2026年03月15日
パールハーバー3戦艦ミズーリ
(ホノルル記事の続きです 連載をはじめからご覧になるにはこちらのカテゴリから)
パールハーバー・ビジターセンターからクルマでフォード島に渡り・・・

もと海軍航空隊の飛行場にある管制塔を過ぎ・・・

戦艦オクラホマ記念施設の前まで行くと・・・


戦艦ミズーリ記念館のエントランスがあるのですが・・・

有名なミズーリ艦上での降伏文書調印シーンなどのプレートと、

こちらも有名なニミッツ提督像とその名言のプレート・・・
と、ともに・・・

日本海海戦で有名になった東郷提督と戦艦三笠のプレートが並んでました
ガイドのフカダさんによると・・・
・ニミッツ提督は若い頃から東郷平八郎の書物を読んで心酔し会いたいと考えていた
⇒海軍の日本訪問の際には最年少の海軍少尉だったが付き人として何とか参加できた
⇒歓迎レセプションで上官らが東郷提督から話を聞きたい旨を伝令として伝えに行った
⇒その際に個人的に自分を指導してほしいと東郷に申し出た
⇒最年少の少尉の申し出に驚いた東郷はそれ以来ニミッツと親しく文通し丁寧に指導した
⇒ニミッツは生涯その恩を忘れず東郷を最も敬愛していた
・なので東郷のプレートがニミッツ像と並んでいるのだが、
⇒もし日本占領が陸軍のマッカーサーではなく海軍のニミッツによって行われていたら、
戦後日本の体制は大きく異なっていたかも知れない
⇒戦後の戦艦三笠の保存運動にもニミッツは個人で莫大な資金援助をしている・・・などなど
で、エントランスでは記念写真が撮られ、出る頃にはプリントされ販売されてるのですが、
これが結構なお値段・・・
でも、これには無料サービスのデータ提供があるとフカダさんから教えてもらいました
(潜水艦アトランティスのツアーも同じ仕組みでしたが、あちらでは孫たちに購入してました
)
ま、せっかくの無料サービスなので・・・




無料ダウンロードできたのは社名入りでしたが、まあ、よくできてますね・・・
ついでにわたくしのカメラで撮ってもらった1枚も・・・

こちらは加工なしです
(3/26追記です)
戦艦ミズーリといえば映画「バトルシップ」での出撃シーンが忘れられません
オハナシ自体はSF好きからすれば???でしたが、ともかく戦闘シーンがよくできてました
ハワイ沖に着水したエイリアン母船のシールド内で合同訓練中だった米海軍の駆逐艦2隻と
海上自衛隊の護衛艦1隻がエイリアンとの激戦で全滅、生き残った護衛艦の艦長(浅野忠信)が、
「もう戦えるフネはないぞ」
艦長以下の上官が全員戦死し、最先任士官となった米海軍の主人公が、
「いや、ここオアフ島にはもう1隻ある、しかも戦艦だ・・・」
と、駆逐艦・護衛艦の生き残りとともに、この戦艦ミズーリへ!!!
たまたま記念式典で???ミズーリ艦内に残っていた退役古参兵たちに、
「あなた方はもう充分、国に尽くされましたが、もうひと働きをお願いしたい」
「何をしてほしい?」
「このフネを借りたい」
と、全員で固定鎖や自動販売機などを外し蒸気タービンに火を入れて・・・出撃!!!
見学用のタラップが外れ「記念艦ミズーリ」の横断幕が千切れて・・・全速前進!!!
わたくし、このあたりのシーンに一番うるうるしてたのを思い出しました
(追記ここまで)
つーことで、いよいよ艦内へ・・・




こちら恋人ではなく艦を下りて最初に出会った女性だそうで実話がモデルとか・・・

40センチ(16インチ)主砲の砲弾
おなじみ50口径(12.7mm)ブローニング

やはり甲板に上がれば相当な高さですね ブリッジまではとてもとても・・・
こちらでも別の日本語ガイドが案内してくれます

で、この修理中の1番砲塔にあるマーキング

最後の実戦参加となった湾岸戦争での砲撃目標2都市と発射弾数289発を表しているそうです
で、こちらが有名な2番砲塔右舷の甲板・・・

そう、


1945年9月2日に連合国代表と日本代表で降伏文書が交わされた甲板であります
こちらが、


当日調印テーブルが置かれていた位置
降伏文書の複製も展示されてました

ちなみに日本代表のうち礼服にシルクハット姿の文官は三人のみであとは軍人、
文官は当時の外務省の大臣・長官・部長の3名だったのですが・・・

この有名な名言を残した人物が、唯一人、小脇に書類鞄を抱えている・・・


27.内閣情報部第三部長の加瀬俊一氏であります
リンク記事のとおり開戦と終戦をアメリカに発した外交官で歴代首相外相の右腕として活躍、
色恋も遊びも国際的で海外での優雅な暮らしぶりや情報を巡る熾烈な戦いは007そのもの、
当時としても稀有な外交官で、戦争がなければ少なくとも外務大臣にはなっていたとされる、
今では考えられないスケールの官僚で、わたくしにとって興味深い人物です
閑話休題
日本語ガイドの説明によると日本側代表の重光外相が脚が不自由なのを知ったアメリカ側が、
彼がここへのタラップを上れるか、水兵の脚を固定して何度も確かめていたそうです
以下、艦内をさくさくっと

艦長室

さすがに豪華です

3番砲塔へ

こちらは湾岸戦争で209発を撃ってますね
3番砲塔は内部を覗き見ることができます

砲塔内といっても巨大で何室にも分かれてますね
ちなみに主砲の一斉射撃(斉射)の際は・・・


必ず舷側に向けて行うそうで、さもないと甲板が火の海に・・・
片側に斉射しても艦が傾かないよう工夫されてるとのことでした
で、艦尾に近い右舷のこの部分が・・・



神風特別攻撃隊の零式艦上戦闘機が体当たりした箇所であります
その決定的瞬間を捉えたこの写真はジオラマにもなってますね
抱えていた爆弾は爆発せず特攻機の右翼が40ミリ機関砲の銃身に突き刺さったようで、

体当たりの痕跡が今も微かに残っています
ガイドのフカダさんによれば・・・
・当時の艦長が同じ兵士だからと特攻機搭乗員の遺体を正式に水葬するように命じた
⇒当初は嫌がっていた乗組員が徹夜で手縫いの海軍旗(旭日旗)を作って遺体に被せ水葬した
⇒それ以降、手縫いの海軍旗(旭日旗)は別の艦でも何度も使われた
とのことで、これも知りませんでしたがニミッツ提督の名言と同じ精神ですね
ちょうど上空を特攻機ではなく友軍機が飛んでました

あらためて両軍の犠牲者に合掌
以下、居住区を中心にさくさくっと・・・






じゅるじゅる




士官クラブ???





まさにメモリアルですね・・・
艦尾の甲板は降伏調印が行われた2番砲塔右舷と同じように大きな固定タープで覆われ、
海軍関係者以外にも各種イベントやパーティや結婚式などにも使われているそうですが、
艦首側にあるアリゾナ追悼施設からは最も離れており、騒ぎがしさが伝わらないよう
配慮されているとのことでした
と、時間制限と3年前の落車骨折による歩行困難でブリッジはじめ多くを見逃しましたが、
駆け足でエントランスまで戻ってきて・・・

隣にあるミュージアムショップへ駆け込み



僅かな時間でお安い自分への土産物を物色して、家内に電子決済してもらいました
で、ギリギリ集合時間には間に合い、クルマで基地内の広大な居住区を抜け・・・

次の目的地、もと海軍航空隊基地にある航空博物館へ向かいます
(次号に続きます)
パールハーバー・ビジターセンターからクルマでフォード島に渡り・・・

もと海軍航空隊の飛行場にある管制塔を過ぎ・・・

戦艦オクラホマ記念施設の前まで行くと・・・


戦艦ミズーリ記念館のエントランスがあるのですが・・・

有名なミズーリ艦上での降伏文書調印シーンなどのプレートと、

こちらも有名なニミッツ提督像とその名言のプレート・・・
と、ともに・・・

日本海海戦で有名になった東郷提督と戦艦三笠のプレートが並んでました
ガイドのフカダさんによると・・・
・ニミッツ提督は若い頃から東郷平八郎の書物を読んで心酔し会いたいと考えていた
⇒海軍の日本訪問の際には最年少の海軍少尉だったが付き人として何とか参加できた
⇒歓迎レセプションで上官らが東郷提督から話を聞きたい旨を伝令として伝えに行った
⇒その際に個人的に自分を指導してほしいと東郷に申し出た
⇒最年少の少尉の申し出に驚いた東郷はそれ以来ニミッツと親しく文通し丁寧に指導した
⇒ニミッツは生涯その恩を忘れず東郷を最も敬愛していた
・なので東郷のプレートがニミッツ像と並んでいるのだが、
⇒もし日本占領が陸軍のマッカーサーではなく海軍のニミッツによって行われていたら、
戦後日本の体制は大きく異なっていたかも知れない
⇒戦後の戦艦三笠の保存運動にもニミッツは個人で莫大な資金援助をしている・・・などなど
で、エントランスでは記念写真が撮られ、出る頃にはプリントされ販売されてるのですが、
これが結構なお値段・・・
でも、これには無料サービスのデータ提供があるとフカダさんから教えてもらいました
(潜水艦アトランティスのツアーも同じ仕組みでしたが、あちらでは孫たちに購入してました
)ま、せっかくの無料サービスなので・・・




無料ダウンロードできたのは社名入りでしたが、まあ、よくできてますね・・・
ついでにわたくしのカメラで撮ってもらった1枚も・・・

こちらは加工なしです

(3/26追記です)
戦艦ミズーリといえば映画「バトルシップ」での出撃シーンが忘れられません
オハナシ自体はSF好きからすれば???でしたが、ともかく戦闘シーンがよくできてました
ハワイ沖に着水したエイリアン母船のシールド内で合同訓練中だった米海軍の駆逐艦2隻と
海上自衛隊の護衛艦1隻がエイリアンとの激戦で全滅、生き残った護衛艦の艦長(浅野忠信)が、
「もう戦えるフネはないぞ」
艦長以下の上官が全員戦死し、最先任士官となった米海軍の主人公が、
「いや、ここオアフ島にはもう1隻ある、しかも戦艦だ・・・」
と、駆逐艦・護衛艦の生き残りとともに、この戦艦ミズーリへ!!!
たまたま記念式典で???ミズーリ艦内に残っていた退役古参兵たちに、
「あなた方はもう充分、国に尽くされましたが、もうひと働きをお願いしたい」
「何をしてほしい?」
「このフネを借りたい」
と、全員で固定鎖や自動販売機などを外し蒸気タービンに火を入れて・・・出撃!!!
見学用のタラップが外れ「記念艦ミズーリ」の横断幕が千切れて・・・全速前進!!!
わたくし、このあたりのシーンに一番うるうるしてたのを思い出しました
(追記ここまで)
つーことで、いよいよ艦内へ・・・




こちら恋人ではなく艦を下りて最初に出会った女性だそうで実話がモデルとか・・・


40センチ(16インチ)主砲の砲弾
おなじみ50口径(12.7mm)ブローニング

やはり甲板に上がれば相当な高さですね ブリッジまではとてもとても・・・

こちらでも別の日本語ガイドが案内してくれます

で、この修理中の1番砲塔にあるマーキング

最後の実戦参加となった湾岸戦争での砲撃目標2都市と発射弾数289発を表しているそうです
で、こちらが有名な2番砲塔右舷の甲板・・・

そう、


1945年9月2日に連合国代表と日本代表で降伏文書が交わされた甲板であります
こちらが、


当日調印テーブルが置かれていた位置
降伏文書の複製も展示されてました

ちなみに日本代表のうち礼服にシルクハット姿の文官は三人のみであとは軍人、
文官は当時の外務省の大臣・長官・部長の3名だったのですが・・・

この有名な名言を残した人物が、唯一人、小脇に書類鞄を抱えている・・・


27.内閣情報部第三部長の加瀬俊一氏であります
リンク記事のとおり開戦と終戦をアメリカに発した外交官で歴代首相外相の右腕として活躍、
色恋も遊びも国際的で海外での優雅な暮らしぶりや情報を巡る熾烈な戦いは007そのもの、
当時としても稀有な外交官で、戦争がなければ少なくとも外務大臣にはなっていたとされる、
今では考えられないスケールの官僚で、わたくしにとって興味深い人物です
閑話休題
日本語ガイドの説明によると日本側代表の重光外相が脚が不自由なのを知ったアメリカ側が、
彼がここへのタラップを上れるか、水兵の脚を固定して何度も確かめていたそうです
以下、艦内をさくさくっと

艦長室

さすがに豪華です

3番砲塔へ

こちらは湾岸戦争で209発を撃ってますね
3番砲塔は内部を覗き見ることができます

砲塔内といっても巨大で何室にも分かれてますね
ちなみに主砲の一斉射撃(斉射)の際は・・・


必ず舷側に向けて行うそうで、さもないと甲板が火の海に・・・

片側に斉射しても艦が傾かないよう工夫されてるとのことでした
で、艦尾に近い右舷のこの部分が・・・



神風特別攻撃隊の零式艦上戦闘機が体当たりした箇所であります
その決定的瞬間を捉えたこの写真はジオラマにもなってますね
抱えていた爆弾は爆発せず特攻機の右翼が40ミリ機関砲の銃身に突き刺さったようで、

体当たりの痕跡が今も微かに残っています
ガイドのフカダさんによれば・・・
・当時の艦長が同じ兵士だからと特攻機搭乗員の遺体を正式に水葬するように命じた
⇒当初は嫌がっていた乗組員が徹夜で手縫いの海軍旗(旭日旗)を作って遺体に被せ水葬した
⇒それ以降、手縫いの海軍旗(旭日旗)は別の艦でも何度も使われた
とのことで、これも知りませんでしたがニミッツ提督の名言と同じ精神ですね
ちょうど上空を特攻機ではなく友軍機が飛んでました

あらためて両軍の犠牲者に合掌
以下、居住区を中心にさくさくっと・・・






じゅるじゅる





士官クラブ???





まさにメモリアルですね・・・
艦尾の甲板は降伏調印が行われた2番砲塔右舷と同じように大きな固定タープで覆われ、
海軍関係者以外にも各種イベントやパーティや結婚式などにも使われているそうですが、
艦首側にあるアリゾナ追悼施設からは最も離れており、騒ぎがしさが伝わらないよう
配慮されているとのことでした
と、時間制限と3年前の落車骨折による歩行困難でブリッジはじめ多くを見逃しましたが、
駆け足でエントランスまで戻ってきて・・・

隣にあるミュージアムショップへ駆け込み



僅かな時間でお安い自分への土産物を物色して、家内に電子決済してもらいました

で、ギリギリ集合時間には間に合い、クルマで基地内の広大な居住区を抜け・・・

次の目的地、もと海軍航空隊基地にある航空博物館へ向かいます
(次号に続きます)
