植林
2023年08月10日
瀕死の林業
瀕死の林業・・・
ええ、

月刊誌「Wedgeウェッジ」2023年6月号の特集記事であります
この特集部分の目次のみ

例によって、てきとーな読後メモで思い違いもあり、図表なども一切紹介してませんので、
興味を持たれた方は本書をしっかり読んでくださいね
まずは編集部による現状つーか問題提起より
・4/14の花粉症に関する関係閣僚会議でスギの伐採加速化も掲げられた
(日本の林業・林政はこうした政治発言に左右されてきた歴史がある)
→林業の成長産業化+カーボンニュートラルの潮流
・生産量や自給率など統計上の数値は改善しているが現場は全く違う
→成長産業化の結果は供給過多による価格低下→資金不足で3割しか再造林できていない
→総額3000億の補助金の活用方法の再検討が必要→今は補助金獲得自体が目的になっている
・目先の成長を追い求め「持続可能な森林管理」に逆行している
→まさに「木を見て森を見ず」そのものの林政
・現場では森林所有者、森林組合、製材加工業者などに新しい取り組みを始める改革者もいる
・瀕死の林業を再生する処方箋とは・・・
Part1より
・森林の持つ防災機能からも森林再生がいわれるが異常降雨時には森林も被害者になる
→日本の森林再生はすでに達成している
→いっぽうで日本の林業は受け皿がなく瀕死の状態にある
→林業再生は矛盾だらけで行政優先・机上論理優先で科学や技術は軽視
・費用対効果を軽視してはいけない
→日本の人工造成林は費用対効果が著しく悪い
→伐採跡を植林しない天然更新や植林しても自然木の侵入を許すなどへ移行すべき
→50年後のスギ・ヒノキの価値など分からないのだから多様な品揃えにしておくこと
→補助金と事業の硬直化により、この多様性が失われている
・間伐で森林の価値を下げるケースもある
→無間伐のメリット、間伐のデメリット(略)
→価格低下により標準齢で伐採されないことは森林にはいいことだが行政が許さない
→これが森林経営者の自由度を阻害し森林機能と商品価値の低下にも繋がる
・森林を温存し「待ち」に徹すること
→すでに再生された森林を持続させること→商品価値がないなら無理に伐採しない
→森林の温存は様々な国家リスクへの備えになるので、そのための補助金に
→経営者の自由度を尊重し森林の多様性を支援する(利益が見込めれば伐採)
→林道など基盤設備の整備も必要
→国民への教育、技術者や行政官の現場経験の充実も・・・
Part2より
・宮崎市における盗伐の実態
→被害者は全国1000世帯を超え伐採跡では土砂崩れも
→小規模な偽造伐採届が自治体に受理されると、その何十倍も伐採する
→合法伐採でも再造林が進んでいない
・林野庁の「林業の成長産業化」により自給率は増えたが増産要請で盗伐も増えた
→木材総需要は縮んでいる→経済的に林業が成長しているとはいい難い
→安い合板用や燃料用(バイオマス発電用)が増え、製材価格は抑えられている
→中国に輸出されるのは安価な丸太ばかりで「日本の木材は世界一安いから買う」
→木造建築(CLT直交集成板)が推進されているが鉄筋コンクリートより高い→値下げ圧力
→合板用や燃料用は所有者(山元)への還元が少ない用途のため再造林が進まない
→木材利用を推進すればするほど、はげ山が増える構造
・建築材需要の減少は人口減少と高齢化による(住宅着工件数はピーク時の半分)
・この40年間、価格が下がるたびに所有者(山元)の利益を削ることで対応してきた
(ウッドショックで高騰したのは製材価格で原木価格はさほど上がっていない)
→さらにコスト上昇、大量伐採、作業道敷設、危険作業・・・経営の持続が危ない
→今はウッドショック終息により再び山元への値下げ圧力へ
・産出額より補助金の方が多い林業が「成長産業になった」といえるのか
・1990年代から丸太なら国産材の方が外材より安くなったが製材なら逆のケースも多い
→外材は供給量、品質、流通を商社がしっかり管理し商品アイテムも豊富
→国産材は多くの事業者が関わり相互の情報が伝わらず疑心暗鬼、ロスが多く責任も持てない
→乾燥材は国産材出荷量の3割、外材では8割以上→ここでも差がつく
・盗伐、過剰伐採、再造林放棄の問題とは反対の放置林の問題
→相続人不明、名義人多数の共有林、進まない民有林の地籍調査→放置→災害
・目先の都合だけの政策では経営も持続もできず環境保全も不可能・・・
林野庁森林整備部計画課長へのインタビューより
・供給量拡大への取り組み
→戦後や高度成長期に植えた人工林が成熟して利用可能になった
→木材利用はカーボンニュートラルにも貢献すると認識され、需要拡大策も功を奏した
→ただし販売収入が少なく、重労働を要する再造林をしないなど課題も多い
・収支面での取り組み
→高性能機械の導入、労働削減技術の開発実証、花粉量半分で成長1.5倍のエリートツリー
・最終価格の2%しか山元に還元されない仕組みや価格への取り組み
→原木を製材用、合板用、チップ用と仕分けして供給することが重要
→製材技術開発、フル活用に向けた事業者連携、持続可能なサプライチェーンの構築で再造林に
→昨年6月に林業木材産業関係団体が共同で宣言を出した→業界の意識も変わりつつある
・伐採のための補助金のあり方について
→間伐への補助はあるが目的は森林の健全性を保ち公益的機能を発揮させるため
→皆伐への補助はない
→国際商品の価格は海外を含む需給関係で決定されるので補助金の影響はない
→需要無視の伐採は好ましくないので需給情報を公表している
→レーザー航測技術を使って林業適地を見定め関係者で共有することも進めたい
Part3より
・1980年代以降の世界的潮流は「持続可能な森林管理」
→95年のモントリオール・プロセスには日本を含む12ヶ国が参加→日本は逆行している
・戦後の林政の振り返り
→戦争で荒廃した天然林の伐採跡や原野を人工林に置き換える拡大造林政策
→高度成長期には林業振興で森林の公益的機能も発揮できるという「予定調和論」へ
→これには丁寧で集約的な技術が要求されるが外材輸入による価格低迷で技術基盤が崩壊した
→2001年の法改正では「持続可能な森林管理」が検討されたが最終的には予定調和論に
→補助金を投入した工場の大型化の結果、大量安価な供給が必要になった
→2011年には温暖化防止ロジックで短伐期皆伐再造林施策へ→真の目的は大量安価な供給
→2016年には林業の成長産業化
→2021年には「グリーン成長を新しい林業で実現させる」
→転換に見せかけた成長産業化の継承強化で「持続可能な森林管理」とは相反するもの
・森林管理には科学的理論が根底にあるべき
→地域ごとに生産林と環境林に分け目標林型に応じて短伐期皆伐を選択するなら理解できる
→ところが施策は全国一律
・「持続可能な森林管理」を基本にした森林法制への転換が不可欠
→林業は特殊な条件下でしか成り立たないことが前提
→地域(山村)政策、環境政策としてEUの農業政策のような所得補償
(条件不利地域論・デカップリング論の取り込み、入林権の保証など国民的な議論で)
Part4より
・速水林業はFSC森林認証を日本で初めて取得した環境保全型林業
→1070㌶東京ドーム228個分
→最新外国製重機の修理やメンテナンスも自社で行う
→人材、道路網の密度、再造林と育林、苗木が揃わなければ林業は成り立たない
→2010年以降、専業事業者が売却・離脱している
→国の施策(環境保全)で間伐が加速し供給過多で立木価格が大きく低下
→安くても売れるうちに売り、植えなければいいという発想
→今は森林資源が持続できるかどうかの瀬戸際に
→補助金でしか変われない林業から脱却すべき
→誰がどう管理しどう利用されるか分からない数十年、数百年先の理想の森林を思い描き、
そこに向かって今できる限りのことを真面目にやる、それが面白くなければ林業は面白くない
Part5より
・銘建工業は構造用集成材のトップメーカー
→CLT直交集成板を日本に紹介し初めて建築物を建てた→鉄筋コンクリートより軽い
→日本の規制は厳しくコストが高くなり年間使用量は欧州の1/100で工場稼働率は低い
→フィンランドやスウェーデンでは時間をかけたインフラ整備で林業の生産性を上げた
→地元の真庭市にはバイオマス発電所がある
→チップだけでなく街路樹の剪定枝まで集まる仕組みができている
→林業もそれぞれの地域でビジョンを持つことが大事になる
Part6より
・皆伐された山林の7割は木を植えず放置されている
・大分県の佐伯森林組合では100%再造林している
→国・県・市の再造林補助金で88%はカバーできるが残りは関係者の基金で苗の生産も組合
→再造林の直営は15人で請負は115人、請負には年収1000万を超えるメンバーが4,5人いる
→5年間は同じ山を世話するので愛着も責任も感じるし山元も信頼する
→所有形態が細分化しているので結果的に皆伐にならずモザイク状に分散し生態系維持にも
・大分県のうすき林業では混交林の択伐を行っている
→皆伐と再造林の林業を続けるのはきついし自分の代でサイクルが循環しない
→専門家と話して防火帯の雑木を残すと自然に混合林になり択伐方式にしている
→混交林つくりは難しく何を植えて何を伐るか、間伐コントロールなど試行錯誤の連続
→現在はスギとヒノキだけの出材だが、いずれ高価な広葉樹も出したいと商品化を模索中
・所有者不明土地や放棄林の問題→少しずつ進めるしかない
→相続時不動産登記の義務化と国庫帰属制度
→植林育林会社や木材会社による買取サービスなど
・林業に重要なのは時間感覚
→一般の経済活動とは異なるスパンが必要
→吉野の山林王・土倉庄三郎のような思慮と覚悟で林業が展開されることを願う・・・
Part7より
・伊佐ホームズは2017年に森林パートナーズを設立した
→住宅を建てる際のサプライチェーンを構成する事業者が株主となり出資・参画する
→流通連携による林業の収益化
→透明性の確保→信頼関係→付加価値→山元にも還元→森林を守り続ける
→工務店が山元から直接購入→詳細な木材情報を事業者全体で共有
→全てのデータがオープンなのでコスト・納期・在庫などが明確になりメリットが多い
→事業者間の透明性と信頼関係は住宅購入者にも大きな価値となる
・大型パネル工法
→1980年に93万人だった大工は2020年には30万人に、しかも60歳以上が40%を超えた
→耐震性や防火性、調湿性などの性能強化で建築部品の複雑化・重量化も進んだ
→大工の労働時間の半分以上は梱包外し、採寸、仕分けなどで現場作業は危険も多い
→大型パネルなら本来の仕事である造作や仕上げに集中でき人手不足解消にもなる
・大型パネル工法開発者の話
→いかに森林資源と生活者、需要があるエリアと供給可能なエリアを最適な線で結べるか
→究極には林業をクラスター(圧縮統合)させ地域ごとのサプライチェーンを多数構築すること
→大規模化などの成長一辺倒ではなく、徹底的に持続することを目指す
→着実な持続こそ、結果として大成長につながる
さらに・・・
→これまでの木材はエンジンだけで売ってきたようなもの
→付加価値をつけて自動車として売ること
→我々は良質な木材を使いサッシや断熱材も付けた大型パネルという建築物として売っている
→生活者目線で主語を木材ではなく建築にし生活産業の一員として事業を行っている
云々・・・
と、確かに改革者の動きも一部にはあるようですが・・・
さてさて、部外者にできることはなんでしょう・・・
ええ、

月刊誌「Wedgeウェッジ」2023年6月号の特集記事であります
この特集部分の目次のみ

例によって、てきとーな読後メモで思い違いもあり、図表なども一切紹介してませんので、
興味を持たれた方は本書をしっかり読んでくださいね
まずは編集部による現状つーか問題提起より
・4/14の花粉症に関する関係閣僚会議でスギの伐採加速化も掲げられた
(日本の林業・林政はこうした政治発言に左右されてきた歴史がある)
→林業の成長産業化+カーボンニュートラルの潮流
・生産量や自給率など統計上の数値は改善しているが現場は全く違う
→成長産業化の結果は供給過多による価格低下→資金不足で3割しか再造林できていない
→総額3000億の補助金の活用方法の再検討が必要→今は補助金獲得自体が目的になっている
・目先の成長を追い求め「持続可能な森林管理」に逆行している
→まさに「木を見て森を見ず」そのものの林政
・現場では森林所有者、森林組合、製材加工業者などに新しい取り組みを始める改革者もいる
・瀕死の林業を再生する処方箋とは・・・
Part1より
・森林の持つ防災機能からも森林再生がいわれるが異常降雨時には森林も被害者になる
→日本の森林再生はすでに達成している
→いっぽうで日本の林業は受け皿がなく瀕死の状態にある
→林業再生は矛盾だらけで行政優先・机上論理優先で科学や技術は軽視
・費用対効果を軽視してはいけない
→日本の人工造成林は費用対効果が著しく悪い
→伐採跡を植林しない天然更新や植林しても自然木の侵入を許すなどへ移行すべき
→50年後のスギ・ヒノキの価値など分からないのだから多様な品揃えにしておくこと
→補助金と事業の硬直化により、この多様性が失われている
・間伐で森林の価値を下げるケースもある
→無間伐のメリット、間伐のデメリット(略)
→価格低下により標準齢で伐採されないことは森林にはいいことだが行政が許さない
→これが森林経営者の自由度を阻害し森林機能と商品価値の低下にも繋がる
・森林を温存し「待ち」に徹すること
→すでに再生された森林を持続させること→商品価値がないなら無理に伐採しない
→森林の温存は様々な国家リスクへの備えになるので、そのための補助金に
→経営者の自由度を尊重し森林の多様性を支援する(利益が見込めれば伐採)
→林道など基盤設備の整備も必要
→国民への教育、技術者や行政官の現場経験の充実も・・・
Part2より
・宮崎市における盗伐の実態
→被害者は全国1000世帯を超え伐採跡では土砂崩れも
→小規模な偽造伐採届が自治体に受理されると、その何十倍も伐採する
→合法伐採でも再造林が進んでいない
・林野庁の「林業の成長産業化」により自給率は増えたが増産要請で盗伐も増えた
→木材総需要は縮んでいる→経済的に林業が成長しているとはいい難い
→安い合板用や燃料用(バイオマス発電用)が増え、製材価格は抑えられている
→中国に輸出されるのは安価な丸太ばかりで「日本の木材は世界一安いから買う」
→木造建築(CLT直交集成板)が推進されているが鉄筋コンクリートより高い→値下げ圧力
→合板用や燃料用は所有者(山元)への還元が少ない用途のため再造林が進まない
→木材利用を推進すればするほど、はげ山が増える構造
・建築材需要の減少は人口減少と高齢化による(住宅着工件数はピーク時の半分)
・この40年間、価格が下がるたびに所有者(山元)の利益を削ることで対応してきた
(ウッドショックで高騰したのは製材価格で原木価格はさほど上がっていない)
→さらにコスト上昇、大量伐採、作業道敷設、危険作業・・・経営の持続が危ない
→今はウッドショック終息により再び山元への値下げ圧力へ
・産出額より補助金の方が多い林業が「成長産業になった」といえるのか
・1990年代から丸太なら国産材の方が外材より安くなったが製材なら逆のケースも多い
→外材は供給量、品質、流通を商社がしっかり管理し商品アイテムも豊富
→国産材は多くの事業者が関わり相互の情報が伝わらず疑心暗鬼、ロスが多く責任も持てない
→乾燥材は国産材出荷量の3割、外材では8割以上→ここでも差がつく
・盗伐、過剰伐採、再造林放棄の問題とは反対の放置林の問題
→相続人不明、名義人多数の共有林、進まない民有林の地籍調査→放置→災害
・目先の都合だけの政策では経営も持続もできず環境保全も不可能・・・
林野庁森林整備部計画課長へのインタビューより
・供給量拡大への取り組み
→戦後や高度成長期に植えた人工林が成熟して利用可能になった
→木材利用はカーボンニュートラルにも貢献すると認識され、需要拡大策も功を奏した
→ただし販売収入が少なく、重労働を要する再造林をしないなど課題も多い
・収支面での取り組み
→高性能機械の導入、労働削減技術の開発実証、花粉量半分で成長1.5倍のエリートツリー
・最終価格の2%しか山元に還元されない仕組みや価格への取り組み
→原木を製材用、合板用、チップ用と仕分けして供給することが重要
→製材技術開発、フル活用に向けた事業者連携、持続可能なサプライチェーンの構築で再造林に
→昨年6月に林業木材産業関係団体が共同で宣言を出した→業界の意識も変わりつつある
・伐採のための補助金のあり方について
→間伐への補助はあるが目的は森林の健全性を保ち公益的機能を発揮させるため
→皆伐への補助はない
→国際商品の価格は海外を含む需給関係で決定されるので補助金の影響はない
→需要無視の伐採は好ましくないので需給情報を公表している
→レーザー航測技術を使って林業適地を見定め関係者で共有することも進めたい
Part3より
・1980年代以降の世界的潮流は「持続可能な森林管理」
→95年のモントリオール・プロセスには日本を含む12ヶ国が参加→日本は逆行している
・戦後の林政の振り返り
→戦争で荒廃した天然林の伐採跡や原野を人工林に置き換える拡大造林政策
→高度成長期には林業振興で森林の公益的機能も発揮できるという「予定調和論」へ
→これには丁寧で集約的な技術が要求されるが外材輸入による価格低迷で技術基盤が崩壊した
→2001年の法改正では「持続可能な森林管理」が検討されたが最終的には予定調和論に
→補助金を投入した工場の大型化の結果、大量安価な供給が必要になった
→2011年には温暖化防止ロジックで短伐期皆伐再造林施策へ→真の目的は大量安価な供給
→2016年には林業の成長産業化
→2021年には「グリーン成長を新しい林業で実現させる」
→転換に見せかけた成長産業化の継承強化で「持続可能な森林管理」とは相反するもの
・森林管理には科学的理論が根底にあるべき
→地域ごとに生産林と環境林に分け目標林型に応じて短伐期皆伐を選択するなら理解できる
→ところが施策は全国一律
・「持続可能な森林管理」を基本にした森林法制への転換が不可欠
→林業は特殊な条件下でしか成り立たないことが前提
→地域(山村)政策、環境政策としてEUの農業政策のような所得補償
(条件不利地域論・デカップリング論の取り込み、入林権の保証など国民的な議論で)
Part4より
・速水林業はFSC森林認証を日本で初めて取得した環境保全型林業
→1070㌶東京ドーム228個分
→最新外国製重機の修理やメンテナンスも自社で行う
→人材、道路網の密度、再造林と育林、苗木が揃わなければ林業は成り立たない
→2010年以降、専業事業者が売却・離脱している
→国の施策(環境保全)で間伐が加速し供給過多で立木価格が大きく低下
→安くても売れるうちに売り、植えなければいいという発想
→今は森林資源が持続できるかどうかの瀬戸際に
→補助金でしか変われない林業から脱却すべき
→誰がどう管理しどう利用されるか分からない数十年、数百年先の理想の森林を思い描き、
そこに向かって今できる限りのことを真面目にやる、それが面白くなければ林業は面白くない
Part5より
・銘建工業は構造用集成材のトップメーカー
→CLT直交集成板を日本に紹介し初めて建築物を建てた→鉄筋コンクリートより軽い
→日本の規制は厳しくコストが高くなり年間使用量は欧州の1/100で工場稼働率は低い
→フィンランドやスウェーデンでは時間をかけたインフラ整備で林業の生産性を上げた
→地元の真庭市にはバイオマス発電所がある
→チップだけでなく街路樹の剪定枝まで集まる仕組みができている
→林業もそれぞれの地域でビジョンを持つことが大事になる
Part6より
・皆伐された山林の7割は木を植えず放置されている
・大分県の佐伯森林組合では100%再造林している
→国・県・市の再造林補助金で88%はカバーできるが残りは関係者の基金で苗の生産も組合
→再造林の直営は15人で請負は115人、請負には年収1000万を超えるメンバーが4,5人いる
→5年間は同じ山を世話するので愛着も責任も感じるし山元も信頼する
→所有形態が細分化しているので結果的に皆伐にならずモザイク状に分散し生態系維持にも
・大分県のうすき林業では混交林の択伐を行っている
→皆伐と再造林の林業を続けるのはきついし自分の代でサイクルが循環しない
→専門家と話して防火帯の雑木を残すと自然に混合林になり択伐方式にしている
→混交林つくりは難しく何を植えて何を伐るか、間伐コントロールなど試行錯誤の連続
→現在はスギとヒノキだけの出材だが、いずれ高価な広葉樹も出したいと商品化を模索中
・所有者不明土地や放棄林の問題→少しずつ進めるしかない
→相続時不動産登記の義務化と国庫帰属制度
→植林育林会社や木材会社による買取サービスなど
・林業に重要なのは時間感覚
→一般の経済活動とは異なるスパンが必要
→吉野の山林王・土倉庄三郎のような思慮と覚悟で林業が展開されることを願う・・・
Part7より
・伊佐ホームズは2017年に森林パートナーズを設立した
→住宅を建てる際のサプライチェーンを構成する事業者が株主となり出資・参画する
→流通連携による林業の収益化
→透明性の確保→信頼関係→付加価値→山元にも還元→森林を守り続ける
→工務店が山元から直接購入→詳細な木材情報を事業者全体で共有
→全てのデータがオープンなのでコスト・納期・在庫などが明確になりメリットが多い
→事業者間の透明性と信頼関係は住宅購入者にも大きな価値となる
・大型パネル工法
→1980年に93万人だった大工は2020年には30万人に、しかも60歳以上が40%を超えた
→耐震性や防火性、調湿性などの性能強化で建築部品の複雑化・重量化も進んだ
→大工の労働時間の半分以上は梱包外し、採寸、仕分けなどで現場作業は危険も多い
→大型パネルなら本来の仕事である造作や仕上げに集中でき人手不足解消にもなる
・大型パネル工法開発者の話
→いかに森林資源と生活者、需要があるエリアと供給可能なエリアを最適な線で結べるか
→究極には林業をクラスター(圧縮統合)させ地域ごとのサプライチェーンを多数構築すること
→大規模化などの成長一辺倒ではなく、徹底的に持続することを目指す
→着実な持続こそ、結果として大成長につながる
さらに・・・
→これまでの木材はエンジンだけで売ってきたようなもの
→付加価値をつけて自動車として売ること
→我々は良質な木材を使いサッシや断熱材も付けた大型パネルという建築物として売っている
→生活者目線で主語を木材ではなく建築にし生活産業の一員として事業を行っている
云々・・・
と、確かに改革者の動きも一部にはあるようですが・・・
さてさて、部外者にできることはなんでしょう・・・
2023年05月12日
フラッシュ光・2023ボルネオツアーの公式?案内
(本記事は期間限定のお知らせです)
とーとつですが・・・



フラッシュ光・2023ボルネオツアーの公式?案内であります
こちらの記事末尾でも日程は紹介しましたが、現時点での2023ツアー概要とご案内です
航空便の予約状況が逼迫してますので参加希望者は早めの連絡をお願いします
①スケジュール(出発まで順次更新しています)
(関西空港発着の場合7泊9日うち平日は4日間で、日本のサラリーマンには優しい選択ですよ
)
10月27日(金)
とーとつですが・・・



フラッシュ光・2023ボルネオツアーの公式?案内であります
こちらの記事末尾でも日程は紹介しましたが、現時点での2023ツアー概要とご案内です
航空便の予約状況が逼迫してますので参加希望者は早めの連絡をお願いします
①スケジュール(出発まで順次更新しています)
(関西空港発着の場合7泊9日うち平日は4日間で、日本のサラリーマンには優しい選択ですよ

10月27日(金)
23:25関西空港発(往復ともシンガポール航空を利用予定)
10月28日(土)
10月28日(土)
04:40チャンギ空港着06:40発 08:10クチン空港着
ホテルへチェックイン休憩、屋台で昼食後、全面改装されたボルネオ文化博物館へ
スーパーなどに立ち寄り、夕食は海鮮料理の屋台街
<クチンのホテル泊>
10月29日(日)
ホテルにて朝食後チェックアウト、クチン空港へ
10:55クチン空港発12:35ムル空港着、ムル国立公園へ。約3.4㎞の木道をハイキング
ディア・ケイブ
とラング・ケイブ
の見学+コウモリの群れの見学


公園内食堂にて夕食後、ナイト・ウォーク

<グヌン・ムル国立公園の宿泊所泊>
10月30日(月)
公園内食堂にて朝食後にボートで移動、プナン族の村訪問、
ウィンド・ケイブ
とクリアーウォータ―ケイブ
の見学、ピクニックランチの昼食
ウィンド・ケイブ


ボートで戻る途中、元気のある方は約3kmのハイキング
公園内食堂にて夕食後、ナイト・ウォーク

<グヌン・ムル国立公園の宿泊所泊>
10月31日(火)
公園内食堂にて朝食、出発まで自由行動(近隣の熱帯雨林を散策)
チェックアウト後、ムル空港へ。昼食はムル空港近くの食堂にて。
13:30ムル空港発15:10クチン空港着、いったんホテルへ
スーパーなどに立ち寄り、夕食はスチームボート
<クチンのホテル泊>
11月1日(水)
ホテルにて朝食後、サバル森林保護区にある過去の植林地見学、記念植樹
昼食は弁当、夕食はローカル料理
夕食後、クバ国立公園カエル池ナイトツアー
<クチンのホテル泊>
11月2日(木)
ホテルにて朝食後、サバル森林保護区にある過去の植林地見学、記念植樹
昼食は弁当、夕食はローカル料理
夕食後、クバ国立公園カエル池ナイトツアー

<クチンのホテル泊>
11月2日(木)
ホテルにて朝食後、ボルネオのジュラシックパークと呼ばれるベンゴー地区へ
(車両とボートで移動。インドネシアとの国境を跨ぐクレーター状の山脈に囲まれた湖)
(車両とボートで移動。インドネシアとの国境を跨ぐクレーター状の山脈に囲まれた湖)
滝の傍でビダユ族スタイルのお弁当の昼食。
その後、さらに奥のアナ・ライス村でホームステイ。
サラワク川源流には温泉もあります。夕食は伝統料理。
<ビダユ族のロングハウス泊>
11月3日(金・祝)
ロングハウスにて朝食後、人々の生活や畑などを見学し早めに出発。
屋台で昼食後、Fairy & Wind Cave へ
屋台で昼食後、Fairy & Wind Cave へ

ラフレシアが咲いていればグヌン・ガディン国立公園へ
夕方クチン郊外の週末のみに開催されるシニアワンのナイト・バザールへ
ウツボカズラ飯など含めクチン中のいろんな食べ物が並びます。ホテルにチェックイン。
<クチンのホテル泊>
11月4日(土)
ホテルにて朝食後、ホテルをチェックアウト
09:30クチン空港発 11:00チャンギ空港着14:05発 21:10関西空港着、解散
②概算費用など(出発まで順次更新しています)
・関空⇔クチン往復、現地での移動、宿泊、食事等を含み5月12日時点で27万ぐらい
・現地クチンでの集合解散も可能、その場合は半額ぐらいになります
・別途、個人の酒代・土産物代・旅行保険代等が必要(安全な飲み水は用意します)
・クチンでのホテル4泊は基本2人1室ですが、割増料金により1人1室も可能
・ムル国立公園の宿泊所2泊は男女別各4人部屋、ビダユ族の村ホームステイ1泊は全員で
大部屋に近い状態になります
③参加人数・参加方法・申込期限など
・5月末時点で確定している参加者は7名で今回は8名のツアーにしたいと考えています
・予約申込時期により航空運賃は変わります(満席で予約できない場合もあります)
・参加を希望される方はコメント欄やDMなどで早めの連絡をお願いします
(こちらから申込方法など詳細をお知らせします)
つーことで・・・
秋にはボルネオの洞窟や熱帯雨林でライト照射を楽しみましょう!!!
2022年09月05日
ドーナツ経済学が世界を救う
とーとつですが・・・
ドーナツ経済学が世界を救う~人類と地球のためのパラダイムシフト~のご紹介であります

ケイト・ラワース著
裏表紙カバー裏にあった著者略歴

著者はザンジバルの農村や国連での実務経験のある経済学者・・・
訳者、発行所、発行年月日については奥付のとおり

翻訳版は2018年の発行ですが原著は2017年の発行で数値などは概ね2015年現在のようでした
例によって目次のみのご紹介

付録や参考文献を含めると400頁もあるハードカバーの大書で、とても全ては読み切れず、
今回メモしたのは冒頭の「経済学者になりたいのは誰か?」(序章)部分のみ・・・
とりあえず表紙カバー裏にあった惹句であります

つーことなんですね・・・
以下、序章のみの(しかも部分的な)読後メモから・・・
(恒例のてきとーメモなので興味を持たれた方は本書の熟読を・・・)
・この60年間の世界の明るい面
→世界の平均寿命は1950年の48歳から71歳へ、
→1990年以降でみても1日1.9ドル未満で暮らす極度の貧困層は半分に、
→安全な水やトイレを初めて利用できるようになった人は20億人を超える・・・
・ただし、そのほかの面では
→9人に1人は充分な食べ物を得ておらず、2015年で600万人の5歳未満が死亡、
その半数以上は下痢やマラリアなど簡単に治療できる病気が原因、
→1日3ドル未満で暮らす人は世界に20億人、仕事のない若者は7000万人以上、
→2015年で富裕層の上位1%の富が、残り99%の富を上回っている
→地球破壊の加速も人口増加も経済規模の拡大も深刻
→1日の消費額が10~100ドルの中流層が一気に拡大し、消費財の需要も急増する
・ケインズもハイエクも経済学が支配する世界を懸念していたが、広まるばかり
・経済学の単位をとる学生は世界中で同じ米国標準基礎講座「経済学101」を学ぶ
→それは1950年の教科書で1850年の経済理論にもとづいている
→ケインズとハイエクは対立していたが、どちらも不備のある仮説を受け継いだ
→同じことが盲点になり、考え方のちがいに気づけなかった
→仮説の誤りを明らかにし、見落とされた部分に光を当て経済学を見直すこと
・人類の長期的な目標を実現できる経済思考を模索したらドーナツのような図ができた
→同心円状の二本の大小の輪(表紙カバーイラスト)
→ドーナツの範囲が人間にとって安全で公正な範囲
→内側は飢餓や文盲など人類の危険な窮乏(その境界線が社会的な土台)
→外側は気候変動や生物多様性の喪失など危険な地球環境の悪化(その境界線が環境的な上限)
・21世紀の経済学者の七つの思考法(全7章の大まかな案内)
1.目標を変える(GDP⇒ドーナツへ)
→経済学は70年以上、GDPの前進を指標とすることに固執してきた
→所得や富の不平等も、生活環境の破壊も、その固執の中で黙認されてきた
→惑星の限りある資源の範囲内で、すべての人が人間的な生活を営めるようにするという目標
→ドーナツの安全で公正な範囲に、すべての人が収まる経済→ローカルでもグローバルでも
2.全体を見る(自己完結した社会⇒組み込み型社会へ)
→主流派の経済学は、きわめて限定的なフロー循環図のみ(サミュエルソン1948年)
→その視野の狭さを逆に利用して、新自由主義的な主張を展開している
→経済は社会や自然の中にあるもので太陽からエネルギーを得ている
→新しい全体像から、市場の力も家計の役割もコモンズの創造性も、新しい視点へ
3.人間性を育む(合理的経済人⇒社会的適応人へ)
→20世紀の経済学の中心にあるのは「合理的な経済人」
→利己的で、孤独で、計算高く、好みが一定で、自然の征服者として振る舞う
→人間は本来はるかに豊かで、社会的で頼り合って、おおざっぱで価値観が変わりやすく、
生命の世界に依存している
→ドーナツの範囲にすべての人を入れる目標の実現性を高める人間性を育むことは可能
4.システムに精通する(機械的均衡⇒ダイナミックな複雑さへ)
→市場の需要と供給が交差した曲線図は19世紀の誤った力学的平衡の喩えにもとづくもの
→シンプルなフィードバック・ループで表せるシステム思考図で金融市場の急変動、経済格差を
もたらす構造、気候変動の臨界点まで、様々な問題についての新しい洞察が生まれる
5.分配を設計する(再び成長率は上向く⇒設計による分配へ)
→「不平等ははじめ拡大するが縮小に転じ最終的に成長により解消される」(クズネック曲線)
→不平等は経済に必然的に伴うものではなく設計の失敗によることが明らかになった
→価値を広く分配できる方法はたくさんあり、その一つがフローのネットワーク
→単なる所得の再分配ではなく富の再分配
→土地・企業・技術・知識を支配する力から生ずる富の再分配と、
→お金を生み出す力の再分配の方法
6.環境を創造する(成長で再びきれいになるはず⇒設計による環境再生へ)
→20世紀の経済理論では「きれいな環境」は贅沢品で裕福な社会だけに許されるとされてきた
(いずれ成長により解消されるもの→クズネック曲線)
→そんな法則はなく、環境破壊は破壊的な産業設計の結果
→直線型ではなく循環型の経済で、生命循環のプロセスを人類に完全復帰させられるよう、
環境再生的な設計を生み出せる経済思考
7.成長にこだわらない(成長依存⇒成長にこだわらないへ)
→主流派の経済学では「終わりのない経済成長」が不可欠
→自然界に永遠に成長し続けるものはない
→その自然に逆らおうとする試みが高所得・低成長の国々で行われている
→GDP成長を経済目標から形だけ外すことはできても成長依存を克服するのは易しくない
→現在の経済は、繁栄してもしなくても成長を必要としている
→必要なのは、成長してもしなくても繁栄をもたらす経済
→金銭面でも政治面でも社会面でも成長依存している今の経済を、
→成長してもしなくても動じないものに変える発想の転換
・これらの思考法のはじめの一歩を踏み出したばかり、みなさんと未踏の世界へ・・・
とまあ、序章を読む限り経済学には門外漢のわたくしにも分かりやすく、訳文も平易でした。
これだけを読むと夢物語のようにも感じますが、各章では具体手順の説明や論証があり、
今の経済理論の検証にもなっており、これなら見直しも可能では・・・とも思いました。
(もちろん、すべてを読み理解したわけではありませんが・・・
)
ま、せっかくなので・・・
「訳者あとがき」からの部分メモも・・・
(日本でも出版する価値があると判断した三つの理由)
1.ドーナツ経済の図
→図には思考を左右する力がある
→これまでの図は右肩上がりの成長曲線や需要と供給が交差する曲線だった
→2011年にドーナツ図が考案発表されて以来、国連など様々な場所で紹介・利用されている
2.楽観的で大胆で説得力のある経済のビジョン
→目標は貧困の根絶と環境保全で明確
→地球環境を守りながら人類全員を幸せにする、と聞くと絵空事のように感じるが、
→本書を読めば、そういう目標こそ理にかなっていることが見えてくる
→「生命の網の中での人類の繁栄」
3.現在の世界が抱える問題の全体像を提示している
→主流派の経済学の視野の狭さ
→正しい対策のためには問題の全体を知ることが欠かせない
→すべての問題は繋がっており、順番に取り組むのではなく同時に取り組むべきと説く
→ある問題に変化があれば、別の問題に必ず影響が及ぶから
(同、訳者あとがきより)
わたしたちはふだん経済学の影響をほとんど意識せずに暮らしているが、著者によれば、
経済は経済学で設計されており、知らないうちに経済学の発想や言葉で考えている
したがって経済学しだいで世界は大きく変わる
地球の未来は、新しい経済学を築けるかどうかにかかっている・・・
うーむ、わたくしの不得手な経済学つーのも重要なんですね・・・
ドーナツ経済学が世界を救う~人類と地球のためのパラダイムシフト~のご紹介であります

ケイト・ラワース著
裏表紙カバー裏にあった著者略歴

著者はザンジバルの農村や国連での実務経験のある経済学者・・・
訳者、発行所、発行年月日については奥付のとおり

翻訳版は2018年の発行ですが原著は2017年の発行で数値などは概ね2015年現在のようでした
例によって目次のみのご紹介

付録や参考文献を含めると400頁もあるハードカバーの大書で、とても全ては読み切れず、
今回メモしたのは冒頭の「経済学者になりたいのは誰か?」(序章)部分のみ・・・

とりあえず表紙カバー裏にあった惹句であります

つーことなんですね・・・

以下、序章のみの(しかも部分的な)読後メモから・・・
(恒例のてきとーメモなので興味を持たれた方は本書の熟読を・・・)
・この60年間の世界の明るい面
→世界の平均寿命は1950年の48歳から71歳へ、
→1990年以降でみても1日1.9ドル未満で暮らす極度の貧困層は半分に、
→安全な水やトイレを初めて利用できるようになった人は20億人を超える・・・
・ただし、そのほかの面では
→9人に1人は充分な食べ物を得ておらず、2015年で600万人の5歳未満が死亡、
その半数以上は下痢やマラリアなど簡単に治療できる病気が原因、
→1日3ドル未満で暮らす人は世界に20億人、仕事のない若者は7000万人以上、
→2015年で富裕層の上位1%の富が、残り99%の富を上回っている
→地球破壊の加速も人口増加も経済規模の拡大も深刻
→1日の消費額が10~100ドルの中流層が一気に拡大し、消費財の需要も急増する
・ケインズもハイエクも経済学が支配する世界を懸念していたが、広まるばかり
・経済学の単位をとる学生は世界中で同じ米国標準基礎講座「経済学101」を学ぶ
→それは1950年の教科書で1850年の経済理論にもとづいている
→ケインズとハイエクは対立していたが、どちらも不備のある仮説を受け継いだ
→同じことが盲点になり、考え方のちがいに気づけなかった
→仮説の誤りを明らかにし、見落とされた部分に光を当て経済学を見直すこと
・人類の長期的な目標を実現できる経済思考を模索したらドーナツのような図ができた
→同心円状の二本の大小の輪(表紙カバーイラスト)
→ドーナツの範囲が人間にとって安全で公正な範囲
→内側は飢餓や文盲など人類の危険な窮乏(その境界線が社会的な土台)
→外側は気候変動や生物多様性の喪失など危険な地球環境の悪化(その境界線が環境的な上限)
・21世紀の経済学者の七つの思考法(全7章の大まかな案内)
1.目標を変える(GDP⇒ドーナツへ)
→経済学は70年以上、GDPの前進を指標とすることに固執してきた
→所得や富の不平等も、生活環境の破壊も、その固執の中で黙認されてきた
→惑星の限りある資源の範囲内で、すべての人が人間的な生活を営めるようにするという目標
→ドーナツの安全で公正な範囲に、すべての人が収まる経済→ローカルでもグローバルでも
2.全体を見る(自己完結した社会⇒組み込み型社会へ)
→主流派の経済学は、きわめて限定的なフロー循環図のみ(サミュエルソン1948年)
→その視野の狭さを逆に利用して、新自由主義的な主張を展開している
→経済は社会や自然の中にあるもので太陽からエネルギーを得ている
→新しい全体像から、市場の力も家計の役割もコモンズの創造性も、新しい視点へ
3.人間性を育む(合理的経済人⇒社会的適応人へ)
→20世紀の経済学の中心にあるのは「合理的な経済人」
→利己的で、孤独で、計算高く、好みが一定で、自然の征服者として振る舞う
→人間は本来はるかに豊かで、社会的で頼り合って、おおざっぱで価値観が変わりやすく、
生命の世界に依存している
→ドーナツの範囲にすべての人を入れる目標の実現性を高める人間性を育むことは可能
4.システムに精通する(機械的均衡⇒ダイナミックな複雑さへ)
→市場の需要と供給が交差した曲線図は19世紀の誤った力学的平衡の喩えにもとづくもの
→シンプルなフィードバック・ループで表せるシステム思考図で金融市場の急変動、経済格差を
もたらす構造、気候変動の臨界点まで、様々な問題についての新しい洞察が生まれる
5.分配を設計する(再び成長率は上向く⇒設計による分配へ)
→「不平等ははじめ拡大するが縮小に転じ最終的に成長により解消される」(クズネック曲線)
→不平等は経済に必然的に伴うものではなく設計の失敗によることが明らかになった
→価値を広く分配できる方法はたくさんあり、その一つがフローのネットワーク
→単なる所得の再分配ではなく富の再分配
→土地・企業・技術・知識を支配する力から生ずる富の再分配と、
→お金を生み出す力の再分配の方法
6.環境を創造する(成長で再びきれいになるはず⇒設計による環境再生へ)
→20世紀の経済理論では「きれいな環境」は贅沢品で裕福な社会だけに許されるとされてきた
(いずれ成長により解消されるもの→クズネック曲線)
→そんな法則はなく、環境破壊は破壊的な産業設計の結果
→直線型ではなく循環型の経済で、生命循環のプロセスを人類に完全復帰させられるよう、
環境再生的な設計を生み出せる経済思考
7.成長にこだわらない(成長依存⇒成長にこだわらないへ)
→主流派の経済学では「終わりのない経済成長」が不可欠
→自然界に永遠に成長し続けるものはない
→その自然に逆らおうとする試みが高所得・低成長の国々で行われている
→GDP成長を経済目標から形だけ外すことはできても成長依存を克服するのは易しくない
→現在の経済は、繁栄してもしなくても成長を必要としている
→必要なのは、成長してもしなくても繁栄をもたらす経済
→金銭面でも政治面でも社会面でも成長依存している今の経済を、
→成長してもしなくても動じないものに変える発想の転換
・これらの思考法のはじめの一歩を踏み出したばかり、みなさんと未踏の世界へ・・・
とまあ、序章を読む限り経済学には門外漢のわたくしにも分かりやすく、訳文も平易でした。
これだけを読むと夢物語のようにも感じますが、各章では具体手順の説明や論証があり、
今の経済理論の検証にもなっており、これなら見直しも可能では・・・とも思いました。
(もちろん、すべてを読み理解したわけではありませんが・・・

ま、せっかくなので・・・
「訳者あとがき」からの部分メモも・・・
(日本でも出版する価値があると判断した三つの理由)
1.ドーナツ経済の図
→図には思考を左右する力がある
→これまでの図は右肩上がりの成長曲線や需要と供給が交差する曲線だった
→2011年にドーナツ図が考案発表されて以来、国連など様々な場所で紹介・利用されている
2.楽観的で大胆で説得力のある経済のビジョン
→目標は貧困の根絶と環境保全で明確
→地球環境を守りながら人類全員を幸せにする、と聞くと絵空事のように感じるが、
→本書を読めば、そういう目標こそ理にかなっていることが見えてくる
→「生命の網の中での人類の繁栄」
3.現在の世界が抱える問題の全体像を提示している
→主流派の経済学の視野の狭さ
→正しい対策のためには問題の全体を知ることが欠かせない
→すべての問題は繋がっており、順番に取り組むのではなく同時に取り組むべきと説く
→ある問題に変化があれば、別の問題に必ず影響が及ぶから
(同、訳者あとがきより)
わたしたちはふだん経済学の影響をほとんど意識せずに暮らしているが、著者によれば、
経済は経済学で設計されており、知らないうちに経済学の発想や言葉で考えている
したがって経済学しだいで世界は大きく変わる
地球の未来は、新しい経済学を築けるかどうかにかかっている・・・
うーむ、わたくしの不得手な経済学つーのも重要なんですね・・・

2021年08月04日
生態学は環境問題を解決できるか?
とーとつですが・・・
「生態学は環境問題を解決できるか?」とゆー本のご紹介であります。

著者 伊勢武史 コーディネーター 磐佐 庸
共立出版 共立スマートセレクション31 2020年2月15日 初版第1刷発行
例によって目次のみ・・・



著者は生態学とコンピュータ・シミュレーションの専門家で、研究者としての様々な思いを
コーディネーターと共にまとめられた・・・とゆー感じの構成でした。
例によって(専門外のわたくしの)部分的な読後メモから・・・
①人と自然と環境問題
・生態学(エコロジー)は基礎科学で環境学(エンバイロメント・サイエンス)は応用科学
・食生活と共有地の悲劇の例
→村の共有地で育てるウシを増やした家は豊かになるが、どの家もやれば牧草は消滅する。
・家畜のウシ(私有地)とクロマグロ(共有地)の違い
→私有地のウシは需要が増えれば増えるが共有地のクロマグロは需要が増えれば絶滅する。
・ごみ処理の問題や温暖化問題→not in my backyard(NIMBY)の問題
→国際的なルール作りの難しさ(先進国と発展途上国など)
・マングースやカダヤシやクズの例→環境学では「まず行動しよう」は逆効果
・「文明は万能」でも「原始に戻れ」でもなく、文明を享受する一方で、負の側面にも
目をつぶらず、時空間的に広い視野で後先を考える。
・生物多様性を高めるために金と労力を使えば一方で環境破壊につながる
→先進国の国立公園整備と発展途上国の熱帯雨林の破壊→トレードオフ
・自然が好きで四駆のクルマで山に入るより部屋に籠ってゲームしてる方がずっとエコ
→クルマの排ガスは家庭のようにごみ袋で回収しないので、ごみの意識が薄い
・クルマや新幹線や飛行機を使って行動しても、あまりある成果を出せばいい
→地球温暖化防止のための会議など
→自分はクルマを使って研究してるが、あまりある成果を出して自然を守るつもり
・浮世離れした牧歌的な研究環境は、もはや日本には存在しないのかもしれない。
・自然や生物が好きという素直な気持ちと専門性をうまく活用して、自然や環境保全に
役立てるヒントを提供したい
②環境倫理と歴史
・原始時代からの人間の直感や良心では、当時はなかった環境問題を解決するのは難しい
・アメリカの国有林はピンチョーの「ワイズユース」の思想で、国立公園はミューアの
「ありのまま保全」の思想で別の環境思想、それで自然管理のバランスをとってきた。
・レオポルドの「人間の良心を人間関係だけでなく自然にも向けて自然からも学ぶ」思想
・ローマクラブの「成長の限界」(1972)から環境問題の歴史がはじまり、まだ僅か50年
→使える価値があるから(未来の人類が困るから)持続可能な利用を考える→ピンチョー
→自然は存在すること自体に価値がある→ミューア
→自分のハートはミューアだが、それだけでは世の中を変えられないので、生態系サービス
はお得と伝えている。
・環境問題は実は倫理の問題で文化や宗教の問題にとても近い
→人間中心主義か生物中心主義かでも正しい判断は異なる
・世代間の平等を考えるべきかテクノロジカル・オプティミズムを信じるべきか
→次世代の常温核融合や効率的な太陽光発電などの技術革新で温暖化問題は解決するので
今の世代のことだけを考えて石油を使えばいい→火力発電が問題なら原子力発電で・・・
といってたのが思い知らされた→未来に笑い話になっても今できることを・・・
・自然保護・環境保全の活動といっても考え方は様々
→人類は子孫を作らず徐々に消滅するべき、原生林の伐採やクジラ漁は例外なく禁止・・・
→一方で役に立つものは将来のために守るが、それ以外は破壊してもいいという考えもある
・人権は公共の福祉に反しない限りという制限付きで、これを自然に与えれば極論ではなく
バランスをとって共存できるのではないか。
(役に立たないとされる者も含め)様々な人間が社会で共存しているように・・・
③答えはひとつに決まらない
・環境問題には絶対の正解が存在しないので社会科学や応用科学の視点が必要
→にもかかわらず自然科学の考え方だけで正解を主張する人がいる
・何年前の日本がいいの?
→数万年前なら原生林→自然環境の回復
→江戸時代なら里山→生物多様性の回復
→原生林と里山のどちらがいいかは人間の主観であり自然科学だけで答えは出せない
→どちらも重要としても、どこを原生林に、どこを里山にするかは人間の主観であり、
正しい答えは存在しない
→その場所・その時代に合った答えを探すしかないのに、現場では正しいイデオロギー同士が
ぶつかりあっている。
・担当している天然林は「芦生の原生林」として知られるが昔から木地師が利用していた。
→比較的手つかずであれば原生林として守る価値がゼロになるわけではない。
・ノータッチか人為で人為を打ち消すか?
→すでに地球上には人類の影響が皆無な場所は存在しない
→温暖化・オゾン層破壊・酸性雨などは広範囲で、この影響を逃れた生態系も存在しない
→人間の行動(オオカミの絶滅・過疎化高齢化による狩猟減等)により芦生でもシカが増加
→温暖化や酸性雨同様、広範囲なので芦生だけ減らしても環境変化は止められない
→それでもシカを減らそうとしているが、頭数など人間の主観が入ることは避けられない
・人間利益優先か自然保護優先か
→うまく折り合いをつけるしかなく、芦生研究林ではゾーニングで対応している
→一般ハイキング可能ゾーンとガイド付き限定で入山を最小限に制限した核心ゾーン
→これは京都大学が一元管理しているから可能だったが、白神山地は県境にあり複雑
→観光利用に消極的な秋田県と積極的な青森県→どちらにも一理ある
→別々にビジターセンターを建て異なる方針で管理運営している
・飢え死にすることはないアメリカや日本で伝統捕鯨を認める必要はあるか
・アフリカでのレジャーハンティングは認めるか、食べるための狩猟は認めるか
・弓矢などの伝統的狩猟具と高性能ライフルとはどう違うか
・大型哺乳類のハンティングと魚類のフィッシングはどう違うか
(日本では狩猟はNGだが釣りは家族で楽しむ人も多いが、ライオンを殺すのは素敵な趣味だが
ウナギを食べるのは野蛮と考える人もいる)
・アフリカでのゾウやライオンのハンティングと日本でのウナギ食とはどう違うか
(ゾウやライオンよりウナギのほうが絶滅の危険性が高いとされている)
・欧米のベジタリアンの考えにもいろいろなタイプとレベルがある
→環境問題では日本人の常識が全てだと考えない方がいいかも知れない。
・近縁種と亜種と地域個体群の違い
→生物多様性の保全には純粋な生物学だけでなく人間の都合がからんでくる
→どこまでの違いを生物多様性として保護すべきか
イノシシ・ツキノワグマ・イリオモテヤマネコ・ツシマヤマネコの例
たとえば同じイノシシでも本州と四国では遺伝的に異なり、同じ四国でも讃岐山脈と四国山地、
同じ讃岐山脈でも東側と西側で異なるだろうが、すべての生物個体を保護することは不可能
→同じ絶滅危惧種でもパンダはトガリネズミより保護する価値が高いのか
→自分が保護すべきだと思う生物を保護しているに過ぎない
→WWFのシンボルもパンダで、生物種は平等に存在する価値を持っているのだろうか
・例えばどうやって発電したらいいかをトレードオフで考えると、ローカルな環境を守るか、
グローバルな環境を守るかの問題になるが、世界中で使える統一基準など作ることはできないし、
ローカルとグローバルは対立しているし、異なる視点を持っていることを理解すべき。
・最適な都市サイズという命題も典型的な「答えがひとつに決まらない問い」
④外来種のおはなし
・化学的汚染は時間経過で濃度が低下していくが外来種による生物的汚染は増殖していく
・外来種の問題もいつの時代に戻すのかという主観の問題でひとつに決まらない
・対策できるものはするが対策できなくなったものは共存を考え在来種の保存対策をする
→医者と同じ現実主義で、まず感染しないよう予防、根治できる段階なら根治を目指す、
根治できない段階なら対症療法で共存という三段構え
⑤前向きに何とかしよう
・環境問題には「これさえやれば」はないので楽観的悲観主義で「それでもできることを」
と、現実主義者でありながら前向きになって欲しい。
・small is beautiful 吾れ唯足るを知る nudge(つつく)がキーワード
→2017年ノーベル経済学賞のセイラーが提唱し評価されたnudgeの理論を乱暴にまとめると
強制や命令ではなく「ちょっとした提案」で、受けるかどうかは自主的に決められる。
その提案に乗った場合の「ちょっとしたインセンティブ(お得なこと)」も用意しておけば、
提案する人は、すぐに効果が出なくても少し長い目で見れば、望む方向に人々を導くことが
できるというもので、著者が池坊とやってる「外来種いけばな」もnudgeのひとつ
・定量的な考え方、数字で考える練習をすると直感でわかるようになる→educated guess
・生態学は自然科学・基礎科学で環境学は自然科学と社会科学の学際的な応用科学
・草原の生物多様性と草原全体の生産性・安定性の関連の例
→生物多様性の冗長性がもたらす生態系の安定
→レジリエンス(システムに変化が生じても回復する能力)がキーワード
・19世紀アイルランドの単一品種ジャガイモ栽培による大飢饉の例
→ジャガイモだけ、しかも生産性の高い単一品種だけに頼っていた。原産地では逆
・特別天然記念物の管轄は文化庁で、絶滅危惧種・希少種リストの管轄は環境省
→カモシカの保護レベルが異なる→生態学は政治にモノを申すべき
・生物学的環境修復の有効性と危険性についても生態学者が警鐘を鳴らすべき
・農耕と牧畜は我慢の連続で、これが本能でなく理性でできるのが人間の特徴
⑥科学者とは・科学とは
・アメリカの大学院の奨学金制度(ハーバードで6年なら数千万円になる)とレベルの高さ
・近年の日本の研究者ポストは有期雇用が多いが、基本的には賛成
→メリットは研究者の流動性が高まる、必死になって研究する
→デメリットは優秀な研究者でもタイミングが悪いと空きポストがなく路頭に迷う不安定さ
・ウソをつかないなど「科学のお作法」は、みんながモラルを守っているという前提
・科学は反論され批判にさらされることで成り立っている→反証可能性
・捏造論文が大量生産されると性善説に立つ科学は壊滅する。
・逆に科学や芸術は捏造や盗作防止のための性悪説に立てば前に進めない
⑦全力で走らねば
「その場にとどまり続けるには全力で走り続けなければならない」鏡の国のアリスより
・ビッグデータの例
最近のデジカメは一枚でも3000×4000ピクセルで1200万×RGBで3600万のデータが入っている
ビッグデータだが、それが活用できるかどうかは人間次第
→コケ識別のディープラーニングに応用して成功した
→外来植物の識別にも、気候の規則性の検出にも使える・・・
・コンピュータ・シミュレーションは生態系や地球環境の未来予測にも・・・
「生態学は環境問題を解決できるか?」とゆー本のご紹介であります。

著者 伊勢武史 コーディネーター 磐佐 庸
共立出版 共立スマートセレクション31 2020年2月15日 初版第1刷発行
例によって目次のみ・・・



著者は生態学とコンピュータ・シミュレーションの専門家で、研究者としての様々な思いを
コーディネーターと共にまとめられた・・・とゆー感じの構成でした。
例によって(専門外のわたくしの)部分的な読後メモから・・・
①人と自然と環境問題
・生態学(エコロジー)は基礎科学で環境学(エンバイロメント・サイエンス)は応用科学
・食生活と共有地の悲劇の例
→村の共有地で育てるウシを増やした家は豊かになるが、どの家もやれば牧草は消滅する。
・家畜のウシ(私有地)とクロマグロ(共有地)の違い
→私有地のウシは需要が増えれば増えるが共有地のクロマグロは需要が増えれば絶滅する。
・ごみ処理の問題や温暖化問題→not in my backyard(NIMBY)の問題
→国際的なルール作りの難しさ(先進国と発展途上国など)
・マングースやカダヤシやクズの例→環境学では「まず行動しよう」は逆効果
・「文明は万能」でも「原始に戻れ」でもなく、文明を享受する一方で、負の側面にも
目をつぶらず、時空間的に広い視野で後先を考える。
・生物多様性を高めるために金と労力を使えば一方で環境破壊につながる
→先進国の国立公園整備と発展途上国の熱帯雨林の破壊→トレードオフ
・自然が好きで四駆のクルマで山に入るより部屋に籠ってゲームしてる方がずっとエコ
→クルマの排ガスは家庭のようにごみ袋で回収しないので、ごみの意識が薄い
・クルマや新幹線や飛行機を使って行動しても、あまりある成果を出せばいい
→地球温暖化防止のための会議など
→自分はクルマを使って研究してるが、あまりある成果を出して自然を守るつもり
・浮世離れした牧歌的な研究環境は、もはや日本には存在しないのかもしれない。
・自然や生物が好きという素直な気持ちと専門性をうまく活用して、自然や環境保全に
役立てるヒントを提供したい
②環境倫理と歴史
・原始時代からの人間の直感や良心では、当時はなかった環境問題を解決するのは難しい
・アメリカの国有林はピンチョーの「ワイズユース」の思想で、国立公園はミューアの
「ありのまま保全」の思想で別の環境思想、それで自然管理のバランスをとってきた。
・レオポルドの「人間の良心を人間関係だけでなく自然にも向けて自然からも学ぶ」思想
・ローマクラブの「成長の限界」(1972)から環境問題の歴史がはじまり、まだ僅か50年
→使える価値があるから(未来の人類が困るから)持続可能な利用を考える→ピンチョー
→自然は存在すること自体に価値がある→ミューア
→自分のハートはミューアだが、それだけでは世の中を変えられないので、生態系サービス
はお得と伝えている。
・環境問題は実は倫理の問題で文化や宗教の問題にとても近い
→人間中心主義か生物中心主義かでも正しい判断は異なる
・世代間の平等を考えるべきかテクノロジカル・オプティミズムを信じるべきか
→次世代の常温核融合や効率的な太陽光発電などの技術革新で温暖化問題は解決するので
今の世代のことだけを考えて石油を使えばいい→火力発電が問題なら原子力発電で・・・
といってたのが思い知らされた→未来に笑い話になっても今できることを・・・
・自然保護・環境保全の活動といっても考え方は様々
→人類は子孫を作らず徐々に消滅するべき、原生林の伐採やクジラ漁は例外なく禁止・・・
→一方で役に立つものは将来のために守るが、それ以外は破壊してもいいという考えもある
・人権は公共の福祉に反しない限りという制限付きで、これを自然に与えれば極論ではなく
バランスをとって共存できるのではないか。
(役に立たないとされる者も含め)様々な人間が社会で共存しているように・・・
③答えはひとつに決まらない
・環境問題には絶対の正解が存在しないので社会科学や応用科学の視点が必要
→にもかかわらず自然科学の考え方だけで正解を主張する人がいる
・何年前の日本がいいの?
→数万年前なら原生林→自然環境の回復
→江戸時代なら里山→生物多様性の回復
→原生林と里山のどちらがいいかは人間の主観であり自然科学だけで答えは出せない
→どちらも重要としても、どこを原生林に、どこを里山にするかは人間の主観であり、
正しい答えは存在しない
→その場所・その時代に合った答えを探すしかないのに、現場では正しいイデオロギー同士が
ぶつかりあっている。
・担当している天然林は「芦生の原生林」として知られるが昔から木地師が利用していた。
→比較的手つかずであれば原生林として守る価値がゼロになるわけではない。
・ノータッチか人為で人為を打ち消すか?
→すでに地球上には人類の影響が皆無な場所は存在しない
→温暖化・オゾン層破壊・酸性雨などは広範囲で、この影響を逃れた生態系も存在しない
→人間の行動(オオカミの絶滅・過疎化高齢化による狩猟減等)により芦生でもシカが増加
→温暖化や酸性雨同様、広範囲なので芦生だけ減らしても環境変化は止められない
→それでもシカを減らそうとしているが、頭数など人間の主観が入ることは避けられない
・人間利益優先か自然保護優先か
→うまく折り合いをつけるしかなく、芦生研究林ではゾーニングで対応している
→一般ハイキング可能ゾーンとガイド付き限定で入山を最小限に制限した核心ゾーン
→これは京都大学が一元管理しているから可能だったが、白神山地は県境にあり複雑
→観光利用に消極的な秋田県と積極的な青森県→どちらにも一理ある
→別々にビジターセンターを建て異なる方針で管理運営している
・飢え死にすることはないアメリカや日本で伝統捕鯨を認める必要はあるか
・アフリカでのレジャーハンティングは認めるか、食べるための狩猟は認めるか
・弓矢などの伝統的狩猟具と高性能ライフルとはどう違うか
・大型哺乳類のハンティングと魚類のフィッシングはどう違うか
(日本では狩猟はNGだが釣りは家族で楽しむ人も多いが、ライオンを殺すのは素敵な趣味だが
ウナギを食べるのは野蛮と考える人もいる)
・アフリカでのゾウやライオンのハンティングと日本でのウナギ食とはどう違うか
(ゾウやライオンよりウナギのほうが絶滅の危険性が高いとされている)
・欧米のベジタリアンの考えにもいろいろなタイプとレベルがある
→環境問題では日本人の常識が全てだと考えない方がいいかも知れない。
・近縁種と亜種と地域個体群の違い
→生物多様性の保全には純粋な生物学だけでなく人間の都合がからんでくる
→どこまでの違いを生物多様性として保護すべきか
イノシシ・ツキノワグマ・イリオモテヤマネコ・ツシマヤマネコの例
たとえば同じイノシシでも本州と四国では遺伝的に異なり、同じ四国でも讃岐山脈と四国山地、
同じ讃岐山脈でも東側と西側で異なるだろうが、すべての生物個体を保護することは不可能
→同じ絶滅危惧種でもパンダはトガリネズミより保護する価値が高いのか
→自分が保護すべきだと思う生物を保護しているに過ぎない
→WWFのシンボルもパンダで、生物種は平等に存在する価値を持っているのだろうか
・例えばどうやって発電したらいいかをトレードオフで考えると、ローカルな環境を守るか、
グローバルな環境を守るかの問題になるが、世界中で使える統一基準など作ることはできないし、
ローカルとグローバルは対立しているし、異なる視点を持っていることを理解すべき。
・最適な都市サイズという命題も典型的な「答えがひとつに決まらない問い」
④外来種のおはなし
・化学的汚染は時間経過で濃度が低下していくが外来種による生物的汚染は増殖していく
・外来種の問題もいつの時代に戻すのかという主観の問題でひとつに決まらない
・対策できるものはするが対策できなくなったものは共存を考え在来種の保存対策をする
→医者と同じ現実主義で、まず感染しないよう予防、根治できる段階なら根治を目指す、
根治できない段階なら対症療法で共存という三段構え
⑤前向きに何とかしよう
・環境問題には「これさえやれば」はないので楽観的悲観主義で「それでもできることを」
と、現実主義者でありながら前向きになって欲しい。
・small is beautiful 吾れ唯足るを知る nudge(つつく)がキーワード
→2017年ノーベル経済学賞のセイラーが提唱し評価されたnudgeの理論を乱暴にまとめると
強制や命令ではなく「ちょっとした提案」で、受けるかどうかは自主的に決められる。
その提案に乗った場合の「ちょっとしたインセンティブ(お得なこと)」も用意しておけば、
提案する人は、すぐに効果が出なくても少し長い目で見れば、望む方向に人々を導くことが
できるというもので、著者が池坊とやってる「外来種いけばな」もnudgeのひとつ
・定量的な考え方、数字で考える練習をすると直感でわかるようになる→educated guess
・生態学は自然科学・基礎科学で環境学は自然科学と社会科学の学際的な応用科学
・草原の生物多様性と草原全体の生産性・安定性の関連の例
→生物多様性の冗長性がもたらす生態系の安定
→レジリエンス(システムに変化が生じても回復する能力)がキーワード
・19世紀アイルランドの単一品種ジャガイモ栽培による大飢饉の例
→ジャガイモだけ、しかも生産性の高い単一品種だけに頼っていた。原産地では逆
・特別天然記念物の管轄は文化庁で、絶滅危惧種・希少種リストの管轄は環境省
→カモシカの保護レベルが異なる→生態学は政治にモノを申すべき
・生物学的環境修復の有効性と危険性についても生態学者が警鐘を鳴らすべき
・農耕と牧畜は我慢の連続で、これが本能でなく理性でできるのが人間の特徴
⑥科学者とは・科学とは
・アメリカの大学院の奨学金制度(ハーバードで6年なら数千万円になる)とレベルの高さ
・近年の日本の研究者ポストは有期雇用が多いが、基本的には賛成
→メリットは研究者の流動性が高まる、必死になって研究する
→デメリットは優秀な研究者でもタイミングが悪いと空きポストがなく路頭に迷う不安定さ
・ウソをつかないなど「科学のお作法」は、みんながモラルを守っているという前提
・科学は反論され批判にさらされることで成り立っている→反証可能性
・捏造論文が大量生産されると性善説に立つ科学は壊滅する。
・逆に科学や芸術は捏造や盗作防止のための性悪説に立てば前に進めない
⑦全力で走らねば
「その場にとどまり続けるには全力で走り続けなければならない」鏡の国のアリスより
・ビッグデータの例
最近のデジカメは一枚でも3000×4000ピクセルで1200万×RGBで3600万のデータが入っている
ビッグデータだが、それが活用できるかどうかは人間次第
→コケ識別のディープラーニングに応用して成功した
→外来植物の識別にも、気候の規則性の検出にも使える・・・
・コンピュータ・シミュレーションは生態系や地球環境の未来予測にも・・・
2021年05月05日
植林ボランティア団体・澤井代表の評伝!!!
とーとつですが・・・
わたくしも設立当初から参加して中国西北部・モンゴル・アマゾン・ボルネオの各地で
現地の子どもたちと木を植え育てる活動をしていた非営利の海外植林ボランティア団体、
「N.GKS(エヌ・ジクス)」の主宰者・澤井代表の評伝が出版されます。
アッと驚く! 90歳 ー実録「澤井敏郎」評伝ー 藤本 博 著
産経新聞生活情報センター 2021年5月8日第1刷発行 ISBN 978-4-909053-09-1
表紙カバー

表紙写真は澤井代表が昔からお得意の「生たまご立て」・・・
裏表紙カバー

こちらは植林活動の原点となった中国・内モンゴル自治区・クブチ沙漠・・・
と、右上はお得意のスプーン曲げ・・・ともかく常識をひっくり返すことが大好きです
著者は京都・洛南地域の地方紙記者として、30年にわたり澤井代表を取材してきた方で、
2018年に退職後は、洛南の歴史遺産ではなく洛南の今を生きる人物遺産を克明に記録して、
地域に遺すことをライフワークにされてるとのことでした。(「あとがき」にかえてより)
構成としては澤井代表が退職後にはじめた「沙漠・熱帯雨林緑化活動編」は本編の2割程度で、
軍国少年だった少年時代、競技かるたに明け暮れた学生時代、連珠や切手収集など他の趣味
についても書かれてますが、本編の約半分を割いていたのは、やはり現役時代・・・
そう、昭和の高度成長期に企業戦士として戦い続けてきた生き様が克明に描かれてました。
例えば、澤井代表が1954年の就職時に役員から提示された勤務条件・・・
①休日は月1日、年間350日出勤
②月給税込み1万円、残業など手当は一切なし
③月3~4回の徹夜勤務
というもの・・・
これが当時の成長産業としては、特に並外れたものではなかったそうで、戦後経済発展の原動力が
まさに「人力」だったことがわかります。
もちろん「アッと驚く」エピソードは現役時代以外でも、遠山正瑛翁との運命の出会いなど
植林ボランティア活動でも満載でした。
特に著者が絶句したのが2009年のアマゾン植林ツアー(わたくしは仕事の都合がつかず不参加)
だったそうで、出発4日前の「もらい事故」で右上腕部と左母指付根を骨折する重傷を負い、
緊急手術して入院しなければ一生動かなくなるかもと医師から宣告されたにもかかわらず、
ギプス固定だけして車椅子で出発したというエピソードで「この人は尋常の人間ではない」
とさえ思ったとのこと・・・
すでに綿密な現地との調整も終えてベテランの幹部やツアコンも参加してるし、わたくしも含め
周囲から手術と入院を勧めたのですが頑として拒否、見送りに行った空港でも、わたくしが
「せめて現地では無理をしないように」と忠告したら「無理をしないと目的は達成できない」
と返してましたからねえ・・・まさに昭和の企業戦士の生き様ですね。
本著は本人が残している膨大な資料と記憶を約2年かけ丹念に取材して検証、さらに取捨選択して
著者の思いも含めた評伝ですので、とても要約などはできませんが、全体の読後感だけ・・・
戦中の幼少期から戦後の混乱期を経験し、高度成長期に企業戦士として戦い抜いた世代には、
それぞれ波乱万丈の人生があったのでしょうが、わたくしとほぼ同世代の著者からみても、
澤井代表の生き方というのは、やはり驚きだったようで、本のタイトルにもあるとおり、
全編が驚きの眼をもって捉えられており、それが新鮮な視点で最後まで飽きませんでした。
入念な取材に基づいた、一般には知り得ない事実もあって、構成も文章も馴染みやすく
著者の思いも伝わってきて興味深く読めました。さすがベテラン記者の著作ですね。
ちなみにAmazonでも取り扱うようなので、興味のある方はご一読を・・・
(もとN.GKS会員など関係者には、澤井代表から直接郵送するとのことでした。)
わたくしも設立当初から参加して中国西北部・モンゴル・アマゾン・ボルネオの各地で
現地の子どもたちと木を植え育てる活動をしていた非営利の海外植林ボランティア団体、
「N.GKS(エヌ・ジクス)」の主宰者・澤井代表の評伝が出版されます。
アッと驚く! 90歳 ー実録「澤井敏郎」評伝ー 藤本 博 著
産経新聞生活情報センター 2021年5月8日第1刷発行 ISBN 978-4-909053-09-1
表紙カバー

表紙写真は澤井代表が昔からお得意の「生たまご立て」・・・

裏表紙カバー

こちらは植林活動の原点となった中国・内モンゴル自治区・クブチ沙漠・・・
と、右上はお得意のスプーン曲げ・・・ともかく常識をひっくり返すことが大好きです

著者は京都・洛南地域の地方紙記者として、30年にわたり澤井代表を取材してきた方で、
2018年に退職後は、洛南の歴史遺産ではなく洛南の今を生きる人物遺産を克明に記録して、
地域に遺すことをライフワークにされてるとのことでした。(「あとがき」にかえてより)
構成としては澤井代表が退職後にはじめた「沙漠・熱帯雨林緑化活動編」は本編の2割程度で、
軍国少年だった少年時代、競技かるたに明け暮れた学生時代、連珠や切手収集など他の趣味
についても書かれてますが、本編の約半分を割いていたのは、やはり現役時代・・・
そう、昭和の高度成長期に企業戦士として戦い続けてきた生き様が克明に描かれてました。
例えば、澤井代表が1954年の就職時に役員から提示された勤務条件・・・
①休日は月1日、年間350日出勤
②月給税込み1万円、残業など手当は一切なし
③月3~4回の徹夜勤務
というもの・・・
これが当時の成長産業としては、特に並外れたものではなかったそうで、戦後経済発展の原動力が
まさに「人力」だったことがわかります。
もちろん「アッと驚く」エピソードは現役時代以外でも、遠山正瑛翁との運命の出会いなど
植林ボランティア活動でも満載でした。
特に著者が絶句したのが2009年のアマゾン植林ツアー(わたくしは仕事の都合がつかず不参加)
だったそうで、出発4日前の「もらい事故」で右上腕部と左母指付根を骨折する重傷を負い、
緊急手術して入院しなければ一生動かなくなるかもと医師から宣告されたにもかかわらず、
ギプス固定だけして車椅子で出発したというエピソードで「この人は尋常の人間ではない」
とさえ思ったとのこと・・・

すでに綿密な現地との調整も終えてベテランの幹部やツアコンも参加してるし、わたくしも含め
周囲から手術と入院を勧めたのですが頑として拒否、見送りに行った空港でも、わたくしが
「せめて現地では無理をしないように」と忠告したら「無理をしないと目的は達成できない」
と返してましたからねえ・・・まさに昭和の企業戦士の生き様ですね。
本著は本人が残している膨大な資料と記憶を約2年かけ丹念に取材して検証、さらに取捨選択して
著者の思いも含めた評伝ですので、とても要約などはできませんが、全体の読後感だけ・・・
戦中の幼少期から戦後の混乱期を経験し、高度成長期に企業戦士として戦い抜いた世代には、
それぞれ波乱万丈の人生があったのでしょうが、わたくしとほぼ同世代の著者からみても、
澤井代表の生き方というのは、やはり驚きだったようで、本のタイトルにもあるとおり、
全編が驚きの眼をもって捉えられており、それが新鮮な視点で最後まで飽きませんでした。
入念な取材に基づいた、一般には知り得ない事実もあって、構成も文章も馴染みやすく
著者の思いも伝わってきて興味深く読めました。さすがベテラン記者の著作ですね。
ちなみにAmazonでも取り扱うようなので、興味のある方はご一読を・・・
(もとN.GKS会員など関係者には、澤井代表から直接郵送するとのことでした。)