醸造酒
2025年05月29日
ひさしぶりの「野外」キャンプ!!!
5月26日から一泊、ひさしぶりの「野外キャンプ」を楽しんでました
そう、最近は「屋内キャンプ」ばかりで「野外キャンプ」は今年はじめてでした!!!
場所は何度かお世話になっている「いずみの国の自然館」の園庭で、イベントのない平日など、
事前に日程調整すれば(会員同伴での)貸切キャンプが楽しめるのであります
つーことで、

キャンプチェアのサイドテーブルにしてるのが、新しくできたピザ窯・・・
そう、今回はこれでピザを焼いて、ばくばくごくごくしつつ、川辺でホタル観賞しようとゆー、
何とも贅沢な自然観察キャンプ宴会だったのでありますね
当日4時に近くのスーパーに集合して参加者全員で買い出し・・・の予定だったのですが、
(一刻も早く飲みたい)わたくしは2時半に現地に到着し、まずは・・・

ぷしゅ、ごきゅごきゅごきゅ、ぷはあ、しあわせじゃあ
ま、最近は約半世紀におよぶ学習効果により、あまり泥酔しないうちに・・・


テントを張って寝床を確保しています・・・そう、これぞホモ・サピエンスの進化!!!
これでいくら飲んでも、いつでも倒れ込むことができるのでありますね
(泥酔してからのテント設営やミニベロ折りたたみでは何度も苦い学習を・・・
)
と、さらにまったりと一人宴会を楽しみ・・・


3缶めを開ける頃には、スーパーでの買い出しを終えた皆さんも到着して・・・




てきぱきとピザや焼き物の準備をはじめておられました
「まあまあ、そんなことより、まずは乾杯ですよ、ひっく・・・
」
「それもそうですね、じゅるじゅる・・・
」
と、近くの働き者を捉えては、次々と「悪魔の囁き」で誘惑・・・


「ぷしゅ、くはあ、しあわせじゃあ」
鍋具材も買ってくれてたので、わたくしが以前お土産にいただいてた、

本場の「醇香牛油火鍋底料2~3人前」なるものを投入・・・

さすがに規定分量ではまだまだ辛すぎたので・・・

倍以上に水増ししましたが、それでも思わずむせかえる辛さでした
ま、その後は皆さんが慣れてきた、つーか、花椒で口中感覚が麻痺してきた、つーか、
最終的には、ほぼ完食できたので、まずはめでたしめでたし・・・ひいひい
って、皆さん、その後お元気ですかぁ?
やがて、


ピザも次々と焼けてきて・・・

焼き鳥や厚揚げなどの焼き物も次々と・・・ばくばく、ごくごく

素材からすべて自家製の漬物も美味しくいただきました ぽりぽり、ごくごく

わたくしが4缶めを空ける頃には・・・

すっかり日も暮れてきて、すっかり出来上がり・・・

ややまろやかになった火鍋の〆麺を食べてるとトノサマガエルが鳴きはじめ、
ふらふらと水槽へ・・・

今はすっかり少なくなったそうで、オオムラサキ同様に大切に育てているとのこと、

わたくしも撮影・録音のお手伝い、つーか邪魔をして遊んでたようです
やがて川辺から子どもたちの歓声が聞こえたので行ってみると家族連れのホタル狩りでした
まだ数は少なかったものの何匹かが川面を飛んでて、6月初旬からがピークとのこと
わたくしが小学校低学年の頃までは、この川の下流でもホタル狩りが楽しめたのですが、
以後は全く見かけなくなってたのが「テクノステージ」開発に伴う水辺環境の再整備や、
皆さんの努力でホタルも蘇りつつあるのでしょう・・・さすがに撮れませんでしたが・・・
と、その後わたくしはテントに倒れ込み???90分ほど爆睡してた???・・・ようですが、
目覚めてみると・・・

恒例の焚火がはじまってました
この夜の予想最低気温は12℃でしたが酔い覚めには寒く感じ、薄いダウンを着ても、

焚火と黒霧島のお湯割りがありがたかったですねえ
ほかほか、ごくごく
とダベり続け日付が変わる前には皆さん就寝、わたくしも同時刻にテントに入ったのですが、
例によって、きっかり90分後にまた目覚め・・・


残り物で持参したブラックニッカ・クリアなんぞをちびちび、また一人宴会を楽しみ、
持参した〆のざる蕎麦を食べてテントに入ったのは・・・おそらく4時半ぐらい???
(さすがに画像は残ってませんでした
)
翌朝は7時過ぎに起床、皆さんが用意してくれてた熱いコーヒーとパン・ゆで卵・バナナで
まったりと朝食、その後もダベリつつ、まったりとごみを片付け、まったりと撤収・・・
そう、


バナナの皮や卵の殻など生ごみだけはコンポストへ、他のごみは分別して持ち帰るのが
ここのマナーなのでありますね~来たときよりも美しく~
と、今回は10時前に解散しましたが、わたくし以外の4人は車中泊でした・・・
・・・と書くのが果たして正しいのかどーか???
そう、こちらを・・・

車中泊とすべきか、テント泊とすべきか、
荷台も車中なら車中テント泊とすべきか・・・とか大いに悩みつつ・・・
ともかく・・・

今回もお世話になりました
じつに楽しかったです
そう、最近は「屋内キャンプ」ばかりで「野外キャンプ」は今年はじめてでした!!!
場所は何度かお世話になっている「いずみの国の自然館」の園庭で、イベントのない平日など、
事前に日程調整すれば(会員同伴での)貸切キャンプが楽しめるのであります
つーことで、

キャンプチェアのサイドテーブルにしてるのが、新しくできたピザ窯・・・
そう、今回はこれでピザを焼いて、ばくばくごくごくしつつ、川辺でホタル観賞しようとゆー、
何とも贅沢な自然観察キャンプ宴会だったのでありますね

当日4時に近くのスーパーに集合して参加者全員で買い出し・・・の予定だったのですが、
(一刻も早く飲みたい)わたくしは2時半に現地に到着し、まずは・・・

ぷしゅ、ごきゅごきゅごきゅ、ぷはあ、しあわせじゃあ

ま、最近は約半世紀におよぶ学習効果により、あまり泥酔しないうちに・・・


テントを張って寝床を確保しています・・・そう、これぞホモ・サピエンスの進化!!!
これでいくら飲んでも、いつでも倒れ込むことができるのでありますね
(泥酔してからのテント設営やミニベロ折りたたみでは何度も苦い学習を・・・

と、さらにまったりと一人宴会を楽しみ・・・


3缶めを開ける頃には、スーパーでの買い出しを終えた皆さんも到着して・・・




てきぱきとピザや焼き物の準備をはじめておられました
「まあまあ、そんなことより、まずは乾杯ですよ、ひっく・・・

「それもそうですね、じゅるじゅる・・・

と、近くの働き者を捉えては、次々と「悪魔の囁き」で誘惑・・・



「ぷしゅ、くはあ、しあわせじゃあ」
鍋具材も買ってくれてたので、わたくしが以前お土産にいただいてた、

本場の「醇香牛油火鍋底料2~3人前」なるものを投入・・・

さすがに規定分量ではまだまだ辛すぎたので・・・

倍以上に水増ししましたが、それでも思わずむせかえる辛さでした
ま、その後は皆さんが慣れてきた、つーか、花椒で口中感覚が麻痺してきた、つーか、
最終的には、ほぼ完食できたので、まずはめでたしめでたし・・・ひいひい
って、皆さん、その後お元気ですかぁ?

やがて、


ピザも次々と焼けてきて・・・

焼き鳥や厚揚げなどの焼き物も次々と・・・ばくばく、ごくごく

素材からすべて自家製の漬物も美味しくいただきました ぽりぽり、ごくごく

わたくしが4缶めを空ける頃には・・・

すっかり日も暮れてきて、すっかり出来上がり・・・

ややまろやかになった火鍋の〆麺を食べてるとトノサマガエルが鳴きはじめ、
ふらふらと水槽へ・・・

今はすっかり少なくなったそうで、オオムラサキ同様に大切に育てているとのこと、

わたくしも撮影・録音のお手伝い、つーか邪魔をして遊んでたようです

やがて川辺から子どもたちの歓声が聞こえたので行ってみると家族連れのホタル狩りでした
まだ数は少なかったものの何匹かが川面を飛んでて、6月初旬からがピークとのこと
わたくしが小学校低学年の頃までは、この川の下流でもホタル狩りが楽しめたのですが、
以後は全く見かけなくなってたのが「テクノステージ」開発に伴う水辺環境の再整備や、
皆さんの努力でホタルも蘇りつつあるのでしょう・・・さすがに撮れませんでしたが・・・
と、その後わたくしはテントに倒れ込み???90分ほど爆睡してた???・・・ようですが、
目覚めてみると・・・

恒例の焚火がはじまってました
この夜の予想最低気温は12℃でしたが酔い覚めには寒く感じ、薄いダウンを着ても、

焚火と黒霧島のお湯割りがありがたかったですねえ

とダベり続け日付が変わる前には皆さん就寝、わたくしも同時刻にテントに入ったのですが、
例によって、きっかり90分後にまた目覚め・・・


残り物で持参したブラックニッカ・クリアなんぞをちびちび、また一人宴会を楽しみ、
持参した〆のざる蕎麦を食べてテントに入ったのは・・・おそらく4時半ぐらい???
(さすがに画像は残ってませんでした

翌朝は7時過ぎに起床、皆さんが用意してくれてた熱いコーヒーとパン・ゆで卵・バナナで
まったりと朝食、その後もダベリつつ、まったりとごみを片付け、まったりと撤収・・・
そう、


バナナの皮や卵の殻など生ごみだけはコンポストへ、他のごみは分別して持ち帰るのが
ここのマナーなのでありますね~来たときよりも美しく~
と、今回は10時前に解散しましたが、わたくし以外の4人は車中泊でした・・・
・・・と書くのが果たして正しいのかどーか???
そう、こちらを・・・

車中泊とすべきか、テント泊とすべきか、
荷台も車中なら車中テント泊とすべきか・・・とか大いに悩みつつ・・・

ともかく・・・

今回もお世話になりました


2025年05月24日
「食料自給率と安全保障」より一部メモ
とーとつですが・・・わたくし麺類とご飯類が大好きであります
ラーメンと炒飯、うどんと丼物、蕎麦と寿司、パスタとライスドリアなどなど・・・
つーことで最近のコメ騒動もあり、今回は穀物系の食の安全保障についてメモしてみました
三菱総研の2024.6.5コラム
「食料自給率向上」は政策目標として適切か?食料自給率と安全保障 第5回 | 食料自給率と安全保障 | MRI 三菱総合研究所
などからのメモです
(著作物を参考にした個人メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)

ラーメンと炒飯、うどんと丼物、蕎麦と寿司、パスタとライスドリアなどなど・・・

つーことで最近のコメ騒動もあり、今回は穀物系の食の安全保障についてメモしてみました
三菱総研の2024.6.5コラム
「食料自給率向上」は政策目標として適切か?食料自給率と安全保障 第5回 | 食料自給率と安全保障 | MRI 三菱総合研究所
などからのメモです
(著作物を参考にした個人メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・現時点では日本の食料安全保障上の問題は大きくはない(世界第6位で極めて高い水準)
⇒(国内生産か輸入かは別として)多くの人が2,265kcal/人/日のカロリーを多様な食品から摂取できており、
それを一人あたり1日359円のコストで実現できているから高い水準(食料自給率からではない)
⇒(国内生産か輸入かは別として)多くの人が2,265kcal/人/日のカロリーを多様な食品から摂取できており、
それを一人あたり1日359円のコストで実現できているから高い水準(食料自給率からではない)
・なので日本の食料安全保障は(自給率の目標設定や達成ではなく)この現状をいかに維持するかということ
⇒輸入や国内生産の将来の見通しを確認し、想定されるリスクに対する対応策を考えていくこと
・日本の食糧供給は①②③が支えている
①国内生産による調達(カロリーベースで40%金額ベースで60%)
②輸入による調達(カロリーベースで60%金額ベースで40%)
③小売り・物流などの(全国津々浦々を張り巡らした)フードサプライチェーンの確立
(つまり①と②のバランス(自給率)を考えることが食の安全保障ではなく、現在はまだ機能している、
①②③それぞれの将来見込みや問題点を分析、そのリスクへの対応策を考えることが食の安全保障?)
・・・(今回のコメ騒動について途中追記)・・・
A2023年産の作況は101と平年並みだったものの、北陸東北地方を中心に酷暑の影響でコメの品質が大きく低下、
先行き懸念から価格が上昇しはじめ、4月以降はメディアも大きく取り上げはじめた
B2024年8月の台風頻発と南海トラフ地震情報で買い溜め・品切れの連鎖が始まった
(多くの世帯が災害不安や値上げ不安から多めに買えば需要が急増して一時的に品切れになり連鎖に)
といったことが三菱総研のコラムでは発端とされてましたが・・・
C2023年産の作況が農林水産省の(人員削減により間接調査になった)調査報告より実際には少なかった?
②輸入による調達(カロリーベースで60%金額ベースで40%)
③小売り・物流などの(全国津々浦々を張り巡らした)フードサプライチェーンの確立
(つまり①と②のバランス(自給率)を考えることが食の安全保障ではなく、現在はまだ機能している、
①②③それぞれの将来見込みや問題点を分析、そのリスクへの対応策を考えることが食の安全保障?)
・・・(今回のコメ騒動について途中追記)・・・
A2023年産の作況は101と平年並みだったものの、北陸東北地方を中心に酷暑の影響でコメの品質が大きく低下、
先行き懸念から価格が上昇しはじめ、4月以降はメディアも大きく取り上げはじめた
B2024年8月の台風頻発と南海トラフ地震情報で買い溜め・品切れの連鎖が始まった
(多くの世帯が災害不安や値上げ不安から多めに買えば需要が急増して一時的に品切れになり連鎖に)
といったことが三菱総研のコラムでは発端とされてましたが・・・
C2023年産の作況が農林水産省の(人員削減により間接調査になった)調査報告より実際には少なかった?
D農家と消費者との直接取引などサプライチェーン以外での取引が増えて流通量が減っている?
Eコメのサプライチェーン(集荷とか卸とか小売りとか)自体に問題があり連鎖で一気に表面化した?
といったハナシもネット上では見かけます
もしCDEが原因なら一時的な問題ではないので安全保障上の見直しが必要なのではないか?
さらにこれらはコメの関税をなくして輸入を増やせば一気に解決する?⇒それで稲作農家は全滅する?)
・・・(途中追記ここまで)・・・
Eコメのサプライチェーン(集荷とか卸とか小売りとか)自体に問題があり連鎖で一気に表面化した?
といったハナシもネット上では見かけます
もしCDEが原因なら一時的な問題ではないので安全保障上の見直しが必要なのではないか?
さらにこれらはコメの関税をなくして輸入を増やせば一気に解決する?⇒それで稲作農家は全滅する?)
・・・(途中追記ここまで)・・・
・すべての(大豆を含む)穀物系の国内需要を国内生産で賄うことは不可能
⇒コメは消費量のほぼ全てが国内生産で賄われている(年間約700万トン)が、それ以外の大豆を含む穀物の需要、
小麦635万トン、大豆335万トン、トウモロコシ1,600万トンの合計2,570万トンのうち2,430万トンが輸入
小麦635万トン、大豆335万トン、トウモロコシ1,600万トンの合計2,570万トンのうち2,430万トンが輸入
(国内需要合計は国内生産のコメ約700万トン+その他約140万トン+輸入約2,430万トンで約3,300万トン)
(ちなみにトウモロコシの3分の2以上は飼料用、需要合計に廃棄量が多いことも課題)
⇒野菜の輸入は300万トン、肉の輸入は250万トンなので量的にいえば圧倒的に穀物系の輸入が多い
・穀物系について輸入先をみると、小麦は米国・カナダ・豪州の3カ国でほぼ100%、大豆は米国とカナダで85%以上
(残りのうち10%以上がブラジル)、トウモロコシは全体の3分の2が米国、残り3分の1がほぼブラジルからの輸入
⇒すなわち大豆を含む日本の穀物の輸入先は米国・カナダ・豪州・ブラジルの友好国4カ国でほぼ100%
・生産量の過半以上を輸出に回している友好国4カ国が(国際的な大騒乱または大規模な気候変動などによる
生産量の半減がない限り)日本への輸出を止めることは、ほぼ考えられない
(ただし食料安全保障では、この大騒乱リスクや半減リスクへの対応策も考えておく)
(ただし食料安全保障では、この大騒乱リスクや半減リスクへの対応策も考えておく)
・国内で穀物を最も生産できていた昭和30年代後半から40年代頃でも国内生産量は合計1,600万トン程度、
しかも当時の農地は600万haと今の1.5倍以上あった
⇒現状の穀物需要3,300万トンの大半を国内生産(自給)しようとしても、どだい無理な話
・なので食料輸入を維持し続けることも日本の食料安全保障には非常に重要な要素
⇒世界から現状のような食料輸入を維持するためには以下の2点が不可欠
(1)世界の食料生産と供給システム(農業生産と食料貿易)が安定的に機能していること
(1)世界の食料生産と供給システム(農業生産と食料貿易)が安定的に機能していること
(2)日本(日本人)に一定の経済力があること
・20~30年後の中長期の状況では①(国内生産による調達)が現状の半分程度になっている可能性が高い
⇒ただし、それだけでは食料危機は発生しない
⇒(1)世界の食料供給が潤沢で(2)日本の経済力が相当程度あれば、世界から百万トン単位で穀物などを
追加的に購入することは不可能ではないから
・20~30年後の中長期の状況では①(国内生産による調達)が現状の半分程度になっている可能性が高い
⇒ただし、それだけでは食料危機は発生しない
⇒(1)世界の食料供給が潤沢で(2)日本の経済力が相当程度あれば、世界から百万トン単位で穀物などを
追加的に購入することは不可能ではないから
・ところが現状のトレンドから(2)日本の相対的な経済力の低下は円安傾向を現状以上に強める可能性がある
⇒今の国際的な食料調達競争での買い負け現象が、さらに一般食材まで波及する可能性がある
・さらに(1)世界の食料生産が気候変動などにより大きく不安定化しているとしたら世界全体で食料価格が急騰し、
国際市場から追加的な食料輸入をすることが難しくなる
⇒この場合でも全体の変化が「じわじわと」起こってくれれば、ある程度の対応は可能
⇒日本の経済力が低下して世界の農産物価格が上昇すれば内外価格差が縮小し相対的に日本国内で農業生産が
しやすくなっている可能性も高いから
(確かに輸入品が国際価格上昇と円安でじわじわ高くなれば、国内生産にじわじわシフトしていくかもですね)
・日本の食料安全保障で一番問題なのは、国内生産力や日本全体の経済力の低下がじわじわと続いて
結果として大きく弱体化している状況で、国際的な大騒乱や大規模な気候変動などで世界全体での食料生産や
供給システムが大きく毀損されるような事態が「急激に」発生する場合
⇒国内に再生産力がない中で世界食料危機が発生することになるから(これが最悪のシナリオ)
(この最悪のシナリオへの対応策)
・世界の農業生産や貿易環境が中長期的にどのように変化するかは誰にもわからない
・日本がコントロールできる要因は多くはない。
⇒日本の農業政策でできること(やるべきこと)は「農業生産基盤の毀損をなんとか食い止めておくこと」だけ
(この最悪のシナリオへの対応策)
・世界の農業生産や貿易環境が中長期的にどのように変化するかは誰にもわからない
・日本がコントロールできる要因は多くはない。
⇒日本の農業政策でできること(やるべきこと)は「農業生産基盤の毀損をなんとか食い止めておくこと」だけ
⇒農地や農業経営人材など農業生産の基盤となるリソースは一度毀損されてしまうと一朝一夕で回復できないから
⇒主食となる穀物類を植物工場などで工業製品的に生産することは(まだまだ)不可能であり、大地の上で
農地を使って1年1作(多くても2作程度)で生産するしかない
・なので「不測事態への対処としての食料安全保障」を担保する最重要要素は(食料自給率のアップではなく)
「農地の維持・確保」と、その農地を活かす「農業経営体・人材の確保」
⇒この2つが緊急事態への備えとして最も重要な政策目標KPI(重点とすべき目標指標)となる
⇒ところが緊急事態だけに対応した経営体・人材の確保など、できないことは明らか
⇒なので、それらの経営体・人材を産業にひきとめておくだけの農業生産額(一義的には付加価値額・
その代理変数としての生産額)がもう1つの最重要KPIとなる
(食の安全保障としては穀物系または穀物系に転換できる農地・経営体・人材を常に確保しておくこと?)
(輸入が止まった際に最低限の穀物系を国内で再生産できるだけの農地・経営体・人材の常時確保?)
⇒主食となる穀物類を植物工場などで工業製品的に生産することは(まだまだ)不可能であり、大地の上で
農地を使って1年1作(多くても2作程度)で生産するしかない
・なので「不測事態への対処としての食料安全保障」を担保する最重要要素は(食料自給率のアップではなく)
「農地の維持・確保」と、その農地を活かす「農業経営体・人材の確保」
⇒この2つが緊急事態への備えとして最も重要な政策目標KPI(重点とすべき目標指標)となる
⇒ところが緊急事態だけに対応した経営体・人材の確保など、できないことは明らか
⇒なので、それらの経営体・人材を産業にひきとめておくだけの農業生産額(一義的には付加価値額・
その代理変数としての生産額)がもう1つの最重要KPIとなる
(食の安全保障としては穀物系または穀物系に転換できる農地・経営体・人材を常に確保しておくこと?)
(輸入が止まった際に最低限の穀物系を国内で再生産できるだけの農地・経営体・人材の常時確保?)
(そのための政策目標としては(食料自給率ではなく)経営体・人材をひきとめておくだけの農業生産額?)
(農業に経営体・人材をひきとめておくだけの生産額?⇒儲かる農業?⇒集約化?法人化?大規模化?)
(農業に経営体・人材をひきとめておくだけの生産額?⇒儲かる農業?⇒集約化?法人化?大規模化?)
・・・(5/25途中追記・ヤフーニュースより一部抜粋)・・・
農業経済学を専門とする宇都宮大学の小川真如助教は、(稲作の大規模化への)変化は米農家の姿を変える
可能性があると指摘する。
可能性があると指摘する。
「北海道、秋田、新潟など平地が多く規模拡大しやすい場所での米の生産量が増える。
大規模化で生産コストが下がり農家も儲けを出していけるし米の自給も維持できる。
その反面、このままでは山の斜面などにつくられた小さな田んぼは今後担い手がいなくなると思います」
「令和の百姓一揆実行委員会」代表の菅野芳秀さんもそうした日本の農業の変化に懸念を示す。
「平地で近代的な機械を使った工業的農業生産は可能かもしれないが、圧倒的多数の中山間地ではできない。
家族農家が隅々まで植えてきた田んぼはなくなりつつある。これで国民の米需要に応えられるとは思わない。」
大規模化で生産コストが下がり農家も儲けを出していけるし米の自給も維持できる。
その反面、このままでは山の斜面などにつくられた小さな田んぼは今後担い手がいなくなると思います」
「令和の百姓一揆実行委員会」代表の菅野芳秀さんもそうした日本の農業の変化に懸念を示す。
「平地で近代的な機械を使った工業的農業生産は可能かもしれないが、圧倒的多数の中山間地ではできない。
家族農家が隅々まで植えてきた田んぼはなくなりつつある。これで国民の米需要に応えられるとは思わない。」
経済的な合理性を考えると、米づくりは大規模化するほうが利益を得やすく持続的に思える。
だが、それだけの理由で小規模農家をなくしてよいのだろうか。
小規模な農家は長年、日本の食料を支えるだけでなく国土の保全などの役割も担ってきた。
小規模農家をなくしてしまった先に日本の繁栄はあるのだろうか。
日本の農業の方向性が問われている。 荒舩良孝/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部より
だが、それだけの理由で小規模農家をなくしてよいのだろうか。
小規模な農家は長年、日本の食料を支えるだけでなく国土の保全などの役割も担ってきた。
小規模農家をなくしてしまった先に日本の繁栄はあるのだろうか。
日本の農業の方向性が問われている。 荒舩良孝/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部より
・・・(途中追記ここまで)・・・
・日本の経済力を維持し続けることは食料安全保障上も重要
・海外からの安定調達という面から海外農業投資を進める国も増えてきている
⇒日本政府も、そういう発想での政策に検討の余地があるかもしれない
⇒政府レベルでの話ではなくとも、総合商社や食肉などの食品メーカーが海外の生産者とつながり、
サプライチェーンを構築して日本国向けの食料を調達していることは、海外からの安定調達という意味で、
食料安全保障上の意味合いも大きい
⇒こうした取り組みを官民挙げて総合的にデザインすることが求められている・・・
・・・さてさてどうするか・・・と以下に続きますが、とりあえずここまでで(農産物の)麦ジュースをば・・・

「食料安全保障」を脅かすリスクシナリオ食料自給率と安全保障 第6回 | 食料自給率と安全保障 | MRI 三菱総合研究所
基本計画に掲げるべき「KPI設定」の視点食料自給率と安全保障 第7回 | 食料自給率と安全保障 | MRI 三菱総合研究所
(ちなみに令和のコメ騒動については2025年1月からの以下の連載コラムもあります)
『令和のコメ騒動』(1)コメ高騰の歴史に学ぶ、今後の見通し 食料自給率と安全保障 第10回 | コラム | MRI 三菱総合研究所
『令和のコメ騒動』(2)コメ価格の一般的な決まり方 食料自給率と安全保障 第11回 | コラム | MRI 三菱総合研究所
『令和のコメ騒動』(3)コメ価格高騰の構造と備蓄米放出の意味 食料自給率と安全保障 第12回 | コラム | MRI 三菱総合研究所
『令和のコメ騒動』(4)令和のコメ騒動が暗示する政策課題の深層 食料自給率と安全保障 第13回 | コラム | MRI 三菱総合研究所
2025年03月18日
インバウンドで奈良観光???
3月13日、ひさしぶりに奈良公園や東大寺など奈良市内を観光してきました
しかもハイレベルな現地ガイド付きで富豪インバウンド客なみに
じつは高校1年で我が家にホームステイしてたタイからの留学生ペーンがドイツ人ニルスと結婚、
昨年11月に赤ちゃんが生まれ、育児休暇を利用した日本再訪に1日だけ同行した次第
東京のゲストハウスに1週間ほど滞在、7日と8日は京都市内の日本旅館泊で京都観光を楽しみ、
9日に大阪のゲストハウスに移動、1週間ほど滞在して17日に帰国のスケジュールでした
出産後にバンコクの実家に里帰りしていて今回は親子3人にタイのご両親という5人で、
わたくし「生まれて4ヶ月の赤ちゃんを連れて旅行しても大丈夫なの?」と訊ねたところ、
「悩んだけど今後は育児と仕事で忙しくなるし再訪できるのは今しかないと決めました」
とのことで、両親ともたっぷり育児休暇が取れるドイツならでは、なんでしょうね
と、前置きが長くなりましたが・・・
9時半に大阪メトロの最寄り駅で5人と合流して近鉄奈良駅まで案内・・・

ここで案内役を交代して・・・

奈良専門のボランティアガイドから、自作や非売品を含む案内資料を受け取ります
そう、わたくし厚かましくも奈良ソムリエ資格を持つ学生時代の友人のボランティアガイドに、
御一行の案内をお願いしてたのでありますね
事前の打ち合わせでは建築を専攻していたペーンの意向により、市内の古建築や庭園を巡る
ルートで下見して案内資料も作ってくれてたのですが、ペーンが京都で伏見稲荷に行った際に、
両親と赤ちゃんを連れて歩き回るのが大変だったようで、奈良公園と東大寺の大仏殿とゆー
お気楽ルートに、急きょ変更してもらった次第です
で、ペーンが鹿せんべいを買った途端・・・

シカさんに囲まれました
そーいやシカさんに囲まれ開いたカメラバッグに鹿せんべいを投げ込んだ輩がいたな
おかげでカメラレンズにシカさんの鼻マークがくっきりついてたけど楽しかったな
とシカさんに囲まれつつ奈良公園を抜けて・・・

平日でもインバウンド客でいっぱいの東大寺参道へ
上記リンク記事をアップした4年前はコロナ禍でほぼ無人だったんですが・・・
(南大門から先は持ち込み禁止の)鹿せんべいの残りをペーンが取り出すと、

ふたたびシカさんに囲まれてました

南大門であります
せっかくなので上記リンク記事にある4年前の画像も・・・


ほぼ同時刻ですが当時はインバウンド客も国内客も各1組だけでしたね・・・
懐かしいなあ、あれからもう4年か・・・
あの頃は少しは歩けてたのに今回はこの南大門を跨いだとたん筋肉痛に・・・ううっ
で、今回は、



拝観料をどどんと奮発して大仏殿へ・・・

世界最大級の木造建築ですが、最近ギネスに認定されたのは大阪万博の木造リング


八角燈籠やびんずる尊者など奈良ソムリエさんの詳しい説明を受けます
びんずる尊者は呑んだくれだったので中に入れてもらえず、ずっと軒先に置かれてるとか
こちらが奈良の大仏(廬舎那仏)であります

で、この大仏様の鼻の穴と同サイズにくり抜いたのが・・・

この柱の穴で、潜り抜けるといいことがあるとかで・・・
ニルスが並んでます

前の人はクリアしましたが・・・

ニルスはここまででギブアップしてました
大仏殿を廻るあいだも奈良ソムリエさんの説明は続きましたが、それまで通訳をしていたペーンが
お母さんを連れて文化センターで授乳中だったので、うちの奥様が日本語から怪しい英語へ、
さらにニルスがその怪しい英語から怪しいタイ語に翻訳してペーンのお父さんに伝えてたので、
果たしてどんな内容で伝わってたのか、不安でしゅが・・・
まあ、大仏殿の説明はネット検索でご覧いただくとして・・・
ペーンらと合流後は、お待ちかねの昼食であります




奈良ソムリエさんが僅かな待ち時間で席を確保してくれましたが、周辺の飲食店はどこも
インバウンド客でいっぱいでした
と、まったりと昼食後は、

せんとくんと記念撮影したり・・・

奈良最古(1894年)の洋式建築である奈良国立博物館本館(現在は仏像館)の説明を受け・・・

春の日差しにウトウトするシカさんを眺めつつ焼き芋を食べたり・・・

鹿鳴館に対応する関西の迎賓館として1908年に建てられた奈良ホテルを遠望しつつ・・・



興福寺南円堂の下から・・・

有名な餅屋さんを過ぎて・・・

南都銀行本店(1926年)の説明を受けました
その後ペーンは「ひがしむけ商店街」にある、

奈良県女性センターで再び授乳タイム・・・
その隣にあるのが・・・


隣接する興福寺に配慮して珍しい和風建築となった奈良基督教会(1930年)であります
で、授乳中ペーンのご両親とうちの奥様はショッピングに、その間に奈良ソムリエさんが
「試飲できる酒屋」を探してくれてて、授乳後に合流して・・・


ま、こちらも魅力的でしたが・・・
昨年できたばかりとゆーこちらのお店へ・・・

各種奈良酒販売とテイスティングバーをやってる店で酒ディプロマ常在とありました
さっそく、オススメをテイスティング

ペーンは授乳期間中で飲まなかったのですが本来は日本酒好きでニルスも大好きなので、
楽しんでましたが、この中で一番の日本酒通はやはり奈良ソムリエさんでしょう
で、ニルスお気に入りの1番と奈良ソムリエさんオススメの4番を、ワイン好きのニルスの
お父さんへのお土産用に買い求め、
最後に店の前で記念写真を撮ったのですが・・・


知らぬ間に「おたぬき姫」がカメラ目線に???
と、ここで案内いただいた奈良ソムリエさんと別れ近鉄奈良駅から無事帰阪した次第です
奈良ソムリエさんには下見や資料作成やルート変更など何から何までお世話になりました
メンバー全員(赤ちゃんを除く
)から再度感謝を伝えておいて下さいとのことでした
ま、ドイツへのお土産用に買ったお酒は、託送荷物がすでにいっぱいだったため、



翌日、翌々日のゲストハウスでの鍋宴会で美味しくいただきましたとさ
どっとはらい
しかもハイレベルな現地ガイド付きで富豪インバウンド客なみに

じつは高校1年で我が家にホームステイしてたタイからの留学生ペーンがドイツ人ニルスと結婚、
昨年11月に赤ちゃんが生まれ、育児休暇を利用した日本再訪に1日だけ同行した次第
東京のゲストハウスに1週間ほど滞在、7日と8日は京都市内の日本旅館泊で京都観光を楽しみ、
9日に大阪のゲストハウスに移動、1週間ほど滞在して17日に帰国のスケジュールでした
出産後にバンコクの実家に里帰りしていて今回は親子3人にタイのご両親という5人で、
わたくし「生まれて4ヶ月の赤ちゃんを連れて旅行しても大丈夫なの?」と訊ねたところ、
「悩んだけど今後は育児と仕事で忙しくなるし再訪できるのは今しかないと決めました」
とのことで、両親ともたっぷり育児休暇が取れるドイツならでは、なんでしょうね

と、前置きが長くなりましたが・・・
9時半に大阪メトロの最寄り駅で5人と合流して近鉄奈良駅まで案内・・・

ここで案内役を交代して・・・

奈良専門のボランティアガイドから、自作や非売品を含む案内資料を受け取ります
そう、わたくし厚かましくも奈良ソムリエ資格を持つ学生時代の友人のボランティアガイドに、
御一行の案内をお願いしてたのでありますね

事前の打ち合わせでは建築を専攻していたペーンの意向により、市内の古建築や庭園を巡る
ルートで下見して案内資料も作ってくれてたのですが、ペーンが京都で伏見稲荷に行った際に、
両親と赤ちゃんを連れて歩き回るのが大変だったようで、奈良公園と東大寺の大仏殿とゆー
お気楽ルートに、急きょ変更してもらった次第です

で、ペーンが鹿せんべいを買った途端・・・

シカさんに囲まれました

そーいやシカさんに囲まれ開いたカメラバッグに鹿せんべいを投げ込んだ輩がいたな

おかげでカメラレンズにシカさんの鼻マークがくっきりついてたけど楽しかったな

とシカさんに囲まれつつ奈良公園を抜けて・・・

平日でもインバウンド客でいっぱいの東大寺参道へ
上記リンク記事をアップした4年前はコロナ禍でほぼ無人だったんですが・・・
(南大門から先は持ち込み禁止の)鹿せんべいの残りをペーンが取り出すと、

ふたたびシカさんに囲まれてました


南大門であります
せっかくなので上記リンク記事にある4年前の画像も・・・


ほぼ同時刻ですが当時はインバウンド客も国内客も各1組だけでしたね・・・
懐かしいなあ、あれからもう4年か・・・
あの頃は少しは歩けてたのに今回はこの南大門を跨いだとたん筋肉痛に・・・ううっ

で、今回は、



拝観料をどどんと奮発して大仏殿へ・・・

世界最大級の木造建築ですが、最近ギネスに認定されたのは大阪万博の木造リング



八角燈籠やびんずる尊者など奈良ソムリエさんの詳しい説明を受けます
びんずる尊者は呑んだくれだったので中に入れてもらえず、ずっと軒先に置かれてるとか

こちらが奈良の大仏(廬舎那仏)であります

で、この大仏様の鼻の穴と同サイズにくり抜いたのが・・・

この柱の穴で、潜り抜けるといいことがあるとかで・・・
ニルスが並んでます


前の人はクリアしましたが・・・

ニルスはここまででギブアップしてました

大仏殿を廻るあいだも奈良ソムリエさんの説明は続きましたが、それまで通訳をしていたペーンが
お母さんを連れて文化センターで授乳中だったので、うちの奥様が日本語から怪しい英語へ、
さらにニルスがその怪しい英語から怪しいタイ語に翻訳してペーンのお父さんに伝えてたので、
果たしてどんな内容で伝わってたのか、不安でしゅが・・・

まあ、大仏殿の説明はネット検索でご覧いただくとして・・・
ペーンらと合流後は、お待ちかねの昼食であります





奈良ソムリエさんが僅かな待ち時間で席を確保してくれましたが、周辺の飲食店はどこも
インバウンド客でいっぱいでした
と、まったりと昼食後は、

せんとくんと記念撮影したり・・・

奈良最古(1894年)の洋式建築である奈良国立博物館本館(現在は仏像館)の説明を受け・・・

春の日差しにウトウトするシカさんを眺めつつ焼き芋を食べたり・・・

鹿鳴館に対応する関西の迎賓館として1908年に建てられた奈良ホテルを遠望しつつ・・・



興福寺南円堂の下から・・・

有名な餅屋さんを過ぎて・・・

南都銀行本店(1926年)の説明を受けました
その後ペーンは「ひがしむけ商店街」にある、

奈良県女性センターで再び授乳タイム・・・
その隣にあるのが・・・


隣接する興福寺に配慮して珍しい和風建築となった奈良基督教会(1930年)であります
で、授乳中ペーンのご両親とうちの奥様はショッピングに、その間に奈良ソムリエさんが
「試飲できる酒屋」を探してくれてて、授乳後に合流して・・・


ま、こちらも魅力的でしたが・・・

昨年できたばかりとゆーこちらのお店へ・・・


各種奈良酒販売とテイスティングバーをやってる店で酒ディプロマ常在とありました
さっそく、オススメをテイスティング


ペーンは授乳期間中で飲まなかったのですが本来は日本酒好きでニルスも大好きなので、
楽しんでましたが、この中で一番の日本酒通はやはり奈良ソムリエさんでしょう

で、ニルスお気に入りの1番と奈良ソムリエさんオススメの4番を、ワイン好きのニルスの
お父さんへのお土産用に買い求め、
最後に店の前で記念写真を撮ったのですが・・・


知らぬ間に「おたぬき姫」がカメラ目線に???
と、ここで案内いただいた奈良ソムリエさんと別れ近鉄奈良駅から無事帰阪した次第です
奈良ソムリエさんには下見や資料作成やルート変更など何から何までお世話になりました
メンバー全員(赤ちゃんを除く


ま、ドイツへのお土産用に買ったお酒は、託送荷物がすでにいっぱいだったため、



翌日、翌々日のゲストハウスでの鍋宴会で美味しくいただきましたとさ

2025年01月18日
バルセロナで一番おいしいパエリア!!!
とーとつですが・・・
バルセロナで一番おいしいパエリア!!!
つーことで水曜日、すっかり高齢恒例になった、もと職場の同期会で楽しんできました
わたくし大阪駅の西側エリアは中央郵便局がJPタワーになってから初めてだったので、
まずはそのあたりの様子からメモ・・・

西梅田駅から西への地下通路ができてたのね・・・

で、すぐにJPタワー方面への案内があり、

見上げれば高いビル・・・

JPタワー内のKITTE OSAKAに入り、ビル地下を縦断して地上に上がれば、


大阪駅西口に直結するINOGATE OSAKAイノゲート大阪へ・・・
で、

その2階から5階までが「おっさん(03)をはじめとするすべてのオフィスワーカー向けに、
大阪の老舗や路地裏の名店から海外の有名レストランまで大集結した」とゆー、
「バルチカ03(おっさん)」なのでありますね
と、迷う覚悟で早めに出たら早く着いたので、ちと付近を散策・・・




梅田スカイビルまでの北側エリアも西側エリアもどんどん変わってきてますね
もとは鉄道貨物などの物流拠点、さらに昔は大阪七墓のひとつだったのですが・・・
自由に鑑賞できるアート作品も・・・


いくつかあるようですが・・・
ま、ひとつだけ・・・

で、バルチカ03(おっさん)の3階に上がれば・・・

確かに大阪の老舗バー「サンボア」も入ってました
ちなみに帰りがけに二次会と称し、ここでさらに飲んだくれた輩もいたようです
で、こちらが「バルセロナで一番おいしいパエリア」とゆーお店・・・



チリンギート・エスクリバであります
バルセロナと東京にしかなかったのが今回はじめて大阪にも出店したのだとか・・・
ま、おっさん(おばはん)の泥酔画像をアップしても当サイトのアクセス数が落ちるだけなので、
以下てきとーにコース料理のみ、さくさくっとご紹介
日本人らしく、まずはセルベッサ(スーパードライ)で乾杯して、

スペイン産オリーブのシトラスマリネ

イベリコ豚の生ハムとクリスピーブレッドの「エアバッグ」


フレッシュマッシュルームのサラダ

ピンボケですが
トラウトサーモンマリネとマイクロセロリ

芳酵アボガドのワカモレディップとトルティーヤチップス

ここらあたりでスパークリングワインに切り替えて・・・
そーいや「本日のサングリア」を頼むのを忘れてたな うぐぐぐ

フライドポテトのブラバスとアイオリソース添え「バタータスブラバス」


海老のアヒージョ
などタパスやピンチョスをたっぷり味わったところで、いよいよシメつーかメインの・・・

「バルセロナで一番おいしい」パエリアであります
わたくしバルセロナではパエリアを食べる機会がなく、期待してたのでありますね
今回のメンバーは6人、2~3人でシェアするスタイルだったので・・・

オーソドックスなミックス・パエリアと、

イカスミ・パエリアの2種類にしました
とーぜん、どちらも6人で仲良く?シェアしあって

完食であります・・・げふっ
「本日のサングリア」を忘れてたのは残念でしたが、じつに楽しかったです
で、セルベッサとスパークリングワイン数杯だけですっかり出来上がったわたくし、
往路は30分ちょいで着いたのに、帰路は(四つ橋線往復も含め
)約4倍の時間を要し、
帰宅したのは「サンボア」で飲み続けてた3人と変わらなかったようです
加齢とともに酔いやすくなるそうですが、わたくしの場合は飲むと歩くのがつらい状態が
常態化しており、お店で飲んで帰宅するのがますます困難になってきてますね
それでも、たまには街に出て飲みたいのですが、自転車は昨年11月から飲酒運転の取り締まりが
さらに厳しくなったようだし、電車がある時間帯にタクシーつーのも抵抗があるし・・・
さてさて、どうしたものか???
バルセロナで一番おいしいパエリア!!!
つーことで水曜日、すっかり
わたくし大阪駅の西側エリアは中央郵便局がJPタワーになってから初めてだったので、
まずはそのあたりの様子からメモ・・・

西梅田駅から西への地下通路ができてたのね・・・

で、すぐにJPタワー方面への案内があり、

見上げれば高いビル・・・

JPタワー内のKITTE OSAKAに入り、ビル地下を縦断して地上に上がれば、


大阪駅西口に直結するINOGATE OSAKAイノゲート大阪へ・・・
で、

その2階から5階までが「おっさん(03)をはじめとするすべてのオフィスワーカー向けに、
大阪の老舗や路地裏の名店から海外の有名レストランまで大集結した」とゆー、
「バルチカ03(おっさん)」なのでありますね

と、迷う覚悟で早めに出たら早く着いたので、ちと付近を散策・・・




梅田スカイビルまでの北側エリアも西側エリアもどんどん変わってきてますね
もとは鉄道貨物などの物流拠点、さらに昔は大阪七墓のひとつだったのですが・・・
自由に鑑賞できるアート作品も・・・


いくつかあるようですが・・・
ま、ひとつだけ・・・

で、バルチカ03(おっさん)の3階に上がれば・・・

確かに大阪の老舗バー「サンボア」も入ってました

ちなみに帰りがけに二次会と称し、ここでさらに飲んだくれた輩もいたようです

で、こちらが「バルセロナで一番おいしいパエリア」とゆーお店・・・



チリンギート・エスクリバであります
バルセロナと東京にしかなかったのが今回はじめて大阪にも出店したのだとか・・・
ま、おっさん(おばはん)の泥酔画像をアップしても当サイトのアクセス数が落ちるだけなので、
以下てきとーにコース料理のみ、さくさくっとご紹介
日本人らしく、まずはセルベッサ(スーパードライ)で乾杯して、

スペイン産オリーブのシトラスマリネ

イベリコ豚の生ハムとクリスピーブレッドの「エアバッグ」


フレッシュマッシュルームのサラダ

ピンボケですが


芳酵アボガドのワカモレディップとトルティーヤチップス

ここらあたりでスパークリングワインに切り替えて・・・
そーいや「本日のサングリア」を頼むのを忘れてたな うぐぐぐ

フライドポテトのブラバスとアイオリソース添え「バタータスブラバス」


海老のアヒージョ
などタパスやピンチョスをたっぷり味わったところで、いよいよシメつーかメインの・・・

「バルセロナで一番おいしい」パエリアであります

わたくしバルセロナではパエリアを食べる機会がなく、期待してたのでありますね

今回のメンバーは6人、2~3人でシェアするスタイルだったので・・・

オーソドックスなミックス・パエリアと、

イカスミ・パエリアの2種類にしました
とーぜん、どちらも6人で仲良く?シェアしあって

完食であります・・・げふっ
「本日のサングリア」を忘れてたのは残念でしたが、じつに楽しかったです
で、セルベッサとスパークリングワイン数杯だけですっかり出来上がったわたくし、
往路は30分ちょいで着いたのに、帰路は(四つ橋線往復も含め

帰宅したのは「サンボア」で飲み続けてた3人と変わらなかったようです
加齢とともに酔いやすくなるそうですが、わたくしの場合は飲むと歩くのがつらい状態が
常態化しており、お店で飲んで帰宅するのがますます困難になってきてますね
それでも、たまには街に出て飲みたいのですが、自転車は昨年11月から飲酒運転の取り締まりが
さらに厳しくなったようだし、電車がある時間帯にタクシーつーのも抵抗があるし・・・
さてさて、どうしたものか???

2024年12月18日
フロンティア最古の巨石遺跡の謎・視聴メモ
正確な番組タイトルはフロンティア「最古の巨石遺跡が語る文明の起源」
12月17日に放映されたNHK番組の視聴メモです
そう、こちらの本「万物の黎明」でも取り上げられてたトルコ南東部(メソポタミアの北部)にある、
ギョベックリ・テペなど農耕以前の狩猟採集民の遺跡を紹介する番組で、以前から興味があったので
忘れないうちに概要をランダムにメモしておきます
「昔の人たちは原始的だったと考えがちだが、自分たちが最も優れていると決めつける傲慢な文明観は
この遺跡によって覆された」(トルコの考古学者)
Chapter1「丘に通う考古学者」より
・ギョベックリ・テペ遺跡の紹介
→動物のレリーフや人間の身体を表現したT字型石柱の巨大神殿など
→年代測定により建てられたのは12000年前の新石器時代初頭と判明している
→家畜や栽培植物の痕跡はまったく見られず神殿を築いたのは狩猟採集民だった
→発掘したのはドイツの考古学者クラウツ・シュミット(1990年代半ばからで2014年に60歳で死亡)
・文明の起源は農耕?
→農耕の起源と定住生活の開始はつながっていて文明を築くには農耕が必要というのがこれまでの定説
→しかしここでは狩猟採集民がすべてをやり遂げていた
→定説(狩猟採集では移動するため大きな建物を建てることはなく、1万年前に農耕が始まってから定住し、
やがて貧富の差が生まれて権力者が巨大建造物を造った、という説)は間違っていた
・シリアの新石器時代の集落遺跡などは川の近くにあって今も畑がある農村地帯
→ギョベックリ・テペ遺跡は丘の頂上にあり水利もなく灰や炭などの生活痕跡も発見されない謎
Chapter2「麦を愛でる考古学者」より
・2007年からギョベックリ・テペ遺跡を研究する日本の植物考古学者・丹野研一
→農耕の起源は人類史でも大きなイベントのはずだが研究者は比較的少ない
→様々の遺跡を調べたが10500年前より古い遺跡からは栽培種の麦は見つからなかった
→なのでギョベックリ・テペ遺跡の時代の麦はすべて野生種のはず
→野生種の麦がよく生える場所は各地にある
→すべてを刈らずに種を残し発芽すれば他の雑草さえ刈っておけば翌年も多く収穫できる
→最初はつらい「農耕」ではなく耕さず成長を楽しんでいたのではないか?(プレイファーミング?)
・シュミット博士は現場の研究者にビールのロング缶を振る舞ってくれ、自分も一気に4缶を空けてから
、
「この遺跡から植物の痕跡は出土していないが自分はビールを作っていたと思う」と言っていた
→ビールは5500年前のメソポタミア文明からとされてたがギョベックリ・テペ遺跡は11000年以上前
→だが2019年の論文で、それ以前にビールがなかったとは言えない結果が出てきた
・実際に新石器時代イスラエルの洞窟からも醸造の痕跡が発見されている(オーストリアの考古学者)
→ギョベックリ・テペ遺跡からは大量の石の道具が出土している
→麦など穀物を粉砕する石器が最も多く、穀物をすり潰した痕跡も発見された
→今のギョベックリ・テペ遺跡の周辺でも春には野生の穀物が一斉に生える
→おそらくこれが遺跡を築いた理由のひとつだろう
→出土した多くの石桶には160ℓもの水が入る
→石桶と挽いた麦と水で実験するとシチューやビールが簡単にできた
→シュミット博士の解釈では遺跡は狩猟採集民の小集団が集まる聖なる神殿とのことだったが、
→科学的に調理器具や穀物の痕跡から大量のシチューやビールが生産されていたことが確認された
→つまり、この世界最古の巨大建物はビール宴会とセットだったのだ!!!
(きつい仕事と宴会がセットになっている例は伝統的社会にもよく見られる)
Chapter3「新たな巨大神殿」より
(ギョベックリ・テペ遺跡周辺の同時代の遺跡)
・カラハンテペ遺跡
→トルコの研究チームが発掘している
→ギョベックリ・テペ遺跡と同じ巨大遺跡で現在発掘されているのは全体の2.5%
→ギョベックリ・テペ遺跡にはない、通過儀礼に使ったと思われる遺跡もあった
→儀礼だけに使われる神殿(宴会場)だったのか定住集落だったのか?
→日本の考古学者により発見された石器は狩猟用の矢じりや穀物収穫用の鎌先など、神殿建設用ではなく
日常生活に使う普通の石器ばかりだった
→ギョベックリ・テペ遺跡と同じ変わった遺跡だが、人が普通に定住していた
→居住用の建物もあり住居と巨大神殿は同時期に使用されていた
(ギョベックリ・テペ遺跡でも後に住居跡や貯水槽が発見された→特定時期の祭礼場ではなく定住集落?)
→「定住する狩猟採集民のコミュニティ」があったのだ
・カラハンテペ遺跡から1.5km先にあるV字型の長大な石組みの壁跡
→付近で狩猟用の罠も見つかっており、追い込んで動物を効率よく捕まえるためと考えられている
→単体ではなく群れ全体を捕まえるようになった→この先に動物の家畜化がある
→当時の環境はもっと湿潤で周りは森に覆われていたという研究もあるので定住可能だったのかも
→大勢が一緒に暮らすようになり社会秩序を保つ仕組みも必要になったはず
→神殿などにより過去の神話や物語を共有する儀式で絆を強めたのでは
・ハルベトスワン・テペシ遺跡
→日本の研究チームが発掘している
→3年目の今年、岩盤近くで人骨が見つかった→来年以降に他の遺跡との関係性などを分析する
→現在、同時代の遺跡8か所で発掘が行われている→2021年からの「石の丘プロジェクト」
・サイブルチ遺跡
→今も人が住む村の中にあり20km離れたギョベックリ遺跡より数百年後の遺跡
→ヒョウや雄牛と人間のレリーフがあるがギョベックリとは逆で動物より人間がリアルになっている
→カラハンテペ遺跡でも2年後にリアルな人間像が発見された
→ギョベックリから数百年後には人間を宇宙の中心に置き始めたことを反映している
→それまで自然の一部だった人間が自然に力を行使する存在に変わり始めた
「狩猟採集民が高度な遺跡を作って定住していたことが判明して、これまで信じられていた人類の歩みを
考え直さないといけない段階にきている」
「人類の歴史には様々な可能性があって、そのひとつがギョベックリ遺跡であり、たまたま現在の文明も
その可能性のひとつに過ぎない、ということが重要」
云々・・・
いやあ、じつに面白かったです
冒頭にリンクした本に書かれてたとおり、これまでの人類史・文明史を一変させる遺跡のひとつですね
狩猟採集とはいっても、狩猟は今でいう定置網のような感じで季節的に大量捕獲して、採集も季節的に
効率よく収穫できるよう工夫してやってたんですね
それなら農耕や牧畜などの重労働をしなくても済むので、みんなで集まってビールで大宴会!!!
6000年以上も続いた縄文集落のパターンといい、どれもが文明の一形態であって、農耕以降の文明も
産業革命以降の文明も、あくまで文明の一形態に過ぎない、というのは確かに重要な認識で、どの文明が
より優れているのか、より進化しているのかというハナシではないんですね・・・
それにしても・・・
人類は12000年も前の狩猟採集時代から定住してみんなでビール大宴会してたんですね!!!
しかも農耕や牧畜といった重労働はせず、狩猟採集時期以外の1年の殆どをのんびり遊んで暮らしてた
うーむ、現在のわたくしの暮らしそのものやな・・・
あっ、わたくしは一時的な狩猟採集さえせず、たまにビールやつまみを買いに行くだけか・・・
12月17日に放映されたNHK番組の視聴メモです
そう、こちらの本「万物の黎明」でも取り上げられてたトルコ南東部(メソポタミアの北部)にある、
ギョベックリ・テペなど農耕以前の狩猟採集民の遺跡を紹介する番組で、以前から興味があったので
忘れないうちに概要をランダムにメモしておきます
「昔の人たちは原始的だったと考えがちだが、自分たちが最も優れていると決めつける傲慢な文明観は
この遺跡によって覆された」(トルコの考古学者)
Chapter1「丘に通う考古学者」より
・ギョベックリ・テペ遺跡の紹介
→動物のレリーフや人間の身体を表現したT字型石柱の巨大神殿など
→年代測定により建てられたのは12000年前の新石器時代初頭と判明している
→家畜や栽培植物の痕跡はまったく見られず神殿を築いたのは狩猟採集民だった
→発掘したのはドイツの考古学者クラウツ・シュミット(1990年代半ばからで2014年に60歳で死亡)
・文明の起源は農耕?
→農耕の起源と定住生活の開始はつながっていて文明を築くには農耕が必要というのがこれまでの定説
→しかしここでは狩猟採集民がすべてをやり遂げていた
→定説(狩猟採集では移動するため大きな建物を建てることはなく、1万年前に農耕が始まってから定住し、
やがて貧富の差が生まれて権力者が巨大建造物を造った、という説)は間違っていた
・シリアの新石器時代の集落遺跡などは川の近くにあって今も畑がある農村地帯
→ギョベックリ・テペ遺跡は丘の頂上にあり水利もなく灰や炭などの生活痕跡も発見されない謎
Chapter2「麦を愛でる考古学者」より
・2007年からギョベックリ・テペ遺跡を研究する日本の植物考古学者・丹野研一
→農耕の起源は人類史でも大きなイベントのはずだが研究者は比較的少ない
→様々の遺跡を調べたが10500年前より古い遺跡からは栽培種の麦は見つからなかった
→なのでギョベックリ・テペ遺跡の時代の麦はすべて野生種のはず
→野生種の麦がよく生える場所は各地にある
→すべてを刈らずに種を残し発芽すれば他の雑草さえ刈っておけば翌年も多く収穫できる
→最初はつらい「農耕」ではなく耕さず成長を楽しんでいたのではないか?(プレイファーミング?)
・シュミット博士は現場の研究者にビールのロング缶を振る舞ってくれ、自分も一気に4缶を空けてから

「この遺跡から植物の痕跡は出土していないが自分はビールを作っていたと思う」と言っていた

→ビールは5500年前のメソポタミア文明からとされてたがギョベックリ・テペ遺跡は11000年以上前
→だが2019年の論文で、それ以前にビールがなかったとは言えない結果が出てきた

・実際に新石器時代イスラエルの洞窟からも醸造の痕跡が発見されている(オーストリアの考古学者)
→ギョベックリ・テペ遺跡からは大量の石の道具が出土している
→麦など穀物を粉砕する石器が最も多く、穀物をすり潰した痕跡も発見された
→今のギョベックリ・テペ遺跡の周辺でも春には野生の穀物が一斉に生える
→おそらくこれが遺跡を築いた理由のひとつだろう
→出土した多くの石桶には160ℓもの水が入る
→石桶と挽いた麦と水で実験するとシチューやビールが簡単にできた
→シュミット博士の解釈では遺跡は狩猟採集民の小集団が集まる聖なる神殿とのことだったが、
→科学的に調理器具や穀物の痕跡から大量のシチューやビールが生産されていたことが確認された
→つまり、この世界最古の巨大建物はビール宴会とセットだったのだ!!!

(きつい仕事と宴会がセットになっている例は伝統的社会にもよく見られる)
Chapter3「新たな巨大神殿」より
(ギョベックリ・テペ遺跡周辺の同時代の遺跡)
・カラハンテペ遺跡
→トルコの研究チームが発掘している
→ギョベックリ・テペ遺跡と同じ巨大遺跡で現在発掘されているのは全体の2.5%
→ギョベックリ・テペ遺跡にはない、通過儀礼に使ったと思われる遺跡もあった
→儀礼だけに使われる神殿(宴会場)だったのか定住集落だったのか?
→日本の考古学者により発見された石器は狩猟用の矢じりや穀物収穫用の鎌先など、神殿建設用ではなく
日常生活に使う普通の石器ばかりだった
→ギョベックリ・テペ遺跡と同じ変わった遺跡だが、人が普通に定住していた
→居住用の建物もあり住居と巨大神殿は同時期に使用されていた
(ギョベックリ・テペ遺跡でも後に住居跡や貯水槽が発見された→特定時期の祭礼場ではなく定住集落?)
→「定住する狩猟採集民のコミュニティ」があったのだ
・カラハンテペ遺跡から1.5km先にあるV字型の長大な石組みの壁跡
→付近で狩猟用の罠も見つかっており、追い込んで動物を効率よく捕まえるためと考えられている
→単体ではなく群れ全体を捕まえるようになった→この先に動物の家畜化がある
→当時の環境はもっと湿潤で周りは森に覆われていたという研究もあるので定住可能だったのかも
→大勢が一緒に暮らすようになり社会秩序を保つ仕組みも必要になったはず
→神殿などにより過去の神話や物語を共有する儀式で絆を強めたのでは
・ハルベトスワン・テペシ遺跡
→日本の研究チームが発掘している
→3年目の今年、岩盤近くで人骨が見つかった→来年以降に他の遺跡との関係性などを分析する
→現在、同時代の遺跡8か所で発掘が行われている→2021年からの「石の丘プロジェクト」
・サイブルチ遺跡
→今も人が住む村の中にあり20km離れたギョベックリ遺跡より数百年後の遺跡
→ヒョウや雄牛と人間のレリーフがあるがギョベックリとは逆で動物より人間がリアルになっている
→カラハンテペ遺跡でも2年後にリアルな人間像が発見された
→ギョベックリから数百年後には人間を宇宙の中心に置き始めたことを反映している
→それまで自然の一部だった人間が自然に力を行使する存在に変わり始めた
「狩猟採集民が高度な遺跡を作って定住していたことが判明して、これまで信じられていた人類の歩みを
考え直さないといけない段階にきている」
「人類の歴史には様々な可能性があって、そのひとつがギョベックリ遺跡であり、たまたま現在の文明も
その可能性のひとつに過ぎない、ということが重要」
云々・・・
いやあ、じつに面白かったです
冒頭にリンクした本に書かれてたとおり、これまでの人類史・文明史を一変させる遺跡のひとつですね
狩猟採集とはいっても、狩猟は今でいう定置網のような感じで季節的に大量捕獲して、採集も季節的に
効率よく収穫できるよう工夫してやってたんですね
それなら農耕や牧畜などの重労働をしなくても済むので、みんなで集まってビールで大宴会!!!

6000年以上も続いた縄文集落のパターンといい、どれもが文明の一形態であって、農耕以降の文明も
産業革命以降の文明も、あくまで文明の一形態に過ぎない、というのは確かに重要な認識で、どの文明が
より優れているのか、より進化しているのかというハナシではないんですね・・・
それにしても・・・
人類は12000年も前の狩猟採集時代から定住してみんなでビール大宴会してたんですね!!!

しかも農耕や牧畜といった重労働はせず、狩猟採集時期以外の1年の殆どをのんびり遊んで暮らしてた

うーむ、現在のわたくしの暮らしそのものやな・・・
あっ、わたくしは一時的な狩猟採集さえせず、たまにビールやつまみを買いに行くだけか・・・
