麺類
2025年02月07日
地球グルメ大図鑑とブデチゲ考察?
ええ、まずは・・・

地球グルメ大図鑑~世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味~のご紹介から
裏表紙

奥付

そう、

こんな注意書きのある大図鑑であります わくわく
目次


米国の項では51州すべて、さらには南極の各基地グルメまでありましたが・・・
まずは目次のアジア→東アジア→日本の項にあったグルメ?をメモ
・竹のウォータースライド(流しそうめん)
・鉄道駅のごちそう(200種類の駅弁を揃える東京駅の駅弁屋)
・伝統の職人技が光るぺろぺろキャンディ(飴細工)
・寿司の元祖(琵琶湖のふなずし)
・エンタメ・レストラン(主役が料理ではない飲食店)
・海軍カレー(日本のカレーライス)
・洋食(日本生まれの西洋料理)
→ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、サンド、タコライス
・渋柿を甘くする技(干し柿)
・高級フルーツ(企業の夏冬2回の贈答競争で繁栄を謳歌しているフルーツ
)
→でんすけすいか、太陽のタマゴ(マンゴー)、美人姫(イチゴ)、ルビーロマン(ブドウ)、夕張キング(メロン)
・相撲力士の鍋料理(ちゃんこ鍋)
・巨大な稲わらの構造物(わらアート)
(グルメではないけど食材に関する珍しいモノつーことでしょうね)
各項目に説明、写真、由来、レシピなどがあり、実際に現地で体験する方法も書いてあって、
食べ歩きガイドブックとしても使えるようになってました
と、世界中のグルメ?が紹介されてましたが、特に琴線に触れた項目から・・・
・正真正銘のモンゴル式バーベキュー「ボードグ」
→モンゴルの戦士は馬で移動するので重い調理器具を持ち運ぶのは不可能だった
→そんな遊牧生活に適した調理法として彼らは動物の体を調理器具として使った
→山羊やマーモットの腹から肉と骨と内蔵を取り出し肉(肝臓と腎臓を含む)にスパイスをふり、
熱く焼いた石と野菜と一緒に詰め戻し穴を塞ぎ直火で焼く
→焼け残った毛をナイフでこそげ落とし2時間ほどで首の穴から脂が滴るようになったら食べ頃で、
腹が大皿の役割も兼ねている
→チンギス・ハンもボードグで勝利の宴会をしていた(モンゴルシェフ連盟会長談)
まさに調理器具の要らない究極のアウトドア料理で、わたくしの大好きなモンゴル料理
「羊の石焼き」
の原点だったんですね、調理器具はミルク缶を使ってましたが(98k談)
・米軍基地で生まれた鍋物ブデチゲ(韓国)
→今や韓国で一番人気を誇るフュージョン料理
→部隊鍋を意味するブデチゲは米国人が捨てた食料から生まれたものだった
→残飯から生まれた米国帝国主義の名残を屈折した形で伝える一品となった
→朝鮮戦争中のソウル市民は食料不足で米軍基地のゴミ箱から缶詰の豆、チーズ、
スパム、ハムなど加工食品の残飯を集めてキムチ、野菜、インスタント麺と一緒に鍋へ
→朝鮮戦争後も米国製品の規制は続き、米軍基地の食材を扱う酒保闇市が増えた
(多くの市民には米国産の加工肉が唯一の手が届く肉だった)
→1980年代に米国製品の規制が撤廃されブデチゲは人気の大衆料理として進化した
→とりわけ大学周辺に多いが高級地区にもブデチゲに特化したレストランがある・・・
(で、大好きなブデチゲの考察?)
わたくしは、韓国軍兵士が米軍経由のスパムなどの缶詰とキムチやインスタント麺などを
ひとつの鍋に入れて、部隊の仲間で一緒に食べてたのを懐かしみ、退役後にも仲間と再現、
それがやがて貧乏学生から一般市民に拡がったと理解してたのですが本書のような説もあり、
ホントはどうだったのか(ヒマなので)考察?してみました
①ブデチゲの基本食材はスパムなどの加工肉とキムチとスープ別添のインスタント麵だけど、
スープ別添の袋麺は1962年の明星食品と東洋水産が世界初なので、今のスタイルで初めて
食べられたのは、いくら早くても1962年以降になるはず
(ちなみに朝鮮戦争時なら1950年~53年、戦後もっとも古いとされるインスタント麺の記録
(第一次南極観測隊に採用された「長寿麺」)でも朝鮮戦争から3年後の1956年)
②さらにインスタント麵の海外への本格的な輸出はベトナム戦争の拡大(1968年)以降とされ、
それまでは在外邦人向けが中心、アジア各国に急速に出回ったのもこれ以降のはず
③ただし明星食品が韓国に製造プラントを輸出したのは、スープ別添の翌年1963年なので、
それ以降なら韓国にスープ別添のインスタント麵が普及していた可能はある
④以上から、韓国軍兵士がブデチゲとして食べたのは朝鮮戦争当時ではなくベトナム戦争当時、
おそらくは1968年以降で早くても1963年以降に、米軍経由のスパム缶詰と自前のキムチと
スープ別添のインスタント麵などを入れて、部隊の仲間とひとつの鍋をつつきあったのがルーツ、
と考えるほうが妥当ではないか、部隊鍋の名称からもインスタント麺の経緯(朝鮮戦争時には
まだ存在しない)からも、ソウル市民が米軍基地の残飯を入れた鍋はブデチゲではない・・・
と推察したのですが、いかがでしょう?
(ちなみにブデチゲ以前の韓国では一人鍋が基本で、ひとつの鍋を分けあって食べるのは、
日本人と同じ下品な食べ方だったので、当時の大人たちからは軽蔑されてたとか
)
まあ、スパムなど缶詰の加工肉、白菜キムチ、スープ別添の袋麺、あとは玉ねぎなど、
常温保存できる具材があればクーラーボックスがなくても、どこでも鍋宴会が楽しめて、
お腹いっぱいになりますから、わたくしもブデチゲとしての存在を知るずっと以前から
似たようなキャンプ鍋を楽しんでたので、諸説があるのも当然かも知れませんが・・・
閑話休題
わたくしの琴線に触れた項目を続けます・・・
・香辛料のコニャック・XO醤
(香港)略
・平壌冷麺
と大同江醸造所の7種類のビール
(北朝鮮)略
・ブルネイのアンブヤット(サゴヤシの樹幹から取った粉をゼラチン状にしたもの
)略
・ボルネオ島サバ州にしかないバンバンガン(オニオンスープ味のマンゴー
)略
・ある独裁者の推し麺(タイのパッタイ
)
→独裁者が1939年に国名をシャムからタイにするなど制定した国家規則のひとつがパッタイ
→コメの消費量を抑えるため麺類を奨励しパッタイのレシピと屋台を普及させ他の屋台を禁止した
→ライスヌードルは中国人がタイに持ち込んだとされるがパッタイはタイの国民食になった
・ジンバブエのモパネワーム(蛾の幼虫で10cmになる)
→タンパク質の含有量は牛肉の3倍、旨みはよく焼いたステーキと評される
→熟練した摘み手なら1日に25~50キロは採集できる
→内臓を指で絞り出して天日干し、好みで燻製、炙り焼、酢漬け、フライに
→モパネの葉3キロで1キロのモパネワームが育てられるので牛肉よりサスティナブル
・オーストラリア軍のFRED
→1940年代初頭に導入され缶切り・栓抜き・スプーンの機能を持つがスプーンが小さい
→Field Ration Eating Deviceの略だがFucking Ridiculous Eating Device(クソばかげた食器)とも
→2020年現在も軍の配給パックに標準装備されている(←なぜか持ってます
)
・ガンパウダーラム(ニュージーランド)
→18世紀の英国海軍の水兵は毎日支給されるラム酒を火薬に垂らし火をつけて確認していた
→湿った火薬が燃えれば充分なアルコール濃度のラム酒と証明された(プルーフの起源)
→アルコール濃度57%がネイビーストレングス(海軍の強さ)とされ燃えるかどうかの分かれ目
→オマージュとして誕生したガンパウダーラムは51.6%でネイビーストレングスに近い
・パイソンのペミカン(カナダ)
→パイソンの肉を焚火で乾燥させてから細かく挽き獣脂と混ぜる
→1ポンド(454g)あたり3500㌔㌍あり10年は常温保存できたので探検隊にも使われた
→ビーバー猟の必需品となりミシシッピ川北側のパイソンはほぼ絶滅した
→ペミカンは今もカナダのスーパーマーケットで購入できる
・クロンダイクの生活物資リスト(カナダ・ユーコン準州)
→1896年にクロンダイクで金鉱が発見され北米各地から人々が殺到した
→ユーコン準州は不毛地帯だったので1年分の食料を持参するよう法律で定めていた
→キャンプ用品を含めると900kgになったので小分けにして何度も往復して持ち込んだ
で、カナダ最大だった百貨店の1898年発行カタログから1年間に必要な食料品と日用品のリスト
(著作物の一部なので公開に問題があれば非公開設定にします)

いやあ、じつに興味深い内容です
食料のメインは小麦粉とベーコンで砂糖、豆、ロールドオーツも大きな比重を占めてますね
で、このリスト合計で600kg弱ですからキャンプ道具や衣類などが300kg強つーことになります
水や燃料は現地調達でしょうが必需品のラム酒やバーボンはどうしてたんだろ???
・南極観測基地の食生活(中国の長城基地など各国は略)
→日本の昭和基地では屋外での食事会が恒例でメニューは「流しそうめん」
→本来は半分に割った竹にそうめんを流すが南極では氷山に水路を掘って流す
→リュージュのコースを選手ではなくそうめんが滑る様子を想像してほしい
とか、料理や食材だけでなく食に関するエピソードも満載で大いに楽しめました


地球グルメ大図鑑~世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味~のご紹介から

裏表紙


奥付

そう、

こんな注意書きのある大図鑑であります わくわく

目次


米国の項では51州すべて、さらには南極の各基地グルメまでありましたが・・・

まずは目次のアジア→東アジア→日本の項にあったグルメ?をメモ
・竹のウォータースライド(流しそうめん)
・鉄道駅のごちそう(200種類の駅弁を揃える東京駅の駅弁屋)
・伝統の職人技が光るぺろぺろキャンディ(飴細工)
・寿司の元祖(琵琶湖のふなずし)
・エンタメ・レストラン(主役が料理ではない飲食店)
・海軍カレー(日本のカレーライス)
・洋食(日本生まれの西洋料理)
→ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、サンド、タコライス
・渋柿を甘くする技(干し柿)
・高級フルーツ(企業の夏冬2回の贈答競争で繁栄を謳歌しているフルーツ

→でんすけすいか、太陽のタマゴ(マンゴー)、美人姫(イチゴ)、ルビーロマン(ブドウ)、夕張キング(メロン)
・相撲力士の鍋料理(ちゃんこ鍋)
・巨大な稲わらの構造物(わらアート)
(グルメではないけど食材に関する珍しいモノつーことでしょうね)
各項目に説明、写真、由来、レシピなどがあり、実際に現地で体験する方法も書いてあって、
食べ歩きガイドブックとしても使えるようになってました
と、世界中のグルメ?が紹介されてましたが、特に琴線に触れた項目から・・・
・正真正銘のモンゴル式バーベキュー「ボードグ」

→モンゴルの戦士は馬で移動するので重い調理器具を持ち運ぶのは不可能だった
→そんな遊牧生活に適した調理法として彼らは動物の体を調理器具として使った
→山羊やマーモットの腹から肉と骨と内蔵を取り出し肉(肝臓と腎臓を含む)にスパイスをふり、
熱く焼いた石と野菜と一緒に詰め戻し穴を塞ぎ直火で焼く
→焼け残った毛をナイフでこそげ落とし2時間ほどで首の穴から脂が滴るようになったら食べ頃で、
腹が大皿の役割も兼ねている
→チンギス・ハンもボードグで勝利の宴会をしていた(モンゴルシェフ連盟会長談)
まさに調理器具の要らない究極のアウトドア料理で、わたくしの大好きなモンゴル料理
「羊の石焼き」

・米軍基地で生まれた鍋物ブデチゲ(韓国)

→今や韓国で一番人気を誇るフュージョン料理
→部隊鍋を意味するブデチゲは米国人が捨てた食料から生まれたものだった
→残飯から生まれた米国帝国主義の名残を屈折した形で伝える一品となった
→朝鮮戦争中のソウル市民は食料不足で米軍基地のゴミ箱から缶詰の豆、チーズ、
スパム、ハムなど加工食品の残飯を集めてキムチ、野菜、インスタント麺と一緒に鍋へ
→朝鮮戦争後も米国製品の規制は続き、米軍基地の食材を扱う酒保闇市が増えた
(多くの市民には米国産の加工肉が唯一の手が届く肉だった)
→1980年代に米国製品の規制が撤廃されブデチゲは人気の大衆料理として進化した
→とりわけ大学周辺に多いが高級地区にもブデチゲに特化したレストランがある・・・
(で、大好きなブデチゲの考察?)
わたくしは、韓国軍兵士が米軍経由のスパムなどの缶詰とキムチやインスタント麺などを
ひとつの鍋に入れて、部隊の仲間で一緒に食べてたのを懐かしみ、退役後にも仲間と再現、
それがやがて貧乏学生から一般市民に拡がったと理解してたのですが本書のような説もあり、
ホントはどうだったのか(ヒマなので)考察?してみました

①ブデチゲの基本食材はスパムなどの加工肉とキムチとスープ別添のインスタント麵だけど、
スープ別添の袋麺は1962年の明星食品と東洋水産が世界初なので、今のスタイルで初めて
食べられたのは、いくら早くても1962年以降になるはず
(ちなみに朝鮮戦争時なら1950年~53年、戦後もっとも古いとされるインスタント麺の記録
(第一次南極観測隊に採用された「長寿麺」)でも朝鮮戦争から3年後の1956年)
②さらにインスタント麵の海外への本格的な輸出はベトナム戦争の拡大(1968年)以降とされ、
それまでは在外邦人向けが中心、アジア各国に急速に出回ったのもこれ以降のはず
③ただし明星食品が韓国に製造プラントを輸出したのは、スープ別添の翌年1963年なので、
それ以降なら韓国にスープ別添のインスタント麵が普及していた可能はある
④以上から、韓国軍兵士がブデチゲとして食べたのは朝鮮戦争当時ではなくベトナム戦争当時、
おそらくは1968年以降で早くても1963年以降に、米軍経由のスパム缶詰と自前のキムチと
スープ別添のインスタント麵などを入れて、部隊の仲間とひとつの鍋をつつきあったのがルーツ、
と考えるほうが妥当ではないか、部隊鍋の名称からもインスタント麺の経緯(朝鮮戦争時には
まだ存在しない)からも、ソウル市民が米軍基地の残飯を入れた鍋はブデチゲではない・・・
と推察したのですが、いかがでしょう?
(ちなみにブデチゲ以前の韓国では一人鍋が基本で、ひとつの鍋を分けあって食べるのは、
日本人と同じ下品な食べ方だったので、当時の大人たちからは軽蔑されてたとか

まあ、スパムなど缶詰の加工肉、白菜キムチ、スープ別添の袋麺、あとは玉ねぎなど、
常温保存できる具材があればクーラーボックスがなくても、どこでも鍋宴会が楽しめて、
お腹いっぱいになりますから、わたくしもブデチゲとしての存在を知るずっと以前から
似たようなキャンプ鍋を楽しんでたので、諸説があるのも当然かも知れませんが・・・
閑話休題
わたくしの琴線に触れた項目を続けます・・・
・香辛料のコニャック・XO醤

・平壌冷麺


・ブルネイのアンブヤット(サゴヤシの樹幹から取った粉をゼラチン状にしたもの

・ボルネオ島サバ州にしかないバンバンガン(オニオンスープ味のマンゴー

・ある独裁者の推し麺(タイのパッタイ

→独裁者が1939年に国名をシャムからタイにするなど制定した国家規則のひとつがパッタイ
→コメの消費量を抑えるため麺類を奨励しパッタイのレシピと屋台を普及させ他の屋台を禁止した
→ライスヌードルは中国人がタイに持ち込んだとされるがパッタイはタイの国民食になった
・ジンバブエのモパネワーム(蛾の幼虫で10cmになる)
→タンパク質の含有量は牛肉の3倍、旨みはよく焼いたステーキと評される

→熟練した摘み手なら1日に25~50キロは採集できる
→内臓を指で絞り出して天日干し、好みで燻製、炙り焼、酢漬け、フライに
→モパネの葉3キロで1キロのモパネワームが育てられるので牛肉よりサスティナブル
・オーストラリア軍のFRED
→1940年代初頭に導入され缶切り・栓抜き・スプーンの機能を持つがスプーンが小さい

→Field Ration Eating Deviceの略だがFucking Ridiculous Eating Device(クソばかげた食器)とも
→2020年現在も軍の配給パックに標準装備されている(←なぜか持ってます

・ガンパウダーラム(ニュージーランド)
→18世紀の英国海軍の水兵は毎日支給されるラム酒を火薬に垂らし火をつけて確認していた
→湿った火薬が燃えれば充分なアルコール濃度のラム酒と証明された(プルーフの起源)
→アルコール濃度57%がネイビーストレングス(海軍の強さ)とされ燃えるかどうかの分かれ目
→オマージュとして誕生したガンパウダーラムは51.6%でネイビーストレングスに近い

・パイソンのペミカン(カナダ)
→パイソンの肉を焚火で乾燥させてから細かく挽き獣脂と混ぜる
→1ポンド(454g)あたり3500㌔㌍あり10年は常温保存できたので探検隊にも使われた
→ビーバー猟の必需品となりミシシッピ川北側のパイソンはほぼ絶滅した
→ペミカンは今もカナダのスーパーマーケットで購入できる

・クロンダイクの生活物資リスト(カナダ・ユーコン準州)
→1896年にクロンダイクで金鉱が発見され北米各地から人々が殺到した
→ユーコン準州は不毛地帯だったので1年分の食料を持参するよう法律で定めていた
→キャンプ用品を含めると900kgになったので小分けにして何度も往復して持ち込んだ
で、カナダ最大だった百貨店の1898年発行カタログから1年間に必要な食料品と日用品のリスト
(著作物の一部なので公開に問題があれば非公開設定にします)

いやあ、じつに興味深い内容です

食料のメインは小麦粉とベーコンで砂糖、豆、ロールドオーツも大きな比重を占めてますね
で、このリスト合計で600kg弱ですからキャンプ道具や衣類などが300kg強つーことになります
水や燃料は現地調達でしょうが必需品のラム酒やバーボンはどうしてたんだろ???
・南極観測基地の食生活(中国の長城基地など各国は略)
→日本の昭和基地では屋外での食事会が恒例でメニューは「流しそうめん」
→本来は半分に割った竹にそうめんを流すが南極では氷山に水路を掘って流す
→リュージュのコースを選手ではなくそうめんが滑る様子を想像してほしい

とか、料理や食材だけでなく食に関するエピソードも満載で大いに楽しめました

2025年01月07日
初詣ミニOFF会!!!
新年早々とーとつですが・・・
4日5日で初詣ミニOFF会を楽しんでたので、忘れないうちにメモしておきます
4日の正午前後にwingさん、赤チャリさん、川端さんとゆーおなじみ関西ライト好き仲間が、
わたくしに実家に集まってくれました
迎撃歓迎準備は万端・・・


恒例により皆さんからの貢物を巻き上げて

軽く賀詞交換してダベってから初詣へ・・・

大海神社で航海???の無事を祈願し・・・

玉ノ井に乙姫様にもらった玉手箱を投げ込んでタイムスリップ

お椀の舟に箸の櫂で茅渟の海に漕ぎ出し、淀川を遡上して平安京で鬼どもをやっつけ


住𠮷四神に戦果を報告した初詣した後は・・・


鉄分を補給しつつ・・・
粉浜商店街はじめ、わたくしオススメの飲食店を廻ってみたのですが・・・

さすがに人気店はどこも初詣客で長蛇の列でした
で、とりあえずは・・・

wingさんのカワセミ撮影を名目に住吉公園へ・・・

野鳥好きカメラマン数名が待機してましたが、さすがにすぐには現れてくれず・・・

wingさんはサギさん撮影なんぞでお茶を濁して・・・
わりと待ち時間の少なかった「かつや」へ・・・

こぽこぽこぽ



ようやく遅めの昼食宴会にありつけました
やっと人心地がついたので商店街を散策しつつ戻りました
ちなみに皆さん、はじめての100均ショップに入ると目の色が変わるつーか、まずはライトの
コーナーに直行、その後はバックパック用ハンガーとか非常用シュラフとか携帯ポンチョとか、
大手ショップにはない商品を物色しては購入されてましたねえ・・・
で、回転焼(ちなみに関東では今川焼、姫路では御座候、岸和田ではトラ焼だそうです)とか、
二日酔対策用の梅昆布茶とかも買って・・・




さらに鉄分補給しつつ3時半には無事に戻りました
ま、無事にといいつつ、飲んで3時間は歩いたわたくし、帰りは苦労しましたが
で、満腹した帰宅後も延々と・・・


飲みつつ食べつつ録画を見たりしてヲタ話やバカ話で盛り上がり・・・
(この間に各種ライトも出てましたが画像は一切ありません
)
7時を過ぎ、ようやく新春「うどん寄せ鍋」宴会
の開始・・・
(そーいや年始のニュースで「年越し蕎麦」に対抗して「年明けうどん」を普及しようと、
讃岐のうどん団体が努力してるけど、まだまだ知られてないとかやってましたね
)



(以上wingさん画像)


wingさんとわたくしは濁り酒や燗酒、赤チャリさんと川端さんはソフトドリンクで、
ひたすら飲み続け食べ続け喋り続けました
もちろん日付が変わってからも・・・

(かもめコーヒー扱いの)めでたいsakuriシュトーレン・ケルクや、

WITTAMERの高級ケーキなんぞで喋り続けてましたが、2時過ぎには翌日に所用が入った
川端さんが帰宅、残る3人はさらに喋り続け、シュラフに潜り込んだのは3時半でした
翌朝、わたくしは9時過ぎ、wingさんは10時過ぎに起きましたが、最近ずっと3時間程度の
不規則睡眠が続いてたとゆー赤チャリさんは、そのまま放置しておくことにして・・・
わたくしが近くのコンビニに行って二人分のサンドイッチとソーセージエッグマフィン、
パックのドリップコーヒーを購入・・・

(マフィンはレンチンして熱々をすぐ食べてしまったので画像がないけど)
二人で遅めの朝食をとりつつ、さらに世間話なんぞでまったり・・・
昼過ぎにはようやく赤チャリさんも目覚めて(糖分不足かずっと半覚醒状態でしたが)、
三人でまたまた残りの甘味と録画でダベリ続け、夕方にはめでたく解散しましたとさ
めでたしめでたし どっとはらい
いやあ、今回もじつに楽しかったです
今回の4人がネット上で知り合い熊野キャンプでリアルに会ってから20年近くになりますが、
ヲタ話やバカ話の話題がいつも新鮮なのが素晴らしいですね
まあトシを重ねるごとに同じハナシの繰り返しが増えてるのかも知れませんが、
わたくしもハナシの内容をすっかり忘れてるので、いつも新鮮なのか・・・
4日5日で初詣ミニOFF会を楽しんでたので、忘れないうちにメモしておきます
4日の正午前後にwingさん、赤チャリさん、川端さんとゆーおなじみ関西ライト好き仲間が、
わたくしに実家に集まってくれました


恒例により皆さんからの貢物を巻き上げて


軽く

大海神社で航海???の無事を祈願し・・・

玉ノ井に乙姫様にもらった玉手箱を投げ込んでタイムスリップ


お椀の舟に箸の櫂で茅渟の海に漕ぎ出し、淀川を遡上して平安京で鬼どもをやっつけ



住𠮷四神に


鉄分を補給しつつ・・・
粉浜商店街はじめ、わたくしオススメの飲食店を廻ってみたのですが・・・

さすがに人気店はどこも初詣客で長蛇の列でした
で、とりあえずは・・・

wingさんのカワセミ撮影を名目に住吉公園へ・・・

野鳥好きカメラマン数名が待機してましたが、さすがにすぐには現れてくれず・・・

wingさんはサギさん撮影なんぞでお茶を濁して・・・
わりと待ち時間の少なかった「かつや」へ・・・

こぽこぽこぽ




ようやく遅めの昼食宴会にありつけました

やっと人心地がついたので商店街を散策しつつ戻りました
ちなみに皆さん、はじめての100均ショップに入ると目の色が変わるつーか、まずはライトの
コーナーに直行、その後はバックパック用ハンガーとか非常用シュラフとか携帯ポンチョとか、
大手ショップにはない商品を物色しては購入されてましたねえ・・・
で、回転焼(ちなみに関東では今川焼、姫路では御座候、岸和田ではトラ焼だそうです)とか、
二日酔対策用の梅昆布茶とかも買って・・・




さらに鉄分補給しつつ3時半には無事に戻りました
ま、無事にといいつつ、飲んで3時間は歩いたわたくし、帰りは苦労しましたが

で、満腹した帰宅後も延々と・・・


飲みつつ食べつつ録画を見たりしてヲタ話やバカ話で盛り上がり・・・
(この間に各種ライトも出てましたが画像は一切ありません

7時を過ぎ、ようやく新春「うどん寄せ鍋」宴会

(そーいや年始のニュースで「年越し蕎麦」に対抗して「年明けうどん」を普及しようと、
讃岐のうどん団体が努力してるけど、まだまだ知られてないとかやってましたね




(以上wingさん画像)


wingさんとわたくしは濁り酒や燗酒、赤チャリさんと川端さんはソフトドリンクで、
ひたすら飲み続け食べ続け喋り続けました
もちろん日付が変わってからも・・・

(かもめコーヒー扱いの)めでたいsakuriシュトーレン・ケルクや、

WITTAMERの高級ケーキなんぞで喋り続けてましたが、2時過ぎには翌日に所用が入った
川端さんが帰宅、残る3人はさらに喋り続け、シュラフに潜り込んだのは3時半でした
翌朝、わたくしは9時過ぎ、wingさんは10時過ぎに起きましたが、最近ずっと3時間程度の
不規則睡眠が続いてたとゆー赤チャリさんは、そのまま放置しておくことにして・・・
わたくしが近くのコンビニに行って二人分のサンドイッチとソーセージエッグマフィン、
パックのドリップコーヒーを購入・・・

(マフィンはレンチンして熱々をすぐ食べてしまったので画像がないけど)
二人で遅めの朝食をとりつつ、さらに世間話なんぞでまったり・・・
昼過ぎにはようやく赤チャリさんも目覚めて(糖分不足かずっと半覚醒状態でしたが)、
三人でまたまた残りの甘味と録画でダベリ続け、夕方にはめでたく解散しましたとさ
めでたしめでたし どっとはらい
いやあ、今回もじつに楽しかったです
今回の4人がネット上で知り合い熊野キャンプでリアルに会ってから20年近くになりますが、
ヲタ話やバカ話の話題がいつも新鮮なのが素晴らしいですね
まあトシを重ねるごとに同じハナシの繰り返しが増えてるのかも知れませんが、
わたくしもハナシの内容をすっかり忘れてるので、いつも新鮮なのか・・・

2024年11月06日
1年半ぶりのダホン3兄弟ポタ!!!
本日、1年半ぶりにダホン3兄弟ポタリングを楽しんできました!!!
そう、昨年4月末の「ならクル」ポタ以来であります
10時に大和川右岸にある釣具店付近に集合して、


ふらふらと堺浜に着いた・・・

ダホン3兄弟であります
せっかくなので記念写真

って、セルフタイマーセットに苦労してたらズームするの忘れてた

ふれあい広場へ


この丘に上がるのもひさしぶりでした ひいひい
せっかくなのでダホン各車もご紹介

ダッシュP8

K3

ミューSPであります
と、堺浜は軽く1周だけで切り上げ・・・

新日鉄モニュメントなんぞに寄り道しながら・・・
大和川沿いから裏道を走って長居公園へ


こちらも軽く1周だけで切り上げ・・・

今回はこちらではなく・・・

本日が特売日
のこちらへ



だから食べる前に撮ればよいものを・・・
って、今回は11月に入ったので酒類は注文しませんでした
ポタリング後に飲む場合(つーか、それが楽しみなのですが)、たたんで電車で帰るか、
近くなら押して帰るかしてたので、飲酒運転にはならないのでしょうが、ま、念のため・・・
つーことで本日の走行距離は27kmちょい、所要時間は3時間、うち食事や休憩が1時間ほど、
平均時速13km/hちょいの(飲み会のない)健康的な短時間ポタリングでした ぐすん
そう、昨年4月末の「ならクル」ポタ以来であります
10時に大和川右岸にある釣具店付近に集合して、


ふらふらと堺浜に着いた・・・

ダホン3兄弟であります
せっかくなので記念写真

って、セルフタイマーセットに苦労してたらズームするの忘れてた


ふれあい広場へ


この丘に上がるのもひさしぶりでした ひいひい
せっかくなのでダホン各車もご紹介

ダッシュP8

K3

ミューSPであります
と、堺浜は軽く1周だけで切り上げ・・・

新日鉄モニュメントなんぞに寄り道しながら・・・
大和川沿いから裏道を走って長居公園へ


こちらも軽く1周だけで切り上げ・・・

今回はこちらではなく・・・

本日が特売日




だから食べる前に撮ればよいものを・・・

って、今回は11月に入ったので酒類は注文しませんでした
ポタリング後に飲む場合(つーか、それが楽しみなのですが)、たたんで電車で帰るか、
近くなら押して帰るかしてたので、飲酒運転にはならないのでしょうが、ま、念のため・・・
つーことで本日の走行距離は27kmちょい、所要時間は3時間、うち食事や休憩が1時間ほど、
平均時速13km/hちょいの(飲み会のない)健康的な短時間ポタリングでした ぐすん

2024年10月18日
じん田の鰻と・・・
とーとつですが、画像があったので備忘のため・・・
先月の25日・・・

「うなぎ じん田」の鰻をご馳走になりました
家内の妹が京都の実家で用意してくれた「白焼き」で、解凍して専用タレで調味、


大きい鰻で一人一枚でも食べ応えがありました ばくばくばく
家内が梅田にできた「KITTE」で買ってた日本酒や・・・

スパークリングワインや自家製の高麗人参酒で・・・

もちろん乾杯は日本人らしくビールでしたが・・・

そう、京都の実家に次男が来るのと介護施設から家内の父親が帰宅するのに合わせて、
用意してくれてた鰻でした
で、家内の父親が施設に戻り、この日は一泊できる次男と四人で駅前にある居酒屋へ

バーのような雰囲気で特に焼酎にこだわっているお店でした
こちらでは

ビールとゆずチューハイでまずは乾杯
あとは妹のオススメなんぞを次々と

次男の好きな、焼きナスの煮びたし

わたくしの好きな、おでん盛り合わせ

烏賊の姿焼き
ビール2杯のあとはせっかくなので

わたくしは焼酎のお試しセットを
店内が暗いのでEDCしているACEBEAMのH16で・・・

芋・米・麦と揃った魔王セットを選択

右から芋の魔王、米の天誅、麦の元老院であります
焼酎の味もわからないわたくしには飲みやすい麦が好みでしたね

ぬた
で、1週間前から先割りしているという三岳で再度乾杯

その後も各自かぱかぱやってて

妹オススメの当日おまかせピザ

わたくしの好きなソーセージ盛り合わせ
料理人のレベルがわかる、だし巻き卵

だから食べる前に撮ればよいものを・・・四人分に切り分けてくれたましたが、
撮る前に取った奴は誰だ??? あっ、わたくしだったか・・・
で、シメには


全員が冷やしうどんを・・・
どれもが丁寧に作ってあって美味しかったのですが、わたくしすっかり出来上がってしまい、
またまた電車を乗り換えて自宅まで帰宅するのに難儀しました
飲んだ後に少し歩けば足腰が痛くなって、休憩しないと歩けなくなるので時間がかかり、
それがここ最近は、ますますひどくなるばかり・・・
ようやく涼しくなってきたのでポタリングを再開しないといけませんね
自転車ならまだそれなりに漕げるので、ある程度は筋力をアップしてからウォーキングへ、
まだまだ健康に外で飲めるまでの道のりは長いかなあ・・・
先月の25日・・・

「うなぎ じん田」の鰻をご馳走になりました
家内の妹が京都の実家で用意してくれた「白焼き」で、解凍して専用タレで調味、


大きい鰻で一人一枚でも食べ応えがありました ばくばくばく
家内が梅田にできた「KITTE」で買ってた日本酒や・・・

スパークリングワインや自家製の高麗人参酒で・・・

もちろん乾杯は日本人らしくビールでしたが・・・

そう、京都の実家に次男が来るのと介護施設から家内の父親が帰宅するのに合わせて、
用意してくれてた鰻でした
で、家内の父親が施設に戻り、この日は一泊できる次男と四人で駅前にある居酒屋へ

バーのような雰囲気で特に焼酎にこだわっているお店でした
こちらでは

ビールとゆずチューハイでまずは乾杯
あとは妹のオススメなんぞを次々と

次男の好きな、焼きナスの煮びたし

わたくしの好きな、おでん盛り合わせ

烏賊の姿焼き
ビール2杯のあとはせっかくなので

わたくしは焼酎のお試しセットを
店内が暗いのでEDCしているACEBEAMのH16で・・・


芋・米・麦と揃った魔王セットを選択

右から芋の魔王、米の天誅、麦の元老院であります
焼酎の味もわからないわたくしには飲みやすい麦が好みでしたね

ぬた
で、1週間前から先割りしているという三岳で再度乾杯

その後も各自かぱかぱやってて

妹オススメの当日おまかせピザ

わたくしの好きなソーセージ盛り合わせ
料理人のレベルがわかる、だし巻き卵

だから食べる前に撮ればよいものを・・・四人分に切り分けてくれたましたが、
撮る前に取った奴は誰だ??? あっ、わたくしだったか・・・
で、シメには


全員が冷やしうどんを・・・
どれもが丁寧に作ってあって美味しかったのですが、わたくしすっかり出来上がってしまい、
またまた電車を乗り換えて自宅まで帰宅するのに難儀しました
飲んだ後に少し歩けば足腰が痛くなって、休憩しないと歩けなくなるので時間がかかり、
それがここ最近は、ますますひどくなるばかり・・・
ようやく涼しくなってきたのでポタリングを再開しないといけませんね
自転車ならまだそれなりに漕げるので、ある程度は筋力をアップしてからウォーキングへ、
まだまだ健康に外で飲めるまでの道のりは長いかなあ・・・

2024年10月01日
5万人の森で鷹の渡り観察?キャンプ宴会
とーとつですが・・・


奈良県五條市にある5万人の森公園で鷹の渡り観察?キャンプ宴会を楽しんできました!!!

奥に見える有料キャンプ施設はイノシシが出るとかで閉鎖中でしたが、駐車場やトイレは
24時間ずっと開放されてて無料で利用できるので、こちら側でひっそりと・・・
先週金曜日の午後3時、一番乗りで着いたわたくしは恒例により・・・

まずは一人で、ぷしゅ、んぐんぐんぐ、くはあ
で、一息ついてからカメラを取り出して上空を観察しました
そう、二年前にはこのあたりで1羽だけ「鷹の渡り」が撮れたのですが・・・

ちょうど諦めてレンズを300mm(600mm)から150mm(300mm)に交換した直後だったので、
今回こそリベンジじゃあ!!!つーことで、野鳥好きN家さんのお誘いに再び甘えた次第
(ちなみに前回ご一緒したwingさんは今回お仕事で参加できずでした)
ま、



結局、この日も観察できずじまいでしたが・・・
そんなこたあ、すでにどーでもよくなってて・・・


三々五々で集まってきたN家さんのキャンプ仲間と次々と乾杯・・・ひっく
飲まずに近くのスーパーへ買い出しに行ってたメンバーが戻ってくると・・・

てきぱきと本格宴会の準備がはじまりました
ま、わたくしはひたすらかぱかぱやってただけなんでしゅが・・・
で、皆さん車中泊の準備もいちおー終わったので・・・

ようやく全員で乾杯!!!
たまたま1名が写ってませんが、この日のメンバーは総勢8名でした
その後はひたすら・・・

鍋物や焼き物(もちろん直火はなし)なんぞをばくばく、各自が持ち寄ったビールをはじめ、
黒霧島や城陽酒造たれくち酒にシーバスリーガル(のペットに入れたブラックニッカクリア)
なんぞをごくごく、ひたすら愉快に食べ続け飲み続け喋り続けましたとさ・・・げふっ
(今回は大型真空ボトルに氷を入れて持参したのですが翌日撤収するまで溶けずに使えました)
で、さすがに3時から飲み続けてたわたくし、奇跡的にケシュアのポップアップテントを広げ、
ペグも打たず10時半には、ばったり倒れ込んでたようです(殆ど覚えてませんが)
皆さんは日付が変わる前後に就寝されたようですが、わたくしはきっかり3時間後に目覚め、
再び飲み直そうとしたのですが、きちんと片付けられてて酒もつまみも見当たりませんでした
そう、イノシシ(盗み飲み?)対策で就寝前にしっかり隠されてたんですね ううっ
仕方がないので畳んでくれてた椅子を出してきて、お茶やコーヒーでまったり・・・
で、中秋の名月
と焚火
を撮影したり・・・



自分のクーラーバッグから助六寿司なんぞを出してきて一人でばくばくしたり・・・
とかやってると、白み始めた6時前後には何人かが起き出してきました
で、パンやバナナや茹で卵やヨーグルトなどと、美味しいかもめコーヒーと不味い乳飲料の
健康的な朝食で、再びダベリながら鷹の渡りを待ち続けました
この日は朝から曇天で・・・


大きな渡りは観察することができませんでしたがN家さんによれば、三日前の水曜日には、
ここでも1300羽以上が集団で観察できたそうです
先週前半までの大雨で停滞していた東北や北陸や信州の鷹たちが、徐々に大集団になって、
ここからも九州・沖縄へと渡っていったようで、最終的にはフィリピンあたりまで渡るとか・・・
「なので今回は、まさに在庫一斉処分の直後でしたね あははは」
(火曜日や木曜日にも300~500羽が観察できたようで専門サイトでチェックされてました)
で、渡るのはハチクマなど特定の餌に頼る鷹だけで雑食性の鷹は四季常駐しており・・・
とか、お話を伺ってると「あっ、今ちょうど2羽が舞ってます、上の電線の上あたりです!!!」
で、慌てて何枚か(なんとか覚えた連写合成モードにして)ぱしゃぱしゃぱしゃ・・・


「あははは、やはり写ってませんでした」
「まあ、肉眼では殆ど見えない高度だし小型の鷹ですからねえ・・・
このスワロフスキーの10倍双眼鏡でも何とか観察できる程度です」
「うぐぐぐ」
と、オチがついたあたりで
、いったん撤収することになりました
こちらが最近、N家さんが自作されたスバル・サンバー4WDキャンピング仕様車!!!

遮熱タイプやメッシュ窓付きのサイドタープを外し、ベッドをたたんで荷物を収納、
(ソファーにもなる折りたたみベッドはリサイクルショップで新品同様1000円だったとか!!!)
最後にポールのロックをパチパチと外してパタンとたためば・・・

たちまち農作業にも使える軽トラに早変わり・・・いいなあ
ちなみに細部にもこだわっておられて・・・


ジャーマン・グレーのボディカラーや都市迷彩やロゴなどもキマってました
と、この日が仕事で早めに帰宅された日本酒好き仲間
に替わり、新調したニコン純正の
200mm-500mmズームを持って早朝から来られてた野鳥好き仲間と計8人8台で・・・

奈良県御所市にある「かもきみの湯」へ・・・
ぬるめで有馬の金泉のような天然温泉で各湯船も充実しており、まったり(し過ぎて)、
今回はわたくしが皆さんを待たせたようですが
、揃ったのがちょうど昼前だったので、
8人で温泉施設内のレストランへ・・・

N家さんが注文した柿葉うどんと蕎麦の合い盛ざる&しらす丼など各種ミニ丼のセットや、
御所芋など郷土料理の御膳も魅力的だったのですが・・・
わたくしは今回どどんと豪華に・・・

支配人オススメ・手ごねハンバーグとハラミ・ステーキのセットをば
ハンバーグとステーキが別々のたっぷりソースも嬉しかったです ばくばくばく
と、昼食後にはN家さんと野鳥好きのお二人が5万人の森へ戻りリベンジ撮影、残りの6人は
そのまま帰宅することになり、1時過ぎには温泉の駐車場で解散しました
往路は大阪市内南部の自宅から一般道で1時間半ほどでしたが、復路は同じく一般道で
1時間ちょいでした 有料道路を使えば1時間以内で往復できるようでしゅが・・・
ちなみに当夜のN家さんらの報告によれば、やはり渡りは少なかったものの何羽かは確認、
さらに地付きサシバの幼鳥がすぐ近くの木にいて撮影できたとのことでした えがったね
まあ、わたくしが同行していたとしても撮れなかったでしょうが・・・どっとはらい


奈良県五條市にある5万人の森公園で鷹の渡り観察?キャンプ宴会を楽しんできました!!!

奥に見える有料キャンプ施設はイノシシが出るとかで閉鎖中でしたが、駐車場やトイレは
24時間ずっと開放されてて無料で利用できるので、こちら側でひっそりと・・・
先週金曜日の午後3時、一番乗りで着いたわたくしは恒例により・・・

まずは一人で、ぷしゅ、んぐんぐんぐ、くはあ

で、一息ついてからカメラを取り出して上空を観察しました
そう、二年前にはこのあたりで1羽だけ「鷹の渡り」が撮れたのですが・・・

ちょうど諦めてレンズを300mm(600mm)から150mm(300mm)に交換した直後だったので、
今回こそリベンジじゃあ!!!つーことで、野鳥好きN家さんのお誘いに再び甘えた次第
(ちなみに前回ご一緒したwingさんは今回お仕事で参加できずでした)
ま、



結局、この日も観察できずじまいでしたが・・・

そんなこたあ、すでにどーでもよくなってて・・・


三々五々で集まってきたN家さんのキャンプ仲間と次々と乾杯・・・ひっく
飲まずに近くのスーパーへ買い出しに行ってたメンバーが戻ってくると・・・

てきぱきと本格宴会の準備がはじまりました
ま、わたくしはひたすらかぱかぱやってただけなんでしゅが・・・

で、皆さん車中泊の準備もいちおー終わったので・・・

ようやく全員で乾杯!!!

たまたま1名が写ってませんが、この日のメンバーは総勢8名でした
その後はひたすら・・・

鍋物や焼き物(もちろん直火はなし)なんぞをばくばく、各自が持ち寄ったビールをはじめ、
黒霧島や城陽酒造たれくち酒にシーバスリーガル(のペットに入れたブラックニッカクリア)
なんぞをごくごく、ひたすら愉快に食べ続け飲み続け喋り続けましたとさ・・・げふっ
(今回は大型真空ボトルに氷を入れて持参したのですが翌日撤収するまで溶けずに使えました)
で、さすがに3時から飲み続けてたわたくし、奇跡的にケシュアのポップアップテントを広げ、
ペグも打たず10時半には、ばったり倒れ込んでたようです(殆ど覚えてませんが)
皆さんは日付が変わる前後に就寝されたようですが、わたくしはきっかり3時間後に目覚め、
再び飲み直そうとしたのですが、きちんと片付けられてて酒もつまみも見当たりませんでした
そう、イノシシ(盗み飲み?)対策で就寝前にしっかり隠されてたんですね ううっ

仕方がないので畳んでくれてた椅子を出してきて、お茶やコーヒーでまったり・・・
で、中秋の名月





自分のクーラーバッグから助六寿司なんぞを出してきて一人でばくばくしたり・・・
とかやってると、白み始めた6時前後には何人かが起き出してきました
で、パンやバナナや茹で卵やヨーグルトなどと、美味しいかもめコーヒーと不味い乳飲料の
健康的な朝食で、再びダベリながら鷹の渡りを待ち続けました
この日は朝から曇天で・・・


大きな渡りは観察することができませんでしたがN家さんによれば、三日前の水曜日には、
ここでも1300羽以上が集団で観察できたそうです
先週前半までの大雨で停滞していた東北や北陸や信州の鷹たちが、徐々に大集団になって、
ここからも九州・沖縄へと渡っていったようで、最終的にはフィリピンあたりまで渡るとか・・・
「なので今回は、まさに在庫一斉処分の直後でしたね あははは」
(火曜日や木曜日にも300~500羽が観察できたようで専門サイトでチェックされてました)
で、渡るのはハチクマなど特定の餌に頼る鷹だけで雑食性の鷹は四季常駐しており・・・
とか、お話を伺ってると「あっ、今ちょうど2羽が舞ってます、上の電線の上あたりです!!!」
で、慌てて何枚か(なんとか覚えた連写合成モードにして)ぱしゃぱしゃぱしゃ・・・


「あははは、やはり写ってませんでした」
「まあ、肉眼では殆ど見えない高度だし小型の鷹ですからねえ・・・
このスワロフスキーの10倍双眼鏡でも何とか観察できる程度です」
「うぐぐぐ」
と、オチがついたあたりで

こちらが最近、N家さんが自作されたスバル・サンバー4WDキャンピング仕様車!!!

遮熱タイプやメッシュ窓付きのサイドタープを外し、ベッドをたたんで荷物を収納、
(ソファーにもなる折りたたみベッドはリサイクルショップで新品同様1000円だったとか!!!)
最後にポールのロックをパチパチと外してパタンとたためば・・・

たちまち農作業にも使える軽トラに早変わり・・・いいなあ

ちなみに細部にもこだわっておられて・・・


ジャーマン・グレーのボディカラーや都市迷彩やロゴなどもキマってました

と、この日が仕事で早めに帰宅された日本酒好き仲間

200mm-500mmズームを持って早朝から来られてた野鳥好き仲間と計8人8台で・・・

奈良県御所市にある「かもきみの湯」へ・・・
ぬるめで有馬の金泉のような天然温泉で各湯船も充実しており、まったり(し過ぎて)、
今回はわたくしが皆さんを待たせたようですが

8人で温泉施設内のレストランへ・・・

N家さんが注文した柿葉うどんと蕎麦の合い盛ざる&しらす丼など各種ミニ丼のセットや、
御所芋など郷土料理の御膳も魅力的だったのですが・・・
わたくしは今回どどんと豪華に・・・

支配人オススメ・手ごねハンバーグとハラミ・ステーキのセットをば

ハンバーグとステーキが別々のたっぷりソースも嬉しかったです ばくばくばく
と、昼食後にはN家さんと野鳥好きのお二人が5万人の森へ戻りリベンジ撮影、残りの6人は
そのまま帰宅することになり、1時過ぎには温泉の駐車場で解散しました
往路は大阪市内南部の自宅から一般道で1時間半ほどでしたが、復路は同じく一般道で
1時間ちょいでした 有料道路を使えば1時間以内で往復できるようでしゅが・・・
ちなみに当夜のN家さんらの報告によれば、やはり渡りは少なかったものの何羽かは確認、
さらに地付きサシバの幼鳥がすぐ近くの木にいて撮影できたとのことでした えがったね
まあ、わたくしが同行していたとしても撮れなかったでしょうが・・・どっとはらい
