ボルネオ
2023年06月11日
さあ、あなたも「世界一住みたい国」で・・・
とーとつですが・・・
さあ、あなたも「世界一住みたい国」で幸せに暮らす計画を立ててみよう!

人生が100倍豊かになる国際自由人的生き方・・・とゆー本であります
裏表紙カバー裏にあった著者紹介

奥付

例によって目次のみ・・・




マレーシアでも特にジョホール・バルへの移住・長期滞在をオススメしている本ですが、
ちょうど9年前の発行なので、現在の状況はどうなんでしょうね・・・
本の内容については目次から想像していただきたいのですが、いいことずくめだけでなく
移住や長期滞在の際の注意点も、分かりやすく書かれてました
わたくしは東マレーシア(ボルネオ島)での短期滞在しか経験がありませんし、現地では
慣れたコーディネーターにお世話いただいてるので、生活したとゆー実感はありませんが、
それでも植林ボランティアでのイバンの子どもたちや先生やご両親、招待いただいた村や
ご自宅や大学、街中のお店や宿泊先などでも、嫌な思いをした記憶が殆どありません
マレー系、インド系、中華系、イバンなど先住系と様々で、宗教もイスラム教、キリスト教、
ヒンドゥー教、仏教など様々だけど信仰心は篤く、生活習慣や文化伝統の違いはあるものの、
お互い干渉せず気軽に付き合い、外国人も気軽に受け入れる雰囲気は確かに感じました
まあ、酒税とか国立校の学費とかイスラム教徒に有利な政策はあるんでしょうが、それぞれが
それぞれの異なる宗教や文化を認め合って、外国ともうまく付き合っている・・・
これがアジアの多民族国家としてのマレーシアの魅力なのかも知れませんね・・・
さあ、あなたも「世界一住みたい国」で幸せに暮らす計画を立ててみよう!

人生が100倍豊かになる国際自由人的生き方・・・とゆー本であります
裏表紙カバー裏にあった著者紹介

奥付

例によって目次のみ・・・




マレーシアでも特にジョホール・バルへの移住・長期滞在をオススメしている本ですが、
ちょうど9年前の発行なので、現在の状況はどうなんでしょうね・・・
本の内容については目次から想像していただきたいのですが、いいことずくめだけでなく
移住や長期滞在の際の注意点も、分かりやすく書かれてました
わたくしは東マレーシア(ボルネオ島)での短期滞在しか経験がありませんし、現地では
慣れたコーディネーターにお世話いただいてるので、生活したとゆー実感はありませんが、
それでも植林ボランティアでのイバンの子どもたちや先生やご両親、招待いただいた村や
ご自宅や大学、街中のお店や宿泊先などでも、嫌な思いをした記憶が殆どありません
マレー系、インド系、中華系、イバンなど先住系と様々で、宗教もイスラム教、キリスト教、
ヒンドゥー教、仏教など様々だけど信仰心は篤く、生活習慣や文化伝統の違いはあるものの、
お互い干渉せず気軽に付き合い、外国人も気軽に受け入れる雰囲気は確かに感じました
まあ、酒税とか国立校の学費とかイスラム教徒に有利な政策はあるんでしょうが、それぞれが
それぞれの異なる宗教や文化を認め合って、外国ともうまく付き合っている・・・
これがアジアの多民族国家としてのマレーシアの魅力なのかも知れませんね・・・
2023年05月12日
フラッシュ光・2023ボルネオツアーの公式?案内
(本記事は期間限定のお知らせです)
とーとつですが・・・



フラッシュ光・2023ボルネオツアーの公式?案内であります
こちらの記事末尾でも日程は紹介しましたが、現時点での2023ツアー概要とご案内です
航空便の予約状況が逼迫してますので参加希望者は早めの連絡をお願いします
①スケジュール(出発まで順次更新しています)
(関西空港発着の場合7泊9日うち平日は4日間で、日本のサラリーマンには優しい選択ですよ
)
10月27日(金)
とーとつですが・・・



フラッシュ光・2023ボルネオツアーの公式?案内であります
こちらの記事末尾でも日程は紹介しましたが、現時点での2023ツアー概要とご案内です
航空便の予約状況が逼迫してますので参加希望者は早めの連絡をお願いします
①スケジュール(出発まで順次更新しています)
(関西空港発着の場合7泊9日うち平日は4日間で、日本のサラリーマンには優しい選択ですよ

10月27日(金)
23:25関西空港発(往復ともシンガポール航空を利用予定)
10月28日(土)
10月28日(土)
04:40チャンギ空港着06:40発 08:10クチン空港着
ホテルへチェックイン休憩、屋台で昼食後、全面改装されたボルネオ文化博物館へ
スーパーなどに立ち寄り、夕食は海鮮料理の屋台街
<クチンのホテル泊>
10月29日(日)
ホテルにて朝食後チェックアウト、クチン空港へ
10:55クチン空港発12:35ムル空港着、ムル国立公園へ。約3.4㎞の木道をハイキング
ディア・ケイブ
とラング・ケイブ
の見学+コウモリの群れの見学


公園内食堂にて夕食後、ナイト・ウォーク

<グヌン・ムル国立公園の宿泊所泊>
10月30日(月)
公園内食堂にて朝食後にボートで移動、プナン族の村訪問、
ウィンド・ケイブ
とクリアーウォータ―ケイブ
の見学、ピクニックランチの昼食
ウィンド・ケイブ


ボートで戻る途中、元気のある方は約3kmのハイキング
公園内食堂にて夕食後、ナイト・ウォーク

<グヌン・ムル国立公園の宿泊所泊>
10月31日(火)
公園内食堂にて朝食、出発まで自由行動(近隣の熱帯雨林を散策)
チェックアウト後、ムル空港へ。昼食はムル空港近くの食堂にて。
13:30ムル空港発15:10クチン空港着、いったんホテルへ
スーパーなどに立ち寄り、夕食はスチームボート
<クチンのホテル泊>
11月1日(水)
ホテルにて朝食後、サバル森林保護区にある過去の植林地見学、記念植樹
昼食は弁当、夕食はローカル料理
夕食後、クバ国立公園カエル池ナイトツアー
<クチンのホテル泊>
11月2日(木)
ホテルにて朝食後、サバル森林保護区にある過去の植林地見学、記念植樹
昼食は弁当、夕食はローカル料理
夕食後、クバ国立公園カエル池ナイトツアー

<クチンのホテル泊>
11月2日(木)
ホテルにて朝食後、ボルネオのジュラシックパークと呼ばれるベンゴー地区へ
(車両とボートで移動。インドネシアとの国境を跨ぐクレーター状の山脈に囲まれた湖)
(車両とボートで移動。インドネシアとの国境を跨ぐクレーター状の山脈に囲まれた湖)
滝の傍でビダユ族スタイルのお弁当の昼食。
その後、さらに奥のアナ・ライス村でホームステイ。
サラワク川源流には温泉もあります。夕食は伝統料理。
<ビダユ族のロングハウス泊>
11月3日(金・祝)
ロングハウスにて朝食後、人々の生活や畑などを見学し早めに出発。
屋台で昼食後、Fairy & Wind Cave へ
屋台で昼食後、Fairy & Wind Cave へ

ラフレシアが咲いていればグヌン・ガディン国立公園へ
夕方クチン郊外の週末のみに開催されるシニアワンのナイト・バザールへ
ウツボカズラ飯など含めクチン中のいろんな食べ物が並びます。ホテルにチェックイン。
<クチンのホテル泊>
11月4日(土)
ホテルにて朝食後、ホテルをチェックアウト
09:30クチン空港発 11:00チャンギ空港着14:05発 21:10関西空港着、解散
②概算費用など(出発まで順次更新しています)
・関空⇔クチン往復、現地での移動、宿泊、食事等を含み5月12日時点で27万ぐらい
・現地クチンでの集合解散も可能、その場合は半額ぐらいになります
・別途、個人の酒代・土産物代・旅行保険代等が必要(安全な飲み水は用意します)
・クチンでのホテル4泊は基本2人1室ですが、割増料金により1人1室も可能
・ムル国立公園の宿泊所2泊は男女別各4人部屋、ビダユ族の村ホームステイ1泊は全員で
大部屋に近い状態になります
③参加人数・参加方法・申込期限など
・5月末時点で確定している参加者は7名で今回は8名のツアーにしたいと考えています
・予約申込時期により航空運賃は変わります(満席で予約できない場合もあります)
・参加を希望される方はコメント欄やDMなどで早めの連絡をお願いします
(こちらから申込方法など詳細をお知らせします)
つーことで・・・
秋にはボルネオの洞窟や熱帯雨林でライト照射を楽しみましょう!!!
2023年05月09日
「まあいっか」で楽に生きる・・・
(期間限定のお知らせ)
2023フラッシュ光ボルネオツアーのご案内はこちらの記事の末尾です
まあいっか・・・

東南アジア式「まあいっか」で楽に生きる本・・・であります
裏表紙カバー

表紙カバー裏にあった惹句

東南アジアでの暮らしぶり、特に働き方については、わたくしの昨年末バンコクでの思い
と見事に一致してて、大いに納得しました
やはり日本の働き方よりマレーシアなどの働き方の方が世界標準に近いようです
裏表紙カバー裏にあった著者紹介

奥付

例によって目次のみ



以下、ランダムに読後メモから抜粋・・・
1章より
・1990年代は東南アジアの若者と話をしていても「日本で働きたい」が多かった
→2010年頃には「日本に行くのは好きだけど日本で働くのは嫌」になってきた・・・
・GDPや安全度、健康寿命などを考慮に入れない幸福度調査が海外に住む自分の実感に近い
・2021年秋に行われたマレーシア統計局の「幸福度調査」(11州42246人)
→パンデミックや経済危機にもかかわらず全体的に幸福を感じていた
→日本より不平等なのに階層、民族、年齢層、性別、学歴、婚姻状況で有意なギャップがない
・英国バーキー財団の2017年の若者調査で1位だったインドネシアは幸福度が90%
→先進国より発展途上国の若者の方が幸福度は高い
→ヨーロッパの若者は世界平均レベル
→18位のトルコで50%
→韓国と日本が「最も不幸」で29%と28%
・CNBCの2021年「住みやすさランキング」(駐在員12000人を対象に57都市を比較)
→1位はクアラルンプール、東京は53位で最下位に近い
→東京の方が交通網、環境、経済などで勝るはずなのに「住み着きやすさ」では最下位
→外国人には親切だがコミュニティには受け入れてくれないから
・日本では子育て世代は少数派→社会から分断されている→子育てがしにくい
・マレーシアは日本より不平等だが言語や学校や仕事がバラバラで他人と比べる意味がない
→「正しさ競争」をしていない、ちゃんとしない人(子ども)を受け入れる、親が楽しむ・・・
→人もインフラも役所もちゃんとしていないが他人に期待し過ぎず自分の責任で行動している
・マレーシアでは社会も予定も急に変わる→まあいっかで適当にやらないとストレスになる
→背景のある移民や難民も多く、自分の常識や礼儀を押し付ける暴力性に気づかされた
→日本では家でも職場でも、ちゃんと、きちんと、笑顔で、が求められる
・日本の完璧主義でいくか、世界スタンダードに近い80%主義でいくか・・・
→スローリー、スローリー、ラーニング
2章より
・緻密さ完璧さの日本製品は昔は東南アジアのお手本だった
→潮目が変わったのは2000年代の中頃
→技術が進み製品の部品数が減り時代はソフトウェアに
→日本の顧客が求める(過剰)高品質は世界では売れなくなった→亀山モデルの例
・アジアに原材料や製品を発注しているのは日本だけではない
→クレームが多く発注が安定しない日本メーカーは切られる
・アジア航路の北東端にあり小規模港が多い日本はコンテナ船コストがかかるので抜港される
・製造業だけでなくサービス業にも完璧が求められる日本
→マレーシアでは学校でも病院でもスタッフにクレームの多い保護者や患者は切られる
→日本のコンビニやレストランでの接客は働く側の安い給料に釣り合っていない
→マレーシアでは高級店のみ→賃金以上のサービスはしない
→ちゃんと、きちんと、は人によって基準が違うので全て詳細な契約による(日本は逆)
・日本は時間や計画に正確で中国やマレーシアはフレキシブルだが最終的にどちらでも回る
・東南アジアの会社のチームワークの良さと日本の会社の和の重視の違い
・日本の序列競争、細かい差別待遇、謝罪の儀式、反省文・・・
3章より
・マレーシアには様々な宗教・民族の人が住み結論が異なる→答えはたくさんある
→学校も様々で転校も多い
→他人と比べなくていい→自分で自分の道を選択することになる
→重要なのは他人の選択に口を出さないこと→多様性を認め合う社会を生きる上での知恵
(この章のメインである教育制度や教育論のメモは、いずれ別の機会に)
4章より
・日本よりGDPが低く貧富の差も激しく犯罪も多いのに幸福度が高いのはなぜか
→とくにティーンエイジャーが精神的に落ち着いている
→自閉症の障害もマイルドで穏やか→社会の許容量の問題ではないか
→多国籍文化で自閉症も文化の一つとして受け入れ、多少の違いは気にしない優しさ
→外国人は日本のマナーの良さに驚嘆するが、ついていけない人も出てくる
・マレーシア人の幸福度には家族、宗教と精神、健康が重要な要素で、お金はあまり関係ない
→日本語学校で「お金と休みがたくさんあればどこへ行きたいか」と授業で訊いたら、
→マレー系の生徒ほぼ全員が「実家に帰る」と答えた→家族が一番
・日本では組織=システムにウェイトを置き、家庭も同じ経済的システム
→収入も家事も育児も互いに「ちゃんと」やるべき→家庭で安らぐことは難しいかも・・・
・怒りを正当化する人々
→マレーシアでは怒りで人を動かそうとすると自分が損をする
→日本は「叱られるのが当たり前の文化」
→「ちゃんとした基準」でないことを怒りミスを修正して教育してあげようという正義感から
→マレーシアの顧客対応では日本のようなクレーマーに出会った記憶がない
→家族関係に満足している人が多く、多様な人種や宗教で「正しさ」が異なるからでは・・・
→日本の大人社会の上下関係は子ども社会からずっと同じで、それが怒りにつながる
・日本のダメ出し文化(英語のnoteは良い点・悪い点の指摘だが日本ではダメ出しのみ)
→他人の目を気にする繊細な人には厳しい社会
・ミスや失敗に厳しい日本と緩いマレーシア
→厳しい方が便利快適で、緩い方は不便だけど生きるのは楽
→自分も間違えたらダメと思い、心が削られるのがつらいから
・マレーシアは多様な文化の社会で相手を完全に理解することは難しいと肌で知っている
→答えを決めつけない、価値観を押し付けない、ちゃんと、きちんとを要求しない・・・
・迷惑をかけてはいけない日本社会
→気を遣うのはいいが傾向が強まると「弱い立場の人は我慢が当たり前」になる
→日本で子育てしていた際のプレッシャーがマレーシアにはない
・どうにもならないことが当たり前
→迷惑をかけられても怒ったり叱ったりしない「まあいいか」があふれた社会は楽
・2021年の大洪水でのボランティア体験(近所のシク教寺院の無料食堂へ)
→参加資格、受付、分担、シフト・・・すべてがざっくりしていた
→他者への基本的な信頼があると社会のルールは少なくなる
→この寺院でのルールは髪を覆うこととアルコール・タバコの禁止のみ
→様々な宗教の信仰者が多いので「人間は完璧にできない」とゆったりしている
・予定は予定で時間はゴム→沖縄の島時間と同じ→南国共通?
→パンデミックも断水も洪水も生活は大変なのに面白動画のネタにしている
・マレーシアも少しずつ「ちゃんとする」社会に変わりつつあるが、
→緩さについていけず短期間で日本に帰国する人も多い
→完璧か不完全か、考え方や正解はいっぱいあっていいのだと思う・・・
・マレーシアでは人間関係の離脱戦略が簡単→友人を作りやすい
→あまりくっつかず「風船的」で気軽に離脱できる(寂しく感じるケースもある)
→日本の人間関係はぎっしり詰められた「ウニ的」
→狭い社会で距離が近く、お互いの棘が刺さらないよう気を遣っている
→人間関係や友人作りに慎重になる
・マレーシア人は寛容ではなく合理的なだけ?
→民族の排斥、華人の干支の犬飾りとムスリムなどなど・・・
→自分の正義を振りかざすと、すぐに別の正義とぶつかる→それで得られるものは少ない
→多民族なので責めたり怒ったりせず間違いや失敗にも寛容になる
→ちゃんとしていない自分は安心する
・マレーシアの全方位外交
→イスラム協力機構メンバーでイギリス連邦加盟国で一帯一路にも参加・・・
→2018年の政権交代の際も1969年の人種暴動を繰り返してはいけないと慎重になってた
→全てに寛容になるメリットを実感として国民が知っている
・「多様性とは相手を理解すること」と言われるが、実は非常に難しい
→できることは「理解はできないけど放っておく、口を出さない」こと
→Mind your own business(自分のことに集中せよ)→マレーシアで何度も言われた言葉
→自分の責任の範囲に集中し理解できない他人を必要以上に見ないこと
→正解が増えると勝ち組も負け組もなくなり他人の生き方に余計な口を出す人が減る
→自分の人生に集中する人が増えると、ようやく生きやすくなるのではないか
おわりにより
・視野が広がれば正解がわからなくなり、たどり着けなくなる
→マレーシアに来て11年になるが知らないことが増えるいっぽう
・2022年の夏に欧州を廻ったが様々なサービスは日本よりマレーシアに近いと感じた
→これが世界標準で日本のサービスが変わっているのではと書いたら欧州在住者の賛同を得た
・東南アジアに住む人たちからは「日本に旅行に行くのは最高、でも働くのは嫌」
→海外の日本人からも「母国ではもう働きたくないけど、住むだけなら安全快適で安心」
→サービスを受ける側には快適だが、提供する側は厳しい労働環境の日本・・・
・もう少し構成人員がリラックスすれば幸福度の高い社会が作れるのではないか
→安全で完璧なサービスを望む人にはオプションで残せばいい
→幸福度の高い生き方は外国の「いいとこ取り」をすればいい
・マレーシアは英語が通じ外国人が働きやすいが、宗教を中心とした民族コミュニティも健在
→友人の敬虔なマレー系ムスリムは子どもをドイツなどに留学させている
→グローバルとローカルも、いいとこ取り、ハイブリッド、グレーゾーンでいい
→二項対立ではない
・日本の良さを残しつつ、みなが楽になっていくことが実現できれば・・・
ちなみにわたくし98kは昔から・・・
まあいっか・てきとー・とーとつをモットーに暮らしてましゅが・・・
2023フラッシュ光ボルネオツアーのご案内はこちらの記事の末尾です
まあいっか・・・

東南アジア式「まあいっか」で楽に生きる本・・・であります
裏表紙カバー

表紙カバー裏にあった惹句

東南アジアでの暮らしぶり、特に働き方については、わたくしの昨年末バンコクでの思い
と見事に一致してて、大いに納得しました
やはり日本の働き方よりマレーシアなどの働き方の方が世界標準に近いようです

裏表紙カバー裏にあった著者紹介

奥付

例によって目次のみ



以下、ランダムに読後メモから抜粋・・・
1章より
・1990年代は東南アジアの若者と話をしていても「日本で働きたい」が多かった
→2010年頃には「日本に行くのは好きだけど日本で働くのは嫌」になってきた・・・
・GDPや安全度、健康寿命などを考慮に入れない幸福度調査が海外に住む自分の実感に近い
・2021年秋に行われたマレーシア統計局の「幸福度調査」(11州42246人)
→パンデミックや経済危機にもかかわらず全体的に幸福を感じていた
→日本より不平等なのに階層、民族、年齢層、性別、学歴、婚姻状況で有意なギャップがない
・英国バーキー財団の2017年の若者調査で1位だったインドネシアは幸福度が90%
→先進国より発展途上国の若者の方が幸福度は高い
→ヨーロッパの若者は世界平均レベル
→18位のトルコで50%
→韓国と日本が「最も不幸」で29%と28%
・CNBCの2021年「住みやすさランキング」(駐在員12000人を対象に57都市を比較)
→1位はクアラルンプール、東京は53位で最下位に近い
→東京の方が交通網、環境、経済などで勝るはずなのに「住み着きやすさ」では最下位
→外国人には親切だがコミュニティには受け入れてくれないから
・日本では子育て世代は少数派→社会から分断されている→子育てがしにくい
・マレーシアは日本より不平等だが言語や学校や仕事がバラバラで他人と比べる意味がない
→「正しさ競争」をしていない、ちゃんとしない人(子ども)を受け入れる、親が楽しむ・・・
→人もインフラも役所もちゃんとしていないが他人に期待し過ぎず自分の責任で行動している
・マレーシアでは社会も予定も急に変わる→まあいっかで適当にやらないとストレスになる
→背景のある移民や難民も多く、自分の常識や礼儀を押し付ける暴力性に気づかされた
→日本では家でも職場でも、ちゃんと、きちんと、笑顔で、が求められる
・日本の完璧主義でいくか、世界スタンダードに近い80%主義でいくか・・・
→スローリー、スローリー、ラーニング
2章より
・緻密さ完璧さの日本製品は昔は東南アジアのお手本だった
→潮目が変わったのは2000年代の中頃
→技術が進み製品の部品数が減り時代はソフトウェアに
→日本の顧客が求める(過剰)高品質は世界では売れなくなった→亀山モデルの例
・アジアに原材料や製品を発注しているのは日本だけではない
→クレームが多く発注が安定しない日本メーカーは切られる
・アジア航路の北東端にあり小規模港が多い日本はコンテナ船コストがかかるので抜港される
・製造業だけでなくサービス業にも完璧が求められる日本
→マレーシアでは学校でも病院でもスタッフにクレームの多い保護者や患者は切られる
→日本のコンビニやレストランでの接客は働く側の安い給料に釣り合っていない
→マレーシアでは高級店のみ→賃金以上のサービスはしない
→ちゃんと、きちんと、は人によって基準が違うので全て詳細な契約による(日本は逆)
・日本は時間や計画に正確で中国やマレーシアはフレキシブルだが最終的にどちらでも回る
・東南アジアの会社のチームワークの良さと日本の会社の和の重視の違い
・日本の序列競争、細かい差別待遇、謝罪の儀式、反省文・・・
3章より
・マレーシアには様々な宗教・民族の人が住み結論が異なる→答えはたくさんある
→学校も様々で転校も多い
→他人と比べなくていい→自分で自分の道を選択することになる
→重要なのは他人の選択に口を出さないこと→多様性を認め合う社会を生きる上での知恵
(この章のメインである教育制度や教育論のメモは、いずれ別の機会に)
4章より
・日本よりGDPが低く貧富の差も激しく犯罪も多いのに幸福度が高いのはなぜか
→とくにティーンエイジャーが精神的に落ち着いている
→自閉症の障害もマイルドで穏やか→社会の許容量の問題ではないか
→多国籍文化で自閉症も文化の一つとして受け入れ、多少の違いは気にしない優しさ
→外国人は日本のマナーの良さに驚嘆するが、ついていけない人も出てくる
・マレーシア人の幸福度には家族、宗教と精神、健康が重要な要素で、お金はあまり関係ない
→日本語学校で「お金と休みがたくさんあればどこへ行きたいか」と授業で訊いたら、
→マレー系の生徒ほぼ全員が「実家に帰る」と答えた→家族が一番
・日本では組織=システムにウェイトを置き、家庭も同じ経済的システム
→収入も家事も育児も互いに「ちゃんと」やるべき→家庭で安らぐことは難しいかも・・・
・怒りを正当化する人々
→マレーシアでは怒りで人を動かそうとすると自分が損をする
→日本は「叱られるのが当たり前の文化」
→「ちゃんとした基準」でないことを怒りミスを修正して教育してあげようという正義感から
→マレーシアの顧客対応では日本のようなクレーマーに出会った記憶がない
→家族関係に満足している人が多く、多様な人種や宗教で「正しさ」が異なるからでは・・・
→日本の大人社会の上下関係は子ども社会からずっと同じで、それが怒りにつながる
・日本のダメ出し文化(英語のnoteは良い点・悪い点の指摘だが日本ではダメ出しのみ)
→他人の目を気にする繊細な人には厳しい社会
・ミスや失敗に厳しい日本と緩いマレーシア
→厳しい方が便利快適で、緩い方は不便だけど生きるのは楽
→自分も間違えたらダメと思い、心が削られるのがつらいから
・マレーシアは多様な文化の社会で相手を完全に理解することは難しいと肌で知っている
→答えを決めつけない、価値観を押し付けない、ちゃんと、きちんとを要求しない・・・
・迷惑をかけてはいけない日本社会
→気を遣うのはいいが傾向が強まると「弱い立場の人は我慢が当たり前」になる
→日本で子育てしていた際のプレッシャーがマレーシアにはない
・どうにもならないことが当たり前
→迷惑をかけられても怒ったり叱ったりしない「まあいいか」があふれた社会は楽
・2021年の大洪水でのボランティア体験(近所のシク教寺院の無料食堂へ)
→参加資格、受付、分担、シフト・・・すべてがざっくりしていた
→他者への基本的な信頼があると社会のルールは少なくなる
→この寺院でのルールは髪を覆うこととアルコール・タバコの禁止のみ
→様々な宗教の信仰者が多いので「人間は完璧にできない」とゆったりしている
・予定は予定で時間はゴム→沖縄の島時間と同じ→南国共通?
→パンデミックも断水も洪水も生活は大変なのに面白動画のネタにしている
・マレーシアも少しずつ「ちゃんとする」社会に変わりつつあるが、
→緩さについていけず短期間で日本に帰国する人も多い
→完璧か不完全か、考え方や正解はいっぱいあっていいのだと思う・・・
・マレーシアでは人間関係の離脱戦略が簡単→友人を作りやすい
→あまりくっつかず「風船的」で気軽に離脱できる(寂しく感じるケースもある)
→日本の人間関係はぎっしり詰められた「ウニ的」
→狭い社会で距離が近く、お互いの棘が刺さらないよう気を遣っている
→人間関係や友人作りに慎重になる
・マレーシア人は寛容ではなく合理的なだけ?
→民族の排斥、華人の干支の犬飾りとムスリムなどなど・・・
→自分の正義を振りかざすと、すぐに別の正義とぶつかる→それで得られるものは少ない
→多民族なので責めたり怒ったりせず間違いや失敗にも寛容になる
→ちゃんとしていない自分は安心する
・マレーシアの全方位外交
→イスラム協力機構メンバーでイギリス連邦加盟国で一帯一路にも参加・・・
→2018年の政権交代の際も1969年の人種暴動を繰り返してはいけないと慎重になってた
→全てに寛容になるメリットを実感として国民が知っている
・「多様性とは相手を理解すること」と言われるが、実は非常に難しい
→できることは「理解はできないけど放っておく、口を出さない」こと
→Mind your own business(自分のことに集中せよ)→マレーシアで何度も言われた言葉
→自分の責任の範囲に集中し理解できない他人を必要以上に見ないこと
→正解が増えると勝ち組も負け組もなくなり他人の生き方に余計な口を出す人が減る
→自分の人生に集中する人が増えると、ようやく生きやすくなるのではないか
おわりにより
・視野が広がれば正解がわからなくなり、たどり着けなくなる
→マレーシアに来て11年になるが知らないことが増えるいっぽう
・2022年の夏に欧州を廻ったが様々なサービスは日本よりマレーシアに近いと感じた
→これが世界標準で日本のサービスが変わっているのではと書いたら欧州在住者の賛同を得た
・東南アジアに住む人たちからは「日本に旅行に行くのは最高、でも働くのは嫌」
→海外の日本人からも「母国ではもう働きたくないけど、住むだけなら安全快適で安心」
→サービスを受ける側には快適だが、提供する側は厳しい労働環境の日本・・・
・もう少し構成人員がリラックスすれば幸福度の高い社会が作れるのではないか
→安全で完璧なサービスを望む人にはオプションで残せばいい
→幸福度の高い生き方は外国の「いいとこ取り」をすればいい
・マレーシアは英語が通じ外国人が働きやすいが、宗教を中心とした民族コミュニティも健在
→友人の敬虔なマレー系ムスリムは子どもをドイツなどに留学させている
→グローバルとローカルも、いいとこ取り、ハイブリッド、グレーゾーンでいい
→二項対立ではない
・日本の良さを残しつつ、みなが楽になっていくことが実現できれば・・・
ちなみにわたくし98kは昔から・・・
まあいっか・てきとー・とーとつをモットーに暮らしてましゅが・・・

2023年04月28日
人類学者K
人類学者K・・・

ロスト・イン・ザ・フォレストとゆー本のご紹介であります
前回記事のとおり自宅療養中なので、じっくりと読ませていただきました
表紙カバー裏にあった惹句

裏表紙カバー裏にあった著者紹介

奥付

目次

舞台となるマレーシア・ボルネオ島・サラワク州北東部の略図
(掲載に問題があれば削除します)

そう、わたくしが2017年の植林ツアーでメリナウ川の居住地を訪れたプナンの人たちの中でも
さらに奥地のブラガ川上流域に暮らす人たちを中心に、その暮らしぶりや世界観を長年にわたり
調査研究されている奥野克巳教授(人類学者K)の体験記です
(ちなみにサラワク州クチン在住のN嶋さんによると、メリナウ川の居住地のプナンの人たちは、
1970年代の英国地質学会のムル洞窟調査時にポーターなどとして雇われたことがきっかけで、
周辺に住むようになり、その後、政府支援の定住化政策でロングハウス建設や農業指導などが
行われたとのことでした。情報ありがとうございました)
上記リンク記事にも書きましたが、ボルネオ島の熱帯雨林では川沿いの焼畑や漁労で暮らす
川の人(オラン・スンガイ)と、森で暮らす森の人(オラン・ウータン)以外にも、少数ですが
森を移動して狩猟採集で暮らしていた人たちもいて、そのひとつがプナンの人たち・・・
定住するまでのプナンの暮らしについて、はじめて知ることも多く、驚きの連続でしたが、
惹句にもあるとおり小説のような体験記で、読み物としても面白かったです
箸休めのインタールードも、ジャカルタの安宿で飲み続けたフレディ・マーキュリーの曲に
出てくるシャンパン
、別れた彼女に書き続けたクリフォード・ブラウンやカミュ、ゴダール
、
自分がバックパッカーになるきっかけになった美人生物教師の厚い唇
など、興味津々でした
以下、わたくしが詳しく知らなかった部分のみの読後メモです
・ボルネオ島低地の混交フタバガキ林は、林床の草本層、花を咲かせる低木層、10m以上の
亜高木層、林冠を形成する高木層、60~70mに達する突出木層から構成される「空中の階層」
→上空から階層の高所を訪れる「トリたち」、地面から樹上まで階層を上下する「サルたち」、
高所で行われていることを地上から想像する人間、の三者で織りなされる森の世界
・ブラガ川上流域の森に住む狩猟採集民プナンはその世界を手に取るように眺めている
→Kは驚くべきことだと思った
・プナンは焼畑耕作民イバンとはまったく異なる独自の世界観を持っている
→狩りで死んだ動物には人間には使わない忌み名を使う
→彼らにサルという分類言語はなくマメジカやヒゲイノシシと同じ「動物」のみ
→フタバガキ林に住むサル5種は判別するが木に登る動物という共通性を感じているのは確か
・オオミツバチが来たら(開花・結実で動物が集まるので)狩猟の準備を始める
→ボルネオでは開花・結実の季節性がなく特定の場所で一斉に開花・結実するから
・1980年代の初頭までノマド(移動狩猟採集民)として暮らしてきた
・死者が出るとその場所に埋めて移動し、生前に使っていたものは焼き尽くす
(定住後でも死者の愛用品は全て取り去られ、居場所は完全に模様替えされていた)
→死者の実在も生前の実存もすべて否定する
→死者を祖先として祀る日本人とはまったく逆の習慣
→死者の名は決して口にしない
→死者の家族は自分たちの名前も一時的に変えて心を落ち着かせる
→体、魂、名の三要素を持つのは生身の人間と犬だけ(カミに体はなく赤ん坊に名はない)
・死者を思い出し耐えられなくなったときにノーズフルート(鼻笛)を奏でる
→鼻からの息の出し入れによる音色は死者と生者の交歓そのもの
→ノーズフルート(鼻笛)は死者と生者を繋げるシャーマン
・無文字社会で伝承されない過去は儚く消えていく→過去に深度はない
→過去を振り返らない→過去の過失に対する反省も謝罪もない
(森林伐採の賠償金を頭金にローンで買った四輪駆動車と、それで獲ったヒゲイノシシと、
その肉を町に売りに行った収入の関係などなど・・・)
・狩猟や用事での失敗も、その後の話し合いで個人を追及したり庇ったりすることは一切なく、
あまり期待できないと思われる適当な善後策が立てられるだけ
→Kの育った日本にも反省しない腹立たしい人はいたが、共同体として反省しない事態はなかった
・人類にとって反省する文化の誕生の意味とは・・・
→プナンの過去の描き方は絶対的な時間軸ではなく相対的な位置づけ
→それなら過去の行いを振り返って反省することが存在しないのも当たり前か・・・
・プナンの子どもたちに将来の夢や仕事を聞いても、誰も意味が分からず答えられない
→未来にも時間軸を伸ばし将来の自分を想像することは及びもつかないこと
→プナンにとっては過去と同じく未来もつかみどころのないもの
→未来への漠然とした不安のようなものはプナンにもあるが、未来を描くのは個人の意思
→ありのままの時間性を歪めることによってしか未来は想像し得ないから
・プナンの時間性は、季節性の希薄なボルネオ島の熱帯雨林の中を移動するという、
狩猟採集での暮らしによるもの(ブラガ川上流域では1980年代初頭まで)
→生きるうえで時間や暦で生活リズムを管理する必要がなく今日でもカレンダーはない
(Kの予定を書いた卓上カレンダーをはじめて見たプナンの反応は「明日や明後日の手紙」)
→農耕や牧畜では将来の作業に向け時間や暦が必要だがプナンに未来を分かる必要はない
(3日後に再会する約束をした場合は、お互いに枝に結び目を3つ作って毎朝それを解く)
・プナン語でも昔の時(過去)、この時(現在)という表現はあるが、未来は「もし(ダウン)」
→ダウンはマレー語でも名詞「葉っぱ」も意味し、プナン語では「季節」も意味する
→プナンにとっての季節とは不定場所での開花結実の時期で、森が楽園になる時期
→いつどうなるかわからない季節性の象徴である「葉っぱ」で未来をあらわす
→プナンに未来は予期されないし思考の対象でもなく「今とここ」を生きている
・タソン川河口のアブラヤシ・プランテーションで狩猟キャンプした際の現代人とプナンの対比
→毎日の賃金労働で収穫に来る人々と、食べ物が手に入れば後はぶらぶらと過ごす人々
→動き回って富を生み出し、その一部を手に入れる人たちと、自然の中に入り食べ物を取って、
それだけで生きていこうとする人たち
→未来を自らの意思で想像し行動する人たちと、ありのままの時間の中を生きる人たち
→Kはここでは後者のプナン側にいたが、本質的には前者側の現代人
→二者それぞれの生きざま死にざまは、それぞれの時間性に大きく関わっている
・狩猟キャンプでの夜の子どもたちへの語り聞かせ
→動物に託して人間の性格を語ることが多い
・プナンにも個人所有欲があるが生きていくための社会慣習として平等に分け与えている
→最初はKがよそ者だから何でもねだられると思ってたがプナン同士でも同じだった
→無所有が絶対的価値で、持つ者にねだるプナンと分け与えるプナンに分かれる
→分け与えられても(過去になるから?無所有が基本だから?)感謝は一切ない
→悪いヤマアラシ(自分だけ金持ちに)と良いマレーグマ(尻尾を分け与えた)のハナシ
・プナン語の懐中電灯pisit
などはマレー語からの借用語だろうが「損得」も外来語だろう
→損得はシェア原理で暮らす中にはなく、交換行為、蓄え、貨幣価値で発生するもの
→銃による猟に失敗すれば「銃弾(1発15リンギット450円!!!)を損した」というが、吹き矢猟で
失敗しても「毒矢を損した」とはいわない
→毒矢の材料が全て森にあるので損得勘定が入る余地がないから・・・
(材料は無料でも、それを探して作る手間はかかるので、銃弾と同じく毒矢も損しているはず、
と思ったわたくしは現代人で、手間に要する時間を食べるために働く労働時間と認識したから、
でも労働時間という感覚がなければ現代人の趣味や娯楽の時間と同じで損得はないのか
)
→糧と財が無尽蔵に出てくる森は、プナンにとって損得で計られるものではない
・フィールドワークで聞き取ったプナンの神話や動物譚は100近くある
→カメとマメジカ、貝とマメジカの競争の話→集団は個に勝るという集団優先の話?
→マメジカとマレーグマの競争の話→別の機会には狡知に長けたマメジカが勝つこともある
・人間と動物の地上世界と、動物(の魂?)とカミの天空世界の二層構造
→動物を食べる以外でないがしろにすれば、その魂の告げ口により地上は嵐になる
→動物を食べて生きるプナンは不完全なアミニズムを生きる
・40年前までにノマドを経験したプナンは、概して今の定住暮らしのほうがいいというが、
インスタントラーメンや缶詰で太って病気で死ぬようになったので森に戻るべきとも
・レプトスピラ症(感染した齧歯類の尿を含む川の水などから経口経皮感染する)
→2008年のサバ州エコチャレンジで感染が報告されたが選手は川で水浴びしただけだった
→死亡報告はないが感染リスクがある旅では予防薬ドキシサイクリン200mgを週1回服用する
→この年はサラワク州でも流行していてKも感染した
→アレクサンダー・フレミングのペニシリン!!!で助かったが予防は迂闊だった
→流行地域では不用意に水に入らない、特に洪水の後は入らないことが重要とされている
・コロナ禍で半年ごとの訪問を中止していたが2022年8月に3年ぶりに現地に行った
→1年前から世界的に豚熱ウィルスも流行し現地のヒゲイノシシが死滅していた
→1年前から無料の電気とWiFiが来たがネット情報ではなく日本のエロ動画ばかり見てた
→2021年8月にはクラスターが発生、医師の指示で政府の支援物資を持って森に逃げ込んだ
・アブラヤシ企業の計らいで300人の居住地に10台ほどの四輪駆動車が並んでたのが衝撃的だった
→企業が保証人になり所有者はプランテーションに働きに出るプナンから乗車賃を取って、
毎月のローン返済の一部に充てていた
→以前は賠償金の支払いをビールや生活必需品に消費するだけだったが、プナンを労働者として
組織する方が遠くからの労働者より効率的だと考えたのかも知れない
・車で賃金労働に通い、WiFiでスマホのやりとりをはじめたプナンは今後どうなるか
→プナンの持つ独自の野生思考ロジックで外部のシステムを粉々に破壊するだろうか
→解体して自分たちに合うよう再構築するのがけっこううまいが、今後は誰にも分らない・・・
(エピローグ ロスト・イン・ザ・フォレストより)
・ある時、ジュラロン川のプナンの村に向かった
→アブラヤシの苗や稲がヒゲイノシシに荒らされる獣害が農村でも深刻化していた
(ムスリムへの改宗でヒゲイノシシを食べなくなったから?)
→2年前に焼失したロングハウスは、殆どが都市に働きに出てゴースト・ビレッジ化していた
→ジュラロン川のプナンは古くにウスン・アパウの森を出て焼畑技術を身につけており、
焼畑稲作民イバンとも交わり、近現代の流れに乗っている
(周辺に獣害や出稼ぎ先のないブラガ川上流域のプナンとは異なっている)
→しかしキリスト教やムスリムに改宗していてもカミや動物の忌み名などは同じだった
・狩猟キャンプで忘れ物に気づき取りに行って帰る途中で道に迷った
→4時間近く森をさまよい歩いて自分を見失い、身体中が擦り傷と打撲だらけになった
→最後は借りていたGPSのログ記録とプナンが探しに来てくれたおかげで助かった
→その夜、道に迷うことはよくあることで邪悪な霊のせいだといわれた
これがロスト・イン・ザ・フォレスト・・・

ロスト・イン・ザ・フォレストとゆー本のご紹介であります
前回記事のとおり自宅療養中なので、じっくりと読ませていただきました

表紙カバー裏にあった惹句

裏表紙カバー裏にあった著者紹介

奥付

目次

舞台となるマレーシア・ボルネオ島・サラワク州北東部の略図
(掲載に問題があれば削除します)

そう、わたくしが2017年の植林ツアーでメリナウ川の居住地を訪れたプナンの人たちの中でも
さらに奥地のブラガ川上流域に暮らす人たちを中心に、その暮らしぶりや世界観を長年にわたり
調査研究されている奥野克巳教授(人類学者K)の体験記です
(ちなみにサラワク州クチン在住のN嶋さんによると、メリナウ川の居住地のプナンの人たちは、
1970年代の英国地質学会のムル洞窟調査時にポーターなどとして雇われたことがきっかけで、
周辺に住むようになり、その後、政府支援の定住化政策でロングハウス建設や農業指導などが
行われたとのことでした。情報ありがとうございました)
上記リンク記事にも書きましたが、ボルネオ島の熱帯雨林では川沿いの焼畑や漁労で暮らす
川の人(オラン・スンガイ)と、森で暮らす森の人(オラン・ウータン)以外にも、少数ですが
森を移動して狩猟採集で暮らしていた人たちもいて、そのひとつがプナンの人たち・・・
定住するまでのプナンの暮らしについて、はじめて知ることも多く、驚きの連続でしたが、
惹句にもあるとおり小説のような体験記で、読み物としても面白かったです
箸休めのインタールードも、ジャカルタの安宿で飲み続けたフレディ・マーキュリーの曲に
出てくるシャンパン


自分がバックパッカーになるきっかけになった美人生物教師の厚い唇

以下、わたくしが詳しく知らなかった部分のみの読後メモです
・ボルネオ島低地の混交フタバガキ林は、林床の草本層、花を咲かせる低木層、10m以上の
亜高木層、林冠を形成する高木層、60~70mに達する突出木層から構成される「空中の階層」
→上空から階層の高所を訪れる「トリたち」、地面から樹上まで階層を上下する「サルたち」、
高所で行われていることを地上から想像する人間、の三者で織りなされる森の世界
・ブラガ川上流域の森に住む狩猟採集民プナンはその世界を手に取るように眺めている
→Kは驚くべきことだと思った
・プナンは焼畑耕作民イバンとはまったく異なる独自の世界観を持っている
→狩りで死んだ動物には人間には使わない忌み名を使う
→彼らにサルという分類言語はなくマメジカやヒゲイノシシと同じ「動物」のみ
→フタバガキ林に住むサル5種は判別するが木に登る動物という共通性を感じているのは確か
・オオミツバチが来たら(開花・結実で動物が集まるので)狩猟の準備を始める
→ボルネオでは開花・結実の季節性がなく特定の場所で一斉に開花・結実するから
・1980年代の初頭までノマド(移動狩猟採集民)として暮らしてきた
・死者が出るとその場所に埋めて移動し、生前に使っていたものは焼き尽くす
(定住後でも死者の愛用品は全て取り去られ、居場所は完全に模様替えされていた)
→死者の実在も生前の実存もすべて否定する
→死者を祖先として祀る日本人とはまったく逆の習慣
→死者の名は決して口にしない
→死者の家族は自分たちの名前も一時的に変えて心を落ち着かせる
→体、魂、名の三要素を持つのは生身の人間と犬だけ(カミに体はなく赤ん坊に名はない)
・死者を思い出し耐えられなくなったときにノーズフルート(鼻笛)を奏でる
→鼻からの息の出し入れによる音色は死者と生者の交歓そのもの
→ノーズフルート(鼻笛)は死者と生者を繋げるシャーマン
・無文字社会で伝承されない過去は儚く消えていく→過去に深度はない
→過去を振り返らない→過去の過失に対する反省も謝罪もない
(森林伐採の賠償金を頭金にローンで買った四輪駆動車と、それで獲ったヒゲイノシシと、
その肉を町に売りに行った収入の関係などなど・・・)
・狩猟や用事での失敗も、その後の話し合いで個人を追及したり庇ったりすることは一切なく、
あまり期待できないと思われる適当な善後策が立てられるだけ
→Kの育った日本にも反省しない腹立たしい人はいたが、共同体として反省しない事態はなかった
・人類にとって反省する文化の誕生の意味とは・・・
→プナンの過去の描き方は絶対的な時間軸ではなく相対的な位置づけ
→それなら過去の行いを振り返って反省することが存在しないのも当たり前か・・・
・プナンの子どもたちに将来の夢や仕事を聞いても、誰も意味が分からず答えられない
→未来にも時間軸を伸ばし将来の自分を想像することは及びもつかないこと
→プナンにとっては過去と同じく未来もつかみどころのないもの
→未来への漠然とした不安のようなものはプナンにもあるが、未来を描くのは個人の意思
→ありのままの時間性を歪めることによってしか未来は想像し得ないから
・プナンの時間性は、季節性の希薄なボルネオ島の熱帯雨林の中を移動するという、
狩猟採集での暮らしによるもの(ブラガ川上流域では1980年代初頭まで)
→生きるうえで時間や暦で生活リズムを管理する必要がなく今日でもカレンダーはない
(Kの予定を書いた卓上カレンダーをはじめて見たプナンの反応は「明日や明後日の手紙」)
→農耕や牧畜では将来の作業に向け時間や暦が必要だがプナンに未来を分かる必要はない
(3日後に再会する約束をした場合は、お互いに枝に結び目を3つ作って毎朝それを解く)
・プナン語でも昔の時(過去)、この時(現在)という表現はあるが、未来は「もし(ダウン)」
→ダウンはマレー語でも名詞「葉っぱ」も意味し、プナン語では「季節」も意味する
→プナンにとっての季節とは不定場所での開花結実の時期で、森が楽園になる時期
→いつどうなるかわからない季節性の象徴である「葉っぱ」で未来をあらわす
→プナンに未来は予期されないし思考の対象でもなく「今とここ」を生きている
・タソン川河口のアブラヤシ・プランテーションで狩猟キャンプした際の現代人とプナンの対比
→毎日の賃金労働で収穫に来る人々と、食べ物が手に入れば後はぶらぶらと過ごす人々
→動き回って富を生み出し、その一部を手に入れる人たちと、自然の中に入り食べ物を取って、
それだけで生きていこうとする人たち
→未来を自らの意思で想像し行動する人たちと、ありのままの時間の中を生きる人たち
→Kはここでは後者のプナン側にいたが、本質的には前者側の現代人
→二者それぞれの生きざま死にざまは、それぞれの時間性に大きく関わっている
・狩猟キャンプでの夜の子どもたちへの語り聞かせ
→動物に託して人間の性格を語ることが多い
・プナンにも個人所有欲があるが生きていくための社会慣習として平等に分け与えている
→最初はKがよそ者だから何でもねだられると思ってたがプナン同士でも同じだった
→無所有が絶対的価値で、持つ者にねだるプナンと分け与えるプナンに分かれる
→分け与えられても(過去になるから?無所有が基本だから?)感謝は一切ない
→悪いヤマアラシ(自分だけ金持ちに)と良いマレーグマ(尻尾を分け与えた)のハナシ
・プナン語の懐中電灯pisit

→損得はシェア原理で暮らす中にはなく、交換行為、蓄え、貨幣価値で発生するもの
→銃による猟に失敗すれば「銃弾(1発15リンギット450円!!!)を損した」というが、吹き矢猟で
失敗しても「毒矢を損した」とはいわない
→毒矢の材料が全て森にあるので損得勘定が入る余地がないから・・・
(材料は無料でも、それを探して作る手間はかかるので、銃弾と同じく毒矢も損しているはず、
と思ったわたくしは現代人で、手間に要する時間を食べるために働く労働時間と認識したから、
でも労働時間という感覚がなければ現代人の趣味や娯楽の時間と同じで損得はないのか

→糧と財が無尽蔵に出てくる森は、プナンにとって損得で計られるものではない
・フィールドワークで聞き取ったプナンの神話や動物譚は100近くある
→カメとマメジカ、貝とマメジカの競争の話→集団は個に勝るという集団優先の話?
→マメジカとマレーグマの競争の話→別の機会には狡知に長けたマメジカが勝つこともある
・人間と動物の地上世界と、動物(の魂?)とカミの天空世界の二層構造
→動物を食べる以外でないがしろにすれば、その魂の告げ口により地上は嵐になる
→動物を食べて生きるプナンは不完全なアミニズムを生きる
・40年前までにノマドを経験したプナンは、概して今の定住暮らしのほうがいいというが、
インスタントラーメンや缶詰で太って病気で死ぬようになったので森に戻るべきとも
・レプトスピラ症(感染した齧歯類の尿を含む川の水などから経口経皮感染する)
→2008年のサバ州エコチャレンジで感染が報告されたが選手は川で水浴びしただけだった
→死亡報告はないが感染リスクがある旅では予防薬ドキシサイクリン200mgを週1回服用する
→この年はサラワク州でも流行していてKも感染した
→アレクサンダー・フレミングのペニシリン!!!で助かったが予防は迂闊だった
→流行地域では不用意に水に入らない、特に洪水の後は入らないことが重要とされている
・コロナ禍で半年ごとの訪問を中止していたが2022年8月に3年ぶりに現地に行った
→1年前から世界的に豚熱ウィルスも流行し現地のヒゲイノシシが死滅していた
→1年前から無料の電気とWiFiが来たがネット情報ではなく日本のエロ動画ばかり見てた

→2021年8月にはクラスターが発生、医師の指示で政府の支援物資を持って森に逃げ込んだ
・アブラヤシ企業の計らいで300人の居住地に10台ほどの四輪駆動車が並んでたのが衝撃的だった
→企業が保証人になり所有者はプランテーションに働きに出るプナンから乗車賃を取って、
毎月のローン返済の一部に充てていた
→以前は賠償金の支払いをビールや生活必需品に消費するだけだったが、プナンを労働者として
組織する方が遠くからの労働者より効率的だと考えたのかも知れない
・車で賃金労働に通い、WiFiでスマホのやりとりをはじめたプナンは今後どうなるか
→プナンの持つ独自の野生思考ロジックで外部のシステムを粉々に破壊するだろうか
→解体して自分たちに合うよう再構築するのがけっこううまいが、今後は誰にも分らない・・・
(エピローグ ロスト・イン・ザ・フォレストより)
・ある時、ジュラロン川のプナンの村に向かった
→アブラヤシの苗や稲がヒゲイノシシに荒らされる獣害が農村でも深刻化していた
(ムスリムへの改宗でヒゲイノシシを食べなくなったから?)
→2年前に焼失したロングハウスは、殆どが都市に働きに出てゴースト・ビレッジ化していた
→ジュラロン川のプナンは古くにウスン・アパウの森を出て焼畑技術を身につけており、
焼畑稲作民イバンとも交わり、近現代の流れに乗っている
(周辺に獣害や出稼ぎ先のないブラガ川上流域のプナンとは異なっている)
→しかしキリスト教やムスリムに改宗していてもカミや動物の忌み名などは同じだった
・狩猟キャンプで忘れ物に気づき取りに行って帰る途中で道に迷った
→4時間近く森をさまよい歩いて自分を見失い、身体中が擦り傷と打撲だらけになった
→最後は借りていたGPSのログ記録とプナンが探しに来てくれたおかげで助かった
→その夜、道に迷うことはよくあることで邪悪な霊のせいだといわれた
これがロスト・イン・ザ・フォレスト・・・
2023年04月07日
2023フラッシュ光ツアーの日程決定!!!
とーとつのご報告になりますが・・・
前回記事の宴会の翌々日から1泊で・・・
フラッシュ光・ボルネオ照射ツアー
企画会議?を開催しました
(結論は記事の末尾、ツアーの公式?案内記事はこちらです)
長かったコロナ禍もようやく収束に向かい、5月8日からは帰国時の制限もなくなることだし、
延び延びになってたボルネオ照射ツアー
の実現に向け、今度こそ
真摯な企画会議にして、
具体的な日程を決めましょうと、正午にわたくしの実家に関係者が集合・・・
まずは渡航の安全を祈願するため・・・



航海の守護神でもある住吉大社にお詣りして・・・
見た人に幸せが訪れるとゆー稀少な「モ166」が偶然にも停まってた・・・

旧の紀州街道を渡って・・・幸先がいいなあ
お花見で賑わう住吉公園へ・・・


もちろん、我々は桜花には目もくれず、真摯な企画会議を開催・・・

ぷしゅ、くはあ


ごくごく、ばくばく、んぐんぐ

ぱしゃぱしゃ

ぱしゃぱしゃぱしゃ
「いやあ、サギさんもスズメさんもメジロさんもアップで撮れたし・・・」
「じつに実りのある企画会議でしたねえ・・・ひっく」
「いやいや、これからが真摯な企画会議ですよ」
と、手作り弁当による花見宴会から、ふらふらと実家に戻って・・・





持ち寄りの甘味やフルーツやつまみでタイ焼酎チューハイや缶ハイボールをかぱかぱ・・・
さらに野鳥園ポタ宴会の際に酔った勢いで大量購入してた満州の冷凍餃子を水餃子にして、
暗くなってからも延々と飲み続け、皆さんが完全に出来上がった頃に・・・
いよいよ今回企画会議?のメインである・・・

タイ風チキンカレー鍋の登場であります むひひひ
そう、過日のバンコクの休日で持ち帰ってた数種類のタイカレー・レトルトを使って、
ネットにあったレシピを参考に、てきとーに作ってみたのですが、けっこうイケました!!!
(忘れないうちに基本食材などをメモしておきます)
材料は鶏モモ肉、ナス、パプリカ、竹の子、シメジ、チキンコンソメ、パクチーなど・・・
やはり素材を塩コショウで軽く炒めてから水とコンソメを加え、タイカレーのレトルトで
煮込むのがポイントですね、辛さもマイルドになるし・・・
って、今回は何の宴会だっけ・・・ま、いいか・・・ひっく
しっかし皆さん、花見宴会でしこたま飲んでたのに、よく飲むなあ・・・

まあ、安酒なら冷蔵庫にたっぷりと仕入れてあることだし・・・
とりあえず・・・

持ち寄っていただいた高級な地酒やスパークリングワインはわたくし一人で・・・むひひひ
って、今回は何の宴会だっけ・・・ま、いいか・・・ひっく
と、すっかり夜も更けてから、ようやく関係者の日程調整だけして寝袋に倒れ込み・・・


翌朝のモーニングサービスで真摯な企画会議?を無事に終えた次第 ふう
と、ツアーの詳細や費用などは未定ですが、とりあえず・・・
フラッシュ光・2023ボルネオ照射ツアー
の日程であります
①10月28日(土)に関空や各地の空港を出発、マレーシアボルネオ・サラワク州のクチンへ
②翌日から連日、洞窟や夜のジャングルでのフラッシュライト照射はもちろん、
③熱帯雨林での自然観察や記念植樹、現地の文化や料理なんぞも大いに楽しみ、
④11月5日(日)に帰国する、7泊9日のツアーになる予定です
(5月6日追記)
関空を10月27日(金)の深夜に発ち11月4日(土)の夜に帰国することになりました
(5月12日追記)
公式?案内記事をアップしました!!! 参加希望者は至急連絡をお願いします
4年前の下見ツアーとは別のオススメ・スポットにも案内していただくつもりですが、
今回も現地旅行社のN嶋さんが全て手配してくれるので、参加者は楽しむだけです
なるべく早めに人数確定したいので参加希望や費用などの問い合わせは98kか関係者まで、
コメント欄やDMなどで早めに連絡をお願いします
(平日4日分の年次休暇やパスポートの準備も忘れないようにね!!!)
前回記事の宴会の翌々日から1泊で・・・
フラッシュ光・ボルネオ照射ツアー

(結論は記事の末尾、ツアーの公式?案内記事はこちらです)
長かったコロナ禍もようやく収束に向かい、5月8日からは帰国時の制限もなくなることだし、
延び延びになってたボルネオ照射ツアー


具体的な日程を決めましょうと、正午にわたくしの実家に関係者が集合・・・
まずは渡航の安全を祈願するため・・・



航海の守護神でもある住吉大社にお詣りして・・・
見た人に幸せが訪れるとゆー稀少な「モ166」が偶然にも停まってた・・・

旧の紀州街道を渡って・・・幸先がいいなあ

お花見で賑わう住吉公園へ・・・


もちろん、我々は桜花には目もくれず、真摯な企画会議を開催・・・

ぷしゅ、くはあ


ごくごく、ばくばく、んぐんぐ

ぱしゃぱしゃ

ぱしゃぱしゃぱしゃ
「いやあ、サギさんもスズメさんもメジロさんもアップで撮れたし・・・」
「じつに実りのある企画会議でしたねえ・・・ひっく」
「いやいや、これからが真摯な企画会議ですよ」
と、手作り弁当による花見宴会から、ふらふらと実家に戻って・・・





持ち寄りの甘味やフルーツやつまみでタイ焼酎チューハイや缶ハイボールをかぱかぱ・・・
さらに野鳥園ポタ宴会の際に酔った勢いで大量購入してた満州の冷凍餃子を水餃子にして、
暗くなってからも延々と飲み続け、皆さんが完全に出来上がった頃に・・・
いよいよ今回企画会議?のメインである・・・

タイ風チキンカレー鍋の登場であります むひひひ

そう、過日のバンコクの休日で持ち帰ってた数種類のタイカレー・レトルトを使って、
ネットにあったレシピを参考に、てきとーに作ってみたのですが、けっこうイケました!!!
(忘れないうちに基本食材などをメモしておきます)
材料は鶏モモ肉、ナス、パプリカ、竹の子、シメジ、チキンコンソメ、パクチーなど・・・
やはり素材を塩コショウで軽く炒めてから水とコンソメを加え、タイカレーのレトルトで
煮込むのがポイントですね、辛さもマイルドになるし・・・
って、今回は何の宴会だっけ・・・ま、いいか・・・ひっく
しっかし皆さん、花見宴会でしこたま飲んでたのに、よく飲むなあ・・・

まあ、安酒なら冷蔵庫にたっぷりと仕入れてあることだし・・・
とりあえず・・・

持ち寄っていただいた高級な地酒やスパークリングワインはわたくし一人で・・・むひひひ
って、今回は何の宴会だっけ・・・ま、いいか・・・ひっく
と、すっかり夜も更けてから、ようやく関係者の日程調整だけして寝袋に倒れ込み・・・


翌朝のモーニングサービスで真摯な企画会議?を無事に終えた次第 ふう
と、ツアーの詳細や費用などは未定ですが、とりあえず・・・
フラッシュ光・2023ボルネオ照射ツアー

①10月28日(土)に関空や各地の空港を出発、マレーシアボルネオ・サラワク州のクチンへ
②翌日から連日、洞窟や夜のジャングルでのフラッシュライト照射はもちろん、
③熱帯雨林での自然観察や記念植樹、現地の文化や料理なんぞも大いに楽しみ、
④11月5日(日)に帰国する、7泊9日のツアーになる予定です
(5月6日追記)
関空を10月27日(金)の深夜に発ち11月4日(土)の夜に帰国することになりました
(5月12日追記)
公式?案内記事をアップしました!!! 参加希望者は至急連絡をお願いします
4年前の下見ツアーとは別のオススメ・スポットにも案内していただくつもりですが、
今回も現地旅行社のN嶋さんが全て手配してくれるので、参加者は楽しむだけです
なるべく早めに人数確定したいので参加希望や費用などの問い合わせは98kか関係者まで、
コメント欄やDMなどで早めに連絡をお願いします
(平日4日分の年次休暇やパスポートの準備も忘れないようにね!!!)