2026年05月27日
対決!日本史1~6
とーとつですが・・・
「対決!日本史」という対談集(現時点では1~6まで)であります
ええ、ようやく読み終えましたので・・・

「1戦国から鎖国編」の表紙

最新刊「6アジア・太平洋戦争編」の表紙
横になってますが第1巻の奥付

第6巻が2025年7月20日の発行なので、5年間で6冊が出てることになりますね
対談者紹介


こっちの方が見やすいかな・・・

ま、政党や団体に関する両者の意見については「そうかな?」と感じる部分もありましたが、
事実として紹介されている部分には知らなかったことも多く、まさに目からウロコで、
その根拠となる閲覧可能な資料文献なども列挙されてて納得できました
第1巻の目次





1より
(てきとーメモですが著作物からなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・イエズス会・十字軍・レコンキスタ・帝国主義・鉄砲伝来(売り込み)・薩摩の硫黄
・アジア支配⇒日本カトリック兵による中国征服を目指し布教していた
・理解していた信長・秀吉の重商主義・中央集権から家康の農本主義・地方分権へ

第2巻の目次





2より
(てきとーメモですが著作物からなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・幕末維新と明治の軍国主義には様々な問題があった⇒現在進行形の問題でもある
⇒なのでそれに陶酔するのはいけない
⇒司馬遼太郎の「坂の上の雲」は1968~1972の作品
⇒当時(高度成長期)にはよかったが現代人が司馬史観に心酔し過ぎるのは危険
・南北戦争(1861~1865)が終わり行き場のない南部系の武器と商人が日本へ
⇒西南戦争1877にも影響している
・なぜ人類は石油エネルギーから転換できないのか
⇒自動車や発電は再生エネルギーに転換できるがミサイルや戦闘機、戦車には
石油より効率的な燃料がまだ見つかっていないから(佐藤)
⇒兵器の問題も敵対心とエゴイズムの問題
・江戸時代は(明治の地租改正まで)公地公民制で社会主義に近い
⇒仏教思想により敵愾心とエゴイズムを制御し享保の改革ぐらいまでは理想社会だった
⇒商品流通の変化や飢饉・天災・人口(浪人)増加により崩れ、以後は次々と変革していく
⇒パクス・トクガワーナ265年といっても決して同じ体制ではなく長期的に見るべき
・なぜ孝明天皇毒殺説は避けられ事実を知った会津藩士は徹底的に弾圧されたか
⇒伊藤博文から戦後の岸信介・佐藤栄作・菅直人・安倍晋三まで長州藩出身の首相が多い
・薩摩藩の琉球を通じた清国密貿易と長州藩の対馬を通じた朝鮮密貿易(表面上は攘夷)
・江戸っ子の「宵越しのカネは持たねえ」
⇒貯金しなくても日当だけで銭湯・博打・浮世絵・床屋など豊かに暮らせたから
⇒なので薩摩長州と異なり経済合理主義や海外貿易による経済発展には消極的だった
⇒さらに150万都市江戸は循環型社会システムで継続できた
・当時のシャム(タイ)も日本も、どこかの国が植民地にすればアジアでのパワーバランスが
崩れる状況で各国の戦線は伸びきっており、僅かに余裕があったのは英仏のみ
⇒それでもフランスは1968年1月19日に徳川幕府に再挙を勧告したが拒絶された
(征夷大将軍は天皇には逆らえないと)
⇒直後の1968年1月25日に英米仏伊蘭普が局外中立を布告、英仏代理戦争は回避された
(江戸城無血開城がなければ江戸は廃墟になり英仏が介入していた)
(パリ万博出展や民衆の識字率の高さから植民地支配より貿易が有利と判断したとも)
・勝海舟vs西郷隆盛の政治が現代版新選組vs現代版奇兵隊にならないように・・・
・ゲベール銃の有効射程は100~300m、ミニエー銃やエンフィールド銃は300~900m
⇒同距離での命中率も大きく異なり鳥羽伏見では薩長3000:幕府15000でも薩長が有利に
・奈良の吉野だけは国家神道が入り込めず寺院は旅館になった⇒南朝の伝統が残っていた
・日本は1905年の日露戦争終結から1939年のノモンハン事件までの34年間、本格的な近代戦を
戦っていない⇒34年間といえば軍人のほぼ一生⇒軍人が完全に官僚化していった
⇒明治の学制改革と昭和20年の敗戦は一直線でつながっている
・明治4年の歳出の32%が藩主・士族への失業手当、19%が軍事費、あとはインフラ整備と
豪商からの借金返済で8割以上、地租改正したが何も反対給付はなく豪農による民権運動へ
・江戸から明治は緩やかなコミュニティから自発的なアソシエーションへの参加へ
・新島襄は国会の早期開設に反対していた⇒公民意識のある人材を育てるのが先だと
⇒身分関係が残る中の制限選挙ではアメリカのような金権政治が横行すると心配していた
・豪農やエリートの自由民権運動と民衆宗教の誕生はコインの裏表
⇒大正デモクラシーへ⇒それでも抜けてたのがジェンダー⇒民衆宗教へ
(今の時代のデモクラシーも「すべての動植物」が主体に入っていない人間中心の民主主義)
・農本主義から重商主義へ、分権主義から中央集権主義へ体制を大転換させた明治維新には
功も罪もあり等身大で見直して評価すべき・・・
・・・と、3~5は疲れてきたのでメモしませんでしたが目次だけでも・・・
各巻に国際情勢などの最新情報が、それと関係する歴史的事実と合わせて述べられており、
それが各巻の目次にも反映されてます

第3巻の目次






第4巻の目次





第5巻の目次





第6巻の目次






さすがに第6巻は最新刊だし戦後に直結するハナシなのでメモしました
(てきとーメモですが著作物からなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・満州事変(柳条湖事件1931)からノモンハン事件(1939)に至る歴史を9時間で学べる映画
⇒五味川順平原作・山本薩男監督の「戦争と人間」(全3部作1970~73)
(70年代の商業映画は関東軍の謀略や731部隊を描く大作が普通に成り立っていた)
・伊丹万作・アーノルド・ファンク共同監督・ヨセフ・ゲッペルス製作「新しき土」1937
⇒日本人もドイツ人もお互い「血と土と名誉を重んじ狭い国土なので植民すべき優秀な民族」
という宣伝映画でラストは16歳の主演女優・原節子が満洲でトラクターを・・・
・明治維新から支配してきた薩長中心の天皇側近・既成政党・財閥・官憲・特権階級
⇒これらを一掃しようとしたのが昭和維新
⇒日産(満洲)や石原産業(東南アジア)などベンチャー企業と結託した石原莞爾らの派閥
⇒5.15事件では青年将校が独走したが満州では成功した⇒財閥も一緒に乗ってきた
・「古代オリエント史と私」三笠宮崇仁著1984学生社
・農本主義
⇒天皇から幕府⇒各藩へと土地と農民を国替えしながら預かる体制⇒きわめて社会主義的
⇒これが北一輝らの国家社会主義の理想の原像ではなかったか
⇒戦後高度成長期のモノ作り労働者も根っこは農本主義だった⇒農作業のアナロジー(類比)
⇒モノ作りに喜びを見出していたのであって現金収入至上主義ではなかった
⇒なので証券業界などは不労所得を扱うので蔑視されていた
⇒今はサラリーマンから年金生活者までNISAが国から推奨される時代
・政党は本来「部分の代表」であり立憲政友会は地主、立憲民政党は中間層の代表だった
⇒どちらもが「全体の代表」を標榜して部分の折り合いをつける政党政治が機能しなくなった
⇒血盟団・5.15で政党政治が崩壊したのではなく政治家が変質して翼賛選挙・全体主義へ
⇒今の日本でも公明党と日本共産党以外は全て「全体の代表」を標榜する「無代表政党」に?
・石原莞爾には陸軍も海軍も新聞も国民も巻き込むイデオロギーを作る力があった
⇒当時の議会や政党には対抗できるイデオロギーを作る力がなかった
・2022年4月から公立高校の授業では「歴史総合」が必須科目となった
⇒山川出版社の教科書は大人が読んでも良い内容で簡単に入手できるのでオススメ
・日露戦争から28年間も二国間戦争をしていなかった軍隊は官僚化していた
⇒座学と演習で好成績の者を重用する組織に
⇒演習は局地戦であり近代的な物量戦の怖さは忘れ去られていた?
⇒官僚化すれば派閥もでき派閥抗争は軍隊としては致命的な欠陥
⇒それでも局地戦での連勝を美化して国際連盟脱退などの世論を醸成した
(中国北部の軍閥装備が関東軍より劣っていただけでソ連支援を受けた上海航空戦では互角)
⇒戦争の本当の怖さを知ったのは1939年(昭和14年)のノモンハン事件
⇒3万人の師団が壊滅したが報道管制してフェイクニュースを流し、その戦訓は無視された
⇒その後の日本軍に起きることを凝縮している事件
・明治憲法の議会制民主主義と政党政治の理論的基礎を担保していた天皇機関説
⇒1935年に政府が公式に否定した⇒ファシズム国家へ
(それまでは東京帝大法学部の憲法学でも天皇主権説と天皇機関説の2講座が必須科目で、
高等文官試験でも必ず2説から出題されていた)
・昭和9年(1934)に陸軍省新聞班が公表した各国陸軍の兵力
平時兵力 陸軍航空機数 戦車
ソ連 約130万人 約3000機 約3000両
中華民国 約200万人 約500機
アメリカ 約32万人 約2000機⇒3000機に拡張中 約500両
日本 約23万人 約1000機内外
⇒なので1国と戦うにしても強化のために国内統制しなければならないという理屈
⇒さらに強い兵員になるべき国民の健康強化のために昭和15年(1940)には厚生省も設置
⇒あとは日露戦争のように物資力の不足を精神力で補えば短期戦・殲滅戦なら勝てる
⇒殲滅戦で勝利できなければ被殲滅戦になる⇒それでも全滅(玉砕)すべき
(それで局面が変わるかもしれないから、という発想が当時からあった)
・満州国とソ連・モンゴル(ソ連の衛星国)との国境線は5000km
⇒1937年に113回、1938年には166回の国境紛争が起きている(1939年にノモンハン事件)
⇒戦争が始まるのは時間の問題なので中国とは早く手を握りたかった
⇒アメリカやイギリスは中国の抗日を支援し共産主義のソ連と一緒に日本包囲網を形成した
⇒この呉越同舟は日本軍の予想外だった
⇒この包囲網は主義主張に関係なく日本人を追い出したかった蒋介石の手腕かも
⇒1920年代にソ連で国民党の組織づくりを学び息子の蒋経国をモスクワに留学させている
⇒さらにプロテスタントでアメリカ・イギリスから宗教的に信頼されていた
・軍事用語の中立化する(ニュートラリゼーション)とは敵を捕虜にするか逃がすか殺すか
⇒敵かもしれない相手(便衣隊かも)⇒殺せば確実に中立化する⇒南京での三光作戦など
(戦時国際法でゲリラの抵抗権も一定認められるのは戦後から)
⇒犠牲者数が不明でも南京で虐殺があった事実は2022年度から文部省の学習指導要領にも
・ノモンハン物量戦の敗北を教訓にせずひた隠しにして現場の指揮官を自決させた
⇒その後の南洋諸島でも沖縄戦でも同じ
⇒ノモンハンを教訓にしていれば太平洋戦争突入にも慎重になってたかも
・ワシントン会議(1922)の戦艦5:5:3とロンドン海軍軍縮会議(1930)の補助艦10:10:7
⇒ランチェスターの法則からは25:25:9と100:100:49なので抗議した
(攻撃力は白兵戦では数に比例するが遠隔戦では数の二乗に比例する)
⇒戦艦を10:7(100:49)まで増強して残り半分は精神力(大和魂)で勝つのだと・・・
・「正常な判断力を失い対米戦に突入した」と言われてきたが対米戦への布石はあった
(なので東亜新秩序の建設に多くの日本人が熱狂した心情も少しはわかる気がする)
⇒1931年9月・満州事変⇒米国に頼っていたエネルギーや物資を中国大陸ルートに
⇒1940年3月・汪兆銘政権(南京政府)樹立⇒蒋介石政権(重慶政府)に対抗し傀儡中華民国に
⇒1940年9月・日独伊三国同盟締結⇒英米に対抗する
⇒1941年4月・日ソ中立条約締結⇒北方での満州国とソ連の棲み分け
⇒1940年9月・北部仏印に進駐⇒ゴムなどの入手と蒋介石援助ラインの遮断
⇒1941年7月・南部仏印に進駐⇒同上と蘭印・東南アジア全域への足がかり
⇒仏印も蘭印も母国はドイツに占領されており英国の占領も時間の問題だった
⇒東南アジアで英仏蘭が支配していた植民地の石油などの資源も全て日本の手中に
(それでも米国の植民地フィリピンさえ手を出さなければ対米戦はないという安易な前提)
・1941年6月に独ソ戦がはじまり、その想定シナリオが狂ったが・・・
⇒独ソ戦に合わせ(南方進出ではなく)満洲からソ連に侵攻しておれば・・・
⇒少なくとも対米戦はなかったはず
⇒逆に日ソ中立条約に矛盾するという理由で三国同盟を破棄しておれば・・・
⇒ソ連との関係を安定化して日米交渉もできたはず
(ハル・ノートの段階でも首脳会談はまだ可能で満洲での利権など条件交渉はできた)
(中国や東南アジアからの撤兵を約束して義勇兵として同数を送り込むこともできた)
⇒マレー半島でもシンガポール占領で「先には進出しない」と停戦を呼び掛けておれば・・・
⇒対ドイツ戦に集中したかったイギリスが応じていた可能性は高かったはず
・どれも実現せず結局は日米開戦から破滅の道へ・・・
・戦争を防ぎ平和に向かうための要因
①文民統制の徹底
⇒ロシア・ウクライナ戦争で防衛研究所の研究者や元自衛隊幹部が無責任な立場で不正確な
発言を繰り返しているが、彼らには国際政治の基本的知識が欠如している⇒監視批判が必要
(戦前は統帥権で文民統制の発想がなかった)
②軍産複合体の動きへの注視
⇒日本の安全保障に防衛産業の育成は重要だが野放しではなく国会のコントロールが必要
(防衛装備移転三原則の運用などは国家安全保障会議の役人が勝手に決めることではない)
⇒外務省は5000人だが防衛省は25万人の巨大組織であり利権構造への歯止めが必要
(戦前は財閥=軍事産業で戦争が金儲けの手段だった)
③国民によるメディア監視
⇒メディアと防衛省・自衛隊が一体化して勇ましい方向にむかうときに諫める
(戦前は戦争を批判する媒体が殆どなく、あれば徹底的に弾圧された)
・2024年11月に融通の利かない検察官カマラ・ハリスを破りトランプが大統領に当選した
⇒トランプはおかしなやつとカリカチュア化せず彼の心の善性に目を向けるべき???
「対決!日本史」という対談集(現時点では1~6まで)であります
ええ、ようやく読み終えましたので・・・


「1戦国から鎖国編」の表紙

最新刊「6アジア・太平洋戦争編」の表紙
横になってますが第1巻の奥付

第6巻が2025年7月20日の発行なので、5年間で6冊が出てることになりますね
対談者紹介


こっちの方が見やすいかな・・・

ま、政党や団体に関する両者の意見については「そうかな?」と感じる部分もありましたが、
事実として紹介されている部分には知らなかったことも多く、まさに目からウロコで、
その根拠となる閲覧可能な資料文献なども列挙されてて納得できました
第1巻の目次





1より
(てきとーメモですが著作物からなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・イエズス会・十字軍・レコンキスタ・帝国主義・鉄砲伝来(売り込み)・薩摩の硫黄
・アジア支配⇒日本カトリック兵による中国征服を目指し布教していた
・理解していた信長・秀吉の重商主義・中央集権から家康の農本主義・地方分権へ

第2巻の目次





2より
(てきとーメモですが著作物からなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・幕末維新と明治の軍国主義には様々な問題があった⇒現在進行形の問題でもある
⇒なのでそれに陶酔するのはいけない
⇒司馬遼太郎の「坂の上の雲」は1968~1972の作品
⇒当時(高度成長期)にはよかったが現代人が司馬史観に心酔し過ぎるのは危険
・南北戦争(1861~1865)が終わり行き場のない南部系の武器と商人が日本へ
⇒西南戦争1877にも影響している
・なぜ人類は石油エネルギーから転換できないのか
⇒自動車や発電は再生エネルギーに転換できるがミサイルや戦闘機、戦車には
石油より効率的な燃料がまだ見つかっていないから(佐藤)
⇒兵器の問題も敵対心とエゴイズムの問題
・江戸時代は(明治の地租改正まで)公地公民制で社会主義に近い
⇒仏教思想により敵愾心とエゴイズムを制御し享保の改革ぐらいまでは理想社会だった
⇒商品流通の変化や飢饉・天災・人口(浪人)増加により崩れ、以後は次々と変革していく
⇒パクス・トクガワーナ265年といっても決して同じ体制ではなく長期的に見るべき
・なぜ孝明天皇毒殺説は避けられ事実を知った会津藩士は徹底的に弾圧されたか
⇒伊藤博文から戦後の岸信介・佐藤栄作・菅直人・安倍晋三まで長州藩出身の首相が多い
・薩摩藩の琉球を通じた清国密貿易と長州藩の対馬を通じた朝鮮密貿易(表面上は攘夷)
・江戸っ子の「宵越しのカネは持たねえ」
⇒貯金しなくても日当だけで銭湯・博打・浮世絵・床屋など豊かに暮らせたから
⇒なので薩摩長州と異なり経済合理主義や海外貿易による経済発展には消極的だった
⇒さらに150万都市江戸は循環型社会システムで継続できた
・当時のシャム(タイ)も日本も、どこかの国が植民地にすればアジアでのパワーバランスが
崩れる状況で各国の戦線は伸びきっており、僅かに余裕があったのは英仏のみ
⇒それでもフランスは1968年1月19日に徳川幕府に再挙を勧告したが拒絶された
(征夷大将軍は天皇には逆らえないと)
⇒直後の1968年1月25日に英米仏伊蘭普が局外中立を布告、英仏代理戦争は回避された
(江戸城無血開城がなければ江戸は廃墟になり英仏が介入していた)
(パリ万博出展や民衆の識字率の高さから植民地支配より貿易が有利と判断したとも)
・勝海舟vs西郷隆盛の政治が現代版新選組vs現代版奇兵隊にならないように・・・
・ゲベール銃の有効射程は100~300m、ミニエー銃やエンフィールド銃は300~900m
⇒同距離での命中率も大きく異なり鳥羽伏見では薩長3000:幕府15000でも薩長が有利に
・奈良の吉野だけは国家神道が入り込めず寺院は旅館になった⇒南朝の伝統が残っていた
・日本は1905年の日露戦争終結から1939年のノモンハン事件までの34年間、本格的な近代戦を
戦っていない⇒34年間といえば軍人のほぼ一生⇒軍人が完全に官僚化していった
⇒明治の学制改革と昭和20年の敗戦は一直線でつながっている
・明治4年の歳出の32%が藩主・士族への失業手当、19%が軍事費、あとはインフラ整備と
豪商からの借金返済で8割以上、地租改正したが何も反対給付はなく豪農による民権運動へ
・江戸から明治は緩やかなコミュニティから自発的なアソシエーションへの参加へ
・新島襄は国会の早期開設に反対していた⇒公民意識のある人材を育てるのが先だと
⇒身分関係が残る中の制限選挙ではアメリカのような金権政治が横行すると心配していた
・豪農やエリートの自由民権運動と民衆宗教の誕生はコインの裏表
⇒大正デモクラシーへ⇒それでも抜けてたのがジェンダー⇒民衆宗教へ
(今の時代のデモクラシーも「すべての動植物」が主体に入っていない人間中心の民主主義)
・農本主義から重商主義へ、分権主義から中央集権主義へ体制を大転換させた明治維新には
功も罪もあり等身大で見直して評価すべき・・・
・・・と、3~5は疲れてきたのでメモしませんでしたが目次だけでも・・・
各巻に国際情勢などの最新情報が、それと関係する歴史的事実と合わせて述べられており、
それが各巻の目次にも反映されてます

第3巻の目次






第4巻の目次





第5巻の目次





第6巻の目次






さすがに第6巻は最新刊だし戦後に直結するハナシなのでメモしました

(てきとーメモですが著作物からなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・満州事変(柳条湖事件1931)からノモンハン事件(1939)に至る歴史を9時間で学べる映画
⇒五味川順平原作・山本薩男監督の「戦争と人間」(全3部作1970~73)
(70年代の商業映画は関東軍の謀略や731部隊を描く大作が普通に成り立っていた)
・伊丹万作・アーノルド・ファンク共同監督・ヨセフ・ゲッペルス製作「新しき土」1937
⇒日本人もドイツ人もお互い「血と土と名誉を重んじ狭い国土なので植民すべき優秀な民族」
という宣伝映画でラストは16歳の主演女優・原節子が満洲でトラクターを・・・
・明治維新から支配してきた薩長中心の天皇側近・既成政党・財閥・官憲・特権階級
⇒これらを一掃しようとしたのが昭和維新
⇒日産(満洲)や石原産業(東南アジア)などベンチャー企業と結託した石原莞爾らの派閥
⇒5.15事件では青年将校が独走したが満州では成功した⇒財閥も一緒に乗ってきた
・「古代オリエント史と私」三笠宮崇仁著1984学生社
・農本主義
⇒天皇から幕府⇒各藩へと土地と農民を国替えしながら預かる体制⇒きわめて社会主義的
⇒これが北一輝らの国家社会主義の理想の原像ではなかったか
⇒戦後高度成長期のモノ作り労働者も根っこは農本主義だった⇒農作業のアナロジー(類比)
⇒モノ作りに喜びを見出していたのであって現金収入至上主義ではなかった
⇒なので証券業界などは不労所得を扱うので蔑視されていた
⇒今はサラリーマンから年金生活者までNISAが国から推奨される時代
・政党は本来「部分の代表」であり立憲政友会は地主、立憲民政党は中間層の代表だった
⇒どちらもが「全体の代表」を標榜して部分の折り合いをつける政党政治が機能しなくなった
⇒血盟団・5.15で政党政治が崩壊したのではなく政治家が変質して翼賛選挙・全体主義へ
⇒今の日本でも公明党と日本共産党以外は全て「全体の代表」を標榜する「無代表政党」に?
・石原莞爾には陸軍も海軍も新聞も国民も巻き込むイデオロギーを作る力があった
⇒当時の議会や政党には対抗できるイデオロギーを作る力がなかった
・2022年4月から公立高校の授業では「歴史総合」が必須科目となった
⇒山川出版社の教科書は大人が読んでも良い内容で簡単に入手できるのでオススメ
・日露戦争から28年間も二国間戦争をしていなかった軍隊は官僚化していた
⇒座学と演習で好成績の者を重用する組織に
⇒演習は局地戦であり近代的な物量戦の怖さは忘れ去られていた?
⇒官僚化すれば派閥もでき派閥抗争は軍隊としては致命的な欠陥
⇒それでも局地戦での連勝を美化して国際連盟脱退などの世論を醸成した
(中国北部の軍閥装備が関東軍より劣っていただけでソ連支援を受けた上海航空戦では互角)
⇒戦争の本当の怖さを知ったのは1939年(昭和14年)のノモンハン事件
⇒3万人の師団が壊滅したが報道管制してフェイクニュースを流し、その戦訓は無視された
⇒その後の日本軍に起きることを凝縮している事件
・明治憲法の議会制民主主義と政党政治の理論的基礎を担保していた天皇機関説
⇒1935年に政府が公式に否定した⇒ファシズム国家へ
(それまでは東京帝大法学部の憲法学でも天皇主権説と天皇機関説の2講座が必須科目で、
高等文官試験でも必ず2説から出題されていた)
・昭和9年(1934)に陸軍省新聞班が公表した各国陸軍の兵力
平時兵力 陸軍航空機数 戦車
ソ連 約130万人 約3000機 約3000両
中華民国 約200万人 約500機
アメリカ 約32万人 約2000機⇒3000機に拡張中 約500両
日本 約23万人 約1000機内外
⇒なので1国と戦うにしても強化のために国内統制しなければならないという理屈
⇒さらに強い兵員になるべき国民の健康強化のために昭和15年(1940)には厚生省も設置
⇒あとは日露戦争のように物資力の不足を精神力で補えば短期戦・殲滅戦なら勝てる
⇒殲滅戦で勝利できなければ被殲滅戦になる⇒それでも全滅(玉砕)すべき
(それで局面が変わるかもしれないから、という発想が当時からあった)
・満州国とソ連・モンゴル(ソ連の衛星国)との国境線は5000km
⇒1937年に113回、1938年には166回の国境紛争が起きている(1939年にノモンハン事件)
⇒戦争が始まるのは時間の問題なので中国とは早く手を握りたかった
⇒アメリカやイギリスは中国の抗日を支援し共産主義のソ連と一緒に日本包囲網を形成した
⇒この呉越同舟は日本軍の予想外だった
⇒この包囲網は主義主張に関係なく日本人を追い出したかった蒋介石の手腕かも
⇒1920年代にソ連で国民党の組織づくりを学び息子の蒋経国をモスクワに留学させている
⇒さらにプロテスタントでアメリカ・イギリスから宗教的に信頼されていた
・軍事用語の中立化する(ニュートラリゼーション)とは敵を捕虜にするか逃がすか殺すか
⇒敵かもしれない相手(便衣隊かも)⇒殺せば確実に中立化する⇒南京での三光作戦など
(戦時国際法でゲリラの抵抗権も一定認められるのは戦後から)
⇒犠牲者数が不明でも南京で虐殺があった事実は2022年度から文部省の学習指導要領にも
・ノモンハン物量戦の敗北を教訓にせずひた隠しにして現場の指揮官を自決させた
⇒その後の南洋諸島でも沖縄戦でも同じ
⇒ノモンハンを教訓にしていれば太平洋戦争突入にも慎重になってたかも
・ワシントン会議(1922)の戦艦5:5:3とロンドン海軍軍縮会議(1930)の補助艦10:10:7
⇒ランチェスターの法則からは25:25:9と100:100:49なので抗議した
(攻撃力は白兵戦では数に比例するが遠隔戦では数の二乗に比例する)
⇒戦艦を10:7(100:49)まで増強して残り半分は精神力(大和魂)で勝つのだと・・・
・「正常な判断力を失い対米戦に突入した」と言われてきたが対米戦への布石はあった
(なので東亜新秩序の建設に多くの日本人が熱狂した心情も少しはわかる気がする)
⇒1931年9月・満州事変⇒米国に頼っていたエネルギーや物資を中国大陸ルートに
⇒1940年3月・汪兆銘政権(南京政府)樹立⇒蒋介石政権(重慶政府)に対抗し傀儡中華民国に
⇒1940年9月・日独伊三国同盟締結⇒英米に対抗する
⇒1941年4月・日ソ中立条約締結⇒北方での満州国とソ連の棲み分け
⇒1940年9月・北部仏印に進駐⇒ゴムなどの入手と蒋介石援助ラインの遮断
⇒1941年7月・南部仏印に進駐⇒同上と蘭印・東南アジア全域への足がかり
⇒仏印も蘭印も母国はドイツに占領されており英国の占領も時間の問題だった
⇒東南アジアで英仏蘭が支配していた植民地の石油などの資源も全て日本の手中に
(それでも米国の植民地フィリピンさえ手を出さなければ対米戦はないという安易な前提)
・1941年6月に独ソ戦がはじまり、その想定シナリオが狂ったが・・・
⇒独ソ戦に合わせ(南方進出ではなく)満洲からソ連に侵攻しておれば・・・
⇒少なくとも対米戦はなかったはず
⇒逆に日ソ中立条約に矛盾するという理由で三国同盟を破棄しておれば・・・
⇒ソ連との関係を安定化して日米交渉もできたはず
(ハル・ノートの段階でも首脳会談はまだ可能で満洲での利権など条件交渉はできた)
(中国や東南アジアからの撤兵を約束して義勇兵として同数を送り込むこともできた)
⇒マレー半島でもシンガポール占領で「先には進出しない」と停戦を呼び掛けておれば・・・
⇒対ドイツ戦に集中したかったイギリスが応じていた可能性は高かったはず
・どれも実現せず結局は日米開戦から破滅の道へ・・・
・戦争を防ぎ平和に向かうための要因
①文民統制の徹底
⇒ロシア・ウクライナ戦争で防衛研究所の研究者や元自衛隊幹部が無責任な立場で不正確な
発言を繰り返しているが、彼らには国際政治の基本的知識が欠如している⇒監視批判が必要
(戦前は統帥権で文民統制の発想がなかった)
②軍産複合体の動きへの注視
⇒日本の安全保障に防衛産業の育成は重要だが野放しではなく国会のコントロールが必要
(防衛装備移転三原則の運用などは国家安全保障会議の役人が勝手に決めることではない)
⇒外務省は5000人だが防衛省は25万人の巨大組織であり利権構造への歯止めが必要
(戦前は財閥=軍事産業で戦争が金儲けの手段だった)
③国民によるメディア監視
⇒メディアと防衛省・自衛隊が一体化して勇ましい方向にむかうときに諫める
(戦前は戦争を批判する媒体が殆どなく、あれば徹底的に弾圧された)
・2024年11月に融通の利かない検察官カマラ・ハリスを破りトランプが大統領に当選した
⇒トランプはおかしなやつとカリカチュア化せず彼の心の善性に目を向けるべき???
