史跡・戦跡・名勝
2025年12月25日
ヤマト建国の真相
とーとつですがクリスマスに・・・

「~最新考古学が解き明かす~ヤマト建国の真相」のご紹介であります
監修者紹介と奥付

目次



目次からもおわかりのとおり、ヤマト王権と邪馬台国について網羅してあり、
素人にもわかるよう最新の研究成果をまとめた入門書であります
巻末にあった主な参考文献

当サイトで取り上げた本も何冊かありますね・・・
と、まずは第1章の冒頭部分からメモ・・・
・ヤマト王権が誕生したのは3世紀後半以降の奈良盆地というのが定説
⇒ところがこの期間の文字資料がないため「空白の4世紀」とされている
(266年の晋書・武帝紀から、369年の七支刀刻印、391年の碑文記録までない)
⇒文書資料で卑弥呼が共立されたのは190年頃とされている
(3世紀には西日本の大部分を統治下においていた)
・両者は個別に研究されてきたが奈良県桜井市の纏向遺跡の発掘調査と研究が進んだ
⇒纏向遺跡は2世紀後半に突如出現した大規模な都市計画で3世紀後半にヤマト王権の王都
だったことはほぼ確定している
⇒纏向遺跡は卑弥呼政権の王都であり、その後のヤマト王権へ政権が何らかの形で直接継承
あるいは簒奪された可能性が高い
・だが魏志倭人伝の邪馬台国へ至るクニグニは北部九州が多く出土例も畿内より圧倒的に多い
⇒投馬国を除きいずれも玄界灘沿岸(畿内説では投馬国は吉備あるいは出雲)
⇒200年~260年(庄内期)の鏡の出土も北部九州に集中している
⇒これは何故なのか・・・
・・・
とはじまって寺沢薫説や、桃崎有一郎説が詳しく紹介され、九州説の矛盾を指摘する項もあり、
以降の章は邪馬台国畿内説で進みますが、以下わたくしが気になった一部のてきとーメモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・魏志倭人伝には倭国の内29国の盟主である卑弥呼の住む王都「ヤマト国」の長官はイコマ、
副官はミマス、ミマキ、ナカトの3人で、この4人がヤマト国を支配するとある
(他にもナ国やイト国など主な倭国内の国の長官と副官の名前が記されている)
⇒イコマ、ミマス、ミマキは記紀にある初期ヤマト王権の大王名と共通する(村井康彦説)
⇒イコマ垂仁天皇イクメイリヒコ、ミマス孝昭天皇ミマツヒコ、ミマキ崇神天皇ミマキイリヒコ
⇒この3人の御陵の地を当てるとイコマは奈良盆地の北東部、ミマスは南西部、ミマキは東部
⇒ナカトに該当する天皇名はないが「中処」とすると3地域の中央部になる
⇒イコマの生駒は当時の河内湾につながる大和川の要衝、ミマスの南西部は葛城氏の本拠地、
ミマキの東部は纏向遺跡や最初期の前方後円墳がある天理市から桜井市にかけて
⇒ナカトの中央部に鍵・唐古遺跡があり、卑弥呼以前の体制・社会状況を引き継いだものか
⇒他の国では長官1副官1で2人だがヤマト国のみ4人、しかも3人の副官に序列はない・・・
・北東部のイコマが長官で王都である纏向のある東部のミマキが副官なのは何故?
⇒記紀の神武東征では大阪に上陸したイワレヒコが生駒山の西麓でナガスネヒコに敗れている
⇒このナガスネヒコの根拠地がイコマのエリア
⇒現代なら都庁が生駒にあって国会議事堂が纏向にできた、ということになる
⇒イコマのエリア内にある富雄丸山古墳は(大王以上の副葬品があるのに)大王級の前方後円墳
ではなくランクが下の円墳
⇒被葬者は卑弥呼以前にヤマトを治めていたナガスネヒコのモデルとなった王を祖先とし、
その後ヤマト国の長官となったイコマの後裔だったからではないか・・・
・瀬戸内海沿岸部の鉄をめぐる第一次倭国乱で大和と吉備と淡路島が結びついた?(記紀)
⇒このとき北部九州は安定しており防備を固め静観していた(当時の遺跡から)
・181年のニュージーランド・タウポ火山噴火により184年には黄巾の乱、三国志の時代へ
⇒北部九州も難民や後漢の衰退で混乱し、交易をめぐり瀬戸内海中部・畿内連合の圧力も
⇒これが第二次倭国乱だが武力衝突はせず連合に加わり卑弥呼政権が形成された
⇒鉄を中心とする物流システムの再編成のために生まれた政権ともいえる
・なぜ畿内の纏向が王都に選ばれたのか
⇒北部九州の難民などによる社会変化の激しさ、岡山平野の少ない降水量に対する奈良盆地の
安定的な農業生産もあるが、大きな要因は強力な首長がいなかったからではないか
⇒400のムラ⇒11の共同体⇒3つの主要勢力で200年続いていたが、倭国乱以降の2世紀末に
拠点集落では環濠が埋められ、唐古・鍵では掘り直しもされるが規模は格段に縮小する
⇒奈良盆地の集落ネットワークは解体・再編成させられたのだ
・纏向王都の先進性
⇒吉備や讃岐の大規模土木技術、北部九州の大陸からもたらされた最先端知識の活用
⇒配置や建物D(出雲大社本殿の大社造りと共通)、建物C(伊勢神宮の神明造りにつながる)など
・纏向遺跡の外来形土器は2世紀末の5大勢力(北部九州・瀬戸内海中部・出雲・畿内・東海)を
もれなく網羅しており3世紀に日本の中心地だったことは明らか
⇒中国宮殿を模した桃、紅花、バジルなど西アジア原産種が出土している
⇒ところがイネや鍬など農業遺物が殆ど出ない(土木工事に使う鋤は多い)
・卑弥呼共立と銅鐸祭祀の破壊・消滅(略)
・瀬戸内海中部・畿内連合の前方後円墳に北部九州が加わった卑弥呼政権の纏向型前方後円墳、
そして出雲の勢力が加わって葺石が備えられたホケノ山古墳(卑弥呼の墓とも)、という発展
⇒箸墓古墳は諸勢力の首長霊祭祀を集約化し発展していったもので規模も魏志倭人伝と一致、
放射性炭素年代法による240~260年という推定も卑弥呼の死亡年とされる248年頃と一致し、
箸墓古墳の被葬者が卑弥呼と考えるのが自然・・・
と、ここまでで第3章まで、4章から7章も最新の研究成果をわかりやすくまとめてあり、
とても面白かったのですが、メモ能力よりアルコール勢力が拡大してきて・・・ひっく
ここまでのメモや目次を見て興味を持たれた方はぜひ本書をお読みくださいね
NHK教育の「3ヶ月でマスターする古代文明」も面白かったけど、日本の古代史も面白いなあ

「~最新考古学が解き明かす~ヤマト建国の真相」のご紹介であります
監修者紹介と奥付

目次



目次からもおわかりのとおり、ヤマト王権と邪馬台国について網羅してあり、
素人にもわかるよう最新の研究成果をまとめた入門書であります
巻末にあった主な参考文献

当サイトで取り上げた本も何冊かありますね・・・
と、まずは第1章の冒頭部分からメモ・・・
・ヤマト王権が誕生したのは3世紀後半以降の奈良盆地というのが定説
⇒ところがこの期間の文字資料がないため「空白の4世紀」とされている
(266年の晋書・武帝紀から、369年の七支刀刻印、391年の碑文記録までない)
⇒文書資料で卑弥呼が共立されたのは190年頃とされている
(3世紀には西日本の大部分を統治下においていた)
・両者は個別に研究されてきたが奈良県桜井市の纏向遺跡の発掘調査と研究が進んだ
⇒纏向遺跡は2世紀後半に突如出現した大規模な都市計画で3世紀後半にヤマト王権の王都
だったことはほぼ確定している
⇒纏向遺跡は卑弥呼政権の王都であり、その後のヤマト王権へ政権が何らかの形で直接継承
あるいは簒奪された可能性が高い
・だが魏志倭人伝の邪馬台国へ至るクニグニは北部九州が多く出土例も畿内より圧倒的に多い
⇒投馬国を除きいずれも玄界灘沿岸(畿内説では投馬国は吉備あるいは出雲)
⇒200年~260年(庄内期)の鏡の出土も北部九州に集中している
⇒これは何故なのか・・・
・・・
とはじまって寺沢薫説や、桃崎有一郎説が詳しく紹介され、九州説の矛盾を指摘する項もあり、
以降の章は邪馬台国畿内説で進みますが、以下わたくしが気になった一部のてきとーメモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・魏志倭人伝には倭国の内29国の盟主である卑弥呼の住む王都「ヤマト国」の長官はイコマ、
副官はミマス、ミマキ、ナカトの3人で、この4人がヤマト国を支配するとある
(他にもナ国やイト国など主な倭国内の国の長官と副官の名前が記されている)
⇒イコマ、ミマス、ミマキは記紀にある初期ヤマト王権の大王名と共通する(村井康彦説)
⇒イコマ垂仁天皇イクメイリヒコ、ミマス孝昭天皇ミマツヒコ、ミマキ崇神天皇ミマキイリヒコ
⇒この3人の御陵の地を当てるとイコマは奈良盆地の北東部、ミマスは南西部、ミマキは東部
⇒ナカトに該当する天皇名はないが「中処」とすると3地域の中央部になる
⇒イコマの生駒は当時の河内湾につながる大和川の要衝、ミマスの南西部は葛城氏の本拠地、
ミマキの東部は纏向遺跡や最初期の前方後円墳がある天理市から桜井市にかけて
⇒ナカトの中央部に鍵・唐古遺跡があり、卑弥呼以前の体制・社会状況を引き継いだものか
⇒他の国では長官1副官1で2人だがヤマト国のみ4人、しかも3人の副官に序列はない・・・
・北東部のイコマが長官で王都である纏向のある東部のミマキが副官なのは何故?
⇒記紀の神武東征では大阪に上陸したイワレヒコが生駒山の西麓でナガスネヒコに敗れている
⇒このナガスネヒコの根拠地がイコマのエリア
⇒現代なら都庁が生駒にあって国会議事堂が纏向にできた、ということになる
⇒イコマのエリア内にある富雄丸山古墳は(大王以上の副葬品があるのに)大王級の前方後円墳
ではなくランクが下の円墳
⇒被葬者は卑弥呼以前にヤマトを治めていたナガスネヒコのモデルとなった王を祖先とし、
その後ヤマト国の長官となったイコマの後裔だったからではないか・・・
・瀬戸内海沿岸部の鉄をめぐる第一次倭国乱で大和と吉備と淡路島が結びついた?(記紀)
⇒このとき北部九州は安定しており防備を固め静観していた(当時の遺跡から)
・181年のニュージーランド・タウポ火山噴火により184年には黄巾の乱、三国志の時代へ
⇒北部九州も難民や後漢の衰退で混乱し、交易をめぐり瀬戸内海中部・畿内連合の圧力も
⇒これが第二次倭国乱だが武力衝突はせず連合に加わり卑弥呼政権が形成された
⇒鉄を中心とする物流システムの再編成のために生まれた政権ともいえる
・なぜ畿内の纏向が王都に選ばれたのか
⇒北部九州の難民などによる社会変化の激しさ、岡山平野の少ない降水量に対する奈良盆地の
安定的な農業生産もあるが、大きな要因は強力な首長がいなかったからではないか
⇒400のムラ⇒11の共同体⇒3つの主要勢力で200年続いていたが、倭国乱以降の2世紀末に
拠点集落では環濠が埋められ、唐古・鍵では掘り直しもされるが規模は格段に縮小する
⇒奈良盆地の集落ネットワークは解体・再編成させられたのだ
・纏向王都の先進性
⇒吉備や讃岐の大規模土木技術、北部九州の大陸からもたらされた最先端知識の活用
⇒配置や建物D(出雲大社本殿の大社造りと共通)、建物C(伊勢神宮の神明造りにつながる)など
・纏向遺跡の外来形土器は2世紀末の5大勢力(北部九州・瀬戸内海中部・出雲・畿内・東海)を
もれなく網羅しており3世紀に日本の中心地だったことは明らか
⇒中国宮殿を模した桃、紅花、バジルなど西アジア原産種が出土している
⇒ところがイネや鍬など農業遺物が殆ど出ない(土木工事に使う鋤は多い)
・卑弥呼共立と銅鐸祭祀の破壊・消滅(略)
・瀬戸内海中部・畿内連合の前方後円墳に北部九州が加わった卑弥呼政権の纏向型前方後円墳、
そして出雲の勢力が加わって葺石が備えられたホケノ山古墳(卑弥呼の墓とも)、という発展
⇒箸墓古墳は諸勢力の首長霊祭祀を集約化し発展していったもので規模も魏志倭人伝と一致、
放射性炭素年代法による240~260年という推定も卑弥呼の死亡年とされる248年頃と一致し、
箸墓古墳の被葬者が卑弥呼と考えるのが自然・・・
と、ここまでで第3章まで、4章から7章も最新の研究成果をわかりやすくまとめてあり、
とても面白かったのですが、メモ能力よりアルコール勢力が拡大してきて・・・ひっく
ここまでのメモや目次を見て興味を持たれた方はぜひ本書をお読みくださいね
NHK教育の「3ヶ月でマスターする古代文明」も面白かったけど、日本の古代史も面白いなあ

2025年12月20日
天王寺動物園と海洋堂ミライザ大阪城と・・・
とーとつですが・・・
16日の火曜日、すっかり仲良くなったご近所のネパール料理店「サウラハ」のご家族と、
天王寺動物園や大阪城をご一緒してきました
娘さんが11月下旬に初来日されてたのですが、観光も殆どできないまま学校の都合などで
年末には帰国する必要があり、次回はいつ来日できるかわからないので、家族で1日だけでも
大阪を観光したいので、どこかに案内してくれませんか、とのことで快諾、とりあえずは
動物園・大阪城・USJ・道頓堀・四天王寺・あべのハルカスなどが候補に挙がりました
(さすがに住吉大社は夫婦で奥さんと娘さんを11月下旬に案内済みでした
)
つーことで家内がハードな観光プランを作成、1日で行けるところまで廻ろうと・・・
まずは、

開園110周年を迎えた天王寺動物園へ・・・
新世界ゲートから入ったので最寄りのアイファー(爬虫類生態館)から、ほぼ時計回りで
2時間あれば全て廻れると・・・(わたくしの歩行速度と撮影時間が計算外でしたが
)



慌ただしくアフリカサバンナ・ゾーンへ

ちなみにネパール・サウラハ村を歩いてるサイはツノが1本だそうです

ライオンは寝ている

キリンは起きている
とかアフリカサバンナ・ゾーンも駆け足で回り、北園の他の展示は殆どショートカットして、
何とか南園のペンギン「ごはんタイム」に間に合いました

ごはんだ!ごはんだ!と大騒ぎして高速で泳ぎ回るペンギンたちは確かに大迫力

南園のここ「ペンギンパーク&アシカワーフ」が今一番新しい施設なのかな・・・
そう「アフリカサバンナ」ゾーンと並ぶ大きな「アジアの熱帯雨林」ゾーンが大規模改修中で、
ずっと閉鎖されたままなんですよね
改修前でもボルネオなどの熱帯雨林の雰囲気をうまく演出してたので完成が楽しみですが・・・
こちら冷たい水中で延々と遊び続けるホッキョクグマ ぶるぶる

こちら夜行性動物舎


屋内の昼と夜を逆転させ暗い照明や赤い照明で行動展示してるんですね
ちょうどこちらでも・・・


ハクビシン?らの「ごはんタイム」に遭遇できました
と、けっこう歩き回り昼も過ぎてたので我々も「ごはんタイム」へ・・・

フラミンゴに別れを告げて・・・
新世界ゲートを出てすぐのメニューの多そうな串カツ店に入りました
ま、日本語の怪しい店員さんが多くメニューや注文は全てQRコードからでしたので、
明らかにインバウンド客向けのお店なんでしょうが、空いてて店員さんも親切でした
三人はヒンドゥー教徒なので牛肉はもちろん豚肉もダメ、さらにご主人は数年前から
ベジタリアンに宗教上のレベルアップをされたそうで、各人に合わせて厳選・・・

様々な具材から禁忌を考え選ぶのも楽しく、さらに唐揚げなど次々と追加しましたが、
わたくしは手前に選別した牛肉や豚肉などを食べるのに夢中で以後の画像はありません
と、ようやく我々の「ごはんタイム」も一息ついて、そのまま「おやつタイム」へ・・・

さすがに娘さんには甘くない抹茶をまぶしたわらび餅は無理でしたが・・・

皆さん日本の優しい甘味は大好きでしたね
と、食後は動物園前⇒本町乗り換え⇒谷町4丁目⇒歩いて大阪城の本丸広場へ・・・
谷町4丁目⇒歩いて大阪城の本丸⇒天守閣つーのは昔のわたくしの通勤ルートでしたが、
よくまあ毎日、こんなルートを歩いてたなあ・・・ひいひい
と、

定番フォトスポットで記念撮影した後は・・・
同じく本丸広場にあるミライザ大阪城へ

今はクリスマス仕様で内部もすっかりおしゃれになってますが、もとは陸軍第四師団の司令部
として建てられ、戦時中には第15方面軍司令部と中部軍管区司令部が入っており、敗戦により
GHQが接収、接収解除後には大阪市警視庁本部⇒大阪府警察本部⇒大阪市立博物館として
使われていた、ロマネスク様式の重厚な建物・・・
・・・の地下にある


海洋堂フィギュアミュージアム ミライザ大阪城であります
なにせ3000点を超える展示ですから、わたくしの琴線に触れたごく一部のみ・・・

























ジオラマもなかなか迫力がありました
ま、ご主人はヒンドゥー教の神様と一部共通する仏像などには興味があったようでしたが、
奥さんも娘さんもハリウッド映画や日本アニメは殆ど知らないようでした
と、出口にはこんなものが・・・

「ネパールはここだけど、まだシールがないね」

「サウラハ村はこのあたりかな・・・}

つーことで

ひょっとして、ネパールからの初来館者に???
と結局、この日に入れた施設は天王寺動物園と海洋堂ミライザ大阪城だけでしたが、
それでも丸1日かけて充分に家族で楽しんでもらえたようで、まずはめでたしめでたし
16日の火曜日、すっかり仲良くなったご近所のネパール料理店「サウラハ」のご家族と、
天王寺動物園や大阪城をご一緒してきました
娘さんが11月下旬に初来日されてたのですが、観光も殆どできないまま学校の都合などで
年末には帰国する必要があり、次回はいつ来日できるかわからないので、家族で1日だけでも
大阪を観光したいので、どこかに案内してくれませんか、とのことで快諾、とりあえずは
動物園・大阪城・USJ・道頓堀・四天王寺・あべのハルカスなどが候補に挙がりました
(さすがに住吉大社は夫婦で奥さんと娘さんを11月下旬に案内済みでした
)つーことで家内がハードな観光プランを作成、1日で行けるところまで廻ろうと・・・
まずは、

開園110周年を迎えた天王寺動物園へ・・・
新世界ゲートから入ったので最寄りのアイファー(爬虫類生態館)から、ほぼ時計回りで
2時間あれば全て廻れると・・・(わたくしの歩行速度と撮影時間が計算外でしたが
)


慌ただしくアフリカサバンナ・ゾーンへ

ちなみにネパール・サウラハ村を歩いてるサイはツノが1本だそうです

ライオンは寝ている

キリンは起きている
とかアフリカサバンナ・ゾーンも駆け足で回り、北園の他の展示は殆どショートカットして、
何とか南園のペンギン「ごはんタイム」に間に合いました

ごはんだ!ごはんだ!と大騒ぎして高速で泳ぎ回るペンギンたちは確かに大迫力

南園のここ「ペンギンパーク&アシカワーフ」が今一番新しい施設なのかな・・・
そう「アフリカサバンナ」ゾーンと並ぶ大きな「アジアの熱帯雨林」ゾーンが大規模改修中で、
ずっと閉鎖されたままなんですよね
改修前でもボルネオなどの熱帯雨林の雰囲気をうまく演出してたので完成が楽しみですが・・・
こちら冷たい水中で延々と遊び続けるホッキョクグマ ぶるぶる

こちら夜行性動物舎


屋内の昼と夜を逆転させ暗い照明や赤い照明で行動展示してるんですね
ちょうどこちらでも・・・


ハクビシン?らの「ごはんタイム」に遭遇できました
と、けっこう歩き回り昼も過ぎてたので我々も「ごはんタイム」へ・・・

フラミンゴに別れを告げて・・・
新世界ゲートを出てすぐのメニューの多そうな串カツ店に入りました
ま、日本語の怪しい店員さんが多くメニューや注文は全てQRコードからでしたので、
明らかにインバウンド客向けのお店なんでしょうが、空いてて店員さんも親切でした
三人はヒンドゥー教徒なので牛肉はもちろん豚肉もダメ、さらにご主人は数年前から
ベジタリアンに宗教上のレベルアップをされたそうで、各人に合わせて厳選・・・

様々な具材から禁忌を考え選ぶのも楽しく、さらに唐揚げなど次々と追加しましたが、
わたくしは手前に選別した牛肉や豚肉などを食べるのに夢中で以後の画像はありません

と、ようやく我々の「ごはんタイム」も一息ついて、そのまま「おやつタイム」へ・・・

さすがに娘さんには甘くない抹茶をまぶしたわらび餅は無理でしたが・・・


皆さん日本の優しい甘味は大好きでしたね
と、食後は動物園前⇒本町乗り換え⇒谷町4丁目⇒歩いて大阪城の本丸広場へ・・・
谷町4丁目⇒歩いて大阪城の本丸⇒天守閣つーのは昔のわたくしの通勤ルートでしたが、
よくまあ毎日、こんなルートを歩いてたなあ・・・ひいひい
と、

定番フォトスポットで記念撮影した後は・・・
同じく本丸広場にあるミライザ大阪城へ

今はクリスマス仕様で内部もすっかりおしゃれになってますが、もとは陸軍第四師団の司令部
として建てられ、戦時中には第15方面軍司令部と中部軍管区司令部が入っており、敗戦により
GHQが接収、接収解除後には大阪市警視庁本部⇒大阪府警察本部⇒大阪市立博物館として
使われていた、ロマネスク様式の重厚な建物・・・
・・・の地下にある


海洋堂フィギュアミュージアム ミライザ大阪城であります
なにせ3000点を超える展示ですから、わたくしの琴線に触れたごく一部のみ・・・

























ジオラマもなかなか迫力がありました
ま、ご主人はヒンドゥー教の神様と一部共通する仏像などには興味があったようでしたが、
奥さんも娘さんもハリウッド映画や日本アニメは殆ど知らないようでした

と、出口にはこんなものが・・・

「ネパールはここだけど、まだシールがないね」

「サウラハ村はこのあたりかな・・・}

つーことで

ひょっとして、ネパールからの初来館者に???
と結局、この日に入れた施設は天王寺動物園と海洋堂ミライザ大阪城だけでしたが、
それでも丸1日かけて充分に家族で楽しんでもらえたようで、まずはめでたしめでたし
2025年12月12日
堺浜から玉出環濠跡へ
昨日はひさしぶりに近所に住む「ダッシュP18乗りの俳人」さんとポタリング・・・

カモメさんが休む大和川の阪堺大橋北詰(右岸)で待ち合わせをして・・・

いつもの堺浜へ


西から晴れてきているせいなのか、神戸方面の海面は靄ってました

やがて大阪の陸地も晴天ぽかぽか陽気になり・・・
暑いぐらいになったので堺浜は1周だけにとどめ
、玉出の環濠跡へ・・・

(西成区役所のホームページにあった略図より)
そう、こちらの記事で紹介した小説「甘夏とオリオン」で知り、軽くママチャリで廻った
ことはあったのですが、今回は上記略図の右図にある8つの橋の袂すべてに昔はあって、
今もいくつかは残っているという、お地蔵さんから環濠跡を辿ってみようとなった次第
ちなみに彼が以前に歩いたという・・・

喜連の環濠跡にはこんな案内板もあって、橋の袂にあったお地蔵さんも残ってたそうですが、
玉出の環濠跡には案内板もなく、はてさてどうなるか・・・
と、

こちらが上の略図左図では26号線を西に渡った環濠の南東側になり西に向かって撮ってます
環濠を埋め立て拡幅した道路なのでしょう、現在は「姫松通」という地区内の幹線道路、
奥のびみょーな曲がり具合が左図の環濠と一致してますね
で、さらに西へ向かうと道路(環濠跡)の南側に・・・

友人がお地蔵さんを発見!!!
で、お地蔵さんに手を合わせてた方が、たまたま二人の会話を聞かれてたようで、
「何かお探しですか?」と声をかけて下さり、訊けば何と郷土史を研究をされてる方だそうで、
詳しいお話を伺うことができました
・このお地蔵さんは環濠の南側に2本架かっていた橋のうち西側の橋の袂にあったもの
(略図右図は東が上なので翌日表現を修正しました)
・環濠内の民家は殆どが空襲で焼け、戦後の区画整理もあって昔の集落の痕跡は残っていない
・現在もう一か所だけ環濠西側の橋の袂にあったお地蔵さんが残ってるが道沿いでもなく
奥まってるので見つけるのは難しいかも
・環濠の一部は戦後もしばらくドブ川として残ってたが区画整理などで埋められた
・環濠の外側は区画整理されなかったので道も狭く、一部は環濠内と繋がらないまま・・・
などなど貴重なお話をいただきました ありがとうございました
と、環濠集落内の西端の道を北上すると、


略図左図にあるとおり、クランク状に曲がってました
区画整理されたとはいえ昔の幹線道路の形状が一部はそのまま残ってるんですね
西端はすぐ十三間堀川(今は阪神高速堺線)なので、これが環濠の西側だと思ってたのですが、
先ほどの郷土史家によると環濠は堀川とは別にあったけど埋め立てられ、区画整理後の道路にも
なっていないので、西側の痕跡を探すのは困難とのことでした
ま、

友人は左側(西側)に続く道から環濠の痕跡を見つけようとしてますが・・・
幹線道路の右側(東側)が玉出中学校で、その北端道路の北側(一部は道路)が環濠跡になります
さらに北上し一部環濠跡を利用した道路の北東角あたりから南へ向かいます

この道は「いかにも環濠跡」という感じが残ってますね
もとの環濠は幅が1.8mほどだったとか・・・
この東側の環濠跡は後からできた26号線をナナメに横切り、さらに南へ続いています

横断歩道の右側、ちょうど軽バンが出てきた道になります

右が26号線、左が環濠跡で、ここからさらに南へ・・・
玉出本通り商店街を越え・・・

この先の東西の通りが「姫松通」で、ようやく環濠跡を一周しました
で、環濠内の中央にある玉出西公園まで戻って・・・
「さてさて、昼食はベトナム料理のホイアンか、手打ちうどんの楽か・・・じゅる
」
「ベトナム料理は前回3人で行ったので今回は手打ちうどんがええな・・・じゅるじゅる
」
つーことで、


わたくしはちく天ぶっかけ(冷)のセット

彼は半玉天ぶっかけ(温)のセット

そう、二人とも牡蠣の炊き込みご飯セットにしましたとさ めでたしめでたし

カモメさんが休む大和川の阪堺大橋北詰(右岸)で待ち合わせをして・・・

いつもの堺浜へ


西から晴れてきているせいなのか、神戸方面の海面は靄ってました

やがて大阪の陸地も晴天ぽかぽか陽気になり・・・
暑いぐらいになったので堺浜は1周だけにとどめ
、玉出の環濠跡へ・・・
(西成区役所のホームページにあった略図より)
そう、こちらの記事で紹介した小説「甘夏とオリオン」で知り、軽くママチャリで廻った
ことはあったのですが、今回は上記略図の右図にある8つの橋の袂すべてに昔はあって、
今もいくつかは残っているという、お地蔵さんから環濠跡を辿ってみようとなった次第
ちなみに彼が以前に歩いたという・・・

喜連の環濠跡にはこんな案内板もあって、橋の袂にあったお地蔵さんも残ってたそうですが、
玉出の環濠跡には案内板もなく、はてさてどうなるか・・・
と、

こちらが上の略図左図では26号線を西に渡った環濠の南東側になり西に向かって撮ってます
環濠を埋め立て拡幅した道路なのでしょう、現在は「姫松通」という地区内の幹線道路、
奥のびみょーな曲がり具合が左図の環濠と一致してますね
で、さらに西へ向かうと道路(環濠跡)の南側に・・・

友人がお地蔵さんを発見!!!
で、お地蔵さんに手を合わせてた方が、たまたま二人の会話を聞かれてたようで、
「何かお探しですか?」と声をかけて下さり、訊けば何と郷土史を研究をされてる方だそうで、
詳しいお話を伺うことができました
・このお地蔵さんは環濠の南側に2本架かっていた橋のうち西側の橋の袂にあったもの
(略図右図は東が上なので翌日表現を修正しました)
・環濠内の民家は殆どが空襲で焼け、戦後の区画整理もあって昔の集落の痕跡は残っていない
・現在もう一か所だけ環濠西側の橋の袂にあったお地蔵さんが残ってるが道沿いでもなく
奥まってるので見つけるのは難しいかも
・環濠の一部は戦後もしばらくドブ川として残ってたが区画整理などで埋められた
・環濠の外側は区画整理されなかったので道も狭く、一部は環濠内と繋がらないまま・・・
などなど貴重なお話をいただきました ありがとうございました
と、環濠集落内の西端の道を北上すると、


略図左図にあるとおり、クランク状に曲がってました
区画整理されたとはいえ昔の幹線道路の形状が一部はそのまま残ってるんですね
西端はすぐ十三間堀川(今は阪神高速堺線)なので、これが環濠の西側だと思ってたのですが、
先ほどの郷土史家によると環濠は堀川とは別にあったけど埋め立てられ、区画整理後の道路にも
なっていないので、西側の痕跡を探すのは困難とのことでした
ま、

友人は左側(西側)に続く道から環濠の痕跡を見つけようとしてますが・・・

幹線道路の右側(東側)が玉出中学校で、その北端道路の北側(一部は道路)が環濠跡になります
さらに北上し一部環濠跡を利用した道路の北東角あたりから南へ向かいます

この道は「いかにも環濠跡」という感じが残ってますね
もとの環濠は幅が1.8mほどだったとか・・・
この東側の環濠跡は後からできた26号線をナナメに横切り、さらに南へ続いています

横断歩道の右側、ちょうど軽バンが出てきた道になります

右が26号線、左が環濠跡で、ここからさらに南へ・・・
玉出本通り商店街を越え・・・

この先の東西の通りが「姫松通」で、ようやく環濠跡を一周しました
で、環濠内の中央にある玉出西公園まで戻って・・・
「さてさて、昼食はベトナム料理のホイアンか、手打ちうどんの楽か・・・じゅる
」「ベトナム料理は前回3人で行ったので今回は手打ちうどんがええな・・・じゅるじゅる
」つーことで、


わたくしはちく天ぶっかけ(冷)のセット

彼は半玉天ぶっかけ(温)のセット

そう、二人とも牡蠣の炊き込みご飯セットにしましたとさ めでたしめでたし

2025年11月30日
ひさしぶりのライトOFF会!!!後編
前回記事からの続きであります
Bulittさんを加えた5人は日付が23日に変わってもダベリ続け食べ続け、3時過ぎに就寝
で、朝の9時半には「ごつほざ」さんがバイクで姫路アジトに来られました
Bullittさんとわたくし以外のメンバーもようやく起き出し、6人でライト談義

「H2T」ロゴがあるのは、ひぐさんのルーメン・メーターだそうです
ごつほざさんが熱心に様々なライトを計測されてましたね
で、甘味やコーヒーでまったり過ごし、昼には昨夜の98k鍋に参鶏湯スープを足した出汁に
煮込みうどんをぶち込んだ、98k式「七変化うどん」をばくばくばく
(夢中で食べてて画像がありましぇん
)
午後には、ごつほざさんと入れ替わりに川端さんが到着し、引き続きライト談義・・・

話の内容は、わたくしには殆ど理解不能でしたが・・・
日が暮れると活動しはじめる懐中電灯好きの皆さんは「てんじく」へ

ま、前々日に行けなかった、わたくしの希望だったんでしゅが・・・

もう何度目の乾杯になるのか・・・
この日にクルマで帰宅予定のBullittさんは飲めませんでしたが・・・


だから食べる前に撮ればよいものを・・・



追加ジョッキが保冷タイプに替わってますね


わたくしとひぐさんは「40年前の(味の)中華そば(小)」で〆てと・・・げふっ
「飲まない赤チャリ号」で郊外の某公園へ・・・


クロスファイア!!!

ええ、明るい皆さんでした
と、アジトに戻ってからは、

甘味を食べて、おとなしく就寝・・・
するはずもなく・・・

ごつほざさん差し入れのビールを3人でかぱかぱと・・・
さすがに

Bullittさん差し入れのチリワインや、飲まない川端さん差し入れの高級焼酎・・・

98kさん差し入れの怪しい蒸留酒
までは手が届きませんでしたが・・・
この日は翌朝から仕事のBullittさんが深夜に帰宅され、残るメンバーも1時半過ぎには就寝、
翌朝は10時過ぎまで、たっぷりと寝てから起床しました
ちなみにwingさんがアジトに用意してくれてた全員分のコットはこんな感じ

シュラフやマットはいつものメンバーが予備をたっぷり持参してました
で、パックコーヒーや甘味で少し落ち着いてから赤チャリ号で、


11時に開店したての海鮮食堂へ



ま、ご飯の量などで誰がどれを注文したのか想像できるかと・・・
と、食後はすぐ裏にある港に出て・・・

お決まりの「霧笛が俺を呼んでるぜ」ポーズ
つーことで、

小赤壁公園へ

ここでも恒例の・・・

「海のバカヤロー!!!」ポーズをば・・・
こんな怪しい集団を密かに上空から監視していた自律型偵察機・・・

ではなくラジコン操縦のグライダーでした
小赤壁にぶつかる海風を利用して、何度も旋回しながら目の前を飛び続けてました
操縦してるのはかなりの上級者なんでしょうね
で、wing号をアジト近くの駐車場まで回送してからアジトに戻れば、とーぜん

乾杯のループ

このビールも旨かったな・・・
この日は川端さんが渋滞時間帯を過ぎてから帰宅することになり、赤チャリ号が全員を乗せ、
まず川端号を停めてある駐車場で川端さんを下ろし(川端さんはアジトで自分の荷物を積み込み、
そのまま帰宅)、で、最後まで残った4人はその間に、遅めの夕食つーか夜食へ・・・



永遠の乾杯ループ




ま、ご飯や餃子の追加具合とか撮る前に食べてる
とかで、誰が注文したかは・・・
と、帰りにはスーパーでつまみや甘味や朝食を買い足して・・・

この夜は燗酒で2時過ぎまでやってました(赤チャリさんはソフトドリンク)
H2Tの新しい基板に関する東西ライトモダーお2人の会話について・・・
赤チャリさんはかなり理解されてたようですが、わたくしにはさっぱりでした
ただ、専門用語だけのやりとりで、意思疎通が完全にできているのが雰囲気でわかり、
やはりハイレベルな技術屋の世界は凄い!!!と改めて感心していた次第
それぞれの専門分野は異なっても技術用語は世界共通、もと事務屋には羨ましい限りでした
と、数時間の仮眠を経て25日の6時には起床、簡単にパンを食べて7時前にはひぐさんを乗せた
赤チャリ号が出発、ひぐさんは姫路駅から在来線で半日かけて帰宅、赤チャリさんはそのまま職場へ・・・
わたくしとwingさんは再仮眠して10時に起床、わたくしは正午前に出発し帰路は渋滞もなく
1時半には大阪に帰宅しました
最後に残ったwingさんは、さらにお昼寝後にアジトの片づけを遅くまでやってたそうで、
雷雨ととも夜遅くに神戸に帰宅されたそうですが、wingさんが最初にひぐさんと合流してから、
最後にわたくし98kを見送るまで、なんと86時間だったそうです
いやあ皆さん、お疲れ様でした
今回はcinqさんやみんみんハウスさんはじめ、遠方から参加予定の方もおられたのですが、
急な事情などで結局参加できなかったようです
でも、じつにひさしぶりのひぐさんや呑める機会の少なかったBullittさんらと吞めたのは、
嬉しかったし、いつものメンバーとの会話もひさしぶりで、じつに楽しかったです
事前に様々な準備をしてくれてたwingさんはじめ、素晴らしい差し入れやお土産をいっぱい
持参いただいた参加者の皆さん、今回もありがとうございました
ま、それらを独り占めできなかったのが、返す返すも残念でしゅが・・・
Bulittさんを加えた5人は日付が23日に変わってもダベリ続け食べ続け、3時過ぎに就寝
で、朝の9時半には「ごつほざ」さんがバイクで姫路アジトに来られました
Bullittさんとわたくし以外のメンバーもようやく起き出し、6人でライト談義

「H2T」ロゴがあるのは、ひぐさんのルーメン・メーターだそうです
ごつほざさんが熱心に様々なライトを計測されてましたね
で、甘味やコーヒーでまったり過ごし、昼には昨夜の98k鍋に参鶏湯スープを足した出汁に
煮込みうどんをぶち込んだ、98k式「七変化うどん」をばくばくばく
(夢中で食べてて画像がありましぇん
)午後には、ごつほざさんと入れ替わりに川端さんが到着し、引き続きライト談義・・・

話の内容は、わたくしには殆ど理解不能でしたが・・・
日が暮れると活動しはじめる懐中電灯好きの皆さんは「てんじく」へ

ま、前々日に行けなかった、わたくしの希望だったんでしゅが・・・


もう何度目の乾杯になるのか・・・

この日にクルマで帰宅予定のBullittさんは飲めませんでしたが・・・


だから食べる前に撮ればよいものを・・・



追加ジョッキが保冷タイプに替わってますね



わたくしとひぐさんは「40年前の(味の)中華そば(小)」で〆てと・・・げふっ
「飲まない赤チャリ号」で郊外の某公園へ・・・


クロスファイア!!!


ええ、明るい皆さんでした

と、アジトに戻ってからは、

甘味を食べて、おとなしく就寝・・・
するはずもなく・・・

ごつほざさん差し入れのビールを3人でかぱかぱと・・・
さすがに

Bullittさん差し入れのチリワインや、飲まない川端さん差し入れの高級焼酎・・・

98kさん差し入れの怪しい蒸留酒
までは手が届きませんでしたが・・・この日は翌朝から仕事のBullittさんが深夜に帰宅され、残るメンバーも1時半過ぎには就寝、
翌朝は10時過ぎまで、たっぷりと寝てから起床しました
ちなみにwingさんがアジトに用意してくれてた全員分のコットはこんな感じ

シュラフやマットはいつものメンバーが予備をたっぷり持参してました
で、パックコーヒーや甘味で少し落ち着いてから赤チャリ号で、


11時に開店したての海鮮食堂へ




ま、ご飯の量などで誰がどれを注文したのか想像できるかと・・・

と、食後はすぐ裏にある港に出て・・・

お決まりの「霧笛が俺を呼んでるぜ」ポーズ
つーことで、

小赤壁公園へ

ここでも恒例の・・・

「海のバカヤロー!!!」ポーズをば・・・

こんな怪しい集団を密かに上空から監視していた自律型偵察機・・・

ではなくラジコン操縦のグライダーでした
小赤壁にぶつかる海風を利用して、何度も旋回しながら目の前を飛び続けてました
操縦してるのはかなりの上級者なんでしょうね
で、wing号をアジト近くの駐車場まで回送してからアジトに戻れば、とーぜん

乾杯のループ


このビールも旨かったな・・・
この日は川端さんが渋滞時間帯を過ぎてから帰宅することになり、赤チャリ号が全員を乗せ、
まず川端号を停めてある駐車場で川端さんを下ろし(川端さんはアジトで自分の荷物を積み込み、
そのまま帰宅)、で、最後まで残った4人はその間に、遅めの夕食つーか夜食へ・・・



永遠の乾杯ループ





ま、ご飯や餃子の追加具合とか撮る前に食べてる
とかで、誰が注文したかは・・・
と、帰りにはスーパーでつまみや甘味や朝食を買い足して・・・

この夜は燗酒で2時過ぎまでやってました(赤チャリさんはソフトドリンク)
H2Tの新しい基板に関する東西ライトモダーお2人の会話について・・・
赤チャリさんはかなり理解されてたようですが、わたくしにはさっぱりでした
ただ、専門用語だけのやりとりで、意思疎通が完全にできているのが雰囲気でわかり、
やはりハイレベルな技術屋の世界は凄い!!!と改めて感心していた次第
それぞれの専門分野は異なっても技術用語は世界共通、もと事務屋には羨ましい限りでした
と、数時間の仮眠を経て25日の6時には起床、簡単にパンを食べて7時前にはひぐさんを乗せた
赤チャリ号が出発、ひぐさんは姫路駅から在来線で半日かけて帰宅、赤チャリさんはそのまま職場へ・・・
わたくしとwingさんは再仮眠して10時に起床、わたくしは正午前に出発し帰路は渋滞もなく
1時半には大阪に帰宅しました
最後に残ったwingさんは、さらにお昼寝後にアジトの片づけを遅くまでやってたそうで、
雷雨ととも夜遅くに神戸に帰宅されたそうですが、wingさんが最初にひぐさんと合流してから、
最後にわたくし98kを見送るまで、なんと86時間だったそうです

いやあ皆さん、お疲れ様でした
今回はcinqさんやみんみんハウスさんはじめ、遠方から参加予定の方もおられたのですが、
急な事情などで結局参加できなかったようです
でも、じつにひさしぶりのひぐさんや呑める機会の少なかったBullittさんらと吞めたのは、
嬉しかったし、いつものメンバーとの会話もひさしぶりで、じつに楽しかったです
事前に様々な準備をしてくれてたwingさんはじめ、素晴らしい差し入れやお土産をいっぱい
持参いただいた参加者の皆さん、今回もありがとうございました
ま、それらを独り占めできなかったのが、返す返すも残念でしゅが・・・

2025年11月28日
ひさしぶりのライトOFF会!!!前篇
もう先週になりますが・・・
じつにひさしぶりにライトOFF会に参加してきました
無限に出てきた稀少なライトの数々は皆さんのSNSなどで味わっていただくとして、
遅ればせながら当サイトでは(恒例により飲食中心に)概ね時系列でメモ・・・
東ライトモダーの雄ひぐさんが早朝から在来線を乗り継いで神戸に着いたのは21日の19時過ぎ、
西ライトモダーの雄wingさんのクルマで姫路に到着後、赤チャリさんと合流して3人で
「てんじく」へ行かれたようですが、わたくしこの日は別のところで呑んでました
姫路wing邸(アジト)に戻ってからもライト談義で盛り上がったようで午前3時過ぎに就寝、
翌朝は姫路でも大盛りで知られるモーニングの店から郊外へ、鉄分好きでもあるひぐさんに
鉄分補給をさせておられたようです
わたくしは22日の昼過ぎに合流して昼食大宴会!!!の予定だったのですが、中国道が工事渋滞で
大幅に遅れたため、実際にアジトで合流できたのは14時前でした
で、わたくしは空腹をかかえたまま、4人で大量の買い出しを終え・・・
まずはひぐさんとの再会を祝して2人だけで乾杯!!!

そう、

wingさんと赤チャリさんは朝の大盛りモーニングで飲食不可能な状態だったとか・・・
ま、それでも恒例により、ちまちま呑みつつ食べつつ延々と・・・



ま、自己弁護してる方も約1名おられましたが・・・



って、明らかに怪しい集団やな・・・
で、19時前には仕事を終えたBullittさんも到着・・・

5人で乾杯!!!(飲まない赤チャリさんはソフトドリンクで!!!)
ふだんは仕事の関係で呑めないBullittさんですが、今回は翌日も休めるので心おきなく
その後は、懐かしの98k式・七変化鍋にはじまり・・・

はたまた延々と・・・








冷酒もwingさんのムカゴの塩茹も旨かったな・・・
と、次号に続きます
じつにひさしぶりにライトOFF会に参加してきました
無限に出てきた稀少なライトの数々は皆さんのSNSなどで味わっていただくとして、
遅ればせながら当サイトでは(恒例により飲食中心に)概ね時系列でメモ・・・
東ライトモダーの雄ひぐさんが早朝から在来線を乗り継いで神戸に着いたのは21日の19時過ぎ、
西ライトモダーの雄wingさんのクルマで姫路に到着後、赤チャリさんと合流して3人で
「てんじく」へ行かれたようですが、わたくしこの日は別のところで呑んでました

姫路wing邸(アジト)に戻ってからもライト談義で盛り上がったようで午前3時過ぎに就寝、
翌朝は姫路でも大盛りで知られるモーニングの店から郊外へ、鉄分好きでもあるひぐさんに
鉄分補給をさせておられたようです

わたくしは22日の昼過ぎに合流して昼食大宴会!!!の予定だったのですが、中国道が工事渋滞で
大幅に遅れたため、実際にアジトで合流できたのは14時前でした
で、わたくしは空腹をかかえたまま、4人で大量の買い出しを終え・・・
まずはひぐさんとの再会を祝して2人だけで乾杯!!!


そう、

wingさんと赤チャリさんは朝の大盛りモーニングで飲食不可能な状態だったとか・・・
ま、それでも恒例により、ちまちま呑みつつ食べつつ延々と・・・



ま、自己弁護してる方も約1名おられましたが・・・



って、明らかに怪しい集団やな・・・

で、19時前には仕事を終えたBullittさんも到着・・・

5人で乾杯!!!(飲まない赤チャリさんはソフトドリンクで!!!)
ふだんは仕事の関係で呑めないBullittさんですが、今回は翌日も休めるので心おきなく

その後は、懐かしの98k式・七変化鍋にはじまり・・・

はたまた延々と・・・








冷酒もwingさんのムカゴの塩茹も旨かったな・・・
と、次号に続きます
