沙漠緑化・熱帯雨林再生
2023年08月27日
大使館で作戦会議!!!
とーとつですが本日、大使館で作戦会議・・・
ま、正確にはニューミュンヘン神戸大使館で10月のボルネオツアーに向けた作戦会議・・・
の名目で、唐揚げでビールが飲みたいとゆー某wingさん発案の宴会だったのでしゅが
わたくしは大阪から、ひさしぶりの阪神電車に乗って・・・

神戸三宮へ、正午の開店と同時に予約席に5名が集合して・・・
なにはともあれ・・・

まずは乾杯!!!
まあ、約1名を除き植林ツアーやフラッシュ光の下見ツアーや企画会議(名目の宴会)で
顔なじみのメンバーだったので、特に作戦を練ることもなく・・・
ひたすら・・・








ばくばくごくごく、わいわいがやがや
たちまち飲み放題の制限2時間となり、今回は奇跡的に追加延長もせずに解散しました
そう、昼飲みで飲み放題から追加延長するとロクなことはないと経験済みのメンバーだったし
で、わたくしは、

帰りに寄りたかったお店も満腹であきらめ、休憩しつつ阪神電車へ、吹田市民はJRへ向かい、
健康的に帰りましたが、神戸市民3人はモンベルでボルネオ装備を爆買いされてたとか・・・
そう、飲んでから買い物に行くと気持ちが大きくなって、ついつい買ってしまうんですよね
逆に飲む前に買い物をすると飲食中に取り出して汚したり壊したり置き忘れたり・・・
飲んでから買うか、買ってから飲むかは、なかなかの難問なのでありますね どっとはらい
ま、正確にはニューミュンヘン神戸大使館で10月のボルネオツアーに向けた作戦会議・・・
の名目で、唐揚げでビールが飲みたいとゆー某wingさん発案の宴会だったのでしゅが

わたくしは大阪から、ひさしぶりの阪神電車に乗って・・・

神戸三宮へ、正午の開店と同時に予約席に5名が集合して・・・
なにはともあれ・・・

まずは乾杯!!!
まあ、約1名を除き植林ツアーやフラッシュ光の下見ツアーや企画会議(名目の宴会)で
顔なじみのメンバーだったので、特に作戦を練ることもなく・・・
ひたすら・・・








ばくばくごくごく、わいわいがやがや
たちまち飲み放題の制限2時間となり、今回は奇跡的に追加延長もせずに解散しました
そう、昼飲みで飲み放題から追加延長するとロクなことはないと経験済みのメンバーだったし

で、わたくしは、

帰りに寄りたかったお店も満腹であきらめ、休憩しつつ阪神電車へ、吹田市民はJRへ向かい、
健康的に帰りましたが、神戸市民3人はモンベルでボルネオ装備を爆買いされてたとか・・・
そう、飲んでから買い物に行くと気持ちが大きくなって、ついつい買ってしまうんですよね
逆に飲む前に買い物をすると飲食中に取り出して汚したり壊したり置き忘れたり・・・
飲んでから買うか、買ってから飲むかは、なかなかの難問なのでありますね どっとはらい
2023年08月10日
瀕死の林業
瀕死の林業・・・
ええ、

月刊誌「Wedgeウェッジ」2023年6月号の特集記事であります
この特集部分の目次のみ

例によって、てきとーな読後メモで思い違いもあり、図表なども一切紹介してませんので、
興味を持たれた方は本書をしっかり読んでくださいね
まずは編集部による現状つーか問題提起より
・4/14の花粉症に関する関係閣僚会議でスギの伐採加速化も掲げられた
(日本の林業・林政はこうした政治発言に左右されてきた歴史がある)
→林業の成長産業化+カーボンニュートラルの潮流
・生産量や自給率など統計上の数値は改善しているが現場は全く違う
→成長産業化の結果は供給過多による価格低下→資金不足で3割しか再造林できていない
→総額3000億の補助金の活用方法の再検討が必要→今は補助金獲得自体が目的になっている
・目先の成長を追い求め「持続可能な森林管理」に逆行している
→まさに「木を見て森を見ず」そのものの林政
・現場では森林所有者、森林組合、製材加工業者などに新しい取り組みを始める改革者もいる
・瀕死の林業を再生する処方箋とは・・・
Part1より
・森林の持つ防災機能からも森林再生がいわれるが異常降雨時には森林も被害者になる
→日本の森林再生はすでに達成している
→いっぽうで日本の林業は受け皿がなく瀕死の状態にある
→林業再生は矛盾だらけで行政優先・机上論理優先で科学や技術は軽視
・費用対効果を軽視してはいけない
→日本の人工造成林は費用対効果が著しく悪い
→伐採跡を植林しない天然更新や植林しても自然木の侵入を許すなどへ移行すべき
→50年後のスギ・ヒノキの価値など分からないのだから多様な品揃えにしておくこと
→補助金と事業の硬直化により、この多様性が失われている
・間伐で森林の価値を下げるケースもある
→無間伐のメリット、間伐のデメリット(略)
→価格低下により標準齢で伐採されないことは森林にはいいことだが行政が許さない
→これが森林経営者の自由度を阻害し森林機能と商品価値の低下にも繋がる
・森林を温存し「待ち」に徹すること
→すでに再生された森林を持続させること→商品価値がないなら無理に伐採しない
→森林の温存は様々な国家リスクへの備えになるので、そのための補助金に
→経営者の自由度を尊重し森林の多様性を支援する(利益が見込めれば伐採)
→林道など基盤設備の整備も必要
→国民への教育、技術者や行政官の現場経験の充実も・・・
Part2より
・宮崎市における盗伐の実態
→被害者は全国1000世帯を超え伐採跡では土砂崩れも
→小規模な偽造伐採届が自治体に受理されると、その何十倍も伐採する
→合法伐採でも再造林が進んでいない
・林野庁の「林業の成長産業化」により自給率は増えたが増産要請で盗伐も増えた
→木材総需要は縮んでいる→経済的に林業が成長しているとはいい難い
→安い合板用や燃料用(バイオマス発電用)が増え、製材価格は抑えられている
→中国に輸出されるのは安価な丸太ばかりで「日本の木材は世界一安いから買う」
→木造建築(CLT直交集成板)が推進されているが鉄筋コンクリートより高い→値下げ圧力
→合板用や燃料用は所有者(山元)への還元が少ない用途のため再造林が進まない
→木材利用を推進すればするほど、はげ山が増える構造
・建築材需要の減少は人口減少と高齢化による(住宅着工件数はピーク時の半分)
・この40年間、価格が下がるたびに所有者(山元)の利益を削ることで対応してきた
(ウッドショックで高騰したのは製材価格で原木価格はさほど上がっていない)
→さらにコスト上昇、大量伐採、作業道敷設、危険作業・・・経営の持続が危ない
→今はウッドショック終息により再び山元への値下げ圧力へ
・産出額より補助金の方が多い林業が「成長産業になった」といえるのか
・1990年代から丸太なら国産材の方が外材より安くなったが製材なら逆のケースも多い
→外材は供給量、品質、流通を商社がしっかり管理し商品アイテムも豊富
→国産材は多くの事業者が関わり相互の情報が伝わらず疑心暗鬼、ロスが多く責任も持てない
→乾燥材は国産材出荷量の3割、外材では8割以上→ここでも差がつく
・盗伐、過剰伐採、再造林放棄の問題とは反対の放置林の問題
→相続人不明、名義人多数の共有林、進まない民有林の地籍調査→放置→災害
・目先の都合だけの政策では経営も持続もできず環境保全も不可能・・・
林野庁森林整備部計画課長へのインタビューより
・供給量拡大への取り組み
→戦後や高度成長期に植えた人工林が成熟して利用可能になった
→木材利用はカーボンニュートラルにも貢献すると認識され、需要拡大策も功を奏した
→ただし販売収入が少なく、重労働を要する再造林をしないなど課題も多い
・収支面での取り組み
→高性能機械の導入、労働削減技術の開発実証、花粉量半分で成長1.5倍のエリートツリー
・最終価格の2%しか山元に還元されない仕組みや価格への取り組み
→原木を製材用、合板用、チップ用と仕分けして供給することが重要
→製材技術開発、フル活用に向けた事業者連携、持続可能なサプライチェーンの構築で再造林に
→昨年6月に林業木材産業関係団体が共同で宣言を出した→業界の意識も変わりつつある
・伐採のための補助金のあり方について
→間伐への補助はあるが目的は森林の健全性を保ち公益的機能を発揮させるため
→皆伐への補助はない
→国際商品の価格は海外を含む需給関係で決定されるので補助金の影響はない
→需要無視の伐採は好ましくないので需給情報を公表している
→レーザー航測技術を使って林業適地を見定め関係者で共有することも進めたい
Part3より
・1980年代以降の世界的潮流は「持続可能な森林管理」
→95年のモントリオール・プロセスには日本を含む12ヶ国が参加→日本は逆行している
・戦後の林政の振り返り
→戦争で荒廃した天然林の伐採跡や原野を人工林に置き換える拡大造林政策
→高度成長期には林業振興で森林の公益的機能も発揮できるという「予定調和論」へ
→これには丁寧で集約的な技術が要求されるが外材輸入による価格低迷で技術基盤が崩壊した
→2001年の法改正では「持続可能な森林管理」が検討されたが最終的には予定調和論に
→補助金を投入した工場の大型化の結果、大量安価な供給が必要になった
→2011年には温暖化防止ロジックで短伐期皆伐再造林施策へ→真の目的は大量安価な供給
→2016年には林業の成長産業化
→2021年には「グリーン成長を新しい林業で実現させる」
→転換に見せかけた成長産業化の継承強化で「持続可能な森林管理」とは相反するもの
・森林管理には科学的理論が根底にあるべき
→地域ごとに生産林と環境林に分け目標林型に応じて短伐期皆伐を選択するなら理解できる
→ところが施策は全国一律
・「持続可能な森林管理」を基本にした森林法制への転換が不可欠
→林業は特殊な条件下でしか成り立たないことが前提
→地域(山村)政策、環境政策としてEUの農業政策のような所得補償
(条件不利地域論・デカップリング論の取り込み、入林権の保証など国民的な議論で)
Part4より
・速水林業はFSC森林認証を日本で初めて取得した環境保全型林業
→1070㌶東京ドーム228個分
→最新外国製重機の修理やメンテナンスも自社で行う
→人材、道路網の密度、再造林と育林、苗木が揃わなければ林業は成り立たない
→2010年以降、専業事業者が売却・離脱している
→国の施策(環境保全)で間伐が加速し供給過多で立木価格が大きく低下
→安くても売れるうちに売り、植えなければいいという発想
→今は森林資源が持続できるかどうかの瀬戸際に
→補助金でしか変われない林業から脱却すべき
→誰がどう管理しどう利用されるか分からない数十年、数百年先の理想の森林を思い描き、
そこに向かって今できる限りのことを真面目にやる、それが面白くなければ林業は面白くない
Part5より
・銘建工業は構造用集成材のトップメーカー
→CLT直交集成板を日本に紹介し初めて建築物を建てた→鉄筋コンクリートより軽い
→日本の規制は厳しくコストが高くなり年間使用量は欧州の1/100で工場稼働率は低い
→フィンランドやスウェーデンでは時間をかけたインフラ整備で林業の生産性を上げた
→地元の真庭市にはバイオマス発電所がある
→チップだけでなく街路樹の剪定枝まで集まる仕組みができている
→林業もそれぞれの地域でビジョンを持つことが大事になる
Part6より
・皆伐された山林の7割は木を植えず放置されている
・大分県の佐伯森林組合では100%再造林している
→国・県・市の再造林補助金で88%はカバーできるが残りは関係者の基金で苗の生産も組合
→再造林の直営は15人で請負は115人、請負には年収1000万を超えるメンバーが4,5人いる
→5年間は同じ山を世話するので愛着も責任も感じるし山元も信頼する
→所有形態が細分化しているので結果的に皆伐にならずモザイク状に分散し生態系維持にも
・大分県のうすき林業では混交林の択伐を行っている
→皆伐と再造林の林業を続けるのはきついし自分の代でサイクルが循環しない
→専門家と話して防火帯の雑木を残すと自然に混合林になり択伐方式にしている
→混交林つくりは難しく何を植えて何を伐るか、間伐コントロールなど試行錯誤の連続
→現在はスギとヒノキだけの出材だが、いずれ高価な広葉樹も出したいと商品化を模索中
・所有者不明土地や放棄林の問題→少しずつ進めるしかない
→相続時不動産登記の義務化と国庫帰属制度
→植林育林会社や木材会社による買取サービスなど
・林業に重要なのは時間感覚
→一般の経済活動とは異なるスパンが必要
→吉野の山林王・土倉庄三郎のような思慮と覚悟で林業が展開されることを願う・・・
Part7より
・伊佐ホームズは2017年に森林パートナーズを設立した
→住宅を建てる際のサプライチェーンを構成する事業者が株主となり出資・参画する
→流通連携による林業の収益化
→透明性の確保→信頼関係→付加価値→山元にも還元→森林を守り続ける
→工務店が山元から直接購入→詳細な木材情報を事業者全体で共有
→全てのデータがオープンなのでコスト・納期・在庫などが明確になりメリットが多い
→事業者間の透明性と信頼関係は住宅購入者にも大きな価値となる
・大型パネル工法
→1980年に93万人だった大工は2020年には30万人に、しかも60歳以上が40%を超えた
→耐震性や防火性、調湿性などの性能強化で建築部品の複雑化・重量化も進んだ
→大工の労働時間の半分以上は梱包外し、採寸、仕分けなどで現場作業は危険も多い
→大型パネルなら本来の仕事である造作や仕上げに集中でき人手不足解消にもなる
・大型パネル工法開発者の話
→いかに森林資源と生活者、需要があるエリアと供給可能なエリアを最適な線で結べるか
→究極には林業をクラスター(圧縮統合)させ地域ごとのサプライチェーンを多数構築すること
→大規模化などの成長一辺倒ではなく、徹底的に持続することを目指す
→着実な持続こそ、結果として大成長につながる
さらに・・・
→これまでの木材はエンジンだけで売ってきたようなもの
→付加価値をつけて自動車として売ること
→我々は良質な木材を使いサッシや断熱材も付けた大型パネルという建築物として売っている
→生活者目線で主語を木材ではなく建築にし生活産業の一員として事業を行っている
云々・・・
と、確かに改革者の動きも一部にはあるようですが・・・
さてさて、部外者にできることはなんでしょう・・・
ええ、

月刊誌「Wedgeウェッジ」2023年6月号の特集記事であります
この特集部分の目次のみ

例によって、てきとーな読後メモで思い違いもあり、図表なども一切紹介してませんので、
興味を持たれた方は本書をしっかり読んでくださいね
まずは編集部による現状つーか問題提起より
・4/14の花粉症に関する関係閣僚会議でスギの伐採加速化も掲げられた
(日本の林業・林政はこうした政治発言に左右されてきた歴史がある)
→林業の成長産業化+カーボンニュートラルの潮流
・生産量や自給率など統計上の数値は改善しているが現場は全く違う
→成長産業化の結果は供給過多による価格低下→資金不足で3割しか再造林できていない
→総額3000億の補助金の活用方法の再検討が必要→今は補助金獲得自体が目的になっている
・目先の成長を追い求め「持続可能な森林管理」に逆行している
→まさに「木を見て森を見ず」そのものの林政
・現場では森林所有者、森林組合、製材加工業者などに新しい取り組みを始める改革者もいる
・瀕死の林業を再生する処方箋とは・・・
Part1より
・森林の持つ防災機能からも森林再生がいわれるが異常降雨時には森林も被害者になる
→日本の森林再生はすでに達成している
→いっぽうで日本の林業は受け皿がなく瀕死の状態にある
→林業再生は矛盾だらけで行政優先・机上論理優先で科学や技術は軽視
・費用対効果を軽視してはいけない
→日本の人工造成林は費用対効果が著しく悪い
→伐採跡を植林しない天然更新や植林しても自然木の侵入を許すなどへ移行すべき
→50年後のスギ・ヒノキの価値など分からないのだから多様な品揃えにしておくこと
→補助金と事業の硬直化により、この多様性が失われている
・間伐で森林の価値を下げるケースもある
→無間伐のメリット、間伐のデメリット(略)
→価格低下により標準齢で伐採されないことは森林にはいいことだが行政が許さない
→これが森林経営者の自由度を阻害し森林機能と商品価値の低下にも繋がる
・森林を温存し「待ち」に徹すること
→すでに再生された森林を持続させること→商品価値がないなら無理に伐採しない
→森林の温存は様々な国家リスクへの備えになるので、そのための補助金に
→経営者の自由度を尊重し森林の多様性を支援する(利益が見込めれば伐採)
→林道など基盤設備の整備も必要
→国民への教育、技術者や行政官の現場経験の充実も・・・
Part2より
・宮崎市における盗伐の実態
→被害者は全国1000世帯を超え伐採跡では土砂崩れも
→小規模な偽造伐採届が自治体に受理されると、その何十倍も伐採する
→合法伐採でも再造林が進んでいない
・林野庁の「林業の成長産業化」により自給率は増えたが増産要請で盗伐も増えた
→木材総需要は縮んでいる→経済的に林業が成長しているとはいい難い
→安い合板用や燃料用(バイオマス発電用)が増え、製材価格は抑えられている
→中国に輸出されるのは安価な丸太ばかりで「日本の木材は世界一安いから買う」
→木造建築(CLT直交集成板)が推進されているが鉄筋コンクリートより高い→値下げ圧力
→合板用や燃料用は所有者(山元)への還元が少ない用途のため再造林が進まない
→木材利用を推進すればするほど、はげ山が増える構造
・建築材需要の減少は人口減少と高齢化による(住宅着工件数はピーク時の半分)
・この40年間、価格が下がるたびに所有者(山元)の利益を削ることで対応してきた
(ウッドショックで高騰したのは製材価格で原木価格はさほど上がっていない)
→さらにコスト上昇、大量伐採、作業道敷設、危険作業・・・経営の持続が危ない
→今はウッドショック終息により再び山元への値下げ圧力へ
・産出額より補助金の方が多い林業が「成長産業になった」といえるのか
・1990年代から丸太なら国産材の方が外材より安くなったが製材なら逆のケースも多い
→外材は供給量、品質、流通を商社がしっかり管理し商品アイテムも豊富
→国産材は多くの事業者が関わり相互の情報が伝わらず疑心暗鬼、ロスが多く責任も持てない
→乾燥材は国産材出荷量の3割、外材では8割以上→ここでも差がつく
・盗伐、過剰伐採、再造林放棄の問題とは反対の放置林の問題
→相続人不明、名義人多数の共有林、進まない民有林の地籍調査→放置→災害
・目先の都合だけの政策では経営も持続もできず環境保全も不可能・・・
林野庁森林整備部計画課長へのインタビューより
・供給量拡大への取り組み
→戦後や高度成長期に植えた人工林が成熟して利用可能になった
→木材利用はカーボンニュートラルにも貢献すると認識され、需要拡大策も功を奏した
→ただし販売収入が少なく、重労働を要する再造林をしないなど課題も多い
・収支面での取り組み
→高性能機械の導入、労働削減技術の開発実証、花粉量半分で成長1.5倍のエリートツリー
・最終価格の2%しか山元に還元されない仕組みや価格への取り組み
→原木を製材用、合板用、チップ用と仕分けして供給することが重要
→製材技術開発、フル活用に向けた事業者連携、持続可能なサプライチェーンの構築で再造林に
→昨年6月に林業木材産業関係団体が共同で宣言を出した→業界の意識も変わりつつある
・伐採のための補助金のあり方について
→間伐への補助はあるが目的は森林の健全性を保ち公益的機能を発揮させるため
→皆伐への補助はない
→国際商品の価格は海外を含む需給関係で決定されるので補助金の影響はない
→需要無視の伐採は好ましくないので需給情報を公表している
→レーザー航測技術を使って林業適地を見定め関係者で共有することも進めたい
Part3より
・1980年代以降の世界的潮流は「持続可能な森林管理」
→95年のモントリオール・プロセスには日本を含む12ヶ国が参加→日本は逆行している
・戦後の林政の振り返り
→戦争で荒廃した天然林の伐採跡や原野を人工林に置き換える拡大造林政策
→高度成長期には林業振興で森林の公益的機能も発揮できるという「予定調和論」へ
→これには丁寧で集約的な技術が要求されるが外材輸入による価格低迷で技術基盤が崩壊した
→2001年の法改正では「持続可能な森林管理」が検討されたが最終的には予定調和論に
→補助金を投入した工場の大型化の結果、大量安価な供給が必要になった
→2011年には温暖化防止ロジックで短伐期皆伐再造林施策へ→真の目的は大量安価な供給
→2016年には林業の成長産業化
→2021年には「グリーン成長を新しい林業で実現させる」
→転換に見せかけた成長産業化の継承強化で「持続可能な森林管理」とは相反するもの
・森林管理には科学的理論が根底にあるべき
→地域ごとに生産林と環境林に分け目標林型に応じて短伐期皆伐を選択するなら理解できる
→ところが施策は全国一律
・「持続可能な森林管理」を基本にした森林法制への転換が不可欠
→林業は特殊な条件下でしか成り立たないことが前提
→地域(山村)政策、環境政策としてEUの農業政策のような所得補償
(条件不利地域論・デカップリング論の取り込み、入林権の保証など国民的な議論で)
Part4より
・速水林業はFSC森林認証を日本で初めて取得した環境保全型林業
→1070㌶東京ドーム228個分
→最新外国製重機の修理やメンテナンスも自社で行う
→人材、道路網の密度、再造林と育林、苗木が揃わなければ林業は成り立たない
→2010年以降、専業事業者が売却・離脱している
→国の施策(環境保全)で間伐が加速し供給過多で立木価格が大きく低下
→安くても売れるうちに売り、植えなければいいという発想
→今は森林資源が持続できるかどうかの瀬戸際に
→補助金でしか変われない林業から脱却すべき
→誰がどう管理しどう利用されるか分からない数十年、数百年先の理想の森林を思い描き、
そこに向かって今できる限りのことを真面目にやる、それが面白くなければ林業は面白くない
Part5より
・銘建工業は構造用集成材のトップメーカー
→CLT直交集成板を日本に紹介し初めて建築物を建てた→鉄筋コンクリートより軽い
→日本の規制は厳しくコストが高くなり年間使用量は欧州の1/100で工場稼働率は低い
→フィンランドやスウェーデンでは時間をかけたインフラ整備で林業の生産性を上げた
→地元の真庭市にはバイオマス発電所がある
→チップだけでなく街路樹の剪定枝まで集まる仕組みができている
→林業もそれぞれの地域でビジョンを持つことが大事になる
Part6より
・皆伐された山林の7割は木を植えず放置されている
・大分県の佐伯森林組合では100%再造林している
→国・県・市の再造林補助金で88%はカバーできるが残りは関係者の基金で苗の生産も組合
→再造林の直営は15人で請負は115人、請負には年収1000万を超えるメンバーが4,5人いる
→5年間は同じ山を世話するので愛着も責任も感じるし山元も信頼する
→所有形態が細分化しているので結果的に皆伐にならずモザイク状に分散し生態系維持にも
・大分県のうすき林業では混交林の択伐を行っている
→皆伐と再造林の林業を続けるのはきついし自分の代でサイクルが循環しない
→専門家と話して防火帯の雑木を残すと自然に混合林になり択伐方式にしている
→混交林つくりは難しく何を植えて何を伐るか、間伐コントロールなど試行錯誤の連続
→現在はスギとヒノキだけの出材だが、いずれ高価な広葉樹も出したいと商品化を模索中
・所有者不明土地や放棄林の問題→少しずつ進めるしかない
→相続時不動産登記の義務化と国庫帰属制度
→植林育林会社や木材会社による買取サービスなど
・林業に重要なのは時間感覚
→一般の経済活動とは異なるスパンが必要
→吉野の山林王・土倉庄三郎のような思慮と覚悟で林業が展開されることを願う・・・
Part7より
・伊佐ホームズは2017年に森林パートナーズを設立した
→住宅を建てる際のサプライチェーンを構成する事業者が株主となり出資・参画する
→流通連携による林業の収益化
→透明性の確保→信頼関係→付加価値→山元にも還元→森林を守り続ける
→工務店が山元から直接購入→詳細な木材情報を事業者全体で共有
→全てのデータがオープンなのでコスト・納期・在庫などが明確になりメリットが多い
→事業者間の透明性と信頼関係は住宅購入者にも大きな価値となる
・大型パネル工法
→1980年に93万人だった大工は2020年には30万人に、しかも60歳以上が40%を超えた
→耐震性や防火性、調湿性などの性能強化で建築部品の複雑化・重量化も進んだ
→大工の労働時間の半分以上は梱包外し、採寸、仕分けなどで現場作業は危険も多い
→大型パネルなら本来の仕事である造作や仕上げに集中でき人手不足解消にもなる
・大型パネル工法開発者の話
→いかに森林資源と生活者、需要があるエリアと供給可能なエリアを最適な線で結べるか
→究極には林業をクラスター(圧縮統合)させ地域ごとのサプライチェーンを多数構築すること
→大規模化などの成長一辺倒ではなく、徹底的に持続することを目指す
→着実な持続こそ、結果として大成長につながる
さらに・・・
→これまでの木材はエンジンだけで売ってきたようなもの
→付加価値をつけて自動車として売ること
→我々は良質な木材を使いサッシや断熱材も付けた大型パネルという建築物として売っている
→生活者目線で主語を木材ではなく建築にし生活産業の一員として事業を行っている
云々・・・
と、確かに改革者の動きも一部にはあるようですが・・・
さてさて、部外者にできることはなんでしょう・・・
2023年05月12日
フラッシュ光・2023ボルネオツアーの公式?案内
(本記事は期間限定のお知らせです)
とーとつですが・・・



フラッシュ光・2023ボルネオツアーの公式?案内であります
こちらの記事末尾でも日程は紹介しましたが、現時点での2023ツアー概要とご案内です
航空便の予約状況が逼迫してますので参加希望者は早めの連絡をお願いします
①スケジュール(出発まで順次更新しています)
(関西空港発着の場合7泊9日うち平日は4日間で、日本のサラリーマンには優しい選択ですよ
)
10月27日(金)
とーとつですが・・・



フラッシュ光・2023ボルネオツアーの公式?案内であります
こちらの記事末尾でも日程は紹介しましたが、現時点での2023ツアー概要とご案内です
航空便の予約状況が逼迫してますので参加希望者は早めの連絡をお願いします
①スケジュール(出発まで順次更新しています)
(関西空港発着の場合7泊9日うち平日は4日間で、日本のサラリーマンには優しい選択ですよ

10月27日(金)
23:25関西空港発(往復ともシンガポール航空を利用予定)
10月28日(土)
10月28日(土)
04:40チャンギ空港着06:40発 08:10クチン空港着
ホテルへチェックイン休憩、屋台で昼食後、全面改装されたボルネオ文化博物館へ
スーパーなどに立ち寄り、夕食は海鮮料理の屋台街
<クチンのホテル泊>
10月29日(日)
ホテルにて朝食後チェックアウト、クチン空港へ
10:55クチン空港発12:35ムル空港着、ムル国立公園へ。約3.4㎞の木道をハイキング
ディア・ケイブ
とラング・ケイブ
の見学+コウモリの群れの見学


公園内食堂にて夕食後、ナイト・ウォーク

<グヌン・ムル国立公園の宿泊所泊>
10月30日(月)
公園内食堂にて朝食後にボートで移動、プナン族の村訪問、
ウィンド・ケイブ
とクリアーウォータ―ケイブ
の見学、ピクニックランチの昼食
ウィンド・ケイブ


ボートで戻る途中、元気のある方は約3kmのハイキング
公園内食堂にて夕食後、ナイト・ウォーク

<グヌン・ムル国立公園の宿泊所泊>
10月31日(火)
公園内食堂にて朝食、出発まで自由行動(近隣の熱帯雨林を散策)
チェックアウト後、ムル空港へ。昼食はムル空港近くの食堂にて。
13:30ムル空港発15:10クチン空港着、いったんホテルへ
スーパーなどに立ち寄り、夕食はスチームボート
<クチンのホテル泊>
11月1日(水)
ホテルにて朝食後、サバル森林保護区にある過去の植林地見学、記念植樹
昼食は弁当、夕食はローカル料理
夕食後、クバ国立公園カエル池ナイトツアー
<クチンのホテル泊>
11月2日(木)
ホテルにて朝食後、サバル森林保護区にある過去の植林地見学、記念植樹
昼食は弁当、夕食はローカル料理
夕食後、クバ国立公園カエル池ナイトツアー

<クチンのホテル泊>
11月2日(木)
ホテルにて朝食後、ボルネオのジュラシックパークと呼ばれるベンゴー地区へ
(車両とボートで移動。インドネシアとの国境を跨ぐクレーター状の山脈に囲まれた湖)
(車両とボートで移動。インドネシアとの国境を跨ぐクレーター状の山脈に囲まれた湖)
滝の傍でビダユ族スタイルのお弁当の昼食。
その後、さらに奥のアナ・ライス村でホームステイ。
サラワク川源流には温泉もあります。夕食は伝統料理。
<ビダユ族のロングハウス泊>
11月3日(金・祝)
ロングハウスにて朝食後、人々の生活や畑などを見学し早めに出発。
屋台で昼食後、Fairy & Wind Cave へ
屋台で昼食後、Fairy & Wind Cave へ

ラフレシアが咲いていればグヌン・ガディン国立公園へ
夕方クチン郊外の週末のみに開催されるシニアワンのナイト・バザールへ
ウツボカズラ飯など含めクチン中のいろんな食べ物が並びます。ホテルにチェックイン。
<クチンのホテル泊>
11月4日(土)
ホテルにて朝食後、ホテルをチェックアウト
09:30クチン空港発 11:00チャンギ空港着14:05発 21:10関西空港着、解散
②概算費用など(出発まで順次更新しています)
・関空⇔クチン往復、現地での移動、宿泊、食事等を含み5月12日時点で27万ぐらい
・現地クチンでの集合解散も可能、その場合は半額ぐらいになります
・別途、個人の酒代・土産物代・旅行保険代等が必要(安全な飲み水は用意します)
・クチンでのホテル4泊は基本2人1室ですが、割増料金により1人1室も可能
・ムル国立公園の宿泊所2泊は男女別各4人部屋、ビダユ族の村ホームステイ1泊は全員で
大部屋に近い状態になります
③参加人数・参加方法・申込期限など
・5月末時点で確定している参加者は7名で今回は8名のツアーにしたいと考えています
・予約申込時期により航空運賃は変わります(満席で予約できない場合もあります)
・参加を希望される方はコメント欄やDMなどで早めの連絡をお願いします
(こちらから申込方法など詳細をお知らせします)
つーことで・・・
秋にはボルネオの洞窟や熱帯雨林でライト照射を楽しみましょう!!!
2023年04月28日
人類学者K
人類学者K・・・

ロスト・イン・ザ・フォレストとゆー本のご紹介であります
前回記事のとおり自宅療養中なので、じっくりと読ませていただきました
表紙カバー裏にあった惹句

裏表紙カバー裏にあった著者紹介

奥付

目次

舞台となるマレーシア・ボルネオ島・サラワク州北東部の略図
(掲載に問題があれば削除します)

そう、わたくしが2017年の植林ツアーでメリナウ川の居住地を訪れたプナンの人たちの中でも
さらに奥地のブラガ川上流域に暮らす人たちを中心に、その暮らしぶりや世界観を長年にわたり
調査研究されている奥野克巳教授(人類学者K)の体験記です
(ちなみにサラワク州クチン在住のN嶋さんによると、メリナウ川の居住地のプナンの人たちは、
1970年代の英国地質学会のムル洞窟調査時にポーターなどとして雇われたことがきっかけで、
周辺に住むようになり、その後、政府支援の定住化政策でロングハウス建設や農業指導などが
行われたとのことでした。情報ありがとうございました)
上記リンク記事にも書きましたが、ボルネオ島の熱帯雨林では川沿いの焼畑や漁労で暮らす
川の人(オラン・スンガイ)と、森で暮らす森の人(オラン・ウータン)以外にも、少数ですが
森を移動して狩猟採集で暮らしていた人たちもいて、そのひとつがプナンの人たち・・・
定住するまでのプナンの暮らしについて、はじめて知ることも多く、驚きの連続でしたが、
惹句にもあるとおり小説のような体験記で、読み物としても面白かったです
箸休めのインタールードも、ジャカルタの安宿で飲み続けたフレディ・マーキュリーの曲に
出てくるシャンパン
、別れた彼女に書き続けたクリフォード・ブラウンやカミュ、ゴダール
、
自分がバックパッカーになるきっかけになった美人生物教師の厚い唇
など、興味津々でした
以下、わたくしが詳しく知らなかった部分のみの読後メモです
・ボルネオ島低地の混交フタバガキ林は、林床の草本層、花を咲かせる低木層、10m以上の
亜高木層、林冠を形成する高木層、60~70mに達する突出木層から構成される「空中の階層」
→上空から階層の高所を訪れる「トリたち」、地面から樹上まで階層を上下する「サルたち」、
高所で行われていることを地上から想像する人間、の三者で織りなされる森の世界
・ブラガ川上流域の森に住む狩猟採集民プナンはその世界を手に取るように眺めている
→Kは驚くべきことだと思った
・プナンは焼畑耕作民イバンとはまったく異なる独自の世界観を持っている
→狩りで死んだ動物には人間には使わない忌み名を使う
→彼らにサルという分類言語はなくマメジカやヒゲイノシシと同じ「動物」のみ
→フタバガキ林に住むサル5種は判別するが木に登る動物という共通性を感じているのは確か
・オオミツバチが来たら(開花・結実で動物が集まるので)狩猟の準備を始める
→ボルネオでは開花・結実の季節性がなく特定の場所で一斉に開花・結実するから
・1980年代の初頭までノマド(移動狩猟採集民)として暮らしてきた
・死者が出るとその場所に埋めて移動し、生前に使っていたものは焼き尽くす
(定住後でも死者の愛用品は全て取り去られ、居場所は完全に模様替えされていた)
→死者の実在も生前の実存もすべて否定する
→死者を祖先として祀る日本人とはまったく逆の習慣
→死者の名は決して口にしない
→死者の家族は自分たちの名前も一時的に変えて心を落ち着かせる
→体、魂、名の三要素を持つのは生身の人間と犬だけ(カミに体はなく赤ん坊に名はない)
・死者を思い出し耐えられなくなったときにノーズフルート(鼻笛)を奏でる
→鼻からの息の出し入れによる音色は死者と生者の交歓そのもの
→ノーズフルート(鼻笛)は死者と生者を繋げるシャーマン
・無文字社会で伝承されない過去は儚く消えていく→過去に深度はない
→過去を振り返らない→過去の過失に対する反省も謝罪もない
(森林伐採の賠償金を頭金にローンで買った四輪駆動車と、それで獲ったヒゲイノシシと、
その肉を町に売りに行った収入の関係などなど・・・)
・狩猟や用事での失敗も、その後の話し合いで個人を追及したり庇ったりすることは一切なく、
あまり期待できないと思われる適当な善後策が立てられるだけ
→Kの育った日本にも反省しない腹立たしい人はいたが、共同体として反省しない事態はなかった
・人類にとって反省する文化の誕生の意味とは・・・
→プナンの過去の描き方は絶対的な時間軸ではなく相対的な位置づけ
→それなら過去の行いを振り返って反省することが存在しないのも当たり前か・・・
・プナンの子どもたちに将来の夢や仕事を聞いても、誰も意味が分からず答えられない
→未来にも時間軸を伸ばし将来の自分を想像することは及びもつかないこと
→プナンにとっては過去と同じく未来もつかみどころのないもの
→未来への漠然とした不安のようなものはプナンにもあるが、未来を描くのは個人の意思
→ありのままの時間性を歪めることによってしか未来は想像し得ないから
・プナンの時間性は、季節性の希薄なボルネオ島の熱帯雨林の中を移動するという、
狩猟採集での暮らしによるもの(ブラガ川上流域では1980年代初頭まで)
→生きるうえで時間や暦で生活リズムを管理する必要がなく今日でもカレンダーはない
(Kの予定を書いた卓上カレンダーをはじめて見たプナンの反応は「明日や明後日の手紙」)
→農耕や牧畜では将来の作業に向け時間や暦が必要だがプナンに未来を分かる必要はない
(3日後に再会する約束をした場合は、お互いに枝に結び目を3つ作って毎朝それを解く)
・プナン語でも昔の時(過去)、この時(現在)という表現はあるが、未来は「もし(ダウン)」
→ダウンはマレー語でも名詞「葉っぱ」も意味し、プナン語では「季節」も意味する
→プナンにとっての季節とは不定場所での開花結実の時期で、森が楽園になる時期
→いつどうなるかわからない季節性の象徴である「葉っぱ」で未来をあらわす
→プナンに未来は予期されないし思考の対象でもなく「今とここ」を生きている
・タソン川河口のアブラヤシ・プランテーションで狩猟キャンプした際の現代人とプナンの対比
→毎日の賃金労働で収穫に来る人々と、食べ物が手に入れば後はぶらぶらと過ごす人々
→動き回って富を生み出し、その一部を手に入れる人たちと、自然の中に入り食べ物を取って、
それだけで生きていこうとする人たち
→未来を自らの意思で想像し行動する人たちと、ありのままの時間の中を生きる人たち
→Kはここでは後者のプナン側にいたが、本質的には前者側の現代人
→二者それぞれの生きざま死にざまは、それぞれの時間性に大きく関わっている
・狩猟キャンプでの夜の子どもたちへの語り聞かせ
→動物に託して人間の性格を語ることが多い
・プナンにも個人所有欲があるが生きていくための社会慣習として平等に分け与えている
→最初はKがよそ者だから何でもねだられると思ってたがプナン同士でも同じだった
→無所有が絶対的価値で、持つ者にねだるプナンと分け与えるプナンに分かれる
→分け与えられても(過去になるから?無所有が基本だから?)感謝は一切ない
→悪いヤマアラシ(自分だけ金持ちに)と良いマレーグマ(尻尾を分け与えた)のハナシ
・プナン語の懐中電灯pisit
などはマレー語からの借用語だろうが「損得」も外来語だろう
→損得はシェア原理で暮らす中にはなく、交換行為、蓄え、貨幣価値で発生するもの
→銃による猟に失敗すれば「銃弾(1発15リンギット450円!!!)を損した」というが、吹き矢猟で
失敗しても「毒矢を損した」とはいわない
→毒矢の材料が全て森にあるので損得勘定が入る余地がないから・・・
(材料は無料でも、それを探して作る手間はかかるので、銃弾と同じく毒矢も損しているはず、
と思ったわたくしは現代人で、手間に要する時間を食べるために働く労働時間と認識したから、
でも労働時間という感覚がなければ現代人の趣味や娯楽の時間と同じで損得はないのか
)
→糧と財が無尽蔵に出てくる森は、プナンにとって損得で計られるものではない
・フィールドワークで聞き取ったプナンの神話や動物譚は100近くある
→カメとマメジカ、貝とマメジカの競争の話→集団は個に勝るという集団優先の話?
→マメジカとマレーグマの競争の話→別の機会には狡知に長けたマメジカが勝つこともある
・人間と動物の地上世界と、動物(の魂?)とカミの天空世界の二層構造
→動物を食べる以外でないがしろにすれば、その魂の告げ口により地上は嵐になる
→動物を食べて生きるプナンは不完全なアミニズムを生きる
・40年前までにノマドを経験したプナンは、概して今の定住暮らしのほうがいいというが、
インスタントラーメンや缶詰で太って病気で死ぬようになったので森に戻るべきとも
・レプトスピラ症(感染した齧歯類の尿を含む川の水などから経口経皮感染する)
→2008年のサバ州エコチャレンジで感染が報告されたが選手は川で水浴びしただけだった
→死亡報告はないが感染リスクがある旅では予防薬ドキシサイクリン200mgを週1回服用する
→この年はサラワク州でも流行していてKも感染した
→アレクサンダー・フレミングのペニシリン!!!で助かったが予防は迂闊だった
→流行地域では不用意に水に入らない、特に洪水の後は入らないことが重要とされている
・コロナ禍で半年ごとの訪問を中止していたが2022年8月に3年ぶりに現地に行った
→1年前から世界的に豚熱ウィルスも流行し現地のヒゲイノシシが死滅していた
→1年前から無料の電気とWiFiが来たがネット情報ではなく日本のエロ動画ばかり見てた
→2021年8月にはクラスターが発生、医師の指示で政府の支援物資を持って森に逃げ込んだ
・アブラヤシ企業の計らいで300人の居住地に10台ほどの四輪駆動車が並んでたのが衝撃的だった
→企業が保証人になり所有者はプランテーションに働きに出るプナンから乗車賃を取って、
毎月のローン返済の一部に充てていた
→以前は賠償金の支払いをビールや生活必需品に消費するだけだったが、プナンを労働者として
組織する方が遠くからの労働者より効率的だと考えたのかも知れない
・車で賃金労働に通い、WiFiでスマホのやりとりをはじめたプナンは今後どうなるか
→プナンの持つ独自の野生思考ロジックで外部のシステムを粉々に破壊するだろうか
→解体して自分たちに合うよう再構築するのがけっこううまいが、今後は誰にも分らない・・・
(エピローグ ロスト・イン・ザ・フォレストより)
・ある時、ジュラロン川のプナンの村に向かった
→アブラヤシの苗や稲がヒゲイノシシに荒らされる獣害が農村でも深刻化していた
(ムスリムへの改宗でヒゲイノシシを食べなくなったから?)
→2年前に焼失したロングハウスは、殆どが都市に働きに出てゴースト・ビレッジ化していた
→ジュラロン川のプナンは古くにウスン・アパウの森を出て焼畑技術を身につけており、
焼畑稲作民イバンとも交わり、近現代の流れに乗っている
(周辺に獣害や出稼ぎ先のないブラガ川上流域のプナンとは異なっている)
→しかしキリスト教やムスリムに改宗していてもカミや動物の忌み名などは同じだった
・狩猟キャンプで忘れ物に気づき取りに行って帰る途中で道に迷った
→4時間近く森をさまよい歩いて自分を見失い、身体中が擦り傷と打撲だらけになった
→最後は借りていたGPSのログ記録とプナンが探しに来てくれたおかげで助かった
→その夜、道に迷うことはよくあることで邪悪な霊のせいだといわれた
これがロスト・イン・ザ・フォレスト・・・

ロスト・イン・ザ・フォレストとゆー本のご紹介であります
前回記事のとおり自宅療養中なので、じっくりと読ませていただきました

表紙カバー裏にあった惹句

裏表紙カバー裏にあった著者紹介

奥付

目次

舞台となるマレーシア・ボルネオ島・サラワク州北東部の略図
(掲載に問題があれば削除します)

そう、わたくしが2017年の植林ツアーでメリナウ川の居住地を訪れたプナンの人たちの中でも
さらに奥地のブラガ川上流域に暮らす人たちを中心に、その暮らしぶりや世界観を長年にわたり
調査研究されている奥野克巳教授(人類学者K)の体験記です
(ちなみにサラワク州クチン在住のN嶋さんによると、メリナウ川の居住地のプナンの人たちは、
1970年代の英国地質学会のムル洞窟調査時にポーターなどとして雇われたことがきっかけで、
周辺に住むようになり、その後、政府支援の定住化政策でロングハウス建設や農業指導などが
行われたとのことでした。情報ありがとうございました)
上記リンク記事にも書きましたが、ボルネオ島の熱帯雨林では川沿いの焼畑や漁労で暮らす
川の人(オラン・スンガイ)と、森で暮らす森の人(オラン・ウータン)以外にも、少数ですが
森を移動して狩猟採集で暮らしていた人たちもいて、そのひとつがプナンの人たち・・・
定住するまでのプナンの暮らしについて、はじめて知ることも多く、驚きの連続でしたが、
惹句にもあるとおり小説のような体験記で、読み物としても面白かったです
箸休めのインタールードも、ジャカルタの安宿で飲み続けたフレディ・マーキュリーの曲に
出てくるシャンパン


自分がバックパッカーになるきっかけになった美人生物教師の厚い唇

以下、わたくしが詳しく知らなかった部分のみの読後メモです
・ボルネオ島低地の混交フタバガキ林は、林床の草本層、花を咲かせる低木層、10m以上の
亜高木層、林冠を形成する高木層、60~70mに達する突出木層から構成される「空中の階層」
→上空から階層の高所を訪れる「トリたち」、地面から樹上まで階層を上下する「サルたち」、
高所で行われていることを地上から想像する人間、の三者で織りなされる森の世界
・ブラガ川上流域の森に住む狩猟採集民プナンはその世界を手に取るように眺めている
→Kは驚くべきことだと思った
・プナンは焼畑耕作民イバンとはまったく異なる独自の世界観を持っている
→狩りで死んだ動物には人間には使わない忌み名を使う
→彼らにサルという分類言語はなくマメジカやヒゲイノシシと同じ「動物」のみ
→フタバガキ林に住むサル5種は判別するが木に登る動物という共通性を感じているのは確か
・オオミツバチが来たら(開花・結実で動物が集まるので)狩猟の準備を始める
→ボルネオでは開花・結実の季節性がなく特定の場所で一斉に開花・結実するから
・1980年代の初頭までノマド(移動狩猟採集民)として暮らしてきた
・死者が出るとその場所に埋めて移動し、生前に使っていたものは焼き尽くす
(定住後でも死者の愛用品は全て取り去られ、居場所は完全に模様替えされていた)
→死者の実在も生前の実存もすべて否定する
→死者を祖先として祀る日本人とはまったく逆の習慣
→死者の名は決して口にしない
→死者の家族は自分たちの名前も一時的に変えて心を落ち着かせる
→体、魂、名の三要素を持つのは生身の人間と犬だけ(カミに体はなく赤ん坊に名はない)
・死者を思い出し耐えられなくなったときにノーズフルート(鼻笛)を奏でる
→鼻からの息の出し入れによる音色は死者と生者の交歓そのもの
→ノーズフルート(鼻笛)は死者と生者を繋げるシャーマン
・無文字社会で伝承されない過去は儚く消えていく→過去に深度はない
→過去を振り返らない→過去の過失に対する反省も謝罪もない
(森林伐採の賠償金を頭金にローンで買った四輪駆動車と、それで獲ったヒゲイノシシと、
その肉を町に売りに行った収入の関係などなど・・・)
・狩猟や用事での失敗も、その後の話し合いで個人を追及したり庇ったりすることは一切なく、
あまり期待できないと思われる適当な善後策が立てられるだけ
→Kの育った日本にも反省しない腹立たしい人はいたが、共同体として反省しない事態はなかった
・人類にとって反省する文化の誕生の意味とは・・・
→プナンの過去の描き方は絶対的な時間軸ではなく相対的な位置づけ
→それなら過去の行いを振り返って反省することが存在しないのも当たり前か・・・
・プナンの子どもたちに将来の夢や仕事を聞いても、誰も意味が分からず答えられない
→未来にも時間軸を伸ばし将来の自分を想像することは及びもつかないこと
→プナンにとっては過去と同じく未来もつかみどころのないもの
→未来への漠然とした不安のようなものはプナンにもあるが、未来を描くのは個人の意思
→ありのままの時間性を歪めることによってしか未来は想像し得ないから
・プナンの時間性は、季節性の希薄なボルネオ島の熱帯雨林の中を移動するという、
狩猟採集での暮らしによるもの(ブラガ川上流域では1980年代初頭まで)
→生きるうえで時間や暦で生活リズムを管理する必要がなく今日でもカレンダーはない
(Kの予定を書いた卓上カレンダーをはじめて見たプナンの反応は「明日や明後日の手紙」)
→農耕や牧畜では将来の作業に向け時間や暦が必要だがプナンに未来を分かる必要はない
(3日後に再会する約束をした場合は、お互いに枝に結び目を3つ作って毎朝それを解く)
・プナン語でも昔の時(過去)、この時(現在)という表現はあるが、未来は「もし(ダウン)」
→ダウンはマレー語でも名詞「葉っぱ」も意味し、プナン語では「季節」も意味する
→プナンにとっての季節とは不定場所での開花結実の時期で、森が楽園になる時期
→いつどうなるかわからない季節性の象徴である「葉っぱ」で未来をあらわす
→プナンに未来は予期されないし思考の対象でもなく「今とここ」を生きている
・タソン川河口のアブラヤシ・プランテーションで狩猟キャンプした際の現代人とプナンの対比
→毎日の賃金労働で収穫に来る人々と、食べ物が手に入れば後はぶらぶらと過ごす人々
→動き回って富を生み出し、その一部を手に入れる人たちと、自然の中に入り食べ物を取って、
それだけで生きていこうとする人たち
→未来を自らの意思で想像し行動する人たちと、ありのままの時間の中を生きる人たち
→Kはここでは後者のプナン側にいたが、本質的には前者側の現代人
→二者それぞれの生きざま死にざまは、それぞれの時間性に大きく関わっている
・狩猟キャンプでの夜の子どもたちへの語り聞かせ
→動物に託して人間の性格を語ることが多い
・プナンにも個人所有欲があるが生きていくための社会慣習として平等に分け与えている
→最初はKがよそ者だから何でもねだられると思ってたがプナン同士でも同じだった
→無所有が絶対的価値で、持つ者にねだるプナンと分け与えるプナンに分かれる
→分け与えられても(過去になるから?無所有が基本だから?)感謝は一切ない
→悪いヤマアラシ(自分だけ金持ちに)と良いマレーグマ(尻尾を分け与えた)のハナシ
・プナン語の懐中電灯pisit

→損得はシェア原理で暮らす中にはなく、交換行為、蓄え、貨幣価値で発生するもの
→銃による猟に失敗すれば「銃弾(1発15リンギット450円!!!)を損した」というが、吹き矢猟で
失敗しても「毒矢を損した」とはいわない
→毒矢の材料が全て森にあるので損得勘定が入る余地がないから・・・
(材料は無料でも、それを探して作る手間はかかるので、銃弾と同じく毒矢も損しているはず、
と思ったわたくしは現代人で、手間に要する時間を食べるために働く労働時間と認識したから、
でも労働時間という感覚がなければ現代人の趣味や娯楽の時間と同じで損得はないのか

→糧と財が無尽蔵に出てくる森は、プナンにとって損得で計られるものではない
・フィールドワークで聞き取ったプナンの神話や動物譚は100近くある
→カメとマメジカ、貝とマメジカの競争の話→集団は個に勝るという集団優先の話?
→マメジカとマレーグマの競争の話→別の機会には狡知に長けたマメジカが勝つこともある
・人間と動物の地上世界と、動物(の魂?)とカミの天空世界の二層構造
→動物を食べる以外でないがしろにすれば、その魂の告げ口により地上は嵐になる
→動物を食べて生きるプナンは不完全なアミニズムを生きる
・40年前までにノマドを経験したプナンは、概して今の定住暮らしのほうがいいというが、
インスタントラーメンや缶詰で太って病気で死ぬようになったので森に戻るべきとも
・レプトスピラ症(感染した齧歯類の尿を含む川の水などから経口経皮感染する)
→2008年のサバ州エコチャレンジで感染が報告されたが選手は川で水浴びしただけだった
→死亡報告はないが感染リスクがある旅では予防薬ドキシサイクリン200mgを週1回服用する
→この年はサラワク州でも流行していてKも感染した
→アレクサンダー・フレミングのペニシリン!!!で助かったが予防は迂闊だった
→流行地域では不用意に水に入らない、特に洪水の後は入らないことが重要とされている
・コロナ禍で半年ごとの訪問を中止していたが2022年8月に3年ぶりに現地に行った
→1年前から世界的に豚熱ウィルスも流行し現地のヒゲイノシシが死滅していた
→1年前から無料の電気とWiFiが来たがネット情報ではなく日本のエロ動画ばかり見てた

→2021年8月にはクラスターが発生、医師の指示で政府の支援物資を持って森に逃げ込んだ
・アブラヤシ企業の計らいで300人の居住地に10台ほどの四輪駆動車が並んでたのが衝撃的だった
→企業が保証人になり所有者はプランテーションに働きに出るプナンから乗車賃を取って、
毎月のローン返済の一部に充てていた
→以前は賠償金の支払いをビールや生活必需品に消費するだけだったが、プナンを労働者として
組織する方が遠くからの労働者より効率的だと考えたのかも知れない
・車で賃金労働に通い、WiFiでスマホのやりとりをはじめたプナンは今後どうなるか
→プナンの持つ独自の野生思考ロジックで外部のシステムを粉々に破壊するだろうか
→解体して自分たちに合うよう再構築するのがけっこううまいが、今後は誰にも分らない・・・
(エピローグ ロスト・イン・ザ・フォレストより)
・ある時、ジュラロン川のプナンの村に向かった
→アブラヤシの苗や稲がヒゲイノシシに荒らされる獣害が農村でも深刻化していた
(ムスリムへの改宗でヒゲイノシシを食べなくなったから?)
→2年前に焼失したロングハウスは、殆どが都市に働きに出てゴースト・ビレッジ化していた
→ジュラロン川のプナンは古くにウスン・アパウの森を出て焼畑技術を身につけており、
焼畑稲作民イバンとも交わり、近現代の流れに乗っている
(周辺に獣害や出稼ぎ先のないブラガ川上流域のプナンとは異なっている)
→しかしキリスト教やムスリムに改宗していてもカミや動物の忌み名などは同じだった
・狩猟キャンプで忘れ物に気づき取りに行って帰る途中で道に迷った
→4時間近く森をさまよい歩いて自分を見失い、身体中が擦り傷と打撲だらけになった
→最後は借りていたGPSのログ記録とプナンが探しに来てくれたおかげで助かった
→その夜、道に迷うことはよくあることで邪悪な霊のせいだといわれた
これがロスト・イン・ザ・フォレスト・・・
2022年12月13日
連続プチ忘年会deふらふらに
先週金曜日の昼から日曜日の昼まで三日間ぶっ通しで・・・
植林ボランティア仲間のプチ忘年会とフラッシュライト仲間のプチOFF会を楽しんでました
ま、いつもどおり飲食画像がメインですが、以下さくさくっと・・・
まず金曜日の昼にボルネオ植林ボランティアツアーにも参加してくれた奥様の友人たちと、
4人で近所にある古民家をリノベーションしたゲストハウスへ・・・


オーナーご本人に奥座敷に案内していただき・・・


ま、

お庭に出たり・・・

露天風呂に入ったり・・・はせず・・・
まずは・・・

日本人らしくビールで乾杯!!!

前菜でかぱかぱやって、持ち込ませていただいたブルゴーニュワインなんぞを開けてると、

サラダや酢の物、炊き立てのご飯に続き・・・・


希少部位シャトーブリアンのステーキであります!!!
そう、大阪いらっしゃいキャンペーンとやらで、12月中は格安にいただけるのでありますね
いやあ、じつに美味しく土鍋で炊いたご飯が何杯でも・・・
と、ともかく、

完食完飲であります・・・げふっ
食後はオーナーご本人に全室を案内していただきました

昔ながらの坪庭も町家の風情がありましたが・・・

特に急な段梯子(階段)や・・・


それを上がった隠れ家的な2階も、じつに風情がありました
外国人旅行者に口コミだけで人気が広がった、大阪では草分け的なゲストハウスだそうで、
その後あちこちにゲストハウスが増えて規制が厳しくなり、草分けなのに大変だったそうですが、
全てに町家の風情を完璧に残し、それがさりげに配された最新設備と見事に融合してて、
まさに理想的なリノベーションですね・・・かけた手間暇も凄かっただろうけど・・・
当初はB&Bだけだったのが、宿泊者からの問い合わせが一番多かった和牛による食事も
和牛ステーキと和牛しゃぶしゃぶと和牛焼肉で提供してるけど、利益は殆どないとか・・・
世界70ヶ国以上を旅されたとゆー話し好きで気さくなオーナーで「おもてなし」を心から
愛されておられるのが感じられたので、彼女の人柄への人気も大きいのでしょうね
ちなみに・・・

一軒隣の別棟も案内いただいたのですが、ビールとワインですっかり出来上がったわたくしは
玄関先で3人と分かれ、そのまま実家へ直行・・・
予定では実家で仮眠して次に備えようと思ってたのですが、まったり飲み食いしてたので、
実家到着とほぼ同時に、ひぐさんから「今、天王寺駅前を出ました」と連絡が・・・
で、へろへろのまま、最寄り駅までお迎えに行った次第
そう、関東からのひぐさんを交え、おなじみ関西ライト仲間プチOFF会de部屋キャン!!!
ひぐさんは茨城から大阪に来るのに京都や奈良を遠回りして来られた鉄分好きでもあり、
日本でも珍しい路面電車が鉄道を跨ぐ光景なんぞを、嬉々として撮影されてました
で、昼食を食べ損ねたとゆーひぐさんには、シャトーブリアンより稀少で高価な???

大阪名物でおもてなし・・・げひげひ
ちなみに中央は今川焼でも太鼓焼でも御座候でもなく、ほかほかの回転焼でっせ!!!
と、二人で大阪ローカルの録画番組なんぞを観ながらダベってると、18時過ぎには、
川端さんが差し入れをいっぱい持って到着・・・



ひぐさんからの茨城名物の差し入れと・・・

わたくしが用意したお安いスナックやお菓子も合わせて・・・


怪しい火遊びなんかに興じてました・・・
ちなみに遅めの夕食は、ダベリつつ近くのコンビニで買い出しして簡単に・・・
で、日付が変わり1時もかなり過ぎた頃に赤チャリさんとwingさんが到着!!!
テーブル上のライト類が増殖していきました・・・まるで粘菌やな・・・



ちなみに左にある4箱のLUMINTOPのEDCライトは、わたくしが海外へのお土産用に、
wingさんにお願いしていたMOD作品・・・
なんでも、


生物観察や撮影用にNICHIA高演色LED2種類に換装したもの・・・だそうです
ま、よく分からんけど、ともかくありがとね!!!
さらにちなみにこちらは・・・

赤チャリさんのカメラバッグ・・・日曜日のライブに行かれるそうです
と、この日は午前3時過ぎに就寝、川端さんはお二人の到着前に休んでおられました・・・
で、翌朝10時前には原チャリでごつほざさんが合流、熱いコーヒーや甘い物でダベリ、
10時半過ぎにはひぐさんを奥の天神・生根神社から摂津一宮・住吉大社へと観光案内・・・


昔の住吉大社前の浜辺は一寸法師がお椀の舟に乗って海へ漕ぎ出した場所とされており、
子宝祈願の社の前には、オリジナル???のお椀が置いてあります・・・って一寸やないな・・・

お椀に乗って房総沖まで戻ろうとするひぐさんと、押しとどめる川端さん・・・

さらに赤チャリさんが五大力を驚異的な視力で瞬時に揃えたり・・・


本宮では花嫁行列についていこうとしたり・・・

太鼓橋では・・・

恒例の記念写真を撮ったりして・・・
一人だけTシャツ姿が見えますが、これは関東と関西の気温差によるもの・・・なのかっ?
さらにあちこちでダベリながら、少し早めの昼食は・・・

川端さんお気に入りの寒ざらし蕎麦で・・・


だから、食べる前に撮ればよいものを・・・ずるずるばくばく
で、これまでアルコールを控えておられたひぐさんが、ひさしぶりに飲みたい!とゆーことで、
粉浜商店街をぶらぶらして、つまみなんぞを買い出し・・・
ま、買い出しに夢中だった皆さんは、


日本最古の現用路面電車モ161型が走るシーンを見れませんでしたが・・・
と、わたくしの実家に戻り・・・


熱々のコロッケや大阪名物の紅生姜天ぷらなんぞで、川端さんとごつほざさんから差し入れの
ホンモノビールを三人でかぱかぱかぱと・・・
そう、赤チャリさんと川端さんは飲まないし、ごつほざさんは原チャリで日帰りだったし、
川端さん、ごつほざさん、飲まないのに大量の差し入れをありがとね!!!
で、ごつほざさんは2時半過ぎには帰宅されましたが、残った5人はその後も延々ダベリ続け、
うち3人は延々と飲み続けておりました(翌朝、空き缶を数えたら20本以上あって・・・
)
と、完全に出来上がったわたくし、夕方に意識不明のまま買い出しに出かけたようで、

てきとーに鍋具材を買ってきて、てきとーに切り刻みざるに入れ、てきとーにうどんすき鍋に
ぶち込んでたようですが、殆ど記憶がありません・・・ひっく
で、途中で何度かライト談義にも加わってたようで奇跡的に画像が残ってました
こちらが昼光色蛍光灯のみによる鍋具材画像・・・だったはず

で、こちらが高演色LEDライト補助光を加えた鍋具材画像・・・だったはず

ま、カメラのオートホワイトバランスを解除すれば、さらに違いが判るそうですが、
オート撮影でも高演色補助光のあるほうが自然で美味しそうに見えますね
と、前日の昼から飲み続けていたわたくし、10時半には寝落ちしてしまったのですが、
その直後ぐらいに、赤チャリさんは次の目的地である岐阜へ出発されたようです
で、わたくしが日付が変わって再度覚醒した頃には、残る三人も爆睡されてました
うーむ、今から叩き起こして二次会に強制参加させるのも酷だし、ここは一人宴会・・・
と、鍋の残りや朝食用の弁当なんぞで悶々と夜を明かし、翌朝7時には全員を起こして、
食べ残し弁当や残り物で、またまた延々とダベリ続け、ようやく日曜日の昼過ぎに、
川端号で神戸まで行くことなったのですが、わたくしにはすでに余力が残っておらず、
さらに明るいうちに実家を片付けて帰宅したかったので、実家でお別れしました
三人はその後も神戸でダベリ続けたようですが、わたくしは別れるなり夕方まで午睡、
結局ほとんど片付けないまま帰宅して、早めの夕食入浴後から朝まで爆睡でした・・・
いやあ、今回もじつに楽しかったです
おなじみのwingさん、川端さん、赤チャリさん、ひさしぶりのごつほざさん、長期入院や
コロナ禍による移動制限で今回ようやく再会することができたひぐさん、皆さんに色々と
貴重な品々をいただき、ありがとうございました
次回はいつ、どこに集まるか未定ですが、もうそろそろ自由に動きたいものですね
で、今回OFF会のwingさんからの置き土産・・・

ええ、これに関してはいずれ別記事で・・・むひひひ
植林ボランティア仲間のプチ忘年会とフラッシュライト仲間のプチOFF会を楽しんでました
ま、いつもどおり飲食画像がメインですが、以下さくさくっと・・・
まず金曜日の昼にボルネオ植林ボランティアツアーにも参加してくれた奥様の友人たちと、
4人で近所にある古民家をリノベーションしたゲストハウスへ・・・


オーナーご本人に奥座敷に案内していただき・・・


ま、

お庭に出たり・・・

露天風呂に入ったり・・・はせず・・・
まずは・・・

日本人らしくビールで乾杯!!!

前菜でかぱかぱやって、持ち込ませていただいたブルゴーニュワインなんぞを開けてると、

サラダや酢の物、炊き立てのご飯に続き・・・・


希少部位シャトーブリアンのステーキであります!!!
そう、大阪いらっしゃいキャンペーンとやらで、12月中は格安にいただけるのでありますね
いやあ、じつに美味しく土鍋で炊いたご飯が何杯でも・・・

と、ともかく、

完食完飲であります・・・げふっ
食後はオーナーご本人に全室を案内していただきました

昔ながらの坪庭も町家の風情がありましたが・・・

特に急な段梯子(階段)や・・・


それを上がった隠れ家的な2階も、じつに風情がありました
外国人旅行者に口コミだけで人気が広がった、大阪では草分け的なゲストハウスだそうで、
その後あちこちにゲストハウスが増えて規制が厳しくなり、草分けなのに大変だったそうですが、
全てに町家の風情を完璧に残し、それがさりげに配された最新設備と見事に融合してて、
まさに理想的なリノベーションですね・・・かけた手間暇も凄かっただろうけど・・・
当初はB&Bだけだったのが、宿泊者からの問い合わせが一番多かった和牛による食事も
和牛ステーキと和牛しゃぶしゃぶと和牛焼肉で提供してるけど、利益は殆どないとか・・・
世界70ヶ国以上を旅されたとゆー話し好きで気さくなオーナーで「おもてなし」を心から
愛されておられるのが感じられたので、彼女の人柄への人気も大きいのでしょうね
ちなみに・・・

一軒隣の別棟も案内いただいたのですが、ビールとワインですっかり出来上がったわたくしは
玄関先で3人と分かれ、そのまま実家へ直行・・・
予定では実家で仮眠して次に備えようと思ってたのですが、まったり飲み食いしてたので、
実家到着とほぼ同時に、ひぐさんから「今、天王寺駅前を出ました」と連絡が・・・
で、へろへろのまま、最寄り駅までお迎えに行った次第

そう、関東からのひぐさんを交え、おなじみ関西ライト仲間プチOFF会de部屋キャン!!!
ひぐさんは茨城から大阪に来るのに京都や奈良を遠回りして来られた鉄分好きでもあり、
日本でも珍しい路面電車が鉄道を跨ぐ光景なんぞを、嬉々として撮影されてました
で、昼食を食べ損ねたとゆーひぐさんには、シャトーブリアンより稀少で高価な???

大阪名物でおもてなし・・・げひげひ

ちなみに中央は今川焼でも太鼓焼でも御座候でもなく、ほかほかの回転焼でっせ!!!
と、二人で大阪ローカルの録画番組なんぞを観ながらダベってると、18時過ぎには、
川端さんが差し入れをいっぱい持って到着・・・



ひぐさんからの茨城名物の差し入れと・・・

わたくしが用意したお安いスナックやお菓子も合わせて・・・


怪しい火遊びなんかに興じてました・・・
ちなみに遅めの夕食は、ダベリつつ近くのコンビニで買い出しして簡単に・・・
で、日付が変わり1時もかなり過ぎた頃に赤チャリさんとwingさんが到着!!!
テーブル上のライト類が増殖していきました・・・まるで粘菌やな・・・



ちなみに左にある4箱のLUMINTOPのEDCライトは、わたくしが海外へのお土産用に、
wingさんにお願いしていたMOD作品・・・
なんでも、


生物観察や撮影用にNICHIA高演色LED2種類に換装したもの・・・だそうです
ま、よく分からんけど、ともかくありがとね!!!
さらにちなみにこちらは・・・

赤チャリさんのカメラバッグ・・・日曜日のライブに行かれるそうです
と、この日は午前3時過ぎに就寝、川端さんはお二人の到着前に休んでおられました・・・
で、翌朝10時前には原チャリでごつほざさんが合流、熱いコーヒーや甘い物でダベリ、
10時半過ぎにはひぐさんを奥の天神・生根神社から摂津一宮・住吉大社へと観光案内・・・


昔の住吉大社前の浜辺は一寸法師がお椀の舟に乗って海へ漕ぎ出した場所とされており、
子宝祈願の社の前には、オリジナル???のお椀が置いてあります・・・って一寸やないな・・・

お椀に乗って房総沖まで戻ろうとするひぐさんと、押しとどめる川端さん・・・

さらに赤チャリさんが五大力を驚異的な視力で瞬時に揃えたり・・・


本宮では花嫁行列についていこうとしたり・・・

太鼓橋では・・・

恒例の記念写真を撮ったりして・・・
一人だけTシャツ姿が見えますが、これは関東と関西の気温差によるもの・・・なのかっ?
さらにあちこちでダベリながら、少し早めの昼食は・・・

川端さんお気に入りの寒ざらし蕎麦で・・・


だから、食べる前に撮ればよいものを・・・ずるずるばくばく
で、これまでアルコールを控えておられたひぐさんが、ひさしぶりに飲みたい!とゆーことで、
粉浜商店街をぶらぶらして、つまみなんぞを買い出し・・・
ま、買い出しに夢中だった皆さんは、


日本最古の現用路面電車モ161型が走るシーンを見れませんでしたが・・・
と、わたくしの実家に戻り・・・


熱々のコロッケや大阪名物の紅生姜天ぷらなんぞで、川端さんとごつほざさんから差し入れの
ホンモノビールを三人でかぱかぱかぱと・・・
そう、赤チャリさんと川端さんは飲まないし、ごつほざさんは原チャリで日帰りだったし、
川端さん、ごつほざさん、飲まないのに大量の差し入れをありがとね!!!
で、ごつほざさんは2時半過ぎには帰宅されましたが、残った5人はその後も延々ダベリ続け、
うち3人は延々と飲み続けておりました(翌朝、空き缶を数えたら20本以上あって・・・

と、完全に出来上がったわたくし、夕方に意識不明のまま買い出しに出かけたようで、

てきとーに鍋具材を買ってきて、てきとーに切り刻みざるに入れ、てきとーにうどんすき鍋に
ぶち込んでたようですが、殆ど記憶がありません・・・ひっく
で、途中で何度かライト談義にも加わってたようで奇跡的に画像が残ってました
こちらが昼光色蛍光灯のみによる鍋具材画像・・・だったはず

で、こちらが高演色LEDライト補助光を加えた鍋具材画像・・・だったはず

ま、カメラのオートホワイトバランスを解除すれば、さらに違いが判るそうですが、
オート撮影でも高演色補助光のあるほうが自然で美味しそうに見えますね
と、前日の昼から飲み続けていたわたくし、10時半には寝落ちしてしまったのですが、
その直後ぐらいに、赤チャリさんは次の目的地である岐阜へ出発されたようです
で、わたくしが日付が変わって再度覚醒した頃には、残る三人も爆睡されてました
うーむ、今から叩き起こして二次会に強制参加させるのも酷だし、ここは一人宴会・・・
と、鍋の残りや朝食用の弁当なんぞで悶々と夜を明かし、翌朝7時には全員を起こして、
食べ残し弁当や残り物で、またまた延々とダベリ続け、ようやく日曜日の昼過ぎに、
川端号で神戸まで行くことなったのですが、わたくしにはすでに余力が残っておらず、
さらに明るいうちに実家を片付けて帰宅したかったので、実家でお別れしました
三人はその後も神戸でダベリ続けたようですが、わたくしは別れるなり夕方まで午睡、
結局ほとんど片付けないまま帰宅して、早めの夕食入浴後から朝まで爆睡でした・・・
いやあ、今回もじつに楽しかったです
おなじみのwingさん、川端さん、赤チャリさん、ひさしぶりのごつほざさん、長期入院や
コロナ禍による移動制限で今回ようやく再会することができたひぐさん、皆さんに色々と
貴重な品々をいただき、ありがとうございました
次回はいつ、どこに集まるか未定ですが、もうそろそろ自由に動きたいものですね
で、今回OFF会のwingさんからの置き土産・・・

ええ、これに関してはいずれ別記事で・・・むひひひ
