わからないもの
2022年07月29日
すごい統計学
とーとつですが・・・
すごい統計学・・・であります

ええ、数式いっさいなし!とゆー惹句に惹かれて・・・
著者、発行所、発行年月日については奥付のとおり

今年5月に出たばかりの新刊であります
例によって目次のみのご紹介






確かに素人にも解かりやすくて面白く、まさに目からウロコでした。
わたくしも典型的な文系で数字や数式を見ただけで心が折れますし、ネットやSNSの広告や
フェイクニュースにもだまされやすく、昔とある国家試験を受けるように勧められた際も、
試験科目に統計学があったので結局は受けずじまいだったぐらい・・・経済学も苦手だったけど・・・
以下は素人による読後メモですが、当然ながら本書では表やグラフを使った説明が殆どで、
当然ながら文章だけではよく分からないので、興味のある方は是非本書のご熟読を・・・
・統計学を身につけることでエビデンス(根拠)のない判断を避けることができる
→サザエさんの「じゃんけんコーナー」で71%の勝率(1991-2022で664勝272敗)の例
(乱数表とかでランダムなら50%だが同じ担当者が決めるからクセが出る→統計学が使える)
・質的データ
①名義尺度→区別・分類するため→性別・血液型・住所など→大小・優劣・順位などはない
→最頻値などは出せる
②順序尺度→順位・好みなど→平均値は出せないが中央値・最頻値などは出せる
・量的データ
③間隔尺度→摂氏温度・知能指数など→目盛りが等間隔なので加減でき平均値は出せるが
乗除はできない
④比例尺度→絶対温度・身長・売上高など→絶対的な0が存在するので四則計算ができる
→平均値・中央値・最頻値などが出せる
・これらの尺度(型)を知ることがデータを扱う際の「最低限のリテラシー」
・見えないデータ
→葛飾北斎の「見えない風」の描写方法
→アメリカ軍爆撃機のドイツ軍弾痕分布からの分析例→生存者バイアスの排除が重要
・平均値・中央値・最頻値
・勤労者世帯(2人以上)別「貯蓄現在高」分布グラフ(2020総務省統計局)の例
→棒グラフではなく横幅が2倍になったヒストグラム(柱状グラフ)
→横にも連続性があり面積で大きさを比べるもの
→平均値1791万円は高額の「外れ値」に引っ張られたもの→「ふつう」ではない
→中央値1061万円は順にならべた場合の真ん中の値→これぐらいが「ふつう」?
→最頻値100万円未満はデータで一番多く出てくる値
→きれいな正規分布の場合は三者がほぼ一致するが、これは18倍の差が出ている
・グラフの型によって「ふつう」をどこにするかが変わる(身長の例も)
→右に裾を引くグラフでは平均値は大きめに、左の場合は逆になる
→会議資料などでは中央値か平均値をメインに最頻値を参考に添えるのが正直な使い方
・株価予測グラフの例→外れ値に影響されない中央値を活用すると有用な情報になる
→(外れ値に影響される)平均値は変化に対応する→中央値は変化には弱い
(5人の毎週末テストの例→40,50,60,70,80が翌週に45,55,60,75,85になれば、
平均値は60から64に変化するが中央値は60のままで変化しない)
・社員の睡眠時間の例→階級分けを未満・以上にするか以下・超にするかで最頻値が変わる
→最頻値は相当なデータ数があって階級分けの方法に影響されない場合に使える
→社員の通勤時間や遅刻時間などでは最頻値が実情を掴みやすい
・暗号解読や誰の文章かを推定する場合は頻度なので最頻値一択
・それぞれにメリット・デメリットがあるので条件に合わないツールは使わない
・子どもの成績や身長の予測→差の縮小→平均への回帰→回帰分析
・正規分布・平均値・標準偏差
・平均値からのバラツキの大きさ(グラフの幅の広さ)は、
→高校3年生の身長>鶏のタマゴの重さ>クギ(工業製品)の長さになるが、
→どれも正規分布で平均値の標準偏差±1倍に68.3%、2倍に95.5%、3倍に99.7%が入る
→数学テストでは標準偏差が大きく正規分布は幅広に、作文テストでは逆になるが結果は同じ
→統計学ではこの正規分布の性質を使い仮説を立ててエビデンスを導き出す(仮説検定)
・正規分布で平均点や標準偏差がわかれば異なる2つを比較できる
→平均0で標準偏差1とした正規分布が標準正規分布(偏差値は平均50、IQは平均100)
・正規分布ではない(わからない)分布には平均値ではなく中央値を活用
→中央値に似て標準偏差のようにバラツキ範囲を示すのが四分位範囲(50%)
→四分位範囲の箱に最大値・最小値のヒゲを付けたのがローソク足(株価チャートなど)
・あみだくじの横棒はパチンコのクギと同じで少ないほど真ん中に行く確率が高い
・地震予知の統計学からのアプローチ(略)
・著者による2つの統計学の違い
→記述統計学(一般にはグラフや表に記述)→全数調査したデータを使う統計学
→推測統計学(一般にはサンプルから母集団を推測)→サンプル調査したデータを使う統計学
→データを代表値(平均・中央・最頻)や最大値・最小値にして分析
→それにより対策や提案を目指すのが統計学
・早くて安い推測統計学
→サンプル調査の点推定と区間推定
→区間推定で母集団の平均値や標準偏差を推測するのが推測統計学→誤解やミスリードも
→全体を縮小したサンプルになっているか(みそ汁の味見、購読新聞の例)がポイント
→1936年の大統領選挙予想→大手のサンプリング・ミス(数は多いが富裕層に集中した)
→視聴率、内閣支持率などの誤差の範囲(略)→意識する姿勢が必要
・数学的確率と統計的確率(コイン投げ→ギャンブラーの誤謬)→実績(統計)で考える
・帰納法(仮説検証)は反例で崩れる→1697年のブラックスワン発見→統計学の仮説検定
→確率5%以下が統計では判定基準→フィッシャーによる危険率
→帰無仮説を立てる→数値判断で棄却する→対立仮設を採択する
(最初に線引きラインを決めておく)
→コイン投げ20回で有意水準5%以下(15回以上続けて表)ならイカサマかコインが歪んでいると判断、
14回までなら、たまたまと判断する(15回以上の「たまたま」もあることに注意)
→これが片側検定→怪しいコインだがどちらが出るかはっきりしない場合が両側検定2.5%
→新薬の優位性を調べるなら片側検定、非劣勢性も調べるなら両側検定?
→ズルが生まれないよう、調べる内容によって方法を最初に決める
・スマホ顔認証で本人なのに認証しない過誤と他人なのに認証する過誤の例え
・統計のα過誤(本人なのに認証しないようなもの)
→正しく帰無仮説を立てた(対立仮説が正しかった)のに検証データでは棄却できなかった場合
・統計のβ過誤(他人なのに認証するようなもの)
→間違っていた帰無仮説を棄却し、対立仮設を採択してしまった場合
・危険率(有意水準)を大きくすると他人まで認証し、小さくすると本人でも認証しなくなる
→すべてトレードオフの関係→なので危険率の設定は重要→冤罪と死刑の関係
→判断ミスをゼロにしきれないので危険率という考えがある
→「メンデルの法則」疑惑からバラツキの捏造、エニグマ解読後の偶然の範囲内での行動
→統計学は「だまし・だまされる方法」としても使われる
・コオロギの1分間に鳴く回数と温度の関係→正の相関関係→最大は1
→因果関係がある場合は必ず分布図に相関関係が見えるが逆ではない
→ニコラスケイジの年間映画出演回数と、全米の年間プール溺死者数との相関が0.67!!!
→メーン州の離婚率とマーガリン1人あたり消費量との相関が0.99!!!
・・・とかは偶然の相関(それでも陰謀論になるのが面白い
)
→信号機の数と交通事故の数の相関は別の要因(面積・人口・クルマ台数など)による疑似相関で、
因果関係があるとして信号機を減らせば大変なことになる!!!
・その相関が偶然なのか疑似相関なのか本当に因果関係があるのか
→それを誰もが納得する形で示すのがエビデンスで有名な検証作業がランダム化比較試験RCT
・雰囲気や忖度ではなく誰もが納得する客観的な根拠がエビデンス
→ただし悪い傾向の際にエビデンスを待てば手遅れになる→GOTOトラベルの例
・RCT→新薬、新パッケージなどのテスト→A/Bテスト→ランダム化が重要
→2008年大統領選でのオバマ陣営の資金集めの成功例
(動画と静止画で6、キャッチフレーズで4の24候補にホームページを訪れた支持者31万人を
ランダムに誘導した結果、プロの選んだ候補とは別の組み合わせが最高の成果に)
・PCR検査の例
→直感的には全員検査だが数値を押さえて見ていくと(略)全体としての非効率を生み出す
→個人の健康診断も同じ、パニックにならず統計学による冷静な判断で二次検査へ
・明治の陸軍と海軍の脚気対策の例
→海軍の軍医総監・高木兼寛は軍艦2隻に分けてRCTを実施して分析、原因が栄養にある
と判断(当時ビタミンB1は未解明)、食事を白米と副食代(下級兵士は使わず仕送りしていた)から
洋食と麦飯に変更し、僅か2年で海軍の脚気患者や死者は激減した。
→陸軍の軍医総監・森林太郎(鴎外)は細菌説に固執し理論重視、海軍での事実を無視し続け、
日清戦争では公式記録でも軍人20万人のうち脚気患者が4万1431人、戦死者は997人で脚気
による死亡者が4064人(海軍は3人)、日露戦争では全傷病者35万のうち脚気患者が21~25万、
全病死者37200人のうち脚気死亡者は28000人、頑固な思い込みで多くの人命を失った
→リーダーがエビデンスを信用し活用するか、自説と異なると無視し何も手を打たないか、
→これはもはや統計学の出る幕ではなくリーダーの資質、トップがどう扱うかの問題
・相関関係より因果関係が大事だが、待っていては間に合わない場合もある
・19世紀イギリスでコレラ禍を最小限に食い止めたジョン・スノウの例
→汚染との因果関係が分からず空気感染と信じられていたが離れた場所でも発生していた
→共同井戸の位置と患者の発生位置を地図にプロットして発生源を特定し給水を停止
→コレラの拡大が収まった
→この共同井戸を調べるとレンガが壊れており汚水の流入が確認できた
→メカニズムはわからなくても相関で発生原因をつかみ封じ込めた
→さらに水道会社別の死亡者数と1万軒あたり死亡者数を調べた
→テムズ川の下流で取水していた会社が圧倒的に高かった→その水道を使わないことにした
→どちらも相関関係だけで対策を練り行政に行動を促した
(コレラの感染メカニズムが解明されたのは30年後)
・因果関係の証明や明確なエビデンスがないからと、何もしないのは無作為の作為
→因果関係が完璧にわかるまでの対策、特に人命に関わる場合は相関関係を見て早めに動くこと
・ちから試しクイズ
→10日間の株価が上がるか下がるか100%予測するシステムというメールが来て全て的中した。
→あなたはこれに投資するか?
(10日間で全1024通りを10万人にメールすれば・・・)
→東京都の新型コロナ新規感染者数の10週間の推移表を見て、11週目からの増減予測は?
(実数を見れば減少傾向が続いているが直近の増減率の傾向を見れば・・・)
ええ、ともかく数式がなく無事に最後まで読めたので、めでたしめでたし・・・
すごい統計学・・・であります

ええ、数式いっさいなし!とゆー惹句に惹かれて・・・

著者、発行所、発行年月日については奥付のとおり

今年5月に出たばかりの新刊であります
例によって目次のみのご紹介






確かに素人にも解かりやすくて面白く、まさに目からウロコでした。
わたくしも典型的な文系で数字や数式を見ただけで心が折れますし、ネットやSNSの広告や
フェイクニュースにもだまされやすく、昔とある国家試験を受けるように勧められた際も、
試験科目に統計学があったので結局は受けずじまいだったぐらい・・・経済学も苦手だったけど・・・
以下は素人による読後メモですが、当然ながら本書では表やグラフを使った説明が殆どで、
当然ながら文章だけではよく分からないので、興味のある方は是非本書のご熟読を・・・
・統計学を身につけることでエビデンス(根拠)のない判断を避けることができる
→サザエさんの「じゃんけんコーナー」で71%の勝率(1991-2022で664勝272敗)の例
(乱数表とかでランダムなら50%だが同じ担当者が決めるからクセが出る→統計学が使える)
・質的データ
①名義尺度→区別・分類するため→性別・血液型・住所など→大小・優劣・順位などはない
→最頻値などは出せる
②順序尺度→順位・好みなど→平均値は出せないが中央値・最頻値などは出せる
・量的データ
③間隔尺度→摂氏温度・知能指数など→目盛りが等間隔なので加減でき平均値は出せるが
乗除はできない
④比例尺度→絶対温度・身長・売上高など→絶対的な0が存在するので四則計算ができる
→平均値・中央値・最頻値などが出せる
・これらの尺度(型)を知ることがデータを扱う際の「最低限のリテラシー」
・見えないデータ
→葛飾北斎の「見えない風」の描写方法
→アメリカ軍爆撃機のドイツ軍弾痕分布からの分析例→生存者バイアスの排除が重要
・平均値・中央値・最頻値
・勤労者世帯(2人以上)別「貯蓄現在高」分布グラフ(2020総務省統計局)の例
→棒グラフではなく横幅が2倍になったヒストグラム(柱状グラフ)
→横にも連続性があり面積で大きさを比べるもの
→平均値1791万円は高額の「外れ値」に引っ張られたもの→「ふつう」ではない
→中央値1061万円は順にならべた場合の真ん中の値→これぐらいが「ふつう」?
→最頻値100万円未満はデータで一番多く出てくる値
→きれいな正規分布の場合は三者がほぼ一致するが、これは18倍の差が出ている
・グラフの型によって「ふつう」をどこにするかが変わる(身長の例も)
→右に裾を引くグラフでは平均値は大きめに、左の場合は逆になる
→会議資料などでは中央値か平均値をメインに最頻値を参考に添えるのが正直な使い方
・株価予測グラフの例→外れ値に影響されない中央値を活用すると有用な情報になる
→(外れ値に影響される)平均値は変化に対応する→中央値は変化には弱い
(5人の毎週末テストの例→40,50,60,70,80が翌週に45,55,60,75,85になれば、
平均値は60から64に変化するが中央値は60のままで変化しない)
・社員の睡眠時間の例→階級分けを未満・以上にするか以下・超にするかで最頻値が変わる
→最頻値は相当なデータ数があって階級分けの方法に影響されない場合に使える
→社員の通勤時間や遅刻時間などでは最頻値が実情を掴みやすい
・暗号解読や誰の文章かを推定する場合は頻度なので最頻値一択
・それぞれにメリット・デメリットがあるので条件に合わないツールは使わない
・子どもの成績や身長の予測→差の縮小→平均への回帰→回帰分析
・正規分布・平均値・標準偏差
・平均値からのバラツキの大きさ(グラフの幅の広さ)は、
→高校3年生の身長>鶏のタマゴの重さ>クギ(工業製品)の長さになるが、
→どれも正規分布で平均値の標準偏差±1倍に68.3%、2倍に95.5%、3倍に99.7%が入る
→数学テストでは標準偏差が大きく正規分布は幅広に、作文テストでは逆になるが結果は同じ
→統計学ではこの正規分布の性質を使い仮説を立ててエビデンスを導き出す(仮説検定)
・正規分布で平均点や標準偏差がわかれば異なる2つを比較できる
→平均0で標準偏差1とした正規分布が標準正規分布(偏差値は平均50、IQは平均100)
・正規分布ではない(わからない)分布には平均値ではなく中央値を活用
→中央値に似て標準偏差のようにバラツキ範囲を示すのが四分位範囲(50%)
→四分位範囲の箱に最大値・最小値のヒゲを付けたのがローソク足(株価チャートなど)
・あみだくじの横棒はパチンコのクギと同じで少ないほど真ん中に行く確率が高い
・地震予知の統計学からのアプローチ(略)
・著者による2つの統計学の違い
→記述統計学(一般にはグラフや表に記述)→全数調査したデータを使う統計学
→推測統計学(一般にはサンプルから母集団を推測)→サンプル調査したデータを使う統計学
→データを代表値(平均・中央・最頻)や最大値・最小値にして分析
→それにより対策や提案を目指すのが統計学
・早くて安い推測統計学
→サンプル調査の点推定と区間推定
→区間推定で母集団の平均値や標準偏差を推測するのが推測統計学→誤解やミスリードも
→全体を縮小したサンプルになっているか(みそ汁の味見、購読新聞の例)がポイント
→1936年の大統領選挙予想→大手のサンプリング・ミス(数は多いが富裕層に集中した)
→視聴率、内閣支持率などの誤差の範囲(略)→意識する姿勢が必要
・数学的確率と統計的確率(コイン投げ→ギャンブラーの誤謬)→実績(統計)で考える
・帰納法(仮説検証)は反例で崩れる→1697年のブラックスワン発見→統計学の仮説検定
→確率5%以下が統計では判定基準→フィッシャーによる危険率
→帰無仮説を立てる→数値判断で棄却する→対立仮設を採択する
(最初に線引きラインを決めておく)
→コイン投げ20回で有意水準5%以下(15回以上続けて表)ならイカサマかコインが歪んでいると判断、
14回までなら、たまたまと判断する(15回以上の「たまたま」もあることに注意)
→これが片側検定→怪しいコインだがどちらが出るかはっきりしない場合が両側検定2.5%
→新薬の優位性を調べるなら片側検定、非劣勢性も調べるなら両側検定?
→ズルが生まれないよう、調べる内容によって方法を最初に決める
・スマホ顔認証で本人なのに認証しない過誤と他人なのに認証する過誤の例え
・統計のα過誤(本人なのに認証しないようなもの)
→正しく帰無仮説を立てた(対立仮説が正しかった)のに検証データでは棄却できなかった場合
・統計のβ過誤(他人なのに認証するようなもの)
→間違っていた帰無仮説を棄却し、対立仮設を採択してしまった場合
・危険率(有意水準)を大きくすると他人まで認証し、小さくすると本人でも認証しなくなる
→すべてトレードオフの関係→なので危険率の設定は重要→冤罪と死刑の関係
→判断ミスをゼロにしきれないので危険率という考えがある
→「メンデルの法則」疑惑からバラツキの捏造、エニグマ解読後の偶然の範囲内での行動
→統計学は「だまし・だまされる方法」としても使われる
・コオロギの1分間に鳴く回数と温度の関係→正の相関関係→最大は1
→因果関係がある場合は必ず分布図に相関関係が見えるが逆ではない
→ニコラスケイジの年間映画出演回数と、全米の年間プール溺死者数との相関が0.67!!!
→メーン州の離婚率とマーガリン1人あたり消費量との相関が0.99!!!
・・・とかは偶然の相関(それでも陰謀論になるのが面白い

→信号機の数と交通事故の数の相関は別の要因(面積・人口・クルマ台数など)による疑似相関で、
因果関係があるとして信号機を減らせば大変なことになる!!!
・その相関が偶然なのか疑似相関なのか本当に因果関係があるのか
→それを誰もが納得する形で示すのがエビデンスで有名な検証作業がランダム化比較試験RCT
・雰囲気や忖度ではなく誰もが納得する客観的な根拠がエビデンス
→ただし悪い傾向の際にエビデンスを待てば手遅れになる→GOTOトラベルの例
・RCT→新薬、新パッケージなどのテスト→A/Bテスト→ランダム化が重要
→2008年大統領選でのオバマ陣営の資金集めの成功例
(動画と静止画で6、キャッチフレーズで4の24候補にホームページを訪れた支持者31万人を
ランダムに誘導した結果、プロの選んだ候補とは別の組み合わせが最高の成果に)
・PCR検査の例
→直感的には全員検査だが数値を押さえて見ていくと(略)全体としての非効率を生み出す
→個人の健康診断も同じ、パニックにならず統計学による冷静な判断で二次検査へ
・明治の陸軍と海軍の脚気対策の例
→海軍の軍医総監・高木兼寛は軍艦2隻に分けてRCTを実施して分析、原因が栄養にある
と判断(当時ビタミンB1は未解明)、食事を白米と副食代(下級兵士は使わず仕送りしていた)から
洋食と麦飯に変更し、僅か2年で海軍の脚気患者や死者は激減した。
→陸軍の軍医総監・森林太郎(鴎外)は細菌説に固執し理論重視、海軍での事実を無視し続け、
日清戦争では公式記録でも軍人20万人のうち脚気患者が4万1431人、戦死者は997人で脚気
による死亡者が4064人(海軍は3人)、日露戦争では全傷病者35万のうち脚気患者が21~25万、
全病死者37200人のうち脚気死亡者は28000人、頑固な思い込みで多くの人命を失った
→リーダーがエビデンスを信用し活用するか、自説と異なると無視し何も手を打たないか、
→これはもはや統計学の出る幕ではなくリーダーの資質、トップがどう扱うかの問題
・相関関係より因果関係が大事だが、待っていては間に合わない場合もある
・19世紀イギリスでコレラ禍を最小限に食い止めたジョン・スノウの例
→汚染との因果関係が分からず空気感染と信じられていたが離れた場所でも発生していた
→共同井戸の位置と患者の発生位置を地図にプロットして発生源を特定し給水を停止
→コレラの拡大が収まった
→この共同井戸を調べるとレンガが壊れており汚水の流入が確認できた
→メカニズムはわからなくても相関で発生原因をつかみ封じ込めた
→さらに水道会社別の死亡者数と1万軒あたり死亡者数を調べた
→テムズ川の下流で取水していた会社が圧倒的に高かった→その水道を使わないことにした
→どちらも相関関係だけで対策を練り行政に行動を促した
(コレラの感染メカニズムが解明されたのは30年後)
・因果関係の証明や明確なエビデンスがないからと、何もしないのは無作為の作為
→因果関係が完璧にわかるまでの対策、特に人命に関わる場合は相関関係を見て早めに動くこと
・ちから試しクイズ
→10日間の株価が上がるか下がるか100%予測するシステムというメールが来て全て的中した。
→あなたはこれに投資するか?
(10日間で全1024通りを10万人にメールすれば・・・)
→東京都の新型コロナ新規感染者数の10週間の推移表を見て、11週目からの増減予測は?
(実数を見れば減少傾向が続いているが直近の増減率の傾向を見れば・・・)
ええ、ともかく数式がなく無事に最後まで読めたので、めでたしめでたし・・・

2022年06月28日
東アジアの農村
前回記事「日本の農村」の続きとゆーか・・・
「東アジアの農村」~農村社会学に見る東北と東南~であります

表紙カバー裏にあった惹句

著者紹介と奥付

今年4月15日の初版第一刷発行、まさに最新刊であります。
じつはこの本を週刊誌の新刊紹介で知り、先に同じ著者の「日本の農村」を読んだので、
前回記事で紹介してたのでありますね。
そりゃあ、まずは日本の農村から理解しておかないとね・・・(^_^;
例によって目次のみご紹介




目次のとおり、東アジアでは北に位置する日本、韓国、中国・山東省の農村をまず比較、
そして南に位置するタイ、台湾、ラオス、中国・雲南省、ベトナム、ジャワ、バリの農村を
巡って、再び中国各地の農村を巡り、それらの特徴を把握するという大作であります。
とてもすべては読めませんでしたが、目を通した部分の読後メモです。
(わたくしの思い違いや読み飛ばしもありますので興味のある方は本書を熟読下さいね。)
日本の農村→長野県の瀬沢新田集落から
→武士の帰農による庇護と奉仕の生活集団から分家の自立発展、対等な同族関係に
→村の社、組の祠、家または同族の神の三重構造→仏教と神道、家と村の関連
→村の自治機能と祭祀機能
→家は柔構造で可塑性を持ち、村は固定した持続的な枠構造
韓国の農村→忠清南道の桃李里集落から
・韓国の宗族マウル(村)と日本の武士の帰農村との違い
→桃李里は国王から将軍に授けられた土地
→武士は帰農すれば農民になったが在郷両班(ヤンバン)は特権階級のままだった
→1950年の農地改革で小作農が自作農に→戦争で関係がさらに混乱→両班も自家経営に
→韓国の宗族村は血縁集団で日本の同族村は家来も含む生活共同集団
→村を出ても血縁は切れないが生活共同は村を出れば維持できない
→なので日本では村を出れば分家ではなく独立になる
・祭祀を行う単位としての家(チプ)、財産共有単位としての家族、居住単位としての家口
(世帯概念と重複する)→日本の農村の家は家族が営む農業経営体
→日本では先祖に対する仏教祭祀と氏神に対する神社祭祀
→韓国では朱子学に基づく儒教的先祖崇拝祭祀が根幹
(日本の朱子学は武士中心で農村の先祖崇拝に形式を与えたのは仏教)
→日本の神社(氏神)祭祀は村から拡大しないが韓国の先祖崇拝祭祀は全国的に拡大する
→個人を中心に置いた血縁による結びつきだから
中国の農村→山東省の房幹村集落から
→村の原型は19世紀から20世紀初頭→極貧の山村だった
→八路軍、土地改革、人民公社、文化大革命と激動の時代
→70年代の貯水湖築造、83年の公社解体、その後も村営企業を導入して発展した
→文化大革命後には村の土地廟(自然神と関帝を合祀したもの)再建や昔の墓地への墓参再開
→日本語の家族は法制的には戸口(戸籍)人数に該当するが一家子(中国語の家族)概念は異なる
→新中国以前の大家庭では居住は別でも食事や農作業は共同で男子均分相続、老母の輪住扶養
→日本の分家は本家を維持するために分与規模が小さい→家の存続が最重要
→中国では完全に均等→日本は家単位で中国は個人単位→一人一人の処遇が最重要
→父系出自の親族集団が「一家子」で系譜ごとに五代目となった時期に分化していくが、
親族集団の系譜は明確で連綿と続き、結びつきも強い
日韓中農村の比較
・「定住を前提としている日本」と「移住を常態としている中国・韓国」
→日本の同族団は生活共同体で必ずしも血統に制約されず地縁関係で成立する
→韓国の宗族は祭祀共同体で父系血族集団、居住地は問わない
→中国の一家子もそれに近いが農地解放以前は財産共有体として機能
→韓国でも中国でも村落を越えたネットワークと自己の帰属的地位の確認システムを確立
しており、どこに住んでいても血族が明確に繋がっている
・歴史的背景
→中国の自然災害、戦乱、商業化→農民の移住(パールバックの大地の例)
→韓国の異民族による侵攻、半島内の抗争→農民の大規模な移動→地縁より宗族
→日本では武士の領地は変わるが農民の個別経営は土地に定着して自然村落を形成
→中国のツオ・パン、韓国のウリ(対語はナム)は、どちらも移動に適合した扶助システムで
移動を前提としていない日本人には理解しにくい関係
・移動、定住と宗教、信仰
→定住社会では個人より集団での宗教、信仰が支配的
→仏教先進だった中国・韓国に寺の檀家組織は存在せず宗教そのものが消長、代替している
→韓国の祖先祭祀は盛大だが生活規範意識よりは宗族統合機能としての祭祀
(現在はキリスト教徒が6割以上で地域地縁の制約はなく個人本位、やはり移動に適合する)
→中国固有の道教や民間信仰も総じて個人本位で地域限定ではない
→日本の氏神(血縁神)と産土神(地縁神)、どちらが先か論争(略)
→ただし、それ以前の農耕民としての古層(自然信仰)は三国とも共通している
タイの農村
・つい最近まで東南アジアは東北アジアに較べて人口が少なく土地が広かった
→トンキン・デルタやジャワ島などを除き、少ない人口と豊富な土地を基層とする農業
→東北アジアでは17世紀までに一部貿易と小農社会の二重構造に
・東南アジアで15世紀から17世紀末まで都市国家を支えたのは農業ではなく貿易(琉球も)
→東南アジアの農民は重い税や直接支配を受けず半自給的な生活
→19世紀後半の東南アジア植民地時代→交易社会と農業社会の二重構造に
・植民地化の危機にタイ(当時シャム)では20世紀初頭に中央集権化・近代化(ラーマ5世)
→チャクリー改革→東南アジアでは稀有な植民地にならなかった国
→それ以前の伝統は成人男子農民と支配する地方王の直接関係で生涯続いた
→異なる地方王の農民が同じ集落(バーン)に住むこともあった
・妻方居住による親・娘関係、姉・妹関係で形成される屋敷地共住集団(これもバーン)
→8から10のバーンで構成される伝統的な村を20世紀初頭の地方制度改革で法制化
→2001年東北タイ中心部の農村(戸数170戸)の例→略
→近代化で父系制が始まったが伝統的な女系原理の優位性も残していた
→妻方の土地に夫が建てる新居、続く親娘関係、男女均分相続、夫婦別財システム・・・
→子供を親族に預けて夫婦で移動する複合家族→日本なら夫単身→家族概念の違い
台湾の農村
・台湾の四大族群(エスニック・グループ)
①原住民(漢民族が移住する明・清時代より前から住む民族)1.7%
②福建省南部から移住してきた漢民族73.3%
③広東省や福建省付近からやや遅れてやってきた客家系の漢民族12%
④国民党とともに移住してきた外省人13%
・漢民族の本格的な定住・開墾は明朝末期で宗族は東南中国と類似
→移民同士の争いが頻発したことから宗族で集住した→強固な宗族村に
→1895年からの50年に及ぶ日本皇民化による宗族の伝統破壊は大きなダメージ
→同じく50年に及ぶ治安の改善、行政機構やインフラの整備により宗族組織が衰退
→その後の国民党による思想改造、土地改革で伝統的地域秩序は解体へ向かう
→これらの歴史経過から社区(最も小さな自治体)発展事業へ
・台湾南部の客家村(社区)の例(2003年で人口1474、世帯数400)
→1976年からの前期社区発展事業ではインフラ整備と中華民国イデオロギー教化
→戒厳令解除までは北京語に似た国語が村の生活全般で強制されていた
→1991年からの後期では台湾本位イデオロギーと共同体意識の創生に
(1990年代に台湾社会統合の解決法として政治的な四大族群の概念)
→客家の言語や街並みなど伝統的文化も認める住民主導型地域作りへ
ラオス・雲南省・ベトナムの農村
・農耕による定住集落化→東アジアでは稲作中心→熱帯や亜熱帯では水害からの防御も重要
・メコン圏
→水の民→タイ系→水稲中心で焼畑中心の非タイ系と交易し村々のまとまりがクニに
→近代国家の中核を担うことはなく地方にとどまる
・ラオス北部の農山村の例
→先住民のクム、雲南系漢人、タイ系ヤンなどエスニシティはさまざまでモザイク状に点在
→農耕生活者の流入が多い→移動を特徴とするバンド(狩猟採集)の性格が残っている?
→稲作に加え焼畑、採集、牧畜も→バンドの定住集落化の過程か?
→重要な繋がりはやはり親族関係、お金はなくとも優しく親族の多い者が村長になる
・(ミャンマーに接する)雲南省保山市の回族(ムスリム)村
→甘粛省、新疆ウイグル自治区、雲南省が中国回族の三大集中地域
→モンゴル軍に従ったムスリムの高官が赴任した地方に集中
→民族ごとのマーバン(隊商)中継地→平野部か山腹に集住→交易拠点だった
(川が急峻で険しい陸路を馬で運ぶしかなかった)
・ベトナム北部の村落社会
(19世紀中葉までの南部は未開の地、その後別々に入植して定住した)
→村独自の防犯、財産、制裁機能、氏神、慣習を持つ強力な自治団体だった
→「王法も村の垣根まで」といわれ、北部の村はレンガ壁で覆われ、竹藪、村門、
狭い路地、集会所、寺(塔)、バニヤンの木、市場の存在が特徴
インドネシア・ジャワ島の農村→中部ジャワの農業集落
→肥沃な火山灰土の堆積地でジャワで最も収量の高い水稲地帯→超過密な人口
→結婚直後はどちらかの実家、同敷地に同居、歳とともに独立性を高めていく
→男女均分相続とイスラム法による男2女1相続がある
→相互扶助慣行とイスラム教が基調
→零細な所有構造の中に複雑な賃借関係がある
→一般の小作と異なり、安定収入のある持てる者が持たざる者を扶助する構造
→狭い耕地の割に屋敷地が広く果実、蔬菜、芋、鶏、羊など農業的利用もしている
→化学肥料、農薬、灌漑施設で二期作三期作と生産性を大幅に増大→人口増加
→人力による労働集約は過剰労働力の吸収と貧困からの解放に(インボリューション)
→緑の革命(エボリューション)による多収性品種や精米機の導入で仕事がなくなった
→零細化集約化、労働機会分散などで「貧困の共有」を行ってきたが行く先は袋小路
→それでも基本食糧と村内唯一の雇用労働を作り出す農業の意味は大きい
インドネシア・バリ島の集落
・韓国や中国の飢饉や戦乱による移動とは異なり、人が少なく豊かな条件での移住の繰り返し
→14世紀にジャワ・ヒンドゥーの影響が及び王朝に→宗教機能と政治機能
→英領ラッフルズ時代の1815年に村長が王を補佐するように
→村は特殊な慣習法と規則を持つ法共同体(小さな共和国)に
→1906~07に王が退位、オランダの植民地になり政府任命村長で慣習村と行政村の二重性に
→植民地化で慣習を端に追いやり、独立後の独裁で体制内化、制度化された
・農業と農村の変容
→本格的な観光地化は1980年代から
→水田は減少しているが高収量品種、化学肥料、農薬により収穫量は飛躍的に増加
→観光ルートに近い平野部では農地が宅地や道路や店舗や宿泊施設に
→ひとつの行政村にヒンドゥーの慣習村(パンジャール)やイスラムの慣習村(カンポン)がある
→水利組織(スバック)は行政村や慣習村から完全に独立している→日本と異なる
→スバックは寺院を共有する祭祀集団でもあり成員の権利と義務を定めた慣習法を持つ
→観光開発による宅地化、兼業化、ごみやバティック工房からの汚水・・・
→米の増産政策→化学肥料、農薬による影響、機械導入によるコスト増大
→圧倒的多数の小作人にとって農地の宅地化は失業を意味する
→インドネシアには300のエスニシティと200~400の言語集団がありバリも多様で複雑
→グローバル・ツーリズムはバリに格差拡大と新たな貧困層や失業層ももたらした
中国各地(具体例などはアルコール電池切れで大幅にカットしてます
)
・1996年の調査時点のような農村の沸騰状態が続けば、当然に分解を引き起こす
→日本のように「家」の財産・家業ではないから、分解の進行と農民の性格変化が
急速な解体をもたらす可能性も否定できない
→沸騰しているのは農業ではなく農外の「郷鎮企業」に取り組む農民たちの熱気
→地下水位の低下の問題→水を買い、不足すれば荒れ地のまま放置する
→カリフォルニアの農業を想起させる
・日本の家業経営小団体である「家」と、それによって構成される「村」も中国にはない
→財産も男子均等配分が基本で生活原理は家ではなく個人であり、その家族の集住地が村
→生活原理が個人なので親族は家に関係なく平等→日本では家でいったん仕切られる
→個人原理だからこそ中国の親族組織は密接で活性化する
・三農問題→農業生産の停滞、農村の疲弊、農民の窮乏
→改革開放政策で都市の発展を優先→農民の困窮→人口流出→農村の超高齢化
税格差(2006年に廃止)、戸籍格差など→2000年代半ばからの新農村建設政策へ
・新農村建設政策
→小城鎮の建設→農村での小規模な(インフラ整備された)都市区域の形成
(純粋な農村地域が郷、少し都市化した地域が鎮、都市的な地域が城、都市は城市)
→全農家の賛成があれば国の補助で小城鎮(社区)に移転し集住化できる政策
→耕地は農業会社に賃貸、収入は賃貸収入と農業会社などで働く給料→家族経営の消滅
(農業会社は郷鎮企業・村営企業、個人経営・家族経営、大企業投資だが沿海部より劣る)
→都市化による生活費の上昇、さらなる農業離れ、急速な高齢化の恐れ
・離土離郷(脱農離村)
→1984年に都市戸籍と農村戸籍の間に自理口糧戸籍ができた(非農業への移籍を公認した)
→これは政府補助による低価格食糧の購入資格がない(自己入手を義務化した)戸籍
→1985年には出稼ぎ農民管理のための暫住戸籍ができたが、
→都市住民と同じ行政サービス(仕事・住宅など)や保護は受けられず教育も差別される
・2000年代の農村の変化
→村の合併再編整備、社区への転換、再開発による消滅
→過疎化→多くは出稼ぎによる減少で残るのは老人、子供、女性
→混住化→豊かな農村への労働移動、都市民の滞在や別荘購入など
・集住などに反対し北京に陳情に行く農民の観念
「中央政府には恩人がいる。省政府には親戚のように親しみやすい人がいる。
地方政府には好い人がいる。県政府には悪い人が多い。郷政府には敵しかいない。」
→中央から下への圧力体系で地方は義務ばかりなので、地方に圧力をかけるため中央へ
→道徳性の高い中央政府は道徳性の高い「老百姓」の要求に応じるはずと確信している
・1980年代から90年代に鎮政府主導で作られた8つの郷鎮企業の例
→90年代後半には次々倒産、2008年には1つだけに
→2006年に2000軒の団地移住計画→反対陳情へ
→反対事情は様々だが共通するのは生存を肯定する価値観の共有と「農民のまま移転させるなら、
その後の生き方を行政が考えねばならないはず」という規範化された行政観念の共有
「おわりに」より
・自然に基づく農業を基礎とする農村は(当然だが)自然環境条件により様々な姿を示す
→そこに歴史的経過の条件の違いが大きく作用している
・東南アジアの国々は気候温暖で森林の広がりに比べ人口は少ない
→移住して開墾してもすぐに緑は復活するが外国の植民地になった国も多い
・東北アジアの国々の自然条件はずっと厳しい
→自然災害による飢饉のほかに韓国や中国では度重なる戦乱
→移動せざるを得ない苦難の生活→これには日本にも大きな責任がある
・日本の場合は土地に定着する仕組みとして家が成立し村が形成された
→近世以降の農民は幕府支配により土地に縛り付けられ定住生活をしていた
→なので同族も血縁も地縁仲間だった
→韓国や中国では不安定な移動でぎりぎり個人が単位になった
→その間を結びつけるのは血縁の絆であり、形成される宗族は土地を超えて、
時には世界に拡がることもできた
・今はどの国でも近代化が進みグローバリゼーションの波の中にある
→東京でも北京でもソウルでもバンコクでも同じような高層ビルがならび違うように見えない
→しかし、人々が暮らす民家に入ってみるとすっかり違う
→東京の人と北京の人とソウルの人とバンコクの人は、やはり違うようである
→出会った時のすれ違う姿、交わす表情はそれぞれである
→だから、これらの人々が交わる社会関係も違う
→その個性はどこから来たか
→都市ではなく農村、地方的世界に基層があるのだろう
→外国との交流にあたっては表面の類似ではなく、また対立でもなく、その底にある「基層」
にまで分け入りながら、親しく交わるのでなければならないだろう。
「東アジアの農村」~農村社会学に見る東北と東南~であります

表紙カバー裏にあった惹句

著者紹介と奥付

今年4月15日の初版第一刷発行、まさに最新刊であります。
じつはこの本を週刊誌の新刊紹介で知り、先に同じ著者の「日本の農村」を読んだので、
前回記事で紹介してたのでありますね。
そりゃあ、まずは日本の農村から理解しておかないとね・・・(^_^;
例によって目次のみご紹介




目次のとおり、東アジアでは北に位置する日本、韓国、中国・山東省の農村をまず比較、
そして南に位置するタイ、台湾、ラオス、中国・雲南省、ベトナム、ジャワ、バリの農村を
巡って、再び中国各地の農村を巡り、それらの特徴を把握するという大作であります。
とてもすべては読めませんでしたが、目を通した部分の読後メモです。
(わたくしの思い違いや読み飛ばしもありますので興味のある方は本書を熟読下さいね。)
日本の農村→長野県の瀬沢新田集落から
→武士の帰農による庇護と奉仕の生活集団から分家の自立発展、対等な同族関係に
→村の社、組の祠、家または同族の神の三重構造→仏教と神道、家と村の関連
→村の自治機能と祭祀機能
→家は柔構造で可塑性を持ち、村は固定した持続的な枠構造
韓国の農村→忠清南道の桃李里集落から
・韓国の宗族マウル(村)と日本の武士の帰農村との違い
→桃李里は国王から将軍に授けられた土地
→武士は帰農すれば農民になったが在郷両班(ヤンバン)は特権階級のままだった
→1950年の農地改革で小作農が自作農に→戦争で関係がさらに混乱→両班も自家経営に
→韓国の宗族村は血縁集団で日本の同族村は家来も含む生活共同集団
→村を出ても血縁は切れないが生活共同は村を出れば維持できない
→なので日本では村を出れば分家ではなく独立になる
・祭祀を行う単位としての家(チプ)、財産共有単位としての家族、居住単位としての家口
(世帯概念と重複する)→日本の農村の家は家族が営む農業経営体
→日本では先祖に対する仏教祭祀と氏神に対する神社祭祀
→韓国では朱子学に基づく儒教的先祖崇拝祭祀が根幹
(日本の朱子学は武士中心で農村の先祖崇拝に形式を与えたのは仏教)
→日本の神社(氏神)祭祀は村から拡大しないが韓国の先祖崇拝祭祀は全国的に拡大する
→個人を中心に置いた血縁による結びつきだから
中国の農村→山東省の房幹村集落から
→村の原型は19世紀から20世紀初頭→極貧の山村だった
→八路軍、土地改革、人民公社、文化大革命と激動の時代
→70年代の貯水湖築造、83年の公社解体、その後も村営企業を導入して発展した
→文化大革命後には村の土地廟(自然神と関帝を合祀したもの)再建や昔の墓地への墓参再開
→日本語の家族は法制的には戸口(戸籍)人数に該当するが一家子(中国語の家族)概念は異なる
→新中国以前の大家庭では居住は別でも食事や農作業は共同で男子均分相続、老母の輪住扶養
→日本の分家は本家を維持するために分与規模が小さい→家の存続が最重要
→中国では完全に均等→日本は家単位で中国は個人単位→一人一人の処遇が最重要
→父系出自の親族集団が「一家子」で系譜ごとに五代目となった時期に分化していくが、
親族集団の系譜は明確で連綿と続き、結びつきも強い
日韓中農村の比較
・「定住を前提としている日本」と「移住を常態としている中国・韓国」
→日本の同族団は生活共同体で必ずしも血統に制約されず地縁関係で成立する
→韓国の宗族は祭祀共同体で父系血族集団、居住地は問わない
→中国の一家子もそれに近いが農地解放以前は財産共有体として機能
→韓国でも中国でも村落を越えたネットワークと自己の帰属的地位の確認システムを確立
しており、どこに住んでいても血族が明確に繋がっている
・歴史的背景
→中国の自然災害、戦乱、商業化→農民の移住(パールバックの大地の例)
→韓国の異民族による侵攻、半島内の抗争→農民の大規模な移動→地縁より宗族
→日本では武士の領地は変わるが農民の個別経営は土地に定着して自然村落を形成
→中国のツオ・パン、韓国のウリ(対語はナム)は、どちらも移動に適合した扶助システムで
移動を前提としていない日本人には理解しにくい関係
・移動、定住と宗教、信仰
→定住社会では個人より集団での宗教、信仰が支配的
→仏教先進だった中国・韓国に寺の檀家組織は存在せず宗教そのものが消長、代替している
→韓国の祖先祭祀は盛大だが生活規範意識よりは宗族統合機能としての祭祀
(現在はキリスト教徒が6割以上で地域地縁の制約はなく個人本位、やはり移動に適合する)
→中国固有の道教や民間信仰も総じて個人本位で地域限定ではない
→日本の氏神(血縁神)と産土神(地縁神)、どちらが先か論争(略)
→ただし、それ以前の農耕民としての古層(自然信仰)は三国とも共通している
タイの農村
・つい最近まで東南アジアは東北アジアに較べて人口が少なく土地が広かった
→トンキン・デルタやジャワ島などを除き、少ない人口と豊富な土地を基層とする農業
→東北アジアでは17世紀までに一部貿易と小農社会の二重構造に
・東南アジアで15世紀から17世紀末まで都市国家を支えたのは農業ではなく貿易(琉球も)
→東南アジアの農民は重い税や直接支配を受けず半自給的な生活
→19世紀後半の東南アジア植民地時代→交易社会と農業社会の二重構造に
・植民地化の危機にタイ(当時シャム)では20世紀初頭に中央集権化・近代化(ラーマ5世)
→チャクリー改革→東南アジアでは稀有な植民地にならなかった国
→それ以前の伝統は成人男子農民と支配する地方王の直接関係で生涯続いた
→異なる地方王の農民が同じ集落(バーン)に住むこともあった
・妻方居住による親・娘関係、姉・妹関係で形成される屋敷地共住集団(これもバーン)
→8から10のバーンで構成される伝統的な村を20世紀初頭の地方制度改革で法制化
→2001年東北タイ中心部の農村(戸数170戸)の例→略
→近代化で父系制が始まったが伝統的な女系原理の優位性も残していた
→妻方の土地に夫が建てる新居、続く親娘関係、男女均分相続、夫婦別財システム・・・
→子供を親族に預けて夫婦で移動する複合家族→日本なら夫単身→家族概念の違い
台湾の農村
・台湾の四大族群(エスニック・グループ)
①原住民(漢民族が移住する明・清時代より前から住む民族)1.7%
②福建省南部から移住してきた漢民族73.3%
③広東省や福建省付近からやや遅れてやってきた客家系の漢民族12%
④国民党とともに移住してきた外省人13%
・漢民族の本格的な定住・開墾は明朝末期で宗族は東南中国と類似
→移民同士の争いが頻発したことから宗族で集住した→強固な宗族村に
→1895年からの50年に及ぶ日本皇民化による宗族の伝統破壊は大きなダメージ
→同じく50年に及ぶ治安の改善、行政機構やインフラの整備により宗族組織が衰退
→その後の国民党による思想改造、土地改革で伝統的地域秩序は解体へ向かう
→これらの歴史経過から社区(最も小さな自治体)発展事業へ
・台湾南部の客家村(社区)の例(2003年で人口1474、世帯数400)
→1976年からの前期社区発展事業ではインフラ整備と中華民国イデオロギー教化
→戒厳令解除までは北京語に似た国語が村の生活全般で強制されていた
→1991年からの後期では台湾本位イデオロギーと共同体意識の創生に
(1990年代に台湾社会統合の解決法として政治的な四大族群の概念)
→客家の言語や街並みなど伝統的文化も認める住民主導型地域作りへ
ラオス・雲南省・ベトナムの農村
・農耕による定住集落化→東アジアでは稲作中心→熱帯や亜熱帯では水害からの防御も重要
・メコン圏
→水の民→タイ系→水稲中心で焼畑中心の非タイ系と交易し村々のまとまりがクニに
→近代国家の中核を担うことはなく地方にとどまる
・ラオス北部の農山村の例
→先住民のクム、雲南系漢人、タイ系ヤンなどエスニシティはさまざまでモザイク状に点在
→農耕生活者の流入が多い→移動を特徴とするバンド(狩猟採集)の性格が残っている?
→稲作に加え焼畑、採集、牧畜も→バンドの定住集落化の過程か?
→重要な繋がりはやはり親族関係、お金はなくとも優しく親族の多い者が村長になる
・(ミャンマーに接する)雲南省保山市の回族(ムスリム)村
→甘粛省、新疆ウイグル自治区、雲南省が中国回族の三大集中地域
→モンゴル軍に従ったムスリムの高官が赴任した地方に集中
→民族ごとのマーバン(隊商)中継地→平野部か山腹に集住→交易拠点だった
(川が急峻で険しい陸路を馬で運ぶしかなかった)
・ベトナム北部の村落社会
(19世紀中葉までの南部は未開の地、その後別々に入植して定住した)
→村独自の防犯、財産、制裁機能、氏神、慣習を持つ強力な自治団体だった
→「王法も村の垣根まで」といわれ、北部の村はレンガ壁で覆われ、竹藪、村門、
狭い路地、集会所、寺(塔)、バニヤンの木、市場の存在が特徴
インドネシア・ジャワ島の農村→中部ジャワの農業集落
→肥沃な火山灰土の堆積地でジャワで最も収量の高い水稲地帯→超過密な人口
→結婚直後はどちらかの実家、同敷地に同居、歳とともに独立性を高めていく
→男女均分相続とイスラム法による男2女1相続がある
→相互扶助慣行とイスラム教が基調
→零細な所有構造の中に複雑な賃借関係がある
→一般の小作と異なり、安定収入のある持てる者が持たざる者を扶助する構造
→狭い耕地の割に屋敷地が広く果実、蔬菜、芋、鶏、羊など農業的利用もしている
→化学肥料、農薬、灌漑施設で二期作三期作と生産性を大幅に増大→人口増加
→人力による労働集約は過剰労働力の吸収と貧困からの解放に(インボリューション)
→緑の革命(エボリューション)による多収性品種や精米機の導入で仕事がなくなった
→零細化集約化、労働機会分散などで「貧困の共有」を行ってきたが行く先は袋小路
→それでも基本食糧と村内唯一の雇用労働を作り出す農業の意味は大きい
インドネシア・バリ島の集落
・韓国や中国の飢饉や戦乱による移動とは異なり、人が少なく豊かな条件での移住の繰り返し
→14世紀にジャワ・ヒンドゥーの影響が及び王朝に→宗教機能と政治機能
→英領ラッフルズ時代の1815年に村長が王を補佐するように
→村は特殊な慣習法と規則を持つ法共同体(小さな共和国)に
→1906~07に王が退位、オランダの植民地になり政府任命村長で慣習村と行政村の二重性に
→植民地化で慣習を端に追いやり、独立後の独裁で体制内化、制度化された
・農業と農村の変容
→本格的な観光地化は1980年代から
→水田は減少しているが高収量品種、化学肥料、農薬により収穫量は飛躍的に増加
→観光ルートに近い平野部では農地が宅地や道路や店舗や宿泊施設に
→ひとつの行政村にヒンドゥーの慣習村(パンジャール)やイスラムの慣習村(カンポン)がある
→水利組織(スバック)は行政村や慣習村から完全に独立している→日本と異なる
→スバックは寺院を共有する祭祀集団でもあり成員の権利と義務を定めた慣習法を持つ
→観光開発による宅地化、兼業化、ごみやバティック工房からの汚水・・・
→米の増産政策→化学肥料、農薬による影響、機械導入によるコスト増大
→圧倒的多数の小作人にとって農地の宅地化は失業を意味する
→インドネシアには300のエスニシティと200~400の言語集団がありバリも多様で複雑
→グローバル・ツーリズムはバリに格差拡大と新たな貧困層や失業層ももたらした
中国各地(具体例などは

・1996年の調査時点のような農村の沸騰状態が続けば、当然に分解を引き起こす
→日本のように「家」の財産・家業ではないから、分解の進行と農民の性格変化が
急速な解体をもたらす可能性も否定できない
→沸騰しているのは農業ではなく農外の「郷鎮企業」に取り組む農民たちの熱気
→地下水位の低下の問題→水を買い、不足すれば荒れ地のまま放置する
→カリフォルニアの農業を想起させる
・日本の家業経営小団体である「家」と、それによって構成される「村」も中国にはない
→財産も男子均等配分が基本で生活原理は家ではなく個人であり、その家族の集住地が村
→生活原理が個人なので親族は家に関係なく平等→日本では家でいったん仕切られる
→個人原理だからこそ中国の親族組織は密接で活性化する
・三農問題→農業生産の停滞、農村の疲弊、農民の窮乏
→改革開放政策で都市の発展を優先→農民の困窮→人口流出→農村の超高齢化
税格差(2006年に廃止)、戸籍格差など→2000年代半ばからの新農村建設政策へ
・新農村建設政策
→小城鎮の建設→農村での小規模な(インフラ整備された)都市区域の形成
(純粋な農村地域が郷、少し都市化した地域が鎮、都市的な地域が城、都市は城市)
→全農家の賛成があれば国の補助で小城鎮(社区)に移転し集住化できる政策
→耕地は農業会社に賃貸、収入は賃貸収入と農業会社などで働く給料→家族経営の消滅
(農業会社は郷鎮企業・村営企業、個人経営・家族経営、大企業投資だが沿海部より劣る)
→都市化による生活費の上昇、さらなる農業離れ、急速な高齢化の恐れ
・離土離郷(脱農離村)
→1984年に都市戸籍と農村戸籍の間に自理口糧戸籍ができた(非農業への移籍を公認した)
→これは政府補助による低価格食糧の購入資格がない(自己入手を義務化した)戸籍
→1985年には出稼ぎ農民管理のための暫住戸籍ができたが、
→都市住民と同じ行政サービス(仕事・住宅など)や保護は受けられず教育も差別される
・2000年代の農村の変化
→村の合併再編整備、社区への転換、再開発による消滅
→過疎化→多くは出稼ぎによる減少で残るのは老人、子供、女性
→混住化→豊かな農村への労働移動、都市民の滞在や別荘購入など
・集住などに反対し北京に陳情に行く農民の観念
「中央政府には恩人がいる。省政府には親戚のように親しみやすい人がいる。
地方政府には好い人がいる。県政府には悪い人が多い。郷政府には敵しかいない。」
→中央から下への圧力体系で地方は義務ばかりなので、地方に圧力をかけるため中央へ
→道徳性の高い中央政府は道徳性の高い「老百姓」の要求に応じるはずと確信している
・1980年代から90年代に鎮政府主導で作られた8つの郷鎮企業の例
→90年代後半には次々倒産、2008年には1つだけに
→2006年に2000軒の団地移住計画→反対陳情へ
→反対事情は様々だが共通するのは生存を肯定する価値観の共有と「農民のまま移転させるなら、
その後の生き方を行政が考えねばならないはず」という規範化された行政観念の共有
「おわりに」より
・自然に基づく農業を基礎とする農村は(当然だが)自然環境条件により様々な姿を示す
→そこに歴史的経過の条件の違いが大きく作用している
・東南アジアの国々は気候温暖で森林の広がりに比べ人口は少ない
→移住して開墾してもすぐに緑は復活するが外国の植民地になった国も多い
・東北アジアの国々の自然条件はずっと厳しい
→自然災害による飢饉のほかに韓国や中国では度重なる戦乱
→移動せざるを得ない苦難の生活→これには日本にも大きな責任がある
・日本の場合は土地に定着する仕組みとして家が成立し村が形成された
→近世以降の農民は幕府支配により土地に縛り付けられ定住生活をしていた
→なので同族も血縁も地縁仲間だった
→韓国や中国では不安定な移動でぎりぎり個人が単位になった
→その間を結びつけるのは血縁の絆であり、形成される宗族は土地を超えて、
時には世界に拡がることもできた
・今はどの国でも近代化が進みグローバリゼーションの波の中にある
→東京でも北京でもソウルでもバンコクでも同じような高層ビルがならび違うように見えない
→しかし、人々が暮らす民家に入ってみるとすっかり違う
→東京の人と北京の人とソウルの人とバンコクの人は、やはり違うようである
→出会った時のすれ違う姿、交わす表情はそれぞれである
→だから、これらの人々が交わる社会関係も違う
→その個性はどこから来たか
→都市ではなく農村、地方的世界に基層があるのだろう
→外国との交流にあたっては表面の類似ではなく、また対立でもなく、その底にある「基層」
にまで分け入りながら、親しく交わるのでなければならないだろう。
2022年06月23日
日本の農村・・・
とーとつですが・・・
日本の農村~農村社会学に見る東西南北~とゆー本を読みました

著者、発行所、発行年月日などは奥付にあるとおり・・・

昨年5月の第1刷発行なので、けっこう新しい本です
表紙カバー裏にあった惹句

ええ、日本農村社会学の総括だそうであります
裏表紙カバーにあった著者紹介

例によって目次のご紹介



著者自身の研究も含め、日本の農村に関する古今の研究を総括されてます。
わたくしには農業や農村暮らしの経験はありませんが、子どもの頃によく訪れていた
泉州にある親の郷でも、高度成長期半ばぐらいまでは(兼業でしたが)農業をしてましたし、
山歩きや川下りで小さな農村集落に入ると、なぜかとても懐かしい気持ちになりますし、
これは植林ボランティアで行ったアジアの農村でも同じでした。
それで自分が知っているつもりの昔の泉州の農村との違いや、各地での生活、歴史などに
興味もあったので、たまたま雑誌の紹介で知って読んでみた次第。
目次でもおわかりのとおり、専門家が日本各地の農村の成立や特徴などの様々な研究を
整理紹介された本ですが、以下はわたくしが興味があった部分のランダムなメモです。
・岩手県八幡平市「石神集落」の研究(1935~有賀喜左衛門)→同族団の農村として
・江戸時代の村の範囲は明治の町村制で大字の範囲に(一般には部落に)
→その中に組や小字がある
→生産と生活を営むためのまとまり→水利、入会林野、共同作業など→自然村
・東北型と西南型→この分類には対比的把握の課題が残る・・・
→秋田県下川村T集落と岡山県吉備町旧川入村の研究(1946~福武直)
・東北型→村は郷中→同族団と地主小作関係→本家、分家、同族神、産土神
→同族結合的部落
・西南型→分家は妻帯直後になされ土地の分与も多い→東北型とは逆
→土地の生産力が高く(多くの労力を要さず)貨幣経済の酷さが流出を促進し余地もあるから?
→共同が同族団ではなく近隣組織で行われる→各講中→講組結合的部落
・農村変動の研究(1990松本通晴)
→近畿の村落の特徴は宮座、同族結合、親方子方、講組結合
→宮座→大字に存在する氏神の祭礼を主催する組織
→京都では株座の存続は弱く、滋賀では順番制で年齢順に役割分担、奈良では家筋が多く、
和歌山は三重同様に氏神整理が進んだので株座は少ない
→同族組織→北部と南部で呼び名が異なるが近畿にも存在する
→親方子方→同族は家単位だが親方は人望や経済力のある個人
→都市に出ても規範は残る→但馬出身者による京阪都市圏での餅系食堂の繁栄
→講組結合→葬式、盆踊り、寄り合い、共同作業などだが今は少ない
・京都府綾部市十倉集落の研究(鈴木俊道)
→4つの最寄があり、その下に組がある
→最寄は同族株から、株は本家と分家の連合から
・高知県仁淀村→田畑へのスギ植林規制→スギの単植が村の環境を破壊するから
・沖縄の農村→1609年の「薩摩入り」により大洋交易国家から農業国家に→村切り
→土地保有のできない小農請負制で家による格差は生じない→人頭割→核家族集団の村
→儀礼・祭祀では長男継承の直系家族だが経済的・法制的性格を欠く→耕地より位牌
→古琉球時代は小集落→村落→耕地や水系は周辺に分布→グスクを頂点とする組織の末端
→東南アジアにおける人口移動→開墾→新集落形成→障害発生による再移動のパターンに近い
・北海道の農村→アイヌ民族のイオール(漁猟圏)を開墾した農事組合型村落→農協に従属
→同じ区画道路沿いの自然発生的な付き合いと部落を越えた同じ郷里同士の付き合い
→府県では村落が農家を規定するが北海道では農家のあり方が村落のあり方を規定する
・白川村の大家族
→養子には使用人・奉公人も含まれており血縁関係だけではない
→母屋での共同作業時以外は小屋で別に暮らしており同居大家族でもない
→大家族がピークになったのは明治30年代で生糸など近代日本資本主義の成立期
→与えられた厳しい環境に対処するための生活の仕組み
・西南九州の末子相続
→薩摩の門割制、生産性の低いシラス地帯→経営体としての家は確立していない
→子孫に残す緊要性はなく、末子に限らず並列的
・鹿児島・沖縄・東南アジア・タイの類似性
→日本の他地域との対比で言えば「家の不成立」が特徴的
・家と村の成立(庄内地方)
→弥生時代の土木技術では広い水田で粗放な稲作
→室町時代には農民の水の神様が上部権力によって八幡神社として上書きされた
→田地や居住地は水利条件によって、あちこちに散在していた
→江戸時代初期に検地や村切り、村の連帯責任としての年貢
→元禄に入る頃、下人労働による粗放な大規模経営から規模を縮小、集約化した家族経営へ
→不足する季節労働力は奉公人の雇用、すけ、ゆいなど→村が重要な役割に
→稲作の集約化が進む元禄年間、一子相続の藩規制もあり日本的意味での家が始まった
・地主制(庄内地方)
→元禄期に米の需要が増加、奉公人の年給高騰・減少で地主が田地を貸す小作が広がった
→地主は本家分家での家族経営から小作料経営に、一子相続による家の安定を目指す
・村の設定、村請制(庄内地方)
→中世以降の検地と年貢→村を越える有力者は大きな障害で基本単位を村請に→村切り
→村の協議で選ばれた肝煎(村役人)が村の代表になり事実上の自治が認められていた
→有力者の意向ではなく村中の家々の協議によって意思決定される
→重要なのは水(稲作)草(餌・肥料)人(労力)だが、すべて公平な方法で慎重に決めていた
→萱草刈なども何年も試してみて環境破壊・資源枯渇がないことを確認し実施していた
→近世江戸時代の村は作られたものだが、その後の自治で形成された自然村でもある
・神社と寺(庄内地方)
→村の神社はひとつだが寺は家によって異なる→家の成立歴史が異なるため
→全戸が同一檀家の村もある
→村の同族団に関わるのが寺であり、地縁組織としての村に関わるのが神社
・家と村の近代(庄内地方)
→明治初年の地租改正・村合併→その後の町村制→行政区画としての村の規模は大きくなり、
農民の生活と生産の場としての村は大字(一般には部落)になった。
→なので地縁に関わる神社の合併には容易な同意は得られなかった
・家の後継者と婿取り(庄内地方)
→近世末から明治初年の当主と後継者の年齢差は27歳ぐらい
→当主が30半ばになっても男子が生まれなかった場合に養子を迎える事例が多い
→この年齢差で世代交代することが(男子労働力として)必要だったから
→直系家族が多いが養子に嫁を迎える例もあり、血統は切れても集団としての家は継承される
→非後継者で他家と縁組できなければ、家で配偶者を持たないまま一生を終えるしかない
→離縁も多いが再婚・再縁組も多く、離縁は決定的な否定評価ではなかった
→明治民法に規定された家ではなく、協業経営体・生活実態としての家
→明治民法に規定された嫡長男による相続は、農業経営の実態とたまたま一致した場合のみ
・地主と明治町村制(庄内地方)
→庄内地方は戦後の農地改革まで地主王国だったが規模は様々だった
→巨大地主は行政区画には関係なく、村の権力権威を追求したのは中小地主だった
→地主は農事改良(乾田馬耕)に熱心だったが、やがて寄生地主として安住するようになる
→乾田馬耕のための耕地整理がすすむ→稲作以外の畑や肥料飼料用原野などの減少
・小作農民の暮らし(庄内地方)
→稲作だけでは暮らせないので様々な副収入を探すが貧しいまま
→次三男が出ていく先は昭和初期には軍隊か大陸が多かった→侵略地は余剰人口の捌け口
→村の大部分が小作農民になり村ぐるみの小作争議に発展→大正末期は農民組合運動の高揚期
→性格の異なる産業組合に併合したが準戦時体制になり国が統制と貯蔵の奨励や融資を開始
→戦時体制になり交換分合と自作農創設が推進される
→戦地動員による労働力不足で交換分合は農民側としても必要になっていた
→所有権の論理と耕作の論理が交錯した
→自作農創設維持資金の活用で小作争議のあった地主などは次々と手放した
→最終的には占領軍の権力による農地改革により自作農の積極性が発揮され農業発展に
・地主小作関係のまとめ
→岩手県石神では本家分家関係と表裏一体の地主小作関係で家族的経営
→山形県庄内では小作料を収めるので貧しかったが自立的経営で地主とは利害が対立
→小作争議は全国で弾圧されたが庄内では国策に乗り産業組合に転進、戦後の農協を準備した
→農民運動といっても担い手の性格により様々な歴史的役割を果たしたのである
・家と村の戦後、そして今(庄内地方)
→大正生まれの女性は小学校高等科まで進むようになってたが、その後は裁縫などを習い、
20歳前に嫁に行くのが一般的だった→つらい嫁生活と戦時中の男子に替わる重労働
→復員した青年、新制中学を出た青年の多くは公民館などに開設された青年学級に通った
→新生活運動→嫁の待遇改善、公民館結婚式の普及、若勢部屋の待遇改善など
→農協青年部→自家労働評価→青色申告運動→経営実態の把握→共同多角経営へ
→どれも家の問題がネックで過剰投資、機械化貧乏、労働力の流失も農家経済を圧迫
(1960年からの数年は安保改定、一部農産物の輸入自由化、IMF勧告、農業基本法制定など、
農業・農村にとっても大きな転換点だった)
→集団栽培への期待→水稲集団栽培へ(共同の田植・防除・小型トラクター購入から)
→村(部落)単位の仕事として取り組まれたのが庄内の特徴
→法人ではなく、家を基本に村を場にして、協議、契約、共同する
→これは庄内の村が持つ長い経験を活用したもの
→集団栽培は使命を終えて解体したが家や村は残っている
(各地の動向)
・1965年に全国最高10アールあたり平均反収を記録した佐賀県
→新技術などの多面的な展開と米作り集団組織化→3段階
①県内2600の伝統的部落に依存した実行組合を目的集団化し実践組合を作る
②機能集団化、報酬化、役員などの組織整備、作業の共同、共同利用機械の購入、技術研究
③高度近代化、協業組織化、大型機械の導入、専門化、分担の明確化、裏作畜産園芸との結合
・富山県平坦部での構造改善を契機とする大型機械化(1969)
→労働力節減と機械化のための生産費増は兼業の内的要因になる→生産主体が消滅しつつある
・愛知県安城市からの大型機械化営農~集団栽培から作業委託へ~
→佐賀富山と同じく高水準化、増収を目指していたが、営農集団は無償を原則とする共同体
原理との矛盾がある
→これは専業農家と兼業農家との間に対立的なものがあることを示している
→集団栽培はいずれ崩壊し、完全な請負、信託にならざるを得ないのではないか
→機械オペレーター集団の収入の低さと不安定性(仕事は2ヶ月)
→名古屋市近郊で土地も高く資産管理目的も増え、耕作農民に寄生しているごとき層も
→集団営農は零細耕作を保障するとともに脱農してしかるべき層も抱え込んでいる
・新潟県蒲原における請負耕作
→他地方と異なり集団的方式の展開に先立ち個別規模拡大の展開が強く見られる
→拡大方法は土地購入と請負耕作
→農地改革に続く用排水分離、大型化、集団化などの土地基盤整備は経営意欲を刺激した
(庄内の基盤整備は明治大正期だった)
→農地改革の基盤整備は小型中型機械に最適で労働力の減少や賃金高騰をカバーした
→機械化は当然に生産費増をもたらし、さらなる経営規模拡大を要請した
→初期には農地拡大もあったが地価高騰で資産化し停滞、小規模農家や兼業農家は技術革新に
ついていけず、請負耕作が拡がることになる
→上層農家の個別経営型による前進意欲は強く依然として支配的だが今後も続くかは疑問
・夫婦家族連合としての家(庄内地方)
→1970年代初頭以降、日本の農政としては未曽有の米の生産調整に
→様々な就労構成になり家計構造も多元化したが持ち寄りによる家の家計は維持されていた
→生活水準を超えた利益は蓄積されず農業経営の目的は生活
→主会計は生活費で超えた所得は別勘定→後継者夫婦の農外収入や老夫婦の農業者年金など
→主会計は家長が管理するので世帯主が一番苦しいと聞かされたが、別勘定による夫婦での
余暇活動などは活発で、生活組織としての家を形成しながら夫婦単位の行動をしている
・家族内役割分担(庄内地方)
→多くの嫁は外で働き貴重な現金収入をもたらしていた
→家によっては稲作、畜産にも関わるが補助的、園芸では基幹的役割もあった
→専業主婦以上の責任と地位により自信と意欲がある
→家事労働の主役はむしろ姑たちで食事の支度や孫の養育
→高齢や介護でこの役割分担が崩れた場合には、嫁世代に過重な負担がかかる
→恋愛結婚で非農家からの嫁入り婿入りも増えており、結婚形態が変化すれば家も変化する
→世代間役割分担だけでなく性的役割分担もかなり明確に存在し、批判も肯定もあった
→今日でも村で家を代表する仕事は男性だが、家で重要な役割の果たすようになった女性の
日本の農業や農業経営に果たす役割はますます大きくなる
・村は今(庄内地方)
→庄内の村での同族団の力は弱く、村の寄り合い契約による規制が強かった
→水の苦労などはなくなり家の自立化は進んでいるが、村がなくなったわけではない
→しかし家の変化に対応して村も多元化した
→意思決定する自治組織が家長層が出る部落会と後継者層の生産組合に二元化
→家の最終責任を担う家長層と稲作の責任を担う後継者層という分化
→これも夫婦家族連合としての家の現況を反映している
・山形県櫛引町西荒屋の直売所の女性たち
→農業の中心は稲作だが野菜や果樹との複合経営が特徴で藩の時代から
→公設民営直売所は1997年からで、かつては女性が売りに行く振り売りが盛んだった
→初年度から剰余金を出すほど成功し、勤めを辞めて農業をする女性もでてきた
→参加農家の家族構成は5人から8人、夫婦2世代から3世代の直系家族
→他の集落では農業機械は個人所有が顕著だが西荒屋では2~3戸での共同所有が多い
→直売所に参加して収入は増えたが忙しくなったと答える人が多かった
→家族内に労力があるかどうかが直売所参加の分水嶺
→夫婦二人の労力が使えるのは親世代の母が家事基幹を引き受けているから
→農協は持って行くだけで売る喜びはない
→直売所は自分で値段を決められるが売れないリスクも負う
→直売所は各地でブームだが参加していない農家はどのような今後の方向を模索するのか
・集落営農の動向(庄内地方)
→共同化の範囲が担い手不足から部落間にまで拡がっている
→農業機械が一層大型化している
→担い手不足でも法人化で集落の誰かが経営を継承していける可能性が出てきた
→稲作だけでなく複合作物の導入や販売も必要
→高い地代を是正しオペレーター賃金や雇用労賃に配分して労働インセンティブを高める
・「おわりに」より
→様々な農業の姿があったが雇用労働力による大農場はなかった
→中世から近世初期には家来をともなう大規模経営、近世江戸時代初期でも非血縁を含む
同族団で形成される農村の地方があった
→しかし近世の過程を経る中で、耕作の集約化によって個別の家による経営が確立し、
それらの家々による村が時代・地方に適合化して、親から子へ継承される家が確立、
村も伝統的な習俗を蓄積して、その継承でそれ自体の存続が図られた(東海や関西)
→沖縄での家と村の未確立や白川村の大家族、西南九州の不定相続は生活条件によるもの
→どの地方でも雇用労働力による米の大農場は形成されなかった
(家々による自然村規模が最適だった?)
→1992年にアメリカ・カリフォルニアで米農場を経営していた鯨岡辰馬の「アメリカ式」
大農場(2800ha)を見学した
→水は遠くシェラネバダ山脈から引いた巨大水路から買い、時期をずらせた種蒔きは飛行機、
労働者は殆どがメキシカンだった
→この少し前に彼は「コメ自由化はおやめなさい」という著書を刊行している
→当時の日本は貿易自由化を推進するアメリカとの間で揺れ動いていた
→ほぼ30年後の2018年に国連で「小農と農村で働く人々の権利に関する宣言」が採択された
→小農とは、この本の主題である農村を形作っている農家のこと
→様々な歴史を経てきた農家と農村であるが、確固として存在しているのである
日本の農村~農村社会学に見る東西南北~とゆー本を読みました

著者、発行所、発行年月日などは奥付にあるとおり・・・

昨年5月の第1刷発行なので、けっこう新しい本です
表紙カバー裏にあった惹句

ええ、日本農村社会学の総括だそうであります
裏表紙カバーにあった著者紹介

例によって目次のご紹介



著者自身の研究も含め、日本の農村に関する古今の研究を総括されてます。
わたくしには農業や農村暮らしの経験はありませんが、子どもの頃によく訪れていた
泉州にある親の郷でも、高度成長期半ばぐらいまでは(兼業でしたが)農業をしてましたし、
山歩きや川下りで小さな農村集落に入ると、なぜかとても懐かしい気持ちになりますし、
これは植林ボランティアで行ったアジアの農村でも同じでした。
それで自分が知っているつもりの昔の泉州の農村との違いや、各地での生活、歴史などに
興味もあったので、たまたま雑誌の紹介で知って読んでみた次第。
目次でもおわかりのとおり、専門家が日本各地の農村の成立や特徴などの様々な研究を
整理紹介された本ですが、以下はわたくしが興味があった部分のランダムなメモです。
・岩手県八幡平市「石神集落」の研究(1935~有賀喜左衛門)→同族団の農村として
・江戸時代の村の範囲は明治の町村制で大字の範囲に(一般には部落に)
→その中に組や小字がある
→生産と生活を営むためのまとまり→水利、入会林野、共同作業など→自然村
・東北型と西南型→この分類には対比的把握の課題が残る・・・
→秋田県下川村T集落と岡山県吉備町旧川入村の研究(1946~福武直)
・東北型→村は郷中→同族団と地主小作関係→本家、分家、同族神、産土神
→同族結合的部落
・西南型→分家は妻帯直後になされ土地の分与も多い→東北型とは逆
→土地の生産力が高く(多くの労力を要さず)貨幣経済の酷さが流出を促進し余地もあるから?
→共同が同族団ではなく近隣組織で行われる→各講中→講組結合的部落
・農村変動の研究(1990松本通晴)
→近畿の村落の特徴は宮座、同族結合、親方子方、講組結合
→宮座→大字に存在する氏神の祭礼を主催する組織
→京都では株座の存続は弱く、滋賀では順番制で年齢順に役割分担、奈良では家筋が多く、
和歌山は三重同様に氏神整理が進んだので株座は少ない
→同族組織→北部と南部で呼び名が異なるが近畿にも存在する
→親方子方→同族は家単位だが親方は人望や経済力のある個人
→都市に出ても規範は残る→但馬出身者による京阪都市圏での餅系食堂の繁栄
→講組結合→葬式、盆踊り、寄り合い、共同作業などだが今は少ない
・京都府綾部市十倉集落の研究(鈴木俊道)
→4つの最寄があり、その下に組がある
→最寄は同族株から、株は本家と分家の連合から
・高知県仁淀村→田畑へのスギ植林規制→スギの単植が村の環境を破壊するから
・沖縄の農村→1609年の「薩摩入り」により大洋交易国家から農業国家に→村切り
→土地保有のできない小農請負制で家による格差は生じない→人頭割→核家族集団の村
→儀礼・祭祀では長男継承の直系家族だが経済的・法制的性格を欠く→耕地より位牌
→古琉球時代は小集落→村落→耕地や水系は周辺に分布→グスクを頂点とする組織の末端
→東南アジアにおける人口移動→開墾→新集落形成→障害発生による再移動のパターンに近い
・北海道の農村→アイヌ民族のイオール(漁猟圏)を開墾した農事組合型村落→農協に従属
→同じ区画道路沿いの自然発生的な付き合いと部落を越えた同じ郷里同士の付き合い
→府県では村落が農家を規定するが北海道では農家のあり方が村落のあり方を規定する
・白川村の大家族
→養子には使用人・奉公人も含まれており血縁関係だけではない
→母屋での共同作業時以外は小屋で別に暮らしており同居大家族でもない
→大家族がピークになったのは明治30年代で生糸など近代日本資本主義の成立期
→与えられた厳しい環境に対処するための生活の仕組み
・西南九州の末子相続
→薩摩の門割制、生産性の低いシラス地帯→経営体としての家は確立していない
→子孫に残す緊要性はなく、末子に限らず並列的
・鹿児島・沖縄・東南アジア・タイの類似性
→日本の他地域との対比で言えば「家の不成立」が特徴的
・家と村の成立(庄内地方)
→弥生時代の土木技術では広い水田で粗放な稲作
→室町時代には農民の水の神様が上部権力によって八幡神社として上書きされた
→田地や居住地は水利条件によって、あちこちに散在していた
→江戸時代初期に検地や村切り、村の連帯責任としての年貢
→元禄に入る頃、下人労働による粗放な大規模経営から規模を縮小、集約化した家族経営へ
→不足する季節労働力は奉公人の雇用、すけ、ゆいなど→村が重要な役割に
→稲作の集約化が進む元禄年間、一子相続の藩規制もあり日本的意味での家が始まった
・地主制(庄内地方)
→元禄期に米の需要が増加、奉公人の年給高騰・減少で地主が田地を貸す小作が広がった
→地主は本家分家での家族経営から小作料経営に、一子相続による家の安定を目指す
・村の設定、村請制(庄内地方)
→中世以降の検地と年貢→村を越える有力者は大きな障害で基本単位を村請に→村切り
→村の協議で選ばれた肝煎(村役人)が村の代表になり事実上の自治が認められていた
→有力者の意向ではなく村中の家々の協議によって意思決定される
→重要なのは水(稲作)草(餌・肥料)人(労力)だが、すべて公平な方法で慎重に決めていた
→萱草刈なども何年も試してみて環境破壊・資源枯渇がないことを確認し実施していた
→近世江戸時代の村は作られたものだが、その後の自治で形成された自然村でもある
・神社と寺(庄内地方)
→村の神社はひとつだが寺は家によって異なる→家の成立歴史が異なるため
→全戸が同一檀家の村もある
→村の同族団に関わるのが寺であり、地縁組織としての村に関わるのが神社
・家と村の近代(庄内地方)
→明治初年の地租改正・村合併→その後の町村制→行政区画としての村の規模は大きくなり、
農民の生活と生産の場としての村は大字(一般には部落)になった。
→なので地縁に関わる神社の合併には容易な同意は得られなかった
・家の後継者と婿取り(庄内地方)
→近世末から明治初年の当主と後継者の年齢差は27歳ぐらい
→当主が30半ばになっても男子が生まれなかった場合に養子を迎える事例が多い
→この年齢差で世代交代することが(男子労働力として)必要だったから
→直系家族が多いが養子に嫁を迎える例もあり、血統は切れても集団としての家は継承される
→非後継者で他家と縁組できなければ、家で配偶者を持たないまま一生を終えるしかない
→離縁も多いが再婚・再縁組も多く、離縁は決定的な否定評価ではなかった
→明治民法に規定された家ではなく、協業経営体・生活実態としての家
→明治民法に規定された嫡長男による相続は、農業経営の実態とたまたま一致した場合のみ
・地主と明治町村制(庄内地方)
→庄内地方は戦後の農地改革まで地主王国だったが規模は様々だった
→巨大地主は行政区画には関係なく、村の権力権威を追求したのは中小地主だった
→地主は農事改良(乾田馬耕)に熱心だったが、やがて寄生地主として安住するようになる
→乾田馬耕のための耕地整理がすすむ→稲作以外の畑や肥料飼料用原野などの減少
・小作農民の暮らし(庄内地方)
→稲作だけでは暮らせないので様々な副収入を探すが貧しいまま
→次三男が出ていく先は昭和初期には軍隊か大陸が多かった→侵略地は余剰人口の捌け口
→村の大部分が小作農民になり村ぐるみの小作争議に発展→大正末期は農民組合運動の高揚期
→性格の異なる産業組合に併合したが準戦時体制になり国が統制と貯蔵の奨励や融資を開始
→戦時体制になり交換分合と自作農創設が推進される
→戦地動員による労働力不足で交換分合は農民側としても必要になっていた
→所有権の論理と耕作の論理が交錯した
→自作農創設維持資金の活用で小作争議のあった地主などは次々と手放した
→最終的には占領軍の権力による農地改革により自作農の積極性が発揮され農業発展に
・地主小作関係のまとめ
→岩手県石神では本家分家関係と表裏一体の地主小作関係で家族的経営
→山形県庄内では小作料を収めるので貧しかったが自立的経営で地主とは利害が対立
→小作争議は全国で弾圧されたが庄内では国策に乗り産業組合に転進、戦後の農協を準備した
→農民運動といっても担い手の性格により様々な歴史的役割を果たしたのである
・家と村の戦後、そして今(庄内地方)
→大正生まれの女性は小学校高等科まで進むようになってたが、その後は裁縫などを習い、
20歳前に嫁に行くのが一般的だった→つらい嫁生活と戦時中の男子に替わる重労働
→復員した青年、新制中学を出た青年の多くは公民館などに開設された青年学級に通った
→新生活運動→嫁の待遇改善、公民館結婚式の普及、若勢部屋の待遇改善など
→農協青年部→自家労働評価→青色申告運動→経営実態の把握→共同多角経営へ
→どれも家の問題がネックで過剰投資、機械化貧乏、労働力の流失も農家経済を圧迫
(1960年からの数年は安保改定、一部農産物の輸入自由化、IMF勧告、農業基本法制定など、
農業・農村にとっても大きな転換点だった)
→集団栽培への期待→水稲集団栽培へ(共同の田植・防除・小型トラクター購入から)
→村(部落)単位の仕事として取り組まれたのが庄内の特徴
→法人ではなく、家を基本に村を場にして、協議、契約、共同する
→これは庄内の村が持つ長い経験を活用したもの
→集団栽培は使命を終えて解体したが家や村は残っている
(各地の動向)
・1965年に全国最高10アールあたり平均反収を記録した佐賀県
→新技術などの多面的な展開と米作り集団組織化→3段階
①県内2600の伝統的部落に依存した実行組合を目的集団化し実践組合を作る
②機能集団化、報酬化、役員などの組織整備、作業の共同、共同利用機械の購入、技術研究
③高度近代化、協業組織化、大型機械の導入、専門化、分担の明確化、裏作畜産園芸との結合
・富山県平坦部での構造改善を契機とする大型機械化(1969)
→労働力節減と機械化のための生産費増は兼業の内的要因になる→生産主体が消滅しつつある
・愛知県安城市からの大型機械化営農~集団栽培から作業委託へ~
→佐賀富山と同じく高水準化、増収を目指していたが、営農集団は無償を原則とする共同体
原理との矛盾がある
→これは専業農家と兼業農家との間に対立的なものがあることを示している
→集団栽培はいずれ崩壊し、完全な請負、信託にならざるを得ないのではないか
→機械オペレーター集団の収入の低さと不安定性(仕事は2ヶ月)
→名古屋市近郊で土地も高く資産管理目的も増え、耕作農民に寄生しているごとき層も
→集団営農は零細耕作を保障するとともに脱農してしかるべき層も抱え込んでいる
・新潟県蒲原における請負耕作
→他地方と異なり集団的方式の展開に先立ち個別規模拡大の展開が強く見られる
→拡大方法は土地購入と請負耕作
→農地改革に続く用排水分離、大型化、集団化などの土地基盤整備は経営意欲を刺激した
(庄内の基盤整備は明治大正期だった)
→農地改革の基盤整備は小型中型機械に最適で労働力の減少や賃金高騰をカバーした
→機械化は当然に生産費増をもたらし、さらなる経営規模拡大を要請した
→初期には農地拡大もあったが地価高騰で資産化し停滞、小規模農家や兼業農家は技術革新に
ついていけず、請負耕作が拡がることになる
→上層農家の個別経営型による前進意欲は強く依然として支配的だが今後も続くかは疑問
・夫婦家族連合としての家(庄内地方)
→1970年代初頭以降、日本の農政としては未曽有の米の生産調整に
→様々な就労構成になり家計構造も多元化したが持ち寄りによる家の家計は維持されていた
→生活水準を超えた利益は蓄積されず農業経営の目的は生活
→主会計は生活費で超えた所得は別勘定→後継者夫婦の農外収入や老夫婦の農業者年金など
→主会計は家長が管理するので世帯主が一番苦しいと聞かされたが、別勘定による夫婦での
余暇活動などは活発で、生活組織としての家を形成しながら夫婦単位の行動をしている
・家族内役割分担(庄内地方)
→多くの嫁は外で働き貴重な現金収入をもたらしていた
→家によっては稲作、畜産にも関わるが補助的、園芸では基幹的役割もあった
→専業主婦以上の責任と地位により自信と意欲がある
→家事労働の主役はむしろ姑たちで食事の支度や孫の養育
→高齢や介護でこの役割分担が崩れた場合には、嫁世代に過重な負担がかかる
→恋愛結婚で非農家からの嫁入り婿入りも増えており、結婚形態が変化すれば家も変化する
→世代間役割分担だけでなく性的役割分担もかなり明確に存在し、批判も肯定もあった
→今日でも村で家を代表する仕事は男性だが、家で重要な役割の果たすようになった女性の
日本の農業や農業経営に果たす役割はますます大きくなる
・村は今(庄内地方)
→庄内の村での同族団の力は弱く、村の寄り合い契約による規制が強かった
→水の苦労などはなくなり家の自立化は進んでいるが、村がなくなったわけではない
→しかし家の変化に対応して村も多元化した
→意思決定する自治組織が家長層が出る部落会と後継者層の生産組合に二元化
→家の最終責任を担う家長層と稲作の責任を担う後継者層という分化
→これも夫婦家族連合としての家の現況を反映している
・山形県櫛引町西荒屋の直売所の女性たち
→農業の中心は稲作だが野菜や果樹との複合経営が特徴で藩の時代から
→公設民営直売所は1997年からで、かつては女性が売りに行く振り売りが盛んだった
→初年度から剰余金を出すほど成功し、勤めを辞めて農業をする女性もでてきた
→参加農家の家族構成は5人から8人、夫婦2世代から3世代の直系家族
→他の集落では農業機械は個人所有が顕著だが西荒屋では2~3戸での共同所有が多い
→直売所に参加して収入は増えたが忙しくなったと答える人が多かった
→家族内に労力があるかどうかが直売所参加の分水嶺
→夫婦二人の労力が使えるのは親世代の母が家事基幹を引き受けているから
→農協は持って行くだけで売る喜びはない
→直売所は自分で値段を決められるが売れないリスクも負う
→直売所は各地でブームだが参加していない農家はどのような今後の方向を模索するのか
・集落営農の動向(庄内地方)
→共同化の範囲が担い手不足から部落間にまで拡がっている
→農業機械が一層大型化している
→担い手不足でも法人化で集落の誰かが経営を継承していける可能性が出てきた
→稲作だけでなく複合作物の導入や販売も必要
→高い地代を是正しオペレーター賃金や雇用労賃に配分して労働インセンティブを高める
・「おわりに」より
→様々な農業の姿があったが雇用労働力による大農場はなかった
→中世から近世初期には家来をともなう大規模経営、近世江戸時代初期でも非血縁を含む
同族団で形成される農村の地方があった
→しかし近世の過程を経る中で、耕作の集約化によって個別の家による経営が確立し、
それらの家々による村が時代・地方に適合化して、親から子へ継承される家が確立、
村も伝統的な習俗を蓄積して、その継承でそれ自体の存続が図られた(東海や関西)
→沖縄での家と村の未確立や白川村の大家族、西南九州の不定相続は生活条件によるもの
→どの地方でも雇用労働力による米の大農場は形成されなかった
(家々による自然村規模が最適だった?)
→1992年にアメリカ・カリフォルニアで米農場を経営していた鯨岡辰馬の「アメリカ式」
大農場(2800ha)を見学した
→水は遠くシェラネバダ山脈から引いた巨大水路から買い、時期をずらせた種蒔きは飛行機、
労働者は殆どがメキシカンだった
→この少し前に彼は「コメ自由化はおやめなさい」という著書を刊行している
→当時の日本は貿易自由化を推進するアメリカとの間で揺れ動いていた
→ほぼ30年後の2018年に国連で「小農と農村で働く人々の権利に関する宣言」が採択された
→小農とは、この本の主題である農村を形作っている農家のこと
→様々な歴史を経てきた農家と農村であるが、確固として存在しているのである
2022年03月09日
心理的安全性をメタ認知するワーク
心理的安全性をメタ認知するワーク・・・
ええ、こちらの本の・・・






・・・巻末特典にあった「心理的安全性をメタ認知するワーク」であります。
著者によればメタ認知とは「自己を俯瞰的に捉え、自己について学ぶ機能」だそうで、
その学びを得るのは「複数の定点」を同時に見たときで、これが俯瞰とされています。
家庭や職場などで実践してみて下さいとありましたので、さっそく・・・
(以下の抜き書きメモに問題があるようなら削除します)
ステップ1 自分が心理的安全を感じるものを書き出す
自分が落ち着く、あるいはそう思っているモノ、コト、場所、状況、時間などを40個書き出す。
(40個となると自分の日常や過去を必死で振り返ることになり最低40分~1時間はかかる)
ステップ2 相対的なスコアをつける
その40項目に強度(10段階)と手軽さ(5段階)をスコアリングする
(例えば温泉旅館に泊まると落ち着く人は、その強度は高くても手軽さは低いはずだし、
「子どもの寝顔を見る」や「コーヒーを飲む」の手軽さは高いはず)
ステップ3 座標にプロットしていく
大きな紙やホワイトボードに2軸の座標を作って対象をプロットしていく
(過去の記憶も引っ張り出しながら対象に感情をこめて書くと記憶に定着しやすくなる)
ステップ4 パターンを見出す
その紙を(まさに俯瞰的に)眺めて、気づいたことを言語化する
→人に依存するものが多いとか、食べ物ばかりとか、手軽にアクセスできるものが少ないとか、
色々な(自分の)傾向が見えてくる
→これがメタ認知で、自分について学んでいくこと
ステップ5 共有する
4で自己完結しても効果はあるだろうが、教員のワークショップで重視してるのは、その後の共有
→グループを変えながら自分のマップを発表しフィードバックを得る共有セッションを2~3回持つ
(もちろん他人へのフィードバックにネガティブな発言は厳禁)
→3回話せば記憶に残るし、フィードバックがあれば客観視できるし、印象もさらに強く残る
→結果的に自己理解がますます深まる
→自分のパターンを知ったことで意識のアンテナが立つようになり、共有セッションで他人の
パターンを知ることで新たな気づきも得られる
→1週間~1ヶ月後に同じ作業を個数を増やして繰り返せば、記憶定着がさらに確実になる・・・
つーことで、わたくしも途中まで試してみましたが・・・
食べ物・飲み物・キャンプ・宴会に関わるモノやコトや場所や時間が、ずらりと・・・
わたくしずっと、心理的安全性だけをメタ認知して行動してたのね・・・
ええ、こちらの本の・・・






・・・巻末特典にあった「心理的安全性をメタ認知するワーク」であります。
著者によればメタ認知とは「自己を俯瞰的に捉え、自己について学ぶ機能」だそうで、
その学びを得るのは「複数の定点」を同時に見たときで、これが俯瞰とされています。
家庭や職場などで実践してみて下さいとありましたので、さっそく・・・
(以下の抜き書きメモに問題があるようなら削除します)
ステップ1 自分が心理的安全を感じるものを書き出す
自分が落ち着く、あるいはそう思っているモノ、コト、場所、状況、時間などを40個書き出す。
(40個となると自分の日常や過去を必死で振り返ることになり最低40分~1時間はかかる)
ステップ2 相対的なスコアをつける
その40項目に強度(10段階)と手軽さ(5段階)をスコアリングする
(例えば温泉旅館に泊まると落ち着く人は、その強度は高くても手軽さは低いはずだし、
「子どもの寝顔を見る」や「コーヒーを飲む」の手軽さは高いはず)
ステップ3 座標にプロットしていく
大きな紙やホワイトボードに2軸の座標を作って対象をプロットしていく
(過去の記憶も引っ張り出しながら対象に感情をこめて書くと記憶に定着しやすくなる)
ステップ4 パターンを見出す
その紙を(まさに俯瞰的に)眺めて、気づいたことを言語化する
→人に依存するものが多いとか、食べ物ばかりとか、手軽にアクセスできるものが少ないとか、
色々な(自分の)傾向が見えてくる
→これがメタ認知で、自分について学んでいくこと
ステップ5 共有する
4で自己完結しても効果はあるだろうが、教員のワークショップで重視してるのは、その後の共有
→グループを変えながら自分のマップを発表しフィードバックを得る共有セッションを2~3回持つ
(もちろん他人へのフィードバックにネガティブな発言は厳禁)
→3回話せば記憶に残るし、フィードバックがあれば客観視できるし、印象もさらに強く残る
→結果的に自己理解がますます深まる
→自分のパターンを知ったことで意識のアンテナが立つようになり、共有セッションで他人の
パターンを知ることで新たな気づきも得られる
→1週間~1ヶ月後に同じ作業を個数を増やして繰り返せば、記憶定着がさらに確実になる・・・
つーことで、わたくしも途中まで試してみましたが・・・
食べ物・飲み物・キャンプ・宴会に関わるモノやコトや場所や時間が、ずらりと・・・
わたくしずっと、心理的安全性だけをメタ認知して行動してたのね・・・

2022年02月10日
実力も運のうち・・・
とーとつですが・・・
実力も運のうち~能力主義は正義か~のご紹介であります。

発行年月日、著者、訳者、発行所については以下のとおり

初版から僅か2ヶ月で13版を重ねるベストセラーで、昨年8月の週刊文春の対談紹介記事で
読んでみたいと書きましたが、大阪の図書館では読めるまで何と200人待ち!!!だったので、
指をくわえて待っていたのですが、昨年の暮れに(本1冊より餃子10人前を選ぶ)わたくしを
不憫に思われた川端さんが貸して下さり、無事に読むことができた次第。感謝感謝
表紙カバー裏にあった惹句であります。

裏表紙カバー裏にあった著者紹介と訳者略歴紹介。

以下、恒例により目次のみのご紹介。
画像で6枚ありますが、順に見ていくと本書の論点の概要が掴めます。






素人にも分かりやすく書かれているとはいえ、政治哲学・倫理学の大著ですから、昨年の暮れに
お借りしていたものの、1月中はライトノベルを読み耽ってて、ずっとほったらかしのまま、
川端さんらとの「らんぷOFF会」の前日に、あわてて徹夜で読んだ次第。
以下、わたくしが理解できた部分のみの読後メモで、読み飛ばしや誤解も多いでしょうし、
ご覧になって興味を持たれた方は本書を熟読されるようお願いします。
序論ー入学すること
・大学入試不正事件→(連邦検事は)裏口(多額の寄付)は合法だが通用口(成績偽装など)は違法と断定
→多額の寄付によって大学は教育の質を向上させることができるから
→どちらも裕福な親を持つ子を優先するのだから、どちらも公正とは言えないはず
→では正門から入れば必ず公正であり正義なのか?
→SAT(大学進学適性試験)の成績は家計所得にほぼ比例している
→裕福な家庭はSAT準備コースに通わせ入試カウンセラーを雇いレッスンを受けさせるから
→さらに授業料は(充分な予算を持つ一握りの大学を除き)貧しいライバルには不利
→なので有名大学に正門から入ったとしても、彼らだけの手柄とは言い切れない
・裕福な家庭が求めるのは子への信託ファンドではなく有名大学が与える「能力主義の威信」
→成功は自分の努力で失敗は自分の責任と思い込んでいる→能力主義は正当なのか・・・
第1章ー勝者と敗者
・外国人嫌悪や独裁への支持の高まり→民主主義の危機
→政党や政治家の殆どが不満の原因を理解していない
→移民や多文化、グローバル化、テクノロジーによる失業への不満と思っている
→テクノクラートにはオープンかクローズか、能力主義による勝者か敗者しかない
→国民の支持を取り戻す前にテクノクラート的統治手法を見直す必要がある
・能力主義は世襲の貴族社会へと硬直化してきた
→勤勉で才能があれば誰もが出世できるというアメリカ人の信念は、もはや事実にそぐわない
→社会的流動性によって不平等を埋め合わせることはもはや不可能
・運命の偶然性を実感することは一種の謙虚さをもたらす
→完全な能力主義はこの感覚を損ない不当な支配へ
・1940~1980のエリートのやったこと
第二次世界大戦に勝利しヨーロッパと日本の再建に貢献、社会保障制度を強化、人種差別を撤廃、
経済成長を牽引して富裕層にも貧困層にもその恵みを施した
・その後のエリートのやっていること
大半の労働者の賃金低迷、1920年代以来なかった程の所得と富の不平等、決着のつかない戦争、
金融の自由化、金融危機、インフラ崩壊、世界最高の受刑率、民主主義の形骸化・・・
→市場主導型グローバリゼーションの難点は分配の正義の問題だけではなく、能力主義的な努力が
日常生活を構成する社会的な絆に及ぼす腐食効果・・・
・能力主義(メリトクラシー)は勝者におごりを、敗者に屈辱を育む(マイケル・ヤング)
第2章ー偉大なのは善良だからー能力の道徳の簡単な歴史
・トイレを直すのには配管工、歯の治療には歯科医を選ぶ
→無能な人物より有能な人物を選ぶ→有効性
→能力以外の偏見で選べば不平が出る→公正性
この能力主義の理想は個人がその責任を負うことを重視する
→成功は功績で苦難は悪事、富は才能と努力のしるしで貧困は怠惰のしるし・・・
→神は善に褒美を与え罪を罰する→不運は犠牲者が招いたもの・・・
・ヨブ記→能力主義の否定
→神への信仰は威厳と神秘を受け入れることで褒美や罰への期待ではない
・初期のキリスト教神学(5世紀イギリスのペラギウス)
→神は正義で全能なのに悪が存在する→悪を自由に選んだ人間の責任→罪に対する罰
→自由意志と個人の責任の擁護者→リベラリズムの先駆者とも
・アウグスティヌス→人間の自由意志を認めることは神の全能性の否定になる
→やがて教会による表面的な儀式に具体化される→感謝と恩恵から自助へ→免罪符へ
・マルティン・ルター→免罪符に対する宗教改革→救済はいかなる努力にも影響されない
→断固たる反能力主義→ジャン・カルヴァン→ピューリタンへ→アメリカへ渡る
→きわめて能力主義的な労働倫理になる→選ばれし者は神の見えざる教会に属している
→神の栄光を称える天職で働くことは救済のしるしなのだから消費せず懸命に働くべし
・プロテスタントの労働倫理と禁欲主義は資本主義的蓄積のための文化的基盤を提供
「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」(マックス・ヴェーバー)
・懸命に働く自分は選ばれし者→能力主義的な発想
→カトリックの儀式、ユダヤの契約や戒律にも、その背景はある
→人間は自分に値するものを(努力で)手に入れる→富と健康は神の祝福、大災害は神の罰
・オバマケアへの反対論→善良に暮らしている人の負担を減らすべき(不健康は自己責任)
→歴史の正しい側にいるアメリカが偉大なのはアメリカが善良だから(オバマも)
第3章ー出世のレトリック
・今の「成功」への見解はピューリタンの「救済」と同じ能力主義的倫理の核心
→自分自身の努力と頑張りによって獲得される何か
→自由(自らの運命を努力によって支配する能力)、自力で獲得したものの自分へのふさわしさ
→成功は美徳のしるしであり豊かさは当然受け取るべきもの
・80年代のレーガンやサッチャーの新自由主義→個人の責任と負担へ
・90年代のブレアやクリントン→それをもっと平等な競争にするべき
→人種、階級、宗教、民族、性別、性的指向にかかわらず競争するべき
→それを可能にする教育、医療、保育などの充実・・・
→自らの努力で成功を収めた人はその見返りを得るに値する→富裕層減税と能力主義
→この能力主義と個人の責任、出世のレトリックはポピュリスト的な反発の一因になった
・能力主義に対するポピュリストの嫌悪がトランプ当選やイギリスのEU離脱へ
→能力主義エリート、専門家、知的職業階級が市場主導のグローバリゼーションや外国との
競争の試練にさらしたばかりか、功績を挙げていない人々を軽蔑して見下していると感じた
→彼らにとっての能力主義は今の社会秩序を説明するもので、将来的な目標ではなかった
→自らの立場で市場の厳しい審判を受け入れ、道徳的にも心理的にも市場に取り込まれていた
→その不平等社会への「個人責任で」とのメッセージは、連帯を阻害し自信を失わせた
→「学位が立派な仕事や暮らしへのルート」とのメッセージは、学歴偏重で労働の尊厳を傷つけた
→「社会的政治的問題は専門家に」との主張は、テクノクラート的なうぬぼれで民主主義の腐敗
・懸命に働きルールに従って行動している人が前進できないときに生じる失望
・彼らが大損したと思っているときの落胆→彼らの失敗は彼らの責任になるから
・努力すれば成功すると思っている人の割合と現実の社会的流動性の割合の違い
→アメリカではそう思っている人が多いが現実の流動性は低い、ヨーロッパではその真逆
・1940年代生まれの収入と1980年代生まれの収入の、親の収入との対比(アメリカ)
→40年代生まれは親より増えているが80年代生まれは親より減っている
第4章ー学歴偏重主義ー容認されている最後の偏見
・労働者の学歴を向上させ彼らもグローバル経済の競争で勝利を収められるようにする
→この数十年の間のリベラルで進歩的な政治によってなされた基本的主張
→クローバル経済の変革ではなく、それへの適応→見せかけの結果の平等
・人種差別と闘う、女性に高等教育を、同性愛者の権利向上etc・・・
→能力主義をより能力主義的にする問題では最大の成果を上げた
→拡大する所得不平等の緩和をはじめ能力主義の守備範囲に入らない分野では失敗した
・80年代から90年代に生産性は上昇したのに賃金は上がらなかった
→労働者の知性が足りなかった(教育不足)からではなく、労働者の権利が足りなかったから
・オバマ・チームとケネディ・チームの共通点→アイビーリーグの超エリートを選んだ
→ベトナム戦争の愚行、金融危機での銀行救済などの政治的判断ミス
・スマート(イギリスではクレバー)は人の知性を称賛する言葉だった
→デジタル時代が能力主義とともにやってきてモノや統治手法の描写に用いられるように
→政策が「スマート(賢い)かステューピッド(愚か)か」が「正義か不正義か」や「正しいか
間違いか」などの倫理的、イデオロギー的な対比に取って代わられるようになった
→能力主義の時代では正しいことよりスマートなことのほうが説得力を持つ
・人種差別や性差別が嫌われるようになった時代における最後の偏見が学歴偏重主義
→教育こそが社会問題の解決策であるとし、大学へ行くことの重要性を強調する
→社会的地位の低い集団が否定的に評価され、能力主義のイデオロギーが強まる
→人々は不平等を受け入れ成功は能力の反映だと信じやすくなる
→それが個人の責任だと見なされれば社会的不平等への批判を弱める
・連邦議会の人種や民族やジェンダーは多様化したが学歴や階級は多様性が低下している
→下院の95%上院の全員が大卒者で前職が労働者階級(肉体労働・サービス業・事務職)出身の
議員は下院の2%、イギリス労働党でも1979年には学位を持たないものが41%だったのが
2017年には16%になり肉体労働出身も37%から7%に→労働者の党としての性格も低下
→ドイツ・フランス・オランダ・ベルギーでも同様で能力主義時代の所産
→ヨーロッパは財産資格により参政権が制限されていた19世紀末と同じ状況に
・統治に必要なのは実践知と市民的美徳(共通善)について熟考し効率よく推進する能力
→現在の殆どの大学では、いずれの能力も養成されているとは言い難い→能力主義の神話
→政治的判断能力と名門大学に合格する能力とは殆ど関係がない→能力主義の神話
・政治の分断は学位を持つ(左派に好意的な)ものと持たない(トランプを支持する)ものに
→右派支持と左派支持は逆転したが裕福な有権者は依然として右派を支持している
→イギリスやフランスでも同様の変化
・気候変動は専門家が答えるべき科学的問題ではなく権力・道徳・権威・信頼にまつわる問題
→規制に反対する人たちは科学を否定しているのではなく政府とテクノクラート的エリートを
信頼していないから→事実について意見が一致すれば解決する問題ではない
→能力主義とテクノクラシーの失敗
第5章ー成功の倫理学(哲学・倫理学の難しい部分は省略してます
)
・貴族社会と能力主義社会
→貴族社会では農奴が貧しいのも領主が幸福なのも自分のせいではないと理解していた
→知性、機知、知恵など能力の優劣のせいではないと理解しているから、領主は自己愛に
ブレーキをかけ、農奴は従属的立場を個人的な失敗とは考えなかった
→貧しいのは体制の不正によるもの→個人の問題ではなく階級闘争へ
→能力主義社会では出世できないものに厳しい判決が宣告される→個人が劣っているからと
・能力主義への不満は理念ではなく、それが守られていないことへの不満と考えるのが普通
→しかし能力主義の理想自体が欠陥で、空虚な政治プロジェクトに過ぎないとしたら・・・
・機会が平等になれば正義にかなう社会が成立するか
→能力主義の理想にとって重要なのは流動性であり平等ではない
→不平等の解決ではなく競争の結果によって生ずる不平等の正当化である
・ハイエクの自由市場リベラリズムとロールズの福祉国家リベラリズム
→「才能と努力の許す限り出世できなければならない」→どちらも運によるものなのに
→才能の道徳的恣意性を無視し、努力の道徳的意義を誇張しているだけ
・教師の報酬とヘッジファンドマネージャーの報酬の差→功績と価値が別だから
→報酬は立派な業績に対する賞金ではなく財やサービスの経済的価値を反映した支払金
→自分の才能や努力を市場が反映するかどうかだけ→運の問題
→では価値と功績が無関係と誰もが知れば金持ちは謙虚になり貧乏人は穏やかになるか?
→自分の才能がその時代に稀なものか、ありふれたものかは自分の行いには関係がない
→しかし市場で手にできる所得にとっては、決定的な意味を持っている
→スティーブジョブスやJKローリングの例
・ヨーロッパ福祉国家の正当性が揺らいでいるのも、能力主義に民主主義が対抗できないのも、
それが必要とする連帯にふさわしい共同体意識を生み出せなくなっているから
・泥棒を罰するのは財産制度を守るため→副作用は泥棒は人格が劣悪という烙印
・外科医には雑役夫より高い報酬を払う→副作用は外科医の才能と貢献だけを称賛
→こうした態度は能力主義的態度と区別しにくくなる
・どんな技量や業績に称賛の価値があるかを決めるのは社会通念と個人の価値観の問題
→善の問題であって正の問題ではない
→正を強調すれば社会的評価は個人の道徳観の問題になって、おごりと屈辱になる
・名誉と評価の問題は分配的正義の問題と切り離すことはできない
→古くから名誉や評価の配分は最も重要な政治問題だった
・80~90年代の不運への補償というリベラル派平等主義哲学
→困窮の原因が運の悪さなのか選択の誤りなのかにかかっていた
→怠惰から働かない有能な人には公的支援をしない
→交通事故で大怪我をしても保険に入る経済的余裕があった場合は公的支援をしない
→なので自分は無力者だとアピールして自分でも思い込まないと支援を受けられない
→本人の名誉は傷つき自治を共有できる対等な市民として彼らを尊重することも難しくなる
・能力主義的な態度と規範である個人の選択と責任の強調
→勝者のおごりと敗者の屈辱に
→能力主義エリートは能力主義社会に内在する侮辱に気がつかなかった
第6章ー選別装置
・名門大学を能力主義の教育機関と位置付け、社会の指導者を育てることを目的とすることを
明確に打ち出したのはマンハッタン計画の科学顧問も務めたハーバード大学学長のコナント
→アメリカ社会に世襲の上流階級が生まれ知性と学識が必要な時代には不適切と判断した
→世襲エリートを打ち倒し能力主義エリートに置き換える静かな計画的クーデター
→重視したのは公立学校の選別機能→英才を選抜して奨学金を与える
・能力による流動性社会は世襲の対極にあるものの不平等の対極にあるわけではない
→能力差による不平等を正当化し、奨学金を受ける英才を称賛し、その他大勢を侮辱する
→結果的に学業成績は親の富に比例し社会的流動性は実現せず、推進力にもならなかった
・アメリカ上位100大学の学生の70%超は、所得上位1/4に入る家庭の出身者で、下位1/4に
入る家庭の出身者はわずか3%
・ビッグスリー(ハーバード、イェール、プリンストン)への労働者階級と貧困層からの入学率は
低所得家庭出身学生への授業料・部屋代・食費の無償化後でも1954年と変わっていない
・一流大学の高等教育は社会的な上昇移動には殆ど貢献していない
(州立大学の一部は入りやすく上昇移動もうまく助けているが、あくまで例外)
・学位を持たず、まともな職に就いて人並の暮らしをしたいと願う人たちを能力主義は無視する
→これは民主主義にとっても教育にとっても不健全なこと
→能力による選抜をする大学は難易度が上がる→全国から裕福な学生が集まることになる
(60年代までは自宅に近い大学に通うのが普通→学力も分散していた)
・雇用主は名門大学の選抜機能を信頼し能力主義の栄誉を評価する
→裕福な学生が多いので不平等を拡大した
→彼らにも大きな犠牲(ストレス・完璧主義・自分で勝ち取ったとの思い込み)を与えた
→能力主義的な至上命令(頑張れ、結果を出せ、成功せよ)からの精神的苦痛は大きい
(究極の幸福は金持ちになることで、そのために一流大学に進学せよ)
・ハーバードでは入学後も選別と競争が教育と学習を押しのけてしまっている
→一流大学はくじ引き入試にして職業教育・職業訓練への公的支援を充実すればいいかも
・道徳教育と市民教育の重要性は4年制大学だけの問題ではない
→アメリカ最初の大規模労働組合は工場内に公共問題を学ぶ読書室を設けることを要求した
→19世紀のアメリカ社会が平等を特徴としていたのは社会的流動性より、あらゆる階級と職業に
知性と学習が行き渡っていたことの方が大きい
→能力主義的な選別はこの種の平等を破壊してしまう
・看護師や配管工の卵が経営コンサルタントの卵より、民主主義的議論の仕方を学ぶのに
向いていないと決めつける理由はどこにもない・・・
第7章ー労働を承認する
・グローバリゼーション時代は高学歴者に豊かな報酬をもたらし一般労働者には何もなかった
→生産性は上がったが労働者の取り分は小さくなり、役員と株主の取り分は増える一方
→1970年代後半の大企業CEOの取り分は労働者の30倍、2014年では300倍
→新自由主義と能力主義が不平等への不満を押しのけてきた→2016年以降、怒りと反感へ
・1971年の白人労働者雇用率は93%、2016年は80%→残り20%のうち求職者は僅か
→中年白人男性の絶望死(自殺・薬物摂取・アルコールなど)は10年前から増える一方
→絶望死には学歴による差が大きく、貧困の増加とは関連がない
→低学歴白人労働者階級の生活様式が長年にわたり少しずつ失われてきたことの反映
→労働の世界が選別から漏れた人の尊厳を認めなくなった
→トランプが善戦したのは絶望死の比率が高い地域
・白人農民は税金と政府の配慮がマイノリティと専門職に注がれていると感じている
→アメリカンドリームの列に辛抱強く並んでたら黒人、女性、移民、難民が割り込んできた、
その割込みを許している政府指導者に怒り割り込みをなじると、エリートからは人種差別者、
田舎者、白人のクズと侮辱される
・共通善への価値ある貢献として重要なのは何か、市民として何を負っているか・・・
→トランプ政権の農務長官→福祉を削減し怠け者を困窮させれば労働の尊厳が称えられる
→リベラル派の政策提案→セーフティネットの強化、医療、介護、子育て支援の充実、
最低賃金の引上げetc・・・→それでもトランプに負けたのは何故か?
→怒りでその経済的利益を見過ごしたのか、無視したのか?
→グローバリゼーション時代に取り残されること、貢献できないことを恐れたから
・時代は生産より消費で、消費者は財もサービスも(国を問わず)安値で買いたい時代
→アメリカの生産者はやりがいがあっていい報酬の労働を望む
→新自由主義グローバリゼーションは消費者の幸福のみで生産者の幸福を顧みなかった
・購買力とセーフティネットを増して不平等の埋め合わせをするではなく労働の尊厳の回復
→共通善は消費者の幸福(嗜好)の最大化ではなく嗜好の向上改善→充実した人生へ
・アダムスミスの国富論ではなくキング牧師の(ストライキ中の)清掃作業員への呼びかけ
→「この社会が存続できるなら、いずれ清掃作業員に敬意を払うようになる」
→「仕事をしなければ病気が蔓延するから医者と同じくらい大切」
→「どんな労働にも尊厳がある」
・ヘーゲル哲学の「承認を求める闘い」
→スミス、ケインズとは異なる資本主義的労働の二つの条件
→最低限の賃金を支払うことと共通善への貢献であることが分かるようにすること
・経済成長さえすれば道徳的に賛否両論がある議論の必要がなさそうにみえるが、
→GDPの規模拡大と配分だけでは労働の尊厳を蝕み市民生活を貧しくする
→ロバート・ケネディ以後それを語る政治家はおらず、仕事を奪われるなら大学へ行き
グローバル経済で勝つ術を身につければいい、という理想主義に→2016年に敗北
→ヨーロッパでも極端な国家主義、反移民主義が台頭しグローバリゼーションは失敗
・どんな政治的プロジェクトがそれに代わるべきか?
①保守的には(共和党伝統の)自由主義の擁護を止めること
→GDP上昇、法人税減税、自由貿易推進から、低賃金への賃金補助へ
(コロナ禍でアメリカは失業保険だったがヨーロッパでは企業に賃金の75~90%を補償した
→緊急事態中でも雇用(労働の尊厳)を維持できるから)
→雇用を奪う製造業と鉱業についてもオープンからクローズドへ
②進歩的には金融は生産的でなく金融商品は経済に害を与えてるので税制度を利用し、
投機の抑制と生産的労働の称賛を行うこと
→具体的には給与税を減らし(労働が高価になる)金融取引課税を増やす
→労働より投資に課される税率が低いのは投資が経済成長に貢献しているから?
→つくる者(経済に貢献する者)と受け取る者(納税額より政府から受け取る額が多い者)
→実際の「受け取る者」の筆頭は、実体経済に貢献せず莫大な利益を得ている金融取引業界
結論ー能力と共通善
・機会の均等は不正義を正すために道徳的に必要な手段だが、善き社会の理想ではない
→障壁を破壊するのはいいことだが、それを乗り越えて出世だけを目指していると
民主主義に必要な社会的絆と市民的愛着を養うのが難しくなる
→出世できない人もしかるべき場所で活躍すべき
→機会の平等に代わる選択肢には成果の平等だけでなく条件の平等もある
→地位に無縁な人も尊厳ある暮らしができるようにすること
・社会的に評価される仕事の能力を身につけ発揮し、学びの文化を共有し仲間の市民と、
出世しようがしまいが、尊厳と文化のある生活を送れることが社会の幸福
(1931年、R.H.トーニー「平等論」より)
・議会図書館
→様々な階級の誰もが自分たちの民主主義が提供する自分たちの図書館で本を読んでいる
→これこそがアメリカンドリームである
→人民により蓄積された資源が提供する手段と、それを利用できる知性を持つ大衆
(ジェームス・トラスロー・アダムス「米国史」より)
・40年に及ぶ市場主導グローバリゼーションが不平等を生み別々の暮らしをするようになり、
互いの言い分を聞く力さえ失ってしまった
→多様な職業や地位の市民が共通の空間や公共の場で出会うことは必要である
→それが折り合いをつけ差異を受容し共通善を知る方法
・能力主義的信念は連帯を不可能にする
→才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで自分の手柄ではないと認める
→その謙虚さが冷酷な成功の倫理と能力の専制を超えて、怨嗟の少ない寛容な公共生活へ
向かわせてくれる・・・
解説(本田由紀)より一部メモ
・日本語訳では功績主義メリットクラシーが能力主義と読み替えらている
→功績は顕在化し証明された結果であり、能力は人間の中にあって功績を生み出す原因
→これが混同されるのが日本社会の特徴
→日本はメリット(功績)の専制より能力の専制で、内在する能力という幻想・仮構に支配
されている点で、問題が(アメリカより)根深いと考えている・・・
以上、あわてて読んだ際の思いつきメモですが、新自由主義グローバリゼーションなどの
問題点とされていたものを「能力主義の台頭」という点から見てるのが、とても斬新でした。
実力も運のうち~能力主義は正義か~のご紹介であります。

発行年月日、著者、訳者、発行所については以下のとおり

初版から僅か2ヶ月で13版を重ねるベストセラーで、昨年8月の週刊文春の対談紹介記事で
読んでみたいと書きましたが、大阪の図書館では読めるまで何と200人待ち!!!だったので、
指をくわえて待っていたのですが、昨年の暮れに(本1冊より餃子10人前を選ぶ)わたくしを
不憫に思われた川端さんが貸して下さり、無事に読むことができた次第。感謝感謝
表紙カバー裏にあった惹句であります。

裏表紙カバー裏にあった著者紹介と訳者略歴紹介。

以下、恒例により目次のみのご紹介。
画像で6枚ありますが、順に見ていくと本書の論点の概要が掴めます。






素人にも分かりやすく書かれているとはいえ、政治哲学・倫理学の大著ですから、昨年の暮れに
お借りしていたものの、1月中はライトノベルを読み耽ってて、ずっとほったらかしのまま、
川端さんらとの「らんぷOFF会」の前日に、あわてて徹夜で読んだ次第。
以下、わたくしが理解できた部分のみの読後メモで、読み飛ばしや誤解も多いでしょうし、
ご覧になって興味を持たれた方は本書を熟読されるようお願いします。
序論ー入学すること
・大学入試不正事件→(連邦検事は)裏口(多額の寄付)は合法だが通用口(成績偽装など)は違法と断定
→多額の寄付によって大学は教育の質を向上させることができるから
→どちらも裕福な親を持つ子を優先するのだから、どちらも公正とは言えないはず
→では正門から入れば必ず公正であり正義なのか?
→SAT(大学進学適性試験)の成績は家計所得にほぼ比例している
→裕福な家庭はSAT準備コースに通わせ入試カウンセラーを雇いレッスンを受けさせるから
→さらに授業料は(充分な予算を持つ一握りの大学を除き)貧しいライバルには不利
→なので有名大学に正門から入ったとしても、彼らだけの手柄とは言い切れない
・裕福な家庭が求めるのは子への信託ファンドではなく有名大学が与える「能力主義の威信」
→成功は自分の努力で失敗は自分の責任と思い込んでいる→能力主義は正当なのか・・・
第1章ー勝者と敗者
・外国人嫌悪や独裁への支持の高まり→民主主義の危機
→政党や政治家の殆どが不満の原因を理解していない
→移民や多文化、グローバル化、テクノロジーによる失業への不満と思っている
→テクノクラートにはオープンかクローズか、能力主義による勝者か敗者しかない
→国民の支持を取り戻す前にテクノクラート的統治手法を見直す必要がある
・能力主義は世襲の貴族社会へと硬直化してきた
→勤勉で才能があれば誰もが出世できるというアメリカ人の信念は、もはや事実にそぐわない
→社会的流動性によって不平等を埋め合わせることはもはや不可能
・運命の偶然性を実感することは一種の謙虚さをもたらす
→完全な能力主義はこの感覚を損ない不当な支配へ
・1940~1980のエリートのやったこと
第二次世界大戦に勝利しヨーロッパと日本の再建に貢献、社会保障制度を強化、人種差別を撤廃、
経済成長を牽引して富裕層にも貧困層にもその恵みを施した
・その後のエリートのやっていること
大半の労働者の賃金低迷、1920年代以来なかった程の所得と富の不平等、決着のつかない戦争、
金融の自由化、金融危機、インフラ崩壊、世界最高の受刑率、民主主義の形骸化・・・
→市場主導型グローバリゼーションの難点は分配の正義の問題だけではなく、能力主義的な努力が
日常生活を構成する社会的な絆に及ぼす腐食効果・・・
・能力主義(メリトクラシー)は勝者におごりを、敗者に屈辱を育む(マイケル・ヤング)
第2章ー偉大なのは善良だからー能力の道徳の簡単な歴史
・トイレを直すのには配管工、歯の治療には歯科医を選ぶ
→無能な人物より有能な人物を選ぶ→有効性
→能力以外の偏見で選べば不平が出る→公正性
この能力主義の理想は個人がその責任を負うことを重視する
→成功は功績で苦難は悪事、富は才能と努力のしるしで貧困は怠惰のしるし・・・
→神は善に褒美を与え罪を罰する→不運は犠牲者が招いたもの・・・
・ヨブ記→能力主義の否定
→神への信仰は威厳と神秘を受け入れることで褒美や罰への期待ではない
・初期のキリスト教神学(5世紀イギリスのペラギウス)
→神は正義で全能なのに悪が存在する→悪を自由に選んだ人間の責任→罪に対する罰
→自由意志と個人の責任の擁護者→リベラリズムの先駆者とも
・アウグスティヌス→人間の自由意志を認めることは神の全能性の否定になる
→やがて教会による表面的な儀式に具体化される→感謝と恩恵から自助へ→免罪符へ
・マルティン・ルター→免罪符に対する宗教改革→救済はいかなる努力にも影響されない
→断固たる反能力主義→ジャン・カルヴァン→ピューリタンへ→アメリカへ渡る
→きわめて能力主義的な労働倫理になる→選ばれし者は神の見えざる教会に属している
→神の栄光を称える天職で働くことは救済のしるしなのだから消費せず懸命に働くべし
・プロテスタントの労働倫理と禁欲主義は資本主義的蓄積のための文化的基盤を提供
「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」(マックス・ヴェーバー)
・懸命に働く自分は選ばれし者→能力主義的な発想
→カトリックの儀式、ユダヤの契約や戒律にも、その背景はある
→人間は自分に値するものを(努力で)手に入れる→富と健康は神の祝福、大災害は神の罰
・オバマケアへの反対論→善良に暮らしている人の負担を減らすべき(不健康は自己責任)
→歴史の正しい側にいるアメリカが偉大なのはアメリカが善良だから(オバマも)
第3章ー出世のレトリック
・今の「成功」への見解はピューリタンの「救済」と同じ能力主義的倫理の核心
→自分自身の努力と頑張りによって獲得される何か
→自由(自らの運命を努力によって支配する能力)、自力で獲得したものの自分へのふさわしさ
→成功は美徳のしるしであり豊かさは当然受け取るべきもの
・80年代のレーガンやサッチャーの新自由主義→個人の責任と負担へ
・90年代のブレアやクリントン→それをもっと平等な競争にするべき
→人種、階級、宗教、民族、性別、性的指向にかかわらず競争するべき
→それを可能にする教育、医療、保育などの充実・・・
→自らの努力で成功を収めた人はその見返りを得るに値する→富裕層減税と能力主義
→この能力主義と個人の責任、出世のレトリックはポピュリスト的な反発の一因になった
・能力主義に対するポピュリストの嫌悪がトランプ当選やイギリスのEU離脱へ
→能力主義エリート、専門家、知的職業階級が市場主導のグローバリゼーションや外国との
競争の試練にさらしたばかりか、功績を挙げていない人々を軽蔑して見下していると感じた
→彼らにとっての能力主義は今の社会秩序を説明するもので、将来的な目標ではなかった
→自らの立場で市場の厳しい審判を受け入れ、道徳的にも心理的にも市場に取り込まれていた
→その不平等社会への「個人責任で」とのメッセージは、連帯を阻害し自信を失わせた
→「学位が立派な仕事や暮らしへのルート」とのメッセージは、学歴偏重で労働の尊厳を傷つけた
→「社会的政治的問題は専門家に」との主張は、テクノクラート的なうぬぼれで民主主義の腐敗
・懸命に働きルールに従って行動している人が前進できないときに生じる失望
・彼らが大損したと思っているときの落胆→彼らの失敗は彼らの責任になるから
・努力すれば成功すると思っている人の割合と現実の社会的流動性の割合の違い
→アメリカではそう思っている人が多いが現実の流動性は低い、ヨーロッパではその真逆
・1940年代生まれの収入と1980年代生まれの収入の、親の収入との対比(アメリカ)
→40年代生まれは親より増えているが80年代生まれは親より減っている
第4章ー学歴偏重主義ー容認されている最後の偏見
・労働者の学歴を向上させ彼らもグローバル経済の競争で勝利を収められるようにする
→この数十年の間のリベラルで進歩的な政治によってなされた基本的主張
→クローバル経済の変革ではなく、それへの適応→見せかけの結果の平等
・人種差別と闘う、女性に高等教育を、同性愛者の権利向上etc・・・
→能力主義をより能力主義的にする問題では最大の成果を上げた
→拡大する所得不平等の緩和をはじめ能力主義の守備範囲に入らない分野では失敗した
・80年代から90年代に生産性は上昇したのに賃金は上がらなかった
→労働者の知性が足りなかった(教育不足)からではなく、労働者の権利が足りなかったから
・オバマ・チームとケネディ・チームの共通点→アイビーリーグの超エリートを選んだ
→ベトナム戦争の愚行、金融危機での銀行救済などの政治的判断ミス
・スマート(イギリスではクレバー)は人の知性を称賛する言葉だった
→デジタル時代が能力主義とともにやってきてモノや統治手法の描写に用いられるように
→政策が「スマート(賢い)かステューピッド(愚か)か」が「正義か不正義か」や「正しいか
間違いか」などの倫理的、イデオロギー的な対比に取って代わられるようになった
→能力主義の時代では正しいことよりスマートなことのほうが説得力を持つ
・人種差別や性差別が嫌われるようになった時代における最後の偏見が学歴偏重主義
→教育こそが社会問題の解決策であるとし、大学へ行くことの重要性を強調する
→社会的地位の低い集団が否定的に評価され、能力主義のイデオロギーが強まる
→人々は不平等を受け入れ成功は能力の反映だと信じやすくなる
→それが個人の責任だと見なされれば社会的不平等への批判を弱める
・連邦議会の人種や民族やジェンダーは多様化したが学歴や階級は多様性が低下している
→下院の95%上院の全員が大卒者で前職が労働者階級(肉体労働・サービス業・事務職)出身の
議員は下院の2%、イギリス労働党でも1979年には学位を持たないものが41%だったのが
2017年には16%になり肉体労働出身も37%から7%に→労働者の党としての性格も低下
→ドイツ・フランス・オランダ・ベルギーでも同様で能力主義時代の所産
→ヨーロッパは財産資格により参政権が制限されていた19世紀末と同じ状況に
・統治に必要なのは実践知と市民的美徳(共通善)について熟考し効率よく推進する能力
→現在の殆どの大学では、いずれの能力も養成されているとは言い難い→能力主義の神話
→政治的判断能力と名門大学に合格する能力とは殆ど関係がない→能力主義の神話
・政治の分断は学位を持つ(左派に好意的な)ものと持たない(トランプを支持する)ものに
→右派支持と左派支持は逆転したが裕福な有権者は依然として右派を支持している
→イギリスやフランスでも同様の変化
・気候変動は専門家が答えるべき科学的問題ではなく権力・道徳・権威・信頼にまつわる問題
→規制に反対する人たちは科学を否定しているのではなく政府とテクノクラート的エリートを
信頼していないから→事実について意見が一致すれば解決する問題ではない
→能力主義とテクノクラシーの失敗
第5章ー成功の倫理学(哲学・倫理学の難しい部分は省略してます

・貴族社会と能力主義社会
→貴族社会では農奴が貧しいのも領主が幸福なのも自分のせいではないと理解していた
→知性、機知、知恵など能力の優劣のせいではないと理解しているから、領主は自己愛に
ブレーキをかけ、農奴は従属的立場を個人的な失敗とは考えなかった
→貧しいのは体制の不正によるもの→個人の問題ではなく階級闘争へ
→能力主義社会では出世できないものに厳しい判決が宣告される→個人が劣っているからと
・能力主義への不満は理念ではなく、それが守られていないことへの不満と考えるのが普通
→しかし能力主義の理想自体が欠陥で、空虚な政治プロジェクトに過ぎないとしたら・・・
・機会が平等になれば正義にかなう社会が成立するか
→能力主義の理想にとって重要なのは流動性であり平等ではない
→不平等の解決ではなく競争の結果によって生ずる不平等の正当化である
・ハイエクの自由市場リベラリズムとロールズの福祉国家リベラリズム
→「才能と努力の許す限り出世できなければならない」→どちらも運によるものなのに
→才能の道徳的恣意性を無視し、努力の道徳的意義を誇張しているだけ
・教師の報酬とヘッジファンドマネージャーの報酬の差→功績と価値が別だから
→報酬は立派な業績に対する賞金ではなく財やサービスの経済的価値を反映した支払金
→自分の才能や努力を市場が反映するかどうかだけ→運の問題
→では価値と功績が無関係と誰もが知れば金持ちは謙虚になり貧乏人は穏やかになるか?
→自分の才能がその時代に稀なものか、ありふれたものかは自分の行いには関係がない
→しかし市場で手にできる所得にとっては、決定的な意味を持っている
→スティーブジョブスやJKローリングの例
・ヨーロッパ福祉国家の正当性が揺らいでいるのも、能力主義に民主主義が対抗できないのも、
それが必要とする連帯にふさわしい共同体意識を生み出せなくなっているから
・泥棒を罰するのは財産制度を守るため→副作用は泥棒は人格が劣悪という烙印
・外科医には雑役夫より高い報酬を払う→副作用は外科医の才能と貢献だけを称賛
→こうした態度は能力主義的態度と区別しにくくなる
・どんな技量や業績に称賛の価値があるかを決めるのは社会通念と個人の価値観の問題
→善の問題であって正の問題ではない
→正を強調すれば社会的評価は個人の道徳観の問題になって、おごりと屈辱になる
・名誉と評価の問題は分配的正義の問題と切り離すことはできない
→古くから名誉や評価の配分は最も重要な政治問題だった
・80~90年代の不運への補償というリベラル派平等主義哲学
→困窮の原因が運の悪さなのか選択の誤りなのかにかかっていた
→怠惰から働かない有能な人には公的支援をしない
→交通事故で大怪我をしても保険に入る経済的余裕があった場合は公的支援をしない
→なので自分は無力者だとアピールして自分でも思い込まないと支援を受けられない
→本人の名誉は傷つき自治を共有できる対等な市民として彼らを尊重することも難しくなる
・能力主義的な態度と規範である個人の選択と責任の強調
→勝者のおごりと敗者の屈辱に
→能力主義エリートは能力主義社会に内在する侮辱に気がつかなかった
第6章ー選別装置
・名門大学を能力主義の教育機関と位置付け、社会の指導者を育てることを目的とすることを
明確に打ち出したのはマンハッタン計画の科学顧問も務めたハーバード大学学長のコナント
→アメリカ社会に世襲の上流階級が生まれ知性と学識が必要な時代には不適切と判断した
→世襲エリートを打ち倒し能力主義エリートに置き換える静かな計画的クーデター
→重視したのは公立学校の選別機能→英才を選抜して奨学金を与える
・能力による流動性社会は世襲の対極にあるものの不平等の対極にあるわけではない
→能力差による不平等を正当化し、奨学金を受ける英才を称賛し、その他大勢を侮辱する
→結果的に学業成績は親の富に比例し社会的流動性は実現せず、推進力にもならなかった
・アメリカ上位100大学の学生の70%超は、所得上位1/4に入る家庭の出身者で、下位1/4に
入る家庭の出身者はわずか3%
・ビッグスリー(ハーバード、イェール、プリンストン)への労働者階級と貧困層からの入学率は
低所得家庭出身学生への授業料・部屋代・食費の無償化後でも1954年と変わっていない
・一流大学の高等教育は社会的な上昇移動には殆ど貢献していない
(州立大学の一部は入りやすく上昇移動もうまく助けているが、あくまで例外)
・学位を持たず、まともな職に就いて人並の暮らしをしたいと願う人たちを能力主義は無視する
→これは民主主義にとっても教育にとっても不健全なこと
→能力による選抜をする大学は難易度が上がる→全国から裕福な学生が集まることになる
(60年代までは自宅に近い大学に通うのが普通→学力も分散していた)
・雇用主は名門大学の選抜機能を信頼し能力主義の栄誉を評価する
→裕福な学生が多いので不平等を拡大した
→彼らにも大きな犠牲(ストレス・完璧主義・自分で勝ち取ったとの思い込み)を与えた
→能力主義的な至上命令(頑張れ、結果を出せ、成功せよ)からの精神的苦痛は大きい
(究極の幸福は金持ちになることで、そのために一流大学に進学せよ)
・ハーバードでは入学後も選別と競争が教育と学習を押しのけてしまっている
→一流大学はくじ引き入試にして職業教育・職業訓練への公的支援を充実すればいいかも
・道徳教育と市民教育の重要性は4年制大学だけの問題ではない
→アメリカ最初の大規模労働組合は工場内に公共問題を学ぶ読書室を設けることを要求した
→19世紀のアメリカ社会が平等を特徴としていたのは社会的流動性より、あらゆる階級と職業に
知性と学習が行き渡っていたことの方が大きい
→能力主義的な選別はこの種の平等を破壊してしまう
・看護師や配管工の卵が経営コンサルタントの卵より、民主主義的議論の仕方を学ぶのに
向いていないと決めつける理由はどこにもない・・・
第7章ー労働を承認する
・グローバリゼーション時代は高学歴者に豊かな報酬をもたらし一般労働者には何もなかった
→生産性は上がったが労働者の取り分は小さくなり、役員と株主の取り分は増える一方
→1970年代後半の大企業CEOの取り分は労働者の30倍、2014年では300倍
→新自由主義と能力主義が不平等への不満を押しのけてきた→2016年以降、怒りと反感へ
・1971年の白人労働者雇用率は93%、2016年は80%→残り20%のうち求職者は僅か
→中年白人男性の絶望死(自殺・薬物摂取・アルコールなど)は10年前から増える一方
→絶望死には学歴による差が大きく、貧困の増加とは関連がない
→低学歴白人労働者階級の生活様式が長年にわたり少しずつ失われてきたことの反映
→労働の世界が選別から漏れた人の尊厳を認めなくなった
→トランプが善戦したのは絶望死の比率が高い地域
・白人農民は税金と政府の配慮がマイノリティと専門職に注がれていると感じている
→アメリカンドリームの列に辛抱強く並んでたら黒人、女性、移民、難民が割り込んできた、
その割込みを許している政府指導者に怒り割り込みをなじると、エリートからは人種差別者、
田舎者、白人のクズと侮辱される
・共通善への価値ある貢献として重要なのは何か、市民として何を負っているか・・・
→トランプ政権の農務長官→福祉を削減し怠け者を困窮させれば労働の尊厳が称えられる
→リベラル派の政策提案→セーフティネットの強化、医療、介護、子育て支援の充実、
最低賃金の引上げetc・・・→それでもトランプに負けたのは何故か?
→怒りでその経済的利益を見過ごしたのか、無視したのか?
→グローバリゼーション時代に取り残されること、貢献できないことを恐れたから
・時代は生産より消費で、消費者は財もサービスも(国を問わず)安値で買いたい時代
→アメリカの生産者はやりがいがあっていい報酬の労働を望む
→新自由主義グローバリゼーションは消費者の幸福のみで生産者の幸福を顧みなかった
・購買力とセーフティネットを増して不平等の埋め合わせをするではなく労働の尊厳の回復
→共通善は消費者の幸福(嗜好)の最大化ではなく嗜好の向上改善→充実した人生へ
・アダムスミスの国富論ではなくキング牧師の(ストライキ中の)清掃作業員への呼びかけ
→「この社会が存続できるなら、いずれ清掃作業員に敬意を払うようになる」
→「仕事をしなければ病気が蔓延するから医者と同じくらい大切」
→「どんな労働にも尊厳がある」
・ヘーゲル哲学の「承認を求める闘い」
→スミス、ケインズとは異なる資本主義的労働の二つの条件
→最低限の賃金を支払うことと共通善への貢献であることが分かるようにすること
・経済成長さえすれば道徳的に賛否両論がある議論の必要がなさそうにみえるが、
→GDPの規模拡大と配分だけでは労働の尊厳を蝕み市民生活を貧しくする
→ロバート・ケネディ以後それを語る政治家はおらず、仕事を奪われるなら大学へ行き
グローバル経済で勝つ術を身につければいい、という理想主義に→2016年に敗北
→ヨーロッパでも極端な国家主義、反移民主義が台頭しグローバリゼーションは失敗
・どんな政治的プロジェクトがそれに代わるべきか?
①保守的には(共和党伝統の)自由主義の擁護を止めること
→GDP上昇、法人税減税、自由貿易推進から、低賃金への賃金補助へ
(コロナ禍でアメリカは失業保険だったがヨーロッパでは企業に賃金の75~90%を補償した
→緊急事態中でも雇用(労働の尊厳)を維持できるから)
→雇用を奪う製造業と鉱業についてもオープンからクローズドへ
②進歩的には金融は生産的でなく金融商品は経済に害を与えてるので税制度を利用し、
投機の抑制と生産的労働の称賛を行うこと
→具体的には給与税を減らし(労働が高価になる)金融取引課税を増やす
→労働より投資に課される税率が低いのは投資が経済成長に貢献しているから?
→つくる者(経済に貢献する者)と受け取る者(納税額より政府から受け取る額が多い者)
→実際の「受け取る者」の筆頭は、実体経済に貢献せず莫大な利益を得ている金融取引業界
結論ー能力と共通善
・機会の均等は不正義を正すために道徳的に必要な手段だが、善き社会の理想ではない
→障壁を破壊するのはいいことだが、それを乗り越えて出世だけを目指していると
民主主義に必要な社会的絆と市民的愛着を養うのが難しくなる
→出世できない人もしかるべき場所で活躍すべき
→機会の平等に代わる選択肢には成果の平等だけでなく条件の平等もある
→地位に無縁な人も尊厳ある暮らしができるようにすること
・社会的に評価される仕事の能力を身につけ発揮し、学びの文化を共有し仲間の市民と、
出世しようがしまいが、尊厳と文化のある生活を送れることが社会の幸福
(1931年、R.H.トーニー「平等論」より)
・議会図書館
→様々な階級の誰もが自分たちの民主主義が提供する自分たちの図書館で本を読んでいる
→これこそがアメリカンドリームである
→人民により蓄積された資源が提供する手段と、それを利用できる知性を持つ大衆
(ジェームス・トラスロー・アダムス「米国史」より)
・40年に及ぶ市場主導グローバリゼーションが不平等を生み別々の暮らしをするようになり、
互いの言い分を聞く力さえ失ってしまった
→多様な職業や地位の市民が共通の空間や公共の場で出会うことは必要である
→それが折り合いをつけ差異を受容し共通善を知る方法
・能力主義的信念は連帯を不可能にする
→才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで自分の手柄ではないと認める
→その謙虚さが冷酷な成功の倫理と能力の専制を超えて、怨嗟の少ない寛容な公共生活へ
向かわせてくれる・・・
解説(本田由紀)より一部メモ
・日本語訳では功績主義メリットクラシーが能力主義と読み替えらている
→功績は顕在化し証明された結果であり、能力は人間の中にあって功績を生み出す原因
→これが混同されるのが日本社会の特徴
→日本はメリット(功績)の専制より能力の専制で、内在する能力という幻想・仮構に支配
されている点で、問題が(アメリカより)根深いと考えている・・・
以上、あわてて読んだ際の思いつきメモですが、新自由主義グローバリゼーションなどの
問題点とされていたものを「能力主義の台頭」という点から見てるのが、とても斬新でした。