レーション
2022年11月29日
コウノトリtoプチOFF会de基地祭へ!!!
コウノトリを見て、プチ・ライトOFF会で飲んで食べて、陸自の基地祭へ・・・
ええ、先週の土日に楽しんできましたので、さくさくっとご紹介!!!
土曜日の朝10時に神戸でwingさんをピックアップ・・・
「明石の溜池にコウノトリさんがいるとの情報なので、まずは寄ってみましょう」
とのことで明石西インターで下りて、とある溜池近くの駐車場へ・・・
一羽ぐらいは他のトリさんに混じっているのか、他の溜池も探さないと見れないのか・・・
と、心配しつつクルマを降りた途端、目の前に・・・




「あははは、いっぱいいましたね。ぱしゃぱしゃ」
「でも、あっけなく見つかると感動が少ないですね・・・ぱしゃぱしゃ」
と、しばらく撮影してたのですが他に望遠レンズや双眼鏡を持った人はいませんでした。
ここでは特に珍しくもない光景になってるんでしょうね・・・
ここは市街地の真ん中なんですが、湿地もあって餌も多いので集まってるのか・・・
それともしっかりした柵で保護されてて安全なので集まってるのか・・・
営巣地はどのあたりで、どこから飛来してくるのか・・・
ま、素人にはわかりませんでしたが、脚環があり大事に保護されているのは確かなようです
少し前までは絶滅寸前だったコウノトリさんが、豊岡はじめ各地での保護活動により、
こんなに身近に見られるようになったのは、まさに努力の賜物なんですね・・・
農薬や化学肥料を減らすなど里山の生態系を取り戻すことはコウノトリさんだけでなく、
そこに暮らす人々にとってもプラスがあることを信じて頑張ってこられた結果・・・
ちなみに・・・

カワウさん?もいっぱいでした・・・
と、探鳥会???は(探すまでもなく)無事に終了したので早めの昼食・・・

だから食べる前に撮ればよいものを・・・
ま、仕上げは・・・

天ぷらそばと・・・

季節のマロンちゃんで〆ました・・・
と、食後はいつもの姫路wing別邸(アジト)でred-bicycle(赤チャリ)さんと合流・・・
じつはアジトが蔓に覆われ、まるでラピュタさながらの状態になってたので、わたくしが
玉座に辿り着くまでに紆余曲折があったのですが、ま、最後は飛行石により・・・(以下略)
例によって飲みつつ食べつつダベり続け、夕方には仕事を終えたbullittさんと某SAで合流し、

以前お気に入りになった中華飯店へ・・・
そう、

ここの「日本最強焼餃子」をもう一度食べたいなあとwingさんが何度か呟いてて、それなら
陸自の基地祭に合わせて集まりましょう、となったのが今回プチOFF会の発端・・・
今回はじめてお会いしたbullittさんですが、以前から当ブログサイトをご愛読いただいており、
リアルでお話しできたのはじつに嬉しい限りで、さっそくwingさんや赤チャリさんとは
ライト談義に花を咲かせておられました。
ま、わたくしはひたすら・・・





ばくばく、もぐもぐ、ごくごく、んぐんぐ、ぷはあ
ま、飲まない赤チャリさんは・・・

お気に入りの回鍋肉定食でしたし、好きだけど運転で飲めないbullittさんには気の毒でしたが・・・

最後は胡麻団子で〆たものの、さらに話は盛り上がりコンビニに寄ってからアジトへ・・・



みなさんは甘味なんぞでひたすらライト談義・・・
ま、わたくしはハイボールなんぞを飲みつつ、ぼーっとしてただけですが・・・
と、翌日も朝からお仕事が入ってたbullittさんは、日付が変わる前には帰宅されましたが、
コンビニ支払いから稀少な日本酒の差し入れまで、いろいろとありがとうございました。
ま、その後も3人は天空の城ラピュタなんぞを観つつ・・・
「あははは、中に入れず騒いでる兵隊たち、まるで昼間の我々みたいやな・・・」
「そうか、ロボットの射出口からなら内部に侵入できたのか・・・」
「でも内部の蔓はグレネードガンで破壊しないとシータから飛行石を受け取れないな」
「そう、それで3人一緒に滅びの言葉を唱えれば一気に・・・」
「って、アジトが一気に崩れたら困るやないかっ!!!」
とか、例によって延々ヲタ話が続き、結局この夜の就寝は午前3時過ぎ・・・
翌朝は9時過ぎに起床してコーヒーと甘味だけで、いそいそと陸上自衛隊姫路駐屯地へ




ちょうど始まってた観閲式なんぞには目もくれず・・・
御一行は・・・


厚生センターにあるPX(売店)の自衛隊グッズ売り場を目指して・・・ひいひい
ま、売り場はすでに長蛇の列だったので、あらためて訓練展示なんぞを見学・・・
以下、さくさくっと・・・

94式水際地雷敷設車・・・これははじめて見ました
スクリュー付きの巨大な水陸両用車なんですね・・・
こちらは・・・

基地内で最も活躍してた主力輸送車両・・・ちなみにこれは旧型・・・

昔から残る古い兵舎・・・
わたくしの通った中学校は旧高射砲陣地だったので同じような兵舎が残ってました
懐かしいなあ・・・夏は暑かったなあ・・・
で、隊員に次々と装備品が支給されて・・・


実戦訓練展示へ・・・


ラペリング降下訓練展示とか・・・


展開射撃訓練展示とか・・・
敵の侵入をレーダーやドローンで察知し緊急展開して制圧するという想定の訓練なんですね
で、

格闘訓練展示
最後は、

素手で・・・

ばったばったと敵をなぎ倒して無事に制圧・・・
ロシア軍のハイテク兵器不足とかが話題になってますが、最終的に陸上を制圧するのは
やはり(旧式のAK47であれモシンナガンであれ)銃を持った生身の兵士なんですね・・・
と、女性自衛官のコスプレで記念写真を撮ろうと・・・

・・・思ったけど裏に子供用の台があったのであきらめ・・・
せっかくなので資料館をさくさくっと・・・

おおっ、98kも・・・

西ドイツになってからもリボンは黄色ではなく白色のままだったんですね・・・






じゅるじゅるじゅる
ちなみに資料館を出たら、ちょうど・・・


レンジャーの訓練展示をやってました


こんなのキャンプ用に欲しいなあ・・・
と、駐屯地を出て遅めの昼食は、3人ともひさしぶりだったモスバーガーで・・・

軽く済ませ、3時にはアジトまで何とか戻りました。ひいひい
赤チャリさんのハイテク歩数計によると、この日の歩数は12000歩ほどだったそうです。
わたくし1日に1000歩以上も歩くのはじつにひさしぶりで、着くなりぐったりと倒れ込み、
そのまま夕方までぐだぐだして姫路を出たのは5時前、神戸でwingさんを降ろして大阪に
無事に帰り着いたのは日曜日の8時半過ぎでした。
恒例により翌々日の本日朝から足腰が痛くなってきてましゅが・・・
いやあ、今回もじつに楽しかったです。皆さんありがとうございました。
特にはじめてお会いしたbullittさんには、お土産までいただき恐悦至極です。
だからOFF会参加はやめられない・・・げひげひ
次回お会いした際は大いに飲んでアクション映画話とかで朝まで盛り上がりましょう!!!
ええ、先週の土日に楽しんできましたので、さくさくっとご紹介!!!
土曜日の朝10時に神戸でwingさんをピックアップ・・・
「明石の溜池にコウノトリさんがいるとの情報なので、まずは寄ってみましょう」
とのことで明石西インターで下りて、とある溜池近くの駐車場へ・・・
一羽ぐらいは他のトリさんに混じっているのか、他の溜池も探さないと見れないのか・・・
と、心配しつつクルマを降りた途端、目の前に・・・




「あははは、いっぱいいましたね。ぱしゃぱしゃ」
「でも、あっけなく見つかると感動が少ないですね・・・ぱしゃぱしゃ」
と、しばらく撮影してたのですが他に望遠レンズや双眼鏡を持った人はいませんでした。
ここでは特に珍しくもない光景になってるんでしょうね・・・
ここは市街地の真ん中なんですが、湿地もあって餌も多いので集まってるのか・・・
それともしっかりした柵で保護されてて安全なので集まってるのか・・・
営巣地はどのあたりで、どこから飛来してくるのか・・・
ま、素人にはわかりませんでしたが、脚環があり大事に保護されているのは確かなようです
少し前までは絶滅寸前だったコウノトリさんが、豊岡はじめ各地での保護活動により、
こんなに身近に見られるようになったのは、まさに努力の賜物なんですね・・・
農薬や化学肥料を減らすなど里山の生態系を取り戻すことはコウノトリさんだけでなく、
そこに暮らす人々にとってもプラスがあることを信じて頑張ってこられた結果・・・

ちなみに・・・

カワウさん?もいっぱいでした・・・
と、探鳥会???は(探すまでもなく)無事に終了したので早めの昼食・・・

だから食べる前に撮ればよいものを・・・

ま、仕上げは・・・

天ぷらそばと・・・

季節のマロンちゃんで〆ました・・・

と、食後はいつもの姫路wing別邸(アジト)でred-bicycle(赤チャリ)さんと合流・・・
じつはアジトが蔓に覆われ、まるでラピュタさながらの状態になってたので、わたくしが
玉座に辿り着くまでに紆余曲折があったのですが、ま、最後は飛行石により・・・(以下略)
例によって飲みつつ食べつつダベり続け、夕方には仕事を終えたbullittさんと某SAで合流し、

以前お気に入りになった中華飯店へ・・・
そう、

ここの「日本最強焼餃子」をもう一度食べたいなあとwingさんが何度か呟いてて、それなら
陸自の基地祭に合わせて集まりましょう、となったのが今回プチOFF会の発端・・・
今回はじめてお会いしたbullittさんですが、以前から当ブログサイトをご愛読いただいており、
リアルでお話しできたのはじつに嬉しい限りで、さっそくwingさんや赤チャリさんとは
ライト談義に花を咲かせておられました。
ま、わたくしはひたすら・・・





ばくばく、もぐもぐ、ごくごく、んぐんぐ、ぷはあ
ま、飲まない赤チャリさんは・・・

お気に入りの回鍋肉定食でしたし、好きだけど運転で飲めないbullittさんには気の毒でしたが・・・

最後は胡麻団子で〆たものの、さらに話は盛り上がりコンビニに寄ってからアジトへ・・・



みなさんは甘味なんぞでひたすらライト談義・・・
ま、わたくしはハイボールなんぞを飲みつつ、ぼーっとしてただけですが・・・
と、翌日も朝からお仕事が入ってたbullittさんは、日付が変わる前には帰宅されましたが、
コンビニ支払いから稀少な日本酒の差し入れまで、いろいろとありがとうございました。
ま、その後も3人は天空の城ラピュタなんぞを観つつ・・・
「あははは、中に入れず騒いでる兵隊たち、まるで昼間の我々みたいやな・・・」
「そうか、ロボットの射出口からなら内部に侵入できたのか・・・」
「でも内部の蔓はグレネードガンで破壊しないとシータから飛行石を受け取れないな」
「そう、それで3人一緒に滅びの言葉を唱えれば一気に・・・」
「って、アジトが一気に崩れたら困るやないかっ!!!」
とか、例によって延々ヲタ話が続き、結局この夜の就寝は午前3時過ぎ・・・
翌朝は9時過ぎに起床してコーヒーと甘味だけで、いそいそと陸上自衛隊姫路駐屯地へ




ちょうど始まってた観閲式なんぞには目もくれず・・・
御一行は・・・


厚生センターにあるPX(売店)の自衛隊グッズ売り場を目指して・・・ひいひい
ま、売り場はすでに長蛇の列だったので、あらためて訓練展示なんぞを見学・・・
以下、さくさくっと・・・

94式水際地雷敷設車・・・これははじめて見ました
スクリュー付きの巨大な水陸両用車なんですね・・・
こちらは・・・

基地内で最も活躍してた主力輸送車両・・・ちなみにこれは旧型・・・

昔から残る古い兵舎・・・
わたくしの通った中学校は旧高射砲陣地だったので同じような兵舎が残ってました
懐かしいなあ・・・夏は暑かったなあ・・・
で、隊員に次々と装備品が支給されて・・・


実戦訓練展示へ・・・


ラペリング降下訓練展示とか・・・


展開射撃訓練展示とか・・・
敵の侵入をレーダーやドローンで察知し緊急展開して制圧するという想定の訓練なんですね
で、

格闘訓練展示
最後は、

素手で・・・

ばったばったと敵をなぎ倒して無事に制圧・・・
ロシア軍のハイテク兵器不足とかが話題になってますが、最終的に陸上を制圧するのは
やはり(旧式のAK47であれモシンナガンであれ)銃を持った生身の兵士なんですね・・・
と、女性自衛官のコスプレで記念写真を撮ろうと・・・

・・・思ったけど裏に子供用の台があったのであきらめ・・・
せっかくなので資料館をさくさくっと・・・

おおっ、98kも・・・


西ドイツになってからもリボンは黄色ではなく白色のままだったんですね・・・






じゅるじゅるじゅる

ちなみに資料館を出たら、ちょうど・・・


レンジャーの訓練展示をやってました


こんなのキャンプ用に欲しいなあ・・・

と、駐屯地を出て遅めの昼食は、3人ともひさしぶりだったモスバーガーで・・・

軽く済ませ、3時にはアジトまで何とか戻りました。ひいひい
赤チャリさんのハイテク歩数計によると、この日の歩数は12000歩ほどだったそうです。
わたくし1日に1000歩以上も歩くのはじつにひさしぶりで、着くなりぐったりと倒れ込み、
そのまま夕方までぐだぐだして姫路を出たのは5時前、神戸でwingさんを降ろして大阪に
無事に帰り着いたのは日曜日の8時半過ぎでした。
恒例により翌々日の本日朝から足腰が痛くなってきてましゅが・・・
いやあ、今回もじつに楽しかったです。皆さんありがとうございました。
特にはじめてお会いしたbullittさんには、お土産までいただき恐悦至極です。
次回お会いした際は大いに飲んでアクション映画話とかで朝まで盛り上がりましょう!!!
2022年09月09日
食べ物から学ぶ世界史
前回記事の続きとゆーか、食べものと経済つーことで惹かれたとゆーか・・・
「食べものから学ぶ世界史」~人も自然も壊さない経済とは?~のご紹介であります

著者は平賀 緑(表紙カバーイラストはふしはらにじこ)
裏表紙カバーにあった惹句

著者略歴・発行所・発行年月日などについては奥付のとおり

そう、岩波ジュニア新書シリーズで、ま、中高生向けレベルでしょうか・・・
奥様が借りられた本ですが、わたくし向けレベル
でボリュームも新書版で160頁ほど、
前回記事の分厚いハードカバーと異なり、挫折せずに最後までスラスラと読めましたが、
食と経済と歴史の関係をジュニアにも分かるよう、まとめるのは大変だったでしょうね
著者は食料栄養学の修士号と経済学の博士号をお持ちのようで、この両方の分野を学ばれた方
とゆーのはけっこう稀少なのではと思ってます
例によって目次のみのご紹介



目次を順番に眺めるだけでも食と経済の歴史が覗えます
以下、わたくしの読後メモから・・・
(分かりやすい本でしたが、てきとーメモなので興味を持たれた方は本書のご熟読を)
「はじめに」より
・命か経済か?
→経済の語源は「経世済民」→世を治めて民を救うこと
・世界には120億人を養うのに充分な食料がある
→現在78億人の世界人口のうち、慢性的な栄養不良(飢餓人口)は7~8億人
→充分な量と質の食料を得ることができない中~重度の食糧不安人口は約20億人
→同時に食べ過ぎによる不健康で寿命を縮めている人
は十数億人
・農家は食べて行けず廃業し、膨大な資源を使って生産した食料の1/3が廃棄されている
・農業と食料システムで排出される温室効果ガスは全体の26%~34%ともいわれている
・人と社会と地球を壊しながら食料増産して経済成長することが生きるために必要?
→健康や自然環境を切り捨て、お金で測れる部分だけで効率性や成長を目指す仕組みだから当然
→この「資本主義経済」はせいぜい200~300年前からで日本では150年前から
→自然の法則でも不変のシステムでもない
→資本主義経済の成り立ちを「食べもの」が「商品」に変わったところからまとめてみた
序章「食べものから資本主義を学ぶとは」より
・飢餓があるから、アジア・アフリカで肉や油の需要が増えるから、人口が90億人に増えるから、
農業生産は大規模に近代的に拡大していくことが必要?
・飢餓があるいっぽうで食べ過ぎや肥満があるのはなぜか?
→「食べもの」が「商品」になり資本主義経済に組み込まれたから
→お金がないと食べられないから
→食べるために働くことの意味が変わったから
→食べるモノ=自分で栽培・育てるモノから買うモノ=商品=食品へ
→商品は売って利潤を得るモノで自分で使うモノではない
→自分で使うモノは使用価値が重要だが商品は交換価値が重要(商品作物)
・人と自然を破壊しても、それでお金が動けばGDPはプラスになる(肥満の惑星)
→必要以上に消費すれば(食べ過ぎれば)経済成長する
→それでメタボになってジムや医者に行けば経済成長する
→さらにトクホやダイエット食品を買い食いすれば経済成長する
→食品ロスを増やせば処理事業とかで経済成長する
→自家菜園とかで健康な食生活をしてもGDPには計上されず経済成長にはつながらない
・資本主義とは→やめられない止まらない(NHK欲望の資本主義)
→必要な食べ物だけを売って儲けられる時代は終わったが売り続けないと成長できない
→新商品、名産品、ご当地グルメ、キャラクター商品・・・
→塩や砂糖や油も人間の本能以上に食べさせる(商品を買わせる)創意工夫で売り続ける
→市場が成熟しモノがあふれていても競争し続けなくてはならないから
→フロンティアを海外や貧しい人たちにも広げてきたが、そろそろ飽和状態に
・1980年代から、さらに経済成長しようとする新自由主義やグローバリゼーションへ
→金融資産の実体経済サイズを超えた膨張により、新しいフロンティアが求められた
→必要以上に人を動かす過剰な観光業の推進、水道など公共事業の民営化、データの商品化、
経済の金融化、マネーゲーム・・・
→資本主義が好きな人も嫌いな人も現在はこのシステムで生きている
→気候危機とパンデミックで問題が表面化した今こそシステム・チェンジに取り組むべき
1章「農耕の始まりから近代世界システムの形成まで」より
・学校では狩猟採集⇒農耕・牧畜⇒文明⇒都市⇒国家と人類は発展したと教わったはず
・ところが「反穀物の人類史」(ジェームス・C・スコット著みすず書房2019)によれば、
→農耕・牧畜は支配する側の都合によるもので、人類は逆に不健康になった、
→小麦・大麦・コメ・トウモロコシを主食にした→世界消費カロリーの過半数になるほど
→食べ物は多様性に富むほうが人にも自然にも、健康のためには望ましいはず
→作物も動物も人間も、単一栽培や家畜化や都市化で密になり、病原体の繁殖と変異が増えた
→穀物は育てるのにも食べるのにも手間がかかるが長期保存や輸送ができる
→富・軍備の蓄積に都合がよく、収穫量を正確に査定でき課税も配分もしやすい
→主食として人民や奴隷に生産させた政治的作物
→都市や国家には興亡があったが近代までは大多数が身近な田畑や自然から食を得ていた
(貿易はごく一部の富裕層のための小型軽量な貴重品に限られていた)
・大航海時代と重商主義
→欧州の経済と金融の中心はイタリア半島の都市からオスマンの東方占拠などにより、
大西洋側にあるイベリア半島のポルトガルやスペインへ
→新世界から奪った金銀により、お金が増えて食料の物価が上昇し混乱した
→うまく活用したのはオランダと英国で経済と金融の中心も北上した
→大量に運べるハンザ同盟などの北海バルト海貿易(麦類や塩漬けニシンやタラなど食料も)
→重商主義とは植民地から奪った富が多い国が強い国になるという政策
→欧州の重商主義で地域経済社会が破壊された植民地が後進国・途上国といわれる地域に
・資本主義と産業革命の始まり
自給自足⇒家内制手工業⇒機械制大工業・・・(略)
→都市部の労働者は自分で食べものを作る土地も時間も台所もなく商品を買うしかない
→需要が生まれ商品の市場が形成される
→北米からの小麦パンと、カリブ海からの砂糖の入ったインドからの紅茶→世界商品に
→すべて植民地の奴隷労働によるもので莫大な利益に(三角貿易)
→パンと甘い紅茶は工場経営者が必要としていた労働者向けの簡便・低価格・高カロリー食
→大量生産された白い小麦パンと白い砂糖での長時間・低賃金労働→身体はボロボロに
→1845年の関税撤廃→地主と資本家の立場が逆転し、さらに・・・
2章「山積み小麦と失業者たち」より
・自由放任主義による競争と過剰生産→大量生産したものを大量消費させる
→労働者の購買力(賃金)をある程度維持しつつ国内に商品があふれたら海外へ
・19世紀末から過剰生産・価格暴落による倒産・失業の恐慌は始まっている
・第一次世界大戦後のアメリカ好景気からバブル崩壊、1929年の世界恐慌へ
→アメリカの戦争特需→農業バブル→戦争終結→欧州などの農業再開→農業バブル崩壊
→銀行から借金したまま農家が次々と廃業→ウォール街の株価大暴落→大不況
(食料が余って暴落していても、失業でお金がなければ買うことはできない)
→アメリカから借金して賠償金にしようとしていたドイツに感染→大不況
→ドイツからの賠償金で戦後復興しようとしていた英国・フランスに感染→大不況
→世界中に感染し世界恐慌に
→アメリカ政府はまず緊縮財政とデフレ政策による自然回復という伝統的手法
→1933年のニューディール政策・ケインズ理論→政府介入による経済回復
→実際には第二次世界大戦の戦争特需により立ち直った
3章「食べ過ぎの『デブの帝国』へ」より
・戦後の大きな政府・大量生産+大量消費による経済成長→資本主義の黄金時代
→農業・食料部門も工業化・大規模化→農薬・化学肥料・農業機械による大量生産へ
→農業は自立的な営みから、大規模生産した商品作物の(製品)原材料としての出荷に
→商品として大量生産すれば資本主義では市場拡大が必要(胃袋には限界があるので)
→海外へ拡大するか新商品にして消費拡大する
→アメリカは食料援助から海外市場の拡大へ、冷戦で戦略的な意味も持つようになる
・「デブの帝国」(グレッグ・クライツァー著パジリコ2003)より
→トウモロコシは家畜の飼料と油やスターチから高果糖コーンシロップにも(1970年代から)
→あらゆる加工食品と動物性食品に姿を変えて間接的に大量消費されている
→アメリカ人は「歩くトウモロコシ」に、日本人も身体の炭素の4割がトウモロコシ由来に
→大豆も多くは油と添加物の原材料に、大豆粕は家畜の飼料に大量消費されている
→どちらも大量生産・大量加工・大量流通・大量消費の構造が形成され、安くて豊富でおいしい、
高カロリー食品がいっぱいの時代が到来し「デブの帝国」が出来上がった
→この過程で利潤を得たのは農民や消費者ではなく、穀物商社・食品製造業・小売業・外食産業
→米国中心のモデルだが日本でも複製され、現在は中国・インド・アジア・アフリカにも・・・
4章「世界の半分が飢えるのはなぜ?」より
・国連世界食糧計画のハンガーマップ2020を見ると飢餓地域の殆どが昔の植民地の地域
→飢餓とは慢性的な栄養不足で生存や生活が困難になっている状態を指すが、
→最近では糖分や油でカロリーだけは足りるか過剰になっている
「隠れた飢餓」も問題に
→世界には120億人が食べられる食料があるのに餓死しているのだから飢餓は殺人そのもの
→飢餓地域の75%が農村
→「商品作物を作る産業」としての農業で生活できなくなったから
→植民地に貧困と飢餓が作られてきた歴史に根本的な要因がある
・17世紀から1970年代までの歴史
→植民地の資源も人も奪い欧州に安く提供し植民地を工業製品の市場とした(三角貿易など)
→1960年代に多くが独立したが英国の新植民地主義で輸出向け農業が継続された
→第二次世界大戦後のアメリカは過剰生産した小麦や大豆などを食料援助名目で大量輸出した
(旧植民地(途上国)の農民は太刀打ちできず困窮していく)
→マーシャルプランでやがて欧州も過剰生産になり途上国へ(開発や技術援助名目で)
→1960年代の「緑の革命」
→一代雑種(ハイブリッド)・農薬・化学肥料・機械化・灌漑(大量の水)による高収穫
→維持するためにはこれらを先進国から買い続けなければならない
(現地の在来品種を駆逐し生物多様性も90%減少させた)
→収穫増で恩恵を受けたのは裕福な農家で貧しい農家は穀物価格の下落で破産
→市場が飽和すると自給自足していた小規模農家にも借金させて普及させた
→農家は借金まみれになり利潤は企業へ(メキシコ農民の例)
→緑の革命は穀物の収穫量を増やしたが多数の飢餓を作り出した
・1980年代から世界はさらにグローバル化し新自由主義によって、途上国でも食と農を
その中に組み込みながら経済成長を求め続けている・・・
5章「日本における食と資本主義の歴史」より
・「日本にはコメを中心にした素晴らしい和食があったのに戦後の経済成長により西洋化、
アメリカナイズされ、食料自給率の低下や食生活の乱れに・・・」というのが通説
→ところが米国の小麦や英国の砂糖が入ってきたのは19世紀半ばで世界商品となった時期
→明治期から政府・軍部・財界・大企業が食に関係してきた
・近代前の農民の糧飯(かてめし)は少量のコメに雑穀や野菜を混ぜた混ぜご飯が多かった
→当時大多数だった農民にとって、コメは年貢として収めるもので日常食ではなかった
→明治の産業革命以降に労働者や兵士のための新たな食料システムが形成された
・江戸時代に商品経済が発展していたので、明治になっても外国人の貿易を居留地に留め
欧米資本の侵入を食い止めて、日本での資本蓄積を可能にした
→この実力と環境が19世紀のアジアで唯一、産業革命を遂行できた要因の一つ
→産業革命の資金(外貨)を稼がせるため、既存の大商人を「政商」にし支援・保護した
→政商は貿易を担い海外へ、領事館・銀行と三位一体でアジアにも進出
(世界商品である小麦、砂糖、満州の大豆→日本版東インド会社)→今も続く大手食品産業へ
・1914~1945
→第一次世界大戦の戦争特需→大豆油脂などが拡大
→その後の世界恐慌→昭和恐慌→製糖・製油(当時世界の4割)などは大手企業の寡占状態へ
→第二次世界大戦の戦争遂行→さらに製油・製粉・製糖は拡大し今も続く大手企業に
→敗戦から10年で高度経済成長(資本主義の黄金期)へ・・・
・通説的には「経済成長すれば食生活が変化し、肉や油や乳製品を求めるようになる」が、
→これは人間の本能なのか、消費者の嗜好の変化だけが理由なのか・・・
→1910~2010の純食料供給量の変化をよく見ると、戦後には小麦の供給量も増えているが、
それよりも野菜、牛乳・乳製品、魚介類が急増している
→ご飯がパンに代わったというより、真っ白なご飯に野菜・魚介類のおかずを充実させた
→これが今「和食」でイメージされる日本型食生活で、戦後に確立されたもの
(農林水産省のすすめる日本型食生活も昭和50年代(1975~)のバランスのとれた食事)
・戦後の飢餓脱出期(1945~1954)
→飢餓は財閥が移入していた食料の途絶、農村の担い手不足、帰国者の急増などから
→アメリカの食料援助(冷戦との関係、穀物商社・大手食品企業の思惑も)
・内食充実期(1955~1969)
→朝鮮戦争特需→産業・農業の復興→食料供給量の増加
→米国の農業機械・農薬・化学肥料による大量生産→過剰→市場拡大へ
→粉食(パンや麺類)、油食(マーガリンなど)の推奨→スナック・加工食品の発展
→スーパー誕生などの流通革命、テレビによる新商品の宣伝・・・
→食品の大量生産・大量流通・大量消費時代の到来
→戦中・戦後の食生活を恥じる親世代は、娘に料理番組や料理学校で学ぶことを勧めた
→日本の伝統や農業とはかけ離れた料理を教わり家族のために作る「内食」が充実
・外食発展期(1970~1979)
→屋台やハレの食事から、低価格・大量販売・多店舗展開の大量消費社会へ
→大阪万博1970への飲食店出店、外国企業への規制緩和(資本の自由化)がきっかけ
→ハンバーガー、ドーナツ、フライドチキン、ピザ、アイスクリーム・・・
→小麦粉・油・動物性食品・砂糖を使った外食が広まり需要が増加
・飽食・グルメ期(1980~1990)
→肥満、飽食の時代、総グルメ、バブル経済・・・
→1980年代からの新自由主義とグローバリズム
→1985年のプラザ合意
→食料の開発輸入と食品産業の海外進出→食市場のグローバル化の加速
・中食興隆期(1991~1999)
→1991年のバブル崩壊によりコンビニ弁当などの低価格志向へ
・戦後の食料需給の変化は食の洋風化という消費者の嗜好の変化だけではない
→戦前の財閥時代から近代化に関わってきた総合商社が製油・製粉・製糖にも介入していた
→戦後の穀物・油糧種子の輸入から食品加工、外食、加工型畜産、流通・小売りまで各段階の
食料システムの形成にも大きく関与している
→例えば日本ケンタッキーに投資した三菱商事は、エサとなる穀物の輸入から配合飼料の製造、
養鶏、鶏肉処理産業、畜産物販売業まで一連の各段階に関与している
・戦前から引き継がれた大手食品企業や総合商社に支えられながら、輸入原料に依存した
戦後の食料システムが構築され、食生活に影響してきた
→農業や食文化、消費者の嗜好を超えた、世界経済の中の政策決定と産業動向によるもの
→現在では、ここで成長した食品産業がグローバルに展開している
6章「中国のブタとグローバリゼーション」より
・戦後の大きな政府による「資本主義の黄金時代」の行き詰まり(1970年代頃から)
→新自由主義による小さな政府と規制の緩和、貿易の自由化へ
→企業の多国籍化、グローバル・サプライチェーン化→グローバル・バリューチェーン化
→農産物や食品の世界貿易量も急増、食料の生産から消費までの距離も離れた
・1970年代初めの三大ショック
→オイルショック→安い石油が前提の大量生産・大量消費による経済成長の行き詰まり
→ドルショック(ニクソンショック)→総資産に対する金融資産の膨張
→穀物価格の急騰→天候不順?「穀物の大強盗」?
・食と農のグローバル化
→途上国に対する構造調整計画(穀物輸入など)の押し付け
→日本ではプラザ合意と前川レポートによる食料輸入と開発輸入
→1986ガット・ウルグアイラウンドからの食料貿易の自由化・規制緩和
・「中国のブタが世界を動かす(柴田明夫著 毎日新聞社2014)」より
→中国の農業生産は1980年代半ばに過剰生産になるほど自給できるようになった
→その後に経済発展を目指し海外からの投資・規制緩和・付加価値の高い商品作物生産へ
→特に海外投資を受けた近代的大規模畜産システムの発展→エサ穀物の大量輸入へ
→世界一の大豆輸入国・豚肉生産国に(他の食料も輸入大国に)
(日本や台湾からの投資を受けたインスタントラーメン生産も世界一に)
・総合商社のグローバル戦略
→日本の食関係の企業は高齢化する日本市場では成長しない
→海外でも特に成長する中国やアジア諸国へ多国籍企業として進出させる
→それらの海外進出をリードしているのが総合商社
→すでに投資と商取引を融合させてるので総合商社というより総合投資会社
→北米と南米から小麦、大豆、トウモロコシなどの食材を輸出し、中国などに輸入する
→同時に中国などの加工食品産業や畜産業に投資して食材の需要を喚起する
→中国アジアで需要を増やし、北米南米で供給を増やして、日本の総合商社が成長する戦略
・日系企業のグローバル展開
→1980年代から海外進出へと方針転換してきたが、近年は「グローバルフードバリュー
チェーン戦略」と称し、産官学連携での「Made WITH Japan」の推進へ
→「Made IN Japan」から「Made WITH Japan」へ切り替えて成長する戦略
→「和食」のユネスコ無形文化遺産への登録も「日本人の伝統的な食文化」をブランド化して
グローバル展開していくための戦略の一環→食材は外国産でも構わない
→これは「食産業の海外展開」を後押しするものの、日本の農業や進出先での農民たちの生活、
日本と進出先の人々の食生活にどのような影響を与えるか・・・
→人の健康と自然環境のための食と農が軽視され、企業のビジネスと経済成長が目的の、
資本主義的食料システムの発展が目指されてはいないか・・・
・今後どのように持続可能な経済の仕組みをつくり人の健康と自然環境に望ましい食と農の
システムを築いていくか考える必要がある
「おわりに」より
・資本主義のすべてを悪と決めるのではなくシステムの成り立ちとカラクリを理解する
・商品としての価値ではなく使用価値(有用性)を重視する社会に移行する(斎藤幸平)
・自分で食事を用意できるスキルを持つ→自己防衛や環境負荷を減らすためにも必要
・地域に根ざした食と農のシステム(表紙カバー)に→自分が食べるものが見えてくる
・「命か経済か」より「命のための経済」を取り戻すことが大切→経世済民
「あとがき」より
・自然と人のつながりで育てられた「食べもの」と「商品(食品)」との違いを実体験したことが
食と資本主義の歴史を研究する今につながった
・食べものの世界には(じつは)ドロドロした政治経済の話が多い
→例えば大豆には伝統食・健康食のイメージより、ブラジルの森林火災やモザンビークの
追い詰められた小農たちの血と涙の話が聞こえてくる
・資本主義が好きでも嫌いでも、そのO.Sを理解しなければ食の問題を見誤ると思う
・命を食すことを教えてくれた鳥たち、一番多くを教えてくれた亡き夫に感謝を込めて・・・
冒頭にも書きましたが、食から経済や歴史をジュニアにも学んでもらおうとする本で、
とてもわかりやすく、参考文献や参考サイトも数多く紹介されてました
わたくしも何冊か図書館に予約しましたので、いずれまた・・・
それにしても食の変化というのは嗜好の変化というより、資本主義経済の世界戦略の変化に、
大きく影響されているという事実は、あらためて認識する必要がありますね
まあ、わたくしの「粉もん」嗜好は絶対に外せないけど、最近は小麦の価格が・・・
「食べものから学ぶ世界史」~人も自然も壊さない経済とは?~のご紹介であります

著者は平賀 緑(表紙カバーイラストはふしはらにじこ)
裏表紙カバーにあった惹句

著者略歴・発行所・発行年月日などについては奥付のとおり

そう、岩波ジュニア新書シリーズで、ま、中高生向けレベルでしょうか・・・
奥様が借りられた本ですが、わたくし向けレベル

前回記事の分厚いハードカバーと異なり、挫折せずに最後までスラスラと読めましたが、
食と経済と歴史の関係をジュニアにも分かるよう、まとめるのは大変だったでしょうね
著者は食料栄養学の修士号と経済学の博士号をお持ちのようで、この両方の分野を学ばれた方
とゆーのはけっこう稀少なのではと思ってます
例によって目次のみのご紹介



目次を順番に眺めるだけでも食と経済の歴史が覗えます
以下、わたくしの読後メモから・・・
(分かりやすい本でしたが、てきとーメモなので興味を持たれた方は本書のご熟読を)
「はじめに」より
・命か経済か?
→経済の語源は「経世済民」→世を治めて民を救うこと
・世界には120億人を養うのに充分な食料がある
→現在78億人の世界人口のうち、慢性的な栄養不良(飢餓人口)は7~8億人
→充分な量と質の食料を得ることができない中~重度の食糧不安人口は約20億人
→同時に食べ過ぎによる不健康で寿命を縮めている人

・農家は食べて行けず廃業し、膨大な資源を使って生産した食料の1/3が廃棄されている
・農業と食料システムで排出される温室効果ガスは全体の26%~34%ともいわれている
・人と社会と地球を壊しながら食料増産して経済成長することが生きるために必要?
→健康や自然環境を切り捨て、お金で測れる部分だけで効率性や成長を目指す仕組みだから当然
→この「資本主義経済」はせいぜい200~300年前からで日本では150年前から
→自然の法則でも不変のシステムでもない
→資本主義経済の成り立ちを「食べもの」が「商品」に変わったところからまとめてみた
序章「食べものから資本主義を学ぶとは」より
・飢餓があるから、アジア・アフリカで肉や油の需要が増えるから、人口が90億人に増えるから、
農業生産は大規模に近代的に拡大していくことが必要?
・飢餓があるいっぽうで食べ過ぎや肥満があるのはなぜか?
→「食べもの」が「商品」になり資本主義経済に組み込まれたから
→お金がないと食べられないから
→食べるために働くことの意味が変わったから
→食べるモノ=自分で栽培・育てるモノから買うモノ=商品=食品へ
→商品は売って利潤を得るモノで自分で使うモノではない
→自分で使うモノは使用価値が重要だが商品は交換価値が重要(商品作物)
・人と自然を破壊しても、それでお金が動けばGDPはプラスになる(肥満の惑星)
→必要以上に消費すれば(食べ過ぎれば)経済成長する
→それでメタボになってジムや医者に行けば経済成長する
→さらにトクホやダイエット食品を買い食いすれば経済成長する
→食品ロスを増やせば処理事業とかで経済成長する
→自家菜園とかで健康な食生活をしてもGDPには計上されず経済成長にはつながらない
・資本主義とは→やめられない止まらない(NHK欲望の資本主義)
→必要な食べ物だけを売って儲けられる時代は終わったが売り続けないと成長できない
→新商品、名産品、ご当地グルメ、キャラクター商品・・・
→塩や砂糖や油も人間の本能以上に食べさせる(商品を買わせる)創意工夫で売り続ける
→市場が成熟しモノがあふれていても競争し続けなくてはならないから
→フロンティアを海外や貧しい人たちにも広げてきたが、そろそろ飽和状態に
・1980年代から、さらに経済成長しようとする新自由主義やグローバリゼーションへ
→金融資産の実体経済サイズを超えた膨張により、新しいフロンティアが求められた
→必要以上に人を動かす過剰な観光業の推進、水道など公共事業の民営化、データの商品化、
経済の金融化、マネーゲーム・・・
→資本主義が好きな人も嫌いな人も現在はこのシステムで生きている
→気候危機とパンデミックで問題が表面化した今こそシステム・チェンジに取り組むべき
1章「農耕の始まりから近代世界システムの形成まで」より
・学校では狩猟採集⇒農耕・牧畜⇒文明⇒都市⇒国家と人類は発展したと教わったはず
・ところが「反穀物の人類史」(ジェームス・C・スコット著みすず書房2019)によれば、
→農耕・牧畜は支配する側の都合によるもので、人類は逆に不健康になった、
→小麦・大麦・コメ・トウモロコシを主食にした→世界消費カロリーの過半数になるほど
→食べ物は多様性に富むほうが人にも自然にも、健康のためには望ましいはず
→作物も動物も人間も、単一栽培や家畜化や都市化で密になり、病原体の繁殖と変異が増えた
→穀物は育てるのにも食べるのにも手間がかかるが長期保存や輸送ができる
→富・軍備の蓄積に都合がよく、収穫量を正確に査定でき課税も配分もしやすい
→主食として人民や奴隷に生産させた政治的作物
→都市や国家には興亡があったが近代までは大多数が身近な田畑や自然から食を得ていた
(貿易はごく一部の富裕層のための小型軽量な貴重品に限られていた)
・大航海時代と重商主義
→欧州の経済と金融の中心はイタリア半島の都市からオスマンの東方占拠などにより、
大西洋側にあるイベリア半島のポルトガルやスペインへ
→新世界から奪った金銀により、お金が増えて食料の物価が上昇し混乱した
→うまく活用したのはオランダと英国で経済と金融の中心も北上した
→大量に運べるハンザ同盟などの北海バルト海貿易(麦類や塩漬けニシンやタラなど食料も)
→重商主義とは植民地から奪った富が多い国が強い国になるという政策
→欧州の重商主義で地域経済社会が破壊された植民地が後進国・途上国といわれる地域に
・資本主義と産業革命の始まり
自給自足⇒家内制手工業⇒機械制大工業・・・(略)
→都市部の労働者は自分で食べものを作る土地も時間も台所もなく商品を買うしかない
→需要が生まれ商品の市場が形成される
→北米からの小麦パンと、カリブ海からの砂糖の入ったインドからの紅茶→世界商品に
→すべて植民地の奴隷労働によるもので莫大な利益に(三角貿易)
→パンと甘い紅茶は工場経営者が必要としていた労働者向けの簡便・低価格・高カロリー食
→大量生産された白い小麦パンと白い砂糖での長時間・低賃金労働→身体はボロボロに
→1845年の関税撤廃→地主と資本家の立場が逆転し、さらに・・・
2章「山積み小麦と失業者たち」より
・自由放任主義による競争と過剰生産→大量生産したものを大量消費させる
→労働者の購買力(賃金)をある程度維持しつつ国内に商品があふれたら海外へ
・19世紀末から過剰生産・価格暴落による倒産・失業の恐慌は始まっている
・第一次世界大戦後のアメリカ好景気からバブル崩壊、1929年の世界恐慌へ
→アメリカの戦争特需→農業バブル→戦争終結→欧州などの農業再開→農業バブル崩壊
→銀行から借金したまま農家が次々と廃業→ウォール街の株価大暴落→大不況
(食料が余って暴落していても、失業でお金がなければ買うことはできない)
→アメリカから借金して賠償金にしようとしていたドイツに感染→大不況
→ドイツからの賠償金で戦後復興しようとしていた英国・フランスに感染→大不況
→世界中に感染し世界恐慌に
→アメリカ政府はまず緊縮財政とデフレ政策による自然回復という伝統的手法
→1933年のニューディール政策・ケインズ理論→政府介入による経済回復
→実際には第二次世界大戦の戦争特需により立ち直った
3章「食べ過ぎの『デブの帝国』へ」より
・戦後の大きな政府・大量生産+大量消費による経済成長→資本主義の黄金時代
→農業・食料部門も工業化・大規模化→農薬・化学肥料・農業機械による大量生産へ
→農業は自立的な営みから、大規模生産した商品作物の(製品)原材料としての出荷に
→商品として大量生産すれば資本主義では市場拡大が必要(胃袋には限界があるので)
→海外へ拡大するか新商品にして消費拡大する
→アメリカは食料援助から海外市場の拡大へ、冷戦で戦略的な意味も持つようになる
・「デブの帝国」(グレッグ・クライツァー著パジリコ2003)より
→トウモロコシは家畜の飼料と油やスターチから高果糖コーンシロップにも(1970年代から)
→あらゆる加工食品と動物性食品に姿を変えて間接的に大量消費されている
→アメリカ人は「歩くトウモロコシ」に、日本人も身体の炭素の4割がトウモロコシ由来に
→大豆も多くは油と添加物の原材料に、大豆粕は家畜の飼料に大量消費されている
→どちらも大量生産・大量加工・大量流通・大量消費の構造が形成され、安くて豊富でおいしい、
高カロリー食品がいっぱいの時代が到来し「デブの帝国」が出来上がった
→この過程で利潤を得たのは農民や消費者ではなく、穀物商社・食品製造業・小売業・外食産業
→米国中心のモデルだが日本でも複製され、現在は中国・インド・アジア・アフリカにも・・・
4章「世界の半分が飢えるのはなぜ?」より
・国連世界食糧計画のハンガーマップ2020を見ると飢餓地域の殆どが昔の植民地の地域
→飢餓とは慢性的な栄養不足で生存や生活が困難になっている状態を指すが、
→最近では糖分や油でカロリーだけは足りるか過剰になっている

→世界には120億人が食べられる食料があるのに餓死しているのだから飢餓は殺人そのもの
→飢餓地域の75%が農村
→「商品作物を作る産業」としての農業で生活できなくなったから
→植民地に貧困と飢餓が作られてきた歴史に根本的な要因がある
・17世紀から1970年代までの歴史
→植民地の資源も人も奪い欧州に安く提供し植民地を工業製品の市場とした(三角貿易など)
→1960年代に多くが独立したが英国の新植民地主義で輸出向け農業が継続された
→第二次世界大戦後のアメリカは過剰生産した小麦や大豆などを食料援助名目で大量輸出した
(旧植民地(途上国)の農民は太刀打ちできず困窮していく)
→マーシャルプランでやがて欧州も過剰生産になり途上国へ(開発や技術援助名目で)
→1960年代の「緑の革命」
→一代雑種(ハイブリッド)・農薬・化学肥料・機械化・灌漑(大量の水)による高収穫
→維持するためにはこれらを先進国から買い続けなければならない
(現地の在来品種を駆逐し生物多様性も90%減少させた)
→収穫増で恩恵を受けたのは裕福な農家で貧しい農家は穀物価格の下落で破産
→市場が飽和すると自給自足していた小規模農家にも借金させて普及させた
→農家は借金まみれになり利潤は企業へ(メキシコ農民の例)
→緑の革命は穀物の収穫量を増やしたが多数の飢餓を作り出した
・1980年代から世界はさらにグローバル化し新自由主義によって、途上国でも食と農を
その中に組み込みながら経済成長を求め続けている・・・
5章「日本における食と資本主義の歴史」より
・「日本にはコメを中心にした素晴らしい和食があったのに戦後の経済成長により西洋化、
アメリカナイズされ、食料自給率の低下や食生活の乱れに・・・」というのが通説
→ところが米国の小麦や英国の砂糖が入ってきたのは19世紀半ばで世界商品となった時期
→明治期から政府・軍部・財界・大企業が食に関係してきた
・近代前の農民の糧飯(かてめし)は少量のコメに雑穀や野菜を混ぜた混ぜご飯が多かった
→当時大多数だった農民にとって、コメは年貢として収めるもので日常食ではなかった
→明治の産業革命以降に労働者や兵士のための新たな食料システムが形成された
・江戸時代に商品経済が発展していたので、明治になっても外国人の貿易を居留地に留め
欧米資本の侵入を食い止めて、日本での資本蓄積を可能にした
→この実力と環境が19世紀のアジアで唯一、産業革命を遂行できた要因の一つ
→産業革命の資金(外貨)を稼がせるため、既存の大商人を「政商」にし支援・保護した
→政商は貿易を担い海外へ、領事館・銀行と三位一体でアジアにも進出
(世界商品である小麦、砂糖、満州の大豆→日本版東インド会社)→今も続く大手食品産業へ
・1914~1945
→第一次世界大戦の戦争特需→大豆油脂などが拡大
→その後の世界恐慌→昭和恐慌→製糖・製油(当時世界の4割)などは大手企業の寡占状態へ
→第二次世界大戦の戦争遂行→さらに製油・製粉・製糖は拡大し今も続く大手企業に
→敗戦から10年で高度経済成長(資本主義の黄金期)へ・・・
・通説的には「経済成長すれば食生活が変化し、肉や油や乳製品を求めるようになる」が、
→これは人間の本能なのか、消費者の嗜好の変化だけが理由なのか・・・
→1910~2010の純食料供給量の変化をよく見ると、戦後には小麦の供給量も増えているが、
それよりも野菜、牛乳・乳製品、魚介類が急増している
→ご飯がパンに代わったというより、真っ白なご飯に野菜・魚介類のおかずを充実させた
→これが今「和食」でイメージされる日本型食生活で、戦後に確立されたもの
(農林水産省のすすめる日本型食生活も昭和50年代(1975~)のバランスのとれた食事)
・戦後の飢餓脱出期(1945~1954)
→飢餓は財閥が移入していた食料の途絶、農村の担い手不足、帰国者の急増などから
→アメリカの食料援助(冷戦との関係、穀物商社・大手食品企業の思惑も)
・内食充実期(1955~1969)
→朝鮮戦争特需→産業・農業の復興→食料供給量の増加
→米国の農業機械・農薬・化学肥料による大量生産→過剰→市場拡大へ
→粉食(パンや麺類)、油食(マーガリンなど)の推奨→スナック・加工食品の発展
→スーパー誕生などの流通革命、テレビによる新商品の宣伝・・・
→食品の大量生産・大量流通・大量消費時代の到来
→戦中・戦後の食生活を恥じる親世代は、娘に料理番組や料理学校で学ぶことを勧めた
→日本の伝統や農業とはかけ離れた料理を教わり家族のために作る「内食」が充実
・外食発展期(1970~1979)
→屋台やハレの食事から、低価格・大量販売・多店舗展開の大量消費社会へ
→大阪万博1970への飲食店出店、外国企業への規制緩和(資本の自由化)がきっかけ
→ハンバーガー、ドーナツ、フライドチキン、ピザ、アイスクリーム・・・
→小麦粉・油・動物性食品・砂糖を使った外食が広まり需要が増加
・飽食・グルメ期(1980~1990)
→肥満、飽食の時代、総グルメ、バブル経済・・・
→1980年代からの新自由主義とグローバリズム
→1985年のプラザ合意
→食料の開発輸入と食品産業の海外進出→食市場のグローバル化の加速
・中食興隆期(1991~1999)
→1991年のバブル崩壊によりコンビニ弁当などの低価格志向へ
・戦後の食料需給の変化は食の洋風化という消費者の嗜好の変化だけではない
→戦前の財閥時代から近代化に関わってきた総合商社が製油・製粉・製糖にも介入していた
→戦後の穀物・油糧種子の輸入から食品加工、外食、加工型畜産、流通・小売りまで各段階の
食料システムの形成にも大きく関与している
→例えば日本ケンタッキーに投資した三菱商事は、エサとなる穀物の輸入から配合飼料の製造、
養鶏、鶏肉処理産業、畜産物販売業まで一連の各段階に関与している
・戦前から引き継がれた大手食品企業や総合商社に支えられながら、輸入原料に依存した
戦後の食料システムが構築され、食生活に影響してきた
→農業や食文化、消費者の嗜好を超えた、世界経済の中の政策決定と産業動向によるもの
→現在では、ここで成長した食品産業がグローバルに展開している
6章「中国のブタとグローバリゼーション」より
・戦後の大きな政府による「資本主義の黄金時代」の行き詰まり(1970年代頃から)
→新自由主義による小さな政府と規制の緩和、貿易の自由化へ
→企業の多国籍化、グローバル・サプライチェーン化→グローバル・バリューチェーン化
→農産物や食品の世界貿易量も急増、食料の生産から消費までの距離も離れた
・1970年代初めの三大ショック
→オイルショック→安い石油が前提の大量生産・大量消費による経済成長の行き詰まり
→ドルショック(ニクソンショック)→総資産に対する金融資産の膨張
→穀物価格の急騰→天候不順?「穀物の大強盗」?
・食と農のグローバル化
→途上国に対する構造調整計画(穀物輸入など)の押し付け
→日本ではプラザ合意と前川レポートによる食料輸入と開発輸入
→1986ガット・ウルグアイラウンドからの食料貿易の自由化・規制緩和
・「中国のブタが世界を動かす(柴田明夫著 毎日新聞社2014)」より
→中国の農業生産は1980年代半ばに過剰生産になるほど自給できるようになった
→その後に経済発展を目指し海外からの投資・規制緩和・付加価値の高い商品作物生産へ
→特に海外投資を受けた近代的大規模畜産システムの発展→エサ穀物の大量輸入へ
→世界一の大豆輸入国・豚肉生産国に(他の食料も輸入大国に)
(日本や台湾からの投資を受けたインスタントラーメン生産も世界一に)
・総合商社のグローバル戦略
→日本の食関係の企業は高齢化する日本市場では成長しない
→海外でも特に成長する中国やアジア諸国へ多国籍企業として進出させる
→それらの海外進出をリードしているのが総合商社
→すでに投資と商取引を融合させてるので総合商社というより総合投資会社
→北米と南米から小麦、大豆、トウモロコシなどの食材を輸出し、中国などに輸入する
→同時に中国などの加工食品産業や畜産業に投資して食材の需要を喚起する
→中国アジアで需要を増やし、北米南米で供給を増やして、日本の総合商社が成長する戦略
・日系企業のグローバル展開
→1980年代から海外進出へと方針転換してきたが、近年は「グローバルフードバリュー
チェーン戦略」と称し、産官学連携での「Made WITH Japan」の推進へ
→「Made IN Japan」から「Made WITH Japan」へ切り替えて成長する戦略
→「和食」のユネスコ無形文化遺産への登録も「日本人の伝統的な食文化」をブランド化して
グローバル展開していくための戦略の一環→食材は外国産でも構わない
→これは「食産業の海外展開」を後押しするものの、日本の農業や進出先での農民たちの生活、
日本と進出先の人々の食生活にどのような影響を与えるか・・・
→人の健康と自然環境のための食と農が軽視され、企業のビジネスと経済成長が目的の、
資本主義的食料システムの発展が目指されてはいないか・・・
・今後どのように持続可能な経済の仕組みをつくり人の健康と自然環境に望ましい食と農の
システムを築いていくか考える必要がある
「おわりに」より
・資本主義のすべてを悪と決めるのではなくシステムの成り立ちとカラクリを理解する
・商品としての価値ではなく使用価値(有用性)を重視する社会に移行する(斎藤幸平)
・自分で食事を用意できるスキルを持つ→自己防衛や環境負荷を減らすためにも必要
・地域に根ざした食と農のシステム(表紙カバー)に→自分が食べるものが見えてくる
・「命か経済か」より「命のための経済」を取り戻すことが大切→経世済民
「あとがき」より
・自然と人のつながりで育てられた「食べもの」と「商品(食品)」との違いを実体験したことが
食と資本主義の歴史を研究する今につながった
・食べものの世界には(じつは)ドロドロした政治経済の話が多い
→例えば大豆には伝統食・健康食のイメージより、ブラジルの森林火災やモザンビークの
追い詰められた小農たちの血と涙の話が聞こえてくる
・資本主義が好きでも嫌いでも、そのO.Sを理解しなければ食の問題を見誤ると思う
・命を食すことを教えてくれた鳥たち、一番多くを教えてくれた亡き夫に感謝を込めて・・・
冒頭にも書きましたが、食から経済や歴史をジュニアにも学んでもらおうとする本で、
とてもわかりやすく、参考文献や参考サイトも数多く紹介されてました
わたくしも何冊か図書館に予約しましたので、いずれまた・・・
それにしても食の変化というのは嗜好の変化というより、資本主義経済の世界戦略の変化に、
大きく影響されているという事実は、あらためて認識する必要がありますね
まあ、わたくしの「粉もん」嗜好は絶対に外せないけど、最近は小麦の価格が・・・

2022年01月05日
2年越しのOFF会???
2年越しのOFF会???報告であります・・・
ま、OFF会といっても、いつもの関西ライト仲間数人でのダベり会なんですが・・・
ちなみに世間では年末に忘年会や年越し蕎麦を、新年に初詣や新年会をとゆー風潮なので、
今回はあえて時系列や参加者は無視して世間の流れに沿った編集に・・・
まずは昨年の12月29日・・・
川端さんと2人、わたくしの実家で(川端さん提供による超高級)すき焼き忘年会!!!

鹿児島産の黒毛和牛A5ランクの中でも4%の奇跡とゆーシロモノ・・・じゅるじゅる
二人はとーぜん関西風に・・・

まずは少量のザラメ糖と醤油で軽く焼き・・・

生卵を溶き、はふはふばくばく・・・殆ど噛まずに口の中で溶けて喉を通過します
で、これを何度か繰り返すのは98k流と同じでしたが、今回はじめて知った川端流では
次に野菜なんぞを割り下で煮てから引き続き(超)高級肉をのせ、すき煮風にされてました。


これはこれで格別のお味・・・ばくばく
98k流でも(やや)高級肉を砂糖と醤油で焼いて食べるまではほぼ同じなんですが、その後は
安物肉を玉ねぎと酒と砂糖と醤油で軽く焼き、上に野菜をのせ混ぜて蓋をして蒸し焼き風に。
まあ、これは流派の違いとゆーより肉レベルの違いとゆーべきか・・・
と、この夜は録り溜めた武のKAMIWAZAや魔改造の夜なんぞを延々と見続けダベり続けました。
で、世間では大晦日の夜に年越し蕎麦なんですが・・・

wingさんを交え、3人で寒ざらし蕎麦を味わったのは12月30日のお昼でした・・・
そう、前夜は仕事納めの焼き鳥食べ放題とかで、彼は参加できなかったのでありますね。
そして新年を祝うお屠蘇・・・

ではなく、こちらは30日に見ただけの焼酎・・・
初詣に住吉大社へ向かう川端さんとwingさん・・・

ええ、撮影日は12月30日でしゅが・・・
と、早めの初詣の後は、わたくしの実家に戻って3人で・・・

川端さん提供「ポテチ食べ比べ大会」とかでダベリ続け、30日の夜にはいったん解散。
ま、31日は我が家恒例の蕎麦すき、元日は奥様お手製のおせちとお雑煮で・・・


夫婦二人だけで自宅で飲んだくれてたのですが・・・
翌2日には(急用ができた川端さんに替わり)わたくしが神戸でwingさんをピックアップ、
姫路のwing別邸に着いたのは午後2時前でした。
ほぼ同着した赤チャリさんとみよころさんと4人で、まずは今宵の寝床の確保・・・

わたくしはビヴィカバーの中にエアマットとバロウバッグ1番とゆーいつもの冬キャン装備。


赤チャリさんはナンガ650の上下にマットやシュラフを敷き詰めて・・・

wingさんはバロウバッグ・レクタングラータイプの1番とかで、わたくしははじめて
拝見したのですが、セットしたら「試し寝」で爆睡するのは彼の定番・・・
で、その後4人で買い出しした飲み物や食べ物、差し入れの飲み物なんぞで・・・

新年会であります。じゅるじゅる

マックスバリュのローストビーフと、みよころさんの美味しいだし巻にはじまり・・・
この日のメインは・・・

最近では珍しい98kさんによる!!!深谷ねぎ中心のねぎ鍋であります!!!
で、ねぎが煮えてとろとろになる頃には・・・




次々と色が変化するとゆー七変化鍋!!!
って、ライトを変えてるだけやないかっ!!!
とか、お腹がくちくなってくると・・・

ニューヨークの摩天楼に現れるとゆー・・・

降霊会とか・・・

エクトプラズム放出会とか・・・


エビラ対ゴレンジャーの戦いとか・・・

おなじみのライト&甘味とか・・・
って・・・

甘味もずいぶん買ってたのね・・・
と、結局この夜は3時過ぎまでダベり続けてました。
翌朝わたくしは9時に起床し、熱いコーヒーと甘味とサンドウィッチでまったり朝食、
全メンバーが起きてきたのはすでに昼前でした。
と、昼前に朝食を食べた約2名を除き、わたくしを含む約2名はコンビニ弁当を買ってきて、
残った甘味や買い足した甘味でさらにダベり続けてたのですが、やがて食べ尽くし・・・
wing別邸に長年放置してあったベジタリアン用ラザニアのMREをば・・・

少なくとも製造から10年は経過したと思われますが、ふつーに食べることができました。
同封の発熱材は作動しませんでしたが、さすがは保存料満載の米軍MREですねえ。
(ちなみに古いMREとかの試食は自己責任、よいこのみなさんは決して真似しないように
)
と、さらにダベり続けて5時過ぎにようやく解散、Uターン・ラッシュもあり、わたくしが
大阪の自宅に帰り着いたのは3日の9時を過ぎてました。
とまあ、自宅での大晦日と元日を挟んでの2年越しOFF会でしたが、とても楽しかったです。
高級すき焼きや各種ポテチ、スタバやドトールのコーヒーパックなんぞの差し入れから
様々なお土産まで用意いただいた川端さん、美味しいだし巻きやお土産を用意いただいた
みよころさん、チリワインやいつもの「明るいおもちゃ」を用意いただいたwingさん、
買い出し往復も代行運転いただいた赤チャリさん、ありがとうございました。
お蔭で楽しい年末年始でしたが、果たしていつになれば大人数OFF会ができるのやら・・・
ま、OFF会といっても、いつもの関西ライト仲間数人でのダベり会なんですが・・・
ちなみに世間では年末に忘年会や年越し蕎麦を、新年に初詣や新年会をとゆー風潮なので、
今回はあえて時系列や参加者は無視して世間の流れに沿った編集に・・・

まずは昨年の12月29日・・・
川端さんと2人、わたくしの実家で(川端さん提供による超高級)すき焼き忘年会!!!

鹿児島産の黒毛和牛A5ランクの中でも4%の奇跡とゆーシロモノ・・・じゅるじゅる
二人はとーぜん関西風に・・・

まずは少量のザラメ糖と醤油で軽く焼き・・・

生卵を溶き、はふはふばくばく・・・殆ど噛まずに口の中で溶けて喉を通過します
で、これを何度か繰り返すのは98k流と同じでしたが、今回はじめて知った川端流では
次に野菜なんぞを割り下で煮てから引き続き(超)高級肉をのせ、すき煮風にされてました。


これはこれで格別のお味・・・ばくばく
98k流でも(やや)高級肉を砂糖と醤油で焼いて食べるまではほぼ同じなんですが、その後は
安物肉を玉ねぎと酒と砂糖と醤油で軽く焼き、上に野菜をのせ混ぜて蓋をして蒸し焼き風に。
まあ、これは流派の違いとゆーより肉レベルの違いとゆーべきか・・・

と、この夜は録り溜めた武のKAMIWAZAや魔改造の夜なんぞを延々と見続けダベり続けました。
で、世間では大晦日の夜に年越し蕎麦なんですが・・・

wingさんを交え、3人で寒ざらし蕎麦を味わったのは12月30日のお昼でした・・・
そう、前夜は仕事納めの焼き鳥食べ放題とかで、彼は参加できなかったのでありますね。
そして新年を祝うお屠蘇・・・

ではなく、こちらは30日に見ただけの焼酎・・・

初詣に住吉大社へ向かう川端さんとwingさん・・・

ええ、撮影日は12月30日でしゅが・・・
と、早めの初詣の後は、わたくしの実家に戻って3人で・・・

川端さん提供「ポテチ食べ比べ大会」とかでダベリ続け、30日の夜にはいったん解散。
ま、31日は我が家恒例の蕎麦すき、元日は奥様お手製のおせちとお雑煮で・・・


夫婦二人だけで自宅で飲んだくれてたのですが・・・
翌2日には(急用ができた川端さんに替わり)わたくしが神戸でwingさんをピックアップ、
姫路のwing別邸に着いたのは午後2時前でした。
ほぼ同着した赤チャリさんとみよころさんと4人で、まずは今宵の寝床の確保・・・

わたくしはビヴィカバーの中にエアマットとバロウバッグ1番とゆーいつもの冬キャン装備。


赤チャリさんはナンガ650の上下にマットやシュラフを敷き詰めて・・・

wingさんはバロウバッグ・レクタングラータイプの1番とかで、わたくしははじめて
拝見したのですが、セットしたら「試し寝」で爆睡するのは彼の定番・・・
で、その後4人で買い出しした飲み物や食べ物、差し入れの飲み物なんぞで・・・

新年会であります。じゅるじゅる

マックスバリュのローストビーフと、みよころさんの美味しいだし巻にはじまり・・・
この日のメインは・・・

最近では珍しい98kさんによる!!!深谷ねぎ中心のねぎ鍋であります!!!
で、ねぎが煮えてとろとろになる頃には・・・




次々と色が変化するとゆー七変化鍋!!!
って、ライトを変えてるだけやないかっ!!!
とか、お腹がくちくなってくると・・・

ニューヨークの摩天楼に現れるとゆー・・・

降霊会とか・・・

エクトプラズム放出会とか・・・


エビラ対ゴレンジャーの戦いとか・・・

おなじみのライト&甘味とか・・・
って・・・

甘味もずいぶん買ってたのね・・・
と、結局この夜は3時過ぎまでダベり続けてました。
翌朝わたくしは9時に起床し、熱いコーヒーと甘味とサンドウィッチでまったり朝食、
全メンバーが起きてきたのはすでに昼前でした。
と、昼前に朝食を食べた約2名を除き、わたくしを含む約2名はコンビニ弁当を買ってきて、
残った甘味や買い足した甘味でさらにダベり続けてたのですが、やがて食べ尽くし・・・
wing別邸に長年放置してあったベジタリアン用ラザニアのMREをば・・・

少なくとも製造から10年は経過したと思われますが、ふつーに食べることができました。
同封の発熱材は作動しませんでしたが、さすがは保存料満載の米軍MREですねえ。
(ちなみに古いMREとかの試食は自己責任、よいこのみなさんは決して真似しないように

と、さらにダベり続けて5時過ぎにようやく解散、Uターン・ラッシュもあり、わたくしが
大阪の自宅に帰り着いたのは3日の9時を過ぎてました。
とまあ、自宅での大晦日と元日を挟んでの2年越しOFF会でしたが、とても楽しかったです。
高級すき焼きや各種ポテチ、スタバやドトールのコーヒーパックなんぞの差し入れから
様々なお土産まで用意いただいた川端さん、美味しいだし巻きやお土産を用意いただいた
みよころさん、チリワインやいつもの「明るいおもちゃ」を用意いただいたwingさん、
買い出し往復も代行運転いただいた赤チャリさん、ありがとうございました。
お蔭で楽しい年末年始でしたが、果たしていつになれば大人数OFF会ができるのやら・・・

2021年12月28日
戦争がつくった現代の食卓
年の瀬も押し迫る中、とーとつですが・・・
戦争がつくった現代の食卓~軍と加工食品の知られざる関係~であります・・・


原題タイトルがコンバットレーションMREのパロディになってますね
そう、コンバットレーション(戦闘糧食)と、現代の一般人が食べている加工食品との関係を
分かりやすくまとめた本であります
著者・訳者・発行所・発行年月日等については下記のとおり

カバー裏にあった著者紹介

例によって目次のみご紹介・・・

知らないことばかりで、にゃーるほどと勉強になりましたが、著者は自称「アメリカの
フードライター界の悪女」だそうで過激な文章にユーモアや皮肉も満載、読み物としても
とても面白い内容でした。
以下、わたくしの読後メモよりの抜粋です。
本文だけでも全14章300頁以上ある大作で、門外漢のわたくしの思い違いもあるでしょうし、
専門的な部分は殆ど省略してますので、興味を持たれた方は本書をご熟読下さい。
第1章 子どもの弁当の正体
・昔から料理が大好きで子どもたちにはカフェテリアの給食ではなく弁当を作っていた
(ちなみに著者の弁当アイテムは①エナジーバー②パック入りの加工肉③スライスパン
④プロセスチーズ⑤チーズ味のクラッカー⑥サランラップ⑦ジュースパウチだったそうです
)
・やがて子どもたちが大きくなりフードライターになった
→取材するうちに自分が作っていた弁当は環境への負荷、栄養価、鮮度などいずれの基準でも
当時は悪者扱いされていた(アメリカの)給食にも及ばないことがわかった
・子どもの弁当に使っていた食品の殆ど、その製造に使われている技術の殆どはアメリカ軍が
コンバット・レーションをつくりだす中で生まれたもので、健康的でもなく、新鮮でもなく、
環境にやさしくもない、戦場の兵士用につくられたものだった
→持ち運びしやすく、すぐに食べられて、常温で長期保存でき、価格が手ごろで、
どんなに冒険心のない人でも食べる気にさせるもの
→言い換えれば、自分の子どもたちに特殊部隊と同じような食事をさせていた
第2章 (ボストン郊外にあるアメリカ陸軍)ネイティック研究所
・ハリウッドが映画の聖地、ナッシュビルがカントリーミュージックの聖地、ニューヨークが
出版の聖地であるように、ここはアメリカ人の食生活の基盤をなす加工食品の聖地
・海外でも駐屯地の食堂ではアメリカ人の家庭と変わらないバラエティーにとんだ内容
(ただし生鮮食品の価格は道路事情や待ち伏せ攻撃や僻地輸送などで国内の2倍近い)
・いっぽう前線ではネイティック研究所で設計・製造された各種の戦闘糧食
→個人用、先制攻撃用、ユニット式集団用、寒冷地用、長距離パトロール用、拡張モジュールetc
・レーションの歴史遺産展示
→南北戦争時代のハードタック(堅パン)
→第二次世界大戦時代のCレーション(缶詰)とP-38(缶切り)セット
→朝鮮戦争・ベトナム戦争時代の缶入りレーションやパン類etc
・戦闘食糧配給局ナンバーツーからの説明
→賞味期間は摂氏27℃で3年、保存性・品質・携帯性では保存性が手ごわいが専門家がいる
→民間への技術移転には積極的(緊急事態に消費者向け民間工場も使えるから???)
・レーションの試食
→MRE(わたくし何度か試してるので省略します
)
→先制攻撃用(ファーストストライク・レーション)
(少しずつつまみ食いしたいように設計された3年常温保存サンドイッチやエナジーバーや
カフェイン入りガムなど)
・食品実験室
→小さな飛行機格納庫ほどの広さがあり常温保存可能な各種具入りパンを開発中だった
→本や雑誌やウェブサイトで公開されるレシピは数日から数週間で完了するが工業生産用の
レシピ開発には数年から数十年かかることもある→パンの味と保存性とか(たしかに
)
→真空パックや脱酸素剤など包装の重要性
→野営中の兵士一人一日あたりのごみの量は3.6kgに達し、多くはプラスチックと紙
→ナノ複合材料、マイクロスフェア、生分解性プラスチックの開発
→テーマパークさながらの回転・落下・圧縮・水没・気候などの試験装置も・・・
・このように1日かけて見学してきた数々の実験室はカムフラージュにすぎない
→アメリカの加工食品産業を動かす真の仕事が行われているのは隣にある普通のオフィスなのだ
第3章 軍が出資する食品研究
・軍はアメリカ最大の食品購入者
→食品支出で国防総省を上回るのはシスコとマクドナルドだけ
・第二次世界大戦時の補給問題委員会
→全米科学アカデミーと米国学術研究会議が主催する外部組織へ
→1980年代初期から軍の幹部だけで構成される内部組織へ
・基礎研究、その実用化を目指す応用研究、その製品化を目指す開発研究
→基礎研究は国防総省、応用研究は非営利団体や企業パートナー、開発研究はたいてい産業界
(開発研究が巨大軍需企業にとって格好の餌場となる部分→航空機などと同じ)
・資金以外の多大な政府からの支援には報告義務がなく謎めいている
→提携事業はネイティック研究所が食品業界に与える仕組みの中でもとりわけ重要
→大手食品企業が提携契約を結びたがる理由→新技術の新製品で市場を支配できるから
・1970年代の終盤から日本が世界経済をも支配する勢力になりライバルと同じ政府介入政策に
→産業界は乗り気ではなかったが1994年の条項で大量の技術移転が実現した
→現在のライバルである中国の2倍から3倍に相当する連邦政府による研究開発投資
→多くの産業界の方向性に対して国防総省が極端に強い影響力を持つに至っている
→最良の科学技術が自発的に生まれ育つことはなく、軍事的支配を達成するための計画に
従った科学や技術のみが選ばれて方向づけられることになる
・軍の研究所が食品科学の基礎研究や応用研究を誘導するということは、それらの研究が
何より軍に適したものになるということを意味する
→その食品加工技術を無償か低額で譲渡→企業の食品もレーションに近いものになる
・戦闘食糧配給プログラムの予算は少ないが、その影響の大きさは想像を超えている
第4章 レーションの黎明期を駆け足で
・駐屯地で食べる給食と対比される行軍中や交戦中の戦闘糧食(コンバット・レーション)
・旧石器時代・中石器時代には短期間・集中的に食料を確保(男性は狩猟、女性は採集)すると、
それ以外の時期はのんびり過ごして絶えず新たな場所に移動していた
→獲物と他部族の美女を求め遠出したい男と定住を希望する女
→女が野生の穀物を噛んで離乳食を作ってたら酒ができ、男が従うようになった
→酒のための農耕で定住が実現(古代シュメール農耕の4割がビールづくりのための栽培)
→狩猟と農耕の中間に位置する牧畜を選ぶ者もいて農耕民を襲撃→新石器時代
(古代シュメールの牧羊神と農耕神の神話や農夫カインと羊飼いアベルの話)
→余剰食糧→権力→都市国家→防衛は自領内だが遠征先では食糧略奪より携帯食のほうが確実
・シュメール文明とともに史上初の常備軍が誕生
→2000年間で約14の都市国家が絶えず戦争しており強力な武器や軍事技術を発明したが、
出撃先が近かったのでレーションは凱旋行進用のビールやケーキなど初歩的なものだった
・古代エジプトは海と砂漠と川により他民族から隔てられており戦術は後れを取っていた
→東方から半遊牧民のヒクソス族に攻め込まれた
→100年以上かかって追い返し、その間に戦力も増強、自らも領土拡大に乗り出した
→駐屯地と野営地のための補給係を創出、ビール、パン、玉ねぎ、干物、塩漬け魚の補給
・特に魚の保存食はレーションの革命で軽量で保存が利き栄養価が高くアッシリア人も採用
→パンや粥よりアミノ酸が補給でき最も効率が良いのは乾燥または圧縮した動物性の肉
→その後の大帝国は戦闘中も携行可能なタンパク質の保存食品をひとつは用いるようになる
・古代ギリシャ軍の食事
→素人の重装歩兵は最大3日分の進軍に備えた糧食を各自で携行していた
→穀物数キロ、酢、玉ねぎ、携行可能なタンパク質としての山羊乳のチーズ
→例外は軍事国家スパルタの戦士だけだった
→マケドニアがギリシャを統一して歩兵の改革を実行
→世話係の同行を禁止し2週間分の穀類14キロを含む36キロの装備を義務化
(現代のアメリカ歩兵では45キロを超えている)
・ローマ帝国の保存食
→帝国の基礎はプロシュート・ベーコン・ソーセージ・ハードチーズ・ハードタックだった
→巨大帝国の端まで輸送しても変質せず1000年にわたり古代世界を支配した
→駐屯地ではさらに生鮮食品やワインなどのご馳走を堪能していた→高い農業生産性による
→畑や果樹園に合うのは豚肉で塩の交易を独占していたローマ帝国は保存が容易にできた
→加工肉店(サルメリア)が生まれ軍団とともに各地へ遠征
・バイキングとモンゴル帝国の糧食
→バイキングの船内食は大麦の粥とバターで干したカレイやタラも出るが基本は農耕民
→トナカイの尿で狂戦士になり残虐行為で北ヨーロッパを支配
→モンゴル軍は今日の特殊部隊の先駆者で兵士の食糧として完璧(携帯手軽軽量栄養豊富)な
粉乳シェイクや自家製ジャーキーや非常食としての馬の生き血など
→現モンゴル軍でも粉乳とジャーキーは兵士のリュックに入っている
・モンゴルに支配された中国人は乳や乳製品を嫌い、流浪の民の始祖であるセム族の
イスラム教徒やユダヤ教徒は敵の飼育する家畜であり移動に適さない豚の食用を禁じる
・アステカ帝国の食事
→旧石器時代までにメソアメリカ原産の大型草食動物はすべて狩り尽くされてたので
牧畜はできず、兵士の日常食は三種類に加工されたトウモロコシ、豆類、カボチャなどの種子
→ただし宴の際は太らせた捕虜(人食いの理由については諸説あり)
第5章 破壊的なイノベーション、缶詰
・産業革命により、軍で生まれた知識が市民に移行するという逆転が生じ現在も続く
・フランス革命で近代史における最初の国民皆兵制度ができ大量の補給が必要になった
→ナポレオンは根幹食品は船か動物で輸送、それ以外は現地調達という食糧配給戦略
→村で略奪する兵士は行方不明になり現地調達できなければ衰弱や飢餓が襲った
→1795年に懸賞金つきで食品保存方法を公募→ニコラ・アペールの瓶詰め湯煎が入選
→同じ頃にピーター・デュランドがブリキの缶詰を発明、1813年に缶詰工場ができたが
大量生産できず高価だったため、イギリスの陸軍と海軍が巨大缶を注文できたのみだった
→南北戦争の頃には小型化され加熱時間も短縮、兵士の日常的な食事となった
・乾燥、塩漬け、燻製、発酵に続く食品保存法で本来低温殺菌はアぺルティゼーションだが
50年後に登場したルイ・パスツールはこれの微生物を死滅させる科学原理を理解していたので
一般にはパスツリゼーションと呼ばれている→大発明なのにアペールさん気の毒
・1898年の米西戦争
→米軍はキューバの熱暑を考慮に入れてなかった→牛肉缶詰の腐敗?事件
→戦闘死亡は385人で病死が2485人→軍法会議の大問題に
→キューバで義勇騎馬隊の英雄だったセオドア・ルーズベルトがその後大統領になり1906年に
最初の「純正食品医薬品法」を成立させ陸軍は前線の食糧調達と配給を見直すことになった
・腐敗の仕組み(略)
第6章 第二次世界大戦とレーション開発の立役者たち
・1939~ローランド・イスカー大佐
嵩張り重いCレーションからKレーションへ
・1942~ジョージ・ドリオ
・1943~バーナード・プロクター
乾燥粉末マッシュポテト、高カロリー緊急用ビスケット、調理済み冷凍食品、救命いかだ用
液体レーション、合成ビタミンA・・・
→C,D,Kは見た目と味がひどかった(生鮮食品のAと調理済食品のBは駐屯地で食される)
→巨大缶詰肉、付け合わせ、調味料、食器を組み合わせた10人用10in1と5人用5in1は好評だった
・1944~エミール・ムラク
→戦後の外部委託研究プログラム→食品科学がひとつの学問分野に→無数の企業へ
第7章 アメリカの活力の素、エナジーバー
・発売されたのは1970年代だが90年代になっても意志の弱いダイエッターか、危険なほど
熱心なアスリートの食べる特殊な食べ物だった→なぜ普及したか
・ココアとチョコレートの歴史(略)
・ハーシーが高価なカカオの一部を安価な牛乳に変え手軽に買えるチョコレートバーに
→第一次世界大戦中は砂糖が調達できなくなったが軍請負のライバルは入手できてた
(この時期の原料不足からシリアルやドライフルーツやクッキーをチョコレートに混ぜ込む
ネスレ社のクランチなどが登場)
→ハーシーが1937年にDレーションを開発→これが現代のエナジーバーの先祖
→80年代には高温でも溶けにくいチョコレートがネイティック研究所で開発されハーシーが
1990年の湾岸戦争に納入、次の入札ではM&Mが勝ったが商業市場までは至らなかった
・陸軍の血漿粉末化研究による大規模なフリーズドライ技術→食品科学の偉大な成果に
→1960年代の宇宙開発でネイティック研究所にも予算が大量に流れた
→アポロ計画(1968~72)でのフリーズドライ食品は不味かった
・マーカス・カレルの水分活性説
→ゼネラルフーズ社がドッグフードに水分活性を応用→レーションにも
→缶詰は味はいいが重い、乾燥食品はおいしくないが軽い
→中間水分食品は水分活性が低下し細菌が増殖できず通常の包装材料で長期保存できるし、
しっとりと柔らかく食べやすくておいしい
→1971年のアポロ15号で中間水分食品のアプリコットバーが使われる→好評
→70年代半ばからネイティック研究所と連携していたゼネラルフーズ、カーネーション、
ケロッグ、クラフト、ナビスコなどから次々とエナジーバーが市場に登場したがイマイチ
→低血糖を経験したマラソンランナーが開発した水分活性を低く抑えたパワーバーが登場
→1986年に製造がはじまり2000年までに驚異的な売り上げになり高額でネスレに売却
→その後は老舗の大手企業も積極的に参戦しアメリカ人の必需品になった
第8章 成型ステーキ肉の焼き加減は?
・動物の組織をつくり変えた食べ物を私たちが好んで食べる理由
→アメリカ陸軍が兵士に配給する肉のコストを削減する方法を追求し、方法が見つかれば
企業もコストを抑えられるので、消費者向けに同じ方法を嬉々として採用するから
・何世紀ものあいだ骨付きのままで肉を出すことが保険だった
→骨との結合状態さえ見れば、どの部位か、どんな状態か、一目でわかるから
(貧者は正体不明のくず肉をシチューかスープで食べていた)
・動物を殺す肉屋に対する思いは兵士や死刑執行人に対する思いと同様で複雑だった
→昔の肉屋は屋外で血まみれで屠畜し廃棄物は道端で腐敗していた→嫌われ者になってた
・温帯では新鮮な肉を食べられる季節は限られるが低温が腐敗を遅らせることは知られていた
→19世紀初頭に低温流通のコンセプトが生まれた→やがて氷からアンモニア冷媒へ
・軍の献立で最も高価なものは肉で支出の半分以上を占めていた
(生産に大量の土地と水と植物が必要で収穫加工保存運搬も難しいから)
→米西戦争までに冷蔵輸送が可能になったが大量輸送が必要になった第一次世界大戦で、
はじめて箱詰め加工牛肉が開発された→ただ、まとめて冷凍すると様々な問題が生じた
→新しい骨抜き技術で各部位に分類、急速冷凍技術で細胞破裂を防ぐetc
→精肉業者は残りの部位でも儲け、軍はカット肉で調理と給仕の人手と時間が削減できた
→アメリカの主婦は当初は受け付けなかったが50年かけて浸透させた
→現在ではスーパーで販売される牛肉の9割以上が箱詰め加工肉
・マックリブ(豚の成型肉)
→1981年にコスト抑制で登場→20年たってようやくヒットした
→軍のコスト抑制のための成型肉の研究からデニーズ、マクドナルドへ
・軍の成型肉の研究はソーセージのような伝統的な加工肉と異なり高級肉と思わせるのが目的
→1972年までに外部委託できる段階に、1976年から兵士に出し始めた
→1980年のニューヨークタイムズでネイティック研究所による成型肉の発明が紹介され、
一般消費者にも成型肉が広がる可能性があると推測→その一例がマクドナルドだった
・現在、成型肉は肉売り場以外でも様々な場所で購入できる
→本来の動物と人間の危うく暴力的な関係は・・・
第9章 長持ちするパンとプロセスチーズ
・パンはイースト菌の発見で魅力的な食べ物へと変貌した
(ビールの製造と関係していた可能性もある)
→調理済みの手軽なコンビニエンスフードの元祖で約6000年前に誕生
・大戦では生イーストの供給が追いつかず糧食研究所がイーストを休眠状態にする研究を開始
→ドライイーストで海外の駐屯地でもパンが焼けるようになった
・いっぽうで自家製パンはほぼ消滅した
→大量生産で資源が節約でき戦争に回せるから→忙しい主婦もその戦略に乗った
→1950年代には1日の摂取カロリーの1/3を占めるようになった
→工場の短時間での製パン法で風味・香り・食感が失われてしまった
・パンの保存に関する陸軍の研究が本格的に始まったのは第二次世界大戦中
→困難が大きく1950年代の穀類研究プロジェクト40のうち11はパンの保存に関するもの
(他にパン用ミックス粉の研究がありマフィンやケーキ用の市販ミックス粉になった)
→1957年に2~4週間はパンを柔らかく保つ酵素添加による技術が完成
→今日ではスーパーで売られる工場製パンの殆どに調整剤として酵素が添加されている
(高峰譲吉のアミラーゼの工業化成功にはじまり、酵素は飲料や食肉にも添加されており
酵素産業は今や年間50億ドルの収益)
→添加物による健康問題も指摘され1993年フランスのパン法令では添加が禁止された
→この基準ではスーパーの市販品はパンではなく陸軍が開発した「非老化性パン様食品」
→朝鮮戦争中からベトナム戦争にかけてレーションに加える缶詰パンを作ったが不評
→80年代半ばからネイティック研究所がパウチ入りパンの研究をすすめていた
→1996年にナビスコと共同研究開発契約
→数ヶ月保存までで立ち消えになったが、その技術はカプセル食品、冷凍食品、ベビーフード、
パスタ、エナジーバー、スナック、パン、キャンディ、シリアルなどに用いられ、これらは
アメリカ人の食事の75%を占める
・プロセスチーズとチーズパウダー
→20世紀初頭に高温や長期保存に耐えられるプロセスチーズができた
→第一次世界大戦で陸軍が大量に注文、これでクラフト社の覇権が確立
→第二次世界大戦ではKレーションやCレーションに入れるチーズスプレッドも購入
→陸軍は他の食品同様に乾燥と圧搾を追求→チーズパウダーの誕生→チートスも
第10章 プラスチック包装が世界を変える
・アメリカの原油消費量は20世紀の100年間で200倍になった
・1930年代の終盤まで耐久性のものは重く木材かガラスか陶器か金属、使い捨ては紙か蝋か布
→天然ゴムやシェラック樹脂など一部の素材が日本軍によって遮断され合成素材の研究競争に
→合成ポリマー(プラスチック)→1941年に海軍とNACA(NASAの前身)の出資で製造研究
・ダウ・ケミカルが発見したサラン(ポリ塩化ビニリデン)が1930年代後半には椅子や電車の
シートに使う繊維として発売されていた
→陸軍が注目し金属部品の露天海外輸送にサランをスプレーしていた
→レーションを湿気から守るにはサランに柔軟性と光分解しない透明性が必要と要望
→「光安定性を有する塩化ビニリデン組成」の特許申請はヒトラー自殺の四日後
→1949年サランラップの登場→4年後に極薄化し消費者市場に進出→家庭用ラップのトップに
→焼却時の塩素ガスと可塑剤の食品への移行が問題視され2004年に低密度ポリエチレンに
・レトルトパウチの開発
→1950年代はじめの陸軍の包装部門の要望をすべて解決する言葉が「プラスチック」
→水分を含んだ常温保存用食品の加熱と保存は缶詰以来ずっと頑丈な金属製の円筒だった
→陸軍がアメリカの食品業界とプラスチック業界の60社近い大企業を集めた
→1980年代以降はレトルトパウチのMREレーションが標準的な食事になった
→可塑剤たっぷりのレトルトパウチは兵士には許容可能なリスクかも知れないが・・・
→MRE1食からはプラスチックと厚紙を中心とした固形ごみ150gが生ずる
→アルミ箔層を含むラミネートパウチはリサイクルや燃料にならないしコストもかかる
→それでもポリマーだけでは蒸気を透過させるので金属バリアが必要だった
→80年代の終わりにナノテクノロジー・ポリマーがトヨタの自動車部品に登場
→10年後に陸軍がポリマー系ナノ複合材料がレーションのアルミ箔層の代替になるか調査
→2002年にネイティック研究所が企業や大学と連携した研究に着手
→人間の細胞にぴったり入るサイズのナノ粒子の健康への悪性データはほぼ皆無
→食品接触材料としてのプラスチック使用については民間人が阻止すべきでは・・・
第11章 夜食には3年前のピザをどうぞ
・ハードルテクノロジーの開発
→ドイツ連邦食肉研究所→ドイツ陸軍のためのハムとソーセージの微生物学の研究から
→基本的な手法はローマ帝国時代と同じだった→それを理論化・工業化
→ネイティック研究所の常温保存可能なサンドウィッチは開発から17年後の2007年に完成、
イラクとアフガニスタンでレーションに使われた
→ハードルテクノロジーは特にピザなど水分量の異なる複数材料に有効
→陸軍はクラストとソースを隔てるバジル風味ナノフィルムを挟んだ常温保存可能なピザを開発
・高圧加工と食品保存(略)
第12章 スーパーマーケットのツアー(軍で生まれた技術によるものツアー)
・袋入り洗浄済みサラダ用野菜→ガス置換包装で新鮮なまま
・フレッシュジュース・調理済み冷蔵品・カット済み野菜や果物・ソースやドレッシングetc
→高圧加工で非加熱殺菌済み
・ピザクラスト・フラットブレッド・ソフトタイプのトルティーヤetc
→ハードルテクノロジーでいつまでも古びない
・電子レンジで温めるだけの料理→重爆撃機の乗員用に軍が開発資金を援助したもの
・食肉コーナー→殆どがネイティック研究所からの技術
・プロセスチーズ・粉ミルク・常温保存可能な加工食品etc→レーションから
・パン売り場の殆ど・レトルトパウチ入り料理・常温保存可能なマッシュポテト
・菓子パン・エナジーバー・チョコチップクッキー・焼き菓子→中間水分食品
・缶詰コーナー→まさに昔のCレーションをたたえる記念ディスプレイ
・レトルトパウチコーナー→20年にわたる陸軍と委託契約業者による研究の成果
・インスタントコーヒー・スープ・粉末飲料・シリアルの小さな果物・調味料小袋のハーブなど
→第二次世界大戦の衛生兵に届けられた凍結乾燥の血液製剤やワクチンの末裔
・ハードボイルドライス→第二次世界大戦中にはじめて兵士に届けられたもの
・冷凍ピザ→最初のメーカーは陸軍の契約業者で飛行機で移動中の兵士に出す食事を考案
・濃縮オレンジジュース→兵士にビタミンCを摂取させるため1945年に低温蒸発製法が完成
・食品以外でもキッチン家電製品の殆どは軍に起源をもつ
・アルミホイル→戦後残った15万機の戦闘機を溶かした軍の安価な原料で家庭に普及した
・食品の栄養成分表示→食事ではなく栄養素という観点で考える→加工食品レーションから
・レジ横のM&Mのチョコ・リグレーのガム・チートス・乾燥ジャガイモのチップスetc
・積み替えなしでトラック・列車・船舶で運べるコンテナ輸送とパレット
・企業の「HACCP危険要因分析重要管理点」方式の食品安全管理・食品受容性研究etc
・スーパーに並ぶ食品の少なくとも半分以上は軍の技術によるもの
・食品科学と食品技術に関する基礎研究を軍が支配しているということは、
兵士に配給するレーションについての戦闘食糧配給プログラムの下す決定が、
一般市民の食べるものに関する事実上の決定となることを意味している
第13章 アメリカ軍から生まれる次の注目株
(本書の取材で調査していた2007年のプロジェクトから)
・病原体バイオセンサー→食品病原体の検出
・サプリメント添加による戦場での兵士のパフォーマンス向上
→すでにファーストストライク・レーションにはたっぷり入っている
・前線作戦基地用に新鮮な野菜や果物(FFV)の賞味期間を延ばす
(その選択肢がない状況で兵士が食べると士気が著しく高揚する)
・パーソナル飲料クーラー(高温による脱水状態には冷えた飲み物が最適)→すでに市販化
(60kg近い装備で高温の砂漠を歩く兵士は1時間に2ℓの水分補給が必要だがキャメルバッグに
入った温かく消毒臭がする水は飲んでも吐いてしまう→身体能力や認知能力の低下も)
・ソーラー式冷蔵コンテナ→2016年には野戦炊事車に導入
・ごみをエネルギーに変えるコンバーター→兵士1人1日あたり3.6kgのごみの8割は食品関係
第14章 子どもに特殊部隊と同じものを食べさせる?
・未来の戦争は小規模な特殊作戦部隊向けになる
(偵察と監視、パートナー支援と訓練、低烈度紛争、テロ活動への潜入妨害対応、高価値標的破壊)
→このような流動的でダイナミックな戦闘環境での大規模な駐屯地の設営は負担が大きい
→後方支援の対象も小規模な前線作戦基地になる
→個人用戦闘装備の急激な高性能化もあり駐屯地も小規模化へ
→このシナリオに集団が食卓で落ち着いて食べる温かい食事の入る余地はない
・包装を破って中身を食べゴミを捨てるだけのレーションは加工や包装のコストが高くても
陸軍にとっては最も費用対効果の高い食糧配給方式
→野戦炊事車も生鮮食品の輸送も怪しい第三国の食糧調達業者も食肉検査官も冷蔵コンテナも
不愛想な料理人も厨房のごみ処理も鍋洗いも器具磨きも兵員食堂の管理も要らないから
→実際に陸軍は一日三食という食事の概念を崩そうとしている
・本書の執筆を通じて、むきになって料理を手作りするのをやめた
→以前は6人分のきちんとした食事を作ると心が安らいだが、今はそれが腹立たしい
→いかに手早く大量の箱と袋を開けてテーブルに食べ物を出せるかを常に考えるようになった
・料理は(昔は自分たちで歌ったり演奏していて今は大勢で共有する商業的なものになった)
音楽と同じ道を歩んでいて、いわば死にかけのアート・・・
→家族のために料理する場合でも、少なくとも材料の半分は加工済食品
・軍→食品科学→食品をおいしく安全に変質せず保存できる方法の解明→調理の飛躍的向上
→工業生産化→無数の食品の発明→加工食品による主婦の自由(選択肢)
・一方で工業生産される加工食品の殆どは不健康で安定性と長期保存のための添加物入り
・加工食品の殆どにレーションを薄めたものが潜んでいる
→レーションは兵士のために設計されたもので少なくとも子どもの健康にはよくない
・家族が求めているのは私の料理そのものではなく私に何かしてもらっているという感覚
→母親、妻、娘としての私の存在を実感したいのだ
→この思いを満たす方法はたくさんあるが私の場合は料理がそのひとつだった・・・
戦争がつくった現代の食卓~軍と加工食品の知られざる関係~であります・・・


原題タイトルがコンバットレーションMREのパロディになってますね

そう、コンバットレーション(戦闘糧食)と、現代の一般人が食べている加工食品との関係を
分かりやすくまとめた本であります
著者・訳者・発行所・発行年月日等については下記のとおり

カバー裏にあった著者紹介

例によって目次のみご紹介・・・

知らないことばかりで、にゃーるほどと勉強になりましたが、著者は自称「アメリカの
フードライター界の悪女」だそうで過激な文章にユーモアや皮肉も満載、読み物としても
とても面白い内容でした。
以下、わたくしの読後メモよりの抜粋です。
本文だけでも全14章300頁以上ある大作で、門外漢のわたくしの思い違いもあるでしょうし、
専門的な部分は殆ど省略してますので、興味を持たれた方は本書をご熟読下さい。
第1章 子どもの弁当の正体
・昔から料理が大好きで子どもたちにはカフェテリアの給食ではなく弁当を作っていた
(ちなみに著者の弁当アイテムは①エナジーバー②パック入りの加工肉③スライスパン
④プロセスチーズ⑤チーズ味のクラッカー⑥サランラップ⑦ジュースパウチだったそうです

・やがて子どもたちが大きくなりフードライターになった
→取材するうちに自分が作っていた弁当は環境への負荷、栄養価、鮮度などいずれの基準でも
当時は悪者扱いされていた(アメリカの)給食にも及ばないことがわかった
・子どもの弁当に使っていた食品の殆ど、その製造に使われている技術の殆どはアメリカ軍が
コンバット・レーションをつくりだす中で生まれたもので、健康的でもなく、新鮮でもなく、
環境にやさしくもない、戦場の兵士用につくられたものだった
→持ち運びしやすく、すぐに食べられて、常温で長期保存でき、価格が手ごろで、
どんなに冒険心のない人でも食べる気にさせるもの
→言い換えれば、自分の子どもたちに特殊部隊と同じような食事をさせていた
第2章 (ボストン郊外にあるアメリカ陸軍)ネイティック研究所
・ハリウッドが映画の聖地、ナッシュビルがカントリーミュージックの聖地、ニューヨークが
出版の聖地であるように、ここはアメリカ人の食生活の基盤をなす加工食品の聖地
・海外でも駐屯地の食堂ではアメリカ人の家庭と変わらないバラエティーにとんだ内容
(ただし生鮮食品の価格は道路事情や待ち伏せ攻撃や僻地輸送などで国内の2倍近い)
・いっぽう前線ではネイティック研究所で設計・製造された各種の戦闘糧食
→個人用、先制攻撃用、ユニット式集団用、寒冷地用、長距離パトロール用、拡張モジュールetc
・レーションの歴史遺産展示
→南北戦争時代のハードタック(堅パン)
→第二次世界大戦時代のCレーション(缶詰)とP-38(缶切り)セット
→朝鮮戦争・ベトナム戦争時代の缶入りレーションやパン類etc
・戦闘食糧配給局ナンバーツーからの説明
→賞味期間は摂氏27℃で3年、保存性・品質・携帯性では保存性が手ごわいが専門家がいる
→民間への技術移転には積極的(緊急事態に消費者向け民間工場も使えるから???)
・レーションの試食
→MRE(わたくし何度か試してるので省略します

→先制攻撃用(ファーストストライク・レーション)
(少しずつつまみ食いしたいように設計された3年常温保存サンドイッチやエナジーバーや
カフェイン入りガムなど)
・食品実験室
→小さな飛行機格納庫ほどの広さがあり常温保存可能な各種具入りパンを開発中だった
→本や雑誌やウェブサイトで公開されるレシピは数日から数週間で完了するが工業生産用の
レシピ開発には数年から数十年かかることもある→パンの味と保存性とか(たしかに

→真空パックや脱酸素剤など包装の重要性
→野営中の兵士一人一日あたりのごみの量は3.6kgに達し、多くはプラスチックと紙
→ナノ複合材料、マイクロスフェア、生分解性プラスチックの開発
→テーマパークさながらの回転・落下・圧縮・水没・気候などの試験装置も・・・
・このように1日かけて見学してきた数々の実験室はカムフラージュにすぎない
→アメリカの加工食品産業を動かす真の仕事が行われているのは隣にある普通のオフィスなのだ
第3章 軍が出資する食品研究
・軍はアメリカ最大の食品購入者
→食品支出で国防総省を上回るのはシスコとマクドナルドだけ
・第二次世界大戦時の補給問題委員会
→全米科学アカデミーと米国学術研究会議が主催する外部組織へ
→1980年代初期から軍の幹部だけで構成される内部組織へ
・基礎研究、その実用化を目指す応用研究、その製品化を目指す開発研究
→基礎研究は国防総省、応用研究は非営利団体や企業パートナー、開発研究はたいてい産業界
(開発研究が巨大軍需企業にとって格好の餌場となる部分→航空機などと同じ)
・資金以外の多大な政府からの支援には報告義務がなく謎めいている
→提携事業はネイティック研究所が食品業界に与える仕組みの中でもとりわけ重要
→大手食品企業が提携契約を結びたがる理由→新技術の新製品で市場を支配できるから
・1970年代の終盤から日本が世界経済をも支配する勢力になりライバルと同じ政府介入政策に
→産業界は乗り気ではなかったが1994年の条項で大量の技術移転が実現した
→現在のライバルである中国の2倍から3倍に相当する連邦政府による研究開発投資
→多くの産業界の方向性に対して国防総省が極端に強い影響力を持つに至っている
→最良の科学技術が自発的に生まれ育つことはなく、軍事的支配を達成するための計画に
従った科学や技術のみが選ばれて方向づけられることになる
・軍の研究所が食品科学の基礎研究や応用研究を誘導するということは、それらの研究が
何より軍に適したものになるということを意味する
→その食品加工技術を無償か低額で譲渡→企業の食品もレーションに近いものになる
・戦闘食糧配給プログラムの予算は少ないが、その影響の大きさは想像を超えている
第4章 レーションの黎明期を駆け足で
・駐屯地で食べる給食と対比される行軍中や交戦中の戦闘糧食(コンバット・レーション)
・旧石器時代・中石器時代には短期間・集中的に食料を確保(男性は狩猟、女性は採集)すると、
それ以外の時期はのんびり過ごして絶えず新たな場所に移動していた
→獲物と他部族の美女を求め遠出したい男と定住を希望する女
→女が野生の穀物を噛んで離乳食を作ってたら酒ができ、男が従うようになった

→酒のための農耕で定住が実現(古代シュメール農耕の4割がビールづくりのための栽培)
→狩猟と農耕の中間に位置する牧畜を選ぶ者もいて農耕民を襲撃→新石器時代
(古代シュメールの牧羊神と農耕神の神話や農夫カインと羊飼いアベルの話)
→余剰食糧→権力→都市国家→防衛は自領内だが遠征先では食糧略奪より携帯食のほうが確実
・シュメール文明とともに史上初の常備軍が誕生
→2000年間で約14の都市国家が絶えず戦争しており強力な武器や軍事技術を発明したが、
出撃先が近かったのでレーションは凱旋行進用のビールやケーキなど初歩的なものだった
・古代エジプトは海と砂漠と川により他民族から隔てられており戦術は後れを取っていた
→東方から半遊牧民のヒクソス族に攻め込まれた
→100年以上かかって追い返し、その間に戦力も増強、自らも領土拡大に乗り出した
→駐屯地と野営地のための補給係を創出、ビール、パン、玉ねぎ、干物、塩漬け魚の補給
・特に魚の保存食はレーションの革命で軽量で保存が利き栄養価が高くアッシリア人も採用
→パンや粥よりアミノ酸が補給でき最も効率が良いのは乾燥または圧縮した動物性の肉
→その後の大帝国は戦闘中も携行可能なタンパク質の保存食品をひとつは用いるようになる
・古代ギリシャ軍の食事
→素人の重装歩兵は最大3日分の進軍に備えた糧食を各自で携行していた
→穀物数キロ、酢、玉ねぎ、携行可能なタンパク質としての山羊乳のチーズ
→例外は軍事国家スパルタの戦士だけだった
→マケドニアがギリシャを統一して歩兵の改革を実行
→世話係の同行を禁止し2週間分の穀類14キロを含む36キロの装備を義務化
(現代のアメリカ歩兵では45キロを超えている)
・ローマ帝国の保存食
→帝国の基礎はプロシュート・ベーコン・ソーセージ・ハードチーズ・ハードタックだった
→巨大帝国の端まで輸送しても変質せず1000年にわたり古代世界を支配した
→駐屯地ではさらに生鮮食品やワインなどのご馳走を堪能していた→高い農業生産性による
→畑や果樹園に合うのは豚肉で塩の交易を独占していたローマ帝国は保存が容易にできた
→加工肉店(サルメリア)が生まれ軍団とともに各地へ遠征
・バイキングとモンゴル帝国の糧食
→バイキングの船内食は大麦の粥とバターで干したカレイやタラも出るが基本は農耕民
→トナカイの尿で狂戦士になり残虐行為で北ヨーロッパを支配
→モンゴル軍は今日の特殊部隊の先駆者で兵士の食糧として完璧(携帯手軽軽量栄養豊富)な
粉乳シェイクや自家製ジャーキーや非常食としての馬の生き血など
→現モンゴル軍でも粉乳とジャーキーは兵士のリュックに入っている
・モンゴルに支配された中国人は乳や乳製品を嫌い、流浪の民の始祖であるセム族の
イスラム教徒やユダヤ教徒は敵の飼育する家畜であり移動に適さない豚の食用を禁じる
・アステカ帝国の食事
→旧石器時代までにメソアメリカ原産の大型草食動物はすべて狩り尽くされてたので
牧畜はできず、兵士の日常食は三種類に加工されたトウモロコシ、豆類、カボチャなどの種子
→ただし宴の際は太らせた捕虜(人食いの理由については諸説あり)
第5章 破壊的なイノベーション、缶詰
・産業革命により、軍で生まれた知識が市民に移行するという逆転が生じ現在も続く
・フランス革命で近代史における最初の国民皆兵制度ができ大量の補給が必要になった
→ナポレオンは根幹食品は船か動物で輸送、それ以外は現地調達という食糧配給戦略
→村で略奪する兵士は行方不明になり現地調達できなければ衰弱や飢餓が襲った
→1795年に懸賞金つきで食品保存方法を公募→ニコラ・アペールの瓶詰め湯煎が入選
→同じ頃にピーター・デュランドがブリキの缶詰を発明、1813年に缶詰工場ができたが
大量生産できず高価だったため、イギリスの陸軍と海軍が巨大缶を注文できたのみだった
→南北戦争の頃には小型化され加熱時間も短縮、兵士の日常的な食事となった
・乾燥、塩漬け、燻製、発酵に続く食品保存法で本来低温殺菌はアぺルティゼーションだが
50年後に登場したルイ・パスツールはこれの微生物を死滅させる科学原理を理解していたので
一般にはパスツリゼーションと呼ばれている→大発明なのにアペールさん気の毒

・1898年の米西戦争
→米軍はキューバの熱暑を考慮に入れてなかった→牛肉缶詰の腐敗?事件
→戦闘死亡は385人で病死が2485人→軍法会議の大問題に
→キューバで義勇騎馬隊の英雄だったセオドア・ルーズベルトがその後大統領になり1906年に
最初の「純正食品医薬品法」を成立させ陸軍は前線の食糧調達と配給を見直すことになった
・腐敗の仕組み(略)
第6章 第二次世界大戦とレーション開発の立役者たち
・1939~ローランド・イスカー大佐
嵩張り重いCレーションからKレーションへ
・1942~ジョージ・ドリオ
・1943~バーナード・プロクター
乾燥粉末マッシュポテト、高カロリー緊急用ビスケット、調理済み冷凍食品、救命いかだ用
液体レーション、合成ビタミンA・・・
→C,D,Kは見た目と味がひどかった(生鮮食品のAと調理済食品のBは駐屯地で食される)
→巨大缶詰肉、付け合わせ、調味料、食器を組み合わせた10人用10in1と5人用5in1は好評だった
・1944~エミール・ムラク
→戦後の外部委託研究プログラム→食品科学がひとつの学問分野に→無数の企業へ
第7章 アメリカの活力の素、エナジーバー
・発売されたのは1970年代だが90年代になっても意志の弱いダイエッターか、危険なほど
熱心なアスリートの食べる特殊な食べ物だった→なぜ普及したか
・ココアとチョコレートの歴史(略)
・ハーシーが高価なカカオの一部を安価な牛乳に変え手軽に買えるチョコレートバーに
→第一次世界大戦中は砂糖が調達できなくなったが軍請負のライバルは入手できてた
(この時期の原料不足からシリアルやドライフルーツやクッキーをチョコレートに混ぜ込む
ネスレ社のクランチなどが登場)
→ハーシーが1937年にDレーションを開発→これが現代のエナジーバーの先祖
→80年代には高温でも溶けにくいチョコレートがネイティック研究所で開発されハーシーが
1990年の湾岸戦争に納入、次の入札ではM&Mが勝ったが商業市場までは至らなかった
・陸軍の血漿粉末化研究による大規模なフリーズドライ技術→食品科学の偉大な成果に
→1960年代の宇宙開発でネイティック研究所にも予算が大量に流れた
→アポロ計画(1968~72)でのフリーズドライ食品は不味かった
・マーカス・カレルの水分活性説
→ゼネラルフーズ社がドッグフードに水分活性を応用→レーションにも
→缶詰は味はいいが重い、乾燥食品はおいしくないが軽い
→中間水分食品は水分活性が低下し細菌が増殖できず通常の包装材料で長期保存できるし、
しっとりと柔らかく食べやすくておいしい
→1971年のアポロ15号で中間水分食品のアプリコットバーが使われる→好評
→70年代半ばからネイティック研究所と連携していたゼネラルフーズ、カーネーション、
ケロッグ、クラフト、ナビスコなどから次々とエナジーバーが市場に登場したがイマイチ
→低血糖を経験したマラソンランナーが開発した水分活性を低く抑えたパワーバーが登場
→1986年に製造がはじまり2000年までに驚異的な売り上げになり高額でネスレに売却
→その後は老舗の大手企業も積極的に参戦しアメリカ人の必需品になった
第8章 成型ステーキ肉の焼き加減は?
・動物の組織をつくり変えた食べ物を私たちが好んで食べる理由
→アメリカ陸軍が兵士に配給する肉のコストを削減する方法を追求し、方法が見つかれば
企業もコストを抑えられるので、消費者向けに同じ方法を嬉々として採用するから
・何世紀ものあいだ骨付きのままで肉を出すことが保険だった
→骨との結合状態さえ見れば、どの部位か、どんな状態か、一目でわかるから
(貧者は正体不明のくず肉をシチューかスープで食べていた)
・動物を殺す肉屋に対する思いは兵士や死刑執行人に対する思いと同様で複雑だった
→昔の肉屋は屋外で血まみれで屠畜し廃棄物は道端で腐敗していた→嫌われ者になってた
・温帯では新鮮な肉を食べられる季節は限られるが低温が腐敗を遅らせることは知られていた
→19世紀初頭に低温流通のコンセプトが生まれた→やがて氷からアンモニア冷媒へ
・軍の献立で最も高価なものは肉で支出の半分以上を占めていた
(生産に大量の土地と水と植物が必要で収穫加工保存運搬も難しいから)
→米西戦争までに冷蔵輸送が可能になったが大量輸送が必要になった第一次世界大戦で、
はじめて箱詰め加工牛肉が開発された→ただ、まとめて冷凍すると様々な問題が生じた
→新しい骨抜き技術で各部位に分類、急速冷凍技術で細胞破裂を防ぐetc
→精肉業者は残りの部位でも儲け、軍はカット肉で調理と給仕の人手と時間が削減できた
→アメリカの主婦は当初は受け付けなかったが50年かけて浸透させた
→現在ではスーパーで販売される牛肉の9割以上が箱詰め加工肉
・マックリブ(豚の成型肉)
→1981年にコスト抑制で登場→20年たってようやくヒットした
→軍のコスト抑制のための成型肉の研究からデニーズ、マクドナルドへ
・軍の成型肉の研究はソーセージのような伝統的な加工肉と異なり高級肉と思わせるのが目的
→1972年までに外部委託できる段階に、1976年から兵士に出し始めた
→1980年のニューヨークタイムズでネイティック研究所による成型肉の発明が紹介され、
一般消費者にも成型肉が広がる可能性があると推測→その一例がマクドナルドだった
・現在、成型肉は肉売り場以外でも様々な場所で購入できる
→本来の動物と人間の危うく暴力的な関係は・・・
第9章 長持ちするパンとプロセスチーズ
・パンはイースト菌の発見で魅力的な食べ物へと変貌した
(ビールの製造と関係していた可能性もある)
→調理済みの手軽なコンビニエンスフードの元祖で約6000年前に誕生
・大戦では生イーストの供給が追いつかず糧食研究所がイーストを休眠状態にする研究を開始
→ドライイーストで海外の駐屯地でもパンが焼けるようになった
・いっぽうで自家製パンはほぼ消滅した
→大量生産で資源が節約でき戦争に回せるから→忙しい主婦もその戦略に乗った
→1950年代には1日の摂取カロリーの1/3を占めるようになった
→工場の短時間での製パン法で風味・香り・食感が失われてしまった
・パンの保存に関する陸軍の研究が本格的に始まったのは第二次世界大戦中
→困難が大きく1950年代の穀類研究プロジェクト40のうち11はパンの保存に関するもの
(他にパン用ミックス粉の研究がありマフィンやケーキ用の市販ミックス粉になった)
→1957年に2~4週間はパンを柔らかく保つ酵素添加による技術が完成
→今日ではスーパーで売られる工場製パンの殆どに調整剤として酵素が添加されている
(高峰譲吉のアミラーゼの工業化成功にはじまり、酵素は飲料や食肉にも添加されており
酵素産業は今や年間50億ドルの収益)
→添加物による健康問題も指摘され1993年フランスのパン法令では添加が禁止された
→この基準ではスーパーの市販品はパンではなく陸軍が開発した「非老化性パン様食品」
→朝鮮戦争中からベトナム戦争にかけてレーションに加える缶詰パンを作ったが不評
→80年代半ばからネイティック研究所がパウチ入りパンの研究をすすめていた
→1996年にナビスコと共同研究開発契約
→数ヶ月保存までで立ち消えになったが、その技術はカプセル食品、冷凍食品、ベビーフード、
パスタ、エナジーバー、スナック、パン、キャンディ、シリアルなどに用いられ、これらは
アメリカ人の食事の75%を占める
・プロセスチーズとチーズパウダー
→20世紀初頭に高温や長期保存に耐えられるプロセスチーズができた
→第一次世界大戦で陸軍が大量に注文、これでクラフト社の覇権が確立
→第二次世界大戦ではKレーションやCレーションに入れるチーズスプレッドも購入
→陸軍は他の食品同様に乾燥と圧搾を追求→チーズパウダーの誕生→チートスも
第10章 プラスチック包装が世界を変える
・アメリカの原油消費量は20世紀の100年間で200倍になった
・1930年代の終盤まで耐久性のものは重く木材かガラスか陶器か金属、使い捨ては紙か蝋か布
→天然ゴムやシェラック樹脂など一部の素材が日本軍によって遮断され合成素材の研究競争に
→合成ポリマー(プラスチック)→1941年に海軍とNACA(NASAの前身)の出資で製造研究
・ダウ・ケミカルが発見したサラン(ポリ塩化ビニリデン)が1930年代後半には椅子や電車の
シートに使う繊維として発売されていた
→陸軍が注目し金属部品の露天海外輸送にサランをスプレーしていた
→レーションを湿気から守るにはサランに柔軟性と光分解しない透明性が必要と要望
→「光安定性を有する塩化ビニリデン組成」の特許申請はヒトラー自殺の四日後
→1949年サランラップの登場→4年後に極薄化し消費者市場に進出→家庭用ラップのトップに
→焼却時の塩素ガスと可塑剤の食品への移行が問題視され2004年に低密度ポリエチレンに
・レトルトパウチの開発
→1950年代はじめの陸軍の包装部門の要望をすべて解決する言葉が「プラスチック」
→水分を含んだ常温保存用食品の加熱と保存は缶詰以来ずっと頑丈な金属製の円筒だった
→陸軍がアメリカの食品業界とプラスチック業界の60社近い大企業を集めた
→1980年代以降はレトルトパウチのMREレーションが標準的な食事になった
→可塑剤たっぷりのレトルトパウチは兵士には許容可能なリスクかも知れないが・・・
→MRE1食からはプラスチックと厚紙を中心とした固形ごみ150gが生ずる
→アルミ箔層を含むラミネートパウチはリサイクルや燃料にならないしコストもかかる
→それでもポリマーだけでは蒸気を透過させるので金属バリアが必要だった
→80年代の終わりにナノテクノロジー・ポリマーがトヨタの自動車部品に登場
→10年後に陸軍がポリマー系ナノ複合材料がレーションのアルミ箔層の代替になるか調査
→2002年にネイティック研究所が企業や大学と連携した研究に着手
→人間の細胞にぴったり入るサイズのナノ粒子の健康への悪性データはほぼ皆無
→食品接触材料としてのプラスチック使用については民間人が阻止すべきでは・・・
第11章 夜食には3年前のピザをどうぞ
・ハードルテクノロジーの開発
→ドイツ連邦食肉研究所→ドイツ陸軍のためのハムとソーセージの微生物学の研究から
→基本的な手法はローマ帝国時代と同じだった→それを理論化・工業化
→ネイティック研究所の常温保存可能なサンドウィッチは開発から17年後の2007年に完成、
イラクとアフガニスタンでレーションに使われた
→ハードルテクノロジーは特にピザなど水分量の異なる複数材料に有効
→陸軍はクラストとソースを隔てるバジル風味ナノフィルムを挟んだ常温保存可能なピザを開発
・高圧加工と食品保存(略)
第12章 スーパーマーケットのツアー(軍で生まれた技術によるものツアー)
・袋入り洗浄済みサラダ用野菜→ガス置換包装で新鮮なまま
・フレッシュジュース・調理済み冷蔵品・カット済み野菜や果物・ソースやドレッシングetc
→高圧加工で非加熱殺菌済み
・ピザクラスト・フラットブレッド・ソフトタイプのトルティーヤetc
→ハードルテクノロジーでいつまでも古びない
・電子レンジで温めるだけの料理→重爆撃機の乗員用に軍が開発資金を援助したもの
・食肉コーナー→殆どがネイティック研究所からの技術
・プロセスチーズ・粉ミルク・常温保存可能な加工食品etc→レーションから
・パン売り場の殆ど・レトルトパウチ入り料理・常温保存可能なマッシュポテト
・菓子パン・エナジーバー・チョコチップクッキー・焼き菓子→中間水分食品
・缶詰コーナー→まさに昔のCレーションをたたえる記念ディスプレイ

・レトルトパウチコーナー→20年にわたる陸軍と委託契約業者による研究の成果
・インスタントコーヒー・スープ・粉末飲料・シリアルの小さな果物・調味料小袋のハーブなど
→第二次世界大戦の衛生兵に届けられた凍結乾燥の血液製剤やワクチンの末裔
・ハードボイルドライス→第二次世界大戦中にはじめて兵士に届けられたもの
・冷凍ピザ→最初のメーカーは陸軍の契約業者で飛行機で移動中の兵士に出す食事を考案
・濃縮オレンジジュース→兵士にビタミンCを摂取させるため1945年に低温蒸発製法が完成
・食品以外でもキッチン家電製品の殆どは軍に起源をもつ
・アルミホイル→戦後残った15万機の戦闘機を溶かした軍の安価な原料で家庭に普及した
・食品の栄養成分表示→食事ではなく栄養素という観点で考える→加工食品レーションから
・レジ横のM&Mのチョコ・リグレーのガム・チートス・乾燥ジャガイモのチップスetc
・積み替えなしでトラック・列車・船舶で運べるコンテナ輸送とパレット
・企業の「HACCP危険要因分析重要管理点」方式の食品安全管理・食品受容性研究etc
・スーパーに並ぶ食品の少なくとも半分以上は軍の技術によるもの
・食品科学と食品技術に関する基礎研究を軍が支配しているということは、
兵士に配給するレーションについての戦闘食糧配給プログラムの下す決定が、
一般市民の食べるものに関する事実上の決定となることを意味している
第13章 アメリカ軍から生まれる次の注目株
(本書の取材で調査していた2007年のプロジェクトから)
・病原体バイオセンサー→食品病原体の検出
・サプリメント添加による戦場での兵士のパフォーマンス向上
→すでにファーストストライク・レーションにはたっぷり入っている
・前線作戦基地用に新鮮な野菜や果物(FFV)の賞味期間を延ばす
(その選択肢がない状況で兵士が食べると士気が著しく高揚する)
・パーソナル飲料クーラー(高温による脱水状態には冷えた飲み物が最適)→すでに市販化
(60kg近い装備で高温の砂漠を歩く兵士は1時間に2ℓの水分補給が必要だがキャメルバッグに
入った温かく消毒臭がする水は飲んでも吐いてしまう→身体能力や認知能力の低下も)
・ソーラー式冷蔵コンテナ→2016年には野戦炊事車に導入
・ごみをエネルギーに変えるコンバーター→兵士1人1日あたり3.6kgのごみの8割は食品関係
第14章 子どもに特殊部隊と同じものを食べさせる?
・未来の戦争は小規模な特殊作戦部隊向けになる
(偵察と監視、パートナー支援と訓練、低烈度紛争、テロ活動への潜入妨害対応、高価値標的破壊)
→このような流動的でダイナミックな戦闘環境での大規模な駐屯地の設営は負担が大きい
→後方支援の対象も小規模な前線作戦基地になる
→個人用戦闘装備の急激な高性能化もあり駐屯地も小規模化へ
→このシナリオに集団が食卓で落ち着いて食べる温かい食事の入る余地はない
・包装を破って中身を食べゴミを捨てるだけのレーションは加工や包装のコストが高くても
陸軍にとっては最も費用対効果の高い食糧配給方式
→野戦炊事車も生鮮食品の輸送も怪しい第三国の食糧調達業者も食肉検査官も冷蔵コンテナも
不愛想な料理人も厨房のごみ処理も鍋洗いも器具磨きも兵員食堂の管理も要らないから
→実際に陸軍は一日三食という食事の概念を崩そうとしている
・本書の執筆を通じて、むきになって料理を手作りするのをやめた
→以前は6人分のきちんとした食事を作ると心が安らいだが、今はそれが腹立たしい
→いかに手早く大量の箱と袋を開けてテーブルに食べ物を出せるかを常に考えるようになった
・料理は(昔は自分たちで歌ったり演奏していて今は大勢で共有する商業的なものになった)
音楽と同じ道を歩んでいて、いわば死にかけのアート・・・
→家族のために料理する場合でも、少なくとも材料の半分は加工済食品
・軍→食品科学→食品をおいしく安全に変質せず保存できる方法の解明→調理の飛躍的向上
→工業生産化→無数の食品の発明→加工食品による主婦の自由(選択肢)
・一方で工業生産される加工食品の殆どは不健康で安定性と長期保存のための添加物入り
・加工食品の殆どにレーションを薄めたものが潜んでいる
→レーションは兵士のために設計されたもので少なくとも子どもの健康にはよくない
・家族が求めているのは私の料理そのものではなく私に何かしてもらっているという感覚
→母親、妻、娘としての私の存在を実感したいのだ
→この思いを満たす方法はたくさんあるが私の場合は料理がそのひとつだった・・・
2021年11月04日
ナチスのキッチン
前回記事に続き、食についてのお勉強・・・つーことで・・・
今回は「ナチスのキッチン」であります・・・

「決定版」ナチスのキッチン~「食べること」の環境史~
著者・発行者・発行所・発行年月日は以下のとおり・・・

そう、以前紹介した「縁食論」や「戦争と農業」の著者による大作であります。
例によって目次のみのご紹介・・・


様々な分野から反響のあった本だそうで、料理や建築にはまったく素人のわたくしにも
けっこう面白く読めました。
近~現代ドイツの食と台所の歴史なんてはじめて知りましたし、戦後の世界各地の
キッチン設計にも大きな影響を与えてたんですね。
料理や台所に限らず思想史に興味のある方も、ぜひご一読を・・・
なにせ大作ですのでわたくしの読書メモから、てきとーに思いつくままの抜粋です。
序章より
・台所→釣った魚を炙る川べりの焚火から高級システムキッチンまで・・・
・動物や植物のほとんどは、火、水、菌、石、刃物によって物理的かつ化学的な変化を
与えられることで、はじめてヒトの口に運ばれる
・栄養を吸収するためには消化器官だけでは不十分で・・・台所はいわば外部器官・・・
→体内に栄養を取り込むシステムの延長に位置する、人間の身体の派出所・・・
・ナチ時代(1933~1945)は「合理化」だけでは理解しにくい時代
→モダニズム建築を否定しつつアメリカのテイラー主義(労働改善)を受容し合理化する二律背反
→この問題を台所から迫るのが本書の目的
①ヒルデガルド・マルギス→消費者運動の先駆け
②エルナ・マイヤー→国民経済学が専門のカリスマ主婦
③マルガレーテ・リホツキー→オ-ストリアはじめての女性建築家で小型キッチンの生みの親
・欧米の近世の台所の主役は火(煮る)で、日本の台所は水(捌いて盛る)が主役だった
→台所は自然に成立したもので地方により家により異なるもの
→キッチンは意図的に設計されたシステムとその模倣商品で画一的なもの、と便宜上区分
・竈とオーブンと(電子)レンジ→日本とドイツの感覚の違い(温めないとか)
・女性の解放と家事労働→セントラル・キッチン構想
・テイラー主義に基づく台所設計や家具配置がドイツ現代史の特徴
・台所は人間による自然加工の終着駅でありエネルギーの末端であり企業の大きな販路
・台所の神様、竈の神様は日本にも古代ローマにもギリシャにも古代ゲルマンにも存在する
・台所は外の生態系とそこから囲われた「住まい」との通路・・・
1章では火を住まいに囲うための建築技法
2章では食べやすいよう加工するための調理テクノロジー
3章では、それを科学の側面からバックアップする家政学
4章では調理術の蓄積としてのレシピ、
と、台所の近現代史をたどり・・・
5章では、その帰結としてのナチ期の食政策を台所から分析する
第1章
・調理場を兼ねた暖炉(竈)=光と熱の源=家の中心だった
→19世紀後半~20世紀初頭の鋳鉄製の竈で小型化→暖炉はなくなるか別になる
→同時期に普及する電気やガスで台所はさらに小型化→小型キッチンの設計へ
→20世紀初頭以降の上下水道の普及により蛇口とシンクが大きな存在に
・労働者の住宅不足→フランクフルト市の住宅計画に調理専用の「キッチン」が誕生
→このとき専用キッチンと居間キッチンの是非の論争があった
→「主婦は居間の近くで他の家事も」→主婦労働の軽減からは専用キッチンか
(まだ電気冷蔵庫はなかったので別に食料庫は必要だった)
・アメリカの共同キッチンの試み→「共産主義キッチン」としてドイツに移植
→1908年から各地でセントラルキッチンハウス→第一次世界大戦で挫折
・農学者の横井時敬が徳川秋声に書かせた「小説 模範町村」(1907)の模範村
→家族制度重視の横井が農村の魅力を獲得する方策として家事の協同化を提唱していた
・なぜセントラルキッチンは挫折したのか
→戦争による食料不足で戦時食堂=集団給食所が各地にできたから
・リホツキーのフランクフルト・キッチン(1927)のモデルは狭い食堂車の厨房
・エルナ・マイヤーのシュトゥットガルト・ミニキッチン
(テイラー主義に基づく身体制御型のリホツキーに対し家庭を管理する事務所でL型)
・ダイニングとの仕切りを減らしたミュンヒェン・キッチン
→空気の流れを妨げる程度の仕切りを付ける
→子どもの監視ができ衛生上も改善されガラス窓のコストもかからない
・バウハウスとブルーノ・タウト(テイラー主義を美学にまで高めた)の影響
・シュルツ・ナウムブルクの「郷土保護様式」→暖炉と居心地の良い広い台所
→ナチ党の居間キッチンへ→現実には戦争により機能主義を極限まで高めたものになった
→東ドイツの労働キッチンも同様→台所を労働者約1名の小工場化・・・
第2章
・電化・マニュアル化・健康志向・市場化・(マルギスの反ナチと)ハイバウディのナチ化
第3章
・家政学の誕生と家事マニュアル→家政年報(1928~1944)
→都市と農村・各職業の収入差・疲労・栄養学・料理教室・モータリゼーション・家事労働時間
→家政学のナチ化と「家政年報」の中断、戦時体制化、節約
→それまでのテクノロジー賛美の基調から文化、民族性、反資本主義のナチズムへ
・家政学は
①科学的手法で女性への抑圧的側面を見いだしたが台所は有機体であると権力関係を温存した
②台所を透明化した→ガラス化、数値化→国家や企業がコントロールしやすい空間へ
③台所を機械化した→人間それ自体も機械化したのではないか
④台所を戦場化した→節約→透明化や機械化の延長線上
(アメリカでは家政学による数値化・清潔志向・栄養学で同じ味になった、とも・・・)
第4章
・台所はモダニズム建築・テイラー主義・家政学・企業による用具の市場で小工場と化した
→ドイツの食文化は本来複雑
・料理本の変化・そのロングセラーの変遷・産業界と縁の深い料理本の紹介(略)
(アイントップの庶民性とそれを利用するナチスの巧妙さ)
(マギーやクノールのブイヨンは第一次世界大戦の戦闘糧食や療養食から平時の家庭へ)
・高度経済成長以降、先進国の食は豊かになったといわれ、確かにパン用穀物の消費が減り
肉類、牛乳、乳製品の消費が上昇しているが、18世紀中頃から現在までのレシピの歴史からは
食が豊かになるどころか健康を崇める道具となり、均質化しているという現実もある。
第5章
・ナチ婦人団の重要な任務は食糧自給達成のための台所のコントロール
→牛肉豚肉から羊肉魚肉へ、バナナから国産リンゴへ、などなど・・・
・ヒトラーユーゲントの手引書
→正しい食生活が健康な国民と兵士を作る→健康至上主義と軍国主義の合流
・食の現場を管理し食糧の安定を図るための「家事の軍備拡張」というスローガン
・ラジオによる台所の統制
→魚肉推奨、肉食批判、粗食によるビタミン補給など・・・
・母親学校、農村女子職業学校、労働奉仕団などの家政教育プログラムや家事トレーニング
・マイスター主婦制度・再教育施設
・ポーランドのドイツ化のため移住させられたドイツ人主婦たち
→アーリア人種の女性の中でのヒエラルキー形成
・無駄なくせ運動→「台所の敵である無駄との闘争はドイツ民族が作った収穫物への感謝」
→ナチ国家として電気冷蔵庫の開発に着手したがドイツに普及するのは1970年代から
・残飯回収→食料生産援助事業→豚の餌を分別しない主婦は犯罪者
(この事業で食の生産者と消費者の関係を行政が表面化したことも事実)
・栄養学の試みと強制収容所での人体実験
→国民も囚人も食を自分で選ぶ自由を権力へ委ねた
・台所空間で主婦が「滅私奉公」状態に
→栄養学もテイラー主義も家政学も、その暴走に歯止めをかける術を持ち合わせていなかった
終章
・調理術は五感に快楽をもたらす美学的な課題
→レシピは文字と数字でそれを再現するがレシピだけで表現できるものではない
・栄養学のビタミン信仰への、料理の香りで消化酵素を分泌する生理現象からの批判
・台所の労働空間への純化とナチスの健康崇拝
・竈信仰から機械への絶大な信頼(信仰)へ→要塞のようなシステムキッチン
・千年王国のためにナチスはあらゆる分野での先駆者を必要とした
→台所の先駆的な試みはユダヤ人のものでも共産主義者のものでもナチスのものに・・・
・ドイツ合理主義の遺産は世界各地に拡散するが環境破壊にブレーキはかけられなかった
・現在の食文化の原型は(東西ドイツともに)1960~70年代
→外食産業の発達、冷蔵・冷凍技術の進歩、経済成長と消費社会
・資本主義とナチズムと科学の協同作業からなるテクノロジー社会の構築
→大量生産のシステムキッチン
・清潔や健康のための食事ではなく、単なる栄養摂取の味気なさではなく、食べたいから作る
→これが未来の台所の基本方針→ナチ時代に根源的に批判されたもの
→今の食べものは食品産業と栄養学と家政学によって「選ばされている」もの
・ナチスは食を通じて人がつながるという根本的機能を国民意識の形成に存分に役立てた
→その機能を台所の入口にも食卓にも出口にも徹底させた
→これがナチスのキッチンの特徴だが、あくまでプライベート・キッチンで主婦は孤立したまま
・そもそも家族とは不安定な集団で胃袋を通じてしか絆を維持できない(マリー・ハーン)
→核家族化した市民家族集団は、成員が一人欠けると柱がぐらつき、二人欠けると、
そのほとんどが崩壊する「仮設」の居場所にすぎない
→その不安定な集団と不安定な集団の、胃袋を通じた連帯の場を台所は担えるはず
→ただしこれまでのような台所の小工場化では、この道は見えてこない
→食の荒廃を主婦に押し付ける家族主義では、この社会は支えきれない
→家族愛だけでは台所仕事の深遠さを汲み取ることができない
云々・・・
当時のレシピ紹介も興味津々、この本を参考に料理人が実際に再現された料理もあるようで、
ともかく読みごたえがありました。
今回は「ナチスのキッチン」であります・・・

「決定版」ナチスのキッチン~「食べること」の環境史~
著者・発行者・発行所・発行年月日は以下のとおり・・・

そう、以前紹介した「縁食論」や「戦争と農業」の著者による大作であります。
例によって目次のみのご紹介・・・


様々な分野から反響のあった本だそうで、料理や建築にはまったく素人のわたくしにも
けっこう面白く読めました。
近~現代ドイツの食と台所の歴史なんてはじめて知りましたし、戦後の世界各地の
キッチン設計にも大きな影響を与えてたんですね。
料理や台所に限らず思想史に興味のある方も、ぜひご一読を・・・
なにせ大作ですのでわたくしの読書メモから、てきとーに思いつくままの抜粋です。
序章より
・台所→釣った魚を炙る川べりの焚火から高級システムキッチンまで・・・
・動物や植物のほとんどは、火、水、菌、石、刃物によって物理的かつ化学的な変化を
与えられることで、はじめてヒトの口に運ばれる
・栄養を吸収するためには消化器官だけでは不十分で・・・台所はいわば外部器官・・・
→体内に栄養を取り込むシステムの延長に位置する、人間の身体の派出所・・・
・ナチ時代(1933~1945)は「合理化」だけでは理解しにくい時代
→モダニズム建築を否定しつつアメリカのテイラー主義(労働改善)を受容し合理化する二律背反
→この問題を台所から迫るのが本書の目的
①ヒルデガルド・マルギス→消費者運動の先駆け
②エルナ・マイヤー→国民経済学が専門のカリスマ主婦
③マルガレーテ・リホツキー→オ-ストリアはじめての女性建築家で小型キッチンの生みの親
・欧米の近世の台所の主役は火(煮る)で、日本の台所は水(捌いて盛る)が主役だった
→台所は自然に成立したもので地方により家により異なるもの
→キッチンは意図的に設計されたシステムとその模倣商品で画一的なもの、と便宜上区分
・竈とオーブンと(電子)レンジ→日本とドイツの感覚の違い(温めないとか)
・女性の解放と家事労働→セントラル・キッチン構想
・テイラー主義に基づく台所設計や家具配置がドイツ現代史の特徴
・台所は人間による自然加工の終着駅でありエネルギーの末端であり企業の大きな販路
・台所の神様、竈の神様は日本にも古代ローマにもギリシャにも古代ゲルマンにも存在する
・台所は外の生態系とそこから囲われた「住まい」との通路・・・
1章では火を住まいに囲うための建築技法
2章では食べやすいよう加工するための調理テクノロジー
3章では、それを科学の側面からバックアップする家政学
4章では調理術の蓄積としてのレシピ、
と、台所の近現代史をたどり・・・
5章では、その帰結としてのナチ期の食政策を台所から分析する
第1章
・調理場を兼ねた暖炉(竈)=光と熱の源=家の中心だった
→19世紀後半~20世紀初頭の鋳鉄製の竈で小型化→暖炉はなくなるか別になる
→同時期に普及する電気やガスで台所はさらに小型化→小型キッチンの設計へ
→20世紀初頭以降の上下水道の普及により蛇口とシンクが大きな存在に
・労働者の住宅不足→フランクフルト市の住宅計画に調理専用の「キッチン」が誕生
→このとき専用キッチンと居間キッチンの是非の論争があった
→「主婦は居間の近くで他の家事も」→主婦労働の軽減からは専用キッチンか
(まだ電気冷蔵庫はなかったので別に食料庫は必要だった)
・アメリカの共同キッチンの試み→「共産主義キッチン」としてドイツに移植
→1908年から各地でセントラルキッチンハウス→第一次世界大戦で挫折
・農学者の横井時敬が徳川秋声に書かせた「小説 模範町村」(1907)の模範村
→家族制度重視の横井が農村の魅力を獲得する方策として家事の協同化を提唱していた
・なぜセントラルキッチンは挫折したのか
→戦争による食料不足で戦時食堂=集団給食所が各地にできたから
・リホツキーのフランクフルト・キッチン(1927)のモデルは狭い食堂車の厨房
・エルナ・マイヤーのシュトゥットガルト・ミニキッチン
(テイラー主義に基づく身体制御型のリホツキーに対し家庭を管理する事務所でL型)
・ダイニングとの仕切りを減らしたミュンヒェン・キッチン
→空気の流れを妨げる程度の仕切りを付ける
→子どもの監視ができ衛生上も改善されガラス窓のコストもかからない
・バウハウスとブルーノ・タウト(テイラー主義を美学にまで高めた)の影響
・シュルツ・ナウムブルクの「郷土保護様式」→暖炉と居心地の良い広い台所
→ナチ党の居間キッチンへ→現実には戦争により機能主義を極限まで高めたものになった
→東ドイツの労働キッチンも同様→台所を労働者約1名の小工場化・・・
第2章
・電化・マニュアル化・健康志向・市場化・(マルギスの反ナチと)ハイバウディのナチ化
第3章
・家政学の誕生と家事マニュアル→家政年報(1928~1944)
→都市と農村・各職業の収入差・疲労・栄養学・料理教室・モータリゼーション・家事労働時間
→家政学のナチ化と「家政年報」の中断、戦時体制化、節約
→それまでのテクノロジー賛美の基調から文化、民族性、反資本主義のナチズムへ
・家政学は
①科学的手法で女性への抑圧的側面を見いだしたが台所は有機体であると権力関係を温存した
②台所を透明化した→ガラス化、数値化→国家や企業がコントロールしやすい空間へ
③台所を機械化した→人間それ自体も機械化したのではないか
④台所を戦場化した→節約→透明化や機械化の延長線上
(アメリカでは家政学による数値化・清潔志向・栄養学で同じ味になった、とも・・・)
第4章
・台所はモダニズム建築・テイラー主義・家政学・企業による用具の市場で小工場と化した
→ドイツの食文化は本来複雑
・料理本の変化・そのロングセラーの変遷・産業界と縁の深い料理本の紹介(略)
(アイントップの庶民性とそれを利用するナチスの巧妙さ)
(マギーやクノールのブイヨンは第一次世界大戦の戦闘糧食や療養食から平時の家庭へ)
・高度経済成長以降、先進国の食は豊かになったといわれ、確かにパン用穀物の消費が減り
肉類、牛乳、乳製品の消費が上昇しているが、18世紀中頃から現在までのレシピの歴史からは
食が豊かになるどころか健康を崇める道具となり、均質化しているという現実もある。
第5章
・ナチ婦人団の重要な任務は食糧自給達成のための台所のコントロール
→牛肉豚肉から羊肉魚肉へ、バナナから国産リンゴへ、などなど・・・
・ヒトラーユーゲントの手引書
→正しい食生活が健康な国民と兵士を作る→健康至上主義と軍国主義の合流
・食の現場を管理し食糧の安定を図るための「家事の軍備拡張」というスローガン
・ラジオによる台所の統制
→魚肉推奨、肉食批判、粗食によるビタミン補給など・・・
・母親学校、農村女子職業学校、労働奉仕団などの家政教育プログラムや家事トレーニング
・マイスター主婦制度・再教育施設
・ポーランドのドイツ化のため移住させられたドイツ人主婦たち
→アーリア人種の女性の中でのヒエラルキー形成
・無駄なくせ運動→「台所の敵である無駄との闘争はドイツ民族が作った収穫物への感謝」
→ナチ国家として電気冷蔵庫の開発に着手したがドイツに普及するのは1970年代から
・残飯回収→食料生産援助事業→豚の餌を分別しない主婦は犯罪者
(この事業で食の生産者と消費者の関係を行政が表面化したことも事実)
・栄養学の試みと強制収容所での人体実験
→国民も囚人も食を自分で選ぶ自由を権力へ委ねた
・台所空間で主婦が「滅私奉公」状態に
→栄養学もテイラー主義も家政学も、その暴走に歯止めをかける術を持ち合わせていなかった
終章
・調理術は五感に快楽をもたらす美学的な課題
→レシピは文字と数字でそれを再現するがレシピだけで表現できるものではない
・栄養学のビタミン信仰への、料理の香りで消化酵素を分泌する生理現象からの批判
・台所の労働空間への純化とナチスの健康崇拝
・竈信仰から機械への絶大な信頼(信仰)へ→要塞のようなシステムキッチン
・千年王国のためにナチスはあらゆる分野での先駆者を必要とした
→台所の先駆的な試みはユダヤ人のものでも共産主義者のものでもナチスのものに・・・
・ドイツ合理主義の遺産は世界各地に拡散するが環境破壊にブレーキはかけられなかった
・現在の食文化の原型は(東西ドイツともに)1960~70年代
→外食産業の発達、冷蔵・冷凍技術の進歩、経済成長と消費社会
・資本主義とナチズムと科学の協同作業からなるテクノロジー社会の構築
→大量生産のシステムキッチン
・清潔や健康のための食事ではなく、単なる栄養摂取の味気なさではなく、食べたいから作る
→これが未来の台所の基本方針→ナチ時代に根源的に批判されたもの
→今の食べものは食品産業と栄養学と家政学によって「選ばされている」もの
・ナチスは食を通じて人がつながるという根本的機能を国民意識の形成に存分に役立てた
→その機能を台所の入口にも食卓にも出口にも徹底させた
→これがナチスのキッチンの特徴だが、あくまでプライベート・キッチンで主婦は孤立したまま
・そもそも家族とは不安定な集団で胃袋を通じてしか絆を維持できない(マリー・ハーン)
→核家族化した市民家族集団は、成員が一人欠けると柱がぐらつき、二人欠けると、
そのほとんどが崩壊する「仮設」の居場所にすぎない
→その不安定な集団と不安定な集団の、胃袋を通じた連帯の場を台所は担えるはず
→ただしこれまでのような台所の小工場化では、この道は見えてこない
→食の荒廃を主婦に押し付ける家族主義では、この社会は支えきれない
→家族愛だけでは台所仕事の深遠さを汲み取ることができない
云々・・・
当時のレシピ紹介も興味津々、この本を参考に料理人が実際に再現された料理もあるようで、
ともかく読みごたえがありました。