2026年05月19日
世界史の食べ歩き方
とーとつですが・・・

世界「史」の食べ歩き方であります
著者紹介

そう、登録者30万人超のプロ・ユーチューバーで、You Tubeのコンプライアンス規定上、
ありのまま伝えても規制がかかることがあり、そのために配信できなかった部分も含めて
本書で詳しく紹介・・・
とありましたが著者はじめての本だそうで、国境エリアなど滅多に観光客が行かないエリアの
料理と、タイトルどおりそのエリアと世界史との関係が紹介されてました
奥付

目次



このうち第5章「内モンゴル自治区の最果てで」(142~165頁)の一部のみメモしました
そう、わたくし中国・内モンゴル自治区には植林ボランティア活動で1999年から2018年まで、
十数回は訪問しており、本書は2025年3月の訪問記録なので最新情報といえるでしょう
(以下てきとーメモですが著作物からなので公開に問題があれば非公開設定にします)
第5章1より
・モンゴルは清朝の支配時代に内(皇帝の居住地に近い)と外(遠い)に分かれたとされる
⇒辛亥革命で清朝が崩壊し外蒙古のモンゴル族が独立を宣言
⇒1921年にソビエト連邦の支援を受け正式に独立国として承認された
(補足すれば帝政ロシア・中華民国・大日本帝国の一部支配時代もあり、戦後は中華人民共和国の
「内蒙古自治区」とソビエト連邦の衛星国としての「モンゴル人民共和国」に分断され、
ソ連崩壊により外モンゴルは1992年に社会主義を放棄して「モンゴル国」となったものの、
内モンゴルは中国の自治区のままでモンゴル族の割合が減少している状況です)
・モンゴルは中国に支配されたり支配したりを繰り返し、現在は外モンゴルだけがモンゴル国
⇒昔からロシアの影響が強く街並みが旧ソ連のようで独特な雰囲気
・内モンゴルは同じ民族だったエリアが分断されている状態とも言える
⇒中国政府から自治が与えられているがモンゴル族の文化や暮らしは薄れている
・内モンゴル自治区の中心都市は呼和浩特(フフホト)で、北京から高速鉄道で約3時間、
飛行機なら1時間と割と近い
(わたくしが通ってたのは呼和浩特(フフホト)西隣の大都市・包頭(バオトウ)から黄河を渡った
恩格貝の沙漠地域で、90年代には北京から包頭まででも夜行列車で15時間でした)
・今回の満洲里はフフホトからさらに飛行機で2時間、鉄道なら9時間の最果てにある
⇒中国・ロシア・モンゴルの交わる国境地で戦前には日本が深く関係していた
⇒ロシアと隣接しており極東ロシアの文化も入り混じった独特の文化圏
第5章2より
・満洲里はロシアのザバイカリスクという町に隣接しており商売や買い物のロシア人も多い
⇒シベリア鉄道の国際支線があり北京モスクワ間の入国審査や台車交換をする駅
⇒つまりアジアとヨーロッパの境界駅となる
・ホテルもロシア風で2軒目はマトリョーシカの形をした不思議系ホテルにしたが、
真横にあるマトリョーシカ・テーマパークも店も閉鎖されてた
・繁華街にはロシア風の建物もキリル文字の看板も多いのでロシアの田舎町の雰囲気
⇒本格的なロシア料理が楽しめるがグルメ記は別掲
・国境を見渡せるタワーには100元(2200円)で上れた
⇒中国は国境エリアを観光地化してるが何故かロシア国境は厳しめ
⇒ロシアへの経済制裁によりシベリア鉄道による中国や北朝鮮からの物資輸送が増えている
⇒モンゴル国境は平野の30km先なので見えなかった
第5章3より
・満洲里は満州族の村をあらわす地名でロシア語でもマンジュリ
⇒シベリア鉄道の国際支線があり日本から朝鮮・満州への輸送網の重要拠点だった
⇒南満州鉄道の玄関口で「満鉄付属地」として日本が管理しインフラ整備していった結果、
ロシア側のザバイカリスクより発展した
⇒東京から鉄道でパリへ行く場合、門司から大連までは客車を船に乗せ、大連から満洲里までは
満州鉄道、満洲里からはシベリア鉄道に客車を連結してヨーロッパへ
⇒東京からパリまで1枚の切符で行けた時代があった
・満洲里は軍事的にも重要拠点でハイラル・ノモンハン事件は有名
⇒現在の満洲里博物館は戦前の日本人小学校だが展示は日本の侵略がメインだった
⇒満洲里で金日成と毛沢東が協力し日本軍を追い出したというストーリー
⇒満州族エリアと朝鮮族エリアも吉林省など密接な関係がある
⇒戦後初めて満洲里からの国家主席外遊(ソ連へ)に使われた日本製蒸気機関車JFミカイ型
第5章4より
・中国人観光客はロシアショップでこぞって高級ウオッカ「ベルーガ」などを買っていた
⇒ショップの店員は一応ロシア語は通じるが殆どが漢民族系かモンゴル族系だった
⇒隣接するロシアの町で商品を仕入れ販売しているだけかも知れない
⇒だが出稼ぎや仕事の関係で来ているロシア人は他の街に較べてダントツに多い印象
・有名ロシア料理店の食のレベルは高く、どれもが美味しかった(略)
⇒旧共産圏の国の食事は美味しく今回の満洲里でも証明された
第5章5より
・内モンゴル自治区には多くの漢民族が流入し、モンゴル族の文化が薄れつつある
⇒モンゴルに近い満洲里でも街中にモンゴル感はあまりなく、むしろロシア感が強い
⇒これはモンゴルのウランバートルでも同じだった
⇒フルンボイル市ハイラル区には伝統的な内モンゴル文化が残ってるが今回は行けなかった
・満洲里で内モンゴル料理が食べられるローカル店にタクシーで案内してもらった
⇒店内は精肉店みたいな感じで肉と調理方法を選ぶ仕組み
⇒「羊のスペアリブを蒸す」を選択しオススメの麵料理も注文した
⇒麺は羊肉スープに白いうどんとパクチーのシンプルな料理だったが若干の羊臭がした
⇒スペアリブは蒸して余分な油が落ちたせいかジューシーさを残しつつ美味しかったが、
ニンニクとミントのソース、中華タレ、塩でも煮込み・茹で・蒸しでの獣臭は苦手だった
⇒だがモンゴルで食べた料理よりは美味しく感じた・・・
さてさて、わたくしの昔の経験とは全く逆の羊肉感想でしたが、いかがでしょう・・・
わたくしはモンゴルのキャンプ場で羊の石焼き(ミルク缶による蒸し焼き)をはじめて食べて
全く臭みのない岩塩のみのシンプルな美味しさに感動してました
その後に内モンゴルの賓館で同様のを食べましたが独特の羊臭を若干感じてました
(それでも美味しくて腹いっぱい食べたけど)
おそらく当時のモンゴルの羊は大草原で放牧され、その後に食べた内モンゴルの羊は飼料で
育てられた羊で、その差だと推測してましたが、今ではどうなんでしょうね
モンゴルでも草原放牧は減少してるらしいし、エーデルワイスやミントなどの高山植物を
食べて育った全く臭みのない羊肉なんて、今や稀少なのかも知れません
ちなみに「羊肉うどん」はモンゴルでは食べたけど、内モンゴルで食べた記憶がありません
甘粛省や寧夏回族自治区でも麺類はけっこう食べたけど、どれも麺がイマイチだったので、
中華麺も今のところ日本のが一番の好みですね

世界「史」の食べ歩き方であります
著者紹介

そう、登録者30万人超のプロ・ユーチューバーで、You Tubeのコンプライアンス規定上、
ありのまま伝えても規制がかかることがあり、そのために配信できなかった部分も含めて
本書で詳しく紹介・・・
とありましたが著者はじめての本だそうで、国境エリアなど滅多に観光客が行かないエリアの
料理と、タイトルどおりそのエリアと世界史との関係が紹介されてました
奥付

目次



このうち第5章「内モンゴル自治区の最果てで」(142~165頁)の一部のみメモしました
そう、わたくし中国・内モンゴル自治区には植林ボランティア活動で1999年から2018年まで、
十数回は訪問しており、本書は2025年3月の訪問記録なので最新情報といえるでしょう
(以下てきとーメモですが著作物からなので公開に問題があれば非公開設定にします)
第5章1より
・モンゴルは清朝の支配時代に内(皇帝の居住地に近い)と外(遠い)に分かれたとされる
⇒辛亥革命で清朝が崩壊し外蒙古のモンゴル族が独立を宣言
⇒1921年にソビエト連邦の支援を受け正式に独立国として承認された
(補足すれば帝政ロシア・中華民国・大日本帝国の一部支配時代もあり、戦後は中華人民共和国の
「内蒙古自治区」とソビエト連邦の衛星国としての「モンゴル人民共和国」に分断され、
ソ連崩壊により外モンゴルは1992年に社会主義を放棄して「モンゴル国」となったものの、
内モンゴルは中国の自治区のままでモンゴル族の割合が減少している状況です)
・モンゴルは中国に支配されたり支配したりを繰り返し、現在は外モンゴルだけがモンゴル国
⇒昔からロシアの影響が強く街並みが旧ソ連のようで独特な雰囲気
・内モンゴルは同じ民族だったエリアが分断されている状態とも言える
⇒中国政府から自治が与えられているがモンゴル族の文化や暮らしは薄れている
・内モンゴル自治区の中心都市は呼和浩特(フフホト)で、北京から高速鉄道で約3時間、
飛行機なら1時間と割と近い
(わたくしが通ってたのは呼和浩特(フフホト)西隣の大都市・包頭(バオトウ)から黄河を渡った
恩格貝の沙漠地域で、90年代には北京から包頭まででも夜行列車で15時間でした)
・今回の満洲里はフフホトからさらに飛行機で2時間、鉄道なら9時間の最果てにある
⇒中国・ロシア・モンゴルの交わる国境地で戦前には日本が深く関係していた
⇒ロシアと隣接しており極東ロシアの文化も入り混じった独特の文化圏
第5章2より
・満洲里はロシアのザバイカリスクという町に隣接しており商売や買い物のロシア人も多い
⇒シベリア鉄道の国際支線があり北京モスクワ間の入国審査や台車交換をする駅
⇒つまりアジアとヨーロッパの境界駅となる
・ホテルもロシア風で2軒目はマトリョーシカの形をした不思議系ホテルにしたが、
真横にあるマトリョーシカ・テーマパークも店も閉鎖されてた
・繁華街にはロシア風の建物もキリル文字の看板も多いのでロシアの田舎町の雰囲気
⇒本格的なロシア料理が楽しめるがグルメ記は別掲
・国境を見渡せるタワーには100元(2200円)で上れた
⇒中国は国境エリアを観光地化してるが何故かロシア国境は厳しめ
⇒ロシアへの経済制裁によりシベリア鉄道による中国や北朝鮮からの物資輸送が増えている
⇒モンゴル国境は平野の30km先なので見えなかった
第5章3より
・満洲里は満州族の村をあらわす地名でロシア語でもマンジュリ
⇒シベリア鉄道の国際支線があり日本から朝鮮・満州への輸送網の重要拠点だった
⇒南満州鉄道の玄関口で「満鉄付属地」として日本が管理しインフラ整備していった結果、
ロシア側のザバイカリスクより発展した
⇒東京から鉄道でパリへ行く場合、門司から大連までは客車を船に乗せ、大連から満洲里までは
満州鉄道、満洲里からはシベリア鉄道に客車を連結してヨーロッパへ
⇒東京からパリまで1枚の切符で行けた時代があった
・満洲里は軍事的にも重要拠点でハイラル・ノモンハン事件は有名
⇒現在の満洲里博物館は戦前の日本人小学校だが展示は日本の侵略がメインだった
⇒満洲里で金日成と毛沢東が協力し日本軍を追い出したというストーリー
⇒満州族エリアと朝鮮族エリアも吉林省など密接な関係がある
⇒戦後初めて満洲里からの国家主席外遊(ソ連へ)に使われた日本製蒸気機関車JFミカイ型
第5章4より
・中国人観光客はロシアショップでこぞって高級ウオッカ「ベルーガ」などを買っていた
⇒ショップの店員は一応ロシア語は通じるが殆どが漢民族系かモンゴル族系だった
⇒隣接するロシアの町で商品を仕入れ販売しているだけかも知れない
⇒だが出稼ぎや仕事の関係で来ているロシア人は他の街に較べてダントツに多い印象
・有名ロシア料理店の食のレベルは高く、どれもが美味しかった(略)
⇒旧共産圏の国の食事は美味しく今回の満洲里でも証明された
第5章5より
・内モンゴル自治区には多くの漢民族が流入し、モンゴル族の文化が薄れつつある
⇒モンゴルに近い満洲里でも街中にモンゴル感はあまりなく、むしろロシア感が強い
⇒これはモンゴルのウランバートルでも同じだった
⇒フルンボイル市ハイラル区には伝統的な内モンゴル文化が残ってるが今回は行けなかった
・満洲里で内モンゴル料理が食べられるローカル店にタクシーで案内してもらった
⇒店内は精肉店みたいな感じで肉と調理方法を選ぶ仕組み
⇒「羊のスペアリブを蒸す」を選択しオススメの麵料理も注文した
⇒麺は羊肉スープに白いうどんとパクチーのシンプルな料理だったが若干の羊臭がした
⇒スペアリブは蒸して余分な油が落ちたせいかジューシーさを残しつつ美味しかったが、
ニンニクとミントのソース、中華タレ、塩でも煮込み・茹で・蒸しでの獣臭は苦手だった
⇒だがモンゴルで食べた料理よりは美味しく感じた・・・
さてさて、わたくしの昔の経験とは全く逆の羊肉感想でしたが、いかがでしょう・・・
わたくしはモンゴルのキャンプ場で羊の石焼き(ミルク缶による蒸し焼き)をはじめて食べて
全く臭みのない岩塩のみのシンプルな美味しさに感動してました
その後に内モンゴルの賓館で同様のを食べましたが独特の羊臭を若干感じてました
(それでも美味しくて腹いっぱい食べたけど)
おそらく当時のモンゴルの羊は大草原で放牧され、その後に食べた内モンゴルの羊は飼料で
育てられた羊で、その差だと推測してましたが、今ではどうなんでしょうね
モンゴルでも草原放牧は減少してるらしいし、エーデルワイスやミントなどの高山植物を
食べて育った全く臭みのない羊肉なんて、今や稀少なのかも知れません
ちなみに「羊肉うどん」はモンゴルでは食べたけど、内モンゴルで食べた記憶がありません
甘粛省や寧夏回族自治区でも麺類はけっこう食べたけど、どれも麺がイマイチだったので、
中華麺も今のところ日本のが一番の好みですね
