対決!日本史1~6エレファント ヴィレッジとか・・・

2026年05月31日

サラワクと日本人

とーとつですが・・・

「サラワクと日本人」であります

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サブタイトルどおりマレーシア・ボルネオ島・サラワク州と日本人の交流史をサラワク州と
深く関わった方々の手記を中心に歴史資料や写真と合わせて一冊にした本であります


裏表紙

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白人ラジャ(英国人)が統治していた頃の移民・開拓から占領した日本軍による軍政へ、
そして敗戦による引揚から戦後の交流まで、ボルネオ島やサラワク州に興味のあるわたくしには
じつに稀少で貴重な内容でした


奥付

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1998年ですから28年前に発行された本になります

日本サラワク協会は戦前からサラワク州と関わりのあった有志の方々を中心に、サラワクの
人たちとの友好親善と会員の親睦を目的に1986年に設立されたそうで、日本占領時代の記録を
残すべきというマレーシア特命全権大使の言葉により1998年に本書を発刊とありました



目次

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メインになる第Ⅱ章の移民期から日本統治期の手記を書かれた方々は、現時点では多くが
故人となられてるでしょうし、まさに生き証人としての稀少な手記・・・なんですが、
軽々しく概要を紹介するのも憚られますので、以下はまえがきと解説からの読後メモです
(てきとーメモですが著作物なので公開に問題があれば非公開設定にします)

ちなみにわたくしが植林ボランティア活動の都度サラワクでお世話になっていた現地旅行社の
S井さんも戦後サラワクの記録として手記を寄せておられますが、彼女がミリに来られたのが
1976年、ミリからクチンに移られたのが1981年とありましたから、今年でサラワクでの生活が
ちょうど50年、半世紀を迎えることになられたんですね
S井さん、あらためましてサラワク生活50周年おめでとうございます


まえがきより

・サラワクと日本人の交流がはじまって、もうかれこれ100年(以下1998年の発刊時点)
⇒プロパンガスがサラワクからのLNGによる都市ガスに代わり事故がなくなった
⇒ファックスの受信紙も木造建物もコンクリートパネルもサラワクの木材から
⇒ガラス原料のシリカも胡椒もツバメの巣もサラワクから・・・
(この時点でアブラヤシ油(パームオイル)についてはまだ触れられてませんでした)

・日本人とサラワクの出会いは明治時代
⇒貧しい農村からの移住先の一つがサラワクだった
(サンダカンの10年前からクチンにも「からゆきさん」がいた)
⇒南米やハワイほど多くはないが貧しい
日系移民があったことは歴史的事実
⇒日本の占領時代にサラワクに派遣された日本人も多い

・サラワク王国(ホワイトラジャ)時代1841~1941
⇒日本の占領時代1941~1945
⇒英国直轄植民地時代1945~1962
⇒独立1962
⇒マレーシア連邦時代1963~

・戦後サラワク熱帯木材は1949年、はじめて大阪に出荷された
⇒州が林業の継続的な経営を成功させ今では日本唯一の丸太原木の供給源となっている
⇒サラワク州森林局との研修生交流や植林事業は伝統行事となっている

・バクン水力発電ダム計画が1997年の通貨危機により延期されたが、
⇒ビンツールのLNG工場群やパルプ工場群、州内の工場団地には重要なプロジェクト

・本書がサラワクへの進出企業、文化交流諸団体、文化人類学、生態学、医療薬剤関係者、
そして一般読者の役に立つことを期待してやまない・・・


解説より

1日本人移民期
・サラワク王国はイギリスによる東方支配の一拠点だった
⇒1984年の日清戦争で台湾を植民地にしてから日本も南方進出へ
⇒1896年に移民計画、1902年以降にはマレー半島でゴム園経営、サラワクでは1908年
⇒1910年前後から各企業が各地で活動している
⇒日露戦争後の軍需景気で特にゴムの市場価値が上がったから

・クチンの日本人墓地
⇒もっとも古い墓碑は1903年没⇒天草女・島原女で1890年代にはサラワクに来ていたはず
⇒1910年にクチンに渡ったゴム園(日沙商会)従者の報告書によるとクチン付近の日本人は、
「正業の6~7名を除き、すべて売春婦・女衒・売春宿主であった」とある
⇒シンガポールなどの大都市からサラワクに流れてきた「からゆきさん」たち

日沙商会
⇒サラワク政府から許可された外国企業10社のうち唯一の日本企業
⇒本社は神戸、支店はクチン、事業所はサマラハン河の上流から
⇒1935年にはサラワク日本人会が設立され
日沙商会の社員から官庁に報告している

・「サラワク王国在留邦人の状況1928」(台湾総督官房調査課)
⇒男52名・女38名・子供25名の115人
⇒農場(ゴム・ヤシ・果樹・コーヒー)は32か所で7524エーカー
⇒南進論が昭和に入り国策に⇒1940には基本国策要綱に
⇒1941大東亜戦争開始によりボルネオ武力平定戦へ⇒ミリ侵攻

2日本統治期
・サラワクのミリ、ブルネイのセリアに上陸したのは1941年12月16日
⇒まずは石油確保が目的⇒その後、軍司令部はクチンに移った
⇒1942年5月までに香港、マレー半島、シンガポール、ビルマ、オランダ領東インド諸島、
フィリピン諸島など広大な範囲を次々と占領した
⇒サラワク王国のラジャはオーストラリアに逃れ、1945年の敗戦までが日本統治期

・ボルネオ島を5州に分割、州に各県を置いた
①旧オランダ領西部ボルネオ・ポンチャナックを中心とする西部州
②旧英領北ボルネオ・サンダカンを中心とする西海岸州
③旧英領北ボルネオ・アピ(現コタキナバル)を中心とする東海岸州
④ブルネイと北部サラワクを含むミリ州
⑤クチンを中心としたサラワク南部のクチン州

・1942年7月15日の陸海軍の協定
⇒旧英領(北ボルネオ)は陸軍、
旧蘭領(南ボルネオ)は海軍が担当することに
⇒西部州も海軍に移譲された
⇒陸軍は代わりにシブ州を設置して西部州の要員をレジャン河流域開発に配置した

・軍司令部がクチンに移動し軍政要員募集によりクチンの日本人数が膨張した
⇒派遣されたのは役人、企業や商社の派遣員、報道関係から文化人まで及んでいた
⇒1942年5月には大洋丸が米潜水艦に沈められ実務担当の官民1367名が犠牲になった
(このため日本の南方開発は2年遅れたとされている)

・1943年10月の孫文革命記念日にはアピ(現コタキナバル)の反日暴動で日本人50名が死亡
⇒フィリピンの米軍スパイと連絡をとった中国人による計画的なものだった
⇒鎮圧処理により250名の中国人・原住民が犠牲に・・・

・体験者の言葉からは占領の負い目を感じながら良好な人間関係を作ろうとする姿も
⇒電気・道路・食糧・医療などで現地住民に尽くしたとも
⇒それは占領者としての顔ではなく役人として市民の暮らしを守るという顔だった
⇒イギリスの政策の素晴らしさに出会った軍政要員の言葉もある
⇒軍政要員以外にも文化人やマスコミ関係者が報道要員として派遣されたが、国策の使命は
あったものの、他の占領地域とは異なる自由な作風でボルネオ独自の特徴がある

・軍政下ではゴム農園関係者などが軍政要員に協力させられ農園は荒れ果てた

連合軍の攻撃が開始され1944年4月には軍司令部をクチンからアピへ
⇒10月には軍政要員は現地入隊になり戦場へ、行政としての機能を失っていく
⇒ラブアン島の守備隊は玉砕、ジャングルではマラリアと飢えで多くが死線を彷徨った
⇒クチンでは大規模戦闘はなく多くの生存者がバウなどの収容所に送られた(半年間)
(同じ収容所に開戦時には日本人、日本占領時には英国人、終戦時にまた日本人が収容された)
⇒クチン周辺での収容人数は約8100名うち日本に帰国できたのは約7400名だった
(残りの約700名は病死または戦犯として有罪になった)

・本書は日本人側からの発言が中心でありサラワク住民側からは記録されていない
⇒編者の日本サラワク協会が軍政要員・企業人としてサラワクに関わった人たちによるため
⇒しかし戦後50年が経過し今後は当時を語ることは不可能となるので実に貴重なもの
⇒侵略者とみなされる日本人の中にも情熱を持ってサラワクで生きた人たちがいたこと、
現地で徴兵され戦死・病死した日本人が多数いたことは本書が語るところ

・今後はマレーシア側・イギリス側からの、この時期についてのまとまったものが出版される
ことが期待される

・・・

本編の特に第2章「体験者は語る」の移民期・統治期・企業活動の手記はまさに歴史の証言で、
解説にもあったとおり今となっては
当時を語ることなど不可能で、極めて貴重な資料です

また戦後から現在(1998年)までの手記も今から30年ほど前の歴史資料として貴重です

ボルネオ島やサラワク州の歴史に興味のある方には必読の書だと思います


最後に資料編にあった年表を紹介しておきます
(こちらも著作物なので公開に問題があれば非公開設定にします)


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あらためてサラワクでの戦闘で犠牲となられた日英豪の軍人軍属や一般人、そして現地の
先住民はじめ中華系マレー系インド系など巻き添えとなった全ての人々に・・・合掌



m98k at 11:11│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 書斎 | 沙漠緑化・熱帯雨林再生

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