ご飯
2025年05月24日
「食料自給率と安全保障」より一部メモ
とーとつですが・・・わたくし麺類とご飯類が大好きであります
ラーメンと炒飯、うどんと丼物、蕎麦と寿司、パスタとライスドリアなどなど・・・
つーことで最近のコメ騒動もあり、今回は穀物系の食の安全保障についてメモしてみました
三菱総研の2024.6.5コラム
「食料自給率向上」は政策目標として適切か?食料自給率と安全保障 第5回 | 食料自給率と安全保障 | MRI 三菱総合研究所
などからのメモです
(著作物を参考にした個人メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)

ラーメンと炒飯、うどんと丼物、蕎麦と寿司、パスタとライスドリアなどなど・・・

つーことで最近のコメ騒動もあり、今回は穀物系の食の安全保障についてメモしてみました
三菱総研の2024.6.5コラム
「食料自給率向上」は政策目標として適切か?食料自給率と安全保障 第5回 | 食料自給率と安全保障 | MRI 三菱総合研究所
などからのメモです
(著作物を参考にした個人メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・現時点では日本の食料安全保障上の問題は大きくはない(世界第6位で極めて高い水準)
⇒(国内生産か輸入かは別として)多くの人が2,265kcal/人/日のカロリーを多様な食品から摂取できており、
それを一人あたり1日359円のコストで実現できているから高い水準(食料自給率からではない)
⇒(国内生産か輸入かは別として)多くの人が2,265kcal/人/日のカロリーを多様な食品から摂取できており、
それを一人あたり1日359円のコストで実現できているから高い水準(食料自給率からではない)
・なので日本の食料安全保障は(自給率の目標設定や達成ではなく)この現状をいかに維持するかということ
⇒輸入や国内生産の将来の見通しを確認し、想定されるリスクに対する対応策を考えていくこと
・日本の食糧供給は①②③が支えている
①国内生産による調達(カロリーベースで40%金額ベースで60%)
②輸入による調達(カロリーベースで60%金額ベースで40%)
③小売り・物流などの(全国津々浦々を張り巡らした)フードサプライチェーンの確立
(つまり①と②のバランス(自給率)を考えることが食の安全保障ではなく、現在はまだ機能している、
①②③それぞれの将来見込みや問題点を分析、そのリスクへの対応策を考えることが食の安全保障?)
・・・(今回のコメ騒動について途中追記)・・・
A2023年産の作況は101と平年並みだったものの、北陸東北地方を中心に酷暑の影響でコメの品質が大きく低下、
先行き懸念から価格が上昇しはじめ、4月以降はメディアも大きく取り上げはじめた
B2024年8月の台風頻発と南海トラフ地震情報で買い溜め・品切れの連鎖が始まった
(多くの世帯が災害不安や値上げ不安から多めに買えば需要が急増して一時的に品切れになり連鎖に)
といったことが三菱総研のコラムでは発端とされてましたが・・・
C2023年産の作況が農林水産省の(人員削減により間接調査になった)調査報告より実際には少なかった?
②輸入による調達(カロリーベースで60%金額ベースで40%)
③小売り・物流などの(全国津々浦々を張り巡らした)フードサプライチェーンの確立
(つまり①と②のバランス(自給率)を考えることが食の安全保障ではなく、現在はまだ機能している、
①②③それぞれの将来見込みや問題点を分析、そのリスクへの対応策を考えることが食の安全保障?)
・・・(今回のコメ騒動について途中追記)・・・
A2023年産の作況は101と平年並みだったものの、北陸東北地方を中心に酷暑の影響でコメの品質が大きく低下、
先行き懸念から価格が上昇しはじめ、4月以降はメディアも大きく取り上げはじめた
B2024年8月の台風頻発と南海トラフ地震情報で買い溜め・品切れの連鎖が始まった
(多くの世帯が災害不安や値上げ不安から多めに買えば需要が急増して一時的に品切れになり連鎖に)
といったことが三菱総研のコラムでは発端とされてましたが・・・
C2023年産の作況が農林水産省の(人員削減により間接調査になった)調査報告より実際には少なかった?
D農家と消費者との直接取引などサプライチェーン以外での取引が増えて流通量が減っている?
Eコメのサプライチェーン(集荷とか卸とか小売りとか)自体に問題があり連鎖で一気に表面化した?
といったハナシもネット上では見かけます
もしCDEが原因なら一時的な問題ではないので安全保障上の見直しが必要なのではないか?
さらにこれらはコメの関税をなくして輸入を増やせば一気に解決する?⇒それで稲作農家は全滅する?)
・・・(途中追記ここまで)・・・
Eコメのサプライチェーン(集荷とか卸とか小売りとか)自体に問題があり連鎖で一気に表面化した?
といったハナシもネット上では見かけます
もしCDEが原因なら一時的な問題ではないので安全保障上の見直しが必要なのではないか?
さらにこれらはコメの関税をなくして輸入を増やせば一気に解決する?⇒それで稲作農家は全滅する?)
・・・(途中追記ここまで)・・・
・すべての(大豆を含む)穀物系の国内需要を国内生産で賄うことは不可能
⇒コメは消費量のほぼ全てが国内生産で賄われている(年間約700万トン)が、それ以外の大豆を含む穀物の需要、
小麦635万トン、大豆335万トン、トウモロコシ1,600万トンの合計2,570万トンのうち2,430万トンが輸入
小麦635万トン、大豆335万トン、トウモロコシ1,600万トンの合計2,570万トンのうち2,430万トンが輸入
(国内需要合計は国内生産のコメ約700万トン+その他約140万トン+輸入約2,430万トンで約3,300万トン)
(ちなみにトウモロコシの3分の2以上は飼料用、需要合計に廃棄量が多いことも課題)
⇒野菜の輸入は300万トン、肉の輸入は250万トンなので量的にいえば圧倒的に穀物系の輸入が多い
・穀物系について輸入先をみると、小麦は米国・カナダ・豪州の3カ国でほぼ100%、大豆は米国とカナダで85%以上
(残りのうち10%以上がブラジル)、トウモロコシは全体の3分の2が米国、残り3分の1がほぼブラジルからの輸入
⇒すなわち大豆を含む日本の穀物の輸入先は米国・カナダ・豪州・ブラジルの友好国4カ国でほぼ100%
・生産量の過半以上を輸出に回している友好国4カ国が(国際的な大騒乱または大規模な気候変動などによる
生産量の半減がない限り)日本への輸出を止めることは、ほぼ考えられない
(ただし食料安全保障では、この大騒乱リスクや半減リスクへの対応策も考えておく)
(ただし食料安全保障では、この大騒乱リスクや半減リスクへの対応策も考えておく)
・国内で穀物を最も生産できていた昭和30年代後半から40年代頃でも国内生産量は合計1,600万トン程度、
しかも当時の農地は600万haと今の1.5倍以上あった
⇒現状の穀物需要3,300万トンの大半を国内生産(自給)しようとしても、どだい無理な話
・なので食料輸入を維持し続けることも日本の食料安全保障には非常に重要な要素
⇒世界から現状のような食料輸入を維持するためには以下の2点が不可欠
(1)世界の食料生産と供給システム(農業生産と食料貿易)が安定的に機能していること
(1)世界の食料生産と供給システム(農業生産と食料貿易)が安定的に機能していること
(2)日本(日本人)に一定の経済力があること
・20~30年後の中長期の状況では①(国内生産による調達)が現状の半分程度になっている可能性が高い
⇒ただし、それだけでは食料危機は発生しない
⇒(1)世界の食料供給が潤沢で(2)日本の経済力が相当程度あれば、世界から百万トン単位で穀物などを
追加的に購入することは不可能ではないから
・20~30年後の中長期の状況では①(国内生産による調達)が現状の半分程度になっている可能性が高い
⇒ただし、それだけでは食料危機は発生しない
⇒(1)世界の食料供給が潤沢で(2)日本の経済力が相当程度あれば、世界から百万トン単位で穀物などを
追加的に購入することは不可能ではないから
・ところが現状のトレンドから(2)日本の相対的な経済力の低下は円安傾向を現状以上に強める可能性がある
⇒今の国際的な食料調達競争での買い負け現象が、さらに一般食材まで波及する可能性がある
・さらに(1)世界の食料生産が気候変動などにより大きく不安定化しているとしたら世界全体で食料価格が急騰し、
国際市場から追加的な食料輸入をすることが難しくなる
⇒この場合でも全体の変化が「じわじわと」起こってくれれば、ある程度の対応は可能
⇒日本の経済力が低下して世界の農産物価格が上昇すれば内外価格差が縮小し相対的に日本国内で農業生産が
しやすくなっている可能性も高いから
(確かに輸入品が国際価格上昇と円安でじわじわ高くなれば、国内生産にじわじわシフトしていくかもですね)
・日本の食料安全保障で一番問題なのは、国内生産力や日本全体の経済力の低下がじわじわと続いて
結果として大きく弱体化している状況で、国際的な大騒乱や大規模な気候変動などで世界全体での食料生産や
供給システムが大きく毀損されるような事態が「急激に」発生する場合
⇒国内に再生産力がない中で世界食料危機が発生することになるから(これが最悪のシナリオ)
(この最悪のシナリオへの対応策)
・世界の農業生産や貿易環境が中長期的にどのように変化するかは誰にもわからない
・日本がコントロールできる要因は多くはない。
⇒日本の農業政策でできること(やるべきこと)は「農業生産基盤の毀損をなんとか食い止めておくこと」だけ
(この最悪のシナリオへの対応策)
・世界の農業生産や貿易環境が中長期的にどのように変化するかは誰にもわからない
・日本がコントロールできる要因は多くはない。
⇒日本の農業政策でできること(やるべきこと)は「農業生産基盤の毀損をなんとか食い止めておくこと」だけ
⇒農地や農業経営人材など農業生産の基盤となるリソースは一度毀損されてしまうと一朝一夕で回復できないから
⇒主食となる穀物類を植物工場などで工業製品的に生産することは(まだまだ)不可能であり、大地の上で
農地を使って1年1作(多くても2作程度)で生産するしかない
・なので「不測事態への対処としての食料安全保障」を担保する最重要要素は(食料自給率のアップではなく)
「農地の維持・確保」と、その農地を活かす「農業経営体・人材の確保」
⇒この2つが緊急事態への備えとして最も重要な政策目標KPI(重点とすべき目標指標)となる
⇒ところが緊急事態だけに対応した経営体・人材の確保など、できないことは明らか
⇒なので、それらの経営体・人材を産業にひきとめておくだけの農業生産額(一義的には付加価値額・
その代理変数としての生産額)がもう1つの最重要KPIとなる
(食の安全保障としては穀物系または穀物系に転換できる農地・経営体・人材を常に確保しておくこと?)
(輸入が止まった際に最低限の穀物系を国内で再生産できるだけの農地・経営体・人材の常時確保?)
⇒主食となる穀物類を植物工場などで工業製品的に生産することは(まだまだ)不可能であり、大地の上で
農地を使って1年1作(多くても2作程度)で生産するしかない
・なので「不測事態への対処としての食料安全保障」を担保する最重要要素は(食料自給率のアップではなく)
「農地の維持・確保」と、その農地を活かす「農業経営体・人材の確保」
⇒この2つが緊急事態への備えとして最も重要な政策目標KPI(重点とすべき目標指標)となる
⇒ところが緊急事態だけに対応した経営体・人材の確保など、できないことは明らか
⇒なので、それらの経営体・人材を産業にひきとめておくだけの農業生産額(一義的には付加価値額・
その代理変数としての生産額)がもう1つの最重要KPIとなる
(食の安全保障としては穀物系または穀物系に転換できる農地・経営体・人材を常に確保しておくこと?)
(輸入が止まった際に最低限の穀物系を国内で再生産できるだけの農地・経営体・人材の常時確保?)
(そのための政策目標としては(食料自給率ではなく)経営体・人材をひきとめておくだけの農業生産額?)
(農業に経営体・人材をひきとめておくだけの生産額?⇒儲かる農業?⇒集約化?法人化?大規模化?)
(農業に経営体・人材をひきとめておくだけの生産額?⇒儲かる農業?⇒集約化?法人化?大規模化?)
・・・(5/25途中追記・ヤフーニュースより一部抜粋)・・・
農業経済学を専門とする宇都宮大学の小川真如助教は、(稲作の大規模化への)変化は米農家の姿を変える
可能性があると指摘する。
可能性があると指摘する。
「北海道、秋田、新潟など平地が多く規模拡大しやすい場所での米の生産量が増える。
大規模化で生産コストが下がり農家も儲けを出していけるし米の自給も維持できる。
その反面、このままでは山の斜面などにつくられた小さな田んぼは今後担い手がいなくなると思います」
「令和の百姓一揆実行委員会」代表の菅野芳秀さんもそうした日本の農業の変化に懸念を示す。
「平地で近代的な機械を使った工業的農業生産は可能かもしれないが、圧倒的多数の中山間地ではできない。
家族農家が隅々まで植えてきた田んぼはなくなりつつある。これで国民の米需要に応えられるとは思わない。」
大規模化で生産コストが下がり農家も儲けを出していけるし米の自給も維持できる。
その反面、このままでは山の斜面などにつくられた小さな田んぼは今後担い手がいなくなると思います」
「令和の百姓一揆実行委員会」代表の菅野芳秀さんもそうした日本の農業の変化に懸念を示す。
「平地で近代的な機械を使った工業的農業生産は可能かもしれないが、圧倒的多数の中山間地ではできない。
家族農家が隅々まで植えてきた田んぼはなくなりつつある。これで国民の米需要に応えられるとは思わない。」
経済的な合理性を考えると、米づくりは大規模化するほうが利益を得やすく持続的に思える。
だが、それだけの理由で小規模農家をなくしてよいのだろうか。
小規模な農家は長年、日本の食料を支えるだけでなく国土の保全などの役割も担ってきた。
小規模農家をなくしてしまった先に日本の繁栄はあるのだろうか。
日本の農業の方向性が問われている。 荒舩良孝/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部より
だが、それだけの理由で小規模農家をなくしてよいのだろうか。
小規模な農家は長年、日本の食料を支えるだけでなく国土の保全などの役割も担ってきた。
小規模農家をなくしてしまった先に日本の繁栄はあるのだろうか。
日本の農業の方向性が問われている。 荒舩良孝/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部より
・・・(途中追記ここまで)・・・
・日本の経済力を維持し続けることは食料安全保障上も重要
・海外からの安定調達という面から海外農業投資を進める国も増えてきている
⇒日本政府も、そういう発想での政策に検討の余地があるかもしれない
⇒政府レベルでの話ではなくとも、総合商社や食肉などの食品メーカーが海外の生産者とつながり、
サプライチェーンを構築して日本国向けの食料を調達していることは、海外からの安定調達という意味で、
食料安全保障上の意味合いも大きい
⇒こうした取り組みを官民挙げて総合的にデザインすることが求められている・・・
・・・さてさてどうするか・・・と以下に続きますが、とりあえずここまでで(農産物の)麦ジュースをば・・・

「食料安全保障」を脅かすリスクシナリオ食料自給率と安全保障 第6回 | 食料自給率と安全保障 | MRI 三菱総合研究所
基本計画に掲げるべき「KPI設定」の視点食料自給率と安全保障 第7回 | 食料自給率と安全保障 | MRI 三菱総合研究所
(ちなみに令和のコメ騒動については2025年1月からの以下の連載コラムもあります)
『令和のコメ騒動』(1)コメ高騰の歴史に学ぶ、今後の見通し 食料自給率と安全保障 第10回 | コラム | MRI 三菱総合研究所
『令和のコメ騒動』(2)コメ価格の一般的な決まり方 食料自給率と安全保障 第11回 | コラム | MRI 三菱総合研究所
『令和のコメ騒動』(3)コメ価格高騰の構造と備蓄米放出の意味 食料自給率と安全保障 第12回 | コラム | MRI 三菱総合研究所
『令和のコメ騒動』(4)令和のコメ騒動が暗示する政策課題の深層 食料自給率と安全保障 第13回 | コラム | MRI 三菱総合研究所
2025年02月15日
KF21若鷹の祝賀会???
とーとつですが、わたくし・・・
韓国空軍の最新鋭戦闘機KF21ボラメ(若鷹⇒2026年から配備予定ウィキより)

・・・の祝賀会に参加してきました
???
ま、正しくは同機の1/72スケールモデル(韓国アカデミー社製)・・・

が、某誌の読者プレゼントで当った軍用機マニアの当選祝賀会(名目の飲み会)でしたが
つーことで指定された祝賀会場は、

なんばパークス6Fにある韓国料理店・・・


bibim(ビビム)とゆーお店でした
参加したのは当選者さんとひさしぶりのMe109k4さんとわたくしの3人、そりゃあ、
こんな名目で集まる地球生命体つーのは絶対数が限られますからね
そう、お二人は軍用機マニア、わたくしも一応「搭載機銃つながり」つーことで
で、当日のわたくしからお二人への豪華プレゼント


ま、葉巻の空き缶なんですが
フタ裏の写真は朝鮮戦争当時のパイロットたち
すでに廃版品なので稀少品といえば稀少品なのでありますね
つーことで、豪華賞品(本人はレシプロ機が専門なんですが
)の当選を祝して、


「ハッピーアワー」の飲み物で乾杯!!!
以後は延々と飲みつつ食べつつ、軍用機や戦争映画などのヲタ話が続きました
Me109k4さんとはじつにひさしぶり、当選者さんとは最近も同期の集まりで飲んでましたが、
そんな席でこんな話題で盛り上がることはなかったので
3人で大いに盛り上がりました
同じ機体の話をしてても、同じ映画の話をしてても、興味分野が各自で全く異なるので、
「それには気づかなかったなあ」とゆー話題も多くて飽きませんでしたねえ・・・
そーいやMe109k4さんとは昔「戦争映画を観る会」でメンフィスベルや紅の豚なんぞを観て、
映画館を出た後に感想を話し合ってたけど、各自の興味分野のシーンはしっかり覚えてたものの、
それ以外のストーリーなんぞは、誰もあまり覚えてなかったな・・・あははは
わたくしが殆ど知らない世界でもマニア同士の会話つーのは、やはり興味津々でした
と、せっかくなので当日の韓国料理もいくつか紹介しておきます・・・



ええ、残念ながら「正統派ブデチゲ」はメニューにありませんでした
韓国空軍の最新鋭戦闘機KF21ボラメ(若鷹⇒2026年から配備予定ウィキより)

・・・の祝賀会に参加してきました
???
ま、正しくは同機の1/72スケールモデル(韓国アカデミー社製)・・・

が、某誌の読者プレゼントで当った軍用機マニアの当選祝賀会(名目の飲み会)でしたが

つーことで指定された祝賀会場は、

なんばパークス6Fにある韓国料理店・・・


bibim(ビビム)とゆーお店でした
参加したのは当選者さんとひさしぶりのMe109k4さんとわたくしの3人、そりゃあ、
こんな名目で集まる地球生命体つーのは絶対数が限られますからね

そう、お二人は軍用機マニア、わたくしも一応「搭載機銃つながり」つーことで

で、当日のわたくしからお二人への豪華プレゼント



ま、葉巻の空き缶なんですが


すでに廃版品なので稀少品といえば稀少品なのでありますね
つーことで、豪華賞品(本人はレシプロ機が専門なんですが



「ハッピーアワー」の飲み物で乾杯!!!
以後は延々と飲みつつ食べつつ、軍用機や戦争映画などのヲタ話が続きました
Me109k4さんとはじつにひさしぶり、当選者さんとは最近も同期の集まりで飲んでましたが、
そんな席でこんな話題で盛り上がることはなかったので

同じ機体の話をしてても、同じ映画の話をしてても、興味分野が各自で全く異なるので、
「それには気づかなかったなあ」とゆー話題も多くて飽きませんでしたねえ・・・
そーいやMe109k4さんとは昔「戦争映画を観る会」でメンフィスベルや紅の豚なんぞを観て、
映画館を出た後に感想を話し合ってたけど、各自の興味分野のシーンはしっかり覚えてたものの、
それ以外のストーリーなんぞは、誰もあまり覚えてなかったな・・・あははは

わたくしが殆ど知らない世界でもマニア同士の会話つーのは、やはり興味津々でした
と、せっかくなので当日の韓国料理もいくつか紹介しておきます・・・



ええ、残念ながら「正統派ブデチゲ」はメニューにありませんでした

2025年02月07日
地球グルメ大図鑑とブデチゲ考察?
ええ、まずは・・・

地球グルメ大図鑑~世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味~のご紹介から
裏表紙

奥付

そう、

こんな注意書きのある大図鑑であります わくわく
目次


米国の項では51州すべて、さらには南極の各基地グルメまでありましたが・・・
まずは目次のアジア→東アジア→日本の項にあったグルメ?をメモ
・竹のウォータースライド(流しそうめん)
・鉄道駅のごちそう(200種類の駅弁を揃える東京駅の駅弁屋)
・伝統の職人技が光るぺろぺろキャンディ(飴細工)
・寿司の元祖(琵琶湖のふなずし)
・エンタメ・レストラン(主役が料理ではない飲食店)
・海軍カレー(日本のカレーライス)
・洋食(日本生まれの西洋料理)
→ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、サンド、タコライス
・渋柿を甘くする技(干し柿)
・高級フルーツ(企業の夏冬2回の贈答競争で繁栄を謳歌しているフルーツ
)
→でんすけすいか、太陽のタマゴ(マンゴー)、美人姫(イチゴ)、ルビーロマン(ブドウ)、夕張キング(メロン)
・相撲力士の鍋料理(ちゃんこ鍋)
・巨大な稲わらの構造物(わらアート)
(グルメではないけど食材に関する珍しいモノつーことでしょうね)
各項目に説明、写真、由来、レシピなどがあり、実際に現地で体験する方法も書いてあって、
食べ歩きガイドブックとしても使えるようになってました
と、世界中のグルメ?が紹介されてましたが、特に琴線に触れた項目から・・・
・正真正銘のモンゴル式バーベキュー「ボードグ」
→モンゴルの戦士は馬で移動するので重い調理器具を持ち運ぶのは不可能だった
→そんな遊牧生活に適した調理法として彼らは動物の体を調理器具として使った
→山羊やマーモットの腹から肉と骨と内蔵を取り出し肉(肝臓と腎臓を含む)にスパイスをふり、
熱く焼いた石と野菜と一緒に詰め戻し穴を塞ぎ直火で焼く
→焼け残った毛をナイフでこそげ落とし2時間ほどで首の穴から脂が滴るようになったら食べ頃で、
腹が大皿の役割も兼ねている
→チンギス・ハンもボードグで勝利の宴会をしていた(モンゴルシェフ連盟会長談)
まさに調理器具の要らない究極のアウトドア料理で、わたくしの大好きなモンゴル料理
「羊の石焼き」
の原点だったんですね、調理器具はミルク缶を使ってましたが(98k談)
・米軍基地で生まれた鍋物ブデチゲ(韓国)
→今や韓国で一番人気を誇るフュージョン料理
→部隊鍋を意味するブデチゲは米国人が捨てた食料から生まれたものだった
→残飯から生まれた米国帝国主義の名残を屈折した形で伝える一品となった
→朝鮮戦争中のソウル市民は食料不足で米軍基地のゴミ箱から缶詰の豆、チーズ、
スパム、ハムなど加工食品の残飯を集めてキムチ、野菜、インスタント麺と一緒に鍋へ
→朝鮮戦争後も米国製品の規制は続き、米軍基地の食材を扱う酒保闇市が増えた
(多くの市民には米国産の加工肉が唯一の手が届く肉だった)
→1980年代に米国製品の規制が撤廃されブデチゲは人気の大衆料理として進化した
→とりわけ大学周辺に多いが高級地区にもブデチゲに特化したレストランがある・・・
(で、大好きなブデチゲの考察?)
わたくしは、韓国軍兵士が米軍経由のスパムなどの缶詰とキムチやインスタント麺などを
ひとつの鍋に入れて、部隊の仲間で一緒に食べてたのを懐かしみ、除隊後にも仲間と再現、
それがやがて貧乏学生から一般市民にも拡がったと理解してたのですが本書のような説もあり、
ホントはどうだったのか(ヒマなので)考察?してみました
①ブデチゲの基本食材はスパムなどの加工肉とキムチとスープ別添のインスタント麵だけど、
スープ別添の袋麺は1962年の明星食品と東洋水産が世界初なので、今のスタイルで初めて
食べられたのは、いくら早くても1962年以降になるはず
(ちなみに朝鮮戦争時なら1950年~53年、戦後もっとも古いとされるインスタント麺の記録
(第一次南極観測隊に採用された「長寿麺」)でも朝鮮戦争から3年後の1956年)
②さらにインスタント麵の海外への本格的な輸出はベトナム戦争の拡大(1968年)以降とされ、
それまでは在外邦人向けが中心、アジア各国に急速に出回ったのもこれ以降のはず
③ただし明星食品が韓国に製造プラントを輸出したのは、スープ別添の翌年1963年なので、
それ以降なら韓国にスープ別添のインスタント麵が普及していた可能はある
④以上から、韓国軍兵士がブデチゲとして食べたのは朝鮮戦争当時ではなくベトナム戦争当時、
おそらくは1968年以降で早くても1963年以降に、米軍経由のスパム缶詰と自前のキムチと
スープ別添のインスタント麵などを入れて、部隊の仲間とひとつの鍋をつつきあったのがルーツ、
と考えるほうが妥当ではないか、部隊鍋の名称からもインスタント麺の経緯(朝鮮戦争時には
まだ存在しない)からも、ソウル市民が米軍基地の残飯を入れた鍋はブデチゲではない・・・
と推察したのですが、いかがでしょう?
(ちなみにブデチゲ以前の韓国では一人鍋が基本で、ひとつの鍋を分けあって食べるのは、
日本人と同じ下品な食べ方だったので、当時の大人たちからは軽蔑されてたとか
)
まあ、スパムなど缶詰の加工肉、白菜キムチ、スープ別添の袋麺、あとは玉ねぎなど、
常温保存できる具材があればクーラーボックスがなくても、どこでも鍋宴会が楽しめて、
お腹いっぱいになりますから、わたくしもブデチゲとしての存在を知るずっと以前から
似たようなキャンプ鍋を楽しんでたので、諸説があるのも当然かも知れませんが・・・
閑話休題
わたくしの琴線に触れた項目を続けます・・・
・香辛料のコニャック・XO醤
(香港)略
・平壌冷麺
と大同江醸造所の7種類のビール
(北朝鮮)略
・ブルネイのアンブヤット(サゴヤシの樹幹から取った粉をゼラチン状にしたもの
)略
・ボルネオ島サバ州にしかないバンバンガン(オニオンスープ味のマンゴー
)略
・ある独裁者の推し麺(タイのパッタイ
)
→独裁者が1939年に国名をシャムからタイにするなど制定した国家規則のひとつがパッタイ
→コメの消費量を抑えるため麺類を奨励しパッタイのレシピと屋台を普及させ他の屋台を禁止した
→ライスヌードルは中国人がタイに持ち込んだとされるがパッタイはタイの国民食になった
・ジンバブエのモパネワーム(蛾の幼虫で10cmになる)
→タンパク質の含有量は牛肉の3倍、旨みはよく焼いたステーキと評される
→熟練した摘み手なら1日に25~50キロは採集できる
→内臓を指で絞り出して天日干し、好みで燻製、炙り焼、酢漬け、フライに
→モパネの葉3キロで1キロのモパネワームが育てられるので牛肉よりサスティナブル
・オーストラリア軍のFRED
→1940年代初頭に導入され缶切り・栓抜き・スプーンの機能を持つがスプーンが小さい
→Field Ration Eating Deviceの略だがFucking Ridiculous Eating Device(クソばかげた食器)とも
→2020年現在も軍の配給パックに標準装備されている(←なぜか持ってます
)
・ガンパウダーラム(ニュージーランド)
→18世紀の英国海軍の水兵は毎日支給されるラム酒を火薬に垂らし火をつけて確認していた
→湿った火薬が燃えれば充分なアルコール濃度のラム酒と証明された(プルーフの起源)
→アルコール濃度57%がネイビーストレングス(海軍の強さ)とされ燃えるかどうかの分かれ目
→オマージュとして誕生したガンパウダーラムは51.6%でネイビーストレングスに近い
・パイソンのペミカン(カナダ)
→パイソンの肉を焚火で乾燥させてから細かく挽き獣脂と混ぜる
→1ポンド(454g)あたり3500㌔㌍あり10年は常温保存できたので探検隊にも使われた
→ビーバー猟の必需品となりミシシッピ川北側のパイソンはほぼ絶滅した
→ペミカンは今もカナダのスーパーマーケットで購入できる
・クロンダイクの生活物資リスト(カナダ・ユーコン準州)
→1896年にクロンダイクで金鉱が発見され北米各地から人々が殺到した
→ユーコン準州は不毛地帯だったので1年分の食料を持参するよう法律で定めていた
→キャンプ用品を含めると900kgになったので小分けにして何度も往復して持ち込んだ
で、カナダ最大だった百貨店の1898年発行カタログから1年間に必要な食料品と日用品のリスト
(著作物の一部なので公開に問題があれば非公開設定にします)

いやあ、じつに興味深い内容です
食料のメインは小麦粉とベーコンで砂糖、豆、ロールドオーツも大きな比重を占めてますね
で、このリスト合計で600kg弱ですからキャンプ道具や衣類などが300kg強つーことになります
水や燃料は現地調達でしょうが必需品のラム酒やバーボンはどうしてたんだろ???
・南極観測基地の食生活(中国の長城基地など各国の基地も面白かったけど略)
→日本の昭和基地では屋外での食事会が恒例でメニューは「流しそうめん」
→本来は半分に割った竹にそうめんを流すが南極では氷山に水路を掘って流す
→リュージュのコースを選手ではなくそうめんが滑る様子を想像してほしい
とか、料理や食材だけでなく食に関するエピソードも満載で大いに楽しめました


地球グルメ大図鑑~世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味~のご紹介から

裏表紙


奥付

そう、

こんな注意書きのある大図鑑であります わくわく

目次


米国の項では51州すべて、さらには南極の各基地グルメまでありましたが・・・

まずは目次のアジア→東アジア→日本の項にあったグルメ?をメモ
・竹のウォータースライド(流しそうめん)
・鉄道駅のごちそう(200種類の駅弁を揃える東京駅の駅弁屋)
・伝統の職人技が光るぺろぺろキャンディ(飴細工)
・寿司の元祖(琵琶湖のふなずし)
・エンタメ・レストラン(主役が料理ではない飲食店)
・海軍カレー(日本のカレーライス)
・洋食(日本生まれの西洋料理)
→ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、サンド、タコライス
・渋柿を甘くする技(干し柿)
・高級フルーツ(企業の夏冬2回の贈答競争で繁栄を謳歌しているフルーツ

→でんすけすいか、太陽のタマゴ(マンゴー)、美人姫(イチゴ)、ルビーロマン(ブドウ)、夕張キング(メロン)
・相撲力士の鍋料理(ちゃんこ鍋)
・巨大な稲わらの構造物(わらアート)
(グルメではないけど食材に関する珍しいモノつーことでしょうね)
各項目に説明、写真、由来、レシピなどがあり、実際に現地で体験する方法も書いてあって、
食べ歩きガイドブックとしても使えるようになってました
と、世界中のグルメ?が紹介されてましたが、特に琴線に触れた項目から・・・
・正真正銘のモンゴル式バーベキュー「ボードグ」

→モンゴルの戦士は馬で移動するので重い調理器具を持ち運ぶのは不可能だった
→そんな遊牧生活に適した調理法として彼らは動物の体を調理器具として使った
→山羊やマーモットの腹から肉と骨と内蔵を取り出し肉(肝臓と腎臓を含む)にスパイスをふり、
熱く焼いた石と野菜と一緒に詰め戻し穴を塞ぎ直火で焼く
→焼け残った毛をナイフでこそげ落とし2時間ほどで首の穴から脂が滴るようになったら食べ頃で、
腹が大皿の役割も兼ねている
→チンギス・ハンもボードグで勝利の宴会をしていた(モンゴルシェフ連盟会長談)
まさに調理器具の要らない究極のアウトドア料理で、わたくしの大好きなモンゴル料理
「羊の石焼き」

・米軍基地で生まれた鍋物ブデチゲ(韓国)

→今や韓国で一番人気を誇るフュージョン料理
→部隊鍋を意味するブデチゲは米国人が捨てた食料から生まれたものだった
→残飯から生まれた米国帝国主義の名残を屈折した形で伝える一品となった
→朝鮮戦争中のソウル市民は食料不足で米軍基地のゴミ箱から缶詰の豆、チーズ、
スパム、ハムなど加工食品の残飯を集めてキムチ、野菜、インスタント麺と一緒に鍋へ
→朝鮮戦争後も米国製品の規制は続き、米軍基地の食材を扱う酒保闇市が増えた
(多くの市民には米国産の加工肉が唯一の手が届く肉だった)
→1980年代に米国製品の規制が撤廃されブデチゲは人気の大衆料理として進化した
→とりわけ大学周辺に多いが高級地区にもブデチゲに特化したレストランがある・・・
(で、大好きなブデチゲの考察?)
わたくしは、韓国軍兵士が米軍経由のスパムなどの缶詰とキムチやインスタント麺などを
ひとつの鍋に入れて、部隊の仲間で一緒に食べてたのを懐かしみ、除隊後にも仲間と再現、
それがやがて貧乏学生から一般市民にも拡がったと理解してたのですが本書のような説もあり、
ホントはどうだったのか(ヒマなので)考察?してみました

①ブデチゲの基本食材はスパムなどの加工肉とキムチとスープ別添のインスタント麵だけど、
スープ別添の袋麺は1962年の明星食品と東洋水産が世界初なので、今のスタイルで初めて
食べられたのは、いくら早くても1962年以降になるはず
(ちなみに朝鮮戦争時なら1950年~53年、戦後もっとも古いとされるインスタント麺の記録
(第一次南極観測隊に採用された「長寿麺」)でも朝鮮戦争から3年後の1956年)
②さらにインスタント麵の海外への本格的な輸出はベトナム戦争の拡大(1968年)以降とされ、
それまでは在外邦人向けが中心、アジア各国に急速に出回ったのもこれ以降のはず
③ただし明星食品が韓国に製造プラントを輸出したのは、スープ別添の翌年1963年なので、
それ以降なら韓国にスープ別添のインスタント麵が普及していた可能はある
④以上から、韓国軍兵士がブデチゲとして食べたのは朝鮮戦争当時ではなくベトナム戦争当時、
おそらくは1968年以降で早くても1963年以降に、米軍経由のスパム缶詰と自前のキムチと
スープ別添のインスタント麵などを入れて、部隊の仲間とひとつの鍋をつつきあったのがルーツ、
と考えるほうが妥当ではないか、部隊鍋の名称からもインスタント麺の経緯(朝鮮戦争時には
まだ存在しない)からも、ソウル市民が米軍基地の残飯を入れた鍋はブデチゲではない・・・
と推察したのですが、いかがでしょう?
(ちなみにブデチゲ以前の韓国では一人鍋が基本で、ひとつの鍋を分けあって食べるのは、
日本人と同じ下品な食べ方だったので、当時の大人たちからは軽蔑されてたとか

まあ、スパムなど缶詰の加工肉、白菜キムチ、スープ別添の袋麺、あとは玉ねぎなど、
常温保存できる具材があればクーラーボックスがなくても、どこでも鍋宴会が楽しめて、
お腹いっぱいになりますから、わたくしもブデチゲとしての存在を知るずっと以前から
似たようなキャンプ鍋を楽しんでたので、諸説があるのも当然かも知れませんが・・・
閑話休題
わたくしの琴線に触れた項目を続けます・・・
・香辛料のコニャック・XO醤

・平壌冷麺


・ブルネイのアンブヤット(サゴヤシの樹幹から取った粉をゼラチン状にしたもの

・ボルネオ島サバ州にしかないバンバンガン(オニオンスープ味のマンゴー

・ある独裁者の推し麺(タイのパッタイ

→独裁者が1939年に国名をシャムからタイにするなど制定した国家規則のひとつがパッタイ
→コメの消費量を抑えるため麺類を奨励しパッタイのレシピと屋台を普及させ他の屋台を禁止した
→ライスヌードルは中国人がタイに持ち込んだとされるがパッタイはタイの国民食になった
・ジンバブエのモパネワーム(蛾の幼虫で10cmになる)
→タンパク質の含有量は牛肉の3倍、旨みはよく焼いたステーキと評される

→熟練した摘み手なら1日に25~50キロは採集できる
→内臓を指で絞り出して天日干し、好みで燻製、炙り焼、酢漬け、フライに
→モパネの葉3キロで1キロのモパネワームが育てられるので牛肉よりサスティナブル
・オーストラリア軍のFRED
→1940年代初頭に導入され缶切り・栓抜き・スプーンの機能を持つがスプーンが小さい

→Field Ration Eating Deviceの略だがFucking Ridiculous Eating Device(クソばかげた食器)とも
→2020年現在も軍の配給パックに標準装備されている(←なぜか持ってます

・ガンパウダーラム(ニュージーランド)
→18世紀の英国海軍の水兵は毎日支給されるラム酒を火薬に垂らし火をつけて確認していた
→湿った火薬が燃えれば充分なアルコール濃度のラム酒と証明された(プルーフの起源)
→アルコール濃度57%がネイビーストレングス(海軍の強さ)とされ燃えるかどうかの分かれ目
→オマージュとして誕生したガンパウダーラムは51.6%でネイビーストレングスに近い

・パイソンのペミカン(カナダ)
→パイソンの肉を焚火で乾燥させてから細かく挽き獣脂と混ぜる
→1ポンド(454g)あたり3500㌔㌍あり10年は常温保存できたので探検隊にも使われた
→ビーバー猟の必需品となりミシシッピ川北側のパイソンはほぼ絶滅した
→ペミカンは今もカナダのスーパーマーケットで購入できる

・クロンダイクの生活物資リスト(カナダ・ユーコン準州)
→1896年にクロンダイクで金鉱が発見され北米各地から人々が殺到した
→ユーコン準州は不毛地帯だったので1年分の食料を持参するよう法律で定めていた
→キャンプ用品を含めると900kgになったので小分けにして何度も往復して持ち込んだ
で、カナダ最大だった百貨店の1898年発行カタログから1年間に必要な食料品と日用品のリスト
(著作物の一部なので公開に問題があれば非公開設定にします)

いやあ、じつに興味深い内容です

食料のメインは小麦粉とベーコンで砂糖、豆、ロールドオーツも大きな比重を占めてますね
で、このリスト合計で600kg弱ですからキャンプ道具や衣類などが300kg強つーことになります
水や燃料は現地調達でしょうが必需品のラム酒やバーボンはどうしてたんだろ???
・南極観測基地の食生活(中国の長城基地など各国の基地も面白かったけど略)
→日本の昭和基地では屋外での食事会が恒例でメニューは「流しそうめん」
→本来は半分に割った竹にそうめんを流すが南極では氷山に水路を掘って流す
→リュージュのコースを選手ではなくそうめんが滑る様子を想像してほしい

とか、料理や食材だけでなく食に関するエピソードも満載で大いに楽しめました

2025年01月18日
バルセロナで一番おいしいパエリア!!!
とーとつですが・・・
バルセロナで一番おいしいパエリア!!!
つーことで水曜日、すっかり高齢恒例になった、もと職場の同期会で楽しんできました
わたくし大阪駅の西側エリアは中央郵便局がJPタワーになってから初めてだったので、
まずはそのあたりの様子からメモ・・・

西梅田駅から西への地下通路ができてたのね・・・

で、すぐにJPタワー方面への案内があり、

見上げれば高いビル・・・

JPタワー内のKITTE OSAKAに入り、ビル地下を縦断して地上に上がれば、


大阪駅西口に直結するINOGATE OSAKAイノゲート大阪へ・・・
で、

その2階から5階までが「おっさん(03)をはじめとするすべてのオフィスワーカー向けに、
大阪の老舗や路地裏の名店から海外の有名レストランまで大集結した」とゆー、
「バルチカ03(おっさん)」なのでありますね
と、迷う覚悟で早めに出たら早く着いたので、ちと付近を散策・・・




梅田スカイビルまでの北側エリアも西側エリアもどんどん変わってきてますね
もとは鉄道貨物などの物流拠点、さらに昔は大阪七墓のひとつだったのですが・・・
自由に鑑賞できるアート作品も・・・


いくつかあるようですが・・・
ま、ひとつだけ・・・

で、バルチカ03(おっさん)の3階に上がれば・・・

確かに大阪の老舗バー「サンボア」も入ってました
ちなみに帰りがけに二次会と称し、ここでさらに飲んだくれた輩もいたようです
で、こちらが「バルセロナで一番おいしいパエリア」とゆーお店・・・



チリンギート・エスクリバであります
バルセロナと東京にしかなかったのが今回はじめて大阪にも出店したのだとか・・・
ま、おっさん(おばはん)の泥酔画像をアップしても当サイトのアクセス数が落ちるだけなので、
以下てきとーにコース料理のみ、さくさくっとご紹介
日本人らしく、まずはセルベッサ(スーパードライ)で乾杯して、

スペイン産オリーブのシトラスマリネ

イベリコ豚の生ハムとクリスピーブレッドの「エアバッグ」


フレッシュマッシュルームのサラダ

ピンボケですが
トラウトサーモンマリネとマイクロセロリ

芳酵アボガドのワカモレディップとトルティーヤチップス

ここらあたりでスパークリングワインに切り替えて・・・
そーいや「本日のサングリア」を頼むのを忘れてたな うぐぐぐ

フライドポテトのブラバスとアイオリソース添え「バタータスブラバス」


海老のアヒージョ
などタパスやピンチョスをたっぷり味わったところで、いよいよシメつーかメインの・・・

「バルセロナで一番おいしい」パエリアであります
わたくしバルセロナではパエリアを食べる機会がなく、期待してたのでありますね
今回のメンバーは6人、2~3人でシェアするスタイルだったので・・・

オーソドックスなミックス・パエリアと、

イカスミ・パエリアの2種類にしました
とーぜん、どちらも6人で仲良く?シェアしあって

完食であります・・・げふっ
「本日のサングリア」を忘れてたのは残念でしたが、じつに楽しかったです
で、セルベッサとスパークリングワイン数杯だけですっかり出来上がったわたくし、
往路は30分ちょいで着いたのに、帰路は(四つ橋線往復も含め
)約4倍の時間を要し、
帰宅したのは「サンボア」で飲み続けてた3人と変わらなかったようです
加齢とともに酔いやすくなるそうですが、わたくしの場合は飲むと歩くのがつらい状態が
常態化しており、お店で飲んで帰宅するのがますます困難になってきてますね
それでも、たまには街に出て飲みたいのですが、自転車は昨年11月から飲酒運転の取り締まりが
さらに厳しくなったようだし、電車がある時間帯にタクシーつーのも抵抗があるし・・・
さてさて、どうしたものか???
バルセロナで一番おいしいパエリア!!!
つーことで水曜日、すっかり
わたくし大阪駅の西側エリアは中央郵便局がJPタワーになってから初めてだったので、
まずはそのあたりの様子からメモ・・・

西梅田駅から西への地下通路ができてたのね・・・

で、すぐにJPタワー方面への案内があり、

見上げれば高いビル・・・

JPタワー内のKITTE OSAKAに入り、ビル地下を縦断して地上に上がれば、


大阪駅西口に直結するINOGATE OSAKAイノゲート大阪へ・・・
で、

その2階から5階までが「おっさん(03)をはじめとするすべてのオフィスワーカー向けに、
大阪の老舗や路地裏の名店から海外の有名レストランまで大集結した」とゆー、
「バルチカ03(おっさん)」なのでありますね

と、迷う覚悟で早めに出たら早く着いたので、ちと付近を散策・・・




梅田スカイビルまでの北側エリアも西側エリアもどんどん変わってきてますね
もとは鉄道貨物などの物流拠点、さらに昔は大阪七墓のひとつだったのですが・・・
自由に鑑賞できるアート作品も・・・


いくつかあるようですが・・・
ま、ひとつだけ・・・

で、バルチカ03(おっさん)の3階に上がれば・・・

確かに大阪の老舗バー「サンボア」も入ってました

ちなみに帰りがけに二次会と称し、ここでさらに飲んだくれた輩もいたようです

で、こちらが「バルセロナで一番おいしいパエリア」とゆーお店・・・



チリンギート・エスクリバであります
バルセロナと東京にしかなかったのが今回はじめて大阪にも出店したのだとか・・・
ま、おっさん(おばはん)の泥酔画像をアップしても当サイトのアクセス数が落ちるだけなので、
以下てきとーにコース料理のみ、さくさくっとご紹介
日本人らしく、まずはセルベッサ(スーパードライ)で乾杯して、

スペイン産オリーブのシトラスマリネ

イベリコ豚の生ハムとクリスピーブレッドの「エアバッグ」


フレッシュマッシュルームのサラダ

ピンボケですが


芳酵アボガドのワカモレディップとトルティーヤチップス

ここらあたりでスパークリングワインに切り替えて・・・
そーいや「本日のサングリア」を頼むのを忘れてたな うぐぐぐ

フライドポテトのブラバスとアイオリソース添え「バタータスブラバス」


海老のアヒージョ
などタパスやピンチョスをたっぷり味わったところで、いよいよシメつーかメインの・・・

「バルセロナで一番おいしい」パエリアであります

わたくしバルセロナではパエリアを食べる機会がなく、期待してたのでありますね

今回のメンバーは6人、2~3人でシェアするスタイルだったので・・・

オーソドックスなミックス・パエリアと、

イカスミ・パエリアの2種類にしました
とーぜん、どちらも6人で仲良く?シェアしあって

完食であります・・・げふっ
「本日のサングリア」を忘れてたのは残念でしたが、じつに楽しかったです
で、セルベッサとスパークリングワイン数杯だけですっかり出来上がったわたくし、
往路は30分ちょいで着いたのに、帰路は(四つ橋線往復も含め

帰宅したのは「サンボア」で飲み続けてた3人と変わらなかったようです
加齢とともに酔いやすくなるそうですが、わたくしの場合は飲むと歩くのがつらい状態が
常態化しており、お店で飲んで帰宅するのがますます困難になってきてますね
それでも、たまには街に出て飲みたいのですが、自転車は昨年11月から飲酒運転の取り締まりが
さらに厳しくなったようだし、電車がある時間帯にタクシーつーのも抵抗があるし・・・
さてさて、どうしたものか???

2025年01月07日
初詣ミニOFF会!!!
新年早々とーとつですが・・・
4日5日で初詣ミニOFF会を楽しんでたので、忘れないうちにメモしておきます
4日の正午前後にwingさん、赤チャリさん、川端さんとゆーおなじみ関西ライト好き仲間が、
わたくしに実家に集まってくれました
迎撃歓迎準備は万端・・・


恒例により皆さんからの貢物を巻き上げて

軽く賀詞交換してダベってから初詣へ・・・

大海神社で航海???の無事を祈願し・・・

玉ノ井に乙姫様にもらった玉手箱を投げ込んでタイムスリップ

お椀の舟に箸の櫂で茅渟の海に漕ぎ出し、淀川を遡上して平安京で鬼どもをやっつけ


住𠮷四神に戦果を報告した初詣した後は・・・


鉄分を補給しつつ・・・
粉浜商店街はじめ、わたくしオススメの飲食店を廻ってみたのですが・・・

さすがに人気店はどこも初詣客で長蛇の列でした
で、とりあえずは・・・

wingさんのカワセミ撮影を名目に住吉公園へ・・・

野鳥好きカメラマン数名が待機してましたが、さすがにすぐには現れてくれず・・・

wingさんはサギさん撮影なんぞでお茶を濁して・・・
わりと待ち時間の少なかった「かつや」へ・・・

こぽこぽこぽ



ようやく遅めの昼食宴会にありつけました
やっと人心地がついたので商店街を散策しつつ戻りました
ちなみに皆さん、はじめての100均ショップに入ると目の色が変わるつーか、まずはライトの
コーナーに直行、その後はバックパック用ハンガーとか非常用シュラフとか携帯ポンチョとか、
大手ショップにはない商品を物色しては購入されてましたねえ・・・
で、回転焼(ちなみに関東では今川焼、姫路では御座候、岸和田ではトラ焼だそうです)とか、
二日酔対策用の梅昆布茶とかも買って・・・




さらに鉄分補給しつつ3時半には無事に戻りました
ま、無事にといいつつ、飲んで3時間は歩いたわたくし、帰りは苦労しましたが
で、満腹した帰宅後も延々と・・・


飲みつつ食べつつ録画を見たりしてヲタ話やバカ話で盛り上がり・・・
(この間に各種ライトも出てましたが画像は一切ありません
)
7時を過ぎ、ようやく新春「うどん寄せ鍋」宴会
の開始・・・
(そーいや年始のニュースで「年越し蕎麦」に対抗して「年明けうどん」を普及しようと、
讃岐のうどん団体が努力してるけど、まだまだ知られてないとかやってましたね
)



(以上wingさん画像)


wingさんとわたくしは濁り酒や燗酒、赤チャリさんと川端さんはソフトドリンクで、
ひたすら飲み続け食べ続け喋り続けました
もちろん日付が変わってからも・・・

(かもめコーヒー扱いの)めでたいsakuriシュトーレン・ケルクや、

WITTAMERの高級ケーキなんぞで喋り続けてましたが、2時過ぎには翌日に所用が入った
川端さんが帰宅、残る3人はさらに喋り続け、シュラフに潜り込んだのは3時半でした
翌朝、わたくしは9時過ぎ、wingさんは10時過ぎに起きましたが、最近ずっと3時間程度の
不規則睡眠が続いてたとゆー赤チャリさんは、そのまま放置しておくことにして・・・
わたくしが近くのコンビニに行って二人分のサンドイッチとソーセージエッグマフィン、
パックのドリップコーヒーを購入・・・

(マフィンはレンチンして熱々をすぐ食べてしまったので画像がないけど)
二人で遅めの朝食をとりつつ、さらに世間話なんぞでまったり・・・
昼過ぎにはようやく赤チャリさんも目覚めて(糖分不足かずっと半覚醒状態でしたが)、
三人でまたまた残りの甘味と録画でダベリ続け、夕方にはめでたく解散しましたとさ
めでたしめでたし どっとはらい
いやあ、今回もじつに楽しかったです
今回の4人がネット上で知り合い熊野キャンプでリアルに会ってから20年近くになりますが、
ヲタ話やバカ話の話題がいつも新鮮なのが素晴らしいですね
まあトシを重ねるごとに同じハナシの繰り返しが増えてるのかも知れませんが、
わたくしもハナシの内容をすっかり忘れてるので、いつも新鮮なのか・・・
4日5日で初詣ミニOFF会を楽しんでたので、忘れないうちにメモしておきます
4日の正午前後にwingさん、赤チャリさん、川端さんとゆーおなじみ関西ライト好き仲間が、
わたくしに実家に集まってくれました


恒例により皆さんからの貢物を巻き上げて


軽く

大海神社で航海???の無事を祈願し・・・

玉ノ井に乙姫様にもらった玉手箱を投げ込んでタイムスリップ


お椀の舟に箸の櫂で茅渟の海に漕ぎ出し、淀川を遡上して平安京で鬼どもをやっつけ



住𠮷四神に


鉄分を補給しつつ・・・
粉浜商店街はじめ、わたくしオススメの飲食店を廻ってみたのですが・・・

さすがに人気店はどこも初詣客で長蛇の列でした
で、とりあえずは・・・

wingさんのカワセミ撮影を名目に住吉公園へ・・・

野鳥好きカメラマン数名が待機してましたが、さすがにすぐには現れてくれず・・・

wingさんはサギさん撮影なんぞでお茶を濁して・・・
わりと待ち時間の少なかった「かつや」へ・・・

こぽこぽこぽ




ようやく遅めの昼食宴会にありつけました

やっと人心地がついたので商店街を散策しつつ戻りました
ちなみに皆さん、はじめての100均ショップに入ると目の色が変わるつーか、まずはライトの
コーナーに直行、その後はバックパック用ハンガーとか非常用シュラフとか携帯ポンチョとか、
大手ショップにはない商品を物色しては購入されてましたねえ・・・
で、回転焼(ちなみに関東では今川焼、姫路では御座候、岸和田ではトラ焼だそうです)とか、
二日酔対策用の梅昆布茶とかも買って・・・




さらに鉄分補給しつつ3時半には無事に戻りました
ま、無事にといいつつ、飲んで3時間は歩いたわたくし、帰りは苦労しましたが

で、満腹した帰宅後も延々と・・・


飲みつつ食べつつ録画を見たりしてヲタ話やバカ話で盛り上がり・・・
(この間に各種ライトも出てましたが画像は一切ありません

7時を過ぎ、ようやく新春「うどん寄せ鍋」宴会

(そーいや年始のニュースで「年越し蕎麦」に対抗して「年明けうどん」を普及しようと、
讃岐のうどん団体が努力してるけど、まだまだ知られてないとかやってましたね




(以上wingさん画像)


wingさんとわたくしは濁り酒や燗酒、赤チャリさんと川端さんはソフトドリンクで、
ひたすら飲み続け食べ続け喋り続けました
もちろん日付が変わってからも・・・

(かもめコーヒー扱いの)めでたいsakuriシュトーレン・ケルクや、

WITTAMERの高級ケーキなんぞで喋り続けてましたが、2時過ぎには翌日に所用が入った
川端さんが帰宅、残る3人はさらに喋り続け、シュラフに潜り込んだのは3時半でした
翌朝、わたくしは9時過ぎ、wingさんは10時過ぎに起きましたが、最近ずっと3時間程度の
不規則睡眠が続いてたとゆー赤チャリさんは、そのまま放置しておくことにして・・・
わたくしが近くのコンビニに行って二人分のサンドイッチとソーセージエッグマフィン、
パックのドリップコーヒーを購入・・・

(マフィンはレンチンして熱々をすぐ食べてしまったので画像がないけど)
二人で遅めの朝食をとりつつ、さらに世間話なんぞでまったり・・・
昼過ぎにはようやく赤チャリさんも目覚めて(糖分不足かずっと半覚醒状態でしたが)、
三人でまたまた残りの甘味と録画でダベリ続け、夕方にはめでたく解散しましたとさ
めでたしめでたし どっとはらい
いやあ、今回もじつに楽しかったです
今回の4人がネット上で知り合い熊野キャンプでリアルに会ってから20年近くになりますが、
ヲタ話やバカ話の話題がいつも新鮮なのが素晴らしいですね
まあトシを重ねるごとに同じハナシの繰り返しが増えてるのかも知れませんが、
わたくしもハナシの内容をすっかり忘れてるので、いつも新鮮なのか・・・
