七変化鍋
2025年03月18日
インバウンドで奈良観光???
3月13日、ひさしぶりに奈良公園や東大寺など奈良市内を観光してきました
しかもハイレベルな現地ガイド付きで富豪インバウンド客なみに
じつは高校1年で我が家にホームステイしてたタイからの留学生ペーンがドイツ人ニルスと結婚、
昨年11月に赤ちゃんが生まれ、育児休暇を利用した日本再訪に1日だけ同行した次第
東京のゲストハウスに1週間ほど滞在、7日と8日は京都市内の日本旅館泊で京都観光を楽しみ、
9日に大阪のゲストハウスに移動、1週間ほど滞在して17日に帰国のスケジュールでした
出産後にバンコクの実家に里帰りしていて今回は親子3人にタイのご両親という5人で、
わたくし「生まれて4ヶ月の赤ちゃんを連れて旅行しても大丈夫なの?」と訊ねたところ、
「悩んだけど今後は育児と仕事で忙しくなるし再訪できるのは今しかないと決めました」
とのことで、両親ともたっぷり育児休暇が取れるドイツならでは、なんでしょうね
と、前置きが長くなりましたが・・・
9時半に大阪メトロの最寄り駅で5人と合流して近鉄奈良駅まで案内・・・

ここで案内役を交代して・・・

奈良専門のボランティアガイドから、自作や非売品を含む案内資料を受け取ります
そう、わたくし厚かましくも奈良ソムリエ資格を持つ学生時代の友人のボランティアガイドに、
御一行の案内をお願いしてたのでありますね
事前の打ち合わせでは建築を専攻していたペーンの意向により、市内の古建築や庭園を巡る
ルートで下見して案内資料も作ってくれてたのですが、ペーンが京都で伏見稲荷に行った際に、
両親と赤ちゃんを連れて歩き回るのが大変だったようで、奈良公園と東大寺の大仏殿とゆー
お気楽ルートに、急きょ変更してもらった次第です
で、ペーンが鹿せんべいを買った途端・・・

シカさんに囲まれました
そーいやシカさんに囲まれ開いたカメラバッグに鹿せんべいを投げ込んだ輩がいたな
おかげでカメラレンズにシカさんの鼻マークがくっきりついてたけど楽しかったな
とシカさんに囲まれつつ奈良公園を抜けて・・・

平日でもインバウンド客でいっぱいの東大寺参道へ
上記リンク記事をアップした4年前はコロナ禍でほぼ無人だったんですが・・・
(南大門から先は持ち込み禁止の)鹿せんべいの残りをペーンが取り出すと、

ふたたびシカさんに囲まれてました

南大門であります
せっかくなので上記リンク記事にある4年前の画像も・・・


ほぼ同時刻ですが当時はインバウンド客も国内客も各1組だけでしたね・・・
懐かしいなあ、あれからもう4年か・・・
あの頃は少しは歩けてたのに今回はこの南大門を跨いだとたん筋肉痛に・・・ううっ
で、今回は、



拝観料をどどんと奮発して大仏殿へ・・・

世界最大級の木造建築ですが、最近ギネスに認定されたのは大阪万博の木造リング


八角燈籠やびんずる尊者など奈良ソムリエさんの詳しい説明を受けます
びんずる尊者は呑んだくれだったので中に入れてもらえず、ずっと軒先に置かれてるとか
こちらが奈良の大仏(廬舎那仏)であります

で、この大仏様の鼻の穴と同サイズにくり抜いたのが・・・

この柱の穴で、潜り抜けるといいことがあるとかで・・・
ニルスが並んでます

前の人はクリアしましたが・・・

ニルスはここまででギブアップしてました
大仏殿を廻るあいだも奈良ソムリエさんの説明は続きましたが、それまで通訳をしていたペーンが
お母さんを連れて文化センターで授乳中だったので、うちの奥様が日本語から怪しい英語へ、
さらにニルスがその怪しい英語から怪しいタイ語に翻訳してペーンのお父さんに伝えてたので、
果たしてどんな内容で伝わってたのか、不安でしゅが・・・
まあ、大仏殿の説明はネット検索でご覧いただくとして・・・
ペーンらと合流後は、お待ちかねの昼食であります




奈良ソムリエさんが僅かな待ち時間で席を確保してくれましたが、周辺の飲食店はどこも
インバウンド客でいっぱいでした
と、まったりと昼食後は、

せんとくんと記念撮影したり・・・

奈良最古(1894年)の洋式建築である奈良国立博物館本館(現在は仏像館)の説明を受け・・・

春の日差しにウトウトするシカさんを眺めつつ焼き芋を食べたり・・・

鹿鳴館に対応する関西の迎賓館として1908年に建てられた奈良ホテルを遠望しつつ・・・



興福寺南円堂の下から・・・

有名な餅屋さんを過ぎて・・・

南都銀行本店(1926年)の説明を受けました
その後ペーンは「ひがしむけ商店街」にある、

奈良県女性センターで再び授乳タイム・・・
その隣にあるのが・・・


隣接する興福寺に配慮して珍しい和風建築となった奈良基督教会(1930年)であります
で、授乳中ペーンのご両親とうちの奥様はショッピングに、その間に奈良ソムリエさんが
「試飲できる酒屋」を探してくれてて、授乳後に合流して・・・


ま、こちらも魅力的でしたが・・・
昨年できたばかりとゆーこちらのお店へ・・・

各種奈良酒販売とテイスティングバーをやってる店で酒ディプロマ常在とありました
さっそく、オススメをテイスティング

ペーンは授乳期間中で飲まなかったのですが本来は日本酒好きでニルスも大好きなので、
楽しんでましたが、この中で一番の日本酒通はやはり奈良ソムリエさんでしょう
で、ニルスお気に入りの1番と奈良ソムリエさんオススメの4番を、ワイン好きのニルスの
お父さんへのお土産用に買い求め、
最後に店の前で記念写真を撮ったのですが・・・


知らぬ間に「おたぬき姫」がカメラ目線に???
と、ここで案内いただいた奈良ソムリエさんと別れ近鉄奈良駅から無事帰阪した次第です
奈良ソムリエさんには下見や資料作成やルート変更など何から何までお世話になりました
メンバー全員(赤ちゃんを除く
)から再度感謝を伝えておいて下さいとのことでした
ま、ドイツへのお土産用に買ったお酒は、託送荷物がすでにいっぱいだったため、



翌日、翌々日のゲストハウスでの鍋宴会で美味しくいただきましたとさ
どっとはらい
しかもハイレベルな現地ガイド付きで富豪インバウンド客なみに

じつは高校1年で我が家にホームステイしてたタイからの留学生ペーンがドイツ人ニルスと結婚、
昨年11月に赤ちゃんが生まれ、育児休暇を利用した日本再訪に1日だけ同行した次第
東京のゲストハウスに1週間ほど滞在、7日と8日は京都市内の日本旅館泊で京都観光を楽しみ、
9日に大阪のゲストハウスに移動、1週間ほど滞在して17日に帰国のスケジュールでした
出産後にバンコクの実家に里帰りしていて今回は親子3人にタイのご両親という5人で、
わたくし「生まれて4ヶ月の赤ちゃんを連れて旅行しても大丈夫なの?」と訊ねたところ、
「悩んだけど今後は育児と仕事で忙しくなるし再訪できるのは今しかないと決めました」
とのことで、両親ともたっぷり育児休暇が取れるドイツならでは、なんでしょうね

と、前置きが長くなりましたが・・・
9時半に大阪メトロの最寄り駅で5人と合流して近鉄奈良駅まで案内・・・

ここで案内役を交代して・・・

奈良専門のボランティアガイドから、自作や非売品を含む案内資料を受け取ります
そう、わたくし厚かましくも奈良ソムリエ資格を持つ学生時代の友人のボランティアガイドに、
御一行の案内をお願いしてたのでありますね

事前の打ち合わせでは建築を専攻していたペーンの意向により、市内の古建築や庭園を巡る
ルートで下見して案内資料も作ってくれてたのですが、ペーンが京都で伏見稲荷に行った際に、
両親と赤ちゃんを連れて歩き回るのが大変だったようで、奈良公園と東大寺の大仏殿とゆー
お気楽ルートに、急きょ変更してもらった次第です

で、ペーンが鹿せんべいを買った途端・・・

シカさんに囲まれました

そーいやシカさんに囲まれ開いたカメラバッグに鹿せんべいを投げ込んだ輩がいたな

おかげでカメラレンズにシカさんの鼻マークがくっきりついてたけど楽しかったな

とシカさんに囲まれつつ奈良公園を抜けて・・・

平日でもインバウンド客でいっぱいの東大寺参道へ
上記リンク記事をアップした4年前はコロナ禍でほぼ無人だったんですが・・・
(南大門から先は持ち込み禁止の)鹿せんべいの残りをペーンが取り出すと、

ふたたびシカさんに囲まれてました


南大門であります
せっかくなので上記リンク記事にある4年前の画像も・・・


ほぼ同時刻ですが当時はインバウンド客も国内客も各1組だけでしたね・・・
懐かしいなあ、あれからもう4年か・・・
あの頃は少しは歩けてたのに今回はこの南大門を跨いだとたん筋肉痛に・・・ううっ

で、今回は、



拝観料をどどんと奮発して大仏殿へ・・・

世界最大級の木造建築ですが、最近ギネスに認定されたのは大阪万博の木造リング



八角燈籠やびんずる尊者など奈良ソムリエさんの詳しい説明を受けます
びんずる尊者は呑んだくれだったので中に入れてもらえず、ずっと軒先に置かれてるとか

こちらが奈良の大仏(廬舎那仏)であります

で、この大仏様の鼻の穴と同サイズにくり抜いたのが・・・

この柱の穴で、潜り抜けるといいことがあるとかで・・・
ニルスが並んでます


前の人はクリアしましたが・・・

ニルスはここまででギブアップしてました

大仏殿を廻るあいだも奈良ソムリエさんの説明は続きましたが、それまで通訳をしていたペーンが
お母さんを連れて文化センターで授乳中だったので、うちの奥様が日本語から怪しい英語へ、
さらにニルスがその怪しい英語から怪しいタイ語に翻訳してペーンのお父さんに伝えてたので、
果たしてどんな内容で伝わってたのか、不安でしゅが・・・

まあ、大仏殿の説明はネット検索でご覧いただくとして・・・
ペーンらと合流後は、お待ちかねの昼食であります





奈良ソムリエさんが僅かな待ち時間で席を確保してくれましたが、周辺の飲食店はどこも
インバウンド客でいっぱいでした
と、まったりと昼食後は、

せんとくんと記念撮影したり・・・

奈良最古(1894年)の洋式建築である奈良国立博物館本館(現在は仏像館)の説明を受け・・・

春の日差しにウトウトするシカさんを眺めつつ焼き芋を食べたり・・・

鹿鳴館に対応する関西の迎賓館として1908年に建てられた奈良ホテルを遠望しつつ・・・



興福寺南円堂の下から・・・

有名な餅屋さんを過ぎて・・・

南都銀行本店(1926年)の説明を受けました
その後ペーンは「ひがしむけ商店街」にある、

奈良県女性センターで再び授乳タイム・・・
その隣にあるのが・・・


隣接する興福寺に配慮して珍しい和風建築となった奈良基督教会(1930年)であります
で、授乳中ペーンのご両親とうちの奥様はショッピングに、その間に奈良ソムリエさんが
「試飲できる酒屋」を探してくれてて、授乳後に合流して・・・


ま、こちらも魅力的でしたが・・・

昨年できたばかりとゆーこちらのお店へ・・・


各種奈良酒販売とテイスティングバーをやってる店で酒ディプロマ常在とありました
さっそく、オススメをテイスティング


ペーンは授乳期間中で飲まなかったのですが本来は日本酒好きでニルスも大好きなので、
楽しんでましたが、この中で一番の日本酒通はやはり奈良ソムリエさんでしょう

で、ニルスお気に入りの1番と奈良ソムリエさんオススメの4番を、ワイン好きのニルスの
お父さんへのお土産用に買い求め、
最後に店の前で記念写真を撮ったのですが・・・


知らぬ間に「おたぬき姫」がカメラ目線に???
と、ここで案内いただいた奈良ソムリエさんと別れ近鉄奈良駅から無事帰阪した次第です
奈良ソムリエさんには下見や資料作成やルート変更など何から何までお世話になりました
メンバー全員(赤ちゃんを除く


ま、ドイツへのお土産用に買ったお酒は、託送荷物がすでにいっぱいだったため、



翌日、翌々日のゲストハウスでの鍋宴会で美味しくいただきましたとさ

2025年02月15日
KF21若鷹の祝賀会???
とーとつですが、わたくし・・・
韓国空軍の最新鋭戦闘機KF21ボラメ(若鷹⇒2026年から配備予定ウィキより)

・・・の祝賀会に参加してきました
???
ま、正しくは同機の1/72スケールモデル(韓国アカデミー社製)・・・

が、某誌の読者プレゼントで当った軍用機マニアの当選祝賀会(名目の飲み会)でしたが
つーことで指定された祝賀会場は、

なんばパークス6Fにある韓国料理店・・・


bibim(ビビム)とゆーお店でした
参加したのは当選者さんとひさしぶりのMe109k4さんとわたくしの3人、そりゃあ、
こんな名目で集まる地球生命体つーのは絶対数が限られますからね
そう、お二人は軍用機マニア、わたくしも一応「搭載機銃つながり」つーことで
で、当日のわたくしからお二人への豪華プレゼント


ま、葉巻の空き缶なんですが
フタ裏の写真は朝鮮戦争当時のパイロットたち
すでに廃版品なので稀少品といえば稀少品なのでありますね
つーことで、豪華賞品(本人はレシプロ機が専門なんですが
)の当選を祝して、


「ハッピーアワー」の飲み物で乾杯!!!
以後は延々と飲みつつ食べつつ、軍用機や戦争映画などのヲタ話が続きました
Me109k4さんとはじつにひさしぶり、当選者さんとは最近も同期の集まりで飲んでましたが、
そんな席でこんな話題で盛り上がることはなかったので
3人で大いに盛り上がりました
同じ機体の話をしてても、同じ映画の話をしてても、興味分野が各自で全く異なるので、
「それには気づかなかったなあ」とゆー話題も多くて飽きませんでしたねえ・・・
そーいやMe109k4さんとは昔「戦争映画を観る会」でメンフィスベルや紅の豚なんぞを観て、
映画館を出た後に感想を話し合ってたけど、各自の興味分野のシーンはしっかり覚えてたものの、
それ以外のストーリーなんぞは、誰もあまり覚えてなかったな・・・あははは
わたくしが殆ど知らない世界でもマニア同士の会話つーのは、やはり興味津々でした
と、せっかくなので当日の韓国料理もいくつか紹介しておきます・・・



ええ、残念ながら「正統派ブデチゲ」はメニューにありませんでした
韓国空軍の最新鋭戦闘機KF21ボラメ(若鷹⇒2026年から配備予定ウィキより)

・・・の祝賀会に参加してきました
???
ま、正しくは同機の1/72スケールモデル(韓国アカデミー社製)・・・

が、某誌の読者プレゼントで当った軍用機マニアの当選祝賀会(名目の飲み会)でしたが

つーことで指定された祝賀会場は、

なんばパークス6Fにある韓国料理店・・・


bibim(ビビム)とゆーお店でした
参加したのは当選者さんとひさしぶりのMe109k4さんとわたくしの3人、そりゃあ、
こんな名目で集まる地球生命体つーのは絶対数が限られますからね

そう、お二人は軍用機マニア、わたくしも一応「搭載機銃つながり」つーことで

で、当日のわたくしからお二人への豪華プレゼント



ま、葉巻の空き缶なんですが


すでに廃版品なので稀少品といえば稀少品なのでありますね
つーことで、豪華賞品(本人はレシプロ機が専門なんですが



「ハッピーアワー」の飲み物で乾杯!!!
以後は延々と飲みつつ食べつつ、軍用機や戦争映画などのヲタ話が続きました
Me109k4さんとはじつにひさしぶり、当選者さんとは最近も同期の集まりで飲んでましたが、
そんな席でこんな話題で盛り上がることはなかったので

同じ機体の話をしてても、同じ映画の話をしてても、興味分野が各自で全く異なるので、
「それには気づかなかったなあ」とゆー話題も多くて飽きませんでしたねえ・・・
そーいやMe109k4さんとは昔「戦争映画を観る会」でメンフィスベルや紅の豚なんぞを観て、
映画館を出た後に感想を話し合ってたけど、各自の興味分野のシーンはしっかり覚えてたものの、
それ以外のストーリーなんぞは、誰もあまり覚えてなかったな・・・あははは

わたくしが殆ど知らない世界でもマニア同士の会話つーのは、やはり興味津々でした
と、せっかくなので当日の韓国料理もいくつか紹介しておきます・・・



ええ、残念ながら「正統派ブデチゲ」はメニューにありませんでした

2025年02月07日
地球グルメ大図鑑とブデチゲ考察?
ええ、まずは・・・

地球グルメ大図鑑~世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味~のご紹介から
裏表紙

奥付

そう、

こんな注意書きのある大図鑑であります わくわく
目次


米国の項では51州すべて、さらには南極の各基地グルメまでありましたが・・・
まずは目次のアジア→東アジア→日本の項にあったグルメ?をメモ
・竹のウォータースライド(流しそうめん)
・鉄道駅のごちそう(200種類の駅弁を揃える東京駅の駅弁屋)
・伝統の職人技が光るぺろぺろキャンディ(飴細工)
・寿司の元祖(琵琶湖のふなずし)
・エンタメ・レストラン(主役が料理ではない飲食店)
・海軍カレー(日本のカレーライス)
・洋食(日本生まれの西洋料理)
→ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、サンド、タコライス
・渋柿を甘くする技(干し柿)
・高級フルーツ(企業の夏冬2回の贈答競争で繁栄を謳歌しているフルーツ
)
→でんすけすいか、太陽のタマゴ(マンゴー)、美人姫(イチゴ)、ルビーロマン(ブドウ)、夕張キング(メロン)
・相撲力士の鍋料理(ちゃんこ鍋)
・巨大な稲わらの構造物(わらアート)
(グルメではないけど食材に関する珍しいモノつーことでしょうね)
各項目に説明、写真、由来、レシピなどがあり、実際に現地で体験する方法も書いてあって、
食べ歩きガイドブックとしても使えるようになってました
と、世界中のグルメ?が紹介されてましたが、特に琴線に触れた項目から・・・
・正真正銘のモンゴル式バーベキュー「ボードグ」
→モンゴルの戦士は馬で移動するので重い調理器具を持ち運ぶのは不可能だった
→そんな遊牧生活に適した調理法として彼らは動物の体を調理器具として使った
→山羊やマーモットの腹から肉と骨と内蔵を取り出し肉(肝臓と腎臓を含む)にスパイスをふり、
熱く焼いた石と野菜と一緒に詰め戻し穴を塞ぎ直火で焼く
→焼け残った毛をナイフでこそげ落とし2時間ほどで首の穴から脂が滴るようになったら食べ頃で、
腹が大皿の役割も兼ねている
→チンギス・ハンもボードグで勝利の宴会をしていた(モンゴルシェフ連盟会長談)
まさに調理器具の要らない究極のアウトドア料理で、わたくしの大好きなモンゴル料理
「羊の石焼き」
の原点だったんですね、調理器具はミルク缶を使ってましたが(98k談)
・米軍基地で生まれた鍋物ブデチゲ(韓国)
→今や韓国で一番人気を誇るフュージョン料理
→部隊鍋を意味するブデチゲは米国人が捨てた食料から生まれたものだった
→残飯から生まれた米国帝国主義の名残を屈折した形で伝える一品となった
→朝鮮戦争中のソウル市民は食料不足で米軍基地のゴミ箱から缶詰の豆、チーズ、
スパム、ハムなど加工食品の残飯を集めてキムチ、野菜、インスタント麺と一緒に鍋へ
→朝鮮戦争後も米国製品の規制は続き、米軍基地の食材を扱う酒保闇市が増えた
(多くの市民には米国産の加工肉が唯一の手が届く肉だった)
→1980年代に米国製品の規制が撤廃されブデチゲは人気の大衆料理として進化した
→とりわけ大学周辺に多いが高級地区にもブデチゲに特化したレストランがある・・・
(で、大好きなブデチゲの考察?)
わたくしは、韓国軍兵士が米軍経由のスパムなどの缶詰とキムチやインスタント麺などを
ひとつの鍋に入れて、部隊の仲間で一緒に食べてたのを懐かしみ、除隊後にも仲間と再現、
それがやがて貧乏学生から一般市民にも拡がったと理解してたのですが本書のような説もあり、
ホントはどうだったのか(ヒマなので)考察?してみました
①ブデチゲの基本食材はスパムなどの加工肉とキムチとスープ別添のインスタント麵だけど、
スープ別添の袋麺は1962年の明星食品と東洋水産が世界初なので、今のスタイルで初めて
食べられたのは、いくら早くても1962年以降になるはず
(ちなみに朝鮮戦争時なら1950年~53年、戦後もっとも古いとされるインスタント麺の記録
(第一次南極観測隊に採用された「長寿麺」)でも朝鮮戦争から3年後の1956年)
②さらにインスタント麵の海外への本格的な輸出はベトナム戦争の拡大(1968年)以降とされ、
それまでは在外邦人向けが中心、アジア各国に急速に出回ったのもこれ以降のはず
③ただし明星食品が韓国に製造プラントを輸出したのは、スープ別添の翌年1963年なので、
それ以降なら韓国にスープ別添のインスタント麵が普及していた可能はある
④以上から、韓国軍兵士がブデチゲとして食べたのは朝鮮戦争当時ではなくベトナム戦争当時、
おそらくは1968年以降で早くても1963年以降に、米軍経由のスパム缶詰と自前のキムチと
スープ別添のインスタント麵などを入れて、部隊の仲間とひとつの鍋をつつきあったのがルーツ、
と考えるほうが妥当ではないか、部隊鍋の名称からもインスタント麺の経緯(朝鮮戦争時には
まだ存在しない)からも、ソウル市民が米軍基地の残飯を入れた鍋はブデチゲではない・・・
と推察したのですが、いかがでしょう?
(ちなみにブデチゲ以前の韓国では一人鍋が基本で、ひとつの鍋を分けあって食べるのは、
日本人と同じ下品な食べ方だったので、当時の大人たちからは軽蔑されてたとか
)
まあ、スパムなど缶詰の加工肉、白菜キムチ、スープ別添の袋麺、あとは玉ねぎなど、
常温保存できる具材があればクーラーボックスがなくても、どこでも鍋宴会が楽しめて、
お腹いっぱいになりますから、わたくしもブデチゲとしての存在を知るずっと以前から
似たようなキャンプ鍋を楽しんでたので、諸説があるのも当然かも知れませんが・・・
閑話休題
わたくしの琴線に触れた項目を続けます・・・
・香辛料のコニャック・XO醤
(香港)略
・平壌冷麺
と大同江醸造所の7種類のビール
(北朝鮮)略
・ブルネイのアンブヤット(サゴヤシの樹幹から取った粉をゼラチン状にしたもの
)略
・ボルネオ島サバ州にしかないバンバンガン(オニオンスープ味のマンゴー
)略
・ある独裁者の推し麺(タイのパッタイ
)
→独裁者が1939年に国名をシャムからタイにするなど制定した国家規則のひとつがパッタイ
→コメの消費量を抑えるため麺類を奨励しパッタイのレシピと屋台を普及させ他の屋台を禁止した
→ライスヌードルは中国人がタイに持ち込んだとされるがパッタイはタイの国民食になった
・ジンバブエのモパネワーム(蛾の幼虫で10cmになる)
→タンパク質の含有量は牛肉の3倍、旨みはよく焼いたステーキと評される
→熟練した摘み手なら1日に25~50キロは採集できる
→内臓を指で絞り出して天日干し、好みで燻製、炙り焼、酢漬け、フライに
→モパネの葉3キロで1キロのモパネワームが育てられるので牛肉よりサスティナブル
・オーストラリア軍のFRED
→1940年代初頭に導入され缶切り・栓抜き・スプーンの機能を持つがスプーンが小さい
→Field Ration Eating Deviceの略だがFucking Ridiculous Eating Device(クソばかげた食器)とも
→2020年現在も軍の配給パックに標準装備されている(←なぜか持ってます
)
・ガンパウダーラム(ニュージーランド)
→18世紀の英国海軍の水兵は毎日支給されるラム酒を火薬に垂らし火をつけて確認していた
→湿った火薬が燃えれば充分なアルコール濃度のラム酒と証明された(プルーフの起源)
→アルコール濃度57%がネイビーストレングス(海軍の強さ)とされ燃えるかどうかの分かれ目
→オマージュとして誕生したガンパウダーラムは51.6%でネイビーストレングスに近い
・パイソンのペミカン(カナダ)
→パイソンの肉を焚火で乾燥させてから細かく挽き獣脂と混ぜる
→1ポンド(454g)あたり3500㌔㌍あり10年は常温保存できたので探検隊にも使われた
→ビーバー猟の必需品となりミシシッピ川北側のパイソンはほぼ絶滅した
→ペミカンは今もカナダのスーパーマーケットで購入できる
・クロンダイクの生活物資リスト(カナダ・ユーコン準州)
→1896年にクロンダイクで金鉱が発見され北米各地から人々が殺到した
→ユーコン準州は不毛地帯だったので1年分の食料を持参するよう法律で定めていた
→キャンプ用品を含めると900kgになったので小分けにして何度も往復して持ち込んだ
で、カナダ最大だった百貨店の1898年発行カタログから1年間に必要な食料品と日用品のリスト
(著作物の一部なので公開に問題があれば非公開設定にします)

いやあ、じつに興味深い内容です
食料のメインは小麦粉とベーコンで砂糖、豆、ロールドオーツも大きな比重を占めてますね
で、このリスト合計で600kg弱ですからキャンプ道具や衣類などが300kg強つーことになります
水や燃料は現地調達でしょうが必需品のラム酒やバーボンはどうしてたんだろ???
・南極観測基地の食生活(中国の長城基地など各国の基地も面白かったけど略)
→日本の昭和基地では屋外での食事会が恒例でメニューは「流しそうめん」
→本来は半分に割った竹にそうめんを流すが南極では氷山に水路を掘って流す
→リュージュのコースを選手ではなくそうめんが滑る様子を想像してほしい
とか、料理や食材だけでなく食に関するエピソードも満載で大いに楽しめました


地球グルメ大図鑑~世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味~のご紹介から

裏表紙


奥付

そう、

こんな注意書きのある大図鑑であります わくわく

目次


米国の項では51州すべて、さらには南極の各基地グルメまでありましたが・・・

まずは目次のアジア→東アジア→日本の項にあったグルメ?をメモ
・竹のウォータースライド(流しそうめん)
・鉄道駅のごちそう(200種類の駅弁を揃える東京駅の駅弁屋)
・伝統の職人技が光るぺろぺろキャンディ(飴細工)
・寿司の元祖(琵琶湖のふなずし)
・エンタメ・レストラン(主役が料理ではない飲食店)
・海軍カレー(日本のカレーライス)
・洋食(日本生まれの西洋料理)
→ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、サンド、タコライス
・渋柿を甘くする技(干し柿)
・高級フルーツ(企業の夏冬2回の贈答競争で繁栄を謳歌しているフルーツ

→でんすけすいか、太陽のタマゴ(マンゴー)、美人姫(イチゴ)、ルビーロマン(ブドウ)、夕張キング(メロン)
・相撲力士の鍋料理(ちゃんこ鍋)
・巨大な稲わらの構造物(わらアート)
(グルメではないけど食材に関する珍しいモノつーことでしょうね)
各項目に説明、写真、由来、レシピなどがあり、実際に現地で体験する方法も書いてあって、
食べ歩きガイドブックとしても使えるようになってました
と、世界中のグルメ?が紹介されてましたが、特に琴線に触れた項目から・・・
・正真正銘のモンゴル式バーベキュー「ボードグ」

→モンゴルの戦士は馬で移動するので重い調理器具を持ち運ぶのは不可能だった
→そんな遊牧生活に適した調理法として彼らは動物の体を調理器具として使った
→山羊やマーモットの腹から肉と骨と内蔵を取り出し肉(肝臓と腎臓を含む)にスパイスをふり、
熱く焼いた石と野菜と一緒に詰め戻し穴を塞ぎ直火で焼く
→焼け残った毛をナイフでこそげ落とし2時間ほどで首の穴から脂が滴るようになったら食べ頃で、
腹が大皿の役割も兼ねている
→チンギス・ハンもボードグで勝利の宴会をしていた(モンゴルシェフ連盟会長談)
まさに調理器具の要らない究極のアウトドア料理で、わたくしの大好きなモンゴル料理
「羊の石焼き」

・米軍基地で生まれた鍋物ブデチゲ(韓国)

→今や韓国で一番人気を誇るフュージョン料理
→部隊鍋を意味するブデチゲは米国人が捨てた食料から生まれたものだった
→残飯から生まれた米国帝国主義の名残を屈折した形で伝える一品となった
→朝鮮戦争中のソウル市民は食料不足で米軍基地のゴミ箱から缶詰の豆、チーズ、
スパム、ハムなど加工食品の残飯を集めてキムチ、野菜、インスタント麺と一緒に鍋へ
→朝鮮戦争後も米国製品の規制は続き、米軍基地の食材を扱う酒保闇市が増えた
(多くの市民には米国産の加工肉が唯一の手が届く肉だった)
→1980年代に米国製品の規制が撤廃されブデチゲは人気の大衆料理として進化した
→とりわけ大学周辺に多いが高級地区にもブデチゲに特化したレストランがある・・・
(で、大好きなブデチゲの考察?)
わたくしは、韓国軍兵士が米軍経由のスパムなどの缶詰とキムチやインスタント麺などを
ひとつの鍋に入れて、部隊の仲間で一緒に食べてたのを懐かしみ、除隊後にも仲間と再現、
それがやがて貧乏学生から一般市民にも拡がったと理解してたのですが本書のような説もあり、
ホントはどうだったのか(ヒマなので)考察?してみました

①ブデチゲの基本食材はスパムなどの加工肉とキムチとスープ別添のインスタント麵だけど、
スープ別添の袋麺は1962年の明星食品と東洋水産が世界初なので、今のスタイルで初めて
食べられたのは、いくら早くても1962年以降になるはず
(ちなみに朝鮮戦争時なら1950年~53年、戦後もっとも古いとされるインスタント麺の記録
(第一次南極観測隊に採用された「長寿麺」)でも朝鮮戦争から3年後の1956年)
②さらにインスタント麵の海外への本格的な輸出はベトナム戦争の拡大(1968年)以降とされ、
それまでは在外邦人向けが中心、アジア各国に急速に出回ったのもこれ以降のはず
③ただし明星食品が韓国に製造プラントを輸出したのは、スープ別添の翌年1963年なので、
それ以降なら韓国にスープ別添のインスタント麵が普及していた可能はある
④以上から、韓国軍兵士がブデチゲとして食べたのは朝鮮戦争当時ではなくベトナム戦争当時、
おそらくは1968年以降で早くても1963年以降に、米軍経由のスパム缶詰と自前のキムチと
スープ別添のインスタント麵などを入れて、部隊の仲間とひとつの鍋をつつきあったのがルーツ、
と考えるほうが妥当ではないか、部隊鍋の名称からもインスタント麺の経緯(朝鮮戦争時には
まだ存在しない)からも、ソウル市民が米軍基地の残飯を入れた鍋はブデチゲではない・・・
と推察したのですが、いかがでしょう?
(ちなみにブデチゲ以前の韓国では一人鍋が基本で、ひとつの鍋を分けあって食べるのは、
日本人と同じ下品な食べ方だったので、当時の大人たちからは軽蔑されてたとか

まあ、スパムなど缶詰の加工肉、白菜キムチ、スープ別添の袋麺、あとは玉ねぎなど、
常温保存できる具材があればクーラーボックスがなくても、どこでも鍋宴会が楽しめて、
お腹いっぱいになりますから、わたくしもブデチゲとしての存在を知るずっと以前から
似たようなキャンプ鍋を楽しんでたので、諸説があるのも当然かも知れませんが・・・
閑話休題
わたくしの琴線に触れた項目を続けます・・・
・香辛料のコニャック・XO醤

・平壌冷麺


・ブルネイのアンブヤット(サゴヤシの樹幹から取った粉をゼラチン状にしたもの

・ボルネオ島サバ州にしかないバンバンガン(オニオンスープ味のマンゴー

・ある独裁者の推し麺(タイのパッタイ

→独裁者が1939年に国名をシャムからタイにするなど制定した国家規則のひとつがパッタイ
→コメの消費量を抑えるため麺類を奨励しパッタイのレシピと屋台を普及させ他の屋台を禁止した
→ライスヌードルは中国人がタイに持ち込んだとされるがパッタイはタイの国民食になった
・ジンバブエのモパネワーム(蛾の幼虫で10cmになる)
→タンパク質の含有量は牛肉の3倍、旨みはよく焼いたステーキと評される

→熟練した摘み手なら1日に25~50キロは採集できる
→内臓を指で絞り出して天日干し、好みで燻製、炙り焼、酢漬け、フライに
→モパネの葉3キロで1キロのモパネワームが育てられるので牛肉よりサスティナブル
・オーストラリア軍のFRED
→1940年代初頭に導入され缶切り・栓抜き・スプーンの機能を持つがスプーンが小さい

→Field Ration Eating Deviceの略だがFucking Ridiculous Eating Device(クソばかげた食器)とも
→2020年現在も軍の配給パックに標準装備されている(←なぜか持ってます

・ガンパウダーラム(ニュージーランド)
→18世紀の英国海軍の水兵は毎日支給されるラム酒を火薬に垂らし火をつけて確認していた
→湿った火薬が燃えれば充分なアルコール濃度のラム酒と証明された(プルーフの起源)
→アルコール濃度57%がネイビーストレングス(海軍の強さ)とされ燃えるかどうかの分かれ目
→オマージュとして誕生したガンパウダーラムは51.6%でネイビーストレングスに近い

・パイソンのペミカン(カナダ)
→パイソンの肉を焚火で乾燥させてから細かく挽き獣脂と混ぜる
→1ポンド(454g)あたり3500㌔㌍あり10年は常温保存できたので探検隊にも使われた
→ビーバー猟の必需品となりミシシッピ川北側のパイソンはほぼ絶滅した
→ペミカンは今もカナダのスーパーマーケットで購入できる

・クロンダイクの生活物資リスト(カナダ・ユーコン準州)
→1896年にクロンダイクで金鉱が発見され北米各地から人々が殺到した
→ユーコン準州は不毛地帯だったので1年分の食料を持参するよう法律で定めていた
→キャンプ用品を含めると900kgになったので小分けにして何度も往復して持ち込んだ
で、カナダ最大だった百貨店の1898年発行カタログから1年間に必要な食料品と日用品のリスト
(著作物の一部なので公開に問題があれば非公開設定にします)

いやあ、じつに興味深い内容です

食料のメインは小麦粉とベーコンで砂糖、豆、ロールドオーツも大きな比重を占めてますね
で、このリスト合計で600kg弱ですからキャンプ道具や衣類などが300kg強つーことになります
水や燃料は現地調達でしょうが必需品のラム酒やバーボンはどうしてたんだろ???
・南極観測基地の食生活(中国の長城基地など各国の基地も面白かったけど略)
→日本の昭和基地では屋外での食事会が恒例でメニューは「流しそうめん」
→本来は半分に割った竹にそうめんを流すが南極では氷山に水路を掘って流す
→リュージュのコースを選手ではなくそうめんが滑る様子を想像してほしい

とか、料理や食材だけでなく食に関するエピソードも満載で大いに楽しめました

2025年01月07日
初詣ミニOFF会!!!
新年早々とーとつですが・・・
4日5日で初詣ミニOFF会を楽しんでたので、忘れないうちにメモしておきます
4日の正午前後にwingさん、赤チャリさん、川端さんとゆーおなじみ関西ライト好き仲間が、
わたくしに実家に集まってくれました
迎撃歓迎準備は万端・・・


恒例により皆さんからの貢物を巻き上げて

軽く賀詞交換してダベってから初詣へ・・・

大海神社で航海???の無事を祈願し・・・

玉ノ井に乙姫様にもらった玉手箱を投げ込んでタイムスリップ

お椀の舟に箸の櫂で茅渟の海に漕ぎ出し、淀川を遡上して平安京で鬼どもをやっつけ


住𠮷四神に戦果を報告した初詣した後は・・・


鉄分を補給しつつ・・・
粉浜商店街はじめ、わたくしオススメの飲食店を廻ってみたのですが・・・

さすがに人気店はどこも初詣客で長蛇の列でした
で、とりあえずは・・・

wingさんのカワセミ撮影を名目に住吉公園へ・・・

野鳥好きカメラマン数名が待機してましたが、さすがにすぐには現れてくれず・・・

wingさんはサギさん撮影なんぞでお茶を濁して・・・
わりと待ち時間の少なかった「かつや」へ・・・

こぽこぽこぽ



ようやく遅めの昼食宴会にありつけました
やっと人心地がついたので商店街を散策しつつ戻りました
ちなみに皆さん、はじめての100均ショップに入ると目の色が変わるつーか、まずはライトの
コーナーに直行、その後はバックパック用ハンガーとか非常用シュラフとか携帯ポンチョとか、
大手ショップにはない商品を物色しては購入されてましたねえ・・・
で、回転焼(ちなみに関東では今川焼、姫路では御座候、岸和田ではトラ焼だそうです)とか、
二日酔対策用の梅昆布茶とかも買って・・・




さらに鉄分補給しつつ3時半には無事に戻りました
ま、無事にといいつつ、飲んで3時間は歩いたわたくし、帰りは苦労しましたが
で、満腹した帰宅後も延々と・・・


飲みつつ食べつつ録画を見たりしてヲタ話やバカ話で盛り上がり・・・
(この間に各種ライトも出てましたが画像は一切ありません
)
7時を過ぎ、ようやく新春「うどん寄せ鍋」宴会
の開始・・・
(そーいや年始のニュースで「年越し蕎麦」に対抗して「年明けうどん」を普及しようと、
讃岐のうどん団体が努力してるけど、まだまだ知られてないとかやってましたね
)



(以上wingさん画像)


wingさんとわたくしは濁り酒や燗酒、赤チャリさんと川端さんはソフトドリンクで、
ひたすら飲み続け食べ続け喋り続けました
もちろん日付が変わってからも・・・

(かもめコーヒー扱いの)めでたいsakuriシュトーレン・ケルクや、

WITTAMERの高級ケーキなんぞで喋り続けてましたが、2時過ぎには翌日に所用が入った
川端さんが帰宅、残る3人はさらに喋り続け、シュラフに潜り込んだのは3時半でした
翌朝、わたくしは9時過ぎ、wingさんは10時過ぎに起きましたが、最近ずっと3時間程度の
不規則睡眠が続いてたとゆー赤チャリさんは、そのまま放置しておくことにして・・・
わたくしが近くのコンビニに行って二人分のサンドイッチとソーセージエッグマフィン、
パックのドリップコーヒーを購入・・・

(マフィンはレンチンして熱々をすぐ食べてしまったので画像がないけど)
二人で遅めの朝食をとりつつ、さらに世間話なんぞでまったり・・・
昼過ぎにはようやく赤チャリさんも目覚めて(糖分不足かずっと半覚醒状態でしたが)、
三人でまたまた残りの甘味と録画でダベリ続け、夕方にはめでたく解散しましたとさ
めでたしめでたし どっとはらい
いやあ、今回もじつに楽しかったです
今回の4人がネット上で知り合い熊野キャンプでリアルに会ってから20年近くになりますが、
ヲタ話やバカ話の話題がいつも新鮮なのが素晴らしいですね
まあトシを重ねるごとに同じハナシの繰り返しが増えてるのかも知れませんが、
わたくしもハナシの内容をすっかり忘れてるので、いつも新鮮なのか・・・
4日5日で初詣ミニOFF会を楽しんでたので、忘れないうちにメモしておきます
4日の正午前後にwingさん、赤チャリさん、川端さんとゆーおなじみ関西ライト好き仲間が、
わたくしに実家に集まってくれました


恒例により皆さんからの貢物を巻き上げて


軽く

大海神社で航海???の無事を祈願し・・・

玉ノ井に乙姫様にもらった玉手箱を投げ込んでタイムスリップ


お椀の舟に箸の櫂で茅渟の海に漕ぎ出し、淀川を遡上して平安京で鬼どもをやっつけ



住𠮷四神に


鉄分を補給しつつ・・・
粉浜商店街はじめ、わたくしオススメの飲食店を廻ってみたのですが・・・

さすがに人気店はどこも初詣客で長蛇の列でした
で、とりあえずは・・・

wingさんのカワセミ撮影を名目に住吉公園へ・・・

野鳥好きカメラマン数名が待機してましたが、さすがにすぐには現れてくれず・・・

wingさんはサギさん撮影なんぞでお茶を濁して・・・
わりと待ち時間の少なかった「かつや」へ・・・

こぽこぽこぽ




ようやく遅めの昼食宴会にありつけました

やっと人心地がついたので商店街を散策しつつ戻りました
ちなみに皆さん、はじめての100均ショップに入ると目の色が変わるつーか、まずはライトの
コーナーに直行、その後はバックパック用ハンガーとか非常用シュラフとか携帯ポンチョとか、
大手ショップにはない商品を物色しては購入されてましたねえ・・・
で、回転焼(ちなみに関東では今川焼、姫路では御座候、岸和田ではトラ焼だそうです)とか、
二日酔対策用の梅昆布茶とかも買って・・・




さらに鉄分補給しつつ3時半には無事に戻りました
ま、無事にといいつつ、飲んで3時間は歩いたわたくし、帰りは苦労しましたが

で、満腹した帰宅後も延々と・・・


飲みつつ食べつつ録画を見たりしてヲタ話やバカ話で盛り上がり・・・
(この間に各種ライトも出てましたが画像は一切ありません

7時を過ぎ、ようやく新春「うどん寄せ鍋」宴会

(そーいや年始のニュースで「年越し蕎麦」に対抗して「年明けうどん」を普及しようと、
讃岐のうどん団体が努力してるけど、まだまだ知られてないとかやってましたね




(以上wingさん画像)


wingさんとわたくしは濁り酒や燗酒、赤チャリさんと川端さんはソフトドリンクで、
ひたすら飲み続け食べ続け喋り続けました
もちろん日付が変わってからも・・・

(かもめコーヒー扱いの)めでたいsakuriシュトーレン・ケルクや、

WITTAMERの高級ケーキなんぞで喋り続けてましたが、2時過ぎには翌日に所用が入った
川端さんが帰宅、残る3人はさらに喋り続け、シュラフに潜り込んだのは3時半でした
翌朝、わたくしは9時過ぎ、wingさんは10時過ぎに起きましたが、最近ずっと3時間程度の
不規則睡眠が続いてたとゆー赤チャリさんは、そのまま放置しておくことにして・・・
わたくしが近くのコンビニに行って二人分のサンドイッチとソーセージエッグマフィン、
パックのドリップコーヒーを購入・・・

(マフィンはレンチンして熱々をすぐ食べてしまったので画像がないけど)
二人で遅めの朝食をとりつつ、さらに世間話なんぞでまったり・・・
昼過ぎにはようやく赤チャリさんも目覚めて(糖分不足かずっと半覚醒状態でしたが)、
三人でまたまた残りの甘味と録画でダベリ続け、夕方にはめでたく解散しましたとさ
めでたしめでたし どっとはらい
いやあ、今回もじつに楽しかったです
今回の4人がネット上で知り合い熊野キャンプでリアルに会ってから20年近くになりますが、
ヲタ話やバカ話の話題がいつも新鮮なのが素晴らしいですね
まあトシを重ねるごとに同じハナシの繰り返しが増えてるのかも知れませんが、
わたくしもハナシの内容をすっかり忘れてるので、いつも新鮮なのか・・・

2024年12月03日
ひさしぶりの野外ライトOFF会!!!
ほぼ2週間ぶりの記事更新となりましたが、わたくしこの間ずっと寝たきり・・・
だったわけではなく、宴会の日々が続いてたのでありますね
つーことで、先々週の週末のハナシになりますが・・・
ひさしぶりの野外ライトOFF会に参加してたので(こちらは飲食中心の)メモであります
主催のwingさん、いつもの川端さん、赤チャリさん、98kに今回初参加のスビマセンおじさん
という5人が奈良の山中にある某公園の駐車場に集合・・・
朝4時半に着いて仮眠していた赤チャリさん、午後2時にほぼ同着した川端さんと三人で・・・

まずはぷしゅ、ごきゅごきゅ、くはあ
って飲んでるのは、この時点ではわたくしだけでしゅが・・・
さっそく赤チャリさんのほぼ自宅兼愛車の現状を視察


運転席・助手席の背もたれ裏にも、さらに増殖したライトがあり、間接イルミネーションも追加
まあ、検問や職務質問には「だって、いきなり皆既日食になったらどうするんですかっ!
周りの人たちにも貸してあげないといけないし・・・」と答えれば済む、のかっ???
と、寒風の中、例によって「(ナビが)道に迷った」wingさんが遅れて到着、

わたくしは急に高級品に替わったビールをかぱかぱやりつつ・・・

皆さんはさっそくライト談義

わたくしは夜のプテチゲ(部隊鍋)の準備をしつつ飲み続け・・・
(この甘口と辛口の同時投入がけっこうイケました)
で、暗くなる頃にはスビおじさんも到着して・・・





皆さんは延々とライト談義・・・

わたくしは炭火と紫外線ライトで焼く???ランプ肉を撮ったりして・・・
せっかくなので恒例の記念写真も・・・

ええ、じつに明るい皆さんです
で、日付が変わる頃に皆さんは山中へ照射比較に出発、わたくしは残って安ウィスキーの
お湯割りを飲んでたのですが、1時前には限界になり車中泊仕様にしたスバル・レックスで
一足先にシュラフに潜り込んでばったり・・・
その後、明るいライトを照射されたような気もしますが、とりあえず寝返りは打てることが
判明したので、今後はこれを基本にさらに段差などを工夫する予定です
(ちなみに比較的近距離で飲まない川端さんとスビおじさんは深夜帰宅されたそうです)
で、とーとつに車中泊組3人の朝食であります

まずは熱いコーヒーや紅茶で目を覚まして・・・

昨日wingさんが公園の売店で買ってくれてた地元産の炊き立てご飯と新鮮な玉子で・・・

めんたいご飯や

卵かけご飯TKGをばくばくばく
これを楽しみにwingさんは辛子明太子や出汁醤油を用意してたんですね
で、胃袋が少し落ち着くとコーヒーや紅茶をお替わりして・・・

ボルネオ産サゴヤシ・ゾウムシの幼虫???をデザートにばくばく!!!
ま、こちらは・・・

わたくしが持参した韓国みやげ(にもらった)チョコレート・ブレッドでしたが
とか、皆さんが持ち寄ったデザートでまったりして9時半には出発、10時半には野鳥好きの
N家さん宅で深夜帰宅してた川端さんと合流、2台に分乗してN家さんのみかん園へ・・・

そう、翌日は健康的にみかん狩りを楽しんだのでありますね
N家さんから摘み取り専用鋏や軍手を借りて基本を教わり、みんなでプチプチと・・・
みかん狩りつーのは、いったん始めると案外夢中になるものですが、さすがにわたくしは
1本の半分ほどで足腰が痛くなって、後は「指示役」に廻りました
「ほれほれ、しっかり摘まないと今日の昼飯は抜きやぞ!!!」
「って、SNSでは「ホワイト案件です」って書いてあったのに・・・ひいひい」
「そんな書き込みに騙される奴がおるから指示役が儲かるのじゃ・・・げひげひ」
とか楽しく物語りつつ虫や鳥を観察しつつ摘んでると、N家さんの奥様がお弁当や味噌汁や
お茶やお菓子を運んできてくれて・・・

みんなで楽しく昼食(食べるのに夢中で食事画像は一切ありません
)
で、食後のひとときは・・・

どんぐりを蒔いて20年かけて自然林に戻された側で虫や鳥を観察したり・・・

美味しい「むかご」を集めたりして過ごしました
N家さんのみかん園では栽培中に農薬や化学肥料を一切使わないで、虫や鳥にも優しい農園を
目指しておられるそうですが、なかなか農協などの理解が得られないとか・・・
せっかくなので奥様に記念写真を撮ってもらい・・・

皆さんは作業に戻られました
もちろん「指示役」のわたくしは・・・


搾取者として惰眠を貪ってましたが・・・

皆さんの働きで3時には大量の収穫が・・・げひげひ
と、この後はN家さん宅で「かもめコーヒー」(赤チャリさんは紅茶)やお菓子をご馳走になり、
選別した美味しいみかんをお土産にいただいて、無事に解散した次第
ライトの話に限らず様々なバカ話ができるのもOFF会の楽しみですね
今回もじつに楽しかったです
遅くなりましたが、皆さんお世話いただきありがとうございました
だったわけではなく、宴会の日々が続いてたのでありますね

つーことで、先々週の週末のハナシになりますが・・・
ひさしぶりの野外ライトOFF会に参加してたので(こちらは飲食中心の)メモであります
主催のwingさん、いつもの川端さん、赤チャリさん、98kに今回初参加のスビマセンおじさん
という5人が奈良の山中にある某公園の駐車場に集合・・・
朝4時半に着いて仮眠していた赤チャリさん、午後2時にほぼ同着した川端さんと三人で・・・

まずはぷしゅ、ごきゅごきゅ、くはあ

って飲んでるのは、この時点ではわたくしだけでしゅが・・・
さっそく赤チャリさんの


運転席・助手席の背もたれ裏にも、さらに増殖したライトがあり、間接イルミネーションも追加
まあ、検問や職務質問には「だって、いきなり皆既日食になったらどうするんですかっ!
周りの人たちにも貸してあげないといけないし・・・」と答えれば済む、のかっ???

と、寒風の中、例によって「(ナビが)道に迷った」wingさんが遅れて到着、

わたくしは急に高級品に替わったビールをかぱかぱやりつつ・・・

皆さんはさっそくライト談義

わたくしは夜のプテチゲ(部隊鍋)の準備をしつつ飲み続け・・・
(この甘口と辛口の同時投入がけっこうイケました)
で、暗くなる頃にはスビおじさんも到着して・・・





皆さんは延々とライト談義・・・

わたくしは炭火と紫外線ライトで焼く???ランプ肉を撮ったりして・・・
せっかくなので恒例の記念写真も・・・

ええ、じつに明るい皆さんです

で、日付が変わる頃に皆さんは山中へ照射比較に出発、わたくしは残って安ウィスキーの
お湯割りを飲んでたのですが、1時前には限界になり車中泊仕様にしたスバル・レックスで
一足先にシュラフに潜り込んでばったり・・・
その後、明るいライトを照射されたような気もしますが、とりあえず寝返りは打てることが
判明したので、今後はこれを基本にさらに段差などを工夫する予定です
(ちなみに比較的近距離で飲まない川端さんとスビおじさんは深夜帰宅されたそうです)
で、とーとつに車中泊組3人の朝食であります

まずは熱いコーヒーや紅茶で目を覚まして・・・

昨日wingさんが公園の売店で買ってくれてた地元産の炊き立てご飯と新鮮な玉子で・・・

めんたいご飯や


卵かけご飯TKGをばくばくばく

これを楽しみにwingさんは辛子明太子や出汁醤油を用意してたんですね
で、胃袋が少し落ち着くとコーヒーや紅茶をお替わりして・・・

ボルネオ産サゴヤシ・ゾウムシの幼虫???をデザートにばくばく!!!
ま、こちらは・・・

わたくしが持参した韓国みやげ(にもらった)チョコレート・ブレッドでしたが

とか、皆さんが持ち寄ったデザートでまったりして9時半には出発、10時半には野鳥好きの
N家さん宅で深夜帰宅してた川端さんと合流、2台に分乗してN家さんのみかん園へ・・・

そう、翌日は健康的にみかん狩りを楽しんだのでありますね
N家さんから摘み取り専用鋏や軍手を借りて基本を教わり、みんなでプチプチと・・・
みかん狩りつーのは、いったん始めると案外夢中になるものですが、さすがにわたくしは
1本の半分ほどで足腰が痛くなって、後は「指示役」に廻りました
「ほれほれ、しっかり摘まないと今日の昼飯は抜きやぞ!!!」
「って、SNSでは「ホワイト案件です」って書いてあったのに・・・ひいひい」
「そんな書き込みに騙される奴がおるから指示役が儲かるのじゃ・・・げひげひ」
とか楽しく物語りつつ虫や鳥を観察しつつ摘んでると、N家さんの奥様がお弁当や味噌汁や
お茶やお菓子を運んできてくれて・・・

みんなで楽しく昼食(食べるのに夢中で食事画像は一切ありません

で、食後のひとときは・・・

どんぐりを蒔いて20年かけて自然林に戻された側で虫や鳥を観察したり・・・

美味しい「むかご」を集めたりして過ごしました
N家さんのみかん園では栽培中に農薬や化学肥料を一切使わないで、虫や鳥にも優しい農園を
目指しておられるそうですが、なかなか農協などの理解が得られないとか・・・
せっかくなので奥様に記念写真を撮ってもらい・・・

皆さんは作業に戻られました
もちろん「指示役」のわたくしは・・・


搾取者として惰眠を貪ってましたが・・・


皆さんの働きで3時には大量の収穫が・・・げひげひ
と、この後はN家さん宅で「かもめコーヒー」(赤チャリさんは紅茶)やお菓子をご馳走になり、
選別した美味しいみかんをお土産にいただいて、無事に解散した次第
ライトの話に限らず様々なバカ話ができるのもOFF会の楽しみですね
今回もじつに楽しかったです
遅くなりましたが、皆さんお世話いただきありがとうございました
