モンゴル陸軍
2025年02月07日
地球グルメ大図鑑とブデチゲ考察?
ええ、まずは・・・

地球グルメ大図鑑~世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味~のご紹介から
裏表紙

奥付

そう、

こんな注意書きのある大図鑑であります わくわく
目次


米国の項では51州すべて、さらには南極の各基地グルメまでありましたが・・・
まずは目次のアジア→東アジア→日本の項にあったグルメ?をメモ
・竹のウォータースライド(流しそうめん)
・鉄道駅のごちそう(200種類の駅弁を揃える東京駅の駅弁屋)
・伝統の職人技が光るぺろぺろキャンディ(飴細工)
・寿司の元祖(琵琶湖のふなずし)
・エンタメ・レストラン(主役が料理ではない飲食店)
・海軍カレー(日本のカレーライス)
・洋食(日本生まれの西洋料理)
→ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、サンド、タコライス
・渋柿を甘くする技(干し柿)
・高級フルーツ(企業の夏冬2回の贈答競争で繁栄を謳歌しているフルーツ
)
→でんすけすいか、太陽のタマゴ(マンゴー)、美人姫(イチゴ)、ルビーロマン(ブドウ)、夕張キング(メロン)
・相撲力士の鍋料理(ちゃんこ鍋)
・巨大な稲わらの構造物(わらアート)
(グルメではないけど食材に関する珍しいモノつーことでしょうね)
各項目に説明、写真、由来、レシピなどがあり、実際に現地で体験する方法も書いてあって、
食べ歩きガイドブックとしても使えるようになってました
と、世界中のグルメ?が紹介されてましたが、特に琴線に触れた項目から・・・
・正真正銘のモンゴル式バーベキュー「ボードグ」
→モンゴルの戦士は馬で移動するので重い調理器具を持ち運ぶのは不可能だった
→そんな遊牧生活に適した調理法として彼らは動物の体を調理器具として使った
→山羊やマーモットの腹から肉と骨と内蔵を取り出し肉(肝臓と腎臓を含む)にスパイスをふり、
熱く焼いた石と野菜と一緒に詰め戻し穴を塞ぎ直火で焼く
→焼け残った毛をナイフでこそげ落とし2時間ほどで首の穴から脂が滴るようになったら食べ頃で、
腹が大皿の役割も兼ねている
→チンギス・ハンもボードグで勝利の宴会をしていた(モンゴルシェフ連盟会長談)
まさに調理器具の要らない究極のアウトドア料理で、わたくしの大好きなモンゴル料理
「羊の石焼き」
の原点だったんですね、調理器具はミルク缶を使ってましたが(98k談)
・米軍基地で生まれた鍋物ブデチゲ(韓国)
→今や韓国で一番人気を誇るフュージョン料理
→部隊鍋を意味するブデチゲは米国人が捨てた食料から生まれたものだった
→残飯から生まれた米国帝国主義の名残を屈折した形で伝える一品となった
→朝鮮戦争中のソウル市民は食料不足で米軍基地のゴミ箱から缶詰の豆、チーズ、
スパム、ハムなど加工食品の残飯を集めてキムチ、野菜、インスタント麺と一緒に鍋へ
→朝鮮戦争後も米国製品の規制は続き、米軍基地の食材を扱う酒保闇市が増えた
(多くの市民には米国産の加工肉が唯一の手が届く肉だった)
→1980年代に米国製品の規制が撤廃されブデチゲは人気の大衆料理として進化した
→とりわけ大学周辺に多いが高級地区にもブデチゲに特化したレストランがある・・・
(で、大好きなブデチゲの考察?)
わたくしは、韓国軍兵士が米軍経由のスパムなどの缶詰とキムチやインスタント麺などを
ひとつの鍋に入れて、部隊の仲間で一緒に食べてたのを懐かしみ、退役後にも仲間と再現、
それがやがて貧乏学生から一般市民に拡がったと理解してたのですが本書のような説もあり、
ホントはどうだったのか(ヒマなので)考察?してみました
①ブデチゲの基本食材はスパムなどの加工肉とキムチとスープ別添のインスタント麵だけど、
スープ別添の袋麺は1962年の明星食品と東洋水産が世界初なので、今のスタイルで初めて
食べられたのは、いくら早くても1962年以降になるはず
(ちなみに朝鮮戦争時なら1950年~53年、戦後もっとも古いとされるインスタント麺の記録
(第一次南極観測隊に採用された「長寿麺」)でも朝鮮戦争から3年後の1956年)
②さらにインスタント麵の海外への本格的な輸出はベトナム戦争の拡大(1968年)以降とされ、
それまでは在外邦人向けが中心、アジア各国に急速に出回ったのもこれ以降のはず
③ただし明星食品が韓国に製造プラントを輸出したのは、スープ別添の翌年1963年なので、
それ以降なら韓国にスープ別添のインスタント麵が普及していた可能はある
④以上から、韓国軍兵士がブデチゲとして食べたのは朝鮮戦争当時ではなくベトナム戦争当時、
おそらくは1968年以降で早くても1963年以降に、米軍経由のスパム缶詰と自前のキムチと
スープ別添のインスタント麵などを入れて、部隊の仲間とひとつの鍋をつつきあったのがルーツ、
と考えるほうが妥当ではないか、部隊鍋の名称からもインスタント麺の経緯(朝鮮戦争時には
まだ存在しない)からも、ソウル市民が米軍基地の残飯を入れた鍋はブデチゲではない・・・
と推察したのですが、いかがでしょう?
(ちなみにブデチゲ以前の韓国では一人鍋が基本で、ひとつの鍋を分けあって食べるのは、
日本人と同じ下品な食べ方だったので、当時の大人たちからは軽蔑されてたとか
)
まあ、スパムなど缶詰の加工肉、白菜キムチ、スープ別添の袋麺、あとは玉ねぎなど、
常温保存できる具材があればクーラーボックスがなくても、どこでも鍋宴会が楽しめて、
お腹いっぱいになりますから、わたくしもブデチゲとしての存在を知るずっと以前から
似たようなキャンプ鍋を楽しんでたので、諸説があるのも当然かも知れませんが・・・
閑話休題
わたくしの琴線に触れた項目を続けます・・・
・香辛料のコニャック・XO醤
(香港)略
・平壌冷麺
と大同江醸造所の7種類のビール
(北朝鮮)略
・ブルネイのアンブヤット(サゴヤシの樹幹から取った粉をゼラチン状にしたもの
)略
・ボルネオ島サバ州にしかないバンバンガン(オニオンスープ味のマンゴー
)略
・ある独裁者の推し麺(タイのパッタイ
)
→独裁者が1939年に国名をシャムからタイにするなど制定した国家規則のひとつがパッタイ
→コメの消費量を抑えるため麺類を奨励しパッタイのレシピと屋台を普及させ他の屋台を禁止した
→ライスヌードルは中国人がタイに持ち込んだとされるがパッタイはタイの国民食になった
・ジンバブエのモパネワーム(蛾の幼虫で10cmになる)
→タンパク質の含有量は牛肉の3倍、旨みはよく焼いたステーキと評される
→熟練した摘み手なら1日に25~50キロは採集できる
→内臓を指で絞り出して天日干し、好みで燻製、炙り焼、酢漬け、フライに
→モパネの葉3キロで1キロのモパネワームが育てられるので牛肉よりサスティナブル
・オーストラリア軍のFRED
→1940年代初頭に導入され缶切り・栓抜き・スプーンの機能を持つがスプーンが小さい
→Field Ration Eating Deviceの略だがFucking Ridiculous Eating Device(クソばかげた食器)とも
→2020年現在も軍の配給パックに標準装備されている(←なぜか持ってます
)
・ガンパウダーラム(ニュージーランド)
→18世紀の英国海軍の水兵は毎日支給されるラム酒を火薬に垂らし火をつけて確認していた
→湿った火薬が燃えれば充分なアルコール濃度のラム酒と証明された(プルーフの起源)
→アルコール濃度57%がネイビーストレングス(海軍の強さ)とされ燃えるかどうかの分かれ目
→オマージュとして誕生したガンパウダーラムは51.6%でネイビーストレングスに近い
・パイソンのペミカン(カナダ)
→パイソンの肉を焚火で乾燥させてから細かく挽き獣脂と混ぜる
→1ポンド(454g)あたり3500㌔㌍あり10年は常温保存できたので探検隊にも使われた
→ビーバー猟の必需品となりミシシッピ川北側のパイソンはほぼ絶滅した
→ペミカンは今もカナダのスーパーマーケットで購入できる
・クロンダイクの生活物資リスト(カナダ・ユーコン準州)
→1896年にクロンダイクで金鉱が発見され北米各地から人々が殺到した
→ユーコン準州は不毛地帯だったので1年分の食料を持参するよう法律で定めていた
→キャンプ用品を含めると900kgになったので小分けにして何度も往復して持ち込んだ
で、カナダ最大だった百貨店の1898年発行カタログから1年間に必要な食料品と日用品のリスト
(著作物の一部なので公開に問題があれば非公開設定にします)

いやあ、じつに興味深い内容です
食料のメインは小麦粉とベーコンで砂糖、豆、ロールドオーツも大きな比重を占めてますね
で、このリスト合計で600kg弱ですからキャンプ道具や衣類などが300kg強つーことになります
水や燃料は現地調達でしょうが必需品のラム酒やバーボンはどうしてたんだろ???
・南極観測基地の食生活(中国の長城基地など各国は略)
→日本の昭和基地では屋外での食事会が恒例でメニューは「流しそうめん」
→本来は半分に割った竹にそうめんを流すが南極では氷山に水路を掘って流す
→リュージュのコースを選手ではなくそうめんが滑る様子を想像してほしい
とか、料理や食材だけでなく食に関するエピソードも満載で大いに楽しめました


地球グルメ大図鑑~世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味~のご紹介から

裏表紙


奥付

そう、

こんな注意書きのある大図鑑であります わくわく

目次


米国の項では51州すべて、さらには南極の各基地グルメまでありましたが・・・

まずは目次のアジア→東アジア→日本の項にあったグルメ?をメモ
・竹のウォータースライド(流しそうめん)
・鉄道駅のごちそう(200種類の駅弁を揃える東京駅の駅弁屋)
・伝統の職人技が光るぺろぺろキャンディ(飴細工)
・寿司の元祖(琵琶湖のふなずし)
・エンタメ・レストラン(主役が料理ではない飲食店)
・海軍カレー(日本のカレーライス)
・洋食(日本生まれの西洋料理)
→ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、サンド、タコライス
・渋柿を甘くする技(干し柿)
・高級フルーツ(企業の夏冬2回の贈答競争で繁栄を謳歌しているフルーツ

→でんすけすいか、太陽のタマゴ(マンゴー)、美人姫(イチゴ)、ルビーロマン(ブドウ)、夕張キング(メロン)
・相撲力士の鍋料理(ちゃんこ鍋)
・巨大な稲わらの構造物(わらアート)
(グルメではないけど食材に関する珍しいモノつーことでしょうね)
各項目に説明、写真、由来、レシピなどがあり、実際に現地で体験する方法も書いてあって、
食べ歩きガイドブックとしても使えるようになってました
と、世界中のグルメ?が紹介されてましたが、特に琴線に触れた項目から・・・
・正真正銘のモンゴル式バーベキュー「ボードグ」

→モンゴルの戦士は馬で移動するので重い調理器具を持ち運ぶのは不可能だった
→そんな遊牧生活に適した調理法として彼らは動物の体を調理器具として使った
→山羊やマーモットの腹から肉と骨と内蔵を取り出し肉(肝臓と腎臓を含む)にスパイスをふり、
熱く焼いた石と野菜と一緒に詰め戻し穴を塞ぎ直火で焼く
→焼け残った毛をナイフでこそげ落とし2時間ほどで首の穴から脂が滴るようになったら食べ頃で、
腹が大皿の役割も兼ねている
→チンギス・ハンもボードグで勝利の宴会をしていた(モンゴルシェフ連盟会長談)
まさに調理器具の要らない究極のアウトドア料理で、わたくしの大好きなモンゴル料理
「羊の石焼き」

・米軍基地で生まれた鍋物ブデチゲ(韓国)

→今や韓国で一番人気を誇るフュージョン料理
→部隊鍋を意味するブデチゲは米国人が捨てた食料から生まれたものだった
→残飯から生まれた米国帝国主義の名残を屈折した形で伝える一品となった
→朝鮮戦争中のソウル市民は食料不足で米軍基地のゴミ箱から缶詰の豆、チーズ、
スパム、ハムなど加工食品の残飯を集めてキムチ、野菜、インスタント麺と一緒に鍋へ
→朝鮮戦争後も米国製品の規制は続き、米軍基地の食材を扱う酒保闇市が増えた
(多くの市民には米国産の加工肉が唯一の手が届く肉だった)
→1980年代に米国製品の規制が撤廃されブデチゲは人気の大衆料理として進化した
→とりわけ大学周辺に多いが高級地区にもブデチゲに特化したレストランがある・・・
(で、大好きなブデチゲの考察?)
わたくしは、韓国軍兵士が米軍経由のスパムなどの缶詰とキムチやインスタント麺などを
ひとつの鍋に入れて、部隊の仲間で一緒に食べてたのを懐かしみ、退役後にも仲間と再現、
それがやがて貧乏学生から一般市民に拡がったと理解してたのですが本書のような説もあり、
ホントはどうだったのか(ヒマなので)考察?してみました

①ブデチゲの基本食材はスパムなどの加工肉とキムチとスープ別添のインスタント麵だけど、
スープ別添の袋麺は1962年の明星食品と東洋水産が世界初なので、今のスタイルで初めて
食べられたのは、いくら早くても1962年以降になるはず
(ちなみに朝鮮戦争時なら1950年~53年、戦後もっとも古いとされるインスタント麺の記録
(第一次南極観測隊に採用された「長寿麺」)でも朝鮮戦争から3年後の1956年)
②さらにインスタント麵の海外への本格的な輸出はベトナム戦争の拡大(1968年)以降とされ、
それまでは在外邦人向けが中心、アジア各国に急速に出回ったのもこれ以降のはず
③ただし明星食品が韓国に製造プラントを輸出したのは、スープ別添の翌年1963年なので、
それ以降なら韓国にスープ別添のインスタント麵が普及していた可能はある
④以上から、韓国軍兵士がブデチゲとして食べたのは朝鮮戦争当時ではなくベトナム戦争当時、
おそらくは1968年以降で早くても1963年以降に、米軍経由のスパム缶詰と自前のキムチと
スープ別添のインスタント麵などを入れて、部隊の仲間とひとつの鍋をつつきあったのがルーツ、
と考えるほうが妥当ではないか、部隊鍋の名称からもインスタント麺の経緯(朝鮮戦争時には
まだ存在しない)からも、ソウル市民が米軍基地の残飯を入れた鍋はブデチゲではない・・・
と推察したのですが、いかがでしょう?
(ちなみにブデチゲ以前の韓国では一人鍋が基本で、ひとつの鍋を分けあって食べるのは、
日本人と同じ下品な食べ方だったので、当時の大人たちからは軽蔑されてたとか

まあ、スパムなど缶詰の加工肉、白菜キムチ、スープ別添の袋麺、あとは玉ねぎなど、
常温保存できる具材があればクーラーボックスがなくても、どこでも鍋宴会が楽しめて、
お腹いっぱいになりますから、わたくしもブデチゲとしての存在を知るずっと以前から
似たようなキャンプ鍋を楽しんでたので、諸説があるのも当然かも知れませんが・・・
閑話休題
わたくしの琴線に触れた項目を続けます・・・
・香辛料のコニャック・XO醤

・平壌冷麺


・ブルネイのアンブヤット(サゴヤシの樹幹から取った粉をゼラチン状にしたもの

・ボルネオ島サバ州にしかないバンバンガン(オニオンスープ味のマンゴー

・ある独裁者の推し麺(タイのパッタイ

→独裁者が1939年に国名をシャムからタイにするなど制定した国家規則のひとつがパッタイ
→コメの消費量を抑えるため麺類を奨励しパッタイのレシピと屋台を普及させ他の屋台を禁止した
→ライスヌードルは中国人がタイに持ち込んだとされるがパッタイはタイの国民食になった
・ジンバブエのモパネワーム(蛾の幼虫で10cmになる)
→タンパク質の含有量は牛肉の3倍、旨みはよく焼いたステーキと評される

→熟練した摘み手なら1日に25~50キロは採集できる
→内臓を指で絞り出して天日干し、好みで燻製、炙り焼、酢漬け、フライに
→モパネの葉3キロで1キロのモパネワームが育てられるので牛肉よりサスティナブル
・オーストラリア軍のFRED
→1940年代初頭に導入され缶切り・栓抜き・スプーンの機能を持つがスプーンが小さい

→Field Ration Eating Deviceの略だがFucking Ridiculous Eating Device(クソばかげた食器)とも
→2020年現在も軍の配給パックに標準装備されている(←なぜか持ってます

・ガンパウダーラム(ニュージーランド)
→18世紀の英国海軍の水兵は毎日支給されるラム酒を火薬に垂らし火をつけて確認していた
→湿った火薬が燃えれば充分なアルコール濃度のラム酒と証明された(プルーフの起源)
→アルコール濃度57%がネイビーストレングス(海軍の強さ)とされ燃えるかどうかの分かれ目
→オマージュとして誕生したガンパウダーラムは51.6%でネイビーストレングスに近い

・パイソンのペミカン(カナダ)
→パイソンの肉を焚火で乾燥させてから細かく挽き獣脂と混ぜる
→1ポンド(454g)あたり3500㌔㌍あり10年は常温保存できたので探検隊にも使われた
→ビーバー猟の必需品となりミシシッピ川北側のパイソンはほぼ絶滅した
→ペミカンは今もカナダのスーパーマーケットで購入できる

・クロンダイクの生活物資リスト(カナダ・ユーコン準州)
→1896年にクロンダイクで金鉱が発見され北米各地から人々が殺到した
→ユーコン準州は不毛地帯だったので1年分の食料を持参するよう法律で定めていた
→キャンプ用品を含めると900kgになったので小分けにして何度も往復して持ち込んだ
で、カナダ最大だった百貨店の1898年発行カタログから1年間に必要な食料品と日用品のリスト
(著作物の一部なので公開に問題があれば非公開設定にします)

いやあ、じつに興味深い内容です

食料のメインは小麦粉とベーコンで砂糖、豆、ロールドオーツも大きな比重を占めてますね
で、このリスト合計で600kg弱ですからキャンプ道具や衣類などが300kg強つーことになります
水や燃料は現地調達でしょうが必需品のラム酒やバーボンはどうしてたんだろ???
・南極観測基地の食生活(中国の長城基地など各国は略)
→日本の昭和基地では屋外での食事会が恒例でメニューは「流しそうめん」
→本来は半分に割った竹にそうめんを流すが南極では氷山に水路を掘って流す
→リュージュのコースを選手ではなくそうめんが滑る様子を想像してほしい

とか、料理や食材だけでなく食に関するエピソードも満載で大いに楽しめました

2006年08月13日
モンゴル紀行 騎馬軍団編
えーっ、モンゴル滞在三日目に・・・
とゆーのを見物してきました。

えーっ、ま、ガイドブックそのまんまなんですが・・・
ウランバートル市街から、クルマで40分ほどの草原に、特設会場を設けて、八月末までやってるそうです。
で、登場する騎馬軍団が、なんと500騎!

太鼓の響きとともに、一斉にこちらに向かってきました。

弓、槍、刀や馬術の競技、出陣式などを披露してくれるのですが、
特に目の前で展開される模擬白兵戦はすごい迫力でした。

ちなみに、ガイドブック表紙にもある、この槍先が、現在のモンゴル国軍の紋章になってます。
で、模擬白兵戦


日本なら、超一流の馬術スタントマンしかできないような、高度な馬上テクニックを、500騎全部が、猛スピードで駆け抜けつつ披露してくれます。
彼らはモンゴル軍の現役軍人だそうですが、モンゴル軍の現有兵力は、ウィキペディアによると9100人ですから、予備や裏方まで含めると、全兵力の一割近くが、このイベントに参加していることになりますね。陸軍だけだとすると、もっと高率になるか・・・
怪我もしょっちゅうみたいで、こんなクルマも用意してありました・・・

モンゴルの騎馬軍団は、1000人程度の兵を供出できる部族長が千人隊長、以下、百人隊長、十人隊長と、十進法で統率されていたらしいのですが・・・
500騎なら千人隊長はいずこに・・・
じゃーん!

護衛に守られた中央の方が、影の千人隊長であらせられます。ははーっ
(しかし、毎日同じTシャツを着てるな・・・洗ってますよ、一応・・・)
で、彼専用の運転手つき特殊車両であります。

彼の征服した領土の地図もありました。

中央の赤く囲ってあるのが現在のモンゴル国、それと万里の長城との間が、現在の中国・内蒙古自治区であります。漢民族が自分たちで、「この長城から外はモンゴルでちゅよ。」と、つくったのですから、歴史的に仲が悪いのはもっともか・・・
「チンギス・ハーン時代の栄光を再び!」というスローガンも繰り返されてましたし、
(でもそれ以降800年間、外国と戦争していない平和な国なんですが。唯一の例外とされるノモンハン事件だって、モンゴルが外国を攻めた、というもんでもないし・・・)
今までやってた米軍との合同演習(いつか、G3さんが画像を紹介してくれましたね。)
を8ヶ国に拡大した、「国際平和維持軍合同訓練、カーン・クエスト」も8月11日から始まってますし、
モンゴル陸軍兵士も、オダギリ小隊長も大変お忙しいと思いますが、頑張って下さいね。
追記の業務連絡です。
左バーのリンク集にある、hrykさんが来阪されてますので、
8月27日の日曜日の夕方に、大阪・梅田あたりで、
「hrykさんをとり囲んでみぐるみを剥ぐ会夕食会」
を開催する予定です。
現在、連絡をいただいている方以外で、参加可能性のある方は、メールまたはコメントでご一報ください。
集合時間、場所、合言葉が決まったらメール連絡します。
ま、懐中電灯好きが集まってメシ喰って、ダベるだけなんですが・・・うふっ
モンゴル建国800周年記念騎馬隊イベント
チンギス・ハーン
800年目の帰還
ユーラシアの祝祭
チンギス・ハーン
800年目の帰還
ユーラシアの祝祭
とゆーのを見物してきました。

えーっ、ま、ガイドブックそのまんまなんですが・・・

ウランバートル市街から、クルマで40分ほどの草原に、特設会場を設けて、八月末までやってるそうです。
で、登場する騎馬軍団が、なんと500騎!

太鼓の響きとともに、一斉にこちらに向かってきました。

弓、槍、刀や馬術の競技、出陣式などを披露してくれるのですが、
特に目の前で展開される模擬白兵戦はすごい迫力でした。

で、模擬白兵戦


日本なら、超一流の馬術スタントマンしかできないような、高度な馬上テクニックを、500騎全部が、猛スピードで駆け抜けつつ披露してくれます。
彼らはモンゴル軍の現役軍人だそうですが、モンゴル軍の現有兵力は、ウィキペディアによると9100人ですから、予備や裏方まで含めると、全兵力の一割近くが、このイベントに参加していることになりますね。陸軍だけだとすると、もっと高率になるか・・・
怪我もしょっちゅうみたいで、こんなクルマも用意してありました・・・

モンゴルの騎馬軍団は、1000人程度の兵を供出できる部族長が千人隊長、以下、百人隊長、十人隊長と、十進法で統率されていたらしいのですが・・・
500騎なら千人隊長はいずこに・・・
じゃーん!


(しかし、毎日同じTシャツを着てるな・・・洗ってますよ、一応・・・)
で、彼専用の運転手つき特殊車両であります。

彼の征服した領土の地図もありました。

「チンギス・ハーン時代の栄光を再び!」というスローガンも繰り返されてましたし、
(でもそれ以降800年間、外国と戦争していない平和な国なんですが。唯一の例外とされるノモンハン事件だって、モンゴルが外国を攻めた、というもんでもないし・・・)
今までやってた米軍との合同演習(いつか、G3さんが画像を紹介してくれましたね。)
を8ヶ国に拡大した、「国際平和維持軍合同訓練、カーン・クエスト」も8月11日から始まってますし、
モンゴル陸軍兵士も、オダギリ小隊長も大変お忙しいと思いますが、頑張って下さいね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記の業務連絡です。
左バーのリンク集にある、hrykさんが来阪されてますので、
8月27日の日曜日の夕方に、大阪・梅田あたりで、
「hrykさんをとり囲んでみぐるみを剥ぐ会夕食会」
を開催する予定です。
現在、連絡をいただいている方以外で、参加可能性のある方は、メールまたはコメントでご一報ください。
集合時間、場所、合言葉が決まったらメール連絡します。
ま、懐中電灯好きが集まってメシ喰って、ダベるだけなんですが・・・うふっ
2006年08月09日
モンゴル紀行 小銃編その2
モンゴルでの射撃記事は、今回が最終回であります。
いよいよ、一度は撃ってみたかったAK実銃の試射であります。きっぱりと
わたくし、はじめて買った東京マルイの電動エアガンがAK-47でありました。
ま、すぐにM-16ベトナムバージョンを追加購入し、ブラックパジャマなんかも揃えて、
「ひとりナム戦ごっこ!」をやっていたのであります。ううっ、暗い・・・
アブトマット・カラシニコーバ、1947年式・・・
大戦末期のドイツ突撃銃を参考に設計され、世界中でコピー生産やライセンス生産され、
世界中の紛争地域で、今でも主要銃として使用されている堅牢な銃であります。
子供にまで使わせる側や、あちこちに輸出する側の論理の是非は別として、
この銃そのものは、紛れもなく世界に誇れる「名銃」であります。
そのロシア製の純正品、しかも改造されていない軍制式銃で、軍用フルメタルジャケット弾を試射するのであります。
今回わたくしは、AK-47の改良型、AKMを選択いたしました。
AK-47からの改良点などは、前々回記事「小銃編その1」のコメント欄にいただいた、オダギリ小隊長どのの詳しい解説をご覧下さい。
40発がワンセットになっておりましたが、わたくし、フルオートでも撃ちたかったので、
2セット80発をお願いしてしまいました。うふっ
まずはセミオートによる試射であります。

これが7.62mm軍用実包、右の弾頭を緑色に塗ってあるのは曳光弾で、3発に1発程度、混合してプラのマガジンにチャージしていきます。(この画像、AKMで使った「ロシアンショーティ」ではなく、モシン・ナガンで使った「ロシアン」だそうです。詳しくはオダギリ小隊長どののコメントをご覧下さい。
)
ま、最初はおとなしく砂袋に固定させて撃っていたのですが・・・

やはり、両手だけで構えて、きちんと頬づけしないとね!マガジンじゃまになるし・・・
当たり前の話ですがトイガンと違い、きちんと肩づけ頬づけして10発も撃つと、
肩と頬が反動で痛くなってきます。
この銃、マガジンに30発フルチャージすると、5kg近くになるのですが、
確かに撃ち易い銃で、セミオートなら、弾着もきれいに収束しました。
ちなみにトリガー上部のセーフティレバーが、一番下の位置になっているのがおわかりでしょうか?
これがセミオート単射の位置で、時計と逆廻りに水平にするとフルオート連射、
さらに上にあげると、セーフティ安全の位置になります。
つまりセーフ位置からいきなりフルオート位置になるわけで、日本でおなじみになった、
安全(ア)→単射(タ)→連射(レ)というシャレが通用せず、ア、レ、タ銃であります。
いい加減な記憶では、昔のソビエト赤軍は、戦場でセーフティをかける習慣がなかったから、どっちでもよかったんだとか。
本当の理由はどうだったんでしょうね。
さて、最後はいよいよ、AKMのフルオート射撃であります。
「フルオート射撃は、場所を移動していただきます。」
「ううっ、どこへ連れて行かれるんだ。今日中にホテルに帰れるのかっ・・・」
ま、いちばん端のレンジへ移るだけだったのですが・・・
じゃーん!

なんと、半地下の掩蔽壕!
うふっ、やはり、それらしい雰囲気になってきました・・・
で、今回のターゲットは、中央部に白い点として見える、200mターゲットの、
さらに後方にある、茶色の塊であります。
「あれが、RPG-7を二発撃ち込んだクルマの残骸であります。距離は概ね300mであります。
どうです、あれをフルオートで狙ってみますか?」
ふっふっふっ、相手に不足はないぜ・・・
やってやろうじゃないかっ!だって、マンターゲットよりでかいんだもの・・・
砂袋なんかは不要、立ち射ち姿勢で充分だぜい、ふっふっふっ・・・

で・・・
ぱん
ぱん
発射速度が比較的遅いので、指きりで単射も充分可能であります。
ぱぱん
両目をあけてると、曳光弾の行方が見えるのですが、
どうしても片目を閉じてしまいがちになります。
ぱぱん
おおっ、二点バーストの初弾が命中したようであります。
鉄屑にフルメタルジャケット弾があたると、花火のように高く火花が散ります。
「ええい!喰らえっ!」
ぱぱぱぱん
ぱぱぱぱぱん
わわっ、すぐ近くで砂煙がいっぱいあがったぞ!
さすがに、教官が銃を上方に修正してくれます。
四点バースト以上になると、無意識に右上への跳ね上がりを押さえようとして、
銃口が下を向くようであります。
うーむ、さすがに電動AKのような「700発一気撃ち」は実銃ではできないな。
AK-47の曲銃床を、直銃床に改良したAKMだそうですが、M-16みたいに真っ直ぐでもないし、どうしても右上がりになるような気がして、フルオート連射で弾着をまとめるのはかなり難しかったです。
ま、素人がはじめての実銃射撃でフルオート連射して、初弾の何発かはヒットしたのですから、これはこれでよしとしましょう。わははは
実銃のAKを、きちんと肩づけ頬づけして、2マガジン撃ちつくしたわたくしは、
さすがに顔面と右肩がれろれろになり、残りの20発は息子に撃たせましたが、
すでにデジカメを持つ力も残っておらず、残念ながら画像はありましぇん。
ふと気づくと、朝の10時ごろに機内で軽食を食べてから、夕方5時前まで飲まず食わずでありました。(ま、夏のモンゴルの夕方は10時過ぎぐらいですが・・・)
わたくし、昼食を忘れて物事に夢中になったのは、何十年ぶりのことでしょう!
あとで聞くと、植林ツアーの御一行は、韓国資本のバイキングレストランで昼食をたらふく食べたそうで、その日の夕食のロシア風ディナーでは、腹を空かせた哀れな親子に、食べ残しをいっぱい恵んでいただきました。
半分に切り分けたステーキなんか、二人で10枚分はごちに・・・でへへへ
モンゴルでの射撃記事は、今回でおしまいであります。
お世話になったM.M.Pのナランさん、ムルンバーターさん、モンゴル陸軍のみなさん、
本当にありがとうございました。
親切にしていただき、息子と楽しく過ごすことができました。
ちなみにこのモンゴル紀行は、本来の植林作業、騎馬軍団の戦い、キャンプでの照射比較!
そして酒!羊料理!といろんなジャンルで、てきとーに続けますので、お付き合いくださいね。
いよいよ、一度は撃ってみたかったAK実銃の試射であります。きっぱりと
わたくし、はじめて買った東京マルイの電動エアガンがAK-47でありました。
ま、すぐにM-16ベトナムバージョンを追加購入し、ブラックパジャマなんかも揃えて、
「ひとりナム戦ごっこ!」をやっていたのであります。ううっ、暗い・・・
アブトマット・カラシニコーバ、1947年式・・・
大戦末期のドイツ突撃銃を参考に設計され、世界中でコピー生産やライセンス生産され、
世界中の紛争地域で、今でも主要銃として使用されている堅牢な銃であります。
子供にまで使わせる側や、あちこちに輸出する側の論理の是非は別として、
この銃そのものは、紛れもなく世界に誇れる「名銃」であります。
そのロシア製の純正品、しかも改造されていない軍制式銃で、軍用フルメタルジャケット弾を試射するのであります。
今回わたくしは、AK-47の改良型、AKMを選択いたしました。
AK-47からの改良点などは、前々回記事「小銃編その1」のコメント欄にいただいた、オダギリ小隊長どのの詳しい解説をご覧下さい。
40発がワンセットになっておりましたが、わたくし、フルオートでも撃ちたかったので、
2セット80発をお願いしてしまいました。うふっ
まずはセミオートによる試射であります。


ま、最初はおとなしく砂袋に固定させて撃っていたのですが・・・

やはり、両手だけで構えて、きちんと頬づけしないとね!マガジンじゃまになるし・・・
当たり前の話ですがトイガンと違い、きちんと肩づけ頬づけして10発も撃つと、
肩と頬が反動で痛くなってきます。
この銃、マガジンに30発フルチャージすると、5kg近くになるのですが、
確かに撃ち易い銃で、セミオートなら、弾着もきれいに収束しました。
ちなみにトリガー上部のセーフティレバーが、一番下の位置になっているのがおわかりでしょうか?
これがセミオート単射の位置で、時計と逆廻りに水平にするとフルオート連射、
さらに上にあげると、セーフティ安全の位置になります。
つまりセーフ位置からいきなりフルオート位置になるわけで、日本でおなじみになった、
安全(ア)→単射(タ)→連射(レ)というシャレが通用せず、ア、レ、タ銃であります。
いい加減な記憶では、昔のソビエト赤軍は、戦場でセーフティをかける習慣がなかったから、どっちでもよかったんだとか。
本当の理由はどうだったんでしょうね。
さて、最後はいよいよ、AKMのフルオート射撃であります。
「フルオート射撃は、場所を移動していただきます。」
「ううっ、どこへ連れて行かれるんだ。今日中にホテルに帰れるのかっ・・・」
ま、いちばん端のレンジへ移るだけだったのですが・・・
じゃーん!

なんと、半地下の掩蔽壕!
うふっ、やはり、それらしい雰囲気になってきました・・・
で、今回のターゲットは、中央部に白い点として見える、200mターゲットの、
さらに後方にある、茶色の塊であります。
「あれが、RPG-7を二発撃ち込んだクルマの残骸であります。距離は概ね300mであります。
どうです、あれをフルオートで狙ってみますか?」
ふっふっふっ、相手に不足はないぜ・・・
やってやろうじゃないかっ!だって、マンターゲットよりでかいんだもの・・・
砂袋なんかは不要、立ち射ち姿勢で充分だぜい、ふっふっふっ・・・

で・・・
ぱん
ぱん
発射速度が比較的遅いので、指きりで単射も充分可能であります。
ぱぱん
両目をあけてると、曳光弾の行方が見えるのですが、
どうしても片目を閉じてしまいがちになります。
ぱぱん
おおっ、二点バーストの初弾が命中したようであります。
鉄屑にフルメタルジャケット弾があたると、花火のように高く火花が散ります。
「ええい!喰らえっ!」
ぱぱぱぱん
ぱぱぱぱぱん
わわっ、すぐ近くで砂煙がいっぱいあがったぞ!
さすがに、教官が銃を上方に修正してくれます。
四点バースト以上になると、無意識に右上への跳ね上がりを押さえようとして、
銃口が下を向くようであります。
うーむ、さすがに電動AKのような「700発一気撃ち」は実銃ではできないな。
AK-47の曲銃床を、直銃床に改良したAKMだそうですが、M-16みたいに真っ直ぐでもないし、どうしても右上がりになるような気がして、フルオート連射で弾着をまとめるのはかなり難しかったです。
ま、素人がはじめての実銃射撃でフルオート連射して、初弾の何発かはヒットしたのですから、これはこれでよしとしましょう。わははは

実銃のAKを、きちんと肩づけ頬づけして、2マガジン撃ちつくしたわたくしは、
さすがに顔面と右肩がれろれろになり、残りの20発は息子に撃たせましたが、
すでにデジカメを持つ力も残っておらず、残念ながら画像はありましぇん。
ふと気づくと、朝の10時ごろに機内で軽食を食べてから、夕方5時前まで飲まず食わずでありました。(ま、夏のモンゴルの夕方は10時過ぎぐらいですが・・・)
わたくし、昼食を忘れて物事に夢中になったのは、何十年ぶりのことでしょう!
あとで聞くと、植林ツアーの御一行は、韓国資本のバイキングレストランで昼食をたらふく食べたそうで、その日の夕食のロシア風ディナーでは、腹を空かせた哀れな親子に、食べ残しをいっぱい恵んでいただきました。
半分に切り分けたステーキなんか、二人で10枚分はごちに・・・でへへへ

モンゴルでの射撃記事は、今回でおしまいであります。
お世話になったM.M.Pのナランさん、ムルンバーターさん、モンゴル陸軍のみなさん、
本当にありがとうございました。

親切にしていただき、息子と楽しく過ごすことができました。
ちなみにこのモンゴル紀行は、本来の植林作業、騎馬軍団の戦い、キャンプでの照射比較!
そして酒!羊料理!といろんなジャンルで、てきとーに続けますので、お付き合いくださいね。

2006年08月04日
モンゴル紀行 小銃編その1
号外をはさんでモンゴル紀行の三回目は、小銃編その1、であります。
モンゴリア・ミリタリー・プログラムM.M.Pで用意してくれた長モノは・・・
イヤープロテクター右側にあるPPSHからずらっと・・・


(画像が少ないので、帰国した日にアップした画像の使い回しであります。)
こんなものまで揃えてあります・・・


この折りたたみ銃剣のついたやつもいいなあ。
(どっかで似たやつを見たような気もするけど・・・)

「それは正しくは、こう担うのですよ。」
と、モンゴル国立大学の国際経営学部を卒業してから、国境警備軍にいたナランさん

モンゴルは、北をロシア、東、南、西を中国に囲まれた内陸国であります。
うーむ、どこの国境を警備していたのだろう・・・
わっ、こんなものも撃てるのか!

「すぐに弾頭を持ってきますよ。300m先のクルマが、2発で鉄屑になりました。」
「あっ、うっ、撃ちたい・・・
いやいや、今回は植林が本来の目的なので・・・もごもご・・・」
じつはRPG-7も、模擬弾頭ではなく実装弾なので、お値段もそれなりに・・・
ま、ぶるじょわのニャんなんとかさんなら、数百発は撃つんでしょうが・・・
さて最終的に選んだのは、モシン・ナガンの照準眼鏡つき狙撃銃と、
AK-47の軽量化された後期タイプであります。
まずはモシン・ナガンのスナイパーモデルから・・・

気分はソビエト英雄のスナイパー、ヴァシリ・ザイツェフそのものであります。
わたくし、学生時代に22口径ロングライフル弾は撃った事があるのですが、
さすがに30口径になると、音と反動が桁違いであります。
ま、こちらも、わたくしが砂袋を調節して、スリングを左腕に巻いて構えるのを見ていた教官が、
ちょっと姿勢を直しただけで、すぐに実包を渡してくれました。
こちらはワンセット20発になっており、一回の装填で確か7発でしたから、途中で2回、
弾着確認に行く事になります。
こちらは二回目の装填から、面白いように弾着が収束しました。
やはりわたくし、スナイパーとしての本来の素質が・・・げひ、げひ、げひひひ
スコープから目を離さずに、ボルトを引き続けて速射、というやってみたかったワザも、見事に決まりました。
あっ、ターゲットまでの距離は、ひ・み・ちゅ・・・
次回は、AK-47記事の予定であります。うふっ
モンゴリア・ミリタリー・プログラムM.M.Pで用意してくれた長モノは・・・
イヤープロテクター右側にあるPPSHからずらっと・・・


こんなものまで揃えてあります・・・


この折りたたみ銃剣のついたやつもいいなあ。
(どっかで似たやつを見たような気もするけど・・・)

「それは正しくは、こう担うのですよ。」
と、モンゴル国立大学の国際経営学部を卒業してから、国境警備軍にいたナランさん

モンゴルは、北をロシア、東、南、西を中国に囲まれた内陸国であります。
うーむ、どこの国境を警備していたのだろう・・・
わっ、こんなものも撃てるのか!

「すぐに弾頭を持ってきますよ。300m先のクルマが、2発で鉄屑になりました。」
「あっ、うっ、撃ちたい・・・
いやいや、今回は植林が本来の目的なので・・・もごもご・・・」
じつはRPG-7も、模擬弾頭ではなく実装弾なので、お値段もそれなりに・・・
ま、ぶるじょわのニャんなんとかさんなら、数百発は撃つんでしょうが・・・

さて最終的に選んだのは、モシン・ナガンの照準眼鏡つき狙撃銃と、
AK-47の軽量化された後期タイプであります。
まずはモシン・ナガンのスナイパーモデルから・・・

気分はソビエト英雄のスナイパー、ヴァシリ・ザイツェフそのものであります。

わたくし、学生時代に22口径ロングライフル弾は撃った事があるのですが、
さすがに30口径になると、音と反動が桁違いであります。
ま、こちらも、わたくしが砂袋を調節して、スリングを左腕に巻いて構えるのを見ていた教官が、
ちょっと姿勢を直しただけで、すぐに実包を渡してくれました。
こちらはワンセット20発になっており、一回の装填で確か7発でしたから、途中で2回、
弾着確認に行く事になります。
こちらは二回目の装填から、面白いように弾着が収束しました。
やはりわたくし、スナイパーとしての本来の素質が・・・げひ、げひ、げひひひ
スコープから目を離さずに、ボルトを引き続けて速射、というやってみたかったワザも、見事に決まりました。
あっ、ターゲットまでの距離は、ひ・み・ちゅ・・・
次回は、AK-47記事の予定であります。うふっ
2006年07月31日
モンゴル紀行 拳銃編その2
前回記事の続きであります。
結局、わたくしが今回、モンゴルで試射した拳銃は四丁でした。

左上のスチェッキンは、今回小銃も試射するので、まあ次回に、とパスしました。
その下から順に、マカロフ軍用、トカレフ軍用、ナガン(ト)軍用、モーゼル軍用、
であります。
まずはマカロフ軍用から

左はその辺に転がってた7.62mmの薬莢であります。
「薬莢、お持ち帰り、というわけにはいかないでしょうか?じゅるじゅる。」
「持ち出し禁止です。万一空港で見つかったりすると、このプログラムにも影響しますので、我慢してくださいね。」
「ううっ、仕方ないですね。ぐしゅん。」
マカロフやトカレフは16発ワンセットなので、3マガジンずつ撃つ事になります。
装弾やターゲットのセットは、全部モンゴル軍の射撃教官が行ってくれました。
このプログラムで使用される実包は、弱装弾や民生用ではなく、
すべて軍制式の軍用フルメタルジャケットであります。

ちなみに、これが現用モンゴル軍迷彩であります。
(オダギリ小隊長さんより、現在佐官クラス以上やイラク派遣部隊に支給されている最新型は、迷彩パターンは同じで型が変更されているとコメントをいただきました。ありがとうございました。)
「あのう、あの迷彩服、お持ち帰り、というわけには・・・」
「むかしは中古が市場に出回ってて、みんなが着てたんですが、今は軍用品の規制が厳しくなってて無理ですね。ロシア軍の中古なら、市場(ザハ)にあるので、あとで案内しましょうか?」
「いや、ロシア軍のは日本でも入手できるのでいいです。ぐしゅん。」
で、いよいよ、はじめての軍用拳銃の試射であります。

まずはマガジンの入ってない状態で、射撃教官が持ち方や構え方などを教えてくれるのですが、
わたくしの場合、レンジに立った瞬間、無意識にスライドを引いて、構えて、トリガーを絞るまでをワンアクションでやってしまったので、黙ってマガジンを渡してくれました。
拳銃用のターゲットは、25mにセットしてもらったのですが、ワンマガジン撃つごとに、
ターゲットの確認に行き、弾着修正をします。
実銃といっても、反動と音が大きく、薬莢が勢いよく飛び出すだけで、
撃ち方は基本的に、ガスブローバックのエアガンと同じなんですねえ。
もちろん、威力はまったく比較になりませんが。
ま、成績はいずれ別の機会に記事にしますが、
「あなたは片手撃ちしてもいいといってますよ。」
とM.M.Pのナランさんに言われたのは嬉しかったですねえ。
ただ、マカロフはわたくしの手にはちいさすぎて、次のワンマガジンを片手撃ちしたのですが、
無意識に「ガク引き」になり、しかも親指と人差し指の間が反動で痛くなってしまいました。
続いて、今度はトカレフ軍用であります。
この時、交替で撮影を頼んでいたわたくしの息子が、おしっこに行ってしまったので、
トカレフ試射の画像がありません。
で、かわりに息子がマカロフを撃ってる画像であります。

ま、トカレフも思ってたより反動が小さく、気持ちよく撃てました。
次はナガン(ト)軍用であります。

古いダブルアクションリボルバーなんですが、さすがにダブルアクションではトリガーが重すぎて、なかなか弾着が集中しません。
これとモーゼル軍用は、クラシックガンということで、銃の保護のためでしょうか、ワンセットが10発なんですが、
二回目はシングルアクションで撃ちました。
排莢、装填はコルトSAAなんかと同じ方式なんですが、熱い薬莢がシリンダーに貼り付いて、
教官が何度も、しゃこしゃことやってくれました。
拳銃の最後は、モーゼル軍用であります。

上から装弾子を使って装填するタイプなんですが、かなり古い銃のため、ブローバックした遊底が戻らず、その都度左手で戻してやる必要がありました。
ま、これもわたくしの、つつみ弾単発のモーゼル軍用トイガンが、同じアクションだったので、無意識にやってて、途中で「なぜもどらないの?」と質問して教えてもらったのであります。
ちなみにこちらは、何度かジャミングも起こしてましたね。
ちっちゃなグリップでも、意外と全体バランスはいいのですが、弾倉が前にあるので、
フル装填時と最後の一発では、かなりバランスが変わってきました。
これを馬上から片手で連射するというのは、やはり騎馬民族そのものであります。
ま、女性を含む、成人全員がAK-47の分解組み立てができるというお国柄で、
(M.M.PのH.Pによると、ちょっと前まで高校の正課だったそうです。)
狩猟と乗馬のできない男性はまずいないそうですから、このモーゼルの長距離用照尺を使って、
長射程でウサギなんかにヒットさせるぐらいは、朝飯前なのでしょうね。
はじめての拳銃試射で、しかも四丁だけでしたが、とりあえずの感想であります。
マカちゃんはワルサーPPの、トカちゃんはコルトガバメントの、それぞれコピーといわれてますが、
純正ロシア製のやつは命中精度もよく、充分信頼感を持てました。
(このプログラムで使用している銃は、全て軍制式の純正品だそうです。)
ま、ナガンとモーゼルの古い拳銃は、雰囲気は最高なのですが、さすがにちと撃ちにくく、
反動は小さいのですが、ブレが大きくなってしまいました。
この四丁でわたくしは計52発、息子はモーゼルを除く三丁で計42発、
拳銃だけで合計100発近くを試射したことになります。
息子も今回、実銃の魅力と恐ろしさを体感したようですし、我々親子が、人間を含む生き物に銃口を向けることは生涯ないでしょうし、そう願いたいものであります。
次回はいよいよ、軍用小銃であります。
結局、わたくしが今回、モンゴルで試射した拳銃は四丁でした。

左上のスチェッキンは、今回小銃も試射するので、まあ次回に、とパスしました。
その下から順に、マカロフ軍用、トカレフ軍用、ナガン(ト)軍用、モーゼル軍用、
であります。
まずはマカロフ軍用から

左はその辺に転がってた7.62mmの薬莢であります。
「薬莢、お持ち帰り、というわけにはいかないでしょうか?じゅるじゅる。」
「持ち出し禁止です。万一空港で見つかったりすると、このプログラムにも影響しますので、我慢してくださいね。」
「ううっ、仕方ないですね。ぐしゅん。」
マカロフやトカレフは16発ワンセットなので、3マガジンずつ撃つ事になります。
装弾やターゲットのセットは、全部モンゴル軍の射撃教官が行ってくれました。
このプログラムで使用される実包は、弱装弾や民生用ではなく、
すべて軍制式の軍用フルメタルジャケットであります。

ちなみに、これが現用モンゴル軍迷彩であります。
(オダギリ小隊長さんより、現在佐官クラス以上やイラク派遣部隊に支給されている最新型は、迷彩パターンは同じで型が変更されているとコメントをいただきました。ありがとうございました。)
「あのう、あの迷彩服、お持ち帰り、というわけには・・・」
「むかしは中古が市場に出回ってて、みんなが着てたんですが、今は軍用品の規制が厳しくなってて無理ですね。ロシア軍の中古なら、市場(ザハ)にあるので、あとで案内しましょうか?」
「いや、ロシア軍のは日本でも入手できるのでいいです。ぐしゅん。」
で、いよいよ、はじめての軍用拳銃の試射であります。

まずはマガジンの入ってない状態で、射撃教官が持ち方や構え方などを教えてくれるのですが、
わたくしの場合、レンジに立った瞬間、無意識にスライドを引いて、構えて、トリガーを絞るまでをワンアクションでやってしまったので、黙ってマガジンを渡してくれました。

拳銃用のターゲットは、25mにセットしてもらったのですが、ワンマガジン撃つごとに、
ターゲットの確認に行き、弾着修正をします。
実銃といっても、反動と音が大きく、薬莢が勢いよく飛び出すだけで、
撃ち方は基本的に、ガスブローバックのエアガンと同じなんですねえ。
もちろん、威力はまったく比較になりませんが。

ま、成績はいずれ別の機会に記事にしますが、
「あなたは片手撃ちしてもいいといってますよ。」
とM.M.Pのナランさんに言われたのは嬉しかったですねえ。
ただ、マカロフはわたくしの手にはちいさすぎて、次のワンマガジンを片手撃ちしたのですが、
無意識に「ガク引き」になり、しかも親指と人差し指の間が反動で痛くなってしまいました。
続いて、今度はトカレフ軍用であります。
この時、交替で撮影を頼んでいたわたくしの息子が、おしっこに行ってしまったので、
トカレフ試射の画像がありません。
で、かわりに息子がマカロフを撃ってる画像であります。


ま、トカレフも思ってたより反動が小さく、気持ちよく撃てました。
次はナガン(ト)軍用であります。

古いダブルアクションリボルバーなんですが、さすがにダブルアクションではトリガーが重すぎて、なかなか弾着が集中しません。
これとモーゼル軍用は、クラシックガンということで、銃の保護のためでしょうか、ワンセットが10発なんですが、
二回目はシングルアクションで撃ちました。
排莢、装填はコルトSAAなんかと同じ方式なんですが、熱い薬莢がシリンダーに貼り付いて、
教官が何度も、しゃこしゃことやってくれました。
拳銃の最後は、モーゼル軍用であります。

上から装弾子を使って装填するタイプなんですが、かなり古い銃のため、ブローバックした遊底が戻らず、その都度左手で戻してやる必要がありました。
ま、これもわたくしの、つつみ弾単発のモーゼル軍用トイガンが、同じアクションだったので、無意識にやってて、途中で「なぜもどらないの?」と質問して教えてもらったのであります。
ちなみにこちらは、何度かジャミングも起こしてましたね。
ちっちゃなグリップでも、意外と全体バランスはいいのですが、弾倉が前にあるので、
フル装填時と最後の一発では、かなりバランスが変わってきました。
これを馬上から片手で連射するというのは、やはり騎馬民族そのものであります。
ま、女性を含む、成人全員がAK-47の分解組み立てができるというお国柄で、
(M.M.PのH.Pによると、ちょっと前まで高校の正課だったそうです。)
狩猟と乗馬のできない男性はまずいないそうですから、このモーゼルの長距離用照尺を使って、
長射程でウサギなんかにヒットさせるぐらいは、朝飯前なのでしょうね。
はじめての拳銃試射で、しかも四丁だけでしたが、とりあえずの感想であります。
マカちゃんはワルサーPPの、トカちゃんはコルトガバメントの、それぞれコピーといわれてますが、
純正ロシア製のやつは命中精度もよく、充分信頼感を持てました。
(このプログラムで使用している銃は、全て軍制式の純正品だそうです。)
ま、ナガンとモーゼルの古い拳銃は、雰囲気は最高なのですが、さすがにちと撃ちにくく、
反動は小さいのですが、ブレが大きくなってしまいました。
この四丁でわたくしは計52発、息子はモーゼルを除く三丁で計42発、
拳銃だけで合計100発近くを試射したことになります。
息子も今回、実銃の魅力と恐ろしさを体感したようですし、我々親子が、人間を含む生き物に銃口を向けることは生涯ないでしょうし、そう願いたいものであります。
次回はいよいよ、軍用小銃であります。
