トイガン
2023年07月07日
狙うて候・・・

銃豪 村田経芳の生涯・・・剣豪伝ならぬ銃豪伝であります
奥付

20年前の新刊で、著者は前回記事と同じ東郷 隆・・・

雑誌連載は28年前からで、著者は本作で第23回新田次郎賞を受賞されてます
例によって目次のご紹介

600頁を超える分厚い単行本でしたが、面白くて二晩で完読しました
会話文が全て(幕末明治の)薩摩弁でしたが定吉七番シリーズの大阪弁と同じく違和感が殆どなく、
読後しばらくは、頭の中が完全に薩摩弁になってました
わたくしも村田経芳が国産初の近代軍用小銃「村田銃」を作った人物という程度は知ってましたが、
欧州にも知られた射撃の名手だったとか、薩英戦争、戊辰戦争、西南戦争に従軍し、指揮官、
時には狙撃手として常に最前線にいたとか、晩年は銃に限らず弓術からビリヤードまで研究、
ともかく「遠方から物を正確に当てること」への欲求が強かった人だったとか・・・
全く知らなかった話、幕末明治の興味深い話も満載で、さすが博識な著者の大作であります
とても濃い内容で銃や射撃に関するエピソードだけでも数多く、概要紹介などはムリなので、
表紙カバー裏にあった村田経芳の略歴のみご紹介・・・

この生涯を600頁以上も飽きさせず、一気に読ませる筆力はさすがでした
主人公がどんな立場の人に対しても純粋な技術者として公平に接し、西郷隆盛が失脚しても、
政治が大きく変わっても、当初からの信念(国産小銃による統一)を貫いて達成するというのは、
幕末明治の大変革期とはいいながら、やはり凄い人物だと思いました
欧米世界では薬莢や後込め式など新しい技術が次々と開発され、余剰中古から最新式まで、
最大の銃器市場となっていた幕末から明治初期の日本で、自分を取り巻く状況も激変する中、
あらゆる小銃を試して研究を続けたというのが、他の維新立役者と異質なところなんですが、
やはり同じ明治人の気骨ともゆーべきなのか・・・
さてさて、今の日本の技術者はどうなんでしょうね・・・
せっかくなので、以下は村田銃と有坂銃に関する読後メモです
・村田銃の当初の生産量は明治13年(1880)制式の13年式単発村田銃が約6万挺、生産効率や
着剣重量などを改良した18年式が約8万挺、騎兵用短小銃が約1万挺で、年間生産3万挺を達成、
明治21年(1888)頃には屯田兵や輜重兵にまで最新の18年式が行き渡り、この時点でようやく
国産小銃による近代軍隊が日本でも実現した
(海外ではこれらを総称してムラタ・ライフルと呼ばれている)
・13年式は明治16年(1883)に来日したドイツの将軍から最優秀軍用小銃との認定書が出て、
ギリシャやブラジルから大量購入依頼が来たほど当時としては世界的な名銃だった
・無煙火薬の実用化(フランスが最初)は18年式の1年前で、各国も一斉に連発銃の開発を開始、
(それまでの黒色火薬では煙と煤がひどく連射機構は以前からあったが単発式が主流だった)
日本でも22年式連発村田銃が急きょ開発されたがチューブ弾倉で装填時間も生産効率も悪く、
平弾頭で命中精度も悪かったので(この辺りはこちらの本に

明治27年(1894)の日清戦争には改良が間に合わなかった
・日露戦争(明治37年~38年(1904~5)では村田の配下から後任となった有坂成章による
30年式歩兵銃が主力銃になったものの、一部では村田銃も使われていた
・さらに有坂の後任である南部麒次郎が30年式歩兵銃を一部改良して38年式歩兵銃となり、
この38年式は計340万挺が生産されている
(海外ではこれらを総称してアリサカ・ライフルと呼ばれている)
・30年式(1897)はドイツ国防軍のマウザーK98k(1898)、ソ連労農赤軍のモシン・ナガンM1891/30、
イギリス軍のリー・エンフィールドNo.4 MkI(1895)、イタリア王国軍のカルカノM1891、
フランス軍のルベルM1886、アメリカ軍のスプリングフィールドM1903とほぼ同時期であり、
主要国のボルトアクション式小銃は1900年前後に完成の域に達した(ウィキペディアより)
云々・・・
2022年11月29日
コウノトリtoプチOFF会de基地祭へ!!!
ええ、先週の土日に楽しんできましたので、さくさくっとご紹介!!!
土曜日の朝10時に神戸でwingさんをピックアップ・・・
「明石の溜池にコウノトリさんがいるとの情報なので、まずは寄ってみましょう」
とのことで明石西インターで下りて、とある溜池近くの駐車場へ・・・
一羽ぐらいは他のトリさんに混じっているのか、他の溜池も探さないと見れないのか・・・
と、心配しつつクルマを降りた途端、目の前に・・・




「あははは、いっぱいいましたね。ぱしゃぱしゃ」
「でも、あっけなく見つかると感動が少ないですね・・・ぱしゃぱしゃ」
と、しばらく撮影してたのですが他に望遠レンズや双眼鏡を持った人はいませんでした。
ここでは特に珍しくもない光景になってるんでしょうね・・・
ここは市街地の真ん中なんですが、湿地もあって餌も多いので集まってるのか・・・
それともしっかりした柵で保護されてて安全なので集まってるのか・・・
営巣地はどのあたりで、どこから飛来してくるのか・・・
ま、素人にはわかりませんでしたが、脚環があり大事に保護されているのは確かなようです
少し前までは絶滅寸前だったコウノトリさんが、豊岡はじめ各地での保護活動により、
こんなに身近に見られるようになったのは、まさに努力の賜物なんですね・・・
農薬や化学肥料を減らすなど里山の生態系を取り戻すことはコウノトリさんだけでなく、
そこに暮らす人々にとってもプラスがあることを信じて頑張ってこられた結果・・・

ちなみに・・・

カワウさん?もいっぱいでした・・・
と、探鳥会???は(探すまでもなく)無事に終了したので早めの昼食・・・

だから食べる前に撮ればよいものを・・・

ま、仕上げは・・・

天ぷらそばと・・・

季節のマロンちゃんで〆ました・・・

と、食後はいつもの姫路wing別邸(アジト)でred-bicycle(赤チャリ)さんと合流・・・
じつはアジトが蔓に覆われ、まるでラピュタさながらの状態になってたので、わたくしが
玉座に辿り着くまでに紆余曲折があったのですが、ま、最後は飛行石により・・・(以下略)
例によって飲みつつ食べつつダベり続け、夕方には仕事を終えたbullittさんと某SAで合流し、

以前お気に入りになった中華飯店へ・・・
そう、

ここの「日本最強焼餃子」をもう一度食べたいなあとwingさんが何度か呟いてて、それなら
陸自の基地祭に合わせて集まりましょう、となったのが今回プチOFF会の発端・・・
今回はじめてお会いしたbullittさんですが、以前から当ブログサイトをご愛読いただいており、
リアルでお話しできたのはじつに嬉しい限りで、さっそくwingさんや赤チャリさんとは
ライト談義に花を咲かせておられました。
ま、わたくしはひたすら・・・





ばくばく、もぐもぐ、ごくごく、んぐんぐ、ぷはあ
ま、飲まない赤チャリさんは・・・

お気に入りの回鍋肉定食でしたし、好きだけど運転で飲めないbullittさんには気の毒でしたが・・・

最後は胡麻団子で〆たものの、さらに話は盛り上がりコンビニに寄ってからアジトへ・・・



みなさんは甘味なんぞでひたすらライト談義・・・
ま、わたくしはハイボールなんぞを飲みつつ、ぼーっとしてただけですが・・・
と、翌日も朝からお仕事が入ってたbullittさんは、日付が変わる前には帰宅されましたが、
コンビニ支払いから稀少な日本酒の差し入れまで、いろいろとありがとうございました。
ま、その後も3人は天空の城ラピュタなんぞを観つつ・・・
「あははは、中に入れず騒いでる兵隊たち、まるで昼間の我々みたいやな・・・」
「そうか、ロボットの射出口からなら内部に侵入できたのか・・・」
「でも内部の蔓はグレネードガンで破壊しないとシータから飛行石を受け取れないな」
「そう、それで3人一緒に滅びの言葉を唱えれば一気に・・・」
「って、アジトが一気に崩れたら困るやないかっ!!!」
とか、例によって延々ヲタ話が続き、結局この夜の就寝は午前3時過ぎ・・・
翌朝は9時過ぎに起床してコーヒーと甘味だけで、いそいそと陸上自衛隊姫路駐屯地へ




ちょうど始まってた観閲式なんぞには目もくれず・・・
御一行は・・・


厚生センターにあるPX(売店)の自衛隊グッズ売り場を目指して・・・ひいひい
ま、売り場はすでに長蛇の列だったので、あらためて訓練展示なんぞを見学・・・
以下、さくさくっと・・・

94式水際地雷敷設車・・・これははじめて見ました
スクリュー付きの巨大な水陸両用車なんですね・・・
こちらは・・・

基地内で最も活躍してた主力輸送車両・・・ちなみにこれは旧型・・・

昔から残る古い兵舎・・・
わたくしの通った中学校は旧高射砲陣地だったので同じような兵舎が残ってました
懐かしいなあ・・・夏は暑かったなあ・・・
で、隊員に次々と装備品が支給されて・・・


実戦訓練展示へ・・・


ラペリング降下訓練展示とか・・・


展開射撃訓練展示とか・・・
敵の侵入をレーダーやドローンで察知し緊急展開して制圧するという想定の訓練なんですね
で、

格闘訓練展示
最後は、

素手で・・・

ばったばったと敵をなぎ倒して無事に制圧・・・
ロシア軍のハイテク兵器不足とかが話題になってますが、最終的に陸上を制圧するのは
やはり(旧式のAK47であれモシンナガンであれ)銃を持った生身の兵士なんですね・・・
と、女性自衛官のコスプレで記念写真を撮ろうと・・・

・・・思ったけど裏に子供用の台があったのであきらめ・・・
せっかくなので資料館をさくさくっと・・・

おおっ、98kも・・・


西ドイツになってからもリボンは黄色ではなく白色のままだったんですね・・・






じゅるじゅるじゅる

ちなみに資料館を出たら、ちょうど・・・


レンジャーの訓練展示をやってました


こんなのキャンプ用に欲しいなあ・・・

と、駐屯地を出て遅めの昼食は、3人ともひさしぶりだったモスバーガーで・・・

軽く済ませ、3時にはアジトまで何とか戻りました。ひいひい
赤チャリさんのハイテク歩数計によると、この日の歩数は12000歩ほどだったそうです。
わたくし1日に1000歩以上も歩くのはじつにひさしぶりで、着くなりぐったりと倒れ込み、
そのまま夕方までぐだぐだして姫路を出たのは5時前、神戸でwingさんを降ろして大阪に
無事に帰り着いたのは日曜日の8時半過ぎでした。
恒例により翌々日の本日朝から足腰が痛くなってきてましゅが・・・
いやあ、今回もじつに楽しかったです。皆さんありがとうございました。
特にはじめてお会いしたbullittさんには、お土産までいただき恐悦至極です。
次回お会いした際は大いに飲んでアクション映画話とかで朝まで盛り上がりましょう!!!
2022年07月17日
黄砂の籠城
小説「黄砂の籠城」のご紹介であります。
表紙カバー

裏カバーにあった惹句

著者、発行所、発行年月日については奥付のとおり

で、オハナシは・・・
清国が日本を含む欧米列強の横暴に対し事実上の宣戦布告をした1900年6月19日の翌日から、
各国連合軍が北京を占領する8月14日までの55日間に及ぶ、清軍と義和団によって包囲された
北京の在外公館区域だった東交民巷での、20万対4000の戦い・・・
いわゆる義和団事件で、その籠城戦の実質指揮官として活躍し、欧米に名を知られる初の
日本軍人となった、当時の日本公使館駐在武官柴五郎砲兵中佐を、この小説の主人公である、
彼の部下になった一人の伍長の視点から描いた物語であります。
そう、柴五郎中佐は映画「北京の55日」で若き日の伊丹十三が演じた人物なんですが、なにせ
1963年製作のハリウッド映画ですから、大活躍する主役はチャールトン・ヘストン演ずる
アメリカ海兵隊の少佐で、伊丹十三はあくまで脇役つーかチョイ役でした・・・
いっぽう史実では、籠城中の実戦指揮をしてたのは柴中佐のようで、その理由をウィキでは、
各国公使館の駐在武官の中で最先任の中佐であったこと(フランスの駐在武官は大佐だったが
技術系で指揮を辞退したこと)や、英語・フランス語・中国語に精通し各国間の意思疎通が
できたこと、以前から北京の地理に詳しく情報網を築き上げたことなどが記されてますが、
のちに英国ビクトリア勲章はじめ籠城していた各国や、漢人のキリスト教徒を助けた功績で
清国からも勲章を授与されてますから、籠城戦の主役であったことは間違いないようです。
小説では一兵士から見た籠城戦の様子がリアルに描かれ、当時の欧米人と日本人との中国観
や世界観の違いなども描かれてましたが、映画と同じで包囲前から援軍到着までのオハナシ、
日清戦争に勝利し欧米列強の仲間入りを果たそうとしていた当時の日本が、最終的には
各国中で最大規模の兵力を派遣し、占領後は列強と同じく略奪や更なる利権確保に奔走、
ロシアと張り合う形になり、やがて日英同盟を組んで日露戦争へ・・・
といったあたりはもちろん描かれてませんし、義和団も本作では狂信者集団という部分だけ、
当時のキリスト教会の横暴ぶりについても殆ど触れられておらず、このあたりはわたくしの
大好きなアメリカ版サスペンス・アクションのヒーローが日本軍人になった感じ・・・
ただ著者にはこの事件を義和団側からみた続編「黄砂の進撃」もあり、こちらも読まないと、
作品の全体像は掴めないのかも知れませんが・・・
いずれにしても・・・
わたくし義和団事件については、古い映画に何となく違和感を感じてたぐらい、だったので、
この作品を機会に、あらためて(ネット情報で)当時の事情を知ることができました。
ええ、このあたりの歴史の(ネット情報からの)ウンチクについては、いずれまた・・・

(翌日の追記です)
作品中、主人公の伍長が支給されている22年式村田連発銃が「当たらない」と嘆いている
シーンが何度かあり、柴(砲兵)中佐が「早く30年式が行き渡ればよいのだが・・・」と
返すシーンもありました。
ところが義勇兵となった2等書記官が戦死、彼がイギリス公使館から支給されていた、
当時最新式だったリー・エンフィールド銃を、義勇兵仲間から「伍長が使って欲しい」
と言われた際に「自分にはこの村田銃があります」と戦死した2等書記官の手に握らせ、
結局その銃は、最後に戦う決意をした非戦クリスチャンの1等書記官が引き継いでいた・・・
とゆーエピソード、なんかTVドラマ「コンバット」で分隊最強火器BARの引継ぎを描いた、
「勇者の機関銃」の回を彷彿とさせてくれました。うるうる
ちなみに22年式村田銃から30年式有坂銃になった時点で陸軍のボルトアクション歩兵銃も
ようやく世界標準レベルとなり、その後に一部改良されて有名な38式有坂銃になるのですが、
ここに至るまでの明治新政府の歩兵銃ウンチクも、いずれまた・・・

2023.7の追記です
村田銃から有坂銃に至る経過についてはこちらの本を読みました
22年式は黒色火薬から無煙火薬に移行して連発が可能になり急きょ開発されたものの、
本書にもあるとおり改良すべき点が多く、日露戦争では村田の配下だった有坂が開発した、
30年式が主力銃になったんですね・・・
2020年08月28日
ワールド・スケールモデラーNo.2!!!
2020年8月25日より当ブログサイトのURLをhttp:からhttps:に変更しています。
登録されているリンク等で閲覧に不具合が生ずる場合は変更をお願いします。
と、とーとつですが「ワールド・スケールモデラーNo.2」であります!!!
ええ、2018年の秋に発売された創刊号No.1に続く第二弾!!!
じゃーん

モデルアート社 2020年8月10日発行
ちなみに右のジオラマは1/72スケール!!!で、この作品のモノクロ写真が当時の記録写真と
混同されて、ネットで出回ったことがあるとか・・・まさに凄いの一言です。
裏表紙

こちらは1/96スケールだそうです。
奥付であります。

こちらはドイツ軍に鹵獲されたP-47Dサンダーボルトでスケールはなんと1/32!!!
上記リンク記事にも書いてますが、わたくし編集長とは学生時代のSF研究会仲間で、
日々授業をサボってミリタリーモデル作りを競い合ってた???仲・・・
ま、当時からレベルは桁違いでしたが・・・

昔から工作は苦手でしたが、ジオラマ作品を見たりするのは今でも大好きです。
例によって目次のみご紹介・・・

一番下、台湾迷彩会の張中復氏によるオランダSMC模型コンテスト記事で知ったのですが、
昔、張氏とともに台北で歓待いただいた王徳方氏が昨年、若くして急逝されてたんですね。
あらためまして、心よりご冥福をお祈りいたします。謝謝了
2016年05月14日
200万突破と1000突破!!!
(期間限定のお知らせ)
2017年3月ボルネオ植林ツアーへのお誘いと特典付き寄付へのお願い記事はこちらです。
で、いつの間にやら、このブログサイト「趣味の物置小屋98k」は・・・
総アクセス数(PV数)が200万を超えてました!!!
最近は月に2万程度のアクセスをいただいてますから、200万を突破したのはおそらく先月の上旬・・・
いやあ、まったく気づきませんでした・・・あははは
これひとえに、みなさまのご愛読とわたくしの才能の賜物と感謝しております。げひげひ
ま、恒例により、このサイトの近況なんぞを・・・
最近アクセスの多い記事は「シルヴァF8F!!!」で、ずっと上位を占めキーワード検索でもトップでした。
他にスバルXVやスペシャライズド・ルーベSL4で来られる方も多く、いずれも人気車種だからなのか、
はたまたマイナーな車種のため、他の紹介記事が少なく検索サイト上位にランクされてるからなのか・・・
うーむ、このあたりは気になるところなんですが、実際はどっちなんでしょうね・・・
いっぽうアウトドア関係では、ヘリノックスのタクティカルチェア、スノーピークのチタンシングルマグ、
サーマレストのリッジレスト、ケシュアのタープ、モンベルのレインダンサーなんぞが上位に来ており、
これらはいずれも有名ブランドの中ではややマイナーな商品のため、やはり紹介されてるサイトが少なく、
検索サイトの上位にランクされている・・・と勝手に推測しています。
またミリタリー関係では、古い「コルト・ガバメントM1911A1」記事や「アリスパックM」記事へのアクセスを
まだまだ数多くいただいており、やはり不朽の名作(記事のことではなく実物のハナシですが・・・)への
根強い人気がうかがえます・・・
さらに開設当初からのフラッシュライト関連サイトのリンク集やRSSから来て下さる方も大勢おられ、
毎度のことながら、これは本当にありがたい限りであります。
で、感謝の気持ちを込めて、いよいよ200万アクセス突破記念・大プレゼントをもらう企画!!!なんぞを・・・
やってもどーせロクなものが届かないでしょうから・・・穴のあいたタイヤチューブとか折れたスポークとか使い古し電池とか・・・
今回はきっぱりと断念させていただきます。
ま、現金だけなら・・・いやいや、どーせ石貨とかあやしい軍票とか偽札とかが届いて危ないだろうし、やはりやめておこう・・・
ま、いずれにせよ、ここ一年ほど、当サイトでは自転車関連記事が多くなってます・・・
つーことで、とーとつではありますが・・・
ルーベSL4に昨年6月の購入時から着けてるサイコンの総走行距離が、今月はじめに・・・
1000kmを突破してました!!!
これひとえにわたくしの体力と健康の賜物と感謝しております。むひむひ
昨年8月中旬に立ちゴケで左足首を骨折して3か月ほど乗ってなかったので、実質8か月で1000km、
ま、red-bicycle(赤チャリ)さんなんか、1か月でそれ以上は走っておられるんでしょうが・・・
わたくしのふだんの走行距離は、せいぜい30kmから50kmほど、特に一人でふらふら走る場合は、
天気のいい休日の午前か午後のどちらか、しかも休憩時間と走行時間はほぼ同じです。わははは
たまに何人かで一日かけて走る場合でも、せいぜい50kmから100kmまで、この場合も走行時間と
休憩時間はほぼ同じですねえ・・・ま、その後の宴会時間が一番長いか・・・がははは
ルーベSL4については一時期、ステムをフラットに戻してハンドルの角度やサドルの位置も調整、
前傾姿勢を強めたりしてたんですが、最近はまたアップライトな姿勢に戻しています。
自転車つーのはタイヤの接地抵抗などより空気抵抗のほうがはるかに大きな乗り物ですから、
もっと腹筋や背筋を鍛えて、もっと前傾姿勢で漕いだほうがもっとラク・・・なんでしょうが・・・
ずっと首を上げてないとまわりの景色が見えない、つーのは、のんびりポタにはつらい・・・
ま、ロングライド向きでお安い完成車とはいえ、いちおーカーボンフレームのロードバイクですから、
アップライトな姿勢でのんびり漕いでても、それまでよりラクに走れるようになり走行距離も伸びました。
さらにこれ以外にも一昨年3月からのダホン・エスプレッソや今年2月からのF8Fなどにも乗ってますから、
この2年ほどは、けっこう自転車で走るようになりましたねえ・・・
昨年1月末に購入したスバルXVは15か月で4000kmしか走ってませんし、たまの遠乗りだけですから、
ママチャリでご近所へ買い物なんぞに行ってる分も含めると、クルマより自転車での走行距離のほうが、
はるかに多い月が殆どなんですね。
ま、その分、山歩き回数はさらに少なくなっており、こちらもそろそろ再開しないと・・・ううっ
最近は記事の更新も週一回程度と少なくなり、アウトドア趣味で使うモノたちのご紹介とゆー、
当初の趣旨から離れた記事もさらに増えましたが、ま、ぼちぼちと続けていくつもりですので・・・
今後ともご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。
って、40年のタイムスリップを繰り返して、SF研究会メンバーを働かせてたのかっ???