わからないもの
2026年01月27日
没落官僚
とーとつですが・・・

「没落官僚~国家公務員志願者がゼロになる日~」とゆー本のご紹介であります
ま、「子や孫に入ってほしい勤め先」で国家公務員は常に上位に入ってるようですが、
本書はキャリア官僚への志願者が激減しており、このままだと霞が関が崩壊する、しかも
90年代半ばまでなら国民生活に大きな影響はなかったが今は、といった怖いオハナシ・・・
裏表紙カバー裏にあった内容紹介

著者紹介

1990年に旧労働省にキャリア官僚として入省、不人気だった労働省でも基本は東大生の世界で、
奈良県出身と言うと大学名ではなく「東大寺学園?」と中学や高校名を聞かれたとか
ちなみにわたくし1999年の秋から1年間ほど、厚生労働省に統合(2001年1月)される前の
厚生省と労働省へ別々に、けっこうお仕事で通ってました
当時急増していた大都市ホームレスへの緊急支援策について、厚生省からは基本は失業対策だから
メインは労働省だよと、いっぽう労働省からは基本は福祉対策だからメインは厚生省だよと、
お互い謙遜して
言っておられましたが、(統合目前だったからか?)両省の役割分担などは
きちんと調整されてたようで、その対応はけっこう素早かったです
そう、「縦割り行政が悪い」とかよくいわれますが、横の調整さえきちんと出来ておれば、
一気にトップまで上がる縦割り行政のメリットを充分に活かせるのでありますね
閑話休題
奥付であります

石破政権が2024年の10月からですから、岸田政権の末頃の出版物になりますね
目次



(以下てきとーメモですが著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・霞が関の中央官庁は悲惨なブラック職場とされ、キャリア官僚の志願者は激減している
⇒これに抜本的な対策がされないのは人口減少や少子高齢化と同じ理由
⇒つまり短期的に目立った痛みがないからで、痛みを実感した時には手遅れになる
・霞が関の機能不全を導く要素
①現職官僚のモチベーションがガタ落ちになっている
⇒かつての敬意もなければ本省課長にもなれず仕事は激増し部下は増えず酷使されるだけ
②答弁資料など労働条件が過酷過ぎて政策立案など本来の知的業務に時間を割けない
(ただし能力が劣化しているのも事実で今の生え抜き官僚にDXを進める能力はない)
(巨大イベントも電通などの民間企業に委託するしかない⇒不祥事に)
③官邸主導(そのものは必要)の弊害
⇒首相の取り巻き官僚からのインフォーマル指示など
(政権に人事権を握られた官僚は委縮し、やがてやる気を失っていった)
④優秀な若手官僚が入ってこない
⇒志願者数が減少すると人材の質が低下するのは事実
・政治や官僚が機能不全になっても経済が自動成長していれば国民生活に影響はないが、今は
①官僚の単ミス②予算の空白③国会の空転で国民生活が混乱する
⇒やる気のない「ロボット官僚」と政治家・権力志向の「官邸官僚」だけになればリーク、
機密漏洩が蔓延し、国会は権力闘争の場に・・・
・官僚が激減して能力が地に落ちた場合、実務は国会議員が担わざるを得ない
⇒実際に民主党政権でやろうとして混乱を極めた
・国会議員にパワハラは適用されず今の官僚は恫喝すれば言いなりになると思っている
⇒彼らに官僚激減への危機意識はなく、官僚の主人である国民にもその自覚はない
・すべての始まりは90年代半ばから吹き荒れた行政改革の嵐だった・・・
第1章より
・81年の第二次臨時行政調査会⇒増税なき財政再建
⇒3公社(JR,NTT,JT)の経済規模を考えると成功だったと言える
⇒公務員数は総定員法もあり肥大化しないが特殊法人や公益法人は激増していた
・90年代中盤以降の「成熟社会」になると「行政の守備範囲」という考え方に
⇒自助努力、官から民、国から地方など
・NPMニューパブリックマネジメント
⇒民間原理を行政にも適用するアングロサクソン系国家の手法
⇒公務員を減らし、さらに公務の効率性を厳しく追及する
⇒市場メカニズム導入・業績と成果中心・顧客サービス中心・簡素化
・千葉県松戸市(マツモトキヨシ市長)の「すぐやる課」(69年)
⇒市民を顧客とみなして(お客様は神様として)何でも請け負う⇒その弊害も
・中央官庁の縮小、外郭団体の整理統合、民営化、規制緩和、許認可の廃止・・・
⇒規制緩和は経済規制だけでなく社会規制にも踏み込んだ
⇒医療、福祉、教育、公共施設も民間企業に⇒PFIが代表的
(まだ規制が強いとの批判もあるが郵政さえ民営化された日本は民営化大国だと思う)
・その後も公務員制度改革は続き、その典型が第二次安倍内閣の「内閣人事局」で人事を掌握した
⇒その歪みや忖度が話題になり、それまでずっと官僚の抵抗で行革が進まないと批判していた
マスコミがようやく官僚人事の自立性を言及するようになった(その豹変ぶりには呆れ返るが)
・96年の総選挙では行政改革が主な選挙の争点となっていた
⇒公務員の定数は法律で厳格に管理されており、国際比較でも少ないことは自明で、公務員の
給与が国民生活を圧迫することなどあり得ないのに、なぜ国民は行革に熱狂したのか?
⇒バブル以降の長期不況、正規と非正規の格差社会への不満感情から
⇒公務員は決して裕福層ではないが身分保障特権やリスクが少ないことへのバッシングだった
⇒なによりも長期不況をもたらしたのが霞が関の官僚だと見なされたこと
(グローバル化に対応できなかったなど民間企業の競争力が衰えた原因が官僚だったと?)
(政府自身も官僚や官僚が作った戦後システムが原因と報告⇒経済の中心は民間企業なのに?)
・小泉政権の構造改革も同様で「霞が関(特に財務省)を変えれば日本が変わる」と主張した
⇒その改革後もこれだけ長期不況が続いてるのが事実
⇒それなのに未だに「財務省陰謀説」は根強い(「まだ規制緩和が足りない説」も同じ)
・「政策形成の主体を(財務)官僚から政治家に移せば斬新な政策になり日本経済は復活する説」
⇒それで首相官邸に権限を集中させたが経済成長は鈍化したままなのも明らか
⇒それなら「鈍化で生じている社会問題を見据えた行革」になぜ変えなかったのか?
⇒予測できなかったからではなく人口減少や格差などの社会問題に手をつけなかっただけ
⇒景気回復すれば社会問題は解決すると、実現しない経済成長を待ち続けたのが現実
(例として失業率が上がると自殺率や犯罪率や児童虐待率は上がり、自殺対策、犯罪対策、
虐待対策の仕事量は激増してるのにマンパワーは圧倒的に不足したまま)
・官邸主導と首相権限強化の形が整ったのが2001年とすると、すでに20年が経過している
⇒この間に少なくとも経済成長に影響を与えていないのであれば改善する必要がある
第2章より
・行革で各省の利権が消滅しつつあり政治家も官僚も組織のためには働かなくなった
⇒天下りも出世もなくなれば出身省庁に忠誠を尽くす必要もない
・政治主導システムと小選挙区制度で首相官邸に権力が集中するようになった
⇒かつての族議員も姿を消した
・その結果、官邸に近い者が力を持つようになった
(戦前は内務省と大蔵省、戦後は大蔵省がトップといった序列の意味がなくなった)
・権力志向で有力政治家に近づくなどの官邸官僚(スーパーキャリア官僚)の誕生
(いっぽう受験秀才で真面目だけが取り柄の普通官僚にとってはブラック霞が関に)
・かつての横並び昇進、平等処遇といったキャリア官僚制度は崩壊し官僚の個人化が進む
⇒首相や官房長官との近さ、政策分野の重要度などから重用される官僚と普通官僚の格差が拡大
・軍と警察は政治から切り離すべきだが、今は警察庁が官邸で重きをなしている
⇒「首相、官房長官といった政治家を官邸官僚が補佐する政官融合体」を警察庁が守護する体制
⇒そんな官邸主導体制が日本をどういう方向に導くのか・・・
第3章より
・各省の再就職斡旋禁止が制定されたのが2007年
⇒一部の真面目な官僚にとっては厳しい老後が待ち受けている
⇒ところがごく一部の官僚は以前よりはるかに恵まれた再就職を享受している
・キャリア官僚の局長・審議官ポスト数などは法令で縛られている
⇒定年まで居座られると若手にポストが空かない
⇒辞める側にも生活があり関連企業や団体への再就職=天下り慣行が昭和初期にはあった
(今の年金制度は戦前の恩給制度ほどではなく退職後も働くことが前提となっている)
・天下りには組織影響力の拡大意図もあった
⇒許認可権のある民間企業や不要な外郭団体など
・2007年以降、キャリア官僚の天下りは壊滅しつつあり生活基盤が不安定化している
⇒キャリアで本省課長になれないまま60歳で定年退職して再就職先がないという状況
⇒ポストを空けるため外郭団体等に出向させ退職直前に呼び戻す手法が現在も続いている
・民間企業や経済界との接触が多い経産省や財務省は再就職の勝ち組
⇒許認可や利権と絡んだ国土交通省、旧郵政省も・・・
・能力やコネクションを利用して再就職する者とそうでない者との二分化
・生命保険・損害保険への再就職が多いのは何故か
⇒金融と同じく業界の垣根がなく、役立つかどうかわからなくとも余裕があるからでは
・大学教員への再就職も多い
⇒文献を読みデータで仮説を実証し、論文(企画書)を書く仕事は官僚と親和性がある
・現在の事後規制・斡旋禁止で、個人の再就職・転職は自由というのがいいと思う
⇒厳しい天下り規制より職業として官僚の魅力を高める方がよい
⇒ただし人材流動化によるロビイスト、機密漏洩などへの法整備が必要
第4章より
・バブル崩壊以降の不況⇒社会保障も公共事業も削れない⇒役所を減らせ
⇒行政改革⇒政治主導で痛みを伴う改革⇒反対する官僚は抵抗勢力
⇒内閣人事局の創設で官邸主導体制(首相や官房長官の圧倒的優位)が確立された
⇒各大臣・各省官僚・各族議員の三角関係の上に官邸が来た(それまではほぼ同列だった)
・安倍政権では官邸・内閣官房・内閣府の官僚が各省大臣よりも存在感があった
⇒彼らは政権と一体化した政治家と見なすべきではないのかという議論も
・行政改革の目的は行政のスリム化だが官僚の力を削ぐことが隠れた目的
⇒人事権を握った影響は絶大だった
⇒首相や官房長官や官邸官僚の影に怯える忖度官僚が続出した
・内閣人事局の創設までは(名目の人事権は各大臣だが)実質は各省の官僚案が承認されていた
・上級公務員(事務次官・局長・部長・審議官)を育成管理するのが内閣人事局の目的
⇒上級公務員は各省の都合ではなく日本全体の利益を考える「日の丸官僚」であるべき
⇒それは首相官邸の意向を受ける官僚ということになる
⇒なぜなら各省の政策を選ぶのは国家全体を俯瞰する首相であり官邸だから(という理屈)
・内閣人事局は官僚人事の「政治的応答性」を「中立性専門性」より重視した制度だったが、
当時は文科省の幼稚園と厚労省の保育園など各省のセクショナリズムと官僚の特権が大問題
となっており、ごく自然な流れであった
・内閣人事局制度運用の特徴(2018年4月23日付け日本経済新聞から)
①順送り人事をしない
②政権の政策目標を実現するための布陣
③政権の姿勢をアピールするノンキャリアや技官や制服組の抜擢
④情報が洩れれば人事を差し替える
⑤女性の活躍など
⇒批判されているのは、そのプロセスが曖昧で不透明な点
⇒水面下で様々な注文がついて決まっており、任命権者である大臣より官邸が優位に
・上位政策に人事が絡むことは本来は正常
⇒例えば安全保障に関し官邸の方針に従わない幹部官僚はすぐに更迭すべきだが、
⇒下位政策(個別案件)に官邸主導の人事が絡むと行政は歪んでしまう
⇒歪みの原因は総理の取り巻き政治家や官僚
⇒その取り巻き集団が官邸主導体制になってから跳梁跋扈している
⇒官邸、内閣官房、内閣府の幹部官僚で一部は政治任用だが虎の威を借る資格任用が問題
⇒官邸官僚とは首相秘書官、官房副長官、3人の副長官補、内閣審議官、内閣参事官(課長級)など
・政治任用でも使えるのは元官僚だから資格任用の一般職国家公務員とは明確に区別すべき
⇒政治との調整は政治任用と事務次官から局長まで、審議官以下は政策立案に専念するべき
⇒有名無実化している政官接触記録制度を厳格運用すべき
①公正中立な内閣人事局制度
②政治任用の拡充
③政官の完全分離
・・・だけでは済まない
⇒英国のような「政治家と官僚が守るべき規範」と「国会の監視機能」が必要
第5章より
①官僚の労働環境の悪化⇒長時間労働
②仕事の中身と質の変化
⇒官邸主導システム以降は政策の企画立案が官邸に独占され、根回しや調整だけが各省に
③未知の仕事に官僚が対応できなくなっている⇒デジタル化など
⇒外郭団体が少なくなり民間企業に頼らざるを得ない構造も影響
・この①②③の相乗効果で官僚がやる気を失い各省が制御不能になり政府が機能不全に?
⇒これが本書の提示する仮説
・これまでのキャリア官僚の人事慣行
(これが給料が安く長時間労働でもモチベーションが下がらなかった理由その1)
①同期横並びで本省課長クラスまではスピード昇進できる
②そこまでは後輩が先輩を追い抜くことはない
③それ以上もある程度は規則性のある予測可能な昇進レース
④降格などの不利益処分はない
⑤斡旋による天下りが保証される(本省課長以上)
⇒本省課長での勧奨退職と天下りがなくなり定年退職まで働くようになった
⇒ポストは増えないので管理職の年齢が上昇する⇒昇任までの年数が上昇する
⇒短期間スピード出世というエリートの証しが消えモチベーションも消える
・(公共心もあるが)自分主体で世の中に影響力を与える仕事をしたいのが官僚の本音
(これが給料が安く長時間労働でもモチベーションが下がらなかった理由その2)
⇒政策形成プロセスは①政策の企画立案②政策形成過程の調整③政策の執行の3段階だが、
③は出先や地方自治体なので、やりがいを感じる圧倒的比重は①政策の企画立案
⇒自分の考えた政策が法律や予算になり世の中に大きな影響を与えているという実感
⇒これで給料が安く長時間労働でパワハラ横行の霞が関で生きていこうと思えた(実体験から)
・政策決定についての各省割拠システム・小泉政権・第二次安倍政権の違い(略)
⇒第二次安倍政権の政策決定は官邸官僚
⇒それ以外の普通官僚は望みもしない政策の是非で人事評価された
・官邸主導体制の功罪
⇒トップダウンは政策決定スピードだけでなく各省の協力体制にも有利なのは事実
⇒ただし官邸案件だけが各省折衝の苦労もなく通ることへの不安もあった
⇒政策決定した官邸官僚は国会答弁に立つことなく吊るしあげられるのは各省の普通官僚だけ
⇒その前でふんぞり返る閣僚の多くは世襲議員で実力で勝ち取った地位ではない
⇒そんな哀れな姿を見て、それでも官僚になりたいと思う若者がいるだろうか?
・第二次安倍政権では自分たちが主体的に進めた政策でもないのに責任を追及され苦悩した
⇒ただし自分たちが消極的に加担したのも事実なので、さらに苦悩した
⇒各省の政策立案では(硬直的だったが)各省に責任感はあった
⇒官邸の政策立案では(変化とスピード感はあるが)責任は曖昧になる
・高市総務大臣(当時)と総務省の放送法に関する流出文書の問題
⇒本書では放送法解釈の変更そのものではなく首相補佐官が加わった政策形成に巻き込まれ、
与野党政争の狭間で立ち尽くさざるを得ない官僚の悲哀を問題にする
①これまで正義(秩序)とされてきたもの(放送法の解釈)を変更することの苦痛
⇒継続が正しいとは限らないが過去から続く解釈に一定の正義と合理性があるのも事実
⇒放送の中立については過去の情勢に影響を受けつつ困難の中で維持されてた経緯がある
⇒それを権力者の命令であっさり変えられてしまうと今までの先輩の仕事は何だったのかと
②政策形成プロセスの複雑さ
⇒官僚主導の政策であれば主体的に立案・根回しして総務大臣の了解を得れば終わりだった
⇒放送法解釈の変更は総務省への磯崎首相補佐官の指示で官僚が総務大臣にも納得してもらい、
最終的に国会で答弁を変更した
⇒放送法解釈の変更は総務大臣の権限だが本当に首相補佐官の背後に首相がいるのか不明
⇒菅官房長官や副長官、政務秘書官への説明がいるのかも不明
(首相補佐官から総務大臣らに話してもらえばいいのだが官僚は政治家に言えないので悩む)
(実際に流出文書でも局長が提案したが「それは俺と総理が決めることだ」と一蹴されている)
・本来の官邸主導システムであれば官邸が大方針を公にしたうえで政策を変えていくべき
⇒ところが総理本人でも公でもないところから大方針もない個別案件に近い政策変更を要求される
(各省割拠システムであれば業界や議員への根回し⇒研究会⇒審議会ではじめて解釈変更になる)
・霞が関では省内で「梯子を外される」ことはあるが官邸案件では国会に証人喚問される
⇒こんな状況がネット情報で流れる中、年収800万で長時間労働の官僚を選ぶ若者がいるか?
⇒どろどろ世界での権力者を目指さない限り民間企業に行くだろうし、不安定でも夢のある
起業家を選ぶだろう
⇒このことを良識ある政治家は、よくよく考えたほうがいい
・官邸主導システムにはネガティブな側面があるが各省割拠システムはそれ以上に時代に合わない
⇒官邸主導でもうまくいかないのは官僚の能力自体が劣化している、もしくは経済社会や
時代に追い付いていないからではないか
⇒人材不足・デジタルなどへの対応能力不足
⇒コンサルと広告代理店への委託料は総額の21%で独立行政法人と肩を並べる(2020)
⇒霞が関とコンサル・広告代理店の学歴も逆転しており、やがて官僚志望者はゼロに近づく
⇒その時に国会議員が自分でどこまで事務や調整ができるか、見てみたいものだ
第6章より
・霞が関の長時間労働
⇒規制緩和・小さな政府でも業務量は増え続けており総定員法で人員は増えないから当然
・働き方改革の厚労省自体、長時間労働が前提でブラックの筆頭だと思っている
⇒コロナ禍では2階大講堂の対策本部は24時間体制で体調を崩す職員が続出した
⇒緊急入院する妊娠中の女子職員もいたが、それで子育て支援策が作れるのか?
・2020年に民間企業と同様のパワハラ禁止規定が人事院規則に設けられた
⇒ところが大臣や国会議員などの政治家には適用されない
(官僚より選挙で苦労している政治家のほうが人間的にまともと思ってるがひどいのもいた
)
・厚労省若手改革チームの緊急提言(略)
⇒霞が関から続々と若者と女性が去っていく現状
⇒人手不足はより深刻になり、やがて無定限・無定量の文化も死に絶える
⇒報道は官僚のミスだけでなく、なぜミスが生じているのかを詳細に報じてほしい
終章より
・90年代半ばから本格化した行政改革で官僚は見事に没落した
⇒東大生の多くは外資系コンサルに流れ、早慶上智MARCH関関同立が大躍進する
⇒霞が関=最高学歴という図式は完全に消える
⇒日本では大学受験時の偏差値が優秀さを計る絶対的な基準になっているので、
⇒公務員試験は難関のままでもキャリア官僚はエリートではなくなる
・政治家と官僚は合わせ鏡で官僚が没落した分だけ権力を手中にしたのが政治家
⇒この30年で政治主導システムに改革したが、それは成功したのか?
・官僚は試験で選ばれ政治家は選挙で選ばれる
⇒民意を反映した政治家が政策の方向性を決定すべきというのが、この30年間のロジック
・目立ったのは国会議員の偉さより民意や世論の絶対化であり、それを体現するポピュリズム
⇒世論を煽り世論に迎合するポピュリストが政治の前面に出るようになった
⇒インターネットの勢いもあり4年に1度の選挙で選ばれる政治家に権力を集中させた結果、
政治家を抑えることができる対抗勢力はいなくなった
・いっぽう国民は政治家が最も信用できない人間で民意を体現した存在だとは思っていない
⇒政治家は信用できず直接民主主義も実現できないので「くじ引き民主主義」論が出る
⇒日本では欧米とは逆にボイコットやデモへの参加率は低下している
・政治主導体制に変えた根拠のひとつは政権交代だったはず
⇒二大政党の権力交代があるので官邸に権力を集中しても腐敗はないという前提
⇒その前提が崩れるどころか半永久的に実現しないのだから政治主導も見直すべき
⇒世間ウケのいいバラマキばかりの政治家に権限を集中させる必要はない
⇒財務省感覚ではなく日常生活感覚でみても、そろそろ限界ではないか
・政治主導を見直すといっても、文句を言わない国民や世論には期待できない
⇒吠えない犬となったマスコミにも期待はできない
⇒ならば政治家を縛る規範や制度を作るしかない
⇒内閣人事局制度と同様の権力抑止システムを作れば物事は動く
・政治家を縛る制度と合わせて政治家を評価する制度も必要
⇒民主党政権と一緒に追い払われた「マニフェスト」の復活
・官僚が復権することはないが特定政策分野に興味がある学生や官邸官僚を目指す学生は残る
⇒それでも東大生が減り官僚の権威は失墜する
(東大生が優秀とかのロジカルな理由ではなく権威の図式が壊れるだけ)
⇒やがて早慶上智MARCH関関同立も激減していくだろう
・90年代半ばから公務員制度を改革してきたが結果をみると明治以来の芸術作品を破壊した
にすぎなかったのかもしれない
⇒公務員制度の研究者として、制度を作り替える怖さを実感している・・・
・・・
ホントにそうなのとの部分もありましたが、なるほどと納得する部分が多かったです
前述のとおり岸田政権の終わりごろに書かれた本で、その後の国政は目まぐるしく動いてますね
さてさて今度の衆院選後に、この状況が改善されるのか、はたまた・・・

「没落官僚~国家公務員志願者がゼロになる日~」とゆー本のご紹介であります
ま、「子や孫に入ってほしい勤め先」で国家公務員は常に上位に入ってるようですが、
本書はキャリア官僚への志願者が激減しており、このままだと霞が関が崩壊する、しかも
90年代半ばまでなら国民生活に大きな影響はなかったが今は、といった怖いオハナシ・・・
裏表紙カバー裏にあった内容紹介

著者紹介

1990年に旧労働省にキャリア官僚として入省、不人気だった労働省でも基本は東大生の世界で、
奈良県出身と言うと大学名ではなく「東大寺学園?」と中学や高校名を聞かれたとか

ちなみにわたくし1999年の秋から1年間ほど、厚生労働省に統合(2001年1月)される前の
厚生省と労働省へ別々に、けっこうお仕事で通ってました
当時急増していた大都市ホームレスへの緊急支援策について、厚生省からは基本は失業対策だから
メインは労働省だよと、いっぽう労働省からは基本は福祉対策だからメインは厚生省だよと、
お互い謙遜して
言っておられましたが、(統合目前だったからか?)両省の役割分担などはきちんと調整されてたようで、その対応はけっこう素早かったです
そう、「縦割り行政が悪い」とかよくいわれますが、横の調整さえきちんと出来ておれば、
一気にトップまで上がる縦割り行政のメリットを充分に活かせるのでありますね
閑話休題
奥付であります

石破政権が2024年の10月からですから、岸田政権の末頃の出版物になりますね
目次



(以下てきとーメモですが著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・霞が関の中央官庁は悲惨なブラック職場とされ、キャリア官僚の志願者は激減している
⇒これに抜本的な対策がされないのは人口減少や少子高齢化と同じ理由
⇒つまり短期的に目立った痛みがないからで、痛みを実感した時には手遅れになる
・霞が関の機能不全を導く要素
①現職官僚のモチベーションがガタ落ちになっている
⇒かつての敬意もなければ本省課長にもなれず仕事は激増し部下は増えず酷使されるだけ
②答弁資料など労働条件が過酷過ぎて政策立案など本来の知的業務に時間を割けない
(ただし能力が劣化しているのも事実で今の生え抜き官僚にDXを進める能力はない)
(巨大イベントも電通などの民間企業に委託するしかない⇒不祥事に)
③官邸主導(そのものは必要)の弊害
⇒首相の取り巻き官僚からのインフォーマル指示など
(政権に人事権を握られた官僚は委縮し、やがてやる気を失っていった)
④優秀な若手官僚が入ってこない
⇒志願者数が減少すると人材の質が低下するのは事実
・政治や官僚が機能不全になっても経済が自動成長していれば国民生活に影響はないが、今は
①官僚の単ミス②予算の空白③国会の空転で国民生活が混乱する
⇒やる気のない「ロボット官僚」と政治家・権力志向の「官邸官僚」だけになればリーク、
機密漏洩が蔓延し、国会は権力闘争の場に・・・
・官僚が激減して能力が地に落ちた場合、実務は国会議員が担わざるを得ない
⇒実際に民主党政権でやろうとして混乱を極めた
・国会議員にパワハラは適用されず今の官僚は恫喝すれば言いなりになると思っている
⇒彼らに官僚激減への危機意識はなく、官僚の主人である国民にもその自覚はない
・すべての始まりは90年代半ばから吹き荒れた行政改革の嵐だった・・・
第1章より
・81年の第二次臨時行政調査会⇒増税なき財政再建
⇒3公社(JR,NTT,JT)の経済規模を考えると成功だったと言える
⇒公務員数は総定員法もあり肥大化しないが特殊法人や公益法人は激増していた
・90年代中盤以降の「成熟社会」になると「行政の守備範囲」という考え方に
⇒自助努力、官から民、国から地方など
・NPMニューパブリックマネジメント
⇒民間原理を行政にも適用するアングロサクソン系国家の手法
⇒公務員を減らし、さらに公務の効率性を厳しく追及する
⇒市場メカニズム導入・業績と成果中心・顧客サービス中心・簡素化
・千葉県松戸市(マツモトキヨシ市長)の「すぐやる課」(69年)
⇒市民を顧客とみなして(お客様は神様として)何でも請け負う⇒その弊害も
・中央官庁の縮小、外郭団体の整理統合、民営化、規制緩和、許認可の廃止・・・
⇒規制緩和は経済規制だけでなく社会規制にも踏み込んだ
⇒医療、福祉、教育、公共施設も民間企業に⇒PFIが代表的
(まだ規制が強いとの批判もあるが郵政さえ民営化された日本は民営化大国だと思う)
・その後も公務員制度改革は続き、その典型が第二次安倍内閣の「内閣人事局」で人事を掌握した
⇒その歪みや忖度が話題になり、それまでずっと官僚の抵抗で行革が進まないと批判していた
マスコミがようやく官僚人事の自立性を言及するようになった(その豹変ぶりには呆れ返るが)
・96年の総選挙では行政改革が主な選挙の争点となっていた
⇒公務員の定数は法律で厳格に管理されており、国際比較でも少ないことは自明で、公務員の
給与が国民生活を圧迫することなどあり得ないのに、なぜ国民は行革に熱狂したのか?
⇒バブル以降の長期不況、正規と非正規の格差社会への不満感情から
⇒公務員は決して裕福層ではないが身分保障特権やリスクが少ないことへのバッシングだった
⇒なによりも長期不況をもたらしたのが霞が関の官僚だと見なされたこと
(グローバル化に対応できなかったなど民間企業の競争力が衰えた原因が官僚だったと?)
(政府自身も官僚や官僚が作った戦後システムが原因と報告⇒経済の中心は民間企業なのに?)
・小泉政権の構造改革も同様で「霞が関(特に財務省)を変えれば日本が変わる」と主張した
⇒その改革後もこれだけ長期不況が続いてるのが事実
⇒それなのに未だに「財務省陰謀説」は根強い(「まだ規制緩和が足りない説」も同じ)
・「政策形成の主体を(財務)官僚から政治家に移せば斬新な政策になり日本経済は復活する説」
⇒それで首相官邸に権限を集中させたが経済成長は鈍化したままなのも明らか
⇒それなら「鈍化で生じている社会問題を見据えた行革」になぜ変えなかったのか?
⇒予測できなかったからではなく人口減少や格差などの社会問題に手をつけなかっただけ
⇒景気回復すれば社会問題は解決すると、実現しない経済成長を待ち続けたのが現実
(例として失業率が上がると自殺率や犯罪率や児童虐待率は上がり、自殺対策、犯罪対策、
虐待対策の仕事量は激増してるのにマンパワーは圧倒的に不足したまま)
・官邸主導と首相権限強化の形が整ったのが2001年とすると、すでに20年が経過している
⇒この間に少なくとも経済成長に影響を与えていないのであれば改善する必要がある
第2章より
・行革で各省の利権が消滅しつつあり政治家も官僚も組織のためには働かなくなった
⇒天下りも出世もなくなれば出身省庁に忠誠を尽くす必要もない
・政治主導システムと小選挙区制度で首相官邸に権力が集中するようになった
⇒かつての族議員も姿を消した
・その結果、官邸に近い者が力を持つようになった
(戦前は内務省と大蔵省、戦後は大蔵省がトップといった序列の意味がなくなった)
・権力志向で有力政治家に近づくなどの官邸官僚(スーパーキャリア官僚)の誕生
(いっぽう受験秀才で真面目だけが取り柄の普通官僚にとってはブラック霞が関に)
・かつての横並び昇進、平等処遇といったキャリア官僚制度は崩壊し官僚の個人化が進む
⇒首相や官房長官との近さ、政策分野の重要度などから重用される官僚と普通官僚の格差が拡大
・軍と警察は政治から切り離すべきだが、今は警察庁が官邸で重きをなしている
⇒「首相、官房長官といった政治家を官邸官僚が補佐する政官融合体」を警察庁が守護する体制
⇒そんな官邸主導体制が日本をどういう方向に導くのか・・・
第3章より
・各省の再就職斡旋禁止が制定されたのが2007年
⇒一部の真面目な官僚にとっては厳しい老後が待ち受けている
⇒ところがごく一部の官僚は以前よりはるかに恵まれた再就職を享受している
・キャリア官僚の局長・審議官ポスト数などは法令で縛られている
⇒定年まで居座られると若手にポストが空かない
⇒辞める側にも生活があり関連企業や団体への再就職=天下り慣行が昭和初期にはあった
(今の年金制度は戦前の恩給制度ほどではなく退職後も働くことが前提となっている)
・天下りには組織影響力の拡大意図もあった
⇒許認可権のある民間企業や不要な外郭団体など
・2007年以降、キャリア官僚の天下りは壊滅しつつあり生活基盤が不安定化している
⇒キャリアで本省課長になれないまま60歳で定年退職して再就職先がないという状況
⇒ポストを空けるため外郭団体等に出向させ退職直前に呼び戻す手法が現在も続いている
・民間企業や経済界との接触が多い経産省や財務省は再就職の勝ち組
⇒許認可や利権と絡んだ国土交通省、旧郵政省も・・・
・能力やコネクションを利用して再就職する者とそうでない者との二分化
・生命保険・損害保険への再就職が多いのは何故か
⇒金融と同じく業界の垣根がなく、役立つかどうかわからなくとも余裕があるからでは
・大学教員への再就職も多い
⇒文献を読みデータで仮説を実証し、論文(企画書)を書く仕事は官僚と親和性がある
・現在の事後規制・斡旋禁止で、個人の再就職・転職は自由というのがいいと思う
⇒厳しい天下り規制より職業として官僚の魅力を高める方がよい
⇒ただし人材流動化によるロビイスト、機密漏洩などへの法整備が必要
第4章より
・バブル崩壊以降の不況⇒社会保障も公共事業も削れない⇒役所を減らせ
⇒行政改革⇒政治主導で痛みを伴う改革⇒反対する官僚は抵抗勢力
⇒内閣人事局の創設で官邸主導体制(首相や官房長官の圧倒的優位)が確立された
⇒各大臣・各省官僚・各族議員の三角関係の上に官邸が来た(それまではほぼ同列だった)
・安倍政権では官邸・内閣官房・内閣府の官僚が各省大臣よりも存在感があった
⇒彼らは政権と一体化した政治家と見なすべきではないのかという議論も
・行政改革の目的は行政のスリム化だが官僚の力を削ぐことが隠れた目的
⇒人事権を握った影響は絶大だった
⇒首相や官房長官や官邸官僚の影に怯える忖度官僚が続出した
・内閣人事局の創設までは(名目の人事権は各大臣だが)実質は各省の官僚案が承認されていた
・上級公務員(事務次官・局長・部長・審議官)を育成管理するのが内閣人事局の目的
⇒上級公務員は各省の都合ではなく日本全体の利益を考える「日の丸官僚」であるべき
⇒それは首相官邸の意向を受ける官僚ということになる
⇒なぜなら各省の政策を選ぶのは国家全体を俯瞰する首相であり官邸だから(という理屈)
・内閣人事局は官僚人事の「政治的応答性」を「中立性専門性」より重視した制度だったが、
当時は文科省の幼稚園と厚労省の保育園など各省のセクショナリズムと官僚の特権が大問題
となっており、ごく自然な流れであった
・内閣人事局制度運用の特徴(2018年4月23日付け日本経済新聞から)
①順送り人事をしない
②政権の政策目標を実現するための布陣
③政権の姿勢をアピールするノンキャリアや技官や制服組の抜擢
④情報が洩れれば人事を差し替える
⑤女性の活躍など
⇒批判されているのは、そのプロセスが曖昧で不透明な点
⇒水面下で様々な注文がついて決まっており、任命権者である大臣より官邸が優位に
・上位政策に人事が絡むことは本来は正常
⇒例えば安全保障に関し官邸の方針に従わない幹部官僚はすぐに更迭すべきだが、
⇒下位政策(個別案件)に官邸主導の人事が絡むと行政は歪んでしまう
⇒歪みの原因は総理の取り巻き政治家や官僚
⇒その取り巻き集団が官邸主導体制になってから跳梁跋扈している
⇒官邸、内閣官房、内閣府の幹部官僚で一部は政治任用だが虎の威を借る資格任用が問題
⇒官邸官僚とは首相秘書官、官房副長官、3人の副長官補、内閣審議官、内閣参事官(課長級)など
・政治任用でも使えるのは元官僚だから資格任用の一般職国家公務員とは明確に区別すべき
⇒政治との調整は政治任用と事務次官から局長まで、審議官以下は政策立案に専念するべき
⇒有名無実化している政官接触記録制度を厳格運用すべき
①公正中立な内閣人事局制度
②政治任用の拡充
③政官の完全分離
・・・だけでは済まない
⇒英国のような「政治家と官僚が守るべき規範」と「国会の監視機能」が必要
第5章より
①官僚の労働環境の悪化⇒長時間労働
②仕事の中身と質の変化
⇒官邸主導システム以降は政策の企画立案が官邸に独占され、根回しや調整だけが各省に
③未知の仕事に官僚が対応できなくなっている⇒デジタル化など
⇒外郭団体が少なくなり民間企業に頼らざるを得ない構造も影響
・この①②③の相乗効果で官僚がやる気を失い各省が制御不能になり政府が機能不全に?
⇒これが本書の提示する仮説
・これまでのキャリア官僚の人事慣行
(これが給料が安く長時間労働でもモチベーションが下がらなかった理由その1)
①同期横並びで本省課長クラスまではスピード昇進できる
②そこまでは後輩が先輩を追い抜くことはない
③それ以上もある程度は規則性のある予測可能な昇進レース
④降格などの不利益処分はない
⑤斡旋による天下りが保証される(本省課長以上)
⇒本省課長での勧奨退職と天下りがなくなり定年退職まで働くようになった
⇒ポストは増えないので管理職の年齢が上昇する⇒昇任までの年数が上昇する
⇒短期間スピード出世というエリートの証しが消えモチベーションも消える
・(公共心もあるが)自分主体で世の中に影響力を与える仕事をしたいのが官僚の本音
(これが給料が安く長時間労働でもモチベーションが下がらなかった理由その2)
⇒政策形成プロセスは①政策の企画立案②政策形成過程の調整③政策の執行の3段階だが、
③は出先や地方自治体なので、やりがいを感じる圧倒的比重は①政策の企画立案
⇒自分の考えた政策が法律や予算になり世の中に大きな影響を与えているという実感
⇒これで給料が安く長時間労働でパワハラ横行の霞が関で生きていこうと思えた(実体験から)
・政策決定についての各省割拠システム・小泉政権・第二次安倍政権の違い(略)
⇒第二次安倍政権の政策決定は官邸官僚
⇒それ以外の普通官僚は望みもしない政策の是非で人事評価された
・官邸主導体制の功罪
⇒トップダウンは政策決定スピードだけでなく各省の協力体制にも有利なのは事実
⇒ただし官邸案件だけが各省折衝の苦労もなく通ることへの不安もあった
⇒政策決定した官邸官僚は国会答弁に立つことなく吊るしあげられるのは各省の普通官僚だけ
⇒その前でふんぞり返る閣僚の多くは世襲議員で実力で勝ち取った地位ではない
⇒そんな哀れな姿を見て、それでも官僚になりたいと思う若者がいるだろうか?
・第二次安倍政権では自分たちが主体的に進めた政策でもないのに責任を追及され苦悩した
⇒ただし自分たちが消極的に加担したのも事実なので、さらに苦悩した
⇒各省の政策立案では(硬直的だったが)各省に責任感はあった
⇒官邸の政策立案では(変化とスピード感はあるが)責任は曖昧になる
・高市総務大臣(当時)と総務省の放送法に関する流出文書の問題
⇒本書では放送法解釈の変更そのものではなく首相補佐官が加わった政策形成に巻き込まれ、
与野党政争の狭間で立ち尽くさざるを得ない官僚の悲哀を問題にする
①これまで正義(秩序)とされてきたもの(放送法の解釈)を変更することの苦痛
⇒継続が正しいとは限らないが過去から続く解釈に一定の正義と合理性があるのも事実
⇒放送の中立については過去の情勢に影響を受けつつ困難の中で維持されてた経緯がある
⇒それを権力者の命令であっさり変えられてしまうと今までの先輩の仕事は何だったのかと
②政策形成プロセスの複雑さ
⇒官僚主導の政策であれば主体的に立案・根回しして総務大臣の了解を得れば終わりだった
⇒放送法解釈の変更は総務省への磯崎首相補佐官の指示で官僚が総務大臣にも納得してもらい、
最終的に国会で答弁を変更した
⇒放送法解釈の変更は総務大臣の権限だが本当に首相補佐官の背後に首相がいるのか不明
⇒菅官房長官や副長官、政務秘書官への説明がいるのかも不明
(首相補佐官から総務大臣らに話してもらえばいいのだが官僚は政治家に言えないので悩む)
(実際に流出文書でも局長が提案したが「それは俺と総理が決めることだ」と一蹴されている)
・本来の官邸主導システムであれば官邸が大方針を公にしたうえで政策を変えていくべき
⇒ところが総理本人でも公でもないところから大方針もない個別案件に近い政策変更を要求される
(各省割拠システムであれば業界や議員への根回し⇒研究会⇒審議会ではじめて解釈変更になる)
・霞が関では省内で「梯子を外される」ことはあるが官邸案件では国会に証人喚問される
⇒こんな状況がネット情報で流れる中、年収800万で長時間労働の官僚を選ぶ若者がいるか?
⇒どろどろ世界での権力者を目指さない限り民間企業に行くだろうし、不安定でも夢のある
起業家を選ぶだろう
⇒このことを良識ある政治家は、よくよく考えたほうがいい

・官邸主導システムにはネガティブな側面があるが各省割拠システムはそれ以上に時代に合わない
⇒官邸主導でもうまくいかないのは官僚の能力自体が劣化している、もしくは経済社会や
時代に追い付いていないからではないか
⇒人材不足・デジタルなどへの対応能力不足
⇒コンサルと広告代理店への委託料は総額の21%で独立行政法人と肩を並べる(2020)
⇒霞が関とコンサル・広告代理店の学歴も逆転しており、やがて官僚志望者はゼロに近づく
⇒その時に国会議員が自分でどこまで事務や調整ができるか、見てみたいものだ

第6章より
・霞が関の長時間労働
⇒規制緩和・小さな政府でも業務量は増え続けており総定員法で人員は増えないから当然
・働き方改革の厚労省自体、長時間労働が前提でブラックの筆頭だと思っている
⇒コロナ禍では2階大講堂の対策本部は24時間体制で体調を崩す職員が続出した
⇒緊急入院する妊娠中の女子職員もいたが、それで子育て支援策が作れるのか?
・2020年に民間企業と同様のパワハラ禁止規定が人事院規則に設けられた
⇒ところが大臣や国会議員などの政治家には適用されない
(官僚より選挙で苦労している政治家のほうが人間的にまともと思ってるがひどいのもいた
)・厚労省若手改革チームの緊急提言(略)
⇒霞が関から続々と若者と女性が去っていく現状
⇒人手不足はより深刻になり、やがて無定限・無定量の文化も死に絶える
⇒報道は官僚のミスだけでなく、なぜミスが生じているのかを詳細に報じてほしい
終章より
・90年代半ばから本格化した行政改革で官僚は見事に没落した
⇒東大生の多くは外資系コンサルに流れ、早慶上智MARCH関関同立が大躍進する
⇒霞が関=最高学歴という図式は完全に消える
⇒日本では大学受験時の偏差値が優秀さを計る絶対的な基準になっているので、
⇒公務員試験は難関のままでもキャリア官僚はエリートではなくなる
・政治家と官僚は合わせ鏡で官僚が没落した分だけ権力を手中にしたのが政治家
⇒この30年で政治主導システムに改革したが、それは成功したのか?
・官僚は試験で選ばれ政治家は選挙で選ばれる
⇒民意を反映した政治家が政策の方向性を決定すべきというのが、この30年間のロジック
・目立ったのは国会議員の偉さより民意や世論の絶対化であり、それを体現するポピュリズム
⇒世論を煽り世論に迎合するポピュリストが政治の前面に出るようになった
⇒インターネットの勢いもあり4年に1度の選挙で選ばれる政治家に権力を集中させた結果、
政治家を抑えることができる対抗勢力はいなくなった
・いっぽう国民は政治家が最も信用できない人間で民意を体現した存在だとは思っていない
⇒政治家は信用できず直接民主主義も実現できないので「くじ引き民主主義」論が出る
⇒日本では欧米とは逆にボイコットやデモへの参加率は低下している
・政治主導体制に変えた根拠のひとつは政権交代だったはず
⇒二大政党の権力交代があるので官邸に権力を集中しても腐敗はないという前提
⇒その前提が崩れるどころか半永久的に実現しないのだから政治主導も見直すべき
⇒世間ウケのいいバラマキばかりの政治家に権限を集中させる必要はない
⇒財務省感覚ではなく日常生活感覚でみても、そろそろ限界ではないか
・政治主導を見直すといっても、文句を言わない国民や世論には期待できない
⇒吠えない犬となったマスコミにも期待はできない
⇒ならば政治家を縛る規範や制度を作るしかない
⇒内閣人事局制度と同様の権力抑止システムを作れば物事は動く
・政治家を縛る制度と合わせて政治家を評価する制度も必要
⇒民主党政権と一緒に追い払われた「マニフェスト」の復活
・官僚が復権することはないが特定政策分野に興味がある学生や官邸官僚を目指す学生は残る
⇒それでも東大生が減り官僚の権威は失墜する
(東大生が優秀とかのロジカルな理由ではなく権威の図式が壊れるだけ)
⇒やがて早慶上智MARCH関関同立も激減していくだろう
・90年代半ばから公務員制度を改革してきたが結果をみると明治以来の芸術作品を破壊した
にすぎなかったのかもしれない
⇒公務員制度の研究者として、制度を作り替える怖さを実感している・・・
・・・
ホントにそうなのとの部分もありましたが、なるほどと納得する部分が多かったです
前述のとおり岸田政権の終わりごろに書かれた本で、その後の国政は目まぐるしく動いてますね
さてさて今度の衆院選後に、この状況が改善されるのか、はたまた・・・
2025年12月25日
ヤマト建国の真相
とーとつですがクリスマスに・・・

「~最新考古学が解き明かす~ヤマト建国の真相」のご紹介であります
監修者紹介と奥付

目次



目次からもおわかりのとおり、ヤマト王権と邪馬台国について網羅してあり、
素人にもわかるよう最新の研究成果をまとめた入門書であります
巻末にあった主な参考文献

当サイトで取り上げた本も何冊かありますね・・・
と、まずは第1章の冒頭部分からメモ・・・
・ヤマト王権が誕生したのは3世紀後半以降の奈良盆地というのが定説
⇒ところがこの期間の文字資料がないため「空白の4世紀」とされている
(266年の晋書・武帝紀から、369年の七支刀刻印、391年の碑文記録までない)
⇒文書資料で卑弥呼が共立されたのは190年頃とされている
(3世紀には西日本の大部分を統治下においていた)
・両者は個別に研究されてきたが奈良県桜井市の纏向遺跡の発掘調査と研究が進んだ
⇒纏向遺跡は2世紀後半に突如出現した大規模な都市計画で3世紀後半にヤマト王権の王都
だったことはほぼ確定している
⇒纏向遺跡は卑弥呼政権の王都であり、その後のヤマト王権へ政権が何らかの形で直接継承
あるいは簒奪された可能性が高い
・だが魏志倭人伝の邪馬台国へ至るクニグニは北部九州が多く出土例も畿内より圧倒的に多い
⇒投馬国を除きいずれも玄界灘沿岸(畿内説では投馬国は吉備あるいは出雲)
⇒200年~260年(庄内期)の鏡の出土も北部九州に集中している
⇒これは何故なのか・・・
・・・
とはじまって寺沢薫説や、桃崎有一郎説が詳しく紹介され、九州説の矛盾を指摘する項もあり、
以降の章は邪馬台国畿内説で進みますが、以下わたくしが気になった一部のてきとーメモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・魏志倭人伝には倭国の内29国の盟主である卑弥呼の住む王都「ヤマト国」の長官はイコマ、
副官はミマス、ミマキ、ナカトの3人で、この4人がヤマト国を支配するとある
(他にもナ国やイト国など主な倭国内の国の長官と副官の名前が記されている)
⇒イコマ、ミマス、ミマキは記紀にある初期ヤマト王権の大王名と共通する(村井康彦説)
⇒イコマ垂仁天皇イクメイリヒコ、ミマス孝昭天皇ミマツヒコ、ミマキ崇神天皇ミマキイリヒコ
⇒この3人の御陵の地を当てるとイコマは奈良盆地の北東部、ミマスは南西部、ミマキは東部
⇒ナカトに該当する天皇名はないが「中処」とすると3地域の中央部になる
⇒イコマの生駒は当時の河内湾につながる大和川の要衝、ミマスの南西部は葛城氏の本拠地、
ミマキの東部は纏向遺跡や最初期の前方後円墳がある天理市から桜井市にかけて
⇒ナカトの中央部に鍵・唐古遺跡があり、卑弥呼以前の体制・社会状況を引き継いだものか
⇒他の国では長官1副官1で2人だがヤマト国のみ4人、しかも3人の副官に序列はない・・・
・北東部のイコマが長官で王都である纏向のある東部のミマキが副官なのは何故?
⇒記紀の神武東征では大阪に上陸したイワレヒコが生駒山の西麓でナガスネヒコに敗れている
⇒このナガスネヒコの根拠地がイコマのエリア
⇒現代なら都庁が生駒にあって国会議事堂が纏向にできた、ということになる
⇒イコマのエリア内にある富雄丸山古墳は(大王以上の副葬品があるのに)大王級の前方後円墳
ではなくランクが下の円墳
⇒被葬者は卑弥呼以前にヤマトを治めていたナガスネヒコのモデルとなった王を祖先とし、
その後ヤマト国の長官となったイコマの後裔だったからではないか・・・
・瀬戸内海沿岸部の鉄をめぐる第一次倭国乱で大和と吉備と淡路島が結びついた?(記紀)
⇒このとき北部九州は安定しており防備を固め静観していた(当時の遺跡から)
・181年のニュージーランド・タウポ火山噴火により184年には黄巾の乱、三国志の時代へ
⇒北部九州も難民や後漢の衰退で混乱し、交易をめぐり瀬戸内海中部・畿内連合の圧力も
⇒これが第二次倭国乱だが武力衝突はせず連合に加わり卑弥呼政権が形成された
⇒鉄を中心とする物流システムの再編成のために生まれた政権ともいえる
・なぜ畿内の纏向が王都に選ばれたのか
⇒北部九州の難民などによる社会変化の激しさ、岡山平野の少ない降水量に対する奈良盆地の
安定的な農業生産もあるが、大きな要因は強力な首長がいなかったからではないか
⇒400のムラ⇒11の共同体⇒3つの主要勢力で200年続いていたが、倭国乱以降の2世紀末に
拠点集落では環濠が埋められ、唐古・鍵では掘り直しもされるが規模は格段に縮小する
⇒奈良盆地の集落ネットワークは解体・再編成させられたのだ
・纏向王都の先進性
⇒吉備や讃岐の大規模土木技術、北部九州の大陸からもたらされた最先端知識の活用
⇒配置や建物D(出雲大社本殿の大社造りと共通)、建物C(伊勢神宮の神明造りにつながる)など
・纏向遺跡の外来形土器は2世紀末の5大勢力(北部九州・瀬戸内海中部・出雲・畿内・東海)を
もれなく網羅しており3世紀に日本の中心地だったことは明らか
⇒中国宮殿を模した桃、紅花、バジルなど西アジア原産種が出土している
⇒ところがイネや鍬など農業遺物が殆ど出ない(土木工事に使う鋤は多い)
・卑弥呼共立と銅鐸祭祀の破壊・消滅(略)
・瀬戸内海中部・畿内連合の前方後円墳に北部九州が加わった卑弥呼政権の纏向型前方後円墳、
そして出雲の勢力が加わって葺石が備えられたホケノ山古墳(卑弥呼の墓とも)、という発展
⇒箸墓古墳は諸勢力の首長霊祭祀を集約化し発展していったもので規模も魏志倭人伝と一致、
放射性炭素年代法による240~260年という推定も卑弥呼の死亡年とされる248年頃と一致し、
箸墓古墳の被葬者が卑弥呼と考えるのが自然・・・
と、ここまでで第3章まで、4章から7章も最新の研究成果をわかりやすくまとめてあり、
とても面白かったのですが、メモ能力よりアルコール勢力が拡大してきて・・・ひっく
ここまでのメモや目次を見て興味を持たれた方はぜひ本書をお読みくださいね
NHK教育の「3ヶ月でマスターする古代文明」も面白かったけど、日本の古代史も面白いなあ

「~最新考古学が解き明かす~ヤマト建国の真相」のご紹介であります
監修者紹介と奥付

目次



目次からもおわかりのとおり、ヤマト王権と邪馬台国について網羅してあり、
素人にもわかるよう最新の研究成果をまとめた入門書であります
巻末にあった主な参考文献

当サイトで取り上げた本も何冊かありますね・・・
と、まずは第1章の冒頭部分からメモ・・・
・ヤマト王権が誕生したのは3世紀後半以降の奈良盆地というのが定説
⇒ところがこの期間の文字資料がないため「空白の4世紀」とされている
(266年の晋書・武帝紀から、369年の七支刀刻印、391年の碑文記録までない)
⇒文書資料で卑弥呼が共立されたのは190年頃とされている
(3世紀には西日本の大部分を統治下においていた)
・両者は個別に研究されてきたが奈良県桜井市の纏向遺跡の発掘調査と研究が進んだ
⇒纏向遺跡は2世紀後半に突如出現した大規模な都市計画で3世紀後半にヤマト王権の王都
だったことはほぼ確定している
⇒纏向遺跡は卑弥呼政権の王都であり、その後のヤマト王権へ政権が何らかの形で直接継承
あるいは簒奪された可能性が高い
・だが魏志倭人伝の邪馬台国へ至るクニグニは北部九州が多く出土例も畿内より圧倒的に多い
⇒投馬国を除きいずれも玄界灘沿岸(畿内説では投馬国は吉備あるいは出雲)
⇒200年~260年(庄内期)の鏡の出土も北部九州に集中している
⇒これは何故なのか・・・
・・・
とはじまって寺沢薫説や、桃崎有一郎説が詳しく紹介され、九州説の矛盾を指摘する項もあり、
以降の章は邪馬台国畿内説で進みますが、以下わたくしが気になった一部のてきとーメモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・魏志倭人伝には倭国の内29国の盟主である卑弥呼の住む王都「ヤマト国」の長官はイコマ、
副官はミマス、ミマキ、ナカトの3人で、この4人がヤマト国を支配するとある
(他にもナ国やイト国など主な倭国内の国の長官と副官の名前が記されている)
⇒イコマ、ミマス、ミマキは記紀にある初期ヤマト王権の大王名と共通する(村井康彦説)
⇒イコマ垂仁天皇イクメイリヒコ、ミマス孝昭天皇ミマツヒコ、ミマキ崇神天皇ミマキイリヒコ
⇒この3人の御陵の地を当てるとイコマは奈良盆地の北東部、ミマスは南西部、ミマキは東部
⇒ナカトに該当する天皇名はないが「中処」とすると3地域の中央部になる
⇒イコマの生駒は当時の河内湾につながる大和川の要衝、ミマスの南西部は葛城氏の本拠地、
ミマキの東部は纏向遺跡や最初期の前方後円墳がある天理市から桜井市にかけて
⇒ナカトの中央部に鍵・唐古遺跡があり、卑弥呼以前の体制・社会状況を引き継いだものか
⇒他の国では長官1副官1で2人だがヤマト国のみ4人、しかも3人の副官に序列はない・・・
・北東部のイコマが長官で王都である纏向のある東部のミマキが副官なのは何故?
⇒記紀の神武東征では大阪に上陸したイワレヒコが生駒山の西麓でナガスネヒコに敗れている
⇒このナガスネヒコの根拠地がイコマのエリア
⇒現代なら都庁が生駒にあって国会議事堂が纏向にできた、ということになる
⇒イコマのエリア内にある富雄丸山古墳は(大王以上の副葬品があるのに)大王級の前方後円墳
ではなくランクが下の円墳
⇒被葬者は卑弥呼以前にヤマトを治めていたナガスネヒコのモデルとなった王を祖先とし、
その後ヤマト国の長官となったイコマの後裔だったからではないか・・・
・瀬戸内海沿岸部の鉄をめぐる第一次倭国乱で大和と吉備と淡路島が結びついた?(記紀)
⇒このとき北部九州は安定しており防備を固め静観していた(当時の遺跡から)
・181年のニュージーランド・タウポ火山噴火により184年には黄巾の乱、三国志の時代へ
⇒北部九州も難民や後漢の衰退で混乱し、交易をめぐり瀬戸内海中部・畿内連合の圧力も
⇒これが第二次倭国乱だが武力衝突はせず連合に加わり卑弥呼政権が形成された
⇒鉄を中心とする物流システムの再編成のために生まれた政権ともいえる
・なぜ畿内の纏向が王都に選ばれたのか
⇒北部九州の難民などによる社会変化の激しさ、岡山平野の少ない降水量に対する奈良盆地の
安定的な農業生産もあるが、大きな要因は強力な首長がいなかったからではないか
⇒400のムラ⇒11の共同体⇒3つの主要勢力で200年続いていたが、倭国乱以降の2世紀末に
拠点集落では環濠が埋められ、唐古・鍵では掘り直しもされるが規模は格段に縮小する
⇒奈良盆地の集落ネットワークは解体・再編成させられたのだ
・纏向王都の先進性
⇒吉備や讃岐の大規模土木技術、北部九州の大陸からもたらされた最先端知識の活用
⇒配置や建物D(出雲大社本殿の大社造りと共通)、建物C(伊勢神宮の神明造りにつながる)など
・纏向遺跡の外来形土器は2世紀末の5大勢力(北部九州・瀬戸内海中部・出雲・畿内・東海)を
もれなく網羅しており3世紀に日本の中心地だったことは明らか
⇒中国宮殿を模した桃、紅花、バジルなど西アジア原産種が出土している
⇒ところがイネや鍬など農業遺物が殆ど出ない(土木工事に使う鋤は多い)
・卑弥呼共立と銅鐸祭祀の破壊・消滅(略)
・瀬戸内海中部・畿内連合の前方後円墳に北部九州が加わった卑弥呼政権の纏向型前方後円墳、
そして出雲の勢力が加わって葺石が備えられたホケノ山古墳(卑弥呼の墓とも)、という発展
⇒箸墓古墳は諸勢力の首長霊祭祀を集約化し発展していったもので規模も魏志倭人伝と一致、
放射性炭素年代法による240~260年という推定も卑弥呼の死亡年とされる248年頃と一致し、
箸墓古墳の被葬者が卑弥呼と考えるのが自然・・・
と、ここまでで第3章まで、4章から7章も最新の研究成果をわかりやすくまとめてあり、
とても面白かったのですが、メモ能力よりアルコール勢力が拡大してきて・・・ひっく
ここまでのメモや目次を見て興味を持たれた方はぜひ本書をお読みくださいね
NHK教育の「3ヶ月でマスターする古代文明」も面白かったけど、日本の古代史も面白いなあ

2025年11月10日
日本文化の核心
とーとつですが・・・

日本文化の核心~「ジャパン・スタイル」を読み解く~であります
著者紹介

奥付

例によって目次のみの紹介




目次の項目と小見出しからもわかるとおり、これらの視点になるほどと納得しました
こんな観点から日本文化、ジャパン・スタイルを考える、という本ははじめてでしたし、
日本文化に限らず、この著者の観点から各国の文化を学ぶのも面白そうだとも思いました
以下とても全てはメモできなかったので、「はじめに」だけの概要メモです
(著作物からの個人メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・1970年代の終わりころ、渋谷の壁の穴で「たらこスパゲティ」をはじめて食べて感動し、
これで日本は何とかなる、と確信した
⇒そのうち各地の小さなラーメン屋が独特のラーメンを作り、コム・デ・ギャルソンやイッセイらが
世界にないモードを提供し、井上陽水・忌野清志郎・桑田佳祐らの独特の曲と日本語のポップスや、
大友克洋の「AKIRA」連載も頼もしく、日本は何とかなると感じた
(著者が横須賀功光や十文字美信に国宝級の美術品を撮ってもらい講談社「アート・ジャパネスク」
全18巻を編集制作していた頃)
・その10年後、日本は低迷し民営化とグローバル資本主義が金科玉条になり、お笑い芸人が
テレビを占めて選挙にも立候補し、何でも「かわいい」の時代に・・・
⇒司馬遼太郎は文芸春秋「この国のかたち」連載で「日本はダメになるかも」と呟いていた
・さらに10年後、ベルリンの壁がなくなった反面、湾岸戦争が新たな大矛盾をもたらし、
日本はバブルが崩壊したまま「かわいい」文化を蔓延させ、そこにインターネットが登場
⇒これで日本は再び文化力を発揮すると期待したがアメリカン・テクノロジーの追随ばかり
・たらこスパゲティや独特ラーメン、アニメ、日本語ラップなどが語ろうとしていたものを、
小泉・竹中劇場の新自由主義やグローバル資本主義に席巻されるマネー主義が軽々と蹂躙した
・Jポップや日本アニメや日本現代アートに何がひそんでいるのか
⇒それをあきらかにするための日本文化や哲学は殆ど解説されなかった
・本書は日本文化の真骨頂・正体・核心・ディープな特色がどこにあったのかについて、
新しい切り口で解説してみようと試みたもの(目次参照)
・断言するが日本文化は一見わかりにくい文脈や表現に真骨頂がある
⇒定家の和歌、道元の禅(中略)芭蕉の俳諧、鴎外の小説(後略)などに何かを感じるなら、
わかりやすくしようと思わず、彼らの放ったコンセプトそのままに日本文化を会得すべき
・プラトンのイデア、カントの理性批判(中略)コルトレーンのジャズ、ウォーホルのポップ
アート(後略)などは何によって「わかった」と言えたのか
⇒それらがわかるのなら日本の哲学や美もわかるはず
・手がかりは「ジャパン・フィルター」(目次参照)
・日本文化の正体は必ず「変化するもの」にある
⇒神や仏、和歌や国学、常磐津や歌舞伎、日本画や昭和歌謡、セーラー服やアニメではなく、
それが「変化するところ」に日本文化の正体があらわれる
⇒それはたいてい「おもかげ」や「うつろい」を通じてで、これがジャパン・スタイル
・いったんは日本神話や昭和歌謡や劇画に浸って「変化の境目」に詳しくなることが必要
⇒白村江の戦いや承久の乱や日清戦争は「変化の境目」を雄弁に語っている
⇒スペイン継承戦争がわからなければバロックが見えてこないのと同じこと
・ところが日本文化はいつのまにか「わび・さび・フジヤマ・巨人の星・スーパーマリオ」に
寄りかかってしまった
⇒それなら村田珠光・九鬼周造・柳宗悦・岡潔は必読で、せめて山本兼一「利休にたずねよ」、
岩上尚史「芸者論」、中村昇「落語哲学」はちゃんと読んだほうがいい
・日本は一途で多様な文化をつくってきたが、何が一途なのか、どこが多様なのかを見極める
必要があるのに、日本人はディープな日本に降りないで日本を語れると思いすぎた
・安易な日本論ほど日本をミスリードしていく
⇒本書がその歯止めの一助になればと思っている・・・
・・・
本文各講では特に「日本文化を理解するために最低限は知っておくべき」と紹介されていた
本などの概要になるほどと納得しましたが、とてもメモする気力はなく一文だけ・・・
「きらきらとぎらぎら、さらさらとざらざら、こんこんとごんごん、くらくらとぐらぐら、
これらのちがいがわかるのは日本人だけ」で「おもかげ」と「うつろい」の文化・・・
以下略

日本文化の核心~「ジャパン・スタイル」を読み解く~であります
著者紹介

奥付

例によって目次のみの紹介




目次の項目と小見出しからもわかるとおり、これらの視点になるほどと納得しました
こんな観点から日本文化、ジャパン・スタイルを考える、という本ははじめてでしたし、
日本文化に限らず、この著者の観点から各国の文化を学ぶのも面白そうだとも思いました
以下とても全てはメモできなかったので、「はじめに」だけの概要メモです
(著作物からの個人メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・1970年代の終わりころ、渋谷の壁の穴で「たらこスパゲティ」をはじめて食べて感動し、
これで日本は何とかなる、と確信した
⇒そのうち各地の小さなラーメン屋が独特のラーメンを作り、コム・デ・ギャルソンやイッセイらが
世界にないモードを提供し、井上陽水・忌野清志郎・桑田佳祐らの独特の曲と日本語のポップスや、
大友克洋の「AKIRA」連載も頼もしく、日本は何とかなると感じた
(著者が横須賀功光や十文字美信に国宝級の美術品を撮ってもらい講談社「アート・ジャパネスク」
全18巻を編集制作していた頃)
・その10年後、日本は低迷し民営化とグローバル資本主義が金科玉条になり、お笑い芸人が
テレビを占めて選挙にも立候補し、何でも「かわいい」の時代に・・・
⇒司馬遼太郎は文芸春秋「この国のかたち」連載で「日本はダメになるかも」と呟いていた
・さらに10年後、ベルリンの壁がなくなった反面、湾岸戦争が新たな大矛盾をもたらし、
日本はバブルが崩壊したまま「かわいい」文化を蔓延させ、そこにインターネットが登場
⇒これで日本は再び文化力を発揮すると期待したがアメリカン・テクノロジーの追随ばかり
・たらこスパゲティや独特ラーメン、アニメ、日本語ラップなどが語ろうとしていたものを、
小泉・竹中劇場の新自由主義やグローバル資本主義に席巻されるマネー主義が軽々と蹂躙した
・Jポップや日本アニメや日本現代アートに何がひそんでいるのか
⇒それをあきらかにするための日本文化や哲学は殆ど解説されなかった
・本書は日本文化の真骨頂・正体・核心・ディープな特色がどこにあったのかについて、
新しい切り口で解説してみようと試みたもの(目次参照)
・断言するが日本文化は一見わかりにくい文脈や表現に真骨頂がある
⇒定家の和歌、道元の禅(中略)芭蕉の俳諧、鴎外の小説(後略)などに何かを感じるなら、
わかりやすくしようと思わず、彼らの放ったコンセプトそのままに日本文化を会得すべき
・プラトンのイデア、カントの理性批判(中略)コルトレーンのジャズ、ウォーホルのポップ
アート(後略)などは何によって「わかった」と言えたのか
⇒それらがわかるのなら日本の哲学や美もわかるはず
・手がかりは「ジャパン・フィルター」(目次参照)
・日本文化の正体は必ず「変化するもの」にある
⇒神や仏、和歌や国学、常磐津や歌舞伎、日本画や昭和歌謡、セーラー服やアニメではなく、
それが「変化するところ」に日本文化の正体があらわれる
⇒それはたいてい「おもかげ」や「うつろい」を通じてで、これがジャパン・スタイル
・いったんは日本神話や昭和歌謡や劇画に浸って「変化の境目」に詳しくなることが必要
⇒白村江の戦いや承久の乱や日清戦争は「変化の境目」を雄弁に語っている
⇒スペイン継承戦争がわからなければバロックが見えてこないのと同じこと
・ところが日本文化はいつのまにか「わび・さび・フジヤマ・巨人の星・スーパーマリオ」に
寄りかかってしまった
⇒それなら村田珠光・九鬼周造・柳宗悦・岡潔は必読で、せめて山本兼一「利休にたずねよ」、
岩上尚史「芸者論」、中村昇「落語哲学」はちゃんと読んだほうがいい
・日本は一途で多様な文化をつくってきたが、何が一途なのか、どこが多様なのかを見極める
必要があるのに、日本人はディープな日本に降りないで日本を語れると思いすぎた
・安易な日本論ほど日本をミスリードしていく
⇒本書がその歯止めの一助になればと思っている・・・
・・・
本文各講では特に「日本文化を理解するために最低限は知っておくべき」と紹介されていた
本などの概要になるほどと納得しましたが、とてもメモする気力はなく一文だけ・・・
「きらきらとぎらぎら、さらさらとざらざら、こんこんとごんごん、くらくらとぐらぐら、
これらのちがいがわかるのは日本人だけ」で「おもかげ」と「うつろい」の文化・・・
以下略

2025年09月20日
三島由紀夫論
2週間のご無沙汰で、とーとつですが・・・

三島由紀夫論であります
今年は三島由紀夫の生誕100年にあたるそうですが、それとは関係なく・・・
以前紹介したこちらの小説を薦めてくれた知人が、この著者の小説も薦めてくれたのですが、
わたくし純文学の世界は苦手、小説なら芥川賞作家のより直木賞作家のほうが・・・
つーことで、昔から不思議な読後感が残っている三島作品について、その再来とも言われる
この著者の作品論・作家論を選んでみた次第
裏表紙カバーにあった惹句

そう、実証性に裏づけられた透徹した分析と考察、実作者ならではの理解によって解明する、
「決定的三島論」であります
表表紙カバー裏にあった著者紹介

1999年に当時史上最年少で芥川賞を受賞されてたんですね
奥付

目次



ちなみに、
「仮面の告白」論は新潮2015年2月号、
「金閣寺」論は群像2005年12月号、
「英霊の声」論は文學界2000年11月号、
「豊饒の海」論は新潮2020年12月号~2021年11月号に、
それぞれ初出とあり23年間を要して書き上げた、本文だけでも600頁を超える大作で、
その後半300頁以上が「豊饒の海」論になってました
わたくし上記作品の中では「金閣寺」の文庫本と「豊饒の海」の単行本(全巻箱入初版本!!!)が
実家にあるので読んでるはずですが、読んだのは半世紀以上前で記憶は殆ど消え去ってます
(「金閣寺」の映画化作品「炎上」(1958)は最近テレビで視聴したけど記憶が・・・
)
ただし「午後の曳航」など他の作品も含め、なぜか物語のワンシーンだけが画像として
脳裏に焼き付いているようなのでありますね
実際の風景や人物、風景写真や人物写真、風景画や人物画を眺めてて、ふと小説の中の
ワンシーンが蘇ってくることもあり、これが三島作品の文章表現のなせる技なのかと・・・
例えば水に浮かぶ寺院とか宮殿とか、高台から望む港とか残照とか、はたまた人物でいえば、
庭に遊ぶお姫様とか窓辺に佇む美貌の未亡人とか焚火に映える少女とか彷徨う老紳士とかで、
小説のワンシーンが、映像作品を観たわけでもないのに浮かぶことがあります
(「金閣寺」も映画作品とは異なる寺や炎上シーンが何となく脳裏に残ってます)
画像と文章では記憶・認識する脳の領域も異なるはずなんですが不思議な話です
いっぽう本書は最低でも上記4作品の内容をしっかりと記憶している前提で書かれており、
著者の文章構成も文体も三島作品の影響なのか相当に高度なので、その論考をある程度でも
理解するには、まず作品を再読した上で本書を丹念に読み解いていく必要があります
とーぜん、今のわたくしにそんな気力はないので、全てを読み解くのはあきらめて・・・
本論では「豊饒の海」論だけを飛ばし読みしましたが、それでもその全60項目を理解し、
メモしていくなんて、とても不可能であり・・・くどくどくど・・・
閑話休題
以下は目次にある「序論」と「豊饒の海」論(全60項目)のうち2項目だけと「結論」と
「あとがき」からだけの、じつにてきとーな読後メモです
「結論」にもありましたが本著の真骨頂は本文各論にある詳細に分析された作品内容と
その背景にある思想追及なので、少しでも興味を持たれた方は本書をご熟読くださいね
(いちおー著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
序論(9頁分)より
・4作品の各論で他の作品全般を論じ対談等での発言にも言及し伝記的事実も参照しており、
全体としては作家論となっているので「三島由紀夫論」とした
・三島の創作活動はおおよそ4期に区分できる
①「花ざかりの森」を発表した16歳から20歳の敗戦まで(1941~45)
⇒日本浪漫派界隈で天才少年としてデビュー、思春期、現人神、戦時中の死の緊張感、
②「仮面の告白」で再デビューした24歳から「鏡子の家」の34歳まで(1949~59)
⇒生きよう、戦後社会に適応しようと努めていた時期で結婚し生還を期さない特攻を否定、
③「宴のあと」からはじまる35歳から40歳まで(1960~65)
⇒文壇内外のトラブルで居場所を喪失し新たな主題にも取り組んだが深刻なスランプを自覚、
④「豊饒の海」執筆開始の41歳から「英霊の声」、自決に至る45歳まで(1966~70)
⇒「英霊の声」の反響に後押しされて急激に①の10代へ回帰、楯の会結成から死へ・・・
・この4つの作品論で描くのは①から④にかけての三島の生と死、思想の軌跡
・三島文学の愛読者は天皇主義者としての彼の行動には目を瞑り、その行動に賛同する三島の
賛美者は文学には目を向けず、メディアの寵児イメージは軽薄な姿と受け止められる
⇒しかし三島の思想がそれら個々に分裂し、排他的に完結していたわけではない
⇒言語によって生と死の全体を思想化しようとし、その思想と一致するよう行動したのが三島
・本書は著作を精読して作者の意図を考えるという反動的な方法だが(中略)三島由紀夫論
・本書の構成
①対の作品としての「仮面の告白」と「金閣寺」の論考
「仮面の告白」⇒「禁色」、「金閣寺」⇒「鏡子の家」という二系統で三島の戦後思想の基礎とし、
②第二期、第三期にあたる彼の30代を検討した後、
③第四期への転機のきっかけとなった「英霊の声」を論じる
④第一期から第三期までの仕事の集大成という観がある「豊饒の海」について、論考では
生と死を巡る三島の思想の限界と可能性を検討した
・「英霊の声」で第一期の少年時代(戦中)に回帰し政治思想運動を開始するが、この活動が
第四期の文武両道の「武」を担うとするなら「文」を担うのが「豊饒の海」
⇒「鏡子の家」の挫折後、三島は存在論への関心を深め、小説構成の野心としては「転生」を
物語の中心に据えつつ「唯識」を全編にわたる主題に定めた
・本書の構想から実現まで20年余を要し、この間に三島の生涯について多くの事実が知られる
こととなったが、それらが参照可能なので本書では生涯を仔細に辿ることはしない
・・・
で、膨大な資料から詳細に分析された各論(600頁分)を殆ど省略して
「豊饒の海」論・目次項目の4「日本文学小史と豊饒の海との構造的類似点」5頁分からのメモ
・ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」やユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」が
世界的ベストセラーになり数万年単位の歴史認識が教養化した今日、遺伝子研究による個人
の同一性、グローバル化、国際交流、資本主義とセットとなった音楽、映画、ファッションなどの
文化の世界的な流行などで、ナショナル・ヒストリーは相対化・脱中心化され、ナショナリズムの
足許は(反動的な高揚とは裏腹に)危うくなっている
⇒同じ人間という視点は双方向から私たちを人類というカテゴリーに還元しようとする
⇒こうした考え方に三島は当時から徹底して否定的だった
・三島は「人類共有の暗い巨大な岩層」を認め、その先に「底辺の国際主義」があると説明
⇒なるほど今日「底辺の国際主義」に積極的な価値を与えるとしても「日本文学」や「韓国文学」
といったカテゴリー自体が、ただちに無効になるわけではない
・「大衆社会は全てを呑み尽くす怪物で一国の民族の問題ではなく全世界的普遍的現象」とも批判
⇒「文化」と「文化意志以前」という積層型の構造を前提に下層を実体化し歴史的な持続に
委ねてしまっている
⇒上層は相対的に移ろいゆく文化であり、下層は「人類共有の暗い巨大な岩層」
⇒文化は各時代を特徴付ける文化意志でブロック化されるが、それは一貫した日本・日本人の
イメージからは乖離した多様性で提示され、その文化意志の特徴はしばしば輸入思想
・この時点では後の日本回帰は全く準備されてなかったはずで「文化的国家日本のアプローチ」
の限界に突き当たっていた(福田恆存や大島渚との対談より)
⇒殊に「豊饒の海」のために唯識の勉強に取りかかってからは、西洋思想と仏教思想を
取り除いて日本に何が残るのか、という焦燥が看て取れる
・言語活動は文化意志や日常的なおしゃべりの更に下層に設定されていて、それが解体されると
何も「ありはしない」非存在の最底辺の領域
⇒時間的に持続しているのは、その非存在と考えざるを得ない
⇒この構造は終戦を挟んで戦中・戦後を生きてきた三島という個人の生の持続に直結するもの
・・・
「豊饒の海」論・目次項目の40「10.21国際反戦デー以降の急進化」8頁分からのメモ
・三島は明治維新を担ったのが「不正規軍」であったことに共感している
⇒しかし明治政府が士族の反乱を恐れ鎮台を設置して「不正規軍」を徹底的に弾圧した結果、
排他的な正規軍思想になり中国の八路軍に対処する術がなく苦戦した、というのが彼の認識
・戦後、徴兵制がなくなり正規軍思想だけが残ったので国民と自衛隊(軍)との関係は絶たれ、
安保闘争での「非正規軍」としての全学連に手を焼くこととなった、
⇒そこで「非正規軍」に対処し国民と自衛隊を接合する祖国防衛隊の必要性を訴えた
⇒しかしそれは後の「戦士共同体」の夢想(略)とは著しくトーンが異なる
⇒この真の急進化は1968年後半以降で、それはまさしく「奔馬」の連載終盤から、
「暁の寺」の連載序盤にかけての時期だった
・祖国防衛隊から楯の会にかけて三島に共感し支援した自衛隊関係者もいた(略)
⇒1961年の閣僚暗殺計画(三無事件)とも接点があった一派が存在し、安保闘争が長期化すれば
治安出動に乗じたクーデター計画も燻っており、利用されたのが三島とする関係者も(略)
・祖国防衛隊は資金も隊員集めも叶わず、中核要員だけ、学生中心の楯の会へと変貌してゆく
⇒もともと三島が大規模な組織のマネージメントをできたとは思えないが・・・
・1968年「10.21国際反戦デー」新宿騒乱の渦中で情報収集訓練を行い刺激を受けている
⇒翌年に向けた行動が計画されたが、圧倒的に力を増した機動隊によって新左翼は一網打尽、
三島は深い失意を味わう
⇒65年不況から時代の雰囲気は70年万博景気により決定的に好転、三島が敵と見定めた
「共産主義が間接侵略で日本を乗っ取る」可能性はなくなり、自民党による統治は盤石となり、
彼は死の機会を逸してしまった
⇒これが三島の「実に実に実に不快だった」という言葉の真意とされてきた
・森田必勝は「奔馬」の飯沼勲さながらの要人暗殺質問を関係者にしており、楯の会は
自衛隊での実射訓練やボウガン訓練も画策していた
⇒自衛隊にも三島のシンパや批判者がいて「奔馬」の飯沼勲にも心境が反映されている
・70年11月25日の蹶起には「豊饒の海」完結や事件後に届く遺書など周到な計画が練られていたが、
69年10月21日の国際反戦デーに関しては事前準備の形跡がまるで見えない
⇒何より「豊饒の海」は「暁の寺」の途中で未完のまま残されることになっており、三島は
治安出動からクーデターへ持っていく計画をあきらめなかったが、楯の会の会員の殆どが
クーデターの実感を得られなかったとの証言もある
(三島裁判での古賀正義の証言⇒国際反戦デー後の会議では憲法改正意見には消極的だった)
・そもそも自衛隊治安出動の捨て石となってクーデター、憲法改正実現というのは、三島が
したかったことだろうか、それは彼の理想的な死たり得たのか・・・
・「檄」より
⇒国体を守るのは軍隊であり政体を守るのは警察である
⇒政体を警察力で守り切れない段階で軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の
本義を回復するであろう
⇒建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しない
・69年10月21日に治安出動の必要がなかったことは事実であり、自衛隊にとって決定的に
改憲の希望が断たれたこの日以降、自衛隊は自ら蹶起すべきだったと叱咤する
⇒「話が違う」と咎めているようにも聞こえる
・三島が新左翼を過大評価していたとの見方もあるが、彼が強調したのは「間接侵略」の
脅威であり、彼らの背後に巨大な共産主義国が控えるからこそ「身を挺して」向かうべき
敵に値するはずだった
・三島はなぜ「暁の寺」脱稿時に「実に実に実に不快だった」のか
⇒自衛隊内部にあったクーデター計画を実現可能とは考えていなかったのではないか
⇒凡そ実現可能性がないからこそ「身を挺する」に値したのだろう
⇒彼自身が覚悟を決めているのに肝心の自衛隊に裏切られ、憤ったのではあるまいか
・飯沼勲が急進化するのは、彼が軍人ではなく「一般の民草」で軍人のコピーだから
⇒この本物に憧れ過剰反応しようとする人間という主題は、三島のセクシュアリティを通じた
「男らしさ」への憧れ、徴兵されずに生き残った人間としての大義への憧れと一貫している
⇒清顕と勲、「たおやめぶり」と「ますらおぶり」
⇒自衛隊に楯の会を認めてもらえないという経験は、三島にとって二度目の徴兵検査落第で
あったかもしれない
・三島は単にクーデター計画が頓挫したから「実に実に実に不快だった」のではあるまい
⇒こうした状況下で奔走し、結局、半ば見放されたような格好で行動に移れず、その事実を
「小説執筆のための主体的選択」と自らに言い聞かせ続けていた状況に終わりが来たことを
そう表現したのではなかったか・・・
・・・
たまたま項目4は、わたくしが興味のある文化のグローバル化とナショナリズムについての
三島の見方が分析されてましたし(彼がダイアモンドやハラリ、アセモグルを知っていたら、
あるいは最新の文明研究の成果を知っていたら、どんな作品を書いたかと夢想しました)、
たまたま項目40は、事実からの論考が多くて分かりやすく、わたくしと同時代的な感覚も
あったので、てきとーにメモした次第です
他の項目でも三島の思想の背景にある思想、例えば仏教の唯識や転生などについての彼の誤解や
理解不足、あるいは当時の翻訳の精度など資料限界による間違った経典解釈などへの指摘、
アジアでの加害者としての意識欠落への指摘などもあり、読み込めばさらに深い内容なので
しょうが、わたくしの読解能力の限界と図書館の貸出期限もあり・・・
とーとつに・・・
結論(7頁分)より
・三島由紀夫の実存の根底には幾重にも折り重なった疎外感があった
⇒自分がいるはずの場所で自分が不在である現実を想像したであろう
⇒二層化された世界像は、その後の三島の一生を貫き「覗き」への拘りは屈折した現れ
・20世紀前半のヨーロッパの思想的潮流の影響(略)
・戦後の「生きたい」は孤立した生ではなく他者と生きることが前提で詩小説戯曲を書いた
⇒行動と創作は、自分が不在の場所(現実)への出現の欲望
⇒しかし30代後半から現実への幻滅を深め、理想の日本を追い求めてゆく
⇒世界の階層的構造を分析する一方で精神的には10代の戦争体験へ回帰していった
⇒政治化したが文学の多様性は最後まで失わなかった
・戦争から排除され生き残った者の苦悩と死の美化と小説執筆(略)
⇒戦後社会の「生命尊重」は資本主義への隷属であることを高度経済成長で痛感した
⇒共産主義を否定する彼にとって荷担せざるを得ないシステムであり対する批評は死のみ
⇒それを文化として実体化する存在が一度は決別したはずの天皇だった
⇒天皇に生の原理として期待したのは彼のセクシュアリティから(以下略)
・彼の社会への適応努力は民主主義への政治的適応でもなければ、資本主義への経済的適応
でもなく、創作活動か、マスメディアを介した大衆文化への適応
⇒両者は対極的だが、どちらも彼が求める他者からの承認を可能とする場所
・学生運動の激化を通じ戦後社会への適応ではなく批判による共同性に可能性を見いだそうとした
⇒しかし拠るところは共産主義ではなく、死と癒着した天皇主義だった
・三島は強さと弱さという単純に序列化された価値観に固執した
⇒現実への幻滅が強まるほど弱さから強さへ、少数の被圧迫者から少数の圧迫者へ
・創作を通じた言語による現実の価値化は「文武両道」で並行的に継続された
⇒「金閣寺」から「鏡子の家」でニヒリズムを極め、社会批判への不信から存在論的な不信へ
⇒「空」を言語で実体化した大乗仏教であり、唯識思想を「豊饒の海」の構造に適用した
⇒唯識思想に同意しなかったのは、それが言語による世界認識を徹底的に否定するため
⇒三島にとって言葉はどれほど虚無に浸食されようと、その極限で実在を保ち続けている何か
⇒それが最後まで小説家を断念しなかった理由
・三島が興味を寄せたのは唯識の教義より「空」を目指す自己否定の言語化というあり方で
その意味で「豊饒の海」のあり方は相似形を成している
⇒しかし放火前の金閣寺がそうであったように、最後の崩壊の瞬間には言語の構築物として
その存在が疑うべくもなく価値化され、輝きを放つべきであった
・死は虚無に呑み込まれそうになりながら運動し続ける彼に生の絶頂を約束するもの
⇒最後に叫んだ「天皇陛下万歳」は政治的主張であり彼が20歳の時に大義による死とともに
叫びそこなった言葉
⇒一人の人間の存在の全体性が託された言葉で、表向きの大義のみならず彼が生涯、抑圧
されつつ生きてきたエロティシズムをも同時に顕現させようとするものだった
⇒一生を象徴するためには不十分で不適当とさえ思われる言葉
⇒しかしそれしか口にされようがない言葉であり、その歴史的事実もまた、三島が死によって
体現したことの一つだった
・結論は作家論的に要約されたが本書の意義は作品論としての各ページの細部にこそある
と信じたい
あとがき(12頁分)より
・10代の頃に読んだ「金閣寺」ほど衝撃を受けた本はない
⇒三島作品に夢中になって以後、読書で知る三島像と人から聞く三島像の違いに気づいた
⇒日記や読書録で三島を「カッコいい」と思うようになった
⇒三島作品と三島が影響を受けた作品を読み続け、小説とは相互に有機的に結び合った、
広大な「文学の森(ボルヘス)」の一部ということを実感とともに理解した
・三島への最も強い共感は、彼が戦後社会に抱いていたニヒリズムの感覚であり、それを
表現する思想的で美的な文体だった
⇒境遇も時代も違うのに、痛切に「わかる」と読者が感じるのが文学
⇒自己と世界、両方の実在の不確かさに苦しみ、世界崩壊を信じ社会から孤立する人物たち
⇒いよいよ自分に近しい存在と感じられていった
・「日蝕」で文壇デビューして以来、三島由紀夫の再来とか三島と比較されることがよくある
⇒三島好きで強いシンパシーを感じていることは公言している
・本書は三島と私との長い長い対話の産物
⇒作者の意図の追求という、ほとんど反動的な態度は「到達不可能なもの」への運動という
意味で三島的ともいえるが、到達可能な他者ネットワーク「文学の森」が存在する
・私自身は三島に圧倒的な影響を受けつつ、その思想を批判的に克服する上で、やはり
アイデンティティの捉え方を梃子にした
⇒個人と対応する一なる存在(日本/天皇)への帰属を本質主義的に求めるのか、対人関係毎に
分化した主体(分人)と他者との相互依存関係を重視するのかが、その最大の相違点
・分人主義の構想に於ける三島の死に方への問い(略)
(本書を自己の思想の展開の場にはしたくなかった)
・最後の行動に至る軌跡(略)
・三島の楯の会会員への遺書
「あれほど左翼学生の行動責任のなさを弾劾してきた小生としては、とるべき道は一つでした」
⇒(あえて無体なことを言うなら)
⇒私は、もし本書を三島が読んだなら、自殺を踏み止まったかもしれないという一念で
これを書いたのである
⇒私はやはり三島という人に会って話をしてみたかった
・・・
結論の末尾にもありましたが、確かに本書の意義は作品論としての各ページの細部にあり、
目次を見ても明らかなように、まさに全作品を精読熟読し、その背景をじつに念入りに
探っていくという作家論で、序論や結論だけ読み飛ばしても理解できないのですが、
不思議な感動の記憶が残っている「豊饒の海」について、少しは納得できたかもです
三島作品や彼の作品に影響を受けた作品に興味のある方には必読の書ですね

三島由紀夫論であります
今年は三島由紀夫の生誕100年にあたるそうですが、それとは関係なく・・・
以前紹介したこちらの小説を薦めてくれた知人が、この著者の小説も薦めてくれたのですが、
わたくし純文学の世界は苦手、小説なら芥川賞作家のより直木賞作家のほうが・・・

つーことで、昔から不思議な読後感が残っている三島作品について、その再来とも言われる
この著者の作品論・作家論を選んでみた次第
裏表紙カバーにあった惹句

そう、実証性に裏づけられた透徹した分析と考察、実作者ならではの理解によって解明する、
「決定的三島論」であります
表表紙カバー裏にあった著者紹介

1999年に当時史上最年少で芥川賞を受賞されてたんですね
奥付

目次



ちなみに、
「仮面の告白」論は新潮2015年2月号、
「金閣寺」論は群像2005年12月号、
「英霊の声」論は文學界2000年11月号、
「豊饒の海」論は新潮2020年12月号~2021年11月号に、
それぞれ初出とあり23年間を要して書き上げた、本文だけでも600頁を超える大作で、
その後半300頁以上が「豊饒の海」論になってました
わたくし上記作品の中では「金閣寺」の文庫本と「豊饒の海」の単行本(全巻箱入初版本!!!)が
実家にあるので読んでるはずですが、読んだのは半世紀以上前で記憶は殆ど消え去ってます
(「金閣寺」の映画化作品「炎上」(1958)は最近テレビで視聴したけど記憶が・・・
)ただし「午後の曳航」など他の作品も含め、なぜか物語のワンシーンだけが画像として
脳裏に焼き付いているようなのでありますね
実際の風景や人物、風景写真や人物写真、風景画や人物画を眺めてて、ふと小説の中の
ワンシーンが蘇ってくることもあり、これが三島作品の文章表現のなせる技なのかと・・・
例えば水に浮かぶ寺院とか宮殿とか、高台から望む港とか残照とか、はたまた人物でいえば、
庭に遊ぶお姫様とか窓辺に佇む美貌の未亡人とか焚火に映える少女とか彷徨う老紳士とかで、
小説のワンシーンが、映像作品を観たわけでもないのに浮かぶことがあります
(「金閣寺」も映画作品とは異なる寺や炎上シーンが何となく脳裏に残ってます)
画像と文章では記憶・認識する脳の領域も異なるはずなんですが不思議な話です
いっぽう本書は最低でも上記4作品の内容をしっかりと記憶している前提で書かれており、
著者の文章構成も文体も三島作品の影響なのか相当に高度なので、その論考をある程度でも
理解するには、まず作品を再読した上で本書を丹念に読み解いていく必要があります
とーぜん、今のわたくしにそんな気力はないので、全てを読み解くのはあきらめて・・・
本論では「豊饒の海」論だけを飛ばし読みしましたが、それでもその全60項目を理解し、
メモしていくなんて、とても不可能であり・・・くどくどくど・・・
閑話休題
以下は目次にある「序論」と「豊饒の海」論(全60項目)のうち2項目だけと「結論」と
「あとがき」からだけの、じつにてきとーな読後メモです

「結論」にもありましたが本著の真骨頂は本文各論にある詳細に分析された作品内容と
その背景にある思想追及なので、少しでも興味を持たれた方は本書をご熟読くださいね
(いちおー著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
序論(9頁分)より
・4作品の各論で他の作品全般を論じ対談等での発言にも言及し伝記的事実も参照しており、
全体としては作家論となっているので「三島由紀夫論」とした
・三島の創作活動はおおよそ4期に区分できる
①「花ざかりの森」を発表した16歳から20歳の敗戦まで(1941~45)
⇒日本浪漫派界隈で天才少年としてデビュー、思春期、現人神、戦時中の死の緊張感、
②「仮面の告白」で再デビューした24歳から「鏡子の家」の34歳まで(1949~59)
⇒生きよう、戦後社会に適応しようと努めていた時期で結婚し生還を期さない特攻を否定、
③「宴のあと」からはじまる35歳から40歳まで(1960~65)
⇒文壇内外のトラブルで居場所を喪失し新たな主題にも取り組んだが深刻なスランプを自覚、
④「豊饒の海」執筆開始の41歳から「英霊の声」、自決に至る45歳まで(1966~70)
⇒「英霊の声」の反響に後押しされて急激に①の10代へ回帰、楯の会結成から死へ・・・
・この4つの作品論で描くのは①から④にかけての三島の生と死、思想の軌跡
・三島文学の愛読者は天皇主義者としての彼の行動には目を瞑り、その行動に賛同する三島の
賛美者は文学には目を向けず、メディアの寵児イメージは軽薄な姿と受け止められる
⇒しかし三島の思想がそれら個々に分裂し、排他的に完結していたわけではない
⇒言語によって生と死の全体を思想化しようとし、その思想と一致するよう行動したのが三島
・本書は著作を精読して作者の意図を考えるという反動的な方法だが(中略)三島由紀夫論
・本書の構成
①対の作品としての「仮面の告白」と「金閣寺」の論考
「仮面の告白」⇒「禁色」、「金閣寺」⇒「鏡子の家」という二系統で三島の戦後思想の基礎とし、
②第二期、第三期にあたる彼の30代を検討した後、
③第四期への転機のきっかけとなった「英霊の声」を論じる
④第一期から第三期までの仕事の集大成という観がある「豊饒の海」について、論考では
生と死を巡る三島の思想の限界と可能性を検討した
・「英霊の声」で第一期の少年時代(戦中)に回帰し政治思想運動を開始するが、この活動が
第四期の文武両道の「武」を担うとするなら「文」を担うのが「豊饒の海」
⇒「鏡子の家」の挫折後、三島は存在論への関心を深め、小説構成の野心としては「転生」を
物語の中心に据えつつ「唯識」を全編にわたる主題に定めた
・本書の構想から実現まで20年余を要し、この間に三島の生涯について多くの事実が知られる
こととなったが、それらが参照可能なので本書では生涯を仔細に辿ることはしない
・・・
で、膨大な資料から詳細に分析された各論(600頁分)を殆ど省略して

「豊饒の海」論・目次項目の4「日本文学小史と豊饒の海との構造的類似点」5頁分からのメモ
・ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」やユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」が
世界的ベストセラーになり数万年単位の歴史認識が教養化した今日、遺伝子研究による個人
の同一性、グローバル化、国際交流、資本主義とセットとなった音楽、映画、ファッションなどの
文化の世界的な流行などで、ナショナル・ヒストリーは相対化・脱中心化され、ナショナリズムの
足許は(反動的な高揚とは裏腹に)危うくなっている
⇒同じ人間という視点は双方向から私たちを人類というカテゴリーに還元しようとする
⇒こうした考え方に三島は当時から徹底して否定的だった
・三島は「人類共有の暗い巨大な岩層」を認め、その先に「底辺の国際主義」があると説明
⇒なるほど今日「底辺の国際主義」に積極的な価値を与えるとしても「日本文学」や「韓国文学」
といったカテゴリー自体が、ただちに無効になるわけではない
・「大衆社会は全てを呑み尽くす怪物で一国の民族の問題ではなく全世界的普遍的現象」とも批判
⇒「文化」と「文化意志以前」という積層型の構造を前提に下層を実体化し歴史的な持続に
委ねてしまっている
⇒上層は相対的に移ろいゆく文化であり、下層は「人類共有の暗い巨大な岩層」
⇒文化は各時代を特徴付ける文化意志でブロック化されるが、それは一貫した日本・日本人の
イメージからは乖離した多様性で提示され、その文化意志の特徴はしばしば輸入思想
・この時点では後の日本回帰は全く準備されてなかったはずで「文化的国家日本のアプローチ」
の限界に突き当たっていた(福田恆存や大島渚との対談より)
⇒殊に「豊饒の海」のために唯識の勉強に取りかかってからは、西洋思想と仏教思想を
取り除いて日本に何が残るのか、という焦燥が看て取れる
・言語活動は文化意志や日常的なおしゃべりの更に下層に設定されていて、それが解体されると
何も「ありはしない」非存在の最底辺の領域
⇒時間的に持続しているのは、その非存在と考えざるを得ない
⇒この構造は終戦を挟んで戦中・戦後を生きてきた三島という個人の生の持続に直結するもの
・・・
「豊饒の海」論・目次項目の40「10.21国際反戦デー以降の急進化」8頁分からのメモ
・三島は明治維新を担ったのが「不正規軍」であったことに共感している
⇒しかし明治政府が士族の反乱を恐れ鎮台を設置して「不正規軍」を徹底的に弾圧した結果、
排他的な正規軍思想になり中国の八路軍に対処する術がなく苦戦した、というのが彼の認識
・戦後、徴兵制がなくなり正規軍思想だけが残ったので国民と自衛隊(軍)との関係は絶たれ、
安保闘争での「非正規軍」としての全学連に手を焼くこととなった、
⇒そこで「非正規軍」に対処し国民と自衛隊を接合する祖国防衛隊の必要性を訴えた
⇒しかしそれは後の「戦士共同体」の夢想(略)とは著しくトーンが異なる
⇒この真の急進化は1968年後半以降で、それはまさしく「奔馬」の連載終盤から、
「暁の寺」の連載序盤にかけての時期だった
・祖国防衛隊から楯の会にかけて三島に共感し支援した自衛隊関係者もいた(略)
⇒1961年の閣僚暗殺計画(三無事件)とも接点があった一派が存在し、安保闘争が長期化すれば
治安出動に乗じたクーデター計画も燻っており、利用されたのが三島とする関係者も(略)
・祖国防衛隊は資金も隊員集めも叶わず、中核要員だけ、学生中心の楯の会へと変貌してゆく
⇒もともと三島が大規模な組織のマネージメントをできたとは思えないが・・・
・1968年「10.21国際反戦デー」新宿騒乱の渦中で情報収集訓練を行い刺激を受けている
⇒翌年に向けた行動が計画されたが、圧倒的に力を増した機動隊によって新左翼は一網打尽、
三島は深い失意を味わう
⇒65年不況から時代の雰囲気は70年万博景気により決定的に好転、三島が敵と見定めた
「共産主義が間接侵略で日本を乗っ取る」可能性はなくなり、自民党による統治は盤石となり、
彼は死の機会を逸してしまった
⇒これが三島の「実に実に実に不快だった」という言葉の真意とされてきた
・森田必勝は「奔馬」の飯沼勲さながらの要人暗殺質問を関係者にしており、楯の会は
自衛隊での実射訓練やボウガン訓練も画策していた
⇒自衛隊にも三島のシンパや批判者がいて「奔馬」の飯沼勲にも心境が反映されている
・70年11月25日の蹶起には「豊饒の海」完結や事件後に届く遺書など周到な計画が練られていたが、
69年10月21日の国際反戦デーに関しては事前準備の形跡がまるで見えない
⇒何より「豊饒の海」は「暁の寺」の途中で未完のまま残されることになっており、三島は
治安出動からクーデターへ持っていく計画をあきらめなかったが、楯の会の会員の殆どが
クーデターの実感を得られなかったとの証言もある
(三島裁判での古賀正義の証言⇒国際反戦デー後の会議では憲法改正意見には消極的だった)
・そもそも自衛隊治安出動の捨て石となってクーデター、憲法改正実現というのは、三島が
したかったことだろうか、それは彼の理想的な死たり得たのか・・・
・「檄」より
⇒国体を守るのは軍隊であり政体を守るのは警察である
⇒政体を警察力で守り切れない段階で軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の
本義を回復するであろう
⇒建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しない
・69年10月21日に治安出動の必要がなかったことは事実であり、自衛隊にとって決定的に
改憲の希望が断たれたこの日以降、自衛隊は自ら蹶起すべきだったと叱咤する
⇒「話が違う」と咎めているようにも聞こえる
・三島が新左翼を過大評価していたとの見方もあるが、彼が強調したのは「間接侵略」の
脅威であり、彼らの背後に巨大な共産主義国が控えるからこそ「身を挺して」向かうべき
敵に値するはずだった
・三島はなぜ「暁の寺」脱稿時に「実に実に実に不快だった」のか
⇒自衛隊内部にあったクーデター計画を実現可能とは考えていなかったのではないか
⇒凡そ実現可能性がないからこそ「身を挺する」に値したのだろう
⇒彼自身が覚悟を決めているのに肝心の自衛隊に裏切られ、憤ったのではあるまいか
・飯沼勲が急進化するのは、彼が軍人ではなく「一般の民草」で軍人のコピーだから
⇒この本物に憧れ過剰反応しようとする人間という主題は、三島のセクシュアリティを通じた
「男らしさ」への憧れ、徴兵されずに生き残った人間としての大義への憧れと一貫している
⇒清顕と勲、「たおやめぶり」と「ますらおぶり」
⇒自衛隊に楯の会を認めてもらえないという経験は、三島にとって二度目の徴兵検査落第で
あったかもしれない
・三島は単にクーデター計画が頓挫したから「実に実に実に不快だった」のではあるまい
⇒こうした状況下で奔走し、結局、半ば見放されたような格好で行動に移れず、その事実を
「小説執筆のための主体的選択」と自らに言い聞かせ続けていた状況に終わりが来たことを
そう表現したのではなかったか・・・
・・・
たまたま項目4は、わたくしが興味のある文化のグローバル化とナショナリズムについての
三島の見方が分析されてましたし(彼がダイアモンドやハラリ、アセモグルを知っていたら、
あるいは最新の文明研究の成果を知っていたら、どんな作品を書いたかと夢想しました)、
たまたま項目40は、事実からの論考が多くて分かりやすく、わたくしと同時代的な感覚も
あったので、てきとーにメモした次第です
他の項目でも三島の思想の背景にある思想、例えば仏教の唯識や転生などについての彼の誤解や
理解不足、あるいは当時の翻訳の精度など資料限界による間違った経典解釈などへの指摘、
アジアでの加害者としての意識欠落への指摘などもあり、読み込めばさらに深い内容なので
しょうが、わたくしの読解能力の限界と図書館の貸出期限もあり・・・
とーとつに・・・

結論(7頁分)より
・三島由紀夫の実存の根底には幾重にも折り重なった疎外感があった
⇒自分がいるはずの場所で自分が不在である現実を想像したであろう
⇒二層化された世界像は、その後の三島の一生を貫き「覗き」への拘りは屈折した現れ
・20世紀前半のヨーロッパの思想的潮流の影響(略)
・戦後の「生きたい」は孤立した生ではなく他者と生きることが前提で詩小説戯曲を書いた
⇒行動と創作は、自分が不在の場所(現実)への出現の欲望
⇒しかし30代後半から現実への幻滅を深め、理想の日本を追い求めてゆく
⇒世界の階層的構造を分析する一方で精神的には10代の戦争体験へ回帰していった
⇒政治化したが文学の多様性は最後まで失わなかった
・戦争から排除され生き残った者の苦悩と死の美化と小説執筆(略)
⇒戦後社会の「生命尊重」は資本主義への隷属であることを高度経済成長で痛感した
⇒共産主義を否定する彼にとって荷担せざるを得ないシステムであり対する批評は死のみ
⇒それを文化として実体化する存在が一度は決別したはずの天皇だった
⇒天皇に生の原理として期待したのは彼のセクシュアリティから(以下略)
・彼の社会への適応努力は民主主義への政治的適応でもなければ、資本主義への経済的適応
でもなく、創作活動か、マスメディアを介した大衆文化への適応
⇒両者は対極的だが、どちらも彼が求める他者からの承認を可能とする場所
・学生運動の激化を通じ戦後社会への適応ではなく批判による共同性に可能性を見いだそうとした
⇒しかし拠るところは共産主義ではなく、死と癒着した天皇主義だった
・三島は強さと弱さという単純に序列化された価値観に固執した
⇒現実への幻滅が強まるほど弱さから強さへ、少数の被圧迫者から少数の圧迫者へ
・創作を通じた言語による現実の価値化は「文武両道」で並行的に継続された
⇒「金閣寺」から「鏡子の家」でニヒリズムを極め、社会批判への不信から存在論的な不信へ
⇒「空」を言語で実体化した大乗仏教であり、唯識思想を「豊饒の海」の構造に適用した
⇒唯識思想に同意しなかったのは、それが言語による世界認識を徹底的に否定するため
⇒三島にとって言葉はどれほど虚無に浸食されようと、その極限で実在を保ち続けている何か
⇒それが最後まで小説家を断念しなかった理由
・三島が興味を寄せたのは唯識の教義より「空」を目指す自己否定の言語化というあり方で
その意味で「豊饒の海」のあり方は相似形を成している
⇒しかし放火前の金閣寺がそうであったように、最後の崩壊の瞬間には言語の構築物として
その存在が疑うべくもなく価値化され、輝きを放つべきであった
・死は虚無に呑み込まれそうになりながら運動し続ける彼に生の絶頂を約束するもの
⇒最後に叫んだ「天皇陛下万歳」は政治的主張であり彼が20歳の時に大義による死とともに
叫びそこなった言葉
⇒一人の人間の存在の全体性が託された言葉で、表向きの大義のみならず彼が生涯、抑圧
されつつ生きてきたエロティシズムをも同時に顕現させようとするものだった
⇒一生を象徴するためには不十分で不適当とさえ思われる言葉
⇒しかしそれしか口にされようがない言葉であり、その歴史的事実もまた、三島が死によって
体現したことの一つだった
・結論は作家論的に要約されたが本書の意義は作品論としての各ページの細部にこそある
と信じたい
あとがき(12頁分)より
・10代の頃に読んだ「金閣寺」ほど衝撃を受けた本はない
⇒三島作品に夢中になって以後、読書で知る三島像と人から聞く三島像の違いに気づいた
⇒日記や読書録で三島を「カッコいい」と思うようになった
⇒三島作品と三島が影響を受けた作品を読み続け、小説とは相互に有機的に結び合った、
広大な「文学の森(ボルヘス)」の一部ということを実感とともに理解した
・三島への最も強い共感は、彼が戦後社会に抱いていたニヒリズムの感覚であり、それを
表現する思想的で美的な文体だった
⇒境遇も時代も違うのに、痛切に「わかる」と読者が感じるのが文学
⇒自己と世界、両方の実在の不確かさに苦しみ、世界崩壊を信じ社会から孤立する人物たち
⇒いよいよ自分に近しい存在と感じられていった
・「日蝕」で文壇デビューして以来、三島由紀夫の再来とか三島と比較されることがよくある
⇒三島好きで強いシンパシーを感じていることは公言している
・本書は三島と私との長い長い対話の産物
⇒作者の意図の追求という、ほとんど反動的な態度は「到達不可能なもの」への運動という
意味で三島的ともいえるが、到達可能な他者ネットワーク「文学の森」が存在する
・私自身は三島に圧倒的な影響を受けつつ、その思想を批判的に克服する上で、やはり
アイデンティティの捉え方を梃子にした
⇒個人と対応する一なる存在(日本/天皇)への帰属を本質主義的に求めるのか、対人関係毎に
分化した主体(分人)と他者との相互依存関係を重視するのかが、その最大の相違点
・分人主義の構想に於ける三島の死に方への問い(略)
(本書を自己の思想の展開の場にはしたくなかった)
・最後の行動に至る軌跡(略)
・三島の楯の会会員への遺書
「あれほど左翼学生の行動責任のなさを弾劾してきた小生としては、とるべき道は一つでした」
⇒(あえて無体なことを言うなら)
⇒私は、もし本書を三島が読んだなら、自殺を踏み止まったかもしれないという一念で
これを書いたのである
⇒私はやはり三島という人に会って話をしてみたかった
・・・
結論の末尾にもありましたが、確かに本書の意義は作品論としての各ページの細部にあり、
目次を見ても明らかなように、まさに全作品を精読熟読し、その背景をじつに念入りに
探っていくという作家論で、序論や結論だけ読み飛ばしても理解できないのですが、
不思議な感動の記憶が残っている「豊饒の海」について、少しは納得できたかもです
三島作品や彼の作品に影響を受けた作品に興味のある方には必読の書ですね
2025年08月10日
技術革新と不平等の1000年史(下巻)
とーとつ・・・でもありませんが・・・
「技術革新と不平等の1000年史」(下巻)の読書メモであります
ま、上巻記事と同じく、じつにてきとーなメモでしゅが・・・
下巻の表紙

下巻の惹句

下巻の奥付

下巻の目次

著者の略歴については上巻記事をご覧いただくとして、お二人は2023年の本書刊行後、
2024年にノーベル経済学賞を受賞されてますね
以下は思いつくままの個人メモなので正しくは本書をお読みください
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
第7章「争い多き道」より
・20世紀が始まってからの70年間は、戦争や大恐慌など大きな逆転はあったものの、
新テクノロジーと労働者による対抗勢力と政府の規制を支える制度的構造により、
急成長の恩恵をほぼあらゆる階層が被った
⇒電力など新テクノロジーによる低コスト大量生産が新しい需要と仕事を生んだ
⇒労働者としては給与が上がり、消費者としては同じ金額で多くが買えるようになった
⇒これが生産性バンドワゴン
・アメリカ製造業における経営者とエンジニアを含むホワイトカラーの割合
⇒1860年で3%、1910年で13%、1940年で労働者の21%に
・フォードT型の例(略)⇒様々な職種・業種で新たな仕事を生んだ
・1938年以降のスウェーデンの例⇒世界有数の平等国家に(略)
・アメリカ・ニューディール政策の例(略)
・オートメーション化が進んでも1970年代初頭までは、どのスキルの労働者の需要も増加した
⇒自動交換になったベル電話会社の交換手は拡大するサービスや事業所で失業しなかった
・1960年のGMと組合との数値制御機械オペレーター裁判の例
⇒新機械のオペレーターには追加トレーニングを受け高い賃金を受け取る権利があるとの裁定
・西海岸のコンテナ導入と港湾労働組合の例
⇒東海岸では多くの港湾労働者が失業したが西海岸の組合はコンテナやクレーン導入を推進、
輸送量の増加に伴う新しい労働機会を要求し獲得していった
⇒肉体労働からクレーン操作などへ⇒中等教育があったから可能だった
・1970年までは生産性向上が平均賃金の上昇、様々なスキルグループの収入増につながっていた
(新しい業界では生産性の向上に伴いスキルの低い労働者の需要も増えた)
・戦後ヨーロッパのテクノロジーの方向性も同じだったので繁栄した
・第二次世界大戦後の数十年ほど急速に繁栄し、その繁栄が共有された時代はない
⇒女性、マイノリティ(特にアメリカ黒人)、移民は排除されていたが、排除された最大の集団は
ヨーロッパと北米の外側だった
(長期雇用・高賃金の日本や、民主化後・労働組合の韓国などは例外的に繁栄を共有できた)
・アメリカの戦後の繁栄を共有する経済モデルが攻撃されはじめ、テクノロジーの方向性が
さらなる自動化に向かうと、勢力が労働者と政府規制から離れ繁栄の共有が瓦解していく
⇒第8章「デジタル・ダメージ」へ
第8章「デジタル・ダメージ」より
・1960年頃からのハッカー倫理
⇒情報を支配し官僚化するIBMや権力に対抗した「分散化と自由」
⇒コンピューターへのアクセスは完全に自由で無制限であるべき
・彼らのテクノロジーなら大企業への対抗勢力が強化され、繁栄が共有されるはず、
と予測するのが合理的だが、結果は全く逆だった
⇒デジタル・テクノロジーにより賃金・国民所得の労働分配率は低下、賃金格差は拡大した
(グローバリゼーションや労働運動の弱体化などの要因もあるが、デジタル・テクノロジーが
仕事を自動化したせいで労働は資本に対して、低スキル者は大卒以上者に対して、不利になった)
・利益と株主価値の最大化こそが公益につながるとする新しいビジョン
⇒これが社会の大半の組織化原理となった
⇒このビジョンがもたらす膨大な富がテクノロジー・コミュニティを違う方向へ押しやった
⇒新しいビジョンはデジタル・ユートピアのビジョンであり、それを支えていたのは労働を
自動化して支配するソフトウェアのトップダウン設計だった
⇒結果は格差を生み出し生産性の向上も果たせなかった
⇒1980年以降、格差は労働者間だけでなく、不公平はあらゆる方面で増大した
・20世紀の殆どは国民所得の67~70%が労働者に渡ったが1980年代以降は資本側に改善、
2019年の労働分配率は60%を割った
⇒人件費の削減が最優先となり、組合のない工場へ、海外へ、アウトソーシングへ
⇒多くの低技能業務を安い外部業者にアウトソーシングしてコストを削減
⇒大企業の低技能労働者は賃金上昇のチャンネルを断ち切られた
・この方向性によりデジタルメニューがさらに自動化に移行し労働者から離れていった
⇒アメリカ経済の生産力(労働者一人あたり生産量)は増加しても、労働者の限界生産力
(追加の労働時間によって増加する生産量)は追随しなかった
・繁栄の共有は自動化で破壊されたのではなく、それを最優先にして労働者の新しい仕事創出を
蔑ろにした、バランスの悪いテクノロジー・ポートフォリオによって破壊された
⇒戦後数十年も自動化は加速したが労働需要を高めるテクノロジー変化でバランスがとれていた
⇒1980年以降、新しい仕事とテクノロジーが減っていった
⇒製造業の労働分配率は1985年の65%から2010年には46%に下落した
⇒アメリカ労働者の中流階級職(工場ブルーカラーやオフィス事務)の割合は1970年代に52%、
2018年には33%に下がり、彼らは建設清掃調理などの低賃金職へ、それらも自動化で消滅した
・低賃金国との競争は雇用を減らして賃金を抑えたが、格差の要因はテクノロジー変化の方向性
・「テクノロジー格差は避けがたいがグローバリゼーションは調整できる」という二分法
⇒これは誤りで切り離せないもの⇒デジタル・ツールでしかグローバル化できないから
⇒相乗効果で人件費を削減、1980年以降は職場も政治も対抗勢力が欠如しており助長した
⇒ほぼすべての先進国でブルーカラーと事務職の仕事が減った
⇒原因は西側諸国の制度的変化と新たなユートピア的デジタル・ビジョン
・1965年ラルフ・ネーダーの消費者保護運動
⇒様々な安全衛生機関の設置、独占企業の規制、雇用差別撤廃へ
⇒殆どが共和党ニクソン政権で実施された⇒ニューディール政策を維持した
・1953年のGM社長の(大量の株式を保有したままの)国防長官就任時の格言
⇒「国によいことはGMにもよいことで、その逆も同じ」
⇒これが1980年代にはありふれたものになった⇒1930年代からの180度転換
⇒「企業に有利になるようにルールを変えることは全ての人を助ける最善の方法」
⇒「富裕層の税金を減らせば投資が増えて生産性が向上し社会に貢献する」
⇒トリクルダウン経済⇒レーガンの経済政策に
⇒政府が規制しなくても消費者はより優れた製品を選ぶはず⇒これは理想化された市場が前提
・ケインズから反転⇒ハイエク⇒スティグラーとフリードマン⇒ジェンセンの修正案へ
⇒1970年の「フリードマン・ドクトリン」
⇒企業の社会的責任は利益を出し株主に高い配当を生み出すこと
⇒企業の株価を上げさせるため経営陣に巨額のボーナスとストックオプションを与える
⇒CEOは株主にのみ社会的責任を負う⇒労働者に高い賃金を払う義務はない
・経営者のプロ化のはじまりは1970年代のビジネススクール修了者から
⇒上場企業CEOに占める修了者の割合は1980年で25%、2020年で43%を超えた
⇒彼らはフリードマン・ドクトリンを実践し賃金を削減したが当初は主流ではなかった
⇒1973年のオイルショックとスタグフレーションで一変して主流になった
⇒1964年にゴールドウォーターが提唱した規制撤廃などを1979年にレーガンが肯定した
・1976年に設立されたマン経済研究所
⇒多くの裁判官への経済学研修はフリードマン・スティグラー・ボークの特殊な思想によった
⇒研修を修了した裁判官らは一貫して規制当局や独占禁止法に反対する判決を出しはじめた
・1982年に設立されたフェデラリスト協会
⇒反規制企業幹部からの献金で反規制派の法学生・裁判官・最高裁判事を育成した
⇒現在の最高裁判事のうち6人が修了生
・大企業の市場支配力はライバル出現を阻止し経営幹部と株主を富ませる
⇒超巨大企業による独占は豊かな株主をさらに豊かにして格差を増幅する
⇒利益を従業員と分け合うこともあったが制度的変化で労働者の力が衰退した
・アメリカとドイツの労働組合の違い(企業単位と業界単位)
・1981年レーガンの航空管制組合への介入・スト職員解雇⇒これに民間企業が続いた
・アメリカ労働組合の低下理由は、
⇒企業と政治家の反組合姿勢が強硬になったこと
⇒組合がしっかりしていた製造セクターでの雇用が減少したこと
・1979年サッチャーの規制緩和優先・企業支持によりイギリスの組合も大半を失った
・人件費の削減にはデジタル・テクノロジーが不可欠だった
⇒効率的なソフトウェアにより熟練を要しない多くの仕事を自動化または削減できる
⇒1980年代からバックオフィスの仕事が急速に自動化され低スキル事務職が減少していく
⇒1990年代には製造業でロボットが急速に普及しブルーカラーが激減していく
(1980年代に遅れたのは日本やドイツのような人口減少圧力がなかったから)
・ドイツや日本などのソフトウェアツール・ロボット化は当初はアメリカと全く異なった
⇒ドイツでは組合交渉による再訓練・再配置と、そのためのソフトウェア開発
⇒ソフトウェアによる問題検出などで労働者による限界生産性は着実に上昇した
(ドイツは戦後の労働者不足が続きスキルへの投資で労働者の能力を活用した)
⇒日本は柔軟な生産を重視し完全自動化せず、従業員のための複雑で高賃金の仕事を作った
(日本は労働人口の減少に直面していた)
⇒北欧でも団体交渉により労働者に有利なテクノロジーとの組み合わせを導入した
・その後フリードマン・ドクトリンとコスト削減のためのデジタル・ツール利用の考え方は、
ビジネススクール出身の経営者・経営コンサルティングによって世界中の企業に広まり、
基本的にすべての先進国でブルーカラーや事務職の割合を低下させた
⇒このアメリカの進歩の方向性が世界中に重大な影響を及ぼした
・1980年代に登場した新しいデジタル・ビジョン
⇒フリードマン・ドクトリンに根ざした人件費削減とハッカー倫理を結びつけたもの
⇒エリート主義的なアプローチが業界を支配し経済格差を正当化する
・生産性バンドワゴンが機能しにくくなるのは、
①雇用主の力が従業員の力より強すぎるとき
②テクノロジーが労働者に不利な方向に進んでいるとき
③生産性向上が他のセクターの雇用拡大につながらないとき
・過去数十年、毎日新製品やアプリが提供されているのに共有すべき生産性は鈍化している
⇒1960年代70年代の電話やテレビは壊れるまで何十年と使っていた
⇒今は数年ごとに電子機器を買い替えるのに投資に対する利益はごく少ない
・トヨタGMのカリフォルニア州フリーモント工場の成功例(略)
(つい最近、イーロン・マスクもテスラの全自動化工場で同じ教訓を学んだ)
・業界リーダーから押しつけられたデジタル・ソリューションは、公共の利益にかなうと
されたが、大半の労働者は仕事と生活手段を失ってしまった
⇒デジタル・テクノロジーを発展させる方法はほかにもあった
⇒初期のハッカーたちは異なるビジョンに導かれ大企業からフロンティアを奪い取った
・テクノロジーの偏向は間違いなく選択されたもので、しかも社会的に構築された選択だった
⇒その後の新しいツールにより事態がはるかに悪くなりはじめた⇒人工知能AI
第9章「人工闘争」より
・「起業家が主導する(知能機械を含む)新しいテクノロジーから必然的に恩恵が得られる」
⇒本章ではこのビジョンがレセップスの運河理念と同じ幻想であることを論じる
・テクノロジーの方向性を考える際に重要なのは、そのテクノロジーが人間の目的にとって
どれだけ役立つかということであり、これを「MU(機械有用性)」とする
⇒これまでの歴史は高い機械有用性を備えた画期的イノベーションを生んできた
⇒機械知能への心酔は大規模データ収集と労働者や市民の無力化、仕事の自動化競争になるだけ
・コンピュータもジャガード織機と同じでプログラマーに指定されたとおり実行するもの
⇒対する人工知能の合意された定義はないが、現在あらゆる領域に適用されている
・ソフトウェアと機械はさまざまなルーチン業務を自動化してきた
⇒人間の業務のうちルーチンは一握りで大半は問題解決を必要とする
⇒AIはルーチン業務以外でも予測可能な業務ならできるようになった
⇒さらに医師・弁護士・銀行員の仕事の一部など高度な業務を学習している
・なので「AIが有益な変革をもたらし、その恩恵は万人に届く」
⇒とGAFAの現CEO全員が主張しているが、そんな証拠はない
⇒これまでAIはもっぱらオートメーション化に使われ、その弊害は低スキル労働者に
⇒彼らがAIから恩恵を受けている証拠もなく、GAFAの経営陣と株主が利益を得ている
⇒「誰も働かなくていい未来」どころか賃金が下がり労働者の需要が減る未来
・チューリングテストとAI
⇒評価者が機械と人と会話して、どちらが人か見破られなければその機械は知能を持っている
⇒この定義での知能機械はまだないが人並みに実行できるタスクが多いほど知能は高い
⇒チューリングも機械意識は留保していたが、現代のAI分野は人工知能に向かっている
・新しいAIアプローチ
①大量のデータ使用⇒多くのデータから深層学習し画像を「猫」と認識する
②拡張性と転移性⇒ひとたび「猫」と認識すれば翻訳など無関係な問題にも移れる
③このアプローチがオートメーション拡大の方向に向かっている
⇒トップダウン式テクノロジーは人件費削減の企業に馴染む
・現在のAIは、キャッサバの先住民の調理法を原始的・非科学的伝統だとして理解できず、
シアン化合物中毒になったヨーロッパ人と同じ
・信号機の撤去実験の結果⇒交通の流れは大幅に改善され事故も怪我も増えなかった
⇒テクノロジーが人間から主体性と判断力を奪っていた
・チューリング直系の現在の対AIアプローチでは人間の知能にすぐ迫れるとは考えにくく、
人間の判断業務の多くで高度な生産性をあげられるとも思えない
⇒統計的アプローチには人間の社会的な知能や臨機応変な知能に相当する要素がない
・過学習・過剰適合の問題
⇒オオカミとハスキー犬を区別するタスク(AIは無関係な背景など過学習から区別)
⇒現在AI資金が使われているのは大量データ収集と限定的タスクの自動化
⇒人間を機械に置き換えておきながら生産性は向上していない
・デジタル・テクノロジー、特にAIは専ら自動化と監視に使われている
⇒デジタル・テクノロジーが人間を助け補完する方向はあった
⇒ウィーナー、リックライダー、エンゲルバート、デミングが持っていた別のビジョン
⇒AIよりMU(機械有用性)⇒人間の目的にかなった使い方ができること
①日本の製造業におけるデミングの功績⇒デミング賞
②MUによる新しいタスクの創出⇒個別教育、医療現場など
③人間の創造力への有益な情報の供給⇒インターネットwwwアクセス
④新しい市場や顧客の創出⇒南インド・ケララ州の漁業の携帯電話、ケニアのモバイル通貨・
送金システム(Mペサ)、エアビーアンドビー(宿泊施設の貸し借り)、AI翻訳より高品質な
マルチリンガルの人を集めた言語サービスのプラットフォーム・・・
・ただし、このような有望な応用例が搾取・監視に使われるか否かは、市場インセンティブと
既存ビジョンの優先事項への対抗勢力のいかんに左右される
・デジタル・テクノロジーと大企業の合体は2000年代半ばまでに億万長者を生んできた
⇒2010年代にAIツールが広まりだすと富は何倍にも増えた
⇒AIベースのオートメーションはたいして生産性を向上しない
⇒それでもAI業界の大物や一流経営者を富ませるのは、これが労働者から力を奪うからで、
人々の情報をお金に変えるから
⇒今後10年で各種機器がクラウドに常時接続され、より大規模なデータ収集が可能になる
・現在はH.G.ウェルズのタイムマシンに描かれたディストピア未来に近づきつつある
⇒社会は二層構造になっており、実業界の大物たち、テクノロジー界のリーダーたちから、
普通の人々はミスの元で取り替えるべきものと思われている
⇒この状態は必然ではなく、デジタル・テクノロジーが自動化だけに使われる理由もなく、
AIが無差別に適応され、機械有用性の追求の代わりに機械知能に魅入られる必然もなかった
・この難局から抜け出るには社会的な力の分布図を変えテクノロジーを別の方向に向ければよい
⇒変化にはボトムアップ式の民主的プロセスが必須になるが、AIはその民主主義も壊しつつある
第10章「民主主義の崩壊」より
・2021年、中国の女子テニス選手のウェイボー投稿の20分以内削除の例(略)
・2014年以降に強化されてきた新彊ウィグル自治区住民の体系的データ収集の例(略)
(世界屈指のAI企業などが中国政府に協力、他の地域にも広がっている)
・中国の社会信用システムの例(略)
⇒インターネットとソーシャルメディアが民主主義に果たすと思われてきた効果とは正反対
・初期のフィリピン大統領弾劾でのテキストメッセージ利用、アラブの春でのフェイスブックと
ツイッターの活用が、なぜ独裁政府・過激派・誤情報の強力な武器になったのか
⇒有害な影響は不可避ではなく開発の仕方のせい
⇒大量データの収集で操作をもくろむ政府や企業の強力なツールとなった
・中国のデジタル検閲の歴史(略)
・スパイウェア「ペガサス」の濫用(略)
・ハラリの「テクノロジーは専制を贔屓する」と「テクノロジーは民主化を進める」
⇒いずれも間違いでデジタル技術は親民主的でも反民主的でもない
⇒すべてはテクノロジーが向かう方向の選択次第
・デジタル技術の暗号化は通信傍受を阻止でき、VPNは検閲を回避でき、トーアのような
検索エンジンは(現時点では)政府による解読が不可能なのでプライバシーと安全を提供する
⇒それなのにデジタルによる民主化という初期の希望が潰えたのは、テクノロジー界の取り組みが
金銭と権力のある政府の検閲に集中したから
・AIはさらに本格的な監視技術の方向へ進んでいる
(中国では監視需要が技術革新の方向にも影響し、顔認識などの技術が世界トップに)
(ファーウェイは監視抑圧のAIツールを50ヶ国に輸出した)
・ミャンマーの(ジェノサイドの媒体になった)フェイスブックの例(略)
⇒スリランカでもインドでも扇動者を排除しなかった
⇒ヘイトスピーチも過激主義も誤情報もサイトのエンゲージメントと閲覧時間を増加させ、
より多くの個人向けデジタル広告を得ることができるから
・2016年アメリカ大統領選挙でのフェイスブックの誤情報増殖も、2021年の暴動扇動も、
ユーチューブもツイッターも他のプラットフォームも、アルゴリズムで提供される誤情報と
情報操作にユーザーを引き込み共有され続けた
・ソーシャルメディアがこの残念な事態に至ったのは必然ではなく大手テクノロジー企業が
下した決定のせい
⇒それは「個人向けデジタル広告から収益を得る」という決定
⇒その価値は注目の度合い(エンゲージメントと閲覧時間)に左右され、その最も効果的な
方法が怒りや憤りといった強い感情を培うことだと判明したから
・グーグルの誕生と誤情報の根源(略)
・2020年のアメリカ大統領選挙後にフェイスブックが誤解を招く記事や信頼できないサイトに
加担しないアルゴリズムに変更すると、悪意のコンテンツや誤情報などは拡散しなくなった
⇒しばらくして、この変更は取り消された
⇒元に戻した主な理由は怒りや感情を掻き立てる度合いが減れば、そのプラットフォームの
閲覧時間が減ると判明したから
(ザッカーバーグらは言論の自由を理由に取り消しを擁護している)
・利潤動機がエンゲージメントや怒りの最大化を優先するがテクノロジー企業の創業理念も重要
⇒当初オンライン・コミュニケーションにはハーバーマスの「公共圏」概念が期待されたが、
大手テクノロジー企業のビジネスモデル・AI幻想と民主主義は相容れない
⇒大衆は操作と収集の対象として扱われるが、幹部の多くは自らを民主主義者とみなしている
⇒監視とデータ収集がテクノロジー発展の唯一の道ではない
⇒利潤動機とAI幻想に導かれた反民主的軌道に独裁的政府とテクノロジー企業が関わっている
・前例としてのラジオ・プロパガンダと戦後のドイツ基本法(略)
・ターゲティング広告に代わるビジネスモデル
⇒定額制モデルのネットフリックスでも情報収集やAI投資はしているが誤情報や政治的暴言は
殆ど存在しない⇒その目的がエンゲージメントの最大化ではないから
⇒ソーシャルメディアでも定額制は可能でエコーチェンバーや誤情報の危険性はあるが、
エンゲージメントを追求する手法からは脱却できる
⇒フェイスブックの新たな多言語サービスによって、関連する国々の中にはリアルタイムの
情報が得られるようになり利益を上げた小規模企業もあり、その種のサービスでフェイスブックが
利益を上げることも不可能ではない
・悪影響が阻止できればソーシャルメディアはプラス効果を発揮できる
・民主主義を最も必要としているときにAIがそれを蝕んでいる
⇒デジタル技術の方向が変わらない限り不平等を増大させAI監視で賃金は低下する
⇒対抗勢力の復活は中国でもアメリカでも西側諸国でも難しくなっている
⇒AIは民主主義を窒息させ独裁政府にも民主政府にも抑圧と操作のツールを提供している
・テクノロジー企業のエンゲージメントの最大化を追求する現行ビジネスモデルのままで、
ソーシャルメディアに吞み込まれていると、コミュニティとも民主的言説とも無縁になり、
別の現実がオンライン上に作り出される
⇒そこでは過激な意見が叫ばれ、エコーチェンバーが乱立し、情報は疑わしいか偏っており、
譲歩は忘れ去られるか非難される
・ウェブ3.0やメタバースのような新しいテクノロジーは違うという楽観もあるが、
⇒テクノロジー企業の現行のビジネスモデルと、政府の監視への拘りが続く限り、これらも
その傾向に加勢して強力なフィルターバブルを作り出し現実との乖離を広げるだろう
第11章「テクノロジーの方向転換」より
・19世紀後半のアメリカのテクノロジー変化と不平等(略)
⇒ジャーナリストによる暴露、市民活動家の業績、政治組織の結成による進歩主義運動へ
・1962年レイチェル・カーソン「沈黙の春」からの環境運動(略)
⇒組織化された政治運動が生まれ企業部門に圧力をかけ政策立案者を促した
(注目すべきは中国もテクノロジーの方向転換に乗り出したこと)
⇒語り方の修正、対抗勢力の構築、最重要課題に対処する具体的政策の立案と実施
⇒これらはデジタル技術の方向転換にも有効
・デジタル技術は以下のやり方で人間を補完できる
①労働者の現在の仕事の生産性を高める
②人間の能力を増す人工知能の助けによって新たなタスクを作り出す
③人間の意思決定のためにより優れた有用な情報を提供する
④異なるスキルとニーズを持つ人々を結びつける新たなプラットフォームを構築する
⇒例えば教育でデジタルとAIのテクノロジーは、教師にツールと情報を提供し個々の生徒の
弱点や強みをリアルタイムで把握、個人に合わせた教育を可能にし、教師向けに新しい生産的な
タスクを生み出し、教師が効率よく教育資源に出会えるプラットフォームも構築できる
⇒医療、娯楽、生産作業でも同様の道が開ける
⇒市民社会からの圧力と政府の規制と助成が不可欠だが必要なのは制度的枠組みと誘因
・労働者組織の新しい形態
⇒アマゾンやスターバックスの組合、ドイツ式の労働者協議会と業界組合の二層形式
・消費者の嗜好と行動は企業とテクノロジーに影響を与えるが、市民が行動する際の負担は
企業や政府の圧力で何倍にもなるので「ただ乗り(フリーライダー)」問題になる
⇒市民としての行動を促す市民社会組織が必要不可欠
⇒市民社会組織は議論と信頼できる情報のためのフォーラム(公共の場)の提供だけでなく、
活動への参加を互いに促すアメになり、ただ乗りする人を恥じ入らせるムチになる
・民主的制度のオンライン・コミュニティも可能
⇒K・ル・グウィンの「学べばできる」、オードリー・タンの新しい民主主義構想・・・
⇒今のソーシャルメディアと同じ過ち(過激化・煽動・誤情報・罵倒など)を避ける最善の方法は
親民主的なオンラインツールを新たな難題が出るたび更新が必要な発展途上ツールと見なし、
伝統的な対面による市民参加に代わるものではなく、それを補完するものと見なすこと
①監督と監視のためのツールを規制し、プライバシーのためのツールに助成する
②労働分配率を上げるテクノロジーの利用と開発への助成
(賃上げの幅が大きくなれば労働分配率も上がり企業はさらに助成金を受けられる)
③現場作業の質を向上させるイノヴェーション路線に先行助成する
・大手テクノロジー企業の解体
⇒一握りの企業が優れた他者を潰してデジタル技術、特にAIの方向を支配している
⇒それら企業のビジネスモデルと優先事項はオートメーションとデータ収集
⇒巨大テクノロジー企業を解体し多様なイノヴェーションが生まれる余地を作ることが、
テクノロジーの方向転換の重要な部分
⇒ただし解体だけではビジネスモデルは変わらないので規制か世論圧力による制限が必要
・税制改革(労働者より優遇されているオートメーション設備や資本への課税⇒略)
・労働者への投資
(アメリカやイギリスの離職率はドイツよりはるかに高く組合も役割を果たせないので、
ドイツ型実習制度は難しいが訓練投資への税控除などの政府助成が大きな役割を果たす)
・政府のリーダーシップ
政府が戦略的重要性を強調したペニシリン、防空、センサー、衛星、コンピュータ・・・
⇒一流科学者が集まり課題に取り組み、結果的に大きな需要が生まれ民間部門の参入を促した
⇒グリーンテクノロジー全般を支援するのと同じように労働者を補完し市民に力を与える
テクノロジーの開発を支援する
・プライバシー保護とデータ所有、デジタル広告税、富裕税、再分配とセーフティネットの強化、
教育、最低賃金、学術界の改革・・・(略)
・エイズの例
⇒1980年代後半からジャーナリストやメディア業界の著名人などの努力で語り方が変わり、
活動家が連携しはじめ、HIVの研究に多額の資金が投じられはじめ、世論の圧力が高まると
医学研究の方向が変わった
⇒1990年代後半には進行を遅らせる新薬が登場し、それとともに様々な画期的治療法ができ、
2010年代前半にはウィルスを抑え、大半の感染者が普通に近い生活をすることが可能になった
・HIV/エイズとの戦いでも再生可能エネルギーでも不可能と思われたことが急速に達成された
⇒語り方がひとたび変わり、人々が連携しはじめると、世論の圧力と金銭的誘因によって、
テクノロジーの変化は方向を転換する
⇒同じことが今後のデジタル技術の方向においても実現可能なのだ
・・・
「解説」(稲葉振一郎)より
(こちらも著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・本書は「生産力(その核心の技術)が経済の在り方を決め、下部構造としての経済が政治や
文化の在り方を決める」というマルクス主義や近代経済論の発想を批判する
⇒そしてテクノロジーの道筋は制度やビジョン、文化的規範で形作られることを歴史から示す
・技術革新がどのような状況下でエリート層にしか利益をもたらさなかったのか、あるいは
どのような状況下で共有され人々の暮らしが改善されたのかを、歴史から丹念に調査している
⇒技術革新の在り方が包括的で労働者に優しいか排他的で搾取的であるかが重要と何度も強調する
・とりわけ2010年代後半からの人工知能AIとその脅威論を意識して、機械化と労働と雇用の
関係についての経済学の議論を考察している
⇒そしてAI化もこれまでの機械化と同様に、その波及効果があって初めて賃金が上昇し、
生産性の向上の恩恵が及ぶ「生産性バンドワゴン」効果が生ずるとする
・新石器時代の農業革命による健康状態の悪化、西欧中世の技術革新の成果が大多数の農民には
寄与しなかった事実、近代産業革命の工場労働者の悲惨な状況などを実証的研究から説明する
・とりわけ19世紀後半から20世紀にかけての先進諸国の高度成長での豊かな生活の実現は、
「見えざる手」に導かれたのではなく、労働運動の発展に伴う社会保障・福祉国家体制による
⇒技術革新の成果がどのように配分されるか、どのような技術が採用されるかは「見えざる手」
というより、関係者の政治的取引や社会・技術についてのビジョンに大きく左右される
・20世紀末からのIT革命、金融革新、グローバル化は金融エリート、ビッグデータ起業家の
影響力を強め、ローカルな労働者や農民の組合運動などを通じた対抗力を弱めた
⇒民主政治そのものが不平等化やエリート・イデオロギー支配により崩されているとする
・前2作より「技術革新と成長の成果はどのように配分されるか、公平な配分を実現するには
どうすればよいか」に論点がさらに深められている
⇒技術革新と人工知能は世界的な関心事であり、今、問われているのはアメリカのハイテク
産業によって、中産階級にどの程度の押し下げ圧力がかかっているかということである
(以下、解説者の感想より)
・前作「国家はなぜ衰退するのか」から10年、著者らの理論の正しさは中露の改革の成功に
よってではなく停滞の持続によって証明されたことになる
・本書での巨大企業の独占解体、民衆の連帯による公正分配要求は、20世紀前半のアメリカ
進歩主義(革新主義とも)の再興の呼びかけともいえる
⇒ただしGAFAなどに独禁法で対抗しようという提言はわかりやすいが、民衆連帯の復興に
ついては、いまひとつわかりにくい
⇒都市に集中した工場労働者が農民より団結対抗で有利になり得た(資本家も妥協しやすかった)
のに対し、IT革命とグローバル化以降、雇用が柔軟化した世界で、このよう条件は失われつつ
あることは著者たちも気づいているはず
・公平なデジタル技術を目指す政策的介入では、アメリカ合衆国のような大規模な枠組みには
適応的ではなく、ドイツや北欧で相対的に成功しているように見える政策は、もう少し小さな
コミュニティを必要としているのかも知れない
⇒注目すべきはデータ所有権で、著者たちはEUのGDPRには点が辛いが、彼らが肯定的に
紹介するデータ所有権を保護するデータ・ユニオンの考え方はGDPR的な発想の徹底で、
「情報銀行」の考え方にも通じると思われる
・・・
うーむ、はてさてどうなんでしょう?
特に「ターゲティング広告に代わるビジネスモデル」として定額制のネットフリックスが
挙げられ、情報収集やAI投資はしているものの誤情報や政治的暴言が殆ど存在しないのは、
その目的がエンゲージメントの最大化ではないから、つーのには納得しました
またソーシャルメディアでも定額制は可能で、エコーチェンバーや誤情報の危険性はあるが、
エンゲージメントを追求する手法からは脱却できる、つーのも確かにそのとおりなんですが、
定額制で加入するソーシャルメディアとゆーイメージがイマイチ分かりませんでした
あと解説者も感想で書いておられるように、労働者・市民の連帯に関する部分がイマイチ
具体性に欠けるとゆーか実現可能性に欠けるとゆーか、そんな感じでしたね
ま、データ所有権とかは、そもそもわたくしの理解の範疇を超えてましゅが
「技術革新と不平等の1000年史」(下巻)の読書メモであります
ま、上巻記事と同じく、じつにてきとーなメモでしゅが・・・
下巻の表紙

下巻の惹句

下巻の奥付

下巻の目次

著者の略歴については上巻記事をご覧いただくとして、お二人は2023年の本書刊行後、
2024年にノーベル経済学賞を受賞されてますね
以下は思いつくままの個人メモなので正しくは本書をお読みください
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
第7章「争い多き道」より
・20世紀が始まってからの70年間は、戦争や大恐慌など大きな逆転はあったものの、
新テクノロジーと労働者による対抗勢力と政府の規制を支える制度的構造により、
急成長の恩恵をほぼあらゆる階層が被った
⇒電力など新テクノロジーによる低コスト大量生産が新しい需要と仕事を生んだ
⇒労働者としては給与が上がり、消費者としては同じ金額で多くが買えるようになった
⇒これが生産性バンドワゴン
・アメリカ製造業における経営者とエンジニアを含むホワイトカラーの割合
⇒1860年で3%、1910年で13%、1940年で労働者の21%に
・フォードT型の例(略)⇒様々な職種・業種で新たな仕事を生んだ
・1938年以降のスウェーデンの例⇒世界有数の平等国家に(略)
・アメリカ・ニューディール政策の例(略)
・オートメーション化が進んでも1970年代初頭までは、どのスキルの労働者の需要も増加した
⇒自動交換になったベル電話会社の交換手は拡大するサービスや事業所で失業しなかった
・1960年のGMと組合との数値制御機械オペレーター裁判の例
⇒新機械のオペレーターには追加トレーニングを受け高い賃金を受け取る権利があるとの裁定
・西海岸のコンテナ導入と港湾労働組合の例
⇒東海岸では多くの港湾労働者が失業したが西海岸の組合はコンテナやクレーン導入を推進、
輸送量の増加に伴う新しい労働機会を要求し獲得していった
⇒肉体労働からクレーン操作などへ⇒中等教育があったから可能だった
・1970年までは生産性向上が平均賃金の上昇、様々なスキルグループの収入増につながっていた
(新しい業界では生産性の向上に伴いスキルの低い労働者の需要も増えた)
・戦後ヨーロッパのテクノロジーの方向性も同じだったので繁栄した
・第二次世界大戦後の数十年ほど急速に繁栄し、その繁栄が共有された時代はない
⇒女性、マイノリティ(特にアメリカ黒人)、移民は排除されていたが、排除された最大の集団は
ヨーロッパと北米の外側だった
(長期雇用・高賃金の日本や、民主化後・労働組合の韓国などは例外的に繁栄を共有できた)
・アメリカの戦後の繁栄を共有する経済モデルが攻撃されはじめ、テクノロジーの方向性が
さらなる自動化に向かうと、勢力が労働者と政府規制から離れ繁栄の共有が瓦解していく
⇒第8章「デジタル・ダメージ」へ
第8章「デジタル・ダメージ」より
・1960年頃からのハッカー倫理
⇒情報を支配し官僚化するIBMや権力に対抗した「分散化と自由」
⇒コンピューターへのアクセスは完全に自由で無制限であるべき
・彼らのテクノロジーなら大企業への対抗勢力が強化され、繁栄が共有されるはず、
と予測するのが合理的だが、結果は全く逆だった
⇒デジタル・テクノロジーにより賃金・国民所得の労働分配率は低下、賃金格差は拡大した
(グローバリゼーションや労働運動の弱体化などの要因もあるが、デジタル・テクノロジーが
仕事を自動化したせいで労働は資本に対して、低スキル者は大卒以上者に対して、不利になった)
・利益と株主価値の最大化こそが公益につながるとする新しいビジョン
⇒これが社会の大半の組織化原理となった
⇒このビジョンがもたらす膨大な富がテクノロジー・コミュニティを違う方向へ押しやった
⇒新しいビジョンはデジタル・ユートピアのビジョンであり、それを支えていたのは労働を
自動化して支配するソフトウェアのトップダウン設計だった
⇒結果は格差を生み出し生産性の向上も果たせなかった
⇒1980年以降、格差は労働者間だけでなく、不公平はあらゆる方面で増大した
・20世紀の殆どは国民所得の67~70%が労働者に渡ったが1980年代以降は資本側に改善、
2019年の労働分配率は60%を割った
⇒人件費の削減が最優先となり、組合のない工場へ、海外へ、アウトソーシングへ
⇒多くの低技能業務を安い外部業者にアウトソーシングしてコストを削減
⇒大企業の低技能労働者は賃金上昇のチャンネルを断ち切られた
・この方向性によりデジタルメニューがさらに自動化に移行し労働者から離れていった
⇒アメリカ経済の生産力(労働者一人あたり生産量)は増加しても、労働者の限界生産力
(追加の労働時間によって増加する生産量)は追随しなかった
・繁栄の共有は自動化で破壊されたのではなく、それを最優先にして労働者の新しい仕事創出を
蔑ろにした、バランスの悪いテクノロジー・ポートフォリオによって破壊された
⇒戦後数十年も自動化は加速したが労働需要を高めるテクノロジー変化でバランスがとれていた
⇒1980年以降、新しい仕事とテクノロジーが減っていった
⇒製造業の労働分配率は1985年の65%から2010年には46%に下落した
⇒アメリカ労働者の中流階級職(工場ブルーカラーやオフィス事務)の割合は1970年代に52%、
2018年には33%に下がり、彼らは建設清掃調理などの低賃金職へ、それらも自動化で消滅した
・低賃金国との競争は雇用を減らして賃金を抑えたが、格差の要因はテクノロジー変化の方向性
・「テクノロジー格差は避けがたいがグローバリゼーションは調整できる」という二分法
⇒これは誤りで切り離せないもの⇒デジタル・ツールでしかグローバル化できないから
⇒相乗効果で人件費を削減、1980年以降は職場も政治も対抗勢力が欠如しており助長した
⇒ほぼすべての先進国でブルーカラーと事務職の仕事が減った
⇒原因は西側諸国の制度的変化と新たなユートピア的デジタル・ビジョン
・1965年ラルフ・ネーダーの消費者保護運動
⇒様々な安全衛生機関の設置、独占企業の規制、雇用差別撤廃へ
⇒殆どが共和党ニクソン政権で実施された⇒ニューディール政策を維持した
・1953年のGM社長の(大量の株式を保有したままの)国防長官就任時の格言
⇒「国によいことはGMにもよいことで、その逆も同じ」
⇒これが1980年代にはありふれたものになった⇒1930年代からの180度転換
⇒「企業に有利になるようにルールを変えることは全ての人を助ける最善の方法」
⇒「富裕層の税金を減らせば投資が増えて生産性が向上し社会に貢献する」
⇒トリクルダウン経済⇒レーガンの経済政策に
⇒政府が規制しなくても消費者はより優れた製品を選ぶはず⇒これは理想化された市場が前提
・ケインズから反転⇒ハイエク⇒スティグラーとフリードマン⇒ジェンセンの修正案へ
⇒1970年の「フリードマン・ドクトリン」
⇒企業の社会的責任は利益を出し株主に高い配当を生み出すこと
⇒企業の株価を上げさせるため経営陣に巨額のボーナスとストックオプションを与える
⇒CEOは株主にのみ社会的責任を負う⇒労働者に高い賃金を払う義務はない
・経営者のプロ化のはじまりは1970年代のビジネススクール修了者から
⇒上場企業CEOに占める修了者の割合は1980年で25%、2020年で43%を超えた
⇒彼らはフリードマン・ドクトリンを実践し賃金を削減したが当初は主流ではなかった
⇒1973年のオイルショックとスタグフレーションで一変して主流になった
⇒1964年にゴールドウォーターが提唱した規制撤廃などを1979年にレーガンが肯定した
・1976年に設立されたマン経済研究所
⇒多くの裁判官への経済学研修はフリードマン・スティグラー・ボークの特殊な思想によった
⇒研修を修了した裁判官らは一貫して規制当局や独占禁止法に反対する判決を出しはじめた
・1982年に設立されたフェデラリスト協会
⇒反規制企業幹部からの献金で反規制派の法学生・裁判官・最高裁判事を育成した
⇒現在の最高裁判事のうち6人が修了生
・大企業の市場支配力はライバル出現を阻止し経営幹部と株主を富ませる
⇒超巨大企業による独占は豊かな株主をさらに豊かにして格差を増幅する
⇒利益を従業員と分け合うこともあったが制度的変化で労働者の力が衰退した
・アメリカとドイツの労働組合の違い(企業単位と業界単位)
・1981年レーガンの航空管制組合への介入・スト職員解雇⇒これに民間企業が続いた
・アメリカ労働組合の低下理由は、
⇒企業と政治家の反組合姿勢が強硬になったこと
⇒組合がしっかりしていた製造セクターでの雇用が減少したこと
・1979年サッチャーの規制緩和優先・企業支持によりイギリスの組合も大半を失った
・人件費の削減にはデジタル・テクノロジーが不可欠だった
⇒効率的なソフトウェアにより熟練を要しない多くの仕事を自動化または削減できる
⇒1980年代からバックオフィスの仕事が急速に自動化され低スキル事務職が減少していく
⇒1990年代には製造業でロボットが急速に普及しブルーカラーが激減していく
(1980年代に遅れたのは日本やドイツのような人口減少圧力がなかったから)
・ドイツや日本などのソフトウェアツール・ロボット化は当初はアメリカと全く異なった
⇒ドイツでは組合交渉による再訓練・再配置と、そのためのソフトウェア開発
⇒ソフトウェアによる問題検出などで労働者による限界生産性は着実に上昇した
(ドイツは戦後の労働者不足が続きスキルへの投資で労働者の能力を活用した)
⇒日本は柔軟な生産を重視し完全自動化せず、従業員のための複雑で高賃金の仕事を作った
(日本は労働人口の減少に直面していた)
⇒北欧でも団体交渉により労働者に有利なテクノロジーとの組み合わせを導入した
・その後フリードマン・ドクトリンとコスト削減のためのデジタル・ツール利用の考え方は、
ビジネススクール出身の経営者・経営コンサルティングによって世界中の企業に広まり、
基本的にすべての先進国でブルーカラーや事務職の割合を低下させた
⇒このアメリカの進歩の方向性が世界中に重大な影響を及ぼした
・1980年代に登場した新しいデジタル・ビジョン
⇒フリードマン・ドクトリンに根ざした人件費削減とハッカー倫理を結びつけたもの
⇒エリート主義的なアプローチが業界を支配し経済格差を正当化する
・生産性バンドワゴンが機能しにくくなるのは、
①雇用主の力が従業員の力より強すぎるとき
②テクノロジーが労働者に不利な方向に進んでいるとき
③生産性向上が他のセクターの雇用拡大につながらないとき
・過去数十年、毎日新製品やアプリが提供されているのに共有すべき生産性は鈍化している
⇒1960年代70年代の電話やテレビは壊れるまで何十年と使っていた
⇒今は数年ごとに電子機器を買い替えるのに投資に対する利益はごく少ない
・トヨタGMのカリフォルニア州フリーモント工場の成功例(略)
(つい最近、イーロン・マスクもテスラの全自動化工場で同じ教訓を学んだ)
・業界リーダーから押しつけられたデジタル・ソリューションは、公共の利益にかなうと
されたが、大半の労働者は仕事と生活手段を失ってしまった
⇒デジタル・テクノロジーを発展させる方法はほかにもあった
⇒初期のハッカーたちは異なるビジョンに導かれ大企業からフロンティアを奪い取った
・テクノロジーの偏向は間違いなく選択されたもので、しかも社会的に構築された選択だった
⇒その後の新しいツールにより事態がはるかに悪くなりはじめた⇒人工知能AI
第9章「人工闘争」より
・「起業家が主導する(知能機械を含む)新しいテクノロジーから必然的に恩恵が得られる」
⇒本章ではこのビジョンがレセップスの運河理念と同じ幻想であることを論じる
・テクノロジーの方向性を考える際に重要なのは、そのテクノロジーが人間の目的にとって
どれだけ役立つかということであり、これを「MU(機械有用性)」とする
⇒これまでの歴史は高い機械有用性を備えた画期的イノベーションを生んできた
⇒機械知能への心酔は大規模データ収集と労働者や市民の無力化、仕事の自動化競争になるだけ
・コンピュータもジャガード織機と同じでプログラマーに指定されたとおり実行するもの
⇒対する人工知能の合意された定義はないが、現在あらゆる領域に適用されている
・ソフトウェアと機械はさまざまなルーチン業務を自動化してきた
⇒人間の業務のうちルーチンは一握りで大半は問題解決を必要とする
⇒AIはルーチン業務以外でも予測可能な業務ならできるようになった
⇒さらに医師・弁護士・銀行員の仕事の一部など高度な業務を学習している
・なので「AIが有益な変革をもたらし、その恩恵は万人に届く」
⇒とGAFAの現CEO全員が主張しているが、そんな証拠はない
⇒これまでAIはもっぱらオートメーション化に使われ、その弊害は低スキル労働者に
⇒彼らがAIから恩恵を受けている証拠もなく、GAFAの経営陣と株主が利益を得ている
⇒「誰も働かなくていい未来」どころか賃金が下がり労働者の需要が減る未来
・チューリングテストとAI
⇒評価者が機械と人と会話して、どちらが人か見破られなければその機械は知能を持っている
⇒この定義での知能機械はまだないが人並みに実行できるタスクが多いほど知能は高い
⇒チューリングも機械意識は留保していたが、現代のAI分野は人工知能に向かっている
・新しいAIアプローチ
①大量のデータ使用⇒多くのデータから深層学習し画像を「猫」と認識する
②拡張性と転移性⇒ひとたび「猫」と認識すれば翻訳など無関係な問題にも移れる
③このアプローチがオートメーション拡大の方向に向かっている
⇒トップダウン式テクノロジーは人件費削減の企業に馴染む
・現在のAIは、キャッサバの先住民の調理法を原始的・非科学的伝統だとして理解できず、
シアン化合物中毒になったヨーロッパ人と同じ
・信号機の撤去実験の結果⇒交通の流れは大幅に改善され事故も怪我も増えなかった
⇒テクノロジーが人間から主体性と判断力を奪っていた
・チューリング直系の現在の対AIアプローチでは人間の知能にすぐ迫れるとは考えにくく、
人間の判断業務の多くで高度な生産性をあげられるとも思えない
⇒統計的アプローチには人間の社会的な知能や臨機応変な知能に相当する要素がない
・過学習・過剰適合の問題
⇒オオカミとハスキー犬を区別するタスク(AIは無関係な背景など過学習から区別)
⇒現在AI資金が使われているのは大量データ収集と限定的タスクの自動化
⇒人間を機械に置き換えておきながら生産性は向上していない
・デジタル・テクノロジー、特にAIは専ら自動化と監視に使われている
⇒デジタル・テクノロジーが人間を助け補完する方向はあった
⇒ウィーナー、リックライダー、エンゲルバート、デミングが持っていた別のビジョン
⇒AIよりMU(機械有用性)⇒人間の目的にかなった使い方ができること
①日本の製造業におけるデミングの功績⇒デミング賞
②MUによる新しいタスクの創出⇒個別教育、医療現場など
③人間の創造力への有益な情報の供給⇒インターネットwwwアクセス
④新しい市場や顧客の創出⇒南インド・ケララ州の漁業の携帯電話、ケニアのモバイル通貨・
送金システム(Mペサ)、エアビーアンドビー(宿泊施設の貸し借り)、AI翻訳より高品質な
マルチリンガルの人を集めた言語サービスのプラットフォーム・・・
・ただし、このような有望な応用例が搾取・監視に使われるか否かは、市場インセンティブと
既存ビジョンの優先事項への対抗勢力のいかんに左右される
・デジタル・テクノロジーと大企業の合体は2000年代半ばまでに億万長者を生んできた
⇒2010年代にAIツールが広まりだすと富は何倍にも増えた
⇒AIベースのオートメーションはたいして生産性を向上しない
⇒それでもAI業界の大物や一流経営者を富ませるのは、これが労働者から力を奪うからで、
人々の情報をお金に変えるから
⇒今後10年で各種機器がクラウドに常時接続され、より大規模なデータ収集が可能になる
・現在はH.G.ウェルズのタイムマシンに描かれたディストピア未来に近づきつつある
⇒社会は二層構造になっており、実業界の大物たち、テクノロジー界のリーダーたちから、
普通の人々はミスの元で取り替えるべきものと思われている
⇒この状態は必然ではなく、デジタル・テクノロジーが自動化だけに使われる理由もなく、
AIが無差別に適応され、機械有用性の追求の代わりに機械知能に魅入られる必然もなかった
・この難局から抜け出るには社会的な力の分布図を変えテクノロジーを別の方向に向ければよい
⇒変化にはボトムアップ式の民主的プロセスが必須になるが、AIはその民主主義も壊しつつある
第10章「民主主義の崩壊」より
・2021年、中国の女子テニス選手のウェイボー投稿の20分以内削除の例(略)
・2014年以降に強化されてきた新彊ウィグル自治区住民の体系的データ収集の例(略)
(世界屈指のAI企業などが中国政府に協力、他の地域にも広がっている)
・中国の社会信用システムの例(略)
⇒インターネットとソーシャルメディアが民主主義に果たすと思われてきた効果とは正反対
・初期のフィリピン大統領弾劾でのテキストメッセージ利用、アラブの春でのフェイスブックと
ツイッターの活用が、なぜ独裁政府・過激派・誤情報の強力な武器になったのか
⇒有害な影響は不可避ではなく開発の仕方のせい
⇒大量データの収集で操作をもくろむ政府や企業の強力なツールとなった
・中国のデジタル検閲の歴史(略)
・スパイウェア「ペガサス」の濫用(略)
・ハラリの「テクノロジーは専制を贔屓する」と「テクノロジーは民主化を進める」
⇒いずれも間違いでデジタル技術は親民主的でも反民主的でもない
⇒すべてはテクノロジーが向かう方向の選択次第
・デジタル技術の暗号化は通信傍受を阻止でき、VPNは検閲を回避でき、トーアのような
検索エンジンは(現時点では)政府による解読が不可能なのでプライバシーと安全を提供する
⇒それなのにデジタルによる民主化という初期の希望が潰えたのは、テクノロジー界の取り組みが
金銭と権力のある政府の検閲に集中したから
・AIはさらに本格的な監視技術の方向へ進んでいる
(中国では監視需要が技術革新の方向にも影響し、顔認識などの技術が世界トップに)
(ファーウェイは監視抑圧のAIツールを50ヶ国に輸出した)
・ミャンマーの(ジェノサイドの媒体になった)フェイスブックの例(略)
⇒スリランカでもインドでも扇動者を排除しなかった
⇒ヘイトスピーチも過激主義も誤情報もサイトのエンゲージメントと閲覧時間を増加させ、
より多くの個人向けデジタル広告を得ることができるから
・2016年アメリカ大統領選挙でのフェイスブックの誤情報増殖も、2021年の暴動扇動も、
ユーチューブもツイッターも他のプラットフォームも、アルゴリズムで提供される誤情報と
情報操作にユーザーを引き込み共有され続けた
・ソーシャルメディアがこの残念な事態に至ったのは必然ではなく大手テクノロジー企業が
下した決定のせい
⇒それは「個人向けデジタル広告から収益を得る」という決定
⇒その価値は注目の度合い(エンゲージメントと閲覧時間)に左右され、その最も効果的な
方法が怒りや憤りといった強い感情を培うことだと判明したから
・グーグルの誕生と誤情報の根源(略)
・2020年のアメリカ大統領選挙後にフェイスブックが誤解を招く記事や信頼できないサイトに
加担しないアルゴリズムに変更すると、悪意のコンテンツや誤情報などは拡散しなくなった
⇒しばらくして、この変更は取り消された
⇒元に戻した主な理由は怒りや感情を掻き立てる度合いが減れば、そのプラットフォームの
閲覧時間が減ると判明したから
(ザッカーバーグらは言論の自由を理由に取り消しを擁護している)
・利潤動機がエンゲージメントや怒りの最大化を優先するがテクノロジー企業の創業理念も重要
⇒当初オンライン・コミュニケーションにはハーバーマスの「公共圏」概念が期待されたが、
大手テクノロジー企業のビジネスモデル・AI幻想と民主主義は相容れない
⇒大衆は操作と収集の対象として扱われるが、幹部の多くは自らを民主主義者とみなしている
⇒監視とデータ収集がテクノロジー発展の唯一の道ではない
⇒利潤動機とAI幻想に導かれた反民主的軌道に独裁的政府とテクノロジー企業が関わっている
・前例としてのラジオ・プロパガンダと戦後のドイツ基本法(略)
・ターゲティング広告に代わるビジネスモデル
⇒定額制モデルのネットフリックスでも情報収集やAI投資はしているが誤情報や政治的暴言は
殆ど存在しない⇒その目的がエンゲージメントの最大化ではないから
⇒ソーシャルメディアでも定額制は可能でエコーチェンバーや誤情報の危険性はあるが、
エンゲージメントを追求する手法からは脱却できる
⇒フェイスブックの新たな多言語サービスによって、関連する国々の中にはリアルタイムの
情報が得られるようになり利益を上げた小規模企業もあり、その種のサービスでフェイスブックが
利益を上げることも不可能ではない
・悪影響が阻止できればソーシャルメディアはプラス効果を発揮できる
・民主主義を最も必要としているときにAIがそれを蝕んでいる
⇒デジタル技術の方向が変わらない限り不平等を増大させAI監視で賃金は低下する
⇒対抗勢力の復活は中国でもアメリカでも西側諸国でも難しくなっている
⇒AIは民主主義を窒息させ独裁政府にも民主政府にも抑圧と操作のツールを提供している
・テクノロジー企業のエンゲージメントの最大化を追求する現行ビジネスモデルのままで、
ソーシャルメディアに吞み込まれていると、コミュニティとも民主的言説とも無縁になり、
別の現実がオンライン上に作り出される
⇒そこでは過激な意見が叫ばれ、エコーチェンバーが乱立し、情報は疑わしいか偏っており、
譲歩は忘れ去られるか非難される
・ウェブ3.0やメタバースのような新しいテクノロジーは違うという楽観もあるが、
⇒テクノロジー企業の現行のビジネスモデルと、政府の監視への拘りが続く限り、これらも
その傾向に加勢して強力なフィルターバブルを作り出し現実との乖離を広げるだろう
第11章「テクノロジーの方向転換」より
・19世紀後半のアメリカのテクノロジー変化と不平等(略)
⇒ジャーナリストによる暴露、市民活動家の業績、政治組織の結成による進歩主義運動へ
・1962年レイチェル・カーソン「沈黙の春」からの環境運動(略)
⇒組織化された政治運動が生まれ企業部門に圧力をかけ政策立案者を促した
(注目すべきは中国もテクノロジーの方向転換に乗り出したこと)
⇒語り方の修正、対抗勢力の構築、最重要課題に対処する具体的政策の立案と実施
⇒これらはデジタル技術の方向転換にも有効
・デジタル技術は以下のやり方で人間を補完できる
①労働者の現在の仕事の生産性を高める
②人間の能力を増す人工知能の助けによって新たなタスクを作り出す
③人間の意思決定のためにより優れた有用な情報を提供する
④異なるスキルとニーズを持つ人々を結びつける新たなプラットフォームを構築する
⇒例えば教育でデジタルとAIのテクノロジーは、教師にツールと情報を提供し個々の生徒の
弱点や強みをリアルタイムで把握、個人に合わせた教育を可能にし、教師向けに新しい生産的な
タスクを生み出し、教師が効率よく教育資源に出会えるプラットフォームも構築できる
⇒医療、娯楽、生産作業でも同様の道が開ける
⇒市民社会からの圧力と政府の規制と助成が不可欠だが必要なのは制度的枠組みと誘因
・労働者組織の新しい形態
⇒アマゾンやスターバックスの組合、ドイツ式の労働者協議会と業界組合の二層形式
・消費者の嗜好と行動は企業とテクノロジーに影響を与えるが、市民が行動する際の負担は
企業や政府の圧力で何倍にもなるので「ただ乗り(フリーライダー)」問題になる
⇒市民としての行動を促す市民社会組織が必要不可欠
⇒市民社会組織は議論と信頼できる情報のためのフォーラム(公共の場)の提供だけでなく、
活動への参加を互いに促すアメになり、ただ乗りする人を恥じ入らせるムチになる
・民主的制度のオンライン・コミュニティも可能
⇒K・ル・グウィンの「学べばできる」、オードリー・タンの新しい民主主義構想・・・
⇒今のソーシャルメディアと同じ過ち(過激化・煽動・誤情報・罵倒など)を避ける最善の方法は
親民主的なオンラインツールを新たな難題が出るたび更新が必要な発展途上ツールと見なし、
伝統的な対面による市民参加に代わるものではなく、それを補完するものと見なすこと
①監督と監視のためのツールを規制し、プライバシーのためのツールに助成する
②労働分配率を上げるテクノロジーの利用と開発への助成
(賃上げの幅が大きくなれば労働分配率も上がり企業はさらに助成金を受けられる)
③現場作業の質を向上させるイノヴェーション路線に先行助成する
・大手テクノロジー企業の解体
⇒一握りの企業が優れた他者を潰してデジタル技術、特にAIの方向を支配している
⇒それら企業のビジネスモデルと優先事項はオートメーションとデータ収集
⇒巨大テクノロジー企業を解体し多様なイノヴェーションが生まれる余地を作ることが、
テクノロジーの方向転換の重要な部分
⇒ただし解体だけではビジネスモデルは変わらないので規制か世論圧力による制限が必要
・税制改革(労働者より優遇されているオートメーション設備や資本への課税⇒略)
・労働者への投資
(アメリカやイギリスの離職率はドイツよりはるかに高く組合も役割を果たせないので、
ドイツ型実習制度は難しいが訓練投資への税控除などの政府助成が大きな役割を果たす)
・政府のリーダーシップ
政府が戦略的重要性を強調したペニシリン、防空、センサー、衛星、コンピュータ・・・
⇒一流科学者が集まり課題に取り組み、結果的に大きな需要が生まれ民間部門の参入を促した
⇒グリーンテクノロジー全般を支援するのと同じように労働者を補完し市民に力を与える
テクノロジーの開発を支援する
・プライバシー保護とデータ所有、デジタル広告税、富裕税、再分配とセーフティネットの強化、
教育、最低賃金、学術界の改革・・・(略)
・エイズの例
⇒1980年代後半からジャーナリストやメディア業界の著名人などの努力で語り方が変わり、
活動家が連携しはじめ、HIVの研究に多額の資金が投じられはじめ、世論の圧力が高まると
医学研究の方向が変わった
⇒1990年代後半には進行を遅らせる新薬が登場し、それとともに様々な画期的治療法ができ、
2010年代前半にはウィルスを抑え、大半の感染者が普通に近い生活をすることが可能になった
・HIV/エイズとの戦いでも再生可能エネルギーでも不可能と思われたことが急速に達成された
⇒語り方がひとたび変わり、人々が連携しはじめると、世論の圧力と金銭的誘因によって、
テクノロジーの変化は方向を転換する
⇒同じことが今後のデジタル技術の方向においても実現可能なのだ
・・・
「解説」(稲葉振一郎)より
(こちらも著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・本書は「生産力(その核心の技術)が経済の在り方を決め、下部構造としての経済が政治や
文化の在り方を決める」というマルクス主義や近代経済論の発想を批判する
⇒そしてテクノロジーの道筋は制度やビジョン、文化的規範で形作られることを歴史から示す
・技術革新がどのような状況下でエリート層にしか利益をもたらさなかったのか、あるいは
どのような状況下で共有され人々の暮らしが改善されたのかを、歴史から丹念に調査している
⇒技術革新の在り方が包括的で労働者に優しいか排他的で搾取的であるかが重要と何度も強調する
・とりわけ2010年代後半からの人工知能AIとその脅威論を意識して、機械化と労働と雇用の
関係についての経済学の議論を考察している
⇒そしてAI化もこれまでの機械化と同様に、その波及効果があって初めて賃金が上昇し、
生産性の向上の恩恵が及ぶ「生産性バンドワゴン」効果が生ずるとする
・新石器時代の農業革命による健康状態の悪化、西欧中世の技術革新の成果が大多数の農民には
寄与しなかった事実、近代産業革命の工場労働者の悲惨な状況などを実証的研究から説明する
・とりわけ19世紀後半から20世紀にかけての先進諸国の高度成長での豊かな生活の実現は、
「見えざる手」に導かれたのではなく、労働運動の発展に伴う社会保障・福祉国家体制による
⇒技術革新の成果がどのように配分されるか、どのような技術が採用されるかは「見えざる手」
というより、関係者の政治的取引や社会・技術についてのビジョンに大きく左右される
・20世紀末からのIT革命、金融革新、グローバル化は金融エリート、ビッグデータ起業家の
影響力を強め、ローカルな労働者や農民の組合運動などを通じた対抗力を弱めた
⇒民主政治そのものが不平等化やエリート・イデオロギー支配により崩されているとする
・前2作より「技術革新と成長の成果はどのように配分されるか、公平な配分を実現するには
どうすればよいか」に論点がさらに深められている
⇒技術革新と人工知能は世界的な関心事であり、今、問われているのはアメリカのハイテク
産業によって、中産階級にどの程度の押し下げ圧力がかかっているかということである
(以下、解説者の感想より)
・前作「国家はなぜ衰退するのか」から10年、著者らの理論の正しさは中露の改革の成功に
よってではなく停滞の持続によって証明されたことになる
・本書での巨大企業の独占解体、民衆の連帯による公正分配要求は、20世紀前半のアメリカ
進歩主義(革新主義とも)の再興の呼びかけともいえる
⇒ただしGAFAなどに独禁法で対抗しようという提言はわかりやすいが、民衆連帯の復興に
ついては、いまひとつわかりにくい
⇒都市に集中した工場労働者が農民より団結対抗で有利になり得た(資本家も妥協しやすかった)
のに対し、IT革命とグローバル化以降、雇用が柔軟化した世界で、このよう条件は失われつつ
あることは著者たちも気づいているはず
・公平なデジタル技術を目指す政策的介入では、アメリカ合衆国のような大規模な枠組みには
適応的ではなく、ドイツや北欧で相対的に成功しているように見える政策は、もう少し小さな
コミュニティを必要としているのかも知れない
⇒注目すべきはデータ所有権で、著者たちはEUのGDPRには点が辛いが、彼らが肯定的に
紹介するデータ所有権を保護するデータ・ユニオンの考え方はGDPR的な発想の徹底で、
「情報銀行」の考え方にも通じると思われる
・・・
うーむ、はてさてどうなんでしょう?
特に「ターゲティング広告に代わるビジネスモデル」として定額制のネットフリックスが
挙げられ、情報収集やAI投資はしているものの誤情報や政治的暴言が殆ど存在しないのは、
その目的がエンゲージメントの最大化ではないから、つーのには納得しました
またソーシャルメディアでも定額制は可能で、エコーチェンバーや誤情報の危険性はあるが、
エンゲージメントを追求する手法からは脱却できる、つーのも確かにそのとおりなんですが、
定額制で加入するソーシャルメディアとゆーイメージがイマイチ分かりませんでした
あと解説者も感想で書いておられるように、労働者・市民の連帯に関する部分がイマイチ
具体性に欠けるとゆーか実現可能性に欠けるとゆーか、そんな感じでしたね
ま、データ所有権とかは、そもそもわたくしの理解の範疇を超えてましゅが

