カヤック
2008年05月10日
08・GW熊野キャンプその3
えーっ、熊野キャンプ報告の三回目は、川下り編であります。
例によって、画像はほとんど奥様の撮影によるものであります。
今回は、wingさん、109K4さん、いつもの川下り仲間のトランパーさん、
それに98k夫婦という総勢5名で、わたくしのアキレスとオカモトの二人艇、
トランパーさんのファルトボート「トランパー」の三艇で下りました。
出発地点での準備作業
ファルトボート「トランパー」の組み立て・・・
wingさんの艇もトランパーだそうで、手際よく組み立てを手伝っておられました。
それにしても、派手な着物の釣り師がいるな・・・
しかも・・・
連休とあって、ジェット船の往来も多かったです。
ここの観光ジェット船は、カヌーによく気を遣ってくれます。
ちょっと瀬を通過すると、さっそく上陸して休憩・・・
真冬でも3mm厚のネオプレンスーツでサーフィンやカヤックを楽しんでいるとゆー彼女は、
こちらの記事のとおり、この早瀬で泳いだのですが、今回はさすがに誰も泳ぎませんでした。
そう、昨年同様、水はまだまだ冷たかったです。きっぱりと
(つづく)
2008年04月09日
「日本の川を旅する」とか・・・
期間限定 G.W.熊野キャンプ宴会のお知らせ記事はこちら
ええー、とーとつですが、「書斎」カテゴリの第二弾であります。
前回は、わたくしの山歩きやキャンプのバイブルとなった、
「バックパッキング入門」や、「遊歩大全」を紹介しましたが、
今回は、わたくしの川下りに大きな影響を与えてくれた・・・
野田知佑氏の名著「日本の川を旅する」であります。
正確には、この本を読んだのは、わたくしが川下りをはじめてからですから、
この本をきっかけに川下りをはじめた、というわけではありませんが・・・
わたくしが川下りをはじめた20年ほど昔の日本には、川下りのガイドブックなどはなく、
仲間から聞いていたこの本を、まあ、ガイドブックとして購入したわけであります。
ところが、読んでみるとこれがなかなか面白い・・・
早稲田のボート部時代、化学物質、重金属汚染で細菌さえ住めなくなってたとゆー、
高度成長期の真黒な隅田川を漕ぎ、その後、世界中を放浪していた氏が、
当時、唯一国産化されていたフジタカヌーのファルトボート(フォーディングカヤック)で、
日本の川をあちこち下った時のエッセイで、気心がわかるというか、
「そうなんや、そのとおりの気持ちになったんや。」というか・・・
文章自体に味があるのはもちろんですが、雨の中の停滞や橋の下でのキャンプ、
地元の人たちとの会話など、ほんとに川を下る楽しみが凝縮されてました。
わたくしの買った、この新潮文庫版が1988年刊行の第八刷、その第一刷は85年、
単行本が「日本交通公社」から刊行されたのが、その三年前の82年、
さらに雑誌「旅」に、この連載が始まったのがその二年前の80年、ということですから、
わたくしが川下りをはじめたのは、この本に書かれた状況からほぼ五年後、
ちょうど文庫版の第一刷が出た頃、ということになります。
まあ、最初の数か月は、スポーツショップで申込書を偶然見つけた、
木津川の笠置にあったフジタカヌーのスクールに通い、
「少なくとも一年は、木津川以外は下らないように。
同じ川でも、季節によって大きく変わるから、まずそれに慣れて。」という、
藤田社長直々の指導どおり、ずっと木津川で練習、その後あちこちの川へ遠征するようになりました。
さすがに氏のような単独行はできず、たいていフジタの二人艇での二人旅でしたが・・・
この本で紹介されている川は北海道の釧路川から九州の川内川まで全部で14本、
この中では、わたくしが知っているのは熊野川と江の川の2本だけですが、
特にはじめての江の川では、この本を大いに参考にしました。
ま、わたくしの場合は四国の吉野川と和歌山のいくつかの川が殆どでしたが、
当時は川下りをする人がまだまだ少なく、けっこう珍しがられたものでした。
この作品以来、すっかり虜になったわたくし、わりと氏の作品を読むようになりました。
日本の河川行政への不満をぶちまけ、最初の頃はなげやりに書いてたのが、
やがて自分でも、いろんな運動の助っ人もされた人で、
日本での川下りブームの火付け役になったのはもちろん、
河川環境保護活動への影響力も大きかったと思います。
わたくし、このエッセイがきっかけで、椎名誠氏のエッセイも読むようになり、
この世界がまた、わたくしの過ごしてきたキャンプ生活とあまりにもそっくり、
で、小説を読むと、これがまたわたくしの感性にぴったりでSFもあって・・・
とととと、今回は野田知佑氏の作品のご紹介でした・・・
で、熊野川を下る野田知佑氏・・・
なのかっ??? ここまで腹は出てなかったはず・・・
ええー、とーとつですが、「書斎」カテゴリの第二弾であります。
前回は、わたくしの山歩きやキャンプのバイブルとなった、
「バックパッキング入門」や、「遊歩大全」を紹介しましたが、
今回は、わたくしの川下りに大きな影響を与えてくれた・・・
野田知佑氏の名著「日本の川を旅する」であります。
正確には、この本を読んだのは、わたくしが川下りをはじめてからですから、
この本をきっかけに川下りをはじめた、というわけではありませんが・・・
わたくしが川下りをはじめた20年ほど昔の日本には、川下りのガイドブックなどはなく、
仲間から聞いていたこの本を、まあ、ガイドブックとして購入したわけであります。
ところが、読んでみるとこれがなかなか面白い・・・
早稲田のボート部時代、化学物質、重金属汚染で細菌さえ住めなくなってたとゆー、
高度成長期の真黒な隅田川を漕ぎ、その後、世界中を放浪していた氏が、
当時、唯一国産化されていたフジタカヌーのファルトボート(フォーディングカヤック)で、
日本の川をあちこち下った時のエッセイで、気心がわかるというか、
「そうなんや、そのとおりの気持ちになったんや。」というか・・・
文章自体に味があるのはもちろんですが、雨の中の停滞や橋の下でのキャンプ、
地元の人たちとの会話など、ほんとに川を下る楽しみが凝縮されてました。
わたくしの買った、この新潮文庫版が1988年刊行の第八刷、その第一刷は85年、
単行本が「日本交通公社」から刊行されたのが、その三年前の82年、
さらに雑誌「旅」に、この連載が始まったのがその二年前の80年、ということですから、
わたくしが川下りをはじめたのは、この本に書かれた状況からほぼ五年後、
ちょうど文庫版の第一刷が出た頃、ということになります。
まあ、最初の数か月は、スポーツショップで申込書を偶然見つけた、
木津川の笠置にあったフジタカヌーのスクールに通い、
「少なくとも一年は、木津川以外は下らないように。
同じ川でも、季節によって大きく変わるから、まずそれに慣れて。」という、
藤田社長直々の指導どおり、ずっと木津川で練習、その後あちこちの川へ遠征するようになりました。
さすがに氏のような単独行はできず、たいていフジタの二人艇での二人旅でしたが・・・
この本で紹介されている川は北海道の釧路川から九州の川内川まで全部で14本、
この中では、わたくしが知っているのは熊野川と江の川の2本だけですが、
特にはじめての江の川では、この本を大いに参考にしました。
ま、わたくしの場合は四国の吉野川と和歌山のいくつかの川が殆どでしたが、
当時は川下りをする人がまだまだ少なく、けっこう珍しがられたものでした。
この作品以来、すっかり虜になったわたくし、わりと氏の作品を読むようになりました。
日本の河川行政への不満をぶちまけ、最初の頃はなげやりに書いてたのが、
やがて自分でも、いろんな運動の助っ人もされた人で、
日本での川下りブームの火付け役になったのはもちろん、
河川環境保護活動への影響力も大きかったと思います。
わたくし、このエッセイがきっかけで、椎名誠氏のエッセイも読むようになり、
この世界がまた、わたくしの過ごしてきたキャンプ生活とあまりにもそっくり、
で、小説を読むと、これがまたわたくしの感性にぴったりでSFもあって・・・
とととと、今回は野田知佑氏の作品のご紹介でした・・・
で、熊野川を下る野田知佑氏・・・
なのかっ??? ここまで腹は出てなかったはず・・・
2007年12月02日
思い出のビートルと・・・
12月に入って早々ですが、今回は少ししんみりしたお話をさせていただきます。
やっと新しいクルマ(スバル・フォレスター)のルーフバー(キャリアベース)を購入したわたくし、
ようやく、古いカヤックキャリアをクルマに装着できるようになりました。
THULE製の高級品であります。
じつはこのカヤックキャリア、今は亡き親友の遺品なのであります。
もともと山歩きの仲間で、わたくしより10才ほど年下でしたが、
不思議と気が合い、二人で一緒にカヌースクールに通いだしてから、
あちこちの川を下りに、二人だけで行くようになりました。
わたくしがファルトボート(フォールディングカヤック)の二人艇一式を担ぎ、
彼がキャンプ道具や食料を二人分担いで、電車やバスを乗り継いだり、
クルマ二台で、それぞれの一人艇を積んで行ったりと、一時期は、
近畿地方、中国地方の川を中心に、毎週のように二人で下ってました。
もちろんキャンプ宴会や山歩きもたいてい一緒で、
わたくしが家族を連れてファミリーキャンプや川下りをするようになっても、
いつも一人で参加してくれ、よくサポートしてくれました。
その彼が、1991年の11月に、パラグライダーの事故で帰らぬ人となったのであります。
じつはその半年ほど前に、パラグライダースクールも彼と一緒に申し込んでいたのですが、
こちらの仕事が忙しくなり彼だけが参加、持ち前のまじめさで毎週のように通い続け、
事故当時には、中級者として大会にも出場するようになってました。
川下り途中で、わたくしがそのまま突っ込もうといっても、知らないところは、
かならずいったん岸に上陸して偵察し、安全なコースどりを指示してくれるような、
きわめて慎重な男でした。
事故の後、パラグライダースクールの校長にお話を聴いても、
「いつ来ても必ず入念に準備して、常に慎重な行動をしていた彼が、
どうして墜落するような操作をしたのか、今でもわかりません。
こいつは危ない、というやつは何となくわかるんですが、
彼はまったく逆のタイプでしたから・・・」ということでした。
事故以来、どこの川へ行っても、どこのキャンプサイトに行っても、
彼との思い出がいっぱいでつらくなり、わたくし2シーズンほど、
キャンプや川下りに行けなくなっておりました。
でもいつか、家族や仲間と川下りやキャンプに行って、
楽しく彼との思い出話をするのもいいじゃないか、と思えるようになり、
ふたたびアウトドアで遊ぶようになった次第です。
このカヤックキャリアもそうですが、他にも多くのアウトドアグッズを、
彼のお父上から「ぜひ、使ってやって下さい。」と形見分けしていただきました。
わたくし、15年間乗ってたニッサン・テラノには、直付けのルーフキャリアでしたので、
今回やっと、この遺品のカヤックキャリアをひっぱりだしてきて、
ついつい彼との思い出が蘇ってきてしまいました。
で、今回、彼との最後の写真をひっぱりだしてきて、デジカメで接写してみました。
1991年9月23日、奈良県のキャンプ場での写真です。
フォトスタンドのプラカバーの上から、黄色いビニールテープを貼って撮ってみたのですが、
カバーがかなり反射してますね。
じつはこのキャンプの翌週に、新車のニッサン・テラノが届くことになっており、
ワーゲン・ビートルでのキャンプはこれが最後、ということで、
帰り際に、めったに残さない記念写真を撮ってもらったのですが、
彼ともこれが最後となり、ちょうどこの三ヵ月後に亡くなりました。
山と川と空と、
酒と焚き火とギターを愛する、
寡黙なナイスガイでした。 享年28歳。
あれから16年か・・・トシをとるはずですな・・・
このカヤックキャリアも、これからちゃんと使ってやっからな
P.S.
12月3日追記です。
ついつい感傷的になり、モノの紹介を忘れておりました。
このカヤックキャリア、一枚目画像のとおり、分厚いゴムのパッドが、
フネのボトム形状にぴったりとあって弾力もあるので、キールのない平底舟であれば、
カヌーであれカヤックであれ丸木舟!であれ、がっちりと固定することができます。
今の製品は前後が異なる形状になってるようで、特に後部のアタッチメントは、
フェルトかなんかで、後ろから滑らせて積み下ろしができるようになってるみたいです。
三枚目画像で、カートップしてるのがわたくしの愛艇、
プリヨンのインベーダーモデルで、ドイツ製であります。
ちなみに画像はありませんが、彼の愛艇が、パーセプションのリフレックスモデル、
こちらはアメリカ製で、バルセロナオリンピックの優勝艇であります。
インベーダーは丸っこくてボリュームたっぷり、かなりラフな扱いをしても、
流れに食われることはありませんでした。ビールもいっぱい積めたし・・・
一方、彼のリフレックスは鋭角的でスリム、動きも繊細でした。お腹がきつかったな、わたくしには・・・
で、これを積んでるのがわたくしの愛車、フォルクスワーゲンビートル、1200LE、1976年式で、
ドイツ、ヴォルフスブルグの工場で生産された最終モデルのビートルであります。
つまり、何年乗ってても永久に最新型という、ありがたいクルマでしたが、
やっとお金が貯まった時にはすでに製造中止になっており、
あちこち探しまわって、新車から2年落ちぐらいで買ったはずです。
1600ccにボアアップしたポルシェ博士考案の空冷式水平対向エンジンをリアに搭載、
はじめて乗ったときは、後ろからハーレーがついてきてるんじゃないかっ、
と、思わず振り返ってしまったことを、懐かしく思い出しました。
まあ、最終モデルはキャブ仕様からインジェクション仕様になってたので、
古いビートルファンからは、あまり人気がなかったようでしたが・・・
ちなみに、このプリヨン・インベーダーの中にも、キャンプ道具がぎっちり詰まっております。
そう、わたくしこれを、ルーフボックスとして使ってたわけで、
それでも子どもが大きくなって、荷物が積みきれずにテラノに買い換えた次第であります。
それから15年で、ふたたび水平対向エンジンのクルマに乗り換えたわたくし、
ふたたび全国の川へ・・・ううっ、行きたいなあ・・・ぐしゅん
やっと新しいクルマ(スバル・フォレスター)のルーフバー(キャリアベース)を購入したわたくし、
ようやく、古いカヤックキャリアをクルマに装着できるようになりました。
THULE製の高級品であります。
じつはこのカヤックキャリア、今は亡き親友の遺品なのであります。
もともと山歩きの仲間で、わたくしより10才ほど年下でしたが、
不思議と気が合い、二人で一緒にカヌースクールに通いだしてから、
あちこちの川を下りに、二人だけで行くようになりました。
わたくしがファルトボート(フォールディングカヤック)の二人艇一式を担ぎ、
彼がキャンプ道具や食料を二人分担いで、電車やバスを乗り継いだり、
クルマ二台で、それぞれの一人艇を積んで行ったりと、一時期は、
近畿地方、中国地方の川を中心に、毎週のように二人で下ってました。
もちろんキャンプ宴会や山歩きもたいてい一緒で、
わたくしが家族を連れてファミリーキャンプや川下りをするようになっても、
いつも一人で参加してくれ、よくサポートしてくれました。
その彼が、1991年の11月に、パラグライダーの事故で帰らぬ人となったのであります。
じつはその半年ほど前に、パラグライダースクールも彼と一緒に申し込んでいたのですが、
こちらの仕事が忙しくなり彼だけが参加、持ち前のまじめさで毎週のように通い続け、
事故当時には、中級者として大会にも出場するようになってました。
川下り途中で、わたくしがそのまま突っ込もうといっても、知らないところは、
かならずいったん岸に上陸して偵察し、安全なコースどりを指示してくれるような、
きわめて慎重な男でした。
事故の後、パラグライダースクールの校長にお話を聴いても、
「いつ来ても必ず入念に準備して、常に慎重な行動をしていた彼が、
どうして墜落するような操作をしたのか、今でもわかりません。
こいつは危ない、というやつは何となくわかるんですが、
彼はまったく逆のタイプでしたから・・・」ということでした。
事故以来、どこの川へ行っても、どこのキャンプサイトに行っても、
彼との思い出がいっぱいでつらくなり、わたくし2シーズンほど、
キャンプや川下りに行けなくなっておりました。
でもいつか、家族や仲間と川下りやキャンプに行って、
楽しく彼との思い出話をするのもいいじゃないか、と思えるようになり、
ふたたびアウトドアで遊ぶようになった次第です。
このカヤックキャリアもそうですが、他にも多くのアウトドアグッズを、
彼のお父上から「ぜひ、使ってやって下さい。」と形見分けしていただきました。
わたくし、15年間乗ってたニッサン・テラノには、直付けのルーフキャリアでしたので、
今回やっと、この遺品のカヤックキャリアをひっぱりだしてきて、
ついつい彼との思い出が蘇ってきてしまいました。
で、今回、彼との最後の写真をひっぱりだしてきて、デジカメで接写してみました。
1991年9月23日、奈良県のキャンプ場での写真です。
フォトスタンドのプラカバーの上から、黄色いビニールテープを貼って撮ってみたのですが、
カバーがかなり反射してますね。
じつはこのキャンプの翌週に、新車のニッサン・テラノが届くことになっており、
ワーゲン・ビートルでのキャンプはこれが最後、ということで、
帰り際に、めったに残さない記念写真を撮ってもらったのですが、
彼ともこれが最後となり、ちょうどこの三ヵ月後に亡くなりました。
山と川と空と、
酒と焚き火とギターを愛する、
寡黙なナイスガイでした。 享年28歳。
あれから16年か・・・トシをとるはずですな・・・
このカヤックキャリアも、これからちゃんと使ってやっからな
P.S.
12月3日追記です。
ついつい感傷的になり、モノの紹介を忘れておりました。
このカヤックキャリア、一枚目画像のとおり、分厚いゴムのパッドが、
フネのボトム形状にぴったりとあって弾力もあるので、キールのない平底舟であれば、
カヌーであれカヤックであれ丸木舟!であれ、がっちりと固定することができます。
今の製品は前後が異なる形状になってるようで、特に後部のアタッチメントは、
フェルトかなんかで、後ろから滑らせて積み下ろしができるようになってるみたいです。
三枚目画像で、カートップしてるのがわたくしの愛艇、
プリヨンのインベーダーモデルで、ドイツ製であります。
ちなみに画像はありませんが、彼の愛艇が、パーセプションのリフレックスモデル、
こちらはアメリカ製で、バルセロナオリンピックの優勝艇であります。
インベーダーは丸っこくてボリュームたっぷり、かなりラフな扱いをしても、
流れに食われることはありませんでした。ビールもいっぱい積めたし・・・
一方、彼のリフレックスは鋭角的でスリム、動きも繊細でした。お腹がきつかったな、わたくしには・・・
で、これを積んでるのがわたくしの愛車、フォルクスワーゲンビートル、1200LE、1976年式で、
ドイツ、ヴォルフスブルグの工場で生産された最終モデルのビートルであります。
つまり、何年乗ってても永久に最新型という、ありがたいクルマでしたが、
やっとお金が貯まった時にはすでに製造中止になっており、
あちこち探しまわって、新車から2年落ちぐらいで買ったはずです。
1600ccにボアアップしたポルシェ博士考案の空冷式水平対向エンジンをリアに搭載、
はじめて乗ったときは、後ろからハーレーがついてきてるんじゃないかっ、
と、思わず振り返ってしまったことを、懐かしく思い出しました。
まあ、最終モデルはキャブ仕様からインジェクション仕様になってたので、
古いビートルファンからは、あまり人気がなかったようでしたが・・・
ちなみに、このプリヨン・インベーダーの中にも、キャンプ道具がぎっちり詰まっております。
そう、わたくしこれを、ルーフボックスとして使ってたわけで、
それでも子どもが大きくなって、荷物が積みきれずにテラノに買い換えた次第であります。
それから15年で、ふたたび水平対向エンジンのクルマに乗り換えたわたくし、
ふたたび全国の川へ・・・ううっ、行きたいなあ・・・ぐしゅん
2007年09月29日
9月キャンプその3川下り編
9月キャンプレポートの三回目は川下り編であります。
こちらが、今回も使用した二人艇のインフレータブルカヤック(ダッキー)で、
中に見えているストラップとペダルで、膝と足裏を固定します。
ちなみにこちらのご夫婦は、豪華クルーザーを所有されてるヨット愛好家なのですが、カヌーははじめてということで試乗してもらいました。
まあ、こんなのをはじめ泡盛の古酒など、いっぱい差し入れていただきまして・・・
わたくし、わらしべ貸しボート長者とゆーべきか・・・げひげひ
春のキャンプでは、前席にホームステイ中のじょしこーせーを乗せていたのですが、
今回はわたくしの奥様がご搭乗あそばされました。ううっ
二人艇は、前席がひたすら漕ぐエンジン担当、後席が舵取り担当というのが基本なんですが、
今回は、前席が撮影と勝手な注文担当、後席がいいなりの下僕担当となりました。
ですから、今回の川下り画像は、すべて奥様が撮影されたものであります。
まあ、さくさくっと、見ていきましょう・・・
出発して間もないころ。さっそく漕ぐのをやめて撮影してたのね・・・
右岸にキャンパーが見えますね。
今回は二人艇のファルトボート(フォールディングカヤック)が多かったです。
奥様の指示で、撮影用に上陸したところであります。
おおっ、まるまると太った柔らかそうな犬を積んでるぞ・・・じゅるじゅる
がるるるるぅ、待てい・・・ざばざばざば
うーむ、逃げられてしまったか・・・
って・・・こんなの連写してたのかっ
P.S.
川下りでは、防水タバコケースに入るサイズのIXY-50を持っていったのですが、
防水ケースは壊されるわ、自分で使ってたパワーショットG-7は画像がいっぱいになって
パソコンに転送できなくなるわ、いやはや例によって奥様には・・・うぐぐぐ
オーストラリアのじょしこーせいはしっかり漕いでくれたけど、
ちょっと目を離すと、すぐにパドルから手が離れてるし・・・
撮影に行ったら行ったきりで、ずっと待たされるし・・・
だから一緒に行くのは・・・ぶつぶつぶつ・・・
わわっ、ごめんなさいっ、いや、ブログを面白くしようとしてですね・・・わっ、やめ・・・
合掌
こちらが、今回も使用した二人艇のインフレータブルカヤック(ダッキー)で、
中に見えているストラップとペダルで、膝と足裏を固定します。
まあ、こんなのをはじめ泡盛の古酒など、いっぱい差し入れていただきまして・・・
春のキャンプでは、前席にホームステイ中のじょしこーせーを乗せていたのですが、
今回はわたくしの奥様がご搭乗あそばされました。ううっ
二人艇は、前席がひたすら漕ぐエンジン担当、後席が舵取り担当というのが基本なんですが、
今回は、前席が撮影と勝手な注文担当、後席がいいなりの下僕担当となりました。
ですから、今回の川下り画像は、すべて奥様が撮影されたものであります。
まあ、さくさくっと、見ていきましょう・・・
右岸にキャンパーが見えますね。
って・・・こんなの連写してたのかっ
P.S.
川下りでは、防水タバコケースに入るサイズのIXY-50を持っていったのですが、
防水ケースは壊されるわ、自分で使ってたパワーショットG-7は画像がいっぱいになって
パソコンに転送できなくなるわ、いやはや例によって奥様には・・・うぐぐぐ
オーストラリアのじょしこーせいはしっかり漕いでくれたけど、
ちょっと目を離すと、すぐにパドルから手が離れてるし・・・
撮影に行ったら行ったきりで、ずっと待たされるし・・・
だから一緒に行くのは・・・ぶつぶつぶつ・・・
わわっ、ごめんなさいっ、いや、ブログを面白くしようとしてですね・・・わっ、やめ・・・
合掌
2007年05月08日
正しいニッポンの川下り!
オーストラリアから留学中のじょしこーせいをキャンプにつれていったわたくし、
懐中電灯好きの仲間も紹介し、次々と正しいニッポンのキャンプ作法を教えてあげました。
「ドーシテ、チカチカスルイルミネーションヲ、タープニツケルノ?」
「トイレに行ったときや、夜到着する人のための道しるべ、ニッポンの常識ぢゃよ。」
「デモ、98kサンノタープダケダヨ」
「ううっ。」
とか、まあ、三日の夜は更けていったのでありました。
で、翌朝
ニッポンの伝統的な野外朝食である、「サンドウヰッチ」の調理法を伝授し、次々と試食するわたくし。
「うーむ、まだ何かが足りんな・・・もっと作ってみなさい。もぐもぐ」
で、朝食後は・・・
ニッポンの主要産業である「竹とんぼ」の製造方法を伝授する川端さん。
「わははは、それを一日に二百個作れないと日本では就職できないんだぞ!」
「いくらなんでも、そりゃないですよ。それにだいいち、自分は作れるんですか?
この子はけっこう器用だけど、あんたはどうみても・・・」
「ううっ・・・」
だんだんキャンプサイトに居づらくなったわたくし、彼女を連れて川下りに出発しました。
例によって、せっかく来ていただいたwingさんと川端さんはほったらかしであります。
じゃーん
彼女、本国ではカヤック、ラフト、チュ―ビングと、川下りは何でもやってたそうであります。
「今から正しいニッポンの川下りを教えてあげよう。
二人乗りの場合、前はエンジン、後は舵取りだから、前でしっかり漕ぐのだぞ。」
「ウン、ワカッテル」
で、出発してすぐに・・・
「ほほう、なかなかしっかり漕いでるじゃないか・・・
ではここらで一息入れてと・・・ぷしゅ・・・くはぁー」
「アレ?シッカリコイデル?」
「わわっ、すぐに気づくのね!しっ、しっかり漕ぎます。ひいひい」
とまあ、完全にリードされて漕ぎ続けたのであります。ううっ
「アッ、アンナトコロニ、タワーガアル」
「おおっ、この辺りは、賽の河原というてな、ああやって石を積んでおくと、
デビルマンがやって来て、みんな踏み倒していくのだぞ。どうだ怖いだろう。げひげひ」
で、結局上陸して・・・
記念撮影して・・・
「ワタシモ、ツクッタヨ」
って、全然怖がらんな・・・
この川にも何箇所か、ちょっとした早瀬があります。
いわゆるホワイトウォーター区間であります。
「もうすぐホワイトウォーターだからな、覚悟しておけよ。」
「ワーイ」
やがて、バシャッ、バシャッと波しぶきがあがり、フネは矢のように早瀬を駆け抜けていきます。
「わははは、爽快爽快!やはり瀬を抜けると気持ちいいなあ!ぷしゅ、くはぁ」
「デ、ホワイトウォーターハ、ドコ?」
って・・・今、とおり過ぎたとこやないかいっ!
漕ぎ続けてへろへろになったわたくし、またまた上陸を願い出て休憩であります。
「ワタシ、オヨイデクル」
泳いでくるって、まさか・・・
わたくしが足を漬けただけでも、痛いぐらい冷たい水なのに・・・
わわっ、あんなところまで行ったぞ!そっちは深くて流れも速くて・・・
どぶん
わわっ、潜ったぞ!
わわっ、今度は上流に向かって泳いでるぞ!ぶるぶる
ま、真冬の荒海でも、3mm厚のウェットスーツでサーフィンしてるそうですが・・・
すっかり彼女にリードされ、めずらしく漕ぎ続けたわたくし、
いつになくハイペースでキャンプサイトに到着したのであります。ううっ
で・・・
奥様が、わたくしから召し上げたパワーショットG7で撮った画像であります。
奥様の手前、無理に笑顔を作っておりますが、
Vサインしてる右手は、すでにプルプル痙攣しておりました。ううっ
懐中電灯好きの仲間も紹介し、次々と正しいニッポンのキャンプ作法を教えてあげました。
「ドーシテ、チカチカスルイルミネーションヲ、タープニツケルノ?」
「トイレに行ったときや、夜到着する人のための道しるべ、ニッポンの常識ぢゃよ。」
「デモ、98kサンノタープダケダヨ」
「ううっ。」
とか、まあ、三日の夜は更けていったのでありました。
で、翌朝
「うーむ、まだ何かが足りんな・・・もっと作ってみなさい。もぐもぐ」
で、朝食後は・・・
「わははは、それを一日に二百個作れないと日本では就職できないんだぞ!」
「いくらなんでも、そりゃないですよ。それにだいいち、自分は作れるんですか?
この子はけっこう器用だけど、あんたはどうみても・・・」
「ううっ・・・」
だんだんキャンプサイトに居づらくなったわたくし、彼女を連れて川下りに出発しました。
例によって、せっかく来ていただいたwingさんと川端さんはほったらかしであります。
じゃーん
彼女、本国ではカヤック、ラフト、チュ―ビングと、川下りは何でもやってたそうであります。
「今から正しいニッポンの川下りを教えてあげよう。
二人乗りの場合、前はエンジン、後は舵取りだから、前でしっかり漕ぐのだぞ。」
「ウン、ワカッテル」
で、出発してすぐに・・・
「ほほう、なかなかしっかり漕いでるじゃないか・・・
ではここらで一息入れてと・・・ぷしゅ・・・くはぁー」
「アレ?シッカリコイデル?」
「わわっ、すぐに気づくのね!しっ、しっかり漕ぎます。ひいひい」
とまあ、完全にリードされて漕ぎ続けたのであります。ううっ
「アッ、アンナトコロニ、タワーガアル」
「おおっ、この辺りは、賽の河原というてな、ああやって石を積んでおくと、
デビルマンがやって来て、みんな踏み倒していくのだぞ。どうだ怖いだろう。げひげひ」
で、結局上陸して・・・
「ワタシモ、ツクッタヨ」
この川にも何箇所か、ちょっとした早瀬があります。
いわゆるホワイトウォーター区間であります。
「もうすぐホワイトウォーターだからな、覚悟しておけよ。」
「ワーイ」
やがて、バシャッ、バシャッと波しぶきがあがり、フネは矢のように早瀬を駆け抜けていきます。
「わははは、爽快爽快!やはり瀬を抜けると気持ちいいなあ!ぷしゅ、くはぁ」
「デ、ホワイトウォーターハ、ドコ?」
って・・・今、とおり過ぎたとこやないかいっ!
漕ぎ続けてへろへろになったわたくし、またまた上陸を願い出て休憩であります。
「ワタシ、オヨイデクル」
泳いでくるって、まさか・・・
わたくしが足を漬けただけでも、痛いぐらい冷たい水なのに・・・
わわっ、あんなところまで行ったぞ!そっちは深くて流れも速くて・・・
どぶん
わわっ、潜ったぞ!
わわっ、今度は上流に向かって泳いでるぞ!ぶるぶる
ま、真冬の荒海でも、3mm厚のウェットスーツでサーフィンしてるそうですが・・・
すっかり彼女にリードされ、めずらしく漕ぎ続けたわたくし、
いつになくハイペースでキャンプサイトに到着したのであります。ううっ
で・・・
奥様が、わたくしから召し上げたパワーショットG7で撮った画像であります。
Vサインしてる右手は、すでにプルプル痙攣しておりました。ううっ