米軍
2026年03月17日
パールハーバー4航空博物館ハンガー37
(前回記事からの続きです ホノルル連載をはじめからご覧になるにはこちらのカテゴリから)
戦艦ミズーリ見学後は同じフォード島の海軍航空隊跡にある航空博物館へ

荒れ放題の広大な滑走路跡に沿って走り続けると・・・

真珠湾攻撃当時からあるハンガー(格納庫)を利用した航空博物館に到着です
ハンガー前には今は博物館の一部になってて管制室まで見学できる管制塔があり、
(今回は時間制限と体力限界で上れませんでしたが・・・)

まずは、

ブルーエンジェルスの機体がお出迎え・・・
で、

ハンガー37のフロント・デスクで海軍の入館許可証リストバンドを付けてもらい、
多国語対応の音声ガイドを受け取ります
展示はハンガー37(第1展示場)とハンガー79(第2展示場)以外に屋外展示もあるので、
戦艦ミズーリと同じく駆け足でまわらないといけません
ハンガー37に入ってすぐ、当時のフォード島のパネルがありました

現在のグーグルマップと照合すると右手前の赤白タワーの上にあるのがハンガー79で、
その上がフロント・デスクのあるハンガー37、その上の黒い塔が昔の管制塔でしょう
位置関係もハンガーも当時のままなんですね
で、まずは真珠湾攻撃の主役ともいうべき九七式艦上攻撃機から・・・



左翼先端の折りたたみ部分のみ修復済みですね 完全修復までどれだけかかるんだろ?

どの塗装にするんだろ?
零式艦上戦闘機21型

こちらは飛行可能な状態にまで修復されてるとか
と、空母加賀のスケールモデル

と、

日本人観光客
ちなみに日本機ではハンガー79に九九式艦上爆撃機が発見当時のまま展示されてます
以下、さくさくっと・・・

真珠湾攻撃の日本軍機と初遭遇したとされるエアロニカ65TC軽飛行機
映画トラトラトラでも遭遇シーンがありましたね

左上の機体は???
(追記です)

第1波攻撃隊はアメリカ本土からのB-17編隊と誤認され警報が遅れたんですね
本土初空襲のドーリットル隊と空母ホーネットとB-25Bミッチェル




ダグラスSBD-2ドーントレス



グラマンF4F-3ワイルドキャット



ヴォートSB2Uヴィンディケーター艦上爆撃機のスケールモデル?
(グーグル画像検索より)
カーチスP-40Eウォーホークとフライング・タイガースのグッズ


画像検索ではハーレーダビッドソンWLA750だそうです・・・



こちら・・・



ブッシュ元大統領が1942年に基礎訓練で搭乗していたステアマン練習機だそうで、
1943年に最年少の海軍士官になり58回の出撃により様々な勲章を授与され・・・云々と
こちらは1回10ドル99セントで乗れるフライト・シュミレータ

見てると360度上下左右に高速回転してて、まさにトップガンのパイロット向きでした
と、まだまだ展示はありましたが残りの画像は省略して・・・
ミュージアムショップ内をさくさくっと



このコルセアとライトニングのアロハシャツはめっちゃ欲しかったけど・・・
日本で着るシーンを考えてみたら・・・思いつかなかった




などなど興味を惹くモノがいっぱいでしたが、時間もないことだし・・・
といいつつ・・・

ついつい長居をしてしまいましたが・・・
で、時計を見て慌ててハンガー37を離れ屋外展示からハンガー79へ向かいました
(次回に続きます)
戦艦ミズーリ見学後は同じフォード島の海軍航空隊跡にある航空博物館へ

荒れ放題の広大な滑走路跡に沿って走り続けると・・・

真珠湾攻撃当時からあるハンガー(格納庫)を利用した航空博物館に到着です
ハンガー前には今は博物館の一部になってて管制室まで見学できる管制塔があり、
(今回は時間制限と体力限界で上れませんでしたが・・・)

まずは、

ブルーエンジェルスの機体がお出迎え・・・
で、

ハンガー37のフロント・デスクで海軍の入館許可証リストバンドを付けてもらい、
多国語対応の音声ガイドを受け取ります
展示はハンガー37(第1展示場)とハンガー79(第2展示場)以外に屋外展示もあるので、
戦艦ミズーリと同じく駆け足でまわらないといけません

ハンガー37に入ってすぐ、当時のフォード島のパネルがありました

現在のグーグルマップと照合すると右手前の赤白タワーの上にあるのがハンガー79で、
その上がフロント・デスクのあるハンガー37、その上の黒い塔が昔の管制塔でしょう
位置関係もハンガーも当時のままなんですね
で、まずは真珠湾攻撃の主役ともいうべき九七式艦上攻撃機から・・・



左翼先端の折りたたみ部分のみ修復済みですね 完全修復までどれだけかかるんだろ?

どの塗装にするんだろ?
零式艦上戦闘機21型

こちらは飛行可能な状態にまで修復されてるとか
と、空母加賀のスケールモデル

と、

日本人観光客
ちなみに日本機ではハンガー79に九九式艦上爆撃機が発見当時のまま展示されてます
以下、さくさくっと・・・

真珠湾攻撃の日本軍機と初遭遇したとされるエアロニカ65TC軽飛行機
映画トラトラトラでも遭遇シーンがありましたね

左上の機体は???
(追記です)
①エアインテイクが3つに分かれていること、②主脚収納部前方の主翼のこぶ、から、
これはカーチスP-40Eの実物大模型ではないか、とのご意見をいただきました
これはカーチスP-40Eの実物大模型ではないか、とのご意見をいただきました
さらに映画「トラトラトラ!!」では多くのP-40Eの実物大模型が作られたので、
それの可能性もあるとのことでした 情報ありがとうございました
ちなみにAIによれば・・・
「真珠湾攻撃時に配備されていたP-40は主にB型やC型で、迷彩が施されていなかったり、
特定の部隊マークが入っていたりします」との回答でしたが、
「映画製作時にB型やC型の実機が入手できなかったのでE型をモデルに製作したはず」とも、
ご意見をいただきました
(追記ここまで)それの可能性もあるとのことでした 情報ありがとうございました
ちなみにAIによれば・・・
「真珠湾攻撃時に配備されていたP-40は主にB型やC型で、迷彩が施されていなかったり、
特定の部隊マークが入っていたりします」との回答でしたが、
「映画製作時にB型やC型の実機が入手できなかったのでE型をモデルに製作したはず」とも、
ご意見をいただきました

第1波攻撃隊はアメリカ本土からのB-17編隊と誤認され警報が遅れたんですね
本土初空襲のドーリットル隊と空母ホーネットとB-25Bミッチェル




ダグラスSBD-2ドーントレス



グラマンF4F-3ワイルドキャット



ヴォートSB2Uヴィンディケーター艦上爆撃機のスケールモデル?
(グーグル画像検索より)
カーチスP-40Eウォーホークとフライング・タイガースのグッズ



画像検索ではハーレーダビッドソンWLA750だそうです・・・




こちら・・・



ブッシュ元大統領が1942年に基礎訓練で搭乗していたステアマン練習機だそうで、
1943年に最年少の海軍士官になり58回の出撃により様々な勲章を授与され・・・云々と

こちらは1回10ドル99セントで乗れるフライト・シュミレータ

見てると360度上下左右に高速回転してて、まさにトップガンのパイロット向きでした

と、まだまだ展示はありましたが残りの画像は省略して・・・
ミュージアムショップ内をさくさくっと




このコルセアとライトニングのアロハシャツはめっちゃ欲しかったけど・・・
日本で着るシーンを考えてみたら・・・思いつかなかった





などなど興味を惹くモノがいっぱいでしたが、時間もないことだし・・・

といいつつ・・・

ついつい長居をしてしまいましたが・・・

で、時計を見て慌ててハンガー37を離れ屋外展示からハンガー79へ向かいました
(次回に続きます)
2026年03月15日
パールハーバー3戦艦ミズーリ
(ホノルル記事の続きです 連載をはじめからご覧になるにはこちらのカテゴリから)
パールハーバー・ビジターセンターからクルマでフォード島に渡り・・・

もと海軍航空隊の飛行場にある管制塔を過ぎ・・・

戦艦オクラホマ記念施設の前まで行くと・・・


戦艦ミズーリ記念館のエントランスがあるのですが・・・

有名なミズーリ艦上での降伏文書調印シーンなどのプレートと、

こちらも有名なニミッツ提督像とその名言のプレート・・・
と、ともに・・・

日本海海戦で有名になった東郷提督と戦艦三笠のプレートが並んでました
ガイドのフカダさんによると・・・
・ニミッツ提督は若い頃から東郷平八郎の書物を読んで心酔し会いたいと考えていた
⇒海軍の日本訪問の際には最年少の海軍少尉だったが付き人として何とか参加できた
⇒歓迎レセプションで上官らが東郷提督から話を聞きたい旨を伝令として伝えに行った
⇒その際に個人的に自分を指導してほしいと東郷に申し出た
⇒最年少の少尉の申し出に驚いた東郷はそれ以来ニミッツと親しく文通し丁寧に指導した
⇒ニミッツは生涯その恩を忘れず東郷を最も敬愛していた
・なので東郷のプレートがニミッツ像と並んでいるのだが、
⇒もし日本占領が陸軍のマッカーサーではなく海軍のニミッツによって行われていたら、
戦後日本の体制は大きく異なっていたかも知れない
⇒戦後の戦艦三笠の保存運動にもニミッツは個人で莫大な資金援助をしている・・・などなど
で、エントランスでは記念写真が撮られ、出る頃にはプリントされ販売されてるのですが、
これが結構なお値段・・・
でも、これには無料サービスのデータ提供があるとフカダさんから教えてもらいました
(潜水艦アトランティスのツアーも同じ仕組みでしたが、あちらでは孫たちに購入してました
)
ま、せっかくの無料サービスなので・・・




無料ダウンロードできたのは社名入りでしたが、まあ、よくできてますね・・・
ついでにわたくしのカメラで撮ってもらった1枚も・・・

こちらは加工なしです
(3/26追記です)
戦艦ミズーリといえば映画「バトルシップ」での出撃シーンが忘れられません
オハナシ自体はSF好きからすれば???でしたが、ともかく戦闘シーンがよくできてました
ハワイ沖に着水したエイリアン母船のシールド内で合同訓練中だった米海軍の駆逐艦2隻と
海上自衛隊の護衛艦1隻がエイリアンとの激戦で全滅、生き残った護衛艦の艦長(浅野忠信)が、
「もう戦えるフネはないぞ」
艦長以下の上官が全員戦死し、最先任士官となった米海軍の主人公が、
「いや、ここオアフ島にはもう1隻ある、しかも戦艦だ・・・」
と、駆逐艦・護衛艦の生き残りとともに、この戦艦ミズーリへ!!!
たまたま記念式典で???ミズーリ艦内に残っていた退役古参兵たちに、
「あなた方はもう充分、国に尽くされましたが、もうひと働きをお願いしたい」
「何をしてほしい?」
「このフネを借りたい」
と、全員で固定鎖や自動販売機などを外し蒸気タービンに火を入れて・・・出撃!!!
見学用のタラップが外れ「記念艦ミズーリ」の横断幕が千切れて・・・全速前進!!!
わたくし、このあたりのシーンに一番うるうるしてたのを思い出しました
(追記ここまで)
つーことで、いよいよ艦内へ・・・




こちら恋人ではなく艦を下りて最初に出会った女性だそうで実話がモデルとか・・・

40センチ(16インチ)主砲の砲弾
おなじみ50口径(12.7mm)ブローニング

やはり甲板に上がれば相当な高さですね ブリッジまではとてもとても・・・
こちらでも別の日本語ガイドが案内してくれます

で、この修理中の1番砲塔にあるマーキング

最後の実戦参加となった湾岸戦争での砲撃目標2都市と発射弾数289発を表しているそうです
で、こちらが有名な2番砲塔右舷の甲板・・・

そう、


1945年9月2日に連合国代表と日本代表で降伏文書が交わされた甲板であります
こちらが、


当日調印テーブルが置かれていた位置
降伏文書の複製も展示されてました

ちなみに日本代表のうち礼服にシルクハット姿の文官は三人のみであとは軍人、
文官は当時の外務省の大臣・長官・部長の3名だったのですが・・・

この有名な名言を残した人物が、唯一人、小脇に書類鞄を抱えている・・・


27.内閣情報部第三部長の加瀬俊一氏であります
リンク記事のとおり開戦と終戦をアメリカに発した外交官で歴代首相外相の右腕として活躍、
色恋も遊びも国際的で海外での優雅な暮らしぶりや情報を巡る熾烈な戦いは007そのもの、
当時としても稀有な外交官で、戦争がなければ少なくとも外務大臣にはなっていたとされる、
今では考えられないスケールの官僚で、わたくしにとって興味深い人物です
閑話休題
日本語ガイドの説明によると日本側代表の重光外相が脚が不自由なのを知ったアメリカ側が、
彼がここへのタラップを上れるか、水兵の脚を固定して何度も確かめていたそうです
以下、艦内をさくさくっと

艦長室

さすがに豪華です

3番砲塔へ

こちらは湾岸戦争で209発を撃ってますね
3番砲塔は内部を覗き見ることができます

砲塔内といっても巨大で何室にも分かれてますね
ちなみに主砲の一斉射撃(斉射)の際は・・・


必ず舷側に向けて行うそうで、さもないと甲板が火の海に・・・
片側に斉射しても艦が傾かないよう工夫されてるとのことでした
で、艦尾に近い右舷のこの部分が・・・



神風特別攻撃隊の零式艦上戦闘機が体当たりした箇所であります
その決定的瞬間を捉えたこの写真はジオラマにもなってますね
抱えていた爆弾は爆発せず特攻機の右翼が40ミリ機関砲の銃身に突き刺さったようで、

体当たりの痕跡が今も微かに残っています
ガイドのフカダさんによれば・・・
・当時の艦長が同じ兵士だからと特攻機搭乗員の遺体を正式に水葬するように命じた
⇒当初は嫌がっていた乗組員が徹夜で手縫いの海軍旗(旭日旗)を作って遺体に被せ水葬した
⇒それ以降、手縫いの海軍旗(旭日旗)は別の艦でも何度も使われた
とのことで、これも知りませんでしたがニミッツ提督の名言と同じ精神ですね
ちょうど上空を特攻機ではなく友軍機が飛んでました

あらためて両軍の犠牲者に合掌
以下、居住区を中心にさくさくっと・・・






じゅるじゅる




士官クラブ???





まさにメモリアルですね・・・
艦尾の甲板は降伏調印が行われた2番砲塔右舷と同じように大きな固定タープで覆われ、
海軍関係者以外にも各種イベントやパーティや結婚式などにも使われているそうですが、
艦首側にあるアリゾナ追悼施設からは最も離れており、騒ぎがしさが伝わらないよう
配慮されているとのことでした
と、時間制限と3年前の落車骨折による歩行困難でブリッジはじめ多くを見逃しましたが、
駆け足でエントランスまで戻ってきて・・・

隣にあるミュージアムショップへ駆け込み



僅かな時間でお安い自分への土産物を物色して、家内に電子決済してもらいました
で、ギリギリ集合時間には間に合い、クルマで基地内の広大な居住区を抜け・・・

次の目的地、もと海軍航空隊基地にある航空博物館へ向かいます
(次号に続きます)
パールハーバー・ビジターセンターからクルマでフォード島に渡り・・・

もと海軍航空隊の飛行場にある管制塔を過ぎ・・・

戦艦オクラホマ記念施設の前まで行くと・・・


戦艦ミズーリ記念館のエントランスがあるのですが・・・

有名なミズーリ艦上での降伏文書調印シーンなどのプレートと、

こちらも有名なニミッツ提督像とその名言のプレート・・・
と、ともに・・・

日本海海戦で有名になった東郷提督と戦艦三笠のプレートが並んでました
ガイドのフカダさんによると・・・
・ニミッツ提督は若い頃から東郷平八郎の書物を読んで心酔し会いたいと考えていた
⇒海軍の日本訪問の際には最年少の海軍少尉だったが付き人として何とか参加できた
⇒歓迎レセプションで上官らが東郷提督から話を聞きたい旨を伝令として伝えに行った
⇒その際に個人的に自分を指導してほしいと東郷に申し出た
⇒最年少の少尉の申し出に驚いた東郷はそれ以来ニミッツと親しく文通し丁寧に指導した
⇒ニミッツは生涯その恩を忘れず東郷を最も敬愛していた
・なので東郷のプレートがニミッツ像と並んでいるのだが、
⇒もし日本占領が陸軍のマッカーサーではなく海軍のニミッツによって行われていたら、
戦後日本の体制は大きく異なっていたかも知れない
⇒戦後の戦艦三笠の保存運動にもニミッツは個人で莫大な資金援助をしている・・・などなど
で、エントランスでは記念写真が撮られ、出る頃にはプリントされ販売されてるのですが、
これが結構なお値段・・・
でも、これには無料サービスのデータ提供があるとフカダさんから教えてもらいました
(潜水艦アトランティスのツアーも同じ仕組みでしたが、あちらでは孫たちに購入してました
)ま、せっかくの無料サービスなので・・・




無料ダウンロードできたのは社名入りでしたが、まあ、よくできてますね・・・
ついでにわたくしのカメラで撮ってもらった1枚も・・・

こちらは加工なしです

(3/26追記です)
戦艦ミズーリといえば映画「バトルシップ」での出撃シーンが忘れられません
オハナシ自体はSF好きからすれば???でしたが、ともかく戦闘シーンがよくできてました
ハワイ沖に着水したエイリアン母船のシールド内で合同訓練中だった米海軍の駆逐艦2隻と
海上自衛隊の護衛艦1隻がエイリアンとの激戦で全滅、生き残った護衛艦の艦長(浅野忠信)が、
「もう戦えるフネはないぞ」
艦長以下の上官が全員戦死し、最先任士官となった米海軍の主人公が、
「いや、ここオアフ島にはもう1隻ある、しかも戦艦だ・・・」
と、駆逐艦・護衛艦の生き残りとともに、この戦艦ミズーリへ!!!
たまたま記念式典で???ミズーリ艦内に残っていた退役古参兵たちに、
「あなた方はもう充分、国に尽くされましたが、もうひと働きをお願いしたい」
「何をしてほしい?」
「このフネを借りたい」
と、全員で固定鎖や自動販売機などを外し蒸気タービンに火を入れて・・・出撃!!!
見学用のタラップが外れ「記念艦ミズーリ」の横断幕が千切れて・・・全速前進!!!
わたくし、このあたりのシーンに一番うるうるしてたのを思い出しました
(追記ここまで)
つーことで、いよいよ艦内へ・・・




こちら恋人ではなく艦を下りて最初に出会った女性だそうで実話がモデルとか・・・


40センチ(16インチ)主砲の砲弾
おなじみ50口径(12.7mm)ブローニング

やはり甲板に上がれば相当な高さですね ブリッジまではとてもとても・・・

こちらでも別の日本語ガイドが案内してくれます

で、この修理中の1番砲塔にあるマーキング

最後の実戦参加となった湾岸戦争での砲撃目標2都市と発射弾数289発を表しているそうです
で、こちらが有名な2番砲塔右舷の甲板・・・

そう、


1945年9月2日に連合国代表と日本代表で降伏文書が交わされた甲板であります
こちらが、


当日調印テーブルが置かれていた位置
降伏文書の複製も展示されてました

ちなみに日本代表のうち礼服にシルクハット姿の文官は三人のみであとは軍人、
文官は当時の外務省の大臣・長官・部長の3名だったのですが・・・

この有名な名言を残した人物が、唯一人、小脇に書類鞄を抱えている・・・


27.内閣情報部第三部長の加瀬俊一氏であります
リンク記事のとおり開戦と終戦をアメリカに発した外交官で歴代首相外相の右腕として活躍、
色恋も遊びも国際的で海外での優雅な暮らしぶりや情報を巡る熾烈な戦いは007そのもの、
当時としても稀有な外交官で、戦争がなければ少なくとも外務大臣にはなっていたとされる、
今では考えられないスケールの官僚で、わたくしにとって興味深い人物です
閑話休題
日本語ガイドの説明によると日本側代表の重光外相が脚が不自由なのを知ったアメリカ側が、
彼がここへのタラップを上れるか、水兵の脚を固定して何度も確かめていたそうです
以下、艦内をさくさくっと

艦長室

さすがに豪華です

3番砲塔へ

こちらは湾岸戦争で209発を撃ってますね
3番砲塔は内部を覗き見ることができます

砲塔内といっても巨大で何室にも分かれてますね
ちなみに主砲の一斉射撃(斉射)の際は・・・


必ず舷側に向けて行うそうで、さもないと甲板が火の海に・・・

片側に斉射しても艦が傾かないよう工夫されてるとのことでした
で、艦尾に近い右舷のこの部分が・・・



神風特別攻撃隊の零式艦上戦闘機が体当たりした箇所であります
その決定的瞬間を捉えたこの写真はジオラマにもなってますね
抱えていた爆弾は爆発せず特攻機の右翼が40ミリ機関砲の銃身に突き刺さったようで、

体当たりの痕跡が今も微かに残っています
ガイドのフカダさんによれば・・・
・当時の艦長が同じ兵士だからと特攻機搭乗員の遺体を正式に水葬するように命じた
⇒当初は嫌がっていた乗組員が徹夜で手縫いの海軍旗(旭日旗)を作って遺体に被せ水葬した
⇒それ以降、手縫いの海軍旗(旭日旗)は別の艦でも何度も使われた
とのことで、これも知りませんでしたがニミッツ提督の名言と同じ精神ですね
ちょうど上空を特攻機ではなく友軍機が飛んでました

あらためて両軍の犠牲者に合掌
以下、居住区を中心にさくさくっと・・・






じゅるじゅる





士官クラブ???





まさにメモリアルですね・・・
艦尾の甲板は降伏調印が行われた2番砲塔右舷と同じように大きな固定タープで覆われ、
海軍関係者以外にも各種イベントやパーティや結婚式などにも使われているそうですが、
艦首側にあるアリゾナ追悼施設からは最も離れており、騒ぎがしさが伝わらないよう
配慮されているとのことでした
と、時間制限と3年前の落車骨折による歩行困難でブリッジはじめ多くを見逃しましたが、
駆け足でエントランスまで戻ってきて・・・

隣にあるミュージアムショップへ駆け込み



僅かな時間でお安い自分への土産物を物色して、家内に電子決済してもらいました

で、ギリギリ集合時間には間に合い、クルマで基地内の広大な居住区を抜け・・・

次の目的地、もと海軍航空隊基地にある航空博物館へ向かいます
(次号に続きます)
2026年03月12日
パールハーバー2戦艦アリゾナ
(前回記事からの続きです ホノルル連載をはじめからご覧になるにはこちらのカテゴリから)
始発のボートで戦艦アリゾナ記念館に到着しました








この海面下に戦艦アリゾナとその乗員約900名が眠っており、

今も艦内から油が少しずつ流出していて、これは「黒い涙」と呼ばれているとか・・・

白い部分が水面上の施設です
戦艦アリゾナの後方には・・・


1945年9月2日に連合国代表と日本代表が正式に降伏文書に交わした戦艦ミズーリが停泊、
これは戦争の始まりと終わりを象徴しているとか・・・
記念館の内部にはアリゾナで亡くなられた乗員全員の墓碑銘があり・・・


脱帽して黙禱させていただきました
ちょうど朝の国旗掲揚に遭遇



こちらにも黙礼・・・
記念館の滞在時間は15分と決まっており、次の来訪者と交代で離れました

湾内には様々な艦船が停泊してましたが・・・


こちらの大型艦・・・




いかにも現代の戦闘艦とゆー感じでミズーリなどの戦艦とは対照的ですね・・・
と、ビジターセンターに戻ってからも集合時間まで少し時間があったので、
屋外展示もさくさくっと・・・




そう、この後に予定していた第3波攻撃が情報不足により中止されたんですね



と、エントランスにあるアリゾナの錨まで戻ってきて、

後ろに見える橋を渡って、フォード島にある戦艦ミズーリ記念館を目指します
(次号に続きます)
始発のボートで戦艦アリゾナ記念館に到着しました








この海面下に戦艦アリゾナとその乗員約900名が眠っており、

今も艦内から油が少しずつ流出していて、これは「黒い涙」と呼ばれているとか・・・

白い部分が水面上の施設です
戦艦アリゾナの後方には・・・


1945年9月2日に連合国代表と日本代表が正式に降伏文書に交わした戦艦ミズーリが停泊、
これは戦争の始まりと終わりを象徴しているとか・・・
記念館の内部にはアリゾナで亡くなられた乗員全員の墓碑銘があり・・・


脱帽して黙禱させていただきました
ちょうど朝の国旗掲揚に遭遇



こちらにも黙礼・・・
記念館の滞在時間は15分と決まっており、次の来訪者と交代で離れました

湾内には様々な艦船が停泊してましたが・・・


こちらの大型艦・・・




いかにも現代の戦闘艦とゆー感じでミズーリなどの戦艦とは対照的ですね・・・
と、ビジターセンターに戻ってからも集合時間まで少し時間があったので、
屋外展示もさくさくっと・・・




そう、この後に予定していた第3波攻撃が情報不足により中止されたんですね



と、エントランスにあるアリゾナの錨まで戻ってきて、

後ろに見える橋を渡って、フォード島にある戦艦ミズーリ記念館を目指します
(次号に続きます)
2026年03月10日
パールハーバー1ビジターセンター
(前回記事からの続きです ホノルル連載をはじめからご覧になるにはこちらのカテゴリから)
ホノルル4日目の朝は、なんと4時半の起床でした
ホテルのビュッフェ朝食は6時からなので・・・



日本から持参した「かもめコーヒー」のドリップパックと昨夜嫁が持参してくれたサラダや
ケーキ・スナック類で軽く朝食・・・手作りスパム握りは昨夜食べたのでありません
5時50分に近くのホテル前に数名が集合して大型バンに乗車、他の予約客とで合計8名ほどが、
ガイド兼ドライバーで日系4世のフカダさんからお話をうかがいます
そう、この日は日本語ガイド付きパールハーバーツアーを夫婦で予約してたのでありますね
「本日は全員がスムースに集合できて時間に少し余裕があるので真珠湾攻撃にゆかりのある
日本領事館を廻ってからパールハーバーに行きます」
なんとなく日本側からは真珠湾、アメリカ側からはパールハーバーと使い分けてたような
気もしましたが、この時のオハナシは・・・
・当時の領事館駐在武官(海軍少尉)が情報収集活動での出入りをアメリカ側に気づかれないよう
正面からではなく横を流れる川から密かに行っていた
(と明るい懐中電灯
でその辺りをスポット照射してくれました
)
・12月7日には空母が訓練航海で不在という最新情報も報告していたが大使館経由で伝達が遅れ
攻撃前には海軍軍令部まで伝わっていなかった
・第1派攻撃ではじめて空母の不在を知った南雲中将は、これを奇襲情報を事前に掴んでいた
アメリカ側の罠と判断し、沖合で待ち構える空母から反撃される前にと、予定していた
第3派攻撃を行わずに急きょ引き上げた
・もし予定どおり第3派攻撃が行われドックなどの港湾施設が徹底的に破壊されていたら、
太平洋艦隊は6~7年は使い物にならなかったといわれている
・その前提なら早期に石油禁輸の緩和など有利な和平交渉ができていたかもしれない
といった、わたくしの知らなかった興味深い内容でした
他にも・・・
・今もハワイでは軍人が多く人口140万人の23%を占め観光に次ぐ第2の産業が軍事で第3が農業
・最近東西を結ぶ鉄道ができたけど西側の殆どは軍用地なので軍人以外は乗らない
などなど、他の車中のオハナシも興味深かったです
当カテゴリの第1回記事にも書きましたが、当日2月24日もパールハーバーへの出入りが
いつになく激しくなっており近々に軍の大きな動きがあるかも、ともおっしゃってました
2月28日のイラン攻撃開始でさらに臨戦態勢になってるでしょうし、基地への出入り制限も
さらに厳しくなってるかもですね
で、パールハーバー・ナショナル・メモリアルであります

訳せば「真珠湾国立記念施設」でしょうか、このビジターセンターは国立公園局の管理施設で、
メモリアル施設には画像にある戦艦アリゾナ・戦艦オクラホマ・戦艦ユタの追悼施設のほかにも、
戦艦ミズーリや潜水艦ボーフィンの記念館、当時フォード島にあった海軍航空隊(ヒッカムは
陸軍航空隊)のハンガー(格納庫)を利用した航空博物館など多くの施設があり、わたくし一度は
訪れてみたかったのであります
ちなみにパールハーバー自体は今も重要な軍事施設ですから、入るには厳しい検問もあり、
手荷物は透明バッグに入れるとかパスポート必携とかの制限もありました
上の画像の撮影時刻が朝の6時37分になってますが、早朝なのは戦艦アリゾナ記念館には
一隻のボートでしか渡れず、遅い時間に行くと数時間待ちになり渡れないこともあるので
朝一番に並ぶためだそうです
で、7時にメインゲートが開門、受付で多国語対応の音声ガイド端末(有料)を借りると、
今だけ特典!!!として・・・


こんな限定オリジナル・エコバッグがもらえます!!! これは確かに稀少かもです
と、ようやく明るくなってきたエントランスからは・・・

最初に訪れる追悼施設の戦艦アリゾナ記念館

後方にはその次に訪れる戦艦ミズーリ記念館

他にも見学可能な潜水艦ボーフィンとその付属博物館はじめ、



アリゾナの錨やピーコートでダッフルバッグ(海軍ではシーバッグ)を持ったローン・セイラーなど、

様々な屋外展示もあり、説明板に音声ガイド端末をかざすと日本語で説明してくれます
アリゾナ記念館へのボート始発が8時なので・・・



まずはミュージアムショップを皮切りに・・・
・・・したため、センターのメイン展示は駆け足になりましたが・・・
以下さくさくっと・・・


戦艦の時代から

空母の時代へ






スケールモデルも(誰かさんの作品より???)よくできてました



もちろんスケールモデルやパネル展示だけでなく・・・






実物展示も数多くありましたが・・・

赤色表示されてるAttack Gallery付近だけでこれだけあり、とても全ては回れませんでした
(ミュージアムショップ
でついつい時間を費やしたし・・・)
つーことで、8時には図右端の桟橋からボートでアリゾナ記念館に向かいました
そう、



この記念館の下に戦艦アリゾナと乗員のうち約900名が今も眠っているのであります
(次号に続きます)
ホノルル4日目の朝は、なんと4時半の起床でした
ホテルのビュッフェ朝食は6時からなので・・・



日本から持参した「かもめコーヒー」のドリップパックと昨夜嫁が持参してくれたサラダや
ケーキ・スナック類で軽く朝食・・・手作りスパム握りは昨夜食べたのでありません

5時50分に近くのホテル前に数名が集合して大型バンに乗車、他の予約客とで合計8名ほどが、
ガイド兼ドライバーで日系4世のフカダさんからお話をうかがいます
そう、この日は日本語ガイド付きパールハーバーツアーを夫婦で予約してたのでありますね
「本日は全員がスムースに集合できて時間に少し余裕があるので真珠湾攻撃にゆかりのある
日本領事館を廻ってからパールハーバーに行きます」
なんとなく日本側からは真珠湾、アメリカ側からはパールハーバーと使い分けてたような
気もしましたが、この時のオハナシは・・・
・当時の領事館駐在武官(海軍少尉)が情報収集活動での出入りをアメリカ側に気づかれないよう
正面からではなく横を流れる川から密かに行っていた
(と明るい懐中電灯
でその辺りをスポット照射してくれました
)・12月7日には空母が訓練航海で不在という最新情報も報告していたが大使館経由で伝達が遅れ
攻撃前には海軍軍令部まで伝わっていなかった
・第1派攻撃ではじめて空母の不在を知った南雲中将は、これを奇襲情報を事前に掴んでいた
アメリカ側の罠と判断し、沖合で待ち構える空母から反撃される前にと、予定していた
第3派攻撃を行わずに急きょ引き上げた
・もし予定どおり第3派攻撃が行われドックなどの港湾施設が徹底的に破壊されていたら、
太平洋艦隊は6~7年は使い物にならなかったといわれている
・その前提なら早期に石油禁輸の緩和など有利な和平交渉ができていたかもしれない
といった、わたくしの知らなかった興味深い内容でした
他にも・・・
・今もハワイでは軍人が多く人口140万人の23%を占め観光に次ぐ第2の産業が軍事で第3が農業
・最近東西を結ぶ鉄道ができたけど西側の殆どは軍用地なので軍人以外は乗らない
などなど、他の車中のオハナシも興味深かったです
当カテゴリの第1回記事にも書きましたが、当日2月24日もパールハーバーへの出入りが
いつになく激しくなっており近々に軍の大きな動きがあるかも、ともおっしゃってました
2月28日のイラン攻撃開始でさらに臨戦態勢になってるでしょうし、基地への出入り制限も
さらに厳しくなってるかもですね
で、パールハーバー・ナショナル・メモリアルであります

訳せば「真珠湾国立記念施設」でしょうか、このビジターセンターは国立公園局の管理施設で、
メモリアル施設には画像にある戦艦アリゾナ・戦艦オクラホマ・戦艦ユタの追悼施設のほかにも、
戦艦ミズーリや潜水艦ボーフィンの記念館、当時フォード島にあった海軍航空隊(ヒッカムは
陸軍航空隊)のハンガー(格納庫)を利用した航空博物館など多くの施設があり、わたくし一度は
訪れてみたかったのであります

ちなみにパールハーバー自体は今も重要な軍事施設ですから、入るには厳しい検問もあり、
手荷物は透明バッグに入れるとかパスポート必携とかの制限もありました
上の画像の撮影時刻が朝の6時37分になってますが、早朝なのは戦艦アリゾナ記念館には
一隻のボートでしか渡れず、遅い時間に行くと数時間待ちになり渡れないこともあるので
朝一番に並ぶためだそうです
で、7時にメインゲートが開門、受付で多国語対応の音声ガイド端末(有料)を借りると、
今だけ特典!!!として・・・


こんな限定オリジナル・エコバッグがもらえます!!! これは確かに稀少かもです

と、ようやく明るくなってきたエントランスからは・・・

最初に訪れる追悼施設の戦艦アリゾナ記念館

後方にはその次に訪れる戦艦ミズーリ記念館

他にも見学可能な潜水艦ボーフィンとその付属博物館はじめ、



アリゾナの錨やピーコートでダッフルバッグ(海軍ではシーバッグ)を持ったローン・セイラーなど、

様々な屋外展示もあり、説明板に音声ガイド端末をかざすと日本語で説明してくれます
アリゾナ記念館へのボート始発が8時なので・・・



まずはミュージアムショップを皮切りに・・・

・・・したため、センターのメイン展示は駆け足になりましたが・・・

以下さくさくっと・・・


戦艦の時代から

空母の時代へ






スケールモデルも(誰かさんの作品より???)よくできてました




もちろんスケールモデルやパネル展示だけでなく・・・






実物展示も数多くありましたが・・・

赤色表示されてるAttack Gallery付近だけでこれだけあり、とても全ては回れませんでした
(ミュージアムショップ
でついつい時間を費やしたし・・・)つーことで、8時には図右端の桟橋からボートでアリゾナ記念館に向かいました
そう、



この記念館の下に戦艦アリゾナと乗員のうち約900名が今も眠っているのであります
(次号に続きます)
2025年03月23日
情報分析力
とーとつですが・・・

「情報分析力」とゆー本を読んだので脳の外部記憶としてメモしておきます
著者紹介

日本では数少ないロシア軍事の専門家(あとは自衛隊・防衛研究所の研究者ぐらい?)で、
今回の著書はその情報分析のやり方について解説した「ビジネス書」だそうです
奥付

初版発行と同時に図書館予約して今は3月なので、けっこう人気があるようです
例によって目次の紹介




以下思いつくままの個人メモですので正しくは本書をお読みくださいね
(著作物の読後メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・本書は書店の(国際情勢や安全保障の棚ではなく)ビジネス書の棚に並ぶだろう
⇒だが私が朝起きて読むのは経済紙ではなくロシア軍の機関紙「赤い星]
⇒今回は私がロシア軍事をどうやって分析しているかというお話
・ロシア軍のウクライナ侵略は「まさかそれはないだろう」と思われていた例
⇒だが半年ほど前から(集結の事実や高官のメッセージなどで)多くの専門家に指摘されていた
⇒問題は「情報がなかった」のではなく「情報分析のやり方」にあった
⇒情報分析のやり方によって(100%の予測はできないが)「事態の幅」は予測できる
⇒ウクライナ侵略は本来その「幅」に含まれるべき事態だった・・・
・インターネット上にはあらゆる国際情報が溢れている(略)
(少し前まで外交官や商社マンなど専門家のみが知る情報が低コストで入手可能になった)
(衛星画像などは軍事大国の一部高官や分析官だけが知る情報だった)
⇒インターネット上で入手できないのは「その生情報が何を意味するか」を知る方法
(企業の決算報告書は数秒でダウンロードできるが、それで兆候を読めるのは投資家のみ)
⇒個人がこの能力を持つのは簡単ではないが本書でそのギャップを縮めたい
・インターネット上の生情報の氾濫はフェイクの弊害を拡げた
⇒外交や安全保障から私の好きな料理レシピまで玉石混合で偽情報も多いが、
⇒カレーを作ったことがある人なら「3分でできるカレーレシピ」は怪しいと思うはず
⇒これが「一定の相場感」で情報分析のやり方を知れば偽情報の確率は大幅に下がる
・情報は食材でそれを料理して食べられるようにしたのがインテリジェンス(情報資料)
⇒インテリジェンスには敵国の高官を買収して得たような極秘情報もあるが、これは超高級料亭で
出される料理(インテリジェンス)で分析は求められず「素材そのものを味わう」食べ方
⇒本書は「スーパーの食材による普通の朝ご飯の作り方」だが、そのやり方を知らないと
それなりの朝ご飯は食べれられない
・本書の構成
⇒第1章はウクライナ侵略の情報分析の実際とその影響のスケッチ
⇒第2章は情報分析の手法や考え方でここまでが入門編
⇒第3章は情報の取り方
⇒第4章は情報分析の具体的なメソッド
⇒第5章は分析をまとめる方法
⇒第6章は情報分析で陥りやすい罠
(以下はランダムに一部のみメモ)
第1章より
・2021年の秋から2022年の初頭にかけ「ロシア軍は侵攻するのか?」との質問を多く受けた
⇒私の答えは「侵攻するかどうかはわからないが大規模な戦争能力は整いつつある」だった
⇒「意図」のような曖昧なことは横に置き把握しやすい「能力」を分析の出発点にした
⇒それで「可能行動」を考えると「やろうとしていること」の上限が見えてくる
(実際に両軍の「能力」は、この間に広がり続けていた)
・当時の分析
⇒ロシア軍の海兵隊や空挺部隊を含む全地上兵力は36万人でうち15万人が集結していた
⇒全地上兵力のうち徴兵の20万人は戦地に送らないとの建前が過去には概ね守られていた
⇒以上から15万人は実戦に投入できる兵力のほぼ上限でロシア全土から派遣されていた
⇒こんな集結は毎年秋の大演習でもなかったことで投入可能な戦闘チームのほぼ全力だった
⇒これらのバックグラウンドを知らずに15/36の情報を得ても意味はない⇒情報処理が重要
・私の夕食に奥さんが毒を入れている可能性
⇒そんなはずがないという性善説で食べているが前夜に刃傷沙汰があれば違った推測になるかも
⇒軍事の情報分析は性悪説になりがちで毒が入ってるかもしれない、致死性はどの程度なのか、
可能行動の範囲内で何をするか、といった相手の意図にまつわる曖昧さが立ちはだかる
⇒ウクライナ侵攻の意図が確定できたのは開戦の3日前(ドンパス地方の独立国家承認)だった
(第2次ミンスク合意を完全に破棄することを意味していたから)
・料理に毒を入れた人が食べる人に教えてくれることはない
⇒分析対象が発する情報は「政治的な語り(ナラティブ)」
⇒「実際に考えていること」と「そう信じさせたいこと」の区別が曖昧になっている
⇒ナラティブを分析しているうちにそれに溺れてしまう危険性に注意すること
・戦略レベルの意図は理解できても戦術レベルは別かも知れないことも重要
(ウクライナ侵略でも主攻方向はキーウではなくドンパス地方という欺瞞作戦を展開した)
(このレベルになると戦術や作戦の専門家しか分析できず私の専門外で現在はやっていないが)
⇒キーウでの攻防などは戦略レベルでも重要なので専門家に頼ることを推奨している
第2章より
・1979年のスリーマイル島の原発事故
⇒137個の警告灯が一斉に点灯してクリスマスツリー状態になり情報の有用性が損なわれた
・情報(インフォメーション)と情報資料(インテリジェンス)の区別が重要
⇒集められた食材(情報)を調理(処理)し食べられる料理(情報資料)にすること
⇒役に立つ情報資料にするのはクリエイターよりエディターの仕事
①バックグラウンド情報⇒ロシアの政治、経済、社会状況などの情報(バレエ情報は不要?
)
②分析のコアとなる情報⇒ロシア軍の人事、部隊再編、装備調達などの情報
(定点観測を続けることで違いを取り出せる)
③足で稼ぐ情報⇒文字や画像データでは把握しきれない体験的な情報⇒①②の分析が深まる
・身銭を切った情報(分析対象に入れ込む)
⇒ロシア軍の衛星画像
(私は米国マクサー社だが米軍や自衛隊が優先され個人には遅れたり配信がなかったりする)
⇒自分用の図書館⇒集めた本で仮説ができる、余白にメモできる、付箋を貼れる・・・
・新しいガジェット
⇒大きな組織なら情報の収集と分析は分けるべきだが個人では自分でやるしかない
⇒限りがあるのだから、いろんな工夫をすべき
・エミュレーターになる(分析対象を模倣して考える)
⇒B-1爆撃機の予算復活の例(ミサイルより空爆を警戒するロシア軍になって考えた結果)
⇒いつでもスイッチを切って自分たちの側に立つことが重要(できない人も多い)
第3章より
・情報収集の目的⇒何のために誰に向けて⇒その解像度を合わせること
⇒ロシア軍が北方領土へ新型戦車を配備した場合の情報資料の例
⇒外務省には何両ぐらいか性能は日本のと較べてどうか、国際法上の違反はないかなど、
政治外交レベルでの比較的マクロなレベルの資料になり装甲性能など解像度が高すぎても
あまり意味はない
⇒陸上自衛隊の機甲科や対戦車研究者にはマクロな高解像度が必要で政治レベルの意味はない
・国家インテリジェンスの手法(略)
⇒大本営発表にもある程度の事実はあり、それをどうやって深読みするか
⇒個々の情報はアテにならなくても傾向の変化は読み取れる
(ウクライナでの両軍の公式戦況報告は勝敗ではなく報告量の増減というメタ情報としてみる)
⇒軍事力には抑止力の側面があり知られていないと意味はない⇒それを集める
・公開情報の読み方(略)
⇒戦況報道の中の事実、戦況報告の変化、知らせたい抑止力、冠婚葬祭、議会予算資料など
(ロシアの国防予算は開戦で3倍になったが伴う財政赤字はGDPの0.8%で財政破綻しないとか)
(国後島と択捉島の兵舎建替入札の仕様書からの配備兵力がロシア側の説明と一致したとか)
(侵攻の少し前から「ウクライナ政府」から「キエフ政権」に言い方が変わったとか)
(人民日報の「面積読み」とかロシア国営メディアの女優のゴシップとか)
⇒SNS情報などは体系化が重要
・ネットワークで「沼の主」を召喚する
⇒シベリア鉄道の映像を見て私なら「T-80が31両で1個戦車大隊か」ぐらいは読み解けるが、
「沼の主」なら「これはT-80改良型のT-80BVMで極東でこの戦車を持ってるのは太平洋艦隊の
第155海軍歩兵旅団の戦車大隊だけだったはず」と瞬時にわかり、戦争が始まってからは、
「このT-80BVMの光学照準器は古いバージョンなので精密機器の生産に支障が出ているのでは」
と分析している人もいて度肝を抜かれた
⇒こういう知識は自衛隊の人は別にして趣味の世界に属し解像度は異様に高いが視野は狭い
⇒ところが分析者と趣味的知識(オタク的知)がうまく結合するとマクロな相乗効果を生む
⇒ベリングキャットもオタクを活用するバーチャル組織を作り上げマレーシア航空機の撃墜が
親ロシア派による地対空ミサイルの誤射であったことを解明した
⇒重要なのは自分で沼に潜るのではなく必要な際に主を召喚できるネットワークを作ること
・情報の収集⇒分析⇒資料化(文章化)のスパイラルで体系化する(出典は重要)
第4章より
・冷戦時代のソ連はアメリカ国防総省(ペンタゴン)の軍事衛星写真で中庭にある小さな建物に、
多くの人が出入りしていたので高官が会議する地下重要施設(の出入口?)と判断していた
⇒冷戦後にソ連軍の代表団が行ってみるとホットドッグ店やハンバーガー店の入る建物だった
⇒ソ連時代のロシア国防省では食事時間も食堂も厳格に決まっており適当に買いに出ることは
なかったから勘違いしていた
(今はデリバリーもありその顧客リストから連邦保安庁の組織構成がバレてたけど
)
⇒情報収集にカネをかけ優秀な分析官たちが分析しても、相手の行動様式がわからないと
とんちんかんな結論になってしまう例で、これはアメリカの分析官も同じ
⇒今ならAIに分析させるが自分が分析方法を理解してないと・・・(以下略)
第5章(情報分析のための文章術でメモは省略)
⇒分析者の文章は作品ではなく資料なのであくまで顧客本位で・・・
第6章より
・慢心、予算制限、予断(ミラーイメージの罠⇒エミュレーターを持つ)・・・
⇒ウクライナについての分析も、みんなが偏っており私も日本に偏っている
・一次資料を読めることと、それが事実なのかは別
⇒事情通で終わる(分析できない⇒アウトプットが見えていない)
・ヘンな専門家に注意すること
⇒予断、断定、占い師的な「偏な専門家」、事情通タイプで分析できない「変な専門家」、
エミュレーターのスイッチが切れなくなった専門家(自分の分析に陰謀論が入る)・・・
終章より
・アメリカの孤立主義的な路線は長期的に維持される可能性が高い
⇒なので直近の歴史が続くという予見はもう持てない
⇒10年20年スパンの不確実性は高まっているし、30年後40年後は遠い世界に
⇒「それはないだろう」が「ある」時代になり情報分析がより重要になる
・情報の不確実性も増していく
⇒統制されない情報の氾濫や情報チャンネルの多様化・・・
⇒半世紀前の「情報化時代」はテレビ新聞など何らかのオーソリティを経由した情報の氾濫
⇒今は深い専門家の知見とそれとは関係のないインフルエンサーの「それっぽい話」が全く
同列で流れてくる時代
⇒事実はややこしくて面白くないのでバズるのは往々にしてわかりやすくて面白い後者
・今はAIが公式情報を自動文字化してニュース発信しているが偽情報でも誤情報でも可能
⇒これが情報にある程度の信頼が置けた「情報化時代」との最大の違い
⇒自分が分かっていることには気づけるので自分自身が情報分析力を持つこと
⇒そのためには定点観測と専門家の本、地道だがAIが信用できるまではそれしかない
・情報分析で最も厄介なファクターは人間⇒こだわりとか信念とか恐怖とか・・・
⇒この「合理的ではないが人間らしいと多くの人が認める行動様式」を人間性と呼べば、
優れた文学作品は人間性のスケッチだと思う
⇒今も参照にしているのがウラジミール・ソローキンのSF小説「親衛隊士の日」
⇒ロシアで読み継がれるドストエフスキーの思考様式や50代以下の世代なら日本のサブカルチャー
⇒分析対象を最もよく描き、影響を与えている文学は何かを考える
⇒こうした人間性の洞察が不確実な時代の情報分析の基礎になるのではないか・・・
・・・
まあ、わたくしが情報(インフォメーション)を分析して情報資料(インテリジェンス)にすることは
今後もないでしょうし、この記事も情報(インフォメーション)をてきとーにメモしただけですが、
確かに文章化することによって情報を整理できる、とゆーことはあるかもですね
それと情報の氾濫の中から誤情報や偽情報を取り除くことの重要性も今回再認識しました
本文にもありましたが半世紀前にテレビや新聞など何らかのオーソリティを経由した情報が
氾濫しだしたのが、今やオーソリティとは何の関係もない情報が全く同列で氾濫しており、
そちらのほうがわかりやすくて面白いのでバズる、とゆー現象は確かに実感しています
もちろんマスメディアにも誤情報や意図的な誘導や隠蔽はあるでしょうが、それでも公開には
一定のファクトチェック手続きを経ているはずで、これが他のSNS情報との大きな違いですね
各国政府や自治体の公式発表にも意図的な誘導や隠蔽はあるでしょうが、全く事実がなければ
権威そのものが失墜するので、大本営発表からでも得られる情報はあるわけですね
なので、これら以外の情報はあくまでメタ情報の部分として全体から方向を掴む程度で利用、
面白いけど事実とはまったく関係がないという前提を常に意識しておこうと思っています

「情報分析力」とゆー本を読んだので脳の外部記憶としてメモしておきます
著者紹介

日本では数少ないロシア軍事の専門家(あとは自衛隊・防衛研究所の研究者ぐらい?)で、
今回の著書はその情報分析のやり方について解説した「ビジネス書」だそうです
奥付

初版発行と同時に図書館予約して今は3月なので、けっこう人気があるようです
例によって目次の紹介




以下思いつくままの個人メモですので正しくは本書をお読みくださいね
(著作物の読後メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・本書は書店の(国際情勢や安全保障の棚ではなく)ビジネス書の棚に並ぶだろう
⇒だが私が朝起きて読むのは経済紙ではなくロシア軍の機関紙「赤い星]
⇒今回は私がロシア軍事をどうやって分析しているかというお話
・ロシア軍のウクライナ侵略は「まさかそれはないだろう」と思われていた例
⇒だが半年ほど前から(集結の事実や高官のメッセージなどで)多くの専門家に指摘されていた
⇒問題は「情報がなかった」のではなく「情報分析のやり方」にあった
⇒情報分析のやり方によって(100%の予測はできないが)「事態の幅」は予測できる
⇒ウクライナ侵略は本来その「幅」に含まれるべき事態だった・・・
・インターネット上にはあらゆる国際情報が溢れている(略)
(少し前まで外交官や商社マンなど専門家のみが知る情報が低コストで入手可能になった)
(衛星画像などは軍事大国の一部高官や分析官だけが知る情報だった)
⇒インターネット上で入手できないのは「その生情報が何を意味するか」を知る方法
(企業の決算報告書は数秒でダウンロードできるが、それで兆候を読めるのは投資家のみ)
⇒個人がこの能力を持つのは簡単ではないが本書でそのギャップを縮めたい
・インターネット上の生情報の氾濫はフェイクの弊害を拡げた
⇒外交や安全保障から私の好きな料理レシピまで玉石混合で偽情報も多いが、
⇒カレーを作ったことがある人なら「3分でできるカレーレシピ」は怪しいと思うはず
⇒これが「一定の相場感」で情報分析のやり方を知れば偽情報の確率は大幅に下がる
・情報は食材でそれを料理して食べられるようにしたのがインテリジェンス(情報資料)
⇒インテリジェンスには敵国の高官を買収して得たような極秘情報もあるが、これは超高級料亭で
出される料理(インテリジェンス)で分析は求められず「素材そのものを味わう」食べ方

⇒本書は「スーパーの食材による普通の朝ご飯の作り方」だが、そのやり方を知らないと
それなりの朝ご飯は食べれられない

・本書の構成
⇒第1章はウクライナ侵略の情報分析の実際とその影響のスケッチ
⇒第2章は情報分析の手法や考え方でここまでが入門編
⇒第3章は情報の取り方
⇒第4章は情報分析の具体的なメソッド
⇒第5章は分析をまとめる方法
⇒第6章は情報分析で陥りやすい罠
(以下はランダムに一部のみメモ)
第1章より
・2021年の秋から2022年の初頭にかけ「ロシア軍は侵攻するのか?」との質問を多く受けた
⇒私の答えは「侵攻するかどうかはわからないが大規模な戦争能力は整いつつある」だった
⇒「意図」のような曖昧なことは横に置き把握しやすい「能力」を分析の出発点にした
⇒それで「可能行動」を考えると「やろうとしていること」の上限が見えてくる
(実際に両軍の「能力」は、この間に広がり続けていた)
・当時の分析
⇒ロシア軍の海兵隊や空挺部隊を含む全地上兵力は36万人でうち15万人が集結していた
⇒全地上兵力のうち徴兵の20万人は戦地に送らないとの建前が過去には概ね守られていた
⇒以上から15万人は実戦に投入できる兵力のほぼ上限でロシア全土から派遣されていた
⇒こんな集結は毎年秋の大演習でもなかったことで投入可能な戦闘チームのほぼ全力だった
⇒これらのバックグラウンドを知らずに15/36の情報を得ても意味はない⇒情報処理が重要
・私の夕食に奥さんが毒を入れている可能性

⇒そんなはずがないという性善説で食べているが前夜に刃傷沙汰があれば違った推測になるかも
⇒軍事の情報分析は性悪説になりがちで毒が入ってるかもしれない、致死性はどの程度なのか、
可能行動の範囲内で何をするか、といった相手の意図にまつわる曖昧さが立ちはだかる
⇒ウクライナ侵攻の意図が確定できたのは開戦の3日前(ドンパス地方の独立国家承認)だった
(第2次ミンスク合意を完全に破棄することを意味していたから)
・料理に毒を入れた人が食べる人に教えてくれることはない

⇒分析対象が発する情報は「政治的な語り(ナラティブ)」
⇒「実際に考えていること」と「そう信じさせたいこと」の区別が曖昧になっている
⇒ナラティブを分析しているうちにそれに溺れてしまう危険性に注意すること
・戦略レベルの意図は理解できても戦術レベルは別かも知れないことも重要
(ウクライナ侵略でも主攻方向はキーウではなくドンパス地方という欺瞞作戦を展開した)
(このレベルになると戦術や作戦の専門家しか分析できず私の専門外で現在はやっていないが)
⇒キーウでの攻防などは戦略レベルでも重要なので専門家に頼ることを推奨している
第2章より
・1979年のスリーマイル島の原発事故
⇒137個の警告灯が一斉に点灯してクリスマスツリー状態になり情報の有用性が損なわれた
・情報(インフォメーション)と情報資料(インテリジェンス)の区別が重要
⇒集められた食材(情報)を調理(処理)し食べられる料理(情報資料)にすること
⇒役に立つ情報資料にするのはクリエイターよりエディターの仕事
①バックグラウンド情報⇒ロシアの政治、経済、社会状況などの情報(バレエ情報は不要?
)②分析のコアとなる情報⇒ロシア軍の人事、部隊再編、装備調達などの情報
(定点観測を続けることで違いを取り出せる)
③足で稼ぐ情報⇒文字や画像データでは把握しきれない体験的な情報⇒①②の分析が深まる
・身銭を切った情報(分析対象に入れ込む)
⇒ロシア軍の衛星画像
(私は米国マクサー社だが米軍や自衛隊が優先され個人には遅れたり配信がなかったりする)
⇒自分用の図書館⇒集めた本で仮説ができる、余白にメモできる、付箋を貼れる・・・

・新しいガジェット
⇒大きな組織なら情報の収集と分析は分けるべきだが個人では自分でやるしかない
⇒限りがあるのだから、いろんな工夫をすべき
・エミュレーターになる(分析対象を模倣して考える)
⇒B-1爆撃機の予算復活の例(ミサイルより空爆を警戒するロシア軍になって考えた結果)
⇒いつでもスイッチを切って自分たちの側に立つことが重要(できない人も多い)
第3章より
・情報収集の目的⇒何のために誰に向けて⇒その解像度を合わせること
⇒ロシア軍が北方領土へ新型戦車を配備した場合の情報資料の例
⇒外務省には何両ぐらいか性能は日本のと較べてどうか、国際法上の違反はないかなど、
政治外交レベルでの比較的マクロなレベルの資料になり装甲性能など解像度が高すぎても
あまり意味はない
⇒陸上自衛隊の機甲科や対戦車研究者にはマクロな高解像度が必要で政治レベルの意味はない
・国家インテリジェンスの手法(略)
⇒大本営発表にもある程度の事実はあり、それをどうやって深読みするか
⇒個々の情報はアテにならなくても傾向の変化は読み取れる
(ウクライナでの両軍の公式戦況報告は勝敗ではなく報告量の増減というメタ情報としてみる)
⇒軍事力には抑止力の側面があり知られていないと意味はない⇒それを集める
・公開情報の読み方(略)
⇒戦況報道の中の事実、戦況報告の変化、知らせたい抑止力、冠婚葬祭、議会予算資料など
(ロシアの国防予算は開戦で3倍になったが伴う財政赤字はGDPの0.8%で財政破綻しないとか)
(国後島と択捉島の兵舎建替入札の仕様書からの配備兵力がロシア側の説明と一致したとか)
(侵攻の少し前から「ウクライナ政府」から「キエフ政権」に言い方が変わったとか)
(人民日報の「面積読み」とかロシア国営メディアの女優のゴシップとか)
⇒SNS情報などは体系化が重要
・ネットワークで「沼の主」を召喚する

⇒シベリア鉄道の映像を見て私なら「T-80が31両で1個戦車大隊か」ぐらいは読み解けるが、
「沼の主」なら「これはT-80改良型のT-80BVMで極東でこの戦車を持ってるのは太平洋艦隊の
第155海軍歩兵旅団の戦車大隊だけだったはず」と瞬時にわかり、戦争が始まってからは、
「このT-80BVMの光学照準器は古いバージョンなので精密機器の生産に支障が出ているのでは」
と分析している人もいて度肝を抜かれた

⇒こういう知識は自衛隊の人は別にして趣味の世界に属し解像度は異様に高いが視野は狭い
⇒ところが分析者と趣味的知識(オタク的知)がうまく結合するとマクロな相乗効果を生む
⇒ベリングキャットもオタクを活用するバーチャル組織を作り上げマレーシア航空機の撃墜が
親ロシア派による地対空ミサイルの誤射であったことを解明した
⇒重要なのは自分で沼に潜るのではなく必要な際に主を召喚できるネットワークを作ること

・情報の収集⇒分析⇒資料化(文章化)のスパイラルで体系化する(出典は重要)
第4章より
・冷戦時代のソ連はアメリカ国防総省(ペンタゴン)の軍事衛星写真で中庭にある小さな建物に、
多くの人が出入りしていたので高官が会議する地下重要施設(の出入口?)と判断していた
⇒冷戦後にソ連軍の代表団が行ってみるとホットドッグ店やハンバーガー店の入る建物だった
⇒ソ連時代のロシア国防省では食事時間も食堂も厳格に決まっており適当に買いに出ることは
なかったから勘違いしていた
(今はデリバリーもありその顧客リストから連邦保安庁の組織構成がバレてたけど
)⇒情報収集にカネをかけ優秀な分析官たちが分析しても、相手の行動様式がわからないと
とんちんかんな結論になってしまう例で、これはアメリカの分析官も同じ
⇒今ならAIに分析させるが自分が分析方法を理解してないと・・・(以下略)
第5章(情報分析のための文章術でメモは省略)
⇒分析者の文章は作品ではなく資料なのであくまで顧客本位で・・・
第6章より
・慢心、予算制限、予断(ミラーイメージの罠⇒エミュレーターを持つ)・・・
⇒ウクライナについての分析も、みんなが偏っており私も日本に偏っている
・一次資料を読めることと、それが事実なのかは別
⇒事情通で終わる(分析できない⇒アウトプットが見えていない)
・ヘンな専門家に注意すること
⇒予断、断定、占い師的な「偏な専門家」、事情通タイプで分析できない「変な専門家」、
エミュレーターのスイッチが切れなくなった専門家(自分の分析に陰謀論が入る)・・・
終章より
・アメリカの孤立主義的な路線は長期的に維持される可能性が高い
⇒なので直近の歴史が続くという予見はもう持てない
⇒10年20年スパンの不確実性は高まっているし、30年後40年後は遠い世界に
⇒「それはないだろう」が「ある」時代になり情報分析がより重要になる
・情報の不確実性も増していく
⇒統制されない情報の氾濫や情報チャンネルの多様化・・・
⇒半世紀前の「情報化時代」はテレビ新聞など何らかのオーソリティを経由した情報の氾濫
⇒今は深い専門家の知見とそれとは関係のないインフルエンサーの「それっぽい話」が全く
同列で流れてくる時代
⇒事実はややこしくて面白くないのでバズるのは往々にしてわかりやすくて面白い後者
・今はAIが公式情報を自動文字化してニュース発信しているが偽情報でも誤情報でも可能
⇒これが情報にある程度の信頼が置けた「情報化時代」との最大の違い
⇒自分が分かっていることには気づけるので自分自身が情報分析力を持つこと
⇒そのためには定点観測と専門家の本、地道だがAIが信用できるまではそれしかない
・情報分析で最も厄介なファクターは人間⇒こだわりとか信念とか恐怖とか・・・
⇒この「合理的ではないが人間らしいと多くの人が認める行動様式」を人間性と呼べば、
優れた文学作品は人間性のスケッチだと思う
⇒今も参照にしているのがウラジミール・ソローキンのSF小説「親衛隊士の日」
⇒ロシアで読み継がれるドストエフスキーの思考様式や50代以下の世代なら日本のサブカルチャー
⇒分析対象を最もよく描き、影響を与えている文学は何かを考える
⇒こうした人間性の洞察が不確実な時代の情報分析の基礎になるのではないか・・・
・・・
まあ、わたくしが情報(インフォメーション)を分析して情報資料(インテリジェンス)にすることは
今後もないでしょうし、この記事も情報(インフォメーション)をてきとーにメモしただけですが、
確かに文章化することによって情報を整理できる、とゆーことはあるかもですね
それと情報の氾濫の中から誤情報や偽情報を取り除くことの重要性も今回再認識しました
本文にもありましたが半世紀前にテレビや新聞など何らかのオーソリティを経由した情報が
氾濫しだしたのが、今やオーソリティとは何の関係もない情報が全く同列で氾濫しており、
そちらのほうがわかりやすくて面白いのでバズる、とゆー現象は確かに実感しています
もちろんマスメディアにも誤情報や意図的な誘導や隠蔽はあるでしょうが、それでも公開には
一定のファクトチェック手続きを経ているはずで、これが他のSNS情報との大きな違いですね
各国政府や自治体の公式発表にも意図的な誘導や隠蔽はあるでしょうが、全く事実がなければ
権威そのものが失墜するので、大本営発表からでも得られる情報はあるわけですね
なので、これら以外の情報はあくまでメタ情報の部分として全体から方向を掴む程度で利用、
面白いけど事実とはまったく関係がないという前提を常に意識しておこうと思っています
