ホームステイ

2024年08月21日

最後はなぜかうまくいくイタリア人

とーとつですが・・・

前回記事の本にムラブリやプナンの人たちが「分業しない」とか「今、ここ」だけとかあって、
それでふと思い出したのが・・・

Alla fine gli italiani ce la fanno.

最後はなぜかうまくいくイタリア人・・・とゆー本であります

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表紙カバー裏にあった惹句

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裏表紙カバー裏にあった著者紹介


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著者はローマの新聞社勤務からワインガイドやレストランガイドの執筆スタッフを経て、
日本とイタリアでワインと食について執筆活動中、2014年にはイタリア文化への貢献で
大統領から勲章を授章されてるとゆー、まさにホンモノのイタリア通ですね


奥付

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第1刷は2015年9月、わたくしには初めての渡欧で、我が家にホームステイしていた青年の
シチリアでの結婚式に参列して、トスカーナにある実家にホームステイさせてもらったのは
2017年の夏ですから、その2年前に刊行された本とゆーことになります

当時は本書の存在を知りませんでしたが、なぜシチリアとトスカーナに住む新郎と新婦の
家族や知人が、わたくしたち夫婦の世話を
親身になってしてくれたのか、なぜ家族全員で、
あるいは親族や友人、仕事関係者らと一緒に食卓を囲んでいたのか、が理解できました

さらにシチリアでもトスカーナでも嫌な思い出がひとつもないのは「よそ者」ではなく
グループの一員として、家族や知人に限らずお店の人まで対応してくれてたからかも・・・

彼らと行動を共にしている際はもちろん、一人で近所をポタリングしてる際でも、お店に入り、
「獣医の○○さんちにホームステイしてます」と伝えると、急にカタコト同士での会話が弾み、
○○さんは知らないなあ」の場合でも、まったくの「よそ者」ではなさそうとの判断で、
やはり親切に対応してくれてたのかもとも、本書を読んで思いました

ただ、まったくの「よそ者」としてのシーンでも、けっこう「世話焼き」な印象を受けたので、
このあたりは大阪人にそっくりとも、当時のわたくしは感じてましたが・・・


閑話休題


例によって目次のご紹介(これだけ眺めてても面白いです)

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コラム「見習ってはいけないイタリア①~④」とかも、めっちゃ面白かったのですが、
とりあえず一部だけの読後メモ・・・
例によって読み違いとか読み飛ばしも多いので興味のある方は本書のご熟読を・・・
(著作物からの部分メモなので公開設定に問題があれば非公開設定にします)


「はじめに」より
・30年前のはじめての通訳アルバイト経験から
→予定どおり物事が運ぶと考えるのはイタリアでは大きな間違いだった
→不測の事態が起こるのが普通と考えている(不測が予測できるという矛盾した状態)
→それで怒ったり慌てたりするのは愚か、より良い解決策を見いだす方が大切という考え方
→彼らは決してあきらめず、最後にはなんとかする(子どもの頃から慣れている)

・とんでもない行動規範にみえるが裏には彼らなりのロジックがあり機能している
→気楽で怠け者と思われがちだがEUの経済大国であり、各分野で世界をリードしている

・現在は日本とイタリアで仕事をしているが仕事のやり方は空港で切り替えている
→どちらが正しいとかではなく、そのほうがうまくいくから
→国際化で身近になったという錯覚もあるが歴史も文化も全て異なる遠い国
→日本と似ているところも多いが異なる部分がたくさんある
→22歳までイタリアと縁のなかった日本人が身につけた、生きていくための知恵・・・


1「仕事」より
・時間へのルーズさは南へ行くほど大きくなる→特にローマから南は・・・
→ただしルーズさには暗黙のロジックがあり、それに従っている
(記者会見、ディナーパーティー、自宅への招待、大学の授業などの例)
→重要なのは時間の遅れは予測可能であり、しかもかなり正確なルールで遅れること
(開始時刻は準備の目標であり、所要時間を訊いても最短時間(クルマなら渋滞も赤信号もなく
最速で到着する時間)しか答えてくれないので訊いてもムダ)

・公私混同しないこと、けじめをつけることは・・・
→いいことだと思っていた、
イタリアという国を知るまでは
公私混同が激しいほど社会に活気が出て、皆が生き生きとしているように思える
→公共窓口やレストランの例
→おしゃべりで待たされる側は不利益のはずだが、けじめが存在しないので客も参加する
→逆にプライベートな時間への仕事の割り込みにも寛容
→同様にけじめが存在せず労働時間への権利意識も低いから(フランス取材との違い)
→時間にルーズで自分に都合のいいように考えるが他人もそうだと理解しているので寛容

・仕事が労働時間なのは商品として資本に売買される「疎外された労働」のみ
→銀行の窓口担当と駄菓子屋の店先に座るお婆ちゃんの違い
→お婆ちゃんは知り合いとおしゃべりし子どもと遊び説教して、ついでに駄菓子も売る
お婆ちゃんには人生そのものであり生きがい、仕事の時間と私の時間が溶けあっている
→イタリアは皆が
駄菓子屋のお婆ちゃんのように働いている国と考えればわかりやすい
→資本により売買されたはずの労働が(労働者の勝手な解釈で)好き勝手に使われている
→労働の疎外レベルが低い(労働レベルも低いけど)恵まれた労働者と考えれば腹も立たない

・高度成長期に会社で長時間労働していた日本のお父さんたち
→世界中からバッシングされたが公私の区別がなく会社はお婆ちゃんの駄菓子屋と同じだった
→会社だけで充実しておりオフに自分を取り戻す必要はなかった(なので退職後は廃人に)

・イタリア経済を支える中小企業は大きな家族のようなもので分業も明確ではなく公私混同
→マルクス理論では商品化による労働疎外が極端に進めば革命が起こるが、
→イタリアでは労働時間を勝手に解釈して自分に使っており社会全体がそれを許容している
→実際に業務をきちんと遂行しない労働者へのイタリア人の寛容さは破格
→なし崩し的に資本主義の先鋭化を止め、いまだにのんびり楽しげに働いている

・近代的労働は
労働に見合う対価を受け取る契約で成り立っている
→対価に見合う労働以上にする必要はなく人間関係がなくても成立する
→イタリア人は自分のものとして感情移入できないと関心を持てず熱中できない
→公共サービス窓口が典型で時間外の第二の仕事では生き生きと熱心に働いている

・対する家族工房的労働は友人家族のように公私の区別が曖昧で労働時間も曖昧
→イタリアの経済基盤を支える中小企業は多くがこのカテゴリー(ワイナリーなど)
→社長は親父、会社は第二の我が家で、高度成長期の日本の家族経営企業と同じ雰囲気
(映画「紅の豚」に出てくるミラノのピッコロ社は、まさに家族経営そのものでしたね)
→無機質な労働は苦手だが目に見えることは懸命にやり、残業代を言う人はまずいない

・危機的状況が常態化しているので、ひるまないしぶとさがイタリア最大の武器

・京都の「ぶぶ漬けでもどうどす」と同じで土地のルールを理解しておく必要がある

・フォルクスワーゲンとフェラーリの違い
→効率は悪いが全体が見える何でも屋さん→大きなバルの従業員でも分業しない

・先の段取りは苦手、今やるべきことに集中する→バック駐車しないとか

・何でもダメもとでトライするが親切に対応してくれることも多い(断られてもひるまない)

・「お客様は神様」と「店員は友達」の違い
→自分も友達といるときのようにおしゃべりしてるので客にも友達のように親身になる

コラム見習ってはいけないイタリア①より
・公共心がない
→仲間と見なせば必死で守るが国家など大きな組織は仲間と見なしていないから

・泥棒が多い、偽物が多い、脱税が多い
→「破格のお値打ち品」に弱いから
→脱税や盗品や偽物の取り締まりには賛成だが自分が得する場合は誘惑に負けてしまう
→公共心という絶対的価値判断基準がないので総論は賛成、各論は個人判断となる

・イタリア統一と近代国家の誕生は人民革命ではなかった
→統一はサルデーニャによる吸収合併で、国家はよそから来たサヴォイア家が押しつけたもの、
という意識が強い(特に中南部イタリアに多い)
→なので納税義務と国民の権利という民主主義の市民文化を確立できなかった
→この歴史的経緯は日本に似ているが結果の行動パターンがあまりにも異なるのが興味深い


・・・と、ここまでで全体の1/3ほど・・・

最後まで興味深く読みましたが、暑気払い飲酒が続き、全てはメモできませんでしたので
以下は思い切って2「人生」のメモを省略、3「家族と恋愛」の一部と、(わたくしの愛する)
4「食事」、
5「独断と偏見で考えるイタリア」の一部、「あとがき」からの一部メモ・・・

ちなみに目次の最後にある「不思議の国イタリアの"あるある"行動」もめっちゃ面白かったです


3「家族と恋愛」より一部

・ローマ・カトリックの影響
→清く正しい生き方を説く
→できるわけがないので破った側も教会側も体裁だけ繕うことを選んできた
→なので体裁さえ繕えば何をしてもいいという偽善モラルが根付いたという説
→ダブルスタンダードの快感(映画山猫、トスカーナワインの規則、スピード違反など)

・家族一族の団結→同族企業が多い
→異国に支配され続けてきた歴史から、頼れるのは家族一族だけという考え方に
→シチリア・マフィアも支配民族に対する抵抗から生まれた構成員の多い大家族
→同じグループに所属するメンバーを優遇する→コネを使いまくる
→有力なコネだけでなく友人の友人でも便宜を図る→いつかそのコネを使えるから
→裏口を多く持つ人が尊敬され真面目に正門で待つ人はマヌケという矛盾した文化に
→なのでまったくの赤の他人は「よそ者」として不信感を持たれる
→曖昧で緩やかな関係が、じつは正確に等価交換され機能している国がイタリア

・個人的な問題を公にして解決しようとする
→グループ内のカップルは複数で行動し相手方がグループ内で変わることも多い
→グループ全員が(元カレや元カノを含め)葛藤を共有し温かく見守るシュールな状況


4「食事」より
(イタリアの食についてはこちらの本も分かりやすかったです)
・イタリアは「食事の時間」が長いのではなく「食卓にいる時間」が長いだけ
→食卓に多義的な意味があるから(なのでスパゲッティを食べるスピードは早い)
→昼食と夕食で1日の活動時間の大半を食卓で過ごすこともある

・食卓とは人生のほとんどすべての問題を解決する場であり、人との出会いの場であり、
別れの場であり、相手を見定める場であり、就職活動の場であり、プロジェクトをスタート
させる場であり、打ち合わせの場でもある
→社会の重要な活動の多くが食卓で行われる→イタリアで食事をすることは重要な儀式

・イタリアのフォーマルなパーティーはヴィッラ(貴族の屋敷)やワイナリーを借りて行われる
①広い庭でのアペリティフから→だらだらとはじまる
(コネを作る場であり自由席の場合は同席する仲間を選ぶ場にもなる)
②8~10人テーブルの全員が揃ってはじめて着席し全員と握手して挨拶する(イタリアのみ)
③はじめての相手とも話題を探して延々と話し続ける
④伝統的にはアンティパスト→パスタ→メインディッシュ→ドルチェの構成(時間をかける)
⑤全員の同意を得てから一斉に席を立ち、また全員と握手してから別れる
⑥お開きになっても話が弾めばグラッパでも飲みながら話し続けて、だらだらと終わる
→フェードイン・フェードアウトが理想で、いただきます・ごちそうさま・締めの挨拶はない

・食事の誘いを断ったり食卓を囲むのが嫌いな人は信頼されない変な国
→食事に誘われるということは仲間として認められつつあるということ
→書類審査・筆記試験から面接に移る感じ(もちろんビジネスでは儀礼上の誘いもある)
→日本でいえば一緒に温泉に入る「裸の付き合い」のような、お互いをさらけ出す場
→ラテン語にIn vino veritas(ワインに真実がある)という諺があるが「食卓に真実がある」

・レストランでも自宅でも
友達同士でも家族でも、食べる喜びは増えるが精神は同じ
→自宅で家族の場合
①それまで作業などに使っていた食卓を片付けてテーブルクロスを敷く
②人数分のフォーク・ナイフ・ナプキン・グラスをセットする
③パンを切って食卓の真ん中に置く
④皿を2枚ほど重ねてセットする
(1枚目が前菜やパスタ用で片付けた後に2枚目でメインを食べる)
⑤ようやく家族を呼び、全員が揃ったところでワインの栓を抜く
⑥全員がその日あったことや考えたことを家族と話し合う(話すことで頭の中が整理される)
(公式な食卓へのトレーニングでもあり、食卓が社会的パフォーマンスの場であることを学ぶ)
⑦前菜とパスタまでは調理に忙しいマンマもメインを出せばどっしり腰をおろして会話に加わる
⑧以後の議長役は当然マンマとなり、他のメンバー全員が従うのがイタリアらしい

・イタリアの食事の習慣で日本と最も異なるのは自宅での食事に招くことが、あらゆる接待の中で
(高級レストランに招くよりも)最高の接待とされていること
→基本的に招かれると招き返すのが礼儀なので連鎖は長く続く
(友人が多い場合は夕食に誰かが来ている頻度が高い)
→当日の「今夜うちに食べにくる?」といった軽い感じの誘いも多く、その際はふだんの料理
→自宅での食事では隠し事はできないので信頼できる証にもなる

・なぜか食卓の人数がどんどん膨れ上がる
→人数が多ければチャンスは増えるが、招く側も盛り上がってどんどん声をかけるから
→有名レストランに4人で予約して12人になったのはミシュラン2つ星の立派なシェフだが、
出会ったシェフたちに次々と声をかけてしまったので、と助けを求めてきた
→人気の有名レストランに4人の予約で12人は無理なことぐらいわかりそうなものだが、
うれしくてついつい、というのは子どもと変わらない発想
→本当に困った人と思いながら憎めず、30年もイタリアと仕事をすることができている

・イタリア人は仕事と同じく
料理でもひとつに集中するタイプ
→日常生活では地元料理しか食べない(マンマの料理が世界一)→保守的
→味覚のレンジが狭い人が多い(寿司ブームだが食べるネタは限られる)
→選んだ一皿に集中してシェアしない(日本のイタリアンはシェアに対応している)
→シェアしたい場合は半分食べて皿ごと交換するしかない
→基本は4皿構成だがどれも量が多いので最近は2~3皿で済ませる人も多い
→ただし同じ食卓では皿数を一致することが望ましい(美しい)ので面倒くさい
→なので組み合わせは違ってもいいので「今日は何皿にしますか」と誰かが尋ねる
→合えばいいが合わない場合は(美しくないので)店が頼みもしない小皿を出すこともある
→ヨーロッパのレストランは舞台なので食卓の見た目も大切、客もほかの客に見られている
役者でもある


5「独断と偏見で考えるイタリア」より一部のみ

・イタリアが統一されてから僅か154年(2015年当時)
→イタリア人が現れるのは4年に一度だけ→サッカーワールドカップの応援時のみ
→知人はパレルモ人→シチリア人→ヨーロッパ人→イタリア人の順と言ってた
(我々なら大阪人→関西人→日本人→アジア人の順ですよね・・・)
→各地方ごとに大きく習慣、嗜好、特徴が異なり見誤ると大きな失敗をする
→「おらが村が一番」意識が強いので他の地方の悪口を言うのは国民的娯楽のひとつ

・各州の悪口(特徴)は略

・国全体の特徴
→1980年頃まではまったく人気がなく「イタ飯」ブームは1980年代末
→1980年代半ばからフランス的合理主義よりイタリア的直観感覚主義が評価されるように
→不思議で理解に苦しむことが多いが退屈だけは絶対にない
→合理的だが退屈な人生より、訳がわからなくても驚きに満ちた刺激的な人生がいいならイタリア

・イタリアの「あるある行動」も略(目次参照)


「おわりに」より
・年に15回ぐらいイタリアに行くが日本に帰るたびに「いい国だなあ」と感動する
→空港は清潔で入国審査も荷物もスムーズ、電車も遅れない→イタリアはまったく逆
→それなのにイタリアのほうが楽しそうで時間と精神的余裕がありそうに思う
→効率的に動いている日本には、それを支える犠牲が必要で過酷な労働を課すシステム

・高レベルのサービスには過酷な労働が必要で、それを要求する限り働き方改革は難しい
→イタリア人は逆
→高レベルのサービスに苦労する気は毛頭ないし、それを受けられなくても文句は言わない
→あなたもわたしもつらい労働は嫌なのだから列車が汚くて遅れても、お互い我慢しましょう、
→上を目指して摩耗するより寛いでゆったり人生を過ごそうというスタンス
→なのでイタリアは何もうまくいっていないのに
精神的余裕があって幸せそうなのだ

・完璧なサービスは、それで人が幸せになって初めて意味がある
→それが自己目的化してしまい、働く人にストレスを与え余裕がなくなれば意味がない
→日本人の完璧主義性向は素晴らしい誇りだが、もう少し手頃なレベルの幸せもいいかも

・両国を頻繁に往復してると、どちらがいいとか悪いとか、好きとか嫌いとかは、いかに
不毛の議論であるかがよくわかる
→それぞれの国が長い時間をかけて、
それぞれのルールを築き上げた
→重要なことはそれをよく理解すること
→その上で好きになれないなら付き合わないのは人間関係と同じだが、やはり理解はしたい
→この本がイタリア理解の一助となれば、この上ない幸せ・・・


いかがでしょう?

もちろん本書にもあるとおり、イタリアとして統一されたのは僅か160年ほど前ですから、
同じイタリア人といっても地方によって大きく異なるのでしょうが、全体的にはなんとなく
ムラブリやプナンの人たちの生き方と似ていると思いませんでしたか?

どの人たちの生き方も今の日本人にはそれこそ前回記事にあった「すり鉢の外の世界」で、
今後の(特に若い人たちの)参考になるかと思いました



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2024年07月10日

世界「民族」全史の読中?メモ1

とーとつですが・・・


表表紙と帯の惹句

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裏表紙と帯の惹句

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世界「民族」全史~衝突と融合の人類5000年史~とゆー本の脳の外部記憶としての読後メモ
・・・ではなく読中?メモであります




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なにせ本文だけで700頁以上ありますので・・・



表紙カバー裏にあった惹句

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著者紹介と奥付

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1年半前の新刊で著者は代々木ゼミの世界史講師をされてただけに、素人にも分かりやすく
とても面白かったのですが、ともかく大著で・・・

新刊と同時に図書館に予約して、ようやく昨年秋のボルネオ・ツアー前に借りたのですが、
とても返却期限までに
読めそうになくamaz○nでポチ、ツアー出発直前に届いたのでボルネオに
持参しようとも考えましたが、何せ文庫本とは比較にならない大きさ重さ・・・
で、かわりにウィスキー500mlペットを1000mlペットにして持参しましたとさ

帰国してから、ぼちぼち眺めてはメモしてたのですが、やはり図書館への返却期限がないと
遅読になりがちで、座右に置きニュースなどで知りたくなった民族を調べたりしてますが、
いまだ読了の目途が立たずに読中?とゆー次第

と、前置きが長くなりましたが・・・


恒例により、まずは目次

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そう、目次にも見出しがあり、これだけでも目からウロコでした
まさに日本人の殆どが知らないであろう最新の「世界民族史」なんですね

わたくしはこれまでの知識や実体験から、
時間的・空間的に遠く離れていた集団同士を比較すれば
外見や文化や言語などに違いはあるものの、ヒトとしての違いは個人差の方が遥かに大きく、
人種や民族といった区分はあくまで人為的・意図的なもので、その分布はグラデーションに過ぎず、
明確な境目などないと思ってますが、
民族を特定時期の特定地域の集団と捉え、そのルーツから
言語、文化、慣習などの社会的特徴を知り、特に今も伝統的に残る違いと共通点を知ることには
確かに意味があり、それが相互理解にも役立つはずだと信じています


以下、とりあえず目次にある
「はじめに」から第1章の1「日本人」まで、まさに冒頭だけの
読後メモですが読み違いも多いので、正しくは本書のご熟読を・・・
(著作物からの部分メモなので公開設定に問題があれば非公開設定にします)
(わたくしが「ホントにそうなの?」と思った部分も含んだメモです)


はじめにより
・最近の書籍も出版社も民族を扱うことがタブーになってしまっている
→世界ではウクライナ紛争・移民問題・BLM運動・台湾併合など民族に起因する問題ばかり
→民族のルーツを知れば見方や付き合い方も大きく変わる

・民族の新しい事実や史実、血統・血脈が最新研究で明らかになってきている
→「サピエンス全史」などのアフリカ起源説に対する疑問も提起されている
→世界では次々と更新されているのに日本では扱われず学校や教科書でも触れられない

・国家や社会よりも先に民族が存在する
→歴史は民族という原初的な単位によって、はじめて真相が見える

・民族を知ることは今の我々にとって必須の教養
→最新の歴史研究や科学の成果により禁忌にもメスを入れ、民族の歴史の深層に迫る・・・


第1部の序文解説より
・「人種」はDNAなど遺伝学的、生物学的な特徴によって導き出されたカテゴリー
→大きくはコーカソイド、モンゴロイド、ネグロイド、オーストラロイドの4区分による分類
コーカソイド→ヨーロッパ人、インド人、イラン人、アラブ人など
モンゴロイド→中国人、朝鮮人、モンゴル人、日本人、東南アジア人など
ネグロイド→サハラ以南のアフリカ人
オーストラロイド→アボリジニ人、ニューギニア人

・「民族」は言語、文化、慣習などの社会的特徴によって導き出されたカテゴリー
→特に言語とその形成過程により民族のルーツを探ることができる

・言語による民族の分類

(人種コーカソイド)
インド・ヨーロッパ語派→ヨーロッパ人、小アジア人、イラン人、インド人
セム語派→アラブ人、イラク人、エジプト人(ハム語)、北アフリカ人、ユダヤ人

(人種モンゴロイド)
アルタイ語派→モンゴル人、満州人、トルコ人(日本人を入れるかは諸説あり)
シナ・チベット語派→中国人、チベット人、ミャンマー人
オーストロネシア語派→台湾人、東南アジアの島嶼部
オーストロアジア語派→東南アジアのインドシナ半島

(人種ネグロイド)→アフリカ諸語派
(人種
オーストラロイド)→オーストラリア諸語派
(人種モンゴロイド)→アメリカ大陸先住民族のアメリカ諸語派

・語族は同一祖先と考えられる言語グループで、その語族を用いる民族集団を語派としている
→語派と遺伝子のルーツは一致して推移していることが判明している
→これらのグループに属さない民族諸派も多くあり日本人なども代表例

・国民ではなく民族の歴史こそが重要なのに日本で民族を語ることはタブー視されている
→ほぼ単一民族の日本人と他民族のアメリカ人の例
→日本人と言えば国民と民族を指すがアメリカ人と言えば合衆国の国民のみを指す
→日本では言語、文化、慣習などが全て同一であっても同一民族とはされない

・歴史とは様々な民族が経験した衝突と融合の軌跡
→多様な民族が混血した反動で、民族の血統・血脈を意識することを常態化してきた

民族は血統・血脈という前提が入り込んだ概念として知覚される
→民族が持つ独特の雰囲気は、歴史によって培われ各人の遺伝子に刻まれたもの
→意図的に民族を教えず国民という表象のみで思考する習慣は真の歴史を置き去りにする

・Y染色体ハプログループの分析で民族の血統や系譜の関係を遡及的に把握できる
Y染色体は男系承継で女系承継はミトコンドリアDNA
→征服民族に支配された民族は男系祖先をたどると現地民族とは異なる遺伝子になる
女系のミトコンドリアDNAなら現地民族をたどれるが男系Y染色体を使うことが多い

・主要なY染色体ハプログループと民族の関係

(人種モンゴロイド)
・Y染色体ハプログループO
→O2→中国人、朝鮮人
→O1b→オーストロアジア語派
→O1a→オーストロネシア語派
・Y染色体ハプログループC2→アルタイ語派
Y染色体ハプログループD→チベット人、日本人
・Y染色体ハプログループN→ウラル語派
Y染色体ハプログループQ→アメリカ先住民族

(人種モンゴロイド以外)
・Y染色体ハプログループR
→R1a→東ヨーロッパ人、イラン人、インド人、中央アジア人
→R1b→西ヨーロッパ人、ケルト人、バスク人
・Y染色体ハプログループI→北欧人、バルカン半島人
・Y染色体ハプログループE
→E1b1a→西南アフリカ人(ニジェール・コンゴ語派)
→E1b1b→北東アフリカ人(アフロ・アジア語派)
Y染色体ハプログループG→コーカサス人
・Y染色体ハプログループH→インドのドラヴィタ人
・Y染色体ハプログループJ→アラブ人
・Y染色体ハプログループC1b2,MS,K→オーストラロイド

(まあ、人種や民族の違いといってもホモ・サピエンスDNAの99%は全く同じだそうだし、
残り1%の違いも人種や民族の違いより、個人ごとの違いの方がはるかに大きいそうなので、
もともと人種や民族による優劣なんてないのですが、たまたま集団としての遺伝的な違いが、
その時点その地域で暮らすのに有利に働いて、その集団がその地域で繁栄したとゆーことは
感染症への免疫や栄養素の取り込み、脳の特定部位の働きの違いなどからは考えられますが、
その地域集団の歴史を民族の歴史とするべきなのかどうか・・・
ヘタすれば民族の優劣といった馬鹿げたハナシにも繋がるのでビミョーですね)


第1部 第1章 1「日本人」より
・日本人の二重構造説(縄文→弥生)は1990年代に定説になったが・・・
→遺伝子サンプルがあいまいでアイヌ民族と沖縄の人々ではハプログループも大きく異なる
→劇的な変化には征服や戦争が伴うはずだが縄文から弥生にかけての形跡はない
→縄文末期の渡来は否定しないが急進的かつ大量ではなく分断的な現象でもない
→あらゆる系統の民族が日本に漸次的にやってきて多民族間の混血が進んだと考えるべき
→北海道や沖縄では縄文人の文化や遺伝子が維持されやすかっただけ→辺境残存説

・北海道の縄文人(2万年前から)と異なる文化を持つオホーツク系のアイヌ民族(年代不明)は、
もともとは全く別の民族→混血同化した→今は
オホーツク系アイヌ民族は存在しない
→アイヌ新法では
存在しないアイヌ民族を先住民族と規定したが、そう言い切れる証拠はない

・日本語はアルタイ語派の特徴が多いが他の語派との共通性も強く持つ
→もともと北方系と南方系の混合民族だったから
→日本語の稲作関連語彙には中国南部(稲作発祥地)の言語が多い→単なる類似か同一性か

・弥生時代後期(紀元前3世紀)の大阪・奈良のコメのDNA分析
→朝鮮半島には存在しない種で長江流域の種と判明した
朝鮮半島経由ではなく直接、長江流域から伝来したもの
→なので弥生の渡来人が朝鮮半島経由で稲作文明を伝えたという説には何の根拠もない
(こちらの本によればユダヤ商人が大海原を渡って伝えたのだと・・・)

・アルタイ語派にはモンゴル語系、ツングース語系(満州人)、チュルク語系(トルコ人)がある
→多くの学者が日本語とツングース語系との類似を指摘している根拠
①高句麗は半島北部や満州を支配するツングース系の古代国家
②半島南西部の百済もツングース系が支配した古代国家
③日本も任那日本府で南西部を統治しており百済とは緊密な関係があったから
→共通性があったとも考えられるが
一致した見解はなく、当時の高句麗や百済で使われていた
言語の実体は不明で地名や人名からの類推に過ぎず、日本語と類似しない語彙も多い
→類似語彙はどちらか一方の借用かも

・1910年の日韓併合以後は日本の学者が統治推進のため日鮮同祖論を唱えた
→HLA(ヒト白血球型抗原)分析では日本人と韓国人の遺伝的同質性は低い
(韓国人は中国人、モンゴル人、特に満州人との遺伝的同質性が高い)

・朝鮮半島にはツングース系が大量移住し高麗や李氏朝鮮でも王朝支配していた歴史からは、
朝鮮語は
ツングース語系そのものともいえる
→ただし遺伝子と言語の関係は必ず一致するものでもない
→そもそも
アルタイ語派3系列(モンゴル語系、ツングース語系、チュルク語系)に類似性はなく、
まして日本語をその中に含めるかといった議論自体に意味はないとされている・・・



・・・と、とりあえず第1部 第1章 第1節までの読後メモ・・・

続きを読んでますが、まだまだ道半ば・・・までも進んでません

民族主義も民族の違いをタブー視する風潮も、どちらもけちょんけちょんに批判してて気分爽快、
以降の章も興味津々ですが、何せいつも手元にあるのでメモして完読するのは至難のワザ、
むしろ何かの話題で知りたくなった民族の部分だけ読むことが多いのでしゅが・・・

ともかく知らなかったことが多く目からウロコでしたし異説も偏りなく取り上げられてて、
様々な分野の最新情報から各民族の歴史について高校生にも分かるレベルで書かれてるので、
概説書として手元に置いておきたいオススメの一冊ですね
つーか、こんな本は(専門書以外では)おそらくはじめてでしょう・・・

以下、メモ2に続く・・・のだろうか・・・ぷつん



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2023年11月15日

フラッシュ光2023ボルネオ8アナ・ライス村

前回記事からの続きであります

ベンゴー地区での秘境トレッキングと滝での水浴び?を楽しんだ御一行(ただし4人)は、
ビダユ族が暮らすパダワン地区のアナ・ライス村へ・・・

PB024833

この村ではロングハウスでのホームステイに村を挙げて取り組んでるようで、村の入口には
大きな駐車場と立派なビジターセンターがあり、ここで入村手続きをします


ビジターセンターでは歓迎の地酒が振る舞われ、かぱかぱと・・・

LINE_ALBUM_ボルネオ2023原田_231107_72




LINE_ALBUM_ボルネオ2023原田_231107_73
(H田さん提供画像)

「ったく、
この人たち何杯飲むつもりかしら・・・びくびく」
といった顔をされてますが、奇跡的におかわりはしませんでした


ちなみに村の駐車場には・・・

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なかなかの色合いのクルマが停まってました


で、トレッキングで汗まみれ、滝でびしょ濡れの御一行は、ビールを仕入れてから、

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村の温泉へ・・・




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対岸の川底から温泉が湧いてて、その一部をせき止めて湯舟にしてあります
ちなみにこの川は、サラワク川の源流のひとつだそうですが清流でした



涌出部に足やお尻をのせると熱かったですが適温で川で身体を冷やすこともでき・・・

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(H田さん提供画像)



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(H田さん提供画像)




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これまでで最高のビール、まさに至福のひとときでした



シャワー施設もあり、さっぱりしてから村のロングハウスへ・・・

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店で借りたクーラーボックスに残りのビールを入れたN嶋さんの後に続きます




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ロングハウスは最初は共同で建てるものの、その後は各戸の事情に合わせて、
別々に改築や増築をするので、こんな感じに不揃いになっているのだとか・・・

イバン族のロングハウスは川と平行なのに対しビダユ族のは川と垂直なのが特徴だそうで、
山裾まで行けば、そこで終点になるそうです



この村は大きく、ロングハウスもどんどん延長・増築されてて・・・

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枝道があちこちに伸びて迷路状態になってるのが面白いですね・・・
散策するのが楽しみです



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このあたりが高床式「目抜き通り」といったところでしょうか・・・


で、目抜き通りから枝分かれした先にある・・・

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こちらのお宅にお世話になります


ロンドンから帰ってきたばかりのホストマザーからコーヒー紅茶お菓子で歓迎を受け、
こちらからも日本のお土産(未開封のつまみ)を渡して挨拶の後は・・・

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(H田さん提供画像)



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温泉から持ち帰った冷たいビールで、まったり、のんびり、ぐったり・・・



室内を一巡しました

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階下の左が台所、右がトイレとシャワーで二階もありますから実質3階建てですね


部屋には・・・

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ビダユ伝統の民族衣装や



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ブローパイプ(吹き矢)や生活用品などが飾ってあり、



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数々の表彰状もありましたが、この村もキリスト教徒が多いのかな・・・



窓からの眺めはこんな感じで、確かにロングハウスが山裾で途絶えてます

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すべてが高床式の回廊で繋がってて地上に下りる必要はありません



やがて雲行きが怪しくなってきて・・・


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スコールが始まる頃になると・・・




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ビダユ伝統料理による夕食であります




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基本は竹筒で炊いたご飯に、鶏と卵と野菜や山菜の組み合わせですね
どれも癖がなく食べやすく美味しかったです ばくばくばく




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食後のフルーツが出て・・・





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酒類調達担当が調達してくれたマンゴー酒なんぞを飲んでると、



ボルネオでは「オッサンの酒」と呼ばれる安い紹興酒で・・・

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ホストファミリーが・・・

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ビダユの酒の飲み方を披露してくれます


まずはホストが自分でグラスの酒を飲み干し、そのグラスをゲストに廻して注いでいきます

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次々とゲストが飲み干して一巡すれば、また最初から・・・

と、この夜は一泊用の軽装備だったので、すべての酒を飲み干して就寝しました ばたっ



翌朝・・・

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たっぷりの朝食を食べてから、N嶋さんの案内で村を散策します



以下、さくさくっと・・・

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あちこちで鶏が飼われてました
ここの鶏は何故か深夜でもガンガン時を告げ続けるので、昨夜もうるさかったです


地上に下りた村の公共トイレ

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ボルネオに公共トイレは少なく、あっても有料が多いのでホームステイ客への配慮も?




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川の向うにも村は続きます




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こちらは昔の村の集会所



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今は使われず保存されてますが、ここで車座になって毎晩宴会してたんですね




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この川を下ればクチンへ・・・



河原へ下りました

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ビダユの人々は、こんな巨木には精霊が宿ると信じており絶対に伐らないそうです




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裏山は演習地になってるそうで、陸軍の車両が移動を開始してました




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こちらは村の共同精米所(精粉所?)でしょうか・・・

と、まったり散策した後は楽しかったアナ・ライス村に別れを告げて、
御一行(今は4人)はウィンドケイブとフェアリーケイブを目指します

(次号に続きます)



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2023年01月24日

寒い大阪・関西空港へ

(前回からの続きです、バンコクの休日記事を最初からご覧になる場合はカテゴリから)

年頭からはじめたバンコクの休日記事も今回が連載の最終回であります
(帰路なので画像やエピソードは少ないですが記事末尾に休暇に関する感想を付記しました)


と、まずはバンコク最終日12月30日の朝食から・・・

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日本での食事に向けて漬物が復活し大根や青菜?の煮物とかも・・・



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そーいやコーヒーはあれこれ試してポットのよりベンダーマシンのエスプレッソが好みになり
一度に2杯分を何回かお替わりしてましたが、ニルスのお父さんも全く同じパターンでした


と、この日のスワンナプーム空港からクアラルンプール空港への便は17:05発の予定でしたが、
念のため10時半にはホテルのチェックアウトを済ませ早めに地下鉄MRTサムヤーン駅へ、
ペッチャブリー駅で改札を出て回数カードを返し、デポジットと残高を返金してもらい
(デポジット50バーツ残高70バーツだったはず)、空港線ARLのマッカサン駅へ・・・



連絡通路にあったお店・・・

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説明まで日本語とタイ語の併記で一時期タイからのインバウンド客が急増してましたから
日本語や日本食への思い入れもあるのでしょうか・・・
サムヤーンでもサイヤムでもスクーンビットでも日本料理店がいっぱいあったし・・・



空港線ARLのマッカサン駅

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全線高架で母体はタイ国鉄ですが運営は第三セクターになってるようですね

自動券売機でトークンを買いました
空港までは35バーツで22分の乗車ですが、地下鉄MRTより待ち時間は長かったです



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あちこちで見た超高層ビルと伝統建築の対比、まさに今のバンコクです・・・





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空港線ARLも地下鉄MRTと同じくシーメンスが落札、当時駐在していたIさんによれば、
まあ、ウラにはいろいろとあったようですが・・・




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都会でも水辺がある風景はやはりいいですね・・・

と、スワンナプーム空港には早めに着いたので
託送荷物をマレーシア航空のカウンターに
預けるまで
少し時間待ちしましたが、重量制限はホテルで量ってきたので無事クリア

帰りも前々日に
ホテルのWi-FiでWEBチェックインを済ませてたのですが、託送荷物を預ける
手間は同じで、WEBカウンターのほうが一般カウンターより少し空いてたぐらいのメリット
しかありませんでしたが、託送荷物がない場合は簡単で便利なんでしょうね


と、次に出国審査に行くとパスポートを見て、あっちへ行けと・・・

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そう、高齢者はプライオリティ・レーンだそうですが入国審査ではそんな指示はなかったし、
一般レーンも空いてたので、なんか遠回りしただけのような気も・・・


で、出国審査と手荷物検査を済ませ搭乗ゲートを確認、ゲートオープンまで時間があったので、
奥様は免税店のウィンドショッピングへ、わたくしは小腹が空いてたので・・・

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バンコクで一度も食べる機会がなかったバーガーキングへ・・・
さすがに空港内は割高でしたが残りのバーツが使えたのでよしとしましょう



と、

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パシフィック航空でハノイへ・・・


ではなく・・・

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マレーシア航空でクアラルンプールへ・・・ええ、同ゲートで同型機でした・・・




と、ほぼ定刻に離陸して・・・

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楽しかったバンコクともお別れであります・・・




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軽食を食べ終える頃には・・・




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日も暮れなずみ・・・



やがてクアラルンプールの夜景が見えてきました

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ひょっとして中央に見えるのはペトロナスのツインタワー???
だとしたら、わたくしはじめての上空撮影になるのですが・・・



と、無事にクアラルンプール空港に到着

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ここから大阪・関西空港への深夜便はボルネオ植林ボランティアツアーでおなじみの便、
当日はやや定刻を遅れたものの無事に離陸しました

帰路でも映画を何本か観たはずですが、ビールやワインのお替わりと疲れで朦朧となってて
残念ながら殆ど覚えてません Iさんオススメのエルビスとかも観たはずだけど・・・
で、眠れないまま朝食が出て、ほぼ定刻どおり31日の早朝に関西空港に着きました
(そーいや、この便で月曜日の早朝に帰国、自宅にスーツケースを置いて急いで着替え、
9時に出勤したこともあったな・・・職場では居眠りばかりだったけど・・・)

今回はVisitJapan登録していて入国・検疫・税関手続きでスマホ画面掲示を利用したものの
操作に慣れないうえ遠回りルートを延々と歩かされ、睡眠不足もあってけっこう疲れました

で、託送荷物を待つあいだの夫婦の会話・・・
「今日の大阪は最高気温でも10℃、最低気温は2℃だって・・・ぶるぶる」
「ううっ、バンコクとはちょうど20℃の差か・・・
薄手のロンパンに長袖シャツ1枚では寒いだろうなあ・・・ぶるぶるぶる」

と、空港を出てからモンベルのパーカーを着たのですが、お土産いっぱいのスーツケースを
自宅まで運ぶのに汗びっしょりになり、何とか帰宅したものの、深夜電力利用の給湯器を
出発時にOFFにしてたので温かい風呂にも入れず、所用のためそのまま京都へ行って・・・

さすがに急激な温度変化と疲れで少し体調を崩し、年始三日間を寝正月にして無事に回復、
このバンコク記事の連載をはじめた次第です
(新年ご挨拶記事は事前に下書きしてたので元旦にアップすることができました)
(念のため抗原検査もしましたが二人とも陰性、やはり飲み過ぎ食べ過ぎ遊び過ぎか・・・)



と、今回はホテル手配から現地案内まで全面的にペーンのお世話になりました
ほんとにありがとね!!! おかげで素晴らしいバンコク体験ができました
手厚くもてなしてくれたニルスやご両親にも心からのお礼を伝えてくださいね

また丸二日間アテンドしてくれたヌンと友人のプン、弟のクンにも大感謝ですし、
家族旅行だったのに我々を一緒に案内してくれたIさんファミリーにも大感謝です

皆さん、ほんとにありがとうございました

タイ王国もバンコクもはじめての訪問でしたが日本との関係が深く食品や工業製品だけでなく、
人や文化の交流も盛んなことが今回のツアーであらためて実感できました

さらに日本に留学経験のあるペーンつながりの各国の若者とも(日本語で)話すことができたので、
異文化間の国際交流の素晴らしさも再確認することができ、わたくしにとってはこのことも
今回の大きな喜びのひとつでした
過去に何度かホームステイ活動に協力させてもらえたことにも感謝です

と、バンコクの休日記事の連載はこれでおしまい・・・
年頭から4週12回にわたりご覧いただき、ありがとうございました




以下は付記です
(やや長いですが休暇に関するメモの再掲とわたくしの意見)

わたくしたち夫婦は8泊10日の滞在でしたが、日本から来ていた現役世代のみなさんは、
県庁に勤めるIさんファミリーが年末年始の休みを利用した1週間弱の滞在、
会社員のSさんは披露宴の前日に来て(年末も仕事があるからと)翌日の帰国、
勤務医のKさんもバンコクには数日だけ滞在して帰国とのことでした・・・

いっぽうドイツから来たニルスの友人などは全員が3週間から6週間の滞在とのことで、
ニルスと(就職1年未満の)ペーンも有給休暇による1ヶ月の滞在とのことでした・・・

ペーンもニルスも世界中で通用する優秀有能な人材で、二人とも日本が大好きだったのに、
最終的に日本でもタイでもなくドイツでの仕事に落ち着いたのも、休暇の取りやすさが、
大きな理由のひとつだったと言ってました・・・

ペーンは欧州全体のエネルギー需給をモニター・分析する仕事を(今はほぼ在宅で)やってて、
いろんな面で今の仕事には満足してるけど、日本語とタイ語を活かせないのは残念なので、
欧州と日本とタイを結ぶ仕事をしたいとは思ってるけど、現状(の労働環境)では・・・
とも言ってました・・・

働くならフランスより絶対ドイツとネットにもありましたがドイツの企業は給与、労働時間、
休暇などの条件がきちんと守られてて、逆に生産性は日本の企業より高いんですね・・・

働き方改革が叫ばれ、すでに幾星霜の日本なんですが・・・
わたくしが現役時代に海外植林ボランティアツアーを企画していた際も必ず土日と祝日を挟み、
有給休暇取得を数日にした1週間以内の日程が限度でしたが、それでも現役世代は休みづらく、
わたくし自身も仕事の前後処理や同僚への気遣いなどが大変でした

働き盛りの世代にこそ仕事を離れた有意義な休暇が必要なのに、制度上ボランティア休暇や
自己研修休暇があっても名目だけで、年次休暇でさえ気軽には取得できなかったし・・・

ドイツと日本では勤勉性や規律性で国民性が似ているとも言われてますが、何か根本的に
組織労働の感覚が違ってて、このままだと、それを感じている有能な人材は国籍に関係なく
日本から流出していくのでは・・・と、今回あらためて不安を感じた次第です

世界中の有能な若者から(当面は
お互い抵抗が少ないであろう東・東南アジアの若者から?)、
「日本の企業で働きたい、ずっと
日本に住みたい」と思ってもらえるような労働環境にして
いくことが、日本の高齢化問題に対する最大の解決策なのではないでしょうか・・・

たとえ少子化対策が成功しても有能な若者が海外に流出するような労働環境では意味がないし、
人口減少自体が問題なのではなく有能な若者の減少が日本の問題なのですから・・・

それにはまずペーンやニルスのように有能で日本が大好きという若者が、安心して働ける
ドイツのような世界トップレベルの労働環境と、様々な差別のない社会環境が必要ですし、
安心して働ける環境になれば有能な人材の流出も防げて企業経営にとってもプラスになる
と思うのですが・・・

現実的には大企業や一部官庁などエリートを抱える大きな組織から、若者や働き盛り世代が
残業や休日出勤なしで活躍でき、もっと気軽に休暇が取れるように組織の体質を変えていって、
それを社会全体にも拡げていく・・・という手順になるのでしょうか・・・
AIなど最新テクノロジーを駆使すれば、おそらくコスト増にはならないでしょうし・・・

ま、今の社会構造のままであれば、さらに格差・分断を拡げる結果にもなりそうですが、
労働環境(組織の体質)は、まず大きな組織から変えていかないと、と思った次第です



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2023年01月22日

バンコクのご家庭訪問

(前回からの続きです、バンコクの休日記事を最初からご覧になる場合はカテゴリから)


ええ、まずは結婚披露宴の翌日12月29日の朝食から・・・

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ジャポニカ米からキムチや福神漬けが消えてますね
すっかりタイのおかずに慣れたようです



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デザートもシンプルに、ヨーグルトで健康に・・・ま、フルーツはお替わりしましたが・・・


と、この日はペーンのご実家を訪問することになってて、前夜同じホテルに泊まってた、
ペーン&ニルスとペーンと同じ高校に同時期に留学していたフィンランドのカイサ、
近くのホテルに泊まってたIさんファミリーと、10時半にロビーで待ち合わせて・・・

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ペーンのお父さんのいすゞハイランダーピックアップとペーンのトヨタヤリスで・・・
って、誰が2台を運転してきたのかな・・・1台は以前から置いてたのかな・・・

と、お父さんとニルスが大量の荷物をピックアップの荷台に積み込むあいだに、ペーンから、
「安心したい人はお父さんのクルマに、スリルを味わいたい人はわたしのクルマに、むひひ
と提案があり、わたくしはそそくさとピックアップの助手席に・・・

で、ヤリスの助手席には指導教官役のニルス、Iさんファミリー3人にヤリスの後部座席は狭いので、
結局、カイサとうちの奥様がペーン号でスリルを楽しむことになりました!!!

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高速に向かいます・・・




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で、高速に入ると・・・




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たちまちペーン号が追い越し・・・



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さらに加速・・・お父さん号があわてて後を追います・・・ぶるぶるぶる



と、(奇跡的に)郊外の巨大ショッピングモールに無事到着・・・

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モールのVIP会員専用駐車場にクルマを置いて・・・

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カメさんのパン???を買うのでスーパーに寄ります、皆さんもお買い物を、と・・・

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カイサは寡黙な北欧っ子だけど、さりげにお茶目だったのね

訊けば札幌の旅行会社で働いてたけどコロナ禍で仕事がなくなり、今はフィンランドに
一時帰国しているとか・・・彼女にもコロナの影響は大きかったようです




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Iさんファミリーは菜園もやってて種子に興味津々でしたが・・・




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さすがにフルーツの種類は豊富で安かったです




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ただしリンゴはどれもちっちゃくカイサもペーンも、はじめての来日では日本のリンゴの
大きさに、まず驚いたと言ってました



と、

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階上のMKレストランでペーンのお母さんとも合流して・・・



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タイ風しゃぶしゃぶメインの昼食をいただきました




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重箱に入った具材はロボットが次々と運んできます
通路が渋滞してると何とかすり抜けようと、何度もトライしてるのが可愛かったのですが、
しゃぶしゃぶの鍋奉行に夢中で画像は一切ありません




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他にもいろいろとご馳走して下さり・・・




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完食完食・・・アルコール類はなしでしたが、とても美味しかったです・・・



で、モール内にあったこちらの両替店・・・

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ペーンが知る限り一番レートがいいそうで「ペーン銀行の両替よりお得です!!!」



で、ここの12月29日現在のレート

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日本円は1万円(単位)なら、買いが2595バーツ、売りが2625バーツでした
20年近く1バーツ2.5~3.5円で推移してたのに急な円安で1バーツ約4円になってます


ちなみにモール内のスーパーでは・・・

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各種タイ味のグリコ・プリッツが10バーツ



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各種タイ味のグリコ・ポッキーが20~25バーツでした

あちこちで見かけた日本企業の現地生産品をはじめ、食料品はともかく安かったです
飲食店も屋台はもちろん、それなりの店でも日本よりはるかに安かったですね
ちなみにドイツでは日本よりさらに飲食店は高いのでスーパーなどで買い出しすることが多く、
タイに帰れば思い切りレストランで食事することができるので嬉しいとペーンが言ってました
お金持ちの家のペーンだけど、タクシー交渉など金銭感覚はしっかりしてます


と、再びピックアップの助手席に乗せていただき、さらに郊外にあるペーンのご実家へ・・・


一般道路から離れ、有人の監視ゲートを通過すると・・・

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広大な人工池を中心に造成された・・・



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住民しか入れない高級住宅街が広がります




で、ご実家に到着・・・

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目の前には広大な人工池が広がります・・・

わたくしの感覚からすれば上流階層レベルの豪邸ですが、タイでは中流階層レベルだそうです
ま、確かに王宮は見てきましたが、日本でいえばまさに高級別荘地ですね・・・


個人宅なので詳しくは紹介できませんが、とりあえずビールで乾杯して・・・

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それぞれがペーン&ニルスやご両親へのプレゼントを・・・


ええ、わたくしはバイク好きと聞いていたお父さんに・・・

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月刊オートバイの最新号と甘くて酸っぱい(タイ人好みのはずの)日本のつまみ・・・


と、今回メインの・・・

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 (奥様撮影)




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wingさん製作のMODライトと京都・城陽酒造の日本酒をプレゼントしました

わたくしが日本語で説明、ペーンがタイ語でお父さんに同時通訳してくれます

「えとえと、これは日本の有名なフラッシュライト・モダーがモディファイしたMOD作品で
花などの植物や昆虫を観察するのに最適な高演色LEDに換装してあって・・・もごもご」

と、他にもLEDが微妙に異なる2本をニルスとニルスのお父さん用にプレゼントして・・・

「えとえと、ドイツに持ち帰る際はライト本体は託送荷物に、リチウム電池は機内持ち込みに、
ちなみにリチウム電池は20年間入れっぱなしでも液漏れしませんが、ふだん使いするなら、
アルカリ電池もマンガン電池もニッケル水素電池も使えるので経済的です・・・もごもご」

まあ、日本酒については二人がすでに試飲してるので説明しませんでした・・・ふう

お父さんは現在カワサキの大型バイクに乗ってるそうでメカも大好き、ライトも喜んでくれ
日本のバイク雑誌の最新号も
毎日トイレで眺めて楽しみます!!!とのことでした・・・ほっ


と、

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ぜひ味わってほしいと出してくれたマンゴーライスや、
(新鮮なマンゴーと蒸したもち米を一緒に食べるペーンの大好物で確かに美味しかったです)
Iさんのお土産の(タイにはない巨大な)信州リンゴなどをいただき・・・


さらには

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庭で採れたパパイヤの自家製ジャムとか・・・



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タイのラム酒まで出てきて、飲んだくれは大いに盛り上がりました


で、カイサに昨夜の二次会動画の一部を見せてもらったのですが・・・

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タイとドイツとフィンランドとモンゴルの若者たちが日本留学当時に流行ってたJポップで
バンコクの夜を盛り上げている姿には、何故か感動してしまいました
まあ、日本の若者は仕事が忙しく、早々に帰国してしまったようですが・・・


で「少し涼しくなったので散歩しましょう」と外に出て・・・

せっかくなので25年間住み込みの家政婦さんに記念写真を撮ってもらいました

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ちなみに右のクルマはお母さんのカローラ・アルティス、やはり郊外だと一人一台なんですね・・・
さらにちなみにIさんファミリーも一人一台でスバル車、ペーンのお父さんにも訊けば、
はじめてのクルマがスバルの中古車で、今でもスバル車が欲しいけどタイでは極めて少なく、
特に新車は高いので・・・と、お父さんたち三人はスバル車の話題で意気投合・・・


池の周囲を散策します

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ニルスが指さしている先に延々と続く敷地が・・・




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この住宅地の「村長さん宅」でペーンから見ても「凄いお金持ち」だそうです・・・




遊歩道を時計逆回りに歩いて・・・

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ここがカメさんへのパンやり会場!!!

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コイさんやナマズさんが殆どでしたが時間が決まってるのか大量に集まってきました



で、陸に上がれるのはカメさんだけなので・・・

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                                     (奥様撮影)




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ナマズさんは「こっちにもよこせ、がうがう」と大騒ぎ・・・



「こっちにもあげようかな」「がうがう」

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と、この瞬間おそらく世界で一番幸せなカップル・・・





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とてもいい散策でした・・・



と、帰宅後は・・・

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ドイツでの結婚式の模様を見せてもらったり・・・



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ペーンの大好きな曲を・・・



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ペーンの伴奏で歌ったり・・・

家の中にオオトカゲが侵入してきた際の監視カメラ映像を見せてもらったり・・・
(さすがに大騒ぎになり苦労して追い出したそうですが・・・)


楽しく過ごしてると・・・

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手作りの夕食が次々と運ばれてきたので・・・




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別に冷蔵庫で冷やしてもらってた「たれくち酒」で試飲会


とまあ、後は延々と・・・

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もう飲めません、もう食べられません・・・げふっ
とゆーところで、この夜はようやくお暇させていただきました

帰りはGrabでタクシーを呼んでいただきましたが、少し割高になるものの、タイでは
これが一番安心で確実とのことでした

で、招待したのですから当然です、いやいや、そんなことまでしてもらっては・・・
と、日本らしいとゆーか、タイらしいとゆーか、タクシー料金を巡るやりとりがあり
Iさんファミリーのホテル行きタクシーが口座払い、我々とカイサのホテル行きタクシーが
現金払いだったので、結局わたくしがペーンから現金を預かることになりました

支払ったのはメーター料金318バーツ高速代125バーツで、預り金とほぼ同額でしたが、
1時間以上の距離でしたからタクシーも正規料金だと日本よりはるかに安いんですね

と、この日は何から何までペーンファミリーのお世話になりました
結婚披露宴の翌日でお疲れなのに、皆さん本当にありがとうございました!!!

(次回バンコク記事の最終回に続きます)



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