わからないもの
2025年04月03日
新・古代史
とーとつですが、新年度はじめての記事は・・・

新・古代史~グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権~
とゆー本の(「はじめに」と「おわりに」の
)ご紹介であります
表紙カバー裏にあった惹句

末尾にあった主な参考文献と著者と奥付


2024年3月放送の「NHKスペシャル~古代史ミステリー~」取材班のディレクター2人、
夫馬直実・田邊宏騎の両氏が取材をもとに番組で取り上げなかった背景や視点を加えて
共同執筆された本だそうで、番組を興味深く視聴してたので借りてみた次第です
例によって目次の紹介のみ



ま、内容は目次から想像いただくとして・・・素人にもわかりやすく読めました
この番組以外にも歴史探偵やフロンティアなどいくつかの番組でも紹介されてた「最新研究と
グローバルヒストリーの観点からの」古代史アプローチ、つーのが新鮮でした
以下、日本の古代史については(虚実取り混ぜ
)当ブログでもいくつか紹介してますので、
今回は「はじめに」と「おわりに」から、てきとーにメモしておきます
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
「はじめに」より
・これまで取材班は「戦国時代×大航海時代」や「幕末×欧米列強」といったテーマで、
グローバルヒストリーの観点から新たな歴史像を描いてきた
・今回は弥生時代から古墳時代の日本と中国や朝鮮半島の国々が織りなした激動の時代に
焦点を当てる⇒「卑弥呼×三国志」
⇒古代史には現在も様々な学説・解釈が存在するので特定の説を支持する意図はない
⇒それよりも苦心している国内外の研究者の努力と挑戦が本書から垣間見えたら幸い・・・
・・・
(つーことで最新研究からも論理的で説得力のある異説がいくつも出てくる現状が客観的に
紹介されてて、このあたりがSNSなどとは根本的に違う部分ですね
邪馬台国についても九州説と近畿説については論理的で説得力のある両説の説明がされてたし、
出雲・山陰説や岡山・吉備説はじめ国内だけでも100以上も候補地があることや、さらには
ジャワ島説やエジプト説など海外説まであることも紹介されてました)
・・・
(「本章」よりのメモは省略⇒概要は目次から)
ただし全く知らなかった第9章最後の「日本の誕生」部分のみメモしておきます
・倭国がいつ日本になったのか
(7世紀後半の天武天皇・持統天皇の頃、701年の大宝律令制定の頃など諸説がある中で)
⇒2011年に中国の西安郊外で墓誌(石板)が見つかった
⇒678年2月に死亡し10月に葬られた百済人の軍人についての884文字の記述
⇒その中に663年の白村江の戦いの後の状況が記されており、吉林大学考古学院の教授は
⇒「生き残った日本は扶桑に閉じ籠り罰を逃れている」という内容として、日本という国号が
初めて使われた事例ではないかと考えた
⇒この読み解きが正しければ7世紀には倭国に代わって日本と名乗り始めていたことになり、
これまでの定説が覆ることになる
⇒ただし「日本」は中国から見て「日の出るところ」を意味し新羅を指して使用されることも
ある言葉で国号とは考えられないとする異論もあり、今後の慎重な議論が期待されている
(日本も大和も大倭も倭も日本語の読みはヤマトだそうですが、白村江(そーいやこの地名、
昔は中国語読みと朝鮮語読みと日本語読みの混ざった「はくすきのえ」と習ってましたが、
今は中国語読みに由来する「はくそんこう」になってますが何故なんだろ?)を戦った百済軍人の
墓誌に「日本」という漢字が国号として使われていたとすれば、確かに興味深いですね)
・・・
番組プロデューサー山崎啓明氏による「おわりに」より
・日本という国の始まりをグローバルな歴史の文脈で捉え直してみると、
⇒ユーラシア大陸の大変動と古代日本の大変動が深く結びついていることに驚かされる
・邪馬台国の卑弥呼が生きた三世紀に中国では漢が滅び、魏・呉・蜀の三国時代に突入、
六世紀の隋の建国まで国家分断状態が続いた
⇒ヨーロッパでも四世紀末にはローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国は476年に滅亡、
これはヤマト王権が前方後円墳を築き日本列島の大半を支配下に収めようとしていた頃
・それらに共通する変動要因の一つがユーラシア大陸の中央部で勃興した遊牧民族の騎馬戦術
⇒鞍、鐙、轡といった馬具の発明は画期的で大陸を席巻した
⇒東では遊牧民族の匈奴が漢軍を叩きのめし屈辱的な和睦に
⇒同じく遊牧民族の高句麗が朝鮮半島を南下し百済を圧迫、倭国軍と戦った
⇒西では遊牧民族のフン族アッティラが東ヨーロッパに進出して、ゲルマン民族の大移動、
地中海世界を制覇したローマ帝国の衰退へとつながった
⇒この騎馬戦術を積極的に導入して東アジアのパワーバランスを塗り替えようとしたのが
倭王が率いるヤマト王権だった
・勢力図が塗り替わると世界観も変化する
⇒中国の歴史書も紀元前一世紀に完成した「史記」では皇帝の偉業がハイライトだったが、
⇒三世紀の魏志東夷伝や五世紀の宋書夷蛮伝になると倭国や朝鮮半島、遊牧民の動向など、
中国の周辺世界の記述が増えてくる
⇒地政学的なリスクの高まりとともに「中華」の概念が生まれてくる
⇒領土を脅かす外敵がいたからこそ必要とされた概念だったのではないか
・ユーラシア大陸の大変動を国造りの好機と見たのが古代日本のリーダーたち
⇒卑弥呼はなぜ呉ではなく魏を選んだのか
⇒高句麗と敵対していた倭の五王が、なぜ宋に官位を要求し朝鮮半島の軍事指揮権を手中に
収めようとしたのか
⇒グローバルヒストリーによって邪馬台国やヤマト王権の外交政策やリーダー像も変わるだろう
・古代史では論争が続いているテーマがあるが本書は謎に決着をつけることを目指していない
⇒考古学的な調査や科学的な分析から明らかになった事実や研究者の見解をわかりやすく丁寧に
紹介することがねらい・・・
・・・
うーむ、まさにねらいどおりで科学的な説明も各見解の解説もわかりやすかったです
さらに深く知りたければ末尾にあった「参考文献」を読めばいいし・・・
って、何冊かは読んでブログ記事にメモしたような気もするけど記憶が・・・

新・古代史~グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権~
とゆー本の(「はじめに」と「おわりに」の

表紙カバー裏にあった惹句

末尾にあった主な参考文献と著者と奥付


2024年3月放送の「NHKスペシャル~古代史ミステリー~」取材班のディレクター2人、
夫馬直実・田邊宏騎の両氏が取材をもとに番組で取り上げなかった背景や視点を加えて
共同執筆された本だそうで、番組を興味深く視聴してたので借りてみた次第です
例によって目次の紹介のみ



ま、内容は目次から想像いただくとして・・・素人にもわかりやすく読めました
この番組以外にも歴史探偵やフロンティアなどいくつかの番組でも紹介されてた「最新研究と
グローバルヒストリーの観点からの」古代史アプローチ、つーのが新鮮でした
以下、日本の古代史については(虚実取り混ぜ

今回は「はじめに」と「おわりに」から、てきとーにメモしておきます
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
「はじめに」より
・これまで取材班は「戦国時代×大航海時代」や「幕末×欧米列強」といったテーマで、
グローバルヒストリーの観点から新たな歴史像を描いてきた
・今回は弥生時代から古墳時代の日本と中国や朝鮮半島の国々が織りなした激動の時代に
焦点を当てる⇒「卑弥呼×三国志」
⇒古代史には現在も様々な学説・解釈が存在するので特定の説を支持する意図はない
⇒それよりも苦心している国内外の研究者の努力と挑戦が本書から垣間見えたら幸い・・・
・・・
(つーことで最新研究からも論理的で説得力のある異説がいくつも出てくる現状が客観的に
紹介されてて、このあたりがSNSなどとは根本的に違う部分ですね
邪馬台国についても九州説と近畿説については論理的で説得力のある両説の説明がされてたし、
出雲・山陰説や岡山・吉備説はじめ国内だけでも100以上も候補地があることや、さらには
ジャワ島説やエジプト説など海外説まであることも紹介されてました)
・・・
(「本章」よりのメモは省略⇒概要は目次から)
ただし全く知らなかった第9章最後の「日本の誕生」部分のみメモしておきます
・倭国がいつ日本になったのか
(7世紀後半の天武天皇・持統天皇の頃、701年の大宝律令制定の頃など諸説がある中で)
⇒2011年に中国の西安郊外で墓誌(石板)が見つかった
⇒678年2月に死亡し10月に葬られた百済人の軍人についての884文字の記述
⇒その中に663年の白村江の戦いの後の状況が記されており、吉林大学考古学院の教授は
⇒「生き残った日本は扶桑に閉じ籠り罰を逃れている」という内容として、日本という国号が
初めて使われた事例ではないかと考えた
⇒この読み解きが正しければ7世紀には倭国に代わって日本と名乗り始めていたことになり、
これまでの定説が覆ることになる
⇒ただし「日本」は中国から見て「日の出るところ」を意味し新羅を指して使用されることも
ある言葉で国号とは考えられないとする異論もあり、今後の慎重な議論が期待されている
(日本も大和も大倭も倭も日本語の読みはヤマトだそうですが、白村江(そーいやこの地名、
昔は中国語読みと朝鮮語読みと日本語読みの混ざった「はくすきのえ」と習ってましたが、
今は中国語読みに由来する「はくそんこう」になってますが何故なんだろ?)を戦った百済軍人の
墓誌に「日本」という漢字が国号として使われていたとすれば、確かに興味深いですね)
・・・
番組プロデューサー山崎啓明氏による「おわりに」より
・日本という国の始まりをグローバルな歴史の文脈で捉え直してみると、
⇒ユーラシア大陸の大変動と古代日本の大変動が深く結びついていることに驚かされる
・邪馬台国の卑弥呼が生きた三世紀に中国では漢が滅び、魏・呉・蜀の三国時代に突入、
六世紀の隋の建国まで国家分断状態が続いた
⇒ヨーロッパでも四世紀末にはローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国は476年に滅亡、
これはヤマト王権が前方後円墳を築き日本列島の大半を支配下に収めようとしていた頃
・それらに共通する変動要因の一つがユーラシア大陸の中央部で勃興した遊牧民族の騎馬戦術
⇒鞍、鐙、轡といった馬具の発明は画期的で大陸を席巻した
⇒東では遊牧民族の匈奴が漢軍を叩きのめし屈辱的な和睦に
⇒同じく遊牧民族の高句麗が朝鮮半島を南下し百済を圧迫、倭国軍と戦った
⇒西では遊牧民族のフン族アッティラが東ヨーロッパに進出して、ゲルマン民族の大移動、
地中海世界を制覇したローマ帝国の衰退へとつながった
⇒この騎馬戦術を積極的に導入して東アジアのパワーバランスを塗り替えようとしたのが
倭王が率いるヤマト王権だった
・勢力図が塗り替わると世界観も変化する
⇒中国の歴史書も紀元前一世紀に完成した「史記」では皇帝の偉業がハイライトだったが、
⇒三世紀の魏志東夷伝や五世紀の宋書夷蛮伝になると倭国や朝鮮半島、遊牧民の動向など、
中国の周辺世界の記述が増えてくる
⇒地政学的なリスクの高まりとともに「中華」の概念が生まれてくる
⇒領土を脅かす外敵がいたからこそ必要とされた概念だったのではないか
・ユーラシア大陸の大変動を国造りの好機と見たのが古代日本のリーダーたち
⇒卑弥呼はなぜ呉ではなく魏を選んだのか
⇒高句麗と敵対していた倭の五王が、なぜ宋に官位を要求し朝鮮半島の軍事指揮権を手中に
収めようとしたのか
⇒グローバルヒストリーによって邪馬台国やヤマト王権の外交政策やリーダー像も変わるだろう
・古代史では論争が続いているテーマがあるが本書は謎に決着をつけることを目指していない
⇒考古学的な調査や科学的な分析から明らかになった事実や研究者の見解をわかりやすく丁寧に
紹介することがねらい・・・
・・・
うーむ、まさにねらいどおりで科学的な説明も各見解の解説もわかりやすかったです
さらに深く知りたければ末尾にあった「参考文献」を読めばいいし・・・
って、何冊かは読んでブログ記事にメモしたような気もするけど記憶が・・・

2025年03月08日
お金の賢い減らし方・・・
とーとつですが・・・

「~90歳までに使い切る~お金の賢い減らし方」であります
表紙カバー裏にあった惹句

著者略歴と奥付

高齢恒例により目次のみ(これだけでも概要がわかります)







まえがきより
・大事なのはお金ではなく「モノ」や「サービス」であり、それを提供してくれる「人間」
⇒世の中の問題はお金が解決するのではなく人が解決する
⇒「お金」は「モノ」や「サービス」を手に入れるための道具に過ぎないし、
問題を解決してくれた人に対する「感謝のしるし」として存在している・・・
以下、ランダムな読書メモです
(著作物からの個人メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・お金を汚いものと考える二つの理由
⇒9割が給与所得者で収入が急激に増えることはないので、お金持ちは甘い汁を吸ってるか
悪いことをしているのでは、という疑念が拭いきれないから
⇒お金の本質について間違った理解をしているから⇒これがこの本の大きな主題
・江戸時代の「金欲し付合」という言葉遊び、日本人の嫉妬の論理(略)
・日本の戦うヒーローは(ゴレンジャーも大岡越前もハヤタ隊員も)公務員で清貧
⇒バットマンやサンダーバードのジェフ・トレーシーは大富豪で慈善事業として戦っている
・実際にアメリカ大富豪の多くは慈善事業に巨額の寄付をしている
⇒日本の経営トップの多くはサラリーマン社長で社員との報酬差は20~30倍程度
⇒アメリカでは平均でも350倍程度、部品メーカーのアプティブでは5000倍以上
・「生贄探し~暴走する脳~」中野信子・ヤマザキマリ共著(講談社+α新書)より
⇒日本人のスパイト行動、同調圧力⇒これは格差を縮小してもなくならない
・家計の金融資産構成
⇒日本は現金・預金が54.3%、株式や投資信託は14.7%
⇒米国は現金・預金が13.7%、株式や投資信託は52.4%、欧州はその中間ぐらい
⇒農耕民族は蓄えが好きで売買で儲けるような狩猟民族的なことは日本人には合わない?
・じつは世界初の先物取引は大坂・堂島の米市場(1730年)の米切手売買で高度なシステムだった
(ベルギーの商品取引所は1531年からだが現物の先渡取引で先物取引ではなかった)
⇒貯蓄も明治政府の殖産興業のための貯蓄奨励教育から⇒それまでは個人で運用していた
(明治以降も金融資産は預金より証券投資の方が多かった)
⇒1939年に戦争遂行のための貯蓄増強が強く打ち出され構造が一変した
⇒戦後復興の重点傾斜配分にも投資より預金のほうが効率がいいので貯蓄奨励が続いた
⇒マル優制度⇒NISAへ
・いっぽうでビットコインFX、公営ギャンブル、パチンコなど世界有数の博打好き
⇒今は貯蓄と博打は好きでも投資はやらないといういびつな構造になっている
・学校教育では貯蓄や投資ではなく「お金の常識」を教えるべき
⇒お金を正しく理解したうえで貯蓄や投資を勉強するかどうかは個人の自由
・お金の役割
①取引決済機能⇒モノやサービスの購入対価としての機能
②価値尺度機能⇒モノやサービスの価値を価格で比較する機能
③価値保存機能⇒モノやサービスの価値を将来まで保存する機能
・商品貨幣(物々交換)理論と信用貨幣(負債信用)理論
⇒物々交換の不便さから貨幣が生まれたというのは学校でも経済学でも自然に語られるが、
考古学や人類学にその証拠はなく、あらゆる民俗誌にも存在していない
⇒無人島に漂着した農民と漁師の例(略)
⇒古代メソポタミアの債権債務の例(略)
・貨幣の信用のもとは「国への信頼」や「国民相互間の信頼」ではない
⇒使うと利益、使わないと不利益になると人々が考えるから貨幣が信用され成り立っている
⇒税金は通貨で払わなければならない⇒その通貨を国民に使わせる重要な手段
・通貨はバーチャルマネー(単なる記号データ)だが、株式はリアルマネー(会社そのもの)
・お金を回す4つの方法(回らなくなると破綻する)
①お金を使う(消費する)⇒販売者、生産者、運搬者などに回る
②投資する⇒必要な人に回して配当金を受け取る
③預金する⇒銀行を通じて投資に回す⇒今は機能せず金利が低いので「貯蓄から投資へ」
④寄付する⇒投資と同じだが金銭的な見返りはない(感謝はある)
⇒どれもしないで現金で持っていても何の価値も生み出さない
・年金収入は物価連動で勤労収入より安定しており介護も一人600万あれば足りるはず
⇒それなのに老後不安で増やしたいと怪しい金融商品や保険に手を出す方が深刻な問題
・FIRE(Financial Indepedence,Retire Early⇒経済的自立による早期退職)への憧れ
⇒年収の25年分を蓄え年率4%で運用すれば蓄えを減らさず一生安定した生活が送れる
⇒仕事への閉塞感から日本のサラリーマンが憧れているが問題は多い(略)
・お金を手に入れる5つの方法
①働く⇒これが土台だが収入の多寡よりどれだけ②③に回すかが大切
②貯める⇒働いた中から貯蓄に回す
③増やす⇒貯めたお金を運用する
④騙し取る⇒犯罪
⑤盗む⇒犯罪
⇒④と⑤は論外だが
お金を貯めて増やすのはそれほど難しいことではない
⇒重要なのは(高収入で)働くことより貯めることと増やすこと
(よく高収入の仕事を探してるが高所得の人が資産家になっているわけではない)
⇒貯めるには使った残高を貯めるのではなく貯めることを先に残高で暮らせばいいだけ
⇒投資も殆どせず給与天引きだけで40代半ばで「億り人」になった女性もいる
⇒「貯める」はシンプルで誰でもできること(誰もがやっていることではないが
)
⇒「増やす」は「貯める」ほどシンプルではなく方法は様々だが市場全体への投資が最も無難
(資本主義は自己増殖するシステムなので市場は長期的には成長を続け、利益を求める人類の
経済活動が続く限り、市場全体に投資を続けていれば長期的には報われるから)
⇒「グローバルに分散投資できる投資信託」への積立投資が最もシンプルに増やす方法
⇒この方法ではどこまで行っても市場平均程度の利益にしかならないが、企業の調査研究や
情報収集などに時間と手間をかけずに実行できる方法
(値動きを気にせず長期に積立て続けることは心理的には難しい
⇒最初は小額から)
・会社のできる最大の社会貢献はたくさん儲けてたくさん税金を払うこと
⇒個人投資でもたくさん儲けてたくさん税金を払えば社会貢献していることになる
・大事なのは増やすことではなく使うこと
・厚生労働省のモデル年金額(妻が無職だったサラリーマン家庭の場合)
⇒支給額は月額で約22万円⇒著者の夫婦二人の生活費もほぼ同じ
⇒仮に90歳までにお金を全部使っても年金は死ぬまで支給され、お金も使わなくなる
⇒たとえ何歳まで生きようともお金に困ることはない
⇒なので90歳までにお金をほとんど使ってしまってもよいと考えている
(どんな事態にどのぐらいのお金が必要かは読めるから必要なら保険や貯蓄で?)
・「死ぬ瞬間の5つの後悔」ブロニー・ウェア著(新潮社)より
⇒最期の人の多くが「自分のやりたいこと」と「人とのつながり」への後悔だった
⇒70歳を超え人生で最後に残る一番大切なものは「思い出」ではないかと思っている
⇒思い出を得るため、やりたいことのため、人とのつながりのためにお金を使う
⇒それはお金を増やすことよりはるかに大切なことだと思う
・お金の使い方・減らし方の4つの側面
①自分の好きなことに使う
②思い出に使う
③人のために使う
④無駄を楽しむ
①なぜ多くの人は「お金がない」と言って好きなことをしないのか
⇒本当はそれほど好きではないから
(本当に好きなら一食抜いてでも別収入を考えてでもお金を貯めて使うはず)
⇒もう一つは同調圧力⇒本当は興味がないことを断る理由として「お金がない」と言ってる
⇒興味がないことははっきり断ればいいし、好きなことに堂々とお金を使えばいい
⇒人生の目的はお金持ちになることではなく幸福になることだから
②モノ消費はオンラインでもできるようになったが、コト消費(体験)は行かないとできない
⇒モノ消費の満足度の持続は短いが、コト消費(体験)の満足度は思い出として長く残る
⇒大事なことはお金を使うバランスだが体験は投資にもなる
③資格をとるだけではリタイア後に稼ぐことはできない(自己研鑽にはなる)
⇒ビジネスをするのに必要な98%は資格ではなく顧客
⇒人とのつながりのためには他人に投資すること
⇒多くの人とつながれる場と機会のためにお金や労力を提供する
・寄付の効用と日本人の嫉妬の論理・同調圧力(略)
④無駄とは何か?
⇒無駄なものなどないので興味があればお金を使えばいいが、無意味なものに使うことはない
⇒重複するもの(民間の医療保険)、自分がまったく興味がないものなどは無意味
⇒無駄をなくしコスパだけを求めることは、ますます日本人を貧乏にしていく
⇒コスパを求める消費者としての自分が生産者・サービス提供者としての自分の首を絞めている
・見栄と義理にお金を使う時代
⇒インスタ映え、リア充など見栄の支出の時代、義理の支出を人情の支出へ(略)
・お金より優先すべき事柄
①時間
⇒お金と違い取り戻せない、貯められない
⇒誰でも今日が一番たくさんの時間資産を持っている日
②信用
⇒サラリーマン時代は会社の信用があり理解できなかったが自営業では信用がお金になる
⇒仕事以外での信用も大事⇒小さな約束も必ず守ること
③健康
⇒お金との因果関係は殆どないので健康なうちにお金を使うことを考える
⇒沖縄のシュノーケリングツアーでは65歳以上は参加できなかった
⇒旅行に行けない理由が若い頃の「お金と時間」から「健康上の理由」になる可能性
⇒健康を失わないために、ではなく健康なうちに(お金の価値のあるうちに)お金を使う
⇒年を取るほど生活費は減るし医療費の自己負担も減るので健康なうちに使い切るつもり
④幸福感
⇒人は自分の好きなことをする時と承認欲求が満たされる時に幸福感を感じる
⇒好きなことを仕事にする(職業の道楽化)、それを楽しむ(努力の娯楽化)
⇒承認欲求を満たしてくれる気持ちには「(インスタ映えやリア充で)他人からよく思われたい」
という気持ちと「感謝される」という2種類がある
⇒「よく思われたい」は他人の評価による(ので一喜一憂する)が、誰からも感謝されなくとも
「人の役に立った」という自分の満足感は大きい
⇒幸福感は人により様々だが他人との比較でなく自分自身の尺度や感情を優先すること
・人生の目的はお金持ちになることではなく楽しく過ごして幸せになること
⇒そのために家族や友人も大切な存在だが、加えてモノやサービスの存在も不可欠
⇒そのモノやサービスは「お金を受け取った人」が提供してくれるもの
⇒なので尊敬や敬意の対象はモノやサービスと人であり、お金そのものではないのに、
お金の呪縛にとらわれて経済も給料も上昇しないのが今の日本ではないか・・・
・お金は大事で何をするにも必要なので若い人には増やすことも重要だが、ある程度の年齢に
なった人は、いかに使って減らしていくかを考えた方が楽しい人生になると思う
・・・・・
わたくしと同世代で証券会社を定年退職後に「経済コラムニスト」になられた著者の本で、
今後どうするかはさておき、お金や投資などについて素人にも分かりやすく書かれてました
ブログ開設20周年の前回記事で終活を決意した!!!わたくしですが、はてさて・・・

「~90歳までに使い切る~お金の賢い減らし方」であります
表紙カバー裏にあった惹句

著者略歴と奥付








まえがきより
・大事なのはお金ではなく「モノ」や「サービス」であり、それを提供してくれる「人間」
⇒世の中の問題はお金が解決するのではなく人が解決する
⇒「お金」は「モノ」や「サービス」を手に入れるための道具に過ぎないし、
問題を解決してくれた人に対する「感謝のしるし」として存在している・・・
以下、ランダムな読書メモです
(著作物からの個人メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・お金を汚いものと考える二つの理由
⇒9割が給与所得者で収入が急激に増えることはないので、お金持ちは甘い汁を吸ってるか
悪いことをしているのでは、という疑念が拭いきれないから
⇒お金の本質について間違った理解をしているから⇒これがこの本の大きな主題
・江戸時代の「金欲し付合」という言葉遊び、日本人の嫉妬の論理(略)
・日本の戦うヒーローは(ゴレンジャーも大岡越前もハヤタ隊員も)公務員で清貧
⇒バットマンやサンダーバードのジェフ・トレーシーは大富豪で慈善事業として戦っている
・実際にアメリカ大富豪の多くは慈善事業に巨額の寄付をしている
⇒日本の経営トップの多くはサラリーマン社長で社員との報酬差は20~30倍程度
⇒アメリカでは平均でも350倍程度、部品メーカーのアプティブでは5000倍以上
・「生贄探し~暴走する脳~」中野信子・ヤマザキマリ共著(講談社+α新書)より
⇒日本人のスパイト行動、同調圧力⇒これは格差を縮小してもなくならない
・家計の金融資産構成
⇒日本は現金・預金が54.3%、株式や投資信託は14.7%
⇒米国は現金・預金が13.7%、株式や投資信託は52.4%、欧州はその中間ぐらい
⇒農耕民族は蓄えが好きで売買で儲けるような狩猟民族的なことは日本人には合わない?
・じつは世界初の先物取引は大坂・堂島の米市場(1730年)の米切手売買で高度なシステムだった
(ベルギーの商品取引所は1531年からだが現物の先渡取引で先物取引ではなかった)
⇒貯蓄も明治政府の殖産興業のための貯蓄奨励教育から⇒それまでは個人で運用していた
(明治以降も金融資産は預金より証券投資の方が多かった)
⇒1939年に戦争遂行のための貯蓄増強が強く打ち出され構造が一変した
⇒戦後復興の重点傾斜配分にも投資より預金のほうが効率がいいので貯蓄奨励が続いた
⇒マル優制度⇒NISAへ
・いっぽうでビットコインFX、公営ギャンブル、パチンコなど世界有数の博打好き
⇒今は貯蓄と博打は好きでも投資はやらないといういびつな構造になっている
・学校教育では貯蓄や投資ではなく「お金の常識」を教えるべき
⇒お金を正しく理解したうえで貯蓄や投資を勉強するかどうかは個人の自由
・お金の役割
①取引決済機能⇒モノやサービスの購入対価としての機能
②価値尺度機能⇒モノやサービスの価値を価格で比較する機能
③価値保存機能⇒モノやサービスの価値を将来まで保存する機能
・商品貨幣(物々交換)理論と信用貨幣(負債信用)理論
⇒物々交換の不便さから貨幣が生まれたというのは学校でも経済学でも自然に語られるが、
考古学や人類学にその証拠はなく、あらゆる民俗誌にも存在していない
⇒無人島に漂着した農民と漁師の例(略)
⇒古代メソポタミアの債権債務の例(略)
・貨幣の信用のもとは「国への信頼」や「国民相互間の信頼」ではない
⇒使うと利益、使わないと不利益になると人々が考えるから貨幣が信用され成り立っている
⇒税金は通貨で払わなければならない⇒その通貨を国民に使わせる重要な手段
・通貨はバーチャルマネー(単なる記号データ)だが、株式はリアルマネー(会社そのもの)
・お金を回す4つの方法(回らなくなると破綻する)
①お金を使う(消費する)⇒販売者、生産者、運搬者などに回る
②投資する⇒必要な人に回して配当金を受け取る
③預金する⇒銀行を通じて投資に回す⇒今は機能せず金利が低いので「貯蓄から投資へ」
④寄付する⇒投資と同じだが金銭的な見返りはない(感謝はある)
⇒どれもしないで現金で持っていても何の価値も生み出さない
・年金収入は物価連動で勤労収入より安定しており介護も一人600万あれば足りるはず
⇒それなのに老後不安で増やしたいと怪しい金融商品や保険に手を出す方が深刻な問題
・FIRE(Financial Indepedence,Retire Early⇒経済的自立による早期退職)への憧れ
⇒年収の25年分を蓄え年率4%で運用すれば蓄えを減らさず一生安定した生活が送れる
⇒仕事への閉塞感から日本のサラリーマンが憧れているが問題は多い(略)
・お金を手に入れる5つの方法
①働く⇒これが土台だが収入の多寡よりどれだけ②③に回すかが大切
②貯める⇒働いた中から貯蓄に回す
③増やす⇒貯めたお金を運用する
④騙し取る⇒犯罪
⑤盗む⇒犯罪
⇒④と⑤は論外だが

⇒重要なのは(高収入で)働くことより貯めることと増やすこと
(よく高収入の仕事を探してるが高所得の人が資産家になっているわけではない)
⇒貯めるには使った残高を貯めるのではなく貯めることを先に残高で暮らせばいいだけ
⇒投資も殆どせず給与天引きだけで40代半ばで「億り人」になった女性もいる
⇒「貯める」はシンプルで誰でもできること(誰もがやっていることではないが

⇒「増やす」は「貯める」ほどシンプルではなく方法は様々だが市場全体への投資が最も無難
(資本主義は自己増殖するシステムなので市場は長期的には成長を続け、利益を求める人類の
経済活動が続く限り、市場全体に投資を続けていれば長期的には報われるから)
⇒「グローバルに分散投資できる投資信託」への積立投資が最もシンプルに増やす方法
⇒この方法ではどこまで行っても市場平均程度の利益にしかならないが、企業の調査研究や
情報収集などに時間と手間をかけずに実行できる方法
(値動きを気にせず長期に積立て続けることは心理的には難しい

・会社のできる最大の社会貢献はたくさん儲けてたくさん税金を払うこと
⇒個人投資でもたくさん儲けてたくさん税金を払えば社会貢献していることになる
・大事なのは増やすことではなく使うこと
・厚生労働省のモデル年金額(妻が無職だったサラリーマン家庭の場合)
⇒支給額は月額で約22万円⇒著者の夫婦二人の生活費もほぼ同じ
⇒仮に90歳までにお金を全部使っても年金は死ぬまで支給され、お金も使わなくなる
⇒たとえ何歳まで生きようともお金に困ることはない
⇒なので90歳までにお金をほとんど使ってしまってもよいと考えている
(どんな事態にどのぐらいのお金が必要かは読めるから必要なら保険や貯蓄で?)
・「死ぬ瞬間の5つの後悔」ブロニー・ウェア著(新潮社)より
⇒最期の人の多くが「自分のやりたいこと」と「人とのつながり」への後悔だった
⇒70歳を超え人生で最後に残る一番大切なものは「思い出」ではないかと思っている
⇒思い出を得るため、やりたいことのため、人とのつながりのためにお金を使う
⇒それはお金を増やすことよりはるかに大切なことだと思う
・お金の使い方・減らし方の4つの側面
①自分の好きなことに使う
②思い出に使う
③人のために使う
④無駄を楽しむ
①なぜ多くの人は「お金がない」と言って好きなことをしないのか
⇒本当はそれほど好きではないから
(本当に好きなら一食抜いてでも別収入を考えてでもお金を貯めて使うはず)
⇒もう一つは同調圧力⇒本当は興味がないことを断る理由として「お金がない」と言ってる
⇒興味がないことははっきり断ればいいし、好きなことに堂々とお金を使えばいい
⇒人生の目的はお金持ちになることではなく幸福になることだから
②モノ消費はオンラインでもできるようになったが、コト消費(体験)は行かないとできない
⇒モノ消費の満足度の持続は短いが、コト消費(体験)の満足度は思い出として長く残る
⇒大事なことはお金を使うバランスだが体験は投資にもなる
③資格をとるだけではリタイア後に稼ぐことはできない(自己研鑽にはなる)
⇒ビジネスをするのに必要な98%は資格ではなく顧客
⇒人とのつながりのためには他人に投資すること
⇒多くの人とつながれる場と機会のためにお金や労力を提供する
・寄付の効用と日本人の嫉妬の論理・同調圧力(略)
④無駄とは何か?
⇒無駄なものなどないので興味があればお金を使えばいいが、無意味なものに使うことはない
⇒重複するもの(民間の医療保険)、自分がまったく興味がないものなどは無意味
⇒無駄をなくしコスパだけを求めることは、ますます日本人を貧乏にしていく
⇒コスパを求める消費者としての自分が生産者・サービス提供者としての自分の首を絞めている
・見栄と義理にお金を使う時代
⇒インスタ映え、リア充など見栄の支出の時代、義理の支出を人情の支出へ(略)
・お金より優先すべき事柄
①時間
⇒お金と違い取り戻せない、貯められない
⇒誰でも今日が一番たくさんの時間資産を持っている日
②信用
⇒サラリーマン時代は会社の信用があり理解できなかったが自営業では信用がお金になる
⇒仕事以外での信用も大事⇒小さな約束も必ず守ること
③健康
⇒お金との因果関係は殆どないので健康なうちにお金を使うことを考える
⇒沖縄のシュノーケリングツアーでは65歳以上は参加できなかった
⇒旅行に行けない理由が若い頃の「お金と時間」から「健康上の理由」になる可能性
⇒健康を失わないために、ではなく健康なうちに(お金の価値のあるうちに)お金を使う
⇒年を取るほど生活費は減るし医療費の自己負担も減るので健康なうちに使い切るつもり
④幸福感
⇒人は自分の好きなことをする時と承認欲求が満たされる時に幸福感を感じる
⇒好きなことを仕事にする(職業の道楽化)、それを楽しむ(努力の娯楽化)
⇒承認欲求を満たしてくれる気持ちには「(インスタ映えやリア充で)他人からよく思われたい」
という気持ちと「感謝される」という2種類がある
⇒「よく思われたい」は他人の評価による(ので一喜一憂する)が、誰からも感謝されなくとも
「人の役に立った」という自分の満足感は大きい
⇒幸福感は人により様々だが他人との比較でなく自分自身の尺度や感情を優先すること
・人生の目的はお金持ちになることではなく楽しく過ごして幸せになること
⇒そのために家族や友人も大切な存在だが、加えてモノやサービスの存在も不可欠
⇒そのモノやサービスは「お金を受け取った人」が提供してくれるもの
⇒なので尊敬や敬意の対象はモノやサービスと人であり、お金そのものではないのに、
お金の呪縛にとらわれて経済も給料も上昇しないのが今の日本ではないか・・・
・お金は大事で何をするにも必要なので若い人には増やすことも重要だが、ある程度の年齢に
なった人は、いかに使って減らしていくかを考えた方が楽しい人生になると思う
・・・・・
わたくしと同世代で証券会社を定年退職後に「経済コラムニスト」になられた著者の本で、
今後どうするかはさておき、お金や投資などについて素人にも分かりやすく書かれてました
ブログ開設20周年の前回記事で終活を決意した!!!わたくしですが、はてさて・・・

2025年01月30日
2024年10月29日
万物の黎明
とーとつですが・・・

The Dawn of Everything~A New History of Humanity~
万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~であります
表紙カバー裏にあった惹句

そう、著者2人は(瞬く間に古典となったこの本により)、
ガリレオが天文学で、ダーウィンが生物学でなしたことを人類学でおこなったのだ
と
裏表紙カバー裏にあった著者2人と訳者の紹介

著者2人は人類学の教授と考古学の教授で訳者は社会思想史・都市社会論の教授・・・
わたくし文明史や人類史にも興味があるのですが人類学と考古学の専門家が共同執筆した本は
はじめてで、確かに思想家などの本より説得力があって、目からウロコでした
特にこれまでの文明史には殆ど出てこなかった南北アメリカやウクライナなど、いわゆる
「〇大文明」以外の古代文明にも着目して、人類学と考古学の最新成果から、これまでの
歴史観を覆すような事実が次々と紹介されてて、あらためて自分の無知を思い知りました
奥付

初版から1ヶ月で3刷まで増刷されてますから、この分野の本としては驚異的ですね
わたくしも発行と同時に購入図書館予約してましたが約1年待ちでした
例によって目次のみ


参考文献も含めると700頁ちかい大著で、本文も二段組の小さな文字がぎっしりと並び、
しかも図版は少なめで、長めのセンテンスがひたすら続いてました・・・
ともかく、まずは第1章の冒頭から要点などをメモ・・・
(著作物からの個人メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・ルソーかホッブズかの二者択一を乗り越える過去数十年の研究結果からの反論が本書
→狩猟採集世界は平等な小集団ではなく大胆な社会的実験で政治形態のオンパレードだった
→農耕社会に私有財産や不平等はなく共同体の多くは身分やヒエラルキーから解放されていた
→世界最古の都市も多くは階級的区分を有さず強い平等主義で統治者や役人は必要なかった
・歴史に「傾向」はある(それに逆らう人も多い)が、「法則」はつくりあげられたもの
・ルソー、フクヤマ、ダイアモンド批判
→小規模集団が平等主義だった根拠も大規模集団には統治者や官僚が必要だった根拠もない
→事実を知らないで偏見を歴史の法則にしているだけ
・ネイティブアメリカン社会の共同体のきずなの強さ、相互のケア、愛、幸福・・・
→ヨーロッパ環境の安全な都市より人をワクワクさせるものだったからみんな逃げた
→矢を射られた時に深く気遣ってくれる人がいるという感覚も「安全」・・・
・・・と、確かに興味津々の内容でしたが、ここまでで本文の約1/600・・・
数十年に及ぶ研究成果ですが一般向けに書かれており、訳者も一般読者を対象に訳されてて
長いセンテンスでも読み込めば面白いのですが、この調子でメモしながら読みすすめると、
とても図書館の返却期限には間に合いそうにもなく、かといって買ってしまえば、今度は
いつでも読めるとなって「積ん読」になるのは必定・・・
つーことで、とりあえず・・・
飛ばし読みする中で(けっこうお茶目だった
)各項目の見出し部分だけを要点メモ
第1章の見出し要点メモ
・なぜホッブズ流とルソー流の人類史モデルが政治的に悲惨な意味合いを持つのか
・人類史の流れに関する一般的理解が間違っている簡潔な実例
(ジャン・ジャック・ルソー、フランシス・フクヤマ、ジャレド・ダイアモンド・・・)
・幸福の追求について
(アダム・スミス、アダム・ファーガソン、ジョン・ミラー、ルイス・ヘンリー・モーガン、
スティーヴン・ピンカー、ナポレオン・シャグノン・・・)
・なぜ従来の人類史の語り口は間違っているだけでなく必要以上に退屈であるのか
・これ以降の展開について
第2章の見出し要点メモ
・ヨーロッパ中心主義に対する批判がどのように裏目に出て、先住民の思想家を
「操り人形」に仕立て上げてしまうのか
・ニューフランスの住民がヨーロッパからの侵略者をどうみていたのか、とりわけ寛大さ、
社交力、物質的な豊かさ、犯罪、刑罰、自由の問題をどうみていたが考察される
・ヨーロッパ人が(ネイティブ)アメリカンから理に適った討議、個人の自由、恣意的な権力の
拒否をどう学んだかが示される
・ウェンダットの哲学者・政治家カンディアロングが紹介され、彼の人間性や見解が、
どのように啓蒙時代ヨーロッパのサロンに影響したのかが説明される
・ARJテュルゴーの世界形成力が説明され、彼がどのように先住民による批判を覆し、
現代の社会進化論の基礎を築いたかが説明される
・ルソーはいかにして(懸賞論文で)人類の歴史を制覇するにいたったか
・先住民による批判と進歩の神話、左翼誕生の関係が考察される
・「愚かな未開人の神話」を超えて(これが本書に重要である理由)
第3章の見出し要点メモ
・サイエンス・パラドクスが、なぜ煙幕であるか
・優れた研究者でさえ社会的不平等には起源があると考えてしまう理由
・氷河期社会の実態が従来の狩猟採集民イメージを覆していること、
3万年前の社会階層化の証拠とされるものの実態
・未開人には意識的思考ができないという先入観の排除、その思考の歴史的重要性
・人類学者ストロースはナンビクワラ族から首長の役割と社会生活の季節的変化について
何を学んだか
・氷河期とそれ以降の個人と季節的変異の証拠
・バッファロー警察(社会政治における季節性の役割)
・問題は「社会的不平等の起源」ではなく「どのように閉塞したのか」
・サピエンス(かしこい)であることの本当の意味
第4章の見出し要点メモ
・人類は人口が増えれば増えるほど小規模で生活したことの説明
・平等主義的社会では何が平等の対象になるのかの問い
・マーシャル・サーリンズの「初源の豊かな社会」の検討
(証拠がない状態で先史時代について書くとどうなるか・・・)
・北アメリカと日本での古代狩猟採集民に関する新たな発見が社会進化を根底から覆す
(ルイジアナ州ポヴァティ・ポイント、三内丸山や100年周期で続く縄文遺跡)
・狩猟採集民は未熟で素朴という神話が、なぜ現代まで生き延びているか
・定住する狩猟採集民は例外という馬鹿げた議論を退ける
・ついに所有の問題が語られ、不可侵なるものとの関係が探求される
第5章の見出し要点メモ
・はじめて文化的分化の問題が考察される
・文化圏という乱暴、不適切、攻撃的だが示唆に富む方法の考察
・モースの洞察が太平洋岸へ適用され、ゴールドシュタットが「プロテスタント的狩猟採集民」
と表現したことが不合理ではあるものの、いまだに何かを語りかける理由
・「プロテスタント的狩猟採集民」と「漁夫王(フィッシャーキング)」の分裂生成の論証
・奴隷制と生産様式の一般的性質について
・他人を奴隷にして一獲千金を狙う危険性を説いた先住民族の説話
(と、「銃・病原菌・鉄」についての余談)
・魚を釣るのと、どんぐりを拾うのと、どっちがいいかな?
・太平洋破片地帯(シャッターゾーン)の培養/耕作
・いくつかの結論
第6章の見出し要点メモ
・プラトンの偏見が農耕発明についての考えを曇らせている
・世界最古の町チャタルホユックの歴史
・学術世界のちょっとした立入禁止区域のひとつ、新石器時代母権制の可能性
・世界で最も有名な新石器時代の町の生活
・初期農耕共同体における社会生活の季節性
・肥沃な三日月地帯の分解
・スローなコムギといかにして農耕民になったかの通俗理論
・新石器時代農耕の進化の遅さ、ルソーに反し畑の囲い込みをしなかった理由
・科学者である女性
・耕作すべきか、せざるべきか、それは単なる思い込み(ギョベクリ・テペ遺跡)
・意味論的な罠と形而上学的な蜃気楼
第7章の見出し要点メモ
・家畜や農作物の世界的な移動を論じる際の用語法の問題
・なぜ農耕はもっと早く発達しなかったのか
・新石器時代の教訓話
中央ヨーロッパ最初の農耕民の悲惨かつ驚嘆すべき命運
・転換期のナイル川流域の転換とオセアニア島嶼部への植民
・アマゾニアの事例と遊戯農耕(プレイファーミング)の諸可能性について
・しかし、なぜそれが重要なのか(目的論的推論の危険性)
第8章の見出し要点メモ
・悪名高きスケールの問題をはじめて取り上げる
・諸都市の背景の描写、初期都市誕生の推測
・メガサイト(巨大遺跡)とウクライナでの考古学的発見が都市起源に関する常識を覆す
・メソポタミア、それほど原始的でない民主制について
・インダス文明が王権以前のカーストであったか否か
・中国先史時代の明白な都市革命の事例
第9章の見出し要点メモ
・マヤ低地の外来王の例とティオティワカンとの関係
・ティオティワカンの人々はいかにしてモニュメント建設や人身御供に背を向けて、
かわりに社会住宅プロジェクトに乗り出したのか
・アステカ帝国に抵抗してスペイン侵略者と手を組むことにした共和制トラスカラの事例
第10章の見出し要点メモ
・財産と権力を支配する3つの基本形態が提示され、人類史の探求に・・・
(ジェームス・ボンドは暴力(殺しのライセンス)、情報(秘密へのアクセス)、カリスマ性を
兼ね備えているが、前二者を支えているのは国家の官僚機構)
(カリスマ性は民主主義で相殺されると思っているが近代の民主主義は大物の勝敗ゲーム)
・アステカ、インカ、マヤ(それからスペイン)について
・脱線して時のかたち、興亡のメタファー、政治的バイアス・・・
・スポーツとしての政治→オルメカの事例
・像(イメージ)に築かれた帝国?チャビン・デ・ワンタル
・国家なき主権(ナチェズの事例)
・古代エジプト起源時のケアリング労働、儀礼的殺害、小さな泡の集合
(農耕と儀礼→パンとビール
→インカでは凍結乾燥ジャガイモとトウモロコシビール
)
・中国からメソアメリカの初期国家の差異(共通点はない)
・支配3原則からのエジプト再考と暗黒時代の再検討
・官僚制の起源は以外にも小規模スケールで発見(シリアのテル・サビ・アルヤド遺跡)
・知識武装後の社会変化の基本的前提
・コーダ、文明、空虚な壁、歴史・・・
第11章の見出し要点メモ
・ジェームズCスコットの過去5000年に関する議論、今のグローバル社会組織は必然的か
・北アメリカの統一されたクラン・システム、ホープウェル交流圏の役割
・アメリカ最初の国家になりそうなカホキアのストーリー
・ミシシッピ世界の崩壊、ヨーロッパ人が侵入した頃の新しい政治への端緒
・のちにモンテスキューが「法の精神」で称賛された自己構成原理を、オーセージ族は
どのようにして体現するようになったのか?
・カンディアロングの政治哲学の再考
(第12章は見出しなし)
ま、さすがに見出しメモだけでは飛ばし読みした内容を思い出せないので・・・
巻末の「訳者あとがきにかえて」にあった、訳者が各章のポイントとして紹介されてた部分のみ
(それでも40頁ほどありましたが)要点をメモしました
以下、例によって読み違いも多いので、興味を持たれた方は本書の熟読をお願いしますね
(こちらも著作物からの個人メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
「訳者あとがきにかえて」より各章のポイント
第1章
・本書全体の問題設定の提示
・人は20万年の人類の歴史を知らず、知らないという自覚もないので安易な物語で埋めてきた
→それはおよそルソー版とホッブズ版に分類できる
→小集団→農業革命→都市→文明→国家・・・
(文字文献、科学、哲学、家父長制、常備軍、大量殺戮、官僚制・・・)
→最近の考古学的・人類学的な発見から別の歴史を描き出す→(人類史の)幼年期の終わり
第2章
・ルソーとホッブズに代表される神話の系譜(略)
・西洋思想と先住民による批判(とりわけイエズス会の書簡集全71巻から)
→西洋の競争、金銭に対する執着、ホームレス放置、同胞の見殺し、人の発言を遮る不作法、
弁舌の粗暴さ、女性の不自由、上に卑屈で下に厳しい態度・・・
→先住民の知識人たちから蔑むべき野蛮と批判されていた
→著者二人はこの「周縁化された知」を梃子に近代史・人類史全体にヴィジョンを拡大した
第3章
・最終氷期だった後期旧石器時代からの人類史の再検討
→ハラリ、ダイアモンドなどのビッグストーリー批判
→豪奢な埋葬やモニュメントとヒエラルキーは常時は存在しなかった(痕跡がない)
→多くが季節によってヒエラルキーを組織しては解体し複数の社会組織を往復していた
→かつての人類学者には自明だったこの事実が20世紀後半に失われ小集団で平等主義で孤立した
狩猟採集民のイメージが支配するようになった
→人類は初期より自覚的に社会を組み替える成熟した政治的アクターだったことが忘却された
・ワイアード誌ヴァージニア・ヘファーナンの書評より
→実際に先住民社会は複雑かつ変幻自在だった
→シャイアン族とラコタ族は警察部隊を組織し人々をバッファロー狩りに参加させていた
→ナチェズ族は出不精な独裁者を敬うふりをして自由に行動していた
→著者は巨大な遺跡や墓を階級制度の証拠とする通説にも見直しを迫った
(旧石器時代の墓の大半は有力者ではなく身体的異常を持つ異端者が埋葬されていた)
→人間は自然状態だったことなどなく皮肉屋で感覚的で内省的だった
→全人類に共通したプログラミングなど存在しない
・人類の社会的不平等の根源は何か、ではなく、人類はどのようにして停滞したのかの問い、
平等の喪失ではなく、自由の喪失の問いが本書の核心
第4章
・氷河期終了以降から農耕開始以前に世界各地で生まれた文化的組織法の検討
→前章の問いへの応答が開始される(どうして閉塞したのか)
→農耕開始以前の単純素朴な狩猟採集民というイメージを覆し、多様性に富んでいたことを
明らかにすることを目的にしている
・人類は時代とともに社会規模を大きくしていったという発展イメージの逆転
→長距離移動で離合集散を繰り返していた後期旧石器時代のコスモポリタン
→中石器時代から新石器時代にかけて独自の文化を形成し閉域としての社会を構成
(これが閉塞のひとつの条件→世界は狭くなったのだ!!!)
→環境や生産様式による決定ではなく、異なる価値、異なるモラルを自覚的に発展させる
政治や選択の意志の作動
・平等概念の系譜
→先住民は財産の平等については問題にしておらず相互扶助と個人の自由の発展をはばむ
ヨーロッパ社会を批判していた
→かれらには財産の多寡が権力の多寡に転換する事態は考えられなかった
→平等主義的社会の実質は自由社会であり構成員が自由民であることの確認
→狩猟採集民の社会組織の多様性(余剰生産、植物栽培を拒絶して余暇を選ぶにせよ多様性)
→フロリダのカルーサ族(王のヒエラルキーを保持)、北アメリカのポヴァティ・ポイント、
日本の三内丸山遺跡、ヨーロッパの複数モニュメント遺跡・・・
→いずれも単純素朴な非農耕民という神話を覆しアーケイック期や縄文時代という長期にわたる
「なめらかな平面」時代区分の見直しをせまる遺跡
・私的所有
→所有を知らない単純素朴な狩猟採集民といったイメージを覆すための複雑な私的所有の分析
→大半は「儀礼の檻」によって一部領域に封じられ、権力との結びつきを阻止されている
→奴隷所有に密着する古代ローマ由来の所有権観念は、人類史上では異例中の異例とする
第5章
・「なめらかな平面」から諸文化、諸社会への分化のプロセスとダイナミズム
→北アメリカ西海岸の北西文化圏とカリフォルニア文化圏の相互作用をめぐる分析(人類学)
→地理的な同一化と反同一化の運動、支配の拒絶に関わる運動・・・略
→ヒエラルキーや戦争、農耕の否定、エコロジー意識・・・略
第6章
・人類と農耕、定住しながら「コムギの奴隷」を拒絶したことを論じた章
→更新世から完新世へとステージが移行し農耕の起源にまつわる考察が展開される
→シリアスではない農耕、祝祭的雰囲気(遊戯性)、ジェンダー・・・
→「農業革命」のイメージを転覆させる諸要素が集約されている
・野生穀物の栽培開始から栽培化課程完了までの3000年のギャップ
(本来なら手をかけなくても数世代で完了する→実験考古学の成果)
→コムギの奴隷になることを拒絶し、付き合い、戯れ、イノベーションを積み重ねていた
・狩猟採集から農耕への移行を表現している新石器時代の町チャタルホユック
→シリアスではない農耕(氾濫農耕)、季節性、女性の優位性・・・
・「農業革命」→私有財産の誕生、不平等へのステップとされるが・・・
→革命より長期で多発的で最初の農業共同体の多くは身分やヒエラルキーから解放されていた
→コムギ、コメ、トウモロコシなどの知識は当初、儀礼的な遊戯農耕によって維持されていた
→新石器時代の革新の殆どは女性により何世紀にもわたって蓄積されてきた知識の集合体
→地味だが重要な発見が延々と繰り返されていた
第7章
・遊戯農耕のシリアス農耕への転化は直線的な発展段階ではなく、家畜化・栽培化の拡大も
一様のプロセスをたどっていないことを複数の領域で確認する章→シリアス農耕の多様性
→農業による食糧生産から国家への道も直線ではなかった
(肥沃な三日月地帯の「国家のようなもの」はたまたまで、農耕が必然的に伝播するイメージは、
ヨーロッパによる植民地化経験イメージの過去への投影にすぎない)
→シリアスな農耕はニッチで貧しい地域で生まれ発達した
→恵まれた地域は遊戯農耕を実践した→エコロジカルな柔軟性
→アマゾニアの事例は数千年にわたりその境界線を保持していた→人間と非人間の相互作用
(恵まれた狩猟採集民にとっては、まさに「趣味の園芸」だったんですね!!!
)
第8章
・初期都市論
→ウクライナ、メソポタミア、インダス、中国の初期都市の検討
→社会規模が大きくなれば命令権力でしかまとまらないのか?
→ウクライナとモルドバの遺跡の例
→メソポタミア最古の都市より古くて規模が大きく8世紀あまり人が居住していた
→集権的統治の痕跡もヒエラルキーの痕跡もなかった
→同様の都市をメソポタミア、インダス、中国にも見いだしていく・・・
・殷の時代以前の晋南盆地の陶寺遺跡
→都市の拡大とともに階級的分化とヒエラルキー拡大の証拠がみられる
→拡大が数世紀続いたのちに無政府状態となったが、その後も数世紀にわたり
都市自体は拡大している
→これは階級制度の廃棄(社会革命)で繁栄した世界初の記録証拠ではないか
→自覚的な社会実験の場と転じた世界最古の都市の事例ではないか
→通常イメージする時間の進展を逆転させる「都市革命」のヴィジョン・・・
第9章
・メソアメリカの政治的都市革命
→ティオティワカンも当初は都市の膨張とともにモニュメント建設など近隣のマヤ都市国家と
同様の戦士貴族文明をめざしていたようにみえた
→ところが3世紀後に神殿やモニュメント建設をやめ民衆のための集合住宅建設をはじめた
→多元的多言語都市として発展し集権制やヒエラルキーとは異なる異質な文化芸術に
→奴隷や貴族賛美が排除され共同体全体が重視された→集団的ガバナンス
→コルテスに協力したアステカの都市トラスカラの都市評議会の例(略)
第10章
・理論的総括といったおもむきの章で国家という概念をお払い箱にしようという野心的な章
→「所与の領域内で合法的な強制力の使用を独占することを主張する機関」としての国家
→この概念には近代的国民国家のみが該当する
→人類史にも適用されると、どの社会を国家とするのか見えなくなる
→さらに社会の複雑化と国家形成の連動には進化論的な含みもひそんでいる
→進化論的な国家以外にも様々な社会があったことは前章までで見てきた
→国家は現実を見えなくする概念なので国家を3つの原理に分解して考察
・社会的権力の基盤となる3つの原理→暴力、情報(知)、カリスマ
→近代国家では主権、行政装置、選挙制度だが人類史において近代国家はひな型にならない
→国家の起源の問いにかえて3つの要素の編成と支配の構造を考察
(メソアメリカ、南アメリカ、ナチェズ族、エジプトなどの事例から→略)
→殆どの社会組織は3つの要素の1つないし複数を編成している(近代国家は3つすべて)
→国家の手前の3つの要素で各社会組織を考察
・強力な王権、行政機構があったとしても「国家が存在しないという感覚」が必要
→クレタ島ミノア文明の相互扶助、社会的協働、市民的活動、歓待、他者ケアリング
→世界史の軌道を外れているが文明という視点で照射すれば生き生きとあらわれる
→考古学はサウジアラビアやペルーの砂漠、カザフスタンの大草原、アマゾンの熱帯林でも
このような「失われた文明」の証拠を今後も次々と発見していく
→それらに現代的国民国家イメージを投影するのではなく、それらが語る別の種類の社会的
可能性を考察しなければならない
第11章
・西暦200年~1600年あたりの北アメリカ史(東部ウッドランド文化)を通覧して、
国家あるいは帝国への展開と突然の(自然災害と絡み合った)拒絶をみるという構成
・第4章で既述のポヴァティ・ポイント、ホープウェル文化圏、カホキア国家の発展と解体、
多数の小王制から世襲原則を拒絶する部族的共和政体へ・・・(略)
→カホキアのような国家に引き返すことを拒絶し、独特の合意形成システムを構築して、
(それはモンテスキューを介して近代民主制に流れ込んでいるかも知れないのだ)
独特の反権威主義的哲学を発展させた
・なのでイエズス会などヨーロッパ人が新世界で遭遇したカンディアロングたち「未開人」は、
ヨーロッパのような富と暴力の文明をすでに熟知し拒絶して別の文明を構築しようとしていた
第12章
・本書の重要な論点が異なる観点から再論され、新しい情報で肉付けされた章
→著者2人のいう「3つの基本的自由」を捉え返す
(①移動し離脱する自由、②服従しない自由、③社会的関係を組み替える自由)
→ケアと暴力の結びつきが閉塞の主要な要因であるとする仮説
→慈善空間、保護と閉鎖、家父長制の形成、北西海岸の奴隷制、古代メソポタミア、古代エジプト
(以下も「訳者あとがきにかえて」からのランダムなメモです)
・本書はルソー=ホッブス的パラダイム(戦争と侵略、搾取、家父長制、供犠、モニュメント、
物質的繁栄、必然的歴史意識などの系列からなる文明観)に対立する、より基盤的な文明の
系列を浮上させることに成功した
・「文明(ラテン語のcivilis)という言葉は自発的連合による組織化を可能にする政治的知恵や
相互扶助のもつ諸性質を意味している」
・「文明とは本来インカの廷臣や殷の王朝ではなく、アンデスのアイリュ連合やバスクの村落が
示すような諸性質の類型を意味していたのである」
・「相互扶助、社会的協働、市民的活動、歓待(ホスピタリティ)、あるいは単なる他者への
ケアリングなどが文明を形成していたのだとすれば、文明史の叙述は始まったばかりなのだ」
・「英語の自由freedomは、friendを意味するゲルマン系の語源に由来する」
→友をつくる、約束を守る、平等な共同体で生きることを意味していた
→社会的紐帯を形成できない奴隷であることと対立する概念
・友情は3つの基本的自由のうち③社会的関係を組み替える自由にあたる
→①離脱する自由、②服従しない自由が微弱なら、変革もできず社会は閉塞する
→離脱できず服従を余儀なくされる社会では友情も成立せず孤立する
・最近の日本社会の「孤独礼賛」風潮は、自由の喪失と関係しているのではないか
→つらい職場でも辞められないのは離脱すれば生活に困るから
→嫌なことにも逆らえず社会変革も思えなくなる社会は閉塞していく
・世界最初の都市住民が環境や同胞に負荷を与えていたわけではないこと、
地球の未来を選挙政治にゆだねなければならない「歴史の法則」などないこと、
移民が歓待の危機と直結する必然性などないことは、新しい人類史からわかってきている
・本書は対話を呼びかける招待状だと思いたい
→地球温暖化から地球沸騰化のステージに移行して破局の時代に突入したが、
→破局のときは長期の閉塞を打ち破るカイロスのときでもある
→このチャンスをつかむ招待状を(日本語に直したので)受け取ってほしい・・・
まさに目からウロコの本だったので特に人類史・文明史に興味のない方にもオススメします

The Dawn of Everything~A New History of Humanity~
万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~であります
表紙カバー裏にあった惹句

そう、著者2人は(瞬く間に古典となったこの本により)、
ガリレオが天文学で、ダーウィンが生物学でなしたことを人類学でおこなったのだ

裏表紙カバー裏にあった著者2人と訳者の紹介

著者2人は人類学の教授と考古学の教授で訳者は社会思想史・都市社会論の教授・・・
わたくし文明史や人類史にも興味があるのですが人類学と考古学の専門家が共同執筆した本は
はじめてで、確かに思想家などの本より説得力があって、目からウロコでした
特にこれまでの文明史には殆ど出てこなかった南北アメリカやウクライナなど、いわゆる
「〇大文明」以外の古代文明にも着目して、人類学と考古学の最新成果から、これまでの
歴史観を覆すような事実が次々と紹介されてて、あらためて自分の無知を思い知りました

奥付

初版から1ヶ月で3刷まで増刷されてますから、この分野の本としては驚異的ですね
わたくしも発行と同時に

例によって目次のみ


参考文献も含めると700頁ちかい大著で、本文も二段組の小さな文字がぎっしりと並び、
しかも図版は少なめで、長めのセンテンスがひたすら続いてました・・・

ともかく、まずは第1章の冒頭から要点などをメモ・・・
(著作物からの個人メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・ルソーかホッブズかの二者択一を乗り越える過去数十年の研究結果からの反論が本書
→狩猟採集世界は平等な小集団ではなく大胆な社会的実験で政治形態のオンパレードだった
→農耕社会に私有財産や不平等はなく共同体の多くは身分やヒエラルキーから解放されていた
→世界最古の都市も多くは階級的区分を有さず強い平等主義で統治者や役人は必要なかった
・歴史に「傾向」はある(それに逆らう人も多い)が、「法則」はつくりあげられたもの
・ルソー、フクヤマ、ダイアモンド批判
→小規模集団が平等主義だった根拠も大規模集団には統治者や官僚が必要だった根拠もない
→事実を知らないで偏見を歴史の法則にしているだけ
・ネイティブアメリカン社会の共同体のきずなの強さ、相互のケア、愛、幸福・・・
→ヨーロッパ環境の安全な都市より人をワクワクさせるものだったからみんな逃げた
→矢を射られた時に深く気遣ってくれる人がいるという感覚も「安全」・・・
・・・と、確かに興味津々の内容でしたが、ここまでで本文の約1/600・・・
数十年に及ぶ研究成果ですが一般向けに書かれており、訳者も一般読者を対象に訳されてて
長いセンテンスでも読み込めば面白いのですが、この調子でメモしながら読みすすめると、
とても図書館の返却期限には間に合いそうにもなく、かといって買ってしまえば、今度は
いつでも読めるとなって「積ん読」になるのは必定・・・
つーことで、とりあえず・・・
飛ばし読みする中で(けっこうお茶目だった

第1章の見出し要点メモ
・なぜホッブズ流とルソー流の人類史モデルが政治的に悲惨な意味合いを持つのか
・人類史の流れに関する一般的理解が間違っている簡潔な実例
(ジャン・ジャック・ルソー、フランシス・フクヤマ、ジャレド・ダイアモンド・・・)
・幸福の追求について
(アダム・スミス、アダム・ファーガソン、ジョン・ミラー、ルイス・ヘンリー・モーガン、
スティーヴン・ピンカー、ナポレオン・シャグノン・・・)
・なぜ従来の人類史の語り口は間違っているだけでなく必要以上に退屈であるのか
・これ以降の展開について
第2章の見出し要点メモ
・ヨーロッパ中心主義に対する批判がどのように裏目に出て、先住民の思想家を
「操り人形」に仕立て上げてしまうのか
・ニューフランスの住民がヨーロッパからの侵略者をどうみていたのか、とりわけ寛大さ、
社交力、物質的な豊かさ、犯罪、刑罰、自由の問題をどうみていたが考察される
・ヨーロッパ人が(ネイティブ)アメリカンから理に適った討議、個人の自由、恣意的な権力の
拒否をどう学んだかが示される
・ウェンダットの哲学者・政治家カンディアロングが紹介され、彼の人間性や見解が、
どのように啓蒙時代ヨーロッパのサロンに影響したのかが説明される
・ARJテュルゴーの世界形成力が説明され、彼がどのように先住民による批判を覆し、
現代の社会進化論の基礎を築いたかが説明される
・ルソーはいかにして(懸賞論文で)人類の歴史を制覇するにいたったか
・先住民による批判と進歩の神話、左翼誕生の関係が考察される
・「愚かな未開人の神話」を超えて(これが本書に重要である理由)
第3章の見出し要点メモ
・サイエンス・パラドクスが、なぜ煙幕であるか
・優れた研究者でさえ社会的不平等には起源があると考えてしまう理由
・氷河期社会の実態が従来の狩猟採集民イメージを覆していること、
3万年前の社会階層化の証拠とされるものの実態
・未開人には意識的思考ができないという先入観の排除、その思考の歴史的重要性
・人類学者ストロースはナンビクワラ族から首長の役割と社会生活の季節的変化について
何を学んだか
・氷河期とそれ以降の個人と季節的変異の証拠
・バッファロー警察(社会政治における季節性の役割)
・問題は「社会的不平等の起源」ではなく「どのように閉塞したのか」
・サピエンス(かしこい)であることの本当の意味
第4章の見出し要点メモ
・人類は人口が増えれば増えるほど小規模で生活したことの説明
・平等主義的社会では何が平等の対象になるのかの問い
・マーシャル・サーリンズの「初源の豊かな社会」の検討
(証拠がない状態で先史時代について書くとどうなるか・・・)
・北アメリカと日本での古代狩猟採集民に関する新たな発見が社会進化を根底から覆す
(ルイジアナ州ポヴァティ・ポイント、三内丸山や100年周期で続く縄文遺跡)
・狩猟採集民は未熟で素朴という神話が、なぜ現代まで生き延びているか
・定住する狩猟採集民は例外という馬鹿げた議論を退ける
・ついに所有の問題が語られ、不可侵なるものとの関係が探求される
第5章の見出し要点メモ
・はじめて文化的分化の問題が考察される
・文化圏という乱暴、不適切、攻撃的だが示唆に富む方法の考察
・モースの洞察が太平洋岸へ適用され、ゴールドシュタットが「プロテスタント的狩猟採集民」
と表現したことが不合理ではあるものの、いまだに何かを語りかける理由
・「プロテスタント的狩猟採集民」と「漁夫王(フィッシャーキング)」の分裂生成の論証
・奴隷制と生産様式の一般的性質について
・他人を奴隷にして一獲千金を狙う危険性を説いた先住民族の説話
(と、「銃・病原菌・鉄」についての余談)
・魚を釣るのと、どんぐりを拾うのと、どっちがいいかな?
・太平洋破片地帯(シャッターゾーン)の培養/耕作
・いくつかの結論
第6章の見出し要点メモ
・プラトンの偏見が農耕発明についての考えを曇らせている
・世界最古の町チャタルホユックの歴史
・学術世界のちょっとした立入禁止区域のひとつ、新石器時代母権制の可能性
・世界で最も有名な新石器時代の町の生活
・初期農耕共同体における社会生活の季節性
・肥沃な三日月地帯の分解
・スローなコムギといかにして農耕民になったかの通俗理論
・新石器時代農耕の進化の遅さ、ルソーに反し畑の囲い込みをしなかった理由
・科学者である女性
・耕作すべきか、せざるべきか、それは単なる思い込み(ギョベクリ・テペ遺跡)
・意味論的な罠と形而上学的な蜃気楼
第7章の見出し要点メモ
・家畜や農作物の世界的な移動を論じる際の用語法の問題
・なぜ農耕はもっと早く発達しなかったのか
・新石器時代の教訓話
中央ヨーロッパ最初の農耕民の悲惨かつ驚嘆すべき命運
・転換期のナイル川流域の転換とオセアニア島嶼部への植民
・アマゾニアの事例と遊戯農耕(プレイファーミング)の諸可能性について
・しかし、なぜそれが重要なのか(目的論的推論の危険性)
第8章の見出し要点メモ
・悪名高きスケールの問題をはじめて取り上げる
・諸都市の背景の描写、初期都市誕生の推測
・メガサイト(巨大遺跡)とウクライナでの考古学的発見が都市起源に関する常識を覆す
・メソポタミア、それほど原始的でない民主制について
・インダス文明が王権以前のカーストであったか否か
・中国先史時代の明白な都市革命の事例
第9章の見出し要点メモ
・マヤ低地の外来王の例とティオティワカンとの関係
・ティオティワカンの人々はいかにしてモニュメント建設や人身御供に背を向けて、
かわりに社会住宅プロジェクトに乗り出したのか
・アステカ帝国に抵抗してスペイン侵略者と手を組むことにした共和制トラスカラの事例
第10章の見出し要点メモ
・財産と権力を支配する3つの基本形態が提示され、人類史の探求に・・・
(ジェームス・ボンドは暴力(殺しのライセンス)、情報(秘密へのアクセス)、カリスマ性を
兼ね備えているが、前二者を支えているのは国家の官僚機構)

(カリスマ性は民主主義で相殺されると思っているが近代の民主主義は大物の勝敗ゲーム)
・アステカ、インカ、マヤ(それからスペイン)について
・脱線して時のかたち、興亡のメタファー、政治的バイアス・・・
・スポーツとしての政治→オルメカの事例
・像(イメージ)に築かれた帝国?チャビン・デ・ワンタル
・国家なき主権(ナチェズの事例)
・古代エジプト起源時のケアリング労働、儀礼的殺害、小さな泡の集合
(農耕と儀礼→パンとビール


・中国からメソアメリカの初期国家の差異(共通点はない)
・支配3原則からのエジプト再考と暗黒時代の再検討
・官僚制の起源は以外にも小規模スケールで発見(シリアのテル・サビ・アルヤド遺跡)
・知識武装後の社会変化の基本的前提
・コーダ、文明、空虚な壁、歴史・・・
第11章の見出し要点メモ
・ジェームズCスコットの過去5000年に関する議論、今のグローバル社会組織は必然的か
・北アメリカの統一されたクラン・システム、ホープウェル交流圏の役割
・アメリカ最初の国家になりそうなカホキアのストーリー
・ミシシッピ世界の崩壊、ヨーロッパ人が侵入した頃の新しい政治への端緒
・のちにモンテスキューが「法の精神」で称賛された自己構成原理を、オーセージ族は
どのようにして体現するようになったのか?
・カンディアロングの政治哲学の再考
(第12章は見出しなし)
ま、さすがに見出しメモだけでは飛ばし読みした内容を思い出せないので・・・

巻末の「訳者あとがきにかえて」にあった、訳者が各章のポイントとして紹介されてた部分のみ
(それでも40頁ほどありましたが)要点をメモしました

以下、例によって読み違いも多いので、興味を持たれた方は本書の熟読をお願いしますね
(こちらも著作物からの個人メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
「訳者あとがきにかえて」より各章のポイント
第1章
・本書全体の問題設定の提示
・人は20万年の人類の歴史を知らず、知らないという自覚もないので安易な物語で埋めてきた
→それはおよそルソー版とホッブズ版に分類できる
→小集団→農業革命→都市→文明→国家・・・
(文字文献、科学、哲学、家父長制、常備軍、大量殺戮、官僚制・・・)
→最近の考古学的・人類学的な発見から別の歴史を描き出す→(人類史の)幼年期の終わり
第2章
・ルソーとホッブズに代表される神話の系譜(略)
・西洋思想と先住民による批判(とりわけイエズス会の書簡集全71巻から)
→西洋の競争、金銭に対する執着、ホームレス放置、同胞の見殺し、人の発言を遮る不作法、
弁舌の粗暴さ、女性の不自由、上に卑屈で下に厳しい態度・・・
→先住民の知識人たちから蔑むべき野蛮と批判されていた
→著者二人はこの「周縁化された知」を梃子に近代史・人類史全体にヴィジョンを拡大した
第3章
・最終氷期だった後期旧石器時代からの人類史の再検討
→ハラリ、ダイアモンドなどのビッグストーリー批判
→豪奢な埋葬やモニュメントとヒエラルキーは常時は存在しなかった(痕跡がない)
→多くが季節によってヒエラルキーを組織しては解体し複数の社会組織を往復していた
→かつての人類学者には自明だったこの事実が20世紀後半に失われ小集団で平等主義で孤立した
狩猟採集民のイメージが支配するようになった
→人類は初期より自覚的に社会を組み替える成熟した政治的アクターだったことが忘却された
・ワイアード誌ヴァージニア・ヘファーナンの書評より
→実際に先住民社会は複雑かつ変幻自在だった
→シャイアン族とラコタ族は警察部隊を組織し人々をバッファロー狩りに参加させていた
→ナチェズ族は出不精な独裁者を敬うふりをして自由に行動していた
→著者は巨大な遺跡や墓を階級制度の証拠とする通説にも見直しを迫った
(旧石器時代の墓の大半は有力者ではなく身体的異常を持つ異端者が埋葬されていた)
→人間は自然状態だったことなどなく皮肉屋で感覚的で内省的だった
→全人類に共通したプログラミングなど存在しない
・人類の社会的不平等の根源は何か、ではなく、人類はどのようにして停滞したのかの問い、
平等の喪失ではなく、自由の喪失の問いが本書の核心
第4章
・氷河期終了以降から農耕開始以前に世界各地で生まれた文化的組織法の検討
→前章の問いへの応答が開始される(どうして閉塞したのか)
→農耕開始以前の単純素朴な狩猟採集民というイメージを覆し、多様性に富んでいたことを
明らかにすることを目的にしている
・人類は時代とともに社会規模を大きくしていったという発展イメージの逆転
→長距離移動で離合集散を繰り返していた後期旧石器時代のコスモポリタン
→中石器時代から新石器時代にかけて独自の文化を形成し閉域としての社会を構成
(これが閉塞のひとつの条件→世界は狭くなったのだ!!!)
→環境や生産様式による決定ではなく、異なる価値、異なるモラルを自覚的に発展させる
政治や選択の意志の作動
・平等概念の系譜
→先住民は財産の平等については問題にしておらず相互扶助と個人の自由の発展をはばむ
ヨーロッパ社会を批判していた
→かれらには財産の多寡が権力の多寡に転換する事態は考えられなかった
→平等主義的社会の実質は自由社会であり構成員が自由民であることの確認
→狩猟採集民の社会組織の多様性(余剰生産、植物栽培を拒絶して余暇を選ぶにせよ多様性)
→フロリダのカルーサ族(王のヒエラルキーを保持)、北アメリカのポヴァティ・ポイント、
日本の三内丸山遺跡、ヨーロッパの複数モニュメント遺跡・・・
→いずれも単純素朴な非農耕民という神話を覆しアーケイック期や縄文時代という長期にわたる
「なめらかな平面」時代区分の見直しをせまる遺跡
・私的所有
→所有を知らない単純素朴な狩猟採集民といったイメージを覆すための複雑な私的所有の分析
→大半は「儀礼の檻」によって一部領域に封じられ、権力との結びつきを阻止されている
→奴隷所有に密着する古代ローマ由来の所有権観念は、人類史上では異例中の異例とする
第5章
・「なめらかな平面」から諸文化、諸社会への分化のプロセスとダイナミズム
→北アメリカ西海岸の北西文化圏とカリフォルニア文化圏の相互作用をめぐる分析(人類学)
→地理的な同一化と反同一化の運動、支配の拒絶に関わる運動・・・略
→ヒエラルキーや戦争、農耕の否定、エコロジー意識・・・略
第6章
・人類と農耕、定住しながら「コムギの奴隷」を拒絶したことを論じた章
→更新世から完新世へとステージが移行し農耕の起源にまつわる考察が展開される
→シリアスではない農耕、祝祭的雰囲気(遊戯性)、ジェンダー・・・
→「農業革命」のイメージを転覆させる諸要素が集約されている
・野生穀物の栽培開始から栽培化課程完了までの3000年のギャップ
(本来なら手をかけなくても数世代で完了する→実験考古学の成果)
→コムギの奴隷になることを拒絶し、付き合い、戯れ、イノベーションを積み重ねていた
・狩猟採集から農耕への移行を表現している新石器時代の町チャタルホユック
→シリアスではない農耕(氾濫農耕)、季節性、女性の優位性・・・
・「農業革命」→私有財産の誕生、不平等へのステップとされるが・・・
→革命より長期で多発的で最初の農業共同体の多くは身分やヒエラルキーから解放されていた
→コムギ、コメ、トウモロコシなどの知識は当初、儀礼的な遊戯農耕によって維持されていた
→新石器時代の革新の殆どは女性により何世紀にもわたって蓄積されてきた知識の集合体
→地味だが重要な発見が延々と繰り返されていた
第7章
・遊戯農耕のシリアス農耕への転化は直線的な発展段階ではなく、家畜化・栽培化の拡大も
一様のプロセスをたどっていないことを複数の領域で確認する章→シリアス農耕の多様性
→農業による食糧生産から国家への道も直線ではなかった
(肥沃な三日月地帯の「国家のようなもの」はたまたまで、農耕が必然的に伝播するイメージは、
ヨーロッパによる植民地化経験イメージの過去への投影にすぎない)
→シリアスな農耕はニッチで貧しい地域で生まれ発達した
→恵まれた地域は遊戯農耕を実践した→エコロジカルな柔軟性
→アマゾニアの事例は数千年にわたりその境界線を保持していた→人間と非人間の相互作用
(恵まれた狩猟採集民にとっては、まさに「趣味の園芸」だったんですね!!!

第8章
・初期都市論
→ウクライナ、メソポタミア、インダス、中国の初期都市の検討
→社会規模が大きくなれば命令権力でしかまとまらないのか?
→ウクライナとモルドバの遺跡の例
→メソポタミア最古の都市より古くて規模が大きく8世紀あまり人が居住していた
→集権的統治の痕跡もヒエラルキーの痕跡もなかった
→同様の都市をメソポタミア、インダス、中国にも見いだしていく・・・
・殷の時代以前の晋南盆地の陶寺遺跡
→都市の拡大とともに階級的分化とヒエラルキー拡大の証拠がみられる
→拡大が数世紀続いたのちに無政府状態となったが、その後も数世紀にわたり
都市自体は拡大している
→これは階級制度の廃棄(社会革命)で繁栄した世界初の記録証拠ではないか
→自覚的な社会実験の場と転じた世界最古の都市の事例ではないか
→通常イメージする時間の進展を逆転させる「都市革命」のヴィジョン・・・
第9章
・メソアメリカの政治的都市革命
→ティオティワカンも当初は都市の膨張とともにモニュメント建設など近隣のマヤ都市国家と
同様の戦士貴族文明をめざしていたようにみえた
→ところが3世紀後に神殿やモニュメント建設をやめ民衆のための集合住宅建設をはじめた
→多元的多言語都市として発展し集権制やヒエラルキーとは異なる異質な文化芸術に
→奴隷や貴族賛美が排除され共同体全体が重視された→集団的ガバナンス
→コルテスに協力したアステカの都市トラスカラの都市評議会の例(略)
第10章
・理論的総括といったおもむきの章で国家という概念をお払い箱にしようという野心的な章
→「所与の領域内で合法的な強制力の使用を独占することを主張する機関」としての国家
→この概念には近代的国民国家のみが該当する
→人類史にも適用されると、どの社会を国家とするのか見えなくなる
→さらに社会の複雑化と国家形成の連動には進化論的な含みもひそんでいる
→進化論的な国家以外にも様々な社会があったことは前章までで見てきた
→国家は現実を見えなくする概念なので国家を3つの原理に分解して考察
・社会的権力の基盤となる3つの原理→暴力、情報(知)、カリスマ
→近代国家では主権、行政装置、選挙制度だが人類史において近代国家はひな型にならない
→国家の起源の問いにかえて3つの要素の編成と支配の構造を考察
(メソアメリカ、南アメリカ、ナチェズ族、エジプトなどの事例から→略)
→殆どの社会組織は3つの要素の1つないし複数を編成している(近代国家は3つすべて)
→国家の手前の3つの要素で各社会組織を考察
・強力な王権、行政機構があったとしても「国家が存在しないという感覚」が必要
→クレタ島ミノア文明の相互扶助、社会的協働、市民的活動、歓待、他者ケアリング
→世界史の軌道を外れているが文明という視点で照射すれば生き生きとあらわれる
→考古学はサウジアラビアやペルーの砂漠、カザフスタンの大草原、アマゾンの熱帯林でも
このような「失われた文明」の証拠を今後も次々と発見していく
→それらに現代的国民国家イメージを投影するのではなく、それらが語る別の種類の社会的
可能性を考察しなければならない
第11章
・西暦200年~1600年あたりの北アメリカ史(東部ウッドランド文化)を通覧して、
国家あるいは帝国への展開と突然の(自然災害と絡み合った)拒絶をみるという構成
・第4章で既述のポヴァティ・ポイント、ホープウェル文化圏、カホキア国家の発展と解体、
多数の小王制から世襲原則を拒絶する部族的共和政体へ・・・(略)
→カホキアのような国家に引き返すことを拒絶し、独特の合意形成システムを構築して、
(それはモンテスキューを介して近代民主制に流れ込んでいるかも知れないのだ)
独特の反権威主義的哲学を発展させた
・なのでイエズス会などヨーロッパ人が新世界で遭遇したカンディアロングたち「未開人」は、
ヨーロッパのような富と暴力の文明をすでに熟知し拒絶して別の文明を構築しようとしていた
第12章
・本書の重要な論点が異なる観点から再論され、新しい情報で肉付けされた章
→著者2人のいう「3つの基本的自由」を捉え返す
(①移動し離脱する自由、②服従しない自由、③社会的関係を組み替える自由)
→ケアと暴力の結びつきが閉塞の主要な要因であるとする仮説
→慈善空間、保護と閉鎖、家父長制の形成、北西海岸の奴隷制、古代メソポタミア、古代エジプト
(以下も「訳者あとがきにかえて」からのランダムなメモです)
・本書はルソー=ホッブス的パラダイム(戦争と侵略、搾取、家父長制、供犠、モニュメント、
物質的繁栄、必然的歴史意識などの系列からなる文明観)に対立する、より基盤的な文明の
系列を浮上させることに成功した
・「文明(ラテン語のcivilis)という言葉は自発的連合による組織化を可能にする政治的知恵や
相互扶助のもつ諸性質を意味している」
・「文明とは本来インカの廷臣や殷の王朝ではなく、アンデスのアイリュ連合やバスクの村落が
示すような諸性質の類型を意味していたのである」
・「相互扶助、社会的協働、市民的活動、歓待(ホスピタリティ)、あるいは単なる他者への
ケアリングなどが文明を形成していたのだとすれば、文明史の叙述は始まったばかりなのだ」
・「英語の自由freedomは、friendを意味するゲルマン系の語源に由来する」
→友をつくる、約束を守る、平等な共同体で生きることを意味していた
→社会的紐帯を形成できない奴隷であることと対立する概念
・友情は3つの基本的自由のうち③社会的関係を組み替える自由にあたる
→①離脱する自由、②服従しない自由が微弱なら、変革もできず社会は閉塞する
→離脱できず服従を余儀なくされる社会では友情も成立せず孤立する
・最近の日本社会の「孤独礼賛」風潮は、自由の喪失と関係しているのではないか
→つらい職場でも辞められないのは離脱すれば生活に困るから
→嫌なことにも逆らえず社会変革も思えなくなる社会は閉塞していく
・世界最初の都市住民が環境や同胞に負荷を与えていたわけではないこと、
地球の未来を選挙政治にゆだねなければならない「歴史の法則」などないこと、
移民が歓待の危機と直結する必然性などないことは、新しい人類史からわかってきている
・本書は対話を呼びかける招待状だと思いたい
→地球温暖化から地球沸騰化のステージに移行して破局の時代に突入したが、
→破局のときは長期の閉塞を打ち破るカイロスのときでもある
→このチャンスをつかむ招待状を(日本語に直したので)受け取ってほしい・・・
まさに目からウロコの本だったので特に人類史・文明史に興味のない方にもオススメします
2024年08月25日
ムラブリ・・・
ええ、前々回記事からの続きとゆーか、前回記事からの続きとゆーか・・・

ムラブリ~文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと~であります
著者紹介

奥付

冒頭にあったムラブリの居住地(著作物なので問題があれば非公開にします)

例によって目次の紹介



山極寿一氏の若き日のフィールドワークを綴ったエッセイのように現地での滞在記や青春記の
世界もめっちゃ面白かったのですが、以下はムラブリや言語学といった全く知らない世界を
中心にした読後の部分メモであります
はじめにより
・ムラブリはタイやラオスの山岳地帯を遊動狩猟採集していた少数民族
(今は僅か500名前後の集団でタイでは殆どが定住して農耕もしている)
→ムラは人、ブリは森なので「森の人」の意味になる
(マレー語では人はオラン、森はウータンで「森の人」でしたね)
・ムラブリ語は危機言語に指定されていて、おそらく今世紀中には消える
→ぼくはムラブリ語を15年にわたって研究してきた世界で唯一のムラブリ語研究者だ
→ムラブリ語には文字がないので現地で調査研究を行うフィールド言語学になる
(現在世界で話されている6000~7000言語のうち文字のない言語は2982と推定されている)
・ムラブリ語を話せるということはムラブリの身体性を獲得することでもある
→周りにも日本語では温和なのに英語で話すときだけ大胆になる人がいるのでは?
→異なる身体性には異なる人格が宿るのだ
・日本に帰ってから物を持たなくなり生活がシンプルになった
→これまでの常識が崩れて大学教員も2年で辞めてしまった
・この本は論文ではないが紛れもなくぼくの研究成果
→ニッチで何の役にも立たない研究と言われ、これまでは苦笑いで半分同意していたが、
→今は「あなたを含む世界のためにやってます、ぼくがその成果です」と答えられる
→そんな研究報告を楽しんでもらいたい・・・
第1章より
・言語と方言の区別には言語学だけでなく話す人の意識や政治も絡む
→なので言語の数の数え方は難しい(まえがきのとおり)
・ムラブリ語との出会いは人類学の講義で視聴した「世界ウルルン滞在記」
→はじめての美しい言葉に「一目惚れ」ならぬ「一耳惚れ」して・・・
(以下はじめての滞在に至るまでの顛末がめっちゃ面白くて一気読みしたけど省略して)
第2章より
・ムラブリはタイ語・ラオス語ではピートンルアン(黄色い葉の精霊)と呼ばれる
→蔑称でもありピーは「精霊」よりは「お化け」のニュアンス
・未知の文字のない言語の調査は音韻から
→音素目録つくりが出発点で、まずは最小対を探す
→日本語なら手teと毛keは最小対で母音は同じでtとkが異なる
→日本語はtとkが語を区別する機能を持っている言語と判断する
(以下詳細な手法は略して)
→それを国際音声記号IPAで記録する
→最初は全ての単語や表現でこのプロセスを踏むので時間がかかる
→日本語の母音は5でタイ語は7だがムラブリ語は10あるので苦労した
→あ2い1う3え2お2の10種類
→何度も聞いて真似して確認してから記録するので最初は1時間に15~20だった
・貧しいムラブリの村への訪問者はタイ伝統の施しに来る人が殆ど
→お金を持たない日本人が来たと評判になったと数年後に聞いた
(卒論から院試、修士論文、結婚、博士論文も略して・・・)
・人類学専攻ムラブリ研究者との現地での共同研究
→自分もムラブリ語ではなくムラブリ自身について知る機会を増やすと、ムラブリ語が自然に
話せるようになり、聞き取りもできるようになった
・人類学者では彼のように「擬制家族」を持つことがあるが言語学者では少ない
→自分も擬制家族になってからは「よそ者」から「お兄さん」など人格を持つ名前で呼ばれた
第3章より
・ムラブリに挨拶語はなく、たいていは顎を上げるだけ
→声をかける際は「ご飯食べた?」か「どこ行くの?」
→挨拶なので真剣に考えずテキトーに答える(おはようの交換と同じ)
(大阪弁は「おはようさん」の後に「今日はどちらまで?」「へえ、ちょっとそこまで」ですね
)
→言語は情報交換のためのツールだが常に合理的で理想的な情報交換をしてるわけではない
→合理的ではないところにコミュニケーションの豊かさやおかしみがある
・言語は意味のある情報を交換をするためではなく他者と意思疎通を図るための道具
→言語は意味とは別の関係性メタメッセージを伝えている(グレゴリー・ベイトソン)
→一人称「ぼく」と「わたし」の意味は同じだがメタメッセージ(公私などの関係性)は異なる
→一人称の選択などによって暗に関係性を示すのが日本語社会のしきたりで難しい
→メタメッセージは言葉以外の動作でも発信され無自覚に受信している
→人は「自分と相手の関係」をその都度つくりあげることなしに、言語によって意思疎通を
図ることができない生き物なのである
・どうでもいい情報が仲を深める
→合理的コミュニケーションだけでは一定距離以上は親しくなれない
→儀礼的コミュニケーションが欠かせない
→人間はどうでもいい情報を交換し合うことで仲間意識を育む→最たるものが挨拶
→仲間だから意味のない情報交換をするのではなく、意味のない情報交換をすることで、
仲間になったと錯覚する(させる?)→儀礼的コミュニケーション
→ファミレスでの「このハンバーグ美味しいね」「美味しいね」「ね~」の会話例
→ビジネス会話には存在しない
・ムラブリとはじめて儀礼的コミュニケーションができた朝の会話は今も覚えている(略)
→殆ど意味はなかったが語学力指標では表せない何かが身についた手応えがあったから
・日本ではアイヌ語と琉球諸語が危機言語に認定されている
→母語を話し続けるかどうかは本人たちが決めることだが、言語の消滅はひとつの宇宙が
消えることで、すべての言語の歴史は地球の生命史に匹敵する
→生きることはコミュニケーションすることだから・・・
・最近の研究でムラブリ語が注目されている分野のひとつが感情表現
→トルコ語には感情に相当する語彙が3つありガーナのダバニ語やムラブリ語にはない
→感情表現には語彙と迂言的表現の2つがあり殆どの言語が両方を用いる
→日本語では「うれしい、悲しい」と「心が躍る、気分が沈む」など
・日本語の「幸せ」と英語の「happy」のニュアンスが異なるように感情表現の翻訳は難しい
→なので研究者は「好/悪」と「動/静」の二軸で平面上にマッピングする
(日本語の「幸せ」と英語の「happy」はポジティブなので、どちらも右側に入るが、
日本語の「幸せ」のほうが英語の「happy」より静的なので少し下側になるとか)
・ムラブリ語には感情語彙がなく「心が上がる、下がる」で迂言的に感情表現する
→ところが「心が上がる」は悲しいとか怒りでネガティブ、「心が下がる」はうれしいとか
楽しいでポジティブな意味になる
→認知言語学で世界の普遍的な特徴とされるUp is Good(happy)概念メタファーの例外
→上下ではなく別の意味とも考えたが表現の際に手を胸の上下に動かすので誤りではない
→ムラブリの概念メタファーにはDown is Goodがあるのかも・・・
→ムラブリ語には「興奮」もなく行為から感情を分離する感性がないのかもしれない
→「心が上がる、下がる」も身体的な行為に近い感覚かも・・・
→ムラブリ語の体系を通して彼らの感じている世界を想像することができるかも・・・
・ムラブリは感情を表に出すことが殆どない
→まだ森で遊動生活しているラオスのムラブリは、さらに表情が乏しく見えた
→主張や感情を表に出すことは一大事で、そんな事態は避けるべき悪いことだと捉える感性かも
(連れて行った学生が夜遅くまで騒いでて、意見しに来たのに何を言ってるのか分からない
ような遠回しな言い方で、何度も「怒ってないよ本当だよ」を繰り返していた)
→なので「心が下がる」ことがよいことなのかも
(会いたがってた遠くの親族と会わせてもハグなど身体接触はもちろん、一緒に食べることも
会話の盛り上がりもなく、顔も見ずに横に座っているだけだった)
→ぼく自身も変化しており、楽しく気分がいいと口数が少なくなり表情がぼーっとする
→日本でも最近は「チルい」という言葉が流行っており、その「脱力した心地よさ」は
ムラブリの「心が下がる」に通じるところがあるように思える
・SNSへの情熱や仲間とはしゃいだときに感じる楽しさは知っているし理解している
→でも感情を出して誰かに知られて幸福を感じられるのは一時的な流行りに過ぎない
→誰かといる、他人に認めてもらう以外の幸福がムラブリには見えている
→ムラブリ語の「心が下がる」瞬間は人類史的にはごくありふれた心の風景かも・・・
・ムラブリ語には暦も年齢もない
→季節には雨が降る季節・乾く季節・日差しの季節があるが人により呼び方は異なる
→森での収穫物が変わるので季節は重要だが、季節を決めるのは暦ではなく森の様子
→不思議なことに一昨日から5日後までの単語は規則的に存在する→昔は必要だった?
・人の暦はある→年齢ではなく成長段階による区別
→生まれたばかりの子どもは「レーン赤い」(日本語の赤ちゃんと同じで面白い)
→首が座り歩けるまでの子どもは「チョロン幼い子」
→歩き回る時期の子どもは「アイタック小さい」
→その後は「ナル・フルアック大人」で第二次性徴以降なので10代前半ぐらいから
→老人は「白い」を変化させた語彙で、おそらくは白髪のことだろう
・数詞はあるが10まで正確に数えられる人は稀
→知的威信を示す手段で、男たちは酔っぱらうと数えたがるが10までは行かない
→数えることで何かを教えるというより、宴会芸の一種というのが正確な理解
→時計をつける(電池がないか時刻が合っていない)のも時計の入れ墨をするのも知的威信
→森の生活では大きな数も時計も要らないのに、余計なもの無駄なことに価値を見いだすのが
普遍的な人類の特徴なのかも知れない
→女性に数詞を数えたり時計を見せたりはしないので、モテるためでもない男社会のあるある
・ムラブリ語の過去・完了相と未来・起動相(時制やアスペクトのハナシなので省略)
→世界の見え方は話している言語の影響を受けている
(言語相対論、青を区別する語彙があるロシア語話者の色彩識別テストなど)
・言語の持つ超越性とムラブリ語や南米ピダハン語の現前性(いま、ここ)
→ムラブリも定住し換金作物栽培を手伝うようになって計画性を求められるようになった
→ムラブリの村に一時期、自殺が増えた時期があった
→その理由を訊くと「長く考えたから」と答えたムラブリがいた
→「いま、ここ」の現前性では未来はわからず過去はとりかえせない、あるようでないもの
・ムラブリ語に竹という総称はなく7種類それぞれに単語がある
→それぞれで用途が異なり森で少しずつ見分けられるようになった
→論文を書くには写真と単語だけでいいのだが、自分で覚えて使えないと気が済まない
→理由は分からないけど、その方がぼくにとって楽しいのは間違いない
第4章より
・ムラブリが森に入る時は腰の刃物だけ
→採集物を持ち帰るカゴ、ロープ、寝床、焚火、食べ物など、すべては現地調達
→ところが村の家には服や衣類が山積みなのだが、なぜか森と変わらず落ち着いている
(ぼくはムラブリから「物が多い」といわれるが断捨離してから片付かないと落ち着かない)
・この理由を(言語学者なので)言語から考えてみる
→物を指すムラブリ語は複数あるが、よく使われるのはグルアで主に衣類の意味
→グルアの下位カテゴリーが衣類で上位カテゴリーが物
→日本語のご飯と食事の関係に近い→シネクドキ提喩
→衣類が典型的な物であるという感性はどこから生まれるのか?
・所有と匂い
→匂いは所有という抽象的な概念の入口ではないか(マーキングとか借りた服の違和感とか)
→所有のあるところに物が生まれる
→ムラブリの村や家の匂いは極めて均質(焚火の煙の影響も大きい)
→服は誰かが愛着して匂いがつくとその人のグルアになる
→家に山積みの服や衣類があってもどれも同じ(煙の)匂いなのでグルアにならない
→匂いの共有は森の中と同じなので落ち着いていられるのではないか・・・
・ムラブリの所有観(他動詞と自動詞のハナシなので省略)
→「米を持っている」と「米がある」の区別がない(森に木がある、森が木を持っている)
→私の父、私の手など親族と身体部位には「の」を使うが、私の米という使い方はない
→所有関係を表したいときはタイ語の構文を借用している
・ムラブリの一夫一妻、宗教(精霊信仰)、暴力・・・すべては「そいつ次第だ」
・自助と共助の共同体
→一人暮らしの老人でも助けを求めない限り誰も助けない
→人類学でいうシェアリングで富の集中や権力の発生を避ける仕組みを持っている
→分業しないので専門家もいない(バイク修理の講習会の例)
→徹底した個人主義の一方で獲物は平等に共有し、求められればできる範囲で助ける
→個人を生命として信頼し生命が儚いと自覚しているからの振る舞いだと感じる
(コラムより、森の中で火打石や火種の綿を濡らさないことがどれだけ大事か・・・)
第5章より
・博士論文とムラブリ語の方言差調査と子どもの誕生と大学院休学と富山への引っ越しと
29歳での日本学術振興会の特別研究員(学振3年)採用と富山大学の客員研究員・・・
→あらためて書いてみて、運だけで何とかなっているような人生だ
・2017年の春休みに富山大学の先生・学生とムラブリの村を訪れた際に金子游監督と出会った
→東南アジアの少数民族の映像を撮っていると知り(方言差調査で知った)分断されたムラブリを
消える前に引き合わせたいと考えていることや、その際の映像を残したいことを伝えた
→その日の夜にメールがきて映画のプロジェクトがはじまった・・・(略)
・ムラブリの歴史についての考察
→古くからの狩猟採集民のような高度な文化・精神世界とは異なり神話は散文的で儀礼も簡素
→いっぽうで玉鋼をつくる製鉄技術を持っている
→遺伝学や言語学の研究から農耕民が狩猟採集民になったと考えられている(略)
(遺伝的にも言語学的にも最も近い農耕民ティンの民話にも残っている)
→この逆行は人類史の中でも珍しく文化的言語的な特徴を説明する可能性がある
・ぼくのクレオール仮説
→日本語の「わたしの本」は英語では「my book」や「books of mine」
→日本語の語順は「わたしは本を持っている」主語→目的語→動でSOV言語
→英語の語順は「I have books」主語→動詞→目的語でSVO言語
→日本語のようなSOV言語の所有表現は(人→モノ)の語順が多い
→英語のようなSVO言語では所有表現に地域や語族で隔たりがある
(英語もmy book(人→モノ)とbooks of mine(モノ→人)の両方がある)
→文の基本語順と所有表現の類型論的含意と呼ばれる傾向
→オーストロアジア語族SVO言語の所有表現は唯一の例外を除いて(モノ→人)の語順
→その唯一の例外がムラブリ語
→ムラブリ語はSVO基本語順の一方で所有表現については(人→モノ)の語順を示す
(これはオーストロアジア語族の言語研究者には、そんなバカな!!!くらいの大事件だった)
→ムラブリ居住領域の周辺に(人→モノ)語順の言語はなく言語接触も殆どなかったはず
→他にも近親言語と共通する語彙が極端に少ないなど不思議な特徴がたくさんある
→中国語(人→モノ語順)の影響とか消えた言語の影響とか、イマイチな仮説ばかり・・・
(ここからがムラブリ語好きの著者の仮説)
・アジア大陸山岳部はゾミアと呼ばれ様々な少数民族が点在している地域
→平野部に比べコメの生産が難しく大きな王朝は築かれず負け組とされてきた
→歴史学者ジョージ・C・スコットは中央集権支配から逃れるため文字を捨て所有を嫌い
自由を求めて主体的に山岳部に移住したのがゾミアの民とした(2013)
→ムラブリはゾミアの民の典型例ではないかとぼくは考えている
・最初は少数のティンが祖先で、その噂に共感した他の民族からも人々が合流した
(遺伝学的にもクム族やタイ族など様々な民族と混血した痕跡がある)
→様々な民族の集まりだから、その都度、その場で通じる言葉を作り上げていく
(その場限りの必要性から生まれる言語はピジンと呼ばれ世界中で報告されている)
→ピジンは不完全な文法で語彙も限定的
→ピジンを母語として学んだ子どもたちは、やがて完全な言語体系をつくり出す
→ピジンを母語として生まれる言語をクレオールという
→つまりムラブリ語はクレオールではないか
・クレオールは元の言語や地域が違っても似たような特徴を持つ
→所有表現の語順が(人→モノ)であること、疑問詞が2つの要素からなっていること、
重複などの仕組みの乏しいことなど(偶然かも知れないが)ムラブリ語の特徴と一致する
→もちろん証明できないことであり学者として追いかける理由はないが、
→農耕から逃れ森の中で遊動生活をしながらゆるいつながりで形成していった共同幻想
→それがムラブリという民族だった可能性を想うと、なぜムラブリに出会い惹かれたのか
腑に落ちる気がするのだ・・・
(映画の撮影、ラオスのムラブリ、100年越しの再会、ムラブリ語の方言(方言には○○方言と
地名が付くが、ムラブリは移動するのでA方言B方言C方言となる)、などは省略して・・・)
・バベル的言語観、コーラン的言語観
→人々が統一言語で協力して天まで届く塔を作ろうとしたので神が怒り、天罰として塔を崩し
人々の言語をバラバラにしたというのが聖書
→「グローバルには統一言語としての英語」という風潮には反論できないが納得もできない
→言語学者としての応答は聖書と並ぶコーラン
→神が民族をバラバラにしたのは聖書と同じだが、理由はお互いをよく理解するため
→同じ言語だと個別性に気づくのは難しい→日本語同士なら同じ「おいしい」だけ
→タイ語で「アロイ」ムラブリ語で「ジョシ」という人がいれば、感じていることが違うかも
知れないという発想が湧いてくるのではないか
→味覚だけでなく感情や価値観、思想も同じこと
→言語はバベル的言語観もコーラン的言語観も同時に内包する
→同じだよね、違うよねというメタメッセージは言語を用いる限り常に存在する
→どっちも本当で同じだし、違う、そして、それは両立する
第6章より
・「ムラブリ語を話せるようになる過程で変化した自分自身」が何よりの研究成果
→2020年3月に大学教員を辞めて独立研究者になった
(プロ奢ラレヤーの「嫌なこと、全部やめても生きられる」を読んだ翌週に辞表を提出した)
・身体と言語
→武術の講座に通い稽古して、型を通じて身体性を養い、今は言語は型であると言える
→既存の言語を話すときは必ず誰かを引用している→その語も誰かがつくったもの
→ムラブリが雷の経験を誰かと共有したい、声にして表したいと思って出た音が「クルボッ」
→経験は認められ共有され、それまで意味のなかった音の配列が雷を意味するようになった
→現代言語学では単語の誕生に恣意性はないとされている
→日本語イヌ・英語ドッグ・ムラブリ語ブラン・・・
→この考え方はこれらが同じ意味であることを前提にしている→似ているが同じではない
→「クルボッ」の音やリズムがムラブリの身体性で感じる雷をよく表し一体感があったから
いままで使われてきたのではないか
→どんな音でもよかったのではなく生まれる瞬間の強度が死んでなお経験を伝える(武術の型?)
→話し手と聞き手は、語のつくり手の経験とつながっているから互いに理解できる
→ムラブリ語を理解したということは経験のアーカイブ、つまりムラブリの身体性にアクセス
することに慣れた、ということでもある
→そのアクセスがスムースになるほどムラブリ的なセンスで生きることが可能になる
→ムラブリ語を話しているときは深くしゃがめる、遠くに話そうとしている自分に気づく
(ムラブリは村では寡黙だが森では饒舌で話す距離は20~30m=ぼくが話そうとしている距離)
→給料、税金、モノやコトの値段、ご飯・・・ムラブリなら要るか要らないかだけ
→ムラブリは生きるのに必要なことを知ってて、すべて自分でできる
→ぼくは生きるのに必要なことすべてをお金で外注していることに気づいた
→まずは衣食住を身ひとつで賄えることを目指した・・・
・現代日本でムラブリのように生きるには
→バックミンスター・フラー唯一の共同研究者シナジェティクス研究所の梶川泰司所長に出会った
→梶川所長の目指す生き方
①無線→電線などを用いないオフグリッド
②無管→上下水道管を用いない
③無柱→住居に柱を用いない
④無軌道→道路などのインフラに左右されない移動
→これを達成するテクノロジーを発明することが、ぼくの理解する梶川所長の目標
(ぼくは工場規格ではなく自分で作れる環境に応じたものが理想的と思った)
→自分で作ることができ、環境と調和してお互いを活性化し、地球の(宇宙でも)どこでも
一人で生きていけるテクノロジーが、ムラブリの身体性を日本に持ち込んだぼくが心地よく
生きていく方法なのだと今は考えている→自活器self-livingry
→2022年1月にフラー式ドームの簡単な施工法を発明した(略)
→プロ奢ラレヤーと話して空き家・空きスペースに寝るスキルも面白いと思った
→寝るスキル、食事のスキル、服装のスキル・・・(略)
・友達のお父さんが急病になり二人で街の病院へ連れて行き病院の雑魚寝スペースに居たら
身なりのいいタイ人のおばさまが黙って菓子パンとアンマンの入ったコンビニ袋を渡してくれた
→泥まみれでタイ人らしくない顔つきでムラブリ語で話してたので貧しい少数民族に見えたのだ
→「ありがとうございます!!!儲かった!!!」という感情はなく、自然に二人で黙って食べた
→水が流れてきた、キノコが生えてきた、という感じで、とても自然だった
・ぼくの人生には不思議とタイミングよく身に余るオマケがついてくる
→以前ならムラブリを紹介しても「珍しい民族ですね」で終わっただろうが、映画が上映され
映画の感想が多いことに驚かされた。いまはこの本を執筆している
→おそらくこのタイミングで日本で紹介されたことに意味があったのだろう
・ムラブリはタイの少数民族の中でも地味で物質文化も乏しい
→視覚的に「これがムラブリです」と示せるものが極端に少ないが、
→若いムラブリは声を揃えて「自由が好き、強制は嫌い」と言う→これがムラブリなのだ
→この部分が現代日本でムラブリがウケている理由なのだろう
・この本に書かれていることはすべて偶然性や自由からの働きかけで起きたこと
→みんなももっと自由になれるんじゃないかと感じていたから書き上げることができたと思う
→あなたの心に小さなムラブリが芽生えることを祈っている
おわりにより
・2020年1月を最後にコロナ禍でムラブリを訪問できずにいた
→この「おわりに」を書くため3年ぶりに訪れる予定だったが出発2週間前にキャンセルした
→いまやりたいことがムラブリに会うことではないと気づいたから
・言語とは何かの本質的な問いに向かうため武術、詩、短歌、踊りをしてワークショップなどで
収入も得られるようになった
→富山での定住から車中泊生活を経て関東・関西を含む多拠点になり今は富山の山中が拠点
→ムラブリをof研究することからはじめ、ムラブリとともにwith、そしていまムラブリとしてas
研究することに挑戦している
・ぼくは孤独になり自由になったことで、なぜ専門を就職を所有やお金を嫌ったのかに気づいた
→専門ではなくそれが生む権威、働くことではなくそれの強制、所有やお金に絡む社会の
仕組みが気に入らず、身体に合わずうんざりしていたのだ
・いまは富山の山中で自活器self-livingryの開発を行っている
→自分で家を建て食を担いエネルギーをつくることができれば人はやりたいことに邁進するはず
→それがぼくのムラブリ研究でありムラブリへの恩返し
→どうかみなさん、自活器の開発に力を貸して下さい!!!

ムラブリ~文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと~であります
著者紹介

奥付

冒頭にあったムラブリの居住地(著作物なので問題があれば非公開にします)

例によって目次の紹介



山極寿一氏の若き日のフィールドワークを綴ったエッセイのように現地での滞在記や青春記の
世界もめっちゃ面白かったのですが、以下はムラブリや言語学といった全く知らない世界を
中心にした読後の部分メモであります
読み違いとかも多いので興味を持たれた方は本書の熟読をお願いしますね
(著作物からの自分用メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・ムラブリはタイやラオスの山岳地帯を遊動狩猟採集していた少数民族
(今は僅か500名前後の集団でタイでは殆どが定住して農耕もしている)
→ムラは人、ブリは森なので「森の人」の意味になる
(マレー語では人はオラン、森はウータンで「森の人」でしたね)
・ムラブリ語は危機言語に指定されていて、おそらく今世紀中には消える
→ぼくはムラブリ語を15年にわたって研究してきた世界で唯一のムラブリ語研究者だ
→ムラブリ語には文字がないので現地で調査研究を行うフィールド言語学になる
(現在世界で話されている6000~7000言語のうち文字のない言語は2982と推定されている)
・ムラブリ語を話せるということはムラブリの身体性を獲得することでもある
→周りにも日本語では温和なのに英語で話すときだけ大胆になる人がいるのでは?
→異なる身体性には異なる人格が宿るのだ
・日本に帰ってから物を持たなくなり生活がシンプルになった
→これまでの常識が崩れて大学教員も2年で辞めてしまった
・この本は論文ではないが紛れもなくぼくの研究成果
→ニッチで何の役にも立たない研究と言われ、これまでは苦笑いで半分同意していたが、
→今は「あなたを含む世界のためにやってます、ぼくがその成果です」と答えられる
→そんな研究報告を楽しんでもらいたい・・・
第1章より
・言語と方言の区別には言語学だけでなく話す人の意識や政治も絡む
→なので言語の数の数え方は難しい(まえがきのとおり)
・ムラブリ語との出会いは人類学の講義で視聴した「世界ウルルン滞在記」
→はじめての美しい言葉に「一目惚れ」ならぬ「一耳惚れ」して・・・
(以下はじめての滞在に至るまでの顛末がめっちゃ面白くて一気読みしたけど省略して)
第2章より
・ムラブリはタイ語・ラオス語ではピートンルアン(黄色い葉の精霊)と呼ばれる
→蔑称でもありピーは「精霊」よりは「お化け」のニュアンス
・未知の文字のない言語の調査は音韻から
→音素目録つくりが出発点で、まずは最小対を探す
→日本語なら手teと毛keは最小対で母音は同じでtとkが異なる
→日本語はtとkが語を区別する機能を持っている言語と判断する
(以下詳細な手法は略して)
→それを国際音声記号IPAで記録する
→最初は全ての単語や表現でこのプロセスを踏むので時間がかかる
→日本語の母音は5でタイ語は7だがムラブリ語は10あるので苦労した
→あ2い1う3え2お2の10種類
→何度も聞いて真似して確認してから記録するので最初は1時間に15~20だった
・貧しいムラブリの村への訪問者はタイ伝統の施しに来る人が殆ど
→お金を持たない日本人が来たと評判になったと数年後に聞いた
(卒論から院試、修士論文、結婚、博士論文も略して・・・)
・人類学専攻ムラブリ研究者との現地での共同研究
→自分もムラブリ語ではなくムラブリ自身について知る機会を増やすと、ムラブリ語が自然に
話せるようになり、聞き取りもできるようになった
・人類学者では彼のように「擬制家族」を持つことがあるが言語学者では少ない
→自分も擬制家族になってからは「よそ者」から「お兄さん」など人格を持つ名前で呼ばれた
第3章より
・ムラブリに挨拶語はなく、たいていは顎を上げるだけ
→声をかける際は「ご飯食べた?」か「どこ行くの?」
→挨拶なので真剣に考えずテキトーに答える(おはようの交換と同じ)
(大阪弁は「おはようさん」の後に「今日はどちらまで?」「へえ、ちょっとそこまで」ですね

→言語は情報交換のためのツールだが常に合理的で理想的な情報交換をしてるわけではない
→合理的ではないところにコミュニケーションの豊かさやおかしみがある
・言語は意味のある情報を交換をするためではなく他者と意思疎通を図るための道具
→言語は意味とは別の関係性メタメッセージを伝えている(グレゴリー・ベイトソン)
→一人称「ぼく」と「わたし」の意味は同じだがメタメッセージ(公私などの関係性)は異なる
→一人称の選択などによって暗に関係性を示すのが日本語社会のしきたりで難しい
→メタメッセージは言葉以外の動作でも発信され無自覚に受信している
→人は「自分と相手の関係」をその都度つくりあげることなしに、言語によって意思疎通を
図ることができない生き物なのである
・どうでもいい情報が仲を深める
→合理的コミュニケーションだけでは一定距離以上は親しくなれない
→儀礼的コミュニケーションが欠かせない
→人間はどうでもいい情報を交換し合うことで仲間意識を育む→最たるものが挨拶
→仲間だから意味のない情報交換をするのではなく、意味のない情報交換をすることで、
仲間になったと錯覚する(させる?)→儀礼的コミュニケーション
→ファミレスでの「このハンバーグ美味しいね」「美味しいね」「ね~」の会話例
→ビジネス会話には存在しない
・ムラブリとはじめて儀礼的コミュニケーションができた朝の会話は今も覚えている(略)
→殆ど意味はなかったが語学力指標では表せない何かが身についた手応えがあったから
・日本ではアイヌ語と琉球諸語が危機言語に認定されている
→母語を話し続けるかどうかは本人たちが決めることだが、言語の消滅はひとつの宇宙が
消えることで、すべての言語の歴史は地球の生命史に匹敵する
→生きることはコミュニケーションすることだから・・・
・最近の研究でムラブリ語が注目されている分野のひとつが感情表現
→トルコ語には感情に相当する語彙が3つありガーナのダバニ語やムラブリ語にはない
→感情表現には語彙と迂言的表現の2つがあり殆どの言語が両方を用いる
→日本語では「うれしい、悲しい」と「心が躍る、気分が沈む」など
・日本語の「幸せ」と英語の「happy」のニュアンスが異なるように感情表現の翻訳は難しい
→なので研究者は「好/悪」と「動/静」の二軸で平面上にマッピングする
(日本語の「幸せ」と英語の「happy」はポジティブなので、どちらも右側に入るが、
日本語の「幸せ」のほうが英語の「happy」より静的なので少し下側になるとか)
・ムラブリ語には感情語彙がなく「心が上がる、下がる」で迂言的に感情表現する
→ところが「心が上がる」は悲しいとか怒りでネガティブ、「心が下がる」はうれしいとか
楽しいでポジティブな意味になる
→認知言語学で世界の普遍的な特徴とされるUp is Good(happy)概念メタファーの例外
→上下ではなく別の意味とも考えたが表現の際に手を胸の上下に動かすので誤りではない
→ムラブリの概念メタファーにはDown is Goodがあるのかも・・・
→ムラブリ語には「興奮」もなく行為から感情を分離する感性がないのかもしれない
→「心が上がる、下がる」も身体的な行為に近い感覚かも・・・
→ムラブリ語の体系を通して彼らの感じている世界を想像することができるかも・・・
・ムラブリは感情を表に出すことが殆どない
→まだ森で遊動生活しているラオスのムラブリは、さらに表情が乏しく見えた
→主張や感情を表に出すことは一大事で、そんな事態は避けるべき悪いことだと捉える感性かも
(連れて行った学生が夜遅くまで騒いでて、意見しに来たのに何を言ってるのか分からない
ような遠回しな言い方で、何度も「怒ってないよ本当だよ」を繰り返していた)
→なので「心が下がる」ことがよいことなのかも
(会いたがってた遠くの親族と会わせてもハグなど身体接触はもちろん、一緒に食べることも
会話の盛り上がりもなく、顔も見ずに横に座っているだけだった)
→ぼく自身も変化しており、楽しく気分がいいと口数が少なくなり表情がぼーっとする
→日本でも最近は「チルい」という言葉が流行っており、その「脱力した心地よさ」は
ムラブリの「心が下がる」に通じるところがあるように思える
・SNSへの情熱や仲間とはしゃいだときに感じる楽しさは知っているし理解している
→でも感情を出して誰かに知られて幸福を感じられるのは一時的な流行りに過ぎない
→誰かといる、他人に認めてもらう以外の幸福がムラブリには見えている
→ムラブリ語の「心が下がる」瞬間は人類史的にはごくありふれた心の風景かも・・・
・ムラブリ語には暦も年齢もない
→季節には雨が降る季節・乾く季節・日差しの季節があるが人により呼び方は異なる
→森での収穫物が変わるので季節は重要だが、季節を決めるのは暦ではなく森の様子
→不思議なことに一昨日から5日後までの単語は規則的に存在する→昔は必要だった?
・人の暦はある→年齢ではなく成長段階による区別
→生まれたばかりの子どもは「レーン赤い」(日本語の赤ちゃんと同じで面白い)
→首が座り歩けるまでの子どもは「チョロン幼い子」
→歩き回る時期の子どもは「アイタック小さい」
→その後は「ナル・フルアック大人」で第二次性徴以降なので10代前半ぐらいから
→老人は「白い」を変化させた語彙で、おそらくは白髪のことだろう
・数詞はあるが10まで正確に数えられる人は稀
→知的威信を示す手段で、男たちは酔っぱらうと数えたがるが10までは行かない
→数えることで何かを教えるというより、宴会芸の一種というのが正確な理解

→時計をつける(電池がないか時刻が合っていない)のも時計の入れ墨をするのも知的威信
→森の生活では大きな数も時計も要らないのに、余計なもの無駄なことに価値を見いだすのが
普遍的な人類の特徴なのかも知れない
→女性に数詞を数えたり時計を見せたりはしないので、モテるためでもない男社会のあるある

・ムラブリ語の過去・完了相と未来・起動相(時制やアスペクトのハナシなので省略)
→世界の見え方は話している言語の影響を受けている
(言語相対論、青を区別する語彙があるロシア語話者の色彩識別テストなど)
・言語の持つ超越性とムラブリ語や南米ピダハン語の現前性(いま、ここ)
→ムラブリも定住し換金作物栽培を手伝うようになって計画性を求められるようになった
→ムラブリの村に一時期、自殺が増えた時期があった
→その理由を訊くと「長く考えたから」と答えたムラブリがいた
→「いま、ここ」の現前性では未来はわからず過去はとりかえせない、あるようでないもの
・ムラブリ語に竹という総称はなく7種類それぞれに単語がある
→それぞれで用途が異なり森で少しずつ見分けられるようになった
→論文を書くには写真と単語だけでいいのだが、自分で覚えて使えないと気が済まない
→理由は分からないけど、その方がぼくにとって楽しいのは間違いない
第4章より
・ムラブリが森に入る時は腰の刃物だけ
→採集物を持ち帰るカゴ、ロープ、寝床、焚火、食べ物など、すべては現地調達
→ところが村の家には服や衣類が山積みなのだが、なぜか森と変わらず落ち着いている
(ぼくはムラブリから「物が多い」といわれるが断捨離してから片付かないと落ち着かない)
・この理由を(言語学者なので)言語から考えてみる
→物を指すムラブリ語は複数あるが、よく使われるのはグルアで主に衣類の意味
→グルアの下位カテゴリーが衣類で上位カテゴリーが物
→日本語のご飯と食事の関係に近い→シネクドキ提喩
→衣類が典型的な物であるという感性はどこから生まれるのか?
・所有と匂い
→匂いは所有という抽象的な概念の入口ではないか(マーキングとか借りた服の違和感とか)
→所有のあるところに物が生まれる
→ムラブリの村や家の匂いは極めて均質(焚火の煙の影響も大きい)
→服は誰かが愛着して匂いがつくとその人のグルアになる
→家に山積みの服や衣類があってもどれも同じ(煙の)匂いなのでグルアにならない
→匂いの共有は森の中と同じなので落ち着いていられるのではないか・・・
・ムラブリの所有観(他動詞と自動詞のハナシなので省略)
→「米を持っている」と「米がある」の区別がない(森に木がある、森が木を持っている)
→私の父、私の手など親族と身体部位には「の」を使うが、私の米という使い方はない
→所有関係を表したいときはタイ語の構文を借用している
・ムラブリの一夫一妻、宗教(精霊信仰)、暴力・・・すべては「そいつ次第だ」
・自助と共助の共同体
→一人暮らしの老人でも助けを求めない限り誰も助けない
→人類学でいうシェアリングで富の集中や権力の発生を避ける仕組みを持っている
→分業しないので専門家もいない(バイク修理の講習会の例)
→徹底した個人主義の一方で獲物は平等に共有し、求められればできる範囲で助ける
→個人を生命として信頼し生命が儚いと自覚しているからの振る舞いだと感じる
(コラムより、森の中で火打石や火種の綿を濡らさないことがどれだけ大事か・・・)
第5章より
・博士論文とムラブリ語の方言差調査と子どもの誕生と大学院休学と富山への引っ越しと
29歳での日本学術振興会の特別研究員(学振3年)採用と富山大学の客員研究員・・・
→あらためて書いてみて、運だけで何とかなっているような人生だ

・2017年の春休みに富山大学の先生・学生とムラブリの村を訪れた際に金子游監督と出会った
→東南アジアの少数民族の映像を撮っていると知り(方言差調査で知った)分断されたムラブリを
消える前に引き合わせたいと考えていることや、その際の映像を残したいことを伝えた
→その日の夜にメールがきて映画のプロジェクトがはじまった・・・(略)
・ムラブリの歴史についての考察
→古くからの狩猟採集民のような高度な文化・精神世界とは異なり神話は散文的で儀礼も簡素
→いっぽうで玉鋼をつくる製鉄技術を持っている
→遺伝学や言語学の研究から農耕民が狩猟採集民になったと考えられている(略)
(遺伝的にも言語学的にも最も近い農耕民ティンの民話にも残っている)
→この逆行は人類史の中でも珍しく文化的言語的な特徴を説明する可能性がある
・ぼくのクレオール仮説
→日本語の「わたしの本」は英語では「my book」や「books of mine」
→日本語の語順は「わたしは本を持っている」主語→目的語→動でSOV言語
→英語の語順は「I have books」主語→動詞→目的語でSVO言語
→日本語のようなSOV言語の所有表現は(人→モノ)の語順が多い
→英語のようなSVO言語では所有表現に地域や語族で隔たりがある
(英語もmy book(人→モノ)とbooks of mine(モノ→人)の両方がある)
→文の基本語順と所有表現の類型論的含意と呼ばれる傾向
→オーストロアジア語族SVO言語の所有表現は唯一の例外を除いて(モノ→人)の語順
→その唯一の例外がムラブリ語
→ムラブリ語はSVO基本語順の一方で所有表現については(人→モノ)の語順を示す
(これはオーストロアジア語族の言語研究者には、そんなバカな!!!くらいの大事件だった)
→ムラブリ居住領域の周辺に(人→モノ)語順の言語はなく言語接触も殆どなかったはず
→他にも近親言語と共通する語彙が極端に少ないなど不思議な特徴がたくさんある
→中国語(人→モノ語順)の影響とか消えた言語の影響とか、イマイチな仮説ばかり・・・
(ここからがムラブリ語好きの著者の仮説)
・アジア大陸山岳部はゾミアと呼ばれ様々な少数民族が点在している地域
→平野部に比べコメの生産が難しく大きな王朝は築かれず負け組とされてきた
→歴史学者ジョージ・C・スコットは中央集権支配から逃れるため文字を捨て所有を嫌い
自由を求めて主体的に山岳部に移住したのがゾミアの民とした(2013)
→ムラブリはゾミアの民の典型例ではないかとぼくは考えている
・最初は少数のティンが祖先で、その噂に共感した他の民族からも人々が合流した
(遺伝学的にもクム族やタイ族など様々な民族と混血した痕跡がある)
→様々な民族の集まりだから、その都度、その場で通じる言葉を作り上げていく
(その場限りの必要性から生まれる言語はピジンと呼ばれ世界中で報告されている)
→ピジンは不完全な文法で語彙も限定的
→ピジンを母語として学んだ子どもたちは、やがて完全な言語体系をつくり出す
→ピジンを母語として生まれる言語をクレオールという
→つまりムラブリ語はクレオールではないか
・クレオールは元の言語や地域が違っても似たような特徴を持つ
→所有表現の語順が(人→モノ)であること、疑問詞が2つの要素からなっていること、
重複などの仕組みの乏しいことなど(偶然かも知れないが)ムラブリ語の特徴と一致する
→もちろん証明できないことであり学者として追いかける理由はないが、
→農耕から逃れ森の中で遊動生活をしながらゆるいつながりで形成していった共同幻想
→それがムラブリという民族だった可能性を想うと、なぜムラブリに出会い惹かれたのか
腑に落ちる気がするのだ・・・
(映画の撮影、ラオスのムラブリ、100年越しの再会、ムラブリ語の方言(方言には○○方言と
地名が付くが、ムラブリは移動するのでA方言B方言C方言となる)、などは省略して・・・)
・バベル的言語観、コーラン的言語観
→人々が統一言語で協力して天まで届く塔を作ろうとしたので神が怒り、天罰として塔を崩し
人々の言語をバラバラにしたというのが聖書
→「グローバルには統一言語としての英語」という風潮には反論できないが納得もできない
→言語学者としての応答は聖書と並ぶコーラン
→神が民族をバラバラにしたのは聖書と同じだが、理由はお互いをよく理解するため
→同じ言語だと個別性に気づくのは難しい→日本語同士なら同じ「おいしい」だけ
→タイ語で「アロイ」ムラブリ語で「ジョシ」という人がいれば、感じていることが違うかも
知れないという発想が湧いてくるのではないか
→味覚だけでなく感情や価値観、思想も同じこと
→言語はバベル的言語観もコーラン的言語観も同時に内包する
→同じだよね、違うよねというメタメッセージは言語を用いる限り常に存在する
→どっちも本当で同じだし、違う、そして、それは両立する
第6章より
・「ムラブリ語を話せるようになる過程で変化した自分自身」が何よりの研究成果
→2020年3月に大学教員を辞めて独立研究者になった
(プロ奢ラレヤーの「嫌なこと、全部やめても生きられる」を読んだ翌週に辞表を提出した)
・身体と言語
→武術の講座に通い稽古して、型を通じて身体性を養い、今は言語は型であると言える
→既存の言語を話すときは必ず誰かを引用している→その語も誰かがつくったもの
→ムラブリが雷の経験を誰かと共有したい、声にして表したいと思って出た音が「クルボッ」
→経験は認められ共有され、それまで意味のなかった音の配列が雷を意味するようになった
→現代言語学では単語の誕生に恣意性はないとされている
→日本語イヌ・英語ドッグ・ムラブリ語ブラン・・・
→この考え方はこれらが同じ意味であることを前提にしている→似ているが同じではない
→「クルボッ」の音やリズムがムラブリの身体性で感じる雷をよく表し一体感があったから
いままで使われてきたのではないか
→どんな音でもよかったのではなく生まれる瞬間の強度が死んでなお経験を伝える(武術の型?)
→話し手と聞き手は、語のつくり手の経験とつながっているから互いに理解できる
→ムラブリ語を理解したということは経験のアーカイブ、つまりムラブリの身体性にアクセス
することに慣れた、ということでもある
→そのアクセスがスムースになるほどムラブリ的なセンスで生きることが可能になる
→ムラブリ語を話しているときは深くしゃがめる、遠くに話そうとしている自分に気づく
(ムラブリは村では寡黙だが森では饒舌で話す距離は20~30m=ぼくが話そうとしている距離)
→給料、税金、モノやコトの値段、ご飯・・・ムラブリなら要るか要らないかだけ
→ムラブリは生きるのに必要なことを知ってて、すべて自分でできる
→ぼくは生きるのに必要なことすべてをお金で外注していることに気づいた
→まずは衣食住を身ひとつで賄えることを目指した・・・
・現代日本でムラブリのように生きるには
→バックミンスター・フラー唯一の共同研究者シナジェティクス研究所の梶川泰司所長に出会った
→梶川所長の目指す生き方
①無線→電線などを用いないオフグリッド
②無管→上下水道管を用いない
③無柱→住居に柱を用いない
④無軌道→道路などのインフラに左右されない移動
→これを達成するテクノロジーを発明することが、ぼくの理解する梶川所長の目標
(ぼくは工場規格ではなく自分で作れる環境に応じたものが理想的と思った)
→自分で作ることができ、環境と調和してお互いを活性化し、地球の(宇宙でも)どこでも
一人で生きていけるテクノロジーが、ムラブリの身体性を日本に持ち込んだぼくが心地よく
生きていく方法なのだと今は考えている→自活器self-livingry
→2022年1月にフラー式ドームの簡単な施工法を発明した(略)
→プロ奢ラレヤーと話して空き家・空きスペースに寝るスキルも面白いと思った
→寝るスキル、食事のスキル、服装のスキル・・・(略)
・友達のお父さんが急病になり二人で街の病院へ連れて行き病院の雑魚寝スペースに居たら
身なりのいいタイ人のおばさまが黙って菓子パンとアンマンの入ったコンビニ袋を渡してくれた
→泥まみれでタイ人らしくない顔つきでムラブリ語で話してたので貧しい少数民族に見えたのだ
→「ありがとうございます!!!儲かった!!!」という感情はなく、自然に二人で黙って食べた
→水が流れてきた、キノコが生えてきた、という感じで、とても自然だった
・ぼくの人生には不思議とタイミングよく身に余るオマケがついてくる
→以前ならムラブリを紹介しても「珍しい民族ですね」で終わっただろうが、映画が上映され
映画の感想が多いことに驚かされた。いまはこの本を執筆している
→おそらくこのタイミングで日本で紹介されたことに意味があったのだろう
・ムラブリはタイの少数民族の中でも地味で物質文化も乏しい
→視覚的に「これがムラブリです」と示せるものが極端に少ないが、
→若いムラブリは声を揃えて「自由が好き、強制は嫌い」と言う→これがムラブリなのだ
→この部分が現代日本でムラブリがウケている理由なのだろう
・この本に書かれていることはすべて偶然性や自由からの働きかけで起きたこと
→みんなももっと自由になれるんじゃないかと感じていたから書き上げることができたと思う
→あなたの心に小さなムラブリが芽生えることを祈っている
おわりにより
・2020年1月を最後にコロナ禍でムラブリを訪問できずにいた
→この「おわりに」を書くため3年ぶりに訪れる予定だったが出発2週間前にキャンセルした
→いまやりたいことがムラブリに会うことではないと気づいたから
・言語とは何かの本質的な問いに向かうため武術、詩、短歌、踊りをしてワークショップなどで
収入も得られるようになった
→富山での定住から車中泊生活を経て関東・関西を含む多拠点になり今は富山の山中が拠点
→ムラブリをof研究することからはじめ、ムラブリとともにwith、そしていまムラブリとしてas
研究することに挑戦している
・ぼくは孤独になり自由になったことで、なぜ専門を就職を所有やお金を嫌ったのかに気づいた
→専門ではなくそれが生む権威、働くことではなくそれの強制、所有やお金に絡む社会の
仕組みが気に入らず、身体に合わずうんざりしていたのだ
・いまは富山の山中で自活器self-livingryの開発を行っている
→自分で家を建て食を担いエネルギーをつくることができれば人はやりたいことに邁進するはず
→それがぼくのムラブリ研究でありムラブリへの恩返し
→どうかみなさん、自活器の開発に力を貸して下さい!!!