植林
2024年10月08日
皇紀3千年「実論夢想」
とーとつですが本日・・・
わたくしも手伝っていた海外植林ボランティア団体N.GKS(もと緑の協力隊・関西澤井隊)の
澤井代表に関する2冊目の本が、3年前の「アッと驚く! 90歳」に続いて出版されました
(N.GKS関係者には、いずれ郵送などで届くはずです)
皇紀3千年(西暦2340年)「実論夢想」
表紙カバーは1993年シリア・パルミナ遺跡にて
裏表紙カバーは冬の大三角形とオリオン座・・・眼下蒼天
奥付
産経新聞生活情報センター 2024年10月8日 第1刷発行
著者紹介
共著になってますが「アッと驚く! 90歳」の著者である藤本氏が、前後足掛け5年間にわたり、
ほぼ月2回のペースで行った澤井代表へのインタビューと、澤井代表が保管している膨大な
過去資料から、歴史事実や澤井代表の生き方や考え方を引用しつつ、日本や世界の現状分析と
今後300年にわたる将来展望について、分かりやすくまとめられた本であります
1931年生まれの澤井代表にとって、紀元といえばキリスト紀元ではなく神武紀元(皇紀)であり、
子どもの頃に迎えた紀元2600年(1940年)の300年前の日本は江戸時代前期、その頃の人たちの
何人が300年後の日本を想像できたであろうか、今の政治家はじめ何人が300年後へのビジョンを
持っているのか、自分は300年後の皇紀3000年に向けて実論による夢想を藤本氏に語ったと・・・
膨大な資料をアナログ整理して保存、それらに関する記憶が90歳を超えても正確に残っていて、
それを最新の日本や世界の情勢と結びつけて主張する澤井代表も凄いですが、5年間にわたる
インタビューの膨大なメモを整理して資料と照合のうえ、それらを引用して最終的に自分の
文章としてまとめ上げた藤本氏の聞き手としての能力も筆力も凄いと感心しました
例によって目次の紹介
特に地熱発電についての現状、商業ベースに乗る熱源の資源量(2300万kw)は世界3位なのに
発電設備が世界10位(49万kw)まで落ちたのは、目先の利益追求という浅はかな企業論理とか、
政府支援の打ち切り(1990年代)とか、温泉街の反対とか国立公園内は許可されないからとか、
業務スーパー創業者の熱意などについても知らないことも多く目からウロコでした
(ちなみに日本の電力消費は1億~1億4000万kw/h程度なので、商業ベースだけで考えても
1/4から1/6程度は地熱発電で賄えることになりますね)
確かに地熱発電なら、火山国では資源は無尽蔵タダでCO2も核廃棄物も出さず、大規模な
太陽光や風力、水力、大規模バイオマスのような環境破壊もなく天候にも左右されず24時間
365日稼働可能な純国産エネルギーですね
どの項目にも出版直前までの最新情報による、現在の最先端技術や混迷する世界の現状が
紹介されており、それを澤井代表が半世紀以上も前から予測し警告していたという事実を、
当時の澤井代表が書いた文章などから発見し、そのことに何度も驚嘆したと、藤本氏が書いて
おられましたが、あちこちにハナシが跳ぶインタビューから、それらを見つけ出す藤本氏の
聞き手としての能力に、むしろわたくしは驚嘆しました
当ブログサイト書斎カテゴリで紹介しているような歴史や環境や最新科学に関する書籍も、
多くを精読されておられるようで、それぞれの著者とは、おそらく意見は異なるのでしょうが、
まさに幅広い最新知識があってこその労作ですね
さすがはベテラン手練れのもと新聞記者であります
とても内容すべては紹介できませんし澤井代表や藤本氏の主張についても、見方によっては
異論もあるでしょうが、特に林業・林政や教育・環境については100年先200年先を見越した
ビジョンが必要なことは間違いありません
ここでは末尾にあった写真資料のうち海外植林ボランティアに関する部分のみ新聞記事を
中心に、ランダムに一部を紹介させていただきます
(出版物の添付資料なので公開に問題があるようなら非公開設定にします)
2012年、N.GKS第16次隊(ボルネオ)に関する毎日新聞の記事
2018年、N.GKS最後となった第23次隊(内モンゴル)に関する読売新聞の記事
2011年、東日本大震災支援へのお礼も込めた第15次隊(モンゴル)などの植林活動に対し、
モンゴル特命全権大使から感謝状を受けたことを伝える京都新聞の記事
2013年、第18次隊(ボルネオ)に関する産経新聞の記事
故・遠山正瑛翁とのツーショット(内モンゴル・クブチ沙漠・恩格貝にて)
2010年、第14次隊(内モンゴル)に関する京都新聞の記事
2009年、第12次隊(ブラジル・アマゾン)に関する現地サンパウロ新聞の記事
2015年、澤井代表自分史の自費出版を伝える京都新聞の記事
上から順に、
1990年、中国・内モンゴル自治区・クブチ沙漠・恩格貝の様子、
1999年、N.GKS第1次隊によるクブチ沙漠での最初の植林作業の様子、
2018年、最後となった第23次隊でのクブチ沙漠・恩格貝の様子
まあ、「最後となった」とは書いたものの・・・
当時、城南新報で紹介されてた帰国報告ではラスト宣言を撤回して、
「3~5年後には植えた1000本のナツメが実るので車椅子に乗ってでも食べに行きたい」
と答えておられますが・・・
ともかく93歳になった現在も(足腰が弱り介護施設のお世話になっているものの)頭はますます
冴えわたっているとのことでした
98歳まで日本と中国を月に何度も往復されてて大往生された故・遠山正瑛翁に負けないよう、
今後もできる範囲で大いに活躍してほしいものです
わたくしも手伝っていた海外植林ボランティア団体N.GKS(もと緑の協力隊・関西澤井隊)の
澤井代表に関する2冊目の本が、3年前の「アッと驚く! 90歳」に続いて出版されました
(N.GKS関係者には、いずれ郵送などで届くはずです)
皇紀3千年(西暦2340年)「実論夢想」
表紙カバーは1993年シリア・パルミナ遺跡にて
裏表紙カバーは冬の大三角形とオリオン座・・・眼下蒼天
奥付
産経新聞生活情報センター 2024年10月8日 第1刷発行
著者紹介
共著になってますが「アッと驚く! 90歳」の著者である藤本氏が、前後足掛け5年間にわたり、
ほぼ月2回のペースで行った澤井代表へのインタビューと、澤井代表が保管している膨大な
過去資料から、歴史事実や澤井代表の生き方や考え方を引用しつつ、日本や世界の現状分析と
今後300年にわたる将来展望について、分かりやすくまとめられた本であります
1931年生まれの澤井代表にとって、紀元といえばキリスト紀元ではなく神武紀元(皇紀)であり、
子どもの頃に迎えた紀元2600年(1940年)の300年前の日本は江戸時代前期、その頃の人たちの
何人が300年後の日本を想像できたであろうか、今の政治家はじめ何人が300年後へのビジョンを
持っているのか、自分は300年後の皇紀3000年に向けて実論による夢想を藤本氏に語ったと・・・
膨大な資料をアナログ整理して保存、それらに関する記憶が90歳を超えても正確に残っていて、
それを最新の日本や世界の情勢と結びつけて主張する澤井代表も凄いですが、5年間にわたる
インタビューの膨大なメモを整理して資料と照合のうえ、それらを引用して最終的に自分の
文章としてまとめ上げた藤本氏の聞き手としての能力も筆力も凄いと感心しました
例によって目次の紹介
特に地熱発電についての現状、商業ベースに乗る熱源の資源量(2300万kw)は世界3位なのに
発電設備が世界10位(49万kw)まで落ちたのは、目先の利益追求という浅はかな企業論理とか、
政府支援の打ち切り(1990年代)とか、温泉街の反対とか国立公園内は許可されないからとか、
業務スーパー創業者の熱意などについても知らないことも多く目からウロコでした
(ちなみに日本の電力消費は1億~1億4000万kw/h程度なので、商業ベースだけで考えても
1/4から1/6程度は地熱発電で賄えることになりますね)
確かに地熱発電なら、火山国では資源は無尽蔵タダでCO2も核廃棄物も出さず、大規模な
太陽光や風力、水力、大規模バイオマスのような環境破壊もなく天候にも左右されず24時間
365日稼働可能な純国産エネルギーですね
どの項目にも出版直前までの最新情報による、現在の最先端技術や混迷する世界の現状が
紹介されており、それを澤井代表が半世紀以上も前から予測し警告していたという事実を、
当時の澤井代表が書いた文章などから発見し、そのことに何度も驚嘆したと、藤本氏が書いて
おられましたが、あちこちにハナシが跳ぶインタビューから、それらを見つけ出す藤本氏の
聞き手としての能力に、むしろわたくしは驚嘆しました
当ブログサイト書斎カテゴリで紹介しているような歴史や環境や最新科学に関する書籍も、
多くを精読されておられるようで、それぞれの著者とは、おそらく意見は異なるのでしょうが、
まさに幅広い最新知識があってこその労作ですね
さすがはベテラン手練れのもと新聞記者であります
とても内容すべては紹介できませんし澤井代表や藤本氏の主張についても、見方によっては
異論もあるでしょうが、特に林業・林政や教育・環境については100年先200年先を見越した
ビジョンが必要なことは間違いありません
ここでは末尾にあった写真資料のうち海外植林ボランティアに関する部分のみ新聞記事を
中心に、ランダムに一部を紹介させていただきます
(出版物の添付資料なので公開に問題があるようなら非公開設定にします)
2012年、N.GKS第16次隊(ボルネオ)に関する毎日新聞の記事
2018年、N.GKS最後となった第23次隊(内モンゴル)に関する読売新聞の記事
2011年、東日本大震災支援へのお礼も込めた第15次隊(モンゴル)などの植林活動に対し、
モンゴル特命全権大使から感謝状を受けたことを伝える京都新聞の記事
2013年、第18次隊(ボルネオ)に関する産経新聞の記事
故・遠山正瑛翁とのツーショット(内モンゴル・クブチ沙漠・恩格貝にて)
2010年、第14次隊(内モンゴル)に関する京都新聞の記事
2009年、第12次隊(ブラジル・アマゾン)に関する現地サンパウロ新聞の記事
2015年、澤井代表自分史の自費出版を伝える京都新聞の記事
上から順に、
1990年、中国・内モンゴル自治区・クブチ沙漠・恩格貝の様子、
1999年、N.GKS第1次隊によるクブチ沙漠での最初の植林作業の様子、
2018年、最後となった第23次隊でのクブチ沙漠・恩格貝の様子
まあ、「最後となった」とは書いたものの・・・
当時、城南新報で紹介されてた帰国報告ではラスト宣言を撤回して、
「3~5年後には植えた1000本のナツメが実るので車椅子に乗ってでも食べに行きたい」
と答えておられますが・・・
ともかく93歳になった現在も(足腰が弱り介護施設のお世話になっているものの)頭はますます
冴えわたっているとのことでした
98歳まで日本と中国を月に何度も往復されてて大往生された故・遠山正瑛翁に負けないよう、
今後もできる範囲で大いに活躍してほしいものです
2024年07月30日
デジタル・アイ「消える大森林」視聴メモ
(期間限定のお知らせ)
2024.8/6(火)~18(日) 京都市京セラ美術館で開催される有道佐一回顧展の案内記事はこちらです
で、とーとつですが・・・
NHK BSスペシャル デジタル・アイ「消える大森林」(4月11日放送の再放送)の視聴メモです
1 プロローグ
・2023年8月カナダ大規模森林火災の例(略)
→シベリアやアラスカなど北半球の多くの森林で発生が増え規模も拡大している
・東南アジアのボルネオ島では毎年470万ヘクタールの熱帯雨林が伐採され大規模農園になっている
・アメリカのNPOが立ち上げた世界中の森林を監視するシステム(2014年~)
→各国からの統計をもとに地図上にデジタル化
→減少状況とその理由(材木伐採・鉱物採掘・火災など)も見ることができ15項目の設定も選べる
・2001年から2022年に焼失した森林→おもに北半球と赤道付近
→森林消失の3割が火災によるもの
→火災による減少は20年前に比べて2倍に悪化している
→火災の季節がより激しく、より長くなっている
2 この20年間で最も火災で森を失った国は世界最大の森林国ロシア
・シベリア・タイガの針葉樹林
→2021年の森林火災では1880万ヘクタールが焼失した(日本国土の約半分に相当する面積)
→東シベリア(サハ共和国)だけでも940万ヘクタール以上が燃えた
→煙はロシア全土から3000km離れた北極点にまで到達している→越境大気汚染
→2014年7月のシベリア森林火災では札幌にも煙(PM2.5)が到達している
・世界で最も寒い定住地オイミャコン村(1月の平均気温マイナス50度で短い夏は30度を超える)
→雪原に立ち込める白い煙の動画が話題になった
→衛星観測データから地中に残った森林火災の火種で「ゾンビ火災」の原因と判明した
→冬は雪に覆われ雨も入らないので火種は分解されなかった地中の枯れ枝やコケに守られ春に乾燥すると
焼失地域の外縁にある次の森林の根などから地表に燃え移る→ゾンビ火災
→カナダもアラスカも同じ状態で毎年繰り返される原因のひとつ
・衛星データで確認できるシベリア北方林に広がる無数の「くぼ地」
→永久凍土が溶けて地形が変化したもの→サーモカルストと呼ばれる
→森林によって太陽熱から守られているのが永久凍土
→火災で森林が焼失すると燃えカスや煤で地表が黒くなり太陽熱を吸収し永久凍土が溶けて地表が陥没する
→森林火災の規模や面積が大きくなっており今後はさらに拡大する
→サーモカルストで周囲が水没すれば森も枯れ、さらに溶解がすすむ悪循環が加速していく
・温暖化によるシベリアの森林全体の活性化
→気温上昇の特に大きい地域と植物の活性度が高くなった地域の分布が一致している
→温暖化で森林帯が北上する可能性もあるがサーモカルストでスポット的には枯死しやすくなっている
・異常な気圧配置による森林火災
→2003年までとそれ以降では北極上の気圧配置が異なってきている(略)
→そのためシベリア・アラスカ・カナダでは熱波による森林火災に
→温暖化との関連や今後の頻度などはまだ不明だが、明らかになれば予測も可能になる
3 ボルネオ島の森林減少
・世界に500万人の利用者を持つ環境系オンラインメディア「モンガベイ」編集主任の話
→森林破壊は地域によって異なる
→南米諸国では大豆生産のための大規模農地による森林破壊
→ブラジルでは牧畜のための森林破壊も大きな問題
→特にボルネオ島では何十年も続く伐採が今も続けられており大きな問題
・1973年には島の76%だった手つかずの森林が2010年には僅か28%にまで減少
→40年で殆どがアブラヤシ農園になった
→パームオイルは食用油からバイオマス燃料まで世界需要が拡大し、それに応じて増産している
・東京大学・熊谷朝臣教授の話
→森林がなくなることでボルネオ島全体に深刻な変化が起きている
→一番大きいのは大気と水の問題→森林破壊が進めば雨は減っていく
・年間降雨量の減少
→1950年から2010年の60年間で年間600mmも減っている
→原因を探るためスーパーコンピュータ上でボルネオの森を全て破壊してみた
→雨量が極端に減った
→さらにそのメカニズムもはっきりした
・ひとつは森林破壊で蒸発散が減り雨が減ること
(雨で葉や枝に付いた水滴は蒸発、地中の水分は根から吸い上げられ葉から蒸散して雲に戻り循環する)
(雲は風で移動し他の森林にも雨を降らせる)
(森林がないと雨は土壌から流出するだけで蒸発散は起きず島の大気には戻れない)
・さらに森林が太陽エネルギーを使い空気の流れを作って海から水蒸気を呼び寄せていた
(空気の対流の強さは森林の蒸発散の能力と関係していた)
(森林があれば強い対流が生まれ周囲から空気が引き込まれる)
・この森林による空気の対流がボルネオ島に雨をもたらしていた
→太陽エネルギーが島の森林上で蓄えられ島上空の空気を温めて上昇気流が生まれる
→上昇気流は大量の水蒸気を含んだ海上の空気を島上空に引き込む
→島の上空に雲が生まれて雨が降る
(森林の力は私が思ってたより、もっともっと強く、すごいものだった)
・森林は島全体、大陸全体といった広い範囲に及んで環境をつくる存在だった・・・
3 今後の森林火災をどうコントロールするか
・AIを使ったカナダの森林火災予測システムの例(略)
4 エピローグ
(熊谷朝臣教授)
・地球環境を作るという意味でも大事な生き物が樹木であり森林
→衛星を使えばともかく地球全体が見える
→簡単に行けないところのデータが手に入る
→圧倒的にデジタル衛星データは大事で、なければ今の発展はなかった
(ナレーション)
・森林を理解することが地球そのものを理解することにも繋がる
→ヒトの眼では捉えることができない森林の実態を、
→我々はさらにデジタルの眼を活かして見つめていく必要がある・・・
2024.8/6(火)~18(日) 京都市京セラ美術館で開催される有道佐一回顧展の案内記事はこちらです
で、とーとつですが・・・
NHK BSスペシャル デジタル・アイ「消える大森林」(4月11日放送の再放送)の視聴メモです
1 プロローグ
・2023年8月カナダ大規模森林火災の例(略)
→シベリアやアラスカなど北半球の多くの森林で発生が増え規模も拡大している
・東南アジアのボルネオ島では毎年470万ヘクタールの熱帯雨林が伐採され大規模農園になっている
・アメリカのNPOが立ち上げた世界中の森林を監視するシステム(2014年~)
→各国からの統計をもとに地図上にデジタル化
→減少状況とその理由(材木伐採・鉱物採掘・火災など)も見ることができ15項目の設定も選べる
・2001年から2022年に焼失した森林→おもに北半球と赤道付近
→森林消失の3割が火災によるもの
→火災による減少は20年前に比べて2倍に悪化している
→火災の季節がより激しく、より長くなっている
2 この20年間で最も火災で森を失った国は世界最大の森林国ロシア
・シベリア・タイガの針葉樹林
→2021年の森林火災では1880万ヘクタールが焼失した(日本国土の約半分に相当する面積)
→東シベリア(サハ共和国)だけでも940万ヘクタール以上が燃えた
→煙はロシア全土から3000km離れた北極点にまで到達している→越境大気汚染
→2014年7月のシベリア森林火災では札幌にも煙(PM2.5)が到達している
・世界で最も寒い定住地オイミャコン村(1月の平均気温マイナス50度で短い夏は30度を超える)
→雪原に立ち込める白い煙の動画が話題になった
→衛星観測データから地中に残った森林火災の火種で「ゾンビ火災」の原因と判明した
→冬は雪に覆われ雨も入らないので火種は分解されなかった地中の枯れ枝やコケに守られ春に乾燥すると
焼失地域の外縁にある次の森林の根などから地表に燃え移る→ゾンビ火災
→カナダもアラスカも同じ状態で毎年繰り返される原因のひとつ
・衛星データで確認できるシベリア北方林に広がる無数の「くぼ地」
→永久凍土が溶けて地形が変化したもの→サーモカルストと呼ばれる
→森林によって太陽熱から守られているのが永久凍土
→火災で森林が焼失すると燃えカスや煤で地表が黒くなり太陽熱を吸収し永久凍土が溶けて地表が陥没する
→森林火災の規模や面積が大きくなっており今後はさらに拡大する
→サーモカルストで周囲が水没すれば森も枯れ、さらに溶解がすすむ悪循環が加速していく
・温暖化によるシベリアの森林全体の活性化
→気温上昇の特に大きい地域と植物の活性度が高くなった地域の分布が一致している
→温暖化で森林帯が北上する可能性もあるがサーモカルストでスポット的には枯死しやすくなっている
・異常な気圧配置による森林火災
→2003年までとそれ以降では北極上の気圧配置が異なってきている(略)
→そのためシベリア・アラスカ・カナダでは熱波による森林火災に
→温暖化との関連や今後の頻度などはまだ不明だが、明らかになれば予測も可能になる
3 ボルネオ島の森林減少
・世界に500万人の利用者を持つ環境系オンラインメディア「モンガベイ」編集主任の話
→森林破壊は地域によって異なる
→南米諸国では大豆生産のための大規模農地による森林破壊
→ブラジルでは牧畜のための森林破壊も大きな問題
→特にボルネオ島では何十年も続く伐採が今も続けられており大きな問題
・1973年には島の76%だった手つかずの森林が2010年には僅か28%にまで減少
→40年で殆どがアブラヤシ農園になった
→パームオイルは食用油からバイオマス燃料まで世界需要が拡大し、それに応じて増産している
・東京大学・熊谷朝臣教授の話
→森林がなくなることでボルネオ島全体に深刻な変化が起きている
→一番大きいのは大気と水の問題→森林破壊が進めば雨は減っていく
・年間降雨量の減少
→1950年から2010年の60年間で年間600mmも減っている
→原因を探るためスーパーコンピュータ上でボルネオの森を全て破壊してみた
→雨量が極端に減った
→さらにそのメカニズムもはっきりした
・ひとつは森林破壊で蒸発散が減り雨が減ること
(雨で葉や枝に付いた水滴は蒸発、地中の水分は根から吸い上げられ葉から蒸散して雲に戻り循環する)
(雲は風で移動し他の森林にも雨を降らせる)
(森林がないと雨は土壌から流出するだけで蒸発散は起きず島の大気には戻れない)
・さらに森林が太陽エネルギーを使い空気の流れを作って海から水蒸気を呼び寄せていた
(空気の対流の強さは森林の蒸発散の能力と関係していた)
(森林があれば強い対流が生まれ周囲から空気が引き込まれる)
・この森林による空気の対流がボルネオ島に雨をもたらしていた
→太陽エネルギーが島の森林上で蓄えられ島上空の空気を温めて上昇気流が生まれる
→上昇気流は大量の水蒸気を含んだ海上の空気を島上空に引き込む
→島の上空に雲が生まれて雨が降る
(森林の力は私が思ってたより、もっともっと強く、すごいものだった)
・森林は島全体、大陸全体といった広い範囲に及んで環境をつくる存在だった・・・
3 今後の森林火災をどうコントロールするか
・AIを使ったカナダの森林火災予測システムの例(略)
4 エピローグ
(熊谷朝臣教授)
・地球環境を作るという意味でも大事な生き物が樹木であり森林
→衛星を使えばともかく地球全体が見える
→簡単に行けないところのデータが手に入る
→圧倒的にデジタル衛星データは大事で、なければ今の発展はなかった
(ナレーション)
・森林を理解することが地球そのものを理解することにも繋がる
→ヒトの眼では捉えることができない森林の実態を、
→我々はさらにデジタルの眼を活かして見つめていく必要がある・・・
2024年05月20日
天下一植物界toロインde企画会議!!!
先週の土曜日、神戸に行ってました
JR神戸駅前のビルで開催中の「天下一植物界」を覗いてから三宮の「ロイン」へ移動、
フラッシュ光の次回ツアーについて、真摯な企画会議(名目の宴会)をば・・・
まずは11時半にJR神戸駅南口でメンバーのうち5名が集合
この日の神戸は快晴でした
目の前にあるHDC神戸へ・・・
先週と今週の土日で開催されてる「天下一植物界」関西では初めての開催だそうです
多肉植物に食虫植物に珍奇植物に植物雑貨・・・
まあ、植物に関する大規模な展示即売会ですね
会場はB1フロアと3F4F5Fの共用フロアに分かれてて、けっこうな賑わいでした
とりあえずB1フロアへ・・・
入場無料ですが稀少品種や人気品種のブースには整理券や抽選が必要、朝には長蛇の列が
続いてたそうで、すでに売り切れになったブースもけっこうありました
植物マニアの世界とゆーのも、なかなか沼が深いようです
正面に見える展望エレベーターで5Fへ・・・
エスカレーターで順に下りて一巡します・・・
まずは蜜林堂さんのブースに立ち寄りました
そう、
ボルネオ島などの熱帯雨林で現地の暮らしも森も守るハリナシバチ蜂蜜の採取・輸入販売に
尽力されておられる上林さんのお店で・・・
熱帯雨林グッズも扱っておられ、この擬態クリアファイルはご自分の写真作品から作成
試食してから買う人もいて、その後の通販注文も多いとのことで何よりでした
殆どの人が知らない独特の甘酸っぱい蜂蜜を、まずは知ってもらわないとね
以下、他のブースもさくさくっと・・・
こちらは殆どが売れたようですが、サボテン系?
室内でもイベントタープを使って、商品を吊るすのはアイデアですね・・・
こちらはクレイジージャーニーにも出演されてたプラントハンターのブースで、
少人数ずつの入場制限でブース入口には多くの人が並んでました
やはり希少品種は人気なんですね
植物グッズもあちこちにありました
とまあ、会場をさくさくっと一巡してからJRに乗って二駅で三宮へ・・・
外は暑いのでサンチカをふらふらと歩いて・・・
国際会館前で地上に上がれば、
神戸では老舗の(お安い)ステーキレストラン「ロイン」であります
まずは日本人らしく、
飲み放題コースのビールで乾杯!!!
コース料理も奇跡的に食べる前に撮ってたのでご紹介
分厚いローストビーフ入りのオードブル
鯛のムニエル
カットしたビーフステーキとフライドポテト
サラダ撮るの忘れてた ビールを何杯飲んだのかも忘れた
シメの和風パスタ
ごくごくばくばくしながらの企画会議では、とりあえず次回ツアー日程は、酒類調達担当
H田さんの卒業記念つーことで来年の秋に、行先はサラワクかサバか、はたまたモンゴルか、
それとも、わたくしとY原さんが行きそびれたアマゾン川の中流域か・・・
ま、それまでに「モンゴルの里」での一泊宴会企画会議は実施が決まりました、きっぱりと
で、真摯な企画会議中にも机上に工具やライトを出して工作をしている輩が約1名・・・
って、約2名もパーツの材質を熱心に確認してましたが、わたくしと(医者から飲酒制限を
言い渡されてる)残りの約1名は、ひたすらごくごくばくばく・・・
ま、帰宅してから気づいたら・・・
なぜかカメラのストラップリングが一回り小さく耐錆性も高いステンレス製になってましたが、
まあ、これは気のせいとゆーことで・・・
と、わたくしはこの日の2日前の京都と同じく、飲み放題の昼酒ですっかり出来上がり、
再びサンチカを(さらに速度を落として)ふらふらと歩きました
wingさんが見つけてくれたお店
スパイス中心にドライフルーツなど世界のオーガニック食品を扱ってるお店なんですね
で、帰宅してから気づいたら・・・
なぜかバッグの中に、天下一植物界の蜜林堂さんで買ったハリナシバチの蜂蜜とは別に、
ミックス・スパイスも入ってました・・・???
やはりすっかり出来上がってから、お店に立ち寄るのは危険ですね
と、この日もやや歩行困難になったのですが、心配してくれたJR沿線に住むH田さんが、
わざわざ阪神電車で梅田まで付き合ってくれて夕方には無事帰宅することができた次第
介護してくれたH田さん、店の予約や支払いなどをしてくれたY原さん、飲酒制限中なのに
飲み放題に付き合ってくれた(そのワリにはかぱかぱ飲んでた)たまさん、ストラップリングを
いつの間にか小径の高級ステンレス製に変えてくれてたwingさんに感謝です
次回はとりあえず「モンゴルの里」で一泊、BBQ宴会→ゲルで朝まで宴会!!!ですね
日程が決まれば事前に案内しますので都合が合えばご一緒しましょう!!!
JR神戸駅前のビルで開催中の「天下一植物界」を覗いてから三宮の「ロイン」へ移動、
フラッシュ光の次回ツアーについて、真摯な企画会議(名目の宴会)をば・・・
まずは11時半にJR神戸駅南口でメンバーのうち5名が集合
この日の神戸は快晴でした
目の前にあるHDC神戸へ・・・
先週と今週の土日で開催されてる「天下一植物界」関西では初めての開催だそうです
多肉植物に食虫植物に珍奇植物に植物雑貨・・・
まあ、植物に関する大規模な展示即売会ですね
会場はB1フロアと3F4F5Fの共用フロアに分かれてて、けっこうな賑わいでした
とりあえずB1フロアへ・・・
入場無料ですが稀少品種や人気品種のブースには整理券や抽選が必要、朝には長蛇の列が
続いてたそうで、すでに売り切れになったブースもけっこうありました
植物マニアの世界とゆーのも、なかなか沼が深いようです
正面に見える展望エレベーターで5Fへ・・・
エスカレーターで順に下りて一巡します・・・
まずは蜜林堂さんのブースに立ち寄りました
そう、
ボルネオ島などの熱帯雨林で現地の暮らしも森も守るハリナシバチ蜂蜜の採取・輸入販売に
尽力されておられる上林さんのお店で・・・
熱帯雨林グッズも扱っておられ、この擬態クリアファイルはご自分の写真作品から作成
試食してから買う人もいて、その後の通販注文も多いとのことで何よりでした
殆どの人が知らない独特の甘酸っぱい蜂蜜を、まずは知ってもらわないとね
以下、他のブースもさくさくっと・・・
こちらは殆どが売れたようですが、サボテン系?
室内でもイベントタープを使って、商品を吊るすのはアイデアですね・・・
こちらはクレイジージャーニーにも出演されてたプラントハンターのブースで、
少人数ずつの入場制限でブース入口には多くの人が並んでました
やはり希少品種は人気なんですね
植物グッズもあちこちにありました
とまあ、会場をさくさくっと一巡してからJRに乗って二駅で三宮へ・・・
外は暑いのでサンチカをふらふらと歩いて・・・
国際会館前で地上に上がれば、
神戸では老舗の(お安い)ステーキレストラン「ロイン」であります
まずは日本人らしく、
飲み放題コースのビールで乾杯!!!
コース料理も奇跡的に食べる前に撮ってたのでご紹介
分厚いローストビーフ入りのオードブル
鯛のムニエル
カットしたビーフステーキとフライドポテト
サラダ撮るの忘れてた ビールを何杯飲んだのかも忘れた
シメの和風パスタ
ごくごくばくばくしながらの企画会議では、とりあえず次回ツアー日程は、酒類調達担当
H田さんの卒業記念つーことで来年の秋に、行先はサラワクかサバか、はたまたモンゴルか、
それとも、わたくしとY原さんが行きそびれたアマゾン川の中流域か・・・
ま、それまでに「モンゴルの里」での一泊
で、真摯な企画会議中にも机上に工具やライトを出して工作をしている輩が約1名・・・
って、約2名もパーツの材質を熱心に確認してましたが、わたくしと(医者から飲酒制限を
言い渡されてる)残りの約1名は、ひたすらごくごくばくばく・・・
ま、帰宅してから気づいたら・・・
なぜかカメラのストラップリングが一回り小さく耐錆性も高いステンレス製になってましたが、
まあ、これは気のせいとゆーことで・・・
と、わたくしはこの日の2日前の京都と同じく、飲み放題の昼酒ですっかり出来上がり、
再びサンチカを(さらに速度を落として)ふらふらと歩きました
wingさんが見つけてくれたお店
スパイス中心にドライフルーツなど世界のオーガニック食品を扱ってるお店なんですね
で、帰宅してから気づいたら・・・
なぜかバッグの中に、天下一植物界の蜜林堂さんで買ったハリナシバチの蜂蜜とは別に、
ミックス・スパイスも入ってました・・・???
やはりすっかり出来上がってから、お店に立ち寄るのは危険ですね
と、この日もやや歩行困難になったのですが、心配してくれたJR沿線に住むH田さんが、
わざわざ阪神電車で梅田まで付き合ってくれて夕方には無事帰宅することができた次第
介護してくれたH田さん、店の予約や支払いなどをしてくれたY原さん、飲酒制限中なのに
飲み放題に付き合ってくれた(そのワリにはかぱかぱ飲んでた)たまさん、ストラップリングを
いつの間にか小径の高級ステンレス製に変えてくれてたwingさんに感謝です
次回はとりあえず「モンゴルの里」で一泊、BBQ宴会→ゲルで朝まで宴会!!!ですね
日程が決まれば事前に案内しますので都合が合えばご一緒しましょう!!!
2024年05月15日
大地の五億年(後編)
前回記事からの続き、wingさんからお借りしている・・・
「大地の五億年」(藤井一至著)の読書メモ後編、第3章と第4章の備忘メモであります
表紙と奥付と目次のみ再掲
引き続き、読み飛ばしや間違いも多いので正しくは本書のご熟読を・・・
(当記事では全てボルネオ島(マレー語表記)と書いてますが、著者が調査研究されてたのは
主にインドネシア側なので、著書ではカリマンタン島(インドネシア語表記)になってます)
第3章より
・農業は自然破壊?
→農業生態系(畑や水田)と自然生態系(森や草原)とは大きく異なる
→森林には養分が失われにくい仕組みがある(土が酸性になる現象はある)
→畑では植物が吸収した分だけ養分(カルシウムやカリウムなど)が持ち去られる
→大部分は排泄物になるが、それを戻さない限り失い続ける→土の酸性化が進む
・湿潤地では土の酸性化が起きやすく乾燥地では起きにくい
→乾燥地を選ぶことで酸性化を回避したのが古代文明の灌漑農業
→湿潤地で酸性化とうまく付き合う例が焼畑農業や水田農業
・農耕の起源
→水と土の栄養分とは両立しない
→湿潤地には森林、乾燥地には砂漠や草原が広がっていた
・メソポタミアの農業文明(小規模には1万年前から)
→ムギの原種と中性の肥沃な土があり灌漑ができる大河のそばだったので発達した
→灌漑の失敗で地下塩分が上昇し4000年前から衰退した
→復元力の弱い森林の伐採による土壌侵食も→大洪水→灌漑水路の埋没
・エジプトの農業文明
→ナイル川には毎年溶存有機物の供給があった→その水を氾濫期に取り込む
→4000年前の乾燥期には内乱もあったが7000年も続いた
→アスワンハイダム建設で氾濫が絶たれダムの電力で作った窒素肥料で補っている
・乾燥地での灌漑農業は酸性化しにくいかわりに塩類集積のトゲを持つ
・東南アジアの湿潤地では焼畑農業が発達した
→タイ北部の焼畑農業(陸稲ともち米)の1年(略)
→草木灰が土の酸性を中和し、周りの森は畑より涼しく分解が抑えられ有機物が蓄積する
→この有機物が土壌の酸性化を止められるのは数年だけ
→なので別の場所に移動して跡地は5~10年で回復させていく
→このサイクルは森林の有機質肥料を利用して酸性土壌を中和する仕組み
→人口に対して広い森林さえあれば、焼畑は持続的な伝統農業
・黒ぼく土と焼畑
→縄文時代は山の幸・海の幸に恵まれ狩猟採集が中心だったが小規模な焼畑農業はあった
→クリ、ヒエ、アワ、キビなどを火入れを行なって栽培していた痕跡が黒ぼく土に残る
・モンスーンアジアの泥と水田
→焼畑農業は少ない人口しか扶養できないシステム
→多くの穀物は半乾燥地で栽培されていたが水田稲作だけは例外
→タイ語でもインドネシア語でも日本語でも食事とコメは同じ意味(ご飯など)
・タイ北部の水稲1haあたり収穫量は陸稲の5倍、しかも毎年収穫できる
→タイ北部でも日本でも季節限定の青い土が田んぼの高い生産性を支えている(略)
・水田稲作は1万年前に長江の中下流域ではじまりモンスーンアジア全域に広がる
→世界の低地面積の30%近くはメコン川、長江、ガンジス川などの肥沃な沖積平野
→急峻な地形は上流からすれば栄養分の損失だが、下流からすれば栄養分の供給
→イネの作付面積は世界耕作面積の10%足らずだが世界人口70億の半分近くの主食
→ボルネオ島の人口密度がジャワ島の1/100なのは土の肥沃度の違いによる
→さらにジャワ島や日本列島では火山噴火で定期的にミネラルが供給される
・土の日本史
→2500年前に水田稲作が伝来
→生産余剰→富の格差→指導者の出現→初期国家という流れは他の文明と同じ
→5~6世紀には奈良や京都の集水域を生産基盤としてヤマト王権が成立(?)
→平安時代には地方にも稲作が広がり、新田開発を担う武士が台頭して中世に
→水田の生産力が国力を決めるようになり、寒冷地域は歴史から姿を消す
(雑穀生産が主体だった奥州藤原氏の衰退が象徴的)
→沖積土での稲作生産力は、黒ぼく土での雑穀生産の数倍
(黒ぼく土での稲作は土壌改良されるまでは不安定だった)
→室町時代以降に新田開発がはじまり飽和した結果、領地拡大を求め戦国時代に
→肥沃な濃尾平野を押さえていた織田信長の台頭は必然的な流れ
(尾張・美濃・伊勢の面積は(武田信玄の)甲斐・信濃より狭いが石高では上回っていた)
→コメと富の流通主導権争いで豊臣秀吉から徳川家康へ
→江戸時代には新田開発や糞尿・里山の利用で生産性を高めて人口増加していく・・・
・ドジョウを育む水田土壌
→ドジョウやフナと水田による稲作漁撈は長江中下流域からアジア各地に広まった
→弥生時代に水田稲作が急速に広まった一因ともされている
→炭水化物(コメ)とタンパク質(魚)が摂取でき攪拌や排泄物で収穫量を高めて一石三鳥
→ただし窒素を充分に吸収したコメはタンパク質が多く甘くなかった(まずかった)
→その代わりコメと魚を食べれば必須アミノ酸は一通り摂取できた
→窒素肥料が限られた時代の稲作漁撈がアジアの高い人口扶養を可能にした
→甘く(低タンパク低栄養価で)あまり窒素を必要としない革命児がコシヒカリ
→消えゆくドジョウは田んぼとお米と私たちの関係の変化を物語っている
・里山と糞尿のリサイクル
→現代の農業では肥料原料の多くが輸入によるもの
→江戸時代以前の肥料は里山資源と糞尿
→江戸時代に里山資源(天然林)が枯渇し糞尿リサイクルが活発になった(戦後に減少)
→合成アンモニア窒素肥料より尿素のほうが土が酸性化しにくく土に優しい
・世紀の大発見ハーバー・ボッシュ法
→肥料も火薬もグアノに頼る必要がなくなった
→爆発的な人口増加にも火薬・毒ガスによる戦争長期化にも一役買った
→日本では1930年代から急増し戦前の世界最高量に→土壌の酸性化や水質汚染が進行した
→合成にはエネルギー(お金)を要するので購入のために都市への商品作物を増やす
→農地からの栄養分持ち出しが増え、さらに肥料を購入する→これが資本主義の原理
(タイ北部の焼畑農村でも商品作物の連作などで同じ状況になってきている)
・窒素肥料の光(人口増加)と影(土の酸性化や水質汚染などの環境問題)
→ただし農業の1万年を振り返れば伝統農業なら持続的とも言い切れない
→試行錯誤の繰り返し
→目の前の環境問題が減っても別の場所(農業の現場)へ移動しただけ・・・
第4章より
・あるサラリーマンの1日(略)
→私たちの日常の選択が世界のマーケットと生産現場(土)の方向を動かしている
→肥料飼料を含む海外生産食料が口に入るまで全てにエネルギーが使われている
・覚醒する炭素
→エネルギーの利用とともに炭素が動く
→従属栄養性の生き物は有機物分解でエネルギーを得て二酸化炭素を放出する
→燃料によるエネルギー生産も二酸化炭素を放出する
(有機物の多くは植物の光合成でつくられるので動物のエネルギー量を制限していた)
(植物が吸収する二酸化炭素と生き物が排出する二酸化炭素は1年単位ではほぼ釣り合う)
・現代人は必要量の2倍の食べ物を消費して30倍以上のエネルギーを使っている
→石炭(泥炭の化石)も石油(海藻の化石)も、かつての植物が固定した炭素だが、
その当時の植物はおらず再吸収してもらえない
→大気中の二酸化炭素が増えるのは必然
・温暖化と土の連鎖反応
→気候変動が土を変え、土が気候を変える
→現在、深さ1mの土には大気中の2倍、植物体の3倍の炭素が蓄積している
→土は陸地で最大の炭素貯蔵庫
→全て放出されると大気中の二酸化炭素濃度が現在の3倍になる
→僅かな温暖化でも土の微生物が活発化し急速に温暖化が進む(負のフィードバック)
・電力になった熱帯雨林(ボルネオ島の石炭)
→露天掘りで人件費も安いので日本でも消費量が増えている
→削られた大地は裸地に
→フタバガキを伐採した熱帯雨林は二次林や畑、草原になったが、
→石炭採掘跡地には何も生えない
→もともと酸性だった土が石炭硫黄の酸化で硫酸になり強酸性になるから
→日本の電力とボルネオの土壌劣化が結びつくのが資本主義の怖さ
・土壌劣化のツケ払い
→ボルネオ島で森林が自然に回復する場合、最初に生えるのは成長の早いマラカンガ
→トウダイグサ科でアリと共生するアリ植物
→ただし種子を運ぶ鳥の居場所のない裸地には進出しにくい
→フタバガキの天然樹種はさらに外生菌根菌との共生が必要で植林しても裸地に戻る
→多くの生物は酸性土壌と折り合いをつけてきたので強酸性では生存すらかなわない
→裸地では植林を急ぐ前にタフなシダ植物による表土の回復を待つ必要がある
・ボルネオ石炭の向かう先は中国、インド、日本
→やめろといっても代替産業を提案できない限りはイタチゴッコ
→石炭採掘跡地に表土を戻すルールはあるがあまり守られていない
→北海道の農地造成では保存しておいた表土を戻して肥沃度を維持している
→石炭採掘跡地でも表土を戻しシダ植物の回復を待って植林するべきだが、
→そこまでやればコスト(電気料金)が高くなる(これが本来のエネルギー価格)
→今は酸性土壌と周りの強酸性の湖で泳いで遊ぶ子どもたちにツケを残している
・石炭採掘跡地を元に戻すコスト(電気料金)まで支払う覚悟はあるか?
→この答えがはっきりしない間は、経済競争原理に従い不毛な大地が広がり続ける
→再生エネルギー技術の革新も急斜面の森林を伐採したメガソーラーを見る限りは同じ
→エネルギーとの付き合い方は気候だけでなく土の未来も左右する
・酸性雨の影響を親子二代で科学的に証明したスウェーデンのタム親子(略)
→石炭の質や大気汚染の地域差にも大地5億年の歴史が関わっている
・石炭に代わるエネルギー資源として期待されているのが木材
→化石燃料の代わりに木材を燃焼して二酸化炭素を森林で吸収すればカーボンニュートラル?
→バイオマス発電の燃料木材は外国産が大半で森林伐採には土壌劣化のリスクもある
・森の日本史
→国土の7割を覆う森林の半分は人工林で、人工林の半分はスギ
→500年前の安土桃山時代に築城用の木材が大量に必要になり植林がはじまった
→吉野や熊野での林業のはじまり(度重なる遷都で畿内には森林が残ってなかった)
→江戸時代中期には吉野もはげ山に、戦時中には燃料にされ日本中がはげ山に
→戦後復興で木材需要が増加、成長の早いスギ・ヒノキの拡大造林(1950~70年代)
→1964年の輸入自由化などで2000年の木材自給率は2割まで落ち込んだ
→急峻で伐採コストの高い人工林は放置され荒廃して土壌侵食、土砂崩れが問題に
→熱帯雨林の減少と手つかずのスギ人工林(と私の花粉症)はコインの裏表
・風向きは少しずつ変わりはじめている
→2018年に自給率は4割まで回復、間伐材利用や木材バイオマス発電も増加
→コロナ禍での供給不足によるウッドショックや中国の購買力・需要増加による価格上昇で、
日本への外国産木材は供給されにくくなっている
→森林利用は歓迎すべきだが高齢化・急斜面などの悪条件で供給力は向上していない
・仮に効率的な林業が可能になり儲かると分かれば、すぐはげ山に戻るだろう
→水田耕作に有機質肥料が有効と分かって利用され尽くし草山やはげ山になったように、
→日本人の勤勉さは歴史が証明しているから
・資源は無尽蔵ではなく、作物と異なり木が育つのは遅い
→植生保護のない急斜面では土壌も流出しやすく森林再生も難しい
・ただし日本のスギ人工林では管理次第で資源利用と土づくりを両立できる
→熊野古道の近くで研究していた(古道に薄汚い研究者がいても優しく見守ってほしい)
→低木や下草(シダ植物など)が繁茂しているスギ人工林では皆伐しても土壌劣化は小さく、
枝葉を戻せば過剰な酸性化は抑えられ、余った材木をうまく配置すれば土壌浸食も軽減でき、
毎年利子にあたる材木を収穫して苗を植えれば継続できることが判明した
→伐採・植林で森の新陳代謝を促進して土地の生産能力(土の養分供給能力)を最大限にする
林業を実現できる可能性もある
・窒素まみれの日本
朝食
→日本の牛乳、バター、チーズは安全性も高く国際競争力からいえば優等生
→ただし環境保全と土壌の視点でいえば劣等生
→酸性土壌に向かない飼料は輸入に頼り、牛糞堆肥を入れる畑が足りず窒素まみれに
→逆に飼料の輸出国では(牛糞は輸入しないので)化学肥料が増える
→解決には飼料の輸入を減らすしかない
→牛密度の制限と休耕田での飼料米や稲わらなどの国産飼料→ただし高コストになる
おやつ
・ポテトチップスの植物油脂は油ヤシ(オイルパーム)から採れるパーム油(パームオイル)
(他にも食品、化粧品、洗剤など、あらゆる生活必需品に使われている)
→輸入元はインドネシアとマレーシアだが西アフリカ原産で植民地時代に持ち込まれたもの
→熱帯雨林の伐採により栽培されるため土を大きく変化させた
→私が10年間観測してきたボルネオ島の熱帯雨林は保護区を除き全て油ヤシ農園になった
・仕方がないので油ヤシ農園を1年間観測することにした
→1haあたり年間600kgの窒素肥料がまかれていた(日本の普通の畑の6倍)→儲かるから
→余った窒素肥料が硝酸に変化するので土はどんどん酸性になる
→酸性化と腐植の分解流出が進めば土地は放棄され、さらなる熱帯雨林の伐採へ
→高濃度窒素は河川では水質汚染(富栄養化)を引き起こす
→これらは環境問題の日本などからの転嫁
・ポテトチップスにはカナダではキャノーラ油、フランスではヒマワリ油が使われている
→せめて製品の裏面記載をにらみ、食用油を節約・再利用するぐらいはできるはず
・本書では熱帯雨林の減少を紹介する一方で森林保護の説明は避けてきた
→簡単ではないから
→森林保護は現地の共感を得られない先進国の論理でオランウータンも農作物を荒らす害獣
→油ヤシ農園より持続的でお金になるプランがなければ保全できない
→アクイラリア(沈香)アロマオイルの例など(略)
→天然林を守りながら儲けになれば自主的に木を植えはじめる
(インサーツアーズのN嶋さんたちがサラワク州サバル森林保護区で取り組んでおられる
アグロフォレストリー(混農林業)や、蜜林堂の上林さんが取り組んでおられるハリナシバチ
蜂蜜の採取・輸入販売も、まさにこれらのポイントを踏まえた取り組みですね)
・カナダ・キャノーラ(アブラナ)畑の例
→1年間栽培をやめて水を節約する(たまたま戦争で放置してたら翌年の収穫量が増加した)
→土中の水を雑草に吸われないよう表土を耕して翌年の豊作を待つ
→この水管理は世界中の乾燥地で実施された
→ただし耕起により微生物が有機物を分解、作物被覆がないため浸食も深刻化した
→作物(マメ科)で表土を守る不耕起栽培へ(除草剤を使う方法もある)
・これまで畑の土は工場と同じく二酸化炭素の発生源だった
→不耕起栽培では腐植として炭素を貯め込むことができる
→毎年0.4%ずつ腐植を増やせば上昇を止められるとCOP21で提案され国際的な取り組みに
→日本でも期待されているが土の性質や規模の違いを踏まえて最善策を探す必要がある
・日本の甘いお茶と窒素肥料と浄化のための水田(飼料用)の例(略)
・ボルネオ島の農業
→もともとは先住民による小規模な陸稲などの焼畑農業だった
→ジャワ島からの移民が伝統的な水田稲作をはじめたが酸性土壌を克服できなかった
→移民農民は大規模な伐採・火入れで本来の焼畑農業ではなく連続耕作をした
→熱帯雨林は荒れ果て草原となり商品作物の農地となった
→コショウ→バナナ→酸性に強いパイナップル→ドラゴンフルーツ・・・
→劣化土壌でも育つ植物に次々と移行している(油ヤシ農園は前述のとおり)
・貧困が農家に短期的な現金収入を求めさせる
→その背景には豊かさを求める途上国の生産者と安さ便利さを求める先進国の消費者がいる
→環境問題は環境ではなく人間の問題
・中国では中性だった土壌が1980年代からの20年間で全体平均値が0.5pHほど酸性化した
→都市が発達し商品作物の生産が増加→儲かるので窒素肥料が買える→まけば収穫が増える
→この成功体験が窒素肥料への依存度を高めた→まきすぎが土壌の酸性化を招いた
→中和には大量の石灰肥料が必要だが物理的にも経済的にも大きな負担
→土壌に緩衝力がある日本では酸性化リスクの少ない尿素肥料を使うことで緩和したが、
→中国の黄土や熱帯土壌ではどうか・・・
・都市の発達やマーケットの存在が土を翻弄してきたが、それらによって農民たちは、
→養分損失を補う石灰肥料やリン肥料を買う現金収入を得る
→回復するまで腐植の蓄積を待ちながら地下茎やアロマオイルで現金収入を得る
といった選択肢の幅が広がっているのも事実
→変化を続ける社会環境に適応した新たな農業の仕組みの構築がはじまっている
ご飯
・日本人がコメを好きなだけ食べられるようになったのは高度経済成長期以降
(それまでは五穀を主食として食べていた)
→1960年代には現代人がまずく感じる高タンパクのコメを毎日5杯食べていた
→現在では甘く低タンパクのコメを2杯程度→減反政策に大転換し輸入も
・京都府宮津市の現代型棚田の例(略)
・水田はメタン発生源として温暖化の一因とされている
→プラスチック被覆肥料は海洋マイクロプラスチックの原因ともなっている
→メタン発生を抑制するには落水期間を長くし肥料をこまめにまく必要がある
→環境保全型農業や付加価値のために現場では重労働が伴う実態・・・
・生産効率の悪い山間地の水田の多くは耕作放棄地に(現在40万ヘクタール)
→灌漑によるカルシウム補給が絶たれ酸性になるなど再使用する際の修復コストは大きい
→集約・大規模化して競争力をつけ輸出で復活という考えもあるが、
→現状では国内のコメ消費を復活させる方が稲作と水田土壌を守る近道
・2000年にわたる稲作の持続性は乾燥地の畑作にはないもの
→水田土壌の存続は国民の1%に過ぎない農家だけでなく私たちの胃袋にもかかっている
・コメ消費の復活には味噌汁と納豆も必要→大豆
→富山平野には大豆畑が広がっている→水田よりみすぼらしい
→主食がコメから納豆になったわけではなく国が補助金で転換を推進しているから
→だが畑には水田稲作にはない連作障害がある
・大豆のルーツを活かすべき
→大豆は人類が100年前に発明した窒素肥料生産を恐竜が絶滅した6600万年前からやっている
→栄養状態のよい水田跡地では共生している根粒菌がすねやすい
→化学肥料のない時代には大豆栽培が肥沃度回復の切り札だった
(火山灰土壌が多い東日本に豆のつく地名が多い→自生または栽培していた)
→本気で国産化を目指すなら黒ぼく土での生産を国も消費者も応援すべき
娯楽
・天空の城ラピュタのシータのセリフ(本来は研究者が言うべきセリフだけど)
→なぜ人は「土から離れては生きられないのよ」なのか?
→技術進歩で土を使わず清潔で農薬の心配もない植物工場もできてるのに?
→植物工場との違いはエコノミー(経済学)とエコロジー(生態学)から説明できる
・農業とは最小限の資源投資で最大限の収穫を持続的に得るヒトの営み
→太陽光や土壌微生物による養分リサイクルにはお金はかからない
(植物工場では光やエネルギーや肥料循環にお金がかかるので品目が限定されている)
→経済界でも自然界でも無駄を省く工夫は同じ
→エネルギーと窒素肥料をダブつかせた結果が温暖化や土壌劣化
→無駄を省くならタダの太陽と微生物を最大限に活かす「土壌」を再評価すべき
・日本は耕作放棄して効率よく生産する地域から安く輸入すればいいのでは?
→輸出元の食糧などの生産地は乾燥地(の灌漑農業)が多い
→食糧輸入とは土に含まれていた水と栄養分の輸入→生産地の乾燥化・土壌劣化
→湿潤地農業でも養分リサイクルの停止と過剰な窒素肥料で土壌侵食や酸性化がすすむ
(まさにグローバル経済の影の部分ですね、これが新自由主義の結果?)
・歴史からも、国の基盤には農業があり農業の基盤には土がある
→やはり人は「土から離れては生きられない」のだ!!!(研究者の結論)
・人口増加やハーバー・ボッシュ法など急速な変化には生物進化スピードでは追いつかない
→人間が引き起こした変化には、やはり人間の知恵や技術しかない
→糞尿のように価値が忘れ去られようとしている知恵や技術もある
→無駄を減らし古くて新しいヒントを発掘する必要がある
→それは国家や企業、農家まかせではなく、審査員でもある私たち消費者が食卓を見つめ直し、
スーパーに並ぶ商品の裏側をにらむことからはじまる・・・
・・・
前編の冒頭にも書きましたが、土のハナシといっても内容が多岐にわたる濃い本でしたが、
読み物としても著者の個性が出てて面白く、最後まで興味深く読めました
ちなみに、わたくしが熱帯雨林の樹木と外生菌根菌との共生について知ったのは2003年12月、
ボルネオ島サバ州キナル森林保護区で、当時JICAから派遣されてた指導員の方からでした
「まだ研究中で試行錯誤が続きますが、州政府からは早く収益も出すよう要請されてるし」
ともおっしゃってましたが、今はどんな方針になってるんでしょうね・・・
機会があれば(ボルネオ島では最初に)16人で植樹した100本のカポールやニアトウの幼樹が
無事に育ってくれてるのか、一度は再訪してみたいものですが、さてさて・・・
「大地の五億年」(藤井一至著)の読書メモ後編、第3章と第4章の備忘メモであります
表紙と奥付と目次のみ再掲
引き続き、読み飛ばしや間違いも多いので正しくは本書のご熟読を・・・
(当記事では全てボルネオ島(マレー語表記)と書いてますが、著者が調査研究されてたのは
主にインドネシア側なので、著書ではカリマンタン島(インドネシア語表記)になってます)
第3章より
・農業は自然破壊?
→農業生態系(畑や水田)と自然生態系(森や草原)とは大きく異なる
→森林には養分が失われにくい仕組みがある(土が酸性になる現象はある)
→畑では植物が吸収した分だけ養分(カルシウムやカリウムなど)が持ち去られる
→大部分は排泄物になるが、それを戻さない限り失い続ける→土の酸性化が進む
・湿潤地では土の酸性化が起きやすく乾燥地では起きにくい
→乾燥地を選ぶことで酸性化を回避したのが古代文明の灌漑農業
→湿潤地で酸性化とうまく付き合う例が焼畑農業や水田農業
・農耕の起源
→水と土の栄養分とは両立しない
→湿潤地には森林、乾燥地には砂漠や草原が広がっていた
・メソポタミアの農業文明(小規模には1万年前から)
→ムギの原種と中性の肥沃な土があり灌漑ができる大河のそばだったので発達した
→灌漑の失敗で地下塩分が上昇し4000年前から衰退した
→復元力の弱い森林の伐採による土壌侵食も→大洪水→灌漑水路の埋没
・エジプトの農業文明
→ナイル川には毎年溶存有機物の供給があった→その水を氾濫期に取り込む
→4000年前の乾燥期には内乱もあったが7000年も続いた
→アスワンハイダム建設で氾濫が絶たれダムの電力で作った窒素肥料で補っている
・乾燥地での灌漑農業は酸性化しにくいかわりに塩類集積のトゲを持つ
・東南アジアの湿潤地では焼畑農業が発達した
→タイ北部の焼畑農業(陸稲ともち米)の1年(略)
→草木灰が土の酸性を中和し、周りの森は畑より涼しく分解が抑えられ有機物が蓄積する
→この有機物が土壌の酸性化を止められるのは数年だけ
→なので別の場所に移動して跡地は5~10年で回復させていく
→このサイクルは森林の有機質肥料を利用して酸性土壌を中和する仕組み
→人口に対して広い森林さえあれば、焼畑は持続的な伝統農業
・黒ぼく土と焼畑
→縄文時代は山の幸・海の幸に恵まれ狩猟採集が中心だったが小規模な焼畑農業はあった
→クリ、ヒエ、アワ、キビなどを火入れを行なって栽培していた痕跡が黒ぼく土に残る
・モンスーンアジアの泥と水田
→焼畑農業は少ない人口しか扶養できないシステム
→多くの穀物は半乾燥地で栽培されていたが水田稲作だけは例外
→タイ語でもインドネシア語でも日本語でも食事とコメは同じ意味(ご飯など)
・タイ北部の水稲1haあたり収穫量は陸稲の5倍、しかも毎年収穫できる
→タイ北部でも日本でも季節限定の青い土が田んぼの高い生産性を支えている(略)
・水田稲作は1万年前に長江の中下流域ではじまりモンスーンアジア全域に広がる
→世界の低地面積の30%近くはメコン川、長江、ガンジス川などの肥沃な沖積平野
→急峻な地形は上流からすれば栄養分の損失だが、下流からすれば栄養分の供給
→イネの作付面積は世界耕作面積の10%足らずだが世界人口70億の半分近くの主食
→ボルネオ島の人口密度がジャワ島の1/100なのは土の肥沃度の違いによる
→さらにジャワ島や日本列島では火山噴火で定期的にミネラルが供給される
・土の日本史
→2500年前に水田稲作が伝来
→生産余剰→富の格差→指導者の出現→初期国家という流れは他の文明と同じ
→5~6世紀には奈良や京都の集水域を生産基盤としてヤマト王権が成立(?)
→平安時代には地方にも稲作が広がり、新田開発を担う武士が台頭して中世に
→水田の生産力が国力を決めるようになり、寒冷地域は歴史から姿を消す
(雑穀生産が主体だった奥州藤原氏の衰退が象徴的)
→沖積土での稲作生産力は、黒ぼく土での雑穀生産の数倍
(黒ぼく土での稲作は土壌改良されるまでは不安定だった)
→室町時代以降に新田開発がはじまり飽和した結果、領地拡大を求め戦国時代に
→肥沃な濃尾平野を押さえていた織田信長の台頭は必然的な流れ
(尾張・美濃・伊勢の面積は(武田信玄の)甲斐・信濃より狭いが石高では上回っていた)
→コメと富の流通主導権争いで豊臣秀吉から徳川家康へ
→江戸時代には新田開発や糞尿・里山の利用で生産性を高めて人口増加していく・・・
・ドジョウを育む水田土壌
→ドジョウやフナと水田による稲作漁撈は長江中下流域からアジア各地に広まった
→弥生時代に水田稲作が急速に広まった一因ともされている
→炭水化物(コメ)とタンパク質(魚)が摂取でき攪拌や排泄物で収穫量を高めて一石三鳥
→ただし窒素を充分に吸収したコメはタンパク質が多く甘くなかった(まずかった)
→その代わりコメと魚を食べれば必須アミノ酸は一通り摂取できた
→窒素肥料が限られた時代の稲作漁撈がアジアの高い人口扶養を可能にした
→甘く(低タンパク低栄養価で)あまり窒素を必要としない革命児がコシヒカリ
→消えゆくドジョウは田んぼとお米と私たちの関係の変化を物語っている
・里山と糞尿のリサイクル
→現代の農業では肥料原料の多くが輸入によるもの
→江戸時代以前の肥料は里山資源と糞尿
→江戸時代に里山資源(天然林)が枯渇し糞尿リサイクルが活発になった(戦後に減少)
→合成アンモニア窒素肥料より尿素のほうが土が酸性化しにくく土に優しい
・世紀の大発見ハーバー・ボッシュ法
→肥料も火薬もグアノに頼る必要がなくなった
→爆発的な人口増加にも火薬・毒ガスによる戦争長期化にも一役買った
→日本では1930年代から急増し戦前の世界最高量に→土壌の酸性化や水質汚染が進行した
→合成にはエネルギー(お金)を要するので購入のために都市への商品作物を増やす
→農地からの栄養分持ち出しが増え、さらに肥料を購入する→これが資本主義の原理
(タイ北部の焼畑農村でも商品作物の連作などで同じ状況になってきている)
・窒素肥料の光(人口増加)と影(土の酸性化や水質汚染などの環境問題)
→ただし農業の1万年を振り返れば伝統農業なら持続的とも言い切れない
→試行錯誤の繰り返し
→目の前の環境問題が減っても別の場所(農業の現場)へ移動しただけ・・・
第4章より
・あるサラリーマンの1日(略)
→私たちの日常の選択が世界のマーケットと生産現場(土)の方向を動かしている
→肥料飼料を含む海外生産食料が口に入るまで全てにエネルギーが使われている
・覚醒する炭素
→エネルギーの利用とともに炭素が動く
→従属栄養性の生き物は有機物分解でエネルギーを得て二酸化炭素を放出する
→燃料によるエネルギー生産も二酸化炭素を放出する
(有機物の多くは植物の光合成でつくられるので動物のエネルギー量を制限していた)
(植物が吸収する二酸化炭素と生き物が排出する二酸化炭素は1年単位ではほぼ釣り合う)
・現代人は必要量の2倍の食べ物を消費して30倍以上のエネルギーを使っている
→石炭(泥炭の化石)も石油(海藻の化石)も、かつての植物が固定した炭素だが、
その当時の植物はおらず再吸収してもらえない
→大気中の二酸化炭素が増えるのは必然
・温暖化と土の連鎖反応
→気候変動が土を変え、土が気候を変える
→現在、深さ1mの土には大気中の2倍、植物体の3倍の炭素が蓄積している
→土は陸地で最大の炭素貯蔵庫
→全て放出されると大気中の二酸化炭素濃度が現在の3倍になる
→僅かな温暖化でも土の微生物が活発化し急速に温暖化が進む(負のフィードバック)
・電力になった熱帯雨林(ボルネオ島の石炭)
→露天掘りで人件費も安いので日本でも消費量が増えている
→削られた大地は裸地に
→フタバガキを伐採した熱帯雨林は二次林や畑、草原になったが、
→石炭採掘跡地には何も生えない
→もともと酸性だった土が石炭硫黄の酸化で硫酸になり強酸性になるから
→日本の電力とボルネオの土壌劣化が結びつくのが資本主義の怖さ
・土壌劣化のツケ払い
→ボルネオ島で森林が自然に回復する場合、最初に生えるのは成長の早いマラカンガ
→トウダイグサ科でアリと共生するアリ植物
→ただし種子を運ぶ鳥の居場所のない裸地には進出しにくい
→フタバガキの天然樹種はさらに外生菌根菌との共生が必要で植林しても裸地に戻る
→多くの生物は酸性土壌と折り合いをつけてきたので強酸性では生存すらかなわない
→裸地では植林を急ぐ前にタフなシダ植物による表土の回復を待つ必要がある
・ボルネオ石炭の向かう先は中国、インド、日本
→やめろといっても代替産業を提案できない限りはイタチゴッコ
→石炭採掘跡地に表土を戻すルールはあるがあまり守られていない
→北海道の農地造成では保存しておいた表土を戻して肥沃度を維持している
→石炭採掘跡地でも表土を戻しシダ植物の回復を待って植林するべきだが、
→そこまでやればコスト(電気料金)が高くなる(これが本来のエネルギー価格)
→今は酸性土壌と周りの強酸性の湖で泳いで遊ぶ子どもたちにツケを残している
・石炭採掘跡地を元に戻すコスト(電気料金)まで支払う覚悟はあるか?
→この答えがはっきりしない間は、経済競争原理に従い不毛な大地が広がり続ける
→再生エネルギー技術の革新も急斜面の森林を伐採したメガソーラーを見る限りは同じ
→エネルギーとの付き合い方は気候だけでなく土の未来も左右する
・酸性雨の影響を親子二代で科学的に証明したスウェーデンのタム親子(略)
→石炭の質や大気汚染の地域差にも大地5億年の歴史が関わっている
・石炭に代わるエネルギー資源として期待されているのが木材
→化石燃料の代わりに木材を燃焼して二酸化炭素を森林で吸収すればカーボンニュートラル?
→バイオマス発電の燃料木材は外国産が大半で森林伐採には土壌劣化のリスクもある
・森の日本史
→国土の7割を覆う森林の半分は人工林で、人工林の半分はスギ
→500年前の安土桃山時代に築城用の木材が大量に必要になり植林がはじまった
→吉野や熊野での林業のはじまり(度重なる遷都で畿内には森林が残ってなかった)
→江戸時代中期には吉野もはげ山に、戦時中には燃料にされ日本中がはげ山に
→戦後復興で木材需要が増加、成長の早いスギ・ヒノキの拡大造林(1950~70年代)
→1964年の輸入自由化などで2000年の木材自給率は2割まで落ち込んだ
→急峻で伐採コストの高い人工林は放置され荒廃して土壌侵食、土砂崩れが問題に
→熱帯雨林の減少と手つかずのスギ人工林(と私の花粉症)はコインの裏表
・風向きは少しずつ変わりはじめている
→2018年に自給率は4割まで回復、間伐材利用や木材バイオマス発電も増加
→コロナ禍での供給不足によるウッドショックや中国の購買力・需要増加による価格上昇で、
日本への外国産木材は供給されにくくなっている
→森林利用は歓迎すべきだが高齢化・急斜面などの悪条件で供給力は向上していない
・仮に効率的な林業が可能になり儲かると分かれば、すぐはげ山に戻るだろう
→水田耕作に有機質肥料が有効と分かって利用され尽くし草山やはげ山になったように、
→日本人の勤勉さは歴史が証明しているから
・資源は無尽蔵ではなく、作物と異なり木が育つのは遅い
→植生保護のない急斜面では土壌も流出しやすく森林再生も難しい
・ただし日本のスギ人工林では管理次第で資源利用と土づくりを両立できる
→熊野古道の近くで研究していた(古道に薄汚い研究者がいても優しく見守ってほしい)
→低木や下草(シダ植物など)が繁茂しているスギ人工林では皆伐しても土壌劣化は小さく、
枝葉を戻せば過剰な酸性化は抑えられ、余った材木をうまく配置すれば土壌浸食も軽減でき、
毎年利子にあたる材木を収穫して苗を植えれば継続できることが判明した
→伐採・植林で森の新陳代謝を促進して土地の生産能力(土の養分供給能力)を最大限にする
林業を実現できる可能性もある
・窒素まみれの日本
朝食
→日本の牛乳、バター、チーズは安全性も高く国際競争力からいえば優等生
→ただし環境保全と土壌の視点でいえば劣等生
→酸性土壌に向かない飼料は輸入に頼り、牛糞堆肥を入れる畑が足りず窒素まみれに
→逆に飼料の輸出国では(牛糞は輸入しないので)化学肥料が増える
→解決には飼料の輸入を減らすしかない
→牛密度の制限と休耕田での飼料米や稲わらなどの国産飼料→ただし高コストになる
おやつ
・ポテトチップスの植物油脂は油ヤシ(オイルパーム)から採れるパーム油(パームオイル)
(他にも食品、化粧品、洗剤など、あらゆる生活必需品に使われている)
→輸入元はインドネシアとマレーシアだが西アフリカ原産で植民地時代に持ち込まれたもの
→熱帯雨林の伐採により栽培されるため土を大きく変化させた
→私が10年間観測してきたボルネオ島の熱帯雨林は保護区を除き全て油ヤシ農園になった
・仕方がないので油ヤシ農園を1年間観測することにした
→1haあたり年間600kgの窒素肥料がまかれていた(日本の普通の畑の6倍)→儲かるから
→余った窒素肥料が硝酸に変化するので土はどんどん酸性になる
→酸性化と腐植の分解流出が進めば土地は放棄され、さらなる熱帯雨林の伐採へ
→高濃度窒素は河川では水質汚染(富栄養化)を引き起こす
→これらは環境問題の日本などからの転嫁
・ポテトチップスにはカナダではキャノーラ油、フランスではヒマワリ油が使われている
→せめて製品の裏面記載をにらみ、食用油を節約・再利用するぐらいはできるはず
・本書では熱帯雨林の減少を紹介する一方で森林保護の説明は避けてきた
→簡単ではないから
→森林保護は現地の共感を得られない先進国の論理でオランウータンも農作物を荒らす害獣
→油ヤシ農園より持続的でお金になるプランがなければ保全できない
→アクイラリア(沈香)アロマオイルの例など(略)
→天然林を守りながら儲けになれば自主的に木を植えはじめる
(インサーツアーズのN嶋さんたちがサラワク州サバル森林保護区で取り組んでおられる
アグロフォレストリー(混農林業)や、蜜林堂の上林さんが取り組んでおられるハリナシバチ
蜂蜜の採取・輸入販売も、まさにこれらのポイントを踏まえた取り組みですね)
・カナダ・キャノーラ(アブラナ)畑の例
→1年間栽培をやめて水を節約する(たまたま戦争で放置してたら翌年の収穫量が増加した)
→土中の水を雑草に吸われないよう表土を耕して翌年の豊作を待つ
→この水管理は世界中の乾燥地で実施された
→ただし耕起により微生物が有機物を分解、作物被覆がないため浸食も深刻化した
→作物(マメ科)で表土を守る不耕起栽培へ(除草剤を使う方法もある)
・これまで畑の土は工場と同じく二酸化炭素の発生源だった
→不耕起栽培では腐植として炭素を貯め込むことができる
→毎年0.4%ずつ腐植を増やせば上昇を止められるとCOP21で提案され国際的な取り組みに
→日本でも期待されているが土の性質や規模の違いを踏まえて最善策を探す必要がある
・日本の甘いお茶と窒素肥料と浄化のための水田(飼料用)の例(略)
・ボルネオ島の農業
→もともとは先住民による小規模な陸稲などの焼畑農業だった
→ジャワ島からの移民が伝統的な水田稲作をはじめたが酸性土壌を克服できなかった
→移民農民は大規模な伐採・火入れで本来の焼畑農業ではなく連続耕作をした
→熱帯雨林は荒れ果て草原となり商品作物の農地となった
→コショウ→バナナ→酸性に強いパイナップル→ドラゴンフルーツ・・・
→劣化土壌でも育つ植物に次々と移行している(油ヤシ農園は前述のとおり)
・貧困が農家に短期的な現金収入を求めさせる
→その背景には豊かさを求める途上国の生産者と安さ便利さを求める先進国の消費者がいる
→環境問題は環境ではなく人間の問題
・中国では中性だった土壌が1980年代からの20年間で全体平均値が0.5pHほど酸性化した
→都市が発達し商品作物の生産が増加→儲かるので窒素肥料が買える→まけば収穫が増える
→この成功体験が窒素肥料への依存度を高めた→まきすぎが土壌の酸性化を招いた
→中和には大量の石灰肥料が必要だが物理的にも経済的にも大きな負担
→土壌に緩衝力がある日本では酸性化リスクの少ない尿素肥料を使うことで緩和したが、
→中国の黄土や熱帯土壌ではどうか・・・
・都市の発達やマーケットの存在が土を翻弄してきたが、それらによって農民たちは、
→養分損失を補う石灰肥料やリン肥料を買う現金収入を得る
→回復するまで腐植の蓄積を待ちながら地下茎やアロマオイルで現金収入を得る
といった選択肢の幅が広がっているのも事実
→変化を続ける社会環境に適応した新たな農業の仕組みの構築がはじまっている
ご飯
・日本人がコメを好きなだけ食べられるようになったのは高度経済成長期以降
(それまでは五穀を主食として食べていた)
→1960年代には現代人がまずく感じる高タンパクのコメを毎日5杯食べていた
→現在では甘く低タンパクのコメを2杯程度→減反政策に大転換し輸入も
・京都府宮津市の現代型棚田の例(略)
・水田はメタン発生源として温暖化の一因とされている
→プラスチック被覆肥料は海洋マイクロプラスチックの原因ともなっている
→メタン発生を抑制するには落水期間を長くし肥料をこまめにまく必要がある
→環境保全型農業や付加価値のために現場では重労働が伴う実態・・・
・生産効率の悪い山間地の水田の多くは耕作放棄地に(現在40万ヘクタール)
→灌漑によるカルシウム補給が絶たれ酸性になるなど再使用する際の修復コストは大きい
→集約・大規模化して競争力をつけ輸出で復活という考えもあるが、
→現状では国内のコメ消費を復活させる方が稲作と水田土壌を守る近道
・2000年にわたる稲作の持続性は乾燥地の畑作にはないもの
→水田土壌の存続は国民の1%に過ぎない農家だけでなく私たちの胃袋にもかかっている
・コメ消費の復活には味噌汁と納豆も必要→大豆
→富山平野には大豆畑が広がっている→水田よりみすぼらしい
→主食がコメから納豆になったわけではなく国が補助金で転換を推進しているから
→だが畑には水田稲作にはない連作障害がある
・大豆のルーツを活かすべき
→大豆は人類が100年前に発明した窒素肥料生産を恐竜が絶滅した6600万年前からやっている
→栄養状態のよい水田跡地では共生している根粒菌がすねやすい
→化学肥料のない時代には大豆栽培が肥沃度回復の切り札だった
(火山灰土壌が多い東日本に豆のつく地名が多い→自生または栽培していた)
→本気で国産化を目指すなら黒ぼく土での生産を国も消費者も応援すべき
娯楽
・天空の城ラピュタのシータのセリフ(本来は研究者が言うべきセリフだけど)
→なぜ人は「土から離れては生きられないのよ」なのか?
→技術進歩で土を使わず清潔で農薬の心配もない植物工場もできてるのに?
→植物工場との違いはエコノミー(経済学)とエコロジー(生態学)から説明できる
・農業とは最小限の資源投資で最大限の収穫を持続的に得るヒトの営み
→太陽光や土壌微生物による養分リサイクルにはお金はかからない
(植物工場では光やエネルギーや肥料循環にお金がかかるので品目が限定されている)
→経済界でも自然界でも無駄を省く工夫は同じ
→エネルギーと窒素肥料をダブつかせた結果が温暖化や土壌劣化
→無駄を省くならタダの太陽と微生物を最大限に活かす「土壌」を再評価すべき
・日本は耕作放棄して効率よく生産する地域から安く輸入すればいいのでは?
→輸出元の食糧などの生産地は乾燥地(の灌漑農業)が多い
→食糧輸入とは土に含まれていた水と栄養分の輸入→生産地の乾燥化・土壌劣化
→湿潤地農業でも養分リサイクルの停止と過剰な窒素肥料で土壌侵食や酸性化がすすむ
(まさにグローバル経済の影の部分ですね、これが新自由主義の結果?)
・歴史からも、国の基盤には農業があり農業の基盤には土がある
→やはり人は「土から離れては生きられない」のだ!!!(研究者の結論)
・人口増加やハーバー・ボッシュ法など急速な変化には生物進化スピードでは追いつかない
→人間が引き起こした変化には、やはり人間の知恵や技術しかない
→糞尿のように価値が忘れ去られようとしている知恵や技術もある
→無駄を減らし古くて新しいヒントを発掘する必要がある
→それは国家や企業、農家まかせではなく、審査員でもある私たち消費者が食卓を見つめ直し、
スーパーに並ぶ商品の裏側をにらむことからはじまる・・・
・・・
前編の冒頭にも書きましたが、土のハナシといっても内容が多岐にわたる濃い本でしたが、
読み物としても著者の個性が出てて面白く、最後まで興味深く読めました
ちなみに、わたくしが熱帯雨林の樹木と外生菌根菌との共生について知ったのは2003年12月、
ボルネオ島サバ州キナル森林保護区で、当時JICAから派遣されてた指導員の方からでした
「まだ研究中で試行錯誤が続きますが、州政府からは早く収益も出すよう要請されてるし」
ともおっしゃってましたが、今はどんな方針になってるんでしょうね・・・
機会があれば(ボルネオ島では最初に)16人で植樹した100本のカポールやニアトウの幼樹が
無事に育ってくれてるのか、一度は再訪してみたいものですが、さてさて・・・
2024年05月13日
大地の五億年(前篇)
とーとつですが・・・
wingさんからお借りしている「大地の五億年(藤井一至著)」の読書メモ前篇であります
裏表紙カバーにあった惹句
表紙カバー裏にあった惹句
裏表紙カバー裏にあった著者紹介
奥付
僅か1年半で第九刷まで増刷されてて、この分野では驚異的でしょうね
例によって目次のみ
素人にも分かりやすい年表が冒頭にあったので1枚だけメモ
(著作物なので公開に問題があるようなら非公開にします)
まえがきによれば・・・
・5億年前の植物の上陸により緑と土に覆われた大地が誕生した
→5億年の土と生命の物語は主役の入れ替わりが激しく共有の台本はない
・遅れて登場してきたお騒がせ生物(ヒト)が物語の存続を危うくしているが、
土と生き物は相互に影響しあいながら5億年を通して変動してきた
→そんな歴史を一冊に凝縮した
→土に埋もれた生き物の生活記録を掘り起こす試み
・生き物はヒトも含め、もとはみな栄養分を土から獲得している
→だから見方を180度変えた自然史・人類史でもある
・・・とゆー本なのであります
著者の面白いエピソードもいっぱいで科学解説としても魅力ある文章で楽しめました
ともかく内容が豊富で、当初は要点をメモしだしたのですが、殆ど書き写しになったので、
学術的な部分は読み飛ばし、ボルネオ島と日本に関する部分をメインにメモしましたが、
それでも長くなったので前編と後編の2回に分け、脳の外部記憶として記事にしました
(わたくしの思い違いも多いので興味を持たれた方は本書のご熟読を・・・)
プロローグより
・生き物が土を生んだ
→土壌とは岩石の風化によって生まれた砂や粘土に動植物の遺体が混ざったもの
・地球誕生から46億年、土壌誕生から5億年・・・つまり・・・
→「46歳の地球おばさんが5年前から家庭菜園をはじめ、1年前から菜園で働いてた恐竜兄さんが
半年前に失踪、10日前に生まれたばかりの小人が大規模な温室栽培をはじめた」
→ようなもので、この10日前に生まれた小人が人類
・ミミズが粘土と落ち葉を一緒に食べてフンをする→柔らかい土壌ができる(ダーウィン)
→足元に広がる土のほとんどはミミズのフンだったのだ
・土をめぐる戦い(地上に存在した生物の99.9%は絶滅した)
→土壌の厚さは平均すると1mにすぎない→この皮膚が地上の生命を養ってきた
→ヒトも水と空気以外は土壌から供給されている
・土の多様性(略)
・メソポタミア文明の崩壊、持続的どころか壊滅寸前だった江戸時代の里山・・・
→温暖化、砂漠化、酸性雨、熱帯雨林の減少・・・すべて土に関わる話題
・難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
→7世紀前半の観音寺遺跡(徳島県)から木簡が出土しており万葉集よりずっと古い
→平和と繁栄を祈るメッセージも地下に埋もれている・・・
第1章より
・最初に岩石沙漠を開拓したのは地衣類→5億年前
→今も陸地の8%を覆う、菌類と藻類が共生したユニークな生き物
→光合成の糖分→有機酸で岩を溶かす→リン・カルシウム・カリウムを得るが大部分は残存し、
砂や粘土に→それが地衣類やコケの遺骸(有機物)と混ざったものが地球最初の土だった
・最初に大地に根を下ろしたシダ植物
→4億年前の二酸化炭素濃度は現在の10倍以上で温暖湿潤な環境
→蒸し暑い水辺の湿地帯に初めて本格的な土壌が生まれた
→現在のボルネオ島には当時と似た環境がある→水辺のシダ植物の下は泥炭土
(水中には酸素が少なく微生物分解が進まず堆積する→深くなれば高温・高圧に→石炭)
・赤毛のアン(カナダ・セントエドワード島の赤い土)と大陸移動(同じ色の土が世界に分散)
→4億年前のシダの森(熱帯林)が全く別の場所(極北カナダ)に行った例
→シダの森は地上でも地下でも大量の二酸化炭素を固定した
→そのため地球が寒冷化(乾燥化)し酸素濃度も上昇した
→昆虫の巨大化、シダ植物の縮小衰退へ
→シダ植物は初期の土から本格的な森と土を形成、大陸移動とともに気候変動をもたらした
・裸子植物と根の進化
→3億年前にシダ植物は衰え、乾燥に強い種子を持つ裸子植物が主役に
→生き延びるための「通気のできる根(水稲やマングローブの例)」と「リグニン(木質)の生成」
→リグニンは幹などの強度を高め、より高くなりより光を吸収して成長、害虫にも強くなった
→土の微生物には食べにくくなったので有機物がどんどん土に溜まっていった
(私の机の書類のように処理が追いつかず未処理業務(泥炭)が蓄積していったのだ)
→微生物の対応が遅れたので泥炭→石炭が蓄積した→なので地質年代では「石炭紀」
・キノコの進化と石炭紀の終焉
→分解が進むと二酸化炭素や窒素・リン・カルシウムなどの栄養素が循環するが、
→分解が遅いと循環が停止し生態系も停止する(消化不良)
→キノコの進化が生態系の救世主になった
→キノコの主体は菌糸で有機物を食べる分解者だが、当初はリグニン分解能力はなかった
→2.5億年前にリグニンを分解する仕組みを獲得して種数がどんどん増えた
→有機物の分解が促進され石炭紀は終焉を迎えた
・キノコと樹木の進化で地球の物質バランスが保たれるようになったのだ
・恐竜たちの食卓
→映画ジュラシックパークでは琥珀の中の蚊の血液DNAから恐竜の復元に成功したが、
→本書ではもっと泥臭い土や化石からの恐竜時代の環境復元を試みる
→2億年前の大地は温暖湿潤、土壌の分布は広がっていた
→大型シダ植物から針葉樹が主役となった
→草食恐竜は亜熱帯!!!針葉樹の柔らかい!!!葉を食べていた(まだ草も草原もなかった)
・土を酸性に変える植物(略)
→恐竜の生活も体重も酸性土壌ポトゾルなどが支えていた
→針葉樹アロウカリアの高木化と草食恐竜プロキオサウルスの巨大化の例
→冷戦期のソ連とアメリカの軍拡競争と同じとされている
→特殊能力に特化すれば環境変化へのリスクがあるのは自然界も人間界も同じ
→6600万年前の恐竜絶滅でアロウカリアも北半球から消えた
・ボルネオ最高峰キナバル山の熱帯山地林のダクリカルプス(2億年前のアロウカリアの親戚)
→その下の土は熱帯には珍しい北欧と同じポトゾル
→ダクリカルプスも北欧のマツもリグニンやタンニン(酸性物質)が多く栄養分が少ない
→分解されにくく酸性腐葉土が堆積する
→茶色い酸性物質が染み出しポトゾルをつくる→色彩豊かなジュラシック・ソイルに
・岩を食べるキノコ
→北半球で繁栄するマツと衰退したアロウカリアの違い(略)
→キノコ(外性菌根菌)との共生はどちらにもあるがアロウカリアの根は限定的
・2億年前の酸性土壌で針葉樹は恐竜と繁栄し落ち葉や根で土を積極的に変化させた
→キノコ(外性菌根菌)との共生でマツの仲間は現在も北方林で繫栄している
→なぜ北方林と南半球の一部に追いやられたか→被子植物の台頭による
・砂上の熱帯雨林
・フタバガキの大遠征
→1.5億年前にジュラ紀から白亜紀に移ると被子植物が出現した
→熱帯地域は裸子植物(針葉樹)から花と果実を持つ被子植物に
→東南アジアの熱帯雨林で大発展したのがフタバガキ(沙羅双樹・合板のラワン材)
→ゴンドワナ大陸が起源のフタバガキは9000万年前に分離したインド亜大陸からアジアへ
(インド亜大陸のユーラシア大陸との衝突は4500万年前)
→3000万年前には東南アジアに到達し熱帯雨林の優占種となった
→なぜ高木化して大繁栄したのかは東南アジアの酸性土壌がカギ
・熱帯の土は貧栄養で森林を伐採したら不毛の大地になるといわれている
→熱帯雨林の土の林床は薄く肥沃な表層土も薄い
→その下には養分の乏しい土が深く続いている
→問題は酸性とリンの欠乏(焼畑は酸性の中和)
→貧栄養でも植物の成長量は日本の森林の3倍で大量の樹木と落ち葉が存在する
・熱帯雨林の貧しい土に森林が成立する理由
→東南アジアのフタバガキはマツ科やブナ科と同様にキノコ(外生菌根菌)と共生している
→ボルネオ熱帯雨林の60m観測タワーで自分が高所恐怖症であることを思い出したけど、
数年後にそのタワーは風で倒れた
→60mのフタバガキは地上に露出した板根で倒れないけど板根は物理的な支え
→栄養の吸収は落ち葉の下に伸び広がり外生菌根菌と共生した細い根ルートマットから(略)
→林冠部で光合成した糖分を根に共生した外生菌根菌に供給している
→外生菌根菌は熱帯土壌で欠乏しやすく酸化物に閉じ込められたリンを溶かして供給している
・熱帯雨林の高い生産性は、土を介したこのネットワークに支えられている
→森林をいったん伐採すると回復が難しいのは土に栄養分が少ないことに加え、
このネットワークを寸断してしまうため
・平家物語の冒頭に「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」とあるが、もともとは
お釈迦様が亡くなった時にフタバガキの花が一斉に枯れたという話に由来している
→伐採に脆弱な熱帯雨林を無計画に伐採すれば、花の色のように衰えるのは人間・・・
・フタバガキが4年に一度だけ一斉に開花結実する謎
①エルニーニョ後は安定説②ハチとの日程調整説③オランウータンなどが食べ切れない説
④が真打登場で土が原因説なのだ
→真打といっても毎年開花結実するだけの養分供給ができないという情けない話で
→熱帯雨林の土壌に少ない窒素やリンを貯蔵して種子を作るのに4年かかるという説
→私の調査でもリンを貯めるのには数年かかる計算になるが毎年というのは温帯の常識であり、
熱帯のフタバガキには彼らなりの体内時計があるのだろう・・・
・フタバガキの種子の2枚の羽根
→風によって遠くまで子孫を送り込むためと考えられてきたが、森の中では殆どが真下に
落ちることがわかってきた
→成木の近くなら外生菌根菌の菌糸を通じて稚樹に養分を渡せるから→樹木の子育て!!!
→種子が成木になる確率を高めの1%とした場合、100年で世代交代する調和のとれた仕組み
・氷の世界の森と土(略)
(極北イヌビックでの調査エピソードがめっちゃ面白かったです)
・奇跡の島国・日本
→日本は森の国だが同じ中緯度帯には砂漠や乾燥地が多い→やはり奇跡の島
→日本列島は4つのプレートがせめぎ合う地域に位置する→3000m級の山々が誕生
→2000万年前にユーラシア大陸から分離、日本海が生まれた
→氷河期が終わり海水面が上昇、日本海に対馬海流が流入した
→この暖流と山々の存在が、日本列島を水に恵まれた森の楽園に変えた
→そしてこのことが、日本の土が酸性になることを運命付けた
・降り積もる火山灰
→アイドルのデビュー曲のタイトルが「火山灰(柏木由紀)」になる国は日本ぐらい
→日本中に降り積もり1万年前の縄文時代の地表面は今より1mぐらい下だった
→塵も積もれば土になるのだ
→29000年前の姶良火山の大噴火→関東まで積もった火山灰の下から石器が見つかった
→氷河期だった3万年前の旧石器時代に日本人はマンモスを追いかけていたのだ
→氷河期が終わった縄文時代7300年前の鬼界カルデラの大噴火
→やはり関東まで積もり火砕流は屋久島の全域を飲み込んだ→縄文杉も壊滅していた
→北海道でも過去1万年に火山活動と植生回復が7回繰り返されている
→この活発な火山活動が世界的にもユニークな「黒ぼく土」をつくりあげた
・酸性でも平気なブナとスギ
→火山灰から生まれた黒ぼく土は酸性になりにくいが、いったん酸性になれば中和が難しい
→さらに火山灰から生成する粘土がリンを吸着するので作物栽培には向かない
(同じ黒い土でもカナダやウクライナの黒土はカルシウムを多く含み世界の穀倉に)
→ブナやスギなどの樹木はリン鉱物を溶かせるので問題ない
→黄砂には炭酸カルシウムなどアルカリ成分を含むが中和成分が少なくすぐ酸性に変わる
→この黄砂からできる日本海側の土は酸性になりやすい(室堂の雪の壁には黄砂を含む黒い筋)
→火山灰が多い太平洋側のブナ林はミズナラなどライバルとの競争で窮屈そう
→雪が多く土が酸性になりやすい日本海側やアメリカ五大湖東側では美しいブナの純林
・土の養分の低さや酸性で作物栽培に苦労した人間は樹木の機能を肥料として利用した
→焼畑や里山の落ち葉や草を田畑に入れる刈敷など
→多様な自然環境、火山灰、雨(雪)、人間活動で世界的にもユニークな土と生態系に・・・
第2章より
・土は生命の源
→生命の根源はエネルギー源と自己複製能力で、支える元素は炭素・窒素・リン
→炭素は空気が供給源だが窒素とリンは土壌が重要な供給源
→多くの土壌で雨に流される
→生き物は獲得するための進化の道を歩んできた
・ウツボカズラの戦略
→酸性土壌や栄養分の少ない土壌で昆虫を捕獲消化吸収することで養分を補う戦略
→ウツボカズラからすれば昆虫はタンパク質(窒素)とリンのかたまり
→食虫植物の捕食器は生産コストが高いので栄養分の少ない土壌での生存戦略
→昆虫や共生細菌に分解してもらう種類もある
・人体は水分を除く50~70%がタンパク質で昆虫より高濃度の窒素やリンを含む
→獲得するための戦略が「農業」と「料理」
・微生物と酵素、腸内細菌(略)
・熱帯雨林の掃除屋シロアリ(略)
→熱帯雨林はシロアリとゴキブリの楽園(略)
→シロアリは2000種以上いるが害虫は10%ほど、
→ゴキブリは4500種以上いるが家庭の害虫は12種のみ
・草食恐竜の胃から発酵によって放出されたメタンガスは1日2700ℓとされる
→2億年前の地球を温暖化させるのには充分な量
・リグニンと茶色い水
→カナダ北部や北欧の川は湖や湿地が多い平坦な地形を流れる
→酸素が少なく微生物分解が遅いので泥炭土が蓄積している
→泥炭土のタンニンなどの溶存有機物を溶かしこんでるので茶色
→日本に多い火山灰土壌は吸着力の強い粘土が多く溶存有機物を数分で99%吸収する
→地形も急峻でたゆむことも少ないので透明
・熱帯雨林の茶色い水
→熱帯雨林では微生物分解が活発なので(中南米での観察結果から)透明とされていた
→ところが東南アジアの熱帯雨林では茶色だった→報告論文が認められず違いを立証した
→東南アジア熱帯雨林の黄色い土は中南米熱帯雨林の赤い土よりイオン濃度で10倍酸性だった
→北欧マツ林の腐葉土と同様に酸性に適応したキノコで溶存有機物がつくられるのだ
(熱帯雨林では微生物分解が活発で落葉層は薄いが、絶えず供給されるのでつくられる)
→土の酸性が東南アジアの熱帯雨林の茶色い水の真相
・アマゾンの黒い川と白い川(泥炭土と粘土など)→(略)
(土の養分→川や海へ→魚や食べたトリやクマなどの死骸やフン→土の養分に循環)
・オランウータン、土を食べる(略)
→ボルネオ島にはドリアンの固有種が多く存在する
→一説ではドリアンの多様化が始まった時期とオランウータンの出現時期は同じとされる
→美食家に果実を提供して種子を拡散させる戦略が成功したのだ
→被子植物と種子散布者との協力が熱帯雨林の多様性を支えている
→動物は汗などでナトリウムを失うが植物に含まれるナトリウムは少ない
→海から離れて暮らす動物は塩を獲得する知恵を持っている・・・
以下、次の記事(後編)に続きます
wingさんからお借りしている「大地の五億年(藤井一至著)」の読書メモ前篇であります
裏表紙カバーにあった惹句
表紙カバー裏にあった惹句
裏表紙カバー裏にあった著者紹介
奥付
僅か1年半で第九刷まで増刷されてて、この分野では驚異的でしょうね
例によって目次のみ
素人にも分かりやすい年表が冒頭にあったので1枚だけメモ
(著作物なので公開に問題があるようなら非公開にします)
まえがきによれば・・・
・5億年前の植物の上陸により緑と土に覆われた大地が誕生した
→5億年の土と生命の物語は主役の入れ替わりが激しく共有の台本はない
・遅れて登場してきたお騒がせ生物(ヒト)が物語の存続を危うくしているが、
土と生き物は相互に影響しあいながら5億年を通して変動してきた
→そんな歴史を一冊に凝縮した
→土に埋もれた生き物の生活記録を掘り起こす試み
・生き物はヒトも含め、もとはみな栄養分を土から獲得している
→だから見方を180度変えた自然史・人類史でもある
・・・とゆー本なのであります
著者の面白いエピソードもいっぱいで科学解説としても魅力ある文章で楽しめました
ともかく内容が豊富で、当初は要点をメモしだしたのですが、殆ど書き写しになったので、
学術的な部分は読み飛ばし、ボルネオ島と日本に関する部分をメインにメモしましたが、
それでも長くなったので前編と後編の2回に分け、脳の外部記憶として記事にしました
(わたくしの思い違いも多いので興味を持たれた方は本書のご熟読を・・・)
プロローグより
・生き物が土を生んだ
→土壌とは岩石の風化によって生まれた砂や粘土に動植物の遺体が混ざったもの
・地球誕生から46億年、土壌誕生から5億年・・・つまり・・・
→「46歳の地球おばさんが5年前から家庭菜園をはじめ、1年前から菜園で働いてた恐竜兄さんが
半年前に失踪、10日前に生まれたばかりの小人が大規模な温室栽培をはじめた」
→ようなもので、この10日前に生まれた小人が人類
・ミミズが粘土と落ち葉を一緒に食べてフンをする→柔らかい土壌ができる(ダーウィン)
→足元に広がる土のほとんどはミミズのフンだったのだ
・土をめぐる戦い(地上に存在した生物の99.9%は絶滅した)
→土壌の厚さは平均すると1mにすぎない→この皮膚が地上の生命を養ってきた
→ヒトも水と空気以外は土壌から供給されている
・土の多様性(略)
・メソポタミア文明の崩壊、持続的どころか壊滅寸前だった江戸時代の里山・・・
→温暖化、砂漠化、酸性雨、熱帯雨林の減少・・・すべて土に関わる話題
・難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
→7世紀前半の観音寺遺跡(徳島県)から木簡が出土しており万葉集よりずっと古い
→平和と繁栄を祈るメッセージも地下に埋もれている・・・
第1章より
・最初に岩石沙漠を開拓したのは地衣類→5億年前
→今も陸地の8%を覆う、菌類と藻類が共生したユニークな生き物
→光合成の糖分→有機酸で岩を溶かす→リン・カルシウム・カリウムを得るが大部分は残存し、
砂や粘土に→それが地衣類やコケの遺骸(有機物)と混ざったものが地球最初の土だった
・最初に大地に根を下ろしたシダ植物
→4億年前の二酸化炭素濃度は現在の10倍以上で温暖湿潤な環境
→蒸し暑い水辺の湿地帯に初めて本格的な土壌が生まれた
→現在のボルネオ島には当時と似た環境がある→水辺のシダ植物の下は泥炭土
(水中には酸素が少なく微生物分解が進まず堆積する→深くなれば高温・高圧に→石炭)
・赤毛のアン(カナダ・セントエドワード島の赤い土)と大陸移動(同じ色の土が世界に分散)
→4億年前のシダの森(熱帯林)が全く別の場所(極北カナダ)に行った例
→シダの森は地上でも地下でも大量の二酸化炭素を固定した
→そのため地球が寒冷化(乾燥化)し酸素濃度も上昇した
→昆虫の巨大化、シダ植物の縮小衰退へ
→シダ植物は初期の土から本格的な森と土を形成、大陸移動とともに気候変動をもたらした
・裸子植物と根の進化
→3億年前にシダ植物は衰え、乾燥に強い種子を持つ裸子植物が主役に
→生き延びるための「通気のできる根(水稲やマングローブの例)」と「リグニン(木質)の生成」
→リグニンは幹などの強度を高め、より高くなりより光を吸収して成長、害虫にも強くなった
→土の微生物には食べにくくなったので有機物がどんどん土に溜まっていった
(私の机の書類のように処理が追いつかず未処理業務(泥炭)が蓄積していったのだ)
→微生物の対応が遅れたので泥炭→石炭が蓄積した→なので地質年代では「石炭紀」
・キノコの進化と石炭紀の終焉
→分解が進むと二酸化炭素や窒素・リン・カルシウムなどの栄養素が循環するが、
→分解が遅いと循環が停止し生態系も停止する(消化不良)
→キノコの進化が生態系の救世主になった
→キノコの主体は菌糸で有機物を食べる分解者だが、当初はリグニン分解能力はなかった
→2.5億年前にリグニンを分解する仕組みを獲得して種数がどんどん増えた
→有機物の分解が促進され石炭紀は終焉を迎えた
・キノコと樹木の進化で地球の物質バランスが保たれるようになったのだ
・恐竜たちの食卓
→映画ジュラシックパークでは琥珀の中の蚊の血液DNAから恐竜の復元に成功したが、
→本書ではもっと泥臭い土や化石からの恐竜時代の環境復元を試みる
→2億年前の大地は温暖湿潤、土壌の分布は広がっていた
→大型シダ植物から針葉樹が主役となった
→草食恐竜は亜熱帯!!!針葉樹の柔らかい!!!葉を食べていた(まだ草も草原もなかった)
・土を酸性に変える植物(略)
→恐竜の生活も体重も酸性土壌ポトゾルなどが支えていた
→針葉樹アロウカリアの高木化と草食恐竜プロキオサウルスの巨大化の例
→冷戦期のソ連とアメリカの軍拡競争と同じとされている
→特殊能力に特化すれば環境変化へのリスクがあるのは自然界も人間界も同じ
→6600万年前の恐竜絶滅でアロウカリアも北半球から消えた
・ボルネオ最高峰キナバル山の熱帯山地林のダクリカルプス(2億年前のアロウカリアの親戚)
→その下の土は熱帯には珍しい北欧と同じポトゾル
→ダクリカルプスも北欧のマツもリグニンやタンニン(酸性物質)が多く栄養分が少ない
→分解されにくく酸性腐葉土が堆積する
→茶色い酸性物質が染み出しポトゾルをつくる→色彩豊かなジュラシック・ソイルに
・岩を食べるキノコ
→北半球で繁栄するマツと衰退したアロウカリアの違い(略)
→キノコ(外性菌根菌)との共生はどちらにもあるがアロウカリアの根は限定的
・2億年前の酸性土壌で針葉樹は恐竜と繁栄し落ち葉や根で土を積極的に変化させた
→キノコ(外性菌根菌)との共生でマツの仲間は現在も北方林で繫栄している
→なぜ北方林と南半球の一部に追いやられたか→被子植物の台頭による
・砂上の熱帯雨林
・フタバガキの大遠征
→1.5億年前にジュラ紀から白亜紀に移ると被子植物が出現した
→熱帯地域は裸子植物(針葉樹)から花と果実を持つ被子植物に
→東南アジアの熱帯雨林で大発展したのがフタバガキ(沙羅双樹・合板のラワン材)
→ゴンドワナ大陸が起源のフタバガキは9000万年前に分離したインド亜大陸からアジアへ
(インド亜大陸のユーラシア大陸との衝突は4500万年前)
→3000万年前には東南アジアに到達し熱帯雨林の優占種となった
→なぜ高木化して大繁栄したのかは東南アジアの酸性土壌がカギ
・熱帯の土は貧栄養で森林を伐採したら不毛の大地になるといわれている
→熱帯雨林の土の林床は薄く肥沃な表層土も薄い
→その下には養分の乏しい土が深く続いている
→問題は酸性とリンの欠乏(焼畑は酸性の中和)
→貧栄養でも植物の成長量は日本の森林の3倍で大量の樹木と落ち葉が存在する
・熱帯雨林の貧しい土に森林が成立する理由
→東南アジアのフタバガキはマツ科やブナ科と同様にキノコ(外生菌根菌)と共生している
→ボルネオ熱帯雨林の60m観測タワーで自分が高所恐怖症であることを思い出したけど、
数年後にそのタワーは風で倒れた
→60mのフタバガキは地上に露出した板根で倒れないけど板根は物理的な支え
→栄養の吸収は落ち葉の下に伸び広がり外生菌根菌と共生した細い根ルートマットから(略)
→林冠部で光合成した糖分を根に共生した外生菌根菌に供給している
→外生菌根菌は熱帯土壌で欠乏しやすく酸化物に閉じ込められたリンを溶かして供給している
・熱帯雨林の高い生産性は、土を介したこのネットワークに支えられている
→森林をいったん伐採すると回復が難しいのは土に栄養分が少ないことに加え、
このネットワークを寸断してしまうため
・平家物語の冒頭に「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」とあるが、もともとは
お釈迦様が亡くなった時にフタバガキの花が一斉に枯れたという話に由来している
→伐採に脆弱な熱帯雨林を無計画に伐採すれば、花の色のように衰えるのは人間・・・
・フタバガキが4年に一度だけ一斉に開花結実する謎
①エルニーニョ後は安定説②ハチとの日程調整説③オランウータンなどが食べ切れない説
④が真打登場で土が原因説なのだ
→真打といっても毎年開花結実するだけの養分供給ができないという情けない話で
→熱帯雨林の土壌に少ない窒素やリンを貯蔵して種子を作るのに4年かかるという説
→私の調査でもリンを貯めるのには数年かかる計算になるが毎年というのは温帯の常識であり、
熱帯のフタバガキには彼らなりの体内時計があるのだろう・・・
・フタバガキの種子の2枚の羽根
→風によって遠くまで子孫を送り込むためと考えられてきたが、森の中では殆どが真下に
落ちることがわかってきた
→成木の近くなら外生菌根菌の菌糸を通じて稚樹に養分を渡せるから→樹木の子育て!!!
→種子が成木になる確率を高めの1%とした場合、100年で世代交代する調和のとれた仕組み
・氷の世界の森と土(略)
(極北イヌビックでの調査エピソードがめっちゃ面白かったです)
・奇跡の島国・日本
→日本は森の国だが同じ中緯度帯には砂漠や乾燥地が多い→やはり奇跡の島
→日本列島は4つのプレートがせめぎ合う地域に位置する→3000m級の山々が誕生
→2000万年前にユーラシア大陸から分離、日本海が生まれた
→氷河期が終わり海水面が上昇、日本海に対馬海流が流入した
→この暖流と山々の存在が、日本列島を水に恵まれた森の楽園に変えた
→そしてこのことが、日本の土が酸性になることを運命付けた
・降り積もる火山灰
→アイドルのデビュー曲のタイトルが「火山灰(柏木由紀)」になる国は日本ぐらい
→日本中に降り積もり1万年前の縄文時代の地表面は今より1mぐらい下だった
→塵も積もれば土になるのだ
→29000年前の姶良火山の大噴火→関東まで積もった火山灰の下から石器が見つかった
→氷河期だった3万年前の旧石器時代に日本人はマンモスを追いかけていたのだ
→氷河期が終わった縄文時代7300年前の鬼界カルデラの大噴火
→やはり関東まで積もり火砕流は屋久島の全域を飲み込んだ→縄文杉も壊滅していた
→北海道でも過去1万年に火山活動と植生回復が7回繰り返されている
→この活発な火山活動が世界的にもユニークな「黒ぼく土」をつくりあげた
・酸性でも平気なブナとスギ
→火山灰から生まれた黒ぼく土は酸性になりにくいが、いったん酸性になれば中和が難しい
→さらに火山灰から生成する粘土がリンを吸着するので作物栽培には向かない
(同じ黒い土でもカナダやウクライナの黒土はカルシウムを多く含み世界の穀倉に)
→ブナやスギなどの樹木はリン鉱物を溶かせるので問題ない
→黄砂には炭酸カルシウムなどアルカリ成分を含むが中和成分が少なくすぐ酸性に変わる
→この黄砂からできる日本海側の土は酸性になりやすい(室堂の雪の壁には黄砂を含む黒い筋)
→火山灰が多い太平洋側のブナ林はミズナラなどライバルとの競争で窮屈そう
→雪が多く土が酸性になりやすい日本海側やアメリカ五大湖東側では美しいブナの純林
・土の養分の低さや酸性で作物栽培に苦労した人間は樹木の機能を肥料として利用した
→焼畑や里山の落ち葉や草を田畑に入れる刈敷など
→多様な自然環境、火山灰、雨(雪)、人間活動で世界的にもユニークな土と生態系に・・・
第2章より
・土は生命の源
→生命の根源はエネルギー源と自己複製能力で、支える元素は炭素・窒素・リン
→炭素は空気が供給源だが窒素とリンは土壌が重要な供給源
→多くの土壌で雨に流される
→生き物は獲得するための進化の道を歩んできた
・ウツボカズラの戦略
→酸性土壌や栄養分の少ない土壌で昆虫を捕獲消化吸収することで養分を補う戦略
→ウツボカズラからすれば昆虫はタンパク質(窒素)とリンのかたまり
→食虫植物の捕食器は生産コストが高いので栄養分の少ない土壌での生存戦略
→昆虫や共生細菌に分解してもらう種類もある
・人体は水分を除く50~70%がタンパク質で昆虫より高濃度の窒素やリンを含む
→獲得するための戦略が「農業」と「料理」
・微生物と酵素、腸内細菌(略)
・熱帯雨林の掃除屋シロアリ(略)
→熱帯雨林はシロアリとゴキブリの楽園(略)
→シロアリは2000種以上いるが害虫は10%ほど、
→ゴキブリは4500種以上いるが家庭の害虫は12種のみ
・草食恐竜の胃から発酵によって放出されたメタンガスは1日2700ℓとされる
→2億年前の地球を温暖化させるのには充分な量
・リグニンと茶色い水
→カナダ北部や北欧の川は湖や湿地が多い平坦な地形を流れる
→酸素が少なく微生物分解が遅いので泥炭土が蓄積している
→泥炭土のタンニンなどの溶存有機物を溶かしこんでるので茶色
→日本に多い火山灰土壌は吸着力の強い粘土が多く溶存有機物を数分で99%吸収する
→地形も急峻でたゆむことも少ないので透明
・熱帯雨林の茶色い水
→熱帯雨林では微生物分解が活発なので(中南米での観察結果から)透明とされていた
→ところが東南アジアの熱帯雨林では茶色だった→報告論文が認められず違いを立証した
→東南アジア熱帯雨林の黄色い土は中南米熱帯雨林の赤い土よりイオン濃度で10倍酸性だった
→北欧マツ林の腐葉土と同様に酸性に適応したキノコで溶存有機物がつくられるのだ
(熱帯雨林では微生物分解が活発で落葉層は薄いが、絶えず供給されるのでつくられる)
→土の酸性が東南アジアの熱帯雨林の茶色い水の真相
・アマゾンの黒い川と白い川(泥炭土と粘土など)→(略)
(土の養分→川や海へ→魚や食べたトリやクマなどの死骸やフン→土の養分に循環)
・オランウータン、土を食べる(略)
→ボルネオ島にはドリアンの固有種が多く存在する
→一説ではドリアンの多様化が始まった時期とオランウータンの出現時期は同じとされる
→美食家に果実を提供して種子を拡散させる戦略が成功したのだ
→被子植物と種子散布者との協力が熱帯雨林の多様性を支えている
→動物は汗などでナトリウムを失うが植物に含まれるナトリウムは少ない
→海から離れて暮らす動物は塩を獲得する知恵を持っている・・・
以下、次の記事(後編)に続きます