ボルネオ

2025年02月07日

地球グルメ大図鑑とブデチゲ考察?

ええ、まずは・・・

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地球グルメ大図鑑~世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味~のご紹介から


裏表紙

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奥付

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そう、

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こんな注意書きのある大図鑑であります わくわく


目次

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米国の項では51州すべて、さらには南極の各基地グルメまでありましたが・・・

まずは目次のアジア→東アジア→日本の項にあったグルメ?をメモ

・竹のウォータースライド(流しそうめん)

・鉄道駅のごちそう(200種類の駅弁を揃える
東京駅の駅弁屋)

・伝統の職人技が光るぺろぺろキャンディ(飴細工)

・寿司の元祖(琵琶湖のふなずし)

・エンタメ・レストラン(主役が料理ではない飲食店)

・海軍カレー(日本のカレーライス)

・洋食(日本生まれの西洋料理)
→ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、サンド、タコライス

・渋柿を甘くする技(干し柿)

・高級フルーツ(企業の夏冬2回の贈答競争で繁栄を謳歌しているフルーツ)
→でんすけすいか、太陽のタマゴ(マンゴー)、美人姫(イチゴ)、ルビーロマン(ブドウ)、夕張キング(メロン)

・相撲力士の鍋料理(ちゃんこ鍋)

・巨大な稲わらの構造物(わらアート)
(グルメではないけど食材に関する珍しいモノつーことでしょうね)

各項目に説明、写真、由来、レシピなどがあり、実際に現地で体験する方法も書いてあって、
食べ歩きガイドブックとしても使えるようになってました


と、世界中のグルメ?が紹介されてましたが、特に琴線に触れた項目から・・・

・正真正銘のモンゴル式バーベキュー「ボードグ」
→モンゴルの戦士は馬で移動するので重い調理器具を持ち運ぶのは不可能だった
→そんな遊牧生活に適した調理法として彼らは動物の体を調理器具として使った
→山羊やマーモットの腹から肉と骨と内蔵を取り出し肉(肝臓と腎臓を含む)にスパイスをふり、
熱く焼いた石と野菜と一緒に詰め戻し穴を塞ぎ直火で焼く
→焼け残った毛をナイフでこそげ落とし2時間ほどで首の穴から脂が滴るようになったら食べ頃で、
腹が大皿の役割も兼ねている
→チンギス・ハンも
ボードグで勝利の宴会をしていた(モンゴルシェフ連盟会長談)

まさに調理器具の要らない究極のアウトドア料理で、わたくしの大好きなモンゴル料理
羊の石焼きの原点だったんですね、調理器具はミルク缶を使ってましたが(98k談)


・米軍基地で生まれた鍋物ブデチゲ(韓国)
→今や韓国で一番人気を誇るフュージョン料理
→部隊鍋を意味するブデチゲは米国人が捨てた食料から生まれたものだった
→残飯から生まれた米国帝国主義の名残を屈折した形で伝える一品となった
朝鮮戦争中のソウル市民は食料不足で米軍基地のゴミ箱から缶詰の豆、チーズ、
スパム、
ハムなど加工食品の残飯を集めてキムチ、野菜、インスタント麺と一緒に鍋へ
→朝鮮戦争後も米国製品の規制は続き、米軍基地の食材を扱う酒保闇市が増えた
(多くの市民には米国産の加工肉が唯一の手が届く肉だった)
→1980年代に米国製品の規制が撤廃されブデチゲは人気の大衆料理として進化した
→とりわけ大学周辺に多いが高級地区にもブデチゲに特化したレストランがある・・・

(で、大好きなブデチゲの考察?)
わたくしは、韓国軍兵士が米軍経由のスパムなどの缶詰とキムチやインスタント麺などを
ひとつの鍋に入れて、
部隊の仲間で一緒に食べてたのを懐かしみ、退役後にも仲間と再現、
それがやがて貧乏学生から一般市民に拡がったと理解してたのですが本書のような説もあり、
ホントはどうだったのか(ヒマなので)考察?してみました

①ブデチゲの基本食材はスパムなどの加工肉とキムチと
スープ別添のインスタント麵だけど、
スープ別添の袋麺は1962年の明星食品と東洋水産が世界初なので、今のスタイルで初めて
食べられたのは、いくら
早くても1962年以降になるはず
(ちなみに朝鮮戦争時なら1950年~53年、戦後もっとも古いとされるインスタント
麺の記録
(第一次
南極観測隊に採用された「長寿麺」)でも朝鮮戦争から3年後の1956年)

②さらに
インスタント麵の海外への本格的な輸出はベトナム戦争の拡大(1968年)以降とされ、
それまでは在外邦人向けが中心、
アジア各国に急速に出回ったのもこれ以降のはず

③ただし明星食品が韓国に製造プラントを輸出したのは、
スープ別添の翌年1963年なので、
それ以降なら韓国にスープ別添のインスタント麵が普及していた可能はある

④以上から、韓国軍兵士がブデチゲとして食べたのは朝鮮戦争当時ではなくベトナム戦争当時、
おそらくは1968年以降で早くても1963年以降に、米軍経由のスパム缶詰と自前のキムチと
スープ別添のインスタント麵を鍋に入れて部隊仲間とひとつの鍋をつつきあったのがルーツ、
と考えるほうが妥当ではないか・・・
と推察したのですが、いかがでしょう?

(ちなみにブデチゲ以前の韓国では一人鍋が基本で、ひとつの鍋を分けあって食べるのは、
日本人と同じ下品な食べ方だったので、当時の大人たちからは軽蔑されてたとか)

まあ、スパムなど缶詰の加工肉、白菜キムチ、スープ別添の袋麺、あとは玉ねぎなどの
常温保存できる具材があればクーラーボックスがなくても、どこでも鍋宴会が楽しめて、
お腹いっぱいになりますから、わたくしもブデチゲとしての存在を知るずっと以前から
似たようなキャンプ鍋を楽しんでたので、諸説があるのも当然かも知れませんね


閑話休題

わたくしの琴線に触れた項目を続けます・・・

・香辛料のコニャック・XO醤(香港)略

・平壌冷麺と大同江醸造所の7種類のビール(北朝鮮)略

・ブルネイのアンブヤット(サゴヤシの樹幹から取った粉をゼラチン状にしたもの)略

・ボルネオ島サバ州にしかないバンバンガン(オニオンスープ味のマンゴー)略

・ある独裁者の推し麺(タイのパッタイ)
→独裁者が1939年に国名をシャムからタイにするなど制定した国家規則のひとつがパッタイ
→コメの消費量を抑えるため麺類を奨励しパッタイのレシピと屋台を普及させ他の屋台を禁止した
→ライスヌードルは中国人がタイに持ち込んだとされるがパッタイはタイの国民食になった

・ジンバブエのモパネワーム(蛾の幼虫で10cmになる)
→タンパク質の含有量は牛肉の3倍、旨みはよく焼いたステーキと評される
→熟練した摘み手なら1日に25~50キロは採集できる
→内臓を指で絞り出して天日干し、好みで燻製、炙り焼、酢漬け、フライに
→モパネの葉3キロで1キロのモパネワームが育てられるので牛肉よりサスティナブル

・オーストラリア軍のFRED
→1940年代初頭に導入され缶切り・栓抜き・スプーンの機能を持つがスプーンが小さい
→Field Ration Eating Deviceの略だがFucking Ridiculous 
Eating Device(クソばかげた食器)とも
→2020年現在も軍の配給パックに標準装備されている(←なぜか持ってます)

・ガンパウダーラム(ニュージーランド)
→18世紀の英国海軍の水兵は毎日支給されるラム酒を火薬に垂らし火をつけて確認していた
→湿った火薬が燃えれば充分なアルコール濃度のラム酒と証明された(プルーフの起源)
アルコール濃度57%がネイビーストレングス(海軍の強さ)とされ燃えるかどうかの分かれ目
→オマージュとして誕生した
ガンパウダーラムは51.6%でネイビーストレングスに近い

・パイソンのペミカン(カナダ)
→パイソンの肉を焚火で乾燥させてから細かく挽き獣脂と混ぜる
→1ポンド(454g)あたり3500㌔㌍あり10年は常温保存できたので探検隊にも使われた
→ビーバー猟の必需品となりミシシッピ川北側のパイソンはほぼ絶滅した
→ペミカンは今もカナダのスーパーマーケットで購入できる

・クロンダイクの生活物資リスト(カナダ・ユーコン準州)
→1896年に
クロンダイクで金鉱が発見され北米各地から人々が殺到した
→ユーコン準州は不毛地帯だったので1年分の食料を持参するよう法律で定めていた
→キャンプ用品を含めると900kgになったので小分けにして何度も往復して持ち込んだ

で、カナダ最大だった百貨店の1898年発行カタログから1年間に必要な食料品と日用品のリスト
(著作物の一部なので公開に問題があれば非公開設定にします)

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いやあ、じつに興味深い内容です
食料のメインは小麦粉とベーコンで砂糖、豆、ロールドオーツも大きな比重を占めてますね
で、このリスト合計で600kg弱ですからキャンプ道具や衣類などが300kg強つーことになります
水や燃料は現地調達でしょうが必需品のラム酒やバーボンはどうしてたんだろ???


・南極観測基地の食生活(中国の長城基地など各国は略)
→日本の昭和基地では屋外での食事会が恒例でメニューは「流しそうめん」
→本来は半分に割った竹にそうめんを流すが南極では氷山に水路を掘って流す
→リュージュのコースを選手ではなくそうめんが滑る様子を想像してほしい


とか、料理や食材だけでなく食に関するエピソードも満載で大いに楽しめました



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2024年12月11日

エコプロ2024土産のリベリカ珈琲!!!

ま、正確には・・・

エコプロ2024に出展されてたボルネオ熱帯雨林再生プロジェクトのブースで販売されてたのを
植林ボランティア仲間のS田さんが買ってきてくれた土産でありますが・・・


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そう、

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ボルネオ島サラワク州サバル森林保護区などで、同
プロジェクトが村人たちと育成している
稀少種のコーヒーなのでありますね

熱帯雨林の保護や再生のためにも現地で暮らす人たちの生活が豊かになることが重要で、
このプロジェクトのように村人を主体にした持続可能な混農林業(アグロフォレストリー)を
着実に育てていくことも、フェアトレードやエコツーリズムと並んで、自然との共生に繋がると、
わたくしも考えています


皆さんも身近にできることから、何かはじめていただければ・・・

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P.S
それにしても・・・今回わざわざ京都から東京のエコプロ2024まで行かれたS田さん、

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わたくし用に6パックも買ってきてくれてありがとうね!!!

えっ、うち5パックはフラッシュ光メンバーに渡す分だっけ???

ま、次回の宴会もとい企画会議まで、手つかずで残るのかどーだか・・・げひげひ



m98k at 19:19|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2024年11月20日

エコプロ2024ボルネオ熱帯雨林再生プロジェクト出展のご案内

(期間限定)11月23日ライトOFF会へのお誘い記事はこちらです

で、当記事も期間限定のお知らせになりましゅが・・・

今年も12月4日から東京ビッグサイトにてエコプロ2024が開催されます

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わたくしも及ばずながら応援しているNPO法人「ボルネオ熱帯雨林再生プロジェクト」
今年も出展されますので、当サイトでも案内しておきます



・エコプロ2024の会期

→12月4日(水)~6日(金) 10:00~17:00


・エコプロ2024の会場

→東京ビッグサイト東4・5・6ホール


ボルネオ熱帯雨林再生プロジェクトのブース

→東5ホール奥にあるNPO協働プラザN-06(下記参照)


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入場無料ですが事前登録制なので行かれる方は公式ウェブサイトから事前登録して下さい

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現地ボルネオ島サラワク州クチンからは酒井理事長や鍋嶋副理事長も来日され、ブースで
歓迎してくれるようですし、サバル森林保護区などで住民たちと苦労して育てたコーヒー
収穫できたようで、当日はドリップパックでの販売も予定されてるとのことです

わたくしの参加していた植林ボランティア団体N.GKSも、昔はエコプロに出展してたのですが
幹事の高齢化で今や休眠状態、今回は若い人たちや働き盛りの人たちに
植林ボランティアはじめ、
アグロフォレストリー(混農林業)、フェアトレード、エコツーリズムへの関心を
持ってもらえる
とてもいい機会だと思います
エコプロに参加される方は是非N-06ブースも訪ねてみてくださいね!!!

そう、98kさんのサイトを見たと言えば、ひょっとしていいことが・・・



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2024年10月08日

皇紀3千年「実論夢想」

とーとつですが本日・・・

わたくしも手伝っていた海外植林ボランティア団体N.GKS(もと緑の協力隊・関西澤井隊)の
澤井代表に関する2冊目の本が、3年前の「アッと驚く! 90歳」に続いて出版されました
(N.GKS
関係者には、いずれ郵送などで届くはずです)


皇紀3千年(西暦2340年)「実論夢想」

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表紙カバーは1993年シリア・パルミナ遺跡にて



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裏表紙カバーは冬の大三角形とオリオン座・・・眼下蒼天


奥付

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産経新聞生活情報センター 2024年10月8日 第1刷発行


著者紹介

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共著になってますが「アッと驚く! 90歳」の著者である藤本氏が、前後足掛け5年間にわたり、
ほぼ月2回のペースで行った澤井代表へのインタビューと、澤井代表が保管している膨大な
過去資料から、歴史事実や澤井代表の生き方や考え方を引用しつつ、日本や世界の現状分析と
今後300年にわたる将来展望について、分かりやすくまとめられた本であります

1931年生まれの澤井代表にとって、紀元といえばキリスト紀元ではなく神武紀元(皇紀)であり、
子どもの頃に迎えた紀元2600年(1940年)の300年前の日本は江戸時代前期、その頃の人たちの
何人が300年後の日本を想像できたであろうか、今の政治家はじめ何人が300年後へのビジョンを
持っているのか、自分は300年後の皇紀3000年に向けて実論による夢想を藤本氏に語ったと・・・

膨大な資料をアナログ整理して保存、それらに関する記憶が90歳を超えても正確に残っていて、
それを最新の日本や世界の情勢と結びつけて主張する澤井代表も凄いですが、5年間にわたる
インタビューの膨大なメモを整理して資料と照合のうえ、それらを引用して最終的に自分の
文章としてまとめ上げた藤本氏の聞き手としての能力も筆力も凄いと感心しました


例によって目次の紹介

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特に地熱発電についての現状、
商業ベースに乗る熱源の資源量(2300万kw)は世界3位なのに
発電設備が世界10位(49万kw)まで落ちたのは、
目先の利益追求という浅はかな企業論理とか、
政府支援の打ち切り(1990年代)とか、温泉街の反対とか国立公園内は許可されないからとか、
業務スーパー創業者の熱意などについても知らないことも多く目からウロコでした
(ちなみに日本の電力消費は1億~1億4000万kw/h程度なので、商業ベースだけで考えても
1/4から1/6程度は地熱発電で賄えることになりますね)

確かに地熱発電なら、火山国では資源は無尽蔵タダでCO2も核廃棄物も出さず、大規模な
太陽光や風力、水力、大規模バイオマスのような環境破壊もなく天候にも左右されず24時間
365日稼働可能な純国産エネルギーですね



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どの項目にも出版直前までの最新情報による、現在の最先端技術や混迷する世界の現状が
紹介されており、それを澤井代表が半世紀以上も前から予測し警告していたという事実を、
当時の澤井代表が書いた文章などから発見し、そのことに何度も驚嘆したと、藤本氏が書いて
おられましたが、あちこちにハナシが跳ぶインタビューから、それらを見つけ出す藤本氏の
聞き手としての能力に、むしろわたくしは驚嘆しました

当ブログサイト書斎カテゴリで紹介しているような歴史や環境や最新科学に関する書籍も、
多くを精読されておられるようで、それぞれの著者とは、おそらく意見は異なるのでしょうが、
まさに幅広い最新知識があってこその労作ですね
さすがはベテラン手練れのもと新聞記者であります

とても内容すべては紹介できませんし澤井代表や藤本氏の主張についても、見方によっては
異論もあるでしょうが、特に林業・林政や教育・環境については100年先200年先を見越した
ビジョンが必要なことは間違いありません

ここでは末尾にあった写真資料のうち海外植林ボランティアに関する部分のみ新聞記事を
中心に、ランダムに一部を紹介させていただきます
(出版物の添付資料なので公開に問題があるようなら非公開設定にします)

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2012年、N.GKS第16次隊(ボルネオ)に関する毎日新聞の記事


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2018年、N.GKS最後となった第23次隊(内モンゴル)に関する読売新聞の記事




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2011年、東日本大震災支援へのお礼も込めた第15次隊(モンゴル)などの植林活動に対し、
モンゴル特命全権大使から感謝状を受けたことを伝える京都新聞の記事




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2013年、第18次隊(ボルネオ)に関する産経新聞の記事




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故・遠山正瑛翁とのツーショット(内モンゴル・クブチ沙漠・恩格貝にて)




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2010年、第14次隊(内モンゴル)に関する京都新聞の記事




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2009年、第12次隊(ブラジル・アマゾン)に関する現地サンパウロ新聞の記事




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2015年、澤井代表自分史の自費出版を伝える京都新聞の記事



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上から順に、
1990年、中国・内モンゴル自治区・クブチ沙漠・恩格貝の様子、
1999年、N.GKS第1次隊による
クブチ沙漠での最初の植林作業の様子、
2018年、最後となった第23次隊での
クブチ沙漠・恩格貝の様子


まあ、「最後となった」とは書いたものの・・・

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当時、城南新報で紹介されてた帰国報告ではラスト宣言を撤回して、
「3~5年後には植えた1000本のナツメが実るので車椅子に乗ってでも食べに行きたい」
と答えておられますが・・・

ともかく93歳になった現在も(足腰が弱り介護施設のお世話になっているものの)頭はますます
冴えわたっているとのことでした

98歳まで日本と中国を月に何度も往復されてて大往生された
故・遠山正瑛翁に負けないよう、
今後もできる範囲で大いに活躍してほしいものです



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2024年09月29日

オランウータン~森のさとりびと~

ええ、

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オランウータン~森のさとりびと~とゆー写真集であります



裏表紙

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著者・撮影者の紹介

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奥付

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写真集なので作品画像は紹介できませんが、撮影地はボルネオ島南部(インドネシア領)
タンジュンプティン国立公園、ここでは1971年にカナダ人ビルーテ・ガルティカス博士が、
オランウータンの生態研究・リハビリ施設「キャンプリーキー」を開設したそうです

以下、写真の解説文からランダムに、いくつかメモしておきます

・大型類人猿4種のうちゴリラ・チンパンジー・ボノボはアフリカ、オランウータンだけが
東南アジアに生息している

・ボルネオ島のボルネオ・オランウータン、スマトラ島のスマトラ・オランウータンと
タパヌリ・オランウータンの3種に分類される

・家族で暮らすゴリラや、群れで暮らすチンパンジーと異なり、基本的に単独で生きるが、
子どもや若者は集まったりもする

・大人同士あまり交流はないものの、どこに誰がいるかはわかっているといわれている

・強いオスにだけフランジが現れるが、メカニズムはまだ解明されていない

・見つめるとニホンザルなどは怒りだすが、大型類人猿は穏やかに見つめ返してくれる
言葉を話さなくても気持ちのやり取りができる気がする
(穏やかに撮影者を見つめる写真作品群が素晴らしかったです)

・計7万頭前後が生息するとされるが、100年前の1/5に減ったといわれている
→原因は密猟・人為的な森林火災・熱帯雨林の伐採など

・ボルネオ島ではこの数十年アブラヤシ農園の開発で
熱帯雨林の伐採が加速している
→アブラヤシから作られるパーム油は世界で最も多く使われる植物油

・保護活動が活発になっているのは頼もしいが、これまでのダメージはあまりに大きい

熱帯雨林はオランウータンだけでなく他の動植物や人間にとっても貴重で大切な自然
→取り返しのつかないことになったら未来に生きる子どもたちに何と言い訳をすればよいのか

・人に類する猿→長い進化の歴史を人間と共有してきた親類
→島の民は愛情と畏敬の念をいだいて、彼らを「森の人」と呼ぶ・・・



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