史跡・戦跡・名所

2025年01月07日

初詣ミニOFF会!!!

新年早々とーとつですが・・・
4日5日で初詣ミニOFF会を楽しんでたので、忘れないうちにメモしておきます

4日の正午前後にwingさん、赤チャリさん、川端さんとゆーおなじみ関西ライト好き仲間が、
わたくしに実家に集まってくれました

迎撃歓迎準備は万端・・・

P1048010




P1048011



恒例により皆さんからの貢物を巻き上げて


P1048009

軽く賀詞交換してダベってから初詣へ・・・




P1048014

大海神社で航海???の無事を祈願し・・・





P1048012

玉ノ井に乙姫様にもらった玉手箱を投げ込んでタイムスリップ





P1048017

お椀の舟に箸の櫂で茅渟の海に漕ぎ出し、淀川を遡上して平安京で鬼どもをやっつけ




P1048022





P1048024

住𠮷四神に戦果を報告した初詣した後は・・・




P1048028



P1048029

鉄分を補給しつつ・・・


粉浜商店街はじめ、わたくしオススメの飲食店を廻ってみたのですが・・・

P1048031

さすがに人気店はどこも初詣客で長蛇の列でした


で、とりあえずは・・・

P1048032

wingさんのカワセミ撮影を名目に住吉公園へ・・・




P1048033

野鳥好きカメラマン数名が待機してましたが、さすがにすぐには現れてくれず・・・




P1048034

wingさんはサギさん撮影なんぞでお茶を濁して・・・



わりと待ち時間の少なかった「かつや」へ・・・

P1048038

こぽこぽこぽ



P1048040




P1048041




P1048042

ようやく遅めの昼食宴会にありつけました

やっと人心地がついたので商店街を散策しつつ戻りました

ちなみに皆さん、はじめての100均ショップに入ると目の色が変わるつーか、まずはライトの
コーナーに直行、その後はバックパック用ハンガーとか非常用シュラフとか携帯ポンチョとか、
大手ショップにはない商品を物色しては購入されてましたねえ・・・

で、回転焼(ちなみに関東では今川焼、姫路では御座候、岸和田ではトラ焼だそうです)とか、
二日酔対策用の梅昆布茶とかも買って・・・


P1048045



P1048046



P1048047



P1048048

さらに鉄分補給しつつ3時半には無事に戻りました

ま、無事にといいつつ、飲んで3時間は歩いたわたくし、帰りは苦労しましたが



で、満腹した帰宅後も延々と・・・

P1048050



P1048052

飲みつつ食べつつ録画を見たりしてヲタ話やバカ話で盛り上がり・・・
(この間に各種ライトも出てましたが画像は一切ありません)


7時を過ぎ、ようやく新春「うどん寄せ鍋」宴会の開始・・・
(そーいや年始のニュースで「年越し蕎麦」に対抗して「年明けうどん」を普及しようと、
讃岐のうどん団体が努力してるけど、まだまだ知られてないとかやってましたね)

1736215119558



1736215119554



1736215119549
(以上wingさん画像)



P1048054



1736215119544

wingさんとわたくしは濁り酒や燗酒、赤チャリさんと川端さんはソフトドリンクで、
ひたすら飲み続け食べ続け喋り続けました


もちろん日付が変わってからも・・・

P1058055

(かもめコーヒー扱いの)めでたいsakuriシュトーレン・ケルクや、




P1058056

WITTAMERの高級ケーキなんぞで喋り続けてましたが、2時過ぎには翌日に所用が入った
川端さんが帰宅、残る3人はさらに喋り続け、シュラフに潜り込んだのは3時半でした


翌朝、わたくしは9時過ぎ、wingさんは10時過ぎに起きましたが、最近ずっと3時間程度の
不規則睡眠が続いてたとゆー赤チャリさんは、そのまま放置しておくことにして・・・

わたくしが近くのコンビニに行って二人分のサンドイッチとソーセージエッグマフィン、
パックのドリップコーヒーを購入・・・

P1058057

(マフィンはレンチンして熱々をすぐ食べてしまったので画像がないけど)
二人で遅めの朝食をとりつつ、さらに世間話なんぞでまったり・・・

昼過ぎにはようやく赤チャリさんも目覚めて(糖分不足かずっと半覚醒状態でしたが)、
三人でまたまた残りの甘味と録画でダベリ続け、夕方にはめでたく解散しましたとさ

めでたしめでたし どっとはらい

いやあ、今回もじつに楽しかったです
今回の4人がネット上で知り合い熊野キャンプでリアルに会ってから20年近くになりますが、
ヲタ話やバカ話の話題がいつも新鮮なのが素晴らしいですね

まあトシを重ねるごとに同じハナシの繰り返しが増えてるのかも知れませんが、
わたくしもハナシの内容をすっかり忘れてるので、いつも新鮮なのか・・・




m98k at 12:20|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2024年12月25日

忘れられた日本史の現場を歩く

ええ、クリスマスから年末に向けて世間が慌ただしい中、わたくしはひっそりと、
忘れられた日本史の現場を歩いて・・・

・・・おられた方の写真エッセイ集を紹介しておきます


表紙

P9217340



表紙カバー裏にあった惹句

P9217320



著者(撮影者)紹介と奥付

P9217322



恒例により目次のみご紹介

P9217324



P9217325


そう、日本史の表舞台にはまず登場しない「歴史の現場」を訪れた写真エッセイ集で、
わたくしが名前だけでも知ってたのは「大阪七墓」ぐらいでした

以下、わたくしの興味からのランダムな読書メモです
(紹介できないのが残念ですが
写真作品も興味津々でした)

・遊女、からゆきさん、あめゆきさん・・・
→船泊(港)や宿場、都市の墓地周辺には色街が形成され、今もその名残をとどめている

・1920年(大正9年)に初めて国勢調査が行われ、無国籍者の存在が公のものとなった
→サンカ、木地師など100年前の日本では、今よりはるかに多様な生き方が存在していた

・戦国時代末期から近代にかけての色街の痕跡については、ある程度の記録が残ってるが、
古代から中世にかけての色街や遊女に触れている書物は少ない(鎌倉時代の吾妻鏡など)
→古代の官道沿いの宿場遊女たちは傀儡女、白拍子と呼ばれていた

・平安時代後期の傀儡子記より
→男は狩猟・操り人形・幻術など、女は淫らな歌や踊りで・・・
→今様、田楽、神歌、辻歌、催馬楽など・・・
→彼らは土地を持たずに流離う
→芸能に秀でており天幕と敷物の家に住み北方の騎馬民族のような異貌
(インドを発祥とし中東、ヨーロッパ、南米にも広がったロマとする研究もある)

・後白河法皇が撰した梁塵秘抄(今様)
→法皇の今様の師匠が傀儡女の乙前で岐阜県大垣市青墓町(東山道の宿場)の出身

・大阪七墓(江戸時代初期の再開発で大坂三郷の外縁部にまとめられた墓地)
→梅田・飛田・千日前・(最古の)南浜・(天神橋)葭原・小橋・蒲生の7ヶ所
→2020年、うめきた2期の開発区域から1500体以上の人骨や副葬品が見つかった
→1887年(明治20年)に有縁墓は移転してるので、この全ては遊女などの無縁仏
→梅田兎我野には今もラブホテルが立ち並び、飛田遊郭は今や外国人の観光スポットに

・福島県浪江町津島は天明の飢饉で地区が全滅した
→浄土真宗の信者が北陸から入植し、美しい里山風景の原型を作り上げた
→戦後には満洲からの引揚者も入植した→電気が通ったのは1959年(昭和34年)
→2011年の原発事故で無人となり水田は荒れ地に戻っている・・・

おわりにより
・(著者は)20代から30代は世界中を流離っていた
→東南アジア(特にタイがお気に入り)では女性だけでなく時が止まった雰囲気に居心地の
良さを感じ、長く滞在はしていたものの暮らすことはなかった
→年を重ね、生まれ育った日本を巡りたいと思ったのも本にまとめた理由の一つ

・今回は40代から50代にかけての自分探しの旅でもあった
→歴史に埋もれた事象を辿りながら日本の素晴らしさを感じずにはいられなかった

・・・

特に平安時代の
傀儡女や白拍子、大正時代に公になったサンカや木地師などの生き方
について
の記述には興味津々でした
もちろん専門家による研究もあるのでしょうが、前回記事の狩猟採集民の文明と同様に、
ほんの100年前まで日本でも多様な生き方があったんですね

そーいや世界が国家(国民)中心になったのも僅か400年前からで、それまで人類の殆どは
国家や国境とは関係なく自由に生きてたんですよね

なので国家→国家同盟→同盟同士の対立という、今の道筋だけではないはずなのに・・・

と人類の迷走は来年も続きそうですが、殆どの時代、殆どの問題は戦争なしに解決してきた
のですから希望を持って、個人でできることから手を付けていきましょう!!!

来年が少しでも平和で良い年になりますように・・・



m98k at 23:23|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2024年12月07日

某SF研究会・創立54周年???

さる11月27日に某大学SF研究会の創立54周年???宴会同窓会に参加してたので、
忘れないうちに脳の外部記憶としてメモしておきます

じつは14年前の創立40周年式典を皮切りに創立45周年式典と、5年おきに現役学生を中心に
企画開催してくれてたのですが、いよいよ創立50周年記念大式典!!!の年がコロナ禍と重なり、
中止になった経過があり落ち込んでたのですが、ずっとお世話してくれてたS本さんから
「その後も同学年を中心に少人数が大学EVE祭の時期に京都で何回か集まってますので、
98k先輩もよかったら・・・」と古いメルアドにお誘いがあり、喜んで参加してきた次第


会場は四条河原町にある懐かしいミュンヘンの2階、3時の集合でした

IMG_20241127_145419




IMG_20241127_170343_1732712010525

遠方からの参加者も多く集合時間までに何名かが大学EVE祭にも行かれてたようですが、
今年のSF研ブースは見つけられなかったとか・・・


で、今回宴会同窓会の入場券???

IMG_20241127_154812

って、こちらは当時のSF研ブースの入場券で当日
後輩が持参してくれてたもの

SF研プロレス・ショーの始まりは第100回記念EVE祭からだったんですね・・・
で、これが大盛況で翌年はブースに使う教室を大きくして入場料も倍にして大儲けしたのね!!!
今年のEVE祭が第149回でしたから49年前と48年前の貴重な資料であります

我々創設時メンバーが初めてのEVE祭出店で手塚治虫の実験アニメーション「ある街角の物語」
などの映画喫茶をやってから数年後になり、偶然プロレスファンの後輩が複数名入会してきて、
単なるノリではじまった怪しいショー(上級生も面白がってノッてたけど)でしたが、
おそらくこれが
日本初の「アマチュア・プロレス・ショー」だったはず・・・


で、今回メンバーでは最古参になるわたくしに乾杯音頭の要請があったので・・・

「それでは創立54周年と筒井康隆大先輩が元気で生誕90周年を迎えられたことを祝して、」

長寿と繁栄を、ついでにフォースと共にあらんことを・・・

ごくごくごく




ま、以後は昔の空想科学少年少女たち16名が(隣の料理まで奪い合い)ひたすら食べて飲んで、
ひたすらヲタ話や昔話や近況報告で盛り上がってました

IMG_20241127_153221

今もSF関係に関わってる後輩も何人かいて、創設者のK山さんも京大SF研の安田さんも
同期のSS木くんも元気と聞いて安心しました
そーいや神大SF研のY本さんらはどうされてるんだろう・・・

たまたま関大SF研とは古いSNSで繋がりがあるので、S本さんに「このメンバーだけでも
LINEグループとかを始めたら便利なのでは?」と提案したのですが・・・

「それが今もガラケーだけとか、SNSとは無縁のメンバーも多くて・・・あはは

「このSF研の不思議な伝統やね、筒井大先輩はワープロ小説とかネット小説の先駆者やのに
ま、自分も
20年前から変わらずブログ形式やから他人のことは言えんけど・・・あはは


と、さすがに4年以上離れてる後輩には覚えのない顔もありましたが、それでも4回生の時の
1回生が4回生になった時の1回生とは繋がってるわけだし、宴席もそんな感じで並んでました

なにせ当時の趣味が共通だった仲間が集まってるので話題は尽きず、
じつに楽しい飲み会でした
このあたりは世代が異なってても楽しい前回記事のライトOFF会と同じですね


S本さんO久保さんはじめお世話になった皆さん、じつに楽しかったです ありがとね!!!
次回も是非誘って下さいね!!! 

ええ、メールでも電報でも手旗信号でも、伝書鳩でも太鼓でも狼煙でもいいので・・・




(おまけ)
せっかくなので当日?の宴会スナップ画像も・・・


IMG_20241127_152714



1733046853597




1733046853589


1733047505165



IMG_20241127_152723

そう、半世紀ほどタイムスリップした当時の宴会スナップであります

そーいや、この時に宴会場で見知らぬ老女から懐中電灯もとい懐中時計をもらって、その後に
泊った旅館の資料室にあった美女の写真に魅せられ、さらに過去へタイムスリップしたな・・・
(「ある日どこかで(リチャード・マシスン)」より)
(1976年のSF、映画化は1980年でクリストファー・リーヴ主演、SF映画の佳作でしたね
)




m98k at 16:47|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2024年11月12日

ノリタケの森とか明宝のニジマスとか

とーとつですが・・・

先週末に家族旅行を楽しんでたので(食べ物を中心に)メモしておきます


先週の金曜日、まずは自宅から近鉄・大阪難波駅へ・・・

ま、こんな特急とか、

LINE_ALBUM_2024.11.09運動会_241112_7




こんなのにも乗ってみたかったけど・・・

PB087619



こちらは京阪特急だし・・・

LINE_ALBUM_2024.11.09運動会_241112_6




恒例により名阪特急ひのとりで名古屋へ・・・

PB087621



PB087628

すぐに夕方だったので・・・



PB087625

車内ではお茶と熱々の「御座候」だけで我慢
って、食べる前に撮ればよいものを・・・


駅まで迎えに来てくれた長男宅でコーヒーやケーキで一息ついて、孫たちと遊んでると・・・

PB087635.2JPG

夕食には牛しゃぶともつ鍋の二色鍋を用意してくれてました
特に幼児と激辛好きの大人がいると二色鍋は便利ですね ばくばくごくごく


と、翌日の土曜日は・・・

LINE_ALBUM_2024.11.09運動会_241112_4

お替わりもたっぷりの朝食をいただいてから・・・
って、食べる前に撮ればよいものを・・・ばくばくばく


全員揃って近所にお出かけ・・・

PB097696



PB097723

そう、この日は朝から孫たちの運動会だったのでありますね



で、正午には金メダルや記念品をもらって解散、イオンモールの「まぐろや石亭」で・・・

PB097792

穴子まるごと握りメインのセットに何皿か追加して、ばくばくばく


さらに、

PB097789

魔の手は孫たちのお子様セットにまで伸びて、ばくばくばく
(って、もういらないって言ったから、じいじが食べたんだよ!!!)


と、満腹後はイオンモール前に広がる「ノリタケの森」を散策

PB097809




PB097799




PB097793



PB097831




園内は、もうすっかりクリスマス・モードでした

PB097798




(画像追加)
PB097801






PB097806.2JPG





PB097824



せっかく名古屋に来たので、ひまぱさん作品の真似をしてみようと・・・

PB097816.2JPG



PB097796

何枚か撮りましたがスナップでもレベルは桁違いですね・・・あははは


と、この日の夜は・・・

PB097834

美味しいハッシュドビーフなんぞで前夜に続き、ばくばくごくごく ひっく


と、翌々日の日曜日も・・・

LINE_ALBUM_2024.11.09運動会_241112_1

お替わりのあるたっぷり朝食をば
って、食べる前に撮ればよいものを・・・


この日は次男たちとも現地合流して・・・

PB107838

郡上市明宝にある「つりぼりや」へ・・・


名古屋からは少し遠いけど、ここなら幼児でもニジマスが釣れるとのことで、

PB107848.2JPG

確かに、ほぼ入れ食い状態でした ほぼ貸し切り状態だったし・・・

ただしリリース禁止で釣ったニジマスは全て買い取りだったので、人数分程度で切り上げ、
管理人さんがワタを抜いて串刺しにしてくれた、釣りたてニジマスに塩を振って・・・


LINE_ALBUM_2024.11.10つりぼりや_241112_2

こちらの説明どおり、その場で炭火焼きに・・・




LINE_ALBUM_2024.11.10つりぼりや_241112_3

釣りたてのニジマス、しかも炭火の塩焼きなんて、わたくし何年ぶりだったでしょう、
ええ、とてもおいしゅうございました


と、さすがにお昼にニジマス一匹だけで足りるはずもなく・・・

PB107910

全員で帰り道にあった「お食事処・善兵衛」へ・・・


ここは和・洋・中と何でもありで、各自が好きな単品やセットや定食を注文、

わたくしは・・・

PB107917



(画像追加)
PB107918

台湾味噌ラーメンと麻婆飯のセットにしましたが、お値段のワリにけっこう本格的でしたし、
他の定食とかもボリューム満点でした げふっ

と、次男たちとはここで別れ、わたくしと家内はそのまま名古屋駅まで送ってもらい、
夕方の「ひのとり」で無事に帰阪した次第

ええ、今回も楽しく美味しい家族旅行でした どっとはらい



m98k at 22:18|PermalinkComments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

2024年08月16日

人類学者と言語学者が森に入って考えたこと

(期間限定のお知らせ)
2024.8/18(日) まで 京都市京セラ美術館で開催されている有道佐一回顧展の案内記事はこちらです

つーことで今、京都五山の送り火への点火を(大阪から中継で)眺めつつ・・・

P8097135

「人類学者と言語学者が森に入って考えたこと」のご紹介であります
まあ、せっかくの送り火なので精霊つながりつーことで・・・


著者つーか対談者の紹介

P8097136

ボルネオ島のプナンの人たちを研究する人類学者と、タイ・ラオスのムラブリの人たちを
研究する言語学者との対談を中心に両者の論考を加えた本であります

森を遊動していた狩猟採集民たちの研究者が、その生き方の共通点や相違点などから、
我々が現代をよりよく生きるための方法を探っていく、とイントロダクションにありました



奥付

P8097141




例によって目次のみ

P8097137



P8097138



P8097139

奥野克巳氏の著書については、こちらの記事や、こちらの記事でも一部紹介してますが、
伊藤雄馬氏の本はまだ読んだことがありません
本書で見る限り、その生き方をはじめ
言語表現に関する考察などについても興味津々で、
いつかは読んでみたいと思った次第です

なので今回はそちらを中心に、ごく一部をランダムにメモしました
以下、発言者名・論考者名などはメモしてませんし、例によって読み違いとか読み飛ばしも
多いので興味を持たれた方は本書のご熟読を・・・
(著作物からの部分メモなので公開設定に問題があれば非公開設定にします)

・ムラブリ語では完了形と未来形が同じ→過去も未来も曖昧
→ワールは「帰る(最中)」だがア・ワールは「もう帰った」か「これから帰る」なのか不明
→基本的に「今、ここ」か、それ以外で言い分ける→今とここで生きている
(プナン語(マレー語インドネシア語も)では「帰る」はムリー、それに明日か昨日をつけて
未来・過去にしてるが、プナンも過去・未来の時間軸は薄い)

・おそらく世界初のムラブリ語とプナン語による会話セッションを二人でやってみた(略)
→どちらにも挨拶語はなかった
→どちらにもお金という抽象概念はなかった
(プナン語ではリンギを使うがマレーシアの通貨単位で具体概念)
(ムラブリ語ではタイの
通貨単位バーツではなくサタンを使うがコインの意味で具体概念)

・ムラブリ語で誰かに自分の意見を言う時は必ず「私は怒ってないよ」を加える
→怒ることは何か悪いことを生むと考えているのではないか

・ムラブリのDNA研究から
→500~600年前に女性1男性2の焼畑民3人が森に入り狩猟採集民になったのがルーツと判明
→進化論的には逆流だが文化的再適応と呼んでいる
(プナンにも同様の仮説はあるが検証はない→思考法は他の
狩猟採集民に似ている)

・プナンは年中6時に夜が明け7時に日が暮れる世界で暮らしており時間の長短がない
→季節は「葉っぱ」で「花の季節」と「実の季節」があるが、それがいつ来るかはわからない
→なので
「葉っぱ」は「もし~ならば」という仮定法ifとしても使われる
(ムラブリには「雨の季節」と「日の照る季節」があるが仮定法ifはなくwhenで代用する)

・ボルネオ島には4万2千年前、アジア大陸には4万5千年前に現人類が到達したとされる
→東南アジア大陸部ではホアビン文化が紀元前1万年前頃からだが先史時代には諸説ある

・プナンが農耕以前に散らばった人類の末裔なのか農耕民から特化したのかは不明だが、
農耕民とは決定的に異なる「エートス」を持っている→森での歴史が長いからかも
(森のムラブリは
農耕民から特化したという説が有力)

・ムラブリには専門家がいない→依存関係・権利構造を無意識に避けているのではないか
→その延長として自分の生に関わる部分は分業をしない
→村の大きな家は分業で作るが自分の寝床やバッグは一人で作る
(今はムラブリの手作りバッグが土産として売れ、上手に作れる人の現金収入が増えてるので、
→やがて上手な人が他の村人にも教えるようになり分業にも移行するかも→商品化?)

・プナンにも専門分化の否定、教師と生徒の関係で学ぶことの否定がある
→料理も薪割も子育ても子どもの頃から見て覚えており男女誰でも上手にやる
(「子どもの文化人類学」原ひろ子著・ちくま学芸文庫2023)
→生徒が先生から習って習得するのは、わりと新しい近代的なやり方

・人から教わるのではなくモノから学ぶのはプナンもムラブリも同じ
→アリストテレスの「質料形相モデル」ではモノを作っていない
→モノからの応答によって「学ばされている」
(「応答、しつづけよ」ティム・インゴルド著・亜紀書房2023)
→資本主義が導入された近代以降はその感覚がないので分業や生産効率へ

(分業しないとか目の前のモノから学ぶとか、なんかイタリアと似てるような・・・)

・すり鉢状の世界の中で開口部に辿り着こうと努力し現実と認識のギャップに病む現代人
→その外側の世界に飛び出してみると、圧倒的な他者であるムラブリやプナンがいる

・今の自分は生きるために必要なこと全てを既存インフラに依存している
→食べ物、家、エネルギー、飲み水→全て買うしかない→これが一番大きなすり鉢
→すり鉢の外で一人で生きることはできるか
→ムラブリの感性と既存テクノロジーの組み合わせで結構いいところまで可能ではないか

・プロ奢ラレヤー君の二面性
→浄土系仏教では現世は濁世であり穢土→汚れた世界
→そこで生きていかざるを得ない感覚を逆手に取ったのが奢られ屋ではないか
→浄土系仏教では念仏によって、あの世(浄土)での安らかな生が保証される
→日蓮はそれを非難し、あくまで現世での浄土を目指した
→彼も仏国土を目指すのではなく濁世の中で救われようとしているように見える

・日蓮は念仏を非難したが法華経という本(モノ)に帰依する側に取り込まれた
→彼も奢られる生き方で資本主義は嫌だとしたが資本主義の親分になる可能性もある
→現世では救われないと決意しつつ現世に執着している二面性

・ぼくのムラブリ言語の研究はof→with→asへ(略)
・「ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと」伊藤雄馬著
(集英社インターナショナル2023)
→言語の「習得」は無意識でブロークン「学習」は意識的で正確だがブロークンには話せない

・多文化主義と多自然主義
(略)

・言語が異なれば認知が異なる→多自然主義と同じ→パースペクティブの世界
(アボリジニの言語には左右がなく全て方位で表す→方角を常に正確に認知している)

多自然主義やパースペクティブでは「相手の立場」にはなれない
→客観的事実に辿り着けず共通の基盤がなくなる→別々の世界→科学的議論ができない
(「相手の立場になって考える」のではなく、同じ立場asで考える???)

・科学者の自己と芸術家の自己を区別する
→感覚の言語化テスト→例としてこの本に触った感覚を言葉にしてみる
→9割が触っている対象を主語にしたサラサラ平らなどの三人称(
科学者の自己)で表現、
→1割が触っている自分を主語にした好き嫌いなどの一人称(
芸術家の自己)で表現する
→水道水が冷たい(手が温かい)のは相対的な感覚(手が冷えている場合は逆)だが、
→水が冷たいと表現するのは外側を対象にした
科学者の自己
→手が温かいと表現するのは内側の感覚に目を向けた芸術家の自己
→同時に存在していて、その都度個人が決めているのだが、
→科学者の自己として言語化することに慣れている人が多い(ので9割)

科学者の自己と芸術家の自己が感じている世界は矛盾している
→夢の言語化の例→真偽が重要か、自分の感覚への誠実さが重要か
→植物の色の表現の違いの例→それが緑か青か
→正しいか否かなど→
科学者の自己
→好きか嫌いかなど→芸術家の自己
→言語現象は同時存在している

科学者の自己と多文化主義、芸術家の自己と多自然主義
→矛盾する自己が同時存在してるのに今はその分離が激しくなっている
→科学一辺倒と現代アートの横暴など
→統合には身体の復権が必要→
of→with→asへ

・第二言語の習得はその言語の人たちの身体に近づこうとする身体改造
→パースペクティブの実践で感性がまるごと取り替えられる可能性もある
→精霊が見えるようになるとか・・・

・ムラブリ研究が
of→with→asになって得たことと失ったことは表裏一体
→やりたいこと優先になり約束を履行しなくなったこととか
(日本では迂闊な約束をしないことでややマイルドになったけど)
→お金や所有に対する違和感とか
(お金とは自分の代わりに他人に働いてもらう権利を生み出すメディア)
(車中泊で放浪していた頃、お腹が空けばポケットの所持金を確認して辺りのコンビニへ、
ムラブリは
お腹が空けば食べ物を辺りで探すか、食べ物を獲る道具を作る)

・ぼくはぼくなのでムラブリには「なれないけど、なれる」
→この矛盾した感性は
科学者の自己と芸術家の自己の反映→言語の可能性
→今の日本にいるぼく自身の生き方が「ムラブリとして生きる」ことの実践・・・

・我々の社会にはhaveとhave notの二軸の境界線が存在するが、これは恣意的なもの
→なので全てhaveはあり得ない
→ムラブリ語では「持つ」と「ある」は同じ動詞
→ぼくが文脈で判断していたのは、それをぼくが区別していたから
→誰が持っているかは問題にならない→「ある」から分け与える→太陽の恵みと同じ
プロ奢ラレヤーの「お金は生えてくるもの」という発言も同じ視座か
(プナンも同様で頼まれて買ってあげても「ありがとう」はない)
(ムラブリは頼むときに少し遠慮が感じられるが、やはり
「ありがとう」はない)
→逆にお金がなくて買えなくても悪びれずナチュラルなまま
(ムラブリと町に食事に行って、ぼくにお金がないことを伝えると「そうか」とゆー感じで、
アイスキャンデーを買ってくれて二人で食べて帰ったが、それだけだった)

・マルセル・モースの贈与論、マオリの贈与交換、モノの循環・・・
→資本の蓄積と投下による貧富格差を循環(持つ人からのマイルドなカツアゲ)で防いでいる

・1990年代ぐらいからの社会的な弱者のための配慮
→それで全ては解決せず他の問題が出てきた→結局以前より息苦しくなってしまった
→あらゆるものが吹き溜まりになり生きづらい→解決の枠組みすら見当たらない
→フィールド言語学や人類学で外側の世界を知り探れば脱出法があるかも・・・

・すり鉢の向こうに行くこと自体は解決にはならないし別のすり鉢にも苦しみはある
(今のままの自分に似合うすり鉢は見つかるかも知れないが・・・)
すり鉢の向こうに行って(太陽の恵みとか)支えているものがあることに気づくことが重要
→それを実感するために、すり鉢状の世界の外側に行く経験は大事

(エピローグより)
・「本当の豊かさはブッシュマンが知っている」NHK出版2019
→狩猟採集は人類で最も長く続いた生業で最も持続可能な経済手法だった
→8000~4000年前からの農耕牧畜で人類は生産者・支配者になり自然を収奪する道に
→プナンもムラブリも自然と調和して持続可能な暮らしを続けてきた

・ofの人類学からwithの人類学へ(略)

・もっと知恵を
→現代世界は知識の生産で成り立っている
(ある程度の通信機器の知識がなければ入国審査も検疫手続も切り抜けられない)
→知識社会に疑いを差し挟むのが知恵
→知恵とは経験に想像力が加わったもので、森の民には知恵が充ち満ちている
→知識に知恵を調和させることが人類学者の仕事とインゴルドは主張する

・ムラブリ「としてas」
→伊藤さんはwithを超えてasという概念を捻り出した
(ドキュメンタリー映画「森のムラブリ」)
→ムラブリを研究→ムラブリとともに研究→ムラブリとして研究へ

・「狩猟採集民的な何か」が現代人にいったい何をもたらすか
→「ムラブリ
として」の試みは壮大で眩しく輝いて見え、今後も見守っていきたい・・・



m98k at 20:00|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック