糧食、飲料
2026年05月19日
世界史の食べ歩き方
とーとつですが・・・

世界「史」の食べ歩き方であります
著者紹介

そう、登録者30万人超のプロ・ユーチューバーで、You Tubeのコンプライアンス規定上、
ありのまま伝えても規制がかかることがあり、そのために配信できなかった部分も含めて
本書で詳しく紹介・・・
とありましたが著者はじめての本だそうで、国境エリアなど滅多に観光客が行かないエリアの
料理と、タイトルどおりそのエリアと世界史との関係が紹介されてました
奥付

目次



このうち第5章「内モンゴル自治区の最果てで」(142~165頁)の一部のみメモしました
そう、わたくし中国・内モンゴル自治区には植林ボランティア活動で1999年から2018年まで、
十数回は訪問しており、本書は2025年3月の訪問記録なので最新情報といえるでしょう
(以下てきとーメモですが著作物からなので公開に問題があれば非公開設定にします)
第5章1より
・モンゴルは清朝の支配時代に内(皇帝の居住地に近い)と外(遠い)に分かれたとされる
⇒辛亥革命で清朝が崩壊し外蒙古のモンゴル族が独立を宣言
⇒1921年にソビエト連邦の支援を受け正式に独立国として承認された
(補足すれば帝政ロシア・中華民国・大日本帝国の一部支配時代もあり、戦後は中華人民共和国の
「内蒙古自治区」とソビエト連邦の衛星国としての「モンゴル人民共和国」に分断され、
ソ連崩壊により外モンゴルは1992年に社会主義を放棄して「モンゴル国」となったものの、
内モンゴルは中国の自治区のままでモンゴル族の割合が減少している状況です)
・モンゴルは中国に支配されたり支配したりを繰り返し、現在は外モンゴルだけがモンゴル国
⇒昔からロシアの影響が強く街並みが旧ソ連のようで独特な雰囲気
・内モンゴルは同じ民族だったエリアが分断されている状態とも言える
⇒中国政府から自治が与えられているがモンゴル族の文化や暮らしは薄れている
・内モンゴル自治区の中心都市は呼和浩特(フフホト)で、北京から高速鉄道で約3時間、
飛行機なら1時間と割と近い
(わたくしが通ってたのは呼和浩特(フフホト)西隣の大都市・包頭(バオトウ)から黄河を渡った
恩格貝の沙漠地域で、90年代には北京から包頭まででも夜行列車で15時間でした)
・今回の満洲里はフフホトからさらに飛行機で2時間、鉄道なら9時間の最果てにある
⇒中国・ロシア・モンゴルの交わる国境地で戦前には日本が深く関係していた
⇒ロシアと隣接しており極東ロシアの文化も入り混じった独特の文化圏
第5章2より
・満洲里はロシアのザバイカリスクという町に隣接しており商売や買い物のロシア人も多い
⇒シベリア鉄道の国際支線があり北京モスクワ間の入国審査や台車交換をする駅
⇒つまりアジアとヨーロッパの境界駅となる
・ホテルもロシア風で2軒目はマトリョーシカの形をした不思議系ホテルにしたが、
真横にあるマトリョーシカ・テーマパークも店も閉鎖されてた
・繁華街にはロシア風の建物もキリル文字の看板も多いのでロシアの田舎町の雰囲気
⇒本格的なロシア料理が楽しめるがグルメ記は別掲
・国境を見渡せるタワーには100元(2200円)で上れた
⇒中国は国境エリアを観光地化してるが何故かロシア国境は厳しめ
⇒ロシアへの経済制裁によりシベリア鉄道による中国や北朝鮮からの物資輸送が増えている
⇒モンゴル国境は平野の30km先なので見えなかった
第5章3より
・満洲里は満州族の村をあらわす地名でロシア語でもマンジュリ
⇒シベリア鉄道の国際支線があり日本から朝鮮・満州への輸送網の重要拠点だった
⇒南満州鉄道の玄関口で「満鉄付属地」として日本が管理しインフラ整備していった結果、
ロシア側のザバイカリスクより発展した
⇒東京から鉄道でパリへ行く場合、門司から大連までは客車を船に乗せ、大連から満洲里までは
満州鉄道、満洲里からはシベリア鉄道に客車を連結してヨーロッパへ
⇒東京からパリまで1枚の切符で行けた時代があった
・満洲里は軍事的にも重要拠点でハイラル・ノモンハン事件は有名
⇒現在の満洲里博物館は戦前の日本人小学校だが展示は日本の侵略がメインだった
⇒満洲里で金日成と毛沢東が協力し日本軍を追い出したというストーリー
⇒満州族エリアと朝鮮族エリアも吉林省など密接な関係がある
⇒戦後初めて満洲里からの国家主席外遊(ソ連へ)に使われた日本製蒸気機関車JFミカイ型
第5章4より
・中国人観光客はロシアショップでこぞって高級ウオッカ「ベルーガ」などを買っていた
⇒ショップの店員は一応ロシア語は通じるが殆どが漢民族系かモンゴル族系だった
⇒隣接するロシアの町で商品を仕入れ販売しているだけかも知れない
⇒だが出稼ぎや仕事の関係で来ているロシア人は他の街に較べてダントツに多い印象
・有名ロシア料理店の食のレベルは高く、どれもが美味しかった(略)
⇒旧共産圏の国の食事は美味しく今回の満洲里でも証明された
第5章5より
・内モンゴル自治区には多くの漢民族が流入し、モンゴル族の文化が薄れつつある
⇒モンゴルに近い満洲里でも街中にモンゴル感はあまりなく、むしろロシア感が強い
⇒これはモンゴルのウランバートルでも同じだった
⇒フルンボイル市ハイラル区には伝統的な内モンゴル文化が残ってるが今回は行けなかった
・満洲里で内モンゴル料理が食べられるローカル店にタクシーで案内してもらった
⇒店内は精肉店みたいな感じで肉と調理方法を選ぶ仕組み
⇒「羊のスペアリブを蒸す」を選択しオススメの麵料理も注文した
⇒麺は羊肉スープに白いうどんとパクチーのシンプルな料理だったが若干の羊臭がした
⇒スペアリブは蒸して余分な油が落ちたせいかジューシーさを残しつつ美味しかったが、
ニンニクとミントのソース、中華タレ、塩でも煮込み・茹で・蒸しでの獣臭は苦手だった
⇒だがモンゴルで食べた料理よりは美味しく感じた・・・
さてさて、わたくしの昔の経験とは全く逆の羊肉感想でしたが、いかがでしょう・・・
わたくしはモンゴルのキャンプ場で羊の石焼き(ミルク缶による蒸し焼き)をはじめて食べて
全く臭みのない岩塩のみのシンプルな美味しさに感動してました
その後に内モンゴルの賓館で同様のを食べましたが独特の羊臭を若干感じてました
(それでも美味しくて腹いっぱい食べたけど)
おそらく当時のモンゴルの羊は大草原で放牧され、その後に食べた内モンゴルの羊は飼料で
育てられた羊で、その差だと推測してましたが、今ではどうなんでしょうね
モンゴルでも草原放牧は減少してるらしいし、エーデルワイスやミントなどの高山植物を
食べて育った全く臭みのない羊肉なんて、今や稀少なのかも知れません
ちなみに「羊肉うどん」はモンゴルでは食べたけど、内モンゴルで食べた記憶がありません
甘粛省や寧夏回族自治区でも麺類はけっこう食べたけど、どれも麺がイマイチだったので、
中華麺も今のところ日本のが一番の好みですね

世界「史」の食べ歩き方であります
著者紹介

そう、登録者30万人超のプロ・ユーチューバーで、You Tubeのコンプライアンス規定上、
ありのまま伝えても規制がかかることがあり、そのために配信できなかった部分も含めて
本書で詳しく紹介・・・
とありましたが著者はじめての本だそうで、国境エリアなど滅多に観光客が行かないエリアの
料理と、タイトルどおりそのエリアと世界史との関係が紹介されてました
奥付

目次



このうち第5章「内モンゴル自治区の最果てで」(142~165頁)の一部のみメモしました
そう、わたくし中国・内モンゴル自治区には植林ボランティア活動で1999年から2018年まで、
十数回は訪問しており、本書は2025年3月の訪問記録なので最新情報といえるでしょう
(以下てきとーメモですが著作物からなので公開に問題があれば非公開設定にします)
第5章1より
・モンゴルは清朝の支配時代に内(皇帝の居住地に近い)と外(遠い)に分かれたとされる
⇒辛亥革命で清朝が崩壊し外蒙古のモンゴル族が独立を宣言
⇒1921年にソビエト連邦の支援を受け正式に独立国として承認された
(補足すれば帝政ロシア・中華民国・大日本帝国の一部支配時代もあり、戦後は中華人民共和国の
「内蒙古自治区」とソビエト連邦の衛星国としての「モンゴル人民共和国」に分断され、
ソ連崩壊により外モンゴルは1992年に社会主義を放棄して「モンゴル国」となったものの、
内モンゴルは中国の自治区のままでモンゴル族の割合が減少している状況です)
・モンゴルは中国に支配されたり支配したりを繰り返し、現在は外モンゴルだけがモンゴル国
⇒昔からロシアの影響が強く街並みが旧ソ連のようで独特な雰囲気
・内モンゴルは同じ民族だったエリアが分断されている状態とも言える
⇒中国政府から自治が与えられているがモンゴル族の文化や暮らしは薄れている
・内モンゴル自治区の中心都市は呼和浩特(フフホト)で、北京から高速鉄道で約3時間、
飛行機なら1時間と割と近い
(わたくしが通ってたのは呼和浩特(フフホト)西隣の大都市・包頭(バオトウ)から黄河を渡った
恩格貝の沙漠地域で、90年代には北京から包頭まででも夜行列車で15時間でした)
・今回の満洲里はフフホトからさらに飛行機で2時間、鉄道なら9時間の最果てにある
⇒中国・ロシア・モンゴルの交わる国境地で戦前には日本が深く関係していた
⇒ロシアと隣接しており極東ロシアの文化も入り混じった独特の文化圏
第5章2より
・満洲里はロシアのザバイカリスクという町に隣接しており商売や買い物のロシア人も多い
⇒シベリア鉄道の国際支線があり北京モスクワ間の入国審査や台車交換をする駅
⇒つまりアジアとヨーロッパの境界駅となる
・ホテルもロシア風で2軒目はマトリョーシカの形をした不思議系ホテルにしたが、
真横にあるマトリョーシカ・テーマパークも店も閉鎖されてた
・繁華街にはロシア風の建物もキリル文字の看板も多いのでロシアの田舎町の雰囲気
⇒本格的なロシア料理が楽しめるがグルメ記は別掲
・国境を見渡せるタワーには100元(2200円)で上れた
⇒中国は国境エリアを観光地化してるが何故かロシア国境は厳しめ
⇒ロシアへの経済制裁によりシベリア鉄道による中国や北朝鮮からの物資輸送が増えている
⇒モンゴル国境は平野の30km先なので見えなかった
第5章3より
・満洲里は満州族の村をあらわす地名でロシア語でもマンジュリ
⇒シベリア鉄道の国際支線があり日本から朝鮮・満州への輸送網の重要拠点だった
⇒南満州鉄道の玄関口で「満鉄付属地」として日本が管理しインフラ整備していった結果、
ロシア側のザバイカリスクより発展した
⇒東京から鉄道でパリへ行く場合、門司から大連までは客車を船に乗せ、大連から満洲里までは
満州鉄道、満洲里からはシベリア鉄道に客車を連結してヨーロッパへ
⇒東京からパリまで1枚の切符で行けた時代があった
・満洲里は軍事的にも重要拠点でハイラル・ノモンハン事件は有名
⇒現在の満洲里博物館は戦前の日本人小学校だが展示は日本の侵略がメインだった
⇒満洲里で金日成と毛沢東が協力し日本軍を追い出したというストーリー
⇒満州族エリアと朝鮮族エリアも吉林省など密接な関係がある
⇒戦後初めて満洲里からの国家主席外遊(ソ連へ)に使われた日本製蒸気機関車JFミカイ型
第5章4より
・中国人観光客はロシアショップでこぞって高級ウオッカ「ベルーガ」などを買っていた
⇒ショップの店員は一応ロシア語は通じるが殆どが漢民族系かモンゴル族系だった
⇒隣接するロシアの町で商品を仕入れ販売しているだけかも知れない
⇒だが出稼ぎや仕事の関係で来ているロシア人は他の街に較べてダントツに多い印象
・有名ロシア料理店の食のレベルは高く、どれもが美味しかった(略)
⇒旧共産圏の国の食事は美味しく今回の満洲里でも証明された
第5章5より
・内モンゴル自治区には多くの漢民族が流入し、モンゴル族の文化が薄れつつある
⇒モンゴルに近い満洲里でも街中にモンゴル感はあまりなく、むしろロシア感が強い
⇒これはモンゴルのウランバートルでも同じだった
⇒フルンボイル市ハイラル区には伝統的な内モンゴル文化が残ってるが今回は行けなかった
・満洲里で内モンゴル料理が食べられるローカル店にタクシーで案内してもらった
⇒店内は精肉店みたいな感じで肉と調理方法を選ぶ仕組み
⇒「羊のスペアリブを蒸す」を選択しオススメの麵料理も注文した
⇒麺は羊肉スープに白いうどんとパクチーのシンプルな料理だったが若干の羊臭がした
⇒スペアリブは蒸して余分な油が落ちたせいかジューシーさを残しつつ美味しかったが、
ニンニクとミントのソース、中華タレ、塩でも煮込み・茹で・蒸しでの獣臭は苦手だった
⇒だがモンゴルで食べた料理よりは美味しく感じた・・・
さてさて、わたくしの昔の経験とは全く逆の羊肉感想でしたが、いかがでしょう・・・
わたくしはモンゴルのキャンプ場で羊の石焼き(ミルク缶による蒸し焼き)をはじめて食べて
全く臭みのない岩塩のみのシンプルな美味しさに感動してました
その後に内モンゴルの賓館で同様のを食べましたが独特の羊臭を若干感じてました
(それでも美味しくて腹いっぱい食べたけど)
おそらく当時のモンゴルの羊は大草原で放牧され、その後に食べた内モンゴルの羊は飼料で
育てられた羊で、その差だと推測してましたが、今ではどうなんでしょうね
モンゴルでも草原放牧は減少してるらしいし、エーデルワイスやミントなどの高山植物を
食べて育った全く臭みのない羊肉なんて、今や稀少なのかも知れません
ちなみに「羊肉うどん」はモンゴルでは食べたけど、内モンゴルで食べた記憶がありません
甘粛省や寧夏回族自治区でも麺類はけっこう食べたけど、どれも麺がイマイチだったので、
中華麺も今のところ日本のが一番の好みですね
2026年05月10日
GW乾杯メモ
10日ぶりの記事更新となりましたが・・・
GWの10日間(とその前後も)あちこちで乾杯
してたので備忘のためメモしておきます
まず4月28日には前回記事のとおり「お花畑キャンプ」で何度も乾杯してました
で、5月2日には家内の妹(酒豪
)がひさしぶりに自宅に来てくれて・・・

まずは赤のスパークリングワインで乾杯
たちまち3人で1本を空け、とりあえずビールに切り替えて・・・

こちらもひさしぶりの家内手作り煮込みハンバーグなんぞで再び乾杯
・・・

やがて手作り茶碗蒸しなんぞが出るとビールから日本酒へ・・・

日本酒からハイボール、そして再びビールへとゆーメビウスの輪になり・・・

ついにこの夜はお土産の立町カヌレまで辿り着かず、5時間は乾杯を繰り返しましたとさ
で、翌3日の昼には近所に引っ越してきた妹の友人(酒豪
)も招いて・・・

ネパール料理「サウラハ」のテイクアウトで4人で乾杯
ばくばく食べてかぱかぱ呑んでから、わたくしは中座して実家に向かいましたが、
さらに3人は赤ワインなんぞで延々と盛り上がってたそうです
で、3時にはwingさんがわたくしの実家に到着、4時前には川端さんも到着して・・・

ひさしぶりのライトOFF会つーか、おなじみまったりダベり会
つーことで6時過ぎには3人でふらふら歩いて麵屋・爽月へ

カツオ出汁の効いた「だし巻き卵」なんぞで・・・

まずは「店主おまかせ試飲セット」この夜は計6種類で乾杯

わたくしはこちらの3種類でしたが、中でも左の「諸事情」つーのは・・・
諸事情により通常通りに作れなかったら案外美味しくできた銘柄、とのことでした
wingさんはこちらの3種類

で、お気に入りになった左の濁り酒「THE MOON」をショットで追加したりして・・・


ごぼう天は出汁の効いた餡も秀逸でした(背景は追加した「肉入りだし巻き卵」
)

おなじみ「とり天」と、ひさしぶりの「おでんコロッケ」で、こちらも出汁が秀逸です

wingさん好みのハムカツ
と、もちろん〆は、

ざる蕎麦で・・・
と、夜食・朝食・飲み物・甘味をスーパーで買い出しして実家に戻りましたが・・・

わたくしは甘味なんぞで軽くダベっただけで11時過ぎにはシュラフに潜り込みました
そう、さすがに「乾杯疲れ」が出てきたのでしょうか・・・げふっ
(ま、買ったはずの助六寿司とかが何故か深夜には消えてましたが
)
で、翌朝8時半にはごつほざさんも来てくれ、まともなライトOFF会になって盛り上がり、
皆さん昼食に外出するのもめんどーになって、かつやのカツ丼をテイクアウト・・・


誰かさんだけビールで、2名はノンアルで、呑まない川端さんはコーヒーで乾杯
と「3ヶ月でマスターする古代文明」全12回を観ながらダベり続け、夕方には解散しました
で、4日の昼前には長男家族が名古屋から帰阪、いつもの公園の児童遊園で合流し・・・

いつもの「どこでも宴会セット」を拡げて・・・



家内の手作り弁当で乾杯
孫たちは公園を駆けまわり、約3分間だけボール投げに付き合った大阪じいじは、
たちまち足腰だけでなく上半身にも激痛が・・・うぐぐぐ
と、思い切り遊びまわった後の自宅での夕食は・・・




大阪じいじ手作りの「すき焼き」で乾杯
この夜も長男の嫁(酒豪
)らと大いに吞んで食べたのですが、孫(次女のほう)がすっかり
肉好きになっているのに驚きました
今や食べ物で大好きなのは麺類と肉類だそうで、これが隔世遺伝つーやつなのか???
ちなみに〆にはきしめんを投入しましたが、嫁は名古屋でもあまり食べないとのことで、
これも驚きでした
ま、孫(次女のほう)は麺類なら何でもちゅるちゅるばくばく
だそうですが・・・
で、彼らは8時過ぎには近所に予約していたゲストハウスに戻って早めの就寝
そう、翌5日は早朝からUSJユニバーサルスタジオジャパンだったのでありますね
わたくしたちも誘ってくれてたのですが、連休中で凄い人出だろうし、孫たちのお目当ては
マリオとかミニオンとかだろうし、つーことでこの日は彼らだけで行ってもらいましたが、
ゲストハウスに戻ったのは9時半を過ぎてたそうで、たっぷりと楽しんだようです
と、翌6日は6人全員が長男のクルマで・・・

ザ・シンフォニーホールでのコンサート(午前の部)へ・・・
「0歳児からのオーケストラ」つーことでしたが大人も充分に楽しめました
つーことで、この日の昼食は・・・

(長男が予約してくれてた)グラングリーン大阪B1にある、お好み焼き屋さんへ
まずは焼きそばで乾杯

ま、運転する長男夫婦はノンアルでしたが



孫(次女のほう)は肉と麺だけを選んでばくばく
、大阪じいじは手当たり次第にばくばく

〆の抹茶パフェなんぞもばくばくばく
長男家族とは店の前で分かれ、彼らはクルマで名古屋へ帰宅・・・
わたくしたち夫婦はJR環状線と南海本線でのんびり帰宅しました
そう、今はJR大阪駅に新線の「うめきた地下口」ができてるんですね 知りませんでした
で、昨日の5月9日には・・・

夕方からチン電「北天下茶屋」電停前にあるイタリアン「タルタルーガ」の2階へ・・・
まずはスパークリングワインで、


4人で乾杯
そう、こちらの記事後半のとおり、たまたま公園で出会ったトレック乗りの彼女(酒豪
)と、
彼女の彼氏(酒豪
)とは、その後すっかり呑み友達になってて家内と4人、前回は肥田シェフの
ぽたじぇで、今回はこちらでの呑み会となった次第なのでありますね
で、

美味しい前菜を食べ終える前に最初のスパークリングワインが空いてしまい、

2本目の白(びみょーにオレンジ?)ワインで2度目の乾杯
さらに・・・


ピザとペンネを食べ終える頃には白ワインも空いたので・・・
メインの肉料理にあわせて赤ワインを注文・・・

3度目の乾杯
であります
で、メインの肉料理は・・・

食べる前に撮ればよかったものを・・・
と、〆はもちろん


美味しいピザとパスタでした めでたしめでたし
と、気づけばこの日も5時から9時前まで4時間近く楽しい会話で過ごしてました
帰りはチン電(阪堺線)の本数が少なかったので南海・天下茶屋駅まで見送ってくれて、
無事に帰宅することができました ありがとね
お二人とも当ブログサイトの記事で折りたたみ小径車(ミニベロ)にも興味を持たれたようで、
いつかお気楽ポタリングにご一緒できるといいなあ
でも彼らは日帰りで軽く100kmは漕ぐそうですから、わたくしは迷惑なだけか・・・
さてさて、次回はいつどこの呑み会で乾杯できるかな・・・わくわく
GWの10日間(とその前後も)あちこちで乾杯
してたので備忘のためメモしておきます
まず4月28日には前回記事のとおり「お花畑キャンプ」で何度も乾杯してました

で、5月2日には家内の妹(酒豪
)がひさしぶりに自宅に来てくれて・・・
まずは赤のスパークリングワインで乾杯

たちまち3人で1本を空け、とりあえずビールに切り替えて・・・

こちらもひさしぶりの家内手作り煮込みハンバーグなんぞで再び乾杯
・・・
やがて手作り茶碗蒸しなんぞが出るとビールから日本酒へ・・・

日本酒からハイボール、そして再びビールへとゆーメビウスの輪になり・・・

ついにこの夜はお土産の立町カヌレまで辿り着かず、5時間は乾杯を繰り返しましたとさ
で、翌3日の昼には近所に引っ越してきた妹の友人(酒豪
)も招いて・・・
ネパール料理「サウラハ」のテイクアウトで4人で乾杯

ばくばく食べてかぱかぱ呑んでから、わたくしは中座して実家に向かいましたが、
さらに3人は赤ワインなんぞで延々と盛り上がってたそうです
で、3時にはwingさんがわたくしの実家に到着、4時前には川端さんも到着して・・・

ひさしぶりのライトOFF会つーか、おなじみまったりダベり会

つーことで6時過ぎには3人でふらふら歩いて麵屋・爽月へ

カツオ出汁の効いた「だし巻き卵」なんぞで・・・

まずは「店主おまかせ試飲セット」この夜は計6種類で乾杯


わたくしはこちらの3種類でしたが、中でも左の「諸事情」つーのは・・・
諸事情により通常通りに作れなかったら案外美味しくできた銘柄、とのことでした

wingさんはこちらの3種類

で、お気に入りになった左の濁り酒「THE MOON」をショットで追加したりして・・・


ごぼう天は出汁の効いた餡も秀逸でした(背景は追加した「肉入りだし巻き卵」
)
おなじみ「とり天」と、ひさしぶりの「おでんコロッケ」で、こちらも出汁が秀逸です

wingさん好みのハムカツ
と、もちろん〆は、

ざる蕎麦で・・・

と、夜食・朝食・飲み物・甘味をスーパーで買い出しして実家に戻りましたが・・・

わたくしは甘味なんぞで軽くダベっただけで11時過ぎにはシュラフに潜り込みました
そう、さすがに「乾杯疲れ」が出てきたのでしょうか・・・げふっ

(ま、買ったはずの助六寿司とかが何故か深夜には消えてましたが
)で、翌朝8時半にはごつほざさんも来てくれ、まともなライトOFF会になって盛り上がり、
皆さん昼食に外出するのもめんどーになって、かつやのカツ丼をテイクアウト・・・


誰かさんだけビールで、2名はノンアルで、呑まない川端さんはコーヒーで乾杯

と「3ヶ月でマスターする古代文明」全12回を観ながらダベり続け、夕方には解散しました
で、4日の昼前には長男家族が名古屋から帰阪、いつもの公園の児童遊園で合流し・・・

いつもの「どこでも宴会セット」を拡げて・・・



家内の手作り弁当で乾杯

孫たちは公園を駆けまわり、約3分間だけボール投げに付き合った大阪じいじは、
たちまち足腰だけでなく上半身にも激痛が・・・うぐぐぐ

と、思い切り遊びまわった後の自宅での夕食は・・・




大阪じいじ手作りの「すき焼き」で乾杯

この夜も長男の嫁(酒豪
)らと大いに吞んで食べたのですが、孫(次女のほう)がすっかり肉好きになっているのに驚きました
今や食べ物で大好きなのは麺類と肉類だそうで、これが隔世遺伝つーやつなのか???

ちなみに〆にはきしめんを投入しましたが、嫁は名古屋でもあまり食べないとのことで、
これも驚きでした
ま、孫(次女のほう)は麺類なら何でもちゅるちゅるばくばく
だそうですが・・・で、彼らは8時過ぎには近所に予約していたゲストハウスに戻って早めの就寝
そう、翌5日は早朝からUSJユニバーサルスタジオジャパンだったのでありますね
わたくしたちも誘ってくれてたのですが、連休中で凄い人出だろうし、孫たちのお目当ては
マリオとかミニオンとかだろうし、つーことでこの日は彼らだけで行ってもらいましたが、
ゲストハウスに戻ったのは9時半を過ぎてたそうで、たっぷりと楽しんだようです
と、翌6日は6人全員が長男のクルマで・・・

ザ・シンフォニーホールでのコンサート(午前の部)へ・・・
「0歳児からのオーケストラ」つーことでしたが大人も充分に楽しめました
つーことで、この日の昼食は・・・

(長男が予約してくれてた)グラングリーン大阪B1にある、お好み焼き屋さんへ
まずは焼きそばで乾杯


ま、運転する長男夫婦はノンアルでしたが




孫(次女のほう)は肉と麺だけを選んでばくばく
、大阪じいじは手当たり次第にばくばく

〆の抹茶パフェなんぞもばくばくばく

長男家族とは店の前で分かれ、彼らはクルマで名古屋へ帰宅・・・
わたくしたち夫婦はJR環状線と南海本線でのんびり帰宅しました
そう、今はJR大阪駅に新線の「うめきた地下口」ができてるんですね 知りませんでした
で、昨日の5月9日には・・・

夕方からチン電「北天下茶屋」電停前にあるイタリアン「タルタルーガ」の2階へ・・・
まずはスパークリングワインで、


4人で乾杯

そう、こちらの記事後半のとおり、たまたま公園で出会ったトレック乗りの彼女(酒豪
)と、彼女の彼氏(酒豪
)とは、その後すっかり呑み友達になってて家内と4人、前回は肥田シェフのぽたじぇで、今回はこちらでの呑み会となった次第なのでありますね

で、

美味しい前菜を食べ終える前に最初のスパークリングワインが空いてしまい、

2本目の白(びみょーにオレンジ?)ワインで2度目の乾杯
さらに・・・


ピザとペンネを食べ終える頃には白ワインも空いたので・・・
メインの肉料理にあわせて赤ワインを注文・・・

3度目の乾杯
でありますで、メインの肉料理は・・・

食べる前に撮ればよかったものを・・・

と、〆はもちろん


美味しいピザとパスタでした めでたしめでたし

と、気づけばこの日も5時から9時前まで4時間近く楽しい会話で過ごしてました
帰りはチン電(阪堺線)の本数が少なかったので南海・天下茶屋駅まで見送ってくれて、
無事に帰宅することができました ありがとね
お二人とも当ブログサイトの記事で折りたたみ小径車(ミニベロ)にも興味を持たれたようで、
いつかお気楽ポタリングにご一緒できるといいなあ

でも彼らは日帰りで軽く100kmは漕ぐそうですから、わたくしは迷惑なだけか・・・

さてさて、次回はいつどこの呑み会で乾杯できるかな・・・わくわく

2026年04月10日
世界のお弁当とソトごはん
ほぼ一週間ぶりの記事更新であります
なぜか画像が転んだままですが・・・

岡根谷実里著「世界のお弁当とソトごはん」とゆー本が面白かったのでご紹介
著者紹介と奥付・・・もなぜか転んだままですが・・・

著者の本は以前にも紹介してますが視点が面白く、他にも何冊か読んでてオススメです
目次


目次を眺めるだけでも腹が減ってきます
この本で訪れた国々・・・

わたくし前回記事のお花見宴会はもちろん、アウトドア飯もお弁当もソトごはんも、ついでに
キャンプで食べるBBQも鍋物も大好きなので・・・
本書の世界もじつに興味深く楽しめました
以下、てきとーな読書メモです(が著作物なので公開に問題があれば非公開にします)
第1章より
・フィンランド(東部サヴォ地方の一家)
⇒森歩きは夏も冬も素晴らしい⇒「悪い天気はない、間違った服装があるだけ」
⇒森仕事で食べるカラクッコ(略)は密閉されてて日持ちし皿も不要でナイフ1本で食べられる
⇒今は無償の温かい学校給食があり大人には安くて充実した街の食堂がある
・ブータン(首都ティンプーの市場)
⇒市場では古い天秤量りで量り売りしてるが、その支払いはスマホ決済用QRコードで!!!
⇒お弁当は市場で働く人の多くが「象印ランチジャー」の特大サイズだった
⇒エマ(唐辛子)とダツィ(チーズ)を煮込んだエマダツィ(略)を基本にした何かと大量のご飯
⇒エマダツィは完全に冷めるとチーズの油脂が固まるので温かい方がおいしいから
(探していたパンチュンという美しい竹籠の弁当箱は今はお菓子や小物入れに使われていた)
・オランダ(ライデンでの留学生活)
⇒アジアでは外食は日常的だがヨーロッパでは「ハレのもの」で高い
⇒学生も勤め人も昼食には簡素なチーズサンドを持参している
⇒プロセスチーズで育った私にはオランダで標準的なゴーダチーズのサンドはおいしいのだが、
誰もおいしいとは言わず飾り気もなく「燃料」扱い、それでも誰も飽きることはない
・パプアニューギニア(高地の山中の一家)
⇒高地では週に3日はイモとバナナ、2日はサゴヤシ澱粉、2日は市販のコメ、といった感じ
⇒それなのに6歳の少女でも驚くべき体幹と筋力を持ち、急斜面の畑で働いていた
⇒同行した低地出身者は、村では川魚とサゴヤシ澱粉で暮らせるから、こんな大変な畑仕事は
したことがないし、とてもできないと言っていた
⇒新しい焼畑には昼に弁当を届けみんなで食べるが内容は同じ(コメが一番人気だった)
・モンゴル(ズンハラから馬で1時間の草原の一家)
⇒夏は一番忙しい時期で子どもたちも学校の寮から帰って手伝う
⇒朝5時から前日に加熱し夜に水分を抜いていたチーズを糸でカットして天日干しに
⇒ウシとヤギとヒツジの搾乳作業
⇒その後に生乳の加熱・加工作業
⇒パンと乳製品の簡単な朝食
⇒男はウマの搾乳に、女は加工作業の続き
⇒アーロール(乾燥チーズ)・ボルソック(四角い揚げパン)・朝のミルクティーで2時のおやつ
(アーロールとボルソックは日持ちし作業の合間にも食べる高カロリーの携帯食・保存食で、
原料は毎日搾れる五畜の乳と小麦粉と油だけなので原料保管用の冷蔵庫も不要)
⇒午後も作業が続き日没前に干し肉と雑穀を煮たスープで(はじめての温かい)夕食
⇒夕食後も夜の搾乳作業が続く
・ノルウェー(スカンジナビア半島の北端カラショクの町はずれの一家)
⇒マイナス30度の世界では「凍らない弁当」が必要
⇒普段の寒さならダウンジャケットや動きやすい化学繊維だが、さらに寒いとトナカイの毛皮
⇒遠出の際にはトナカイコートのポケットにトナカイの干し肉(水分が少なく凍りにくい)を入れ
ナイフで削って食べる⇒塩気が強いので火が熾せるなら削ってスープにする
(先住民サーミ人も子どもの弁当はオスロと同じ「マートパッケ(伝統的なサンドイッチ)」に)
第2章より
・インドネシア(バリ島のビーチから外れた静かな村の一家)
⇒一日分作った朝食で余った分のおかずをガラス棚に入れ各自が弁当に詰めるシステム
⇒夕食は残ったおかずに簡単な一品を足すぐらい
⇒空いた時間は神様へのお供え花チャナン作りや寺院での踊りやガムランの稽古
⇒観光で豊かになり信仰や伝統が薄れるのではなく、逆に供物や祭りが豪華になっている
⇒昔は神様のいる火と水は数か所だったが今はガス台やウォーターサーバーもあるので多い
・トンガ(ヴァヴァウ島の村の大家族一家)
⇒伝統的な食文化は海で獲る魚・畑のイモ・生えているココナッツの実
⇒どれも貯蔵の必要がなく、いつでも入手できるので、みんなのんびりしている
(ビーチで網を入れ魚を獲るのさえめんどうだとサバ缶が大活躍している)
⇒シェア文化が徹底しており昼の弁当だけでなく安価で高脂質なスナックも子どもの頃から
分け合うので???肥満率77.1%は世界トップクラス(もともと遺伝的に体格も大きい)
・インド(南部タミルナドゥ州ニルギリ丘陵地域イルラ民族の一家とポンディシェリの一家)
⇒サンバル(スパイススープ)とチャパティとご飯の基本はほぼ同じでも、
⇒食べられる食材は同じヒンドゥー教徒の中でも異なりカーストでも民族でも地域でも異なる
⇒多様な食の要求に応えるためティフィン・ダッバー(三段ステンレス弁当箱)で、それぞれの
家から手作り弁当を届けるダッバー・ワーラーがムンバイで発達した
⇒他の地域でも惣菜の持ち帰りなどに大型が使われている
・ボツワナ
⇒首都ハボローネのビジネス街の昼だけの弁当屋(小150円大200円でも収入からは高い)
⇒主食(トウモロコシ練り粥やライスなど4種類から一品)・メイン(焼きチキンや煮込みビーフなど
3種類から一品)・野菜(炒め物、煮物、サラダなど5種類から好きなだけ)を選ぶ仕組み
⇒ただし、どれも家庭と同じものなのに、なぜ家から安い弁当を持ってこないのか?
⇒練り粥もインディカ米ライスも冷めると澱粉が老化するし気候的にも傷みやすいから
・ヨルダン(ワディ・ラム沙漠の四角いテントに住むベドウィン一家)
⇒ラクダが「砂漠の船」でナツメヤシが「生命の樹」の理由
⇒ラクダは沙漠を移動中でもミルクが搾れ、ナツメヤシはオアシスだけに生える木で、
実のデーツは収穫乾燥せずとも水分が抜けて、そのままドライフルーツになる
⇒どちらも砂漠を移動するのに不可欠の携行食だったから
・台湾
⇒世界でも有数の外食文化があり、温かい食事が基本
⇒職場でも学校でも昼食の弁当は近くで温かい弁当を買っている
⇒家から弁当を持参することはまずないので職場にも学校にも電子レンジはない
⇒基本の弁当はご飯の上に副菜の炒め野菜が1~2種類、その上に肉などの主菜がどーん
⇒「台湾鉄道の本業は弁当」と冗談を言われるほど台湾の駅弁は人気(略)
⇒台北で人気があるのはビュッフェ形式の「自助餐」(略)
(多くの品数から選べて安く持ち帰りもできるので昼食にも夕食にも利用されている)
⇒台湾語で弁当は「便當」だが今では日本の弁当とは意味が異なってきている
(昔の飯包が日本統治時代に便當になったが、)
⇒今では「ご飯と副菜と主菜のある「完全な食事」が箱に入ったテイクアウト品」が便當で、
麺など単品のテイクアウト品は便當とは言わないし、家から持っていく弁当のイメージもない
⇒惣菜店でも食堂でもテイクアウトメニューには品名(単品)と品名便當(ご飯と副菜入り)が
あり、便當は単品の倍の値段とかになっている(略)
・韓国
⇒小中高まで無償完全給食で内容も充実している(寮生活では一日3食)
⇒ただし遠足などでは弁当持参だがメニューはキンパ(韓国海苔巻き)が定番(略)
⇒韓国最大の弁当チェーンには広いイートインスペースがありインスタント麺と弁当が定番
⇒台湾とは対照的にコンビニ弁当も日本と同じ仕切りの多い弁当箱(小鉢料理の伝統から?)
⇒家から弁当を持参する人はいなくなったが昔のアルミ弁当箱がイカ・ゲームから流行中
(アルミ弁当箱をよく振ってご飯とおかずを混ぜて食べる⇒ビビンパの伝統から?)
第3章より
・ポーランド(シロンスク地方の親友夫婦)
⇒実家の庭での焚き火料理
⇒専用の「三本脚付き鋳物鍋」に様々な野菜類や肉類を入れ密閉して焚き火へ
⇒マシュマロやソーセージを焼きながら1時間ほどで焚火による圧力調理が完成(略)
⇒この地方は製鉄が盛んで、この焚き火専用の鋳物鍋も近くで作られたもの
・フィンランド(ヘルシンキ郊外の街に住む一家)
⇒日本のキャンプ飯の進化が凄いが、フィンランドのアウトドア飯はその逆をいくもの
⇒サウナ小屋と湖の往復の後には焚火台でマッカラ(大ぶりのソーセージ)を焼くだけ
⇒焚火台には焼き網もあり他のBBQもできるのに誰もがマッカラだけで満足している
⇒しかも使われるマッカラは自家製とかではなく普通のスーパーのパック品
⇒向うのベンチに座ってる海パン1枚のおじさんはビール片手にマッカラにかぶりついて、
満面の笑みを浮かべている
⇒もう、これ以上の幸せがあるかと、こっちが幸せな気持ちになる(わかるなあ
)
⇒別の家族のサマーコテージでも同じくマッカラだけだった(冬の自宅でも暖炉で焼いてたが)
⇒国立公園内にも焼き網付き焚火台があり「マッカラのために木の皮を剥ぐのは禁止」と
明記されており、それほどマッカラへの執着は強い
⇒サウナでも森でも湖でも焚火でマッカラだけなのはなぜか・・・
自然があまりにも美しく、それを存分に楽しめる夏があまりにも短いから
⇒料理を考えるなんてもったいない、これで十分だと・・・
(フィンランドの生活満足度が世界一高いのは「これで十分」を知っているから?)
⇒アウトドアアクティビティに事欠かないフィンランドらしい、アウトドアご飯の楽しみ方の
心構えを教えられた気がする
(わたくしも、日本のキャンプは殆どが1泊か2泊なんだから「これで十分」の心構えで???
ホントは作るのがめんどーで???いつもシンプルな焼き肉と鍋だけです
)
・ペルー(クスコから車で2時間の高地オクラ村の一家)
⇒ペルーはジャガイモの原産地で数千種類あると言われている
⇒訪問した6月は収穫期で畑で堀りたて各種をワティア(土焼き芋)にして食べた(略)
⇒仕事終わりに枯草混じりの土を被せておけば翌日も土焼き芋ができるので畑への弁当は不要
⇒芋は洗わず調理でき鍋も水も食器も不要で、余ればポケットに入れて持ち帰れる
⇒標高4000mで米を炊けば(88度で沸騰するので)芯が残るが芋なら60度前後で澱粉が固化する
⇒インカ帝国の繫栄もジャガイモがなければ成り立たなかったはず
・ヨルダン(ワディ・ラム沙漠の四角いテントに住むベドウィン一家)
⇒砂漠で枯れた小枝を集めて焚き火をして砂を熱し、灰を丁寧に崩して平らにする
⇒その上に鍋で水と塩で練った小麦粉を丸く伸ばし、上に熱い砂と灰を被せる
⇒15分ほどでひっくり返し、さらに10分ほどでパン(アルブード)が完成する(略)
⇒枯草の上に置き棒で叩いて灰と砂を落とし、こすって焦げを落として手で割って食べる
⇒これがオーブンも窯も使わない砂漠のパンの焼き方
・ウズベキスタン(サマルカンドの一家)
⇒大学生たちとバスで1時間ほどの郊外にある「ピクニック場」に行った
⇒森の中に一段高く整地したピクニック場があり、そこへ各自が持参した絨毯を広げる
⇒ドラム缶を切ったような窯が設置されており巨大中華鍋のようなカザンで女子が調理する
⇒大量の油にジャガイモ、牛肉と入れるが盛大に油が飛び散る⇒屋外でしかできない料理
⇒カザン(鍋)で作るカバブ(肉料理)なのでカザンカバブ(略)
(タンドール窯で焼くタンドールチキンと同じか)
⇒大皿に盛り、作ったサラダと持参したパンと自家製コンポートの瓶詰で食べた
⇒絨毯も食器もフォークもふだん家で使っているものを持参していた
⇒帰宅後の夕食は牛肉とジャガイモの煮物でおいしかったが、あの豪快に油を飛ばした
アウトドア飯とは全くの別物で、帰国後にも真似してみたが遠く及ばなかった
・インド(ミャンマーとの国境に接するナガランド州に多いアジア系の一家)
⇒街から車で30分の「ファーム」へ
⇒畑以外に動物エリアも宿泊小屋もあり「ファームステイ」も考えて開発中とのこと
⇒川魚に乾燥唐辛子・粉唐辛子・発酵タケノコ・バナナのつぼみなどをまぶし青唐辛子も
⇒裏の竹林で採ってきた1mほどの竹3本に詰めてバナナの葉で栓をする
⇒焚火の囲炉裏に立てかけ2時間で「ポンセン」が完成(略)
(竹の水分で蒸し焼きになるので水は不要)
⇒手でご飯と混ぜて食べるが、ナガ人はキリスト教なので左利きの人は左手で食べる
(留学生のお弁当⇒6人6地域6種類⇒略)
(世界で進化する日本のおにぎり)
⇒動画で見るコンビニ三角おにぎりが日本のイメージになっており最近は海苔巻きも多い
⇒ただし米にも味が付いてて米粒がやわらかくてつぶれている
⇒米自体を味わう感覚はなく具材のクッションのイメージ
⇒帰国してセブンイレブンのおにぎりの凛とした粒立ちに息を吞んだ
⇒世界各地のおにぎりは食べ応えもバリエーションもあって好きだが、それらに出会うにつけ、
日本人の米自体のおいしさに対する執着に向き合わされる
(日本で作る世界のお弁当レシピ5種類⇒略)
・・・・・・
わたくしが本書で紹介されてた国や地域で訪れたことがあるのはモンゴルの草原だけで、
15年前にゲルに暮らすご一家を家庭訪問、アーロール(乾燥チーズ)やボルソック(揚げパン)と
バター入りミルクティーで歓迎していただいたのが懐かしいです
まあ、今後は本書で紹介されてた他の地域を訪れることなど、もうないかも知れませんが、
これらの料理を日本で味わえる可能性は残っており、その際に基本の具材や調理法などを
知ってるだけでも、その国や地域出身の人たちと仲良くなれそうです
なぜか画像が転んだままですが・・・

岡根谷実里著「世界のお弁当とソトごはん」とゆー本が面白かったのでご紹介
著者紹介と奥付・・・もなぜか転んだままですが・・・

著者の本は以前にも紹介してますが視点が面白く、他にも何冊か読んでてオススメです
目次


目次を眺めるだけでも腹が減ってきます

この本で訪れた国々・・・

わたくし前回記事のお花見宴会はもちろん、アウトドア飯もお弁当もソトごはんも、ついでに
キャンプで食べるBBQも鍋物も大好きなので・・・
本書の世界もじつに興味深く楽しめました

以下、てきとーな読書メモです(が著作物なので公開に問題があれば非公開にします)
第1章より
・フィンランド(東部サヴォ地方の一家)
⇒森歩きは夏も冬も素晴らしい⇒「悪い天気はない、間違った服装があるだけ」
⇒森仕事で食べるカラクッコ(略)は密閉されてて日持ちし皿も不要でナイフ1本で食べられる
⇒今は無償の温かい学校給食があり大人には安くて充実した街の食堂がある
・ブータン(首都ティンプーの市場)
⇒市場では古い天秤量りで量り売りしてるが、その支払いはスマホ決済用QRコードで!!!
⇒お弁当は市場で働く人の多くが「象印ランチジャー」の特大サイズだった
⇒エマ(唐辛子)とダツィ(チーズ)を煮込んだエマダツィ(略)を基本にした何かと大量のご飯
⇒エマダツィは完全に冷めるとチーズの油脂が固まるので温かい方がおいしいから
(探していたパンチュンという美しい竹籠の弁当箱は今はお菓子や小物入れに使われていた)
・オランダ(ライデンでの留学生活)
⇒アジアでは外食は日常的だがヨーロッパでは「ハレのもの」で高い
⇒学生も勤め人も昼食には簡素なチーズサンドを持参している
⇒プロセスチーズで育った私にはオランダで標準的なゴーダチーズのサンドはおいしいのだが、
誰もおいしいとは言わず飾り気もなく「燃料」扱い、それでも誰も飽きることはない
・パプアニューギニア(高地の山中の一家)
⇒高地では週に3日はイモとバナナ、2日はサゴヤシ澱粉、2日は市販のコメ、といった感じ
⇒それなのに6歳の少女でも驚くべき体幹と筋力を持ち、急斜面の畑で働いていた
⇒同行した低地出身者は、村では川魚とサゴヤシ澱粉で暮らせるから、こんな大変な畑仕事は
したことがないし、とてもできないと言っていた
⇒新しい焼畑には昼に弁当を届けみんなで食べるが内容は同じ(コメが一番人気だった)
・モンゴル(ズンハラから馬で1時間の草原の一家)
⇒夏は一番忙しい時期で子どもたちも学校の寮から帰って手伝う
⇒朝5時から前日に加熱し夜に水分を抜いていたチーズを糸でカットして天日干しに
⇒ウシとヤギとヒツジの搾乳作業
⇒その後に生乳の加熱・加工作業
⇒パンと乳製品の簡単な朝食
⇒男はウマの搾乳に、女は加工作業の続き
⇒アーロール(乾燥チーズ)・ボルソック(四角い揚げパン)・朝のミルクティーで2時のおやつ
(アーロールとボルソックは日持ちし作業の合間にも食べる高カロリーの携帯食・保存食で、
原料は毎日搾れる五畜の乳と小麦粉と油だけなので原料保管用の冷蔵庫も不要)
⇒午後も作業が続き日没前に干し肉と雑穀を煮たスープで(はじめての温かい)夕食
⇒夕食後も夜の搾乳作業が続く
・ノルウェー(スカンジナビア半島の北端カラショクの町はずれの一家)
⇒マイナス30度の世界では「凍らない弁当」が必要
⇒普段の寒さならダウンジャケットや動きやすい化学繊維だが、さらに寒いとトナカイの毛皮
⇒遠出の際にはトナカイコートのポケットにトナカイの干し肉(水分が少なく凍りにくい)を入れ
ナイフで削って食べる⇒塩気が強いので火が熾せるなら削ってスープにする
(先住民サーミ人も子どもの弁当はオスロと同じ「マートパッケ(伝統的なサンドイッチ)」に)
第2章より
・インドネシア(バリ島のビーチから外れた静かな村の一家)
⇒一日分作った朝食で余った分のおかずをガラス棚に入れ各自が弁当に詰めるシステム
⇒夕食は残ったおかずに簡単な一品を足すぐらい
⇒空いた時間は神様へのお供え花チャナン作りや寺院での踊りやガムランの稽古
⇒観光で豊かになり信仰や伝統が薄れるのではなく、逆に供物や祭りが豪華になっている
⇒昔は神様のいる火と水は数か所だったが今はガス台やウォーターサーバーもあるので多い
・トンガ(ヴァヴァウ島の村の大家族一家)
⇒伝統的な食文化は海で獲る魚・畑のイモ・生えているココナッツの実
⇒どれも貯蔵の必要がなく、いつでも入手できるので、みんなのんびりしている
(ビーチで網を入れ魚を獲るのさえめんどうだとサバ缶が大活躍している)
⇒シェア文化が徹底しており昼の弁当だけでなく安価で高脂質なスナックも子どもの頃から
分け合うので???肥満率77.1%は世界トップクラス(もともと遺伝的に体格も大きい)
・インド(南部タミルナドゥ州ニルギリ丘陵地域イルラ民族の一家とポンディシェリの一家)
⇒サンバル(スパイススープ)とチャパティとご飯の基本はほぼ同じでも、
⇒食べられる食材は同じヒンドゥー教徒の中でも異なりカーストでも民族でも地域でも異なる
⇒多様な食の要求に応えるためティフィン・ダッバー(三段ステンレス弁当箱)で、それぞれの
家から手作り弁当を届けるダッバー・ワーラーがムンバイで発達した
⇒他の地域でも惣菜の持ち帰りなどに大型が使われている
・ボツワナ
⇒首都ハボローネのビジネス街の昼だけの弁当屋(小150円大200円でも収入からは高い)
⇒主食(トウモロコシ練り粥やライスなど4種類から一品)・メイン(焼きチキンや煮込みビーフなど
3種類から一品)・野菜(炒め物、煮物、サラダなど5種類から好きなだけ)を選ぶ仕組み
⇒ただし、どれも家庭と同じものなのに、なぜ家から安い弁当を持ってこないのか?
⇒練り粥もインディカ米ライスも冷めると澱粉が老化するし気候的にも傷みやすいから
・ヨルダン(ワディ・ラム沙漠の四角いテントに住むベドウィン一家)
⇒ラクダが「砂漠の船」でナツメヤシが「生命の樹」の理由
⇒ラクダは沙漠を移動中でもミルクが搾れ、ナツメヤシはオアシスだけに生える木で、
実のデーツは収穫乾燥せずとも水分が抜けて、そのままドライフルーツになる
⇒どちらも砂漠を移動するのに不可欠の携行食だったから
・台湾
⇒世界でも有数の外食文化があり、温かい食事が基本
⇒職場でも学校でも昼食の弁当は近くで温かい弁当を買っている
⇒家から弁当を持参することはまずないので職場にも学校にも電子レンジはない
⇒基本の弁当はご飯の上に副菜の炒め野菜が1~2種類、その上に肉などの主菜がどーん

⇒「台湾鉄道の本業は弁当」と冗談を言われるほど台湾の駅弁は人気(略)
⇒台北で人気があるのはビュッフェ形式の「自助餐」(略)
(多くの品数から選べて安く持ち帰りもできるので昼食にも夕食にも利用されている)
⇒台湾語で弁当は「便當」だが今では日本の弁当とは意味が異なってきている
(昔の飯包が日本統治時代に便當になったが、)
⇒今では「ご飯と副菜と主菜のある「完全な食事」が箱に入ったテイクアウト品」が便當で、
麺など単品のテイクアウト品は便當とは言わないし、家から持っていく弁当のイメージもない
⇒惣菜店でも食堂でもテイクアウトメニューには品名(単品)と品名便當(ご飯と副菜入り)が
あり、便當は単品の倍の値段とかになっている(略)
・韓国
⇒小中高まで無償完全給食で内容も充実している(寮生活では一日3食)
⇒ただし遠足などでは弁当持参だがメニューはキンパ(韓国海苔巻き)が定番(略)
⇒韓国最大の弁当チェーンには広いイートインスペースがありインスタント麺と弁当が定番
⇒台湾とは対照的にコンビニ弁当も日本と同じ仕切りの多い弁当箱(小鉢料理の伝統から?)
⇒家から弁当を持参する人はいなくなったが昔のアルミ弁当箱がイカ・ゲームから流行中
(アルミ弁当箱をよく振ってご飯とおかずを混ぜて食べる⇒ビビンパの伝統から?)
第3章より
・ポーランド(シロンスク地方の親友夫婦)
⇒実家の庭での焚き火料理
⇒専用の「三本脚付き鋳物鍋」に様々な野菜類や肉類を入れ密閉して焚き火へ
⇒マシュマロやソーセージを焼きながら1時間ほどで焚火による圧力調理が完成(略)
⇒この地方は製鉄が盛んで、この焚き火専用の鋳物鍋も近くで作られたもの
・フィンランド(ヘルシンキ郊外の街に住む一家)
⇒日本のキャンプ飯の進化が凄いが、フィンランドのアウトドア飯はその逆をいくもの
⇒サウナ小屋と湖の往復の後には焚火台でマッカラ(大ぶりのソーセージ)を焼くだけ
⇒焚火台には焼き網もあり他のBBQもできるのに誰もがマッカラだけで満足している
⇒しかも使われるマッカラは自家製とかではなく普通のスーパーのパック品
⇒向うのベンチに座ってる海パン1枚のおじさんはビール片手にマッカラにかぶりついて、
満面の笑みを浮かべている
⇒もう、これ以上の幸せがあるかと、こっちが幸せな気持ちになる(わかるなあ
)⇒別の家族のサマーコテージでも同じくマッカラだけだった(冬の自宅でも暖炉で焼いてたが)
⇒国立公園内にも焼き網付き焚火台があり「マッカラのために木の皮を剥ぐのは禁止」と
明記されており、それほどマッカラへの執着は強い
⇒サウナでも森でも湖でも焚火でマッカラだけなのはなぜか・・・
自然があまりにも美しく、それを存分に楽しめる夏があまりにも短いから
⇒料理を考えるなんてもったいない、これで十分だと・・・
(フィンランドの生活満足度が世界一高いのは「これで十分」を知っているから?)
⇒アウトドアアクティビティに事欠かないフィンランドらしい、アウトドアご飯の楽しみ方の
心構えを教えられた気がする
(わたくしも、日本のキャンプは殆どが1泊か2泊なんだから「これで十分」の心構えで???
ホントは作るのがめんどーで???いつもシンプルな焼き肉と鍋だけです
)・ペルー(クスコから車で2時間の高地オクラ村の一家)
⇒ペルーはジャガイモの原産地で数千種類あると言われている
⇒訪問した6月は収穫期で畑で堀りたて各種をワティア(土焼き芋)にして食べた(略)
⇒仕事終わりに枯草混じりの土を被せておけば翌日も土焼き芋ができるので畑への弁当は不要
⇒芋は洗わず調理でき鍋も水も食器も不要で、余ればポケットに入れて持ち帰れる
⇒標高4000mで米を炊けば(88度で沸騰するので)芯が残るが芋なら60度前後で澱粉が固化する
⇒インカ帝国の繫栄もジャガイモがなければ成り立たなかったはず
・ヨルダン(ワディ・ラム沙漠の四角いテントに住むベドウィン一家)
⇒砂漠で枯れた小枝を集めて焚き火をして砂を熱し、灰を丁寧に崩して平らにする
⇒その上に鍋で水と塩で練った小麦粉を丸く伸ばし、上に熱い砂と灰を被せる
⇒15分ほどでひっくり返し、さらに10分ほどでパン(アルブード)が完成する(略)
⇒枯草の上に置き棒で叩いて灰と砂を落とし、こすって焦げを落として手で割って食べる
⇒これがオーブンも窯も使わない砂漠のパンの焼き方
・ウズベキスタン(サマルカンドの一家)
⇒大学生たちとバスで1時間ほどの郊外にある「ピクニック場」に行った
⇒森の中に一段高く整地したピクニック場があり、そこへ各自が持参した絨毯を広げる
⇒ドラム缶を切ったような窯が設置されており巨大中華鍋のようなカザンで女子が調理する
⇒大量の油にジャガイモ、牛肉と入れるが盛大に油が飛び散る⇒屋外でしかできない料理
⇒カザン(鍋)で作るカバブ(肉料理)なのでカザンカバブ(略)
(タンドール窯で焼くタンドールチキンと同じか)
⇒大皿に盛り、作ったサラダと持参したパンと自家製コンポートの瓶詰で食べた
⇒絨毯も食器もフォークもふだん家で使っているものを持参していた
⇒帰宅後の夕食は牛肉とジャガイモの煮物でおいしかったが、あの豪快に油を飛ばした
アウトドア飯とは全くの別物で、帰国後にも真似してみたが遠く及ばなかった
・インド(ミャンマーとの国境に接するナガランド州に多いアジア系の一家)
⇒街から車で30分の「ファーム」へ
⇒畑以外に動物エリアも宿泊小屋もあり「ファームステイ」も考えて開発中とのこと
⇒川魚に乾燥唐辛子・粉唐辛子・発酵タケノコ・バナナのつぼみなどをまぶし青唐辛子も
⇒裏の竹林で採ってきた1mほどの竹3本に詰めてバナナの葉で栓をする
⇒焚火の囲炉裏に立てかけ2時間で「ポンセン」が完成(略)
(竹の水分で蒸し焼きになるので水は不要)
⇒手でご飯と混ぜて食べるが、ナガ人はキリスト教なので左利きの人は左手で食べる
(留学生のお弁当⇒6人6地域6種類⇒略)
(世界で進化する日本のおにぎり)
⇒動画で見るコンビニ三角おにぎりが日本のイメージになっており最近は海苔巻きも多い
⇒ただし米にも味が付いてて米粒がやわらかくてつぶれている
⇒米自体を味わう感覚はなく具材のクッションのイメージ
⇒帰国してセブンイレブンのおにぎりの凛とした粒立ちに息を吞んだ

⇒世界各地のおにぎりは食べ応えもバリエーションもあって好きだが、それらに出会うにつけ、
日本人の米自体のおいしさに対する執着に向き合わされる
(日本で作る世界のお弁当レシピ5種類⇒略)
・・・・・・
わたくしが本書で紹介されてた国や地域で訪れたことがあるのはモンゴルの草原だけで、
15年前にゲルに暮らすご一家を家庭訪問、アーロール(乾燥チーズ)やボルソック(揚げパン)と
バター入りミルクティーで歓迎していただいたのが懐かしいです
まあ、今後は本書で紹介されてた他の地域を訪れることなど、もうないかも知れませんが、
これらの料理を日本で味わえる可能性は残っており、その際に基本の具材や調理法などを
知ってるだけでも、その国や地域出身の人たちと仲良くなれそうです

2026年03月26日
オアフ島からの帰還
(前回記事からの続きです ホノルル連載をはじめからご覧になるにはこちらのカテゴリから)
ホノルル6日目、2月26日はホノルルでの最終日でした
まずはホノルル最後の朝食・・・

メインはすっかり安定しております
ま、おかわりとデザートは変化し続けており・・・以下略
食後は自室に戻って荷物をまとめましたが、この日も・・・

海側は快晴

山側には雲がかかってました・・・
チェックアウトを済ませ、ほぼ連日、孫たちと合流したロビーともお別れ・・・


アメリカの番組ともお別れであります
で、9時予約のハナ・タクシーで空港へ・・・

このフラ・ガール、ゆらゆら踊ってかわゆいなあ・・・


アラワイ運河ともお別れであります

左の空港、パールハーバーPH海軍・ヒッカムH空軍・統合基地方面へ・・・
(右のニミッツ・ハイウェーはパールハーバーそのものへ)
ちなみにこのタクシーの女性ドライバーさんも来たときと同じ韓国出身の方でした

朝鮮戦争を共に戦った米軍兵士と韓国軍兵士への敬意を表すクッション・・・
空港にあったダニエル・K・イノウエのコーナー

・・・にあった、

第100大隊・第442連隊戦闘団のスローガンと部隊章
つーことで、2月26日13:30発のハワイアン航空に搭乗すれば・・・


オアフ島の山々ともお別れであります
一度も登ってないけど・・・
水平飛行になり出されたスナックに残ってた柿ピーを追加して・・・

往路とは逆にマウイの後にキリン、その後に家内の赤ワインを手助け・・・
ま、キリンといっても、

まだアメリカ製でしたが・・・
食事は「ヤンニョムチキン」か「ビーフすき焼き」だったので後者を選択

まあ、すき焼きつーより、すき焼き丼風つーか、何つーかでした・・・
家内はヤンニョムチキンを選択してましたが、

さらに何つーか・・・だったそうです
復路に視聴した映画は「プレデター・バッドランド」と「スーパーマン」がメインでしたが、
どれも往路で観た作品と同様に「全部盛りで楽しめるけど・・・」つー感じでした
まあ、こちらもマウイとキリンとワインのせいかもでしゅが・・・ひっく
と、ホノルル側からすれば深夜の軽食???大阪側からすれば翌日夕方の軽食が出て、

27日の午後7時前に関西空港に到着しました

復路の飛行時間は10時間ちょい(往路は7時間半)でしたが、現地時間では26日の午後1時半に出て
27日の午後7時前に到着ですから約29時間を要したことになり時差19時間は大きいですね
まあ、往路ではその分だけ得した気分になってたのですが・・・
で、自宅最寄駅のスーパーで遅い夕食用に、握り寿司と天ぷらと蕎麦を買ったのですが、

値引き品とはいえ、たっぷり2人前で僅か10ドル!!!(値引き前でも13ドルほど!!!)
ホノルルならテイクアウトで同レベルでも最低50ドルはするでしょう
と、ホノルルと大阪の物価ギャップに驚愕してると、翌28日には米軍とイスラエル軍による
イラン攻撃でさらに驚愕、国際線や米軍施設にも影響が出てたので、まさに間一髪でした
ちなみに家内が出かけた翌28日のわたくしの夕食も同じスーパーで・・・

牛カルビ丼2ドル・カレーうどん2ドル弱・発泡酒1ドル弱で税込みでも5ドルまで!!!
しかもこの牛カルビ丼、ハワイアン航空の牛すき焼き丼?よりはるかにおいしかったし
そう、大阪の下町に戻れば、飲み物デザート付きのランチセットでも10ドル以下であるし、
居酒屋で呑んで食べても20ドルほど、30ドルも出せば飲み放題付きコース料理が・・・
と、帰国後の食べ過ぎ飲み過ぎが今も続いてるわけでしゅが
もちろん物価は高くてもホノルルの魅力は実感できましたし、異なる言語や文化の中で過ごす
経験や面白さというのは、決して金銭価値で測れるものではないでしょう
わたくしにとっては、孫たちを通じてホストファミリーの皆さんと親しく交流できたこと、
パールハーバーや博物館などを訪れて、どこでも陽気で親切な対応を受けたこと、そして
三大目標だったアメリカのハンバーガー・ピザ・ステーキを味わえたことがですね・・・
どっとはらい
ホノルル6日目、2月26日はホノルルでの最終日でした

まずはホノルル最後の朝食・・・

メインはすっかり安定しております
ま、おかわりとデザートは変化し続けており・・・以下略
食後は自室に戻って荷物をまとめましたが、この日も・・・

海側は快晴

山側には雲がかかってました・・・
チェックアウトを済ませ、ほぼ連日、孫たちと合流したロビーともお別れ・・・


アメリカの番組ともお別れであります
で、9時予約のハナ・タクシーで空港へ・・・

このフラ・ガール、ゆらゆら踊ってかわゆいなあ・・・



アラワイ運河ともお別れであります

左の空港、パールハーバーPH海軍・ヒッカムH空軍・統合基地方面へ・・・
(右のニミッツ・ハイウェーはパールハーバーそのものへ)
ちなみにこのタクシーの女性ドライバーさんも来たときと同じ韓国出身の方でした

朝鮮戦争を共に戦った米軍兵士と韓国軍兵士への敬意を表すクッション・・・
空港にあったダニエル・K・イノウエのコーナー

・・・にあった、

第100大隊・第442連隊戦闘団のスローガンと部隊章
つーことで、2月26日13:30発のハワイアン航空に搭乗すれば・・・


オアフ島の山々ともお別れであります
一度も登ってないけど・・・水平飛行になり出されたスナックに残ってた柿ピーを追加して・・・

往路とは逆にマウイの後にキリン、その後に家内の赤ワインを手助け・・・

ま、キリンといっても、

まだアメリカ製でしたが・・・
食事は「ヤンニョムチキン」か「ビーフすき焼き」だったので後者を選択

まあ、すき焼きつーより、すき焼き丼風つーか、何つーかでした・・・

家内はヤンニョムチキンを選択してましたが、

さらに何つーか・・・だったそうです

復路に視聴した映画は「プレデター・バッドランド」と「スーパーマン」がメインでしたが、
どれも往路で観た作品と同様に「全部盛りで楽しめるけど・・・」つー感じでした
まあ、こちらもマウイとキリンとワインのせいかもでしゅが・・・ひっく
と、ホノルル側からすれば深夜の軽食???大阪側からすれば翌日夕方の軽食が出て、

27日の午後7時前に関西空港に到着しました

復路の飛行時間は10時間ちょい(往路は7時間半)でしたが、現地時間では26日の午後1時半に出て
27日の午後7時前に到着ですから約29時間を要したことになり時差19時間は大きいですね

まあ、往路ではその分だけ得した気分になってたのですが・・・

で、自宅最寄駅のスーパーで遅い夕食用に、握り寿司と天ぷらと蕎麦を買ったのですが、

値引き品とはいえ、たっぷり2人前で僅か10ドル!!!(値引き前でも13ドルほど!!!)

ホノルルならテイクアウトで同レベルでも最低50ドルはするでしょう
と、ホノルルと大阪の物価ギャップに驚愕してると、翌28日には米軍とイスラエル軍による
イラン攻撃でさらに驚愕、国際線や米軍施設にも影響が出てたので、まさに間一髪でした

ちなみに家内が出かけた翌28日のわたくしの夕食も同じスーパーで・・・

牛カルビ丼2ドル・カレーうどん2ドル弱・発泡酒1ドル弱で税込みでも5ドルまで!!!
しかもこの牛カルビ丼、ハワイアン航空の牛すき焼き丼?よりはるかにおいしかったし

そう、大阪の下町に戻れば、飲み物デザート付きのランチセットでも10ドル以下であるし、
居酒屋で呑んで食べても20ドルほど、30ドルも出せば飲み放題付きコース料理が・・・

と、帰国後の食べ過ぎ飲み過ぎが今も続いてるわけでしゅが

もちろん物価は高くてもホノルルの魅力は実感できましたし、異なる言語や文化の中で過ごす
経験や面白さというのは、決して金銭価値で測れるものではないでしょう
わたくしにとっては、孫たちを通じてホストファミリーの皆さんと親しく交流できたこと、
パールハーバーや博物館などを訪れて、どこでも陽気で親切な対応を受けたこと、そして
三大目標だったアメリカのハンバーガー・ピザ・ステーキを味わえたことがですね・・・

どっとはらい
2026年03月25日
フラと憧れのステーキと
(前回記事からの続きです ホノルル連載をはじめからご覧になるにはこちらのカテゴリから)
孫たちをピックアップしたワイキキ・エリアの東端から、エリアの西端にある巨大モール、
アラモアナ・センターまでやってきました

アラモアナ・センターのセンターにある
アラモアナ・センターステージでは、

毎日5時から無料
で・・・

フラ・ショーが鑑賞できるのでありますね
案内には日本語表示もありましたが、

さすがに本番に日本語はなく英語とハワイ語だけでした
ちなみにこのセンターでも

軍人・退役軍人への割引サービスがありました
なにせハワイ総人口の23%が軍人ですからね・・・
と、30分ほど前から最前列席で孫と遊んでたら開演直前には立ち見客までいっぱいでした
以下、さくさくっと・・・














ハマロ(ありがとう)!!! そしてアロハ(さよなら)!!!
と、フラ・ショーを堪能した後は・・・
巨大フードコートに移動して・・・じゅる

わたくしの憧れのひとつだった・・・じゅるじゅる



ニューヨーク・ステーキであります・・・じゅるじゅるじゅる



ちなみに家内はリブアイ・ステーキを選択

で、その違いがよく分からなかったので帰国後に調べてみると・・・
リブアイは肋骨の首に近い位置の肉で、脂肪分の霜降りが多く非常にジューシーで柔かく、
とろけるような味わい、いっぽうニューヨーク・ストリップは腰の背骨下あたりの肉で、
赤身が多く歯ごたえがあり、肉のうま味が強くショートロインとも呼ばれる・・・とありました
そんなことは知らずに「アメリカといえばデカくて赤身のニューヨーク・ステーキ!!!」と、
昔から憧れてたのですが、まさにイメージどおりで大満足でした
さらにちなみに、このフードコートでも・・・

長女はピザ

次女はパスタと決まっているそうです・・・ピザもパスタも、いかにもアメリカ!!!つー感じでしたが
嫁はひさしぶりに食べたかったとゆー正統派ラーメン!!!

その気持ち、わかるなあ・・・
さらに孫たちは、ばあばと3人で(ママの特別許可を得て)ひさしぶりのハーゲンダッツ!!!


ま、じいじもばあばのラムレーズン味を分けてもらいましたが・・・
と、帰りはすっかり馴染んだワイキキトロリー・ピンクラインの2階席へ

せっかくなのでワイキキの夜景も何枚か・・・





さすがにビーチには・・・

人影はまばらでしたが・・・
と、孫たちとはホテルのロビーでお別れ、したのですが・・・
ホテルからコンドミニアムに帰宅後「明日じいじとばあばは大阪に帰るので、もう会えない」
とママから聞いた二人がギャン泣き!!!している動画を帰国後に送ってきてくれて・・・
その無邪気さがあまりにも愛おしくて、こっちが泣けてきました
そーいや映画「崖の上のポニョ」の公開時に宮崎駿監督が、
「5歳はまだ神に属している最後の年で、笑えば世界は祝福される」
閑話休題
ホノルル最後の夜なので、気になってたホテルから山側の夜景も1枚・・・

そう、山の輪郭が家々の灯りでくっきりと浮かび上がってました
さらに最後の夜なので冷蔵庫に残ってたマウイも一気に・・・

ええ、持参していた柿ピーとかで・・・
わははは、ホノルル最後の夜もしあわせじゃったあ!!! ひっく
(と、まだ次回に続きます)
孫たちをピックアップしたワイキキ・エリアの東端から、エリアの西端にある巨大モール、
アラモアナ・センターまでやってきました

アラモアナ・センターのセンターにある
アラモアナ・センターステージでは、
毎日5時から無料
で・・・
フラ・ショーが鑑賞できるのでありますね

案内には日本語表示もありましたが、

さすがに本番に日本語はなく英語とハワイ語だけでした
ちなみにこのセンターでも

軍人・退役軍人への割引サービスがありました
なにせハワイ総人口の23%が軍人ですからね・・・
と、30分ほど前から最前列席で孫と遊んでたら開演直前には立ち見客までいっぱいでした
以下、さくさくっと・・・














ハマロ(ありがとう)!!! そしてアロハ(さよなら)!!!
と、フラ・ショーを堪能した後は・・・
巨大フードコートに移動して・・・じゅる


わたくしの憧れのひとつだった・・・じゅるじゅる




ニューヨーク・ステーキであります・・・じゅるじゅるじゅる




ちなみに家内はリブアイ・ステーキを選択

で、その違いがよく分からなかったので帰国後に調べてみると・・・
リブアイは肋骨の首に近い位置の肉で、脂肪分の霜降りが多く非常にジューシーで柔かく、
とろけるような味わい、いっぽうニューヨーク・ストリップは腰の背骨下あたりの肉で、
赤身が多く歯ごたえがあり、肉のうま味が強くショートロインとも呼ばれる・・・とありました
そんなことは知らずに「アメリカといえばデカくて赤身のニューヨーク・ステーキ!!!」と、
昔から憧れてたのですが、まさにイメージどおりで大満足でした
さらにちなみに、このフードコートでも・・・

長女はピザ

次女はパスタと決まっているそうです・・・ピザもパスタも、いかにもアメリカ!!!つー感じでしたが

嫁はひさしぶりに食べたかったとゆー正統派ラーメン!!!

その気持ち、わかるなあ・・・

さらに孫たちは、ばあばと3人で(ママの特別許可を得て)ひさしぶりのハーゲンダッツ!!!



ま、じいじもばあばのラムレーズン味を分けてもらいましたが・・・

と、帰りはすっかり馴染んだワイキキトロリー・ピンクラインの2階席へ

せっかくなのでワイキキの夜景も何枚か・・・





さすがにビーチには・・・

人影はまばらでしたが・・・
と、孫たちとはホテルのロビーでお別れ、したのですが・・・
ホテルからコンドミニアムに帰宅後「明日じいじとばあばは大阪に帰るので、もう会えない」
とママから聞いた二人がギャン泣き!!!している動画を帰国後に送ってきてくれて・・・
その無邪気さがあまりにも愛おしくて、こっちが泣けてきました

そーいや映画「崖の上のポニョ」の公開時に宮崎駿監督が、
「5歳はまだ神に属している最後の年で、笑えば世界は祝福される」
「友人の娘がチョコチョコ歩いてきたら、生まれてきたことを肯定せざるを得ない」
「エライときに生まれてきた」と真顔で言うか「生まれてきてよかった」と言えるか
「どんな状態になっても世界を肯定したいという気持ちがあるから映画を作る」
と、言ってたそうですが、ほんとこの年頃の無邪気さつーのは別次元かもですね
と、言ってたそうですが、ほんとこの年頃の無邪気さつーのは別次元かもですね
閑話休題
ホノルル最後の夜なので、気になってたホテルから山側の夜景も1枚・・・

そう、山の輪郭が家々の灯りでくっきりと浮かび上がってました
さらに最後の夜なので冷蔵庫に残ってたマウイも一気に・・・


ええ、持参していた柿ピーとかで・・・

わははは、ホノルル最後の夜もしあわせじゃったあ!!! ひっく
(と、まだ次回に続きます)
