糧食、飲料

2025年02月07日

地球グルメ大図鑑とブデチゲ考察?

ええ、まずは・・・

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地球グルメ大図鑑~世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味~のご紹介から


裏表紙

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奥付

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そう、

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こんな注意書きのある大図鑑であります わくわく


目次

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米国の項では51州すべて、さらには南極の各基地グルメまでありましたが・・・

まずは目次のアジア→東アジア→日本の項にあったグルメ?をメモ

・竹のウォータースライド(流しそうめん)

・鉄道駅のごちそう(200種類の駅弁を揃える
東京駅の駅弁屋)

・伝統の職人技が光るぺろぺろキャンディ(飴細工)

・寿司の元祖(琵琶湖のふなずし)

・エンタメ・レストラン(主役が料理ではない飲食店)

・海軍カレー(日本のカレーライス)

・洋食(日本生まれの西洋料理)
→ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、サンド、タコライス

・渋柿を甘くする技(干し柿)

・高級フルーツ(企業の夏冬2回の贈答競争で繁栄を謳歌しているフルーツ)
→でんすけすいか、太陽のタマゴ(マンゴー)、美人姫(イチゴ)、ルビーロマン(ブドウ)、夕張キング(メロン)

・相撲力士の鍋料理(ちゃんこ鍋)

・巨大な稲わらの構造物(わらアート)
(グルメではないけど食材に関する珍しいモノつーことでしょうね)

各項目に説明、写真、由来、レシピなどがあり、実際に現地で体験する方法も書いてあって、
食べ歩きガイドブックとしても使えるようになってました


と、世界中のグルメ?が紹介されてましたが、特に琴線に触れた項目から・・・

・正真正銘のモンゴル式バーベキュー「ボードグ」
→モンゴルの戦士は馬で移動するので重い調理器具を持ち運ぶのは不可能だった
→そんな遊牧生活に適した調理法として彼らは動物の体を調理器具として使った
→山羊やマーモットの腹から肉と骨と内蔵を取り出し肉(肝臓と腎臓を含む)にスパイスをふり、
熱く焼いた石と野菜と一緒に詰め戻し穴を塞ぎ直火で焼く
→焼け残った毛をナイフでこそげ落とし2時間ほどで首の穴から脂が滴るようになったら食べ頃で、
腹が大皿の役割も兼ねている
→チンギス・ハンも
ボードグで勝利の宴会をしていた(モンゴルシェフ連盟会長談)

まさに調理器具の要らない究極のアウトドア料理で、わたくしの大好きなモンゴル料理
羊の石焼きの原点だったんですね、調理器具はミルク缶を使ってましたが(98k談)


・米軍基地で生まれた鍋物ブデチゲ(韓国)
→今や韓国で一番人気を誇るフュージョン料理
→部隊鍋を意味するブデチゲは米国人が捨てた食料から生まれたものだった
→残飯から生まれた米国帝国主義の名残を屈折した形で伝える一品となった
朝鮮戦争中のソウル市民は食料不足で米軍基地のゴミ箱から缶詰の豆、チーズ、
スパム、
ハムなど加工食品の残飯を集めてキムチ、野菜、インスタント麺と一緒に鍋へ
→朝鮮戦争後も米国製品の規制は続き、米軍基地の食材を扱う酒保闇市が増えた
(多くの市民には米国産の加工肉が唯一の手が届く肉だった)
→1980年代に米国製品の規制が撤廃されブデチゲは人気の大衆料理として進化した
→とりわけ大学周辺に多いが高級地区にもブデチゲに特化したレストランがある・・・

(で、大好きなブデチゲの考察?)
わたくしは、韓国軍兵士が米軍経由のスパムなどの缶詰とキムチやインスタント麺などを
ひとつの鍋に入れて、
部隊の仲間で一緒に食べてたのを懐かしみ、退役後にも仲間と再現、
それがやがて貧乏学生から一般市民に拡がったと理解してたのですが本書のような説もあり、
ホントはどうだったのか(ヒマなので)考察?してみました

①ブデチゲの基本食材はスパムなどの加工肉とキムチと
スープ別添のインスタント麵だけど、
スープ別添の袋麺は1962年の明星食品と東洋水産が世界初なので、今のスタイルで初めて
食べられたのは、いくら
早くても1962年以降になるはず
(ちなみに朝鮮戦争時なら1950年~53年、戦後もっとも古いとされるインスタント
麺の記録
(第一次
南極観測隊に採用された「長寿麺」)でも朝鮮戦争から3年後の1956年)

②さらに
インスタント麵の海外への本格的な輸出はベトナム戦争の拡大(1968年)以降とされ、
それまでは在外邦人向けが中心、
アジア各国に急速に出回ったのもこれ以降のはず

③ただし明星食品が韓国に製造プラントを輸出したのは、
スープ別添の翌年1963年なので、
それ以降なら韓国にスープ別添のインスタント麵が普及していた可能はある

④以上から、韓国軍兵士がブデチゲとして食べたのは朝鮮戦争当時ではなくベトナム戦争当時、
おそらくは1968年以降で早くても1963年以降に、米軍経由のスパム缶詰と自前のキムチと
スープ別添のインスタント麵などを入れて、部隊の仲間とひとつの鍋をつつきあったのがルーツ、
と考えるほうが妥当ではないか、部隊鍋の名称からもインスタント麺の経緯(朝鮮戦争時には
まだ存在しない)からも、
ソウル市民が米軍基地の残飯を入れた鍋はブデチゲではない・・・
と推察したのですが、いかがでしょう?

(ちなみにブデチゲ以前の韓国では一人鍋が基本で、ひとつの鍋を分けあって食べるのは、
日本人と同じ下品な食べ方だったので、当時の大人たちからは軽蔑されてたとか)

まあ、スパムなど缶詰の加工肉、白菜キムチ、スープ別添の袋麺、あとは玉ねぎなど、
常温保存できる具材があればクーラーボックスがなくても、どこでも鍋宴会が楽しめて、
お腹いっぱいになりますから、わたくしもブデチゲとしての存在を知るずっと以前から
似たようなキャンプ鍋を楽しんでたので、諸説があるのも当然かも知れませんが・・・


閑話休題

わたくしの琴線に触れた項目を続けます・・・

・香辛料のコニャック・XO醤(香港)略

・平壌冷麺と大同江醸造所の7種類のビール(北朝鮮)略

・ブルネイのアンブヤット(サゴヤシの樹幹から取った粉をゼラチン状にしたもの)略

・ボルネオ島サバ州にしかないバンバンガン(オニオンスープ味のマンゴー)略

・ある独裁者の推し麺(タイのパッタイ)
→独裁者が1939年に国名をシャムからタイにするなど制定した国家規則のひとつがパッタイ
→コメの消費量を抑えるため麺類を奨励しパッタイのレシピと屋台を普及させ他の屋台を禁止した
→ライスヌードルは中国人がタイに持ち込んだとされるがパッタイはタイの国民食になった

・ジンバブエのモパネワーム(蛾の幼虫で10cmになる)
→タンパク質の含有量は牛肉の3倍、旨みはよく焼いたステーキと評される
→熟練した摘み手なら1日に25~50キロは採集できる
→内臓を指で絞り出して天日干し、好みで燻製、炙り焼、酢漬け、フライに
→モパネの葉3キロで1キロのモパネワームが育てられるので牛肉よりサスティナブル

・オーストラリア軍のFRED
→1940年代初頭に導入され缶切り・栓抜き・スプーンの機能を持つがスプーンが小さい
→Field Ration Eating Deviceの略だがFucking Ridiculous 
Eating Device(クソばかげた食器)とも
→2020年現在も軍の配給パックに標準装備されている(←なぜか持ってます)

・ガンパウダーラム(ニュージーランド)
→18世紀の英国海軍の水兵は毎日支給されるラム酒を火薬に垂らし火をつけて確認していた
→湿った火薬が燃えれば充分なアルコール濃度のラム酒と証明された(プルーフの起源)
アルコール濃度57%がネイビーストレングス(海軍の強さ)とされ燃えるかどうかの分かれ目
→オマージュとして誕生した
ガンパウダーラムは51.6%でネイビーストレングスに近い

・パイソンのペミカン(カナダ)
→パイソンの肉を焚火で乾燥させてから細かく挽き獣脂と混ぜる
→1ポンド(454g)あたり3500㌔㌍あり10年は常温保存できたので探検隊にも使われた
→ビーバー猟の必需品となりミシシッピ川北側のパイソンはほぼ絶滅した
→ペミカンは今もカナダのスーパーマーケットで購入できる

・クロンダイクの生活物資リスト(カナダ・ユーコン準州)
→1896年に
クロンダイクで金鉱が発見され北米各地から人々が殺到した
→ユーコン準州は不毛地帯だったので1年分の食料を持参するよう法律で定めていた
→キャンプ用品を含めると900kgになったので小分けにして何度も往復して持ち込んだ

で、カナダ最大だった百貨店の1898年発行カタログから1年間に必要な食料品と日用品のリスト
(著作物の一部なので公開に問題があれば非公開設定にします)

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いやあ、じつに興味深い内容です
食料のメインは小麦粉とベーコンで砂糖、豆、ロールドオーツも大きな比重を占めてますね
で、このリスト合計で600kg弱ですからキャンプ道具や衣類などが300kg強つーことになります
水や燃料は現地調達でしょうが必需品のラム酒やバーボンはどうしてたんだろ???


・南極観測基地の食生活(中国の長城基地など各国は略)
→日本の昭和基地では屋外での食事会が恒例でメニューは「流しそうめん」
→本来は半分に割った竹にそうめんを流すが南極では氷山に水路を掘って流す
→リュージュのコースを選手ではなくそうめんが滑る様子を想像してほしい


とか、料理や食材だけでなく食に関するエピソードも満載で大いに楽しめました



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2025年01月18日

バルセロナで一番おいしいパエリア!!!

とーとつですが・・・

バルセロナで一番おいしいパエリア!!!

つーことで水曜日、すっかり
高齢恒例になった、もと職場の同期会で楽しんできました

わたくし大阪駅の西側エリアは中央郵便局がJPタワーになってから初めてだったので、
まずはそのあたりの様子からメモ・・・

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西梅田駅から西への地下通路ができてたのね・・・





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で、すぐにJPタワー方面への案内があり、





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見上げれば高いビル・・・




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JPタワー内のKITTE OSAKAに入り、ビル地下を縦断して地上に上がれば、




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大阪駅西口に直結するINOGATE OSAKAイノゲート大阪へ・・・


で、

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その2階から5階までが
「おっさん(03)をはじめとするすべてのオフィスワーカー向けに、
大阪の老舗や路地裏の名店から海外の有名レストランまで大集結した」とゆー、
「バルチカ03(おっさん)」なのでありますね




と、迷う覚悟で早めに出たら早く着いたので、ちと付近を散策・・・

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梅田スカイビルまでの北側エリアも西側エリアもどんどん変わってきてますね
もとは鉄道貨物などの物流拠点、さらに昔は大阪七墓のひとつだったのですが・・・



自由に鑑賞できるアート作品も・・・

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いくつかあるようですが・・・




ま、ひとつだけ・・・

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で、バルチカ03(おっさん)の3階に上がれば・・・

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確かに大阪の老舗バー「サンボア」も入ってました

ちなみに帰りがけに二次会と称し、ここでさらに飲んだくれた輩もいたようです


で、こちらが「
バルセロナで一番おいしいパエリア」とゆーお店・・・

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チリンギート・エスクリバであります
バルセロナと東京にしかなかったのが今回はじめて大阪にも出店したのだとか・・・

ま、おっさん(おばはん)の泥酔画像をアップしても当サイトのアクセス数が落ちるだけなので、
以下てきとーにコース料理のみ、さくさくっとご紹介


日本人らしく、まずはセルベッサ(スーパードライ)で乾杯して、

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スペイン産オリーブのシトラスマリネ





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イベリコ豚の生ハムとクリスピーブレッドの「エアバッグ」





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フレッシュマッシュルームのサラダ





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ピンボケですがトラウトサーモンマリネとマイクロセロリ





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芳酵アボガドのワカモレディップとトルティーヤチップス




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ここらあたりでスパークリングワインに切り替えて・・・
そーいや「本日のサングリア」を頼むのを忘れてたな うぐぐぐ



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フライドポテトのブラバスとアイオリソース添え「バタータスブラバス」




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海老のアヒージョ



などタパスやピンチョスをたっぷり味わったところで、いよいよシメつーかメインの・・・

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「バルセロナで一番おいしい」パエリアであります

わたくしバルセロナではパエリアを食べる機会がなく、期待してたのでありますね


今回のメンバーは6人、2~3人でシェアするスタイルだったので・・・

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オーソドックスなミックス・パエリアと、




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イカスミ・パエリアの2種類にしました



とーぜん、どちらも6人で仲良く?シェアしあって

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完食であります・・・げふっ

「本日のサングリア」を忘れてたのは残念でしたが、じつに楽しかったです
で、セルベッサとスパークリングワイン数杯だけですっかり出来上がったわたくし、
往路は30分ちょいで着いたのに、帰路は(四つ橋線往復も含め)約4倍の時間を要し、
帰宅したのは「サンボア」で飲み続けてた3人と変わらなかったようです

加齢とともに酔いやすくなるそうですが、わたくしの場合は飲むと歩くのがつらい状態が
常態化しており、お店で飲んで帰宅するのがますます困難になってきてますね

それでも、たまには街に出て飲みたいのですが、自転車は昨年11月から飲酒運転の取り締まりが
さらに厳しくなったようだし、電車がある時間帯にタクシーつーのも抵抗があるし・・・
さてさて、どうしたものか???



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2024年12月18日

フロンティア最古の巨石遺跡の謎・視聴メモ

正確な番組タイトルはフロンティア「最古の巨石遺跡が語る文明の起源」
12月17日に放映されたNHK番組の視聴メモです

そう、こちらの本「万物の黎明」でも取り上げられてたトルコ南東部(メソポタミアの北部)にある、
ギョベックリ・テペなど農耕以前の狩猟採集民の遺跡を紹介する番組で、以前から興味があったので
忘れないうちに概要をランダムにメモしておきます

「昔の人たちは原始的だったと考えがちだが、自分たちが最も優れていると決めつける傲慢な文明観は
この遺跡によって覆された」(トルコの考古学者)


Chapter1「丘に通う考古学者」より

・ギョベックリ・テペ遺跡の紹介
→動物のレリーフや人間の身体を表現したT字型石柱の巨大神殿など
→年代測定により建てられたのは12000年前の新石器時代初頭と判明している
→家畜や栽培植物の痕跡はまったく見られず神殿を築いたのは狩猟採集民だった
→発掘したのはドイツの考古学者クラウツ・シュミット(1990年代半ばからで2014年に60歳で死亡)

・文明の起源は農耕?
→農耕の起源と定住生活の開始はつながっていて文明を築くには農耕が必要というのがこれまでの定説
→しかしここでは狩猟採集民がすべてをやり遂げていた
→定説(狩猟採集では移動するため大きな建物を建てることはなく、1万年前に農耕が始まってから定住し、
やがて貧富の差が生まれて権力者が巨大建造物を造った、という説)は間違っていた

・シリアの新石器時代の集落遺跡などは川の近くにあって今も畑がある農村地帯
→ギョベックリ・テペ遺跡は丘の頂上にあり水利もなく灰や炭などの生活痕跡も発見されない謎


Chapter2「麦を愛でる考古学者」より

・2007年からギョベックリ・テペ遺跡を研究する日本の植物考古学者・丹野研一
→農耕の起源は人類史でも大きなイベントのはずだが研究者は比較的少ない
→様々の遺跡を調べたが10500年前より古い遺跡からは栽培種の麦は見つからなかった
→なのでギョベックリ・テペ遺跡の時代の麦はすべて野生種のはず
→野生種の麦がよく生える場所は各地にある
→すべてを刈らずに種を残し発芽すれば他の雑草さえ刈っておけば翌年も多く収穫できる
→最初はつらい「農耕」ではなく耕さず成長を楽しんでいたのではないか?(プレイファーミング?)

・シュミット博士は現場の研究者にビールのロング缶を振る舞ってくれ、自分も一気に4缶を空けてから
「この遺跡から植物の痕跡は出土していないが自分はビールを作っていたと思う」と言っていた
→ビールは5500年前のメソポタミア文明からとされてたがギョベックリ・テペ遺跡は11000年以上前
→だが2019年の論文で、それ以前にビールがなかったとは言えない結果が出てきた

・実際に新石器時代イスラエルの洞窟からも醸造の痕跡が発見されている(オーストリアの考古学者)
→ギョベックリ・テペ遺跡からは大量の石の道具が出土している
→麦など穀物を粉砕する石器が最も多く、穀物をすり潰した痕跡も発見された
→今のギョベックリ・テペ遺跡の周辺でも春には野生の穀物が一斉に生える
→おそらくこれが遺跡を築いた理由のひとつだろう
→出土した多くの石桶には160ℓもの水が入る
→石桶と挽いた麦と水で実験するとシチューやビールが簡単にできた
→シュミット博士の解釈では遺跡は狩猟採集民の小集団が集まる聖なる神殿とのことだったが、
→科学的に調理器具や穀物の痕跡から大量のシチューやビールが生産されていたことが確認された
→つまり、この世界最古の巨大建物はビール宴会とセットだったのだ!!!
(きつい仕事と宴会がセットになっている例は伝統的社会にもよく見られる)


Chapter3「新たな巨大神殿」より

(ギョベックリ・テペ遺跡周辺の同時代の遺跡)
・カラハンテペ遺跡
→トルコの研究チームが発掘している
→ギョベックリ・テペ遺跡と同じ巨大遺跡で現在発掘されているのは全体の2.5%
→ギョベックリ・テペ遺跡にはない、通過儀礼に使ったと思われる遺跡もあった
→儀礼だけに使われる神殿(宴会場)だったのか定住集落だったのか?
→日本の考古学者により発見された石器は狩猟用の矢じりや穀物収穫用の鎌先など、神殿建設用ではなく
日常生活に使う普通の石器ばかりだった
→ギョベックリ・テペ遺跡と同じ変わった遺跡だが、人が普通に定住していた
→居住用の建物もあり住居と巨大神殿は同時期に使用されていた
(ギョベックリ・テペ遺跡でも後に住居跡や貯水槽が発見された→特定時期の祭礼場ではなく定住集落?)
→「定住する狩猟採集民のコミュニティ」があったのだ

・カラハンテペ遺跡から1.5km先にあるV字型の長大な石組みの壁跡
→付近で狩猟用の罠も見つかっており、追い込んで動物を効率よく捕まえるためと考えられている
→単体ではなく群れ全体を捕まえるようになった→この先に動物の家畜化がある
→当時の環境はもっと湿潤で周りは森に覆われていたという研究もあるので定住可能だったのかも
→大勢が一緒に暮らすようになり社会秩序を保つ仕組みも必要になったはず
→神殿などにより過去の神話や物語を共有する儀式で絆を強めたのでは

・ハルベトスワン・テペシ遺跡
→日本の研究チームが発掘している
→3年目の今年、岩盤近くで人骨が見つかった→来年以降に他の遺跡との関係性などを分析する
→現在、同時代の遺跡8か所で発掘が行われている→2021年からの「石の丘プロジェクト」

・サイブルチ遺跡
→今も人が住む村の中にあり20km離れたギョベックリ遺跡より数百年後の遺跡
→ヒョウや雄牛と人間のレリーフがあるがギョベックリとは逆で動物より人間がリアルになっている
→カラハンテペ遺跡でも2年後にリアルな人間像が発見された
→ギョベックリから数百年後には人間を宇宙の中心に置き始めたことを反映している
→それまで自然の一部だった人間が自然に力を行使する存在に変わり始めた

「狩猟採集民が高度な遺跡を作って定住していたことが判明して、これまで信じられていた人類の歩みを
考え直さないといけない段階にきている」

「人類の歴史には様々な可能性があって、そのひとつがギョベックリ遺跡であり、たまたま現在の文明も
その可能性のひとつに過ぎない、ということが重要」

云々・・・


いやあ、じつに面白かったです
冒頭にリンクした本に書かれてたとおり、これまでの人類史・文明史を一変させる遺跡のひとつですね

狩猟採集とはいっても、狩猟は今でいう定置網のような感じで季節的に大量捕獲して、採集も季節的に
効率よく収穫できるよう工夫してやってたんですね
それなら農耕や牧畜などの重労働をしなくても済むので、みんなで集まってビールで大宴会!!!

6000年以上も続いた縄文集落のパターンといい、どれもが文明の一形態であって、農耕以降の文明も
産業革命以降の文明も、あくまで文明の一形態に過ぎない、というのは確かに重要な認識で、どの文明が
より優れているのか、より進化しているのかというハナシではないんですね・・・

それにしても・・・
人類は12000年も前の狩猟採集時代から定住してみんなでビール大宴会してたんですね!!!
しかも農耕や牧畜といった重労働はせず、狩猟採集時期以外の1年の殆どをのんびり遊んで暮らしてた
うーむ、現在のわたくしの暮らしそのものやな・・・
あっ、わたくしは一時的な狩猟採集さえせず、たまにビールやつまみを買いに行くだけか・・・




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2024年12月11日

エコプロ2024土産のリベリカ珈琲!!!

ま、正確には・・・

エコプロ2024に出展されてたボルネオ熱帯雨林再生プロジェクトのブースで販売されてたのを
植林ボランティア仲間のS田さんが買ってきてくれた土産でありますが・・・


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そう、

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ボルネオ島サラワク州サバル森林保護区などで、同
プロジェクトが村人たちと育成している
稀少種のコーヒーなのでありますね

熱帯雨林の保護や再生のためにも現地で暮らす人たちの生活が豊かになることが重要で、
このプロジェクトのように村人を主体にした持続可能な混農林業(アグロフォレストリー)を
着実に育てていくことも、フェアトレードやエコツーリズムと並んで、自然との共生に繋がると、
わたくしも考えています


皆さんも身近にできることから、何かはじめていただければ・・・

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P.S
それにしても・・・今回わざわざ京都から東京のエコプロ2024まで行かれたS田さん、

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わたくし用に6パックも買ってきてくれてありがとうね!!!

えっ、うち5パックはフラッシュ光メンバーに渡す分だっけ???

ま、次回の宴会もとい企画会議まで、手つかずで残るのかどーだか・・・げひげひ



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2024年12月07日

某SF研究会・創立54周年???

さる11月27日に某大学SF研究会の創立54周年???宴会同窓会に参加してたので、
忘れないうちに脳の外部記憶としてメモしておきます

じつは14年前の創立40周年式典を皮切りに創立45周年式典と、5年おきに現役学生を中心に
企画開催してくれてたのですが、いよいよ創立50周年記念大式典!!!の年がコロナ禍と重なり、
中止になった経過があり落ち込んでたのですが、ずっとお世話してくれてたS本さんから
「その後も同学年を中心に少人数が大学EVE祭の時期に京都で何回か集まってますので、
98k先輩もよかったら・・・」と古いメルアドにお誘いがあり、喜んで参加してきた次第


会場は四条河原町にある懐かしいミュンヘンの2階、3時の集合でした

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遠方からの参加者も多く集合時間までに何名かが大学EVE祭にも行かれてたようですが、
今年のSF研ブースは見つけられなかったとか・・・


で、今回宴会同窓会の入場券???

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って、こちらは当時のSF研ブースの入場券で当日
後輩が持参してくれてたもの

SF研プロレス・ショーの始まりは第100回記念EVE祭からだったんですね・・・
で、これが大盛況で翌年はブースに使う教室を大きくして入場料も倍にして大儲けしたのね!!!
今年のEVE祭が第149回でしたから49年前と48年前の貴重な資料であります

我々創設時メンバーが初めてのEVE祭出店で手塚治虫の実験アニメーション「ある街角の物語」
などの映画喫茶をやってから数年後になり、偶然プロレスファンの後輩が複数名入会してきて、
単なるノリではじまった怪しいショー(上級生も面白がってノッてたけど)でしたが、
おそらくこれが
日本初の「アマチュア・プロレス・ショー」だったはず・・・


で、今回メンバーでは最古参になるわたくしに乾杯音頭の要請があったので・・・

「それでは創立54周年と筒井康隆大先輩が元気で生誕90周年を迎えられたことを祝して、」

長寿と繁栄を、ついでにフォースと共にあらんことを・・・

ごくごくごく




ま、以後は昔の空想科学少年少女たち16名が(隣の料理まで奪い合い)ひたすら食べて飲んで、
ひたすらヲタ話や昔話や近況報告で盛り上がってました

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今もSF関係に関わってる後輩も何人かいて、創設者のK山さんも京大SF研の安田さんも
同期のSS木くんも元気と聞いて安心しました
そーいや神大SF研のY本さんらはどうされてるんだろう・・・

たまたま関大SF研とは古いSNSで繋がりがあるので、S本さんに「このメンバーだけでも
LINEグループとかを始めたら便利なのでは?」と提案したのですが・・・

「それが今もガラケーだけとか、SNSとは無縁のメンバーも多くて・・・あはは

「このSF研の不思議な伝統やね、筒井大先輩はワープロ小説とかネット小説の先駆者やのに
ま、自分も
20年前から変わらずブログ形式やから他人のことは言えんけど・・・あはは


と、さすがに4年以上離れてる後輩には覚えのない顔もありましたが、それでも4回生の時の
1回生が4回生になった時の1回生とは繋がってるわけだし、宴席もそんな感じで並んでました

なにせ当時の趣味が共通だった仲間が集まってるので話題は尽きず、
じつに楽しい飲み会でした
このあたりは世代が異なってても楽しい前回記事のライトOFF会と同じですね


S本さんO久保さんはじめお世話になった皆さん、じつに楽しかったです ありがとね!!!
次回も是非誘って下さいね!!! 

ええ、メールでも電報でも手旗信号でも、伝書鳩でも太鼓でも狼煙でもいいので・・・




(おまけ)
せっかくなので当日?の宴会スナップ画像も・・・


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そう、半世紀ほどタイムスリップした当時の宴会スナップであります

そーいや、この時に宴会場で見知らぬ老女から懐中電灯もとい懐中時計をもらって、その後に
泊った旅館の資料室にあった美女の写真に魅せられ、さらに過去へタイムスリップしたな・・・
(「ある日どこかで(リチャード・マシスン)」より)
(1976年のSF、映画化は1980年でクリストファー・リーヴ主演、SF映画の佳作でしたね
)




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