ブログ日誌
2023年04月25日
ならクルでナラクの底に・・・
(期間限定のお知らせ)
フラッシュ光2023ボルネオツアーのご案内はこちらの記事です
とーとつですがわたくし、ならクルでナラクの底に落ちました・・・
先週の土曜日、ならクル(奈良まほろばサイク∞リング)コースをポタリングしてて落車骨折、
絶好のアウトドアシーズンが全くの白紙状態になり奈落の底に・・・とほほほ
ま、約1ヶ月の安静で自然治癒する可能性もあるそうですが、ようやくコロナ禍も収束に向かい、
本格的にアウトドアを楽しもうと思ってた矢先の出来事でしたので・・・とほほほ
と、今回も脳の外部記憶として記事にしておきます
(その後の経過は記事の末尾に追記しています)
4月22日の朝、いつものポタ仲間と近鉄大阪阿部野橋駅の西改札で待ち合わせ

お二人は電車でしたが、わたくしは自宅から5kmほど自走してきたミューSP9をたたんで、
三人で7:50発の吉野行急行に乗車、尺土駅で各停に乗り換え、橿原神宮前駅から3駅手前の
浮孔駅に着いたのが8:30、駅前で三人揃って折りたたみミニベロを組み立てました

そう、ルーベSL4とシルヴァF8F乗りだった友人がF8FのリコールでダホンK3に買い替えたので、
今回は彼の輪行での試走を兼ねたポタリング・・・
これでミューSP9、ダッシュP18、K3と、三人めでたくダホン製になったのですが・・・
トイレ休憩(無人駅の簡素なブロック積みトイレなのに温水洗浄付き便座でした!!!)を挟み、
9時前には駅前を出発、葛城川沿いの京奈和自転車道へ・・・


ここまで駅から1kmほど、古い「ならクル」表示がありました・・・
京奈和自転車道の北側の起点である京都の嵐山まで80kmとありますが、我々はここから
27km先にある平城宮跡を目指してのんびりと・・・
(ちなみに南側の起点は和歌山の紀の川河口で、自転車道の総延長は180km!!!)

そう、わざわざ・・・

「横断時 左右確認!」と書いてくれてるのに、無視して骨折するやつが・・・
とか、てきとーに漕いでたら・・・

あれ、こんなの案内にあったかな・・・
当初の予定では曽我川や飛鳥川を渡り佐保川沿いの京奈和自転車道を行くつもりでしたが、

高田川から大和川を渡り富雄川沿いの飛鳥葛城自転車道に入ったようです・・・
まあ、このコースでも・・・

平城宮跡には行けそうだし、ま、いいかと・・・
それにしても自転車道の名称が整備した自治体ごとに異なってて、ややこしかったです
その総合表示が奈良県の「ならクル」なんでしょうが、どの自転車道を経由するのかまでは
一部しか表示されてなかったし・・・
まあ県内に自転車専用道が何本かあって、それらが繋がってるのは有難いのですが・・・
とか、ぶつぶついいながら漕いでると・・・

平城京跡まで10kmの地点に着きました
ならクル表示で「C7せんとの道ルート」を忠実に辿ってるようです
で、大和郡山城の北側を過ぎ「ならクルC7」表示を探しつつ・・・


塔の九輪に五色の幟がはためく薬師寺なんぞを眺めつつ・・・
(西大寺で合流した奈良ソムリエの友人によると、東塔の修理が終わって先日落慶法要があり、
そのお祝いの吹き流しだそうです)

秋篠川沿いを気持ちよく北上してたのですが・・・
写真撮影などで二人からやや遅れていたわたくし、平城宮跡の手前の交差点で、ついつい
「横断時 左右確認!」が遅れ、渡りはじめてから左のクルマに気づいたので、あわてて
急ブレーキをかけバランスを崩して落車、左臀部を路面に打ちつけてしまった次第・・・
クルマは先にこちらに気づいて停まってくれてたので、わたくしの不注意でした
ドライバーに会釈して通り過ぎればよかったものを、視認が遅れてパニクったようです
咄嗟の判断力やバランス感覚も「引き籠り飲んだくれ」が続いて鈍ってたかもですが・・・
と、ともかくサドルを目いっぱい下げ、右脚だけで何とか大和西大寺駅前まで自走・・・

「あの事件」以降、すっかり模様替えした北口で奈良ソムリエの友人と合流し・・・

皆さんにミューSP9をたたんでもらったり運んでもらったりして、

皆さんは天ぷら寿司定食でビールをお替わり、わたくしは一杯だけでEDCしてるロキソニンをば
と、昼食後は空いている各停に乗車して、乗換駅では少し歩いては何度もベンチに座り込み、
何とか自宅の最寄駅まで、たたんだミューSP9を担いで辿り着きました
このままタクシー乗り場まで行けたとしても、とても積み下ろしまではできないだろうし、
と、何とかミューSP9を組み立て、無事な右脚だけで自宅まで帰った次第・・・
ま、駅のホームや乗り換えで担いで歩いてた際よりは、はるかにラクでしたが・・・
で、その夜は明け方まで痛みが酷く一時は救急搬送してもらおうと思ったぐらいでしたが、
内服・経皮の鎮痛消炎剤が効いたのか、日曜日の午後には痛みも治まり、伝い歩きぐらいなら
できるようになりました
月曜日にはさらにラクになったのですが念のためにと、朝からママチャリを片足で漕いで
近所の整形外科病院へ行きました
レントゲン検査では異常は見つからなかったのですが、念のためCT検査もしましょうと、
検査してもらい、待合室で待ってると、いきなり車椅子が運ばれてきて、それに乗せられ、
「これからは絶対に左脚に体重をかけてはいけません、折れてました」と・・・
ええ、CT検査の結果は、なんと「左大腿骨頸部骨折」でした・・・
「ボルト固定の手術をすれば安心確実ですが、骨折部位がズレていないので、このままで
左脚に体重をかけなければ自然治癒する可能性もあります。どうされますか?」
「以前の左足外踝骨折の際はボルト固定の手術をしたのですが、全身麻酔とか大層だったし、
今は自宅でごろごろしてるだけなので、自然治癒に賭けてみます・・・」
「それなら少なくとも1ヶ月は左脚に体重をかけないように、骨折部位がズレてしまうと、
後は人工関節への手術しかありません」
「ううっ、ギブス固定とかはできないんですか?」
「股関節なので不可能です、ボルト固定しかないですね」
「今後は1週間おきに検査をしてズレていないかを確認します」
「今日は体重をかけない松葉杖の使い方を訓練します」とテキパキと指示されました
つーことで、訓練を受けて松葉杖を借り、家内に迎えに来てもらって帰宅した次第・・・
まあクルマに轢かれなかったのも、ズレずに折れて自然治癒の可能性があるのも幸いでしたが
ともかく複数の意見に従って「念のために」受診したことが何よりでした
知らずに無理して歩いてたら、間違いなく人工関節への大手術でしたから・・・
皆さん、たとえ自転車専用道であっても交差点では絶対に・・・
横断前の左右確認を!!!
以下、その後の経過を追記しています
4.24
初診(記事本文末尾のとおり)
5.1
1回目の経過観察
レントゲン検査で「今のところはセーフ」との診断
(レントゲン検査で骨がズレている兆候があればCT検査→手術)
引き続き左脚に体重をかけない松葉杖生活をするよう指示があった
(大腿骨に殆ど痛みはないので、これがけっこう面倒)
5.8
2回目の経過観察
今回の検査でも骨はズレておらず次回の検査で順調なら松葉杖かストックかを判断するとのこと
(念のため、5月中の外出予定は全てキャンセルした)
5.15
3回目の経過観察
経過はイマイチ
レントゲン画像を右脚と較べると確かにぐちゃぐちゃになってた
注意していたつもりだったが何かの拍子に左脚に負担がかかったのかも知れない
まあ、このまま治癒する可能性も残っているので25kgの体重をかけて様子をみるとのこと
ダメだった場合は人工関節手術に移行
5.22
4回目の経過観察とリハビリ
(ぐちゃぐちゃながらも)まだズレてはいないとの診断でひと安心
本日から週1回のリハビリを開始することになった
以下、理学療法士の話
まだ折れた部分がレントゲンではっきり判るので骨は癒着していない状態
痛みはなくとも、ひねったり何かの拍子にズレてしまうので、まだまだ注意が必要
レントゲン画像で骨折部分が判らなくなれば、ようやく骨が癒着しはじめたということになる
次回で異常がなければ右の松葉杖だけにして50㎏荷重で様子を見ることになるだろうとのこと
(京奈和自転車道の話からビンディング骨折の話になり、左足首のチタンプレートは年齢に関係なく、
運動に支障が出るようになれば外せばいいとのことだった)
5.29
5回目の経過観察とリハビリ
何とか順調、このまま指示を守って療養すれば、いずれ通常歩行も可能になるとのことでひと安心
ただレントゲン画像は骨折部分に、まだ細い線が判別できる状態・・・
以下、理学療法士の話
今週から松葉杖を右だけにして50kg荷重で訓練、順調なら来週にはストックに変える
ただし左脚に荷重がかかっているときに足首をひねったりするとズレてしまうので、まだまだ注意が必要
さらに脚への荷重は筋肉の回復だけでなく骨の回復にも重要とのことだった
(またビンディング骨折の話になり、知人の競輪選手が落車骨折後に復帰する際は必ず山歩きをしている、
それで骨を回復しつつ競輪のトレーニングをするとのこと、なるほど理にかなってますね)
(そういえばイギリスの若いロードレーサーが自転車用の筋トレだけで歩いたり走ったりしなかったため、
骨粗しょう症で引退したことにより、脚への衝撃が骨を成長させることが判明したとの記事がありました)
6.5
6回目の経過観察とリハビリ
まあまあ順調に推移している、ここまで頑張ったのだから最後まで慎重に療養して下さいとのことで、
片松葉杖から愛用のトレッキングポール(もともと奥様用のT型グリップ)に変えてもよいとの許可が出た
やはり松葉杖は大層だったので、これでかなり身軽になるはず
以下、理学療法士の話
骨折部を補うため周りの筋肉に負担がかかり緊張しているのでマッサージとストレッチのリハビリ、
歩いていないので特に足を蹴り出す筋肉が衰えている、週単位ぐらいで少しずつ歩行距離を伸ばせばいいが、
痛みが生じない程度に抑えて決して無理をしないこと
6.12
7回目の経過観察とリハビリ
ズレずに順調に推移しているが癒着には時間がかかるので引き続き慎重に、とのこと
以下、理学療法士の話
癒着は個人差もあるが通常3ヶ月と言われてるので、本格的な筋トレなどはそれ以降にすること
それまでは少しずつ左に体重をかけること、スクワットは左右に体重分散するのでしてもよい
6.19
8回目の経過観察とリハビリ
ズレずに推移しているので異変がない限り今後は2週間おきの経過観察でいいとのこと
リハビリ室でも相談、今後は筋トレ主体になるのでリハビリ室も2週間おきでいいとのこと
以下、理学療法士の話
ずっと松葉杖やストックを使い前荷重で歩いていたので左脚前部の筋肉が緊張している
(押し脚と引き脚だけの自転車の漕ぎ過ぎと同じ状態)
今後は前に蹴り出す(左脚後部の)筋肉を鍛えれば左脚前部の緊張も消えていく
大股、後ろ荷重で蹴り出すウォーキングエクササイズのような歩き方を意識すること
ただし、まだ骨が癒着していないので弾みをつけるような運動は控えること
7.7
9回目の経過観察とリハビリ
ズレずに推移しているが完全に癒着しているわけではないので無理な動きはしないこと、
特に転倒しないように注意すること、通常の動きであれば問題はない
癒着まで3ヶ月はかかるので引き続き2週間後に再検査する
以下、理学療法士の話
骨も筋肉も回復には刺激が必要だが飛んだり走ったりの衝撃はまだ無理
短距離でいいので毎日姿勢を意識して歩くこと
7.21
10回目の経過観察とリハビリ
ほぼズレずに癒着している まだ跳んだり走ったりせず今後リハビリすること
盆明け(8.18)に最終の確認をする
以下、理学療法士の話
レントゲン画像を確認したが、ボルト固定しないでここまで治癒できたのは素晴らしいこと
変な動きをしても骨そのものが感じることはないので、その際にビクンとするのは周辺の筋肉
可動域を回復するリハビリには脱力した動きを、筋力を回復するリハビリには注力した動きを、
どちらも息を吐きながら行うこと
3ヶ月でほぼ治癒したので今後3ヶ月リハビリすれば元に戻るはず
リハビリには歩行とペダリングが最適だが転倒しないよう注意すること
今回で治療リハビリは一応終了、腰痛などが再発した場合は次回を待たず再診察で対応する
8.18
11回目の経過観察
一応癒着しているのでレントゲンによる経過観察は今回で終了する
Qもう普通に走ったり跳んだり跳ねたり筋トレしてもいいのか?
A無理のない範囲ならいいが、歩行が一番のリハビリになる
Q散歩を始めたが少し歩くと左脚の筋肉や腰が痛くなる、脊柱管狭窄の再発なのか?
A痛みが続くようなら再診・検査する
筋肉の緊張をほぐし筋トレの指示を受けるために1ヶ月に1度ぐらいリハビリに来るように
つーことで次回9月11日のリハビリ予約をして終了
治癒まで4ヶ月かかりましたが、これからの歩行や筋トレのリハビリでどうなることやら・・・
9.11
8回目のリハビリ
まず理学療法士に報告
8月下旬から毎日歩行(2km→2.5km→3kmで停滞中)しているが、少し歩くと前かがみ姿勢になる
最初は腰の痛みが出たが、少しずつ改善している 自宅での軽いスクワットは続けている
・短時間なら、ほぼ正しい姿勢で歩けている
・少しずつ距離を伸ばし毎日6kmは歩くこと、アップダウンも入れること
・左の大臀筋と中臀筋が骨折療養で衰えバランスも崩れやすく長時間歩けなくなっている
(確かに左脚での片足立ちが殆どできなくなってたので自分でも驚いた)
・大臀筋のみ鍛えるには俯せになり足首に枕などを入れ押しつけるように膝の曲げ伸ばし運動
・中臀筋のみ鍛えるには右側を下にして横向きになり左脚を斜め後方に上げ下げする運動→きつい
・どちらも鍛えるにはスクワットがいいが負担が大きい 軽くてもいいので続けること
・可動域を拡げるには脱力、筋力を鍛えるには注力して運動すること
→やはり専門家のアドバイスは的確で納得できるのでありがたい 次回は10月12日
フラッシュ光2023ボルネオツアーのご案内はこちらの記事です
とーとつですがわたくし、ならクルでナラクの底に落ちました・・・
先週の土曜日、ならクル(奈良まほろばサイク∞リング)コースをポタリングしてて落車骨折、
絶好のアウトドアシーズンが全くの白紙状態になり奈落の底に・・・とほほほ
ま、約1ヶ月の安静で自然治癒する可能性もあるそうですが、ようやくコロナ禍も収束に向かい、
本格的にアウトドアを楽しもうと思ってた矢先の出来事でしたので・・・とほほほ
と、今回も脳の外部記憶として記事にしておきます

(その後の経過は記事の末尾に追記しています)
4月22日の朝、いつものポタ仲間と近鉄大阪阿部野橋駅の西改札で待ち合わせ

お二人は電車でしたが、わたくしは自宅から5kmほど自走してきたミューSP9をたたんで、
三人で7:50発の吉野行急行に乗車、尺土駅で各停に乗り換え、橿原神宮前駅から3駅手前の
浮孔駅に着いたのが8:30、駅前で三人揃って折りたたみミニベロを組み立てました

そう、ルーベSL4とシルヴァF8F乗りだった友人がF8FのリコールでダホンK3に買い替えたので、
今回は彼の輪行での試走を兼ねたポタリング・・・
これでミューSP9、ダッシュP18、K3と、三人めでたくダホン製になったのですが・・・
トイレ休憩(無人駅の簡素なブロック積みトイレなのに温水洗浄付き便座でした!!!)を挟み、
9時前には駅前を出発、葛城川沿いの京奈和自転車道へ・・・


ここまで駅から1kmほど、古い「ならクル」表示がありました・・・
京奈和自転車道の北側の起点である京都の嵐山まで80kmとありますが、我々はここから
27km先にある平城宮跡を目指してのんびりと・・・
(ちなみに南側の起点は和歌山の紀の川河口で、自転車道の総延長は180km!!!)

そう、わざわざ・・・

「横断時 左右確認!」と書いてくれてるのに、無視して骨折するやつが・・・

とか、てきとーに漕いでたら・・・

あれ、こんなの案内にあったかな・・・
当初の予定では曽我川や飛鳥川を渡り佐保川沿いの京奈和自転車道を行くつもりでしたが、

高田川から大和川を渡り富雄川沿いの飛鳥葛城自転車道に入ったようです・・・
まあ、このコースでも・・・

平城宮跡には行けそうだし、ま、いいかと・・・
それにしても自転車道の名称が整備した自治体ごとに異なってて、ややこしかったです
その総合表示が奈良県の「ならクル」なんでしょうが、どの自転車道を経由するのかまでは
一部しか表示されてなかったし・・・
まあ県内に自転車専用道が何本かあって、それらが繋がってるのは有難いのですが・・・
とか、ぶつぶついいながら漕いでると・・・

平城京跡まで10kmの地点に着きました
ならクル表示で「C7せんとの道ルート」を忠実に辿ってるようです
で、大和郡山城の北側を過ぎ「ならクルC7」表示を探しつつ・・・


塔の九輪に五色の幟がはためく薬師寺なんぞを眺めつつ・・・
(西大寺で合流した奈良ソムリエの友人によると、東塔の修理が終わって先日落慶法要があり、
そのお祝いの吹き流しだそうです)

秋篠川沿いを気持ちよく北上してたのですが・・・
写真撮影などで二人からやや遅れていたわたくし、平城宮跡の手前の交差点で、ついつい
「横断時 左右確認!」が遅れ、渡りはじめてから左のクルマに気づいたので、あわてて
急ブレーキをかけバランスを崩して落車、左臀部を路面に打ちつけてしまった次第・・・
クルマは先にこちらに気づいて停まってくれてたので、わたくしの不注意でした
ドライバーに会釈して通り過ぎればよかったものを、視認が遅れてパニクったようです
咄嗟の判断力やバランス感覚も「引き籠り飲んだくれ」が続いて鈍ってたかもですが・・・
と、ともかくサドルを目いっぱい下げ、右脚だけで何とか大和西大寺駅前まで自走・・・

「あの事件」以降、すっかり模様替えした北口で奈良ソムリエの友人と合流し・・・

皆さんにミューSP9をたたんでもらったり運んでもらったりして、

皆さんは天ぷら寿司定食でビールをお替わり、わたくしは一杯だけでEDCしてるロキソニンをば

と、昼食後は空いている各停に乗車して、乗換駅では少し歩いては何度もベンチに座り込み、
何とか自宅の最寄駅まで、たたんだミューSP9を担いで辿り着きました
このままタクシー乗り場まで行けたとしても、とても積み下ろしまではできないだろうし、
と、何とかミューSP9を組み立て、無事な右脚だけで自宅まで帰った次第・・・
ま、駅のホームや乗り換えで担いで歩いてた際よりは、はるかにラクでしたが・・・
で、その夜は明け方まで痛みが酷く一時は救急搬送してもらおうと思ったぐらいでしたが、
内服・経皮の鎮痛消炎剤が効いたのか、日曜日の午後には痛みも治まり、伝い歩きぐらいなら
できるようになりました
月曜日にはさらにラクになったのですが念のためにと、朝からママチャリを片足で漕いで
近所の整形外科病院へ行きました
レントゲン検査では異常は見つからなかったのですが、念のためCT検査もしましょうと、
検査してもらい、待合室で待ってると、いきなり車椅子が運ばれてきて、それに乗せられ、
「これからは絶対に左脚に体重をかけてはいけません、折れてました」と・・・
ええ、CT検査の結果は、なんと「左大腿骨頸部骨折」でした・・・
「ボルト固定の手術をすれば安心確実ですが、骨折部位がズレていないので、このままで
左脚に体重をかけなければ自然治癒する可能性もあります。どうされますか?」
「以前の左足外踝骨折の際はボルト固定の手術をしたのですが、全身麻酔とか大層だったし、
今は自宅でごろごろしてるだけなので、自然治癒に賭けてみます・・・」
「それなら少なくとも1ヶ月は左脚に体重をかけないように、骨折部位がズレてしまうと、
後は人工関節への手術しかありません」
「ううっ、ギブス固定とかはできないんですか?」
「股関節なので不可能です、ボルト固定しかないですね」
「今後は1週間おきに検査をしてズレていないかを確認します」
「今日は体重をかけない松葉杖の使い方を訓練します」とテキパキと指示されました
つーことで、訓練を受けて松葉杖を借り、家内に迎えに来てもらって帰宅した次第・・・
まあクルマに轢かれなかったのも、ズレずに折れて自然治癒の可能性があるのも幸いでしたが
ともかく複数の意見に従って「念のために」受診したことが何よりでした
知らずに無理して歩いてたら、間違いなく人工関節への大手術でしたから・・・
皆さん、たとえ自転車専用道であっても交差点では絶対に・・・
横断前の左右確認を!!!
以下、その後の経過を追記しています
4.24
初診(記事本文末尾のとおり)
5.1
1回目の経過観察
レントゲン検査で「今のところはセーフ」との診断
(レントゲン検査で骨がズレている兆候があればCT検査→手術)
引き続き左脚に体重をかけない松葉杖生活をするよう指示があった
(大腿骨に殆ど痛みはないので、これがけっこう面倒)
5.8
2回目の経過観察
今回の検査でも骨はズレておらず次回の検査で順調なら松葉杖かストックかを判断するとのこと
(念のため、5月中の外出予定は全てキャンセルした)
5.15
3回目の経過観察
経過はイマイチ
レントゲン画像を右脚と較べると確かにぐちゃぐちゃになってた
注意していたつもりだったが何かの拍子に左脚に負担がかかったのかも知れない
まあ、このまま治癒する可能性も残っているので25kgの体重をかけて様子をみるとのこと
ダメだった場合は人工関節手術に移行
5.22
4回目の経過観察とリハビリ
(ぐちゃぐちゃながらも)まだズレてはいないとの診断でひと安心
本日から週1回のリハビリを開始することになった
以下、理学療法士の話
まだ折れた部分がレントゲンではっきり判るので骨は癒着していない状態
痛みはなくとも、ひねったり何かの拍子にズレてしまうので、まだまだ注意が必要
レントゲン画像で骨折部分が判らなくなれば、ようやく骨が癒着しはじめたということになる
次回で異常がなければ右の松葉杖だけにして50㎏荷重で様子を見ることになるだろうとのこと
(京奈和自転車道の話からビンディング骨折の話になり、左足首のチタンプレートは年齢に関係なく、
運動に支障が出るようになれば外せばいいとのことだった)
5.29
5回目の経過観察とリハビリ
何とか順調、このまま指示を守って療養すれば、いずれ通常歩行も可能になるとのことでひと安心
ただレントゲン画像は骨折部分に、まだ細い線が判別できる状態・・・
以下、理学療法士の話
今週から松葉杖を右だけにして50kg荷重で訓練、順調なら来週にはストックに変える
ただし左脚に荷重がかかっているときに足首をひねったりするとズレてしまうので、まだまだ注意が必要
さらに脚への荷重は筋肉の回復だけでなく骨の回復にも重要とのことだった
(またビンディング骨折の話になり、知人の競輪選手が落車骨折後に復帰する際は必ず山歩きをしている、
それで骨を回復しつつ競輪のトレーニングをするとのこと、なるほど理にかなってますね)
(そういえばイギリスの若いロードレーサーが自転車用の筋トレだけで歩いたり走ったりしなかったため、
骨粗しょう症で引退したことにより、脚への衝撃が骨を成長させることが判明したとの記事がありました)
6.5
6回目の経過観察とリハビリ
まあまあ順調に推移している、ここまで頑張ったのだから最後まで慎重に療養して下さいとのことで、
片松葉杖から愛用のトレッキングポール(もともと奥様用のT型グリップ)に変えてもよいとの許可が出た
やはり松葉杖は大層だったので、これでかなり身軽になるはず
以下、理学療法士の話
骨折部を補うため周りの筋肉に負担がかかり緊張しているのでマッサージとストレッチのリハビリ、
歩いていないので特に足を蹴り出す筋肉が衰えている、週単位ぐらいで少しずつ歩行距離を伸ばせばいいが、
痛みが生じない程度に抑えて決して無理をしないこと
6.12
7回目の経過観察とリハビリ
ズレずに順調に推移しているが癒着には時間がかかるので引き続き慎重に、とのこと
以下、理学療法士の話
癒着は個人差もあるが通常3ヶ月と言われてるので、本格的な筋トレなどはそれ以降にすること
それまでは少しずつ左に体重をかけること、スクワットは左右に体重分散するのでしてもよい
6.19
8回目の経過観察とリハビリ
ズレずに推移しているので異変がない限り今後は2週間おきの経過観察でいいとのこと
リハビリ室でも相談、今後は筋トレ主体になるのでリハビリ室も2週間おきでいいとのこと
以下、理学療法士の話
ずっと松葉杖やストックを使い前荷重で歩いていたので左脚前部の筋肉が緊張している
(押し脚と引き脚だけの自転車の漕ぎ過ぎと同じ状態)
今後は前に蹴り出す(左脚後部の)筋肉を鍛えれば左脚前部の緊張も消えていく
大股、後ろ荷重で蹴り出すウォーキングエクササイズのような歩き方を意識すること
ただし、まだ骨が癒着していないので弾みをつけるような運動は控えること
7.7
9回目の経過観察とリハビリ
ズレずに推移しているが完全に癒着しているわけではないので無理な動きはしないこと、
特に転倒しないように注意すること、通常の動きであれば問題はない
癒着まで3ヶ月はかかるので引き続き2週間後に再検査する
以下、理学療法士の話
骨も筋肉も回復には刺激が必要だが飛んだり走ったりの衝撃はまだ無理
短距離でいいので毎日姿勢を意識して歩くこと
7.21
10回目の経過観察とリハビリ
ほぼズレずに癒着している まだ跳んだり走ったりせず今後リハビリすること
盆明け(8.18)に最終の確認をする
以下、理学療法士の話
レントゲン画像を確認したが、ボルト固定しないでここまで治癒できたのは素晴らしいこと
変な動きをしても骨そのものが感じることはないので、その際にビクンとするのは周辺の筋肉
可動域を回復するリハビリには脱力した動きを、筋力を回復するリハビリには注力した動きを、
どちらも息を吐きながら行うこと
3ヶ月でほぼ治癒したので今後3ヶ月リハビリすれば元に戻るはず
リハビリには歩行とペダリングが最適だが転倒しないよう注意すること
今回で治療リハビリは一応終了、腰痛などが再発した場合は次回を待たず再診察で対応する
8.18
11回目の経過観察
一応癒着しているのでレントゲンによる経過観察は今回で終了する
Qもう普通に走ったり跳んだり跳ねたり筋トレしてもいいのか?
A無理のない範囲ならいいが、歩行が一番のリハビリになる
Q散歩を始めたが少し歩くと左脚の筋肉や腰が痛くなる、脊柱管狭窄の再発なのか?
A痛みが続くようなら再診・検査する
筋肉の緊張をほぐし筋トレの指示を受けるために1ヶ月に1度ぐらいリハビリに来るように
つーことで次回9月11日のリハビリ予約をして終了
治癒まで4ヶ月かかりましたが、これからの歩行や筋トレのリハビリでどうなることやら・・・
9.11
8回目のリハビリ
まず理学療法士に報告
8月下旬から毎日歩行(2km→2.5km→3kmで停滞中)しているが、少し歩くと前かがみ姿勢になる
最初は腰の痛みが出たが、少しずつ改善している 自宅での軽いスクワットは続けている
・短時間なら、ほぼ正しい姿勢で歩けている
・少しずつ距離を伸ばし毎日6kmは歩くこと、アップダウンも入れること
・左の大臀筋と中臀筋が骨折療養で衰えバランスも崩れやすく長時間歩けなくなっている
(確かに左脚での片足立ちが殆どできなくなってたので自分でも驚いた)
・大臀筋のみ鍛えるには俯せになり足首に枕などを入れ押しつけるように膝の曲げ伸ばし運動
・中臀筋のみ鍛えるには右側を下にして横向きになり左脚を斜め後方に上げ下げする運動→きつい
・どちらも鍛えるにはスクワットがいいが負担が大きい 軽くてもいいので続けること
・可動域を拡げるには脱力、筋力を鍛えるには注力して運動すること
→やはり専門家のアドバイスは的確で納得できるのでありがたい 次回は10月12日
2023年03月11日
ロシアのダーチャから備蓄について考える
今日で東日本大震災から12年が経ちました
あらためて震災の犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします
あわせて、今も地域の復興に尽力されておられる方々に心からの敬意を表します
で、今回はロシアのダーチャから備蓄について、思いつくまま・・・
「ロシア人は窮乏に耐えられる我慢強い民族なので経済制裁は効かない」との記事をネットで見ましたが、
民族として我慢強いとかではなく、過去から学び個人個人が対策しているから耐えられるのではないか?
と思った次第です
帝政ロシアの圧制、革命の混乱、ドイツ軍の侵攻、スターリンの粛清、冷戦下の窮乏、ソ連崩壊後の混乱・・・
多くの餓死者や凍死者を出してきた過去の歴史があるから、富裕層はもちろん備蓄しているだろうし、
一般市民も多くが都市近郊のダーチャ(別荘)とかで備蓄しているはず・・・
以下はソ連崩壊以前に知人のダーチャに招待された、本人から直接聞いた話です
・当時、日本のマスコミではモスクワの商店に並ぶ長蛇の列が紹介され、市民の窮乏を伝えていた
・招待してくれたのはモスクワの簡素なアパートに住む一般市民の技師だったが、立派なダーチャだった
・庭には菜園もありウォッカなど大量の備蓄品・高級家具・美術品が置いてあり歓待してくれた
・モスクワで市民が並んでいたのは政府系の商店で、配給品が入れば特別に安く買えるから並んでいただけで、
他の店に行けば同じ商品が(やや割高だが)豊富にあって並ぶこともなく、市民が窮乏している事実もなかった
(以上、報道や他人の話を鵜呑みにせず現地を確認すべきという話の中で)
で、この例から考えたのは、今も多くの市民がダーチャなどで備蓄したり自給自足できるようにしたりして、
いつ襲ってくるとも限らない窮乏時に備えているのではないかということ
厳冬期のロシアで燃料や食料の供給が途絶えれば、たちまち家族が死んでしまうのだから当然の備えでしょう
また高級家具や美術品などは(信頼できない)自国貨幣に替わる蓄えとして置いているのでしょう
さらに混乱期の政府からの支援などは、ハナから期待していないとも考えられます
これはイタリア・トスカーナの家庭を訪れた際も同じで、殆どが菜園と別の仕事を持ってました
国家規模での政治や経済の混乱を何度も経験していると、それに対応できるよう平時からできる範囲で
備えようとするのは当然とも思われますが、戦中戦後の窮乏や貨幣価値の混乱、ましてや自然災害などは
何度も経験しているはずの日本ではどうでしょう・・・
熊野キャンプで毎年訪れていた小集落では、未曽有の大水害時に1週間以上も完全に孤立していたけれど、
住民に備蓄と生活できる技術や知識があって困らなかったようですが、都会ではどうでしょう・・・
食料や燃料などの流通が途絶える大災害への備えについては、1週間程度からモノによっては1ヶ月程度の
備蓄が勧められていますが、それらを有効に使える知識や経験、技術などを都市に暮らす一般市民が、
いったいどれだけ持っているのか・・・
さらに戦争や国家規模での貨幣価値・貿易・経済などの破綻を前提とした備蓄となるとどうでしょう
まあ、そんなことにならないよう献身している優秀な政治家や役人ばかりだから国民は安心している???
って、その顔ブレを思い浮かべると、ますます不安になってくるのですが・・・
やはり郊外の安全な場所に、水と電力が独自に確保できて菜園もできる、強固で豪華な別荘を持って、
そこに食料や燃料だけでなく、円やドルの貨幣価値に左右されず換金や物々交換ができる金銀財宝や
稀少なライト
なども大量に備蓄、ついでにスイスの秘密口座預金とか暗号通貨とかも大量に・・・
って、そんな余裕が一般市民にあるのかっ???
日本でそこまで想定して備えているのは、ごく一部の富裕層(とライトマニア
)だけなのかも知れません
アメリカでも、廃棄されたミサイルの地下サイロをシェルターとして購入したり、安全なオセアニアの
高級別荘を購入したりして備蓄してるのは、やはり一部の超富裕層だそうですし・・・
でも、そろそろ・・・
日本の一般市民も一時的な自然災害に対する備蓄だけでなく、国家規模の破綻や混乱も想定したうえで、
できる範囲での対策を考えねばならない時期に来ているのかも知れません・・・
どんな自然災害でも、最初の1週間から1ヶ月程度さえ自給自足できるように備蓄しておけば、あとは
国を挙げての支援や国際的な支援が期待できるのは、東日本大震災の例からも明らかなのですが、
日本が国際的な紛争に巻き込まれた場合はどうでしょう
あるいはどこかで戦争が勃発すれば、食料はじめ燃料・飼料・肥料などの殆どを輸入に頼る日本では、
戦略的な物流停止による影響が大きいことは、ウクライナ侵攻の例からも明らかです
ましてや局地的であっても核兵器が使われると、核の冬による世界的な食糧の減産も想定されますが、
その場合、各国は自国の餓死者を少なくすることを最優先にするので輸入は完全にストップするでしょう
本来、そんな事態に備えるのは国としての役割で、まずは食糧自給率を上げる努力が必要なんでしょうが、
今はひたすら農業予算を削って防衛予算を増やす努力をしてるようだし・・・
食糧自給は国家の重要な防衛戦略だと思うのですが、まだ当面は期待できそうにもありませんから、
やはり個人として最低限の自給自足ができるような手段を考えておかないと・・・
まあ、とりあえずは・・・
窮乏生活(サバイバル)に備えた備蓄や経験を、個人ができる範囲で積み重ねるしかないようです
(追記です)
理想的には、自分か家族と繋がりのある(地理的にも人文的にも安全な)地方都市にある職場にふだんは通い、
その近郊にある安全な自宅(または別宅)には菜園や様々な備蓄があって、周りは里山で水や薪が豊富、
近くには農薬や化学肥料を使わない農家もあり彼らとの関係も良好で、山に入れば釣りや狩猟もできる・・・
そんな環境で暮らすことでしょうか・・・
もちろん、そこで暮らせる技術と知識とコミュニケーション能力が不可欠なんですが・・・
あらためて震災の犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします
あわせて、今も地域の復興に尽力されておられる方々に心からの敬意を表します
で、今回はロシアのダーチャから備蓄について、思いつくまま・・・
「ロシア人は窮乏に耐えられる我慢強い民族なので経済制裁は効かない」との記事をネットで見ましたが、
民族として我慢強いとかではなく、過去から学び個人個人が対策しているから耐えられるのではないか?
と思った次第です
帝政ロシアの圧制、革命の混乱、ドイツ軍の侵攻、スターリンの粛清、冷戦下の窮乏、ソ連崩壊後の混乱・・・
多くの餓死者や凍死者を出してきた過去の歴史があるから、富裕層はもちろん備蓄しているだろうし、
一般市民も多くが都市近郊のダーチャ(別荘)とかで備蓄しているはず・・・
以下はソ連崩壊以前に知人のダーチャに招待された、本人から直接聞いた話です
・当時、日本のマスコミではモスクワの商店に並ぶ長蛇の列が紹介され、市民の窮乏を伝えていた
・招待してくれたのはモスクワの簡素なアパートに住む一般市民の技師だったが、立派なダーチャだった
・庭には菜園もありウォッカなど大量の備蓄品・高級家具・美術品が置いてあり歓待してくれた
・モスクワで市民が並んでいたのは政府系の商店で、配給品が入れば特別に安く買えるから並んでいただけで、
他の店に行けば同じ商品が(やや割高だが)豊富にあって並ぶこともなく、市民が窮乏している事実もなかった
(以上、報道や他人の話を鵜呑みにせず現地を確認すべきという話の中で)
で、この例から考えたのは、今も多くの市民がダーチャなどで備蓄したり自給自足できるようにしたりして、
いつ襲ってくるとも限らない窮乏時に備えているのではないかということ
厳冬期のロシアで燃料や食料の供給が途絶えれば、たちまち家族が死んでしまうのだから当然の備えでしょう
また高級家具や美術品などは(信頼できない)自国貨幣に替わる蓄えとして置いているのでしょう
さらに混乱期の政府からの支援などは、ハナから期待していないとも考えられます
これはイタリア・トスカーナの家庭を訪れた際も同じで、殆どが菜園と別の仕事を持ってました
国家規模での政治や経済の混乱を何度も経験していると、それに対応できるよう平時からできる範囲で
備えようとするのは当然とも思われますが、戦中戦後の窮乏や貨幣価値の混乱、ましてや自然災害などは
何度も経験しているはずの日本ではどうでしょう・・・
熊野キャンプで毎年訪れていた小集落では、未曽有の大水害時に1週間以上も完全に孤立していたけれど、
住民に備蓄と生活できる技術や知識があって困らなかったようですが、都会ではどうでしょう・・・
食料や燃料などの流通が途絶える大災害への備えについては、1週間程度からモノによっては1ヶ月程度の
備蓄が勧められていますが、それらを有効に使える知識や経験、技術などを都市に暮らす一般市民が、
いったいどれだけ持っているのか・・・
さらに戦争や国家規模での貨幣価値・貿易・経済などの破綻を前提とした備蓄となるとどうでしょう
まあ、そんなことにならないよう献身している優秀な政治家や役人ばかりだから国民は安心している???
って、その顔ブレを思い浮かべると、ますます不安になってくるのですが・・・

やはり郊外の安全な場所に、水と電力が独自に確保できて菜園もできる、強固で豪華な別荘を持って、
そこに食料や燃料だけでなく、円やドルの貨幣価値に左右されず換金や物々交換ができる金銀財宝や
稀少なライト

って、そんな余裕が一般市民にあるのかっ???
日本でそこまで想定して備えているのは、ごく一部の富裕層(とライトマニア

アメリカでも、廃棄されたミサイルの地下サイロをシェルターとして購入したり、安全なオセアニアの
高級別荘を購入したりして備蓄してるのは、やはり一部の超富裕層だそうですし・・・
でも、そろそろ・・・
日本の一般市民も一時的な自然災害に対する備蓄だけでなく、国家規模の破綻や混乱も想定したうえで、
できる範囲での対策を考えねばならない時期に来ているのかも知れません・・・
どんな自然災害でも、最初の1週間から1ヶ月程度さえ自給自足できるように備蓄しておけば、あとは
国を挙げての支援や国際的な支援が期待できるのは、東日本大震災の例からも明らかなのですが、
日本が国際的な紛争に巻き込まれた場合はどうでしょう
あるいはどこかで戦争が勃発すれば、食料はじめ燃料・飼料・肥料などの殆どを輸入に頼る日本では、
戦略的な物流停止による影響が大きいことは、ウクライナ侵攻の例からも明らかです
ましてや局地的であっても核兵器が使われると、核の冬による世界的な食糧の減産も想定されますが、
その場合、各国は自国の餓死者を少なくすることを最優先にするので輸入は完全にストップするでしょう
本来、そんな事態に備えるのは国としての役割で、まずは食糧自給率を上げる努力が必要なんでしょうが、
今はひたすら農業予算を削って防衛予算を増やす努力をしてるようだし・・・
食糧自給は国家の重要な防衛戦略だと思うのですが、まだ当面は期待できそうにもありませんから、
やはり個人として最低限の自給自足ができるような手段を考えておかないと・・・
まあ、とりあえずは・・・
窮乏生活(サバイバル)に備えた備蓄や経験を、個人ができる範囲で積み重ねるしかないようです
(追記です)
理想的には、自分か家族と繋がりのある(地理的にも人文的にも安全な)地方都市にある職場にふだんは通い、
その近郊にある安全な自宅(または別宅)には菜園や様々な備蓄があって、周りは里山で水や薪が豊富、
近くには農薬や化学肥料を使わない農家もあり彼らとの関係も良好で、山に入れば釣りや狩猟もできる・・・
そんな環境で暮らすことでしょうか・・・
もちろん、そこで暮らせる技術と知識とコミュニケーション能力が不可欠なんですが・・・
2023年03月03日
ブログ開設18周年!!!
ええ、本日2023年3月3日をもって・・・
当ブログサイト「趣味の物置小屋98k」は開設18周年を迎えました!!!


(スタジオジブリHPより)
そう・・・
灯りを点けましょ、ランタンにい
お肉を焼きましょ、ももの肉う
5人タープで、鍋奉行
今日は楽しい、キャンプ宴会!!!

と歌い続けて18年・・・よくまあ飽きもせず・・・
ま、ここ数年はコロナ禍もありましたが、わたくし自身アウトドアで遊ぶことが少なくなり、
アウトドア・グッズの紹介記事より、備忘のための読後メモや飲食メモの記事が増えてます
もはやブログ開設時の意図とは、かなり離れてしまってるのですが・・・
最近ますます物忘れが激しくなり、いつ、どこへ行って何をしてたのか、何を食べ、何を飲んだのか、
あるいはどんな本を読み、どんな映画や番組を観て、どう感じてたのか、すぐに忘れるようになり、
今は脳の外部記憶としても記事を作成している次第・・・
なので、今後もますます個人日記になりそうですが、下書きが読書メモと飲食メモだけになれば、
さすがに記事公開をやめようとは思ってますので、せめてそれまでの間は・・・
引き続きご愛読のほど、何卒よろしくお願い申し上げます ぺこぺこ
趣味の物置小屋98kスタッフ一同


ええ、今回は往年のミス・タイランド美女たちや・・・

往年のアンパワー水上マーケットの人たちをスタッフに・・・
当ブログサイト「趣味の物置小屋98k」は開設18周年を迎えました!!!








(スタジオジブリHPより)
そう・・・









と歌い続けて18年・・・よくまあ飽きもせず・・・

ま、ここ数年はコロナ禍もありましたが、わたくし自身アウトドアで遊ぶことが少なくなり、
アウトドア・グッズの紹介記事より、備忘のための読後メモや飲食メモの記事が増えてます
もはやブログ開設時の意図とは、かなり離れてしまってるのですが・・・
最近ますます物忘れが激しくなり、いつ、どこへ行って何をしてたのか、何を食べ、何を飲んだのか、
あるいはどんな本を読み、どんな映画や番組を観て、どう感じてたのか、すぐに忘れるようになり、
今は脳の外部記憶としても記事を作成している次第・・・
なので、今後もますます個人日記になりそうですが、下書きが読書メモと飲食メモだけになれば、
さすがに記事公開をやめようとは思ってますので、せめてそれまでの間は・・・
引き続きご愛読のほど、何卒よろしくお願い申し上げます ぺこぺこ

趣味の物置小屋98kスタッフ一同


ええ、今回は往年のミス・タイランド美女たちや・・・

往年のアンパワー水上マーケットの人たちをスタッフに・・・

2023年01月24日
寒い大阪・関西空港へ
(前回からの続きです、バンコクの休日記事を最初からご覧になる場合はカテゴリから)
年頭からはじめたバンコクの休日記事も今回が連載の最終回であります
(帰路なので画像やエピソードは少ないですが記事末尾に休暇に関する感想を付記しました)
と、まずはバンコク最終日12月30日の朝食から・・・

日本での食事に向けて漬物が復活し大根や青菜?の煮物とかも・・・

そーいやコーヒーはあれこれ試してポットのよりベンダーマシンのエスプレッソが好みになり
一度に2杯分を何回かお替わりしてましたが、ニルスのお父さんも全く同じパターンでした
と、この日のスワンナプーム空港からクアラルンプール空港への便は17:05発の予定でしたが、
念のため10時半にはホテルのチェックアウトを済ませ早めに地下鉄MRTサムヤーン駅へ、
ペッチャブリー駅で改札を出て回数カードを返し、デポジットと残高を返金してもらい
(デポジット50バーツ残高70バーツだったはず)、空港線ARLのマッカサン駅へ・・・
連絡通路にあったお店・・・

説明まで日本語とタイ語の併記で一時期タイからのインバウンド客が急増してましたから
日本語や日本食への思い入れもあるのでしょうか・・・
サムヤーンでもサイヤムでもスクーンビットでも日本料理店がいっぱいあったし・・・
空港線ARLのマッカサン駅

全線高架で母体はタイ国鉄ですが運営は第三セクターになってるようですね
自動券売機でトークンを買いました
空港までは35バーツで22分の乗車ですが、地下鉄MRTより待ち時間は長かったです

あちこちで見た超高層ビルと伝統建築の対比、まさに今のバンコクです・・・

空港線ARLも地下鉄MRTと同じくシーメンスが落札、当時駐在していたIさんによれば、
まあ、ウラにはいろいろとあったようですが・・・

都会でも水辺がある風景はやはりいいですね・・・
と、スワンナプーム空港には早めに着いたので託送荷物をマレーシア航空のカウンターに
預けるまで少し時間待ちしましたが、重量制限はホテルで量ってきたので無事クリア
帰りも前々日にホテルのWi-FiでWEBチェックインを済ませてたのですが、託送荷物を預ける
手間は同じで、WEBカウンターのほうが一般カウンターより少し空いてたぐらいのメリット
しかありませんでしたが、託送荷物がない場合は簡単で便利なんでしょうね
と、次に出国審査に行くとパスポートを見て、あっちへ行けと・・・

そう、高齢者はプライオリティ・レーンだそうですが入国審査ではそんな指示はなかったし、
一般レーンも空いてたので、なんか遠回りしただけのような気も・・・
で、出国審査と手荷物検査を済ませ搭乗ゲートを確認、ゲートオープンまで時間があったので、
奥様は免税店のウィンドショッピングへ、わたくしは小腹が空いてたので・・・

バンコクで一度も食べる機会がなかったバーガーキングへ・・・
さすがに空港内は割高でしたが残りのバーツが使えたのでよしとしましょう
と、

パシフィック航空でハノイへ・・・
ではなく・・・

マレーシア航空でクアラルンプールへ・・・ええ、同ゲートで同型機でした・・・
と、ほぼ定刻に離陸して・・・


楽しかったバンコクともお別れであります・・・

軽食を食べ終える頃には・・・

日も暮れなずみ・・・
やがてクアラルンプールの夜景が見えてきました

ひょっとして中央に見えるのはペトロナスのツインタワー???
だとしたら、わたくしはじめての上空撮影になるのですが・・・
と、無事にクアラルンプール空港に到着

ここから大阪・関西空港への深夜便はボルネオ植林ボランティアツアーでおなじみの便、
当日はやや定刻を遅れたものの無事に離陸しました
帰路でも映画を何本か観たはずですが、ビールやワインのお替わりと疲れで朦朧となってて
残念ながら殆ど覚えてません
Iさんオススメのエルビスとかも観たはずだけど・・・
で、眠れないまま朝食が出て、ほぼ定刻どおり31日の早朝に関西空港に着きました
(そーいや、この便で月曜日の早朝に帰国、自宅にスーツケースを置いて急いで着替え、
9時に出勤したこともあったな・・・職場では居眠りばかりだったけど・・・
)
今回はVisitJapan登録していて入国・検疫・税関手続きでスマホ画面掲示を利用したものの
操作に慣れないうえ遠回りルートを延々と歩かされ、睡眠不足もあってけっこう疲れました
で、託送荷物を待つあいだの夫婦の会話・・・
「今日の大阪は最高気温でも10℃、最低気温は2℃だって・・・ぶるぶる」
「ううっ、バンコクとはちょうど20℃の差か・・・
薄手のロンパンに長袖シャツ1枚では寒いだろうなあ・・・ぶるぶるぶる」
と、空港を出てからモンベルのパーカーを着たのですが、お土産いっぱいのスーツケースを
自宅まで運ぶのに汗びっしょりになり、何とか帰宅したものの、深夜電力利用の給湯器を
出発時にOFFにしてたので温かい風呂にも入れず、所用のためそのまま京都へ行って・・・
さすがに急激な温度変化と疲れで少し体調を崩し、年始三日間を寝正月にして無事に回復、
このバンコク記事の連載をはじめた次第です
(新年ご挨拶記事は事前に下書きしてたので元旦にアップすることができました)
(念のため抗原検査もしましたが二人とも陰性、やはり飲み過ぎ食べ過ぎ遊び過ぎか・・・
)
と、今回はホテル手配から現地案内まで全面的にペーンのお世話になりました
ほんとにありがとね!!! おかげで素晴らしいバンコク体験ができました

手厚くもてなしてくれたニルスやご両親にも心からのお礼を伝えてくださいね

また丸二日間アテンドしてくれたヌンと友人のプン、弟のクンにも大感謝ですし、

家族旅行だったのに我々を一緒に案内してくれたIさんファミリーにも大感謝です

皆さん、ほんとにありがとうございました

タイ王国もバンコクもはじめての訪問でしたが日本との関係が深く食品や工業製品だけでなく、
人や文化の交流も盛んなことが今回のツアーであらためて実感できました
さらに日本に留学経験のあるペーンつながりの各国の若者とも(日本語で
)話すことができたので、
異文化間の国際交流の素晴らしさも再確認することができ、わたくしにとってはこのことも
今回の大きな喜びのひとつでした
過去に何度かホームステイ活動に協力させてもらえたことにも感謝です

と、バンコクの休日記事の連載はこれでおしまい・・・
年頭から4週12回にわたりご覧いただき、ありがとうございました
以下は付記です
(やや長いですが休暇に関するメモの再掲とわたくしの意見)
わたくしたち夫婦は8泊10日の滞在でしたが、日本から来ていた現役世代のみなさんは、
ペーンは欧州全体のエネルギー需給をモニター・分析する仕事を(今はほぼ在宅で)やってて、
いろんな面で今の仕事には満足してるけど、日本語とタイ語を活かせないのは残念なので、
欧州と日本とタイを結ぶ仕事をしたいとは思ってるけど、現状(の労働環境)では・・・
とも言ってました・・・
世界中の有能な若者から(当面はお互い抵抗が少ないであろう東・東南アジアの若者から?)、
「日本の企業で働きたい、ずっと日本に住みたい」と思ってもらえるような労働環境にして
いくことが、日本の高齢化問題に対する最大の解決策なのではないでしょうか・・・
たとえ少子化対策が成功しても有能な若者が海外に流出するような労働環境では意味がないし、
人口減少自体が問題なのではなく有能な若者の減少が日本の問題なのですから・・・
それにはまずペーンやニルスのように有能で日本が大好きという若者が、安心して働ける
ドイツのような世界トップレベルの労働環境と、様々な差別のない社会環境が必要ですし、
安心して働ける環境になれば有能な人材の流出も防げて企業経営にとってもプラスになる
と思うのですが・・・
現実的には大企業や一部官庁などエリートを抱える大きな組織から、若者や働き盛り世代が
残業や休日出勤なしで活躍でき、もっと気軽に休暇が取れるように組織の体質を変えていって、
それを社会全体にも拡げていく・・・という手順になるのでしょうか・・・
AIなど最新テクノロジーを駆使すれば、おそらくコスト増にはならないでしょうし・・・
ま、今の社会構造のままであれば、さらに格差・分断を拡げる結果にもなりそうですが、
労働環境(組織の体質)は、まず大きな組織から変えていかないと、と思った次第です
年頭からはじめたバンコクの休日記事も今回が連載の最終回であります
(帰路なので画像やエピソードは少ないですが記事末尾に休暇に関する感想を付記しました)
と、まずはバンコク最終日12月30日の朝食から・・・


日本での食事に向けて漬物が復活し大根や青菜?の煮物とかも・・・


そーいやコーヒーはあれこれ試してポットのよりベンダーマシンのエスプレッソが好みになり
一度に2杯分を何回かお替わりしてましたが、ニルスのお父さんも全く同じパターンでした
と、この日のスワンナプーム空港からクアラルンプール空港への便は17:05発の予定でしたが、
念のため10時半にはホテルのチェックアウトを済ませ早めに地下鉄MRTサムヤーン駅へ、
ペッチャブリー駅で改札を出て回数カードを返し、デポジットと残高を返金してもらい
(デポジット50バーツ残高70バーツだったはず)、空港線ARLのマッカサン駅へ・・・
連絡通路にあったお店・・・

説明まで日本語とタイ語の併記で一時期タイからのインバウンド客が急増してましたから
日本語や日本食への思い入れもあるのでしょうか・・・
サムヤーンでもサイヤムでもスクーンビットでも日本料理店がいっぱいあったし・・・
空港線ARLのマッカサン駅

全線高架で母体はタイ国鉄ですが運営は第三セクターになってるようですね
自動券売機でトークンを買いました
空港までは35バーツで22分の乗車ですが、地下鉄MRTより待ち時間は長かったです

あちこちで見た超高層ビルと伝統建築の対比、まさに今のバンコクです・・・

空港線ARLも地下鉄MRTと同じくシーメンスが落札、当時駐在していたIさんによれば、
まあ、ウラにはいろいろとあったようですが・・・


都会でも水辺がある風景はやはりいいですね・・・
と、スワンナプーム空港には早めに着いたので託送荷物をマレーシア航空のカウンターに
預けるまで少し時間待ちしましたが、重量制限はホテルで量ってきたので無事クリア
帰りも前々日にホテルのWi-FiでWEBチェックインを済ませてたのですが、託送荷物を預ける
手間は同じで、WEBカウンターのほうが一般カウンターより少し空いてたぐらいのメリット
しかありませんでしたが、託送荷物がない場合は簡単で便利なんでしょうね
と、次に出国審査に行くとパスポートを見て、あっちへ行けと・・・

そう、高齢者はプライオリティ・レーンだそうですが入国審査ではそんな指示はなかったし、
一般レーンも空いてたので、なんか遠回りしただけのような気も・・・

で、出国審査と手荷物検査を済ませ搭乗ゲートを確認、ゲートオープンまで時間があったので、
奥様は免税店のウィンドショッピングへ、わたくしは小腹が空いてたので・・・

バンコクで一度も食べる機会がなかったバーガーキングへ・・・
さすがに空港内は割高でしたが残りのバーツが使えたのでよしとしましょう
と、

パシフィック航空でハノイへ・・・
ではなく・・・

マレーシア航空でクアラルンプールへ・・・ええ、同ゲートで同型機でした・・・

と、ほぼ定刻に離陸して・・・


楽しかったバンコクともお別れであります・・・


軽食を食べ終える頃には・・・

日も暮れなずみ・・・
やがてクアラルンプールの夜景が見えてきました

ひょっとして中央に見えるのはペトロナスのツインタワー???
だとしたら、わたくしはじめての上空撮影になるのですが・・・
と、無事にクアラルンプール空港に到着

ここから大阪・関西空港への深夜便はボルネオ植林ボランティアツアーでおなじみの便、
当日はやや定刻を遅れたものの無事に離陸しました
帰路でも映画を何本か観たはずですが、ビールやワインのお替わりと疲れで朦朧となってて
残念ながら殆ど覚えてません


で、眠れないまま朝食が出て、ほぼ定刻どおり31日の早朝に関西空港に着きました
(そーいや、この便で月曜日の早朝に帰国、自宅にスーツケースを置いて急いで着替え、
9時に出勤したこともあったな・・・職場では居眠りばかりだったけど・・・

今回はVisitJapan登録していて入国・検疫・税関手続きでスマホ画面掲示を利用したものの
操作に慣れないうえ遠回りルートを延々と歩かされ、睡眠不足もあってけっこう疲れました
で、託送荷物を待つあいだの夫婦の会話・・・
「今日の大阪は最高気温でも10℃、最低気温は2℃だって・・・ぶるぶる」
「ううっ、バンコクとはちょうど20℃の差か・・・
薄手のロンパンに長袖シャツ1枚では寒いだろうなあ・・・ぶるぶるぶる」
と、空港を出てからモンベルのパーカーを着たのですが、お土産いっぱいのスーツケースを
自宅まで運ぶのに汗びっしょりになり、何とか帰宅したものの、深夜電力利用の給湯器を
出発時にOFFにしてたので温かい風呂にも入れず、所用のためそのまま京都へ行って・・・
さすがに急激な温度変化と疲れで少し体調を崩し、年始三日間を寝正月にして無事に回復、
このバンコク記事の連載をはじめた次第です
(新年ご挨拶記事は事前に下書きしてたので元旦にアップすることができました)
(念のため抗原検査もしましたが二人とも陰性、やはり飲み過ぎ食べ過ぎ遊び過ぎか・・・

と、今回はホテル手配から現地案内まで全面的にペーンのお世話になりました
ほんとにありがとね!!! おかげで素晴らしいバンコク体験ができました


手厚くもてなしてくれたニルスやご両親にも心からのお礼を伝えてくださいね


また丸二日間アテンドしてくれたヌンと友人のプン、弟のクンにも大感謝ですし、


家族旅行だったのに我々を一緒に案内してくれたIさんファミリーにも大感謝です


皆さん、ほんとにありがとうございました


タイ王国もバンコクもはじめての訪問でしたが日本との関係が深く食品や工業製品だけでなく、
人や文化の交流も盛んなことが今回のツアーであらためて実感できました
さらに日本に留学経験のあるペーンつながりの各国の若者とも(日本語で

異文化間の国際交流の素晴らしさも再確認することができ、わたくしにとってはこのことも
今回の大きな喜びのひとつでした
過去に何度かホームステイ活動に協力させてもらえたことにも感謝です


と、バンコクの休日記事の連載はこれでおしまい・・・
年頭から4週12回にわたりご覧いただき、ありがとうございました

以下は付記です
(やや長いですが休暇に関するメモの再掲とわたくしの意見)
わたくしたち夫婦は8泊10日の滞在でしたが、日本から来ていた現役世代のみなさんは、
県庁に勤めるIさんファミリーが年末年始の休みを利用した1週間弱の滞在、
会社員のSさんは披露宴の前日に来て(年末も仕事があるからと)翌日の帰国、
勤務医のKさんもバンコクには数日だけ滞在して帰国とのことでした・・・
いっぽうドイツから来たニルスの友人などは全員が3週間から6週間の滞在とのことで、
ニルスと(就職1年未満の)ペーンも有給休暇による1ヶ月の滞在とのことでした・・・
ペーンもニルスも世界中で通用する優秀有能な人材で、二人とも日本が大好きだったのに、
最終的に日本でもタイでもなくドイツでの仕事に落ち着いたのも、休暇の取りやすさが、
大きな理由のひとつだったと言ってました・・・
大きな理由のひとつだったと言ってました・・・
ペーンは欧州全体のエネルギー需給をモニター・分析する仕事を(今はほぼ在宅で)やってて、
いろんな面で今の仕事には満足してるけど、日本語とタイ語を活かせないのは残念なので、
欧州と日本とタイを結ぶ仕事をしたいとは思ってるけど、現状(の労働環境)では・・・
とも言ってました・・・
働くならフランスより絶対ドイツとネットにもありましたがドイツの企業は給与、労働時間、
休暇などの条件がきちんと守られてて、逆に生産性は日本の企業より高いんですね・・・
働き方改革が叫ばれ、すでに幾星霜の日本なんですが・・・
わたくしが現役時代に海外植林ボランティアツアーを企画していた際も必ず土日と祝日を挟み、
有給休暇取得を数日にした1週間以内の日程が限度でしたが、それでも現役世代は休みづらく、
わたくし自身も仕事の前後処理や同僚への気遣いなどが大変でした
働き盛りの世代にこそ仕事を離れた有意義な休暇が必要なのに、制度上ボランティア休暇や
自己研修休暇があっても名目だけで、年次休暇でさえ気軽には取得できなかったし・・・
わたくしが現役時代に海外植林ボランティアツアーを企画していた際も必ず土日と祝日を挟み、
有給休暇取得を数日にした1週間以内の日程が限度でしたが、それでも現役世代は休みづらく、
わたくし自身も仕事の前後処理や同僚への気遣いなどが大変でした
働き盛りの世代にこそ仕事を離れた有意義な休暇が必要なのに、制度上ボランティア休暇や
自己研修休暇があっても名目だけで、年次休暇でさえ気軽には取得できなかったし・・・
ドイツと日本では勤勉性や規律性で国民性が似ているとも言われてますが、何か根本的に
組織労働の感覚が違ってて、このままだと、それを感じている有能な人材は国籍に関係なく
日本から流出していくのでは・・・と、今回あらためて不安を感じた次第です
日本から流出していくのでは・・・と、今回あらためて不安を感じた次第です
世界中の有能な若者から(当面はお互い抵抗が少ないであろう東・東南アジアの若者から?)、
「日本の企業で働きたい、ずっと日本に住みたい」と思ってもらえるような労働環境にして
いくことが、日本の高齢化問題に対する最大の解決策なのではないでしょうか・・・
たとえ少子化対策が成功しても有能な若者が海外に流出するような労働環境では意味がないし、
人口減少自体が問題なのではなく有能な若者の減少が日本の問題なのですから・・・
それにはまずペーンやニルスのように有能で日本が大好きという若者が、安心して働ける
ドイツのような世界トップレベルの労働環境と、様々な差別のない社会環境が必要ですし、
安心して働ける環境になれば有能な人材の流出も防げて企業経営にとってもプラスになる
と思うのですが・・・
現実的には大企業や一部官庁などエリートを抱える大きな組織から、若者や働き盛り世代が
残業や休日出勤なしで活躍でき、もっと気軽に休暇が取れるように組織の体質を変えていって、
それを社会全体にも拡げていく・・・という手順になるのでしょうか・・・
AIなど最新テクノロジーを駆使すれば、おそらくコスト増にはならないでしょうし・・・
ま、今の社会構造のままであれば、さらに格差・分断を拡げる結果にもなりそうですが、
労働環境(組織の体質)は、まず大きな組織から変えていかないと、と思った次第です
2023年01月22日
バンコクのご家庭訪問
(前回からの続きです、バンコクの休日記事を最初からご覧になる場合はカテゴリから)
ええ、まずは結婚披露宴の翌日12月29日の朝食から・・・

ジャポニカ米からキムチや福神漬けが消えてますね
すっかりタイのおかずに慣れたようです

デザートもシンプルに、ヨーグルトで健康に・・・ま、フルーツはお替わりしましたが・・・
と、この日はペーンのご実家を訪問することになってて、前夜同じホテルに泊まってた、
ペーン&ニルスとペーンと同じ高校に同時期に留学していたフィンランドのカイサ、
近くのホテルに泊まってたIさんファミリーと、10時半にロビーで待ち合わせて・・・

ペーンのお父さんのいすゞハイランダーピックアップとペーンのトヨタヤリスで・・・
って、誰が2台を運転してきたのかな・・・1台は以前から置いてたのかな・・・
と、お父さんとニルスが大量の荷物をピックアップの荷台に積み込むあいだに、ペーンから、
「安心したい人はお父さんのクルマに、スリルを味わいたい人はわたしのクルマに、むひひ
」
と提案があり、わたくしはそそくさとピックアップの助手席に・・・
で、ヤリスの助手席には指導教官役のニルス、Iさんファミリー3人にヤリスの後部座席は狭いので、
結局、カイサとうちの奥様がペーン号でスリルを楽しむことになりました!!!



高速に向かいます・・・

で、高速に入ると・・・

たちまちペーン号が追い越し・・・

さらに加速・・・お父さん号があわてて後を追います・・・ぶるぶるぶる
と、(奇跡的に
)郊外の巨大ショッピングモールに無事到着・・・

モールのVIP会員専用駐車場にクルマを置いて・・・

カメさんのパン???を買うのでスーパーに寄ります、皆さんもお買い物を、と・・・


カイサは寡黙な北欧っ子だけど、さりげにお茶目だったのね
訊けば札幌の旅行会社で働いてたけどコロナ禍で仕事がなくなり、今はフィンランドに
一時帰国しているとか・・・彼女にもコロナの影響は大きかったようです

Iさんファミリーは菜園もやってて種子に興味津々でしたが・・・

さすがにフルーツの種類は豊富で安かったです

ただしリンゴはどれもちっちゃくカイサもペーンも、はじめての来日では日本のリンゴの
大きさに、まず驚いたと言ってました
と、

階上のMKレストランでペーンのお母さんとも合流して・・・

タイ風しゃぶしゃぶメインの昼食をいただきました

重箱に入った具材はロボットが次々と運んできます
通路が渋滞してると何とかすり抜けようと、何度もトライしてるのが可愛かったのですが、
しゃぶしゃぶの鍋奉行に夢中で画像は一切ありません


他にもいろいろとご馳走して下さり・・・

完食完食・・・アルコール類はなしでしたが、とても美味しかったです・・・
で、モール内にあったこちらの両替店・・・

ペーンが知る限り一番レートがいいそうで「ペーン銀行の両替よりお得です!!!」
で、ここの12月29日現在のレート

日本円は1万円(単位)なら、買いが2595バーツ、売りが2625バーツでした
20年近く1バーツ2.5~3.5円で推移してたのに急な円安で1バーツ約4円になってます
ちなみにモール内のスーパーでは・・・

各種タイ味のグリコ・プリッツが10バーツ

各種タイ味のグリコ・ポッキーが20~25バーツでした
あちこちで見かけた日本企業の現地生産品をはじめ、食料品はともかく安かったです
飲食店も屋台はもちろん、それなりの店でも日本よりはるかに安かったですね
ちなみにドイツでは日本よりさらに飲食店は高いのでスーパーなどで買い出しすることが多く、
タイに帰れば思い切りレストランで食事することができるので嬉しいとペーンが言ってました
お金持ちの家のペーンだけど、タクシー交渉など金銭感覚はしっかりしてます
と、再びピックアップの助手席に乗せていただき、さらに郊外にあるペーンのご実家へ・・・
一般道路から離れ、有人の監視ゲートを通過すると・・・

広大な人工池を中心に造成された・・・

住民しか入れない高級住宅街が広がります
で、ご実家に到着・・・


目の前には広大な人工池が広がります・・・
わたくしの感覚からすれば上流階層レベルの豪邸ですが、タイでは中流階層レベルだそうです
ま、確かに王宮は見てきましたが
、日本でいえばまさに高級別荘地ですね・・・
個人宅なので詳しくは紹介できませんが、とりあえずビールで乾杯して・・・

それぞれがペーン&ニルスやご両親へのプレゼントを・・・
ええ、わたくしはバイク好きと聞いていたお父さんに・・・

月刊オートバイの最新号と甘くて酸っぱい(タイ人好みのはずの)日本のつまみ・・・
と、今回メインの・・・

(奥様撮影)

wingさん製作のMODライトと京都・城陽酒造の日本酒をプレゼントしました
わたくしが日本語で説明、ペーンがタイ語でお父さんに同時通訳してくれます
「えとえと、これは日本の有名なフラッシュライト・モダーがモディファイしたMOD作品で
花などの植物や昆虫を観察するのに最適な高演色LEDに換装してあって・・・もごもご」
と、他にもLEDが微妙に異なる2本をニルスとニルスのお父さん用にプレゼントして・・・
「えとえと、ドイツに持ち帰る際はライト本体は託送荷物に、リチウム電池は機内持ち込みに、
ちなみにリチウム電池は20年間入れっぱなしでも液漏れしませんが、ふだん使いするなら、
アルカリ電池もマンガン電池もニッケル水素電池も使えるので経済的です・・・もごもご」
まあ、日本酒については二人がすでに試飲してるので説明しませんでした・・・ふう
お父さんは現在カワサキの大型バイクに乗ってるそうでメカも大好き、ライトも喜んでくれ
日本のバイク雑誌の最新号も毎日トイレで眺めて楽しみます!!!とのことでした・・・ほっ
と、

ぜひ味わってほしいと出してくれたマンゴーライスや、
(新鮮なマンゴーと蒸したもち米を一緒に食べるペーンの大好物で確かに美味しかったです)
Iさんのお土産の(タイにはない巨大な)信州リンゴなどをいただき・・・
さらには


庭で採れたパパイヤの自家製ジャムとか・・・

タイのラム酒まで出てきて、飲んだくれは大いに盛り上がりました
で、カイサに昨夜の二次会動画の一部を見せてもらったのですが・・・

タイとドイツとフィンランドとモンゴルの若者たちが日本留学当時に流行ってたJポップで
バンコクの夜を盛り上げている姿には、何故か感動してしまいました
まあ、日本の若者は仕事が忙しく、早々に帰国してしまったようですが・・・
で「少し涼しくなったので散歩しましょう」と外に出て・・・
せっかくなので25年間住み込みの家政婦さんに記念写真を撮ってもらいました

ちなみに右のクルマはお母さんのカローラ・アルティス、やはり郊外だと一人一台なんですね・・・
さらにちなみにIさんファミリーも一人一台でスバル車、ペーンのお父さんにも訊けば、
はじめてのクルマがスバルの中古車で、今でもスバル車が欲しいけどタイでは極めて少なく、
特に新車は高いので・・・と、お父さんたち三人はスバル車の話題で意気投合・・・
池の周囲を散策します

ニルスが指さしている先に延々と続く敷地が・・・

この住宅地の「村長さん宅」でペーンから見ても「凄いお金持ち」だそうです・・・
遊歩道を時計逆回りに歩いて・・・


ここがカメさんへのパンやり会場!!!


コイさんやナマズさんが殆どでしたが時間が決まってるのか大量に集まってきました
で、陸に上がれるのはカメさんだけなので・・・



(奥様撮影)

ナマズさんは「こっちにもよこせ、がうがう」と大騒ぎ・・・
「こっちにもあげようかな」「がうがう」

と、この瞬間おそらく世界で一番幸せなカップル・・・

とてもいい散策でした・・・
と、帰宅後は・・・


ドイツでの結婚式の模様を見せてもらったり・・・

ペーンの大好きな曲を・・・

ペーンの伴奏で歌ったり・・・
家の中にオオトカゲが侵入してきた際の監視カメラ映像を見せてもらったり・・・
(さすがに大騒ぎになり苦労して追い出したそうですが・・・)
楽しく過ごしてると・・・

手作りの夕食が次々と運ばれてきたので・・・


別に冷蔵庫で冷やしてもらってた「たれくち酒」で試飲会
とまあ、後は延々と・・・


もう飲めません、もう食べられません・・・げふっ
とゆーところで、この夜はようやくお暇させていただきました
帰りはGrabでタクシーを呼んでいただきましたが、少し割高になるものの、タイでは
これが一番安心で確実とのことでした
で、招待したのですから当然です、いやいや、そんなことまでしてもらっては・・・
と、日本らしいとゆーか、タイらしいとゆーか、タクシー料金を巡るやりとりがあり
、
Iさんファミリーのホテル行きタクシーが口座払い、我々とカイサのホテル行きタクシーが
現金払いだったので、結局わたくしがペーンから現金を預かることになりました
支払ったのはメーター料金318バーツ高速代125バーツで、預り金とほぼ同額でしたが、
1時間以上の距離でしたからタクシーも正規料金だと日本よりはるかに安いんですね
と、この日は何から何までペーンファミリーのお世話になりました
結婚披露宴の翌日でお疲れなのに、皆さん本当にありがとうございました!!!
(次回バンコク記事の最終回に続きます)
ええ、まずは結婚披露宴の翌日12月29日の朝食から・・・

ジャポニカ米からキムチや福神漬けが消えてますね
すっかりタイのおかずに慣れたようです

デザートもシンプルに、ヨーグルトで健康に・・・ま、フルーツはお替わりしましたが・・・
と、この日はペーンのご実家を訪問することになってて、前夜同じホテルに泊まってた、
ペーン&ニルスとペーンと同じ高校に同時期に留学していたフィンランドのカイサ、
近くのホテルに泊まってたIさんファミリーと、10時半にロビーで待ち合わせて・・・

ペーンのお父さんのいすゞハイランダーピックアップとペーンのトヨタヤリスで・・・
って、誰が2台を運転してきたのかな・・・1台は以前から置いてたのかな・・・
と、お父さんとニルスが大量の荷物をピックアップの荷台に積み込むあいだに、ペーンから、
「安心したい人はお父さんのクルマに、スリルを味わいたい人はわたしのクルマに、むひひ

と提案があり、わたくしはそそくさとピックアップの助手席に・・・

で、ヤリスの助手席には指導教官役のニルス、Iさんファミリー3人にヤリスの後部座席は狭いので、
結局、カイサとうちの奥様がペーン号でスリルを楽しむことになりました!!!




高速に向かいます・・・

で、高速に入ると・・・

たちまちペーン号が追い越し・・・

さらに加速・・・お父さん号があわてて後を追います・・・ぶるぶるぶる
と、(奇跡的に


モールのVIP会員専用駐車場にクルマを置いて・・・

カメさんのパン???を買うのでスーパーに寄ります、皆さんもお買い物を、と・・・


カイサは寡黙な北欧っ子だけど、さりげにお茶目だったのね

訊けば札幌の旅行会社で働いてたけどコロナ禍で仕事がなくなり、今はフィンランドに
一時帰国しているとか・・・彼女にもコロナの影響は大きかったようです

Iさんファミリーは菜園もやってて種子に興味津々でしたが・・・

さすがにフルーツの種類は豊富で安かったです

ただしリンゴはどれもちっちゃくカイサもペーンも、はじめての来日では日本のリンゴの
大きさに、まず驚いたと言ってました
と、

階上のMKレストランでペーンのお母さんとも合流して・・・

タイ風しゃぶしゃぶメインの昼食をいただきました

重箱に入った具材はロボットが次々と運んできます
通路が渋滞してると何とかすり抜けようと、何度もトライしてるのが可愛かったのですが、
しゃぶしゃぶの鍋奉行に夢中で画像は一切ありません



他にもいろいろとご馳走して下さり・・・

完食完食・・・アルコール類はなしでしたが、とても美味しかったです・・・
で、モール内にあったこちらの両替店・・・

ペーンが知る限り一番レートがいいそうで「ペーン銀行の両替よりお得です!!!」
で、ここの12月29日現在のレート

日本円は1万円(単位)なら、買いが2595バーツ、売りが2625バーツでした
20年近く1バーツ2.5~3.5円で推移してたのに急な円安で1バーツ約4円になってます
ちなみにモール内のスーパーでは・・・

各種タイ味のグリコ・プリッツが10バーツ

各種タイ味のグリコ・ポッキーが20~25バーツでした
あちこちで見かけた日本企業の現地生産品をはじめ、食料品はともかく安かったです
飲食店も屋台はもちろん、それなりの店でも日本よりはるかに安かったですね
ちなみにドイツでは日本よりさらに飲食店は高いのでスーパーなどで買い出しすることが多く、
タイに帰れば思い切りレストランで食事することができるので嬉しいとペーンが言ってました
お金持ちの家のペーンだけど、タクシー交渉など金銭感覚はしっかりしてます
と、再びピックアップの助手席に乗せていただき、さらに郊外にあるペーンのご実家へ・・・
一般道路から離れ、有人の監視ゲートを通過すると・・・

広大な人工池を中心に造成された・・・

住民しか入れない高級住宅街が広がります
で、ご実家に到着・・・


目の前には広大な人工池が広がります・・・
わたくしの感覚からすれば上流階層レベルの豪邸ですが、タイでは中流階層レベルだそうです
ま、確かに王宮は見てきましたが

個人宅なので詳しくは紹介できませんが、とりあえずビールで乾杯して・・・

それぞれがペーン&ニルスやご両親へのプレゼントを・・・
ええ、わたくしはバイク好きと聞いていたお父さんに・・・

月刊オートバイの最新号と甘くて酸っぱい(タイ人好みのはずの)日本のつまみ・・・
と、今回メインの・・・

(奥様撮影)

wingさん製作のMODライトと京都・城陽酒造の日本酒をプレゼントしました
わたくしが日本語で説明、ペーンがタイ語でお父さんに同時通訳してくれます
「えとえと、これは日本の有名なフラッシュライト・モダーがモディファイしたMOD作品で
花などの植物や昆虫を観察するのに最適な高演色LEDに換装してあって・・・もごもご」
と、他にもLEDが微妙に異なる2本をニルスとニルスのお父さん用にプレゼントして・・・
「えとえと、ドイツに持ち帰る際はライト本体は託送荷物に、リチウム電池は機内持ち込みに、
ちなみにリチウム電池は20年間入れっぱなしでも液漏れしませんが、ふだん使いするなら、
アルカリ電池もマンガン電池もニッケル水素電池も使えるので経済的です・・・もごもご」
まあ、日本酒については二人がすでに試飲してるので説明しませんでした・・・ふう
お父さんは現在カワサキの大型バイクに乗ってるそうでメカも大好き、ライトも喜んでくれ
日本のバイク雑誌の最新号も毎日トイレで眺めて楽しみます!!!とのことでした・・・ほっ
と、

ぜひ味わってほしいと出してくれたマンゴーライスや、
(新鮮なマンゴーと蒸したもち米を一緒に食べるペーンの大好物で確かに美味しかったです)
Iさんのお土産の(タイにはない巨大な)信州リンゴなどをいただき・・・
さらには


庭で採れたパパイヤの自家製ジャムとか・・・

タイのラム酒まで出てきて、飲んだくれは大いに盛り上がりました
で、カイサに昨夜の二次会動画の一部を見せてもらったのですが・・・

タイとドイツとフィンランドとモンゴルの若者たちが日本留学当時に流行ってたJポップで
バンコクの夜を盛り上げている姿には、何故か感動してしまいました
まあ、日本の若者は仕事が忙しく、早々に帰国してしまったようですが・・・

で「少し涼しくなったので散歩しましょう」と外に出て・・・
せっかくなので25年間住み込みの家政婦さんに記念写真を撮ってもらいました

ちなみに右のクルマはお母さんのカローラ・アルティス、やはり郊外だと一人一台なんですね・・・
さらにちなみにIさんファミリーも一人一台でスバル車、ペーンのお父さんにも訊けば、
はじめてのクルマがスバルの中古車で、今でもスバル車が欲しいけどタイでは極めて少なく、
特に新車は高いので・・・と、お父さんたち三人はスバル車の話題で意気投合・・・

池の周囲を散策します

ニルスが指さしている先に延々と続く敷地が・・・

この住宅地の「村長さん宅」でペーンから見ても「凄いお金持ち」だそうです・・・

遊歩道を時計逆回りに歩いて・・・


ここがカメさんへのパンやり会場!!!


コイさんやナマズさんが殆どでしたが時間が決まってるのか大量に集まってきました
で、陸に上がれるのはカメさんだけなので・・・



(奥様撮影)

ナマズさんは「こっちにもよこせ、がうがう」と大騒ぎ・・・
「こっちにもあげようかな」「がうがう」

と、この瞬間おそらく世界で一番幸せなカップル・・・


とてもいい散策でした・・・
と、帰宅後は・・・


ドイツでの結婚式の模様を見せてもらったり・・・

ペーンの大好きな曲を・・・

ペーンの伴奏で歌ったり・・・
家の中にオオトカゲが侵入してきた際の監視カメラ映像を見せてもらったり・・・

(さすがに大騒ぎになり苦労して追い出したそうですが・・・)
楽しく過ごしてると・・・

手作りの夕食が次々と運ばれてきたので・・・


別に冷蔵庫で冷やしてもらってた「たれくち酒」で試飲会

とまあ、後は延々と・・・


もう飲めません、もう食べられません・・・げふっ
とゆーところで、この夜はようやくお暇させていただきました
帰りはGrabでタクシーを呼んでいただきましたが、少し割高になるものの、タイでは
これが一番安心で確実とのことでした
で、招待したのですから当然です、いやいや、そんなことまでしてもらっては・・・
と、日本らしいとゆーか、タイらしいとゆーか、タクシー料金を巡るやりとりがあり

Iさんファミリーのホテル行きタクシーが口座払い、我々とカイサのホテル行きタクシーが
現金払いだったので、結局わたくしがペーンから現金を預かることになりました
支払ったのはメーター料金318バーツ高速代125バーツで、預り金とほぼ同額でしたが、
1時間以上の距離でしたからタクシーも正規料金だと日本よりはるかに安いんですね
と、この日は何から何までペーンファミリーのお世話になりました
結婚披露宴の翌日でお疲れなのに、皆さん本当にありがとうございました!!!

(次回バンコク記事の最終回に続きます)