山歩き
2020年12月21日
コンダスの女王シェルピ・カンリの装備と食料
前回記事でサバイバルの実話本を紹介しましたが、ま、その続きつーか・・・
今回は昔のカラコルム遠征隊のキャンプ装備と食料のお話であります。
1978年に刊行された「コンダスの女王 シェルピ・カンリ」とゆー本・・・


編著者は隊長の平井一正氏 神戸新聞出版センター 昭和53年5月25日発行・・・
そう、昭和51年(1976年)8月、神戸大学山岳部の遠征隊がカラコルム山脈の未踏峰だった
シェルピ・カンリ(7654m)に初登頂した際の記録で、ひょんなことから最近読んだのですが、
特に巻末にあった遠征隊の装備・食料リストが、とても懐かしくて興味深かったので、
今回はその一部を紹介させていただきます。
ちなみに当時の隊員は以下10名の方々であります。

神戸大学山岳部のOB9名と現役学生1名による遠征隊で30歳前後が中心だったんですね・・・
現在は60代後半から80代後半になる方々で、わたくしが山歩きにハマってた時期とほぼ重なり、
当時わたくしも使っていたモノや、わたくしが憧れていたモノがいっぱいでした・・・
まずは(1)幕営具!!!であります。

テントはカマボコ型とウィンパー型がメインで、ウィンパーの3人用でも7kgになってますね。
2人用の吊テントつーのは、当時は最新だったダンロップの吊り下げ式でしょうか・・・
ただし吊テントはキャラバン用や連絡将校用で、高所用はまだまだウィンパーの独壇場。
この後、遠征隊でも急速にドーム型テントが主流になっていくんですよね。
最近のキャンプブームでは、広くて風にも強いカマボコ型が、一体型タープ・テントとして、
再び脚光を浴びてるようですね。やはりテントについても時代は廻るのか・・・
さらに竹ペグ200本を日本から持ち込んだ、つーのも時代ですねえ・・・
たわしは、とーぜんテントの雪払い用・・・
(2)の登攀用具は省略して・・・
(3)炊事用具・・・

一次隊が高所でのケロシン(灯油)ストーブの不完全燃焼とカーボン詰まりに苦労したので、
ABC(アタックベースキャンプ)以上ではプロパンガスを、BC以下ではケロシンを使用した
と本文にありましたが、200gカートリッジが50本とあり、ラジウス等に慣れていた隊員たちも
やがて不完全燃焼が起きないプロパンを愛用するようになったとのこと・・・
キャンピングガスのブタンバーナーがようやく出回ってた時代なので、鉄製の大型ボンベから
小型カートリッジへプロパンガスを詰め替えて使ってたんでしょうか。
でも1本200g入り230gで今のOD缶とほぼ同じだし、800gボンベ直結型コンロは別にあるし、
キャンピングガスのバーナーやランタン用のプロパン・カートリッジが当時からあったのか・・・
とか、興味は尽きません。
わたくしも当時は先輩から引き継いだプリムス製の灯油ストーブを愛用してましたが、
やがてキャンピングガス→EPI→イワタニプリムスと、OD缶仕様がメインになりました。
コールマンのガソリンバーナーやランタンも併用してましたが、アウトドアでの遊びが、
ファミリーキャンプ中心になる頃から、カセットボンベ式(CB缶)がメインに・・・
そう、バーナーは灯油やガソリンからCB缶とOD缶の使い分けへ、ランタンはガソリンと
CB缶とOD缶の併用から(その前はローソクでしたが)、やがて乾電池式LEDが主流になり、
さらに今ではモバイルバッテリーを兼ねた充電式LEDに完全に移行しました。
そう、これならソーラーパネルを併用すれば、永遠にキャンプ宴会が続けられるし・・・
(3)炊事用具の続きから・・・

テルモスにメタクッカーにスイスメタ・・・マミヤプレスにニコンF2にニコマート他・・・
どれも懐かしいなあ・・・うるうる
当時の酸素ボンベ(川崎重工)つーのは4ℓサイズで6.3kgとあり、やはり相当重いですね。
現在の高所用はチタン製で軽くてコンパクト、一般人でも健康で資金とヒマさえあれば、
誰でもエベレストの頂上に立てる時代だそうなので、みなさんいかがでしょう・・・
(5)器具他の続き・・・

動画撮影はベル&ハウエルの16mmとフジカシングル8、他の機材についても、もちろん、
ソーラーパネルやリチウムイオン電池はないので乾電池1200本を持ち出したんですね。
単一200本、単二400本、単三600本で、乾電池だけで総重量は56kg・・・
フィルムは計380本で総重量は30kg、電卓2台で500g・・・時代ですねえ・・・
ちなみにヘッドランプの共同装備は4個になってますが、これは個人装備の予備用。
とーぜんLEDは存在せずライト類はすべてフィラメント仕様なんですね。
さらに通信機器としては3種類のトランシーバー8台と短波受信用ラジオ2台のみ・・・
サーチライト(防水ライト)300g×2つーのは、いったい何だったんでしょう???
と、さらに興味は尽きません。
(6)雑品類(7)医薬品と続き、(8)は隊員用個人装備・・・

ウールの肌着にアクリルの肌着、網シャツにウールの登山シャツにパンツ10枚・・・
(6)雑品類にはパキスタン国旗×2、日本国旗×3、ローソク40本とかも・・・
(8)個人用装備の続き・・・

ウールのニッカーズボンにヤッケにジャンパーに半身用の(重い)「エヤーマット」・・・
キャラバン用の軽登山靴に(ヒマラヤンシューズ)とありますが、あのキャラバンシューズ?
ちなみにパキスタン連絡将校用の個人装備は当時の登山規定上の義務だったようです。
以下・・・


ハイポーター6人分、中間ポーター11人分の個人装備も当時の規定で同様に準備・・・
ちなみにキャラバン時の一般ポーターは50人以上だったようです。
とまあ、懐かしい44年前の大学海外遠征隊の装備ですが、酸素ボンベと圧力鍋以外は、
当時の国内での冬山装備と基本的には同じだったようです。
今の遠征隊なら衛星からネット接続できる電子機器とソーラーパネルは必須でしょうが、
担ぎ上げる手間はフィルムと乾電池だけ考えても、随分と便利になったものです。
で、以下は日本から持ち出した食料リストであります・・・
10人分だそうですが、ベースキャンプまでのキャラバン中は現地調達した食料が中心で、
日記によると、カパルからのキャラバン出発が6月16日、仮ベースキャンプ入りが6月25日、
ベースキャンプ設営が6月30日、初登頂成功が8月10日、ベースキャンプの撤収が8月17日、
カパルへのキャラバン到着が8月22日となっており、「仮ベースキャンプから撤収までを
日本食とし、670人/日分を用意した。」とありましたから、10人の約2ヶ月分でしょうか。

当時のアルファ米の赤飯は不評だったようですね。
食塩620g入り467個つーのは何かの間違い? 岩塩より使いやすいとも・・・


特注ベーコン真空パックに、瓶詰めのつくだ煮や塩辛、つけもの各種・・・

当時とすれば最新の行動食なんでしょうが、主食は米とアルファ米、おかずは乾燥肉に
乾燥野菜と缶詰、フリーズドライもありますが、やはり重い缶詰が圧倒的ですね。
レトルト食品が見当たらないのは、缶詰ほどの強度がなかったから?
ボンカレーが1969年、ククレカレーが1971年の発売ですから、出回ってたはずなんですが・・・
最年少の現役学生だった食料係は、出発前に缶詰が多すぎると隊長から非難されてたけど、
旨い旨いと言って缶詰ばかり食べてたのは隊長だったとか・・・
ま、確かに当時の乾燥野菜や乾燥肉つーのは、決して旨いものではなかったでしょうし、
フリーズドライやレトルトの技術も、今とは比較にならなかったでしょう。
砂糖85kgを現地購入つーのも、考えてみれば凄いハナシで、お茶に使ったんでしょうか・・・

粉ジュースの評価がBつーのも時代ですねえ・・・
またウィスキー30本とありますが、これは隊によって大きく異なるそうで、本隊の場合は、
仮ベースキャンプに到着した時点で、殆ど底をついていたとか・・・
缶ビール(ロング缶?)が450ml入りになってるけど・・・覚えてないなあ・・・
さらにピース缶入り15000本、ハイライト5000本つーのも時代です。
ちなみにどちらも「特にうまいと思ったもの」に評価されてますね。
いやあ、じつに懐かしくて興味深かったです。
本文も単なる記録としてだけでなく、紀行文としても読み応えがありましたが、
巻末にあったこの装備リストと食料リストは、大人数・長期キャンプの糧食・飲料計画や、
災害時に備えたストック計画にも参考になるのでは・・・と思った次第。
そう、現在のキャンプ装備や保存食・行動食の原点は、まさにこの頃でしたので・・・
今回は昔のカラコルム遠征隊のキャンプ装備と食料のお話であります。
1978年に刊行された「コンダスの女王 シェルピ・カンリ」とゆー本・・・


編著者は隊長の平井一正氏 神戸新聞出版センター 昭和53年5月25日発行・・・
そう、昭和51年(1976年)8月、神戸大学山岳部の遠征隊がカラコルム山脈の未踏峰だった
シェルピ・カンリ(7654m)に初登頂した際の記録で、ひょんなことから最近読んだのですが、
特に巻末にあった遠征隊の装備・食料リストが、とても懐かしくて興味深かったので、
今回はその一部を紹介させていただきます。
ちなみに当時の隊員は以下10名の方々であります。

神戸大学山岳部のOB9名と現役学生1名による遠征隊で30歳前後が中心だったんですね・・・
現在は60代後半から80代後半になる方々で、わたくしが山歩きにハマってた時期とほぼ重なり、
当時わたくしも使っていたモノや、わたくしが憧れていたモノがいっぱいでした・・・

まずは(1)幕営具!!!であります。

テントはカマボコ型とウィンパー型がメインで、ウィンパーの3人用でも7kgになってますね。
2人用の吊テントつーのは、当時は最新だったダンロップの吊り下げ式でしょうか・・・
ただし吊テントはキャラバン用や連絡将校用で、高所用はまだまだウィンパーの独壇場。
この後、遠征隊でも急速にドーム型テントが主流になっていくんですよね。
最近のキャンプブームでは、広くて風にも強いカマボコ型が、一体型タープ・テントとして、
再び脚光を浴びてるようですね。やはりテントについても時代は廻るのか・・・
さらに竹ペグ200本を日本から持ち込んだ、つーのも時代ですねえ・・・
たわしは、とーぜんテントの雪払い用・・・
(2)の登攀用具は省略して・・・
(3)炊事用具・・・

一次隊が高所でのケロシン(灯油)ストーブの不完全燃焼とカーボン詰まりに苦労したので、
ABC(アタックベースキャンプ)以上ではプロパンガスを、BC以下ではケロシンを使用した
と本文にありましたが、200gカートリッジが50本とあり、ラジウス等に慣れていた隊員たちも
やがて不完全燃焼が起きないプロパンを愛用するようになったとのこと・・・
キャンピングガスのブタンバーナーがようやく出回ってた時代なので、鉄製の大型ボンベから
小型カートリッジへプロパンガスを詰め替えて使ってたんでしょうか。
でも1本200g入り230gで今のOD缶とほぼ同じだし、800gボンベ直結型コンロは別にあるし、
キャンピングガスのバーナーやランタン用のプロパン・カートリッジが当時からあったのか・・・
とか、興味は尽きません。
わたくしも当時は先輩から引き継いだプリムス製の灯油ストーブを愛用してましたが、
やがてキャンピングガス→EPI→イワタニプリムスと、OD缶仕様がメインになりました。
コールマンのガソリンバーナーやランタンも併用してましたが、アウトドアでの遊びが、
ファミリーキャンプ中心になる頃から、カセットボンベ式(CB缶)がメインに・・・
そう、バーナーは灯油やガソリンからCB缶とOD缶の使い分けへ、ランタンはガソリンと
CB缶とOD缶の併用から(その前はローソクでしたが)、やがて乾電池式LEDが主流になり、
さらに今ではモバイルバッテリーを兼ねた充電式LEDに完全に移行しました。
そう、これならソーラーパネルを併用すれば、永遠にキャンプ宴会が続けられるし・・・

(3)炊事用具の続きから・・・

テルモスにメタクッカーにスイスメタ・・・マミヤプレスにニコンF2にニコマート他・・・
どれも懐かしいなあ・・・うるうる

当時の酸素ボンベ(川崎重工)つーのは4ℓサイズで6.3kgとあり、やはり相当重いですね。
現在の高所用はチタン製で軽くてコンパクト、一般人でも健康で資金とヒマさえあれば、
誰でもエベレストの頂上に立てる時代だそうなので、みなさんいかがでしょう・・・

(5)器具他の続き・・・

動画撮影はベル&ハウエルの16mmとフジカシングル8、他の機材についても、もちろん、
ソーラーパネルやリチウムイオン電池はないので乾電池1200本を持ち出したんですね。
単一200本、単二400本、単三600本で、乾電池だけで総重量は56kg・・・
フィルムは計380本で総重量は30kg、電卓2台で500g・・・時代ですねえ・・・
ちなみにヘッドランプの共同装備は4個になってますが、これは個人装備の予備用。
とーぜんLEDは存在せずライト類はすべてフィラメント仕様なんですね。
さらに通信機器としては3種類のトランシーバー8台と短波受信用ラジオ2台のみ・・・
サーチライト(防水ライト)300g×2つーのは、いったい何だったんでしょう???
と、さらに興味は尽きません。
(6)雑品類(7)医薬品と続き、(8)は隊員用個人装備・・・

ウールの肌着にアクリルの肌着、網シャツにウールの登山シャツにパンツ10枚・・・
(6)雑品類にはパキスタン国旗×2、日本国旗×3、ローソク40本とかも・・・
(8)個人用装備の続き・・・

ウールのニッカーズボンにヤッケにジャンパーに半身用の(重い)「エヤーマット」・・・
キャラバン用の軽登山靴に(ヒマラヤンシューズ)とありますが、あのキャラバンシューズ?
ちなみにパキスタン連絡将校用の個人装備は当時の登山規定上の義務だったようです。
以下・・・


ハイポーター6人分、中間ポーター11人分の個人装備も当時の規定で同様に準備・・・
ちなみにキャラバン時の一般ポーターは50人以上だったようです。
とまあ、懐かしい44年前の大学海外遠征隊の装備ですが、酸素ボンベと圧力鍋以外は、
当時の国内での冬山装備と基本的には同じだったようです。
今の遠征隊なら衛星からネット接続できる電子機器とソーラーパネルは必須でしょうが、
担ぎ上げる手間はフィルムと乾電池だけ考えても、随分と便利になったものです。
で、以下は日本から持ち出した食料リストであります・・・

10人分だそうですが、ベースキャンプまでのキャラバン中は現地調達した食料が中心で、
日記によると、カパルからのキャラバン出発が6月16日、仮ベースキャンプ入りが6月25日、
ベースキャンプ設営が6月30日、初登頂成功が8月10日、ベースキャンプの撤収が8月17日、
カパルへのキャラバン到着が8月22日となっており、「仮ベースキャンプから撤収までを
日本食とし、670人/日分を用意した。」とありましたから、10人の約2ヶ月分でしょうか。

当時のアルファ米の赤飯は不評だったようですね。

食塩620g入り467個つーのは何かの間違い? 岩塩より使いやすいとも・・・


特注ベーコン真空パックに、瓶詰めのつくだ煮や塩辛、つけもの各種・・・

当時とすれば最新の行動食なんでしょうが、主食は米とアルファ米、おかずは乾燥肉に
乾燥野菜と缶詰、フリーズドライもありますが、やはり重い缶詰が圧倒的ですね。
レトルト食品が見当たらないのは、缶詰ほどの強度がなかったから?
ボンカレーが1969年、ククレカレーが1971年の発売ですから、出回ってたはずなんですが・・・
最年少の現役学生だった食料係は、出発前に缶詰が多すぎると隊長から非難されてたけど、
旨い旨いと言って缶詰ばかり食べてたのは隊長だったとか・・・

ま、確かに当時の乾燥野菜や乾燥肉つーのは、決して旨いものではなかったでしょうし、
フリーズドライやレトルトの技術も、今とは比較にならなかったでしょう。
砂糖85kgを現地購入つーのも、考えてみれば凄いハナシで、お茶に使ったんでしょうか・・・

粉ジュースの評価がBつーのも時代ですねえ・・・
またウィスキー30本とありますが、これは隊によって大きく異なるそうで、本隊の場合は、
仮ベースキャンプに到着した時点で、殆ど底をついていたとか・・・

缶ビール(ロング缶?)が450ml入りになってるけど・・・覚えてないなあ・・・
さらにピース缶入り15000本、ハイライト5000本つーのも時代です。

ちなみにどちらも「特にうまいと思ったもの」に評価されてますね。

いやあ、じつに懐かしくて興味深かったです。
本文も単なる記録としてだけでなく、紀行文としても読み応えがありましたが、
巻末にあったこの装備リストと食料リストは、大人数・長期キャンプの糧食・飲料計画や、
災害時に備えたストック計画にも参考になるのでは・・・と思った次第。
そう、現在のキャンプ装備や保存食・行動食の原点は、まさにこの頃でしたので・・・
2019年05月14日
龍田古道・たたら製鉄と地滑りと・・・
日曜日に龍田古道のたたら製鉄跡や地滑り跡なんぞをふらふらしてきました。
龍田古道・・・諸説あるようですが難波津から京の都(飛鳥京や平城京)へ続く古道のひとつで、
一説によると日本書紀に「難波より京に至る大道を置く」とあるのは、この龍田古道だったとか・・・
で、古代から大和川(当時は龍田川)で一番の難所だった亀の瀬あたりは舟で上下することができず、
川沿いの陸路もいくつかあったものの、ここは有名な地滑り地帯、昔は山崩れによる川の氾濫や、
川沿い陸路の崩壊もさらに多かったはず・・・
いっぽう「龍田越え」といわれる峠道では砂鉄や鉄鉱石が採れて山頂付近は吹き上げる風も強く、
(ふいごが完成形になるまでの製鉄には風が重要)、渡来製鉄技術者の都へのルート上でもあり、
古代より製鉄で栄えた集落が点在し、沿道には古い寺社跡も多く残っている・・・
と、今回も案内してくれた奈良ソムリエ・ボランティアガイドの友人から説明を聴きながら・・・

朝10時にJR三郷駅を出発・・・







まずは三室山展望台へ・・・ひいひい
ま・・・

標高は僅か137mなんですが・・・

なかなかの眺めでした。ひいひい
位置関係はこんな感じ・・・(クリックすると拡大します。)

ご覧のとおり、地滑り地帯とはいえ大和川沿いの陸路や、北へ抜ける陸路もある中、なぜ峠越えの
険しいルートが近世まで続く交通・物流の大動脈だったのか・・・
やはり江戸時代に付け替えられる前の大和川沿いに並んでいた⑦~⑫の渡来系寺跡や
製鉄のルーツとされる④金山媛神社⑤金山彦神社が関係してそうですね・・・わくわく
で、


龍田神社本宮跡・・・


岩や地肌が赤茶けてますね・・・
現在は麓にある龍田大社は風の神でもあるし、やはり古代製鉄との関係は深いようです。
こちら、奈良ソムリエの友人が教えてくれた・・・


めずらしい「堺県」の石標。
ウィキペディアによると堺県は明治元年に和泉国の幕府領・旗本領を管轄するために設置され、
明治2年には河内国(河内県)、明治9年には大和国(奈良県)も編入して大きな県になったものの、
明治14年には大阪府に編入され廃止、さらに明治20年に奈良県が再設置されたとありますから、
この石標は明治9年から明治14年までの間に設置されたことになりますね。ふむふむ
そーいや、府庁山の「府」の石標、さらに古そうだけど、いつ設置したんだろ・・・
とか、ひいひい山道を歩いて・・・

次のピークが公園になってて・・・




ピークの大阪側に拡がっているのが雁多尾畑(カリンドウバタ)の集落・・・


けっこう大きな集落で、立派な門構えの家や・・・


立派なお寺もあるのですが、山頂付近なので農業や林業で栄えたとは考えられず、
やはり古代からの製鉄(と交易?)が繁栄の原点だったのは間違いない・・・のですが・・・
でも、それなら明治以降は奈良と大阪を結ぶ鉄道もでき、近代製鉄に変わったのですから、
言い方は悪いですが、もっと寂れててもいいはず・・・なのに、どこも立派なままでした。
それまでの富や交易の蓄積とかで今でも豊かに暮らしておられるのか、だとしたら便利な麓に
移ってるだろうし、ここでブドウ栽培など新しい産業に活路を見出したのか・・・
いつか住民の方に訊いてみたいものであります。
カリンドウバタとゆー不思議な地名といい、今でも山頂付近で(裕福に)暮らし続ける状況といい、
(たたら製鉄は「ふいご」送風システムが完成して以降、山頂から下りたとも言われてますので)
龍田古道とカリンドウバタでの製鉄に関する謎は、さらに謎を呼びつつ・・・
ま、とりあえずキーポイントとなる・・・




集落内にある「金山媛神社」へ・・・
ま、詳しくはこちら・・・

そう、全国最古の「鉄工の守護神」だったのでありますね・・・うむうむ
ちなみにこちらの本殿にあった正面の御神鏡・・・



最新式で色合いが変化し、やはり今でも裕福な集落であることが覗えますね。
と、中腹まで下りてくると・・・


「おおっ、中腹にも酸化鉄の塊が・・・」
「って、そこは池に藻が繁殖してるだけやろ・・・」
「でっ、でも、この鉄錆色は・・・」
「ま、確かに周辺の地層は砂鉄や鉄鉱石が多く、あちこちで鉄滓も出てるらしいけど・・・」
「そーいや地滑りの都度、鉄の鉱脈が表土に現れた、とも聞いたことがあるような・・・」
とか、わいわい言いながら・・・

もうひとつのキーポイント、金山彦神社に到着・・・



ええ、拝殿の奥には・・・

ぬこさんが鎮座されてましたが・・・
まずは略記から・・・

ここでは、鉄の需要が増した弥生時代後期から応神河内王朝まで製鉄が続けられた、なので
製鉄に不可欠な風と火が祀られている、とありますが、奈良側ピーク付近にあった龍田神社本宮や
大阪側ピーク付近にあった金山媛神社とセットで祀られているのは間違いないですね。
また、山の高いほうが「媛(ヒメ)」神社で、低いほうが「彦(ヒコ)」神社とゆーのも興味深いです。
ちなみに略記の横には、こんな説明板も・・・

さてさて、このような完成形の「たたら炉」になるまでは、どんな形で製鉄が行われていたのか、
はたまた、それはいつごろからなのか・・・
高師小僧を使った製鉄は縄文時代から、という説もあり、なにせ燃料になる木は豊富でしたから、
常に風が吹く山頂付近では、もっと原始的な方法で高温を生じさせてたかも知れません・・・
他国では燃料になる森林を伐採し尽くしてしまうと、製鉄どころか文明そのものが滅びましたが、
我が国は放置しておけば再び森に還る「木の国」ですから、小規模なら継続も可能だったはず。
よい風と深い森・・・「風の谷」と「もののけたち」・・・って、ここはジブリの世界だったのか!!!
と、妄想を膨らませながら神社横の東屋で大休止・・・


って、食べる前に撮ればいいものを・・・ばくばく

彦(ヒコ)神社が元は山上にあったとすると、そのすぐ下に媛(ヒメ)神社があったのか・・・
で、

大阪方面ではなく「峠」集落からJR堅上駅を目指します。ひいひい
それにしても立派な家が多いですねえ・・・
峠の集落でも立派な家が多く、


こちらは十字型の屋根を持つ家・・・

比較的新しい家も立派な造りです。
と、峠集落を下りていくと・・・

この辺りでは大和川右岸を走るJR線が見えてきて・・・
ようやく河内堅上駅・・・

・・・は通り過ぎて、今度は川沿いの龍田古道を遡上します。ひいひい


この辺りは川幅も狭く蛇行を繰り返すうえ、昔から有名な地滑り地帯で陸路も舟路もまさに難所でした。
こちらの鉄橋・・・


トラスが上ではなく下から橋を支えてます。やはり地滑り対策なんでしょうね・・・

明治以降の鉄道も、橋を架ければ落ちる、トンネルを掘れば崩落する、まさに地滑りとの戦い・・・
で、



現在も続く地滑り対策の現場・・・



縦横無数に掘られたトンネルで上の地層と下の地層の間に集まる地下水を排水してるとか。
膨大な年月と費用をかけた巨大プロジェクトだったんですね。ま、詳しくはネット検索で・・・
ちなみに排水トンネル掘削中に発見された旧国鉄トンネルの崩壊現場・・・

奈良ソムリエの友人の撮影で、平日10人以上で事前予約すれば見学できるそうです。
地下遺構の大好きなわたくし、ライト仲間と一度は行きたいと思っているのですが・・・
地名の由来となった亀石・・・

古い絵図によると、昔は上流側に首が出ていたそうです。
こちら、ちょうど橋の下あたり・・・



江戸時代に舟を通すため岩盤を掘削した跡でしょうか・・・
このあたりは川幅が狭まり瀬が続き「銚子の口滝の如し」といわれた難所だったようです。
江戸時代に入っても亀の瀬の上下の浜で下流側では大型の剣先船(河内舟・難波舟)に、上流側では
小型の魚梁船(大和舟)に、それぞれ荷物を積みかえていたそうですが、それまでは前述の峠道を
越えていた・・・という説もあるのですが、川沿いの陸路もあったことだし、やはり謎は多いです。
ま、詳しくはネット検索で・・・いろんな説があって、じつに面白いです。
せっかくなので亀の瀬にある・・・


龍王社にもお参りしました。


亀井宿は葛城二十八宿の二十八番目だったんですね・・・けっこう歩いてるけど知りませんでした。
と、さらに川沿いの古道を歩いて・・・




峠八幡神社へもお参り・・・ま、詳しくはネット検索で・・・

見事な地蔵さん

ええ、こちら・・・

「関の地蔵さん」として有名なのでありますね・・・

龍田の関は日本四関のひとつで、しかも「其の一」だったんですね。
万里の長城では東端の山海関が「天下第一関」、西端の嘉峪関が「天下第一雄関」ですから、
ここはヤマトの南端にあった第一関で「天下第一南関」とゆーところか・・・
ま、実際の関はもう少し西にあったとゆー説もある、と教えてもらいましたが・・・
ちなみに在原業平に「千早ふる 神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは」と詠われた
龍田川は、斑鳩町を流れる竜田川ではなく、こちら亀の瀬あたりの様子を表しているとも・・・
そーいや歌から感じるのは静かな小川より、当時も難所だった大激流のイメージですね。
と、歌つながりで最後に・・・



出発点の三郷駅近くに作られた磐瀬の杜の歌碑なんぞを見学し、ようやく駅まで戻ってきました。
峠越えと川沿いの龍田古道をぐるり一周したことになり、今回の所要時間は4時間、歩行距離は
ダッシュP18乗りの友人の万歩計によると12.7kmだったそうです。ひいひい
と、三郷駅から一駅だけJRに乗って王寺駅へ・・・って、大阪とは逆方向ではないか???
そう、三郷駅前にはお店がなく・・・


王将・王寺店へ・・・じゅるじゅる

って、最初の餃子を完食、一杯目の生ビールを完飲してからの画像でしゅが・・・
ま、その後は・・・


食べ切る前、飲み切る前に、いちおー撮れました・・・えらいぞ!!!
って、

唐揚げは食べ切ってからの画像やないか・・・
しかも・・・

野菜炒めは、わたくしが撮ってるうちにたちまち完食・・・がるるる
そう、この日は金山彦神社での早めのお握りだけだったし、30℃を超える夏並みの暑さだったし、
まあ、みなさん、よく食べること飲むこと・・・少しはトシも考えましょうね・・・と自戒を込めて・・・
龍田古道は今回が初めてでしたが、様々な謎が残ってて興味津々でした。
たたら製鉄をはじめ、そもそもの和鉄の起源など、やはり古代ロマンは面白いですね。
ボランティアガイドで忙しい中、詳しく案内してくれた奈良ソムリエのI西さん、ありがとうございました。
次回もよろしくねっ!!!
龍田古道・・・諸説あるようですが難波津から京の都(飛鳥京や平城京)へ続く古道のひとつで、
一説によると日本書紀に「難波より京に至る大道を置く」とあるのは、この龍田古道だったとか・・・
で、古代から大和川(当時は龍田川)で一番の難所だった亀の瀬あたりは舟で上下することができず、
川沿いの陸路もいくつかあったものの、ここは有名な地滑り地帯、昔は山崩れによる川の氾濫や、
川沿い陸路の崩壊もさらに多かったはず・・・
いっぽう「龍田越え」といわれる峠道では砂鉄や鉄鉱石が採れて山頂付近は吹き上げる風も強く、
(ふいごが完成形になるまでの製鉄には風が重要)、渡来製鉄技術者の都へのルート上でもあり、
古代より製鉄で栄えた集落が点在し、沿道には古い寺社跡も多く残っている・・・
と、今回も案内してくれた奈良ソムリエ・ボランティアガイドの友人から説明を聴きながら・・・

朝10時にJR三郷駅を出発・・・







まずは三室山展望台へ・・・ひいひい
ま・・・

標高は僅か137mなんですが・・・

なかなかの眺めでした。ひいひい
位置関係はこんな感じ・・・(クリックすると拡大します。)

ご覧のとおり、地滑り地帯とはいえ大和川沿いの陸路や、北へ抜ける陸路もある中、なぜ峠越えの
険しいルートが近世まで続く交通・物流の大動脈だったのか・・・
やはり江戸時代に付け替えられる前の大和川沿いに並んでいた⑦~⑫の渡来系寺跡や
製鉄のルーツとされる④金山媛神社⑤金山彦神社が関係してそうですね・・・わくわく
で、


龍田神社本宮跡・・・


岩や地肌が赤茶けてますね・・・
現在は麓にある龍田大社は風の神でもあるし、やはり古代製鉄との関係は深いようです。
こちら、奈良ソムリエの友人が教えてくれた・・・


めずらしい「堺県」の石標。
ウィキペディアによると堺県は明治元年に和泉国の幕府領・旗本領を管轄するために設置され、
明治2年には河内国(河内県)、明治9年には大和国(奈良県)も編入して大きな県になったものの、
明治14年には大阪府に編入され廃止、さらに明治20年に奈良県が再設置されたとありますから、
この石標は明治9年から明治14年までの間に設置されたことになりますね。ふむふむ
そーいや、府庁山の「府」の石標、さらに古そうだけど、いつ設置したんだろ・・・
とか、ひいひい山道を歩いて・・・

次のピークが公園になってて・・・




ピークの大阪側に拡がっているのが雁多尾畑(カリンドウバタ)の集落・・・


けっこう大きな集落で、立派な門構えの家や・・・


立派なお寺もあるのですが、山頂付近なので農業や林業で栄えたとは考えられず、
やはり古代からの製鉄(と交易?)が繁栄の原点だったのは間違いない・・・のですが・・・
でも、それなら明治以降は奈良と大阪を結ぶ鉄道もでき、近代製鉄に変わったのですから、
言い方は悪いですが、もっと寂れててもいいはず・・・なのに、どこも立派なままでした。
それまでの富や交易の蓄積とかで今でも豊かに暮らしておられるのか、だとしたら便利な麓に
移ってるだろうし、ここでブドウ栽培など新しい産業に活路を見出したのか・・・
いつか住民の方に訊いてみたいものであります。
カリンドウバタとゆー不思議な地名といい、今でも山頂付近で(裕福に)暮らし続ける状況といい、
(たたら製鉄は「ふいご」送風システムが完成して以降、山頂から下りたとも言われてますので)
龍田古道とカリンドウバタでの製鉄に関する謎は、さらに謎を呼びつつ・・・
ま、とりあえずキーポイントとなる・・・




集落内にある「金山媛神社」へ・・・
ま、詳しくはこちら・・・

そう、全国最古の「鉄工の守護神」だったのでありますね・・・うむうむ
ちなみにこちらの本殿にあった正面の御神鏡・・・



最新式で色合いが変化し、やはり今でも裕福な集落であることが覗えますね。
と、中腹まで下りてくると・・・


「おおっ、中腹にも酸化鉄の塊が・・・」
「って、そこは池に藻が繁殖してるだけやろ・・・」
「でっ、でも、この鉄錆色は・・・」
「ま、確かに周辺の地層は砂鉄や鉄鉱石が多く、あちこちで鉄滓も出てるらしいけど・・・」
「そーいや地滑りの都度、鉄の鉱脈が表土に現れた、とも聞いたことがあるような・・・」
とか、わいわい言いながら・・・

もうひとつのキーポイント、金山彦神社に到着・・・



ええ、拝殿の奥には・・・

ぬこさんが鎮座されてましたが・・・
まずは略記から・・・

ここでは、鉄の需要が増した弥生時代後期から応神河内王朝まで製鉄が続けられた、なので
製鉄に不可欠な風と火が祀られている、とありますが、奈良側ピーク付近にあった龍田神社本宮や
大阪側ピーク付近にあった金山媛神社とセットで祀られているのは間違いないですね。
また、山の高いほうが「媛(ヒメ)」神社で、低いほうが「彦(ヒコ)」神社とゆーのも興味深いです。
ちなみに略記の横には、こんな説明板も・・・

さてさて、このような完成形の「たたら炉」になるまでは、どんな形で製鉄が行われていたのか、
はたまた、それはいつごろからなのか・・・
高師小僧を使った製鉄は縄文時代から、という説もあり、なにせ燃料になる木は豊富でしたから、
常に風が吹く山頂付近では、もっと原始的な方法で高温を生じさせてたかも知れません・・・
他国では燃料になる森林を伐採し尽くしてしまうと、製鉄どころか文明そのものが滅びましたが、
我が国は放置しておけば再び森に還る「木の国」ですから、小規模なら継続も可能だったはず。
よい風と深い森・・・「風の谷」と「もののけたち」・・・って、ここはジブリの世界だったのか!!!
と、妄想を膨らませながら神社横の東屋で大休止・・・


って、食べる前に撮ればいいものを・・・ばくばく

彦(ヒコ)神社が元は山上にあったとすると、そのすぐ下に媛(ヒメ)神社があったのか・・・
で、

大阪方面ではなく「峠」集落からJR堅上駅を目指します。ひいひい
それにしても立派な家が多いですねえ・・・
峠の集落でも立派な家が多く、


こちらは十字型の屋根を持つ家・・・

比較的新しい家も立派な造りです。
と、峠集落を下りていくと・・・

この辺りでは大和川右岸を走るJR線が見えてきて・・・
ようやく河内堅上駅・・・

・・・は通り過ぎて、今度は川沿いの龍田古道を遡上します。ひいひい


この辺りは川幅も狭く蛇行を繰り返すうえ、昔から有名な地滑り地帯で陸路も舟路もまさに難所でした。
こちらの鉄橋・・・


トラスが上ではなく下から橋を支えてます。やはり地滑り対策なんでしょうね・・・

明治以降の鉄道も、橋を架ければ落ちる、トンネルを掘れば崩落する、まさに地滑りとの戦い・・・
で、



現在も続く地滑り対策の現場・・・



縦横無数に掘られたトンネルで上の地層と下の地層の間に集まる地下水を排水してるとか。
膨大な年月と費用をかけた巨大プロジェクトだったんですね。ま、詳しくはネット検索で・・・
ちなみに排水トンネル掘削中に発見された旧国鉄トンネルの崩壊現場・・・

奈良ソムリエの友人の撮影で、平日10人以上で事前予約すれば見学できるそうです。
地下遺構の大好きなわたくし、ライト仲間と一度は行きたいと思っているのですが・・・
地名の由来となった亀石・・・

古い絵図によると、昔は上流側に首が出ていたそうです。
こちら、ちょうど橋の下あたり・・・



江戸時代に舟を通すため岩盤を掘削した跡でしょうか・・・
このあたりは川幅が狭まり瀬が続き「銚子の口滝の如し」といわれた難所だったようです。
江戸時代に入っても亀の瀬の上下の浜で下流側では大型の剣先船(河内舟・難波舟)に、上流側では
小型の魚梁船(大和舟)に、それぞれ荷物を積みかえていたそうですが、それまでは前述の峠道を
越えていた・・・という説もあるのですが、川沿いの陸路もあったことだし、やはり謎は多いです。
ま、詳しくはネット検索で・・・いろんな説があって、じつに面白いです。
せっかくなので亀の瀬にある・・・


龍王社にもお参りしました。


亀井宿は葛城二十八宿の二十八番目だったんですね・・・けっこう歩いてるけど知りませんでした。
と、さらに川沿いの古道を歩いて・・・




峠八幡神社へもお参り・・・ま、詳しくはネット検索で・・・

見事な地蔵さん

ええ、こちら・・・

「関の地蔵さん」として有名なのでありますね・・・

龍田の関は日本四関のひとつで、しかも「其の一」だったんですね。
万里の長城では東端の山海関が「天下第一関」、西端の嘉峪関が「天下第一雄関」ですから、
ここはヤマトの南端にあった第一関で「天下第一南関」とゆーところか・・・

ま、実際の関はもう少し西にあったとゆー説もある、と教えてもらいましたが・・・
ちなみに在原業平に「千早ふる 神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは」と詠われた
龍田川は、斑鳩町を流れる竜田川ではなく、こちら亀の瀬あたりの様子を表しているとも・・・
そーいや歌から感じるのは静かな小川より、当時も難所だった大激流のイメージですね。
と、歌つながりで最後に・・・



出発点の三郷駅近くに作られた磐瀬の杜の歌碑なんぞを見学し、ようやく駅まで戻ってきました。
峠越えと川沿いの龍田古道をぐるり一周したことになり、今回の所要時間は4時間、歩行距離は
ダッシュP18乗りの友人の万歩計によると12.7kmだったそうです。ひいひい
と、三郷駅から一駅だけJRに乗って王寺駅へ・・・って、大阪とは逆方向ではないか???
そう、三郷駅前にはお店がなく・・・


王将・王寺店へ・・・じゅるじゅる

って、最初の餃子を完食、一杯目の生ビールを完飲してからの画像でしゅが・・・

ま、その後は・・・


食べ切る前、飲み切る前に、いちおー撮れました・・・えらいぞ!!!
って、

唐揚げは食べ切ってからの画像やないか・・・
しかも・・・

野菜炒めは、わたくしが撮ってるうちにたちまち完食・・・がるるる
そう、この日は金山彦神社での早めのお握りだけだったし、30℃を超える夏並みの暑さだったし、
まあ、みなさん、よく食べること飲むこと・・・少しはトシも考えましょうね・・・と自戒を込めて・・・

龍田古道は今回が初めてでしたが、様々な謎が残ってて興味津々でした。
たたら製鉄をはじめ、そもそもの和鉄の起源など、やはり古代ロマンは面白いですね。
ボランティアガイドで忙しい中、詳しく案内してくれた奈良ソムリエのI西さん、ありがとうございました。
次回もよろしくねっ!!!
2016年10月19日
ポタリング・ハイキング・ピクニック考
(期間限定のお知らせ)
2017年3月ボルネオ植林ツアーへの参加・苗木代ご協力へのお願い記事はこちらです。
さて、今回はポタリングとハイキングとピクニックについての一考察であります。えへん
①ポター(ぶらぶらする)のing形でポタリング・・・
②ハイク(てくてく歩く)のing形でハイキング・・・
どちらも造語だそうですが、ポタリングは自転車でぶらぶらするといった意味で使われているようです。
さらに自転車でいえば、
③サイクル(自転車)のing形でサイクリング・・・
④ツアー(旅行)のing形でツーリング・・・
つーのがありますが、サイクリングは自転車で走ること自体を目的とする場合に使われるようで、
自転車競技も含めた広い意味、ツーリングは自転車を使った旅行なんですが、ツール・ド・フランスとか、
ジロ・デ・イタリアとかブエルタ・ア・エスパーニャとか、ツアーそのものの自転車競技もありますね。
いっぽう徒歩でもハイキング以外に、
⑤バックパッキング
⑥トレッキング
⑦ウォーキング
⑧マウンテニアリング
つーのがありますし、自転車で野山を巡るマウンテンバイクやBMXといったのもあります・・・
さらに国によっては、
ワンデリング(ドイツ)
ブッシュ・ウォーキング(オーストラリア)
トランピング(ニュージーランド)
といった呼び方もあるようですし、クライミングや沢歩きやケービングなどさらに細分化していけば、
徒歩を前提としたアウトドア遊びだけでもいっぱいあります。
さらにラフトやカヤックを使ったリバーツーリングなんぞも昔はよく楽しんでましたが、
とりあえず現在は、
①のポタリングと②のハイキング、
それと宴会が主目的の⑨キャンピング・・・
さらには日帰りで、やはり宴会が主目的の⑩ピクニック・・・
つーのが、わたくしのアウトドア遊びの定番になってます。
以前川端さんが某SNSで紹介されてたグランピング(グラマラス・キャンピング)つーのもあるようで、
豪華な常設テントに豪華な食事付き、まさにホテル並みですが、ここまで行くとどうなんでしょうね・・・
ま、キャンプ宴会はこれまでさんざん記事にしてますし、最近はポタリングが増えハイキングが減ってますが、
今回はポタリングやハイキングとピクニックについて(何とか一緒に楽しめないかと)考えてみました。
以前も書きましたがピクニックの語源はフランス語で英語ではポットラック(リュック)になるようで、
直訳すれば「鍋運び」、フランスの貴族が狩猟を楽しんだ後、使用人に鍋などを運ばせて調理させ、
野外で宴会を楽しんだもの、やがて19世紀に入って鉄道や公園の普及とともにこれが一般化して、
イギリスやフランスで、郊外や公園に出かけて宴会するピクニックが定着していったとか・・・
一般化した段階でイギリスではサンドイッチなど、フランスではバケットにパテなど、調理を要しない食事
となったようですが、やはり語源は「鍋運び」、日帰りでも野外での鍋料理を入れたいところです。
フランス貴族の狩猟後の「鍋運び」と同じく、日本でも武士の鷹狩後の「野掛け振る舞い」とゆーのが
あったそうですが、江戸時代後期には花見や潮干狩りなど野外での日帰り宴会が一般化したようです。
ま、こちらもピクニック・バスケット同様の「提げ重」に入れた調理を要しないものが主流だったようで、
中には燗酒保温用の火鉢みたいなのがセットになった豪華版もあったようですが、「野外での鍋宴会」
といった習慣はなかったようです。
ただ、七輪での一人鍋はけっこう普及してたようで、これが明治期の「牛鍋」へと続くらしいのですが、
あくまで室内での鍋料理が前提、七輪は持ち運びできるので野外鍋宴会には最適だったのにね・・・
わたくしはポタリングやハイキングを楽しむ際にも、本来はピクニック(野外宴会)をメインにして、
できれば鍋や焼き肉もしたいところなんですが、自転車や徒歩では荷物が大変だし飲んでしまうと
帰路が危険だし、やはりクルマで行くキャンプ宴会がメインになってます・・・
ちと外れますが、チキンラーメンTVCMの最初期版を見てたら「
登山にキャンプにドライブに!!!」
というCMソングとともに、アニメキャラがチロルハット被ってピッケル持って「オープンカー」に乗って
登山にキャンプにと、お出かけしてました!!!
そう、当時は「登山にキャンプにドライブ」が最もトレンディでリッチなアウトドア遊びだったんですね。
その頃の道路は一級国道でも殆どが未舗装、観光地周辺などに「ドライブ・イン」が登場する以前で、
ファミレス・コンビニ・道の駅はもちろん、高速道路そのものがないのでSAやPAが存在するはずもなく、
クルマの性能と道路事情から故障やパンクも日常茶飯事のうえロードサービスや携帯電話もないので、
郊外へ日帰りドライブといっても、今でいえばサポートなしのキャメル・トロフィーやパリダカといった状態、
まさにオフロード・サバイバル・アドベンチャー!!!だったんでしょうね。
また登山でも携行食といえばカンパンか重い缶詰ぐらいで、キャンプでも薪を集めて炊く飯盒めしがメイン、
もちろんレトルト食品も保冷剤も缶ビールもないので、日持ちするジャガイモ・ニンジン・タマネギなどと
調味カレーペーストも当時はなかったので、カレーパウダーだけのカレーライスか味噌を溶いただけの豚汁、
これに重いスイカや瓶ビールを担いで行って、川や海で冷やせば最高の贅沢だった時代・・・
チキンラーメンはリッチな「登山にキャンプにドライブ」における画期的な高級携行食だったんですね。
さらに外れますが、過日のテレビ番組で「新しいトレッキングの楽しみ方」つーのがあり、ウルトラライトや、
冷凍食品を使ったクッキングと合わせて、「登山」ならぬ「下山」とゆー楽しみ方も紹介してました。
ロープウェイやリフトなどで山頂まで登り、のんびりと「下山」を楽しもうとゆートレッキング・スタイルで、
朝から山頂を目指すのではなく山麓を目指すため、時間的にも体力的にも気分的にもゆとりが生まれ、
のんびりトレッキングが楽しめるこのスタイル、わたくしも昔はよくやってました。
いっぽう、わが国でサイクリングが本格的に普及するのは1964年の東京オリンピック前後だそうで、
スポーツ振興の一環としてスポーツ車の国産化、自転車道の整備などが国策として推し進められたとか。
ちなみに日本ではじめて「サイクルトレイン」が運行されたのは、東京オリンピックの翌年に制定された
「体育の日」を記念した大阪駅・相生駅間だったそうで、これはぜひ復活してもらいたいなあ・・・
その後、ツール・ド・フランスにシマノのパーツがはじめて登場するのが1973年ですから、10年ほどで
産業振興はいちおー成功したものの自転車道の整備やサイクリングへの理解はまだまだですから、
2020年の東京オリンピックが再び起爆剤になってくれるといいのですが・・・
ただまあ、ビッグイベントを契機に国策として国民啓発や産業振興、インフラ整備をするといった手法は、
もはや時代に合わないのかも知れませんが・・・
ちなみにヨーロッパを自転車で走ったことのある何人かの知人は口を揃えて、サイクリングへの理解が
日本とは桁違いで、車道でも全てのドライバーがサイクリストを優先してくれるといってました。
イタリアから我が家にホームステイしてた青年は、スポーツにはまったく興味がないタイプでしたが、
それでもジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスの歴代有名選手や名勝負のあった峠などは諳んじてました。
一時期の日本の野球以上に、昔から誰もが知ってて誰もが楽しむ国民的スポーツなんですねえ・・・
そーいや自転車競技は近代オリンピックの第一回大会から、ずっと正式種目になってるそうです。
閑話休題
一考察といいつつ、例によって思いつくまま書いてきましたが、やはり日帰り前提のピクニックだと、
ポタリングやハイキングと組み合わせるのはかなり無理があるようです。
ハイキングなら下山してから、ポタリングでも自転車を輪行袋に入れてから、が正解でしょう。
ならば由緒正しきピクニック、本来の日帰り「鍋運び」宴会を楽しむにはどうすればいいか・・・
まず電車で近郊の山へ行って、山頂宴会でも山腹宴会でもなく、安全に駅まで帰れる山麓宴会が基本、
これなら重い食材や大きなクーラーボックスだって何とか担いで行けるし、飲んで食べた帰り道も安全、
さらにお手軽に、大規模公園の芝生とかでやれば、まさに19世紀のピクニック・・・
まあ、お花見シーズンに焼き肉つーのは周りに迷惑ですが、小さなバーナーでの簡単な鍋料理や
燗酒を楽しむぐらいはいいでしょうし、郊外で誰もいなければ、小さなバーナーでの鉄板焼きぐらいなら、
安全で後始末も簡単でしょう。
で、ピクニックは野外宴会そのものが目的ですから、やはり椅子とテーブルとクーラーボックス、
バーナー・クッカーセットと生鮮食材ぐらいは持って行きたいところです。
19世紀のヨーロッパや昭和30年代の日本とは異なり、今では自宅冷凍・レトルト・フリーズドライと、
食材の保存技術も格段に進化し、クーラーボックスや保冷剤も高性能になって、椅子やテーブルなども
小型軽量化してますから、ピクニック・バスケットにラグマットとゆー伝統的なヨーロッパスタイルや、
提げ重に緋毛氈とゆー伝統的な日本の花見スタイルに固執することもないのですが・・・
やはりどちらも魅力的なんですよね・・・じゅるじゅる
小型軽量な椅子・テーブルセットでまったりしつつ、鍋や焼き肉で冷たい缶ビールつーのもいいし、
高級ラグマットでまったりしつつ、バケットにパテなんぞでワイングラスを傾けるつーのもいいし、
緋毛氈でまったりしつつ、三段重ねの提げ重に入った煮しめ料理で猪口から日本酒つーのもいいし、
うーむ、どのスタイルもコンプリートで揃えたくなってきたな・・・と、またまた物欲が・・・


おまけ画像・・・

ポタリング・・・その後宴会???

ハイキング・・・その後宴会???
で、こちらは昭和30年代風のピクニック・・・

だったのかっ???
2017年3月ボルネオ植林ツアーへの参加・苗木代ご協力へのお願い記事はこちらです。
さて、今回はポタリングとハイキングとピクニックについての一考察であります。えへん

①ポター(ぶらぶらする)のing形でポタリング・・・
②ハイク(てくてく歩く)のing形でハイキング・・・
どちらも造語だそうですが、ポタリングは自転車でぶらぶらするといった意味で使われているようです。
さらに自転車でいえば、
③サイクル(自転車)のing形でサイクリング・・・
④ツアー(旅行)のing形でツーリング・・・
つーのがありますが、サイクリングは自転車で走ること自体を目的とする場合に使われるようで、
自転車競技も含めた広い意味、ツーリングは自転車を使った旅行なんですが、ツール・ド・フランスとか、
ジロ・デ・イタリアとかブエルタ・ア・エスパーニャとか、ツアーそのものの自転車競技もありますね。
いっぽう徒歩でもハイキング以外に、
⑤バックパッキング
⑥トレッキング
⑦ウォーキング
⑧マウンテニアリング
つーのがありますし、自転車で野山を巡るマウンテンバイクやBMXといったのもあります・・・
さらに国によっては、
ワンデリング(ドイツ)
ブッシュ・ウォーキング(オーストラリア)
トランピング(ニュージーランド)
といった呼び方もあるようですし、クライミングや沢歩きやケービングなどさらに細分化していけば、
徒歩を前提としたアウトドア遊びだけでもいっぱいあります。
さらにラフトやカヤックを使ったリバーツーリングなんぞも昔はよく楽しんでましたが、
とりあえず現在は、
①のポタリングと②のハイキング、
それと宴会が主目的の⑨キャンピング・・・
さらには日帰りで、やはり宴会が主目的の⑩ピクニック・・・
つーのが、わたくしのアウトドア遊びの定番になってます。
以前川端さんが某SNSで紹介されてたグランピング(グラマラス・キャンピング)つーのもあるようで、
豪華な常設テントに豪華な食事付き、まさにホテル並みですが、ここまで行くとどうなんでしょうね・・・

ま、キャンプ宴会はこれまでさんざん記事にしてますし、最近はポタリングが増えハイキングが減ってますが、
今回はポタリングやハイキングとピクニックについて(何とか一緒に楽しめないかと)考えてみました。
以前も書きましたがピクニックの語源はフランス語で英語ではポットラック(リュック)になるようで、
直訳すれば「鍋運び」、フランスの貴族が狩猟を楽しんだ後、使用人に鍋などを運ばせて調理させ、
野外で宴会を楽しんだもの、やがて19世紀に入って鉄道や公園の普及とともにこれが一般化して、
イギリスやフランスで、郊外や公園に出かけて宴会するピクニックが定着していったとか・・・
一般化した段階でイギリスではサンドイッチなど、フランスではバケットにパテなど、調理を要しない食事
となったようですが、やはり語源は「鍋運び」、日帰りでも野外での鍋料理を入れたいところです。

フランス貴族の狩猟後の「鍋運び」と同じく、日本でも武士の鷹狩後の「野掛け振る舞い」とゆーのが
あったそうですが、江戸時代後期には花見や潮干狩りなど野外での日帰り宴会が一般化したようです。
ま、こちらもピクニック・バスケット同様の「提げ重」に入れた調理を要しないものが主流だったようで、
中には燗酒保温用の火鉢みたいなのがセットになった豪華版もあったようですが、「野外での鍋宴会」
といった習慣はなかったようです。
ただ、七輪での一人鍋はけっこう普及してたようで、これが明治期の「牛鍋」へと続くらしいのですが、
あくまで室内での鍋料理が前提、七輪は持ち運びできるので野外鍋宴会には最適だったのにね・・・
わたくしはポタリングやハイキングを楽しむ際にも、本来はピクニック(野外宴会)をメインにして、
できれば鍋や焼き肉もしたいところなんですが、自転車や徒歩では荷物が大変だし飲んでしまうと
帰路が危険だし、やはりクルマで行くキャンプ宴会がメインになってます・・・
ちと外れますが、チキンラーメンTVCMの最初期版を見てたら「

というCMソングとともに、アニメキャラがチロルハット被ってピッケル持って「オープンカー」に乗って
登山にキャンプにと、お出かけしてました!!!

そう、当時は「登山にキャンプにドライブ」が最もトレンディでリッチなアウトドア遊びだったんですね。
その頃の道路は一級国道でも殆どが未舗装、観光地周辺などに「ドライブ・イン」が登場する以前で、
ファミレス・コンビニ・道の駅はもちろん、高速道路そのものがないのでSAやPAが存在するはずもなく、
クルマの性能と道路事情から故障やパンクも日常茶飯事のうえロードサービスや携帯電話もないので、
郊外へ日帰りドライブといっても、今でいえばサポートなしのキャメル・トロフィーやパリダカといった状態、
まさにオフロード・サバイバル・アドベンチャー!!!だったんでしょうね。

また登山でも携行食といえばカンパンか重い缶詰ぐらいで、キャンプでも薪を集めて炊く飯盒めしがメイン、
もちろんレトルト食品も保冷剤も缶ビールもないので、日持ちするジャガイモ・ニンジン・タマネギなどと
調味カレーペーストも当時はなかったので、カレーパウダーだけのカレーライスか味噌を溶いただけの豚汁、
これに重いスイカや瓶ビールを担いで行って、川や海で冷やせば最高の贅沢だった時代・・・
チキンラーメンはリッチな「登山にキャンプにドライブ」における画期的な高級携行食だったんですね。
さらに外れますが、過日のテレビ番組で「新しいトレッキングの楽しみ方」つーのがあり、ウルトラライトや、
冷凍食品を使ったクッキングと合わせて、「登山」ならぬ「下山」とゆー楽しみ方も紹介してました。
ロープウェイやリフトなどで山頂まで登り、のんびりと「下山」を楽しもうとゆートレッキング・スタイルで、
朝から山頂を目指すのではなく山麓を目指すため、時間的にも体力的にも気分的にもゆとりが生まれ、
のんびりトレッキングが楽しめるこのスタイル、わたくしも昔はよくやってました。
いっぽう、わが国でサイクリングが本格的に普及するのは1964年の東京オリンピック前後だそうで、
スポーツ振興の一環としてスポーツ車の国産化、自転車道の整備などが国策として推し進められたとか。
ちなみに日本ではじめて「サイクルトレイン」が運行されたのは、東京オリンピックの翌年に制定された
「体育の日」を記念した大阪駅・相生駅間だったそうで、これはぜひ復活してもらいたいなあ・・・
その後、ツール・ド・フランスにシマノのパーツがはじめて登場するのが1973年ですから、10年ほどで
産業振興はいちおー成功したものの自転車道の整備やサイクリングへの理解はまだまだですから、
2020年の東京オリンピックが再び起爆剤になってくれるといいのですが・・・
ただまあ、ビッグイベントを契機に国策として国民啓発や産業振興、インフラ整備をするといった手法は、
もはや時代に合わないのかも知れませんが・・・
ちなみにヨーロッパを自転車で走ったことのある何人かの知人は口を揃えて、サイクリングへの理解が
日本とは桁違いで、車道でも全てのドライバーがサイクリストを優先してくれるといってました。
イタリアから我が家にホームステイしてた青年は、スポーツにはまったく興味がないタイプでしたが、
それでもジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスの歴代有名選手や名勝負のあった峠などは諳んじてました。
一時期の日本の野球以上に、昔から誰もが知ってて誰もが楽しむ国民的スポーツなんですねえ・・・
そーいや自転車競技は近代オリンピックの第一回大会から、ずっと正式種目になってるそうです。
閑話休題
一考察といいつつ、例によって思いつくまま書いてきましたが、やはり日帰り前提のピクニックだと、
ポタリングやハイキングと組み合わせるのはかなり無理があるようです。
ハイキングなら下山してから、ポタリングでも自転車を輪行袋に入れてから、が正解でしょう。
ならば由緒正しきピクニック、本来の日帰り「鍋運び」宴会を楽しむにはどうすればいいか・・・
まず電車で近郊の山へ行って、山頂宴会でも山腹宴会でもなく、安全に駅まで帰れる山麓宴会が基本、
これなら重い食材や大きなクーラーボックスだって何とか担いで行けるし、飲んで食べた帰り道も安全、
さらにお手軽に、大規模公園の芝生とかでやれば、まさに19世紀のピクニック・・・
まあ、お花見シーズンに焼き肉つーのは周りに迷惑ですが、小さなバーナーでの簡単な鍋料理や
燗酒を楽しむぐらいはいいでしょうし、郊外で誰もいなければ、小さなバーナーでの鉄板焼きぐらいなら、
安全で後始末も簡単でしょう。
で、ピクニックは野外宴会そのものが目的ですから、やはり椅子とテーブルとクーラーボックス、
バーナー・クッカーセットと生鮮食材ぐらいは持って行きたいところです。
19世紀のヨーロッパや昭和30年代の日本とは異なり、今では自宅冷凍・レトルト・フリーズドライと、
食材の保存技術も格段に進化し、クーラーボックスや保冷剤も高性能になって、椅子やテーブルなども
小型軽量化してますから、ピクニック・バスケットにラグマットとゆー伝統的なヨーロッパスタイルや、
提げ重に緋毛氈とゆー伝統的な日本の花見スタイルに固執することもないのですが・・・
やはりどちらも魅力的なんですよね・・・じゅるじゅる

小型軽量な椅子・テーブルセットでまったりしつつ、鍋や焼き肉で冷たい缶ビールつーのもいいし、

高級ラグマットでまったりしつつ、バケットにパテなんぞでワイングラスを傾けるつーのもいいし、

緋毛氈でまったりしつつ、三段重ねの提げ重に入った煮しめ料理で猪口から日本酒つーのもいいし、

うーむ、どのスタイルもコンプリートで揃えたくなってきたな・・・と、またまた物欲が・・・



おまけ画像・・・


ポタリング・・・その後宴会???

ハイキング・・・その後宴会???
で、こちらは昭和30年代風のピクニック・・・

だったのかっ???
2016年10月05日
トレッキング・ソックス
(期間限定のお知らせ)
2017年3月ボルネオ植林ツアーへの参加・苗木代寄付へのご案内記事はこちらです。
で、わたくし今週末から恒例の熊野キャンプに行きますので、しばらく記事の更新ができませんが、
どうかご心配なく・・・って、誰も心配してないか・・・あはは
つーことで、とーとつにトレッキング・ソックスのご紹介であります・・・

ええ、ご推察のとおり・・・特別割引で半値以下になってたもので・・・

高級メリノウール混紡で、消臭機能はじめ様々な機能が付いた登山向け。

立体設計のため左右非対称だそうで、わかりやすいLR表示が付いてます。
いっぽうこちら・・・

現在愛用中のやつなんですが、同様のLR表示がおわかりでしょうか・・・
ええ、よほど目を凝らさないと見えないので、わたくしてきとーに履いてました。
これらのトレッキング・ソックス、その名のとおり本来はトレッキング用なのですが、山歩きの回数が
極端に減ってるわたくしは、これからの季節のポタリング用に使うつもりなのであります。
サイクルパンツ(レーパン)を履いてみて気づいたのですが、サポート機能、特にコンプレッション効果で
確かに疲れが軽減されるつーか、それなりの距離を漕ぐ場合には効果があるように感じました。
これまでずっと「ぴっちりしてたら通気性は悪いし苦しいだけやないか・・・」と思ってたのですが、
ロードレーサーやトレイルランナーはもちろん、ふつーの山歩きでも街中のジョギングでも最近は
よくサポートタイツを見かけますし、テーピングと同じく疲労だけでなく怪我の予防効果もあるようですね。
昔は山歩きでもサイクリングでもスキーでもゴルフでも、すべてニッカーボッカーが正装でしたが、
これにガーター(ゲートル)を正しく巻いた場合、ふくらはぎには同様の効果があったんでしょうね。
着圧で不要な筋肉の振動を抑えて疲労を軽減、さらに血流を高めることで「むくみ」の原因となる
疲労物質が溜まるのも軽減するのがコンプレッション効果のようですが、ソックスやパンツなんぞは
まだいいとして、コンプレッション機能のあるぴっちり上衣つーのは、やはり(お腹が)苦しそう・・・
で、わたくしはゆったりめ上衣なのですが、やはりお腹の筋肉脂肪がぷるぷると振動して・・・
ま、これはこれでダイエット効果があっていい・・・のだろうかっ???
2017年3月ボルネオ植林ツアーへの参加・苗木代寄付へのご案内記事はこちらです。
で、わたくし今週末から恒例の熊野キャンプに行きますので、しばらく記事の更新ができませんが、
どうかご心配なく・・・って、誰も心配してないか・・・あはは

つーことで、とーとつにトレッキング・ソックスのご紹介であります・・・

ええ、ご推察のとおり・・・特別割引で半値以下になってたもので・・・


高級メリノウール混紡で、消臭機能はじめ様々な機能が付いた登山向け。

立体設計のため左右非対称だそうで、わかりやすいLR表示が付いてます。
いっぽうこちら・・・

現在愛用中のやつなんですが、同様のLR表示がおわかりでしょうか・・・
ええ、よほど目を凝らさないと見えないので、わたくしてきとーに履いてました。

これらのトレッキング・ソックス、その名のとおり本来はトレッキング用なのですが、山歩きの回数が
極端に減ってるわたくしは、これからの季節のポタリング用に使うつもりなのであります。
サイクルパンツ(レーパン)を履いてみて気づいたのですが、サポート機能、特にコンプレッション効果で
確かに疲れが軽減されるつーか、それなりの距離を漕ぐ場合には効果があるように感じました。
これまでずっと「ぴっちりしてたら通気性は悪いし苦しいだけやないか・・・」と思ってたのですが、
ロードレーサーやトレイルランナーはもちろん、ふつーの山歩きでも街中のジョギングでも最近は
よくサポートタイツを見かけますし、テーピングと同じく疲労だけでなく怪我の予防効果もあるようですね。
昔は山歩きでもサイクリングでもスキーでもゴルフでも、すべてニッカーボッカーが正装でしたが、
これにガーター(ゲートル)を正しく巻いた場合、ふくらはぎには同様の効果があったんでしょうね。
着圧で不要な筋肉の振動を抑えて疲労を軽減、さらに血流を高めることで「むくみ」の原因となる
疲労物質が溜まるのも軽減するのがコンプレッション効果のようですが、ソックスやパンツなんぞは
まだいいとして、コンプレッション機能のあるぴっちり上衣つーのは、やはり(お腹が)苦しそう・・・
で、わたくしはゆったりめ上衣なのですが、やはりお腹の
ま、これはこれでダイエット効果があっていい・・・のだろうかっ???
2015年09月30日
コンパーチブル3/4・・・
モンベルmont-bell・・・の・・・
コンパーチブル3/4・・・の・・・
そう・・・

ロングパンツであります。骨折した左足に指の強化用サポーターが見えてましゅが・・・
で、コンパーチブル3/4とゆーのは・・・
下1/4をファスナーで分離して3/4丈にすることができるのでありますね。

コンパチ・パンツといえば、下1/2を分離してショートパンツになるのが一般的なんですが、
こちらは膝下丈の、いわゆるニッカーボッカーとしても使えるのであります・・・
10月末からのボルネオ島・植林ツアーに参加するわたくし、1/2のコンパチタイプは愛用してるのですが、
自転車用にも山歩き用にも使えるニッカーボッカーをひさしぶりに使いたくなった・・・のですが・・・
この中途半端といえば中途半端なのにするか、専用のニッカーボッカーにするか、はたまた、
こんな3WAYにするか、で悩んでたのですが、ニッカー専用丈だと街中ではけっこう目立ちますし、
いっぽう3WAYになると、さすがに脱着が煩わしいだろうし、それにボルネオ植林ツアーには、
ショートパンツはいっぱい持って行くだろうし・・・と、最終的にはこちらにした次第です。
この膝下丈のサイズとゆーのは足さばきがとてもスムースで、伸縮性の少ない生地しかなかった頃は、
ニッカーホースと呼ばれるロングソックスとセットで、山歩きやスキーをはじめ、自転車、ゴルフ、乗馬など、
あらゆるアウトドア遊びで愛用されていたのでありますね。
わたくしが社会人になる頃までは、サイクリングや山歩きといえばニッカーボッカーが当たり前で、
高級ウール製でベストやハンチング帽と共生地になったニッカーボッカーにアーガイル柄のニッカーホース・・・
とゆーのは、まさに憧れのアウトドア・ファッションでした。
ま、実際には古い学生服の膝下をカットしたやつとか、せいぜい安物化繊の黒い山用ニッカーに、
無地の安物ニッカーホース、安物赤コールテンの山用ベストとゆーファッションでしたが・・・ううっ
閑話休題
で、今回のサイズはXLであります・・・ええ、やはりウェストサイズで・・・
わたくしのパンツサイズは、モンベルではおそらくXL-Sなんでしょうが、このモデルにはありませんでした・・・
で、ロングパンツとしてはもちろん、ニッカーとしても長めなので裾をすぼめる必要があるのですが、

ご覧のとおり端仕舞の中にゴムやコードを通すことができません・・・
ま、縫い目をいったんバラせば可能なんでしょうが、とてもきれいに戻すことはできないでしょうし・・・
つーことで、こんな裾止めを持ち歩くことになります。

短い方が足首ですぼめるロングパンツ用、長い方が膝下ですぼめるニッカー用であります。
長い方も本来は自転車用の裾止めですが、ゴムが伸びてきて膝下にちょうどになってます。あははは
二種類4本を持ち歩くのはめんどーですが、これが3WAYだと6本になるわけだし・・・
あっ、そうか、ショートパンツに裾止めは要らないから、同じ4本で済むのか・・・
ならば、やはり3WAYにすればよかったか・・・うぐぐぐ
コンパーチブル3/4・・・の・・・
そう・・・

ロングパンツであります。骨折した左足に指の強化用サポーターが見えてましゅが・・・

で、コンパーチブル3/4とゆーのは・・・
下1/4をファスナーで分離して3/4丈にすることができるのでありますね。

コンパチ・パンツといえば、下1/2を分離してショートパンツになるのが一般的なんですが、
こちらは膝下丈の、いわゆるニッカーボッカーとしても使えるのであります・・・
10月末からのボルネオ島・植林ツアーに参加するわたくし、1/2のコンパチタイプは愛用してるのですが、
自転車用にも山歩き用にも使えるニッカーボッカーをひさしぶりに使いたくなった・・・のですが・・・
この中途半端といえば中途半端なのにするか、専用のニッカーボッカーにするか、はたまた、
こんな3WAYにするか、で悩んでたのですが、ニッカー専用丈だと街中ではけっこう目立ちますし、
いっぽう3WAYになると、さすがに脱着が煩わしいだろうし、それにボルネオ植林ツアーには、
ショートパンツはいっぱい持って行くだろうし・・・と、最終的にはこちらにした次第です。
この膝下丈のサイズとゆーのは足さばきがとてもスムースで、伸縮性の少ない生地しかなかった頃は、
ニッカーホースと呼ばれるロングソックスとセットで、山歩きやスキーをはじめ、自転車、ゴルフ、乗馬など、
あらゆるアウトドア遊びで愛用されていたのでありますね。
わたくしが社会人になる頃までは、サイクリングや山歩きといえばニッカーボッカーが当たり前で、
高級ウール製でベストやハンチング帽と共生地になったニッカーボッカーにアーガイル柄のニッカーホース・・・
とゆーのは、まさに憧れのアウトドア・ファッションでした。

ま、実際には古い学生服の膝下をカットしたやつとか、せいぜい安物化繊の黒い山用ニッカーに、
無地の安物ニッカーホース、安物赤コールテンの山用ベストとゆーファッションでしたが・・・ううっ

閑話休題
で、今回のサイズはXLであります・・・ええ、やはりウェストサイズで・・・

わたくしのパンツサイズは、モンベルではおそらくXL-Sなんでしょうが、このモデルにはありませんでした・・・

で、ロングパンツとしてはもちろん、ニッカーとしても長めなので裾をすぼめる必要があるのですが、

ご覧のとおり端仕舞の中にゴムやコードを通すことができません・・・
ま、縫い目をいったんバラせば可能なんでしょうが、とてもきれいに戻すことはできないでしょうし・・・
つーことで、こんな裾止めを持ち歩くことになります。

短い方が足首ですぼめるロングパンツ用、長い方が膝下ですぼめるニッカー用であります。
長い方も本来は自転車用の裾止めですが、ゴムが伸びてきて膝下にちょうどになってます。あははは

二種類4本を持ち歩くのはめんどーですが、これが3WAYだと6本になるわけだし・・・
あっ、そうか、ショートパンツに裾止めは要らないから、同じ4本で済むのか・・・
ならば、やはり3WAYにすればよかったか・・・うぐぐぐ