中国
2024年10月08日
皇紀3千年「実論夢想」
とーとつですが本日・・・
わたくしも手伝っていた海外植林ボランティア団体N.GKS(もと緑の協力隊・関西澤井隊)の
澤井代表に関する2冊目の本が、3年前の「アッと驚く! 90歳」に続いて出版されました
(N.GKS関係者には、いずれ郵送などで届くはずです)
皇紀3千年(西暦2340年)「実論夢想」
表紙カバーは1993年シリア・パルミナ遺跡にて
裏表紙カバーは冬の大三角形とオリオン座・・・眼下蒼天
奥付
産経新聞生活情報センター 2024年10月8日 第1刷発行
著者紹介
共著になってますが「アッと驚く! 90歳」の著者である藤本氏が、前後足掛け5年間にわたり、
ほぼ月2回のペースで行った澤井代表へのインタビューと、澤井代表が保管している膨大な
過去資料から、歴史事実や澤井代表の生き方や考え方を引用しつつ、日本や世界の現状分析と
今後300年にわたる将来展望について、分かりやすくまとめられた本であります
1931年生まれの澤井代表にとって、紀元といえばキリスト紀元ではなく神武紀元(皇紀)であり、
子どもの頃に迎えた紀元2600年(1940年)の300年前の日本は江戸時代前期、その頃の人たちの
何人が300年後の日本を想像できたであろうか、今の政治家はじめ何人が300年後へのビジョンを
持っているのか、自分は300年後の皇紀3000年に向けて実論による夢想を藤本氏に語ったと・・・
膨大な資料をアナログ整理して保存、それらに関する記憶が90歳を超えても正確に残っていて、
それを最新の日本や世界の情勢と結びつけて主張する澤井代表も凄いですが、5年間にわたる
インタビューの膨大なメモを整理して資料と照合のうえ、それらを引用して最終的に自分の
文章としてまとめ上げた藤本氏の聞き手としての能力も筆力も凄いと感心しました
例によって目次の紹介
特に地熱発電についての現状、商業ベースに乗る熱源の資源量(2300万kw)は世界3位なのに
発電設備が世界10位(49万kw)まで落ちたのは、目先の利益追求という浅はかな企業論理とか、
政府支援の打ち切り(1990年代)とか、温泉街の反対とか国立公園内は許可されないからとか、
業務スーパー創業者の熱意などについても知らないことも多く目からウロコでした
(ちなみに日本の電力消費は1億~1億4000万kw/h程度なので、商業ベースだけで考えても
1/4から1/6程度は地熱発電で賄えることになりますね)
確かに地熱発電なら、火山国では資源は無尽蔵タダでCO2も核廃棄物も出さず、大規模な
太陽光や風力、水力、大規模バイオマスのような環境破壊もなく天候にも左右されず24時間
365日稼働可能な純国産エネルギーですね
どの項目にも出版直前までの最新情報による、現在の最先端技術や混迷する世界の現状が
紹介されており、それを澤井代表が半世紀以上も前から予測し警告していたという事実を、
当時の澤井代表が書いた文章などから発見し、そのことに何度も驚嘆したと、藤本氏が書いて
おられましたが、あちこちにハナシが跳ぶインタビューから、それらを見つけ出す藤本氏の
聞き手としての能力に、むしろわたくしは驚嘆しました
当ブログサイト書斎カテゴリで紹介しているような歴史や環境や最新科学に関する書籍も、
多くを精読されておられるようで、それぞれの著者とは、おそらく意見は異なるのでしょうが、
まさに幅広い最新知識があってこその労作ですね
さすがはベテラン手練れのもと新聞記者であります
とても内容すべては紹介できませんし澤井代表や藤本氏の主張についても、見方によっては
異論もあるでしょうが、特に林業・林政や教育・環境については100年先200年先を見越した
ビジョンが必要なことは間違いありません
ここでは末尾にあった写真資料のうち海外植林ボランティアに関する部分のみ新聞記事を
中心に、ランダムに一部を紹介させていただきます
(出版物の添付資料なので公開に問題があるようなら非公開設定にします)
2012年、N.GKS第16次隊(ボルネオ)に関する毎日新聞の記事
2018年、N.GKS最後となった第23次隊(内モンゴル)に関する読売新聞の記事
2011年、東日本大震災支援へのお礼も込めた第15次隊(モンゴル)に関して、
モンゴル特命全権大使からの感謝状授与を伝える京都新聞の記事
2013年、第18次隊(ボルネオ)に関する産経新聞の記事
故・遠山正瑛翁とのツーショット(内モンゴル・クブチ沙漠・恩格貝にて)
2010年、第14次隊(内モンゴル)に関する京都新聞の記事
2009年、第12次隊(ブラジル・アマゾン)に関する現地サンパウロ新聞の記事
2015年、澤井代表自分史の自費出版を伝える京都新聞の記事
上から順に、
1990年、中国・内モンゴル自治区・クブチ沙漠・恩格貝の様子、
1999年、N.GKS第1次隊によるクブチ沙漠での最初の植林作業の様子、
2018年、最後となった第23次隊でのクブチ沙漠・恩格貝の様子
まあ、「最後となった」とは書いたものの・・・
当時、城南新報で紹介されてた帰国報告ではラスト宣言を撤回して、
「3~5年後には植えた1000本のナツメが実るので車椅子に乗ってでも食べに行きたい」
と答えておられますが・・・
ともかく93歳になった現在も(足腰が弱り介護施設のお世話になっているものの)頭はますます
冴えわたっているとのことでした
98歳まで日本と中国を月に何度も往復されてて大往生された故・遠山正瑛翁に負けないよう、
今後もできる範囲で大いに活躍してほしいものです
わたくしも手伝っていた海外植林ボランティア団体N.GKS(もと緑の協力隊・関西澤井隊)の
澤井代表に関する2冊目の本が、3年前の「アッと驚く! 90歳」に続いて出版されました
(N.GKS関係者には、いずれ郵送などで届くはずです)
皇紀3千年(西暦2340年)「実論夢想」
表紙カバーは1993年シリア・パルミナ遺跡にて
裏表紙カバーは冬の大三角形とオリオン座・・・眼下蒼天
奥付
産経新聞生活情報センター 2024年10月8日 第1刷発行
著者紹介
共著になってますが「アッと驚く! 90歳」の著者である藤本氏が、前後足掛け5年間にわたり、
ほぼ月2回のペースで行った澤井代表へのインタビューと、澤井代表が保管している膨大な
過去資料から、歴史事実や澤井代表の生き方や考え方を引用しつつ、日本や世界の現状分析と
今後300年にわたる将来展望について、分かりやすくまとめられた本であります
1931年生まれの澤井代表にとって、紀元といえばキリスト紀元ではなく神武紀元(皇紀)であり、
子どもの頃に迎えた紀元2600年(1940年)の300年前の日本は江戸時代前期、その頃の人たちの
何人が300年後の日本を想像できたであろうか、今の政治家はじめ何人が300年後へのビジョンを
持っているのか、自分は300年後の皇紀3000年に向けて実論による夢想を藤本氏に語ったと・・・
膨大な資料をアナログ整理して保存、それらに関する記憶が90歳を超えても正確に残っていて、
それを最新の日本や世界の情勢と結びつけて主張する澤井代表も凄いですが、5年間にわたる
インタビューの膨大なメモを整理して資料と照合のうえ、それらを引用して最終的に自分の
文章としてまとめ上げた藤本氏の聞き手としての能力も筆力も凄いと感心しました
例によって目次の紹介
特に地熱発電についての現状、商業ベースに乗る熱源の資源量(2300万kw)は世界3位なのに
発電設備が世界10位(49万kw)まで落ちたのは、目先の利益追求という浅はかな企業論理とか、
政府支援の打ち切り(1990年代)とか、温泉街の反対とか国立公園内は許可されないからとか、
業務スーパー創業者の熱意などについても知らないことも多く目からウロコでした
(ちなみに日本の電力消費は1億~1億4000万kw/h程度なので、商業ベースだけで考えても
1/4から1/6程度は地熱発電で賄えることになりますね)
確かに地熱発電なら、火山国では資源は無尽蔵タダでCO2も核廃棄物も出さず、大規模な
太陽光や風力、水力、大規模バイオマスのような環境破壊もなく天候にも左右されず24時間
365日稼働可能な純国産エネルギーですね
どの項目にも出版直前までの最新情報による、現在の最先端技術や混迷する世界の現状が
紹介されており、それを澤井代表が半世紀以上も前から予測し警告していたという事実を、
当時の澤井代表が書いた文章などから発見し、そのことに何度も驚嘆したと、藤本氏が書いて
おられましたが、あちこちにハナシが跳ぶインタビューから、それらを見つけ出す藤本氏の
聞き手としての能力に、むしろわたくしは驚嘆しました
当ブログサイト書斎カテゴリで紹介しているような歴史や環境や最新科学に関する書籍も、
多くを精読されておられるようで、それぞれの著者とは、おそらく意見は異なるのでしょうが、
まさに幅広い最新知識があってこその労作ですね
さすがはベテラン手練れのもと新聞記者であります
とても内容すべては紹介できませんし澤井代表や藤本氏の主張についても、見方によっては
異論もあるでしょうが、特に林業・林政や教育・環境については100年先200年先を見越した
ビジョンが必要なことは間違いありません
ここでは末尾にあった写真資料のうち海外植林ボランティアに関する部分のみ新聞記事を
中心に、ランダムに一部を紹介させていただきます
(出版物の添付資料なので公開に問題があるようなら非公開設定にします)
2012年、N.GKS第16次隊(ボルネオ)に関する毎日新聞の記事
2018年、N.GKS最後となった第23次隊(内モンゴル)に関する読売新聞の記事
2011年、東日本大震災支援へのお礼も込めた第15次隊(モンゴル)に関して、
モンゴル特命全権大使からの感謝状授与を伝える京都新聞の記事
2013年、第18次隊(ボルネオ)に関する産経新聞の記事
故・遠山正瑛翁とのツーショット(内モンゴル・クブチ沙漠・恩格貝にて)
2010年、第14次隊(内モンゴル)に関する京都新聞の記事
2009年、第12次隊(ブラジル・アマゾン)に関する現地サンパウロ新聞の記事
2015年、澤井代表自分史の自費出版を伝える京都新聞の記事
上から順に、
1990年、中国・内モンゴル自治区・クブチ沙漠・恩格貝の様子、
1999年、N.GKS第1次隊によるクブチ沙漠での最初の植林作業の様子、
2018年、最後となった第23次隊でのクブチ沙漠・恩格貝の様子
まあ、「最後となった」とは書いたものの・・・
当時、城南新報で紹介されてた帰国報告ではラスト宣言を撤回して、
「3~5年後には植えた1000本のナツメが実るので車椅子に乗ってでも食べに行きたい」
と答えておられますが・・・
ともかく93歳になった現在も(足腰が弱り介護施設のお世話になっているものの)頭はますます
冴えわたっているとのことでした
98歳まで日本と中国を月に何度も往復されてて大往生された故・遠山正瑛翁に負けないよう、
今後もできる範囲で大いに活躍してほしいものです
2022年11月15日
家族システムの起源~Ⅰユーラシア上巻~
とーとつですが・・・
「家族システムの起源~Ⅰユーラシア上巻~」とゆー本のご紹介であります
表紙カバー裏にあった惹句
わたくし以前、日本の農村とゆー本や、東アジアの農村とゆー本を読んでて、家族の仕組み
についても、いつかはまとまった本を読んでみたいと思ってました
で、TV番組「欲望の資本主義」にも登場されてたエマニュエル・トッド氏の本書を知り、
上下巻をあわせて借りてみた次第・・・
ただし上下巻あわせると本編だけで800頁以上ある大著で内容も濃く、門外漢のわたくしが
(図書館の返却期限までに)下巻の最終章まで辿り着けるのか・・・おろおろ
つーことで、とりあえず・・・
上下巻の表紙と、
上下巻通しの目次も(念のため)アップしておきます
ちなみに左端に(未完の)「第Ⅱ巻に向けて」とゆー項がありますが、執筆予定の第Ⅱ巻では
第Ⅰ巻以外の地域も全て網羅して人類の再統一(再単一化)を促進する本にする・・・
とありました
で、裏表紙カバー裏にあった著者紹介
監訳者、訳者、発行所、発行年月日などは奥付のとおり
(左親指の爪が黒ずんでますが先月はじめに爪の根元をクルマのドアに挟んだもの、生え変わるのに時間がかかるのね)
とりあえず上巻の目次であります
以下、難解な部分は読み飛ばしつつ、目についた部分のみの読書メモ・・・
序説「人類の分裂から統一へ、もしくは核家族の謎」より
・以下は40年に及ぶ家族構造の研究成果と20年以上に及ぶ調査結果
→近代化の軌道の多様性は伝統的家族構造の多様性によるという仮説の証明
(例)
・共産主義イデオロギーの地理的分布
→伝統的農民層の「共同体家族」分布と重なる
・イングランドの「絶対核家族」(親子関係は自由で平等には無関心)
→アングロ・サクソンの個人主義と政治的自由主義へ
・パリ盆地の「平等主義核家族」(子供たちは自由で兄弟間は平等)
→1789年フランス革命の承認→普遍的人間の観念へ
・ドイツと日本で支配的な「直系家族」(父親の権威と兄弟間の不平等)
→近代化移行期での民族中心主義・権威主義的イデオロギーと運動の促進へ
・ただし過去の諸価値はイデオロギーの混乱で一時的に具現化されるに過ぎない
→イスラム圏(共同体型)は家族の解体から原理主義という別のイデオロギーを生み出した
・人類共通の起源的家族形態は、定義して、離脱過程を復元することができる
→ヨーロッパが短期であれ発展トップになれたのは家族システムの変遷を経験しなかったから
→だがルソン島アグタ人、フエゴ島ヤーガン人、ロッキー山脈ショショニ人なども同じ核家族型
→この事実は構造主義的思考では説明できない
→周辺地域の保守性原則(PCZP)、木骨造家屋の分布、アメリカ大陸文化の間歇的分布から
・核家族を包含するバンド(ホルド・現地集団)→双方核家族
→大家族制・直系家族制・一夫多妻制・一妻多夫制などは後の発明物
→親族集団(バンド)の役目が、やがて国家に変わったのか?
・農耕民族は文明(農耕・都市・冶金・文字)の犠牲者なのか?
→1960年代半ばから食物と健康に優れ余暇が多い狩猟採集民が称揚されているが、
→文明は拡大の潜在力を秘めており、技術的・軍事的に強力になる
→父系原則は組織編制力を持ち軍事化を容易にする(尊属への帰属)
・中東での農耕の発明はBC9000年頃でほぼ確定している
→父系原則は農耕より後で、さらに文字よりも後→歴史時代以降
(本書で証明する仮説)
1起源的家族は夫婦を基本的要素とする核家族型で、
2国家と労働による社会的分化までは複数の核家族からなる親族現地バンドに包含されていた
3この親族集団は男系女系いずれを介するかは未分化であり双方的で、
4女性のステータスは高かったが男性と同じ職務を持つわけではない
5直系家族、共同体家族、複合的な家族構造はこれより後に出現した
(イトコ婚の研究等・・・以下略)
第1章「類型体系を求めて」より
・核家族→直系家族→共同体家族へと移行したのか?
→国王(父親)権力の正当性のための説?→聖三位一体説
・父系、母系、直系、一時的同居、末子相続、長子相続、近接居住、囲い地内集住・・・(略)
(家族の類型体系)
・父方居住・母方居住・双処居住
×
・共同体家族・直系家族・結合核家族
=9
+
・一時的同居もしくは近接居住を伴う核家族
×
・父方・母方・双居
=3
+
・平等主義核家族
・絶対的核家族
・追加的な一時的同居を伴う直系家族
→合計15の類型に分類できる(説明は略)
第2章「概観」~ユーラシアにおける双処居住、父方居住、母方居住~より
・ユーラシアの民族サンプル214(興味ある膨大な地図と説明でしたが略)から
→双処居住システム、核家族システム、母方居住は周縁部に存在する
→父方居住の中央部性と複合性
・中国、日本、インド、東南アジア、ヨーロッパ、アラブ・ペルシャと各圏ごとに検討する
(アラブ・ペルシャ圏は古くはメソポタミアとエジプトの領域)
第3章「中国とその周縁部」~中央アジアおよび北アジア~より
・中国文化が出現・確定化した中枢部は父方居住共同体家族地帯
・一番目の同心円上には直系家族形態がチベット、北部ベトナム、中国南部、台湾、朝鮮を通って
日本へ至る地理的な弧を描いており、一時的父方同居を伴う核家族ケースを含んでいる
→この核家族ケースは北東側ではウクライナ、ルーマニアにまで達している
・二番目の同心円上では母方居住・核家族類型が南から東への弧を描いている
→西側部分では一時的父方同居を伴う核家族が支配的
・三番目の同心円上では双処居住核家族システムがフィリピン諸島からベーリング海峡まで
東の弧を描き、西側は遊牧民の一時的父方同居を伴う核家族形態
(各地域形態の詳細、歴史などは略)
・拡張農業文明の中心部では土地は希少になり移住が困難になって集約化へ
→土地相続の問題→直系家族の仕組みを発明(後のヨーロッパでは王による長子相続)
・末子相続と長子相続の前後(略)
・遊牧民の家族・親族類型、父方居住共同体・・・(以下略)
第4章「日本」より
・日本の歴史時代は短く古事記が712年で、ゲルマン圏(ザクセンに文字が785年)に近い
→文字からは1400年で農業からは2500年しかない(中国では3300年と8500年)
→ただし稲作以前の独自の狩猟採集時代が1万年以上続いていた
→狩猟採集で支えられる人口としては相対的に密度が高かった
→豊富な狩猟採集(特に他の地域に類を見ない魚介海産物)は安定的な共同体の出現をもたらし、
その稠密性により一定程度の複合性を持つ技術と社会形態の形成が可能だった
・縄文末期の婚姻後夫婦の居住は(遺伝子分析により)双処居住
→これは双方的親族システムで、我々が近代的と信じているもの
・日本は侵略されずに歴史が続いた稀なケース
→家族形態の伝播と普及は軍事的征服ではなく自発的に模倣した結果
・北東部と南西部に分類できる
(残留末子相続と絶対長子相続の類型では北東部をさらに3分類できる)
→北東部では直系家族より複合的な家族形態が存在する(隠居など?)
→南西部より貧弱な農業と低い人口密度から巨大労働集団に?
・日本の直系家族(イエ・分家?)についての近年の論争
→男性長子相続と直系家族の制度化は19世紀末から
→普遍的ではなく(妻の親族を含む)養子を相続人とすることも頻繁に行われていた
→多様性・複合性はあるが古典的直系家族モデルが君臨
・(文字資料では社会構造の高い層しか見えないが・・・)
→中国的父系原則と日本的双方基底の二元性文化→平安時代まで
→長子相続の台頭→鎌倉時代から→父方居住と女性ステータスの低下へ
・日本型直系家族の発明
→日本の直系家族・封建時代は中国で消滅してから1000年後
→両国の最初の緊密接触時には、中国ではすでに共同体家族化されていた
→直系家族への移行は漸進的であり北東部では(必要なかった社会に)輸入された結果?
・沖縄の家族類型(略)
・アイヌ人の家族類型(略)
・日本南西部、沖縄、済州島を包括する古い文化圏(略)
・イトコ婚(略)
・朝鮮に関するメモ(略)
第5章「インド亜大陸」より
・農耕も文字も極めて早いが歴史の長さが同一ではなく不連続
・現在のパキスタン中心部ではインダス文明が出現し(BC2800)消滅した(BC1700)
→豊かな農耕とメソポタミアに繋がる通商で繁栄していた
→文字が解読不可能なことから完全に独立した文明だった?
→ペルシャ湾奥のメソポタミアには海路で近いので影響はあったはず
→アーリア人の侵略だけでなく灌漑により衰退した
・インド亜大陸は地理・言語・ヒンズーのカースト・部族・民族により分断される
→サンプルではインドを代表する住民集団は38としたが、この章では11追加して49に(略)
→北部と西部は世帯の複合性が最大の地帯
→南部と東部は最小の地帯
→中央部はその中間地帯
→革新と侵略の大部分は北西部からで、複合性の伝播と一致する
→オリッサの地図上では共同体家族空間と核家族空間の切れ目が明瞭で、共同体家族が
陸路でも海路でも交通が単純な地帯を経由して伝播したことがわかる
・49のサンプルは多様でインドで主張されている「合同家族」優位というわけではない
→周辺地域の保守性はあり核家族と共同体家族の中間局面である直系家族
・ヒマラヤの直系家族、その南部での痕跡、末子相続の周縁性・・・(略)
・直系家族登場の原因は稠密性か伝播か(略)
・古代の直系家族と初期のカースト(略)
・遊牧民の侵略と共同体家族への移行→スキタイ人の侵略(略)
・空間的分化の起源、性行為礼賛、女性のステータス、中世の移行・・・(略)
・イトコ婚、ヒンズーの外婚制とイスラムの内婚制、周縁部の婚姻・・・(略)
第6章「東南アジア」より
・広大な半島と島々はユーラシアの周縁部だがユーラシアの農業・文字・家族の起源に重要
→ただしチモール島とマラッカ諸島から向こうは家族も農業もニューギニア世界に入る
→ニューギニアは独自の菜園耕作と森林管理で人口密度が高くユーラシアとは別世界→別項で
・東南アジアの農業はBC3000年から段階的に到来
→ベトナムだけが中国から、それ以外の文化的影響はインドから→農業革新の第二波
→高地ではいまだ中国で栽培化されたジャポニカ米だが平野部ではインディカ米
・文字、宗教、言語、国家・・・(略)
→集約農業と粗放空間の共存→帝国は固定化(奴隷化)に努めたが移動耕作を放棄していない
→1800年頃の人口→中国3億3千万人、日本3千万人、東南アジアは全体で2800万人だった
→2005年の人口→中国は4倍、日本は4.2倍になったが東南アジア9ヶ国では20倍に
→なので家族システムは、この間に大きく変化した可能性もある
・サンプル分布、類型分布・・・(略)
→家族類型総計の82%は核家族の変種→核家族は周縁部で古代的という仮説に完全に一致する
→中央部では母方居住で一時的居住を伴う核家族と結びつく→国家を持つ民族との一致
・ボルネオ島の四つの住民集団
・イバン人
→長大なアパルトマン(分割不可能)に三世代を連合させる規則的発展サイクル
→焼畑に加え米・漁労・狩猟・採集で生活し世代の単線的な継承
→これらから土地の実際の所有権は長大な家屋に住む集団にあり各世帯は使用権のみ
→直系的世帯は双方的な親族の絆で互いに繋がっている
→同居する既婚の子どもは息子でも娘でもいいが大抵は長子→双処居住直系家族
・陸ダヤク人、マロー人、プナン人も双処居住直系家族に分類されるがデータ不足
(ボルネオ島はあまり民俗誌化されていない)
・歴史
→フィリピン、ボルネオ北部、セレベス(スラウェシ)の核家族システムと双処居住直系家族の
システムは明快な組織編制原則を持たないことからも、人類の起源的な類型に近い残存システム
→フィリピン諸島やボルネオ島の男女系統を区別することのない用語体系の絶対的な優位性
→双処居住性と親族用語体系の未分化性は古代的であり、いまだに調和を保っている
・父方居住、母方居住、家族と人口密度、長子相続、外婚制・・・(略)
云々・・・
と、いつかは下巻メモに続く・・・のだろうか・・・ひいひい
「家族システムの起源~Ⅰユーラシア上巻~」とゆー本のご紹介であります
表紙カバー裏にあった惹句
わたくし以前、日本の農村とゆー本や、東アジアの農村とゆー本を読んでて、家族の仕組み
についても、いつかはまとまった本を読んでみたいと思ってました
で、TV番組「欲望の資本主義」にも登場されてたエマニュエル・トッド氏の本書を知り、
上下巻をあわせて借りてみた次第・・・
ただし上下巻あわせると本編だけで800頁以上ある大著で内容も濃く、門外漢のわたくしが
(図書館の返却期限までに)下巻の最終章まで辿り着けるのか・・・おろおろ
つーことで、とりあえず・・・
上下巻の表紙と、
上下巻通しの目次も(念のため)アップしておきます
ちなみに左端に(未完の)「第Ⅱ巻に向けて」とゆー項がありますが、執筆予定の第Ⅱ巻では
第Ⅰ巻以外の地域も全て網羅して人類の再統一(再単一化)を促進する本にする・・・
とありました
で、裏表紙カバー裏にあった著者紹介
監訳者、訳者、発行所、発行年月日などは奥付のとおり
(左親指の爪が黒ずんでますが先月はじめに爪の根元をクルマのドアに挟んだもの、生え変わるのに時間がかかるのね)
とりあえず上巻の目次であります
以下、難解な部分は読み飛ばしつつ、目についた部分のみの読書メモ・・・
序説「人類の分裂から統一へ、もしくは核家族の謎」より
・以下は40年に及ぶ家族構造の研究成果と20年以上に及ぶ調査結果
→近代化の軌道の多様性は伝統的家族構造の多様性によるという仮説の証明
(例)
・共産主義イデオロギーの地理的分布
→伝統的農民層の「共同体家族」分布と重なる
・イングランドの「絶対核家族」(親子関係は自由で平等には無関心)
→アングロ・サクソンの個人主義と政治的自由主義へ
・パリ盆地の「平等主義核家族」(子供たちは自由で兄弟間は平等)
→1789年フランス革命の承認→普遍的人間の観念へ
・ドイツと日本で支配的な「直系家族」(父親の権威と兄弟間の不平等)
→近代化移行期での民族中心主義・権威主義的イデオロギーと運動の促進へ
・ただし過去の諸価値はイデオロギーの混乱で一時的に具現化されるに過ぎない
→イスラム圏(共同体型)は家族の解体から原理主義という別のイデオロギーを生み出した
・人類共通の起源的家族形態は、定義して、離脱過程を復元することができる
→ヨーロッパが短期であれ発展トップになれたのは家族システムの変遷を経験しなかったから
→だがルソン島アグタ人、フエゴ島ヤーガン人、ロッキー山脈ショショニ人なども同じ核家族型
→この事実は構造主義的思考では説明できない
→周辺地域の保守性原則(PCZP)、木骨造家屋の分布、アメリカ大陸文化の間歇的分布から
・核家族を包含するバンド(ホルド・現地集団)→双方核家族
→大家族制・直系家族制・一夫多妻制・一妻多夫制などは後の発明物
→親族集団(バンド)の役目が、やがて国家に変わったのか?
・農耕民族は文明(農耕・都市・冶金・文字)の犠牲者なのか?
→1960年代半ばから食物と健康に優れ余暇が多い狩猟採集民が称揚されているが、
→文明は拡大の潜在力を秘めており、技術的・軍事的に強力になる
→父系原則は組織編制力を持ち軍事化を容易にする(尊属への帰属)
・中東での農耕の発明はBC9000年頃でほぼ確定している
→父系原則は農耕より後で、さらに文字よりも後→歴史時代以降
(本書で証明する仮説)
1起源的家族は夫婦を基本的要素とする核家族型で、
2国家と労働による社会的分化までは複数の核家族からなる親族現地バンドに包含されていた
3この親族集団は男系女系いずれを介するかは未分化であり双方的で、
4女性のステータスは高かったが男性と同じ職務を持つわけではない
5直系家族、共同体家族、複合的な家族構造はこれより後に出現した
(イトコ婚の研究等・・・以下略)
第1章「類型体系を求めて」より
・核家族→直系家族→共同体家族へと移行したのか?
→国王(父親)権力の正当性のための説?→聖三位一体説
・父系、母系、直系、一時的同居、末子相続、長子相続、近接居住、囲い地内集住・・・(略)
(家族の類型体系)
・父方居住・母方居住・双処居住
×
・共同体家族・直系家族・結合核家族
=9
+
・一時的同居もしくは近接居住を伴う核家族
×
・父方・母方・双居
=3
+
・平等主義核家族
・絶対的核家族
・追加的な一時的同居を伴う直系家族
→合計15の類型に分類できる(説明は略)
第2章「概観」~ユーラシアにおける双処居住、父方居住、母方居住~より
・ユーラシアの民族サンプル214(興味ある膨大な地図と説明でしたが略)から
→双処居住システム、核家族システム、母方居住は周縁部に存在する
→父方居住の中央部性と複合性
・中国、日本、インド、東南アジア、ヨーロッパ、アラブ・ペルシャと各圏ごとに検討する
(アラブ・ペルシャ圏は古くはメソポタミアとエジプトの領域)
第3章「中国とその周縁部」~中央アジアおよび北アジア~より
・中国文化が出現・確定化した中枢部は父方居住共同体家族地帯
・一番目の同心円上には直系家族形態がチベット、北部ベトナム、中国南部、台湾、朝鮮を通って
日本へ至る地理的な弧を描いており、一時的父方同居を伴う核家族ケースを含んでいる
→この核家族ケースは北東側ではウクライナ、ルーマニアにまで達している
・二番目の同心円上では母方居住・核家族類型が南から東への弧を描いている
→西側部分では一時的父方同居を伴う核家族が支配的
・三番目の同心円上では双処居住核家族システムがフィリピン諸島からベーリング海峡まで
東の弧を描き、西側は遊牧民の一時的父方同居を伴う核家族形態
(各地域形態の詳細、歴史などは略)
・拡張農業文明の中心部では土地は希少になり移住が困難になって集約化へ
→土地相続の問題→直系家族の仕組みを発明(後のヨーロッパでは王による長子相続)
・末子相続と長子相続の前後(略)
・遊牧民の家族・親族類型、父方居住共同体・・・(以下略)
第4章「日本」より
・日本の歴史時代は短く古事記が712年で、ゲルマン圏(ザクセンに文字が785年)に近い
→文字からは1400年で農業からは2500年しかない(中国では3300年と8500年)
→ただし稲作以前の独自の狩猟採集時代が1万年以上続いていた
→狩猟採集で支えられる人口としては相対的に密度が高かった
→豊富な狩猟採集(特に他の地域に類を見ない魚介海産物)は安定的な共同体の出現をもたらし、
その稠密性により一定程度の複合性を持つ技術と社会形態の形成が可能だった
・縄文末期の婚姻後夫婦の居住は(遺伝子分析により)双処居住
→これは双方的親族システムで、我々が近代的と信じているもの
・日本は侵略されずに歴史が続いた稀なケース
→家族形態の伝播と普及は軍事的征服ではなく自発的に模倣した結果
・北東部と南西部に分類できる
(残留末子相続と絶対長子相続の類型では北東部をさらに3分類できる)
→北東部では直系家族より複合的な家族形態が存在する(隠居など?)
→南西部より貧弱な農業と低い人口密度から巨大労働集団に?
・日本の直系家族(イエ・分家?)についての近年の論争
→男性長子相続と直系家族の制度化は19世紀末から
→普遍的ではなく(妻の親族を含む)養子を相続人とすることも頻繁に行われていた
→多様性・複合性はあるが古典的直系家族モデルが君臨
・(文字資料では社会構造の高い層しか見えないが・・・)
→中国的父系原則と日本的双方基底の二元性文化→平安時代まで
→長子相続の台頭→鎌倉時代から→父方居住と女性ステータスの低下へ
・日本型直系家族の発明
→日本の直系家族・封建時代は中国で消滅してから1000年後
→両国の最初の緊密接触時には、中国ではすでに共同体家族化されていた
→直系家族への移行は漸進的であり北東部では(必要なかった社会に)輸入された結果?
・沖縄の家族類型(略)
・アイヌ人の家族類型(略)
・日本南西部、沖縄、済州島を包括する古い文化圏(略)
・イトコ婚(略)
・朝鮮に関するメモ(略)
第5章「インド亜大陸」より
・農耕も文字も極めて早いが歴史の長さが同一ではなく不連続
・現在のパキスタン中心部ではインダス文明が出現し(BC2800)消滅した(BC1700)
→豊かな農耕とメソポタミアに繋がる通商で繁栄していた
→文字が解読不可能なことから完全に独立した文明だった?
→ペルシャ湾奥のメソポタミアには海路で近いので影響はあったはず
→アーリア人の侵略だけでなく灌漑により衰退した
・インド亜大陸は地理・言語・ヒンズーのカースト・部族・民族により分断される
→サンプルではインドを代表する住民集団は38としたが、この章では11追加して49に(略)
→北部と西部は世帯の複合性が最大の地帯
→南部と東部は最小の地帯
→中央部はその中間地帯
→革新と侵略の大部分は北西部からで、複合性の伝播と一致する
→オリッサの地図上では共同体家族空間と核家族空間の切れ目が明瞭で、共同体家族が
陸路でも海路でも交通が単純な地帯を経由して伝播したことがわかる
・49のサンプルは多様でインドで主張されている「合同家族」優位というわけではない
→周辺地域の保守性はあり核家族と共同体家族の中間局面である直系家族
・ヒマラヤの直系家族、その南部での痕跡、末子相続の周縁性・・・(略)
・直系家族登場の原因は稠密性か伝播か(略)
・古代の直系家族と初期のカースト(略)
・遊牧民の侵略と共同体家族への移行→スキタイ人の侵略(略)
・空間的分化の起源、性行為礼賛、女性のステータス、中世の移行・・・(略)
・イトコ婚、ヒンズーの外婚制とイスラムの内婚制、周縁部の婚姻・・・(略)
第6章「東南アジア」より
・広大な半島と島々はユーラシアの周縁部だがユーラシアの農業・文字・家族の起源に重要
→ただしチモール島とマラッカ諸島から向こうは家族も農業もニューギニア世界に入る
→ニューギニアは独自の菜園耕作と森林管理で人口密度が高くユーラシアとは別世界→別項で
・東南アジアの農業はBC3000年から段階的に到来
→ベトナムだけが中国から、それ以外の文化的影響はインドから→農業革新の第二波
→高地ではいまだ中国で栽培化されたジャポニカ米だが平野部ではインディカ米
・文字、宗教、言語、国家・・・(略)
→集約農業と粗放空間の共存→帝国は固定化(奴隷化)に努めたが移動耕作を放棄していない
→1800年頃の人口→中国3億3千万人、日本3千万人、東南アジアは全体で2800万人だった
→2005年の人口→中国は4倍、日本は4.2倍になったが東南アジア9ヶ国では20倍に
→なので家族システムは、この間に大きく変化した可能性もある
・サンプル分布、類型分布・・・(略)
→家族類型総計の82%は核家族の変種→核家族は周縁部で古代的という仮説に完全に一致する
→中央部では母方居住で一時的居住を伴う核家族と結びつく→国家を持つ民族との一致
・ボルネオ島の四つの住民集団
・イバン人
→長大なアパルトマン(分割不可能)に三世代を連合させる規則的発展サイクル
→焼畑に加え米・漁労・狩猟・採集で生活し世代の単線的な継承
→これらから土地の実際の所有権は長大な家屋に住む集団にあり各世帯は使用権のみ
→直系的世帯は双方的な親族の絆で互いに繋がっている
→同居する既婚の子どもは息子でも娘でもいいが大抵は長子→双処居住直系家族
・陸ダヤク人、マロー人、プナン人も双処居住直系家族に分類されるがデータ不足
(ボルネオ島はあまり民俗誌化されていない)
・歴史
→フィリピン、ボルネオ北部、セレベス(スラウェシ)の核家族システムと双処居住直系家族の
システムは明快な組織編制原則を持たないことからも、人類の起源的な類型に近い残存システム
→フィリピン諸島やボルネオ島の男女系統を区別することのない用語体系の絶対的な優位性
→双処居住性と親族用語体系の未分化性は古代的であり、いまだに調和を保っている
・父方居住、母方居住、家族と人口密度、長子相続、外婚制・・・(略)
云々・・・
と、いつかは下巻メモに続く・・・のだろうか・・・ひいひい
2022年07月17日
黄砂の籠城
とーとつですが・・・
小説「黄砂の籠城」のご紹介であります。
表紙カバー
裏カバーにあった惹句
著者、発行所、発行年月日については奥付のとおり
で、オハナシは・・・
清国が日本を含む欧米列強の横暴に対し事実上の宣戦布告をした1900年6月19日の翌日から、
各国連合軍が北京を占領する8月14日までの55日間に及ぶ、清軍と義和団によって包囲された
北京の在外公館区域だった東交民巷での、20万対4000の戦い・・・
いわゆる義和団事件で、その籠城戦の実質指揮官として活躍し、欧米に名を知られる初の
日本軍人となった、当時の日本公使館駐在武官柴五郎砲兵中佐を、この小説の主人公である、
彼の部下になった一人の伍長の視点から描いた物語であります。
そう、柴五郎中佐は映画「北京の55日」で若き日の伊丹十三が演じた人物なんですが、なにせ
1963年製作のハリウッド映画ですから、大活躍する主役はチャールトン・ヘストン演ずる
アメリカ海兵隊の少佐で、伊丹十三はあくまで脇役つーかチョイ役でした・・・
いっぽう史実では、籠城中の実戦指揮をしてたのは柴中佐のようで、その理由をウィキでは、
各国公使館の駐在武官の中で最先任の中佐であったこと(フランスの駐在武官は大佐だったが
技術系で指揮を辞退したこと)や、英語・フランス語・中国語に精通し各国間の意思疎通が
できたこと、以前から北京の地理に詳しく情報網を築き上げたことなどが記されてますが、
のちに英国ビクトリア勲章はじめ籠城していた各国や、漢人のキリスト教徒を助けた功績で
清国からも勲章を授与されてますから、籠城戦の主役であったことは間違いないようです。
小説では一兵士から見た籠城戦の様子がリアルに描かれ、当時の欧米人と日本人との中国観
や世界観の違いなども描かれてましたが、映画と同じで包囲前から援軍到着までのオハナシ、
日清戦争に勝利し欧米列強の仲間入りを果たそうとしていた当時の日本が、最終的には
各国中で最大規模の兵力を派遣し、占領後は列強と同じく略奪や更なる利権確保に奔走、
ロシアと張り合う形になり、やがて日英同盟を組んで日露戦争へ・・・
といったあたりはもちろん描かれてませんし、義和団も本作では狂信者集団という部分だけ、
当時のキリスト教会の横暴ぶりについても殆ど触れられておらず、このあたりはわたくしの
大好きなアメリカ版サスペンス・アクションのヒーローが日本軍人になった感じ・・・
ただ著者にはこの事件を義和団側からみた続編「黄砂の進撃」もあり、こちらも読まないと、
作品の全体像は掴めないのかも知れませんが・・・
いずれにしても・・・
わたくし義和団事件については、古い映画に何となく違和感を感じてたぐらい、だったので、
この作品を機会に、あらためて(ネット情報で)当時の事情を知ることができました。
ええ、このあたりの歴史の(ネット情報からの)ウンチクについては、いずれまた・・・
(翌日の追記です)
作品中、主人公の伍長が支給されている22年式村田連発銃が「当たらない」と嘆いている
シーンが何度かあり、柴(砲兵)中佐が「早く30年式が行き渡ればよいのだが・・・」と
返すシーンもありました。
ところが義勇兵となった2等書記官が戦死、彼がイギリス公使館から支給されていた、
当時最新式だったリー・エンフィールド銃を、義勇兵仲間から「伍長が使って欲しい」
と言われた際に「自分にはこの村田銃があります」と戦死した2等書記官の手に握らせ、
結局その銃は、最後に戦う決意をした非戦クリスチャンの1等書記官が引き継いでいた・・・
とゆーエピソード、なんかTVドラマ「コンバット」で分隊最強火器BARの引継ぎを描いた、
「勇者の機関銃」の回を彷彿とさせてくれました。うるうる
ちなみに22年式村田銃から30年式有坂銃になった時点で陸軍のボルトアクション歩兵銃も
ようやく世界標準レベルとなり、その後に一部改良されて有名な38式有坂銃になるのですが、
ここに至るまでの明治新政府の歩兵銃ウンチクも、いずれまた・・・
2023.7の追記です
村田銃から有坂銃に至る経過についてはこちらの本を読みました
22年式は黒色火薬から無煙火薬に移行して連発が可能になり急きょ開発されたものの、
本書にもあるとおり改良すべき点が多く、日露戦争では村田の配下だった有坂が開発した、
30年式が主力銃になったんですね・・・
小説「黄砂の籠城」のご紹介であります。
表紙カバー
裏カバーにあった惹句
著者、発行所、発行年月日については奥付のとおり
で、オハナシは・・・
清国が日本を含む欧米列強の横暴に対し事実上の宣戦布告をした1900年6月19日の翌日から、
各国連合軍が北京を占領する8月14日までの55日間に及ぶ、清軍と義和団によって包囲された
北京の在外公館区域だった東交民巷での、20万対4000の戦い・・・
いわゆる義和団事件で、その籠城戦の実質指揮官として活躍し、欧米に名を知られる初の
日本軍人となった、当時の日本公使館駐在武官柴五郎砲兵中佐を、この小説の主人公である、
彼の部下になった一人の伍長の視点から描いた物語であります。
そう、柴五郎中佐は映画「北京の55日」で若き日の伊丹十三が演じた人物なんですが、なにせ
1963年製作のハリウッド映画ですから、大活躍する主役はチャールトン・ヘストン演ずる
アメリカ海兵隊の少佐で、伊丹十三はあくまで脇役つーかチョイ役でした・・・
いっぽう史実では、籠城中の実戦指揮をしてたのは柴中佐のようで、その理由をウィキでは、
各国公使館の駐在武官の中で最先任の中佐であったこと(フランスの駐在武官は大佐だったが
技術系で指揮を辞退したこと)や、英語・フランス語・中国語に精通し各国間の意思疎通が
できたこと、以前から北京の地理に詳しく情報網を築き上げたことなどが記されてますが、
のちに英国ビクトリア勲章はじめ籠城していた各国や、漢人のキリスト教徒を助けた功績で
清国からも勲章を授与されてますから、籠城戦の主役であったことは間違いないようです。
小説では一兵士から見た籠城戦の様子がリアルに描かれ、当時の欧米人と日本人との中国観
や世界観の違いなども描かれてましたが、映画と同じで包囲前から援軍到着までのオハナシ、
日清戦争に勝利し欧米列強の仲間入りを果たそうとしていた当時の日本が、最終的には
各国中で最大規模の兵力を派遣し、占領後は列強と同じく略奪や更なる利権確保に奔走、
ロシアと張り合う形になり、やがて日英同盟を組んで日露戦争へ・・・
といったあたりはもちろん描かれてませんし、義和団も本作では狂信者集団という部分だけ、
当時のキリスト教会の横暴ぶりについても殆ど触れられておらず、このあたりはわたくしの
大好きなアメリカ版サスペンス・アクションのヒーローが日本軍人になった感じ・・・
ただ著者にはこの事件を義和団側からみた続編「黄砂の進撃」もあり、こちらも読まないと、
作品の全体像は掴めないのかも知れませんが・・・
いずれにしても・・・
わたくし義和団事件については、古い映画に何となく違和感を感じてたぐらい、だったので、
この作品を機会に、あらためて(ネット情報で)当時の事情を知ることができました。
ええ、このあたりの歴史の(ネット情報からの)ウンチクについては、いずれまた・・・
(翌日の追記です)
作品中、主人公の伍長が支給されている22年式村田連発銃が「当たらない」と嘆いている
シーンが何度かあり、柴(砲兵)中佐が「早く30年式が行き渡ればよいのだが・・・」と
返すシーンもありました。
ところが義勇兵となった2等書記官が戦死、彼がイギリス公使館から支給されていた、
当時最新式だったリー・エンフィールド銃を、義勇兵仲間から「伍長が使って欲しい」
と言われた際に「自分にはこの村田銃があります」と戦死した2等書記官の手に握らせ、
結局その銃は、最後に戦う決意をした非戦クリスチャンの1等書記官が引き継いでいた・・・
とゆーエピソード、なんかTVドラマ「コンバット」で分隊最強火器BARの引継ぎを描いた、
「勇者の機関銃」の回を彷彿とさせてくれました。うるうる
ちなみに22年式村田銃から30年式有坂銃になった時点で陸軍のボルトアクション歩兵銃も
ようやく世界標準レベルとなり、その後に一部改良されて有名な38式有坂銃になるのですが、
ここに至るまでの明治新政府の歩兵銃ウンチクも、いずれまた・・・
2023.7の追記です
村田銃から有坂銃に至る経過についてはこちらの本を読みました
22年式は黒色火薬から無煙火薬に移行して連発が可能になり急きょ開発されたものの、
本書にもあるとおり改良すべき点が多く、日露戦争では村田の配下だった有坂が開発した、
30年式が主力銃になったんですね・・・
2022年07月09日
大阪マダム、後宮妃になる!
ええ今回は・・・大阪マダムが後宮妃になる!!!のでありますね・・・
著者 田井ノエル 小学館 2020年9月13日 初版第一刷発行
裏表紙カバーにあった惹句
もう少し詳しく説明させていただくと、主人公の前世は・・・
阪神タイガースが令和の日本シリーズで優勝し、最高に盛り上がってる大阪・道頓堀に飲んで
繰り出し、たまたま戎橋から投げ込まれようとしていたカーネル・サンダースを見つけて、
「あかん、それをやったら、また長い間タイガースが低迷する!!!」と何とか守ろうとして、
身代わりに溺れ死んだ、世話好き商売好きで居酒屋たこ焼きチェーンの店長をしてたけど、
これまで恋愛とは全く縁のなかった独身アラサー女子・・・
で、生まれ変わったのは・・・
大陸の凰朔(おうさく)国の豪商の娘として生まれ14歳の時に突然、前世の記憶がよみがえり、
その後は商才を発揮して活躍、一族と皇帝との関係強化のため後宮入りすることになった、
見た目は純真無垢な16歳の美少女・・・
ま、小説なのでストーリーは紹介できませんが、皇帝や他の妃など誰にでも飴ちゃんをあげて
仲良くなったり、世話好きが昂じて陰謀に巻き込まれるけど、タコパ(たこ焼きパーティー)で
解決したりと、大阪のおばちゃん(大阪マダムとゆーてんかっ!!!)の特技で大活躍するオハナシ・・・
表紙カバー裏にあった著者紹介
ヒョウ柄ファッションで派手好き世話好き、吉本新喜劇、たこ焼き、阪神タイガース好きといった、
いかにもステレオタイプの大阪のおばちゃんなんですが、中華宮廷の後宮に入った深窓の美少女とゆー
設定とのミスマッチが面白く、ともかくギャグのウケ狙いと商売繁盛とゆーコンセプトが爽やか、
主人公の大阪弁もワリと自然で、コテコテの大阪人でも気持ちよく読めました。
で、続編の「二回戦は熱闘猛虎黎明編」であります・・・
ええ、主人公がさりげにトラ柄の衣装を着てボールとバットを持ってますが・・・
こちらは小学館2021年3月10日初版第一刷発行で惹句にあるとおり、どこか言動のおかしい
新しい妃つーのが登場・・・
主人公が「阪神巨人戦は?」と訊くと、さりげに「巨人阪神戦なんて知りませんわ」と答えたり、
さりげにオレンジ色のタオルをぐるぐる回して応援したり・・・
そう、前世はちゃきちゃきの江戸っ子で、やがて中庭に造成した「甲子園球場」での対決へ・・・
それでも登場人物は(ビリケン似のボスキャラを除き)中華後宮の美少女たちがほとんどだし、
舞台設定も中華宮殿の中だけとゆーのが、やはり爆笑モノでした。
(おそらくは若い女性に向けた)ライトノベルですから、もちろん皇帝はイケメンですし、
それなりの生き方指南みたいなのもありますが、二巻まででの主人公の皇帝への想いは、
せいぜい「あの割れた腹筋に触ってみたいわぁ」という程度、まだまだラブロマンスまでは
至っていないので、今後の展開が楽しみです。
著者 田井ノエル 小学館 2020年9月13日 初版第一刷発行
裏表紙カバーにあった惹句
もう少し詳しく説明させていただくと、主人公の前世は・・・
阪神タイガースが令和の日本シリーズで優勝し、最高に盛り上がってる大阪・道頓堀に飲んで
繰り出し、たまたま戎橋から投げ込まれようとしていたカーネル・サンダースを見つけて、
「あかん、それをやったら、また長い間タイガースが低迷する!!!」と何とか守ろうとして、
身代わりに溺れ死んだ、世話好き商売好きで居酒屋たこ焼きチェーンの店長をしてたけど、
これまで恋愛とは全く縁のなかった独身アラサー女子・・・
で、生まれ変わったのは・・・
大陸の凰朔(おうさく)国の豪商の娘として生まれ14歳の時に突然、前世の記憶がよみがえり、
その後は商才を発揮して活躍、一族と皇帝との関係強化のため後宮入りすることになった、
見た目は純真無垢な16歳の美少女・・・
ま、小説なのでストーリーは紹介できませんが、皇帝や他の妃など誰にでも飴ちゃんをあげて
仲良くなったり、世話好きが昂じて陰謀に巻き込まれるけど、タコパ(たこ焼きパーティー)で
解決したりと、大阪のおばちゃん(大阪マダムとゆーてんかっ!!!)の特技で大活躍するオハナシ・・・
表紙カバー裏にあった著者紹介
ヒョウ柄ファッションで派手好き世話好き、吉本新喜劇、たこ焼き、阪神タイガース好きといった、
いかにもステレオタイプの大阪のおばちゃんなんですが、中華宮廷の後宮に入った深窓の美少女とゆー
設定とのミスマッチが面白く、ともかくギャグのウケ狙いと商売繁盛とゆーコンセプトが爽やか、
主人公の大阪弁もワリと自然で、コテコテの大阪人でも気持ちよく読めました。
で、続編の「二回戦は熱闘猛虎黎明編」であります・・・
ええ、主人公がさりげにトラ柄の衣装を着てボールとバットを持ってますが・・・
こちらは小学館2021年3月10日初版第一刷発行で惹句にあるとおり、どこか言動のおかしい
新しい妃つーのが登場・・・
主人公が「阪神巨人戦は?」と訊くと、さりげに「巨人阪神戦なんて知りませんわ」と答えたり、
さりげにオレンジ色のタオルをぐるぐる回して応援したり・・・
そう、前世はちゃきちゃきの江戸っ子で、やがて中庭に造成した「甲子園球場」での対決へ・・・
それでも登場人物は(ビリケン似のボスキャラを除き)中華後宮の美少女たちがほとんどだし、
舞台設定も中華宮殿の中だけとゆーのが、やはり爆笑モノでした。
(おそらくは若い女性に向けた)ライトノベルですから、もちろん皇帝はイケメンですし、
それなりの生き方指南みたいなのもありますが、二巻まででの主人公の皇帝への想いは、
せいぜい「あの割れた腹筋に触ってみたいわぁ」という程度、まだまだラブロマンスまでは
至っていないので、今後の展開が楽しみです。
2021年12月04日
奇界遺産3!!!
とーとつに奇界遺産3であります。
表紙カバーはおなじみ北朝鮮のマスゲーム・・・やはり凄いですね・・・
ちなみにマスゲームの起源は19世紀のドイツで日本統治時代に北朝鮮にも根付いたそうです。
編著者・発行所・発行年月日などについては以下のとおり。
「奇界遺産・奇怪遺産2」についてはこちらの紹介記事をご覧いただきたいのですが、
奇怪遺産2の刊行から7年、今年5月の新刊と同時に図書館へ貸出予約してたのですが、
今週になり、やっと借りることができた次第。やはり人気の写真集なんですねえ。
例によって目次のみのご紹介・・・
まだまだ世界中に奇怪遺産はあるんですねえ・・・
どれも興味津々でしたが、この中では唯一、わたくしが訪れたことのある「奇怪遺産」が
022の「月牙泉」でした・・・
植林ツアー途中で月牙泉に立ち寄ったのは2012年の夏・・・いやあ懐かしいなあ・・・
著者の解説によると、90年代以降の近隣のダム建設や灌漑の影響で、一時は湖消滅の危機に
瀕したものの、2006年頃に水位を安定させるための地下水道工事が行われ、現在は再び水位が
大きく回復しつつある・・・とありましたから、わたくしが行った2012年頃は、少し回復した
状態だったのかも知れませんね。
それにしても現在では、夜のライトアップまである!!!とは驚きでしたが・・・
著者は前書きの中で、この7年の間に世界は大きく変わり、ネット情報や人の「移動」により、
奇怪遺産の環境も大きく変化しており、今のうちに記録しておかねばと、急かされるように
世界中を巡ってたのがコロナ禍で一変、「接続」の時代だからこそ起きたパンデミックにより、
皮肉にも世界が唐突に「切断」され、本の制作に取り掛かることになった・・・
とありましたが、時節柄、確かに色々と考えさせられました。
いつになればボルネオやモンゴルに行けるようになるのか・・・
表紙カバーはおなじみ北朝鮮のマスゲーム・・・やはり凄いですね・・・
ちなみにマスゲームの起源は19世紀のドイツで日本統治時代に北朝鮮にも根付いたそうです。
編著者・発行所・発行年月日などについては以下のとおり。
「奇界遺産・奇怪遺産2」についてはこちらの紹介記事をご覧いただきたいのですが、
奇怪遺産2の刊行から7年、今年5月の新刊と同時に図書館へ貸出予約してたのですが、
今週になり、やっと借りることができた次第。やはり人気の写真集なんですねえ。
例によって目次のみのご紹介・・・
まだまだ世界中に奇怪遺産はあるんですねえ・・・
どれも興味津々でしたが、この中では唯一、わたくしが訪れたことのある「奇怪遺産」が
022の「月牙泉」でした・・・
植林ツアー途中で月牙泉に立ち寄ったのは2012年の夏・・・いやあ懐かしいなあ・・・
著者の解説によると、90年代以降の近隣のダム建設や灌漑の影響で、一時は湖消滅の危機に
瀕したものの、2006年頃に水位を安定させるための地下水道工事が行われ、現在は再び水位が
大きく回復しつつある・・・とありましたから、わたくしが行った2012年頃は、少し回復した
状態だったのかも知れませんね。
それにしても現在では、夜のライトアップまである!!!とは驚きでしたが・・・
著者は前書きの中で、この7年の間に世界は大きく変わり、ネット情報や人の「移動」により、
奇怪遺産の環境も大きく変化しており、今のうちに記録しておかねばと、急かされるように
世界中を巡ってたのがコロナ禍で一変、「接続」の時代だからこそ起きたパンデミックにより、
皮肉にも世界が唐突に「切断」され、本の制作に取り掛かることになった・・・
とありましたが、時節柄、確かに色々と考えさせられました。
いつになればボルネオやモンゴルに行けるようになるのか・・・