地下
2023年05月26日
地霊を訪ねる

地霊を訪ねる~もうひとつの日本近代史~とゆー本のご紹介
著者略歴と奥付

目次であります

そう・・・
鉱山や鉱山跡を中心に辿った旅のエッセイであります・・・

「まえがき」よりの読後メモ・・・
・同じ技術で同じ製品を生産する同じ規模の企業組織であっても、そのために必要な人材を探し、
技能を高める方式は、日本と欧米、東南アジアとでは少なからぬ違いがある
→その差異と類似性をどう説明すればよいのか・・・
→日本社会を具体的に知るために歩いて旅をする、私流のブラタモリ、街道をゆく・・・
→近代日本の工業化の担い手のひとつ鉱業操業地跡への旅
→地霊(社会風土あるいは習俗)によって「もうひとつの日本の近代」を探ってみたい・・・
と、15年かけて40を超える鉱山跡地を訪れて綴ったのが本書
ちなみに鉱山跡地は地下遺構がメインの廃墟ですから、わたくしの大好きな場所ですし、
鉱山鉄道跡はサイクリング・ロードとして整備されてるところも多く、鉄道敷とゆーのは
そもそも勾配やカーブが緩いので、まったりポタリングにぴったりでこちらも大好きです
以下、最初の「伊那谷から中山道に出る」よりの読後メモ(福田恒存の言葉の紹介)
・日常的でないものにぶつかったとき即座に応用がきくということ、それが教養というものです
・あることを知ったということは、それを知る前に感じていた未知の世界より、
もっと大きな未知の世界を、眼前にひきすえたということであります
・さらにそれは、そのもっと大きな世界を知らなければならぬという責任を引き受けたことを意味します
・・・
で、各項の紀行内容は、メモするには濃かったので、この際どどんと省略して・・・

「あとがき」よりの読後メモのみ・・・
・どの棚に置けばよいのか、書店が困るような分類の難しい本になった
・旅という体験を通して「足から」しか学べないことは少なくない
・本を読め、人に会え、そして旅をしろ(池島信平の言葉)
・何を読んだか、どこを旅したかを話し合うことで、どのような人格の人物なのかを知ることができる
じっくりと読ませていただきましたが、まさに著者版の「街道をゆく」や「ブラタモリ」で、
経済学者としての深い知識知見だけでなく、幅広い教養と美的感覚と味覚に裏打ちされた、
格調高く味わい深い文章で楽しめました
特に柵原鉱山、生野銀山、紀和鉱山など西日本の鉱山跡については、ライトOFF会キャンプや
ポタリングなどで訪れたことがあるので、それらの歴史や文化、たたら製鉄に関する考察などは
とても興味深く読みました
ええ、当時は前知識なんか殆どなく、みんなでわいわいと坑道に入っては、
「わははは、こんな明るいライト軍団



とか、大はしゃぎしてただけですから・・・
2023年05月12日
フラッシュ光・2023ボルネオツアーの公式?案内
とーとつですが・・・



フラッシュ光・2023ボルネオツアーの公式?案内であります
こちらの記事末尾でも日程は紹介しましたが、現時点での2023ツアー概要とご案内です
航空便の予約状況が逼迫してますので参加希望者は早めの連絡をお願いします
①スケジュール(出発まで順次更新しています)
(関西空港発着の場合7泊9日うち平日は4日間で、日本のサラリーマンには優しい選択ですよ

10月27日(金)
10月28日(土)



ウィンド・ケイブ



ホテルにて朝食後、サバル森林保護区にある過去の植林地見学、記念植樹
昼食は弁当、夕食はローカル料理
夕食後、クバ国立公園カエル池ナイトツアー

<クチンのホテル泊>
11月2日(木)
(車両とボートで移動。インドネシアとの国境を跨ぐクレーター状の山脈に囲まれた湖)
屋台で昼食後、Fairy & Wind Cave へ

②概算費用など(出発まで順次更新しています)
・関空⇔クチン往復、現地での移動、宿泊、食事等を含み5月12日時点で27万ぐらい
・現地クチンでの集合解散も可能、その場合は半額ぐらいになります
・別途、個人の酒代・土産物代・旅行保険代等が必要(安全な飲み水は用意します)
・クチンでのホテル4泊は基本2人1室ですが、割増料金により1人1室も可能
・ムル国立公園の宿泊所2泊は男女別各4人部屋、ビダユ族の村ホームステイ1泊は全員で
大部屋に近い状態になります
③参加人数・参加方法・申込期限など
・5月末時点で確定している参加者は7名で今回は8名のツアーにしたいと考えています
・予約申込時期により航空運賃は変わります(満席で予約できない場合もあります)
・参加を希望される方はコメント欄やDMなどで早めの連絡をお願いします
(こちらから申込方法など詳細をお知らせします)
つーことで・・・
秋にはボルネオの洞窟や熱帯雨林でライト照射を楽しみましょう!!!
2021年12月04日
奇界遺産3!!!

表紙カバーはおなじみ北朝鮮のマスゲーム・・・やはり凄いですね・・・
ちなみにマスゲームの起源は19世紀のドイツで日本統治時代に北朝鮮にも根付いたそうです。
編著者・発行所・発行年月日などについては以下のとおり。


「奇界遺産・奇怪遺産2」についてはこちらの紹介記事をご覧いただきたいのですが、
奇怪遺産2の刊行から7年、今年5月の新刊と同時に図書館へ貸出予約してたのですが、
今週になり、やっと借りることができた次第。やはり人気の写真集なんですねえ。
例によって目次のみのご紹介・・・

まだまだ世界中に奇怪遺産はあるんですねえ・・・

どれも興味津々でしたが、この中では唯一、わたくしが訪れたことのある「奇怪遺産」が
022の「月牙泉」でした・・・
植林ツアー途中で月牙泉に立ち寄ったのは2012年の夏・・・いやあ懐かしいなあ・・・
著者の解説によると、90年代以降の近隣のダム建設や灌漑の影響で、一時は湖消滅の危機に
瀕したものの、2006年頃に水位を安定させるための地下水道工事が行われ、現在は再び水位が
大きく回復しつつある・・・とありましたから、わたくしが行った2012年頃は、少し回復した
状態だったのかも知れませんね。
それにしても現在では、夜のライトアップまである!!!とは驚きでしたが・・・

著者は前書きの中で、この7年の間に世界は大きく変わり、ネット情報や人の「移動」により、
奇怪遺産の環境も大きく変化しており、今のうちに記録しておかねばと、急かされるように
世界中を巡ってたのがコロナ禍で一変、「接続」の時代だからこそ起きたパンデミックにより、
皮肉にも世界が唐突に「切断」され、本の制作に取り掛かることになった・・・
とありましたが、時節柄、確かに色々と考えさせられました。
いつになればボルネオやモンゴルに行けるようになるのか・・・
2020年11月01日
究極の洞窟・・・
表紙(カバー)

日経ナショナルジオグラフィック社 2015年4月21日 第1版第1刷発行
裏表紙(カバー)

よく見ると・・・

素敵なおねいさんがぶら下がってます・・・

例によって目次だけご紹介・・・



なにせ電源のない洞窟内でライトアップして撮影した作品が殆どですから・・・
懐中電灯好きにはたまりません!!! じゅるじゅる

もちろん写真集なので内容は紹介できませんが、コラムの一部だけ・・・

ボルネオ島サラワク州グヌンムルのディアケイブは、面積では世界一なんですね!!!
(N嶋さんからのコメントにより修正追記です。
こちらは我々が行ったディアケイブより、さらに奥地にあるサラワクチャンバーでした。)
ちなみに容積では中国・広西チワン族自治区にある苗洞(ミャオドン)の1078万㎥が、
このサラワク洞窟の957万㎥を抜いて、2015年現在では世界一になったそうです。
さらにちなみに深さ世界一はグルジアのクルーベラ洞窟で2197m、入口から27日かけて
ようやく底まで到達したとのこと、長さ世界一のアメリカのマンモスケーブ洞窟群は、
発見された部分は591kmだそうですが、まだ960km以上はあるとのこと・・・
グヌンムルのクリアウォーターケイブは東南アジアでは最も長く発見された部分で175km。
(同じくN嶋さんより、現在は230kmまで発見されているとのことでした。ありがとね!!!)
そう、いずれの洞窟でも、まだまだ未踏査の部分が多いんですね。
そーいや、世界最大(になるかも知れない)ラオスの洞窟の探検番組もTVで観ましたが、
使用したフラッシュライト類をスタジオでも紹介してましたね。
やはり洞窟群とフラッシュライト群は切っても切れない仲・・・

2020年01月11日
古代の鉄と神々・・・

「古代の鉄と神々」真弓恒忠著 2018年7月10日 筑摩書房・ちくま学芸文庫刊
・・・なんですが、学生社より初版が出たのは1985年、増補改訂版が出たのは1997年で、
増補改訂版から21年後の一昨年に復刊された・・・つーことになります。
以前「高師小僧」についてネットであちこち眺めてた際に、本書についての記述もあったのですが、
「残念ながら絶版で入手は困難・・・」とかあって、読むのはあきらめていたところ、昨年になって
復刊されたことを知り、さらに今年になって、ようやく借りることができたとゆー次第。
裏表紙に惹句がありました。

そう、昨年春、龍田古道を歩いた際にも気になってたのですが、やっと読むことができました。
例によって目次だけご紹介・・・


神話や祭祀の中から古代製鉄の痕跡を見出していく・・・というだけでも面白いですし、
なにせ著者は・・・

まさに専門の研究者で門外漢の書いた仮説なんぞとは異なる説得力がありました。
もちろん科学的な説明もあり、たとえば・・・
鉄の溶融点は1525℃、それに対し銅は1100℃なので弥生時代は溶融点の低い青銅器の時代・・・
とされてたのを、銅は溶融しなければ製品にはならないが、鉄は700~800℃で可鍛鉄さえ得れば、
後は熱してたたいてを繰り返せば鍛造できるので「ふいご付きタタラ」がなくても製鉄は可能だし、
700℃~800℃なら弥生土器の焼成温度と同じとかいわれると、なるほどと納得しました。
なので弥生時代から日本では鉄器を作っていたけど、青銅器や土器と異なり鉄器は錆びるので
現物が残っていないだけで、古代製鉄の痕跡は各地の神話や祭祀などに残っている・・・
と、実地も含めて検証されておられるので、じつに興味深かったです。
(2022/6の追記です。内容の一部をメモしてましたので・・・)
鉄の古語
1テツ、タタラ、タタール、韃靼系→ヒッタイト語のタクタク、タツタツより→外来語
2サヒ、サビ、サム、ソホ、ソブ系→朝鮮半島ではソボロ、ソブリ、ソハル、スウロ、ソウラ、ソウルで
本来サ行音は砂や小石の意だったが精錬鉄が貴重であったためサ・シ・ソの一音だけでも鉄を意味する。→外来語
スサノオノミコトが八岐大蛇退治に使ったのが韓鋤剣(カラサヒノツルギ)で神別名は鋤持神(サヒモチカミ)
3サナ、サヌ、サニ、シノ、シナ系→倭言葉でサナは果実の核の部分、カナサナとは外皮を鉄でまとった形状のもの、
すなわち鈴、鐸(さなぎ)で植物由来の褐鉄鉱(高師小僧)。
→サナに接頭語のイを付けて男女の神を表すギとミを付けたのが「イザナギ」と「イザナミ」
→この両神を祀った多賀神社も褐鉄鉱の産地で信濃・埴科・更科・仁科の地名も褐鉄鉱由来
4ニフ、ニブ、ニビ、ネウ→古代では硫化水銀を朱、四塩化鉛を丹、褐鉄鉱・赤鉄鉱・酸化鉄を(赤編に者)と
分類していたが一括して丹と読んだ由で産鉄地も含め全て「丹生の地」、ニブ、ミブ、ネワも同じ。
5ヒシ、ヘシ、ベシ、ペシ→ヒシ、ヘシは鉄に金編に族→竿の先に装着した鉄片のこと。
飯石川、揖斐川のイは発声上のもので本来はヒシ川、ビシ川、マレー語でbesiは鉄、ヤミ語でwasayは手斧、
スールー語basi、アーチェ語besoy、バタック語bosi、ハワイ・スンダ・マヅーラ語wesi,bosi,boseなど、
いずれも鉄を意味する南方系海洋民の言葉で、その古代鉄文化は九州から朝鮮半島西岸、山東半島まで達し、
漢民族から「東夷」として怖れられた。そのことを示すのが「史記」に記す蚩尤(しゆう)。
→山東半島の蚩尤は兵主神となり朝鮮半島南西海岸に渡来した南方系海洋民から百済系の韓鍛冶へ。
いっぽうイタテ神を祀るのは新羅系の韓鍛冶で土着の倭鍛冶の奉ずるオオナムチの神とこれらの神も融合して、
鉄の祖神スサノオノミコトになった。つまり高師小僧を使う原始的な倭鍛冶と砂鉄を使う高度な韓鍛冶の融合。
「さなぎ」のダミーである土鈴や銅鐸で褐鉄鉱の生育を祈ったのは、さらに古代からの祭祀であるが弥生時代に
農耕神となってからも続いている。
高師小僧(植物由来の褐鉄鉱)から砂鉄(磁鉄鉱)へ
・豊葦原の瑞穂の国→葦原が水田に適するだけでなく葦から生成する褐鉄鉱が農具に不可欠であったから
・オオナムチの神→三輪大社から出雲大社へ→大穴持命=大国主命=洞穴に座す神=鉄穴の神
・金山彦・金山媛の神→イザナミが火の神カグツチを生んで病になったので呼んだ神→灼熱の溶鉄の神格化
・みすずかる信濃→中央も出雲も砂鉄になったのにシナノはずっと芽刈→諏訪大社の御柱神事に鉄鐸を使う
・高師小僧・鳴石(なりわ)・鈴生り=泉南郡岬町鍛冶屋谷では壷石→黄土(はにふ)の岸と血沼(ちぬ)の海
・沼沢や湿地に面した斜面で鈴や鐸を打ち鳴らし同類を埋めてスズの豊作を祈る→アメノウズメノミコト
・鉄穴流しと藤蔓→砂鉄採取の必需品
・朝日さす夕陽かがやく木の下に・・・鉄穴師の犬・山師・山伏・修験道→吉野熊野の霊場はすべて鉱山地帯
→山伏の山岳信仰の発端は鉄探し→法螺貝、三鈷杵などは鉱脈探索の呪術
・スサノオ(砂洲から砂鉄を集める男)とオオナムチ(芽刈)の合体神話
・神功皇后の西征→4~5世紀のサヒ新羅は鉄の国、忠州鉄山が西征でいう谷那鉄山で百済を支援し手に入れた
→その後、高句麗とも争奪戦を繰り返し最終的に新羅が統一、高句麗、百済の製鉄技術者が倭へ。
・神武天皇の東遷→稲作と鉄をもたらした物語→新旧鉄文化の交代劇
・中央構造線→紀伊半島の東端、五十鈴川に伊勢神宮、西端、紀ノ川河口に国縣神宮
・北緯34度32分の太陽の道→日置氏の足跡で鉄の伝承地
・金屋子神→播磨国宍粟郡岩鍋から出雲国野義郡非田へ白鷺に乗って行ったら鉄の湧くこと限りなし・・・
・犬上、犬養、犬飼→犬を束ねる者→犬とは砂鉄を求めて山野を跋渉する者で狩猟者ではない
・弘法大師の三鈷と高野明神とふたつの丹生川
・富貴、伊吹→シャフト炉型タタラの筒の意
・住吉大神が丹生川上から播磨の国へ遷座した(播磨国風土記)→褐鉄鉱から磁鉄鉱へ移った
加古川河口から明石にかけての海浜は砂鉄の宝庫であった
・蛇と百足と三人立の説話→ニ荒山の蛇は鉄で赤城山の百足は銅、鉄文化が銅文化の優位に立った説話
・オオナムチの神を中心とする出雲系倭鍛冶は砂鉄を採取し磁鉄鉱による製鉄を行った(時)点では、
褐鉄鉱によるスズの精錬から見れば進歩的であった。
・この争いが洩矢神(鉄輪=鉄鐸)とタケミナカタ神(藤枝=砂鉄)のあらそい。
・タケミナカタは諏訪では洩矢神を敗ったが、オオナムチの神を中心とする出雲系倭鍛冶が、
兵主神やイタテ神による韓鍛冶を用いてさらに進歩した大和に勢力を譲ったのが出雲の国譲り
上垣内憲一氏の解説より
・考察の根幹は諏訪大社の鉄鐸(すず)を振り鳴らす神事が沼沢の褐鉄鉱の生成を願ったものとしたこと
・伊勢神宮の五十鈴川も三輪大社の三輪山も鉄の産地
・皇室の祖「ホノニニギノミコト」のホは稲穂とされてきたが、天孫降臨神話の「ホアカリノミコト」のホは
火で「稲と鉄」が皇室祭祀の両輪
住吉大神が遷座したとされる姫路に関する記述
・姫路市の中心にある射楯兵主神社→現在の田寺・新在家・辻井のあたりが風土記でいう「因達の里」で、
そこに鎮座するイタテ神(イタケル神)は新羅系製鉄技術者が祀った神のひとつ、
いっぽう兵主神は中国では鉄沙をもって兵器を作る鉄神・武神だが、漢民族から「東夷」として怖れられていた
鉄文化を持って山東半島に達した南方系海洋民の蚩尤(しゆう)であり、その鉄文化は朝鮮半島南西海岸にも
渡来していたので、こちらは百済系製鉄技術者の祀った神と考えられるが、この二神を合わせて祀るのは
全国でも姫路の射楯兵主神社のみで、まさに古代タタラ製鉄の中心地であった。
・その約2キロ東の市川右岸にある阿保神社→阿保は穴穂、穴太と同じく産鉄地である。
・その約2キロ下流の右岸に阿成の地名と安師神社→穴師→鉄穴師は製鉄技術者である。
・左岸約3.5キロに姫路市別所町別所→別所は産鉄地またはタタラの食糧供給地である。
・別所の西北、姫路市花田町小川。風土記では「少川の里」が「私の里」になった由来は、この地の私部の祖が
多々良公であったからとされており、まさに「タタラの里」であった。
・射楯兵主神社の西約3キロ姫路市今宿にも別所の地名があり、産鉄地またはタタラの食糧供給地である。
・その北方、姫路市山吹は風土記では「韓室の里」→韓室(からむろ)とは、タタラ溶鉱炉の異称である。
・姫路市北部の広峰山頂にある広峰神社は牛頭天王を祀るが、これは鉄神スサノオノミコトと附会する。

著者は日本の鉄器は弥生時代に稲作とともに普及したとされてますが、はるか稲作以前から
5000年も8000年も続いてきた縄文時代つーのは、何せ農耕なんかしないヒマな時代ですから

(農耕革命で人類は毎日働かなければならなくなった、と「サピエンス全史」でもいってましたね。)
集落周辺に茂ってる葦を鈴なりの高師小僧なんぞと一緒に、ヒマな奴が河原でガンガン燃やして、
(キャンプ宴会とかしてたら

たたいて伸ばして遊んでたら、サヌカイトや黒曜石より丈夫で鋭利な刃物ができちゃった!!!
つーことぐらいは(ヒマな縄文時代だからこそ)、充分に考えられるハナシ・・・何せ豊葦原の国だし・・・
で、縄文時代でも黒曜石などの交易は全国規模だったので、この技術も全国に普及してたけど、
争いも農耕もなかったので、みなさん細々と楽しくやってたのが稲作以降は大規模になった・・・
そう、ヒッタイトなんかより古い鉄器の起源は、じつは縄文時代の日本刀だったのだ!!!
わはは、まいったか!!! ま、こちらはあくまで門外漢の仮説でしゅが・・・

つーことで追記・・・
「縄文人でもできる、日本刀の作り方」であります。

①湿地や沼地だったところで高師小僧や鬼板なんぞを集めてくる。
(今は天然記念物とかに指定されている地域もあるので注意)
②風通しのいい河原で石と土で露天タタラを作りガンガン焚火をして中にぶち込む。
(今は焚火や直火禁止の河川敷もあるので注意)
③さらに上からも薪を足してガンガン温度を上げる。(風向きに注意)
④ぐちゃぐちゃの醜い塊ができたら河原の石でガンガンたたいて伸ばす。
⑤石組みの焚火にぶち込んで熱してはたたいて、これを何度も繰り返す。
⑥それなりの形になったら河原の石でガシガシ刃を研いで、縄文日本刀の完成じゃあ!!!
と、可鍛鉄を得るだけでも一昼夜はかかりそうなので、どなたか一緒にやりましょう!!!
(わたくしは働かずに傍らで飲んだくれてますが・・・
