極的に生きる者、現状などを受容する努力の方向へ向かう
⑩耳をすませば1995
~(カントリーロードではなく)コンクリートロードの肯定~
・監督は近藤喜文だが力の入れようから宮崎作品と考えていい
・ぽんぽこ狸の後にニュータウンに移り住んできた者たちの映画
(オープニングも似たカットで作品の連続性を感じさせる)
・少年はバイオリン作り、少女は創作に活力を発揮する
⇒図書館やアンティークなど様々な文化が自然に代わって少年少女を励ます
⇒自然ではなく人間の創造性にアニミズム的な活力や純粋さ=清浄さを見出すことで、
科学・近代・開発・資本主義を受容=肯定しようとする努力
・「もののけ姫と本作は同じ基盤で本作で触れなかった部分がもののけ姫の中にある」
⑪漫画版「風の谷のナウシカ」1982~1994
漫画版の要点は
・腐海は世界の汚染を浄化しており腐海の奥こそが「青き清浄の地」と呼ばれること
・ナウシカが擬人的な巨神兵の「母」になること
・科学技術が眠っている「墓所」が存在すること
・腐海や蟲たちが科学技術によって作られたものであることを知ること
・腐海の外の人類を含む動植物は浄化された世界では生きられないこと
⇒カントリーロード=トトロ的世界=浄化された世界
⇒コンクリートロード=ニュータウン的な現代社会=汚染された世界のメタファ
⇒(現代の)新しい人間たちは浄化された世界では生きられない
⇒ナウシカは悩み、苦しみや悲しみや死も受け入れ汚濁と共に生きていくことを選ぶ
⇒現に生きている「次世代」をナウシカ=宮崎は選ぶのである
・ナウシカと母(略)
・人類史的悲劇の受容
⇒トトロや魔女の宅急便での自己受容は戦争や資本主義や科学の問題を否認したところに存在した
⇒紅の豚はそれを否認しようと努力するが成功しない物語
⇒漫画版ナウシカはそのような愚考すら肯定し受容しようとする心理的な努力
⇒歴史へのペシミズムをどう乗り越えるか⇒そこにこそ宮崎のアニミズムがある
⇒人類の愚考も含めた生命のあり方そのものを受容し信じようとする宮崎アニミズム
・母のニヒリズム(略)
手塚治虫のニヒリズム、ぽんぽこの高畑のニヒリズム・シニシズム、変節への共感・・・
・後に宮崎は「安っぽいニヒリズム」と「生命根源への問いに発している深いニヒリズム」を
分けて述べるが宮崎アニミズムは後者で漫画版ナウシカで到達し、もののけ姫で全面展開する
⑫もののけ姫1997~善悪と二項対立を超えて~
・ナウシカ1984のリメイク的な側面があり漫画版ナウシカ1994の主題系が展開された作品
⇒ナウシカ=サンとクシャナ=エボシ御前の対立が主軸の物語だが違いもある
⇒ナウシカ1984での二項対立や理想といった逃げ道がなくなっている
⇒その怒りと憎悪のコントロールをしたのがアシタカ⇒水俣病の加害者と被害者と緒方正人
・登場人物は貴族・侍・農民ではなく蝦夷・白拍子・ハンセン病患者
⇒網野善彦史観であり黒澤明作品「七人の侍」への異議申し立て
・漫画版ナウシカの結末部で得られた認識の延長線上にある作品
⇒サンにもエボシ御前にも過酷な過去と現状があり、どちらの陣営も一枚岩ではない
・冷戦崩壊後のユーゴスラビアの憎悪の応酬の果ての大破壊
⇒自分をコントロールしなければならないという子どもたちへのメッセージ
・人類の矛盾と葛藤と拮抗を肯定せざるを得ないという達観と諦念の境地
⇒それがこの時期の宮崎アニミズム
⇒伊勢的な清浄を求める神道や、穢れや殺生を嫌う仏教とは異なる、諏訪的な信仰の影響
⇒愚かな人類や生命を丸ごと受容するような境地のアニミズム
・映画の結末で木々や神々や動物はいなくなる
⇒かつての信仰や文化を失い近代化した状況の隠喩
⇒だが一匹のコダマが残り新しい植物の芽が生える
⇒縄文の自然ではなく人工的に再生した関東近郊の自然⇒それを受容し癒される宮崎
⇒宮崎が「耳をすませば」と「もののけ姫」は対になる作品と言ってるのはそういうこと
・「サンは森で私はタタラ場で暮らそう、共に生きよう」
⇒矛盾や葛藤をそのままにしておくことが本作の落としどころ
⇒全面的な受容や融合ではなく殲滅し合うことなく異質性を保ちながら共存していこうとする
・理想も完璧な正も、排除すれば解決する悪も、存在しない世界で生きることを肯定すべき
⇒だからコントロールし理解し共感し許さなければならない
⇒これが21世紀をどう生きるかに対する宮崎の答え
「もう告発は済んだのです、後は日常生活の中で自分が何をするかを考える時です」
「ただの批判では何も生まれてこないから新しい感覚を作り出すことを考えるべきと思ってます」
・・・・・
以下、第3章以降のメモは次回記事に続きます

宮崎駿の「罪」と「祈り」~アニミズムで読み解くジブリ作品史~
・・・読書メモの前半であります
(長いメモなので前半と後半に分けました)
奥付

2025年6月30日の発行ですから「君たちはどう生きるか」公開後の著作になり、
おそらく現時点でも全ての宮崎駿作品を前提とした最新の論評でしょう
著者紹介がなかったので、ご存知ない方はこちら(ウィキ)をご覧くださいね
著者は筒井康隆作品に関する論文で博士号を取得されてるんですね
目次

まえがきより
・本書では宮崎駿の科学、戦争、資本主義などが複雑に結びついた主題系を「父の系列」とする
⇒彼のアニミズムはこの系列における罪との関係の中に存在している浄化であり希望
・宮崎作品で母はアニミズム的、民俗的、神秘的、精神的な救いと結びつけられる傾向がある
⇒そこには解放感、自由さ、救済感、祝福感がある⇒これを「母の系列」とする
⇒多くの観客に愛されているのは「母の系列」の性質を強くしている作品群
(トトロ、魔女の宅急便、千と千尋、ポニョ、君たちはどう生きるか・・・)
・本書では「宮崎駿のアニミズム」を「父の系列」と、その罪悪感や絶望感からの救済や
解放を志向するベクトルとしての「母の系列=アニミズム」の相克として描く
⇒その本格化は漫画版「ナウシカ」完結後だが、「ラピュタ」ぐらいからアニミズム=自然が善く、
人工=科学が悪いという二項対立を排し、どちらにもどちらの面もあるという二面性を複雑に
織り込むように変化してきている
⇒その対立と葛藤のドラマを本書では詳述していく
・「宮崎駿のアニミズム」の発展史として作品群を貫く思想を見ようとし、アニミズムを
「父の罪」との交互作用において読み解く作家論
⇒「君たちはどう生きるか」という最新長編を踏まえた一貫した視座での作家理解
・子供向きアニメーションにどのような寓意や象徴、想いが込められているのか
⇒きちんと知ると驚くことになる
⇒本書でその驚きと感動を伝えることができれば・・・
・・・・・
ええ、確かに作品に込められた寓意や象徴、想いを知ることの驚きと感動がありました
以前も書きましたが宮崎作品には何階層もの楽しみ方があるのが特徴ですね
以下もてきとーメモですが脳内整理のため勝手に作品番号を付けました
さらに宮崎駿本人の言葉には「」を付けたつもりです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば記事を非公開設定にします)
第1章 科学と自然
①未来少年コナン1978~コナンに託した生命力~
・作り手の心理で物語が作られ緻密なハリウッド作品と比較すれば作り方もアニミズム的
・文明崩壊後に自然が回復した場所だからこそ生まれた野生児がコナン
⇒コナン自体に野生・自然が宿っており、それは日本的な自然の回復力アニミズムの価値観
・戦後の逆境から立ち直る力、資本主義と科学の物質文明を再点検する外部の存在
⇒それが初期作品では少女ではなく少年に託されている
・インダストリアの否定⇒教条主義、全体主義、独裁現実のソビエトとの決別
・ラナもシータもクラリスも過去を背負わされた暗く陰りのあるヒロイン
⇒そこに活き活きと動くルパンやコナンたちが現れ、彼女たちを変え、浄化する物語が
初期作品では繰り返される
⇒よく言われるロリコンではなく少年も少女も宮崎の自己投影ではないか
⇒この両性具有性も繰り返される
②ルパン三世カリオストロの城1979
~学生運動的な活力を体現するキャラクターとしてのルパン~
・70年安保を境に「シラケ世代」になったルパンの性格を宮崎と高畑は払拭したかった
・カリオストロ家にもルパンにも峰不二子にも宮崎自身にも光と影の二面性がある
・シーズン2第145話「死の翼アルバトロス」のエロティシズムとラディカリズム
(以後は抑制され純粋な想いと信頼が強調されるが動画や主題の官能性の中に潜在する?)
・シーズン2第155話(最終話)「さらば愛しきルパンよ」の科学と贖罪という主題
(軍需によるリッチな生活への贖罪⇒共産主義へ⇒その弾圧や虐殺を知った衝撃と幻滅と後悔)
③風の谷のナウシカ1984~冷戦・全面戦争の寓話~
・様々な現代社会に対する寓話
⇒自然と暮らす風の谷が科学強国トルメキアに支配され巨神兵の復活に従事させられる
⇒アメリカの「アトムズ・フォー・ピース」を受けた日本の原子力政策の寓話とも
⇒「ナウシカの戦争モデルはロシア人だけで2千万人が死んだ独ソ戦」
・ナウシカは科学と自然の両方の要素を持っており最初は暗い影が少なくコナンに近い存在
⇒原作では大量破壊兵器の罪を背負いそれを食い止めようとする暗く儚げなラステルから
巨神兵の秘石を託され、その運命が変わる⇒ここから作品は動き出す
⇒クシャナは科学を戦争に利用しようとしている⇒どちらも両性具有的な存在
⇒ラステルの兄アスベルはコナンやルパンのような生命力=アニミズムの象徴ではない
⇒アニミズムはナウシカと蟲によって描かれ、その凶暴な側面も剝き出しになる
・ナウシカは罪を背負い贖罪しようとする少女とも男勝りに権力や科学を使う女性とも違う
⇒純粋に共感し助けようとする⇒蟲への愛
⇒「ナウシカはアニミズムに支配されている」
⇒ホルス・コナン・ルパンの少年的アニミズムから母性アニミズムに変化した?
⇒「ナウシカを作るきっかけは水俣湾が水銀で汚染され数年後に魚と牡蠣が戻ってきたこと」
・水俣病、核兵器、独ソ戦、冷戦・・・この困難な世界の寓話として機能する作品であり、
それらの悲劇を克服する方向の精神性を求めた祈りの作品でもある
⇒日本的なアニミズムに可能性を見いだすのは本人が言う通り民族主義的かも
⇒資本主義や科学を投げ捨て、自然と共存していたかつての日本の心を取り戻せば、
公害も戦争も解決するのか?
⇒この葛藤を含みながら宮崎作品は思想的に変遷していく・・・
④天空の城ラピュタ1986~科学と自然の二項対立の否定~
・落下が本作のモチーフであり、科学の二面性こそが本作の主題
⇒パズーの生命力はコナンやルパンほどではなく、無邪気さや楽天性を捨て、
科学の深刻な問題を理解し、シータとともに命を懸けて贖罪するように変化する
⇒活力アニミズムに近いのはドーラたちだが彼らも自然と科学の混ざった造形
・ドーラのモデルは宮崎の実母でありアニミズム的活力と結びつく
⇒慈悲深く受け入れ育てる想像の「母」とは異なる宮崎の母との個人的な結びつき
・パズーの村もラピュタも科学と自然が入り混じった状態で存在し続けるラスト
⇒科学・戦争・資本主義を象徴する父と、自然・土着・霊性を象徴する母の遺伝子と文化を
受け継いだ当然の帰結
⇒混ざり合いの肯定は自分自身を受容することに近い
・ラピュタに近づくと嵐の中にパズーの父の幻が現れる
⇒後期作品で中心的に描かれる、あの世・異界・死者という主題系の萌芽がここにある
第2章 受容と育成
⑤となりのトトロ1988~抱きとめてくれる自然=カミによる「救済」~
・代表作だが、かなりの異色作
⇒父の系列(科学・資本主義・戦争・罪)が徹底的に排除され、母の系列(自然・霊性・土着・受容)が
全開になっている
⇒宮崎の振れ幅のひとつの極で父の系列の問題からの精神的アジュールと言っていい作品
・トトロはオバケと宮崎は言ってるが、これはアニミズム的な自然信仰の「カミ」
⇒無理に頑張っていたサツキに必要なのはゆっくり休むこと
⇒雨の夜にメイを背負った孤独な場面にトトロが現れ、傘に雨が落ちることすら喜びに
⇒母がわりに頑張ってるサツキは宮崎であり少女に自己投影する傾向がここでも続いている
⇒「このままでは鬱屈し不良少女になってしまうから感情を爆発させてあげた」
・「トトロが存在すること」だけでサツキとメイは救われている
⇒日常で抱きとめてくれる自然=カミが存在することが救済なのだと、認識が移行した
⇒しかしトトロ(自然=カミ)も荒ぶれば王蟲にも台風にもなる
(トトロの廻すコマや電線を駆けるネコバスなど科学とのハイブリッドもある)
・日本と日本人を罪の意識から嫌っていた宮崎が日本に向き合った作品で、
⇒少年の自分に「こういう日本だったら好きになるのでは」と提示するつもりで作った作品
・「国家や民族を超えた単位で日本を眺める切り口が欲しかった」⇒縄文時代の研究へ
⇒「そうじゃないと僕の遭遇してきた日本は惨めでみすぼらしいものでしたから」
⇒「サツキとメイの父のモデルは藤森栄一」(縄文農耕論を立証しようとしていた)
⇒「それと母親が何度も聞かせてくれた山梨の山村の日常」
⇒「それらで日本の歴史が嫌だった自分の何かがわかった」
⇒縄文的なアニミズムの感覚⇒その象徴がトトロ
⇒戦争への国家神道と自然信仰アニミズムの分離が可能になったのかも
・縄文と照葉樹林(面白かったけど当サイトのおなじみ分野なので略)
・諏訪と宮崎駿と藤森栄一と中尾佐助「栽培植物と農耕の起源」の関係(同じく略)
⇒諏訪明神(タケミナカタ神)、蒲池明弘「火山と断層から見えた神社のはじまり」、
小海町出身の新海誠「すずめの戸締り」、中央構造線と糸静構造線が交わる諏訪上社前宮・・・
⇒科学と自然の二項対立の破壊、前衛知識人の指導より民衆の生活そのものにある価値観へ
⑥柳川掘割物語1987~民衆たちによる新しい文明への希望~
・年代は逆になるが前述の民衆への評価と大きく関係する
⇒本作を作った3つの理由(高畑の文章より)
1昔から日本人が続けていた自然を破壊しないような循環型の付き合い
⇒「昔に戻ろう」ではなく柔軟性のある新技術と工夫で都市河川を復活させる
2行政と市民の連帯
⇒市民と一緒に水路を再生した柳川市職員・広松伝に高畑が出会って感動した
⇒新しい住民運動は行政への不信がベースだが柳川では行政と市民が共闘して計画を覆し、
新しい計画を立案して実行できてしまった⇒連帯とその事実に高畑は希望を感じた
3活き活きとした子どもたち
⇒その人懐こさにも驚いた
⇒子どもたちが個室化し社会や自然や現実から(自分たちが提供している)アニメーションに
逃げ込む傾向に歯止めをかけるような仕事をしたかった
・本作は宮崎のその後の思索や作品にも大きく影響していると推測する
⇒川の神だったことを忘れクライマックスで蘇るハク、ごみ拾いなど地域活動への参加、
その重要性や現代に活かす方法という方向にシフトしていくきっかけになったのでは?
⑦魔女の宅急便1989~工業と都市生活の受容~
・トトロ以降、日常や労働や自分を受容するという主題系が宮崎に浮上する
⇒その受容には資本主義や科学までも含まれ、その対立と葛藤、二面性に引き裂かれながら
進むドラマが「もののけ姫」までの宮崎
・トトロと同じ日常生活であり父の系列は薄く、キキが女性たちに助けられる物語
⇒この女性たちがトトロや自然が果たしてきた母として機能する
・時代の変化とその受容も本作の隠れた主題
⇒トトロ的な村を離れて田舎から都市へ⇒空間的・時間的な移動
⇒本作のアニミズム活力はキキの魔法や元気だが都会で萎えていくことが主題のひとつ
・トンボは科学の側に近いが人力で飛ぼうとしている(宮崎の科学の受容ライン?)
⇒二人の関係は田舎と都会、過去と未来、魔法と科学の複雑な関係の寓話
・画家のウルスラが本作が才能についての寓話であることを開示する
⇒宮崎は田舎から出てきた専門学校生などを想定しキキを造形しており、
(ある程度は絵が描ける(魔法が使える)という才能だけで都会に出てきた若者たちへの)
先輩絵描きとしてのメッセージをウルスラに託している
・飛行船は墜落するがテレビで多くの人がキキを見守り応援し評価する
⇒テレビというテクノロジーが多くの人たちを繋いでいる
⇒テクノロジーも含め多くの人たちが見守っている、というのが本作での救済ではないか
・最後にトンボは完成した人力飛行機で、魔法で飛ぶキキと二人で空を飛んでいる
⇒魔法(自然・アニミズム・古いもの)と科学(都会・人工・新しいもの)の和解
⇒ラピュタ・ネコバス系列の主題系がここでも続いている
⑧紅の豚1992~抱きとめてくれる「救済」としての「あの世」~
・赤い豚=共産主義者かつ資本家というアイロニカルなタイトル
⇒この時期の宮崎駿の思想の反映
⇒疲れた中年が次世代を育成し救済を見いだそうとする(作品の内容も作り方も)
・トトロで幼少期、魔女で思春期と新人の頃、本作では自身の年代に近い中年男性を描き、
それを受容しようとする試みがなされたのだと考えてよい
⇒結論として前二作のような「受容の物語」は本作では展開できなかった
⇒疑似ユートピアでバカ騒ぎするポルコの暗い影と重さが強い印象を与える結果
⇒罪の主題系が色濃く復活しているが直接に向き合うことはなく贖罪と救済の物語も不発
・疑似ユートピアで一時的な救済と解放を得る、そのことを受容しようと試みたが、
それは不可能だと直視せざるを得なかったのが本作ではないか
⇒これは当時の「戦争や国際政治に背を向け疑似ユートピアに閉じこもって良いのか」という
石黒昇「メガゾーン23」や押井守「機動警察パトレイバー2」などで繰り返された問いへの
宮崎なりの取り組みなのだろう
・本作、ハウル、風立ちぬは男性が主人公で一般評価が分かれる作品
⇒父側の主題で描けば重苦しい罪や絶望の重力が作動する
⇒逆に母側の主題では爽快に飛翔し受容や解放感が表現される
⇒その両方の緊張関係こそが宮崎作品
・本作で最も印象的なのがポルコが「あの世」を見るシーン
⇒真っ青な「清浄・救済」の中に無数の死者たちが向かい、ポルコは行くことができない
⇒彼を優しく抱きとめてくれるのは「あの世」なのだが、地上の責任のため戻ってくる
⇒「千と千尋」以降「あの世・異界」を中心の主題にしていくが、その折り返し点が本作
・民族主義・民衆への失望
⇒トトロ以降、日本のアニミズムや民衆に期待し信頼しようとし、そこに救済を求めていた
⇒ところが1991年にユーゴスラビアで紛争が起こり民族主義を民衆が支持した
⇒冷戦終結⇒社会主義の否定⇒民族同士の虐殺・民族浄化へ
⇒これは異質なものが理解し合い戦争を止める「ナウシカ」のビジョンとは正反対だった
⇒つくづく人間は複雑で愚かと思い知り、その答えとして本作を描いた
⇒宮崎はこれ以降、自他の愚かさを受容していく(努力をする)ようになる
(その受容はかならずしも肯定ではないという不思議な捻じれを本作以降は孕む)
・日本だけでなく人類全体の愚かさの連鎖が続くこと自体への受容の試みの本格的な展開は
漫画版「ナウシカ」で行われることになる・・・
⑨平成狸合戦ぽんぽこ1994~現代への敗北と受容~
・高畑作品だが「次世代・変化の受容」というこの時期の宮崎の主題系にとって重要な作品
⇒古いものや自然を守ろうとして敗北し、現代的な生活や開発や資本主義を受け入れて
生きざるを得ないこと、それを苦々しく受容しようとする物語
・狸の化学(ばけがく)は高畑アニメーション⇒消費されるエンターテインメントに過ぎない
⇒ジブリに対する高畑のアイロニーでありニヒリズムで高畑の受容の物語
・この後に高畑は「となりの山田くん」や「かぐや姫」などの方向へ、宮崎は逆にアイロニーや
シニシズムを拒否し、積極的に生きる者、現状などを受容する努力の方向へ向かう
⑩耳をすませば1995
~(カントリーロードではなく)コンクリートロードの肯定~
・監督は近藤喜文だが力の入れようから宮崎作品と考えていい
・ぽんぽこ狸の後にニュータウンに移り住んできた者たちの映画
(オープニングも似たカットで作品の連続性を感じさせる)
・少年はバイオリン作り、少女は創作に活力を発揮する
⇒図書館やアンティークなど様々な文化が自然に代わって少年少女を励ます
⇒自然ではなく人間の創造性にアニミズム的な活力や純粋さ=清浄さを見出すことで、
科学・近代・開発・資本主義を受容=肯定しようとする努力
・「もののけ姫と本作は同じ基盤で本作で触れなかった部分がもののけ姫の中にある」
⑪漫画版「風の谷のナウシカ」1982~1994
漫画版の要点は
・腐海は世界の汚染を浄化しており腐海の奥こそが「青き清浄の地」と呼ばれること
・ナウシカが擬人的な巨神兵の「母」になること
・科学技術が眠っている「墓所」が存在すること
・腐海や蟲たちが科学技術によって作られたものであることを知ること
・腐海の外の人類を含む動植物は浄化された世界では生きられないこと
⇒カントリーロード=トトロ的世界=浄化された世界
⇒コンクリートロード=ニュータウン的な現代社会=汚染された世界のメタファ
⇒(現代の)新しい人間たちは浄化された世界では生きられない
⇒ナウシカは悩み、苦しみや悲しみや死も受け入れ汚濁と共に生きていくことを選ぶ
⇒現に生きている「次世代」をナウシカ=宮崎は選ぶのである
・ナウシカと母(略)
・人類史的悲劇の受容
⇒トトロや魔女の宅急便での自己受容は戦争や資本主義や科学の問題を否認したところに存在した
⇒紅の豚はそれを否認しようと努力するが成功しない物語
⇒漫画版ナウシカはそのような愚考すら肯定し受容しようとする心理的な努力
⇒歴史へのペシミズムをどう乗り越えるか⇒そこにこそ宮崎のアニミズムがある
⇒人類の愚考も含めた生命のあり方そのものを受容し信じようとする宮崎アニミズム
・母のニヒリズム(略)
手塚治虫のニヒリズム、ぽんぽこの高畑のニヒリズム・シニシズム、変節への共感・・・
・後に宮崎は「安っぽいニヒリズム」と「生命根源への問いに発している深いニヒリズム」を
分けて述べるが宮崎アニミズムは後者で漫画版ナウシカで到達し、もののけ姫で全面展開する
⑫もののけ姫1997~善悪と二項対立を超えて~
・ナウシカ1984のリメイク的な側面があり漫画版ナウシカ1994の主題系が展開された作品
⇒ナウシカ=サンとクシャナ=エボシ御前の対立が主軸の物語だが違いもある
⇒ナウシカ1984での二項対立や理想といった逃げ道がなくなっている
⇒その怒りと憎悪のコントロールをしたのがアシタカ⇒水俣病の加害者と被害者と緒方正人
・登場人物は貴族・侍・農民ではなく蝦夷・白拍子・ハンセン病患者
⇒網野善彦史観であり黒澤明作品「七人の侍」への異議申し立て
・漫画版ナウシカの結末部で得られた認識の延長線上にある作品
⇒サンにもエボシ御前にも過酷な過去と現状があり、どちらの陣営も一枚岩ではない
・冷戦崩壊後のユーゴスラビアの憎悪の応酬の果ての大破壊
⇒自分をコントロールしなければならないという子どもたちへのメッセージ
・人類の矛盾と葛藤と拮抗を肯定せざるを得ないという達観と諦念の境地
⇒それがこの時期の宮崎アニミズム
⇒伊勢的な清浄を求める神道や、穢れや殺生を嫌う仏教とは異なる、諏訪的な信仰の影響
⇒愚かな人類や生命を丸ごと受容するような境地のアニミズム
・映画の結末で木々や神々や動物はいなくなる
⇒かつての信仰や文化を失い近代化した状況の隠喩
⇒だが一匹のコダマが残り新しい植物の芽が生える
⇒縄文の自然ではなく人工的に再生した関東近郊の自然⇒それを受容し癒される宮崎
⇒宮崎が「耳をすませば」と「もののけ姫」は対になる作品と言ってるのはそういうこと
・「サンは森で私はタタラ場で暮らそう、共に生きよう」
⇒矛盾や葛藤をそのままにしておくことが本作の落としどころ
⇒全面的な受容や融合ではなく殲滅し合うことなく異質性を保ちながら共存していこうとする
・理想も完璧な正も、排除すれば解決する悪も、存在しない世界で生きることを肯定すべき
⇒だからコントロールし理解し共感し許さなければならない
⇒これが21世紀をどう生きるかに対する宮崎の答え
「もう告発は済んだのです、後は日常生活の中で自分が何をするかを考える時です」
「ただの批判では何も生まれてこないから新しい感覚を作り出すことを考えるべきと思ってます」
・・・・・
以下、第3章以降のメモは次回記事に続きます
