SF
2026年02月20日
八月の御所グラウンド
とーとつですが・・・

万城目学の第170回(2023年下半期)直木賞受賞作品、
「八月の御所グラウンド」ほか1作のご紹介であります
帯の惹句

初出誌と著者紹介

奥付

目次

「十二月の都大路上下ル」は、27年ぶりに全国女子高校駅伝のエントリー権を獲得して
京都にやってきた弱小高校の補欠の1年生部員が、急きょアンカーとして冬の西大路通を
駆けることになったオハナシ・・・
「八月の御所グラウンド」は、友人からの借金と焼肉屋での奢りによって、御所グラウンドで
真夏に開催される謎の草野球大会に参加することになった大学4回生のオハナシ・・・
惹句には著者の「ホルモー・シリーズ以来16年ぶり(の)京都×青春感動作」とありますが、
その一作目と二作目にあたり、三作目と四作目がこちら、森見登美彦や望月麻衣の作品と並んで、
わたくしの好きなジャンルなのですが何せ直木賞受賞作品なので、図書館での順番待ちが完全に
逆転してしまってた次第・・・やはり直木賞のご威光は凄いですね
どちらも不思議さが気持ちよく残るオハナシでしたが・・・
「十二月の・・・」では初めて京都にやってきた純情で素直で爽やかな高校1年生の女子を、
「八月の・・・」では京都で3年4ヶ月を燃えることなく過ごし、最近彼女にフラれたばかりで
就活もしていない怠惰な大学四回生の男子を、それぞれ主人公にして物語が展開していきます
わたくし作品に出てくる駅伝コースには学生時代の「京都市街・夜間徒歩一周」という伝統
行事での惨めな思い出があり、同じく御所グラウンドにもサークルのソフトボール大会での
(作品に登場する中国からの留学生と同じ)野球の基本ルールをまったく知らなかったことによる
惨めな思い出があるのですが、ま、今となってはどちらも懐かしい限り、以前も書きましたが
京都を舞台にした作品つーのは、けっこう設定年代が離れてても知っている情景がリアルに
浮かび上がってくるのがいいですね
小説なので詳しくは紹介できませんが、さすがと思った京都の夏の表現の一部だけ・・・
八月の京都の暑さに勝てる者などいない
すべてのものは平等に、ただ敗者となるのみ
脳みそからあらゆる前向きな意思や意欲が溶け出し、
コンクリートに焼きついた影と一緒に蒸発していく
四回生の夏休み、(中略)すべてを諦め、バイトもせずにただ怠惰に日々を暮らしていても、
へっちゃらな人間に成り下がってしまった
(わたくし四回生のときの怠惰な暮らしと同様に、リタイア後の今の怠惰な暮らしもへっちゃらなんやけど・・・
)
京都に来てわかったことがある
夏の殺人的な蒸し暑さと、冬の無慈悲な底冷えの寒さを交互に経験することで、京都の若者は、
刀鍛冶が鉄を真っ赤になるまで熱し、それを冷水に浸すが如く、好むと好まざるとにかかわらず、
奇妙な切れ味を持った人間刀身へと鍛錬されていく
・・・さすが直木賞を受賞した名文つーか、この部分だけなら芥川賞か・・・

万城目学の第170回(2023年下半期)直木賞受賞作品、
「八月の御所グラウンド」ほか1作のご紹介であります
帯の惹句

初出誌と著者紹介

奥付

目次

「十二月の都大路上下ル」は、27年ぶりに全国女子高校駅伝のエントリー権を獲得して
京都にやってきた弱小高校の補欠の1年生部員が、急きょアンカーとして冬の西大路通を
駆けることになったオハナシ・・・
「八月の御所グラウンド」は、友人からの借金と焼肉屋での奢りによって、御所グラウンドで
真夏に開催される謎の草野球大会に参加することになった大学4回生のオハナシ・・・
惹句には著者の「ホルモー・シリーズ以来16年ぶり(の)京都×青春感動作」とありますが、
その一作目と二作目にあたり、三作目と四作目がこちら、森見登美彦や望月麻衣の作品と並んで、
わたくしの好きなジャンルなのですが何せ直木賞受賞作品なので、図書館での順番待ちが完全に
逆転してしまってた次第・・・やはり直木賞のご威光は凄いですね
どちらも不思議さが気持ちよく残るオハナシでしたが・・・
「十二月の・・・」では初めて京都にやってきた純情で素直で爽やかな高校1年生の女子を、
「八月の・・・」では京都で3年4ヶ月を燃えることなく過ごし、最近彼女にフラれたばかりで
就活もしていない怠惰な大学四回生の男子を、それぞれ主人公にして物語が展開していきます
わたくし作品に出てくる駅伝コースには学生時代の「京都市街・夜間徒歩一周」という伝統
行事での惨めな思い出があり、同じく御所グラウンドにもサークルのソフトボール大会での
(作品に登場する中国からの留学生と同じ)野球の基本ルールをまったく知らなかったことによる
惨めな思い出があるのですが、ま、今となってはどちらも懐かしい限り、以前も書きましたが
京都を舞台にした作品つーのは、けっこう設定年代が離れてても知っている情景がリアルに
浮かび上がってくるのがいいですね
小説なので詳しくは紹介できませんが、さすがと思った京都の夏の表現の一部だけ・・・
八月の京都の暑さに勝てる者などいない
すべてのものは平等に、ただ敗者となるのみ
脳みそからあらゆる前向きな意思や意欲が溶け出し、
コンクリートに焼きついた影と一緒に蒸発していく
四回生の夏休み、(中略)すべてを諦め、バイトもせずにただ怠惰に日々を暮らしていても、
へっちゃらな人間に成り下がってしまった
(わたくし四回生のときの怠惰な暮らしと同様に、リタイア後の今の怠惰な暮らしもへっちゃらなんやけど・・・
)京都に来てわかったことがある
夏の殺人的な蒸し暑さと、冬の無慈悲な底冷えの寒さを交互に経験することで、京都の若者は、
刀鍛冶が鉄を真っ赤になるまで熱し、それを冷水に浸すが如く、好むと好まざるとにかかわらず、
奇妙な切れ味を持った人間刀身へと鍛錬されていく
・・・さすが直木賞を受賞した名文つーか、この部分だけなら芥川賞か・・・

2026年02月15日
NEXUSネクサス情報の人類史
とーとつですが・・・


ユヴァル・ノア・ハラリ著「NEXUSネクサス情報の人類史」であります
以前も書きましたが、わたくし、
半世紀以上前の学生時代に、小松左京氏の特別講義「現代史」を聴講してました
今なら「情報史」とでもいうべき授業で、生命の誕生つまり情報伝達が始まった時点からが
「現代」なので、まずはそこから・・・と、当時としては画期的な内容でした
まだ情報処理という言葉さえ殆ど知られていない時代に、当時最新分野だった生命史や人類史、
遺伝子研究に関する最新情報などを活き活きと話されてたことを覚えてますが、あの時代に
すでに現代の情報化社会を的確に予測されてたんですね
「いつか人類が月面に立つことは昔から予想されてたけど、その瞬間を世界中の人々が家に
居ながら同時に観ているとは誰も予想してなかった」という言葉が印象的でした
閑話休題
上巻の惹句

下巻の惹句

下巻の奥付

著者・訳者の紹介

そう、こちらの本ではジャレド・ダイアモンドらとともに、その人類のビッグストーリーを、
こちらのノーベル経済学賞を受賞した著者の本では、そのテクノロジーへの見方を批判されてた、
あの「サピエンス全史」の著者であります
目次



なにせ分厚い上下巻で挿絵や図表も殆どなく細かい文字がぎっしり・・・ですから、
とてもすべてからメモすることなど不可能・・・
つーことでプロローグにあった「今後の道筋」部分のみ要点をメモしておきます
(ただし「・」部分は各章本文からのてきとー抜粋メモです)
(てきとーですが著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
第Ⅰ部「人間のネットワーク」では、
まず人間の大規模な情報ネットワークに不可欠だった神話と官僚制を考察する
第1章(情報とは何か⇒略)
第2章と第3章
⇒大規模な情報ネットワークがどのようにして神話作者と官僚に頼ってきたか
⇒聖書の物語と教会官僚による選択のバランスで制度や社会の特徴が決まるなど
・脳内記憶の検索は効率的で早いが文書記録の検索は生物学的システムには頼れない
・誰かが(自然秩序ではなく)文書を分類する新しい秩序を考案する必要があった
・この新しい秩序が官僚制⇒ビューロ(書き机)クラシー(支配)
・神話作者と同様、官僚は秩序のために真実を犠牲にする傾向がある
・バイアスでレッテルを貼るアルゴリズムや人間の欲求や感情を無視する手順など
・21世紀の情報ネットワークが抱える多くの問題は典型的な官僚制の問題
・新型コロナ研究のような全体的な科学アプローチを要するものには適さない
・統計、生物、化学、政治、歴史など科学が官僚制で領域ごとに分割されているから
・この境界は客観的な現実ではなく人間の共同主観的な約束事
・だが大規模なネットワークを管理するのに(完璧ではない)官僚制に優る方法があるか
・官僚制によるレッテルを貼る任務は人間でもAIでも関係ない
・第Ⅱ部では官僚と神話作者の役割をAIがどのように担っていくかを見るが、
・以下の章は情報ネットワークの誤りに対する過去の自己修正メカニズムについての考察
(イーロン・マスクの真実追及AI(TruthGPT)は危険な空想で過去なら宗教の役割になり、
その最も重要な機能は社会の秩序のために超人間的な正当性を提供すること)
第4章
⇒誤情報の問題と自己修正メカニズムの利点と欠点
⇒カトリック教会と科学系学会との比較(自己修正メカニズムの強弱)
⇒弱ければ近世の魔女狩りにもなるが、強ければネットワークを内部から不安定にすることも
・独裁社会は強力な自己修正メカニズムを欠いた中央集権型の情報ネットワーク
・民主社会は強力な自己修正メカニズムを持つ分散型の情報ネットワーク
(中枢はあるがそれ以外にも多くの情報の経路がある)
第5章
⇒分散型の情報ネットワークと中央集中型の情報ネットワークとの比較
⇒民主主義体制と全体主義体制の情報の流れ方どちらにも長所と短所がある
・真実を隠す歪めるという選択肢だけは選挙で提示されるべきでない(気候変動など)
・学術機関とメディアと司法制度は独自の自己修正メカニズムを内部に持っている
・人民を一元的な存在として指導者と異なる意見を排除するのがポピュリズム
・政治領域の権限は人民に由来するが他の領域の権限は別のものに由来することを
否定しないのが民主主義で、報道機関や裁判所や大学が真実を多数派の意思からさえ守る
・これらや官僚制への信頼性が低ければ秩序を保つのは神話しかない
⇒AIの台頭は最大の情報革命だが過去の情報革命と比較しなければ理解できない
・1618年にオランダ共和国で発行されたのが新聞(今日のダ・テレグラフ)
・新聞は定期的に発行されるので自己修正でき訂正すれば読者の信頼も勝ち取れる
・新聞により世界中の政治の性質が変わった⇒大規模な民主制が可能に
・新しい通信技術や輸送技術でマスメディアの力は強化された
(1960年のケネディとニクソンのテレビ討論会を7000万人のアメリカ人が視聴した)
・近代テクノロジーは大規模な全体主義も可能にした(ヒトラーやスターリン)
・中央集中ネットワークには秩序があり決定が早いが公式経路が遮断されれば代替がない
・よく遮断される理由は上司に悪い知らせを部下が隠すから(惨事の隠蔽も可能)
・分散型のネットワークでは遮断はなく隠蔽も不可能だが秩序が保てない
⇒聖書が正典化された経過を理解する、近世の魔女狩りやスターリンの集産化を調べる
⇒これがAIに支配権を与えたときの問題への警告になる
⇒歴史=変化の研究からAIは印刷機やラジオと根本的にどう違うのか理解可能になる
⇒確かな情報による選択を行なえば最悪の成り行きを防げることを伝えたい
・これまではどの情報ネットワークも人間の神話作者と官僚に頼って機能してきた
・文書を作成し解釈し魔女や反逆者を決めるのは人間の仕事だった
・21世紀の最大の分断は民主主義と全体主義ではなく、人間と人間以外のアルゴリズム
・コンピュータが官僚制を動かしアルゴリズムが新しい神話を創作するとき、人間のものとは
異質の知能(エイリアン・インテリジェンス)は人間の全てを監視できるが、人間はエイリアン・
インテリジェンスが何をしているのか殆ど何もわからない
・そのときの暮らしはどうなるのかを第Ⅱ部で探る
第Ⅱ部「非有機的ネットワーク」では第Ⅰ部での歴史の概観を踏まえ、
AI台頭の政治的意味合いに焦点を合わせながら今日の新しい情報ネットワークを考察する
第6章~第8章
⇒2016~17ミャンマー抗争でのSNSアルゴリズムなど世界各地の近年の例を論じる
⇒AIがこれまでの情報テクノロジーとどのように違うかを説明
(例が20年代ではなく10年代なのは多少でも歴史的に捉えられるから)
・コンピュータとは自ら決定し、自ら新しい考えを生み出す機械
・粘土板、印刷機、ラジオなど従来の情報テクノロジーをはるかに凌ぐもの
・AIは聖書にどの巻を含めるか、どの演説を放送するか、その原稿作成までこなす
・フェイスブックのアルゴリズムはミャンマーの慈悲側ではなく非道側を推奨した(2016)
・残虐行為の責任は軍幹部、重役、開発エンジニアだけでなくアルゴリズム自体にもある
・AIアルゴリズムはプログラムしなかったことを学び決定する⇒これがAI革命の神髄
・エイリアン・インテリジェンスの決定や目標で人間が制御されている
・知能とは目標を達成する能力、意識とは主観的な感覚や感情を経験する能力で、人間など
哺乳動物では密接に結びつくが全く別物、細菌や植物は意識は持たないが知能を示す
(知能だけで情報を集め選択し食べ物を獲得し繁殖し他の生き物と協力する)
・人間も呼吸や消化などの殆どは自覚することはあっても意識で決定を下すことはない
・(AIの知能が高まると意識が生ずるかどうかとは関係なく)知能があれば目標の達成には充分で
意識は必要なく、独自の目標を持ち達成のための決定を下す⇒ミャンマーやGPT4の例
⇒まったく新しい情報ネットワークを熟慮せず作り出していることの説明
・人間と人間、人間と文書の連鎖から、これまでなかった文書と文書の連鎖へ
・コンピュータは情報ネットワークの能動的な行為主体(メンバー)で自分で判断し決定する
・税法や金融の情報はどのメンバーよりも理解し独自に運用している
⇒有機的な情報ネットワークから非有機的な情報ネットワークへの移行
(炭素ベースのニューロン(神経細胞)からシリコンベースのコンピュータへ)
・文書は口を利けないがコンピュータは人間に影響を与えることができる
・コンピュータどうしが自力で関わり合っている(例えば外国為替市場の90%以上)
・大手テクノロジー企業のいう「顧客は常に正しい」は顧客がこれら企業のビジネスモデルと
活動を完全に理解していることが前提だが、顧客(や有権者や政治家)は理解できていない
・新しい情報テクノロジーで社会は変わるが、そのペース・形態・方向はかなり制御できる
・コンピュータの決定方法は人間と異なる(同じならSFに出てくる「新しい人間」)
・ソーシャルメディアは思考や行動を抑制する前頭前皮質ではなく本能に関わる大脳辺縁系の
相互接続を生み出すよう動機づけられているので危険
・アラインメント問題とクラウゼヴィッツの戦争論
・イラク占領中のアメリカ軍の中隊がモスクから攻撃された場合、モスクを戦車砲で吹き飛ばす
中隊長の決定は戦術的には正しいが、戦略的・政治的には最悪の決定になりかねない
・クラウゼヴィッツにとって合理性とはアラインメントを意味し政治目標と一致しない勝利を
追い求めるのは不合理だが軍が官僚的な性質で不合理な判断を下しやすいことが問題とする
・アルゴリズム官僚と自律型兵器システムの目標を確実に一致させるのはさらに難しい
・クラウゼヴィッツ理論の致命的な欠陥は目標を設定する合理的な方法を示していないこと
・コンピュータネットワークに覆せない最終目標を与える合理的な方法はない
・コロナ禍でのロックダウンの影響の合計を計算して苦痛が増えたのか減ったのかを判断する
ことは執拗なコンピュータならできるのか? 惨めさポイントをどう評価するのか?
・コンピュータ同士の繋がりは人間同士の共同主観的な神話と同じく強力で危険になるかも
・データベースに偏見はつきものでアルゴリズムもその偏見を持ち、それを取り除くのは難しい
⇒眠らないスパイ、何ひとつ忘れない金融業者、絶対に死なない独裁者・・・
⇒これは社会や経済や政治をどのように変えるだろうか?
第Ⅲ部「コンピュータ政治」では、非有機的な情報ネットワークの脅威と将来性に、
異なる種類の社会(民主主義と全体主義)がどう対処できるかを考察する
⇒炭素ベースの生命体が理解し制御できる可能性はあるのか・・・
第9章
⇒民主社会での非有機的ネットワークへの対処を探る
・民主社会の原則①善意②分散化③相互性は情報ネットワークにも必要
・自動化はチェスより混雑時の皿洗い、医師より子ども相手の看護師のほうが困難
・創造性を要する仕事も同様だがチェス選手やスポーツ選手は人間のまま
・近い将来に雇用は大変動するが再訓練は大きなストレス
・高い失業率が3年続いただけでヒトラーが台頭した
・混乱が果てしなく続けば民主主義はどうなるのか
・2010年代から20年代にかけ世界中で保守派が自滅している
(保守派とはすでに存在しそれなりに機能してきたものは何であれ維持する人たち)
・アメリカの共和党は非保守的なトランプにハイジャックされ既存の伝統、民主主義の制度、
エリートや公務員を退けた⇒これは保守派ではなく革命主義者そのもの
・保守派共和党の自滅により民主党は否応なく旧来の秩序と制度の守護者になった
・保守派と革新派の両方が過激な革命の誘惑に抗い民主的な伝統や制度に忠誠を保てば、
民主社会は自己修正メカニズムで技術や経済の波に乗れる
(1960年代のアメリカや日本などで70年代から80年代のコンピュータ革命にも対応した)
・2020年代の初めまでに複雑なリスク評価アルゴリズムが開発され、多くの国で裁判官も
被告も理解できないまま、部分的にリスク評価に基づいた懲役刑が宣告されている
・2016年3月のアルファ碁37手目はAIが人間とは異質のものであることを証明した
(過去2500年以上も人間の脳が探求してこなかった領域の手だったから)
(プログラムを作ったチームも37手目による終盤での勝利を説明できなかったから)
⇒たとえばAIに制御された金融制度では貨幣の意味さえアルゴリズム次第になる
⇒生身の政治家はどうやって財務上の決定を下すのか
・銀行貸付でお金が生み出される基本を正確に理解しているイギリス議会の議員は12%で
さらに複雑な金融ツールの原理を理解してるのはごく一部の金儲けの天才のみ
・AIがさらに複雑な金融ツールを創出し理解できる人間がゼロになれば民主主義はどうなるか
・アルゴリズムは大量のデータポイントで決定するが人間は苦手で個々のデータを好む
・単一原因の誤謬(単一の原因を探し特定の行動方針を取り、それ以外は考慮せずに無視する)
・融資に関するアルゴリズムによる決定に説明を義務付けたら数千ページになるだろう
(住宅ローンを申し込んだ際に最新のiPhoneを使ったことにより返済可能性が0.08%高くなり
その際のバッテリー残量が17%だったことにより返済可能性が0.5%低くなったこととか
)
・アルゴリズムが信頼できるかどうかを審査し認可する官僚制の機関が必要
・そんな機関がなければ、説明を受ける権利を定めたりコンピュータの偏見を規制しても
誰もそれを実施することはできない
⇒相手が人間なのかチャットボットなのか区別できなければ、民主社会はどうやって公の場での
話し合いを維持することができるのか
・過去には新聞社やラジオ局や政党といった組織が公共領域での発言を決めていた
・ソーシャルメディアがその力を奪い開かれたもののアナーキー無政府状態につながった
・討論の仕方や決定方法の意見がまとまらなければ結果は民主制ではなくアナーキー
・AIが公開討論にアナーキーをもたらす可能性に警戒すべき
・2016年アメリカ選挙期間中のツイートサンプル2000万件のうち380万件(約20%)がボット
・2020年代初めの調査ではツイートの43.2%がボットだった
・2022年の調査ではボットはユーザーの5%だが投稿コンテンツの20~29%を生成している
・2023年の調査では人間とChatGPTに気候変動などの正確な記事と欺く記事を書かせ700人に見せた
・人間の書いた偽記事には気づいたがAIの書いた偽記事は正確と思い込む傾向があった
・私がAIと討論して意見を変えさせようとしても意識を持たないので時間のムダであり、
私が話せば話すほど学習して私の信頼を勝ち取ったり、主張に磨きをかけて、徐々に私の意見を
変えたりすることもできる
・心理戦では、この親密さはきわめて強力な武器になる
・政党は親密さの大量生産に苦労し、指導者はラジオ演説では友にはなれかった
・大量のボットは大量の人と友情を築き、その親密さを利用して世界観に影響を与えるだろう
・公共領域がフェイクで溢れ、自分が討論してるのが人間かマシンか区別できなくなれば、
議論の最も基本的なルールや事実についての合意がすべて失われるだろう
・このアナーキー状態の次は自由と引き換えにある程度の確かさを手に入れる独裁社会
・AIのなりすましを規制することは貨幣の偽造を規制するのと同じで可能
・貨幣の偽造には各国が断固たる行動を取り貨幣に対する信頼は維持された
・人間の偽造(なりすまし)も厳しい措置で取り締まるべきでボットに言論の自由はない
・民主社会の存続は規制そのものにかかっている
・民主的な話し合いを維持するには議会、市庁舎、新聞社、ラジオ局すべて規制を必要とした
・人間と異なる形態の知能が話し合いを支配する恐れのある時代にはさらに必要
・現時点で多くの民主社会の情報ネットワークが崩壊しかけていることは明らか
・アメリカの民主党支持者と共和党支持者、フィリピンからブラジルまで過激化している
・話し合いができず相手を政治的なライバルではなく敵と見なせば民主制は保てない
・イデオロギーの隔たりが過去より大きいとは見えないのでソーシャルメディアのせいか
・これまでの章で不利な証拠はあるが他の要因が絡んでいるのも確かで、その理由が定かでは
ないのが今の時代の特徴
・情報ネットワークがあまりにも複雑化し、その決定にあまりにも依存しているため、
なぜ私たちは相争っているのかという政治の基本的な疑問さえ答えるのが難しくなってしまった
・何が破綻しているのか、大規模な民主社会が生き延びられないならどうなるか・・・
第10章
⇒全体主義への非有機的ネットワークの影響を探る
⇒独裁者は話し合いがなくなることを喜ぶが独裁国家は威嚇や粛清で成り立っている
⇒どうやってAIを威嚇したり粛清したり、その台頭を防いだりできるか
・データが多いほど優れたアルゴリズムを開発できる(2023年の検索の91.5%はグーグル)
・ブラジルが自国の医療制度のために遺伝子研究のアルゴリズムを購入しようとする場合、
人口500万で遺伝子記録がプライバシー規則で制限されているニュージーランドのと、
人口14億でプライバシー規制が緩い中国のと、どちらのアルゴリズムを選ぶかは明らか
・人口2億のブラジルが購入することにより、さらにその性能はよくなる
・中国のアルゴリズムを選ぶ国が増え、世界の医療情報の殆どが中国に流れて無敵になる
・ブロックチェーンシステムは決定にユーザーの51%の承認が必要なので民主的?
・ユーザーである政府がアカウントの51%を支配している例がすでに存在する
・独裁情報ネットワークの基盤は恐怖だがコンピュータは恐れない
・チャットボットをブロックしたり削除したり作った人間を罰したりはできても、
自力で学習しコンテンツを生成し話し合うボットで埋め尽くされたらどうなるか
・政権に完全に一致したAIを作っても学習して自らを変えることは防げない
・1955年7月9日の「ラッセル・アインシュタイン宣言」はAIにも当てはまる
・民主社会と独裁社会の両方が用心しないとAIが権力を奪う
第11章
⇒新しい情報ネットワークが民主主義社会と全体主義社会の力の均衡に、どのような影響を
与え得るかを探る
⇒AIはどちらの陣営に決定的に有利な形で、そのバランスを崩すか?
⇒敵対するブロックに分裂し、その対立のせいで制御不能のAIの餌食になるのか、
⇒それとも団結して共通の利益を守ることができるか?
・カタール、トンガ、キリバス、ソロモン諸島は1970年代に大英帝国から独立し、
現在では国際的な舞台で影響力を発揮している
・この事実は21世紀の25年間は権力が少数の帝国だけに握られていないことを立証している
・今後の国際社会はコンピュータにより情報と権力を中央の拠点に集中しやすくなるので、
人類は新しい帝国主義の時代に入る可能性がある
・異なるネットワークのデジタル帝国に分断され、そのネットワークに統制されている人間も
分断され、意思疎通も合意も不可能になり敵対してAIを規制することもできなくなるかも
・19世紀半ばからの帝国の世界征服が21世紀のAIにも起こるか
・企業間の開発競争は一つの政府といくつかの企業からなる競合するチーム間のレースに
・政治家など自国の主要人物のあらゆるデータを北京かサンフランシスコの誰かが知っている場合、
あなたの国は独立国なのかデータ植民地なのか?
・多くの国が自国に危険と看做すアプリを禁止しているが、データ植民地主義は
社会信用システムの拡張という形で現れる場合もある
・世界中でアメリカドルが商取引に使われているのと同様に、あらゆる国で中国かアメリカの
社会信用システムをチケット購入からビザや奨学金の申請、仕事への応募にも使い始めるかも
・19世紀や20世紀の植民地は原材料を提供し最大利益を生む最先端の産業は帝国の中枢に
・21世紀のデータ植民地はデータを提供し帝国の中枢で最先端テクノロジーが開発され、
これらのアルゴリズムはデータ植民地に輸出される
・北京やサンフランシスコの中枢企業は豊かになるが植民地には利益も権力も分配されない
・中国とアメリカ、あるいはロシアとEUのようにシリコンのカーテンを越えて情報にアクセス
することは難しくなっている(スマーフォンのコードでカーテンのどちら側にいるかわかる)
・ソフトもハードも企業も両国で異なり殆どの国が両国に頼っている
・サイバー戦争は核戦争と異なり密かに行えるので誘惑は大きい
・核兵器のような確実性がなく相互確証破壊の原則が損なわれるので先制攻撃の誘惑も大きい
・国際コミュニティへの協力は国民の独立と独自の伝統を損なうというポピュリストの主張
・幸いにこの二者択一は根本の前提が間違っている
・国民を大切にするためには外国人と協力する必要があるから(新型コロナの例)
・グローバリズムの第1の原則はいくつかのグローバルな原則に従うこと
(サッカーワールドカップでは同じルールへの合意がないと試合ができない)
・グローバリズムの第2の原則は(ときには)一部の人の短期的な利益よりも全人類の長期的な
利益を優先させる必要があること
(ワールドカップでの薬物使用はいずれ生化学者の競争になる可能性があることを誰もが
認識しているので使用しないことに合意している)
・テクノロジーの他の分野でも国家の利益とグローバルな利益のバランスをとるべき
・(ときには)自立型兵器や世論操作アルゴリズムといった危険なテクノロジーの開発と導入を
(純粋な利他主義からではなく自己保存のために)制限することに合意すべき
・違法AIは違法原子炉より隠しやすく、AIは核爆弾より民生用途が多いので規制は困難?
・ポピュリストはジャングルの弱肉強食、マルクス主義者は人間の権力志向を主張するが、
実際のジャングルはあらゆる生物の共生と協力と利他主義で成り立っており、石器時代の人類は
狩猟者であるとともに採集者であり、組織的な戦争の証拠は僅か13000年前に過ぎない
・長期的な人類史で見えるパターンは争いではなく協力の規模の拡大
・国家予算に占める軍事費の割合
・1065年の宋王朝では83%、ローマ帝国は50~75%、17世紀後半のオスマン帝国では約60%、
1685~1813のイギリス政府の平均支出は75%、フランス、プロイセンもほぼ同様・・・
第一次世界大戦ではアメリカの47%からドイツの91%まで、第二次世界大戦ではイギリス69%、
アメリカ71%、1970年代の緊張緩和デタント時期でもソ連は32.5%だった
・21世紀のはじめには各国平均で7%になり、軍事大国アメリカでさえ13%前後で推移した
・戦争の減少は神の奇跡や自然法則の変化によるものではなく人間の選択なので逆転可能
・2020年代はじめから軍事予算は増加しており一線を越えたのが2022年のウクライナ侵攻
・残された選択肢は捕食者か被食者のどちらかで、たいていの指導者は捕食者を選ぶだろう
・だがAI時代の最上位の捕食者はAIになる可能性が高いことを肝に銘じるべき
(・・・といった道筋で展開していくのだが、)
⇒過去と現在と未来を探る前に、一見単純な疑問から始める必要がある
⇒情報とは、いったい何なのか?
と、プロローグから第1章「情報とは何か?」の冒頭に続くわけで・・・(以下略)
(追記です)
AIについては2021年(ウクライナ侵攻前)の出版物ですが、こちらの本も参考になりました


ユヴァル・ノア・ハラリ著「NEXUSネクサス情報の人類史」であります
以前も書きましたが、わたくし、
半世紀以上前の学生時代に、小松左京氏の特別講義「現代史」を聴講してました
今なら「情報史」とでもいうべき授業で、生命の誕生つまり情報伝達が始まった時点からが
「現代」なので、まずはそこから・・・と、当時としては画期的な内容でした
まだ情報処理という言葉さえ殆ど知られていない時代に、当時最新分野だった生命史や人類史、
遺伝子研究に関する最新情報などを活き活きと話されてたことを覚えてますが、あの時代に
すでに現代の情報化社会を的確に予測されてたんですね
「いつか人類が月面に立つことは昔から予想されてたけど、その瞬間を世界中の人々が家に
居ながら同時に観ているとは誰も予想してなかった」という言葉が印象的でした
閑話休題
上巻の惹句

下巻の惹句

下巻の奥付

著者・訳者の紹介

そう、こちらの本ではジャレド・ダイアモンドらとともに、その人類のビッグストーリーを、
こちらのノーベル経済学賞を受賞した著者の本では、そのテクノロジーへの見方を批判されてた、
あの「サピエンス全史」の著者であります

目次



なにせ分厚い上下巻で挿絵や図表も殆どなく細かい文字がぎっしり・・・ですから、
とてもすべてからメモすることなど不可能・・・
つーことでプロローグにあった「今後の道筋」部分のみ要点をメモしておきます
(ただし「・」部分は各章本文からのてきとー抜粋メモです)
(てきとーですが著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
第Ⅰ部「人間のネットワーク」では、
まず人間の大規模な情報ネットワークに不可欠だった神話と官僚制を考察する
第1章(情報とは何か⇒略)
第2章と第3章
⇒大規模な情報ネットワークがどのようにして神話作者と官僚に頼ってきたか
⇒聖書の物語と教会官僚による選択のバランスで制度や社会の特徴が決まるなど
・脳内記憶の検索は効率的で早いが文書記録の検索は生物学的システムには頼れない
・誰かが(自然秩序ではなく)文書を分類する新しい秩序を考案する必要があった
・この新しい秩序が官僚制⇒ビューロ(書き机)クラシー(支配)
・神話作者と同様、官僚は秩序のために真実を犠牲にする傾向がある
・バイアスでレッテルを貼るアルゴリズムや人間の欲求や感情を無視する手順など
・21世紀の情報ネットワークが抱える多くの問題は典型的な官僚制の問題
・新型コロナ研究のような全体的な科学アプローチを要するものには適さない
・統計、生物、化学、政治、歴史など科学が官僚制で領域ごとに分割されているから
・この境界は客観的な現実ではなく人間の共同主観的な約束事
・だが大規模なネットワークを管理するのに(完璧ではない)官僚制に優る方法があるか
・官僚制によるレッテルを貼る任務は人間でもAIでも関係ない
・第Ⅱ部では官僚と神話作者の役割をAIがどのように担っていくかを見るが、
・以下の章は情報ネットワークの誤りに対する過去の自己修正メカニズムについての考察
(イーロン・マスクの真実追及AI(TruthGPT)は危険な空想で過去なら宗教の役割になり、
その最も重要な機能は社会の秩序のために超人間的な正当性を提供すること)
第4章
⇒誤情報の問題と自己修正メカニズムの利点と欠点
⇒カトリック教会と科学系学会との比較(自己修正メカニズムの強弱)
⇒弱ければ近世の魔女狩りにもなるが、強ければネットワークを内部から不安定にすることも
・独裁社会は強力な自己修正メカニズムを欠いた中央集権型の情報ネットワーク
・民主社会は強力な自己修正メカニズムを持つ分散型の情報ネットワーク
(中枢はあるがそれ以外にも多くの情報の経路がある)
第5章
⇒分散型の情報ネットワークと中央集中型の情報ネットワークとの比較
⇒民主主義体制と全体主義体制の情報の流れ方どちらにも長所と短所がある
・真実を隠す歪めるという選択肢だけは選挙で提示されるべきでない(気候変動など)
・学術機関とメディアと司法制度は独自の自己修正メカニズムを内部に持っている
・人民を一元的な存在として指導者と異なる意見を排除するのがポピュリズム
・政治領域の権限は人民に由来するが他の領域の権限は別のものに由来することを
否定しないのが民主主義で、報道機関や裁判所や大学が真実を多数派の意思からさえ守る
・これらや官僚制への信頼性が低ければ秩序を保つのは神話しかない
⇒AIの台頭は最大の情報革命だが過去の情報革命と比較しなければ理解できない
・1618年にオランダ共和国で発行されたのが新聞(今日のダ・テレグラフ)
・新聞は定期的に発行されるので自己修正でき訂正すれば読者の信頼も勝ち取れる
・新聞により世界中の政治の性質が変わった⇒大規模な民主制が可能に
・新しい通信技術や輸送技術でマスメディアの力は強化された
(1960年のケネディとニクソンのテレビ討論会を7000万人のアメリカ人が視聴した)
・近代テクノロジーは大規模な全体主義も可能にした(ヒトラーやスターリン)
・中央集中ネットワークには秩序があり決定が早いが公式経路が遮断されれば代替がない
・よく遮断される理由は上司に悪い知らせを部下が隠すから(惨事の隠蔽も可能)
・分散型のネットワークでは遮断はなく隠蔽も不可能だが秩序が保てない
⇒聖書が正典化された経過を理解する、近世の魔女狩りやスターリンの集産化を調べる
⇒これがAIに支配権を与えたときの問題への警告になる
⇒歴史=変化の研究からAIは印刷機やラジオと根本的にどう違うのか理解可能になる
⇒確かな情報による選択を行なえば最悪の成り行きを防げることを伝えたい
・これまではどの情報ネットワークも人間の神話作者と官僚に頼って機能してきた
・文書を作成し解釈し魔女や反逆者を決めるのは人間の仕事だった
・21世紀の最大の分断は民主主義と全体主義ではなく、人間と人間以外のアルゴリズム
・コンピュータが官僚制を動かしアルゴリズムが新しい神話を創作するとき、人間のものとは
異質の知能(エイリアン・インテリジェンス)は人間の全てを監視できるが、人間はエイリアン・
インテリジェンスが何をしているのか殆ど何もわからない
・そのときの暮らしはどうなるのかを第Ⅱ部で探る
第Ⅱ部「非有機的ネットワーク」では第Ⅰ部での歴史の概観を踏まえ、
AI台頭の政治的意味合いに焦点を合わせながら今日の新しい情報ネットワークを考察する
第6章~第8章
⇒2016~17ミャンマー抗争でのSNSアルゴリズムなど世界各地の近年の例を論じる
⇒AIがこれまでの情報テクノロジーとどのように違うかを説明
(例が20年代ではなく10年代なのは多少でも歴史的に捉えられるから)
・コンピュータとは自ら決定し、自ら新しい考えを生み出す機械
・粘土板、印刷機、ラジオなど従来の情報テクノロジーをはるかに凌ぐもの
・AIは聖書にどの巻を含めるか、どの演説を放送するか、その原稿作成までこなす
・フェイスブックのアルゴリズムはミャンマーの慈悲側ではなく非道側を推奨した(2016)
・残虐行為の責任は軍幹部、重役、開発エンジニアだけでなくアルゴリズム自体にもある
・AIアルゴリズムはプログラムしなかったことを学び決定する⇒これがAI革命の神髄
・エイリアン・インテリジェンスの決定や目標で人間が制御されている
・知能とは目標を達成する能力、意識とは主観的な感覚や感情を経験する能力で、人間など
哺乳動物では密接に結びつくが全く別物、細菌や植物は意識は持たないが知能を示す
(知能だけで情報を集め選択し食べ物を獲得し繁殖し他の生き物と協力する)
・人間も呼吸や消化などの殆どは自覚することはあっても意識で決定を下すことはない
・(AIの知能が高まると意識が生ずるかどうかとは関係なく)知能があれば目標の達成には充分で
意識は必要なく、独自の目標を持ち達成のための決定を下す⇒ミャンマーやGPT4の例
⇒まったく新しい情報ネットワークを熟慮せず作り出していることの説明
・人間と人間、人間と文書の連鎖から、これまでなかった文書と文書の連鎖へ
・コンピュータは情報ネットワークの能動的な行為主体(メンバー)で自分で判断し決定する
・税法や金融の情報はどのメンバーよりも理解し独自に運用している
⇒有機的な情報ネットワークから非有機的な情報ネットワークへの移行
(炭素ベースのニューロン(神経細胞)からシリコンベースのコンピュータへ)
・文書は口を利けないがコンピュータは人間に影響を与えることができる
・コンピュータどうしが自力で関わり合っている(例えば外国為替市場の90%以上)
・大手テクノロジー企業のいう「顧客は常に正しい」は顧客がこれら企業のビジネスモデルと
活動を完全に理解していることが前提だが、顧客(や有権者や政治家)は理解できていない
・新しい情報テクノロジーで社会は変わるが、そのペース・形態・方向はかなり制御できる
・コンピュータの決定方法は人間と異なる(同じならSFに出てくる「新しい人間」)
・ソーシャルメディアは思考や行動を抑制する前頭前皮質ではなく本能に関わる大脳辺縁系の
相互接続を生み出すよう動機づけられているので危険
・アラインメント問題とクラウゼヴィッツの戦争論
・イラク占領中のアメリカ軍の中隊がモスクから攻撃された場合、モスクを戦車砲で吹き飛ばす
中隊長の決定は戦術的には正しいが、戦略的・政治的には最悪の決定になりかねない
・クラウゼヴィッツにとって合理性とはアラインメントを意味し政治目標と一致しない勝利を
追い求めるのは不合理だが軍が官僚的な性質で不合理な判断を下しやすいことが問題とする
・アルゴリズム官僚と自律型兵器システムの目標を確実に一致させるのはさらに難しい
・クラウゼヴィッツ理論の致命的な欠陥は目標を設定する合理的な方法を示していないこと
・コンピュータネットワークに覆せない最終目標を与える合理的な方法はない
・コロナ禍でのロックダウンの影響の合計を計算して苦痛が増えたのか減ったのかを判断する
ことは執拗なコンピュータならできるのか? 惨めさポイントをどう評価するのか?
・コンピュータ同士の繋がりは人間同士の共同主観的な神話と同じく強力で危険になるかも
・データベースに偏見はつきものでアルゴリズムもその偏見を持ち、それを取り除くのは難しい
⇒眠らないスパイ、何ひとつ忘れない金融業者、絶対に死なない独裁者・・・
⇒これは社会や経済や政治をどのように変えるだろうか?
第Ⅲ部「コンピュータ政治」では、非有機的な情報ネットワークの脅威と将来性に、
異なる種類の社会(民主主義と全体主義)がどう対処できるかを考察する
⇒炭素ベースの生命体が理解し制御できる可能性はあるのか・・・
第9章
⇒民主社会での非有機的ネットワークへの対処を探る
・民主社会の原則①善意②分散化③相互性は情報ネットワークにも必要
・自動化はチェスより混雑時の皿洗い、医師より子ども相手の看護師のほうが困難
・創造性を要する仕事も同様だがチェス選手やスポーツ選手は人間のまま
・近い将来に雇用は大変動するが再訓練は大きなストレス
・高い失業率が3年続いただけでヒトラーが台頭した
・混乱が果てしなく続けば民主主義はどうなるのか
・2010年代から20年代にかけ世界中で保守派が自滅している
(保守派とはすでに存在しそれなりに機能してきたものは何であれ維持する人たち)
・アメリカの共和党は非保守的なトランプにハイジャックされ既存の伝統、民主主義の制度、
エリートや公務員を退けた⇒これは保守派ではなく革命主義者そのもの
・保守派共和党の自滅により民主党は否応なく旧来の秩序と制度の守護者になった
・保守派と革新派の両方が過激な革命の誘惑に抗い民主的な伝統や制度に忠誠を保てば、
民主社会は自己修正メカニズムで技術や経済の波に乗れる
(1960年代のアメリカや日本などで70年代から80年代のコンピュータ革命にも対応した)
・2020年代の初めまでに複雑なリスク評価アルゴリズムが開発され、多くの国で裁判官も
被告も理解できないまま、部分的にリスク評価に基づいた懲役刑が宣告されている
・2016年3月のアルファ碁37手目はAIが人間とは異質のものであることを証明した
(過去2500年以上も人間の脳が探求してこなかった領域の手だったから)
(プログラムを作ったチームも37手目による終盤での勝利を説明できなかったから)
⇒たとえばAIに制御された金融制度では貨幣の意味さえアルゴリズム次第になる
⇒生身の政治家はどうやって財務上の決定を下すのか
・銀行貸付でお金が生み出される基本を正確に理解しているイギリス議会の議員は12%で
さらに複雑な金融ツールの原理を理解してるのはごく一部の金儲けの天才のみ
・AIがさらに複雑な金融ツールを創出し理解できる人間がゼロになれば民主主義はどうなるか
・アルゴリズムは大量のデータポイントで決定するが人間は苦手で個々のデータを好む
・単一原因の誤謬(単一の原因を探し特定の行動方針を取り、それ以外は考慮せずに無視する)
・融資に関するアルゴリズムによる決定に説明を義務付けたら数千ページになるだろう
(住宅ローンを申し込んだ際に最新のiPhoneを使ったことにより返済可能性が0.08%高くなり
その際のバッテリー残量が17%だったことにより返済可能性が0.5%低くなったこととか
)・アルゴリズムが信頼できるかどうかを審査し認可する官僚制の機関が必要
・そんな機関がなければ、説明を受ける権利を定めたりコンピュータの偏見を規制しても
誰もそれを実施することはできない
⇒相手が人間なのかチャットボットなのか区別できなければ、民主社会はどうやって公の場での
話し合いを維持することができるのか
・過去には新聞社やラジオ局や政党といった組織が公共領域での発言を決めていた
・ソーシャルメディアがその力を奪い開かれたもののアナーキー無政府状態につながった
・討論の仕方や決定方法の意見がまとまらなければ結果は民主制ではなくアナーキー
・AIが公開討論にアナーキーをもたらす可能性に警戒すべき
・2016年アメリカ選挙期間中のツイートサンプル2000万件のうち380万件(約20%)がボット
・2020年代初めの調査ではツイートの43.2%がボットだった
・2022年の調査ではボットはユーザーの5%だが投稿コンテンツの20~29%を生成している
・2023年の調査では人間とChatGPTに気候変動などの正確な記事と欺く記事を書かせ700人に見せた
・人間の書いた偽記事には気づいたがAIの書いた偽記事は正確と思い込む傾向があった
・私がAIと討論して意見を変えさせようとしても意識を持たないので時間のムダであり、
私が話せば話すほど学習して私の信頼を勝ち取ったり、主張に磨きをかけて、徐々に私の意見を
変えたりすることもできる
・心理戦では、この親密さはきわめて強力な武器になる
・政党は親密さの大量生産に苦労し、指導者はラジオ演説では友にはなれかった
・大量のボットは大量の人と友情を築き、その親密さを利用して世界観に影響を与えるだろう
・公共領域がフェイクで溢れ、自分が討論してるのが人間かマシンか区別できなくなれば、
議論の最も基本的なルールや事実についての合意がすべて失われるだろう
・このアナーキー状態の次は自由と引き換えにある程度の確かさを手に入れる独裁社会
・AIのなりすましを規制することは貨幣の偽造を規制するのと同じで可能
・貨幣の偽造には各国が断固たる行動を取り貨幣に対する信頼は維持された
・人間の偽造(なりすまし)も厳しい措置で取り締まるべきでボットに言論の自由はない
・民主社会の存続は規制そのものにかかっている
・民主的な話し合いを維持するには議会、市庁舎、新聞社、ラジオ局すべて規制を必要とした
・人間と異なる形態の知能が話し合いを支配する恐れのある時代にはさらに必要
・現時点で多くの民主社会の情報ネットワークが崩壊しかけていることは明らか
・アメリカの民主党支持者と共和党支持者、フィリピンからブラジルまで過激化している
・話し合いができず相手を政治的なライバルではなく敵と見なせば民主制は保てない
・イデオロギーの隔たりが過去より大きいとは見えないのでソーシャルメディアのせいか
・これまでの章で不利な証拠はあるが他の要因が絡んでいるのも確かで、その理由が定かでは
ないのが今の時代の特徴
・情報ネットワークがあまりにも複雑化し、その決定にあまりにも依存しているため、
なぜ私たちは相争っているのかという政治の基本的な疑問さえ答えるのが難しくなってしまった
・何が破綻しているのか、大規模な民主社会が生き延びられないならどうなるか・・・
第10章
⇒全体主義への非有機的ネットワークの影響を探る
⇒独裁者は話し合いがなくなることを喜ぶが独裁国家は威嚇や粛清で成り立っている
⇒どうやってAIを威嚇したり粛清したり、その台頭を防いだりできるか
・データが多いほど優れたアルゴリズムを開発できる(2023年の検索の91.5%はグーグル)
・ブラジルが自国の医療制度のために遺伝子研究のアルゴリズムを購入しようとする場合、
人口500万で遺伝子記録がプライバシー規則で制限されているニュージーランドのと、
人口14億でプライバシー規制が緩い中国のと、どちらのアルゴリズムを選ぶかは明らか
・人口2億のブラジルが購入することにより、さらにその性能はよくなる
・中国のアルゴリズムを選ぶ国が増え、世界の医療情報の殆どが中国に流れて無敵になる
・ブロックチェーンシステムは決定にユーザーの51%の承認が必要なので民主的?
・ユーザーである政府がアカウントの51%を支配している例がすでに存在する
・独裁情報ネットワークの基盤は恐怖だがコンピュータは恐れない
・チャットボットをブロックしたり削除したり作った人間を罰したりはできても、
自力で学習しコンテンツを生成し話し合うボットで埋め尽くされたらどうなるか
・政権に完全に一致したAIを作っても学習して自らを変えることは防げない
・1955年7月9日の「ラッセル・アインシュタイン宣言」はAIにも当てはまる
・民主社会と独裁社会の両方が用心しないとAIが権力を奪う
第11章
⇒新しい情報ネットワークが民主主義社会と全体主義社会の力の均衡に、どのような影響を
与え得るかを探る
⇒AIはどちらの陣営に決定的に有利な形で、そのバランスを崩すか?
⇒敵対するブロックに分裂し、その対立のせいで制御不能のAIの餌食になるのか、
⇒それとも団結して共通の利益を守ることができるか?
・カタール、トンガ、キリバス、ソロモン諸島は1970年代に大英帝国から独立し、
現在では国際的な舞台で影響力を発揮している
・この事実は21世紀の25年間は権力が少数の帝国だけに握られていないことを立証している
・今後の国際社会はコンピュータにより情報と権力を中央の拠点に集中しやすくなるので、
人類は新しい帝国主義の時代に入る可能性がある
・異なるネットワークのデジタル帝国に分断され、そのネットワークに統制されている人間も
分断され、意思疎通も合意も不可能になり敵対してAIを規制することもできなくなるかも
・19世紀半ばからの帝国の世界征服が21世紀のAIにも起こるか
・企業間の開発競争は一つの政府といくつかの企業からなる競合するチーム間のレースに
・政治家など自国の主要人物のあらゆるデータを北京かサンフランシスコの誰かが知っている場合、
あなたの国は独立国なのかデータ植民地なのか?
・多くの国が自国に危険と看做すアプリを禁止しているが、データ植民地主義は
社会信用システムの拡張という形で現れる場合もある
・世界中でアメリカドルが商取引に使われているのと同様に、あらゆる国で中国かアメリカの
社会信用システムをチケット購入からビザや奨学金の申請、仕事への応募にも使い始めるかも
・19世紀や20世紀の植民地は原材料を提供し最大利益を生む最先端の産業は帝国の中枢に
・21世紀のデータ植民地はデータを提供し帝国の中枢で最先端テクノロジーが開発され、
これらのアルゴリズムはデータ植民地に輸出される
・北京やサンフランシスコの中枢企業は豊かになるが植民地には利益も権力も分配されない
・中国とアメリカ、あるいはロシアとEUのようにシリコンのカーテンを越えて情報にアクセス
することは難しくなっている(スマーフォンのコードでカーテンのどちら側にいるかわかる)
・ソフトもハードも企業も両国で異なり殆どの国が両国に頼っている
・サイバー戦争は核戦争と異なり密かに行えるので誘惑は大きい
・核兵器のような確実性がなく相互確証破壊の原則が損なわれるので先制攻撃の誘惑も大きい
・国際コミュニティへの協力は国民の独立と独自の伝統を損なうというポピュリストの主張
・幸いにこの二者択一は根本の前提が間違っている
・国民を大切にするためには外国人と協力する必要があるから(新型コロナの例)
・グローバリズムの第1の原則はいくつかのグローバルな原則に従うこと
(サッカーワールドカップでは同じルールへの合意がないと試合ができない)
・グローバリズムの第2の原則は(ときには)一部の人の短期的な利益よりも全人類の長期的な
利益を優先させる必要があること
(ワールドカップでの薬物使用はいずれ生化学者の競争になる可能性があることを誰もが
認識しているので使用しないことに合意している)
・テクノロジーの他の分野でも国家の利益とグローバルな利益のバランスをとるべき
・(ときには)自立型兵器や世論操作アルゴリズムといった危険なテクノロジーの開発と導入を
(純粋な利他主義からではなく自己保存のために)制限することに合意すべき
・違法AIは違法原子炉より隠しやすく、AIは核爆弾より民生用途が多いので規制は困難?
・ポピュリストはジャングルの弱肉強食、マルクス主義者は人間の権力志向を主張するが、
実際のジャングルはあらゆる生物の共生と協力と利他主義で成り立っており、石器時代の人類は
狩猟者であるとともに採集者であり、組織的な戦争の証拠は僅か13000年前に過ぎない
・長期的な人類史で見えるパターンは争いではなく協力の規模の拡大
・国家予算に占める軍事費の割合
・1065年の宋王朝では83%、ローマ帝国は50~75%、17世紀後半のオスマン帝国では約60%、
1685~1813のイギリス政府の平均支出は75%、フランス、プロイセンもほぼ同様・・・
第一次世界大戦ではアメリカの47%からドイツの91%まで、第二次世界大戦ではイギリス69%、
アメリカ71%、1970年代の緊張緩和デタント時期でもソ連は32.5%だった
・21世紀のはじめには各国平均で7%になり、軍事大国アメリカでさえ13%前後で推移した
・戦争の減少は神の奇跡や自然法則の変化によるものではなく人間の選択なので逆転可能
・2020年代はじめから軍事予算は増加しており一線を越えたのが2022年のウクライナ侵攻
・残された選択肢は捕食者か被食者のどちらかで、たいていの指導者は捕食者を選ぶだろう
・だがAI時代の最上位の捕食者はAIになる可能性が高いことを肝に銘じるべき
(・・・といった道筋で展開していくのだが、)
⇒過去と現在と未来を探る前に、一見単純な疑問から始める必要がある
⇒情報とは、いったい何なのか?
と、プロローグから第1章「情報とは何か?」の冒頭に続くわけで・・・(以下略)

(追記です)
AIについては2021年(ウクライナ侵攻前)の出版物ですが、こちらの本も参考になりました
2026年01月16日
宮崎駿の「罪」と「祈り」メモ後半
ええ、前回記事からの続きであります


宮崎駿の「罪」と「祈り」~アニミズムで読み解くジブリ作品史~
・・・の読書メモの後半であります
後半もてきとーメモですが前半同様、勝手に作品番号を付けてます
さらに宮崎駿本人の言葉には「」を付けたつもりです
(以下も著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
第三章より
⑬千と千尋の神隠し2001~現代の子供たちが危機の時代を生きていくために~
・宮崎作品の折り返し点は漫画版ナウシカの完結1994と、もののけ姫1997だった
⇒科学や資本主義や戦争や過ちも含んだ人類史も自然と考える高次のアニミズムへ
⇒次の本作はアニミズム=自然=母の系列が中心の抜けと自由自在さがある快楽的な作品
・主人公の千尋は現代的で功利的な両親に育てられた陰鬱で活力のない人物として現れる
⇒古くからの信仰を蔑ろにした跡のある森を破壊した新興住宅地に向かっている
「善も悪も存在する世界(世の中)に投げ込まれ修行し友愛と献身を学び生還する少女」
⇒薄汚れた現実に接触するリハビリをして生命の活力を取り戻すこと
・地球全体の環境問題を考えるのではなく身近なところで手を動かす方がいい
⇒宮崎自身が川の掃除やごみ拾いを日常的にするようになっていた
⇒汚れた世界の肯定へのリハビリ、潔癖症克服のための訓練のような映画
⇒社会では善悪や敵味方だけでなく清潔と汚濁も曖昧で、それを呑み込む歩き方を教える映画
「環境問題を含め、すべてのコントロールに失敗したのが20世紀の結論」
⇒それが見えてきた時代に何を子どもに語るのか
⇒「何よりも丈夫にして知的好奇心を持ち続けるようにすること」
⇒「具体的にはこの世界と噛み合うようにすること、そのための子ども時代」
・巨樹を見に行く1994で、
⇒一本の樹を中心にした映画を作りたいと書いていた
⇒千と千尋の油屋、ハウルの城はこの樹を翻案したものではないか
⇒対立するもの、異なるものが共存している
⇒共存させるプラットフォームとしての樹=油屋=ハウルの城
・前半の油屋(スタジオジブリ?)での性風俗やアニメーション産業を思わせる
乱痴気騒ぎはカオナシ(観客)への千尋の行動によって転調する
⇒特別な英雄ではない千尋のひたむきな愛⇒千尋とハクの愛も
⇒愛による救済という主題が極点に達するのが次作ハウルの動く城
・電車シーンの解釈
⇒欲望の象徴になったカオナシ(観客)を千尋が澄み切った森へ連れていくという解釈
⇒紅の豚で無数の飛行機が向かう先と同じ死後の世界へ行って癒され戻ってくるという解釈
⑭めいとこねこバス2002(短編)~ジブリ作品におけるネコの系譜~(略)
・魔女の宅急便のジジ、トトロのネコバス、耳をすませばのムーン、猫の恩返しの猫たち、
アリエッティのニーヤ、アーヤと魔女のトーマス・・・(略)
⇒ファンタジーや魔法の世界へ導く通路として共通している(略)
⑮ハウルの動く城2004~父の系列と母の系列の統合~
・千と千尋の反対の極に振れて「父の罪」に近づいた作品
⇒強調されるのが愛による救済という主題
・モノトーンとカラフルなどが移り変わる不安定さ
⇒ソフィー(愛)とハウル(戦争)の間で揺れ動く宮崎の振れ幅(原作にはなかった要素)
・ソフィーは死(草原の小さい家)による安息以外の救済方法を探ろうとする
⇒それが愛による救済
⇒獣ハウルも荒地の魔女もサリマンのスパイ犬も助け、案山子カブも受け入れる
⇒ソフィーの血縁家族に対比される非血縁家族に
⇒城=樹の受容性が登場人物ソフィーに移行していく
・愛と信頼、過去に遡ってまで闇を共有する覚悟による癒しが奇蹟を起こす
⇒筆者の初見では戦争などの重さにこの結末は受け入れにくかった
⇒だが母の系列と父の系列のジレンマの統合として観た場合に心に深く響いた
⇒父と母に分裂していた葛藤の後に母=樹が全てを呑み込み解決するという結末
⇒愛や優しさが愚考の連鎖を止め得るのではないかという期待と夢を信じようという
覚悟に辿り着く物語であるように感じられた
⑯崖の上のポニョ2008~祝福と肯定の実現~
・老いと波とあの世の話で父の影を振り切り母の方向に突き進んだ極み
⇒筆者は本作が宮崎駿の動画面での最高到達点、最高傑作のひとつと考えている
・鞆の浦も水俣湾の残響も描かれた海は宮崎のアニミズムが最も発揮された場面
⇒樹=油屋=ハウルの城に該当するのが海
⇒生も死も包み込むグランマンマーレ(観音様・神渡りとも)はアニミズム的存在
⇒(中年になったハウルのような)魔法使いフジモトは科学との折衷で生きている
・本作のテーマは祝福と肯定
⇒「5歳はまだ神に属している最後の年で、笑えば世界は祝福される」
⇒赤ん坊や幼児たちの元気や笑顔にカミ=アニミズムを見る
⇒「友人の娘がチョコチョコ歩いてきたら生まれてきたことを肯定せざるを得ない」
⇒「エライときに生まれてきた」と真顔で言うか「生まれてきてよかった」と言えるか
⇒「どんな状態になっても世界を肯定したいという気持ちがあるから映画を作る」
・唯一水没しない宗介の家では生と死の二項対立や境界も曖昧になっている
⇒水没した世界では様々な生物が溢れ老婆たちが走れるようになっている
⇒トンネルを抜けた先で水の中に入るのはあの世の表現
⇒水中の老人ホームの庭は漫画版ナウシカの「墓所の庭」と同じ空間
・本作の異界や悟りの境地は千尋が電車で辿り着いたような静的なものとは異なる
⇒もっと動的で災害から立ち直る人間の生命力、子どもの活力を信頼することからくる悟り
⇒最後は水の中=死後の世界から帰還し陸に戻るが、船やヘリコプターや飛行機が多くある
⇒これら科学の象徴も否定的ではなく人を助けるものとして肯定的に描かれている
・戦争や災害で大勢が死ぬことさえも肯定し祝福している?
⇒5歳の男の子が命が危険な海で遊んでいる
⇒無邪気で無垢な自然の象徴ポニョは津波で街を沈めてしまう
⇒災害まで含む自然を肯定しようと徹底的に開き直っているのが本作の凄み
⇒筆者は実際に東日本大震災後の物凄い生命力も感じたので、それを描いて励まして信じたい
という宮崎の気持ちは疑わないが、2024年の能登地震で壊滅した家が1年以上も放置されている
状況を見ているとジレンマに引き裂かれる思いがする
・人間なのに人間を辞めようとするフジモトと積極的に人間になろうとするポニョ
⇒フジモトは潔癖症でポニョは水道水も平気で食品添加物入りのハムも大好物
⇒フジモトが科学で作った「生命の水」をポニョが解き放ち大災害が起こる
⇒漫画版ナウシカ後半やもののけ姫で描いた科学で汚染された世界を肯定しようとする思想を
悲壮な覚悟もなく実現してしまっているのがポニョで、人間になろうとする点ではサンの逆
・5歳の宗介は崖の上に住んでいる真面目で律儀な男の子
⇒下の湾にいるポニョが会いに来ようとして津波が起こる
⇒宗介の父が乗ってる船の電飾、リサの車、無線やモールス信号による愛情⇒科学
⇒グランマンマーレの金色の光、ポニョの暴走⇒自然
⇒どちらも良いものとして描かれている
・ポニョはグランマンマーレ(海・自然)とフジモト(人間・科学)の子供
⇒しかも生命の水(化学物質?)が大きく影響している半魚人
⇒それで街を水没させ壊滅させた罪は問われないのだから父の罪のトラウマもない
⇒すべてを母であり海の化身であるグランマンマーレが包み込む至福⇒祝福と肯定
・本作公開から3年後2011年の東日本大震災の津波と原発事故による複合災害との葛藤
⇒すべてをアニミズム的に受容することは可能なのか
⇒それは汚染や深刻な物事を宗教や神話で容認し事態を悪化させることに繋がらないか
⇒アニメーションやファンタジーによるイメージの誤魔化しなのではないか
⇒「どう生きるか」を次世代に教えようとした宮崎にとって今まで描いてきたことは
⇒「自然災害は大きな悲劇だが必ず立ち直れる、だが原発事故は・・・」
⇒この葛藤が次作の風立ちぬに・・・
第4章より
⑰風立ちぬ2013~反復される墜落~
・飛行機を作る夢を叶え零戦の設計者となり戦争に加担し国を亡ぼすという陰惨な内容
⇒未知の領域に挑戦し続ける創造性を肯定した陽画ポニョに対する陰画が本作
⇒色彩やモチーフの設計からもそれが窺い知れる
⇒墜落と機関車のイメージが何度も反復され黄色い光の両義性も封印されている
・これらが東日本大震災による変化であることは明白
「今はファンタジーが嘘になるところにいる、ファンタジーは作れない」
⇒ポニョにおける躁的な楽観と肯定から鬱的な悲観と否定に一挙に振れたのが本作
⇒東日本大震災を思わせる関東大震災が描かれ画面は躍動せず静的で童心的アニメーションや
アニミズム的活力のあるキャラクターは控えめでハウルの路線に戻った
・活劇ではなく青年男性を主人公に、その職業と性愛を描くという新たなチャレンジ
⇒これまでの作品(ある人物の冒険に寄り添って物語がある)とは違う文法で構成されている
⇒なので理解されにくい
・ポニョとの間には現実からの手痛いしっぺ返しを受けた苦く大きな認識の変更がある
⇒渋谷陽一インタビューでもポニョについては自信満々だったが本作は不安で自信がなく
終始懐疑的だったのが印象的
「二郎の人物造形は世界にあまり関心を持ってない日本人、つまり自分の親父です」
⇒関東大震災に遭遇し生き延び、かつ第二次世界大戦をやり過ごした人間
⇒戦争に向かう昭和前期を良い時代だったといい、国のためより女房が大切という親父
・東日本大震災を経験した日本で当時の日本を生きた父たちをモチーフに宮崎アニミズムを
もう一度点検する内容であり、そこには宮崎が大学時代に嫌悪し反発し罪の意識を抱いた父を
理解し罪を受容しようとする心理的な動機があるだろう
⇒敬愛する堀田善衛の透明なニヒリズムと予定調和的な生き方やマルクス主義の放棄
⇒享楽的な父をモデルに生きることを楽しむことを学ぼうとした⇒父の罪との和解の試み
「正しいことはあるけど正しい人はいない」
⇒正しいときとそうでないときが次々と変わるのが人間
⇒ハウルやポニョでは主人公がぐねぐねと姿を変えることで表そうとしていたが、
本作では意味・倫理でぐねぐねと二重に引き裂かれ移り変わる人格が描かれる
・本作の関東大震災の絵コンテを描き終えた際に東日本大震災が起きた
⇒紅の豚と同じように内容を変化させざるを得なかった
「軍閥時代末期の愚かさと原発利益集団の愚かさはそっくりです」
⇒宮崎は2006年に吉野源三郎「君たちはどう生きるか」についての文章を書いており、
映画化したい構想の一部は「風立ちぬ」で実現している⇒なので両者は対の作品
「この本が書かれるまでの昭和の12年間の近代史を見ると、弾圧があり少年を民族主義で
煽り立て、軍閥政治が異様な速さで破局に向かって突き進んでいる時代でした」
⇒その時代をどう生きたかを探り、どう生きるかを提示する
・「君たちはどう生きるか」と「風立ちぬ」は「次の戦争と災害」に向けた「児童文学」的な
教育的意義を持つ映画だと理解する
⇒だが本作は軽井沢での恋愛物語⇒なぜ戦争や政治への強い批判がないのか
⇒ただ生きること、時代の事実を受容しようとする視線
⇒アニミズム的な創造性が零戦を設計し戦争に加担する事態に繋がってしまう事実
・トトロ以降の自己受容、ポニョでの罪悪感の払拭は本作で反対側の極である自己否定に
⇒オタクの庵野秀明を堀越二郎の声優にしたことにも批判と自嘲の匂いを感じる
⇒夢を追うことは素晴らしいけど、好きなことばっかりやってると・・・
・描くはずだった零戦による重慶爆撃を宮崎はなぜ描けなかったのか
⇒零戦の最初の任務のひとつがスペイン・ゲルニカ爆撃に続く最初期の都市無差別爆撃となる
重慶爆撃だった(その後に世界中で都市への無差別爆撃が行われるようになった)
⇒爆撃で人々が無残に殺された後で二郎が何を言っても共感を得るのは難しい(鈴木敏夫)
⇒加害を描けなかった葛藤には宮崎のトラウマだけでなく日本の観客の感性の問題も・・・
・堀辰雄の小説をあえてタイトルにした理由
⇒小説に似ているのは結核の恋人と軽井沢で過ごし戦時中に外界を遮断して暮らすことぐらい
⇒堀辰雄(の愛読者=星菫派=戦時中を軽井沢で過ごした者たち)への批判を意識したのでは
⇒現実から目を逸らし理想世界に耽溺して逃避するのは現代のオタク文化と共通する
⇒それを批判しているのか肯定しているのか・・・そんな複雑な時代を描いている
(宮崎は堀辰雄が戦時中に政治に無関心ではなかったことを重視し評価している)
⇒美と政治の二項対立も崩れており現実は何重にも汚染されているというビジョンでは
・堀田善衛「方丈記私記」のアニメ化について(略)
・「異界」の先の「あの世」へ⇒最後の一連のシークエンス
⇒二郎の声優をやった庵野秀明が菜穂子のセリフを「来て」から「生きて」に変えさせた
⇒「失敗も罪も引き受けて生き続けることこそが、あなたの到達した思想ではないか」と
⇒それはまさに宮崎が育成した次世代からの、彼への返歌であった・・・
第5章より
⑱君たちはどう生きるか2023~破局へ向かっていく時代への警報~
・冒頭で主人公は母のところに行こうとする衝動と母との別れで目が覚める
⇒この構造が作品全体で繰り返され、これが本作の主題であることを示す
・宮崎駿は過酷な「戦争と災害の時代」が訪れると確信し、そのようなファシズムの時代を
どう生きるかを子どもたちに教えるために「風立ちぬ」以降の映画を作っている
・本作の塔は千尋の油屋、ハウルの城、ポニョの海に続く樹の象徴で前作にはなかったもの
・主人公は弱虫で噓つきで卑怯者の少年
⇒戦争の現実にも向き合えず、母の死と父の再婚も受容できず、内にこもっていく
⇒宮崎の自己投影であると同時に現代の少年を意識した人物造形
⇒この人物造形から、この時代を「どう生きるか」を伝えることが本作の狙いと推測する
・少年は母から送られた小説「君たちはどう生きるか」を読んで何かが変わる
⇒母を失った少年は地下ファンタジー世界を冒険し母と会い戻ってくる
⇒死=母=海=アニミズム=アニメというシンボル連合が提示される
⇒そこに一時的に退避もするが剣でアオサギに立ち向かう⇒機能せず父が代わりに
⇒戦う代わりに現実に戻って友達を作ると宣言する
・本作も戦争中なのに悲惨な戦争を描かない⇒語り落としている
⇒真に重い残酷さや残虐さを描かないのが宮崎作品の限界であり子どもたちへ使命感からの必然
・本作で提示しようとしているファンタジーは死生観
⇒千と千尋以降は子どもと老人を両立させた異界・死生観の表現だった
・お墓のシーンのモチーフとなったアルノルト・ベックリンの「死の島」(略)
・アニメ化を検討していた漱石の「草枕」の世界は俗世を離れた境地
⇒本作はその境地を否定し矛盾と葛藤と軋轢と対立の中で生きる覚悟を示すもの
⇒それは前半の絵画部分ではなく後半のアニメーション部分であり動画
・生と死の輪廻転生、あの世を美しく描くことの功罪(略)
・宮崎作品における救済のあり方の変化
⇒1993年のNHKスペシャル「チベット死者の書」を何度も繰り返し観たと言っている
(時期的にはもののけ姫、漫画版ナウシカに影響を与えたと推測される)
⇒自分に影響を与えたあらゆる死者たちと繋がっており輪廻転生することが救済となる死生観
⇒次世代に希望を託す血族を超えた儒教的仏教的な生命観
・大叔父から眞人が継承しなかったこと
⇒新海誠、庵野秀明、細田守が宮崎駿から継承しなかったこと
・非を認め、卑怯な嘘を止め、争うのではなく友達を作り、人の心を穏やかにすることで
調和を取り戻す可能性が、本作の結論で提示される
⇒現実に立ち向かう勇気によってこそ、その可能性が開かれる
⇒現実に向き合い続けて心が闇に染まればアニメーションやファンタジーの世界で心を自由に
遊ばせて浄化させて解放させて癒してから、また立ち向かったら良いということだろう
・映画やアニメーションを通じて次世代へのメッセージを伝えようとする思いやりが、
世代を超えた感謝や継承というアニミズムや素朴な神道の考え方に観客を開く
⇒その気づきによって世界への愛着を回復して引き受ける覚悟につながる構造
・生命の肯定、創造性の活性化を促すことが宮崎駿アニメーションの果たしてきた機能なのだ
あとがきより
・アニメーションやエンターテインメントで楽しく次世代を教育しようという宮崎駿の善意と
それが伝わらない絶望や達観に本書が注目したのは、自分の子育てと教務の経験から
・「だんだん忘れるさ、それでもいいんだ」(アオサギの言葉)
⇒子どもや学生にしてきたことはいずれ忘れ去られるだろう
⇒だが宮崎作品の情景のように無意識の底に断片的にでも残るかも・・・
⇒それでいいのかもしれない・・・
・・・・・
宮崎駿作品についてはこれまで何度も紹介してますが解説本は2冊、それぞれ異なった観点で
本書もアニミズムの発展史という全く異なる観点から読み解こうとするものでしたが、
現時点での全作品をアニミズムの発展とブレ幅から説明してるのが新鮮でした
前半記事の冒頭にも書いたように、いくつもの楽しみ方の「階層」があるのが宮崎作品で、
さらに何層にも隠された寓意や象徴や想いをどう読み解くかという解釈の楽しみもあります
なので、それぞれの解説本によって解釈が異なるのも当然、大好きな「紅の豚」についても、
この本のアニミズムからの解釈は新鮮でしたが、わたくしとは全く異なる解釈でした
そう、このような新たな驚きが何度も味わえるのが、まさに宮崎駿の作品なんですね
興味を持たれた方は本書をご熟読くださいね
最後に巻末にあった「主要参考文献」もメモしておきます


読んだ本や当サイトで紹介した本もけっこうありますが知らない本もいっぱい・・・
この中から未読を探すのも楽しみです


宮崎駿の「罪」と「祈り」~アニミズムで読み解くジブリ作品史~
・・・の読書メモの後半であります
後半もてきとーメモですが前半同様、勝手に作品番号を付けてます
さらに宮崎駿本人の言葉には「」を付けたつもりです
(以下も著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
第三章より
⑬千と千尋の神隠し2001~現代の子供たちが危機の時代を生きていくために~
・宮崎作品の折り返し点は漫画版ナウシカの完結1994と、もののけ姫1997だった
⇒科学や資本主義や戦争や過ちも含んだ人類史も自然と考える高次のアニミズムへ
⇒次の本作はアニミズム=自然=母の系列が中心の抜けと自由自在さがある快楽的な作品
・主人公の千尋は現代的で功利的な両親に育てられた陰鬱で活力のない人物として現れる
⇒古くからの信仰を蔑ろにした跡のある森を破壊した新興住宅地に向かっている
「善も悪も存在する世界(世の中)に投げ込まれ修行し友愛と献身を学び生還する少女」
⇒薄汚れた現実に接触するリハビリをして生命の活力を取り戻すこと
・地球全体の環境問題を考えるのではなく身近なところで手を動かす方がいい
⇒宮崎自身が川の掃除やごみ拾いを日常的にするようになっていた
⇒汚れた世界の肯定へのリハビリ、潔癖症克服のための訓練のような映画
⇒社会では善悪や敵味方だけでなく清潔と汚濁も曖昧で、それを呑み込む歩き方を教える映画
「環境問題を含め、すべてのコントロールに失敗したのが20世紀の結論」
⇒それが見えてきた時代に何を子どもに語るのか
⇒「何よりも丈夫にして知的好奇心を持ち続けるようにすること」
⇒「具体的にはこの世界と噛み合うようにすること、そのための子ども時代」
・巨樹を見に行く1994で、
⇒一本の樹を中心にした映画を作りたいと書いていた
⇒千と千尋の油屋、ハウルの城はこの樹を翻案したものではないか
⇒対立するもの、異なるものが共存している
⇒共存させるプラットフォームとしての樹=油屋=ハウルの城
・前半の油屋(スタジオジブリ?)での性風俗やアニメーション産業を思わせる
乱痴気騒ぎはカオナシ(観客)への千尋の行動によって転調する
⇒特別な英雄ではない千尋のひたむきな愛⇒千尋とハクの愛も
⇒愛による救済という主題が極点に達するのが次作ハウルの動く城
・電車シーンの解釈
⇒欲望の象徴になったカオナシ(観客)を千尋が澄み切った森へ連れていくという解釈
⇒紅の豚で無数の飛行機が向かう先と同じ死後の世界へ行って癒され戻ってくるという解釈
⑭めいとこねこバス2002(短編)~ジブリ作品におけるネコの系譜~(略)
・魔女の宅急便のジジ、トトロのネコバス、耳をすませばのムーン、猫の恩返しの猫たち、
アリエッティのニーヤ、アーヤと魔女のトーマス・・・(略)
⇒ファンタジーや魔法の世界へ導く通路として共通している(略)
⑮ハウルの動く城2004~父の系列と母の系列の統合~
・千と千尋の反対の極に振れて「父の罪」に近づいた作品
⇒強調されるのが愛による救済という主題
・モノトーンとカラフルなどが移り変わる不安定さ
⇒ソフィー(愛)とハウル(戦争)の間で揺れ動く宮崎の振れ幅(原作にはなかった要素)
・ソフィーは死(草原の小さい家)による安息以外の救済方法を探ろうとする
⇒それが愛による救済
⇒獣ハウルも荒地の魔女もサリマンのスパイ犬も助け、案山子カブも受け入れる
⇒ソフィーの血縁家族に対比される非血縁家族に
⇒城=樹の受容性が登場人物ソフィーに移行していく
・愛と信頼、過去に遡ってまで闇を共有する覚悟による癒しが奇蹟を起こす
⇒筆者の初見では戦争などの重さにこの結末は受け入れにくかった
⇒だが母の系列と父の系列のジレンマの統合として観た場合に心に深く響いた
⇒父と母に分裂していた葛藤の後に母=樹が全てを呑み込み解決するという結末
⇒愛や優しさが愚考の連鎖を止め得るのではないかという期待と夢を信じようという
覚悟に辿り着く物語であるように感じられた
⑯崖の上のポニョ2008~祝福と肯定の実現~
・老いと波とあの世の話で父の影を振り切り母の方向に突き進んだ極み
⇒筆者は本作が宮崎駿の動画面での最高到達点、最高傑作のひとつと考えている
・鞆の浦も水俣湾の残響も描かれた海は宮崎のアニミズムが最も発揮された場面
⇒樹=油屋=ハウルの城に該当するのが海
⇒生も死も包み込むグランマンマーレ(観音様・神渡りとも)はアニミズム的存在
⇒(中年になったハウルのような)魔法使いフジモトは科学との折衷で生きている
・本作のテーマは祝福と肯定
⇒「5歳はまだ神に属している最後の年で、笑えば世界は祝福される」
⇒赤ん坊や幼児たちの元気や笑顔にカミ=アニミズムを見る
⇒「友人の娘がチョコチョコ歩いてきたら生まれてきたことを肯定せざるを得ない」
⇒「エライときに生まれてきた」と真顔で言うか「生まれてきてよかった」と言えるか
⇒「どんな状態になっても世界を肯定したいという気持ちがあるから映画を作る」
・唯一水没しない宗介の家では生と死の二項対立や境界も曖昧になっている
⇒水没した世界では様々な生物が溢れ老婆たちが走れるようになっている
⇒トンネルを抜けた先で水の中に入るのはあの世の表現
⇒水中の老人ホームの庭は漫画版ナウシカの「墓所の庭」と同じ空間
・本作の異界や悟りの境地は千尋が電車で辿り着いたような静的なものとは異なる
⇒もっと動的で災害から立ち直る人間の生命力、子どもの活力を信頼することからくる悟り
⇒最後は水の中=死後の世界から帰還し陸に戻るが、船やヘリコプターや飛行機が多くある
⇒これら科学の象徴も否定的ではなく人を助けるものとして肯定的に描かれている
・戦争や災害で大勢が死ぬことさえも肯定し祝福している?
⇒5歳の男の子が命が危険な海で遊んでいる
⇒無邪気で無垢な自然の象徴ポニョは津波で街を沈めてしまう
⇒災害まで含む自然を肯定しようと徹底的に開き直っているのが本作の凄み
⇒筆者は実際に東日本大震災後の物凄い生命力も感じたので、それを描いて励まして信じたい
という宮崎の気持ちは疑わないが、2024年の能登地震で壊滅した家が1年以上も放置されている
状況を見ているとジレンマに引き裂かれる思いがする
・人間なのに人間を辞めようとするフジモトと積極的に人間になろうとするポニョ
⇒フジモトは潔癖症でポニョは水道水も平気で食品添加物入りのハムも大好物
⇒フジモトが科学で作った「生命の水」をポニョが解き放ち大災害が起こる
⇒漫画版ナウシカ後半やもののけ姫で描いた科学で汚染された世界を肯定しようとする思想を
悲壮な覚悟もなく実現してしまっているのがポニョで、人間になろうとする点ではサンの逆
・5歳の宗介は崖の上に住んでいる真面目で律儀な男の子
⇒下の湾にいるポニョが会いに来ようとして津波が起こる
⇒宗介の父が乗ってる船の電飾、リサの車、無線やモールス信号による愛情⇒科学
⇒グランマンマーレの金色の光、ポニョの暴走⇒自然
⇒どちらも良いものとして描かれている
・ポニョはグランマンマーレ(海・自然)とフジモト(人間・科学)の子供
⇒しかも生命の水(化学物質?)が大きく影響している半魚人
⇒それで街を水没させ壊滅させた罪は問われないのだから父の罪のトラウマもない
⇒すべてを母であり海の化身であるグランマンマーレが包み込む至福⇒祝福と肯定
・本作公開から3年後2011年の東日本大震災の津波と原発事故による複合災害との葛藤
⇒すべてをアニミズム的に受容することは可能なのか
⇒それは汚染や深刻な物事を宗教や神話で容認し事態を悪化させることに繋がらないか
⇒アニメーションやファンタジーによるイメージの誤魔化しなのではないか
⇒「どう生きるか」を次世代に教えようとした宮崎にとって今まで描いてきたことは
⇒「自然災害は大きな悲劇だが必ず立ち直れる、だが原発事故は・・・」
⇒この葛藤が次作の風立ちぬに・・・
第4章より
⑰風立ちぬ2013~反復される墜落~
・飛行機を作る夢を叶え零戦の設計者となり戦争に加担し国を亡ぼすという陰惨な内容
⇒未知の領域に挑戦し続ける創造性を肯定した陽画ポニョに対する陰画が本作
⇒色彩やモチーフの設計からもそれが窺い知れる
⇒墜落と機関車のイメージが何度も反復され黄色い光の両義性も封印されている
・これらが東日本大震災による変化であることは明白
「今はファンタジーが嘘になるところにいる、ファンタジーは作れない」
⇒ポニョにおける躁的な楽観と肯定から鬱的な悲観と否定に一挙に振れたのが本作
⇒東日本大震災を思わせる関東大震災が描かれ画面は躍動せず静的で童心的アニメーションや
アニミズム的活力のあるキャラクターは控えめでハウルの路線に戻った
・活劇ではなく青年男性を主人公に、その職業と性愛を描くという新たなチャレンジ
⇒これまでの作品(ある人物の冒険に寄り添って物語がある)とは違う文法で構成されている
⇒なので理解されにくい
・ポニョとの間には現実からの手痛いしっぺ返しを受けた苦く大きな認識の変更がある
⇒渋谷陽一インタビューでもポニョについては自信満々だったが本作は不安で自信がなく
終始懐疑的だったのが印象的
「二郎の人物造形は世界にあまり関心を持ってない日本人、つまり自分の親父です」
⇒関東大震災に遭遇し生き延び、かつ第二次世界大戦をやり過ごした人間
⇒戦争に向かう昭和前期を良い時代だったといい、国のためより女房が大切という親父
・東日本大震災を経験した日本で当時の日本を生きた父たちをモチーフに宮崎アニミズムを
もう一度点検する内容であり、そこには宮崎が大学時代に嫌悪し反発し罪の意識を抱いた父を
理解し罪を受容しようとする心理的な動機があるだろう
⇒敬愛する堀田善衛の透明なニヒリズムと予定調和的な生き方やマルクス主義の放棄
⇒享楽的な父をモデルに生きることを楽しむことを学ぼうとした⇒父の罪との和解の試み
「正しいことはあるけど正しい人はいない」
⇒正しいときとそうでないときが次々と変わるのが人間
⇒ハウルやポニョでは主人公がぐねぐねと姿を変えることで表そうとしていたが、
本作では意味・倫理でぐねぐねと二重に引き裂かれ移り変わる人格が描かれる
・本作の関東大震災の絵コンテを描き終えた際に東日本大震災が起きた
⇒紅の豚と同じように内容を変化させざるを得なかった
「軍閥時代末期の愚かさと原発利益集団の愚かさはそっくりです」
⇒宮崎は2006年に吉野源三郎「君たちはどう生きるか」についての文章を書いており、
映画化したい構想の一部は「風立ちぬ」で実現している⇒なので両者は対の作品
「この本が書かれるまでの昭和の12年間の近代史を見ると、弾圧があり少年を民族主義で
煽り立て、軍閥政治が異様な速さで破局に向かって突き進んでいる時代でした」
⇒その時代をどう生きたかを探り、どう生きるかを提示する
・「君たちはどう生きるか」と「風立ちぬ」は「次の戦争と災害」に向けた「児童文学」的な
教育的意義を持つ映画だと理解する
⇒だが本作は軽井沢での恋愛物語⇒なぜ戦争や政治への強い批判がないのか
⇒ただ生きること、時代の事実を受容しようとする視線
⇒アニミズム的な創造性が零戦を設計し戦争に加担する事態に繋がってしまう事実
・トトロ以降の自己受容、ポニョでの罪悪感の払拭は本作で反対側の極である自己否定に
⇒オタクの庵野秀明を堀越二郎の声優にしたことにも批判と自嘲の匂いを感じる
⇒夢を追うことは素晴らしいけど、好きなことばっかりやってると・・・
・描くはずだった零戦による重慶爆撃を宮崎はなぜ描けなかったのか
⇒零戦の最初の任務のひとつがスペイン・ゲルニカ爆撃に続く最初期の都市無差別爆撃となる
重慶爆撃だった(その後に世界中で都市への無差別爆撃が行われるようになった)
⇒爆撃で人々が無残に殺された後で二郎が何を言っても共感を得るのは難しい(鈴木敏夫)
⇒加害を描けなかった葛藤には宮崎のトラウマだけでなく日本の観客の感性の問題も・・・
・堀辰雄の小説をあえてタイトルにした理由
⇒小説に似ているのは結核の恋人と軽井沢で過ごし戦時中に外界を遮断して暮らすことぐらい
⇒堀辰雄(の愛読者=星菫派=戦時中を軽井沢で過ごした者たち)への批判を意識したのでは
⇒現実から目を逸らし理想世界に耽溺して逃避するのは現代のオタク文化と共通する
⇒それを批判しているのか肯定しているのか・・・そんな複雑な時代を描いている
(宮崎は堀辰雄が戦時中に政治に無関心ではなかったことを重視し評価している)
⇒美と政治の二項対立も崩れており現実は何重にも汚染されているというビジョンでは
・堀田善衛「方丈記私記」のアニメ化について(略)
・「異界」の先の「あの世」へ⇒最後の一連のシークエンス
⇒二郎の声優をやった庵野秀明が菜穂子のセリフを「来て」から「生きて」に変えさせた
⇒「失敗も罪も引き受けて生き続けることこそが、あなたの到達した思想ではないか」と
⇒それはまさに宮崎が育成した次世代からの、彼への返歌であった・・・
第5章より
⑱君たちはどう生きるか2023~破局へ向かっていく時代への警報~
・冒頭で主人公は母のところに行こうとする衝動と母との別れで目が覚める
⇒この構造が作品全体で繰り返され、これが本作の主題であることを示す
・宮崎駿は過酷な「戦争と災害の時代」が訪れると確信し、そのようなファシズムの時代を
どう生きるかを子どもたちに教えるために「風立ちぬ」以降の映画を作っている
・本作の塔は千尋の油屋、ハウルの城、ポニョの海に続く樹の象徴で前作にはなかったもの
・主人公は弱虫で噓つきで卑怯者の少年
⇒戦争の現実にも向き合えず、母の死と父の再婚も受容できず、内にこもっていく
⇒宮崎の自己投影であると同時に現代の少年を意識した人物造形
⇒この人物造形から、この時代を「どう生きるか」を伝えることが本作の狙いと推測する
・少年は母から送られた小説「君たちはどう生きるか」を読んで何かが変わる
⇒母を失った少年は地下ファンタジー世界を冒険し母と会い戻ってくる
⇒死=母=海=アニミズム=アニメというシンボル連合が提示される
⇒そこに一時的に退避もするが剣でアオサギに立ち向かう⇒機能せず父が代わりに
⇒戦う代わりに現実に戻って友達を作ると宣言する
・本作も戦争中なのに悲惨な戦争を描かない⇒語り落としている
⇒真に重い残酷さや残虐さを描かないのが宮崎作品の限界であり子どもたちへ使命感からの必然
・本作で提示しようとしているファンタジーは死生観
⇒千と千尋以降は子どもと老人を両立させた異界・死生観の表現だった
・お墓のシーンのモチーフとなったアルノルト・ベックリンの「死の島」(略)
・アニメ化を検討していた漱石の「草枕」の世界は俗世を離れた境地
⇒本作はその境地を否定し矛盾と葛藤と軋轢と対立の中で生きる覚悟を示すもの
⇒それは前半の絵画部分ではなく後半のアニメーション部分であり動画
・生と死の輪廻転生、あの世を美しく描くことの功罪(略)
・宮崎作品における救済のあり方の変化
⇒1993年のNHKスペシャル「チベット死者の書」を何度も繰り返し観たと言っている
(時期的にはもののけ姫、漫画版ナウシカに影響を与えたと推測される)
⇒自分に影響を与えたあらゆる死者たちと繋がっており輪廻転生することが救済となる死生観
⇒次世代に希望を託す血族を超えた儒教的仏教的な生命観
・大叔父から眞人が継承しなかったこと
⇒新海誠、庵野秀明、細田守が宮崎駿から継承しなかったこと
・非を認め、卑怯な嘘を止め、争うのではなく友達を作り、人の心を穏やかにすることで
調和を取り戻す可能性が、本作の結論で提示される
⇒現実に立ち向かう勇気によってこそ、その可能性が開かれる
⇒現実に向き合い続けて心が闇に染まればアニメーションやファンタジーの世界で心を自由に
遊ばせて浄化させて解放させて癒してから、また立ち向かったら良いということだろう
・映画やアニメーションを通じて次世代へのメッセージを伝えようとする思いやりが、
世代を超えた感謝や継承というアニミズムや素朴な神道の考え方に観客を開く
⇒その気づきによって世界への愛着を回復して引き受ける覚悟につながる構造
・生命の肯定、創造性の活性化を促すことが宮崎駿アニメーションの果たしてきた機能なのだ
あとがきより
・アニメーションやエンターテインメントで楽しく次世代を教育しようという宮崎駿の善意と
それが伝わらない絶望や達観に本書が注目したのは、自分の子育てと教務の経験から
・「だんだん忘れるさ、それでもいいんだ」(アオサギの言葉)
⇒子どもや学生にしてきたことはいずれ忘れ去られるだろう
⇒だが宮崎作品の情景のように無意識の底に断片的にでも残るかも・・・
⇒それでいいのかもしれない・・・
・・・・・
宮崎駿作品についてはこれまで何度も紹介してますが解説本は2冊、それぞれ異なった観点で
本書もアニミズムの発展史という全く異なる観点から読み解こうとするものでしたが、
現時点での全作品をアニミズムの発展とブレ幅から説明してるのが新鮮でした
前半記事の冒頭にも書いたように、いくつもの楽しみ方の「階層」があるのが宮崎作品で、
さらに何層にも隠された寓意や象徴や想いをどう読み解くかという解釈の楽しみもあります
なので、それぞれの解説本によって解釈が異なるのも当然、大好きな「紅の豚」についても、
この本のアニミズムからの解釈は新鮮でしたが、わたくしとは全く異なる解釈でした
そう、このような新たな驚きが何度も味わえるのが、まさに宮崎駿の作品なんですね

興味を持たれた方は本書をご熟読くださいね
最後に巻末にあった「主要参考文献」もメモしておきます


読んだ本や当サイトで紹介した本もけっこうありますが知らない本もいっぱい・・・
この中から未読を探すのも楽しみです

2026年01月14日
宮崎駿の「罪」と「祈り」メモ前半
とーとつですが・・・

宮崎駿の「罪」と「祈り」~アニミズムで読み解くジブリ作品史~
・・・読書メモの前半であります
(長いメモなので前半と後半に分けました)
奥付

2025年6月30日の発行ですから「君たちはどう生きるか」公開後の著作になり、
おそらく現時点でも全ての宮崎駿作品を前提とした最新の論評でしょう
著者紹介がなかったので、ご存知ない方はこちら(ウィキ)をご覧くださいね
著者は筒井康隆作品に関する論文で博士号を取得されてるんですね
目次

まえがきより
・本書では宮崎駿の科学、戦争、資本主義などが複雑に結びついた主題系を「父の系列」とする
⇒彼のアニミズムはこの系列における罪との関係の中に存在している浄化であり希望
・宮崎作品で母はアニミズム的、民俗的、神秘的、精神的な救いと結びつけられる傾向がある
⇒そこには解放感、自由さ、救済感、祝福感がある⇒これを「母の系列」とする
⇒多くの観客に愛されているのは「母の系列」の性質を強くしている作品群
(トトロ、魔女の宅急便、千と千尋、ポニョ、君たちはどう生きるか・・・)
・本書では「宮崎駿のアニミズム」を「父の系列」と、その罪悪感や絶望感からの救済や
解放を志向するベクトルとしての「母の系列=アニミズム」の相克として描く
⇒その本格化は漫画版「ナウシカ」完結後だが、「ラピュタ」ぐらいからアニミズム=自然が善く、
人工=科学が悪いという二項対立を排し、どちらにもどちらの面もあるという二面性を複雑に
織り込むように変化してきている
⇒その対立と葛藤のドラマを本書では詳述していく
・「宮崎駿のアニミズム」の発展史として作品群を貫く思想を見ようとし、アニミズムを
「父の罪」との交互作用において読み解く作家論
⇒「君たちはどう生きるか」という最新長編を踏まえた一貫した視座での作家理解
・子供向きアニメーションにどのような寓意や象徴、想いが込められているのか
⇒きちんと知ると驚くことになる
⇒本書でその驚きと感動を伝えることができれば・・・
・・・・・
ええ、確かに作品に込められた寓意や象徴、想いを知ることの驚きと感動がありました
以前も書きましたが宮崎作品には何階層もの楽しみ方があるのが特徴ですね
以下もてきとーメモですが脳内整理のため勝手に作品番号を付けました
さらに宮崎駿本人の言葉には「」を付けたつもりです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば記事を非公開設定にします)
第1章 科学と自然
①未来少年コナン1978~コナンに託した生命力~
・作り手の心理で物語が作られ緻密なハリウッド作品と比較すれば作り方もアニミズム的
・文明崩壊後に自然が回復した場所だからこそ生まれた野生児がコナン
⇒コナン自体に野生・自然が宿っており、それは日本的な自然の回復力アニミズムの価値観
・戦後の逆境から立ち直る力、資本主義と科学の物質文明を再点検する外部の存在
⇒それが初期作品では少女ではなく少年に託されている
・インダストリアの否定⇒教条主義、全体主義、独裁現実のソビエトとの決別
・ラナもシータもクラリスも過去を背負わされた暗く陰りのあるヒロイン
⇒そこに活き活きと動くルパンやコナンたちが現れ、彼女たちを変え、浄化する物語が
初期作品では繰り返される
⇒よく言われるロリコンではなく少年も少女も宮崎の自己投影ではないか
⇒この両性具有性も繰り返される
②ルパン三世カリオストロの城1979
~学生運動的な活力を体現するキャラクターとしてのルパン~
・70年安保を境に「シラケ世代」になったルパンの性格を宮崎と高畑は払拭したかった
・カリオストロ家にもルパンにも峰不二子にも宮崎自身にも光と影の二面性がある
・シーズン2第145話「死の翼アルバトロス」のエロティシズムとラディカリズム
(以後は抑制され純粋な想いと信頼が強調されるが動画や主題の官能性の中に潜在する?)
・シーズン2第155話(最終話)「さらば愛しきルパンよ」の科学と贖罪という主題
(軍需によるリッチな生活への贖罪⇒共産主義へ⇒その弾圧や虐殺を知った衝撃と幻滅と後悔)
③風の谷のナウシカ1984~冷戦・全面戦争の寓話~
・様々な現代社会に対する寓話
⇒自然と暮らす風の谷が科学強国トルメキアに支配され巨神兵の復活に従事させられる
⇒アメリカの「アトムズ・フォー・ピース」を受けた日本の原子力政策の寓話とも
⇒「ナウシカの戦争モデルはロシア人だけで2千万人が死んだ独ソ戦」
・ナウシカは科学と自然の両方の要素を持っており最初は暗い影が少なくコナンに近い存在
⇒原作では大量破壊兵器の罪を背負いそれを食い止めようとする暗く儚げなラステルから
巨神兵の秘石を託され、その運命が変わる⇒ここから作品は動き出す
⇒クシャナは科学を戦争に利用しようとしている⇒どちらも両性具有的な存在
⇒ラステルの兄アスベルはコナンやルパンのような生命力=アニミズムの象徴ではない
⇒アニミズムはナウシカと蟲によって描かれ、その凶暴な側面も剝き出しになる
・ナウシカは罪を背負い贖罪しようとする少女とも男勝りに権力や科学を使う女性とも違う
⇒純粋に共感し助けようとする⇒蟲への愛
⇒「ナウシカはアニミズムに支配されている」
⇒ホルス・コナン・ルパンの少年的アニミズムから母性アニミズムに変化した?
⇒「ナウシカを作るきっかけは水俣湾が水銀で汚染され数年後に魚と牡蠣が戻ってきたこと」
・水俣病、核兵器、独ソ戦、冷戦・・・この困難な世界の寓話として機能する作品であり、
それらの悲劇を克服する方向の精神性を求めた祈りの作品でもある
⇒日本的なアニミズムに可能性を見いだすのは本人が言う通り民族主義的かも
⇒資本主義や科学を投げ捨て、自然と共存していたかつての日本の心を取り戻せば、
公害も戦争も解決するのか?
⇒この葛藤を含みながら宮崎作品は思想的に変遷していく・・・
④天空の城ラピュタ1986~科学と自然の二項対立の否定~
・落下が本作のモチーフであり、科学の二面性こそが本作の主題
⇒パズーの生命力はコナンやルパンほどではなく、無邪気さや楽天性を捨て、
科学の深刻な問題を理解し、シータとともに命を懸けて贖罪するように変化する
⇒活力アニミズムに近いのはドーラたちだが彼らも自然と科学の混ざった造形
・ドーラのモデルは宮崎の実母でありアニミズム的活力と結びつく
⇒慈悲深く受け入れ育てる想像の「母」とは異なる宮崎の母との個人的な結びつき
・パズーの村もラピュタも科学と自然が入り混じった状態で存在し続けるラスト
⇒科学・戦争・資本主義を象徴する父と、自然・土着・霊性を象徴する母の遺伝子と文化を
受け継いだ当然の帰結
⇒混ざり合いの肯定は自分自身を受容することに近い
・ラピュタに近づくと嵐の中にパズーの父の幻が現れる
⇒後期作品で中心的に描かれる、あの世・異界・死者という主題系の萌芽がここにある
第2章 受容と育成
⑤となりのトトロ1988~抱きとめてくれる自然=カミによる「救済」~
・代表作だが、かなりの異色作
⇒父の系列(科学・資本主義・戦争・罪)が徹底的に排除され、母の系列(自然・霊性・土着・受容)が
全開になっている
⇒宮崎の振れ幅のひとつの極で父の系列の問題からの精神的アジュールと言っていい作品
・トトロはオバケと宮崎は言ってるが、これはアニミズム的な自然信仰の「カミ」
⇒無理に頑張っていたサツキに必要なのはゆっくり休むこと
⇒雨の夜にメイを背負った孤独な場面にトトロが現れ、傘に雨が落ちることすら喜びに
⇒母がわりに頑張ってるサツキは宮崎であり少女に自己投影する傾向がここでも続いている
⇒「このままでは鬱屈し不良少女になってしまうから感情を爆発させてあげた」
・「トトロが存在すること」だけでサツキとメイは救われている
⇒日常で抱きとめてくれる自然=カミが存在することが救済なのだと、認識が移行した
⇒しかしトトロ(自然=カミ)も荒ぶれば王蟲にも台風にもなる
(トトロの廻すコマや電線を駆けるネコバスなど科学とのハイブリッドもある)
・日本と日本人を罪の意識から嫌っていた宮崎が日本に向き合った作品で、
⇒少年の自分に「こういう日本だったら好きになるのでは」と提示するつもりで作った作品
・「国家や民族を超えた単位で日本を眺める切り口が欲しかった」⇒縄文時代の研究へ
⇒「そうじゃないと僕の遭遇してきた日本は惨めでみすぼらしいものでしたから」
⇒「サツキとメイの父のモデルは藤森栄一」(縄文農耕論を立証しようとしていた)
⇒「それと母親が何度も聞かせてくれた山梨の山村の日常」
⇒「それらで日本の歴史が嫌だった自分の何かがわかった」
⇒縄文的なアニミズムの感覚⇒その象徴がトトロ
⇒戦争への国家神道と自然信仰アニミズムの分離が可能になったのかも
・縄文と照葉樹林(面白かったけど当サイトのおなじみ分野なので略)
・諏訪と宮崎駿と藤森栄一と中尾佐助「栽培植物と農耕の起源」の関係(同じく略)
⇒諏訪明神(タケミナカタ神)、蒲池明弘「火山と断層から見えた神社のはじまり」、
小海町出身の新海誠「すずめの戸締り」、中央構造線と糸静構造線が交わる諏訪上社前宮・・・
⇒科学と自然の二項対立の破壊、前衛知識人の指導より民衆の生活そのものにある価値観へ
⑥柳川掘割物語1987~民衆たちによる新しい文明への希望~
・年代は逆になるが前述の民衆への評価と大きく関係する
⇒本作を作った3つの理由(高畑の文章より)
1昔から日本人が続けていた自然を破壊しないような循環型の付き合い
⇒「昔に戻ろう」ではなく柔軟性のある新技術と工夫で都市河川を復活させる
2行政と市民の連帯
⇒市民と一緒に水路を再生した柳川市職員・広松伝に高畑が出会って感動した
⇒新しい住民運動は行政への不信がベースだが柳川では行政と市民が共闘して計画を覆し、
新しい計画を立案して実行できてしまった⇒連帯とその事実に高畑は希望を感じた
3活き活きとした子どもたち
⇒その人懐こさにも驚いた
⇒子どもたちが個室化し社会や自然や現実から(自分たちが提供している)アニメーションに
逃げ込む傾向に歯止めをかけるような仕事をしたかった
・本作は宮崎のその後の思索や作品にも大きく影響していると推測する
⇒川の神だったことを忘れクライマックスで蘇るハク、ごみ拾いなど地域活動への参加、
その重要性や現代に活かす方法という方向にシフトしていくきっかけになったのでは?
⑦魔女の宅急便1989~工業と都市生活の受容~
・トトロ以降、日常や労働や自分を受容するという主題系が宮崎に浮上する
⇒その受容には資本主義や科学までも含まれ、その対立と葛藤、二面性に引き裂かれながら
進むドラマが「もののけ姫」までの宮崎
・トトロと同じ日常生活であり父の系列は薄く、キキが女性たちに助けられる物語
⇒この女性たちがトトロや自然が果たしてきた母として機能する
・時代の変化とその受容も本作の隠れた主題
⇒トトロ的な村を離れて田舎から都市へ⇒空間的・時間的な移動
⇒本作のアニミズム活力はキキの魔法や元気だが都会で萎えていくことが主題のひとつ
・トンボは科学の側に近いが人力で飛ぼうとしている(宮崎の科学の受容ライン?)
⇒二人の関係は田舎と都会、過去と未来、魔法と科学の複雑な関係の寓話
・画家のウルスラが本作が才能についての寓話であることを開示する
⇒宮崎は田舎から出てきた専門学校生などを想定しキキを造形しており、
(ある程度は絵が描ける(魔法が使える)という才能だけで都会に出てきた若者たちへの)
先輩絵描きとしてのメッセージをウルスラに託している
・飛行船は墜落するがテレビで多くの人がキキを見守り応援し評価する
⇒テレビというテクノロジーが多くの人たちを繋いでいる
⇒テクノロジーも含め多くの人たちが見守っている、というのが本作での救済ではないか
・最後にトンボは完成した人力飛行機で、魔法で飛ぶキキと二人で空を飛んでいる
⇒魔法(自然・アニミズム・古いもの)と科学(都会・人工・新しいもの)の和解
⇒ラピュタ・ネコバス系列の主題系がここでも続いている
⑧紅の豚1992~抱きとめてくれる「救済」としての「あの世」~
・赤い豚=共産主義者かつ資本家というアイロニカルなタイトル
⇒この時期の宮崎駿の思想の反映
⇒疲れた中年が次世代を育成し救済を見いだそうとする(作品の内容も作り方も)
・トトロで幼少期、魔女で思春期と新人の頃、本作では自身の年代に近い中年男性を描き、
それを受容しようとする試みがなされたのだと考えてよい
⇒結論として前二作のような「受容の物語」は本作では展開できなかった
⇒疑似ユートピアでバカ騒ぎするポルコの暗い影と重さが強い印象を与える結果
⇒罪の主題系が色濃く復活しているが直接に向き合うことはなく贖罪と救済の物語も不発
・疑似ユートピアで一時的な救済と解放を得る、そのことを受容しようと試みたが、
それは不可能だと直視せざるを得なかったのが本作ではないか
⇒これは当時の「戦争や国際政治に背を向け疑似ユートピアに閉じこもって良いのか」という
石黒昇「メガゾーン23」や押井守「機動警察パトレイバー2」などで繰り返された問いへの
宮崎なりの取り組みなのだろう
・本作、ハウル、風立ちぬは男性が主人公で一般評価が分かれる作品
⇒父側の主題で描けば重苦しい罪や絶望の重力が作動する
⇒逆に母側の主題では爽快に飛翔し受容や解放感が表現される
⇒その両方の緊張関係こそが宮崎作品
・本作で最も印象的なのがポルコが「あの世」を見るシーン
⇒真っ青な「清浄・救済」の中に無数の死者たちが向かい、ポルコは行くことができない
⇒彼を優しく抱きとめてくれるのは「あの世」なのだが、地上の責任のため戻ってくる
⇒「千と千尋」以降「あの世・異界」を中心の主題にしていくが、その折り返し点が本作
・民族主義・民衆への失望
⇒トトロ以降、日本のアニミズムや民衆に期待し信頼しようとし、そこに救済を求めていた
⇒ところが1991年にユーゴスラビアで紛争が起こり民族主義を民衆が支持した
⇒冷戦終結⇒社会主義の否定⇒民族同士の虐殺・民族浄化へ
⇒これは異質なものが理解し合い戦争を止める「ナウシカ」のビジョンとは正反対だった
⇒つくづく人間は複雑で愚かと思い知り、その答えとして本作を描いた
⇒宮崎はこれ以降、自他の愚かさを受容していく(努力をする)ようになる
(その受容はかならずしも肯定ではないという不思議な捻じれを本作以降は孕む)
・日本だけでなく人類全体の愚かさの連鎖が続くこと自体への受容の試みの本格的な展開は
漫画版「ナウシカ」で行われることになる・・・
⑨平成狸合戦ぽんぽこ1994~現代への敗北と受容~
・高畑作品だが「次世代・変化の受容」というこの時期の宮崎の主題系にとって重要な作品
⇒古いものや自然を守ろうとして敗北し、現代的な生活や開発や資本主義を受け入れて
生きざるを得ないこと、それを苦々しく受容しようとする物語
・狸の化学(ばけがく)は高畑アニメーション⇒消費されるエンターテインメントに過ぎない
⇒ジブリに対する高畑のアイロニーでありニヒリズムで高畑の受容の物語
・この後に高畑は「となりの山田くん」や「かぐや姫」などの方向へ、宮崎は逆にアイロニーや
シニシズムを拒否し、積極的に生きる者、現状などを受容する努力の方向へ向かう
⑩耳をすませば1995
~(カントリーロードではなく)コンクリートロードの肯定~
・監督は近藤喜文だが力の入れようから宮崎作品と考えていい
・ぽんぽこ狸の後にニュータウンに移り住んできた者たちの映画
(オープニングも似たカットで作品の連続性を感じさせる)
・少年はバイオリン作り、少女は創作に活力を発揮する
⇒図書館やアンティークなど様々な文化が自然に代わって少年少女を励ます
⇒自然ではなく人間の創造性にアニミズム的な活力や純粋さ=清浄さを見出すことで、
科学・近代・開発・資本主義を受容=肯定しようとする努力
・「もののけ姫と本作は同じ基盤で本作で触れなかった部分がもののけ姫の中にある」
⑪漫画版「風の谷のナウシカ」1982~1994
漫画版の要点は
・腐海は世界の汚染を浄化しており腐海の奥こそが「青き清浄の地」と呼ばれること
・ナウシカが擬人的な巨神兵の「母」になること
・科学技術が眠っている「墓所」が存在すること
・腐海や蟲たちが科学技術によって作られたものであることを知ること
・腐海の外の人類を含む動植物は浄化された世界では生きられないこと
⇒カントリーロード=トトロ的世界=浄化された世界
⇒コンクリートロード=ニュータウン的な現代社会=汚染された世界のメタファ
⇒(現代の)新しい人間たちは浄化された世界では生きられない
⇒ナウシカは悩み、苦しみや悲しみや死も受け入れ汚濁と共に生きていくことを選ぶ
⇒現に生きている「次世代」をナウシカ=宮崎は選ぶのである
・ナウシカと母(略)
・人類史的悲劇の受容
⇒トトロや魔女の宅急便での自己受容は戦争や資本主義や科学の問題を否認したところに存在した
⇒紅の豚はそれを否認しようと努力するが成功しない物語
⇒漫画版ナウシカはそのような愚考すら肯定し受容しようとする心理的な努力
⇒歴史へのペシミズムをどう乗り越えるか⇒そこにこそ宮崎のアニミズムがある
⇒人類の愚考も含めた生命のあり方そのものを受容し信じようとする宮崎アニミズム
・母のニヒリズム(略)
手塚治虫のニヒリズム、ぽんぽこの高畑のニヒリズム・シニシズム、変節への共感・・・
・後に宮崎は「安っぽいニヒリズム」と「生命根源への問いに発している深いニヒリズム」を
分けて述べるが宮崎アニミズムは後者で漫画版ナウシカで到達し、もののけ姫で全面展開する
⑫もののけ姫1997~善悪と二項対立を超えて~
・ナウシカ1984のリメイク的な側面があり漫画版ナウシカ1994の主題系が展開された作品
⇒ナウシカ=サンとクシャナ=エボシ御前の対立が主軸の物語だが違いもある
⇒ナウシカ1984での二項対立や理想といった逃げ道がなくなっている
⇒その怒りと憎悪のコントロールをしたのがアシタカ⇒水俣病の加害者と被害者と緒方正人
・登場人物は貴族・侍・農民ではなく蝦夷・白拍子・ハンセン病患者
⇒網野善彦史観であり黒澤明作品「七人の侍」への異議申し立て
・漫画版ナウシカの結末部で得られた認識の延長線上にある作品
⇒サンにもエボシ御前にも過酷な過去と現状があり、どちらの陣営も一枚岩ではない
・冷戦崩壊後のユーゴスラビアの憎悪の応酬の果ての大破壊
⇒自分をコントロールしなければならないという子どもたちへのメッセージ
・人類の矛盾と葛藤と拮抗を肯定せざるを得ないという達観と諦念の境地
⇒それがこの時期の宮崎アニミズム
⇒伊勢的な清浄を求める神道や、穢れや殺生を嫌う仏教とは異なる、諏訪的な信仰の影響
⇒愚かな人類や生命を丸ごと受容するような境地のアニミズム
・映画の結末で木々や神々や動物はいなくなる
⇒かつての信仰や文化を失い近代化した状況の隠喩
⇒だが一匹のコダマが残り新しい植物の芽が生える
⇒縄文の自然ではなく人工的に再生した関東近郊の自然⇒それを受容し癒される宮崎
⇒宮崎が「耳をすませば」と「もののけ姫」は対になる作品と言ってるのはそういうこと
・「サンは森で私はタタラ場で暮らそう、共に生きよう」
⇒矛盾や葛藤をそのままにしておくことが本作の落としどころ
⇒全面的な受容や融合ではなく殲滅し合うことなく異質性を保ちながら共存していこうとする
・理想も完璧な正も、排除すれば解決する悪も、存在しない世界で生きることを肯定すべき
⇒だからコントロールし理解し共感し許さなければならない
⇒これが21世紀をどう生きるかに対する宮崎の答え
「もう告発は済んだのです、後は日常生活の中で自分が何をするかを考える時です」
「ただの批判では何も生まれてこないから新しい感覚を作り出すことを考えるべきと思ってます」
・・・・・
以下、第3章以降のメモは次回記事に続きます

宮崎駿の「罪」と「祈り」~アニミズムで読み解くジブリ作品史~
・・・読書メモの前半であります
(長いメモなので前半と後半に分けました)
奥付

2025年6月30日の発行ですから「君たちはどう生きるか」公開後の著作になり、
おそらく現時点でも全ての宮崎駿作品を前提とした最新の論評でしょう
著者紹介がなかったので、ご存知ない方はこちら(ウィキ)をご覧くださいね
著者は筒井康隆作品に関する論文で博士号を取得されてるんですね
目次

まえがきより
・本書では宮崎駿の科学、戦争、資本主義などが複雑に結びついた主題系を「父の系列」とする
⇒彼のアニミズムはこの系列における罪との関係の中に存在している浄化であり希望
・宮崎作品で母はアニミズム的、民俗的、神秘的、精神的な救いと結びつけられる傾向がある
⇒そこには解放感、自由さ、救済感、祝福感がある⇒これを「母の系列」とする
⇒多くの観客に愛されているのは「母の系列」の性質を強くしている作品群
(トトロ、魔女の宅急便、千と千尋、ポニョ、君たちはどう生きるか・・・)
・本書では「宮崎駿のアニミズム」を「父の系列」と、その罪悪感や絶望感からの救済や
解放を志向するベクトルとしての「母の系列=アニミズム」の相克として描く
⇒その本格化は漫画版「ナウシカ」完結後だが、「ラピュタ」ぐらいからアニミズム=自然が善く、
人工=科学が悪いという二項対立を排し、どちらにもどちらの面もあるという二面性を複雑に
織り込むように変化してきている
⇒その対立と葛藤のドラマを本書では詳述していく
・「宮崎駿のアニミズム」の発展史として作品群を貫く思想を見ようとし、アニミズムを
「父の罪」との交互作用において読み解く作家論
⇒「君たちはどう生きるか」という最新長編を踏まえた一貫した視座での作家理解
・子供向きアニメーションにどのような寓意や象徴、想いが込められているのか
⇒きちんと知ると驚くことになる
⇒本書でその驚きと感動を伝えることができれば・・・
・・・・・
ええ、確かに作品に込められた寓意や象徴、想いを知ることの驚きと感動がありました
以前も書きましたが宮崎作品には何階層もの楽しみ方があるのが特徴ですね
以下もてきとーメモですが脳内整理のため勝手に作品番号を付けました
さらに宮崎駿本人の言葉には「」を付けたつもりです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば記事を非公開設定にします)
第1章 科学と自然
①未来少年コナン1978~コナンに託した生命力~
・作り手の心理で物語が作られ緻密なハリウッド作品と比較すれば作り方もアニミズム的
・文明崩壊後に自然が回復した場所だからこそ生まれた野生児がコナン
⇒コナン自体に野生・自然が宿っており、それは日本的な自然の回復力アニミズムの価値観
・戦後の逆境から立ち直る力、資本主義と科学の物質文明を再点検する外部の存在
⇒それが初期作品では少女ではなく少年に託されている
・インダストリアの否定⇒教条主義、全体主義、独裁現実のソビエトとの決別
・ラナもシータもクラリスも過去を背負わされた暗く陰りのあるヒロイン
⇒そこに活き活きと動くルパンやコナンたちが現れ、彼女たちを変え、浄化する物語が
初期作品では繰り返される
⇒よく言われるロリコンではなく少年も少女も宮崎の自己投影ではないか
⇒この両性具有性も繰り返される
②ルパン三世カリオストロの城1979
~学生運動的な活力を体現するキャラクターとしてのルパン~
・70年安保を境に「シラケ世代」になったルパンの性格を宮崎と高畑は払拭したかった
・カリオストロ家にもルパンにも峰不二子にも宮崎自身にも光と影の二面性がある
・シーズン2第145話「死の翼アルバトロス」のエロティシズムとラディカリズム
(以後は抑制され純粋な想いと信頼が強調されるが動画や主題の官能性の中に潜在する?)
・シーズン2第155話(最終話)「さらば愛しきルパンよ」の科学と贖罪という主題
(軍需によるリッチな生活への贖罪⇒共産主義へ⇒その弾圧や虐殺を知った衝撃と幻滅と後悔)
③風の谷のナウシカ1984~冷戦・全面戦争の寓話~
・様々な現代社会に対する寓話
⇒自然と暮らす風の谷が科学強国トルメキアに支配され巨神兵の復活に従事させられる
⇒アメリカの「アトムズ・フォー・ピース」を受けた日本の原子力政策の寓話とも
⇒「ナウシカの戦争モデルはロシア人だけで2千万人が死んだ独ソ戦」
・ナウシカは科学と自然の両方の要素を持っており最初は暗い影が少なくコナンに近い存在
⇒原作では大量破壊兵器の罪を背負いそれを食い止めようとする暗く儚げなラステルから
巨神兵の秘石を託され、その運命が変わる⇒ここから作品は動き出す
⇒クシャナは科学を戦争に利用しようとしている⇒どちらも両性具有的な存在
⇒ラステルの兄アスベルはコナンやルパンのような生命力=アニミズムの象徴ではない
⇒アニミズムはナウシカと蟲によって描かれ、その凶暴な側面も剝き出しになる
・ナウシカは罪を背負い贖罪しようとする少女とも男勝りに権力や科学を使う女性とも違う
⇒純粋に共感し助けようとする⇒蟲への愛
⇒「ナウシカはアニミズムに支配されている」
⇒ホルス・コナン・ルパンの少年的アニミズムから母性アニミズムに変化した?
⇒「ナウシカを作るきっかけは水俣湾が水銀で汚染され数年後に魚と牡蠣が戻ってきたこと」
・水俣病、核兵器、独ソ戦、冷戦・・・この困難な世界の寓話として機能する作品であり、
それらの悲劇を克服する方向の精神性を求めた祈りの作品でもある
⇒日本的なアニミズムに可能性を見いだすのは本人が言う通り民族主義的かも
⇒資本主義や科学を投げ捨て、自然と共存していたかつての日本の心を取り戻せば、
公害も戦争も解決するのか?
⇒この葛藤を含みながら宮崎作品は思想的に変遷していく・・・
④天空の城ラピュタ1986~科学と自然の二項対立の否定~
・落下が本作のモチーフであり、科学の二面性こそが本作の主題
⇒パズーの生命力はコナンやルパンほどではなく、無邪気さや楽天性を捨て、
科学の深刻な問題を理解し、シータとともに命を懸けて贖罪するように変化する
⇒活力アニミズムに近いのはドーラたちだが彼らも自然と科学の混ざった造形
・ドーラのモデルは宮崎の実母でありアニミズム的活力と結びつく
⇒慈悲深く受け入れ育てる想像の「母」とは異なる宮崎の母との個人的な結びつき
・パズーの村もラピュタも科学と自然が入り混じった状態で存在し続けるラスト
⇒科学・戦争・資本主義を象徴する父と、自然・土着・霊性を象徴する母の遺伝子と文化を
受け継いだ当然の帰結
⇒混ざり合いの肯定は自分自身を受容することに近い
・ラピュタに近づくと嵐の中にパズーの父の幻が現れる
⇒後期作品で中心的に描かれる、あの世・異界・死者という主題系の萌芽がここにある
第2章 受容と育成
⑤となりのトトロ1988~抱きとめてくれる自然=カミによる「救済」~
・代表作だが、かなりの異色作
⇒父の系列(科学・資本主義・戦争・罪)が徹底的に排除され、母の系列(自然・霊性・土着・受容)が
全開になっている
⇒宮崎の振れ幅のひとつの極で父の系列の問題からの精神的アジュールと言っていい作品
・トトロはオバケと宮崎は言ってるが、これはアニミズム的な自然信仰の「カミ」
⇒無理に頑張っていたサツキに必要なのはゆっくり休むこと
⇒雨の夜にメイを背負った孤独な場面にトトロが現れ、傘に雨が落ちることすら喜びに
⇒母がわりに頑張ってるサツキは宮崎であり少女に自己投影する傾向がここでも続いている
⇒「このままでは鬱屈し不良少女になってしまうから感情を爆発させてあげた」
・「トトロが存在すること」だけでサツキとメイは救われている
⇒日常で抱きとめてくれる自然=カミが存在することが救済なのだと、認識が移行した
⇒しかしトトロ(自然=カミ)も荒ぶれば王蟲にも台風にもなる
(トトロの廻すコマや電線を駆けるネコバスなど科学とのハイブリッドもある)
・日本と日本人を罪の意識から嫌っていた宮崎が日本に向き合った作品で、
⇒少年の自分に「こういう日本だったら好きになるのでは」と提示するつもりで作った作品
・「国家や民族を超えた単位で日本を眺める切り口が欲しかった」⇒縄文時代の研究へ
⇒「そうじゃないと僕の遭遇してきた日本は惨めでみすぼらしいものでしたから」
⇒「サツキとメイの父のモデルは藤森栄一」(縄文農耕論を立証しようとしていた)
⇒「それと母親が何度も聞かせてくれた山梨の山村の日常」
⇒「それらで日本の歴史が嫌だった自分の何かがわかった」
⇒縄文的なアニミズムの感覚⇒その象徴がトトロ
⇒戦争への国家神道と自然信仰アニミズムの分離が可能になったのかも
・縄文と照葉樹林(面白かったけど当サイトのおなじみ分野なので略)
・諏訪と宮崎駿と藤森栄一と中尾佐助「栽培植物と農耕の起源」の関係(同じく略)
⇒諏訪明神(タケミナカタ神)、蒲池明弘「火山と断層から見えた神社のはじまり」、
小海町出身の新海誠「すずめの戸締り」、中央構造線と糸静構造線が交わる諏訪上社前宮・・・
⇒科学と自然の二項対立の破壊、前衛知識人の指導より民衆の生活そのものにある価値観へ
⑥柳川掘割物語1987~民衆たちによる新しい文明への希望~
・年代は逆になるが前述の民衆への評価と大きく関係する
⇒本作を作った3つの理由(高畑の文章より)
1昔から日本人が続けていた自然を破壊しないような循環型の付き合い
⇒「昔に戻ろう」ではなく柔軟性のある新技術と工夫で都市河川を復活させる
2行政と市民の連帯
⇒市民と一緒に水路を再生した柳川市職員・広松伝に高畑が出会って感動した
⇒新しい住民運動は行政への不信がベースだが柳川では行政と市民が共闘して計画を覆し、
新しい計画を立案して実行できてしまった⇒連帯とその事実に高畑は希望を感じた
3活き活きとした子どもたち
⇒その人懐こさにも驚いた
⇒子どもたちが個室化し社会や自然や現実から(自分たちが提供している)アニメーションに
逃げ込む傾向に歯止めをかけるような仕事をしたかった
・本作は宮崎のその後の思索や作品にも大きく影響していると推測する
⇒川の神だったことを忘れクライマックスで蘇るハク、ごみ拾いなど地域活動への参加、
その重要性や現代に活かす方法という方向にシフトしていくきっかけになったのでは?
⑦魔女の宅急便1989~工業と都市生活の受容~
・トトロ以降、日常や労働や自分を受容するという主題系が宮崎に浮上する
⇒その受容には資本主義や科学までも含まれ、その対立と葛藤、二面性に引き裂かれながら
進むドラマが「もののけ姫」までの宮崎
・トトロと同じ日常生活であり父の系列は薄く、キキが女性たちに助けられる物語
⇒この女性たちがトトロや自然が果たしてきた母として機能する
・時代の変化とその受容も本作の隠れた主題
⇒トトロ的な村を離れて田舎から都市へ⇒空間的・時間的な移動
⇒本作のアニミズム活力はキキの魔法や元気だが都会で萎えていくことが主題のひとつ
・トンボは科学の側に近いが人力で飛ぼうとしている(宮崎の科学の受容ライン?)
⇒二人の関係は田舎と都会、過去と未来、魔法と科学の複雑な関係の寓話
・画家のウルスラが本作が才能についての寓話であることを開示する
⇒宮崎は田舎から出てきた専門学校生などを想定しキキを造形しており、
(ある程度は絵が描ける(魔法が使える)という才能だけで都会に出てきた若者たちへの)
先輩絵描きとしてのメッセージをウルスラに託している
・飛行船は墜落するがテレビで多くの人がキキを見守り応援し評価する
⇒テレビというテクノロジーが多くの人たちを繋いでいる
⇒テクノロジーも含め多くの人たちが見守っている、というのが本作での救済ではないか
・最後にトンボは完成した人力飛行機で、魔法で飛ぶキキと二人で空を飛んでいる
⇒魔法(自然・アニミズム・古いもの)と科学(都会・人工・新しいもの)の和解
⇒ラピュタ・ネコバス系列の主題系がここでも続いている
⑧紅の豚1992~抱きとめてくれる「救済」としての「あの世」~
・赤い豚=共産主義者かつ資本家というアイロニカルなタイトル
⇒この時期の宮崎駿の思想の反映
⇒疲れた中年が次世代を育成し救済を見いだそうとする(作品の内容も作り方も)
・トトロで幼少期、魔女で思春期と新人の頃、本作では自身の年代に近い中年男性を描き、
それを受容しようとする試みがなされたのだと考えてよい
⇒結論として前二作のような「受容の物語」は本作では展開できなかった
⇒疑似ユートピアでバカ騒ぎするポルコの暗い影と重さが強い印象を与える結果
⇒罪の主題系が色濃く復活しているが直接に向き合うことはなく贖罪と救済の物語も不発
・疑似ユートピアで一時的な救済と解放を得る、そのことを受容しようと試みたが、
それは不可能だと直視せざるを得なかったのが本作ではないか
⇒これは当時の「戦争や国際政治に背を向け疑似ユートピアに閉じこもって良いのか」という
石黒昇「メガゾーン23」や押井守「機動警察パトレイバー2」などで繰り返された問いへの
宮崎なりの取り組みなのだろう
・本作、ハウル、風立ちぬは男性が主人公で一般評価が分かれる作品
⇒父側の主題で描けば重苦しい罪や絶望の重力が作動する
⇒逆に母側の主題では爽快に飛翔し受容や解放感が表現される
⇒その両方の緊張関係こそが宮崎作品
・本作で最も印象的なのがポルコが「あの世」を見るシーン
⇒真っ青な「清浄・救済」の中に無数の死者たちが向かい、ポルコは行くことができない
⇒彼を優しく抱きとめてくれるのは「あの世」なのだが、地上の責任のため戻ってくる
⇒「千と千尋」以降「あの世・異界」を中心の主題にしていくが、その折り返し点が本作
・民族主義・民衆への失望
⇒トトロ以降、日本のアニミズムや民衆に期待し信頼しようとし、そこに救済を求めていた
⇒ところが1991年にユーゴスラビアで紛争が起こり民族主義を民衆が支持した
⇒冷戦終結⇒社会主義の否定⇒民族同士の虐殺・民族浄化へ
⇒これは異質なものが理解し合い戦争を止める「ナウシカ」のビジョンとは正反対だった
⇒つくづく人間は複雑で愚かと思い知り、その答えとして本作を描いた
⇒宮崎はこれ以降、自他の愚かさを受容していく(努力をする)ようになる
(その受容はかならずしも肯定ではないという不思議な捻じれを本作以降は孕む)
・日本だけでなく人類全体の愚かさの連鎖が続くこと自体への受容の試みの本格的な展開は
漫画版「ナウシカ」で行われることになる・・・
⑨平成狸合戦ぽんぽこ1994~現代への敗北と受容~
・高畑作品だが「次世代・変化の受容」というこの時期の宮崎の主題系にとって重要な作品
⇒古いものや自然を守ろうとして敗北し、現代的な生活や開発や資本主義を受け入れて
生きざるを得ないこと、それを苦々しく受容しようとする物語
・狸の化学(ばけがく)は高畑アニメーション⇒消費されるエンターテインメントに過ぎない
⇒ジブリに対する高畑のアイロニーでありニヒリズムで高畑の受容の物語
・この後に高畑は「となりの山田くん」や「かぐや姫」などの方向へ、宮崎は逆にアイロニーや
シニシズムを拒否し、積極的に生きる者、現状などを受容する努力の方向へ向かう
⑩耳をすませば1995
~(カントリーロードではなく)コンクリートロードの肯定~
・監督は近藤喜文だが力の入れようから宮崎作品と考えていい
・ぽんぽこ狸の後にニュータウンに移り住んできた者たちの映画
(オープニングも似たカットで作品の連続性を感じさせる)
・少年はバイオリン作り、少女は創作に活力を発揮する
⇒図書館やアンティークなど様々な文化が自然に代わって少年少女を励ます
⇒自然ではなく人間の創造性にアニミズム的な活力や純粋さ=清浄さを見出すことで、
科学・近代・開発・資本主義を受容=肯定しようとする努力
・「もののけ姫と本作は同じ基盤で本作で触れなかった部分がもののけ姫の中にある」
⑪漫画版「風の谷のナウシカ」1982~1994
漫画版の要点は
・腐海は世界の汚染を浄化しており腐海の奥こそが「青き清浄の地」と呼ばれること
・ナウシカが擬人的な巨神兵の「母」になること
・科学技術が眠っている「墓所」が存在すること
・腐海や蟲たちが科学技術によって作られたものであることを知ること
・腐海の外の人類を含む動植物は浄化された世界では生きられないこと
⇒カントリーロード=トトロ的世界=浄化された世界
⇒コンクリートロード=ニュータウン的な現代社会=汚染された世界のメタファ
⇒(現代の)新しい人間たちは浄化された世界では生きられない
⇒ナウシカは悩み、苦しみや悲しみや死も受け入れ汚濁と共に生きていくことを選ぶ
⇒現に生きている「次世代」をナウシカ=宮崎は選ぶのである
・ナウシカと母(略)
・人類史的悲劇の受容
⇒トトロや魔女の宅急便での自己受容は戦争や資本主義や科学の問題を否認したところに存在した
⇒紅の豚はそれを否認しようと努力するが成功しない物語
⇒漫画版ナウシカはそのような愚考すら肯定し受容しようとする心理的な努力
⇒歴史へのペシミズムをどう乗り越えるか⇒そこにこそ宮崎のアニミズムがある
⇒人類の愚考も含めた生命のあり方そのものを受容し信じようとする宮崎アニミズム
・母のニヒリズム(略)
手塚治虫のニヒリズム、ぽんぽこの高畑のニヒリズム・シニシズム、変節への共感・・・
・後に宮崎は「安っぽいニヒリズム」と「生命根源への問いに発している深いニヒリズム」を
分けて述べるが宮崎アニミズムは後者で漫画版ナウシカで到達し、もののけ姫で全面展開する
⑫もののけ姫1997~善悪と二項対立を超えて~
・ナウシカ1984のリメイク的な側面があり漫画版ナウシカ1994の主題系が展開された作品
⇒ナウシカ=サンとクシャナ=エボシ御前の対立が主軸の物語だが違いもある
⇒ナウシカ1984での二項対立や理想といった逃げ道がなくなっている
⇒その怒りと憎悪のコントロールをしたのがアシタカ⇒水俣病の加害者と被害者と緒方正人
・登場人物は貴族・侍・農民ではなく蝦夷・白拍子・ハンセン病患者
⇒網野善彦史観であり黒澤明作品「七人の侍」への異議申し立て
・漫画版ナウシカの結末部で得られた認識の延長線上にある作品
⇒サンにもエボシ御前にも過酷な過去と現状があり、どちらの陣営も一枚岩ではない
・冷戦崩壊後のユーゴスラビアの憎悪の応酬の果ての大破壊
⇒自分をコントロールしなければならないという子どもたちへのメッセージ
・人類の矛盾と葛藤と拮抗を肯定せざるを得ないという達観と諦念の境地
⇒それがこの時期の宮崎アニミズム
⇒伊勢的な清浄を求める神道や、穢れや殺生を嫌う仏教とは異なる、諏訪的な信仰の影響
⇒愚かな人類や生命を丸ごと受容するような境地のアニミズム
・映画の結末で木々や神々や動物はいなくなる
⇒かつての信仰や文化を失い近代化した状況の隠喩
⇒だが一匹のコダマが残り新しい植物の芽が生える
⇒縄文の自然ではなく人工的に再生した関東近郊の自然⇒それを受容し癒される宮崎
⇒宮崎が「耳をすませば」と「もののけ姫」は対になる作品と言ってるのはそういうこと
・「サンは森で私はタタラ場で暮らそう、共に生きよう」
⇒矛盾や葛藤をそのままにしておくことが本作の落としどころ
⇒全面的な受容や融合ではなく殲滅し合うことなく異質性を保ちながら共存していこうとする
・理想も完璧な正も、排除すれば解決する悪も、存在しない世界で生きることを肯定すべき
⇒だからコントロールし理解し共感し許さなければならない
⇒これが21世紀をどう生きるかに対する宮崎の答え
「もう告発は済んだのです、後は日常生活の中で自分が何をするかを考える時です」
「ただの批判では何も生まれてこないから新しい感覚を作り出すことを考えるべきと思ってます」
・・・・・
以下、第3章以降のメモは次回記事に続きます
2025年12月20日
天王寺動物園と海洋堂ミライザ大阪城と・・・
とーとつですが・・・
16日の火曜日、すっかり仲良くなったご近所のネパール料理店「サウラハ」のご家族と、
天王寺動物園や大阪城をご一緒してきました
娘さんが11月下旬に初来日されてたのですが、観光も殆どできないまま学校の都合などで
年末には帰国する必要があり、次回はいつ来日できるかわからないので、家族で1日だけでも
大阪を観光したいので、どこかに案内してくれませんか、とのことで快諾、とりあえずは
動物園・大阪城・USJ・道頓堀・四天王寺・あべのハルカスなどが候補に挙がりました
(さすがに住吉大社は夫婦で奥さんと娘さんを11月下旬に案内済みでした
)
つーことで家内がハードな観光プランを作成、1日で行けるところまで廻ろうと・・・
まずは、

開園110周年を迎えた天王寺動物園へ・・・
新世界ゲートから入ったので最寄りのアイファー(爬虫類生態館)から、ほぼ時計回りで
2時間あれば全て廻れると・・・(わたくしの歩行速度と撮影時間が計算外でしたが
)



慌ただしくアフリカサバンナ・ゾーンへ

ちなみにネパール・サウラハ村を歩いてるサイはツノが1本だそうです

ライオンは寝ている

キリンは起きている
とかアフリカサバンナ・ゾーンも駆け足で回り、北園の他の展示は殆どショートカットして、
何とか南園のペンギン「ごはんタイム」に間に合いました

ごはんだ!ごはんだ!と大騒ぎして高速で泳ぎ回るペンギンたちは確かに大迫力

南園のここ「ペンギンパーク&アシカワーフ」が今一番新しい施設なのかな・・・
そう「アフリカサバンナ」ゾーンと並ぶ大きな「アジアの熱帯雨林」ゾーンが大規模改修中で、
ずっと閉鎖されたままなんですよね
改修前でもボルネオなどの熱帯雨林の雰囲気をうまく演出してたので完成が楽しみですが・・・
こちら冷たい水中で延々と遊び続けるホッキョクグマ ぶるぶる

こちら夜行性動物舎


屋内の昼と夜を逆転させ暗い照明や赤い照明で行動展示してるんですね
ちょうどこちらでも・・・


ハクビシン?らの「ごはんタイム」に遭遇できました
と、けっこう歩き回り昼も過ぎてたので我々も「ごはんタイム」へ・・・

フラミンゴに別れを告げて・・・
新世界ゲートを出てすぐのメニューの多そうな串カツ店に入りました
ま、日本語の怪しい店員さんが多くメニューや注文は全てQRコードからでしたので、
明らかにインバウンド客向けのお店なんでしょうが、空いてて店員さんも親切でした
三人はヒンドゥー教徒なので牛肉はもちろん豚肉もダメ、さらにご主人は数年前から
ベジタリアンに宗教上のレベルアップをされたそうで、各人に合わせて厳選・・・

様々な具材から禁忌を考え選ぶのも楽しく、さらに唐揚げなど次々と追加しましたが、
わたくしは手前に選別した牛肉や豚肉などを食べるのに夢中で以後の画像はありません
と、ようやく我々の「ごはんタイム」も一息ついて、そのまま「おやつタイム」へ・・・

さすがに娘さんには甘くない抹茶をまぶしたわらび餅は無理でしたが・・・

皆さん日本の優しい甘味は大好きでしたね
と、食後は動物園前⇒本町乗り換え⇒谷町4丁目⇒歩いて大阪城の本丸広場へ・・・
谷町4丁目⇒歩いて大阪城の本丸⇒天守閣つーのは昔のわたくしの通勤ルートでしたが、
よくまあ毎日、こんなルートを歩いてたなあ・・・ひいひい
と、

定番フォトスポットで記念撮影した後は・・・
同じく本丸広場にあるミライザ大阪城へ

今はクリスマス仕様で内部もすっかりおしゃれになってますが、もとは陸軍第四師団の司令部
として建てられ、戦時中には第15方面軍司令部と中部軍管区司令部が入っており、敗戦により
GHQが接収、接収解除後には大阪市警視庁本部⇒大阪府警察本部⇒大阪市立博物館として
使われていた、ロマネスク様式の重厚な建物・・・
・・・の地下にある


海洋堂フィギュアミュージアム ミライザ大阪城であります
なにせ3000点を超える展示ですから、わたくしの琴線に触れたごく一部のみ・・・

























ジオラマもなかなか迫力がありました
ま、ご主人はヒンドゥー教の神様と一部共通する仏像などには興味があったようでしたが、
奥さんも娘さんもハリウッド映画や日本アニメは殆ど知らないようでした
と、出口にはこんなものが・・・

「ネパールはここだけど、まだシールがないね」

「サウラハ村はこのあたりかな・・・}

つーことで

ひょっとして、ネパールからの初来館者に???
と結局、この日に入れた施設は天王寺動物園と海洋堂ミライザ大阪城だけでしたが、
それでも丸1日かけて充分に家族で楽しんでもらえたようで、まずはめでたしめでたし
16日の火曜日、すっかり仲良くなったご近所のネパール料理店「サウラハ」のご家族と、
天王寺動物園や大阪城をご一緒してきました
娘さんが11月下旬に初来日されてたのですが、観光も殆どできないまま学校の都合などで
年末には帰国する必要があり、次回はいつ来日できるかわからないので、家族で1日だけでも
大阪を観光したいので、どこかに案内してくれませんか、とのことで快諾、とりあえずは
動物園・大阪城・USJ・道頓堀・四天王寺・あべのハルカスなどが候補に挙がりました
(さすがに住吉大社は夫婦で奥さんと娘さんを11月下旬に案内済みでした
)つーことで家内がハードな観光プランを作成、1日で行けるところまで廻ろうと・・・
まずは、

開園110周年を迎えた天王寺動物園へ・・・
新世界ゲートから入ったので最寄りのアイファー(爬虫類生態館)から、ほぼ時計回りで
2時間あれば全て廻れると・・・(わたくしの歩行速度と撮影時間が計算外でしたが
)


慌ただしくアフリカサバンナ・ゾーンへ

ちなみにネパール・サウラハ村を歩いてるサイはツノが1本だそうです

ライオンは寝ている

キリンは起きている
とかアフリカサバンナ・ゾーンも駆け足で回り、北園の他の展示は殆どショートカットして、
何とか南園のペンギン「ごはんタイム」に間に合いました

ごはんだ!ごはんだ!と大騒ぎして高速で泳ぎ回るペンギンたちは確かに大迫力

南園のここ「ペンギンパーク&アシカワーフ」が今一番新しい施設なのかな・・・
そう「アフリカサバンナ」ゾーンと並ぶ大きな「アジアの熱帯雨林」ゾーンが大規模改修中で、
ずっと閉鎖されたままなんですよね
改修前でもボルネオなどの熱帯雨林の雰囲気をうまく演出してたので完成が楽しみですが・・・
こちら冷たい水中で延々と遊び続けるホッキョクグマ ぶるぶる

こちら夜行性動物舎


屋内の昼と夜を逆転させ暗い照明や赤い照明で行動展示してるんですね
ちょうどこちらでも・・・


ハクビシン?らの「ごはんタイム」に遭遇できました
と、けっこう歩き回り昼も過ぎてたので我々も「ごはんタイム」へ・・・

フラミンゴに別れを告げて・・・
新世界ゲートを出てすぐのメニューの多そうな串カツ店に入りました
ま、日本語の怪しい店員さんが多くメニューや注文は全てQRコードからでしたので、
明らかにインバウンド客向けのお店なんでしょうが、空いてて店員さんも親切でした
三人はヒンドゥー教徒なので牛肉はもちろん豚肉もダメ、さらにご主人は数年前から
ベジタリアンに宗教上のレベルアップをされたそうで、各人に合わせて厳選・・・

様々な具材から禁忌を考え選ぶのも楽しく、さらに唐揚げなど次々と追加しましたが、
わたくしは手前に選別した牛肉や豚肉などを食べるのに夢中で以後の画像はありません

と、ようやく我々の「ごはんタイム」も一息ついて、そのまま「おやつタイム」へ・・・

さすがに娘さんには甘くない抹茶をまぶしたわらび餅は無理でしたが・・・


皆さん日本の優しい甘味は大好きでしたね
と、食後は動物園前⇒本町乗り換え⇒谷町4丁目⇒歩いて大阪城の本丸広場へ・・・
谷町4丁目⇒歩いて大阪城の本丸⇒天守閣つーのは昔のわたくしの通勤ルートでしたが、
よくまあ毎日、こんなルートを歩いてたなあ・・・ひいひい
と、

定番フォトスポットで記念撮影した後は・・・
同じく本丸広場にあるミライザ大阪城へ

今はクリスマス仕様で内部もすっかりおしゃれになってますが、もとは陸軍第四師団の司令部
として建てられ、戦時中には第15方面軍司令部と中部軍管区司令部が入っており、敗戦により
GHQが接収、接収解除後には大阪市警視庁本部⇒大阪府警察本部⇒大阪市立博物館として
使われていた、ロマネスク様式の重厚な建物・・・
・・・の地下にある


海洋堂フィギュアミュージアム ミライザ大阪城であります
なにせ3000点を超える展示ですから、わたくしの琴線に触れたごく一部のみ・・・

























ジオラマもなかなか迫力がありました
ま、ご主人はヒンドゥー教の神様と一部共通する仏像などには興味があったようでしたが、
奥さんも娘さんもハリウッド映画や日本アニメは殆ど知らないようでした

と、出口にはこんなものが・・・

「ネパールはここだけど、まだシールがないね」

「サウラハ村はこのあたりかな・・・}

つーことで

ひょっとして、ネパールからの初来館者に???
と結局、この日に入れた施設は天王寺動物園と海洋堂ミライザ大阪城だけでしたが、
それでも丸1日かけて充分に家族で楽しんでもらえたようで、まずはめでたしめでたし
