ホノルルの休日
2026年03月12日
パールハーバー2戦艦アリゾナ
(前回記事からの続きです ホノルル連載をはじめからご覧になるにはこちらのカテゴリから)
始発のボートで戦艦アリゾナ記念館に到着しました








この海面下に戦艦アリゾナとその乗員約900名が眠っており、

今も艦内から油が少しずつ流出していて、これは「黒い涙」と呼ばれているとか・・・

白い部分が水面上の施設です
戦艦アリゾナの後方には・・・


1945年9月2日に連合国代表と日本代表が正式に降伏文書に交わした戦艦ミズーリが停泊、
これは戦争の始まりと終わりを象徴しているとか・・・
記念館の内部にはアリゾナで亡くなられた乗員全員の墓碑銘があり・・・


脱帽して黙禱させていただきました
ちょうど朝の国旗掲揚に遭遇



こちらにも黙礼・・・
記念館の滞在時間は15分と決まっており、次の来訪者と交代で離れました

湾内には様々な艦船が停泊してましたが・・・


こちらの大型艦・・・




いかにも現代の戦闘艦とゆー感じでミズーリなどの戦艦とは対照的ですね・・・
と、ビジターセンターに戻ってからも集合時間まで少し時間があったので、
屋外展示もさくさくっと・・・




そう、この後に予定していた第3波攻撃が情報不足により中止されたんですね



と、エントランスにあるアリゾナの錨まで戻ってきて、

後ろに見える橋を渡って、フォード島にある戦艦ミズーリ記念館を目指します
(次号に続きます)
始発のボートで戦艦アリゾナ記念館に到着しました








この海面下に戦艦アリゾナとその乗員約900名が眠っており、

今も艦内から油が少しずつ流出していて、これは「黒い涙」と呼ばれているとか・・・

白い部分が水面上の施設です
戦艦アリゾナの後方には・・・


1945年9月2日に連合国代表と日本代表が正式に降伏文書に交わした戦艦ミズーリが停泊、
これは戦争の始まりと終わりを象徴しているとか・・・
記念館の内部にはアリゾナで亡くなられた乗員全員の墓碑銘があり・・・


脱帽して黙禱させていただきました
ちょうど朝の国旗掲揚に遭遇



こちらにも黙礼・・・
記念館の滞在時間は15分と決まっており、次の来訪者と交代で離れました

湾内には様々な艦船が停泊してましたが・・・


こちらの大型艦・・・




いかにも現代の戦闘艦とゆー感じでミズーリなどの戦艦とは対照的ですね・・・
と、ビジターセンターに戻ってからも集合時間まで少し時間があったので、
屋外展示もさくさくっと・・・




そう、この後に予定していた第3波攻撃が情報不足により中止されたんですね



と、エントランスにあるアリゾナの錨まで戻ってきて、

後ろに見える橋を渡って、フォード島にある戦艦ミズーリ記念館を目指します
(次号に続きます)
2026年03月15日
パールハーバー3戦艦ミズーリ
(ホノルル記事の続きです 連載をはじめからご覧になるにはこちらのカテゴリから)
パールハーバー・ビジターセンターからクルマでフォード島に渡り・・・

もと海軍航空隊の飛行場にある管制塔を過ぎ・・・

戦艦オクラホマ記念施設の前まで行くと・・・


戦艦ミズーリ記念館のエントランスがあるのですが・・・

有名なミズーリ艦上での降伏文書調印シーンなどのプレートと、

こちらも有名なニミッツ提督像とその名言のプレート・・・
と、ともに・・・

日本海海戦で有名になった東郷提督と戦艦三笠のプレートが並んでました
ガイドのフカダさんによると・・・
・ニミッツ提督は若い頃から東郷平八郎の書物を読んで心酔し会いたいと考えていた
⇒海軍の日本訪問の際には最年少の海軍少尉だったが付き人として何とか参加できた
⇒歓迎レセプションで上官らが東郷提督から話を聞きたい旨を伝令として伝えに行った
⇒その際に個人的に自分を指導してほしいと東郷に申し出た
⇒最年少の少尉の申し出に驚いた東郷はそれ以来ニミッツと親しく文通し丁寧に指導した
⇒ニミッツは生涯その恩を忘れず東郷を最も敬愛していた
・なので東郷のプレートがニミッツ像と並んでいるのだが、
⇒もし日本占領が陸軍のマッカーサーではなく海軍のニミッツによって行われていたら、
戦後日本の体制は大きく異なっていたかも知れない
⇒戦後の戦艦三笠の保存運動にもニミッツは個人で莫大な資金援助をしている・・・などなど
で、エントランスでは記念写真が撮られ、出る頃にはプリントされ販売されてるのですが、
これが結構なお値段・・・
でも、これには無料サービスのデータ提供があるとフカダさんから教えてもらいました
(潜水艦アトランティスのツアーも同じ仕組みでしたが、あちらでは孫たちに購入してました
)
ま、せっかくの無料サービスなので・・・




無料ダウンロードできたのは社名入りでしたが、まあ、よくできてますね・・・
ついでにわたくしのカメラで撮ってもらった1枚も・・・

こちらは加工なしです
(3/26追記です)
戦艦ミズーリといえば映画「バトルシップ」での出撃シーンが忘れられません
オハナシ自体はSF好きからすれば???でしたが、ともかく戦闘シーンがよくできてました
ハワイ沖に着水したエイリアン母船のシールド内で合同訓練中だった米海軍の駆逐艦2隻と
海上自衛隊の護衛艦1隻がエイリアンとの激戦で全滅、生き残った護衛艦の艦長(浅野忠信)が、
「もう戦えるフネはないぞ」
艦長以下の上官が全員戦死し、最先任士官となった米海軍の主人公が、
「いや、ここオアフ島にはもう1隻ある、しかも戦艦だ・・・」
と、駆逐艦・護衛艦の生き残りとともに、この戦艦ミズーリへ!!!
たまたま記念式典で???ミズーリ艦内に残っていた退役古参兵たちに、
「あなた方はもう充分、国に尽くされましたが、もうひと働きをお願いしたい」
「何をしてほしい?」
「このフネを借りたい」
と、全員で固定鎖や自動販売機などを外し蒸気タービンに火を入れて・・・出撃!!!
見学用のタラップが外れ「記念艦ミズーリ」の横断幕が千切れて・・・全速前進!!!
わたくし、このあたりのシーンに一番うるうるしてたのを思い出しました
(追記ここまで)
つーことで、いよいよ艦内へ・・・




こちら恋人ではなく艦を下りて最初に出会った女性だそうで実話がモデルとか・・・

40センチ(16インチ)主砲の砲弾
おなじみ50口径(12.7mm)ブローニング

やはり甲板に上がれば相当な高さですね ブリッジまではとてもとても・・・
こちらでも別の日本語ガイドが案内してくれます

で、この修理中の1番砲塔にあるマーキング

最後の実戦参加となった湾岸戦争での砲撃目標2都市と発射弾数289発を表しているそうです
で、こちらが有名な2番砲塔右舷の甲板・・・

そう、


1945年9月2日に連合国代表と日本代表で降伏文書が交わされた甲板であります
こちらが、


当日調印テーブルが置かれていた位置
降伏文書の複製も展示されてました

ちなみに日本代表のうち礼服にシルクハット姿の文官は三人のみであとは軍人、
文官は当時の外務省の大臣・長官・部長の3名だったのですが・・・

この有名な名言を残した人物が、唯一人、小脇に書類鞄を抱えている・・・


27.内閣情報部第三部長の加瀬俊一氏であります
リンク記事のとおり開戦と終戦をアメリカに発した外交官で歴代首相外相の右腕として活躍、
色恋も遊びも国際的で海外での優雅な暮らしぶりや情報を巡る熾烈な戦いは007そのもの、
当時としても稀有な外交官で、戦争がなければ少なくとも外務大臣にはなっていたとされる、
今では考えられないスケールの官僚で、わたくしにとって興味深い人物です
閑話休題
日本語ガイドの説明によると日本側代表の重光外相が脚が不自由なのを知ったアメリカ側が、
彼がここへのタラップを上れるか、水兵の脚を固定して何度も確かめていたそうです
以下、艦内をさくさくっと

艦長室

さすがに豪華です

3番砲塔へ

こちらは湾岸戦争で209発を撃ってますね
3番砲塔は内部を覗き見ることができます

砲塔内といっても巨大で何室にも分かれてますね
ちなみに主砲の一斉射撃(斉射)の際は・・・


必ず舷側に向けて行うそうで、さもないと甲板が火の海に・・・
片側に斉射しても艦が傾かないよう工夫されてるとのことでした
で、艦尾に近い右舷のこの部分が・・・



神風特別攻撃隊の零式艦上戦闘機が体当たりした箇所であります
その決定的瞬間を捉えたこの写真はジオラマにもなってますね
抱えていた爆弾は爆発せず特攻機の右翼が40ミリ機関砲の銃身に突き刺さったようで、

体当たりの痕跡が今も微かに残っています
ガイドのフカダさんによれば・・・
・当時の艦長が同じ兵士だからと特攻機搭乗員の遺体を正式に水葬するように命じた
⇒当初は嫌がっていた乗組員が徹夜で手縫いの海軍旗(旭日旗)を作って遺体に被せ水葬した
⇒それ以降、手縫いの海軍旗(旭日旗)は別の艦でも何度も使われた
とのことで、これも知りませんでしたがニミッツ提督の名言と同じ精神ですね
ちょうど上空を特攻機ではなく友軍機が飛んでました

あらためて両軍の犠牲者に合掌
以下、居住区を中心にさくさくっと・・・






じゅるじゅる




士官クラブ???





まさにメモリアルですね・・・
艦尾の甲板は降伏調印が行われた2番砲塔右舷と同じように大きな固定タープで覆われ、
海軍関係者以外にも各種イベントやパーティや結婚式などにも使われているそうですが、
艦首側にあるアリゾナ追悼施設からは最も離れており、騒ぎがしさが伝わらないよう
配慮されているとのことでした
と、時間制限と3年前の落車骨折による歩行困難でブリッジはじめ多くを見逃しましたが、
駆け足でエントランスまで戻ってきて・・・

隣にあるミュージアムショップへ駆け込み



僅かな時間でお安い自分への土産物を物色して、家内に電子決済してもらいました
で、ギリギリ集合時間には間に合い、クルマで基地内の広大な居住区を抜け・・・

次の目的地、もと海軍航空隊基地にある航空博物館へ向かいます
(次号に続きます)
パールハーバー・ビジターセンターからクルマでフォード島に渡り・・・

もと海軍航空隊の飛行場にある管制塔を過ぎ・・・

戦艦オクラホマ記念施設の前まで行くと・・・


戦艦ミズーリ記念館のエントランスがあるのですが・・・

有名なミズーリ艦上での降伏文書調印シーンなどのプレートと、

こちらも有名なニミッツ提督像とその名言のプレート・・・
と、ともに・・・

日本海海戦で有名になった東郷提督と戦艦三笠のプレートが並んでました
ガイドのフカダさんによると・・・
・ニミッツ提督は若い頃から東郷平八郎の書物を読んで心酔し会いたいと考えていた
⇒海軍の日本訪問の際には最年少の海軍少尉だったが付き人として何とか参加できた
⇒歓迎レセプションで上官らが東郷提督から話を聞きたい旨を伝令として伝えに行った
⇒その際に個人的に自分を指導してほしいと東郷に申し出た
⇒最年少の少尉の申し出に驚いた東郷はそれ以来ニミッツと親しく文通し丁寧に指導した
⇒ニミッツは生涯その恩を忘れず東郷を最も敬愛していた
・なので東郷のプレートがニミッツ像と並んでいるのだが、
⇒もし日本占領が陸軍のマッカーサーではなく海軍のニミッツによって行われていたら、
戦後日本の体制は大きく異なっていたかも知れない
⇒戦後の戦艦三笠の保存運動にもニミッツは個人で莫大な資金援助をしている・・・などなど
で、エントランスでは記念写真が撮られ、出る頃にはプリントされ販売されてるのですが、
これが結構なお値段・・・
でも、これには無料サービスのデータ提供があるとフカダさんから教えてもらいました
(潜水艦アトランティスのツアーも同じ仕組みでしたが、あちらでは孫たちに購入してました
)ま、せっかくの無料サービスなので・・・




無料ダウンロードできたのは社名入りでしたが、まあ、よくできてますね・・・
ついでにわたくしのカメラで撮ってもらった1枚も・・・

こちらは加工なしです

(3/26追記です)
戦艦ミズーリといえば映画「バトルシップ」での出撃シーンが忘れられません
オハナシ自体はSF好きからすれば???でしたが、ともかく戦闘シーンがよくできてました
ハワイ沖に着水したエイリアン母船のシールド内で合同訓練中だった米海軍の駆逐艦2隻と
海上自衛隊の護衛艦1隻がエイリアンとの激戦で全滅、生き残った護衛艦の艦長(浅野忠信)が、
「もう戦えるフネはないぞ」
艦長以下の上官が全員戦死し、最先任士官となった米海軍の主人公が、
「いや、ここオアフ島にはもう1隻ある、しかも戦艦だ・・・」
と、駆逐艦・護衛艦の生き残りとともに、この戦艦ミズーリへ!!!
たまたま記念式典で???ミズーリ艦内に残っていた退役古参兵たちに、
「あなた方はもう充分、国に尽くされましたが、もうひと働きをお願いしたい」
「何をしてほしい?」
「このフネを借りたい」
と、全員で固定鎖や自動販売機などを外し蒸気タービンに火を入れて・・・出撃!!!
見学用のタラップが外れ「記念艦ミズーリ」の横断幕が千切れて・・・全速前進!!!
わたくし、このあたりのシーンに一番うるうるしてたのを思い出しました
(追記ここまで)
つーことで、いよいよ艦内へ・・・




こちら恋人ではなく艦を下りて最初に出会った女性だそうで実話がモデルとか・・・


40センチ(16インチ)主砲の砲弾
おなじみ50口径(12.7mm)ブローニング

やはり甲板に上がれば相当な高さですね ブリッジまではとてもとても・・・

こちらでも別の日本語ガイドが案内してくれます

で、この修理中の1番砲塔にあるマーキング

最後の実戦参加となった湾岸戦争での砲撃目標2都市と発射弾数289発を表しているそうです
で、こちらが有名な2番砲塔右舷の甲板・・・

そう、


1945年9月2日に連合国代表と日本代表で降伏文書が交わされた甲板であります
こちらが、


当日調印テーブルが置かれていた位置
降伏文書の複製も展示されてました

ちなみに日本代表のうち礼服にシルクハット姿の文官は三人のみであとは軍人、
文官は当時の外務省の大臣・長官・部長の3名だったのですが・・・

この有名な名言を残した人物が、唯一人、小脇に書類鞄を抱えている・・・


27.内閣情報部第三部長の加瀬俊一氏であります
リンク記事のとおり開戦と終戦をアメリカに発した外交官で歴代首相外相の右腕として活躍、
色恋も遊びも国際的で海外での優雅な暮らしぶりや情報を巡る熾烈な戦いは007そのもの、
当時としても稀有な外交官で、戦争がなければ少なくとも外務大臣にはなっていたとされる、
今では考えられないスケールの官僚で、わたくしにとって興味深い人物です
閑話休題
日本語ガイドの説明によると日本側代表の重光外相が脚が不自由なのを知ったアメリカ側が、
彼がここへのタラップを上れるか、水兵の脚を固定して何度も確かめていたそうです
以下、艦内をさくさくっと

艦長室

さすがに豪華です

3番砲塔へ

こちらは湾岸戦争で209発を撃ってますね
3番砲塔は内部を覗き見ることができます

砲塔内といっても巨大で何室にも分かれてますね
ちなみに主砲の一斉射撃(斉射)の際は・・・


必ず舷側に向けて行うそうで、さもないと甲板が火の海に・・・

片側に斉射しても艦が傾かないよう工夫されてるとのことでした
で、艦尾に近い右舷のこの部分が・・・



神風特別攻撃隊の零式艦上戦闘機が体当たりした箇所であります
その決定的瞬間を捉えたこの写真はジオラマにもなってますね
抱えていた爆弾は爆発せず特攻機の右翼が40ミリ機関砲の銃身に突き刺さったようで、

体当たりの痕跡が今も微かに残っています
ガイドのフカダさんによれば・・・
・当時の艦長が同じ兵士だからと特攻機搭乗員の遺体を正式に水葬するように命じた
⇒当初は嫌がっていた乗組員が徹夜で手縫いの海軍旗(旭日旗)を作って遺体に被せ水葬した
⇒それ以降、手縫いの海軍旗(旭日旗)は別の艦でも何度も使われた
とのことで、これも知りませんでしたがニミッツ提督の名言と同じ精神ですね
ちょうど上空を特攻機ではなく友軍機が飛んでました

あらためて両軍の犠牲者に合掌
以下、居住区を中心にさくさくっと・・・






じゅるじゅる





士官クラブ???





まさにメモリアルですね・・・
艦尾の甲板は降伏調印が行われた2番砲塔右舷と同じように大きな固定タープで覆われ、
海軍関係者以外にも各種イベントやパーティや結婚式などにも使われているそうですが、
艦首側にあるアリゾナ追悼施設からは最も離れており、騒ぎがしさが伝わらないよう
配慮されているとのことでした
と、時間制限と3年前の落車骨折による歩行困難でブリッジはじめ多くを見逃しましたが、
駆け足でエントランスまで戻ってきて・・・

隣にあるミュージアムショップへ駆け込み



僅かな時間でお安い自分への土産物を物色して、家内に電子決済してもらいました

で、ギリギリ集合時間には間に合い、クルマで基地内の広大な居住区を抜け・・・

次の目的地、もと海軍航空隊基地にある航空博物館へ向かいます
(次号に続きます)
2026年03月17日
パールハーバー4航空博物館ハンガー37
(前回記事からの続きです ホノルル連載をはじめからご覧になるにはこちらのカテゴリから)
戦艦ミズーリ見学後は同じフォード島の海軍航空隊跡にある航空博物館へ

荒れ放題の広大な滑走路跡に沿って走り続けると・・・

真珠湾攻撃当時からあるハンガー(格納庫)を利用した航空博物館に到着です
ハンガー前には今は博物館の一部になってて管制室まで見学できる管制塔があり、
(今回は時間制限と体力限界で上れませんでしたが・・・)

まずは、

ブルーエンジェルスの機体がお出迎え・・・
で、

ハンガー37のフロント・デスクで海軍の入館許可証リストバンドを付けてもらい、
多国語対応の音声ガイドを受け取ります
展示はハンガー37(第1展示場)とハンガー79(第2展示場)以外に屋外展示もあるので、
戦艦ミズーリと同じく駆け足でまわらないといけません
ハンガー37に入ってすぐ、当時のフォード島のパネルがありました

現在のグーグルマップと照合すると右手前の赤白タワーの上にあるのがハンガー79で、
その上がフロント・デスクのあるハンガー37、その上の黒い塔が昔の管制塔でしょう
位置関係もハンガーも当時のままなんですね
で、まずは真珠湾攻撃の主役ともいうべき九七式艦上攻撃機から・・・



左翼先端の折りたたみ部分のみ修復済みですね 完全修復までどれだけかかるんだろ?

どの塗装にするんだろ?
零式艦上戦闘機21型

こちらは飛行可能な状態にまで修復されてるとか
と、空母加賀のスケールモデル

と、

日本人観光客
ちなみに日本機ではハンガー79に九九式艦上爆撃機が発見当時のまま展示されてます
以下、さくさくっと・・・

真珠湾攻撃の日本軍機と初遭遇したとされるエアロニカ65TC軽飛行機
映画トラトラトラでも遭遇シーンがありましたね

左上の機体は???
(追記です)

第1波攻撃隊はアメリカ本土からのB-17編隊と誤認され警報が遅れたんですね
本土初空襲のドーリットル隊と空母ホーネットとB-25Bミッチェル




ダグラスSBD-2ドーントレス



グラマンF4F-3ワイルドキャット



ヴォートSB2Uヴィンディケーター艦上爆撃機のスケールモデル?
(グーグル画像検索より)
カーチスP-40Eウォーホークとフライング・タイガースのグッズ


画像検索ではハーレーダビッドソンWLA750だそうです・・・



こちら・・・



ブッシュ元大統領が1942年に基礎訓練で搭乗していたステアマン練習機だそうで、
1943年に最年少の海軍士官になり58回の出撃により様々な勲章を授与され・・・云々と
こちらは1回10ドル99セントで乗れるフライト・シュミレータ

見てると360度上下左右に高速回転してて、まさにトップガンのパイロット向きでした
と、まだまだ展示はありましたが残りの画像は省略して・・・
ミュージアムショップ内をさくさくっと



このコルセアとライトニングのアロハシャツはめっちゃ欲しかったけど・・・
日本で着るシーンを考えてみたら・・・思いつかなかった




などなど興味を惹くモノがいっぱいでしたが、時間もないことだし・・・
といいつつ・・・

ついつい長居をしてしまいましたが・・・
で、時計を見て慌ててハンガー37を離れ屋外展示からハンガー79へ向かいました
(次回に続きます)
戦艦ミズーリ見学後は同じフォード島の海軍航空隊跡にある航空博物館へ

荒れ放題の広大な滑走路跡に沿って走り続けると・・・

真珠湾攻撃当時からあるハンガー(格納庫)を利用した航空博物館に到着です
ハンガー前には今は博物館の一部になってて管制室まで見学できる管制塔があり、
(今回は時間制限と体力限界で上れませんでしたが・・・)

まずは、

ブルーエンジェルスの機体がお出迎え・・・
で、

ハンガー37のフロント・デスクで海軍の入館許可証リストバンドを付けてもらい、
多国語対応の音声ガイドを受け取ります
展示はハンガー37(第1展示場)とハンガー79(第2展示場)以外に屋外展示もあるので、
戦艦ミズーリと同じく駆け足でまわらないといけません

ハンガー37に入ってすぐ、当時のフォード島のパネルがありました

現在のグーグルマップと照合すると右手前の赤白タワーの上にあるのがハンガー79で、
その上がフロント・デスクのあるハンガー37、その上の黒い塔が昔の管制塔でしょう
位置関係もハンガーも当時のままなんですね
で、まずは真珠湾攻撃の主役ともいうべき九七式艦上攻撃機から・・・



左翼先端の折りたたみ部分のみ修復済みですね 完全修復までどれだけかかるんだろ?

どの塗装にするんだろ?
零式艦上戦闘機21型

こちらは飛行可能な状態にまで修復されてるとか
と、空母加賀のスケールモデル

と、

日本人観光客
ちなみに日本機ではハンガー79に九九式艦上爆撃機が発見当時のまま展示されてます
以下、さくさくっと・・・

真珠湾攻撃の日本軍機と初遭遇したとされるエアロニカ65TC軽飛行機
映画トラトラトラでも遭遇シーンがありましたね

左上の機体は???
(追記です)
①エアインテイクが3つに分かれていること、②主脚収納部前方の主翼のこぶ、から、
これはカーチスP-40Eの実物大模型ではないか、とのご意見をいただきました
これはカーチスP-40Eの実物大模型ではないか、とのご意見をいただきました
さらに映画「トラトラトラ!!」では多くのP-40Eの実物大模型が作られたので、
それの可能性もあるとのことでした 情報ありがとうございました
ちなみにAIによれば・・・
「真珠湾攻撃時に配備されていたP-40は主にB型やC型で、迷彩が施されていなかったり、
特定の部隊マークが入っていたりします」との回答でしたが、
「映画製作時にB型やC型の実機が入手できなかったのでE型をモデルに製作したはず」とも、
ご意見をいただきました
(追記ここまで)それの可能性もあるとのことでした 情報ありがとうございました
ちなみにAIによれば・・・
「真珠湾攻撃時に配備されていたP-40は主にB型やC型で、迷彩が施されていなかったり、
特定の部隊マークが入っていたりします」との回答でしたが、
「映画製作時にB型やC型の実機が入手できなかったのでE型をモデルに製作したはず」とも、
ご意見をいただきました

第1波攻撃隊はアメリカ本土からのB-17編隊と誤認され警報が遅れたんですね
本土初空襲のドーリットル隊と空母ホーネットとB-25Bミッチェル




ダグラスSBD-2ドーントレス



グラマンF4F-3ワイルドキャット



ヴォートSB2Uヴィンディケーター艦上爆撃機のスケールモデル?
(グーグル画像検索より)
カーチスP-40Eウォーホークとフライング・タイガースのグッズ



画像検索ではハーレーダビッドソンWLA750だそうです・・・




こちら・・・



ブッシュ元大統領が1942年に基礎訓練で搭乗していたステアマン練習機だそうで、
1943年に最年少の海軍士官になり58回の出撃により様々な勲章を授与され・・・云々と

こちらは1回10ドル99セントで乗れるフライト・シュミレータ

見てると360度上下左右に高速回転してて、まさにトップガンのパイロット向きでした

と、まだまだ展示はありましたが残りの画像は省略して・・・
ミュージアムショップ内をさくさくっと




このコルセアとライトニングのアロハシャツはめっちゃ欲しかったけど・・・
日本で着るシーンを考えてみたら・・・思いつかなかった





などなど興味を惹くモノがいっぱいでしたが、時間もないことだし・・・

といいつつ・・・

ついつい長居をしてしまいましたが・・・

で、時計を見て慌ててハンガー37を離れ屋外展示からハンガー79へ向かいました
(次回に続きます)
2026年03月19日
パールハーバー5航空博物館ハンガー79
(前回記事からの続きです ホノルル連載をはじめからご覧になるにはこちらのカテゴリから)
航空博物館のハンガー37(第1展示場)から管制塔の前に出て・・・

ハンガー79(第2展示場)に向かいます

この間にも数々の屋外展示機があるのですが・・・



ヘリやジェット戦闘機はさりげに通過して(帰りに時間があれば)・・・
特に名機ダグラスC-47(民間型がDC-3)は機内も見学できたかもですが・・・

時間を気にして先を急ぎます(帰りに時間があれば)・・・

このあたりもゆっくり見たいところですが通過・・・

???

機銃掃射や爆風で割れたガラス窓は敢えて当時のままで残してあるのだとか
で、ハンガー79であります

外見は当時のままですがハンガー37と同様、内部は補強されてます
そりゃあ格納庫とはいえ100年ほど前の歴史的建造物ですからね
で、まずは・・・


ブッシュ元大統領も搭乗していたTBMアベンジャー雷撃機・・・
と、


(パールハーバーの万能機!!)ノースアメリカンAT-6テキサンがお出迎え
で、こちらはB-17Eフライング・フォートレス



ラバウル爆撃任務中にニューギニアのジャングル湿地に不時着、搭乗員は無事だったものの
以後70年以上も忘れ去られてた機体だったので、ディズニーのアーティストが「スワンプ・
ゴースト(湿地の幽霊)」のノーズアートを作成したそうです
(下の画像をクリックすると拡大します)
今後の修復計画もあるようで、いつか機体にこのノーズアートが描かれるかもですね

ま、こちらのパネルも気になりましたが・・・

こちらスチンソンL-5Eセンチネルだそうです



音声ガイドを聴いてる時間がないので日本語の説明板がありがたいです
で、こちらが前回記事でも触れた九九式艦上爆撃機

(AIによると)2022年9月に博物館に到着した機体だそうです
で、最奥部からの眺め

窓ガラスがモザイク状になってますね
奥の作業スペースでは、

もう一機のB-17Eでしょうか???
(だとすると、日本軍の真珠湾攻撃の際に本土からの移送飛行中で非武装だったため、
ふらふら(スワーリン)飛行して逃げ回り無事だったとゆースワーリン・ベティー???)
と、こちらはAIによれば・・・

英国空軍の複葉機ホーカー・ハインド爆撃機と出ましたが、どうでしょう???
(どちらも詳しい情報をいただければ追記修正します)
以下、ジェット戦闘機なんぞはさらにさくさくっと・・・




さすがに間近で見ると凄い迫力です


こちらは飛行服を着て操縦席に乗れるコスプレ無料サービス
でしたが・・・

やはり時間がなくパスして・・・
帰り道の屋外展示はさらに駆け足で・・・





他にも当時の対空陣地の再現やパイロット装備品の展示などもあったようですが廻りきれず、
足早に音声ガイドを返却、集合時間には何とか間に合いました
送迎ガイド付きツアーは確かにお気楽でしたが、もう少し時間に余裕があれば・・・
と、帰路の車中からも何枚か・・・往路はまだ夜明け前だったし・・・
最近できたオアフ島で唯一の鉄道


現在は空港からパールハーバー沿いだけで運行してるようですが・・・
パールハーバー沿いの殆どはフェンスに囲まれた軍用地なので、

軍人以外の利用者は殆どいないとか・・・
さらに、

ダニエル・K・イノウエ国際空港は隣接する空軍ヒッカム飛行場と滑走路を共用してるし、
さらさらにこちら、

ハワイ州で最大の病院で、陸軍病院だそうです・・・
やはり州の人口のうち23%を占める軍の影響は大きいようです
と、市街地に入って、ここが・・・

オバマ元大統領が生まれた病院だそうです
と、早朝からのツアーを終え、いったんホテルの自室に戻りました
(次回に続きます)
航空博物館のハンガー37(第1展示場)から管制塔の前に出て・・・

ハンガー79(第2展示場)に向かいます

この間にも数々の屋外展示機があるのですが・・・



ヘリやジェット戦闘機はさりげに通過して(帰りに時間があれば)・・・

特に名機ダグラスC-47(民間型がDC-3)は機内も見学できたかもですが・・・


時間を気にして先を急ぎます(帰りに時間があれば)・・・


このあたりもゆっくり見たいところですが通過・・・


???

機銃掃射や爆風で割れたガラス窓は敢えて当時のままで残してあるのだとか
で、ハンガー79であります

外見は当時のままですがハンガー37と同様、内部は補強されてます
そりゃあ格納庫とはいえ100年ほど前の歴史的建造物ですからね
で、まずは・・・


ブッシュ元大統領も搭乗していたTBMアベンジャー雷撃機・・・
と、


(パールハーバーの万能機!!)ノースアメリカンAT-6テキサンがお出迎え
で、こちらはB-17Eフライング・フォートレス



ラバウル爆撃任務中にニューギニアのジャングル湿地に不時着、搭乗員は無事だったものの
以後70年以上も忘れ去られてた機体だったので、ディズニーのアーティストが「スワンプ・
ゴースト(湿地の幽霊)」のノーズアートを作成したそうです
(下の画像をクリックすると拡大します)
今後の修復計画もあるようで、いつか機体にこのノーズアートが描かれるかもですね


ま、こちらのパネルも気になりましたが・・・

こちらスチンソンL-5Eセンチネルだそうです



音声ガイドを聴いてる時間がないので日本語の説明板がありがたいです

で、こちらが前回記事でも触れた九九式艦上爆撃機

(AIによると)2022年9月に博物館に到着した機体だそうです
で、最奥部からの眺め

窓ガラスがモザイク状になってますね
奥の作業スペースでは、

もう一機のB-17Eでしょうか???
(だとすると、日本軍の真珠湾攻撃の際に本土からの移送飛行中で非武装だったため、
ふらふら(スワーリン)飛行して逃げ回り無事だったとゆースワーリン・ベティー???)
と、こちらはAIによれば・・・

英国空軍の複葉機ホーカー・ハインド爆撃機と出ましたが、どうでしょう???
(どちらも詳しい情報をいただければ追記修正します)
以下、ジェット戦闘機なんぞはさらにさくさくっと・・・




さすがに間近で見ると凄い迫力です


こちらは飛行服を着て操縦席に乗れるコスプレ無料サービス
でしたが・・・
やはり時間がなくパスして・・・
帰り道の屋外展示はさらに駆け足で・・・





他にも当時の対空陣地の再現やパイロット装備品の展示などもあったようですが廻りきれず、
足早に音声ガイドを返却、集合時間には何とか間に合いました
送迎ガイド付きツアーは確かにお気楽でしたが、もう少し時間に余裕があれば・・・
と、帰路の車中からも何枚か・・・往路はまだ夜明け前だったし・・・
最近できたオアフ島で唯一の鉄道


現在は空港からパールハーバー沿いだけで運行してるようですが・・・
パールハーバー沿いの殆どはフェンスに囲まれた軍用地なので、

軍人以外の利用者は殆どいないとか・・・
さらに、

ダニエル・K・イノウエ国際空港は隣接する空軍ヒッカム飛行場と滑走路を共用してるし、
さらさらにこちら、

ハワイ州で最大の病院で、陸軍病院だそうです・・・
やはり州の人口のうち23%を占める軍の影響は大きいようです
と、市街地に入って、ここが・・・

オバマ元大統領が生まれた病院だそうです

と、早朝からのツアーを終え、いったんホテルの自室に戻りました
(次回に続きます)
2026年03月20日
憧れのピザと・・・
(前回記事からの続きです ホノルル連載をはじめからご覧になるにはこちらのカテゴリから)
ホノルル4日目は早朝からパールハーバーツアーに参加してホテルの自室に戻ったのは、
午後1時半ぐらいでした
朝食が5時前に軽くだったのでお腹は空いてたけど、家内はともかくお昼寝したい、つーことで
残ってたスナック類とマウイビールで誤魔化して、家内はそのまま爆睡・・・
わたくしは30分ほどで目覚め、昨日も浸かってたホテルのジャグジーへ
プールにも浸かったりして1時間半は滞在してましたが、わたくしが来てから戻るまで、
ずっとプールサイドのビーチチェアに寝そべったままの老若男女が何人もいました
本やスマホを眺めたり飲み物を飲んでたので寝てるわけでもなく、おそらく1日中そうして
まったりと過ごしてるのでしょうね
ま、これが本来のリゾートホテルでの過ごし方かも知れませんが・・・
閑話休題
自室に戻ると、孫たちと4時半に合流することになったからと、夕食の希望を訊かれたので、
わたくしがガイドブックで見つけた近くのピザ屋さんに連れて行ってもらうことになりました
そう、一度は本場のアメリカン・ピザ???を食べてみたかったのでありますね
のんびり歩いて10分ほどで・・・


クラフトピザとワインバーのお店に到着

嫁は孫たちと来たことがあり、我々にも薦めようと思ってた店だそうです
で・・・

通常メニューなら一番安いピザでも20ドル以上はするのですが・・・
ホノルルの店によくある「ハッピーアワー」つーことで

3時から6時までに入店すればピザは15ドルから17ドル、ビール6ドル、ワイン8ドルとゆー、
ま、日本の居酒屋でもやってるタイムサービスですね
メニューの種類は限られるものの、たとえばハッピーアワーで注文したマルゲリータ・ピザは
15ドルでしたが、上の通常メニューだと22ドルになってますね
日本円では通常3300円ほどが2250円ほどになる感じで、確かにお得感はあります
とにもかくにも、まずは乾杯!!!

わたくしと嫁はビキニブロンド!!!とゆービール、家内はロゼのスパークリングワインでした
で、嫁オススメのマッシュルームを揚げた「ポルトベッロ」

付いてた特製ディップで食べると、味わったことのないおいしさでした
で、わたくしはサラミ・ピザを、

家内はマルゲリータ・ピザを

孫たちはキッズ・メニューの中から・・・

キッズ・チーズピザと

キッズ・バターパスタを

って、殆ど食べた後でしゅが・・・
ピザはどれも6カットでしたが日本ならドミピのMサイズぐらいかな・・・
ともかくお腹が空いてたのでばくばく食べつつ、わたくしはビキニブロンドをおかわり、

家内はせっかくだからと贅沢にもブルーハワイを注文・・・

ううっ、こっちもよさげやな・・・じゅるじゅるじゅる
で、ブルーハワイに飾ってあったランは・・・

孫の髪飾りに・・・
と、みんなでピザ・パーティを楽しみました
この店は本格的なクラフトピザがウリで確かにおいしかったのですが・・・
本格的なピザ窯を使ったクラフトピザをウリにしている専門店は日本にも多いし、わたくしが
試してみたかったアメリカン・ピザといえば、やはりパンのような分厚い生地をオーブンで
焼くやつだろうし、そんなのはホノルルでも住民が住民向けの店や宅配で食べるのかもですね
それが日本のと(サイズは異なるらしいけど)同じなのか、とゆー疑問は残ったままでしたが、
ピザといえば、やはりイタリアが本場でしょう・・・
9年前になりますがイタリアの小さな町の住民向けの宅配ピザがLサイズで僅か4ドルちょい、
しかも生地もトッピングもすべてフルオーダーでした
もちろん時代も違うし物価水準も違うだろうけど、やはり食文化の違いが一番大きいでしょう
本格的なクラフトピザをホノルルで食べればMでも20ドル、大阪でも10ドルはするだろうけど、
イタリアの地元の店ならLでも5ドル以下、これはご当地「○○ラーメン」でも同じことでしょう
地元で食べるということは、本来値段の違いではなく食文化の違いを楽しむということ、
それが今の観光地や大都市では、どこまで味わえるのか、ですね・・・
そう、有名な札幌のラーメン横丁や博多の屋台街で食べるラーメンと地元の人がふだん通う店で
食べるラーメンとの味や値段だけではなく雰囲気の違いつーか、大阪でも本場の味と雰囲気を
味わいたい人は、道頓堀あたりの有名なお好み焼き屋さんではなく、クチコミなどを頼りに
わざわざ地元の店を探して来られてましたが、これが本来でしょう
まあ、それが地元にとっては嬉しくもあり迷惑でもあるのでしょうが・・・ぶつぶつぶつ
閑話休題
と、食文化についても考察しつつ
食後は暮れなずむ市街をそぞろ歩き・・・


ほんと、どこにでもABCストアがあるんですね




孫たちはハトさんたちと遊びながらホテル前まで一緒に歩いてお別れ・・・
この日も天候はころころ変わりましたが・・・


夕暮れはそれなりでした
さすがにこの夜は軽くシャワーを浴びて軽く一杯だけで就寝、翌日は陸軍博物館へ・・・
(次回に続きます)
ホノルル4日目は早朝からパールハーバーツアーに参加してホテルの自室に戻ったのは、
午後1時半ぐらいでした
朝食が5時前に軽くだったのでお腹は空いてたけど、家内はともかくお昼寝したい、つーことで
残ってたスナック類とマウイビールで誤魔化して、家内はそのまま爆睡・・・
わたくしは30分ほどで目覚め、昨日も浸かってたホテルのジャグジーへ
プールにも浸かったりして1時間半は滞在してましたが、わたくしが来てから戻るまで、
ずっとプールサイドのビーチチェアに寝そべったままの老若男女が何人もいました
本やスマホを眺めたり飲み物を飲んでたので寝てるわけでもなく、おそらく1日中そうして
まったりと過ごしてるのでしょうね
ま、これが本来のリゾートホテルでの過ごし方かも知れませんが・・・
閑話休題
自室に戻ると、孫たちと4時半に合流することになったからと、夕食の希望を訊かれたので、
わたくしがガイドブックで見つけた近くのピザ屋さんに連れて行ってもらうことになりました
そう、一度は本場のアメリカン・ピザ???を食べてみたかったのでありますね
のんびり歩いて10分ほどで・・・


クラフトピザとワインバーのお店に到着

嫁は孫たちと来たことがあり、我々にも薦めようと思ってた店だそうです

で・・・

通常メニューなら一番安いピザでも20ドル以上はするのですが・・・
ホノルルの店によくある「ハッピーアワー」つーことで


3時から6時までに入店すればピザは15ドルから17ドル、ビール6ドル、ワイン8ドルとゆー、
ま、日本の居酒屋でもやってるタイムサービスですね

メニューの種類は限られるものの、たとえばハッピーアワーで注文したマルゲリータ・ピザは
15ドルでしたが、上の通常メニューだと22ドルになってますね
日本円では通常3300円ほどが2250円ほどになる感じで、確かにお得感はあります
とにもかくにも、まずは乾杯!!!

わたくしと嫁はビキニブロンド!!!とゆービール、家内はロゼのスパークリングワインでした
で、嫁オススメのマッシュルームを揚げた「ポルトベッロ」

付いてた特製ディップで食べると、味わったことのないおいしさでした

で、わたくしはサラミ・ピザを、

家内はマルゲリータ・ピザを

孫たちはキッズ・メニューの中から・・・

キッズ・チーズピザと

キッズ・バターパスタを

って、殆ど食べた後でしゅが・・・
ピザはどれも6カットでしたが日本ならドミピのMサイズぐらいかな・・・
ともかくお腹が空いてたのでばくばく食べつつ、わたくしはビキニブロンドをおかわり、

家内はせっかくだからと贅沢にもブルーハワイを注文・・・

ううっ、こっちもよさげやな・・・じゅるじゅるじゅる
で、ブルーハワイに飾ってあったランは・・・

孫の髪飾りに・・・
と、みんなでピザ・パーティを楽しみました
この店は本格的なクラフトピザがウリで確かにおいしかったのですが・・・
本格的なピザ窯を使ったクラフトピザをウリにしている専門店は日本にも多いし、わたくしが
試してみたかったアメリカン・ピザといえば、やはりパンのような分厚い生地をオーブンで
焼くやつだろうし、そんなのはホノルルでも住民が住民向けの店や宅配で食べるのかもですね
それが日本のと(サイズは異なるらしいけど)同じなのか、とゆー疑問は残ったままでしたが、
ピザといえば、やはりイタリアが本場でしょう・・・
9年前になりますがイタリアの小さな町の住民向けの宅配ピザがLサイズで僅か4ドルちょい、
しかも生地もトッピングもすべてフルオーダーでした

もちろん時代も違うし物価水準も違うだろうけど、やはり食文化の違いが一番大きいでしょう
本格的なクラフトピザをホノルルで食べればMでも20ドル、大阪でも10ドルはするだろうけど、
イタリアの地元の店ならLでも5ドル以下、これはご当地「○○ラーメン」でも同じことでしょう
地元で食べるということは、本来値段の違いではなく食文化の違いを楽しむということ、
それが今の観光地や大都市では、どこまで味わえるのか、ですね・・・
そう、有名な札幌のラーメン横丁や博多の屋台街で食べるラーメンと地元の人がふだん通う店で
食べるラーメンとの味や値段だけではなく雰囲気の違いつーか、大阪でも本場の味と雰囲気を
味わいたい人は、道頓堀あたりの有名なお好み焼き屋さんではなく、クチコミなどを頼りに
わざわざ地元の店を探して来られてましたが、これが本来でしょう
まあ、それが地元にとっては嬉しくもあり迷惑でもあるのでしょうが・・・ぶつぶつぶつ
閑話休題
と、食文化についても考察しつつ
食後は暮れなずむ市街をそぞろ歩き・・・

ほんと、どこにでもABCストアがあるんですね




孫たちはハトさんたちと遊びながらホテル前まで一緒に歩いてお別れ・・・
この日も天候はころころ変わりましたが・・・


夕暮れはそれなりでした
さすがにこの夜は軽くシャワーを浴びて軽く一杯だけで就寝、翌日は陸軍博物館へ・・・
(次回に続きます)
