映画
2025年04月22日
体験的女優論
とーとつですが・・・

「体験的女優論」とゆー本の読書記録であります
著者略歴と奥付

そう、スタジオジブリ代表取締役プロデューサー鈴木敏夫が2021年4月から2024年5月まで
「日刊ゲンダイ」に毎週連載していた記事をまとめた本であります
上の略歴に本文から少し補足すると・・・
1948年に名古屋市に生まれ子どもの頃から両親の影響で邦画・洋画に親しんでいたとあり、
1967年に大学進学で上京、1972年に徳間書店に入社して配属は「週刊アサヒ芸能」編集部、
やがて雑誌「アニメージュ」編集部の時代にスタジオジブリ創設に関わり・・・となります
著者の学生時代は70年安保に向け揺れ動いていた頃、いっぽう宮崎駿は彼の8歳年上ですから、
学生時代は60年安保の最中、わたくしの学生時代は70年安保のいわば「焼け跡派」になるので、
著者の世代は宮崎駿の世代とわたくしの世代の中間になり、本書に登場する映画やテレビドラマ、
監督さんや女優さんたちには、けっこう親近感がありました
例によって目次のみ


「体験的女優論」なので目次には女優が並んでますが、女優名はいわば索引のようなもので、
内容は映画やテレビドラマの作品、監督、脚本、時代背景や思想、ジブリ作品との関わりなど
多岐に渡っており、まさに映画ファンとしての面目躍如、特にわたくしが放送当時には殆ど
観てなかった「優れたテレビドラマ」の紹介が興味深く新鮮だったので、本書で秀作とされてた
邦画と合わせて、いずれ観てみたいと思った次第
以下、思いつくままの読後メモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・最初に好きになった女優はヘイリー・ミルズで初めて英語でファンレターを出した
⇒当時は中学生で返事はなかったが後年ジブリ映画の世界配給でディズニー本社に行った際に、
好きなディズニー作品を聞かれヘイリー・ミルズ作品と言ったら後日、本人から手紙が来た!!!
⇒ファンレターを出してから35年ぶりにもらった返事だった
・宮崎駿は「陽のあたる坂道」などの芦川いづみの大ファンで、ルパン三世のクラリスから
風立ちぬの菜穂子まで、すべてのヒロインに投影されている
⇒木之内みどりもその流れを感じさせる女優で、クラリスの飼ってる犬の名前もテレビドラマ
「刑事犬カール」から絶対に取っていると僕は思っている
(発想の影に好きな女優への想いがあるのもジブリ作品の魅力)
・梶芽衣子は野良猫ロックシリーズ(1970~71)で大好きになる
⇒このシリーズに影響を与えたのは「冒険者たち」(1967)だと思っている
・1972年の春に徳間書店に入社したが夏に盲腸破裂で緊急手術、高熱で入院が続いていた
⇒「女囚701号さそり」(1972)は篠原とおる原作からのファンで、どうしても映画が観たくて、
⇒こっそり病院を抜け出しタクシーで公開初日の映画館に行った
⇒上映が終了した瞬間に気を失い運ばれたが救急車だとバレるのでタクシーで病院に戻った
⇒その夜からさらに高熱になり苦しんだが医者に本当のことは言えなかった
⇒退院して最初に買いに行ったのは梶芽衣子が映画で着ていたコート(表紙絵)と映画LPレコード
・宮崎駿は倍賞千恵子が映画デビューしてから「下町の太陽」あたりまでは、おそらく観ている
⇒当時の青春スターは日活なら吉永小百合、東映なら本間千代子、松竹が倍賞千恵子らで、
宮崎駿の大好きな工場で働く若者の映画が多かったがブルーカラーは倍賞千恵子がうまかった
⇒ハウルの動く城のソフィーも帽子職人なので提案したと思うがファンなので大賛成した
⇒彼女の歌も大好きで歌うときは高音なので娘も老婆もやれると思って出演を依頼した
⇒ジブリ作品は吉岡秀隆に「天空の城ラピュタ」DVDをプレゼントされて以来よく観てたそうで
快く引き受けてくれたが、映画のイメージとは異なり細かいことを気にしない明るい人だった
・「家族」(1970)は山田洋二監督の最高傑作
・サントリーCMシリーズ(少し愛して、ながーく愛して)は大原麗子の本当の意味での代表作
・風吹ジュンとゲド戦記(略)
・おもひでぽろぽろと今井美樹(略)
・加藤登紀子と紅の豚
⇒ジーナが登場することになった時点で宮崎駿は加藤さんだといった
(宮崎駿は彼女の歌をカセットテープが緩むぐらい聞き込んでいる)
⇒高畑勲の「おもひでぽろぽろ」は声を事前に録って、それを参考に絵を描くプレスコ方式
⇒その直後の「紅の豚」だったので「俺もプレスコやってみたい」と宮崎駿が言い出した
⇒加藤さんのロシア料理店で「さくらんぼの実る頃」を歌うシーンを撮影した
⇒客もスタッフになじみの人ばかりで印象深い収録になった
⇒「時には昔の話を」はスタジオ録音したが声がハスキーになり・・・(以下略)
・「崖の上のポニョ」のフジモトの名前は加藤登紀子の夫の藤本敏夫から
⇒英語版でのフジモトのキャラクター説明は難しかったので・・・(以下略)
・神代辰巳、岸田理生、寺山修司・・・(略)
・テレビのシナリオライターで最も好きなのは山田太一
⇒男たちの旅路、岸辺のアルバム、ふぞろいの林檎たち、早春スケッチブック・・・
⇒「欠点を鋭く指摘して人に恥ずかしい思いをさせるなんてことは、実に下劣なことです
素晴らしいのは、誰にも恥ずかしい思いをさせないような人格だ」
⇒このセリフは山田太一の寺山修司批判でもあると思う(二人は学生時代の親友)
⇒その後「北国の春」をデュエットし、超人と凡人が自分を乗り越えようと必死に歌う
⇒平凡な生活を批判して最後は普通の人をフォローして終わらせているのがすごい
⇒どちらも否定しない最後の言葉は山田太一の寺山修司へのリスペクトであると思う
・山田太一と寺山修司とアフォリズム(略)
・八千草薫のエッセイ集「まあまあふうふう」(馬馬虎虎⇒良い加減の意味⇒略)
・若大将シリーズで星由里子がマドンナの時代(1961~1968)は中学・高校時代と重なる
⇒当時は名古屋にいたが若大将シリーズで、それまでの大学生のイメージが払拭された
⇒東京の大学に行けばスポーツ、歌、ギターで夏は海、冬はスキーで恋するイメージに
⇒大食漢の設定をはじめ加山雄三に合わせたキャラクターだったが大きな影響を受けた
⇒高校まで憧れていて、その先の大学生活をイメージしていた
⇒ところが加山雄三の慶応義塾大学に入ってみるとギターもスポーツもなく学生運動に
⇒映画の中だけと実感したがギターも恋愛も影響は大きく、気分的には冷めていったが
写真集やレコードはいまだに全部持っている
⇒思春期の鈴木にとって星由里子の澄ちゃんは永遠のマドンナ
・「男はつらいよ」のテレビシリーズが好きで学生時代の定食屋で毎週欠かさず観ていた
⇒長山藍子のさくらが印象的だったので映画がいいとは思わなかったが、だんだん倍賞千恵子の
さくらがいいと思うようになっていった⇒マドンナとさくらのやりとりがいい
⇒映画シリーズの本当のマドンナは倍賞千恵子のさくらで彼女がいるから寅さんも・・・
・小津安二郎「麦秋」の「私でよかったら」のセリフ
⇒山田洋次「寅次郎相合い傘」でも高畑勲「おもひでぽろぽろ」でも好みなので使っている
・今村昌平の作品
⇒安保闘争にも高度経済成長にも寄り添っていないものばかりで逆に刺激的だった
⇒週刊アサヒ芸能での仕事と今村監督の仕事は人間臭い業界を徹底的に調べる点で共通していた
・ATGの1000万円映画シリーズ⇒今村昌平の「人間蒸発」から
⇒その露口茂が声を担当した「シャーロック・ホームズの冒険」(1985~1995)は僕も宮崎駿も
大好きで「耳をすませば」(1995)のバロンの声をお願いしたがセリフについて質問攻めに・・・
・今村監督初のカラー映画が「神々の深き欲望」(1968)
⇒近代合理主義⇒資本主義・社会主義・サルトルの実存主義とストロースの構造主義
⇒レヴィ・ストロースのテーマを映像として具現化したのが「神々の深き欲望」
・「もののけ姫」(1997)のテーマと舞台設定を1995年に宮崎駿から聞いて「神々の深き欲望」
を思い出したので「今村さんの映画みたいですね」と言ったら、宮さんの顔つきが変わり、
「それって、神々の深き欲望だよね」とすぐに返ってきた
⇒あれだけ映画タイトルを覚えない人が覚えていたのだから、よほど印象に残ってたはず
⇒どちらも南の島から来た日本人の原型をシシ神の前後と近代化の前後で探す試み
⇒「太陽の王子ホルスの大冒険」と同年の公開なので高畑勲に勧められ観た可能性が高い
⇒高畑は論理で考えるが宮崎には概念がなく抽象化されない
⇒今村は観念的で、その観念の裏付けのために調べ尽くす
⇒宮崎は全部を妄想や想像で発想して調べない
⇒物事の核心テーマを、自分の妄想をコラージュして掴み取って描ける稀有な人
⇒その意味で「もののけ姫」は観念的な「神々の深き欲望」に勝ったと密かに思っている
・とか、続きは「新映画道楽 体験的女優論」で・・・
・あとがきより
⇒この夏に76歳になった(2024)
⇒堀田善衛の「生き延びることだけが勇者ではない」に倣い残り少ない人生を大事に・・・
・・・
こういった感じで映画やテレビドラマの作品、監督、脚本、時代背景や思想、ジブリ作品との
関わりなどから、映画に登場する女優についての「体験的女優論」が展開されてましたが、
自分がファンになった女優たちへの思い入れだけでなく、監督や脚本家などへの思い入れや
作品に対する鋭い考察についても興味津々、最後まで一気に読みました

「体験的女優論」とゆー本の読書記録であります
著者略歴と奥付

そう、スタジオジブリ代表取締役プロデューサー鈴木敏夫が2021年4月から2024年5月まで
「日刊ゲンダイ」に毎週連載していた記事をまとめた本であります
上の略歴に本文から少し補足すると・・・
1948年に名古屋市に生まれ子どもの頃から両親の影響で邦画・洋画に親しんでいたとあり、
1967年に大学進学で上京、1972年に徳間書店に入社して配属は「週刊アサヒ芸能」編集部、
やがて雑誌「アニメージュ」編集部の時代にスタジオジブリ創設に関わり・・・となります
著者の学生時代は70年安保に向け揺れ動いていた頃、いっぽう宮崎駿は彼の8歳年上ですから、
学生時代は60年安保の最中、わたくしの学生時代は70年安保のいわば「焼け跡派」になるので、
著者の世代は宮崎駿の世代とわたくしの世代の中間になり、本書に登場する映画やテレビドラマ、
監督さんや女優さんたちには、けっこう親近感がありました
例によって目次のみ


「体験的女優論」なので目次には女優が並んでますが、女優名はいわば索引のようなもので、
内容は映画やテレビドラマの作品、監督、脚本、時代背景や思想、ジブリ作品との関わりなど
多岐に渡っており、まさに映画ファンとしての面目躍如、特にわたくしが放送当時には殆ど
観てなかった「優れたテレビドラマ」の紹介が興味深く新鮮だったので、本書で秀作とされてた
邦画と合わせて、いずれ観てみたいと思った次第
以下、思いつくままの読後メモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・最初に好きになった女優はヘイリー・ミルズで初めて英語でファンレターを出した
⇒当時は中学生で返事はなかったが後年ジブリ映画の世界配給でディズニー本社に行った際に、
好きなディズニー作品を聞かれヘイリー・ミルズ作品と言ったら後日、本人から手紙が来た!!!
⇒ファンレターを出してから35年ぶりにもらった返事だった

・宮崎駿は「陽のあたる坂道」などの芦川いづみの大ファンで、ルパン三世のクラリスから
風立ちぬの菜穂子まで、すべてのヒロインに投影されている
⇒木之内みどりもその流れを感じさせる女優で、クラリスの飼ってる犬の名前もテレビドラマ
「刑事犬カール」から絶対に取っていると僕は思っている

(発想の影に好きな女優への想いがあるのもジブリ作品の魅力)
・梶芽衣子は野良猫ロックシリーズ(1970~71)で大好きになる

⇒このシリーズに影響を与えたのは「冒険者たち」(1967)だと思っている
・1972年の春に徳間書店に入社したが夏に盲腸破裂で緊急手術、高熱で入院が続いていた
⇒「女囚701号さそり」(1972)は篠原とおる原作からのファンで、どうしても映画が観たくて、
⇒こっそり病院を抜け出しタクシーで公開初日の映画館に行った
⇒上映が終了した瞬間に気を失い運ばれたが救急車だとバレるのでタクシーで病院に戻った
⇒その夜からさらに高熱になり苦しんだが医者に本当のことは言えなかった

⇒退院して最初に買いに行ったのは梶芽衣子が映画で着ていたコート(表紙絵)と映画LPレコード

・宮崎駿は倍賞千恵子が映画デビューしてから「下町の太陽」あたりまでは、おそらく観ている
⇒当時の青春スターは日活なら吉永小百合、東映なら本間千代子、松竹が倍賞千恵子らで、
宮崎駿の大好きな工場で働く若者の映画が多かったがブルーカラーは倍賞千恵子がうまかった
⇒ハウルの動く城のソフィーも帽子職人なので提案したと思うがファンなので大賛成した
⇒彼女の歌も大好きで歌うときは高音なので娘も老婆もやれると思って出演を依頼した
⇒ジブリ作品は吉岡秀隆に「天空の城ラピュタ」DVDをプレゼントされて以来よく観てたそうで
快く引き受けてくれたが、映画のイメージとは異なり細かいことを気にしない明るい人だった
・「家族」(1970)は山田洋二監督の最高傑作
・サントリーCMシリーズ(少し愛して、ながーく愛して)は大原麗子の本当の意味での代表作
・風吹ジュンとゲド戦記(略)
・おもひでぽろぽろと今井美樹(略)
・加藤登紀子と紅の豚
⇒ジーナが登場することになった時点で宮崎駿は加藤さんだといった
(宮崎駿は彼女の歌をカセットテープが緩むぐらい聞き込んでいる)
⇒高畑勲の「おもひでぽろぽろ」は声を事前に録って、それを参考に絵を描くプレスコ方式
⇒その直後の「紅の豚」だったので「俺もプレスコやってみたい」と宮崎駿が言い出した
⇒加藤さんのロシア料理店で「さくらんぼの実る頃」を歌うシーンを撮影した
⇒客もスタッフになじみの人ばかりで印象深い収録になった
⇒「時には昔の話を」はスタジオ録音したが声がハスキーになり・・・(以下略)
・「崖の上のポニョ」のフジモトの名前は加藤登紀子の夫の藤本敏夫から
⇒英語版でのフジモトのキャラクター説明は難しかったので・・・(以下略)
・神代辰巳、岸田理生、寺山修司・・・(略)
・テレビのシナリオライターで最も好きなのは山田太一
⇒男たちの旅路、岸辺のアルバム、ふぞろいの林檎たち、早春スケッチブック・・・
⇒「欠点を鋭く指摘して人に恥ずかしい思いをさせるなんてことは、実に下劣なことです
素晴らしいのは、誰にも恥ずかしい思いをさせないような人格だ」
⇒このセリフは山田太一の寺山修司批判でもあると思う(二人は学生時代の親友)
⇒その後「北国の春」をデュエットし、超人と凡人が自分を乗り越えようと必死に歌う
⇒平凡な生活を批判して最後は普通の人をフォローして終わらせているのがすごい
⇒どちらも否定しない最後の言葉は山田太一の寺山修司へのリスペクトであると思う
・山田太一と寺山修司とアフォリズム(略)
・八千草薫のエッセイ集「まあまあふうふう」(馬馬虎虎⇒良い加減の意味⇒略)
・若大将シリーズで星由里子がマドンナの時代(1961~1968)は中学・高校時代と重なる
⇒当時は名古屋にいたが若大将シリーズで、それまでの大学生のイメージが払拭された
⇒東京の大学に行けばスポーツ、歌、ギターで夏は海、冬はスキーで恋するイメージに
⇒大食漢の設定をはじめ加山雄三に合わせたキャラクターだったが大きな影響を受けた
⇒高校まで憧れていて、その先の大学生活をイメージしていた
⇒ところが加山雄三の慶応義塾大学に入ってみるとギターもスポーツもなく学生運動に
⇒映画の中だけと実感したがギターも恋愛も影響は大きく、気分的には冷めていったが
写真集やレコードはいまだに全部持っている
⇒思春期の鈴木にとって星由里子の澄ちゃんは永遠のマドンナ

・「男はつらいよ」のテレビシリーズが好きで学生時代の定食屋で毎週欠かさず観ていた
⇒長山藍子のさくらが印象的だったので映画がいいとは思わなかったが、だんだん倍賞千恵子の
さくらがいいと思うようになっていった⇒マドンナとさくらのやりとりがいい
⇒映画シリーズの本当のマドンナは倍賞千恵子のさくらで彼女がいるから寅さんも・・・
・小津安二郎「麦秋」の「私でよかったら」のセリフ
⇒山田洋次「寅次郎相合い傘」でも高畑勲「おもひでぽろぽろ」でも好みなので使っている
・今村昌平の作品
⇒安保闘争にも高度経済成長にも寄り添っていないものばかりで逆に刺激的だった
⇒週刊アサヒ芸能での仕事と今村監督の仕事は人間臭い業界を徹底的に調べる点で共通していた
・ATGの1000万円映画シリーズ⇒今村昌平の「人間蒸発」から
⇒その露口茂が声を担当した「シャーロック・ホームズの冒険」(1985~1995)は僕も宮崎駿も
大好きで「耳をすませば」(1995)のバロンの声をお願いしたがセリフについて質問攻めに・・・
・今村監督初のカラー映画が「神々の深き欲望」(1968)
⇒近代合理主義⇒資本主義・社会主義・サルトルの実存主義とストロースの構造主義
⇒レヴィ・ストロースのテーマを映像として具現化したのが「神々の深き欲望」
・「もののけ姫」(1997)のテーマと舞台設定を1995年に宮崎駿から聞いて「神々の深き欲望」
を思い出したので「今村さんの映画みたいですね」と言ったら、宮さんの顔つきが変わり、
「それって、神々の深き欲望だよね」とすぐに返ってきた
⇒あれだけ映画タイトルを覚えない人が覚えていたのだから、よほど印象に残ってたはず
⇒どちらも南の島から来た日本人の原型をシシ神の前後と近代化の前後で探す試み
⇒「太陽の王子ホルスの大冒険」と同年の公開なので高畑勲に勧められ観た可能性が高い
⇒高畑は論理で考えるが宮崎には概念がなく抽象化されない
⇒今村は観念的で、その観念の裏付けのために調べ尽くす
⇒宮崎は全部を妄想や想像で発想して調べない
⇒物事の核心テーマを、自分の妄想をコラージュして掴み取って描ける稀有な人
⇒その意味で「もののけ姫」は観念的な「神々の深き欲望」に勝ったと密かに思っている
・とか、続きは「新映画道楽 体験的女優論」で・・・
・あとがきより
⇒この夏に76歳になった(2024)
⇒堀田善衛の「生き延びることだけが勇者ではない」に倣い残り少ない人生を大事に・・・
・・・
こういった感じで映画やテレビドラマの作品、監督、脚本、時代背景や思想、ジブリ作品との
関わりなどから、映画に登場する女優についての「体験的女優論」が展開されてましたが、
自分がファンになった女優たちへの思い入れだけでなく、監督や脚本家などへの思い入れや
作品に対する鋭い考察についても興味津々、最後まで一気に読みました
2025年03月29日
スタジオジブリ全作品集(増補改訂版)
とーとつですが・・・

「スタジオジブリ全作品集」増補改訂版のご紹介であります
裏表紙カバー

奥付

そう「君たちはどう生きるか」の公開により増補改訂された最新版であります
例によって目次と・・・

今回は惹句がわりに「はじめに」と「各作品ページの読み方」もご紹介

こんな感じでジブリ側の立場から全作品が紹介されてて、制作秘話や注目ポイントなど、
知らなかったこと、気づかなかったこともけっこうあって熟読しました
作品紹介以外の読み物も興味深く、特に全く知らなかったのが、北米での配給を手がけた
GKIDS創設者兼CEOであるエリック・ベックマンからの寄稿内容でした
以下、その部分からのランダムなメモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・ディズニー社がジブリ作品を扱っていた1999年、2年前に共同で立ち上げたニューヨーク
国際子ども映画祭NYICFFで「魔女の宅急便」英語吹き替え版をプレミア上映した
⇒観客は魅了され涙を流しながら私に話しかけてきた
⇒翌年の日本アニメ特集のオープニングで「天空の城ラピュタ」英語吹き替え版をプレミア上映、
この時に初めてジブリの関係者(スティーブン・アルバート)と会った
・「崖の上のポニョ」が出品されていたロサンゼルス映画祭でスティーブン・アルバートから
ランチに招待され、映画芸術としてのアニメーションとか、アメリカのアニメーション映画は
事実上企業の商品だとか、実写映画のようにアニメーションでもインディペンデントが繁栄できる
環境づくりに貢献したいとか、いつものように延々と語りまくってたら、ジブリ作品の劇場権を
扱ってみないかと誘われた
⇒となりのトトロ、風の谷のナウシカ、千と千尋の神隠し、天空の城ラピュタ、魔女の宅急便、
もののけ姫・・・どれも重要で象徴的な傑作だったので、もちろんイエスと即答した
⇒35mmニュープリントを作りニューヨークIFCセンターで大掛かりに4週間、チケットは完売し、
その他の主要都市でも定期上映したがプレスにも観客にも好評でジブリも大満足だった
・スティーブン・アルバートの後任ジェフ・ウェクスラーから「コクリコ坂から」の配給を
やってみないかとの打診があった
⇒それまでは既存作品の劇場公開のみで新作はいつもディズニーだったので、これはジブリが
自分たちに映画を託すことを物語っている
⇒アカデミー賞でいくらか成功を収め、ジブリライブラリー作品でも良い仕事をしてきたが、
こちらはごく小さな会社でディズニーは世界一のアニメーション・スタジオ・・・
⇒それでもスタジオジブリが私たちを信じてくれたおかげで、多くの海外アニメーションの
アメリカ公開に繋がり、2016年末までに長編アニメーション部門にノミネートされた作品は
合計9本になった
・「かぐや姫の物語」は映画の最高傑作だと思うが誰もが受け入れるわけではない
(個人的にはその人の死に対する考え方(死を受け入れるかどうか)によると思う)
⇒トロント国際映画祭でのプレミア上映で私の真後ろにいた若いカップルの男性が映画のラストで
我慢できずにおいおいと泣き出し、あまり親しくなさそうな女性が懸命に慰めようとしていた
⇒それは胸に刺さる光景だった
⇒劇場を出てからTwitterでプレスの反応をチェックすると、
「この映画が私に何をもたらしたか、とても語り尽くせない」
「圧倒された」
「詳細を書く前に気持ちを落ち着かせる必要があるが、この作品は最高傑作だ」
「大泣きしてマスカラまみれの顔でトロントの街をふらふら歩き回っている」
といったものばかりで否定的なレビューはひとつもなかった
⇒この年のアカデミー賞にノミネートされ翌年は「思い出のマーニー」がノミネートされた
・2017年にはジブリライブラリー作品のホームビデオ権を打診されて権利を得た
⇒GKIDSはユニバーサル・ホームビデオと組んでいたがジブリ作品の契約合意ができず、
自分たちで全作品を再オーサリングして新しいジャケットにボーナス映像を入れて販売した
⇒最初の年でこれまでのディズニー年間売り上げの倍になり社内でも誰もがファンになり、
作品リリースに全身全霊を注いでいる⇒これは大きな配給会社ではできないこと
・その後の3年間でジブリに限らず日本アニメの観客が爆発的に増えた
(細田守の「未来のミライ」は、はじめてゴールデングローブ賞にノミネート、ジブリ以外で
はじめてのアカデミー賞長編アニメーション部門にもノミネート、新海誠の「天気の子」は
800万ドル近い興行収入を上げたがコロナで全米の映画館が閉館して公開が終了した)
・2019年1月にはジブリでは決してなかったデジタル・プラットフォーム化の打診があった
⇒1年後に配信、コロナで多くが家での視聴となり新しい観客がジブリと出会うことになった
・「君たちはどう生きるか」については別稿にまかせるが・・・
⇒スタジオジブリが私たちを信頼してくれたこと、この作品に関われたことに感謝している
⇒宮崎駿を他のアニメーション作家と較べないようにスタッフにメモした
⇒素晴らしい映画監督とさえ比較しないで欲しいとも・・・比較するならアインシュタイン、
マイケル・ジョーダン、ゴッホ、モーツァルトといった人たちで100年にひとりの逸材だと
⇒トロント映画祭プレミア上映のイントロダクションで「モーツァルトがまだ作曲している
時代に生きていることを、皆さんは幸せに思うべきだ」と、メモを渡したわけでもない
ギレルモ・デル・トロが全く同じことを言ってくれて本当に嬉しかった
・私は初め「君たちはどう生きるか」を大きな映画祭だけで上映して、それから予告編や
宣伝で盛り上げていこうと考えていた
⇒そうすれば限られた人数だけが作品を見るようコントロールできるからだ
(複雑な映画ゆえに公開前に少数でも否定的なレビューが出たらマイナスインパクトになる)
⇒しかし作品に衝撃を受けた配給部門のチャンス・ハスキーは、観客や批評家がこの作品を
理解できると信じるべきだと主張した
⇒アニメーションを見ない層からの支持も必要で、その強化には数ヶ月かかるだろうとも
⇒私は配給チームを信じることにし、多くの映画祭やイベントに参加して拡大公開の3週間前に
ニューヨークとロサンゼルスで試写会を開いた
⇒結果は報われ「君たちはどう生きるか」は全米初登場1位となった
・・・
ジブリ側への寄稿なので中にはヨイショもあるのでしょうが、北米での売り手側の熱意が
ひしひしと伝わってきて感動しました

「スタジオジブリ全作品集」増補改訂版のご紹介であります

裏表紙カバー

奥付

そう「君たちはどう生きるか」の公開により増補改訂された最新版であります
例によって目次と・・・

今回は惹句がわりに「はじめに」と「各作品ページの読み方」もご紹介

こんな感じでジブリ側の立場から全作品が紹介されてて、制作秘話や注目ポイントなど、
知らなかったこと、気づかなかったこともけっこうあって熟読しました
作品紹介以外の読み物も興味深く、特に全く知らなかったのが、北米での配給を手がけた
GKIDS創設者兼CEOであるエリック・ベックマンからの寄稿内容でした
以下、その部分からのランダムなメモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・ディズニー社がジブリ作品を扱っていた1999年、2年前に共同で立ち上げたニューヨーク
国際子ども映画祭NYICFFで「魔女の宅急便」英語吹き替え版をプレミア上映した
⇒観客は魅了され涙を流しながら私に話しかけてきた
⇒翌年の日本アニメ特集のオープニングで「天空の城ラピュタ」英語吹き替え版をプレミア上映、
この時に初めてジブリの関係者(スティーブン・アルバート)と会った
・「崖の上のポニョ」が出品されていたロサンゼルス映画祭でスティーブン・アルバートから
ランチに招待され、映画芸術としてのアニメーションとか、アメリカのアニメーション映画は
事実上企業の商品だとか、実写映画のようにアニメーションでもインディペンデントが繁栄できる
環境づくりに貢献したいとか、いつものように延々と語りまくってたら、ジブリ作品の劇場権を
扱ってみないかと誘われた
⇒となりのトトロ、風の谷のナウシカ、千と千尋の神隠し、天空の城ラピュタ、魔女の宅急便、
もののけ姫・・・どれも重要で象徴的な傑作だったので、もちろんイエスと即答した
⇒35mmニュープリントを作りニューヨークIFCセンターで大掛かりに4週間、チケットは完売し、
その他の主要都市でも定期上映したがプレスにも観客にも好評でジブリも大満足だった
・スティーブン・アルバートの後任ジェフ・ウェクスラーから「コクリコ坂から」の配給を
やってみないかとの打診があった
⇒それまでは既存作品の劇場公開のみで新作はいつもディズニーだったので、これはジブリが
自分たちに映画を託すことを物語っている
⇒アカデミー賞でいくらか成功を収め、ジブリライブラリー作品でも良い仕事をしてきたが、
こちらはごく小さな会社でディズニーは世界一のアニメーション・スタジオ・・・
⇒それでもスタジオジブリが私たちを信じてくれたおかげで、多くの海外アニメーションの
アメリカ公開に繋がり、2016年末までに長編アニメーション部門にノミネートされた作品は
合計9本になった
・「かぐや姫の物語」は映画の最高傑作だと思うが誰もが受け入れるわけではない
(個人的にはその人の死に対する考え方(死を受け入れるかどうか)によると思う)
⇒トロント国際映画祭でのプレミア上映で私の真後ろにいた若いカップルの男性が映画のラストで
我慢できずにおいおいと泣き出し、あまり親しくなさそうな女性が懸命に慰めようとしていた
⇒それは胸に刺さる光景だった
⇒劇場を出てからTwitterでプレスの反応をチェックすると、
「この映画が私に何をもたらしたか、とても語り尽くせない」
「圧倒された」
「詳細を書く前に気持ちを落ち着かせる必要があるが、この作品は最高傑作だ」
「大泣きしてマスカラまみれの顔でトロントの街をふらふら歩き回っている」
といったものばかりで否定的なレビューはひとつもなかった
⇒この年のアカデミー賞にノミネートされ翌年は「思い出のマーニー」がノミネートされた
・2017年にはジブリライブラリー作品のホームビデオ権を打診されて権利を得た
⇒GKIDSはユニバーサル・ホームビデオと組んでいたがジブリ作品の契約合意ができず、
自分たちで全作品を再オーサリングして新しいジャケットにボーナス映像を入れて販売した
⇒最初の年でこれまでのディズニー年間売り上げの倍になり社内でも誰もがファンになり、
作品リリースに全身全霊を注いでいる⇒これは大きな配給会社ではできないこと
・その後の3年間でジブリに限らず日本アニメの観客が爆発的に増えた
(細田守の「未来のミライ」は、はじめてゴールデングローブ賞にノミネート、ジブリ以外で
はじめてのアカデミー賞長編アニメーション部門にもノミネート、新海誠の「天気の子」は
800万ドル近い興行収入を上げたがコロナで全米の映画館が閉館して公開が終了した)
・2019年1月にはジブリでは決してなかったデジタル・プラットフォーム化の打診があった
⇒1年後に配信、コロナで多くが家での視聴となり新しい観客がジブリと出会うことになった
・「君たちはどう生きるか」については別稿にまかせるが・・・
⇒スタジオジブリが私たちを信頼してくれたこと、この作品に関われたことに感謝している
⇒宮崎駿を他のアニメーション作家と較べないようにスタッフにメモした
⇒素晴らしい映画監督とさえ比較しないで欲しいとも・・・比較するならアインシュタイン、
マイケル・ジョーダン、ゴッホ、モーツァルトといった人たちで100年にひとりの逸材だと
⇒トロント映画祭プレミア上映のイントロダクションで「モーツァルトがまだ作曲している
時代に生きていることを、皆さんは幸せに思うべきだ」と、メモを渡したわけでもない
ギレルモ・デル・トロが全く同じことを言ってくれて本当に嬉しかった
・私は初め「君たちはどう生きるか」を大きな映画祭だけで上映して、それから予告編や
宣伝で盛り上げていこうと考えていた
⇒そうすれば限られた人数だけが作品を見るようコントロールできるからだ
(複雑な映画ゆえに公開前に少数でも否定的なレビューが出たらマイナスインパクトになる)
⇒しかし作品に衝撃を受けた配給部門のチャンス・ハスキーは、観客や批評家がこの作品を
理解できると信じるべきだと主張した
⇒アニメーションを見ない層からの支持も必要で、その強化には数ヶ月かかるだろうとも
⇒私は配給チームを信じることにし、多くの映画祭やイベントに参加して拡大公開の3週間前に
ニューヨークとロサンゼルスで試写会を開いた
⇒結果は報われ「君たちはどう生きるか」は全米初登場1位となった
・・・
ジブリ側への寄稿なので中にはヨイショもあるのでしょうが、北米での売り手側の熱意が
ひしひしと伝わってきて感動しました

2025年02月15日
KF21若鷹の祝賀会???
とーとつですが、わたくし・・・
韓国空軍の最新鋭戦闘機KF21ボラメ(若鷹⇒2026年から配備予定ウィキより)

・・・の祝賀会に参加してきました
???
ま、正しくは同機の1/72スケールモデル(韓国アカデミー社製)・・・

が、某誌の読者プレゼントで当った軍用機マニアの当選祝賀会(名目の飲み会)でしたが
つーことで指定された祝賀会場は、

なんばパークス6Fにある韓国料理店・・・


bibim(ビビム)とゆーお店でした
参加したのは当選者さんとひさしぶりのMe109k4さんとわたくしの3人、そりゃあ、
こんな名目で集まる地球生命体つーのは絶対数が限られますからね
そう、お二人は軍用機マニア、わたくしも一応「搭載機銃つながり」つーことで
で、当日のわたくしからお二人への豪華プレゼント


ま、葉巻の空き缶なんですが
フタ裏の写真は朝鮮戦争当時のパイロットたち
すでに廃版品なので稀少品といえば稀少品なのでありますね
つーことで、豪華賞品(本人はレシプロ機が専門なんですが
)の当選を祝して、


「ハッピーアワー」の飲み物で乾杯!!!
以後は延々と飲みつつ食べつつ、軍用機や戦争映画などのヲタ話が続きました
Me109k4さんとはじつにひさしぶり、当選者さんとは最近も同期の集まりで飲んでましたが、
そんな席でこんな話題で盛り上がることはなかったので
3人で大いに盛り上がりました
同じ機体の話をしてても、同じ映画の話をしてても、興味分野が各自で全く異なるので、
「それには気づかなかったなあ」とゆー話題も多くて飽きませんでしたねえ・・・
そーいやMe109k4さんとは昔「戦争映画を観る会」でメンフィスベルや紅の豚なんぞを観て、
映画館を出た後に感想を話し合ってたけど、各自の興味分野のシーンはしっかり覚えてたものの、
それ以外のストーリーなんぞは、誰もあまり覚えてなかったな・・・あははは
わたくしが殆ど知らない世界でもマニア同士の会話つーのは、やはり興味津々でした
と、せっかくなので当日の韓国料理もいくつか紹介しておきます・・・



ええ、残念ながら「正統派ブデチゲ」はメニューにありませんでした
韓国空軍の最新鋭戦闘機KF21ボラメ(若鷹⇒2026年から配備予定ウィキより)

・・・の祝賀会に参加してきました
???
ま、正しくは同機の1/72スケールモデル(韓国アカデミー社製)・・・

が、某誌の読者プレゼントで当った軍用機マニアの当選祝賀会(名目の飲み会)でしたが

つーことで指定された祝賀会場は、

なんばパークス6Fにある韓国料理店・・・


bibim(ビビム)とゆーお店でした
参加したのは当選者さんとひさしぶりのMe109k4さんとわたくしの3人、そりゃあ、
こんな名目で集まる地球生命体つーのは絶対数が限られますからね

そう、お二人は軍用機マニア、わたくしも一応「搭載機銃つながり」つーことで

で、当日のわたくしからお二人への豪華プレゼント



ま、葉巻の空き缶なんですが


すでに廃版品なので稀少品といえば稀少品なのでありますね
つーことで、豪華賞品(本人はレシプロ機が専門なんですが



「ハッピーアワー」の飲み物で乾杯!!!
以後は延々と飲みつつ食べつつ、軍用機や戦争映画などのヲタ話が続きました
Me109k4さんとはじつにひさしぶり、当選者さんとは最近も同期の集まりで飲んでましたが、
そんな席でこんな話題で盛り上がることはなかったので

同じ機体の話をしてても、同じ映画の話をしてても、興味分野が各自で全く異なるので、
「それには気づかなかったなあ」とゆー話題も多くて飽きませんでしたねえ・・・
そーいやMe109k4さんとは昔「戦争映画を観る会」でメンフィスベルや紅の豚なんぞを観て、
映画館を出た後に感想を話し合ってたけど、各自の興味分野のシーンはしっかり覚えてたものの、
それ以外のストーリーなんぞは、誰もあまり覚えてなかったな・・・あははは

わたくしが殆ど知らない世界でもマニア同士の会話つーのは、やはり興味津々でした
と、せっかくなので当日の韓国料理もいくつか紹介しておきます・・・



ええ、残念ながら「正統派ブデチゲ」はメニューにありませんでした

2024年12月07日
某SF研究会・創立54周年???
さる11月27日に某大学SF研究会の創立54周年???宴会同窓会に参加してたので、
忘れないうちに脳の外部記憶としてメモしておきます
じつは14年前の創立40周年式典を皮切りに創立45周年式典と、5年おきに現役学生を中心に
企画開催してくれてたのですが、いよいよ創立50周年記念大式典!!!の年がコロナ禍と重なり、
中止になった経過があり落ち込んでたのですが、ずっとお世話してくれてたS本さんから
「その後も同学年を中心に少人数が大学EVE祭の時期に京都で何回か集まってますので、
98k先輩もよかったら・・・」と古いメルアドにお誘いがあり、喜んで参加してきた次第
会場は四条河原町にある懐かしいミュンヘンの2階、3時の集合でした


遠方からの参加者も多く集合時間までに何名かが大学EVE祭にも行かれてたようですが、
今年のSF研ブースは見つけられなかったとか・・・
で、今回宴会同窓会の入場券???

って、こちらは当時のSF研ブースの入場券で当日後輩が持参してくれてたもの
SF研プロレス・ショーの始まりは第100回記念EVE祭からだったんですね・・・
で、これが大盛況で翌年はブースに使う教室を大きくして入場料も倍にして大儲けしたのね!!!
今年のEVE祭が第149回でしたから49年前と48年前の貴重な資料であります
我々創設時メンバーが初めてのEVE祭出店で手塚治虫の実験アニメーション「ある街角の物語」
などの映画喫茶をやってから数年後になり、偶然プロレスファンの後輩が複数名入会してきて、
単なるノリではじまった怪しいショー(上級生も面白がってノッてたけど)でしたが、
おそらくこれが日本初の「アマチュア・プロレス・ショー」だったはず・・・
で、今回メンバーでは最古参になるわたくしに乾杯音頭の要請があったので・・・
「それでは創立54周年と筒井康隆大先輩が元気で生誕90周年を迎えられたことを祝して、」
長寿と繁栄を、ついでにフォースと共にあらんことを・・・
ごくごくごく
ま、以後は昔の空想科学少年少女たち16名が(隣の料理まで奪い合い
)ひたすら食べて飲んで、
ひたすらヲタ話や昔話や近況報告で盛り上がってました

今もSF関係に関わってる後輩も何人かいて、創設者のK山さんも京大SF研の安田さんも
同期のSS木くんも元気と聞いて安心しました
そーいや神大SF研のY本さんらはどうされてるんだろう・・・
たまたま関大SF研とは古いSNSで繋がりがあるので、S本さんに「このメンバーだけでも
LINEグループとかを始めたら便利なのでは?」と提案したのですが・・・
「それが今もガラケーだけとか、SNSとは無縁のメンバーも多くて・・・あはは
」
「このSF研の不思議な伝統やね、筒井大先輩はワープロ小説とかネット小説の先駆者やのに
ま、自分も20年前から変わらずブログ形式やから他人のことは言えんけど・・・あはは
」
と、さすがに4年以上離れてる後輩には覚えのない顔もありましたが、それでも4回生の時の
1回生が4回生になった時の1回生とは繋がってるわけだし、宴席もそんな感じで並んでました
なにせ当時の趣味が共通だった仲間が集まってるので話題は尽きず、じつに楽しい飲み会でした
このあたりは世代が異なってても楽しい前回記事のライトOFF会と同じですね
S本さんO久保さんはじめお世話になった皆さん、じつに楽しかったです ありがとね!!!
次回も是非誘って下さいね!!!
ええ、メールでも電報でも手旗信号でも、伝書鳩でも太鼓でも狼煙でもいいので・・・
(おまけ)
せっかくなので当日?の宴会スナップ画像も・・・





そう、半世紀ほどタイムスリップした当時の宴会スナップであります
そーいや、この時に宴会場で見知らぬ老女から懐中電灯もとい懐中時計をもらって、その後に
泊った旅館の資料室にあった美女の写真に魅せられ、さらに過去へタイムスリップしたな・・・
(「ある日どこかで(リチャード・マシスン)」より)
(1976年のSF、映画化は1980年でクリストファー・リーヴ主演、SF映画の佳作でしたね
)
忘れないうちに脳の外部記憶としてメモしておきます
じつは14年前の創立40周年式典を皮切りに創立45周年式典と、5年おきに現役学生を中心に
企画開催してくれてたのですが、いよいよ創立50周年記念大式典!!!の年がコロナ禍と重なり、
中止になった経過があり落ち込んでたのですが、ずっとお世話してくれてたS本さんから
「その後も同学年を中心に少人数が大学EVE祭の時期に京都で何回か集まってますので、
98k先輩もよかったら・・・」と古いメルアドにお誘いがあり、喜んで参加してきた次第
会場は四条河原町にある懐かしいミュンヘンの2階、3時の集合でした


遠方からの参加者も多く集合時間までに何名かが大学EVE祭にも行かれてたようですが、
今年のSF研ブースは見つけられなかったとか・・・
で、今回

って、こちらは当時のSF研ブースの入場券で当日後輩が持参してくれてたもの

SF研プロレス・ショーの始まりは第100回記念EVE祭からだったんですね・・・
で、これが大盛況で翌年はブースに使う教室を大きくして入場料も倍にして大儲けしたのね!!!
今年のEVE祭が第149回でしたから49年前と48年前の貴重な資料であります
我々創設時メンバーが初めてのEVE祭出店で手塚治虫の実験アニメーション「ある街角の物語」
などの映画喫茶をやってから数年後になり、偶然プロレスファンの後輩が複数名入会してきて、
単なるノリではじまった怪しいショー(上級生も面白がってノッてたけど)でしたが、
おそらくこれが日本初の「アマチュア・プロレス・ショー」だったはず・・・
で、今回メンバーでは最古参になるわたくしに乾杯音頭の要請があったので・・・
「それでは創立54周年と筒井康隆大先輩が元気で生誕90周年を迎えられたことを祝して、」
長寿と繁栄を、ついでにフォースと共にあらんことを・・・


ま、以後は昔の空想科学少年少女たち16名が(隣の料理まで奪い合い

ひたすらヲタ話や昔話や近況報告で盛り上がってました

今もSF関係に関わってる後輩も何人かいて、創設者のK山さんも京大SF研の安田さんも
同期のSS木くんも元気と聞いて安心しました
そーいや神大SF研のY本さんらはどうされてるんだろう・・・
たまたま関大SF研とは古いSNSで繋がりがあるので、S本さんに「このメンバーだけでも
LINEグループとかを始めたら便利なのでは?」と提案したのですが・・・
「それが今もガラケーだけとか、SNSとは無縁のメンバーも多くて・・・あはは

「このSF研の不思議な伝統やね、筒井大先輩はワープロ小説とかネット小説の先駆者やのに

ま、自分も20年前から変わらずブログ形式やから他人のことは言えんけど・・・あはは

と、さすがに4年以上離れてる後輩には覚えのない顔もありましたが、それでも4回生の時の
1回生が4回生になった時の1回生とは繋がってるわけだし、宴席もそんな感じで並んでました
なにせ当時の趣味が共通だった仲間が集まってるので話題は尽きず、じつに楽しい飲み会でした
このあたりは世代が異なってても楽しい前回記事のライトOFF会と同じですね
S本さんO久保さんはじめお世話になった皆さん、じつに楽しかったです ありがとね!!!
次回も是非誘って下さいね!!!
ええ、メールでも電報でも手旗信号でも、伝書鳩でも太鼓でも狼煙でもいいので・・・

(おまけ)
せっかくなので当日?の宴会スナップ画像も・・・





そう、半世紀ほどタイムスリップした当時の宴会スナップであります

そーいや、この時に宴会場で見知らぬ老女から懐中電灯もとい懐中時計をもらって、その後に
泊った旅館の資料室にあった美女の写真に魅せられ、さらに過去へタイムスリップしたな・・・
(「ある日どこかで(リチャード・マシスン)」より)
(1976年のSF、映画化は1980年でクリストファー・リーヴ主演、SF映画の佳作でしたね

2024年09月12日
ゴルゴ13と・・・
前回記事からの続きつーか、むしろ前々回記事からの続きつーか・・・
9月7日、堺市役所展望ロビー南側で開催されたマレーシアごはんトークイベント終了後は、

ハニワ部長の案内で百舌鳥古墳群を!!!
ではなく・・・
展望ロビー北側に廻って・・・

98k部長???の案内でゴルゴ13をば!!!
そう、こちらでは、ゴルゴ13×堺市~さいとう たかを 劇画の世界~
とゆーパネル展示が開催中(2年前から常設展示)なのでありますね
さいとう・たかを・・・ゴルゴ13・・・
わたくし世代にはまさにバイブルで前々回記事も、前々前回記事もその延長上かもです
と、さっそく展示会場へ・・・

入ってすぐ左の展示スペースには、もともと鉄砲(火縄銃)や刃物類が展示されてましたが、
今回は何とゴルゴ13のウェポン・コレクション展示に!!! さすが鉄砲町だった堺です
もちろん劇画作品などは著作物なんですが、撮った画像に「#ゴルゴ13堺市」をつければ、
SNSなどにも投稿可能とありましたので、以下の画像につけさせていただいてます
さいとう・たかを・・・

#ゴルゴ13堺市
堺のご出身で2021年に亡くなられたんですね
ちなみにデューク「東郷」は、子どものころ可愛がってくれた先生の名前からとありました
会場にはゴルゴ13だけでなく・・・

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
サバイバル
などの作品も展示されてましたが、メインはやはりゴルゴ13・・・
中でも、わたくしが惹かれたのは作品でデューク東郷が使った銃の一部を展示する、
ウェポン・コレクションのコーナーでした
で、最初に展示されてた銃はアーマライトM16A2カスタム

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
中央の赤い弾痕から展示スペースを覗けば・・・

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
(超広角レンズを持ってないので長物は分割撮影に
)
で、二丁めの銃は同じくアーマライトM16の変形銃

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
やはり銃を構えるときの効果音は「チャッ」でキマリですね

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
三丁めの銃はAK-47

#ゴルゴ13堺市
で、「チャッ」のあとの効果音は「ズキュウーン」でキマリ

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
ジョシュ・ダフィーは短銃身・折りたたみ銃床タイプを選択してましたね
で、展示最後の銃がS&W M36チーフス・スペシャル

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
M16、AK47、SWチーフは、わたくしでも昔トイガンを買って夢中で遊んでたぐらいで、
アクション映画などではおなじみの銃ですね
西部劇ならウィンチェスターM73とコルト・ピースメーカー、第二次世界大戦を描いた映画なら、
サブマシンガンはMP38/40対トンプソン、拳銃はルガーP08やワルサーP38対コルト・ガバメント、
小銃はモーゼル98k対MIガーランド、機関銃はMG34やMG42対ブローニングM2、さらに
米軍対ドイツ軍以外になるとですね・・・くどくど
(キリがないので閑話休題)
以下はゴルゴ13のパネル展示からランダムに一部を紹介・・・

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
そう、わたくしも日本を代表するハードボイルドらしく「俺は一人の呑んだくれだ」
つーことで、気分はすっかりマレーシアのデューク東郷???になりきって???
堺東の駅前商店街をふらふらと・・・


こんな看板があれば、ついつい・・・






そう、看板メニューの浜焼セットなんぞで・・・






この日、楽しませてもらった音さん熊さん、故さいとう・たかをさんに感謝を込めて

9月7日、堺市役所展望ロビー南側で開催されたマレーシアごはんトークイベント終了後は、

ハニワ部長の案内で百舌鳥古墳群を!!!
ではなく・・・
展望ロビー北側に廻って・・・

98k部長???の案内でゴルゴ13をば!!!
そう、こちらでは、ゴルゴ13×堺市~さいとう たかを 劇画の世界~
とゆーパネル展示が開催中(2年前から常設展示)なのでありますね

さいとう・たかを・・・ゴルゴ13・・・
わたくし世代にはまさにバイブルで前々回記事も、前々前回記事もその延長上かもです

と、さっそく展示会場へ・・・


入ってすぐ左の展示スペースには、もともと鉄砲(火縄銃)や刃物類が展示されてましたが、
今回は何とゴルゴ13のウェポン・コレクション展示に!!! さすが鉄砲町だった堺です
もちろん劇画作品などは著作物なんですが、撮った画像に「#ゴルゴ13堺市」をつければ、
SNSなどにも投稿可能とありましたので、以下の画像につけさせていただいてます
さいとう・たかを・・・

#ゴルゴ13堺市
堺のご出身で2021年に亡くなられたんですね
ちなみにデューク「東郷」は、子どものころ可愛がってくれた先生の名前からとありました
会場にはゴルゴ13だけでなく・・・

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
サバイバル

中でも、わたくしが惹かれたのは作品でデューク東郷が使った銃の一部を展示する、
ウェポン・コレクションのコーナーでした

で、最初に展示されてた銃はアーマライトM16A2カスタム


#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
中央の赤い弾痕から展示スペースを覗けば・・・

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
(超広角レンズを持ってないので長物は分割撮影に

で、二丁めの銃は同じくアーマライトM16の変形銃


#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
やはり銃を構えるときの効果音は「チャッ」でキマリですね


#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
三丁めの銃はAK-47


#ゴルゴ13堺市
で、「チャッ」のあとの効果音は「ズキュウーン」でキマリ


#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
ジョシュ・ダフィーは短銃身・折りたたみ銃床タイプを選択してましたね

で、展示最後の銃がS&W M36チーフス・スペシャル


#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
M16、AK47、SWチーフは、わたくしでも昔トイガンを買って夢中で遊んでたぐらいで、
アクション映画などではおなじみの銃ですね
西部劇ならウィンチェスターM73とコルト・ピースメーカー、第二次世界大戦を描いた映画なら、
サブマシンガンはMP38/40対トンプソン、拳銃はルガーP08やワルサーP38対コルト・ガバメント、
小銃はモーゼル98k対MIガーランド、機関銃はMG34やMG42対ブローニングM2、さらに
米軍対ドイツ軍以外になるとですね・・・くどくど

(キリがないので閑話休題)
以下はゴルゴ13のパネル展示からランダムに一部を紹介・・・

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市

#ゴルゴ13堺市
そう、わたくしも日本を代表するハードボイルドらしく「俺は一人の呑んだくれだ」

つーことで、気分はすっかりマレーシアのデューク東郷???になりきって???
堺東の駅前商店街をふらふらと・・・


こんな看板があれば、ついつい・・・







そう、看板メニューの浜焼セットなんぞで・・・






この日、楽しませてもらった音さん熊さん、故さいとう・たかをさんに感謝を込めて

