地下
2023年12月23日
東南アジアの洞窟遺跡
ええ、
東南アジアの洞窟遺跡であります
内表紙
佐世保市の福井洞窟ミュージアムと東南アジア考古学会が連携して表題の企画展を開催、
全国10会場を巡回展示中で、その図録ミュージアム・ブックレットであります
まあ美術展の作品図録や映画の作品パンフレットみたいなものですね
最新のを図書館で借りられるとは思いませんでしたが・・・
近畿の会場では橿原考古学研究所附属博物館で令和6年度の特別陳列となっていますが、
日程などはまだ未定のようで、都合がつけば行ってみたいと思ってます
奥付
例によって目次の紹介
ええ、目次を見ただけで興味津々・・・
以下、わたくしの脳の外部記憶としての読後メモです
第1章
1より
・人類は猿人・原人・旧人・新人の段階のうち原人段階と新人段階でアフリカを出た
→新人が東南アジアに到達した5万~4万年前は最終氷期で海面がはるかに低かったので、
→大陸とスマトラ島・ボルネオ島・ジャワ島・バリ島などは陸続きだった(スンダ・ランド)
→さらにウォーレシア海を渡り、当時は陸続きだったニューギニア島・オーストラリア大陸・
タスマニア島などに到達した(サフル・ランド)
・ウォーレシア海域フローレス島の洞窟ではフローレス原人の遺跡もある
(ジャワ原人とは別系統のホビットで脳サイズは350mlとチンパンジーや猿人サイズなのに、
石器技術は東南アジア島嶼部のサピエンスと同じか、それ以上の多様性を含んでいる→
脳の巨大化で技術が進化したという人類の進化論に大きな課題を提出している)
・その後の海面上昇で島嶼部となったジャワ島の洞窟では、スンダ・サフル系とともに
東アジア大陸系(モンゴロイド系)の人骨が出土している
→彼らはユーラシア大陸の東部から台湾・インドネシア・フィリピンへと海を渡ったか
2より
・ホアビニアン(ホアビン文化)はインドシナ半島最北部の洞窟に集中している
→43500年前~3700年前で洞窟周辺での栽培や初期農耕の可能性も議論されている
3より
・環境が温暖化したことで山村・農村・漁村が形成され、人類が定住するようになった
→洞窟は葬礼用や墓地として利用されるようになった
→さらにその後は洞窟利用の記憶が失われ、人類の生活から隔絶された
→その結果、洞窟空間は別世界と見做され、信仰や宗教の聖地・聖域となった
→ヒンズー教寺院や仏教寺院になり日本でも信仰の対象に・・・
つーことで第2章では目次のとおり、各地での人類の洞窟利用とその痕跡が紹介されてますが、
図版も多く、とても全てはメモできませんでしたので・・・
以前から興味のあったボルネオ島サラワク州ニア洞窟の項のみ一部メモ
(画像掲載に問題があれば削除します)
まずは位置関係・・・
MA-3がニア洞窟で、最終氷期には大陸と続いていたことが分かります
(画像掲載に問題があれば削除します)
ちなみに日本も台湾や朝鮮半島とは陸続きですが、奄美や沖縄は浅い海の中ですね
さらに宗谷海峡は陸続きだったけど、津軽海峡の最深部には流れがあったとか・・・
閑話休題
・ニア洞窟は海岸線から17km内陸に位置する巨大な石灰岩洞窟で複数の洞口を持つ
(4万年前の海岸線からは60kmほど内陸にあったと推測されている)
→1950年代から2000年代まで調査が続けられ各時代の古人骨や生活痕跡が出土している
・最初の調査で4万年前にはホモ・サピエンスが暮らしていたことが明らかになった
→その後パラワン島のタボン洞窟遺跡でも発見された
→更新世後期にはボルネオ島・パラワン島・マレー半島は陸続きスンダランドの一部で、
陸路により、これらの洞窟遺跡に辿り着いたと考えられる
・東南アジア圏で発見されたサピエンス人骨としては最古のものとして有名
→4万年前の層からはイモ類・サゴヤシ・パンノキ・ナッツ類も
→29000~27000年前の生活痕跡では大型哺乳類・貝類・炭化物・ナッツ類・石器類も
→5000~2500年前の遺体の多くは植物素材の敷物に包まれるか甕棺土器に収められた状態
→1200年前頃の舟の壁画も報告されている
つーことで、4万年前から少なくとも1200年前まで人類に利用されてきた洞窟なんですね
で、第3章「ホアビニアンの周縁と拡散」は丸ごと省略して・・・
第4章より
・ラオスのタムバリン洞窟では2023年6月、大陸部で最古となる86000~68000年前の
新人の人骨が発表された
・最終氷期にスンダ大陸を進みニア洞窟などに辿り着いた人類は、5万年前にサフル大陸
(オーストラリア大陸)に到達した
→この両大陸を隔てたウォーレス海域にあるスラウェシ島トポガロ洞窟では、42000年前の
新人の骨が発見された→ウォーレス線を越えて(海を渡って)いた
(画像掲載に問題があれば削除します)
・新人段階での人類の旅路において、最終氷期の厳しい環境に耐え、命を繋ぐために、
洞窟とそこでの暮らしは不可欠だった
→最終氷期の終わりになると温暖化が進み、洞窟での暮らしはより豊かになった(ホアビニアン)
→さらに温暖化が進むと人類は洞窟を出て、さらに豊かな生活の場を見い出した
→人類が去り隔絶されたことで、洞窟は精霊や神仏が宿る異界、聖なる場となった
・地球環境と人類の実生活と精神性の変遷こそが、人類にとっての洞窟の価値や利用形態に
大きな変化を促したといえる・・・
まあ、ライトマニアにとっての洞窟の価値や利用形態といえば、それはもう・・・
東南アジアの洞窟遺跡であります
内表紙
佐世保市の福井洞窟ミュージアムと東南アジア考古学会が連携して表題の企画展を開催、
全国10会場を巡回展示中で、その図録ミュージアム・ブックレットであります
まあ美術展の作品図録や映画の作品パンフレットみたいなものですね
最新のを図書館で借りられるとは思いませんでしたが・・・
近畿の会場では橿原考古学研究所附属博物館で令和6年度の特別陳列となっていますが、
日程などはまだ未定のようで、都合がつけば行ってみたいと思ってます
奥付
例によって目次の紹介
ええ、目次を見ただけで興味津々・・・
以下、わたくしの脳の外部記憶としての読後メモです
第1章
1より
・人類は猿人・原人・旧人・新人の段階のうち原人段階と新人段階でアフリカを出た
→新人が東南アジアに到達した5万~4万年前は最終氷期で海面がはるかに低かったので、
→大陸とスマトラ島・ボルネオ島・ジャワ島・バリ島などは陸続きだった(スンダ・ランド)
→さらにウォーレシア海を渡り、当時は陸続きだったニューギニア島・オーストラリア大陸・
タスマニア島などに到達した(サフル・ランド)
・ウォーレシア海域フローレス島の洞窟ではフローレス原人の遺跡もある
(ジャワ原人とは別系統のホビットで脳サイズは350mlとチンパンジーや猿人サイズなのに、
石器技術は東南アジア島嶼部のサピエンスと同じか、それ以上の多様性を含んでいる→
脳の巨大化で技術が進化したという人類の進化論に大きな課題を提出している)
・その後の海面上昇で島嶼部となったジャワ島の洞窟では、スンダ・サフル系とともに
東アジア大陸系(モンゴロイド系)の人骨が出土している
→彼らはユーラシア大陸の東部から台湾・インドネシア・フィリピンへと海を渡ったか
2より
・ホアビニアン(ホアビン文化)はインドシナ半島最北部の洞窟に集中している
→43500年前~3700年前で洞窟周辺での栽培や初期農耕の可能性も議論されている
3より
・環境が温暖化したことで山村・農村・漁村が形成され、人類が定住するようになった
→洞窟は葬礼用や墓地として利用されるようになった
→さらにその後は洞窟利用の記憶が失われ、人類の生活から隔絶された
→その結果、洞窟空間は別世界と見做され、信仰や宗教の聖地・聖域となった
→ヒンズー教寺院や仏教寺院になり日本でも信仰の対象に・・・
つーことで第2章では目次のとおり、各地での人類の洞窟利用とその痕跡が紹介されてますが、
図版も多く、とても全てはメモできませんでしたので・・・
以前から興味のあったボルネオ島サラワク州ニア洞窟の項のみ一部メモ
(画像掲載に問題があれば削除します)
まずは位置関係・・・
MA-3がニア洞窟で、最終氷期には大陸と続いていたことが分かります
(画像掲載に問題があれば削除します)
ちなみに日本も台湾や朝鮮半島とは陸続きですが、奄美や沖縄は浅い海の中ですね
さらに宗谷海峡は陸続きだったけど、津軽海峡の最深部には流れがあったとか・・・
閑話休題
・ニア洞窟は海岸線から17km内陸に位置する巨大な石灰岩洞窟で複数の洞口を持つ
(4万年前の海岸線からは60kmほど内陸にあったと推測されている)
→1950年代から2000年代まで調査が続けられ各時代の古人骨や生活痕跡が出土している
・最初の調査で4万年前にはホモ・サピエンスが暮らしていたことが明らかになった
→その後パラワン島のタボン洞窟遺跡でも発見された
→更新世後期にはボルネオ島・パラワン島・マレー半島は陸続きスンダランドの一部で、
陸路により、これらの洞窟遺跡に辿り着いたと考えられる
・東南アジア圏で発見されたサピエンス人骨としては最古のものとして有名
→4万年前の層からはイモ類・サゴヤシ・パンノキ・ナッツ類も
→29000~27000年前の生活痕跡では大型哺乳類・貝類・炭化物・ナッツ類・石器類も
→5000~2500年前の遺体の多くは植物素材の敷物に包まれるか甕棺土器に収められた状態
→1200年前頃の舟の壁画も報告されている
つーことで、4万年前から少なくとも1200年前まで人類に利用されてきた洞窟なんですね
で、第3章「ホアビニアンの周縁と拡散」は丸ごと省略して・・・
第4章より
・ラオスのタムバリン洞窟では2023年6月、大陸部で最古となる86000~68000年前の
新人の人骨が発表された
・最終氷期にスンダ大陸を進みニア洞窟などに辿り着いた人類は、5万年前にサフル大陸
(オーストラリア大陸)に到達した
→この両大陸を隔てたウォーレス海域にあるスラウェシ島トポガロ洞窟では、42000年前の
新人の骨が発見された→ウォーレス線を越えて(海を渡って)いた
(画像掲載に問題があれば削除します)
・新人段階での人類の旅路において、最終氷期の厳しい環境に耐え、命を繋ぐために、
洞窟とそこでの暮らしは不可欠だった
→最終氷期の終わりになると温暖化が進み、洞窟での暮らしはより豊かになった(ホアビニアン)
→さらに温暖化が進むと人類は洞窟を出て、さらに豊かな生活の場を見い出した
→人類が去り隔絶されたことで、洞窟は精霊や神仏が宿る異界、聖なる場となった
・地球環境と人類の実生活と精神性の変遷こそが、人類にとっての洞窟の価値や利用形態に
大きな変化を促したといえる・・・
まあ、ライトマニアにとっての洞窟の価値や利用形態といえば、それはもう・・・
2023年11月16日
フラッシュ光2023ボルネオ9フェアリーケイブ
前回記事からの続き・・・
ビダユ族のロングハウスに一泊ホームステイした御一行(一時的に4人)は・・・
セメンゴのワイルドライフセンターへ???
そう、オランウータンはじめ野生動物を保護して再び自然に帰そうとする施設で、
このセメンゴ自然保護区の最奥にあります
保護区は広大なので、ここからセンターまでの移動は電気バスで・・・???
って、さりげにH田さんが運転席にいますが・・・???
じつは顔の効くN嶋さんが受付にお願いして、トイレ休憩に立ち寄っただけなのですが、
せっかくなのでバスに乗ったことにして記念写真をば・・・わははは
ここのウータンくんに興味のある方は、こちらの過去記事をご覧くださいね
(ちなみにウータンくん、野生のドリアンなどが実る今の時期はエサやり場に現れることが
少ないとのことでしたが、上記過去記事の際は、ほぼ同時期だったけど現れてましたから、
結実時期は年によっても大きく変わるようですね)
閑話休題
セメンゴでトイレ休憩した御一行は本日の目的地である洞窟へ・・・
と、その前に・・・
大きなフードコートで待ちに待った昼食であります
わたくしとwingさんはチキンカレー
H田さんはお気に入りのサラワク・ラクサを注文したのですが・・・
Y原さんはN嶋さんオススメの・・・
客家擂茶なるものを注文
いわば漢方の「お茶漬け」で、健康ブームのサラワクで今話題になってるそうです
お茶だけ味見させてもらいましたが抹茶にスープと漢方薬を混ぜた感じで苦味は強烈でした
まあ、確かに健康にはよさそうでしたが・・・
他にもN嶋さんオススメの点心を次々とシェアしました
だから食べる前に撮ればよいものを・・・がつがつがつ
と、食後は(ムルのとは別の)ウィンドケイブへ・・・
まあ一周しても1時間弱、高低差もなさそうだし、ここならわたくしでも・・・
まずは元気なうちに記念撮影
以下さくさくっと
コウモリさん
蟲さん
いったん外へ出ます
???
有刺鉄線の外側にはアブラヤシ畑が広がっています こちら内側は自然保護区
別の洞口から再び洞窟へ・・・
さくさくっと・・・
外へ出て最初の洞口に戻ってきました
せっかくなので記念写真
ええ、皆さん明るいライトをお持ちでした わたくしだけ電球色ですが・・・
で、降ったり止んだりの軽いスコールが続く中、次のフェアリーケイブへ
「あのタワーを上がって洞内に入ります」
「おおっ、エレベーターなら高低差も楽チンですね」
「階段です しかも洞内の高低差はこの比ではありません きっぱりと」
「うぐぐぐ」
と、仕方なく・・・
階段をひいひいと・・・
ようやく最上階まで上がったけど展望台まで行く気力は残ってませんでした
洞口であります
左に案内板がありました
ええ、わたくしムルの洞窟と同様あちこちでショートカットするハメに・・・
以下同様にさくさくっと・・・
って、確かに洞内の階段のほうがきついな・・・ひいひい
トワイライト・トレイルだけあって光が差し込んでますが、上りが続きます
この上で道は枝分かれしていて・・・
皆さんはフェアリーゲートまで行かれましたがわたくしはショートカット
せっかくライト照射してくれてるので記念写真を撮りました
明るい皆さんです
さらに上りは続いて・・・ふうふう
こちらがフェアリーガーデン・・・
って、どこがフェアリーなんだか・・・
わたくしはダーク・トレイルをしばらく進んでとうとう限界となり、
引き返す途中でフェアリーゲートを廻ってきた皆さんと出会いましたが、
皆さんはダーク・トレイルをさらに奥まで進んで行きました
で、フェアリーガーデンでまったり撮影してたのですが・・・
どーゆーわけかwingさんだけが写ってますね・・・
「いやあ、途中で限界を感じて引き返してきました あははは」
「まあ、わたくしより奥まで行ったんだから良しとしましょう あははは」
と、二人でまったり撮影してたら、やがて残りの皆さんも戻ってきて合流し、
上りとは別ルートのさらに急な階段(つーか、ほぼ垂直の梯子)を延々と下りて、
ようやく洞口まで辿り着きました
ま、せっかくなので洞口にあった顔出しパネルで・・・
記念写真をとってもらいました(ちなみに3人が入ってる部分はタワーから張り出してて、
薄い板を張っただけの床の隙間から地上が見えてました ぶるぶる)
さらにタワーの階段を下りると、わたくしは完全にへろへろになり、有料トイレの洗面台で、
汗でぐしょ濡れになったシャツとタオルを水洗いして絞り、駐車場前にあった売店のビールで、
ようやく少しだけ落ち着いた次第
ええ、今回ツアーでは最後の洞窟トレッキングとなったフェアリーケイブでしたが、
今のわたくしには、けっこうハードでした・・・
と、ハードな後にはご褒美、週末だけ開催されるシニアワンの屋台街を目指します
(次号最終回に続きます)
ビダユ族のロングハウスに一泊ホームステイした御一行(一時的に4人)は・・・
セメンゴのワイルドライフセンターへ???
そう、オランウータンはじめ野生動物を保護して再び自然に帰そうとする施設で、
このセメンゴ自然保護区の最奥にあります
保護区は広大なので、ここからセンターまでの移動は電気バスで・・・???
って、さりげにH田さんが運転席にいますが・・・???
じつは顔の効くN嶋さんが受付にお願いして、トイレ休憩に立ち寄っただけなのですが、
せっかくなのでバスに乗ったことにして記念写真をば・・・わははは
ここのウータンくんに興味のある方は、こちらの過去記事をご覧くださいね
(ちなみにウータンくん、野生のドリアンなどが実る今の時期はエサやり場に現れることが
少ないとのことでしたが、上記過去記事の際は、ほぼ同時期だったけど現れてましたから、
結実時期は年によっても大きく変わるようですね)
閑話休題
セメンゴでトイレ休憩した御一行は本日の目的地である洞窟へ・・・
と、その前に・・・
大きなフードコートで待ちに待った昼食であります
わたくしとwingさんはチキンカレー
H田さんはお気に入りのサラワク・ラクサを注文したのですが・・・
Y原さんはN嶋さんオススメの・・・
客家擂茶なるものを注文
いわば漢方の「お茶漬け」で、健康ブームのサラワクで今話題になってるそうです
お茶だけ味見させてもらいましたが抹茶にスープと漢方薬を混ぜた感じで苦味は強烈でした
まあ、確かに健康にはよさそうでしたが・・・
他にもN嶋さんオススメの点心を次々とシェアしました
だから食べる前に撮ればよいものを・・・がつがつがつ
と、食後は(ムルのとは別の)ウィンドケイブへ・・・
まあ一周しても1時間弱、高低差もなさそうだし、ここならわたくしでも・・・
まずは元気なうちに記念撮影
以下さくさくっと
コウモリさん
蟲さん
いったん外へ出ます
???
有刺鉄線の外側にはアブラヤシ畑が広がっています こちら内側は自然保護区
別の洞口から再び洞窟へ・・・
さくさくっと・・・
外へ出て最初の洞口に戻ってきました
せっかくなので記念写真
ええ、皆さん明るいライトをお持ちでした わたくしだけ電球色ですが・・・
で、降ったり止んだりの軽いスコールが続く中、次のフェアリーケイブへ
「あのタワーを上がって洞内に入ります」
「おおっ、エレベーターなら高低差も楽チンですね」
「階段です しかも洞内の高低差はこの比ではありません きっぱりと」
「うぐぐぐ」
と、仕方なく・・・
階段をひいひいと・・・
ようやく最上階まで上がったけど展望台まで行く気力は残ってませんでした
洞口であります
左に案内板がありました
ええ、わたくしムルの洞窟と同様あちこちでショートカットするハメに・・・
以下同様にさくさくっと・・・
って、確かに洞内の階段のほうがきついな・・・ひいひい
トワイライト・トレイルだけあって光が差し込んでますが、上りが続きます
この上で道は枝分かれしていて・・・
皆さんはフェアリーゲートまで行かれましたがわたくしはショートカット
せっかくライト照射してくれてるので記念写真を撮りました
明るい皆さんです
さらに上りは続いて・・・ふうふう
こちらがフェアリーガーデン・・・
って、どこがフェアリーなんだか・・・
わたくしはダーク・トレイルをしばらく進んでとうとう限界となり、
引き返す途中でフェアリーゲートを廻ってきた皆さんと出会いましたが、
皆さんはダーク・トレイルをさらに奥まで進んで行きました
で、フェアリーガーデンでまったり撮影してたのですが・・・
どーゆーわけかwingさんだけが写ってますね・・・
「いやあ、途中で限界を感じて引き返してきました あははは」
「まあ、わたくしより奥まで行ったんだから良しとしましょう あははは」
と、二人でまったり撮影してたら、やがて残りの皆さんも戻ってきて合流し、
上りとは別ルートのさらに急な階段(つーか、ほぼ垂直の梯子)を延々と下りて、
ようやく洞口まで辿り着きました
ま、せっかくなので洞口にあった顔出しパネルで・・・
記念写真をとってもらいました(ちなみに3人が入ってる部分はタワーから張り出してて、
薄い板を張っただけの床の隙間から地上が見えてました ぶるぶる)
さらにタワーの階段を下りると、わたくしは完全にへろへろになり、有料トイレの洗面台で、
汗でぐしょ濡れになったシャツとタオルを水洗いして絞り、駐車場前にあった売店のビールで、
ようやく少しだけ落ち着いた次第
ええ、今回ツアーでは最後の洞窟トレッキングとなったフェアリーケイブでしたが、
今のわたくしには、けっこうハードでした・・・
と、ハードな後にはご褒美、週末だけ開催されるシニアワンの屋台街を目指します
(次号最終回に続きます)
2023年11月11日
フラッシュ光2023ボルネオ4ムル2
前回記事からの続き・・・
前日の夕方から降り続いたスコールも夜半には止んでたようで・・・
公園事務所のレストランでまったりと朝食
わたくしはトーストと茹で卵とチキンソーセージのセットにしましたが、右にあるのは
ナシ・レマのセットでココナッツミルクで炊いたご飯がメイン・・・
ちなみにコーヒーとオートミール風のお粥はおかわり自由でした ばくばくごくごく
朝食後は公園事務所の直下からボートでメリナウ川を遡上します
この吊り橋がムル国立公園の入口で、左がムル空港とマリオットリゾートへ至る道路、
右が公園事務所などがあるエリアになってます
他に道は殆どなくプナン族の定住村が僅かに点在するだけで、まさに手つかずの熱帯雨林・・・
前回とは異なるプナン族の定住村が見えてきました
プナンはもともとジャングルを移動して暮らす民族でしたが、ムルではイギリスの洞窟探検隊の
ポーター雇用をきっかけに一部が定住するようになったとか・・・
つーことで・・・
上陸しました
左が政府の支援で建てられた新しいロングハウスで、
右が・・・
プナン族の民芸品を売る売店であります
ここのブローパイプ(吹き矢)体験は無料でした ぷっ
6年前の記事にも書きましたが、エコツーリズムで僅かでも現地での暮らしに貢献することも
自然環境を守るためには必要なことだと、わたくしは思っています
で、民芸品の(お安い)お土産を少しばかり、美少女たちから買い求め・・・
(Y原さん提供画像)
さらに遡上します
こちらはクリアウォーターケイブにつながる洞口ですが洞内のルートはけっこうハードで、
本格的なケービング装備が必要だそうです ぶるぶる
御一行は安全な船着き場に上陸、安全な木道でウィンドケイブを目指します
ランの原種?
ツノゼミさん?
安全とはいいつつ延々と上りが続きます ひいひい
ようやくウィンドケイブへ・・・ふうふう
以下、洞内をさくさくっと・・・
わははは、こちらのほうが明るいぞ!!!
さらに降りていきます
陽光が僅かに差し込んでますが・・・
ライト照射しました かなり深い切れ込みですね
上は崩落跡でしょうか・・・
さらに降りていきます ひいひい
こちらの分岐点から先は・・・
左下の木道から最深部を巡って右上の木道から降りてくるルートなんですがアップダウンが
激しいので、わたくしはここから引き返すことにしました
反対側には谷底に続く道があり、途中から岩場を下ることになるようですが・・・
入口は閉鎖されてて・・・
ここから先は自己責任、何があっても公園管理者は知らないよと・・・
通常ルートでも今回はショートカットしてるのに自己責任ルートなんて行くはずもなく、
ひいひいと下ってきた階段を上って外に出ました
来た道を船着き場まで戻り・・・
そのすぐ上にある・・・
トイレもある休憩所で・・・
ボートで運んできてくれてた温かいコーヒー紅茶とクッキーで一息
その後、皆さんは・・・
ここからクリアウォーターケイブに出発であります
200段以上ある急階段を上って洞口へ、洞内ではそれ以上の階段を下って洞窟の最深部へ、
わたくし、それを往復する自信はなかったので、ここで待機することにしました
そう、ここで・・・
すぐ下のクリアウォーターケイブから流れ出るクリアウォーターで泳ごうと・・・
と、思ってたら階段を降りてきた若者4人が・・・
目の前で水着に着替えて、ばしゃばしゃと・・・
彼らが去るのを待ち、泳ぐタイミングを見計らってると・・・
今度は高齢者の集団がやってきて泳いでました・・・
ガイドしてたパークレンジャーと話してたら、リトアニアからの11人のグループだそうで、
ひょっとして昨日の便に乗り遅れた人たちだったのかも・・・
皆さん殆どタオルも使わず着替えてたので目のやり場に困りましたが、彼らが去ってしまうと
辺りは熱帯雨林特有の「音のある静寂」に包まれ、靴を脱いで乾かしたり・・・
って、靴にもチョウチョさんがとまってました
そりゃあ汗まみれでミネラル分たっぷりですからね・・・
ベンチで横になり「音のある静寂」を味わったりしてると・・・
洞内を巡ってた皆さんが戻られ・・・
やはりボートで運んできてくれてたお弁当で、待ちに待った昼食であります
まあ、約1名は・・・
アカエリトリバネアゲハとやらを追いかけてましたが・・・
わたくしがまったりしている間も飛び回ってましたが、飛んでるチョウチョさんを
撮るのは至難のワザですね、大きくてきれいなチョウチョさんなんですが・・・
と、昼食後に元気な人はトレッキングで、元気のない98kさんなどはボートで戻る予定、
だったのですが、早めに戻って昨日見れなかった昇竜に再チャレンジすることになり・・・
全員がボートで戻りました
で、わたくしを除く皆さんは、
元気にディアケイブ前の昇竜観察所に向けて出発・・・
わたくしはのんびりと周辺を散策したり・・・
きれいなセミさんとか・・・
どうせ最終日にも行かないであろう・・・
キャノピーウォーク(のパネル)を撮ったりしてたのですが・・・
やがて雷鳴とともに、この日も雨が降り出してきて、仕方なく・・・
エアコンの効いた部屋で、まったりとウィスキーの水割りをば・・・
氷はありませんでしたが、かぱかぱ3杯目を注いでるとドアがノックされ、
「戻りましたよ、夕食ですよ!!!」とN嶋さんに呼ばれてレストランへ
わたくしがいないと歩行速度が随分速くなるのね・・・
この日もそれなりのスコールでしたが、皆さんは・・・
濡れながらも元気そのもの、この日も昇竜は見れなかったとのことでしたが、
熱帯雨林のナイトトレッキングを充分に楽しまれたようです
昨日より夕食時間が早かったこともあり・・・
レストランは、ほぼ満席状態でした
で、慌ただしくナシ・ゴレンだけ食べた昨夜とは打って変わって・・・
まったりと夕食宴会に突入
夕方から部屋で水割りを飲んでただけのわたくしは元気そのもので・・・
最後の完食完飲画像まで撮れました
夕食後、皆さんはシャワーを浴びて着替え、周辺の夜間撮影とかに行かれた方もおられた
ようですが、呑兵衛はもちろん・・・
部屋で大宴会!!!
この夜は日本好きの公園事務所長が日本酒を持って参加するかもとのことでしたが、
結局は都合がつかなかったようでした
ムル最後の夜だし(わたくしも歩いてないので元気だし)部屋飲み宴会は延々と・・・
(次号に続きます)
前日の夕方から降り続いたスコールも夜半には止んでたようで・・・
公園事務所のレストランでまったりと朝食
わたくしはトーストと茹で卵とチキンソーセージのセットにしましたが、右にあるのは
ナシ・レマのセットでココナッツミルクで炊いたご飯がメイン・・・
ちなみにコーヒーとオートミール風のお粥はおかわり自由でした ばくばくごくごく
朝食後は公園事務所の直下からボートでメリナウ川を遡上します
この吊り橋がムル国立公園の入口で、左がムル空港とマリオットリゾートへ至る道路、
右が公園事務所などがあるエリアになってます
他に道は殆どなくプナン族の定住村が僅かに点在するだけで、まさに手つかずの熱帯雨林・・・
前回とは異なるプナン族の定住村が見えてきました
プナンはもともとジャングルを移動して暮らす民族でしたが、ムルではイギリスの洞窟探検隊の
ポーター雇用をきっかけに一部が定住するようになったとか・・・
つーことで・・・
上陸しました
左が政府の支援で建てられた新しいロングハウスで、
右が・・・
プナン族の民芸品を売る売店であります
ここのブローパイプ(吹き矢)体験は無料でした ぷっ
6年前の記事にも書きましたが、エコツーリズムで僅かでも現地での暮らしに貢献することも
自然環境を守るためには必要なことだと、わたくしは思っています
で、民芸品の(お安い)お土産を少しばかり、美少女たちから買い求め・・・
(Y原さん提供画像)
さらに遡上します
こちらはクリアウォーターケイブにつながる洞口ですが洞内のルートはけっこうハードで、
本格的なケービング装備が必要だそうです ぶるぶる
御一行は安全な船着き場に上陸、安全な木道でウィンドケイブを目指します
ランの原種?
ツノゼミさん?
安全とはいいつつ延々と上りが続きます ひいひい
ようやくウィンドケイブへ・・・ふうふう
以下、洞内をさくさくっと・・・
わははは、こちらのほうが明るいぞ!!!
さらに降りていきます
陽光が僅かに差し込んでますが・・・
ライト照射しました かなり深い切れ込みですね
上は崩落跡でしょうか・・・
さらに降りていきます ひいひい
こちらの分岐点から先は・・・
左下の木道から最深部を巡って右上の木道から降りてくるルートなんですがアップダウンが
激しいので、わたくしはここから引き返すことにしました
反対側には谷底に続く道があり、途中から岩場を下ることになるようですが・・・
入口は閉鎖されてて・・・
ここから先は自己責任、何があっても公園管理者は知らないよと・・・
通常ルートでも今回はショートカットしてるのに自己責任ルートなんて行くはずもなく、
ひいひいと下ってきた階段を上って外に出ました
来た道を船着き場まで戻り・・・
そのすぐ上にある・・・
トイレもある休憩所で・・・
ボートで運んできてくれてた温かいコーヒー紅茶とクッキーで一息
その後、皆さんは・・・
ここからクリアウォーターケイブに出発であります
200段以上ある急階段を上って洞口へ、洞内ではそれ以上の階段を下って洞窟の最深部へ、
わたくし、それを往復する自信はなかったので、ここで待機することにしました
そう、ここで・・・
すぐ下のクリアウォーターケイブから流れ出るクリアウォーターで泳ごうと・・・
と、思ってたら階段を降りてきた若者4人が・・・
目の前で水着に着替えて、ばしゃばしゃと・・・
彼らが去るのを待ち、泳ぐタイミングを見計らってると・・・
今度は高齢者の集団がやってきて泳いでました・・・
ガイドしてたパークレンジャーと話してたら、リトアニアからの11人のグループだそうで、
ひょっとして昨日の便に乗り遅れた人たちだったのかも・・・
皆さん殆どタオルも使わず着替えてたので目のやり場に困りましたが、彼らが去ってしまうと
辺りは熱帯雨林特有の「音のある静寂」に包まれ、靴を脱いで乾かしたり・・・
って、靴にもチョウチョさんがとまってました
そりゃあ汗まみれでミネラル分たっぷりですからね・・・
ベンチで横になり「音のある静寂」を味わったりしてると・・・
洞内を巡ってた皆さんが戻られ・・・
やはりボートで運んできてくれてたお弁当で、待ちに待った昼食であります
まあ、約1名は・・・
アカエリトリバネアゲハとやらを追いかけてましたが・・・
わたくしがまったりしている間も飛び回ってましたが、飛んでるチョウチョさんを
撮るのは至難のワザですね、大きくてきれいなチョウチョさんなんですが・・・
と、昼食後に元気な人はトレッキングで、元気のない98kさんなどはボートで戻る予定、
だったのですが、早めに戻って昨日見れなかった昇竜に再チャレンジすることになり・・・
全員がボートで戻りました
で、わたくしを除く皆さんは、
元気にディアケイブ前の昇竜観察所に向けて出発・・・
わたくしはのんびりと周辺を散策したり・・・
きれいなセミさんとか・・・
どうせ最終日にも行かないであろう・・・
キャノピーウォーク(のパネル)を撮ったりしてたのですが・・・
やがて雷鳴とともに、この日も雨が降り出してきて、仕方なく・・・
エアコンの効いた部屋で、まったりとウィスキーの水割りをば・・・
氷はありませんでしたが、かぱかぱ3杯目を注いでるとドアがノックされ、
「戻りましたよ、夕食ですよ!!!」とN嶋さんに呼ばれてレストランへ
わたくしがいないと歩行速度が随分速くなるのね・・・
この日もそれなりのスコールでしたが、皆さんは・・・
濡れながらも元気そのもの、この日も昇竜は見れなかったとのことでしたが、
熱帯雨林のナイトトレッキングを充分に楽しまれたようです
昨日より夕食時間が早かったこともあり・・・
レストランは、ほぼ満席状態でした
で、慌ただしくナシ・ゴレンだけ食べた昨夜とは打って変わって・・・
まったりと夕食宴会に突入
夕方から部屋で水割りを飲んでただけのわたくしは元気そのもので・・・
最後の完食完飲画像まで撮れました
夕食後、皆さんはシャワーを浴びて着替え、周辺の夜間撮影とかに行かれた方もおられた
ようですが、呑兵衛はもちろん・・・
部屋で大宴会!!!
この夜は日本好きの公園事務所長が日本酒を持って参加するかもとのことでしたが、
結局は都合がつかなかったようでした
ムル最後の夜だし(わたくしも歩いてないので元気だし)部屋飲み宴会は延々と・・・
(次号に続きます)
2023年11月10日
フラッシュ光2023ボルネオ3ムル1
前回記事からの続き・・・
ボルネオ二日目にクチンからグヌンムル国立公園に移動した御一行、女性2人は公園内ロッジへ、
N嶋さんを含む男性5人は公園内ロングハウスの2室に分かれて荷物を解き・・・
まずは公園内レストランで、待ちに待った昼食であります
機内でチキンカレーを食べたばかりだし昼食は軽く麺類だけに・・・
ミーゴレン(焼きそば)とか・・・
コロミー(油そば)とか・・・
わたくしはムル・ラクサ(汁そば)にしましたが、具沢山でこちらもなかなかのものでした
ま、午後からはトレッキングつーことでビールは控えて・・・
おいしいマンゴージュースで・・・
ちなみに・・・
腕に巻いてもらってるのが公園事務所のタグでチョウチョさんがとまってますね
我々は3日間有効のタグで午前零時を過ぎると自動的に発火消滅・・・はせず自分で外しました
で、今回はじめての二人がおられたので、昼食後は公園のビジターセンターへ
興味深い展示がいっぱいでしたが・・・
とりあえずジオラマの一部から今回のコースを案内
(画像をクリックすると拡大します)
中央の赤い四角が現在いる公園事務所で、その左の棒がムル空港の滑走路、
下にある赤い丸が前回宿泊した(高級な)マリオットリゾートです
で、
本日はトレッキングで9ディアケイブと10ラングケイブを巡り、夕方にディアケイブから現れる
(かも知れない)昇竜(数百万匹のコウモリが一斉に渦を巻いて天に昇る様子)を堪能して???
ナイトトレッキングで宿所のある公園事務所まで戻ってくる予定
明日はメリナウ川をボートで遡上し前回とは異なるプナン族の村に立ち寄り、さらにボートで
遡上して3ウィンドケイブと4クリアウォーターケイブを巡り、体力のある人はボートではなく
川沿いのトレッキングコースを歩いて公園事務所まで戻ってくる予定
最終日は周辺を散策、希望者のみ11キャノピースカイウォーク(樹上に張り巡らされた吊り橋から
熱帯雨林の立体的な生態系を観察するものでムルのはボルネオ最長の480m)を堪能して、
午後にはクチンへ戻る予定・・・
なんですが、はてさてわたくし、どこまでついていけるのか・・・びくびく
とりあえず、有名なアピ山ピナクル(のパネル前)で・・・
いかにも「ピナクルを制覇しました!!!」とゆーヤラセ画像をば(N嶋さん演出撮影)
ひとくちにグヌン・ムル国立公園の熱帯雨林といっても・・・
高度や地形により様々なタイプに分かれてて生態系も多様なようですね
せっかくなのでムルで最も多く見られる動植物のパネルも紹介・・・
ええ、どうせ自分ではロクな画像は撮れないだろうし・・・
蟲さんつーか無脊椎動物さんたち
こたまさんの大好きな植物さんたち
たまさんの大好きなカエルさんたち
爬虫類さんたち
N家さんの大好きなトリさんたち(今回は来れなくて残念でした)
哺乳類さんたち ま、今は98kさんたちもいますが・・・
とか遊びながらビジターセンターを出て、ディアケイブ・ラングケイブへのトレッキング!!!
わたくしカメラを構えて撮影する余裕など全くなかったので、歩行中のスナップのみですが、
以下、さくさくっと何枚か・・・
平坦な木道が整備されてて歩きやすいのですが何せ高温多湿、洞窟前までの片道3.4km
だけでも、骨折リハビリ中のわたくしにはきつかったです ひいひい
かなりの巨木ですね
この分岐点からムル山頂(2376m)まで片道24km、今から軽く往復してきます!!!
って、わたくしパンツまで汗でびちゃびちゃですね(決しておもらしではありません)
こちらはディアケイブの古い入口だそうです
と、ようやくディアケイブ前の「昇竜観察広場」までやってきました ひいひい
中央左に巨大な洞口が少しだけ見えてますが、そこから天に昇る竜が・・・今回も見られるか?
で、昇竜が見られるのは日没前後なので、先にラングケイブとディアケイブを巡ります
まずはラングケイブをさくさくっと・・・
こちらは洞内照明による撮影・・・
こちらはMecArmy PT60のハイモードによる撮影で、完全に白トビしてますね わははは
皆さんはさらに奥まで進みましたが、すでにへろへろで左脚も不安なわたくしは無理せず、
途中から引き返して・・・
洞口でまったりしてました ええ、来たのは2回目だし・・・
で、皆さんと合流してムル最大の洞窟、世界でも有数のディアケイブへ・・・
6年前にはこんな案内板や郵便ポストはなかったなあ・・・
って、ここに投函された郵便物は、いつ誰が集めに来るんだろ???
ディアケイブも途中で引き返したので、詳しくは6年前の記事をご覧いただくとして、
今回はMecArmy PT60の威力を数枚だけ・・・
洞口付近であります
右の人物との比較で、洞窟の大きさが想像いただけるかと・・・
ライトオフ
ライトオン
ちなみに・・・
中央に黒く見えるのはコウモリさんのフンが長期間堆積して化石化したグアノで、
厚さは8m以上あるそうです
とか遊んでたのですが、ディアケイブとラングケイブの分岐点で、洞内を一周してきた皆さんと
合流する頃には、雷鳴と稲妻が激しくなり急な雨が降り出しました
これでは昇竜も期待できず撮影どころではありません
(昇竜の画像は6年前のこちらの記事でご覧くださいね)
と、慌ててカメラ類やパスポート財布などを二重にしたレジ袋に再度しまい込み、屋根のある
「昇竜観察所」まで傘をさして移動、しばらく雨宿りをすることにしました
(H田さん提供画像)
熱帯雨林のスコールだから、すぐに止むだろうと思ってたのですが、ちょうど乾季から
雨季に入ったところで、雷雨はますますひどくなるばかり・・・
わたくし、こんなに長いスコールは、ボルネオはじめての経験でした
で、帰りが遅くなると公園レストランが閉まってしまい夕食にありつけなくなるので、
(H田さん提供画像)
すでに汗でずぶ濡れ、眼鏡も曇って使えず、完全にへろへろになってたわたくしも・・・
仕方なく簡易ポンチョを着て(後ろはwingさんに被せてもらい)、宿所やレストランのある
公園事務所までの3.4kmを豪雨の中、急いで戻ることになりました ひいひい
ちなみに今回ツアー用にH田さん(TG-5を持ってるwingさんも)が発売と同時に購入された
TG-7とゆー新機種は15m防水カメラ、こんなシーンの撮影にもぴったりですね
とか感心してる場合ではなく歩き出したのですが左脚は限界、右足の踵まで痛みだしてきて、
結局はN嶋さんとwingさんに見守ってもらいながら、皆さんより遅れて何とか生還した次第
後ろを歩いてくれてたN嶋さんによると、わたくしの簡易ポンチョの隙間から水蒸気がもくもくと
湧き上がって、それはそれは鬼気迫るものがあったそうです
で、レストランの閉店時間までに何とか席に着くことができて・・・
とりあえずはマンゴージュースとスーパードライで無事生還を祝し乾杯!!!
ちなみにこちらのスーパードライは320mlなんですね
ともかく早くできるよう全員がナシ・ゴレン(焼き飯)を注文して、食べ終える頃には、
わたくしも少しだけ落ち着いてきました ばくばく
その後エアコンの効いた部屋に戻って熱いシャワーを浴びて着替えたら、さらに落ち着き、
結局は各自が持参したウィスキーや焼酎やつまみでの宴会になったのですが、さすがに
わたくしだけ早めに倒れてしまったようで、この夜も記憶と画像がまったくありません
明日もウィンドケイブやクリアウォーターケイブへのトレッキングだとゆーのに・・・
98kさんは大丈夫なのかっ???
(と、次号に続きます)
ボルネオ二日目にクチンからグヌンムル国立公園に移動した御一行、女性2人は公園内ロッジへ、
N嶋さんを含む男性5人は公園内ロングハウスの2室に分かれて荷物を解き・・・
まずは公園内レストランで、待ちに待った昼食であります
機内でチキンカレーを食べたばかりだし昼食は軽く麺類だけに・・・
ミーゴレン(焼きそば)とか・・・
コロミー(油そば)とか・・・
わたくしはムル・ラクサ(汁そば)にしましたが、具沢山でこちらもなかなかのものでした
ま、午後からはトレッキングつーことでビールは控えて・・・
おいしいマンゴージュースで・・・
ちなみに・・・
腕に巻いてもらってるのが公園事務所のタグでチョウチョさんがとまってますね
我々は3日間有効のタグで午前零時を過ぎると自動的に発火消滅・・・はせず自分で外しました
で、今回はじめての二人がおられたので、昼食後は公園のビジターセンターへ
興味深い展示がいっぱいでしたが・・・
とりあえずジオラマの一部から今回のコースを案内
(画像をクリックすると拡大します)
中央の赤い四角が現在いる公園事務所で、その左の棒がムル空港の滑走路、
下にある赤い丸が前回宿泊した(高級な)マリオットリゾートです
で、
本日はトレッキングで9ディアケイブと10ラングケイブを巡り、夕方にディアケイブから現れる
(かも知れない)昇竜(数百万匹のコウモリが一斉に渦を巻いて天に昇る様子)を堪能して???
ナイトトレッキングで宿所のある公園事務所まで戻ってくる予定
明日はメリナウ川をボートで遡上し前回とは異なるプナン族の村に立ち寄り、さらにボートで
遡上して3ウィンドケイブと4クリアウォーターケイブを巡り、体力のある人はボートではなく
川沿いのトレッキングコースを歩いて公園事務所まで戻ってくる予定
最終日は周辺を散策、希望者のみ11キャノピースカイウォーク(樹上に張り巡らされた吊り橋から
熱帯雨林の立体的な生態系を観察するものでムルのはボルネオ最長の480m)を堪能して、
午後にはクチンへ戻る予定・・・
なんですが、はてさてわたくし、どこまでついていけるのか・・・びくびく
とりあえず、有名なアピ山ピナクル(のパネル前)で・・・
いかにも「ピナクルを制覇しました!!!」とゆーヤラセ画像をば(N嶋さん演出撮影)
ひとくちにグヌン・ムル国立公園の熱帯雨林といっても・・・
高度や地形により様々なタイプに分かれてて生態系も多様なようですね
せっかくなのでムルで最も多く見られる動植物のパネルも紹介・・・
ええ、どうせ自分ではロクな画像は撮れないだろうし・・・
蟲さんつーか無脊椎動物さんたち
こたまさんの大好きな植物さんたち
たまさんの大好きなカエルさんたち
爬虫類さんたち
N家さんの大好きなトリさんたち(今回は来れなくて残念でした)
哺乳類さんたち ま、今は98kさんたちもいますが・・・
とか遊びながらビジターセンターを出て、ディアケイブ・ラングケイブへのトレッキング!!!
わたくしカメラを構えて撮影する余裕など全くなかったので、歩行中のスナップのみですが、
以下、さくさくっと何枚か・・・
平坦な木道が整備されてて歩きやすいのですが何せ高温多湿、洞窟前までの片道3.4km
だけでも、骨折リハビリ中のわたくしにはきつかったです ひいひい
かなりの巨木ですね
この分岐点からムル山頂(2376m)まで片道24km、今から軽く往復してきます!!!
って、わたくしパンツまで汗でびちゃびちゃですね(決しておもらしではありません)
こちらはディアケイブの古い入口だそうです
と、ようやくディアケイブ前の「昇竜観察広場」までやってきました ひいひい
中央左に巨大な洞口が少しだけ見えてますが、そこから天に昇る竜が・・・今回も見られるか?
で、昇竜が見られるのは日没前後なので、先にラングケイブとディアケイブを巡ります
まずはラングケイブをさくさくっと・・・
こちらは洞内照明による撮影・・・
こちらはMecArmy PT60のハイモードによる撮影で、完全に白トビしてますね わははは
皆さんはさらに奥まで進みましたが、すでにへろへろで左脚も不安なわたくしは無理せず、
途中から引き返して・・・
洞口でまったりしてました ええ、来たのは2回目だし・・・
で、皆さんと合流してムル最大の洞窟、世界でも有数のディアケイブへ・・・
6年前にはこんな案内板や郵便ポストはなかったなあ・・・
って、ここに投函された郵便物は、いつ誰が集めに来るんだろ???
ディアケイブも途中で引き返したので、詳しくは6年前の記事をご覧いただくとして、
今回はMecArmy PT60の威力を数枚だけ・・・
洞口付近であります
右の人物との比較で、洞窟の大きさが想像いただけるかと・・・
ライトオフ
ライトオン
ちなみに・・・
中央に黒く見えるのはコウモリさんのフンが長期間堆積して化石化したグアノで、
厚さは8m以上あるそうです
とか遊んでたのですが、ディアケイブとラングケイブの分岐点で、洞内を一周してきた皆さんと
合流する頃には、雷鳴と稲妻が激しくなり急な雨が降り出しました
これでは昇竜も期待できず撮影どころではありません
(昇竜の画像は6年前のこちらの記事でご覧くださいね)
と、慌ててカメラ類やパスポート財布などを二重にしたレジ袋に再度しまい込み、屋根のある
「昇竜観察所」まで傘をさして移動、しばらく雨宿りをすることにしました
(H田さん提供画像)
熱帯雨林のスコールだから、すぐに止むだろうと思ってたのですが、ちょうど乾季から
雨季に入ったところで、雷雨はますますひどくなるばかり・・・
わたくし、こんなに長いスコールは、ボルネオはじめての経験でした
で、帰りが遅くなると公園レストランが閉まってしまい夕食にありつけなくなるので、
(H田さん提供画像)
すでに汗でずぶ濡れ、眼鏡も曇って使えず、完全にへろへろになってたわたくしも・・・
仕方なく簡易ポンチョを着て(後ろはwingさんに被せてもらい)、宿所やレストランのある
公園事務所までの3.4kmを豪雨の中、急いで戻ることになりました ひいひい
ちなみに今回ツアー用にH田さん(TG-5を持ってるwingさんも)が発売と同時に購入された
TG-7とゆー新機種は15m防水カメラ、こんなシーンの撮影にもぴったりですね
とか感心してる場合ではなく歩き出したのですが左脚は限界、右足の踵まで痛みだしてきて、
結局はN嶋さんとwingさんに見守ってもらいながら、皆さんより遅れて何とか生還した次第
後ろを歩いてくれてたN嶋さんによると、わたくしの簡易ポンチョの隙間から水蒸気がもくもくと
湧き上がって、それはそれは鬼気迫るものがあったそうです
で、レストランの閉店時間までに何とか席に着くことができて・・・
とりあえずはマンゴージュースとスーパードライで無事生還を祝し乾杯!!!
ちなみにこちらのスーパードライは320mlなんですね
ともかく早くできるよう全員がナシ・ゴレン(焼き飯)を注文して、食べ終える頃には、
わたくしも少しだけ落ち着いてきました ばくばく
その後エアコンの効いた部屋に戻って熱いシャワーを浴びて着替えたら、さらに落ち着き、
結局は各自が持参したウィスキーや焼酎やつまみでの宴会になったのですが、さすがに
わたくしだけ早めに倒れてしまったようで、この夜も記憶と画像がまったくありません
明日もウィンドケイブやクリアウォーターケイブへのトレッキングだとゆーのに・・・
98kさんは大丈夫なのかっ???
(と、次号に続きます)
2023年05月26日
地霊を訪ねる
とーとつですが・・・
地霊を訪ねる~もうひとつの日本近代史~とゆー本のご紹介
著者略歴と奥付
目次であります
そう・・・
鉱山や鉱山跡を中心に辿った旅のエッセイであります・・・
「まえがき」よりの読後メモ・・・
・同じ技術で同じ製品を生産する同じ規模の企業組織であっても、そのために必要な人材を探し、
技能を高める方式は、日本と欧米、東南アジアとでは少なからぬ違いがある
→その差異と類似性をどう説明すればよいのか・・・
→日本社会を具体的に知るために歩いて旅をする、私流のブラタモリ、街道をゆく・・・
→近代日本の工業化の担い手のひとつ鉱業操業地跡への旅
→地霊(社会風土あるいは習俗)によって「もうひとつの日本の近代」を探ってみたい・・・
と、15年かけて40を超える鉱山跡地を訪れて綴ったのが本書
ちなみに鉱山跡地は地下遺構がメインの廃墟ですから、わたくしの大好きな場所ですし、
鉱山鉄道跡はサイクリング・ロードとして整備されてるところも多く、鉄道敷とゆーのは
そもそも勾配やカーブが緩いので、まったりポタリングにぴったりでこちらも大好きです
以下、最初の「伊那谷から中山道に出る」よりの読後メモ(福田恒存の言葉の紹介)
・日常的でないものにぶつかったとき即座に応用がきくということ、それが教養というものです
・あることを知ったということは、それを知る前に感じていた未知の世界より、
もっと大きな未知の世界を、眼前にひきすえたということであります
・さらにそれは、そのもっと大きな世界を知らなければならぬという責任を引き受けたことを意味します
・・・
で、各項の紀行内容は、メモするには濃かったので、この際どどんと省略して・・・
「あとがき」よりの読後メモのみ・・・
・どの棚に置けばよいのか、書店が困るような分類の難しい本になった
・旅という体験を通して「足から」しか学べないことは少なくない
・本を読め、人に会え、そして旅をしろ(池島信平の言葉)
・何を読んだか、どこを旅したかを話し合うことで、どのような人格の人物なのかを知ることができる
じっくりと読ませていただきましたが、まさに著者版の「街道をゆく」や「ブラタモリ」で、
経済学者としての深い知識知見だけでなく、幅広い教養と美的感覚と味覚に裏打ちされた、
格調高く味わい深い文章で楽しめました
特に柵原鉱山、生野銀山、紀和鉱山など西日本の鉱山跡については、ライトOFF会キャンプや
ポタリングなどで訪れたことがあるので、それらの歴史や文化、たたら製鉄に関する考察などは
とても興味深く読みました
ええ、当時は前知識なんか殆どなく、みんなでわいわいと坑道に入っては、
「わははは、こんな明るいライト軍団が入ったのは、歴史上初めてのはずじゃあ!!!」
とか、大はしゃぎしてただけですから・・・
地霊を訪ねる~もうひとつの日本近代史~とゆー本のご紹介
著者略歴と奥付
目次であります
そう・・・
鉱山や鉱山跡を中心に辿った旅のエッセイであります・・・
「まえがき」よりの読後メモ・・・
・同じ技術で同じ製品を生産する同じ規模の企業組織であっても、そのために必要な人材を探し、
技能を高める方式は、日本と欧米、東南アジアとでは少なからぬ違いがある
→その差異と類似性をどう説明すればよいのか・・・
→日本社会を具体的に知るために歩いて旅をする、私流のブラタモリ、街道をゆく・・・
→近代日本の工業化の担い手のひとつ鉱業操業地跡への旅
→地霊(社会風土あるいは習俗)によって「もうひとつの日本の近代」を探ってみたい・・・
と、15年かけて40を超える鉱山跡地を訪れて綴ったのが本書
ちなみに鉱山跡地は地下遺構がメインの廃墟ですから、わたくしの大好きな場所ですし、
鉱山鉄道跡はサイクリング・ロードとして整備されてるところも多く、鉄道敷とゆーのは
そもそも勾配やカーブが緩いので、まったりポタリングにぴったりでこちらも大好きです
以下、最初の「伊那谷から中山道に出る」よりの読後メモ(福田恒存の言葉の紹介)
・日常的でないものにぶつかったとき即座に応用がきくということ、それが教養というものです
・あることを知ったということは、それを知る前に感じていた未知の世界より、
もっと大きな未知の世界を、眼前にひきすえたということであります
・さらにそれは、そのもっと大きな世界を知らなければならぬという責任を引き受けたことを意味します
・・・
で、各項の紀行内容は、メモするには濃かったので、この際どどんと省略して・・・
「あとがき」よりの読後メモのみ・・・
・どの棚に置けばよいのか、書店が困るような分類の難しい本になった
・旅という体験を通して「足から」しか学べないことは少なくない
・本を読め、人に会え、そして旅をしろ(池島信平の言葉)
・何を読んだか、どこを旅したかを話し合うことで、どのような人格の人物なのかを知ることができる
じっくりと読ませていただきましたが、まさに著者版の「街道をゆく」や「ブラタモリ」で、
経済学者としての深い知識知見だけでなく、幅広い教養と美的感覚と味覚に裏打ちされた、
格調高く味わい深い文章で楽しめました
特に柵原鉱山、生野銀山、紀和鉱山など西日本の鉱山跡については、ライトOFF会キャンプや
ポタリングなどで訪れたことがあるので、それらの歴史や文化、たたら製鉄に関する考察などは
とても興味深く読みました
ええ、当時は前知識なんか殆どなく、みんなでわいわいと坑道に入っては、
「わははは、こんな明るいライト軍団が入ったのは、歴史上初めてのはずじゃあ!!!」
とか、大はしゃぎしてただけですから・・・