バーナー・ライター
2021年11月04日
ナチスのキッチン
前回記事に続き、食についてのお勉強・・・つーことで・・・
今回は「ナチスのキッチン」であります・・・

「決定版」ナチスのキッチン~「食べること」の環境史~
著者・発行者・発行所・発行年月日は以下のとおり・・・

そう、以前紹介した「縁食論」や「戦争と農業」の著者による大作であります。
例によって目次のみのご紹介・・・


様々な分野から反響のあった本だそうで、料理や建築にはまったく素人のわたくしにも
けっこう面白く読めました。
近~現代ドイツの食と台所の歴史なんてはじめて知りましたし、戦後の世界各地の
キッチン設計にも大きな影響を与えてたんですね。
料理や台所に限らず思想史に興味のある方も、ぜひご一読を・・・
なにせ大作ですのでわたくしの読書メモから、てきとーに思いつくままの抜粋です。
序章より
・台所→釣った魚を炙る川べりの焚火から高級システムキッチンまで・・・
・動物や植物のほとんどは、火、水、菌、石、刃物によって物理的かつ化学的な変化を
与えられることで、はじめてヒトの口に運ばれる
・栄養を吸収するためには消化器官だけでは不十分で・・・台所はいわば外部器官・・・
→体内に栄養を取り込むシステムの延長に位置する、人間の身体の派出所・・・
・ナチ時代(1933~1945)は「合理化」だけでは理解しにくい時代
→モダニズム建築を否定しつつアメリカのテイラー主義(労働改善)を受容し合理化する二律背反
→この問題を台所から迫るのが本書の目的
①ヒルデガルド・マルギス→消費者運動の先駆け
②エルナ・マイヤー→国民経済学が専門のカリスマ主婦
③マルガレーテ・リホツキー→オ-ストリアはじめての女性建築家で小型キッチンの生みの親
・欧米の近世の台所の主役は火(煮る)で、日本の台所は水(捌いて盛る)が主役だった
→台所は自然に成立したもので地方により家により異なるもの
→キッチンは意図的に設計されたシステムとその模倣商品で画一的なもの、と便宜上区分
・竈とオーブンと(電子)レンジ→日本とドイツの感覚の違い(温めないとか)
・女性の解放と家事労働→セントラル・キッチン構想
・テイラー主義に基づく台所設計や家具配置がドイツ現代史の特徴
・台所は人間による自然加工の終着駅でありエネルギーの末端であり企業の大きな販路
・台所の神様、竈の神様は日本にも古代ローマにもギリシャにも古代ゲルマンにも存在する
・台所は外の生態系とそこから囲われた「住まい」との通路・・・
1章では火を住まいに囲うための建築技法
2章では食べやすいよう加工するための調理テクノロジー
3章では、それを科学の側面からバックアップする家政学
4章では調理術の蓄積としてのレシピ、
と、台所の近現代史をたどり・・・
5章では、その帰結としてのナチ期の食政策を台所から分析する
第1章
・調理場を兼ねた暖炉(竈)=光と熱の源=家の中心だった
→19世紀後半~20世紀初頭の鋳鉄製の竈で小型化→暖炉はなくなるか別になる
→同時期に普及する電気やガスで台所はさらに小型化→小型キッチンの設計へ
→20世紀初頭以降の上下水道の普及により蛇口とシンクが大きな存在に
・労働者の住宅不足→フランクフルト市の住宅計画に調理専用の「キッチン」が誕生
→このとき専用キッチンと居間キッチンの是非の論争があった
→「主婦は居間の近くで他の家事も」→主婦労働の軽減からは専用キッチンか
(まだ電気冷蔵庫はなかったので別に食料庫は必要だった)
・アメリカの共同キッチンの試み→「共産主義キッチン」としてドイツに移植
→1908年から各地でセントラルキッチンハウス→第一次世界大戦で挫折
・農学者の横井時敬が徳川秋声に書かせた「小説 模範町村」(1907)の模範村
→家族制度重視の横井が農村の魅力を獲得する方策として家事の協同化を提唱していた
・なぜセントラルキッチンは挫折したのか
→戦争による食料不足で戦時食堂=集団給食所が各地にできたから
・リホツキーのフランクフルト・キッチン(1927)のモデルは狭い食堂車の厨房
・エルナ・マイヤーのシュトゥットガルト・ミニキッチン
(テイラー主義に基づく身体制御型のリホツキーに対し家庭を管理する事務所でL型)
・ダイニングとの仕切りを減らしたミュンヒェン・キッチン
→空気の流れを妨げる程度の仕切りを付ける
→子どもの監視ができ衛生上も改善されガラス窓のコストもかからない
・バウハウスとブルーノ・タウト(テイラー主義を美学にまで高めた)の影響
・シュルツ・ナウムブルクの「郷土保護様式」→暖炉と居心地の良い広い台所
→ナチ党の居間キッチンへ→現実には戦争により機能主義を極限まで高めたものになった
→東ドイツの労働キッチンも同様→台所を労働者約1名の小工場化・・・
第2章
・電化・マニュアル化・健康志向・市場化・(マルギスの反ナチと)ハイバウディのナチ化
第3章
・家政学の誕生と家事マニュアル→家政年報(1928~1944)
→都市と農村・各職業の収入差・疲労・栄養学・料理教室・モータリゼーション・家事労働時間
→家政学のナチ化と「家政年報」の中断、戦時体制化、節約
→それまでのテクノロジー賛美の基調から文化、民族性、反資本主義のナチズムへ
・家政学は
①科学的手法で女性への抑圧的側面を見いだしたが台所は有機体であると権力関係を温存した
②台所を透明化した→ガラス化、数値化→国家や企業がコントロールしやすい空間へ
③台所を機械化した→人間それ自体も機械化したのではないか
④台所を戦場化した→節約→透明化や機械化の延長線上
(アメリカでは家政学による数値化・清潔志向・栄養学で同じ味になった、とも・・・)
第4章
・台所はモダニズム建築・テイラー主義・家政学・企業による用具の市場で小工場と化した
→ドイツの食文化は本来複雑
・料理本の変化・そのロングセラーの変遷・産業界と縁の深い料理本の紹介(略)
(アイントップの庶民性とそれを利用するナチスの巧妙さ)
(マギーやクノールのブイヨンは第一次世界大戦の戦闘糧食や療養食から平時の家庭へ)
・高度経済成長以降、先進国の食は豊かになったといわれ、確かにパン用穀物の消費が減り
肉類、牛乳、乳製品の消費が上昇しているが、18世紀中頃から現在までのレシピの歴史からは
食が豊かになるどころか健康を崇める道具となり、均質化しているという現実もある。
第5章
・ナチ婦人団の重要な任務は食糧自給達成のための台所のコントロール
→牛肉豚肉から羊肉魚肉へ、バナナから国産リンゴへ、などなど・・・
・ヒトラーユーゲントの手引書
→正しい食生活が健康な国民と兵士を作る→健康至上主義と軍国主義の合流
・食の現場を管理し食糧の安定を図るための「家事の軍備拡張」というスローガン
・ラジオによる台所の統制
→魚肉推奨、肉食批判、粗食によるビタミン補給など・・・
・母親学校、農村女子職業学校、労働奉仕団などの家政教育プログラムや家事トレーニング
・マイスター主婦制度・再教育施設
・ポーランドのドイツ化のため移住させられたドイツ人主婦たち
→アーリア人種の女性の中でのヒエラルキー形成
・無駄なくせ運動→「台所の敵である無駄との闘争はドイツ民族が作った収穫物への感謝」
→ナチ国家として電気冷蔵庫の開発に着手したがドイツに普及するのは1970年代から
・残飯回収→食料生産援助事業→豚の餌を分別しない主婦は犯罪者
(この事業で食の生産者と消費者の関係を行政が表面化したことも事実)
・栄養学の試みと強制収容所での人体実験
→国民も囚人も食を自分で選ぶ自由を権力へ委ねた
・台所空間で主婦が「滅私奉公」状態に
→栄養学もテイラー主義も家政学も、その暴走に歯止めをかける術を持ち合わせていなかった
終章
・調理術は五感に快楽をもたらす美学的な課題
→レシピは文字と数字でそれを再現するがレシピだけで表現できるものではない
・栄養学のビタミン信仰への、料理の香りで消化酵素を分泌する生理現象からの批判
・台所の労働空間への純化とナチスの健康崇拝
・竈信仰から機械への絶大な信頼(信仰)へ→要塞のようなシステムキッチン
・千年王国のためにナチスはあらゆる分野での先駆者を必要とした
→台所の先駆的な試みはユダヤ人のものでも共産主義者のものでもナチスのものに・・・
・ドイツ合理主義の遺産は世界各地に拡散するが環境破壊にブレーキはかけられなかった
・現在の食文化の原型は(東西ドイツともに)1960~70年代
→外食産業の発達、冷蔵・冷凍技術の進歩、経済成長と消費社会
・資本主義とナチズムと科学の協同作業からなるテクノロジー社会の構築
→大量生産のシステムキッチン
・清潔や健康のための食事ではなく、単なる栄養摂取の味気なさではなく、食べたいから作る
→これが未来の台所の基本方針→ナチ時代に根源的に批判されたもの
→今の食べものは食品産業と栄養学と家政学によって「選ばされている」もの
・ナチスは食を通じて人がつながるという根本的機能を国民意識の形成に存分に役立てた
→その機能を台所の入口にも食卓にも出口にも徹底させた
→これがナチスのキッチンの特徴だが、あくまでプライベート・キッチンで主婦は孤立したまま
・そもそも家族とは不安定な集団で胃袋を通じてしか絆を維持できない(マリー・ハーン)
→核家族化した市民家族集団は、成員が一人欠けると柱がぐらつき、二人欠けると、
そのほとんどが崩壊する「仮設」の居場所にすぎない
→その不安定な集団と不安定な集団の、胃袋を通じた連帯の場を台所は担えるはず
→ただしこれまでのような台所の小工場化では、この道は見えてこない
→食の荒廃を主婦に押し付ける家族主義では、この社会は支えきれない
→家族愛だけでは台所仕事の深遠さを汲み取ることができない
云々・・・
当時のレシピ紹介も興味津々、この本を参考に料理人が実際に再現された料理もあるようで、
ともかく読みごたえがありました。
今回は「ナチスのキッチン」であります・・・

「決定版」ナチスのキッチン~「食べること」の環境史~
著者・発行者・発行所・発行年月日は以下のとおり・・・

そう、以前紹介した「縁食論」や「戦争と農業」の著者による大作であります。
例によって目次のみのご紹介・・・


様々な分野から反響のあった本だそうで、料理や建築にはまったく素人のわたくしにも
けっこう面白く読めました。
近~現代ドイツの食と台所の歴史なんてはじめて知りましたし、戦後の世界各地の
キッチン設計にも大きな影響を与えてたんですね。
料理や台所に限らず思想史に興味のある方も、ぜひご一読を・・・
なにせ大作ですのでわたくしの読書メモから、てきとーに思いつくままの抜粋です。
序章より
・台所→釣った魚を炙る川べりの焚火から高級システムキッチンまで・・・
・動物や植物のほとんどは、火、水、菌、石、刃物によって物理的かつ化学的な変化を
与えられることで、はじめてヒトの口に運ばれる
・栄養を吸収するためには消化器官だけでは不十分で・・・台所はいわば外部器官・・・
→体内に栄養を取り込むシステムの延長に位置する、人間の身体の派出所・・・
・ナチ時代(1933~1945)は「合理化」だけでは理解しにくい時代
→モダニズム建築を否定しつつアメリカのテイラー主義(労働改善)を受容し合理化する二律背反
→この問題を台所から迫るのが本書の目的
①ヒルデガルド・マルギス→消費者運動の先駆け
②エルナ・マイヤー→国民経済学が専門のカリスマ主婦
③マルガレーテ・リホツキー→オ-ストリアはじめての女性建築家で小型キッチンの生みの親
・欧米の近世の台所の主役は火(煮る)で、日本の台所は水(捌いて盛る)が主役だった
→台所は自然に成立したもので地方により家により異なるもの
→キッチンは意図的に設計されたシステムとその模倣商品で画一的なもの、と便宜上区分
・竈とオーブンと(電子)レンジ→日本とドイツの感覚の違い(温めないとか)
・女性の解放と家事労働→セントラル・キッチン構想
・テイラー主義に基づく台所設計や家具配置がドイツ現代史の特徴
・台所は人間による自然加工の終着駅でありエネルギーの末端であり企業の大きな販路
・台所の神様、竈の神様は日本にも古代ローマにもギリシャにも古代ゲルマンにも存在する
・台所は外の生態系とそこから囲われた「住まい」との通路・・・
1章では火を住まいに囲うための建築技法
2章では食べやすいよう加工するための調理テクノロジー
3章では、それを科学の側面からバックアップする家政学
4章では調理術の蓄積としてのレシピ、
と、台所の近現代史をたどり・・・
5章では、その帰結としてのナチ期の食政策を台所から分析する
第1章
・調理場を兼ねた暖炉(竈)=光と熱の源=家の中心だった
→19世紀後半~20世紀初頭の鋳鉄製の竈で小型化→暖炉はなくなるか別になる
→同時期に普及する電気やガスで台所はさらに小型化→小型キッチンの設計へ
→20世紀初頭以降の上下水道の普及により蛇口とシンクが大きな存在に
・労働者の住宅不足→フランクフルト市の住宅計画に調理専用の「キッチン」が誕生
→このとき専用キッチンと居間キッチンの是非の論争があった
→「主婦は居間の近くで他の家事も」→主婦労働の軽減からは専用キッチンか
(まだ電気冷蔵庫はなかったので別に食料庫は必要だった)
・アメリカの共同キッチンの試み→「共産主義キッチン」としてドイツに移植
→1908年から各地でセントラルキッチンハウス→第一次世界大戦で挫折
・農学者の横井時敬が徳川秋声に書かせた「小説 模範町村」(1907)の模範村
→家族制度重視の横井が農村の魅力を獲得する方策として家事の協同化を提唱していた
・なぜセントラルキッチンは挫折したのか
→戦争による食料不足で戦時食堂=集団給食所が各地にできたから
・リホツキーのフランクフルト・キッチン(1927)のモデルは狭い食堂車の厨房
・エルナ・マイヤーのシュトゥットガルト・ミニキッチン
(テイラー主義に基づく身体制御型のリホツキーに対し家庭を管理する事務所でL型)
・ダイニングとの仕切りを減らしたミュンヒェン・キッチン
→空気の流れを妨げる程度の仕切りを付ける
→子どもの監視ができ衛生上も改善されガラス窓のコストもかからない
・バウハウスとブルーノ・タウト(テイラー主義を美学にまで高めた)の影響
・シュルツ・ナウムブルクの「郷土保護様式」→暖炉と居心地の良い広い台所
→ナチ党の居間キッチンへ→現実には戦争により機能主義を極限まで高めたものになった
→東ドイツの労働キッチンも同様→台所を労働者約1名の小工場化・・・
第2章
・電化・マニュアル化・健康志向・市場化・(マルギスの反ナチと)ハイバウディのナチ化
第3章
・家政学の誕生と家事マニュアル→家政年報(1928~1944)
→都市と農村・各職業の収入差・疲労・栄養学・料理教室・モータリゼーション・家事労働時間
→家政学のナチ化と「家政年報」の中断、戦時体制化、節約
→それまでのテクノロジー賛美の基調から文化、民族性、反資本主義のナチズムへ
・家政学は
①科学的手法で女性への抑圧的側面を見いだしたが台所は有機体であると権力関係を温存した
②台所を透明化した→ガラス化、数値化→国家や企業がコントロールしやすい空間へ
③台所を機械化した→人間それ自体も機械化したのではないか
④台所を戦場化した→節約→透明化や機械化の延長線上
(アメリカでは家政学による数値化・清潔志向・栄養学で同じ味になった、とも・・・)
第4章
・台所はモダニズム建築・テイラー主義・家政学・企業による用具の市場で小工場と化した
→ドイツの食文化は本来複雑
・料理本の変化・そのロングセラーの変遷・産業界と縁の深い料理本の紹介(略)
(アイントップの庶民性とそれを利用するナチスの巧妙さ)
(マギーやクノールのブイヨンは第一次世界大戦の戦闘糧食や療養食から平時の家庭へ)
・高度経済成長以降、先進国の食は豊かになったといわれ、確かにパン用穀物の消費が減り
肉類、牛乳、乳製品の消費が上昇しているが、18世紀中頃から現在までのレシピの歴史からは
食が豊かになるどころか健康を崇める道具となり、均質化しているという現実もある。
第5章
・ナチ婦人団の重要な任務は食糧自給達成のための台所のコントロール
→牛肉豚肉から羊肉魚肉へ、バナナから国産リンゴへ、などなど・・・
・ヒトラーユーゲントの手引書
→正しい食生活が健康な国民と兵士を作る→健康至上主義と軍国主義の合流
・食の現場を管理し食糧の安定を図るための「家事の軍備拡張」というスローガン
・ラジオによる台所の統制
→魚肉推奨、肉食批判、粗食によるビタミン補給など・・・
・母親学校、農村女子職業学校、労働奉仕団などの家政教育プログラムや家事トレーニング
・マイスター主婦制度・再教育施設
・ポーランドのドイツ化のため移住させられたドイツ人主婦たち
→アーリア人種の女性の中でのヒエラルキー形成
・無駄なくせ運動→「台所の敵である無駄との闘争はドイツ民族が作った収穫物への感謝」
→ナチ国家として電気冷蔵庫の開発に着手したがドイツに普及するのは1970年代から
・残飯回収→食料生産援助事業→豚の餌を分別しない主婦は犯罪者
(この事業で食の生産者と消費者の関係を行政が表面化したことも事実)
・栄養学の試みと強制収容所での人体実験
→国民も囚人も食を自分で選ぶ自由を権力へ委ねた
・台所空間で主婦が「滅私奉公」状態に
→栄養学もテイラー主義も家政学も、その暴走に歯止めをかける術を持ち合わせていなかった
終章
・調理術は五感に快楽をもたらす美学的な課題
→レシピは文字と数字でそれを再現するがレシピだけで表現できるものではない
・栄養学のビタミン信仰への、料理の香りで消化酵素を分泌する生理現象からの批判
・台所の労働空間への純化とナチスの健康崇拝
・竈信仰から機械への絶大な信頼(信仰)へ→要塞のようなシステムキッチン
・千年王国のためにナチスはあらゆる分野での先駆者を必要とした
→台所の先駆的な試みはユダヤ人のものでも共産主義者のものでもナチスのものに・・・
・ドイツ合理主義の遺産は世界各地に拡散するが環境破壊にブレーキはかけられなかった
・現在の食文化の原型は(東西ドイツともに)1960~70年代
→外食産業の発達、冷蔵・冷凍技術の進歩、経済成長と消費社会
・資本主義とナチズムと科学の協同作業からなるテクノロジー社会の構築
→大量生産のシステムキッチン
・清潔や健康のための食事ではなく、単なる栄養摂取の味気なさではなく、食べたいから作る
→これが未来の台所の基本方針→ナチ時代に根源的に批判されたもの
→今の食べものは食品産業と栄養学と家政学によって「選ばされている」もの
・ナチスは食を通じて人がつながるという根本的機能を国民意識の形成に存分に役立てた
→その機能を台所の入口にも食卓にも出口にも徹底させた
→これがナチスのキッチンの特徴だが、あくまでプライベート・キッチンで主婦は孤立したまま
・そもそも家族とは不安定な集団で胃袋を通じてしか絆を維持できない(マリー・ハーン)
→核家族化した市民家族集団は、成員が一人欠けると柱がぐらつき、二人欠けると、
そのほとんどが崩壊する「仮設」の居場所にすぎない
→その不安定な集団と不安定な集団の、胃袋を通じた連帯の場を台所は担えるはず
→ただしこれまでのような台所の小工場化では、この道は見えてこない
→食の荒廃を主婦に押し付ける家族主義では、この社会は支えきれない
→家族愛だけでは台所仕事の深遠さを汲み取ることができない
云々・・・
当時のレシピ紹介も興味津々、この本を参考に料理人が実際に再現された料理もあるようで、
ともかく読みごたえがありました。
2021年09月30日
しそうdeキャンプ!!!(前篇)
先週末、半年ぶりのキャンプ宴会!!!
を二泊三日で楽しんできました。
今年は梅雨から猛暑と長雨が連続し(それを名目に)キャンプどころか自転車もまったく漕がず、
ひたすら引き籠って飲んだくれる日々が続いてたのですが・・・
「兵庫県・密にならないキャンプ場探しの旅」を続けてる赤チャリさんとみよころさんから、
下見でよさげだったので、と誘っていただき、今回ご一緒させていただいた次第。
宍粟市の林間にある某キャンプ場で、全てが独立サイトなんですがサイト指定はできず先着順、
お二人の下見によれば土日は混みそうなので前日からサイトを確保した方が安心、とのことで、
金曜日の昼過ぎに98k号とみよころ号が現地に集合、とりあえず各サイトを確認したところ、
トイレに近いサイトにはすでにテントが張られ、舗装路に近いサイトは独立感が少なかったし・・・
つーことで一番下にあって、しかも一番奥のサイトへ・・・
ま、この選択を後で後悔することになるのですが・・・

とりあえず簡単タープを張りテーブルと椅子をセット、クーラーボックスさえ出せば・・・

あとはひたすら、ごくごくばくばく・ぺちゃくちゃ・わはははの繰り返し・・・
おっと、意識のあるうちにテントも・・・と、ふらふらと・・・

ええ、今回もなんとか無事に設営できました。ひっく
ちなみにこちらが・・・

お二人が新調され、なんと当日の朝に届いたとゆーティピー(モノポール)テント・・・
わたくしも設営の手伝いをした・・・ような気もしますが・・・ひっく
ま、テント設営後は、さらにごくごくばくばくやってたのですが、みよころさんは・・・

ご自宅で下ごしらえ済みの関東煮(おでん)の具材を鍋に投入したりして、てきぱきと夕食の準備。
ちなみに熱源は・・・

こちらも新調されたとゆーイワタニの「タフまる」で、たしかにタフそうです。
と、すっかり暗くなり・・・

おでんも程よく煮上がった頃、翌日から参加予定だったwingさんから突然電話があり、
「あれ、wingさん??? 明日からも来れなくなったんですかっ??? 残念だなあ・・・」
「いや、明日まで我慢できず早めに出発したのですが迷ってしまい、今トイレ前に着きました。
電話の呼び出し音が下の方から聞こえたけど、いったいどうやって下りればいいのか・・・」
「あははは、ひょっとしておでんが煮上がるまでトイレ前で待機してたとか・・・
ともかく舗装路をジグザグに下りてきて、枝道からはみよころさんが誘導します。」
と、一人だけごくごくばくばくやってると、みよころさんに誘導されたwingさんが到着、

やはり椅子とクーラーボックス(とカメラとライト)だけ出して、ごくごくばくばくしつつ・・・
「うーむ、やはりこちらの方が演色性がいいかな・・・ぶつぶつ」

と、様々な補助光を試しながら撮ってたのは・・・

やはり蟲さんでした・・・って、ムカデさんもいたのね・・・
とか、楽しくやってると赤チャリさんも到着、4人でヲタ話が盛り上がります。
「で、これが最近気に入ってる動物を驚かさないためのグリーンのライトです」
「ふむふむ、夜のシカさん観察とかによさげですね、ありがとうございます!!!」
「って、それはあげませんよ、ったく、98kさんと同じパターンなんだから・・・」
って、みよころさん・・・

自分を照射しないよーに・・・けっこう雰囲気でてるし・・・
と、


プロックビーフをローストしてアルミホイルに移しタオルで巻いて落ち着かせてるあいだに・・・
でかいビーフステーキも・・・


定番の箸上げ画像を撮った後は・・・

切り分けて・・・

いろんなスパイスで、むぐむぐばくばく・・・

やがて2枚めも焼き上がり引き続きばくばくしてると・・・

ローストビーフも余熱で程よく仕上がってて・・・

いやあ、おでんの後の牛肉三昧!!!つーのもいいですね・・・ばくばくごくごく
もちろん甘味も次々と・・・

わたくしが溺愛してるポロショコラにはホワイトもあったんですね・・・
こちら・・・


日本一たい焼き・・・
と・・・

マーガリンTバックたい焼き・・・
とか遊んでたwingさんなんですが・・・

巨大マイクロフォーサーズ機と巨大レンズ群と様々なライト群を準備してたと思ったら
いつの間にか林間の闇にふらふらと消えていきました。
やがて戻ってきたとたん、靴どころか靴下まで脱ぎ始めたので・・・
「どうされたんですか? けっこう長時間、闇に消えておられましたが?」
「ずっと蟲さんを撮ってたら足がムズムズしてきて・・・わっ、やはりヒルさんがっ!!!」
「あははは、まだ血を吸っていないようだしムカデさん同様に踏みつぶしておきましょう」
「いやいや、その前に、まず撮影をば・・・」
「やはりそっちですか、ま、ヒルさんやムカデさんには気をつけましょうね」
「そーいや熊野キャンプでも98kさんのテントにムカデさんが入ってましたね」
「そう、わたくしがムカデがぁ!!!と叫んだら、やはり貴方はカメラを用意してましたね」
「あははは」
今回は川にも近い一番下のサイトだったので、特に蟲さんも多いのかな・・・
って、わたくしのダンロップVS21Aテントは開けっ放しだけど、ま、いいか・・・
と、この夜は1時半ぐらいに全員が就寝したのですが、寝返りした際に手の甲にぐにぐにする
モノが触れて、無意識につまんでみると小さなヒルさんでした。あははは
潰してしまえば手を洗いに出ないといけないし、と、つまんだまま血を吸われないよう
コロコロ丸めながら、テントのファスナーを開け外に放り出したのですが、これが見事に
外にあった靴の中に入り、仕方なく外に出そうと苦労してたら、すっかり目が覚めてしまい、
結局、3時前から4時過ぎまで、おでんの残りで一人寂しくごくごくばくばくしてました。
って、これでは自宅での引き籠り日常と変わらないではないか・・・
と、ひさしぶりキャンプの第一夜は、楽しく更けて(明けて?)いったのであります。
(次回に続きます)

今年は梅雨から猛暑と長雨が連続し(それを名目に)キャンプどころか自転車もまったく漕がず、
ひたすら引き籠って飲んだくれる日々が続いてたのですが・・・
「兵庫県・密にならないキャンプ場探しの旅」を続けてる赤チャリさんとみよころさんから、
下見でよさげだったので、と誘っていただき、今回ご一緒させていただいた次第。
宍粟市の林間にある某キャンプ場で、全てが独立サイトなんですがサイト指定はできず先着順、
お二人の下見によれば土日は混みそうなので前日からサイトを確保した方が安心、とのことで、
金曜日の昼過ぎに98k号とみよころ号が現地に集合、とりあえず各サイトを確認したところ、
トイレに近いサイトにはすでにテントが張られ、舗装路に近いサイトは独立感が少なかったし・・・
つーことで一番下にあって、しかも一番奥のサイトへ・・・
ま、この選択を後で後悔することになるのですが・・・

とりあえず簡単タープを張りテーブルと椅子をセット、クーラーボックスさえ出せば・・・

あとはひたすら、ごくごくばくばく・ぺちゃくちゃ・わはははの繰り返し・・・

おっと、意識のあるうちにテントも・・・と、ふらふらと・・・

ええ、今回もなんとか無事に設営できました。ひっく
ちなみにこちらが・・・

お二人が新調され、なんと当日の朝に届いたとゆーティピー(モノポール)テント・・・
わたくしも設営の手伝いをした・・・ような気もしますが・・・ひっく
ま、テント設営後は、さらにごくごくばくばくやってたのですが、みよころさんは・・・

ご自宅で下ごしらえ済みの関東煮(おでん)の具材を鍋に投入したりして、てきぱきと夕食の準備。
ちなみに熱源は・・・

こちらも新調されたとゆーイワタニの「タフまる」で、たしかにタフそうです。
と、すっかり暗くなり・・・

おでんも程よく煮上がった頃、翌日から参加予定だったwingさんから突然電話があり、
「あれ、wingさん??? 明日からも来れなくなったんですかっ??? 残念だなあ・・・」
「いや、明日まで我慢できず早めに出発したのですが迷ってしまい、今トイレ前に着きました。
電話の呼び出し音が下の方から聞こえたけど、いったいどうやって下りればいいのか・・・」
「あははは、ひょっとしておでんが煮上がるまでトイレ前で待機してたとか・・・
ともかく舗装路をジグザグに下りてきて、枝道からはみよころさんが誘導します。」
と、一人だけごくごくばくばくやってると、みよころさんに誘導されたwingさんが到着、

やはり椅子とクーラーボックス(とカメラとライト)だけ出して、ごくごくばくばくしつつ・・・
「うーむ、やはりこちらの方が演色性がいいかな・・・ぶつぶつ」

と、様々な補助光を試しながら撮ってたのは・・・

やはり蟲さんでした・・・って、ムカデさんもいたのね・・・
とか、楽しくやってると赤チャリさんも到着、4人でヲタ話が盛り上がります。
「で、これが最近気に入ってる動物を驚かさないためのグリーンのライトです」
「ふむふむ、夜のシカさん観察とかによさげですね、ありがとうございます!!!」
「って、それはあげませんよ、ったく、98kさんと同じパターンなんだから・・・」
って、みよころさん・・・

自分を照射しないよーに・・・けっこう雰囲気でてるし・・・
と、


プロックビーフをローストしてアルミホイルに移しタオルで巻いて落ち着かせてるあいだに・・・
でかいビーフステーキも・・・


定番の箸上げ画像を撮った後は・・・

切り分けて・・・

いろんなスパイスで、むぐむぐばくばく・・・

やがて2枚めも焼き上がり引き続きばくばくしてると・・・

ローストビーフも余熱で程よく仕上がってて・・・

いやあ、おでんの後の牛肉三昧!!!つーのもいいですね・・・ばくばくごくごく
もちろん甘味も次々と・・・

わたくしが溺愛してるポロショコラにはホワイトもあったんですね・・・
こちら・・・


日本一たい焼き・・・
と・・・

マーガリンTバックたい焼き・・・
とか遊んでたwingさんなんですが・・・

巨大マイクロフォーサーズ機と巨大レンズ群と様々なライト群を準備してたと思ったら
いつの間にか林間の闇にふらふらと消えていきました。
やがて戻ってきたとたん、靴どころか靴下まで脱ぎ始めたので・・・
「どうされたんですか? けっこう長時間、闇に消えておられましたが?」
「ずっと蟲さんを撮ってたら足がムズムズしてきて・・・わっ、やはりヒルさんがっ!!!」
「あははは、まだ血を吸っていないようだしムカデさん同様に踏みつぶしておきましょう」
「いやいや、その前に、まず撮影をば・・・」
「やはりそっちですか、ま、ヒルさんやムカデさんには気をつけましょうね」
「そーいや熊野キャンプでも98kさんのテントにムカデさんが入ってましたね」
「そう、わたくしがムカデがぁ!!!と叫んだら、やはり貴方はカメラを用意してましたね」
「あははは」
今回は川にも近い一番下のサイトだったので、特に蟲さんも多いのかな・・・
って、わたくしのダンロップVS21Aテントは開けっ放しだけど、ま、いいか・・・
と、この夜は1時半ぐらいに全員が就寝したのですが、寝返りした際に手の甲にぐにぐにする
モノが触れて、無意識につまんでみると小さなヒルさんでした。あははは
潰してしまえば手を洗いに出ないといけないし、と、つまんだまま血を吸われないよう
コロコロ丸めながら、テントのファスナーを開け外に放り出したのですが、これが見事に
外にあった靴の中に入り、仕方なく外に出そうと苦労してたら、すっかり目が覚めてしまい、
結局、3時前から4時過ぎまで、おでんの残りで一人寂しくごくごくばくばくしてました。
って、これでは自宅での引き籠り日常と変わらないではないか・・・
と、ひさしぶりキャンプの第一夜は、楽しく更けて(明けて?)いったのであります。
(次回に続きます)
2021年09月14日
カセットフー・プチスリムⅡ
イワタニのカセットコンロ・・・

カセットフー プチスリムⅡであります。
ちなみに、この外箱・・・

手提げの簡易ケースになります。
さらにちなみにハードケースとのセットだと何故か倍以上の価格になってました。
本体を作るよりケースを作るほうが高くつくの???
わたくしが現在愛用しているカセットコンロは、6年前に買ったBOボーEXなんですが、
離れて暮らす家族が集まってのファミリーキャンプとか多人数でのOFF会キャンプとかは、
まだ当分できないだろうし、愛用してたCB缶使用のSOTO ST-300はさすがに経年劣化が怖いし、
組み立てるのもめんどーになってきてるし、さらに小型でOD缶使用のプリムスP-153も、
リンク記事には「最近買った」と書いてあるけど何せ2005年の記事だし

タイプなので、カセットコンロより高くなって不安定になりテーブルでは使いにくいし、
ふだん使いにOD缶とゆーのも、入手しにくいし割高になるし・・・
つーことで災害備蓄用も兼ねた次期小型カセットコンロについて検討してました。
最近評判のイワタニ・タフまるJr.は、風に強く強度も抜群のようだしハードケース付き、
なによりオリーブドラブ色

幅と奥行きは小さいものの、高さ(122mm)も重さ(1600g)もあって、なんかBOボーEXと
カブるような気がした次第。
さらに大型のタフまるより小型のJr.のほうがお高い?つーのも理解できませんでした。
キャンプブームの影響なのかアウトドア用カセットコンロ全体がお高くなった気がします。
6年前にケース付きBOボーEXを買った際は5k弱で今は倍以上の10k前後になってるし・・・
つーことで、今回は風防もなく出力もイマイチですが、きわめてシンプルなデザインで、
高さ(85mm、ゴトクまでなら何と77mm)も、重さ(実測970g)も、お値段(3k強でした)も、
お手軽なプチスリムⅡに決定し、昨夜ママチャリで店に残ってた最後の1台を購入。
と、前置きが長くなりましたが、さっそく箱の中身を見て行きましょう

じゃーん

左は大きさ比較用の98k様ご愛用ライト・・・
って、これではよくわからないので、愛用中のBOボーEXとの比較・・・

ちっちゃくて、ソロから2~3人までのキャンプ宴会にぴったりですね。
CB缶でのソロキャンプには定番のイワタニ・ジュニアやSOTO・レギュレーターなら
さらに小さくなり軽いですが、少人数でもキャンプ宴会がメインなら、やはりこのような
安定した固定型コンロをテーブルの中心に据えたいですね。

スペックはこんな感じ。

出力はBOボーEXの半分以下で風防もないのでアウトドアでは風除板が必須ですね。
ちなみに我が家には、どーゆーわけか何枚かあります。今なら100均でも買えるけど。
さらにヒートパネルもないので寒い時期にはつらいでしょうが、そんな時はBOボーEX、
さらに寒くなれば寒冷仕様OD缶とP-153か、コールマンのスポーツスターになりますが、
まあ、そんな時期や場所で今後キャンプすることは稀かと・・・

で、2人用として自宅でも愛用している土鍋風アルミ鍋を載せると・・・

まさにぴったり・・・
スペック上は鍋の上部内径が20cmまでとあり、この鍋は22cmなんですが、ご覧のとおり、
かなりボンベ側に寄せてもまだ余裕があります。ま、鍋の形状にもよるんでしょうが、
ボンベに熱が伝わり過ぎるようなら逆に離せばいいし・・・
ただし、このサイズがおそらく限界で、これ以上大きな鍋や鉄板は危険ですね。
(注意書きの追記です)
熱い鍋をヒートパネルがわりにしてボンベとの距離調整でガスの気化調整をする、とゆーのは、
あくまで長年の経験による裏ワザですので、よいこのみなさんは決してマネしないよーに・・・

それにしても、ゴトクまでなら77mmとゆー薄さは魅力ですね。
キャンプテーブルにカセットコンロを置いて鍋をつつく場合、たいていは立ち上がって
煮え具合を確認するのですが、ローテーブルとの組み合わせなら座ったままで箸が届きそうです。
また災害備蓄用として考えるなら夫婦二人でレトルトを温めたりパスタを茹でるぐらいなら
BOボーEXの大出力までは要りませんし燃料(CB缶)の節約にもなりますね。
つーことで外箱の開閉部分を一部補強し・・・

自宅にたまたまあった、ぴったりサイズのスタッフバッグに収めれば・・・

「少人数どこでも宴会用コンロ」の完成であります。
おっと、風除板を同梱するのを忘れないように・・・
さてさて・・・

次回はどっちを持って行こうかな・・・

少人数で大鍋つーのもアリかな・・・じゅるじゅる

2021年02月10日
焚火台???
(役に立つかも知れない前書き)
NHK総合・2月11日(木)2:49AM~3:49AM(10日深夜)「魂のタキ火 特別編 癒やしの炎」が再放送されますね。
焚火だけの動画なので、録画しておいて焚火キャンプができないときに大画面で流しておけば、癒やされる・・・
・・・かも知れません・・・
と・・・最近のソロキャン・冬キャンブームで焚火台が見直されてるようです。
つーことで今回は、わたくしがキャンプで愛用していた焚火台???のご紹介・・・
じゃーん

ま、基本的には頑丈な鉄バケツ(ペール缶)なんですが・・・

中ほどに仕切りがあって下部の穴から空気が入り燃焼しやすくなってます。
大きな薪とかでも、タテにそのままぶち込めるのも便利でした。

短い三脚も付いてて地面への影響も少ないし・・・
ま、正式名称は焚火台ではなく・・・

「多目的スーパーコンロ」つーことで・・・

「冬期には暖房用及び、簡易焼却用としてご使用下さい。」と書かれてます。
そう、わたくしこれを主にキャンプでの「ごみ焼用」に使ってたのでありますね。
もちろん、今は人も多くキャンプ場での「ごみ焼」は迷惑千万ですが、昔はキャンプ最終日に、
生ごみなど燃えるものは全て焼却して、灰は土に埋めて帰るのが当たり前でした。
ま、それでも石や土を焦がすのが嫌だったので、これを使ってた次第・・・
生ごみも他の可燃物さえあれば完全燃焼しましたし、分厚い鉄板なので輻射熱も大きく、
冬場の「ごみ焼ファイアー!!!」は暖かくて快適でしたね。ま、夏場は暑かったけど・・・
さてさて、今は焚火台が流行ってることだし、これを復活させるとするか・・・
でも、長年「ごみ焼」用に使ってきたので、この上で調理するのもなあ・・・
つーことで、小型軽量の炭火用として・・・



こんな鉄製の七輪(かんてき)もあるので、これを焚火台に転用するか・・・
そう、炭火の七輪(かんてき)ならwingさんの珪藻土の高級品があることだし・・・
でもこれ、大きな薪は入らないし雰囲気的にも「焚火台」とゆー感じでもないし・・・
つーことで、こんなのも・・・



これなら折りたたみ式だし、網を外せば焚火台らしくなるし・・・
でも、どれを焚火台に使うにしても・・・
わたくしにはどうしても、ちまちま感が否めないなあ・・・
そう、やっぱり焚火は・・・

どどんと直火で盛大に!!!
って、こんな直火ができるキャンプ場、今は希少なんですね・・・
ま、ソロや少人数で小さな焚火台の前で、ちまちまやるのもいいもんですが・・・
NHK総合・2月11日(木)2:49AM~3:49AM(10日深夜)「魂のタキ火 特別編 癒やしの炎」が再放送されますね。
焚火だけの動画なので、録画しておいて焚火キャンプができないときに大画面で流しておけば、癒やされる・・・
・・・かも知れません・・・

と・・・最近のソロキャン・冬キャンブームで焚火台が見直されてるようです。
つーことで今回は、わたくしがキャンプで愛用していた焚火台???のご紹介・・・
じゃーん

ま、基本的には頑丈な鉄バケツ(ペール缶)なんですが・・・

中ほどに仕切りがあって下部の穴から空気が入り燃焼しやすくなってます。
大きな薪とかでも、タテにそのままぶち込めるのも便利でした。

短い三脚も付いてて地面への影響も少ないし・・・
ま、正式名称は焚火台ではなく・・・

「多目的スーパーコンロ」つーことで・・・

「冬期には暖房用及び、簡易焼却用としてご使用下さい。」と書かれてます。
そう、わたくしこれを主にキャンプでの「ごみ焼用」に使ってたのでありますね。
もちろん、今は人も多くキャンプ場での「ごみ焼」は迷惑千万ですが、昔はキャンプ最終日に、
生ごみなど燃えるものは全て焼却して、灰は土に埋めて帰るのが当たり前でした。
ま、それでも石や土を焦がすのが嫌だったので、これを使ってた次第・・・
生ごみも他の可燃物さえあれば完全燃焼しましたし、分厚い鉄板なので輻射熱も大きく、
冬場の「ごみ焼ファイアー!!!」は暖かくて快適でしたね。ま、夏場は暑かったけど・・・
さてさて、今は焚火台が流行ってることだし、これを復活させるとするか・・・
でも、長年「ごみ焼」用に使ってきたので、この上で調理するのもなあ・・・
つーことで、小型軽量の炭火用として・・・



こんな鉄製の七輪(かんてき)もあるので、これを焚火台に転用するか・・・
そう、炭火の七輪(かんてき)ならwingさんの珪藻土の高級品があることだし・・・

でもこれ、大きな薪は入らないし雰囲気的にも「焚火台」とゆー感じでもないし・・・
つーことで、こんなのも・・・



これなら折りたたみ式だし、網を外せば焚火台らしくなるし・・・
でも、どれを焚火台に使うにしても・・・
わたくしにはどうしても、ちまちま感が否めないなあ・・・

そう、やっぱり焚火は・・・

どどんと直火で盛大に!!!
って、こんな直火ができるキャンプ場、今は希少なんですね・・・

ま、ソロや少人数で小さな焚火台の前で、ちまちまやるのもいいもんですが・・・

2020年12月21日
コンダスの女王シェルピ・カンリの装備と食料
前回記事でサバイバルの実話本を紹介しましたが、ま、その続きつーか・・・
今回は昔のカラコルム遠征隊のキャンプ装備と食料のお話であります。
1978年に刊行された「コンダスの女王 シェルピ・カンリ」とゆー本・・・


編著者は隊長の平井一正氏 神戸新聞出版センター 昭和53年5月25日発行・・・
そう、昭和51年(1976年)8月、神戸大学山岳部の遠征隊がカラコルム山脈の未踏峰だった
シェルピ・カンリ(7654m)に初登頂した際の記録で、ひょんなことから最近読んだのですが、
特に巻末にあった遠征隊の装備・食料リストが、とても懐かしくて興味深かったので、
今回はその一部を紹介させていただきます。
ちなみに当時の隊員は以下10名の方々であります。

神戸大学山岳部のOB9名と現役学生1名による遠征隊で30歳前後が中心だったんですね・・・
現在は60代後半から80代後半になる方々で、わたくしが山歩きにハマってた時期とほぼ重なり、
当時わたくしも使っていたモノや、わたくしが憧れていたモノがいっぱいでした・・・
まずは(1)幕営具!!!であります。

テントはカマボコ型とウィンパー型がメインで、ウィンパーの3人用でも7kgになってますね。
2人用の吊テントつーのは、当時は最新だったダンロップの吊り下げ式でしょうか・・・
ただし吊テントはキャラバン用や連絡将校用で、高所用はまだまだウィンパーの独壇場。
この後、遠征隊でも急速にドーム型テントが主流になっていくんですよね。
最近のキャンプブームでは、広くて風にも強いカマボコ型が、一体型タープ・テントとして、
再び脚光を浴びてるようですね。やはりテントについても時代は廻るのか・・・
さらに竹ペグ200本を日本から持ち込んだ、つーのも時代ですねえ・・・
たわしは、とーぜんテントの雪払い用・・・
(2)の登攀用具は省略して・・・
(3)炊事用具・・・

一次隊が高所でのケロシン(灯油)ストーブの不完全燃焼とカーボン詰まりに苦労したので、
ABC(アタックベースキャンプ)以上ではプロパンガスを、BC以下ではケロシンを使用した
と本文にありましたが、200gカートリッジが50本とあり、ラジウス等に慣れていた隊員たちも
やがて不完全燃焼が起きないプロパンを愛用するようになったとのこと・・・
キャンピングガスのブタンバーナーがようやく出回ってた時代なので、鉄製の大型ボンベから
小型カートリッジへプロパンガスを詰め替えて使ってたんでしょうか。
でも1本200g入り230gで今のOD缶とほぼ同じだし、800gボンベ直結型コンロは別にあるし、
キャンピングガスのバーナーやランタン用のプロパン・カートリッジが当時からあったのか・・・
とか、興味は尽きません。
わたくしも当時は先輩から引き継いだプリムス製の灯油ストーブを愛用してましたが、
やがてキャンピングガス→EPI→イワタニプリムスと、OD缶仕様がメインになりました。
コールマンのガソリンバーナーやランタンも併用してましたが、アウトドアでの遊びが、
ファミリーキャンプ中心になる頃から、カセットボンベ式(CB缶)がメインに・・・
そう、バーナーは灯油やガソリンからCB缶とOD缶の使い分けへ、ランタンはガソリンと
CB缶とOD缶の併用から(その前はローソクでしたが)、やがて乾電池式LEDが主流になり、
さらに今ではモバイルバッテリーを兼ねた充電式LEDに完全に移行しました。
そう、これならソーラーパネルを併用すれば、永遠にキャンプ宴会が続けられるし・・・
(3)炊事用具の続きから・・・

テルモスにメタクッカーにスイスメタ・・・マミヤプレスにニコンF2にニコマート他・・・
どれも懐かしいなあ・・・うるうる
当時の酸素ボンベ(川崎重工)つーのは4ℓサイズで6.3kgとあり、やはり相当重いですね。
現在の高所用はチタン製で軽くてコンパクト、一般人でも健康で資金とヒマさえあれば、
誰でもエベレストの頂上に立てる時代だそうなので、みなさんいかがでしょう・・・
(5)器具他の続き・・・

動画撮影はベル&ハウエルの16mmとフジカシングル8、他の機材についても、もちろん、
ソーラーパネルやリチウムイオン電池はないので乾電池1200本を持ち出したんですね。
単一200本、単二400本、単三600本で、乾電池だけで総重量は56kg・・・
フィルムは計380本で総重量は30kg、電卓2台で500g・・・時代ですねえ・・・
ちなみにヘッドランプの共同装備は4個になってますが、これは個人装備の予備用。
とーぜんLEDは存在せずライト類はすべてフィラメント仕様なんですね。
さらに通信機器としては3種類のトランシーバー8台と短波受信用ラジオ2台のみ・・・
サーチライト(防水ライト)300g×2つーのは、いったい何だったんでしょう???
と、さらに興味は尽きません。
(6)雑品類(7)医薬品と続き、(8)は隊員用個人装備・・・

ウールの肌着にアクリルの肌着、網シャツにウールの登山シャツにパンツ10枚・・・
(6)雑品類にはパキスタン国旗×2、日本国旗×3、ローソク40本とかも・・・
(8)個人用装備の続き・・・

ウールのニッカーズボンにヤッケにジャンパーに半身用の(重い)「エヤーマット」・・・
キャラバン用の軽登山靴に(ヒマラヤンシューズ)とありますが、あのキャラバンシューズ?
ちなみにパキスタン連絡将校用の個人装備は当時の登山規定上の義務だったようです。
以下・・・


ハイポーター6人分、中間ポーター11人分の個人装備も当時の規定で同様に準備・・・
ちなみにキャラバン時の一般ポーターは50人以上だったようです。
とまあ、懐かしい44年前の大学海外遠征隊の装備ですが、酸素ボンベと圧力鍋以外は、
当時の国内での冬山装備と基本的には同じだったようです。
今の遠征隊なら衛星からネット接続できる電子機器とソーラーパネルは必須でしょうが、
担ぎ上げる手間はフィルムと乾電池だけ考えても、随分と便利になったものです。
で、以下は日本から持ち出した食料リストであります・・・
10人分だそうですが、ベースキャンプまでのキャラバン中は現地調達した食料が中心で、
日記によると、カパルからのキャラバン出発が6月16日、仮ベースキャンプ入りが6月25日、
ベースキャンプ設営が6月30日、初登頂成功が8月10日、ベースキャンプの撤収が8月17日、
カパルへのキャラバン到着が8月22日となっており、「仮ベースキャンプから撤収までを
日本食とし、670人/日分を用意した。」とありましたから、10人の約2ヶ月分でしょうか。

当時のアルファ米の赤飯は不評だったようですね。
食塩620g入り467個つーのは何かの間違い? 岩塩より使いやすいとも・・・


特注ベーコン真空パックに、瓶詰めのつくだ煮や塩辛、つけもの各種・・・

当時とすれば最新の行動食なんでしょうが、主食は米とアルファ米、おかずは乾燥肉に
乾燥野菜と缶詰、フリーズドライもありますが、やはり重い缶詰が圧倒的ですね。
レトルト食品が見当たらないのは、缶詰ほどの強度がなかったから?
ボンカレーが1969年、ククレカレーが1971年の発売ですから、出回ってたはずなんですが・・・
最年少の現役学生だった食料係は、出発前に缶詰が多すぎると隊長から非難されてたけど、
旨い旨いと言って缶詰ばかり食べてたのは隊長だったとか・・・
ま、確かに当時の乾燥野菜や乾燥肉つーのは、決して旨いものではなかったでしょうし、
フリーズドライやレトルトの技術も、今とは比較にならなかったでしょう。
砂糖85kgを現地購入つーのも、考えてみれば凄いハナシで、お茶に使ったんでしょうか・・・

粉ジュースの評価がBつーのも時代ですねえ・・・
またウィスキー30本とありますが、これは隊によって大きく異なるそうで、本隊の場合は、
仮ベースキャンプに到着した時点で、殆ど底をついていたとか・・・
缶ビール(ロング缶?)が450ml入りになってるけど・・・覚えてないなあ・・・
さらにピース缶入り15000本、ハイライト5000本つーのも時代です。
ちなみにどちらも「特にうまいと思ったもの」に評価されてますね。
いやあ、じつに懐かしくて興味深かったです。
本文も単なる記録としてだけでなく、紀行文としても読み応えがありましたが、
巻末にあったこの装備リストと食料リストは、大人数・長期キャンプの糧食・飲料計画や、
災害時に備えたストック計画にも参考になるのでは・・・と思った次第。
そう、現在のキャンプ装備や保存食・行動食の原点は、まさにこの頃でしたので・・・
今回は昔のカラコルム遠征隊のキャンプ装備と食料のお話であります。
1978年に刊行された「コンダスの女王 シェルピ・カンリ」とゆー本・・・


編著者は隊長の平井一正氏 神戸新聞出版センター 昭和53年5月25日発行・・・
そう、昭和51年(1976年)8月、神戸大学山岳部の遠征隊がカラコルム山脈の未踏峰だった
シェルピ・カンリ(7654m)に初登頂した際の記録で、ひょんなことから最近読んだのですが、
特に巻末にあった遠征隊の装備・食料リストが、とても懐かしくて興味深かったので、
今回はその一部を紹介させていただきます。
ちなみに当時の隊員は以下10名の方々であります。

神戸大学山岳部のOB9名と現役学生1名による遠征隊で30歳前後が中心だったんですね・・・
現在は60代後半から80代後半になる方々で、わたくしが山歩きにハマってた時期とほぼ重なり、
当時わたくしも使っていたモノや、わたくしが憧れていたモノがいっぱいでした・・・

まずは(1)幕営具!!!であります。

テントはカマボコ型とウィンパー型がメインで、ウィンパーの3人用でも7kgになってますね。
2人用の吊テントつーのは、当時は最新だったダンロップの吊り下げ式でしょうか・・・
ただし吊テントはキャラバン用や連絡将校用で、高所用はまだまだウィンパーの独壇場。
この後、遠征隊でも急速にドーム型テントが主流になっていくんですよね。
最近のキャンプブームでは、広くて風にも強いカマボコ型が、一体型タープ・テントとして、
再び脚光を浴びてるようですね。やはりテントについても時代は廻るのか・・・
さらに竹ペグ200本を日本から持ち込んだ、つーのも時代ですねえ・・・
たわしは、とーぜんテントの雪払い用・・・
(2)の登攀用具は省略して・・・
(3)炊事用具・・・

一次隊が高所でのケロシン(灯油)ストーブの不完全燃焼とカーボン詰まりに苦労したので、
ABC(アタックベースキャンプ)以上ではプロパンガスを、BC以下ではケロシンを使用した
と本文にありましたが、200gカートリッジが50本とあり、ラジウス等に慣れていた隊員たちも
やがて不完全燃焼が起きないプロパンを愛用するようになったとのこと・・・
キャンピングガスのブタンバーナーがようやく出回ってた時代なので、鉄製の大型ボンベから
小型カートリッジへプロパンガスを詰め替えて使ってたんでしょうか。
でも1本200g入り230gで今のOD缶とほぼ同じだし、800gボンベ直結型コンロは別にあるし、
キャンピングガスのバーナーやランタン用のプロパン・カートリッジが当時からあったのか・・・
とか、興味は尽きません。
わたくしも当時は先輩から引き継いだプリムス製の灯油ストーブを愛用してましたが、
やがてキャンピングガス→EPI→イワタニプリムスと、OD缶仕様がメインになりました。
コールマンのガソリンバーナーやランタンも併用してましたが、アウトドアでの遊びが、
ファミリーキャンプ中心になる頃から、カセットボンベ式(CB缶)がメインに・・・
そう、バーナーは灯油やガソリンからCB缶とOD缶の使い分けへ、ランタンはガソリンと
CB缶とOD缶の併用から(その前はローソクでしたが)、やがて乾電池式LEDが主流になり、
さらに今ではモバイルバッテリーを兼ねた充電式LEDに完全に移行しました。
そう、これならソーラーパネルを併用すれば、永遠にキャンプ宴会が続けられるし・・・

(3)炊事用具の続きから・・・

テルモスにメタクッカーにスイスメタ・・・マミヤプレスにニコンF2にニコマート他・・・
どれも懐かしいなあ・・・うるうる

当時の酸素ボンベ(川崎重工)つーのは4ℓサイズで6.3kgとあり、やはり相当重いですね。
現在の高所用はチタン製で軽くてコンパクト、一般人でも健康で資金とヒマさえあれば、
誰でもエベレストの頂上に立てる時代だそうなので、みなさんいかがでしょう・・・

(5)器具他の続き・・・

動画撮影はベル&ハウエルの16mmとフジカシングル8、他の機材についても、もちろん、
ソーラーパネルやリチウムイオン電池はないので乾電池1200本を持ち出したんですね。
単一200本、単二400本、単三600本で、乾電池だけで総重量は56kg・・・
フィルムは計380本で総重量は30kg、電卓2台で500g・・・時代ですねえ・・・
ちなみにヘッドランプの共同装備は4個になってますが、これは個人装備の予備用。
とーぜんLEDは存在せずライト類はすべてフィラメント仕様なんですね。
さらに通信機器としては3種類のトランシーバー8台と短波受信用ラジオ2台のみ・・・
サーチライト(防水ライト)300g×2つーのは、いったい何だったんでしょう???
と、さらに興味は尽きません。
(6)雑品類(7)医薬品と続き、(8)は隊員用個人装備・・・

ウールの肌着にアクリルの肌着、網シャツにウールの登山シャツにパンツ10枚・・・
(6)雑品類にはパキスタン国旗×2、日本国旗×3、ローソク40本とかも・・・
(8)個人用装備の続き・・・

ウールのニッカーズボンにヤッケにジャンパーに半身用の(重い)「エヤーマット」・・・
キャラバン用の軽登山靴に(ヒマラヤンシューズ)とありますが、あのキャラバンシューズ?
ちなみにパキスタン連絡将校用の個人装備は当時の登山規定上の義務だったようです。
以下・・・


ハイポーター6人分、中間ポーター11人分の個人装備も当時の規定で同様に準備・・・
ちなみにキャラバン時の一般ポーターは50人以上だったようです。
とまあ、懐かしい44年前の大学海外遠征隊の装備ですが、酸素ボンベと圧力鍋以外は、
当時の国内での冬山装備と基本的には同じだったようです。
今の遠征隊なら衛星からネット接続できる電子機器とソーラーパネルは必須でしょうが、
担ぎ上げる手間はフィルムと乾電池だけ考えても、随分と便利になったものです。
で、以下は日本から持ち出した食料リストであります・・・

10人分だそうですが、ベースキャンプまでのキャラバン中は現地調達した食料が中心で、
日記によると、カパルからのキャラバン出発が6月16日、仮ベースキャンプ入りが6月25日、
ベースキャンプ設営が6月30日、初登頂成功が8月10日、ベースキャンプの撤収が8月17日、
カパルへのキャラバン到着が8月22日となっており、「仮ベースキャンプから撤収までを
日本食とし、670人/日分を用意した。」とありましたから、10人の約2ヶ月分でしょうか。

当時のアルファ米の赤飯は不評だったようですね。

食塩620g入り467個つーのは何かの間違い? 岩塩より使いやすいとも・・・


特注ベーコン真空パックに、瓶詰めのつくだ煮や塩辛、つけもの各種・・・

当時とすれば最新の行動食なんでしょうが、主食は米とアルファ米、おかずは乾燥肉に
乾燥野菜と缶詰、フリーズドライもありますが、やはり重い缶詰が圧倒的ですね。
レトルト食品が見当たらないのは、缶詰ほどの強度がなかったから?
ボンカレーが1969年、ククレカレーが1971年の発売ですから、出回ってたはずなんですが・・・
最年少の現役学生だった食料係は、出発前に缶詰が多すぎると隊長から非難されてたけど、
旨い旨いと言って缶詰ばかり食べてたのは隊長だったとか・・・

ま、確かに当時の乾燥野菜や乾燥肉つーのは、決して旨いものではなかったでしょうし、
フリーズドライやレトルトの技術も、今とは比較にならなかったでしょう。
砂糖85kgを現地購入つーのも、考えてみれば凄いハナシで、お茶に使ったんでしょうか・・・

粉ジュースの評価がBつーのも時代ですねえ・・・
またウィスキー30本とありますが、これは隊によって大きく異なるそうで、本隊の場合は、
仮ベースキャンプに到着した時点で、殆ど底をついていたとか・・・

缶ビール(ロング缶?)が450ml入りになってるけど・・・覚えてないなあ・・・
さらにピース缶入り15000本、ハイライト5000本つーのも時代です。

ちなみにどちらも「特にうまいと思ったもの」に評価されてますね。

いやあ、じつに懐かしくて興味深かったです。
本文も単なる記録としてだけでなく、紀行文としても読み応えがありましたが、
巻末にあったこの装備リストと食料リストは、大人数・長期キャンプの糧食・飲料計画や、
災害時に備えたストック計画にも参考になるのでは・・・と思った次第。
そう、現在のキャンプ装備や保存食・行動食の原点は、まさにこの頃でしたので・・・